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喫茶への情熱は、ぼくなとと比較にならぬ方たちは少くないので、ここでこうしてぼくが惰性のように喫茶巡りをしてそれを報告したとしても余り意味などないんじゃないかと思ってみたりする。それでも日曜日には、喫茶巡りの記録を飽かず乗せ続けているのは、止めるキッカケを見失っているからに過ぎない気がするのです。唯一、そこに意味を見出すとすればこれまで余り報告されたことのない手付かずのお店に遭遇した時を報告する時です。まあ、こうして私的な日記を装ったブログという媒体を利用する以上はそれなりの自己顕示欲もあるのであって、ならば顔見せしてステップアップを目指せば良いではないかという指摘もあったりするのだけれど、そうまでする覚悟は毛頭ないのだからますます何を目的にして、こんな面倒を日々修行のように繰り返すのかと省みると、元に戻るけれどやはり止めるキッカケを掴み損ねているとしか言えぬのです。 さて、旅の途上にそんな詰まらぬ事を思っているはずもないのでありまして、夜も更けてきて酒場へと気持ちを切り替えたところで「珈琲専科 光林」に遭遇しました。無理はしたくないと思うけれど、その躊躇が後に後悔を呼び起こすことは良く分かっているし、そう思う程度には伊勢はそれなりに遠いのであります。さて、「光林」は正統派でありながらも年季を滲ませ、かつ部分的に個性的な家具のレイアウトも施されたりしており、案外悪くないのです。で、しかも見た目の重厚さからは想像も及ばぬお手頃価格も旅の最中というのは知らぬうちに散在しまくることになりがちなのでとても助かるのであります。JRの駅前からすぐと立地もいいので、使い勝手はとてもいいと思います。 さて、「コンスレートイセ(Consulate 伊勢)」、「COFFEE ホットライン」、「喫茶 ラブ・クール」、伊勢駅前商店街「喫茶 局」といった廃業喫茶も多く見かけました。どこも外観のみで内観の痕跡を確認できなかったのは残念ですが、さすがの大観光地、かつては喫茶天国だったことを確認できました。 甘味処というのが近い「若草堂」では、この旅で最後の伊勢うどんをいただきました。少し味付けが余所よりも濃くて正直、朝早くから食べるのはちょっと辛いのですが、この懐かしい景色がありさえすれば他の瑕疵は一切気にならぬのであります。コーヒーの味がどうこう言っては野暮というものです。クラシカルな内装にオレンジのチェアが映えて、そのアンバランスなセンスが絶妙なバランス感として捉えられるようになるのは、これは時の経過をもってしかなし得ないことであると思われるのです。きっと開店当初のまだ真っ新だった店内にこのオレンジはいささかドキツク感じられたのではないか。それが時間によって調和を獲得するようになるのにどれほどのお客さんが出入りしたのだろうと考えると、ここにいる時間がとてもかけがえないものに思えるのです。 同じくオレンジ色のチェアを配した「純喫茶 ロマン」―この店名、引き込みの看板と店先の袖の看板と異なっていたようで正確かどうか確認していませんが―は、伊勢の喫茶店では一番オーソドックスだけれど、もっとも好きなお店でした。前夜通過した際にはもう店を閉めていましたが、あくる日の朝は普通に何気ない様子で店を開いていてくれました。こちらもJR駅前の小さな商店街のそのまた路地にありまして、目立たぬ場所なのに数名のお客さんがホットケーキや伊勢うどんなど好き好きに召し上がっており、どなたも満足気な表情を浮かべられていたのが印象的です。 といった訳で、伊勢の喫茶店はどういう訳かあまり脚光を浴びることがないようで―ぼくのネット検索技術の低さのせいかもしれないけれど―、これまで足を伸ばすのを躊躇していましたが、今回のわずかの滞在期間でもこれだけの見所があったのだからまだまだ探れば素敵な店も少なくなさそうです。酒場にも未練を残したので、いつかまたお伊勢巡りをしたいと強く感じました。
2019/04/21
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伊勢神宮には、参拝の作法として外宮から内宮と巡るのが正解らしいのだけれど、さすがにまだ初詣の参拝客も多いし、安倍何某も他人の迷惑顧みず参拝に来ているらしく、町には警官が随所に配置されて暇そうにブラブラしているのを見掛けます。しかしまあ、政治家が伊勢詣でしてはならぬとは言えぬけれど、もう少しタイミングを図って一般客の迷惑にならぬよう配慮すべきではないだろうか。でもまあ政治の話題は酒席においては御法度と言われるけれど、喫茶でもその事情はさほど変わらないはずです。アルコールで気持ちが昂ぶるのが御法度たる所以であるとすれば、コーヒーなんかに含有されるカフェインだって興奮誘発の効能があるはずだし、しかも素面であるなら言葉を交わす双方に決定的な訣別をもたらすことにだってなりかねません。酒に酔った勢いというふうに誤魔化すわけにはいかないのであります。 さて、鳥羽から伊勢までは一日の乗降が可能なきっぷを購入しましたが、この時期にこのきっぷは余り活用できないと考えた方が良さそうです。何せ道路は混み合うし、内宮と外宮を行き来するバスは運休扱いで、JRの伊勢駅に向かう便が不定期にピストン運行されるばかりだから活用しようとすると相当な時間のロスを覚悟せねばなりません。さて、伊勢駅前にて降車してすぐにこの夜の宿で旅装を解くことにします。地図に従いそこへ向かおうと歩き出すとアーケードのこぢんまりとした商店街があるので通ってみることにしました。そこには2軒の喫茶店がライバル心を少しも顕にすることなく静かに営業していました。この眺めは以前何処かで見ているはずと後から調べるとやはりこの方のHPに見つける事が出来ました。 手前に「純喫茶 ケルン」、奥に「ブルーパール」があります。どちらも店内が見えそうで見えないという見送りたくなる要因を兼ね備えていましたが、何よりここまで動きっぱなしで息抜きをしたいという喫茶本来の目的でどちらかに立ち寄ることに決めました。結局は多少なりとも店内の様子が見え難い前者にお邪魔したのですが、ここが思いの外にカッコいいのでした。改装や家具の入替えは段階的に施されているようですが、シックな装いでありつつもモダンな趣きも感じられて、洗練とは異なるゆるい混沌が店の個性を産み出しているようです。洗練とはとかく一本調子に陥りがちで、つい何処かで出逢った気がするなあと記憶を惹起せんと躍起になってしまい、おちおち休息に浸れぬのです。ついさっきまでは伊勢神宮への参拝客で人波に揉まれていたのに、しかも駅前でありながら、ここがどこかしら観光地ではない遥か遠くの町のように感じられるのです。店を出てお隣も覗き込むとこちらもカラフルでなかなか良いじゃないか、と思えてきます。また後で時間に余裕があればやって来る事にしようと思ったのですが、結局戻ったのは酒場探しに難渋した夜更けになってからなのでした。 宿はウィークリーマンションです。一夜限りでウィークリーとはどうしたものか、しかし伊勢の宿ではどうやらこちらは定番らしい。しかもアメニティなども揃っているし、改装も終えてキレイだし、広々としているのが何より嬉しい。前夜からずっと窮屈な思いをしてきたんだからね。手足をウンと伸ばして羽化したての雛鳥のような解放感です。でもそらに浸っている暇はありません。まずは外宮を詣でておかねばなりません。 しかし、歩き出すと早速に誘惑にまんまと引っ掛かってしまいました。「喫茶 サチコ」は町外れに普通にありそうな近所使いのお店というくだけた雰囲気のお店です。ママさんが凄いお喋りでしかも世話好きみたいだから、だからこそお仲間たちが集まりお達者クラブを構成することになるのでしょう。クリーム色のマイルドなテイストの店内は達者に過ごせるようとても柔らかでソフトな印象です。刺激には欠けるけれど愛すべき喫茶として記憶に留まりそうです。ママさんもいろいろとおやつを差し入れてくれるからうっかり食べ過ぎぬようお気をつけられたし。 JR線の高架下に「純喫茶 モア」と「喫茶・軽食 チャンプ」という2軒の喫茶店が並んで営業しています。先の2軒も隣接していてこれはかつてはこんなもんではないほどに過密状態があって、それでも繁盛したという風に解釈すべきか、それとも単に偶然の産物かそこら辺は分からぬけれど、呑み屋が群れを成すようには喫茶店が群れても余り売り上げに貢献せぬように思うのだけれど、ぼくの認識不足なのだろうか。どちらも外観は大変よい雰囲気で迷ったけれど、「モア」にお邪魔しました。「チャンプ」がそれなりに賑わっていたからであります。「モア」は純粋に喫茶営業をしているようですが、内観もスナックっぽさが漂います。嫌いではないけれど、至って平凡なムードで特筆すべきことはないのでありました。後になって「チャンプ」が気になって戻るけれど、さすがに人通りのない夜更けでは営業していてほしいと願うのは無理だったようです。
2019/04/14
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ノルマといっては不敬に当たるかもしれぬけれど、無事に伊勢神宮をひと巡りできました。夜行バスからのほぼ呑まず食わずの行程にさすがに少しばかり空腹を覚えます。ここまでもは喫茶巡りを織り交ぜてきましたが、それは本来の喫茶の利用法、つまりは休息を目的としての利用という側面が大きかったかと思うのです。夕闇迫るこの時間からだともうそうは喫茶巡りも出来かねる、というわけで運よく喫茶に遭遇したなら立ち寄るということで、気持ちと身体は早々と酒場巡りを求め始めました。 ところで、この旅の秘めたる目的の一つが食にあると言うと、いつもはカレーかラーメンがありさえすれば食についてはあーだこーだとゴネたりはせぬなどと吹聴しているけれど、無論それは建前なのであります。この所、カレーやラーメンが続いてさすがに飽きつつある事をこの場でさり気なくも素直に認めておく事にします。しかし、麺類への嗜好は変わらずであり、伊勢に来たならもちろん伊勢うどんは外せぬ一品なのであります。無論、随分前に訪れた際にも食べた記憶はある。食感がムニムニと緩くて、当時は武蔵野うどん風のゴシゴシしたハード食感に目を眩まされていたぼくには、いかにも頼りなく感じられたものですが、近頃は好んでカップ麺を調理時間の二倍、時には三倍程も掛けてヘナヘナにふやかしたものを嬉々として食するようになったのだから、味覚もそうだけれど食感への志向は随時流転するものなのです。これから結婚などで他人と生活する人には是非とも己の好みを傲慢に語ってみせることは回避することを進言します。恥こそ己の処世の根底にあると確信しながらも、常に恥を引き寄せるのがぼくなのです。俺は伸びたラーメンなど食えんとか偉ぶって、後々後悔することは甚だみっとも宜しくないから、特に食においては結論は留保するべきだと思うのです。それはともかくとして、老舗然とした「ちとせ」は、この旅最初の伊勢うどんを頂くに相応しいと考えました。昼食時を逃して正解でした。先程まで混み合っていた店内から潮が引く様に人の気配は消え失せて、店を雰囲気ごとまるまると独占したかのような気分にさせてくれます。夜もある事だし諸々の誘惑は排除して当初のお目当てを所望することにしましょう。その感想は、やはり麺類は何を食べても間違いないなという事です。しかし、残念なのは下手に知識があったばかりに実物は想像を超えることがなかったことです。その麺の緩さやタレの黒さと甘じょっぱさ、知らずに食べたらどれだけ興奮したか。あと、店の方の応対が少なからず酷かった。どう酷かったかは詳らかにするつもりはないけれど、年に一度ならともかく頻繁に通い詰める気にはなれそうもありません。 さて、日も落ちて辺りは暗くなりました。さっきまでの町の賑わいは瞬く間に失われ、まるでよその町に乱暴に連れて来られたかのような印象です。しかもこれから向かおうとしている「とばっ子」は、駅からはそれなりの距離があるのです。立派だけれどほとんどの店舗がシャッターを下ろしっぱなしのように思えるアーケードの商店街を抜けるとようやく目指すお店に到着です。真新しいなかなかに貫禄のある店構えで思っていたのとは少々違っているけれど、それにはお構いなしに戸を開けて店内に進むと、何とまあ凄い混雑具合ではないか。満席だと断られそうになるのを空くまで待つからと頼み込むと、店の方はそうなると迅速に席を詰めるようお願いしてくれて、席を用意してもらえました。逸る気持ちを抑えかねるので結論から申し上げるとここはとても良い。店の方も最初はガサツに思えるが実はとても親切だし、酒の供し方も決まっている。地方の名産のくじらのタレなど品書も眺めるだけで楽しいのです。しかし、敢えてここで見逃せぬのは、ある質素で素朴な一品の肴にあると断じてしまう事にします。何となればケチなぼくがそのあまりの旨さにお替りを頼むことになるからです。その一品とはなんの事はない湯豆腐であり、大振りの半丁の豆腐にネギと大盛のかつお節を誂え、出汁を張っただけのものであります。これが何故にここまで旨いのか。店の若主人についこの豆腐は何処の品かとお尋ねしたら、いやあ、いつも仕入れている豆腐屋が休業しているから他所から仕入れてるのだよというお答えでありました。これでいつもの豆腐屋のものだとしたら如何ほどに旨いのだろう。若主人はかつお節は良いものを使って、出汁も市販のポン酢でいいからちゃんと温めておくと美味しいよ、などとサラリと語られたが、それだけのハズはなかろう。「つばさ」は閉店しているようですし、酒場放浪記に出たとかいう「一月家」はお休みのようです。だからあっさりと宿に引き上げるかというと、そんな訳ありはしないのです。
2019/04/08
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やっとのことで飯田線を走破しました。走破ってったって自分の足で駆け抜けた訳でもないのにくたくたになりました。我がことながら堪え性がなくなったものです。中央本線に乗車すると別な乗り物に乗車しているかのような気分になるのは不思議だなあ。列車から見える車窓の風景もそう変わるはずでもないだろうに、心なしか別の地方のもののように感じられます。ここまで来たら都内まではもうすぐという気分になります。 韮崎駅のホーム上の車窓から前週にホームから眺めた観音さまと「アメリカや」、そして地に這いつくばる「居酒屋 小坊主」のシュールな眺めに心を癒してみても、甲府駅で乗り継ぐと、それが実は気のせいでまだまだだなあと先の気分が錯覚のもたらすものに過ぎぬと感じるのであります。甲府から上りの各駅では途中下車するための事前調査もしてあるし、ここまで来たら家に帰り着くことへの懸念も払拭され、どこでだって好きなように休息できるのであります。しかし、せっかくなのでがっつりと休みたいと考え、ひと踏ん張りして大月駅までなんとか我慢をしたのでした。 大月駅の周辺には、何軒かの古びた中華飯店を認めておりかねてから立ち寄る機会を探っていたのです。中でも「宝来軒」は、その店舗の古典的とも評せそうな抜群の見た目とそしてこれはネットで目にして以来、ぼくの食欲を激しく揺さぶったとある看板メニューがあって、今回は迷うことなくこの店に向かうことにしたのでした。店の構えに至る以前からこの店の演出は最高に素敵なのであります。商店街から外れた暗い路地の奥の奥に赤く白く煌めく様子に抗えるような精神力を生憎ぼくは持ち合わせていません。興奮を辛うじて抑え込み、ことさらに落ち着いた様子で戸を開きます。店内も土間の卓席や畳敷きの小上り、配膳用のカウンターなど見所は尽きぬ。早速ビールだったかサワーだったかを注文、とりあえずの肴として八宝菜を注文します。トロトロがたっぷりで紅ショウガがよいアクセントになっていますが、独りだと少し持て余しそうです。さて、もったいぶらずにこちらの名物を公表します。ってネットでいくらでも情報が公開されていますが、このブログで初めてのご覧の方のために少しばかり解説を。それは、芋揚げラーメン、肉揚げラーメンの2種のラーメンでありまして、これだけ書けばなんとなく想像はつくのでありますが、そのボリュームは想像と遥かに凌駕するのです。麺の上には結構な量のもやしで嵩増しされているけれど、これはその上に積み上げられている豚竜田揚げもしくはジャガイモ竜田揚の脂による胃の負担を軽減させるよう配慮されたものであろうかと思うのです。さっき2種のラーメンと書いたけれど、あともう1種類、ミックスラーメンというのがあってこれも予想通り両方を一挙に頂けるというシロモノなのです。さて、ルックスの迫力は満点だけれど肝心のお味の方はどうかというと、まあ見た目通りに普通に美味しいけれど、スープが淡泊すぎるせいか見た目ほどのインパクトは受けません。とはいえ量は非常に多いので2人で分けて酒の肴にするのが正解のようです。でもこの中華飯店に来たら一度は食べておきたい品であることは間違いありません。とにかくここで呑み食いできることで存分に幸福感を得ることができました。 駅を出てすぐに飲食店の立ち並ぶ通りがあります。立ち並ぶというのが何軒程度であれば適当なのか判断は各人に委ねられるところでありますが、軒数だけでなくその密集度や散らばり加減の見た目で見解は大いに別れることになりそうです。少なくともここの通りはぼくには飲食店通りと呼んでも差し支えはないものと考えいます。そんな一軒に「いけかわ」がありました。店内は雑然としておりはっきり散らかっているといってもいい。肴は枝豆など軽めの品を頼んだけれど、写真は残っておらずどうも記憶が曖昧です。しかし、女将さんから嬉しいお申し出があります。けっこう大きめの丼にたっぷりの巨峰らしき葡萄を振る舞ってくれたのです。葡萄なんていくらでも貰えるから好きなだけ摘んでとは、なんとも贅沢な話です。客は他に3名いや4名程いただろうか。もう自分の家のようにだらしなく寛ぎ切って、テレビを眺めたりして好き勝手にお喋りしています。ここはまるで彼らの溜り場のようで、それは少しばかり羨ましくも思えます。さて、変わっているのはお手洗いです。なんと暗い地下に下って利用することになるのです。変わっているというよりびっくりしたのは、地下になんと大きな宴会場らしき空間が広がっていたのです。かつてはここで宴席が催されたんだと思うのです。思うのです。思うのです。現状を鑑みるにとてもそんな過去があったことなどとは思いも及ばぬのです。さて、唐突ですが、ここがいいとか悪いとかそうした意見はぼくがどうこう述べてみたところで仕方のないことです。しかし、言えることがあるとすればこの場が非常に好きで、ここで夜を過ごすのが嬉しくって仕方ない方がいる以上はやはりここは大人の社交場であり続けるべきなのです。
2019/02/11
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覚えていないことを書くのはなかなか辛いことです。だから飯田線の岡谷行列車はほとんどモーローとした状態で列車に揺られることになりました。でも、以前はまんじりともせず車窓からの風景を何事も見逃すまいという気迫で臨んだものです。まあ臨みはするけれど結局うつらうつらしてしまうのですが、問題なのはその気迫にこそあるのです。しかし、今では軽く酒の入った状態での眠気に一切抗うこともなく、寝たいように寝るのが気持ち良くてこれがまた堪えられないのです。何事につけ無理のし過ぎはてきめんに疲弊に直結するような年頃になったということか。老いを語るには早すぎると叱られるかもしれぬけれど、待望した上での老いならば非難に当たらぬのではないだろうか。しかし、それは拘りというには余りにも小さな拘りに過ぎぬのですが、列車に揺られている最中に読書をしたり、スマホをいじったり、それこそブログなど書く時間に充てれば時間の有効活用ということで合理的なことは分かっているのだけれど、列車で移動する最中にそうすることはしたくないという矜持めいたものがぼくにはあるのです。矜持というと立派なことのように聞こえるが、言い換えれば単に旅の最中には、ただただボーっとしていたいというだけの事なのです。ともかくこの旅の終焉も迫っています。肝心の飯田線がゴールまでまだ結構な時間を要するというのにすでにして旅の締め括りを予感するとは、飯田線の余りにも長く果ての見えぬ行程に嫌気が指して来ていたのかもしれません。 それでも最初から最後まで寝てばかりいたわけではありません。小町屋駅で停車時には「Coffee プランタン」の存在を認めて瞬間、本気で再訪を誓ったものだし、車窓から見えた駒ヶ根駅からの緩やかな坂のある風景が素晴らしかったので、それこそ帰京後に旅のプランを温めもしたものです。このプランの実行はまだなし得ていないけれどぜひ近日中に実現したいものです。それこそぼくと似たような趣味趣向の持ち主がいたとしたら、ぼくの企画力に大いに賛同していただけるものと自負しているものです。実際には、ぼくのプランは大いに机上の乱暴極まりない無理の多いもので、近頃要所要所における滞在時間を最低でも5割増しで想定すべきと感じてはいるので、最高の余地はあります。 そして、飯田線のもう一か所の下車駅は、伊那市駅に決めていました。前回訪れた際に通りすがりに見掛けた「スナック喫茶 ポッケ」がどうにも気掛かりで、この正体を確認せずには済まされなかったからです。ぼくには過ぎ去った過去に拘泥するという悪い性癖があります。忘れっぽい癖に取り零しや置き忘れにはねちっこくしがみつくのです。例えば、その気になる対象がネット情報などにより晴らされさえすればそれなりの満足を得て、すぐさまに忘れ去ってしまえばそれでいいのでありますが、気になるもののほとんどがネットなんかでも情報が発信されぬようなものだから始末が悪いのです。というわけでこのモヤモヤした気分を晴らすために「ポッケ」に再び訪れました。前回は時間切れでみすみす逃してしまったけれど、実は柔軟に予定を変更さえできていればこうしてまた再訪する必要もなかったのです。そして今回、拘泥を払拭できたのはいいけれど、店内は期待通りということにはいきませんでした。いやまあ古びた懐かしさすら漂う雰囲気は悪くないのだけれど、これはわざわざ訪れるというよりは、前回通りがかって見掛けたから入ってみましたというようなシチュエーションに立ち寄るのが適当なまあごく普通のお店なのでした。 駅前の路地裏にある「和風喫茶&スナック つつみ」は、今回もまた閉まっています。ここは今でも現役がどうか知れぬままでしたし、情報も流布されていません。ここを目当てに再訪するということもないだろうと思うのです。伊那市には余りにも肩入れしすぎて飽きが来たのかもしれません。また、この町の風景を忘れた頃に訪れるのが良いのだろうと思います。締まらないことで恐縮ですが、この旅の喫茶報告はこれまでとなります。
2019/02/10
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さて、喫茶巡りをメインに散歩しようと思っていたのですが、「レストラン 天竜」、「焼肉 丸福」、なんとか道場とかいうのも酒場なのかしら、これらはもう営業はやめてしまっているようですが、その佇まいひとつだけで想像力を掻き立てられます。「酔仙閣」という中華飯店も捨て難い魅力を放っています。「通りゃんせ」のマスターのお話によるとここはまだ現役続行中とのことなので、次の機会には是非お邪魔したいものであります。そう飯田では一軒どうしてもお伺いしておきたい大衆食堂があったのです。もう少し町を散策したいところですが、列車に揺られて腹もかなり減っているから駅方面に引き返す事になりルートとしては、不細工ではありますが、そちらに行ってみる事にしました。 向かった大衆食堂は、「八ツ橋食堂」です。十字路の角地にあり白い箱をそのまま置いただけのような素っ気なさが実直というか愚直な感じすらして、ぼくにはたまらなく魅力的に思えるのです。外観は箱型だったので店内も整然と単調なのかなと思っていたのですが、小上がりが分散して設置されていたり、卓席も様々な人数や用途に対応できるように工夫が凝らされていました。入口の脇は厨房になっていて、そこがそこまで広い必要があるのかいと思わせるほどに広くてとても立派です。お決まりの瓶ビールを注文し、さて何を食べようか空腹だからガッツリいくべきか、とも思ったけれど列車行で食べ過ぎは禁物です。鳥にかけそばなる聞き慣れぬ品があるからそれを頼むことにしました。出されたのはあっさり出汁に湯がいた鶏もも肉が乗せられるといういかにも想像通りの品でありましたが―と書いたけれど、ナルトや玉子焼きなどの具材も豊富で改めて見るとすごい旨そうだなあ―、不思議と箸を置く暇もない程の勢いで平らげてしまいました。もしかすると飯田の名物料理だったりするかもしれぬけれど、名物とするにはインパクトに欠ける気もする、けれどそれで良いんじゃないかな。だって変わってるということだけが名物たる所以ではないはずたからです。むしろ普通に見えてその実滅法旨いというほどホッとできる事はないのです。旅の途上でも安堵する瞬間はあって欲しいものです。調理はもっぱら高齢の主人が取り仕切っているようですが、後継ぎもおられるようだし、これから先も続けていってもらえるのだろうか。 駅前に戻ってきました。再び振り出しに戻って、緩やかな坂を下っていきます。いや、上り坂だったかそれすらもう思い出す事ができません。町を流れる川を背負うようにしてあったのが「すゞめ食堂」です。さっき通ったときにはまだ営業していませんでしたが、いつの間にか開店したようです。昼はとうに過ぎていたはずですが勘違いなのでしょうか。ともあれ、もはや説明は不用かと思いますが、どうですこの素晴らしき店舗は。ここのミニチュア模型がもしガチャガチャの商品だったとしたら、当たりが出るまで何度でも投資してしまいそうです。ちょっと盛られて高くなっている公園のわずか数段位の階段を降りると―丘の上の小屋など見上げた方が絵になる場合とこのように見下げた方が情緒がある場合があるけれど、それを隔てるのが何なのかは判然としないのです―、ガラリと戸を開けると思いの外に狭小な造りでした。卓席が4つあったでしょうか。またもビールを呑んだんだっけ。いや、立て続けのビールはないかなあ。酒は覚えていないけれど肴はハッキリ記憶しています。とんちゃんとおでんを頼みました。とんちゃんは容易に察しが付きますがホルモン炒めで甘味があったんだっけ、普段食べ慣れているのとちょっと違う感じ、おでんは味噌かなんか付けて食べたっけ、それとも醤油ベースのタレだったかな―写真を見たら、醤油ベースでした―。地方の料理っていうのはこういう個性が楽しいんだよななんて、さっきと全く逆の事をしやあしやあと語るのでありますが、余り覚えていないからその時楽しめたからそれでいいのだ。どうやら母娘でやっているようですが、母君の姿は最後まで拝めず声のみが届きました。帰宅後にネットで見ると別なスペースもあってそちらはカウンター席だけの造りのようです。夜に本腰据えて呑むならそっちがいいかな。そちらには多分、大女将が控えておられると思うから、また会いに来ると固く心に誓うのでした。
2019/02/04
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この飯田線乗り通しの旅の報告が中途になっているとは思わんなんだ。というよりか、トバ口に過ぎぬ豊橋の夜で中断していたとは、いい加減な事で申し訳ない事です。そして万が一にもおられるとは思わないけれどこの報告を参照してやろうなんて思っていてくれる方がいたとしたら平にご容赦頂きたい。不調に終止した豊橋の夜でありますが、当たり前に立ち寄れる豊橋なんぞはいくらでも充実した情報を他から得られるはずですなので、まあ良しとするとして、それらからは知り得ぬ情報を少しでも提供できたらいいなあなんてことを今は思っています。 さて、これからが旅の本番です。豊橋駅から飯田線に乗車し、最初の終着駅である天竜峡に向かいます。長丁場となる場合は適度に途中下車を挟むのが最近のぼくの18きっぷ利用のスタイルでありますが、飯田線ではその手法は必ずしも採用しかねるのであります。答えは簡単至極な事でありまして、迂闊に列車を離れてしまうと次まで延々と待たされることになるし、待たされている間に時間を潰せるような駅前を持つ停車駅もそう多くなさそうです。全駅下車をライフワークとする様な強者もおられるようだけれど、頑張るなあとは思うけれど真似したいとは少しも思わぬぼくには上り下りを上手く活用するなんてつもりも黙とうないのです。という訳でスンナリと天竜峡駅に到着すると、隣のホームにはすでに乗り継ぎの列車が待ち受けているけれどそれなりに待ち合わせの時間があったので改札を抜けて駅前を散策します。わずかの時間の散策でどうこう言うつもりはないけれど昔いくらかは栄えた時代の名残があって次の列車が30分後とかならもう少し歩いてみたかったですね。「黒田」なんていう食事処兼喫茶店がありますが、ここはやっていませんでした。「はこや」なる居酒屋も気になります。 乗り継いだ列車は、やがて列車は飯田駅に到着します。結構多くの乗客が乗り合わせていましたがここで下車する客は少数です。どうやら乗客の多くが鉄道ファンのようなのです。先にも書いたと思いますが飯田線には過去に何度か乗り通していますが、その時に途中下車したかどうかちっとも記憶にないのです。まあそれは一向に構わぬどころかむしろ望むところであります。思い出とかノスタルジーなどというものは、あのおセンチなセピア色の映画と同様にフィルターを据えることで、ありのままの現実や現物を歪めてしまう障害に過ぎぬのです。ならばどうしてブログなど書くのかという意見には目を背けたくなるけれど、あえて言うならば遠くない将来に真正面から向き合える現実な現物は失われゆくのだろうし、そうなった頃の自分がセピア色を求めたくなるかもしれないからそのときに備えてのことであるとでも言っておこうかな。ともあれ、飯田という町は実は思っていた以上に立派な町で、しかもうっかりするとノスタルジーの黄昏に引き込まれそうな気配をまとう町だったのです。 そんな町には喫茶店が相応しい。「カフェ BON(ボン)」、「LARNA」、「阿蘇」、「珈琲 蘭峰屋」、「パール」、「道草」など多くの喫茶店があったけれど、時間の都合もあったけれど無理すればあと1軒や2軒は回れたはずだけれど、あえてそうしなかったのは身震いしそうなほどに魅力のある町並みを改めて時間を掛けて訪れたいと思ったことが大きい。その時の散策のお愉しみに取っておきたいとも思ったのであります。そして何よりお邪魔せねば死ぬに死ねないと思わせる程にスゴい酒場が何軒かあったことが大きい。ぜひ泊まりを前提に訪れようとそう思ったのです。 最初に立ち寄った「純喫茶 笹貴」がまた素晴らしかった。暗く狭い空間は余りに濃密で甘美な年季を伴ってぼくの全身を包んでしまい、息苦しさすら感じる程です。カウンター席とテーブル席2卓のやっと十名程度が入れるかどうかというちっぽけな店が、そこに身を置くとその狭さからは想像も出来ないくらいに豊穣なイメージを喚起するのでした。ここではフィルターなどという小細工を弄せずとも、生身のままのセピア色の空間が顕現しているのです。あゝ、またも何事か語っているようでありながらホンの一欠片もこの喫茶の本質に迫れぬ無駄口を叩いてしまいました。いつも以上に下手っぴな写真も如何ほどに実際と異なっていることか。ここには杖を突いた紳士や、やけに声量の箍が外れた老婦人などがけして混むことはないのだろうけれど途切れることなく訪れます。それを迎えるママさんは一体どれほ多くの人生を見守ってきたのだろうか。 続いては、「通りゃんせ」であります。ここは先と異なり写真のまんまのお店であります。過度な装飾を排し、過剰にならぬ程度の快適さを提供するに留めています。豪奢さに仮に純喫茶という存在―があるとしたら―の美意識を見出すような方には、いかにも淡白すぎると思われるに違いないでしょう。ぼくも以前ならきっとそう思い、もしかしたら舌打ちすら放っていたかもしれません。こう書くと少なからず傲慢な物言いと不快に思う方もおられようが意図するのは多くの経験をすれば多様なタイプの喫茶を好きになるとかそういった事ではないのです。ぼくなんぞが足下にも及ばぬ程に喫茶を巡りそして愛し続ける方が少なくない事は知っていますし、ぼくなとはそんな人達からすると喫茶好きを自称するのは失礼だとお叱りを受けても仕方ないと思っています。おっ、コイツ何か今回はやけにしんみりとしたムードを漂わせているなあと思われたかもしれませんが、このお店はちっともジメジメしたところはなく、むしろマスターなどは茶目っ気があるお喋りな方で、お客さんが入れ代わり立ち代わり姿を見せるのでした。
2019/02/03
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さて、豊橋駅に戻って来ました。豊橋って歩き回っただけの印象だと古くて味のある酒場に事欠かぬと思っていたし、実際に保険として何軒かは目星を付けておいたのだけれど、これがまあちっとも思ったようにはいかぬのでした。何というべきか、必ずしもチェーンとかでないのかもしれないけれど、少なくともフラリと立ち寄りたくなる構えの酒場がどんだけ少ないことか。とにかくもう町の隅々まで随分と隈なく歩いてみたのだけれどどうにもここぞという酒場を見いだせずやがてはさっき通った道を繰り返し歩いていたりするのでした。この長かった一日の疲れも噴出し、それは覿面に臓器に影響を及ぼすらしく胃腸の具合もどんどんと芳しからぬ状況へと陥っていくのであります。無論、もう若くなどない事は自覚しているけれど、身の回りのオヤジたちを眺めてみても彼らの頑丈さはぼくの数倍増しである事は明らかです。今の高齢者世代は貯蓄に専心して消費へと行動が向かわぬようでありますが、団塊の世代な人達はその日本人的な価値観、というか貧乏根性を払拭してくれるのではないかと期待したくもなるのです。実際、この世代の人達はガタイも良くて185cmを超えるような大柄な人も目立ちます。彼らには大いに呑んで食ってしてもらって、次世代へと酒場を継承するに一役担って頂きたいものです。 さて、頑強ならざるわれわれは、しんみりと呑める場所さえ与えてもらえればそれだけでもう文句はないのだけれど、その眼鏡に見合う酒場がちっとも見当たらぬのです。食堂や食事処はあれ程までに充実しているのにより酒場らしい酒場となると大いに事欠くのが結論なのです。お陰様で豊橋の駅前一帯は何度となく周回して、随分と知悉するに至ったのだが、肝心の居場所なき土地を知り尽くしたとてどれ程の価値があるというのか。ぼくにとっては数少ない眼鏡に叶う酒場、「豆の木」はA氏はすでに行ったことがあって、もう十分だという。普段なら我がままを通すところだけれど、この一日ぼくの我がままに付き合ってくれたから、この夜は公平に合意に基づく店選びとしたいのです。 やっとの事で折合いが付いたのが駅の斜向かいの路地にある「とり八 駅前店」でした。この通りはまずまずの風情を留めていて焼鳥屋が目立つようです。どうやら豊橋はもつ焼よりも鶏肉の焼鳥が主流らしいのですが、どこも混み合っていて、ようやく客の入れ替わりで上手く潜り込むことができたのがここだったのです。窮屈なカウンター席の奥には卓席もあるようですが、そちらもガタイの良いオヤジが通うには落ち着きにくいのではないか。古い酒場は大好きだけれど、余りにも窮屈な酒場は未だにどうも落ち着けない。いや肩と肩が触れ合う程度の狭さなら気にも掛けぬけれど、元より姿勢の良くないぼくがその自然体で座れぬままに呑み続けるのはかなり疲れるのです。店の主人は案外若いけれど終始テンパっていて、客としては気分が良いものではない、と思いきやこの狭苦しい中でも地元の方たちは結構楽しげなのです。狭さもまた慣れるということか。しかも彼らの食べて呑むその速度のハイピッチなことといったらない。呑む速さなら自慢にはならぬが多少の自負はある。しかし彼らは呑むだけでなく食うスピードも半端でない速さなのであって、われらが一串食べる間に数串食べてさらに次を注文しているのであります。そしてそれが185cm世代でなくわれわれと同世代だけでなく下の世代にも引き継がれているようです。呑み気より食い気がずっと勝っているようなのです。これで少し豊橋の事が合点がいった気がします。しかし、少しづつ酔ってくるとこの慌ただしく呑みかつ食う光景は駅前酒場らしくて好ましく思えてくるのでした。 一軒目、いやもう随分時間が経っているけれど「立呑 あさひ」でも呑んでいるからもう拘りとかはなげうっても良さそうなものだけれど、胃腸のもたれが幸いしてか、いつもより呑みのペースが大人しくまだまだほとんど酔っていない状態であります。そんなこともあって、次なるお店選びにもえらく難渋したのだけれど、さっきの繰り返しになるのでそこは割愛します。でもようやく「居酒屋風 おさ田」というお店に行き着いたのでそこに立ち寄ることにしました。行き着いたといってもすでに何度となく通り過ぎた店ですが、よりベターなお店という消極的な選択でありました。いくらか気取った雰囲気の大人な居酒屋という感じで、格別なものはありませんが居酒屋風というもったいぶった看板表記が気になっての入店という次第です。ゆとりのあるまあそれ程格式は高くないけれど、まあいかにもおぢさんたちが週末に呑みにいきそうなお店でありました。旅先だとこういう落ち着いて呑める店は、案外いいものだなあと思えるのは多少の時間と金銭的な余裕が気持ちにもゆとりをもたらすからなのだろうか。さて、こちらでは魚介類がお勧めらしいけれど、われわれは食欲とは縁がないからただただ呑むに徹します。しかし、ここでも豊橋のおっさんたちは旺盛な食欲をひけらかすように存分に発揮するのでした。さんざん呑み食いしているように見えたのに、さらに大皿一杯に盛り付けられた串揚げの盛合せを猛然と平らげるのです。いやはやそれを見ているだけで充分食べている気分になれるのでお得に思えるけれど、実際にはそれだけでも満腹になりそうでしかし視線をそむけることはできぬのでした。 良い具合に酔ったので席を立って町に出てみると、驚くべき事に人通りはさらに増加しているようです。先程、呑み気より食い気と書いたけれどそれは誤りだったかもしれない。彼らの呑み気はまだ始まったばかりで、これからが本番かも知れぬと思うともしかするとこれからの日本を支えるのはこの豊橋の人達かもしれぬと考えると頼もしさとともに空恐ろしさを覚えるのでした。
2019/01/07
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豊橋ではもう余り喫茶巡りをするという気力は失せていました。そうはいっても闇雲に歩き回ってたまたま遭遇した場合には、つい立ち寄ってしまうのであります。そう考えると喫茶巡りが嫌になったというよりは、豊橋の町を歩くのがかったるくなったというのが実情に近いかもしれません。そりゃまあこのところ、折に触れて途中下車したのだから無理もない。無理してでも立ち寄りたくなるポテンシャルを秘めた町と思っていたのだけれど、こう何度もあちこちでフラれ続けると町そのものに嫌気がさして来るのです。それは別に豊橋のせいではなく、事前にちゃんとしたリサーチをしなかったり、店が中休みに入っても仕方ないような時間帯に訪れようとしている己に非があるのでありますが、それでも他人のせいにしていないとやってられぬという気分になるのです。 すでに書きましたが、豊橋鉄道の東田駅から向かった「音羽屋」がまたも空振りで、虚しく豊橋駅に引き返そうと周辺をなんとなくぶらぶらしていたら、そう歩くでもなく競輪場前駅に行き着きました。これといったものもなさそうなので、市電に乗ろうかと停車場を目指したら、あらあら喫茶店がありますね。それほど個性の際立つお店ではありませんが、寄っておくには足る程度のお店に思えたのでした。 郊外型の大型店―というほどには広くないけれど、それでも50人近くは収容できそう―、「COFFEE モンクール」です。先程腐したような書き方をしましたが、近頃は奇抜すぎるものとは別にこういうのっぺりした全く衒いのないお店にも不思議な魅力を感じるようになりました。どこがどう好きかと尋ねられても、こうときっぱり言い切れるようなものではないのです。尖がったものばかり愛でていたら、それには飽きてしまい滑らかなものに愛着の矛先が移ったということか。女性であれば、活発でエキセントリックな女性の魅力には辟易させられ、和風のおっとりした女性に安らぎを感じるといえばまあ全く違っているということでもなさそうです。ここが別に女性的とか滑らかだなんていうつもりは全くないのだけれど、住宅街の外れで目下サボり真っ最中のセールスマンを見ると不思議と安心するのです。 豊橋鉄道渥美線の南栄駅のすぐそばに「デュエット」はありました。ここは以前通り掛かっていて、少しも気にならなかったのだけれど、改めて訪れて目の当たりにすると寄らずにはおられぬのです。店内はベルベットのセクシーなムードです。しかしよくよく眺めると老いらくの色香とでもいうのだろうか、成熟を通り越した老境に差し掛かった燃え尽きる直前の魅力がありました。というか今回はなんだかいい加減な擬人化で適当に誤魔化そうとしているけれど、これといったエピソードも特徴もないとなるとこうした印象論で語るのが一番楽なのだ。喫茶店の事を書くのに気張っていてはなんか可笑しいから適当な位がちょうどいいのかもしれません。「ボン」はまたもや開いていませんでした。まあ時間が時間だししょうがないかもしれませんね。というか豊橋にはなんだか疲れてしまったようです。当分の間、冷却期間を置いてみるのが正解のような気がします。
2019/01/06
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豊橋鉄道はもっぱら市内線と呼ばれているようですが、本来は東田本線が正確な名称のようです。JRの豊橋駅の案内板には市電と記されていたと思います。いずれにせよもう少し愛着の湧く愛称でも付ければもうちょっと人気も出るだろうし、観光に寄与する余地もありそうに思えるのです。喫茶篇も丁度リンクするように豊川と新城での喫茶巡りを終えています。この所の旅の報告ではさほど意味もなくこだわった構成を優先して町を行きつ戻りつしているから、読んでいただく方には非常に迷惑だろうと思いますが、書いてる側も曖昧な記憶を振り絞って書いているのでそれに免じてご勘弁頂きたいのであります。さて豊橋駅に到着、ここから市電―この呼び方が一番しっくりきます―で東田駅を目指します。駅というより電停と書くのが相応しいのだろうか。いつも徒歩や自転車でヒイヒイ呻きながら駆け巡った町がやけにちっぽけに思えます。 向かったのは前回空振りして虚しく引き返すはめとなった「音羽屋」です。電停は枠線すら消えて見えぬ車道の上で放り出されて、これは安全重視の現代では滅多に見かけなくなったスタイルで嬉しくなります。昔通学で使った新潟市内のチンチン電車もそうだったなあ。そこから歩いて5分も掛からずにあの素晴らしい構えのお店があります。ケチ臭いことを言わずにこうして路面電車でやって来ればどうということもないなあ。通りの先の方にあの忘れようもない店舗が見えてきました。しかし何という不運であろうか、店の方が表に出てきて暖簾を下ろし始めたのでした。食い下がるべきであろうかという思念が脳内を駆け巡りますが、それは今のダメージそのものの威力を前にすると微力でしかなかったのでした。近場の喫茶で再びの失意をやり過ごし、取り敢えずは豊橋駅前のビジネスホテルにチェックインしたのです。豊橋にはまだまだ素晴らしい大衆食堂があるのだと気持ちを引き締め直し、僅かな休息の後にホテルを後にしたのでした。 豊橋にはずっと行きそびれていたかつての酒屋さんがやっている立呑屋があります。あの日本一可愛いと評する方もいる洋菓子屋さんの向かい側にあり、駅からも至近なので何度も目にはしていたのです。「立呑 あさひ((有)旭屋酒店)」がそこですが、ここも豊橋を代表する酒場といって過言ではないでしょう。って実は豊橋では酒場らしい酒場に入るのはこれがお初なのだからやはり過言かもしれぬ。とか書いてみたけれどこの後にわれわれを待ち受けた運命はそれを証す事になるからまんざらデタラメとはいえまい。何はともあれ酒がなければ始まらぬ。肩慣らし、いや喉鳴らしにチューハイからスタートです。さすがに元酒屋さんだけあってワインなんかも常備しているのですね。肴も種類が揃っていて目移りします。とはいえ、朝からあれやこれやと飲み食いしているので、食欲は今ひとつでありますが。実は酒さえあれば肴は三の次、四の次なのはいつも言ってる事だから少しも実はじゃないですね。とにかくダークなブラウントーンで塗り込められたかのような店内は船底というよりはそのまま茶箱の中で呑んでいるかのような気分にされてくれます。表に目をやれば日の光も射し込むけれど、店の奥に視線をやりつつワインを含むとるとそこはもう日本でもどこでもない異国にいるような感慨に見舞われるのです。何たる至福なひと時であろうか。離れ難い気分に確かにこのままここで呑むのもいいなあなんて思うのでありますが、恐らくはここ以上かもしれぬ目当てがあるので、もう一杯の誘惑を振り払い店を後にするのでした。 先の立呑屋から豊橋鉄道渥美線の乗り場までが近かった事も疲弊した己を鞭打ち叱咤する起爆剤となったようです。こちらも以前自転車に乗って来た時にはえらく遠く感じたものですが、電車ならどうということもないのですね。南栄駅で下車し、喫茶店にて一憩。目指したの「富本食堂」です。南栄駅から愛知大学前駅を目指して歩きます。思ったよりは全然近いけれどその間廃店舗ばかりしか目にせぬからその大衆食堂が閉まっていたらどうにも身の振りようがないのであります。しかし、現実は厳しいものです。閉まっているどころかどうやら営業そのものを辞めてしまわれたらしい。これはもはやお手上げであります。しかし寂しい事ではありますが、言い方は良くないけれどせいせいとした晴れやかな気分とも言い得ます。三度目の正直は最早ない事が分かってしまえば「音羽屋」のように据え膳食わぬ状況からも解放されて自由なのだから。 あゝ、そうだ。それなら前回やっていたのに見送ってしまった食堂に行っておけばいいじゃないか。「良味屋食堂」がそこで、外観からなんとなくホルモン焼の店と思い込んで、前回はつい素通りしてしまったのです。今回もお腹はちっとも空いていないので、迷いに迷ったのですが、2軒の食堂にフラれた時点で気持ちはもう固まっていました。多少つらくとも行ける時に行っておかねば後悔することになるし、何度も空振りして、虚しい思いをするに違いないことが身に染みて分かっていたからです。なので、勢い勇んで出向いたのですが、おっといけないここでも女将さんが暖簾を下げようか躊躇しているじゃありませんか。これはいかんと滑り込んだら案外あっさりと応じてもらえました。まずはビールでもと思ったらなんとなんと酒は出していないとのこと。なので本来であればここで報告するのはちょっとどうかなと思わぬでもないけれど、この機を逃すと知られることのないままに閉業ともなりかねぬ。店内はとても素敵で落ち着けるし、ツンデレ気味―いやもっと徹底的にツンツン系かもしれぬ―の女将さんは昔気質のいかにもな女将であり、大変貴重な交流を持てたのは喜ばしいことだ。こうしてこのブログはますます酒場ブログとしての存在から遠ざかることになるのだろうか。
2018/12/31
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八幡駅を後にして、名鉄で豊川駅に移動。歩くと結構な距離がありましたが、電車に乗るとあっという間です。そうそうたった今思い出しましたが、この車中に見慣れた人影を発見しました。このブログに頻繁に登場する割には馴染み薄かろうA氏であります。A氏は偶然にも(これホント)前夜に出張で名古屋に行っていて、彼氏は名鉄で豊川入りしましたが、JRの方が良かったかもと後から後悔していました。互いに眠い目をこすりながら目配せのみの挨拶を終える頃には豊川駅に到着してしまいました。そのまま折り返しで名古屋方面に向かうお客さんが少なくありません。ほとんどが名古屋までゆっくり座っていこうということなのでしょう。定期も豊川―名古屋間を買い求めているということですね。少し時間を潰して、ここで今回の旅のお目当て飯田線をつまみ食いします。翌日には、飯田線全線を乗り通すプランになっていますが、この日はこれから向かう新城から再び豊川に戻り、豊橋泊という珍しい位にのんびりした行程ですが、果たして思い通りになるのだろうか。で豊川駅で列車を待つ時点でとある疑念がふつふつと湧いてきたのだ。もしかすると東京を始発で出れば昼前には豊川駅に着けたんじゃないか、だったら無理して高速バスにする必要などなかったのではないか。今回の旅はなかなか合理的な良いプランであると鼻息荒く語ってみせたのであるけれど、やや鼻白む事実に気付いてしまった。それはそれと割り切れればいいのだけれど、粘着質な性格がそうはさせてくれぬのでありました。調べると自宅を4時過ぎに出れば10:24に到着できていたようです。んん~、やはり時間的にはそれでも良かったかもしれぬなあ。 なんてことをくよくよと後悔しつつ、立ち直れぬままに新城駅に到着。駅の真ん前にいきなり魅力的な喫茶がありますが、暑くなる前に―とっくに日差しがきついのだけれど―新城市勤労青少年ホームに併設の喫茶店に向かいました。「ヤングキャッスル」という昭和のアイドルグループみたいなネーミングも時代錯誤でグーです。開放感のあるお店で、外観の写真を取るにも店のご夫婦風の男女から丸見えになっていて、こちらの方がむしろ織の中から凝視して観察されている気分になりました。店の中に入ってもその気分は拭えず、何か妙に緊張してしまいました。お客さんが増えるとそんな気分も払拭されそうですが、生憎他にはお客さんはおらず。でもアルマジロ型―これは業界では一般的な呼び方なのでしょうか、旨い表現だなあ―の黄色いチェアが可愛かったり、なかなかに良いので昼前後の時間帯にお邪魔してみるのはいかがでしょう。 寂れていながら現役らしき商店も少なからずある新城の駅前ですが、思いの他にあっけなくそんな町並みは途絶えてしまいます。「阿露摩」はそんな商店街の中心にあって、細い路地にこぢんまりと建ってはいるけれど、しっかりした存在感があります。正面の看板には、「珈琲 讃香」とあるので、店名が変わったのかもしれません。店内は狭いながらも上品で清潔で心地よく、奇抜なところはどこにもないけれど、適度にシックで、適度に可愛げもあり、適度に可憐でありました。近所にこんな店があるなら毎朝でも通いたくなります。朝でなくても昼でも夜でも良さそうな万能喫茶でありました。ママがとても品がよろしくてしかも物静かながらとても温かみがあってその微笑みを見るためだけでも通いたくなるなあ。 駅の正面、しかし昨今めっきり見かけなくなった草むらを通る一本の細い砂利の敷かれたあぜ道の先に「喫茶 サチ」はあります。一瞥した限りはとても喫茶店とは思えぬ佇まいであります。いやそもそもお店というよりは。。。どうにも期待が高まります。しかし、そんな危うげなムードとは裏腹に店内は大変にオーソドックスなのであります。これはいい意味合いでのオーソドックスであって、薄暗い店内はとても静謐な印象で季節感がまったく感じられないのです。季節感のなさは良い喫茶の大前提であります。季節感・地方感といった時空を損なった人工的な産物が喫茶店なのであります。モーニングはチョコレートパンであります。アルマイト風の盆にぽろっと置かれて何とも懐かしい気分に晒されます。こんなモーニングなら何回出されても嬉しいのだけどなあ。でも店ごとに個性のあるモーニングだと季節感・地方感を超越している云々という戯言が水泡に帰してしまうから余り語らぬことにします。 途中、「喫茶 軽食 みなみ」や「コーヒーショップ ポケット」なんてお店もありましたが、あんまりここで充実しちゃうと豊川でへたばってしまうなんてことになりかねぬので、見過ごすことにしました。ところで、駅舎に引き返してようやくここが「しんじょうし」ではなく「しんしろし」であることに気付いたのでした。ここまで何度「しんじょうし」を連呼して、地元の方の失笑を誘ったのか赤面の至りです。「ヤング・キャッスル」のお二人の冷ややかな視線や「阿露摩」のママの微笑みはこれが理由だったのだろうか。
2018/12/30
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豊川は、素晴らしい。かつて訪れたこともあるはずだけれど、当時のぼくはまだまだ子供だったのです。いや、大人とか子供とかいうのはございます狡い言い訳でしかない気もする。若かろうが老けていようが、好きとか嫌いとかには世代差なんぞは関係のないもののはずです。しかしまあ、こういう観光の町では風情を留めていることはそう珍しい事ではないのであって、しかしそこら辺が語って良いのか迷うところだけれど、例えば日光とかの大観光地と豊川なんていう知ってる人は知っるだろうなあというローカル観光地では状況は大いに差異が生じるものなのです。でも今でこそ観光地としての底力が不足している事を悲しくも無残に露呈していますが、かつてはかなりの人気観光地であったことが、参道らしき商店街の規模からも察せられるのです。有るべきものがそこにただ存在しさえすれば黙っていても客の集まる、そんな娯楽に飢えた時代はとうに過去のもののようであります。ただわれわれのような好事家だけがその残滓を好奇に血走らせた邪眼にて舐めしゃぶり尽くすのです。 早速愛でるべき対象の「Bar かわせ」という素晴らしい外観のBarがあります。ここはやってるのかなあ、きっとやってないんだろうなあ。そのお隣には、それ以上に心惹かれる「河精」がありました。戸が開いていたので暑く薄暗い店内でくつろぐ女性に声を掛けるとすでに閉業したとのこと。店内はやや雑然としていてそれは現役時代もそう変わらなかったと思いますが、それでも心惹かれるお店の生きていた時間を経験できなかったのは甚だ無念です。こちらはネット上にそれなりに在りし日の姿が流布されているのでそれを眺めて心を癒やすことにするしかなさそうです。 その斜向かいにある「旭亭」は、しっかり営業していました。夏場はかき氷専門で営業との事で、甘味処に特化してやっているみたいですが、季節が移れば洋食店になるようだからここではその時に訪れられることを期待して酒場として報告する事にしました。店内は余計な装飾のない質素さで覆われていてそれが開店以来の姿を留めていることの証左とも思われ、大変に感動的です。こんな感動を小銭の三枚も出すだけで享受できるのだから、人で溢れてろくろく鑑賞すらできぬ割に参拝料ばかりむしり取るどこかの大観光地などより余程素敵なのです。 早朝の高速バスの車窓からちらりと目に留まった大衆食堂を求めて歩く途中、豊橋に本店のある「勢川 豊川店」がありました。気にはなりますが、このレベルの食堂は三河の地には幾らもあるからうっかり立ち寄れないのです。気になったのは「金屋食堂」です。この構えの素晴らしさはどんなもんじゃと店の方に成り代わって誇ってみたくもなります。ここは天ぷらをウリにしたお店ですが、いやいや何でもあるのですね。パッと見にはなかなかに格式があって敷居が高そうですが、その実体は下手なチェーン系の食堂なんかよりよほどに手頃なのでご安心を。しかも量も多くて「勢川」に寄っていたら少しも食べられなかったかもしれない。まさか昼飯時にお邪魔して酒だけという訳にはいきませんしね。入った時にはわれわれだけで―あっ、そうだ、今回も同伴者ありなのを書きそびれていましたが、大過ないし次回にでも紹介します―あゝここも古さで客が離れたんだろうなと少し寂しい心持ちになったものですが、それは大いに誤解でありまして、続けざまに続々とお客さんが詰め掛けて、あっという間にテーブル席が塞がると奥の広々した座敷が開放されたのでした。ここはまだまだ大丈夫だ、再訪を心で誓い席を立ったのでした。
2018/12/24
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近頃、バスタ新宿を起点に旅がスタートする事が多くなりました。駅からも近くてちょっと早めに着いて近場で一杯なんてことも可能となった事は歓迎すべき施設の誕生ではありますが、かつての乗り場探しに奔走してやっとの事で発車ぎりぎりに飛び込むなんてのも鉄郎になったようで情緒があるものでそれを失ったのは寂しくはあります。なんてあっちを立てればこちらが立たぬような事を嘆いてみせても仕方ない。豊橋行きの高速バスに乗り途中の豊川の側の心道教なる宗教団体の施設前で下車する予定であります。随分と近距離な夜行バスでありますが、その割には乗車時間は長くどうやら多くの客たちの便宜を図って時間調整を随所で挟むという事らしい。これは地方に行く際は有難かったりするのでしょうが、豊橋レベルの大きな町に向かうなら余計な気遣いと思わぬではない。メリットもあって仮に渋滞に巻き込まれても時間に遊びがあるからその後のプランに綻びが生じにくいのです。提案としてはとにかく終点まで運んでいただき、到着後、希望者には例えば朝の6時迄は休んでくれて構わぬよ、下車したい人は自由に出てもらって構わぬというシステムであるけれど、採用を検討してもらえないものだろうか。 さて、到着したのは名鉄豊川線の諏訪町駅のすぐそばです。お隣の八幡駅に早朝に開店するという喫茶店があるので一駅歩いてみることにしました。名鉄の豊川線は列車も駅舎もボロで周囲も古びた住宅街だったのでした。しかし、一駅先の八幡駅に着く頃には突如として風景は一変して均質な印象の退屈な眺めになりました。途中、「喫茶 きこり」、「喫茶 壽鶴」、「古時計」は開店前でした。 駅前喫茶という呼び名が相応しい駅から至近の「喫茶 バンビ」は、開店の朝6時30分には一斉に席の埋まる大人気のお店でした。そのお客さんにはスイカなどの農家の方もいて、この店内が即売所となります。お手製のちらし寿司などの惣菜も並べられています。それにしても開店直後に早くも老人たちの集会場となり果てるとはさすがに喫茶王国、愛知県であります。そっちに目を奪われて肝心の内装には気が回りませんが、なかなかレトロっぽくて良かったという印象があります。ここで早速に1食目のモーニングをいただくことになります。そうめんと忘れた頃に味噌汁もサービスされました。 その後、新城に行って喫茶巡りしたので、時系列が前後しますが、話の流れで先に豊川の喫茶店を報告します。 駅周辺は良い雰囲気でありますが、ちょっと足を延ばして「Lira」まで行ってみました。まあ郊外型のファミレス風喫茶で想定したよりは面白味はありませんが、ここもやはりモーニングが充実しまくっていました。ちょっと金額をプラスするだけでどんどんレベルアップするから独りぼっちの隠居者たちが途切れず出入りしています。ご老体とはいえ食欲は旺盛らしく近くの席の人たちはみな揃ってレベルアップしたモーニングを注文していました。食い気はあるけれど、その嚥下速度はかなりのんびりとしていて、そんな咀嚼シーンをぼんやり眺めていると自分の時間までもスローダウンしそうな気分になります。それにしてもまだモーニング攻勢は続くのだろうかといささか不安なのです。 駅前に引き返してきました。豊川稲荷などを横切りながら商店街に戻ってきましたが相変わらず人通りがまるでないのがちょっとさびしい。何軒か気になる喫茶がありますが、まずは「喫茶館 トミー」にお邪魔することにしました。それにしてもここは写真写りがあまり良くないのだろうか。腕が悪いと言われればそれまでですが、この程度の撮影技術でもいつもなら下手っぴながらもそれなりに見栄えのする画が撮れるのだけれど、ここは実物が格段に素敵なのです。入口付近の室内庭園はこぢんまりしていて可愛らしいし、カウンターを回り込んだやや広いスペースは薄暗くて心地よいのです。ここをバーに見立てて呑むのもすごく良さそうだなあ。こんなシックな雰囲気で呑む酒は格別だろうと思うのです。無論、コーヒーも悪くないけれど、どちらかといえばお酒の似合いそうなムードです。外観の改修された様に騙されずにお立ち寄りになることをお勧めしたい。 さて、「コーヒー パピ」はなぜかパスしてしまいました。今となってはどうして立ち寄らなかったのか、この時の自分の尻を蹴り上げて向かわせるべきであったと思うのでありますが、こちらにお邪魔するのは次の機会のお愉しみということにいたしましょう。
2018/12/23
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佐渡についてはまだいくらでも語りたいところですが、酒場や喫茶巡りを主目的とするこのブログの趣旨から大いに逸脱してしまうので、己の胸にしまっておく事にします。それでもいくつか捨て置けぬ事項があるので、手早く簡単に記録しておく事にします。 眠い目を擦りつつ同行者を放置したままに向かったのは万代シテイバスセンターにある「名物 万代そば」です。そう、ここ数年、俄に脚光を浴びる事となった昔風の黄色いカレーを食べさせる立ち食いそば屋であります。開店後まだ数分しか経っていないはずなのに、いやはや物好きな人が多いものです。既にかなりの行列が伸びています。軽い二日酔いもあるし疲労も残っていますが、この機会を逸するわけにはいかぬと十五分程並んでようやく順番が回ってきました。その待っている間にここではご当地ビールが呑めるらしい事が判明していましたが、これだけ混んでいて、他の客を待たせてはなるまいと遠慮する程度の節度は持ち合わせます。別な店舗の縄張りやバス待ちの座席で食べている人たちも見受けますが、ぼくはどうもそうした事のできぬ性分です。多くの人は並盛りでも結構な量があるという情報を知ってか、小さいのを頼んでいるけれど、あれはどうかと思うのだ。やはりここは、普通盛りにしてカウンターに置かれたソースを掛け回してさも馴染みだよというカッコを付けるのが粋なのだ。けしてキョロキョロなどしてはならぬのです。以前はレトルト商品を持ち帰り、自宅で食したけれどさほど感心はしなかった。今では大人気で売り切れ続出とのことだがあまりオススメはせぬ。何せレトルトで500円以上するはずで、現地でライスに福神漬付きのほうが安いのだから悪くは言いたくないけれど余り感心せぬ商法だと思うのです。しかも何より明らかなのが現場で食べるのが数倍増しで旨いのだ。瞬く間に平らげてしまいます。並の食欲の持ち主であれば大盛はちっとばかし朝には厳しいけれど昼ならイケる位なので、手間の掛かる小盛りは避けて普通盛りにしてあげてほしい、それかカップルなら二人で大盛りをシェアするとかね。 万代シテイバスセンターの2階にはもう一つの新潟県民御用達のローカルフードがあります。「みかづき」のイタリアンです。これも土産物は食べた事があるけれど実際に店で食べるのは初めてです。ぼくが学生ならざる生徒の頃はつねに金欠で一日一食を余儀なくされていたから、こんな所でお金を落とす事はできないのでした。さて、ショッピングモールのフードコートのようなファーストフード感剥き出しの味気ないけれどどこか郷愁を誘う店構えで食べたそれは、まあ旨からず不味からずといったもので、もそもその焼きそばにトマトソースの掛かるそれは特に吃驚するような味になるはずもないのです。買い物途中の小腹満たしにチョイと立ち寄れる、そして昔は高価だったけれど、まあ今の感覚としては手頃な値段で休息がてらおやつ代わりに食べれるなんて、それそれで上手くできているなあと感心するのです。 本町通りや古町通りなどの新潟の繁華街をのんびり散策します。新潟市民にのみ良く知られる白山公園―実はなかなか由緒がある1873年開設の日本最初の都市公園―をゆっくり見て回りました。昔はここにもよく来たけれど、単なる抜け道としての利用ばかりだったなあ。なんとこの公園の基盤になっている新潟の総鎮守である白山神社でこの夜に薪能が上演されるということでありました。この公園や神社も風情があってとても良さそう。でも前夜の佐渡の春日神社の圧倒的な風土の豪快さには適うべくもなかろうてとほくそ笑むのでした。新潟県政記念館など新潟市内には歴史ある建築物も多く、いずれまたじっくり巡りたいし、「はり糸 本店」などの和菓子屋もさすがかつて日本一の人口を有した町であると感心しました。ちなみに、一時期和菓子を食べ歩いた時期があるのですが、日本の都市で和菓子が美味しいのは名古屋、仙台、そして新潟ではないかと思っています。京都や大阪、金沢、福井なんかも和菓子が絶品であることで知られていますが、批判を覚悟で書いてしまうならそれ程でもないんじゃなかろうか。 続いては、趣味という程ではないが、機会があれば訪ね歩いているユニークなエスカレーターにも今回の新潟の旅では2機に遭遇できましたので、簡単だけどご報告です。 これは新潟港の佐渡汽船乗り場の動く通路とのハイブリッドエスカレーターです。三島駅の新幹線通路や東京メトロの市ヶ谷駅なんかにもあります。呆気ないところが楽しくてつい乗り降りを繰り返してしまいます。 スパイラル式エスカレーターはエスカレーター界の華であります。これは西堀通りのNEXT21というビルにあるもの。大抵のエスカレーターは乗ってみるとどうってことはないけれど、このタイプのものは見た目も愉快だけれど、それなりに乗り甲斐があるのもいいところ。甲府や四日市といったぼくの頻繁に赴く町にもあったりして、ぼくの好きな町の基準はもしかするとこのタイプのエスカレーターの有無に掛かっているのかもなんて思ってみたりするのでありました。 これにて佐渡を中心に巡る新潟の旅の報告は終了です。なんとか年内に終えることができました。
2018/12/18
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新潟最後の夜は、先週報告した郷土料理店で締め括るはずだったのです。しかし、またもうっかりをやらかしてしまったのです。お盆明けの上越新幹線が混み合ことなどなかろうと高を括ったのが間違いでありました。いや、普通だったらこの判断は妥当なものであったと思うのです。思い起こしてみれば、古町通りなどはかつての賑わいを知るぼくにとっては、人通りも少なくてこんなんでホントに今後この町は大丈夫かいなと思った一方で、なにやら白山神社などの数少ない新潟観光のスポットに現地の人でないことがひと目で見て取れる若い連中がチラホラ見受けられたのです。彼らを薪能目当ての客だと考えたぼくはいかにも想像力と人の見極めの才に問題があったのです。この公演では、狂言方和泉流の能楽師であり俳優としても活躍する野村萬斎なども出演し、それが目当てだと考えたのです。しかし、実際は全く違ったようです。乃木坂だか欅坂だかどっちか忘れたけれど、いずれかのグループのコンサートが開催されたらしいのです。みどりの窓口に行くと終電近くまで指定席が埋まってしまっているのでした。自由席なら案外すんなりと座れたりしてという予感はありましたが、東京まで立ったままはぜひとも避けたいところです。ということで、終電近い新幹線の指定席を確保してまたも駅前の呑み屋街に足を運ぶことになったのでした。 事前調査の際には候補にすら浮上しなかった「炭焼 みかく」にお邪魔することにしました。余りにもすんなりと店を決めてしまったけれど大丈夫なのだろうか。急ぎ過ぎても時間を持て余すだろうし、かと言ってそうもたもたしているだけの時間は残されていない。案外こういう風にワタワタと決めた時の方が辺りだったりするものです。そして、その通りとなったのは嬉しいことです。店内は清潔感のある上品な造りで、見た目はちょっとだけ高級な焼鳥店そのものでした。そんなに腹も減っていないので、適当に焼物を見繕ってあとは枝豆に茄子のお新香があればいい。というか焼鳥なしでも良かったくらいなのだけれど、そうもいかぬだろう。それ位に新潟の夏の終わりの時期の枝豆と茄子は旨いし、惚れ込んでしまったということです。そしてそれは間違いのない旨さで夏の新潟は昔のオヤジを見て憧れた晩酌の情景が浮かんでくるようで、それも最高の形で実現できるのだから、夏の新潟に暮らしたいなあなんてことを思ってみたりもしたのです。しかし、焼鳥もいいのだ。かなり旨いのだ。食欲は落ちていたけれどそれでもどんどん進むのであります。接客は女将さんらしき方がしてくれたのですが、この方も実に愉快で溌剌とされていて、ぼくの知る新潟女のイメージを覆してくれたのでした。ぜひにとも訪れるべき店とは言わぬけれど、列車待ちで過ごすには実に使えるお店に出逢えました。
2018/12/17
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新潟では、案外メジャーどころの喫茶を取りこぼしています。あの素敵な「白十字」が閉店してしまい、いつか同行者を連れて来て、どうだどうだと我が町の我が店のように誇らしげに振る舞ってやろうという野望が潰えて、気が抜けてしまった事もありゆるゆると喫茶に拘らぬ散策をするつもりだったのです。そして、ぼくも引っ越す前にはそうだったから非難はできぬけれど、同行者は印象の悪さから新潟は通り過ぎる程度しか知らず、今回初めてちゃんと新潟を散策することになったのであります。そして、大変結構な事には、新潟の町のことも大いにお気に召したようなのです。 ある意味ではそこそこに重厚で端正、実にちゃんとした正統派の「シャモニー 本店」はいたくお気に召したようであります。ぼくには少しばかり冒険心にもとる嫌いがあると感じられますが、確かにこうした安定感のあるお店が支持されるのは分からないでもない。ぼくなどは、誰もかれもがびっくり仰天することを目当てにして喫茶店を訪れるものだと思い込んでしまう悪い癖が付いてしまい、どうしても視野が狭くなりがちでいけません。その点、同行者は一軒でコーヒーをお替りするなどぼくには思いも及ばぬ蛮行に至ったわけでよほど気にいったということでしょう。見れば、他の多くのお客さんたちも立派なモーニングなどを召し上がっておられる。ぼくなどは、とある新潟名物に目が眩んでしまいモーニングなど考えもしなかったから、喫茶店に食の愉しみを求めるのはむしろ優勢な愉しみ方なのかもしれません。そうそう古町通にも支店があってこちらは昔お邪魔したことがありますが、すっかり忘れてしまったので、また今度来てみることにします。 そういえば「レストラン キリン」って昔からあったなあ。空腹なら間違いなく立ち寄ったのに。 そして、「ムーラン」という喫茶店はそんな空腹な新潟市民の胃袋を満たし続けてきたお店なのであります。内装はモダンでまあ悪くないのだけれど、特筆するべきものでもないのであります。驚くべきはその値段にあります。余りの安さに昼時に客が押し掛けたのであろうか、カウンターには夥しいまでにスパゲッティなんかを平らげた皿が積み上げられていて、これを恐らくはご夫婦のみで捌いているのだろうから凄いものです。それこそ修羅場のような激務の時間がようやく収まった頃にお邪魔してしまったようです。なので簡単にアイスコーヒーで結構でございます。こんな安く食事できるのだから新潟市民は幸福だなあ。ってぼくも住んでいた頃にこういう店をしっていたらなあ。 夕暮れが迫っています。駅前に移動。前々から狙っていたもののなぜかいつもやっていない「マントン(MENTON)」にようやく入ることができました。ちょっとアダルトな雰囲気もあるのは周囲がキャバクラなどの大人な水商売関係のお店が多いからでしょうか。店のママなどはかなりの迫力の持ち主でそこらを徘徊するポン引き兄ちゃんなど尻尾を巻いて逃げだしそうな位であります。お喋りするに至るにはそれなりの修業が必要でありそうですが、こういうカッコいい女性がいるのも新潟なのであります。
2018/12/16
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へぎそばでお腹も満ち足りたから〆はやはりバーにでもしておくか。佐渡の事はとても好きになったけれど、難を挙げるとすれば酒場に恵まれていない事を筆頭に掲げておく事にします。旅の途上の最大の愉しみと心安らぐひと時はやはり酒場とともにあるのです。その点ではかつて暮らしてここ数年もしばしば足を伸ばしている新潟なら酒場に事欠くこともないし、地の利もあるから迷う事もまずはありません。でも思い起こしてみると新潟でバーで呑んだ記憶が過去数年に留まらず、さらにそのずっと以前を思い起こしてみたところで思い当たらぬところをみると、やはりぼくはまだ新潟のバーを知らないのであろう。駅前の呑み屋街をほっつき歩いてみるのも悪くないのだけれど、さすがにかなりくたびれているからこかは無難に文明の利器のお世話になり、世の人々の評価に従うことにしましょう。 ヒットしたのは「バー マルコウ(Bar Marukou)」でした。どこも似たようなものですが、希少な一軒家の店などはバーという業態にとっては特殊なもので、怪しくいかがわし気なスナックなどとともに雑居ビルの一部屋を店子として利用するのが基本であります。世の中にはきっと酒場などという大括りで一貫性の希薄な趣味とは違って、ずっとストイックにバーのみを好んで呑み歩いている方もおられるのでしょう。それはなかなかにできることではないと、そういう方がいるかおらぬかも知らぬけれど感服するのです。その理由としてバーというのはけして安くないといあ経済的な問題を上げても許されるだろうか。それはまあフレンチとかにも言えることでコチラは一夜でハシゴするのが困難というより厳しい成約もあったりするのです。まだ語っておきたいこともあるけれど長くなるので書くのが面倒だからココまでとします。とにかく酒呑みというのは本質的に怠惰であるはずなのだから、己の趣味をこうと決め付けるといちいち厄介なことが多そうであるというのが結論です。さて、目当ての店も呼び込みのお兄ちゃんたちもかしましいビルの上の一室にありました。外観からはどうということもなく、しかしけして通い詰めてるとはいえぬレベル、初心者ラベルではありますがまあある程度比較検討して感想を述べる程度は経験しています。なので、外から眺めただけではその真価は分からぬだろうというまあ誰でも言えることを思ったのであります。店内はなかなかにオーセンティックなムードで思ったよりずっと大人っぽいイカした店ではないか。ひと組だけ危うい関係の若い男女がいて気になる以外は、他の客は紳士淑女を演じ切れていました。それはオーナーバーテンダーというのか、彼がとてもしっかりと店の様子を観察して適切に対応しているからなのだろう。軽く酔ってはいたけれどそれは感じ取れたのです。しかもなかなかに男ぶりがよろしくて、こんな男にならうっかり惚れちまう女がいても不思議ではないな。羨ましくもあるけれど、実際そうだと案外面倒なのかもね。 さて、少しスピードアップして、翌日の夜です。やはり駅前の「旬彩庵」にお邪魔しました。この夜は滅多にこのブログには登場する機会のない新幹線に乗って東京に帰る事になっているので、それまでの時間調整を兼ねての訪問でした。忘れておられるかもしれませんが、この旅には口喧しい同行者がおり、そうそう無理はできぬのです。実は密かに新幹線に乗るのを楽しみにしているところもあり、行きで高速夜行バスでの新潟入りの申し出があったのには驚かされました。ともかくそんな具合なので余り悠長に構えてはおられぬし、やはり駅から近いのが宜しいと安全策を提案いたしたのです。最終日は新潟の郷土料理が食べたいというリクエストに答えようと事前に食べログで研究に腐心したのですが、そんなに郷土料理のお店ってないんですよね。そもそも新潟時代に新潟の地元の旨いものってよく知らなかったし、結局は米とか新鮮な魚貝になりがちなのですね。そう、のっぺが好きだけれどこれも東北なら似たような料理が幾らでもありそうだし。それはともかくようやく見つけた駅前の呑み屋街の残滓の一軒で呑む事になったのです。しかし、入ってすぐにこれは失敗だったかなと感じたのです。個室っぽい造りが却ってチェーン店風な印象を強くします。ぼくのイメージする新潟、いや秋田や山形にも似たイメージがあるけれど、広い畳敷きの和室に座卓が並び仕切りなどないのが日本海の雪国で呑む時の原風景としてあります。この地方でもプライベートを重視する風潮が普遍化しつつあるのだろうか。それは旅情を欠いていて、とても詰まらないと思うのです。その情景に身を置くだけで酒も肴も旨く感じられるのです。しかし、ここではまあ丁寧に造られたらしい料理のどれもこれも今ひとつでした。同行者も同じ感想であったらしく、申し訳が立つ程度に注文して席を立ったのでした。
2018/12/10
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ようやくの事で今回の佐渡の旅は終わりです。いやいや佐渡ヶ島の旅は終いだけれどまだ旅は続きます。新潟から思ったより気軽に行けるとはいえ、いざ離島に渡ろうとすると決心が鈍るものです。喫茶や酒場なんていうのはあるところにはあるという類のもので、無い所ではぱったり見かけぬものです。佐渡にもかつては今では想像ができぬ程に賑わい店も繁盛したのだろうけれど、人口の流出に歯止めの掛けようもない現状においてなおこれだけ楽しませてもらえたのだからひとまずは大いに満喫したと言っても良いと思うのです。しかし、多少の未練も残しました。だからまた佐渡汽船の旅客となり再び、いや正確には三度目があるのだろうか。少なくとも喫茶や酒場にかかずらわっているうちは、それはないものと思うのです。単なる旅行好きであれば良かったのかもしれぬけれど、自分で己がそうではないことを知っています。しかし、後十年、いや二十年も経てばそんな趣味はヒマでほんの少し変わり者のお遊びとして顧みられる運命かもしれません。そうしたら単なる旅行者としてまた佐渡を目指す事があり得るかもしれぬ。だけれどそれは果たして幸福なのかは、考えるまでもない事だと思うのです。 既に書いた気もしますが真野新町からは小木・本線で終着の小木で、EC小木循環バスに乗り継ぎ、宿根木新田に向かいます。「茶房 やました」は開店を待つつもりでしたが、思っていたのと違ったのでパス。というか、ここによるか寄らぬかで大いにしていますスケジュールが変動するのだ。そこまでして立ち寄るのはどうかと思ったわけです。その選択が今後のぼくの残り少ない人生にいかなる影響を及ぼすかは知ったことではないのだ。 さて、太田和彦の勧める酒場を取るか否かという選択肢が現前している。今でもその選択を誤ったとは思っていないけれど、ぼくは迷わず小木・本線の佐渡市相川支所行、つまりは引き返す事を選択したのでした。畑野西町の「四季菜割烹 伝」に行くという計画があったことは、酒場篇で簡単に触れましたが、それはもしかするととんでもなく名店だったりするかもしれないけれど、名店など知ったことか。佐渡の風土を糧に生き延び続けた昔からの店を選択するのです。 真野新町のバス停で下車する者などいはいませんでした。地元の方は自家用車が生活の脚として定着しているのはどこの地方都市とも一緒のようです。ぼくはこの現況に強い危惧を覚えますが所詮が余所者に過ぎぬぼくが何某か語ろうとするのは傲慢と捉えられからぬから自重することにします。 昨夜、宿泊した真野新町の夜は人家の灯りも疎らでしたが、昼間も人の姿をらとんど見ません。葬祭場というのかセレモニーホールの端に「シルビア」はしがみつくようにありました。傍には農協や産直品の直売所があったりして、かつての町のメインストリートだったのかもしれません。今では人も通わぬその光景が物悲しく身につまされるような気分です。店の中には数名のご老人が長く永遠に続きそうな昼下がりを過ごしていました。滞在中にも聴こえるのは訃報ばかりです。それが短い滞在中にも何度か繰り返されたのがちょっと耳慣れぬ固有名詞からも推測できるのです。彼らはこの後、ホールと喫茶と自宅をあと何度行き来するのだろうか。地方に移住を焦がれる方がいるし、実際にそうされる人も今後増加するんじゃないだろうか。でも移住の理由が人間嫌いであるなら逆にキツイ日々を覚悟すべきだと感じるのです。余計な心配をしてしまいました。古くからやっておられるのでしょうが何度も工夫して改装されたのでしょう、通りすがりのぼくにはやや退屈でも様々なシーンで利用できそうな使い勝手の良い店に仕上がりつつあるようです。 両津行きのバス停のほど近くに「ボヌール」があるというので、佐渡の喫茶巡りの締めくくりとして立ち寄ることにしました。町場の喫茶店ともバイパス沿いの喫茶とも違う、まさに佐渡らしい、いや離島の喫茶店と呼ぶのがこれ程に当て嵌まるお店に最後にお邪魔できたのは嬉しいことです。通りから奥まった砂利道を進むと小体なドライブインにもどこか似たところのある島の中の島のようなお店でした。古びた色とりどりのソファは経年により劣化する度にどこぞやから調達して補充してきたんじゃなかろうか。推測するに余所の同業他店の閉店に併せて譲り受けたものではないかと想像が膨らむのです。ここは最初はお客もなく、どころかママもおらずしばし待ち呆けた後に姿を見せてくれたのですが、やがてやって来たのはやはりご老人グループです。この年になると男性も女性も単なる仲間みたいなものなのか、性差を越えて開けっ広げな会話が楽しめます。それに引き換え、都会の老人たちはやたらに助平だつたり攻撃的だったりして危険極まりない。捨てるものがない無法者も少なくないからやがて町の脅威は彼らが中心となるかもしれぬ。そう考えると煩わしくて寂しくとも田舎暮らしがいいのかも知れん。いやいや、と老後のことに気が行くのは良くない傾向です。まだまだ望みはせぬけど仕事も続けなけりゃならないしねえ。しかし、リタイアする頃の佐渡は一応の都会生活を知った者には難しいのかもしれないなあ、などと店を出るのです。ママはバス停まで50mと教えてくれたけれど、歩き出してみるとなんてこった500mの間違いじゃないかい? 危うく両津行きのバスを逃すところでした。やれやれ自動車生活者はこれだから困るなあ。これを逃しては佐渡脱出が危うくなることでした。海が荒れてジェットホイルなんかの欠航、遅れが相次いだ事は報告済みです。
2018/12/09
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喫茶篇がこれ程に充実しているばかりでなく順調に回れるなどとは思いがけぬ僥倖であります。佐渡でこんな風に喫茶巡り出来るのはそう長い事ではなさそうですが、時間と予算に余裕があるなら是非お出掛け頂きたい。日頃積極性に欠けると自省するぼくがなりふり構わず佐渡の伝道師のような振る舞いをするところに興奮を汲み取って頂きたいのです。なんてちょっとばかり行きにくい場所に行くと必要以上に自身の無勝手な評価を晒すことになり、自身が恥じ入れば済むのならそれもまあ良いと思うけれど、万が一にも人を走らすことになると申し訳が立たぬから自重せねばならない。なんて書いてみせるけど、こんなブログを書くくらいだしやはり見て見て凄いでしょと自慢したいのであります。だけれど今回は酒場篇は不作なのであります。というかそもそも酒場らしい酒場にまだそんなに入れていない。それはスケジュールを組む際に分かっていたことだけれど、まさか帰りのフェリーに欠航が出たりしてこんなに遅く新潟入りする羽目になろうとは思ってもいなかった。思い返せば若い頃、鈍行列車を乗り継いで九州を一周したときに台風で鹿児島に丸々2日足止めを食った時があったなあなどと、私的な回想に耽りたくもなるけれど、それはよすことにします。予定はすっかり狂ったけれどこの夜は万代シテイのそばに宿泊するから何とでもなるはずです。ということで新潟港から満席の路線バスで万代シテイめざします。この夜はコートホテル新潟という面白みはないけれど長期宿泊者には便利そうなホテルに泊まるので取り急ぎチェックインして町に繰り出します。佐渡の夜とは隔世の思いです。 あれこれ迷ってまだ入ったことのなかった「鶴八」に入ってみることにしました。駅前の呑み屋街はごく一部に留まるけれど自分がガキだった頃の名残を未だに残してくれていて、いつも懐かしさと小さな興奮を呼び起こしてくれるのでした。元々新潟駅前にはもっと駅前呑み屋街がこれこそ駅の真ん前に蔓延っていて、そこにはピンク映画専門館などもあり風紀上は宜しくないのは分かっているけれど、そんな危な気な澱み枯れ果てつつも殺気を孕んだ環境に引き寄せられたものです。今では見かけこそかつての面影を見出すことは可能ですが、町の雰囲気は随分大人しくなり、ぼくが恐る恐る歩いたその町を跋扈するのは当時のぼくと同じような年頃のガキ共が目立っています。都内だと新橋や神田を始めとしてまだまだオッサンの屯する町が残されていますが、新潟の町からはオッサンたちは締め出しをくらいつつあるようです。新潟ではよく知られるガールズバー風のおでん屋なんかは若い連中で賑わっています。こういう店は普段若い娘に飢えているオッサンたちにこそ開かれていてくれるべきじゃないかなあ。ていうか、年齢制限を設定する酒場があっても良いんじゃないかと思うのです。無論客単価のいいオヤジ専用酒場だけだと不公平だからジジイ御法度酒場とかチョンガー専門酒場、お局様接待酒場なんかもあって良さそうです。居酒屋好きのお前が行けぬ店が増えると困るんじゃないかという指摘には、女装くらいなら辞さぬとお答えしておくに留めます。実際昔の酒場は、そう謳ってはおらずとも店主が結構好き嫌いで客を選別していたではないか。と「鶴八」の事は放ったらかしになってしまった。初老夫婦でやっているコチラのお店、グループ客が帰って空っぽになっているのに何だかとても強気な物言いで初めはしまったなあと思ったのですが、それは本当の意味での自信の現れなのでしょう。女将さんが実はぼくのとある学校の先輩であった事が判明したからのヨイショなんかでは消してないのだ。魚介などの肴は新鮮だし―特に枝豆や茄子が絶品でした―酒は良いのを置いてるし、女将さんの怒涛の喋りも慣れると気分が良いし、そして最後に顔を見せたオヤジさんの笑顔は抜群に嬉しかったなあ。 ちょっと腹が減ったので「須坂屋そば 新潟駅前店」な入る事にしました。新潟で小腹が空いたらやはりへぎそばが定番です。まだ夜は長いし、翌日は帰るだけだから気楽なものです。分、いや秒刻みで行動した佐渡は充実したけれど慌ただしく過ぎ去りましたが、新潟ではゆったりと過ごしたい。そばで呑むのは好きだけれど、のんびりとするなんてことは都内ではあり得ません。地方の町を旅する時にこそそば呑みは真価を発揮するものなのかもしれません。
2018/12/03
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新潟交通佐渡の本線金山線で佐渡金山前まで向かい、佐渡金山、旧相川拘置支所、北沢浮遊選鉱場跡を回ったことはすでに報告しましたが、今回はかなり複雑かつ出鱈目に喫茶と酒場を織り込んでいるため、もはや何を書いて何をまだ書いておらぬかが混乱気味となっています。なので、重複したり報告していないことをすでに語っているような記述があっても勘弁いただきたい。相川では、佐渡奉行所跡、京町には鐘楼、旧税務署なんて建物もあったりと実に見所の多い町並みなので、書き忘れていたので改めて写真だけでもアップロードしておくことにします。 金山からは、本線海府線で佐渡市相川支所を目指すつもりが結局歩き通してしまいました。天気は悪く足元も良くないけれど、それに勝る風景と景色にすっかり魅せられるうちにあれよあれよという間に相川の町中に到着します。そんな町の残り少ない憩いの場所「カフェ・ドカトレア」は元気に絶賛営業中でありました。外観は水色でどうも気乗り乗せぬ雰囲気が漂っていますが、中に入るとあれまあ、思いがけずも正統派。しかも、いざ何かを語ろうと思うと言葉が出てこないけれど、そんな正統においてもかなりのレベルを維持しているのが嬉しいではないですか。古いものが古いままに残されているという場合には、単に店主が横着で開店当初に全精力を投入しそれ以降は改修や家具などの入替えをしなかっただけということが多くて、経年劣化に褪色も進行して、写真で見ると美しく見えたりするけれど、現場に身を置くと結構悲惨だったりということが多いものです。しかし、こちらは店主夫婦の愛情がその清潔さににじみ出ているようです。特にこういう海辺の町で開店当初の輝きを保つのは並大抵の愛情の注ぎようがなくては出来ぬはずです。佐渡の片隅の小さな集落に未だにこういう店があることは感動的です。 春日神社薪能までまだ時間があったので、七浦海岸線と本線海府線を乗り継いで、佐和田バスステーションに向かったことはすでに酒場篇にて報告済み。ここでは「らるご」というこちらもまた外観からは想像の及ばぬ素敵な空間が保存されていたのでした。数名の常連さんたちに混じって、というか視界の死角の卓席で高校生カップルがいちゃいちゃと幸福なひと時を過ごしています。田舎町のアベックというのはこういうやり方で青く持て余し気味の性愛欲求を満たしているのかという位にいちゃついていました。それもまたこうした町の喫茶店の風景として得も言われぬ風情をもたらします。なんて、ぼくも枯れた大人になったものだ。彼らはぼくと同じような中年になった頃、この静かで端正な喫茶店の片隅で愛を育んだことを思い出に生きていくことになるのだろうなあ。それは実に羨むべき記憶であるなあなんてガキ相手に嫉妬心を燃やすのでありました。 春日神社で薪能を見終え、バスに乗り込むと「喫茶&スナック コロンビア」はまだ営業していたのでした。
2018/12/02
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滅多なことでは伝統芸能などの俗な興趣を勧めぬぼくが珍しくも声を大にして喧伝したい。それがたまたま薪のもとで行われる能舞台だったことなどさほど重要ではない気がする。知らぬ事は少しも恥ずかしい事ではないけれど、知らぬ癖に耳学問の知ったつもりでいるのは恥ずかしい事です。恥ずかしいだけなら何とでもやり過ごせるたけの厚顔無恥はとっくに身に付いている。それが致命傷なんだなあ。恥よりなりより酷く勿体ないを突き付けるのが枯れたおぢさんおばさんには説得力のある煽動手段なのかもしれません。事実、傘をさしつつ舞台となる神社へと向かうぼくはさっき見た酒場のほうがよほど気がかりだったです。これからの2時間をこんな風雨の中で過ごすのかと思うと嫌気がさすのも無理からぬ事は今でもよく分かるのです。百均のレインコートを手渡されて、こんな蒸し暑いの着てられるかと不貞腐れて開演を待つ頃になり急速に煙った空が澄み切ってその代わりと言う訳でもないのでしょうが、猛烈な風が吹き荒れだすのでした。黒澤明の風などこれに比すればそよ風みたいだ。今しも風に攫われそうなリリアン・ギッシュを窮地に追い込んだシェーストレームの風みたいでありました。なんて、大げさな譬えを披露してみせたくなるほどの興奮に見舞われたのです。そういう意味で能でも狂言でもと書いたのです。そこで演じられ語られた内容などどうでも良いことに思えるのでした。時折顔を覗かす月明かりのみの背後に山を従えた能舞台でヌルリヌルリと謎めいた所作で蠢く人が人とは別種の何者かに思えてくるのです。そして鳴り響く和楽器の不気味な不穏さに思わず酔いしれると同時にそんな得体の知れぬものを目の当たりにしながらまんじりともせぬ自分に驚かされることになったのでした。 閉演し相川春日神社からは臨時運行のECライナーバスに向かうと思い出したかのように再び豪雨に晒されます。まるで雨雲も舞台に見入って役目を忘れていたかの様な嘘っぽい位の状況にこれは本当に現実の出来事なのか不可解に思えるほどでした。バスは夜でもやってるこの町の外れの喫茶店を脇目にこの日の宿泊地である真野新町に到着したのでした。いやしかしまた真野の辺りは真っ暗闇だなあ。ちょっと宿を抜け出してって訳にもいかなさそうだ。実は一軒だけ開いている呑み屋さんらしき灯りを見掛けたけれど、今宵お世話になる近隣で唯一の宿泊施設の「ペンション永倉」からはベラボウに遠いからとても、夜道を往復することはできぬだろうなあ。先述したとおり、タクシーを呼ぶということも難しそうですしね。この夜は、日中に購入したパンの残りを少し摘んで、しかしベッドに腰を下ろした途端にパタンと寝込んでしまったのでした。 実は宿泊先から徒歩5分程度にあるバス停留所の向かいにかつては商店だったらしい民家が数軒軒を連ねているのですが、その一軒がどうやら居酒屋という店名の居酒屋だったらしいのです。何とかして旅先での夜を呑んで終えたいという一念でリサーチした結果に辿り着いた<A href="https://blog.goo.ne.jp/uccjkc/e/06dbf25be49211b69536e886a3c4a6dd">牧師のブログ</A>というHPで見付けました。しかし案の定そこは既に酒場としての役目を終えていたのでした。やっていたらもしかするとこの旅で最高の経験になり得たという思いもありますが、これも世の常であります。 翌朝は、そのバス停から小木行きに乗り込みます。宿根木行きのバスの発車まで時間がありましたので、土産物屋などを覗きます。ここは案外時間が潰せる集落ですが喫茶店はさっぱり見当たらぬのです。「黄金の道」は閉店してしまったようです。 ここで話しはすっ飛んで、翌朝に移ります。真野という町で宿泊したわれわれは小木から宿根木に向かうのでした。路線バスと循環バスを乗り継いだのですが、車窓から「居酒屋 山びこ」が見えました。戻る際にシャッターを切りましたが惜しくも撮り逃してしまったので、ストリートビューから拝借。ここいいなあ、行ってみたいけれど残りの人生で佐渡を訪れる機会は残されているのだろうか。訪ねられた方がいればぜひその様子を教えていただきたいものです。 宿根木観光は喫茶篇に譲ることとし、また小木に戻ってきました。昔ながらの土産物併設食堂である「山本屋食堂」に立ち寄ります。イベントのメイン会場近くで、海岸近くでは地元の肉や生鮮食品などの即売所が開かれて盛況でしたが、その土産物屋にはお客さんは独りもおりませんでした。食堂の2階に促されます。テーブル席のスペースと座敷席の両方があって、どちらかといえば凡庸といえば凡庸な座敷より、洋風のパーティルーム―無論少しも垢抜けしない―が興味ありでしたが、ナチュラルに有無を言わせず座敷に通されたから仕方ないのであります。刺身などいただきまして、それなりに美味しくはあるのですが、いかんせん量が少なくて、その割に値段が高い。懐かしさを求めるなら存分に味わえるけれど、それ以上ではなさそうです。そういいながらもそれだけあればぼくには満足ですが、同伴者には不評でありました。 今回予定していた観光を終えたので南線で畑野西町に移動し、太田和彦氏の番組で紹介されていた「四季菜割烹 伝」にランチで行くというプランも考えていたけれど、喫茶を優先することにしました。ここは夜に呑みに来るのは観光客だとかなり難しいのではなかろうか。太田氏も罪作りな事をしてくれるものです。ほくはそこまでの執着はなかったので構わぬけれど、ランチでなら立ち寄る余地はあります。優先した喫茶の報告はまた後日に回すこととします。 さて、両津に戻ると佐渡汽船の乗り場は人で溢れていました。どうやら台風の影響で高速船はすべて欠航となり、カーフェリーは辛うじて動いているようですが、かなりの遅れが生じているようです。一時間以上の遅れとなりましたが、運良く回数券の指定を取っておいたのであくせくせずに済みました。ハリボテっぽいけれど、ちょっとしたホテル並みの内装のときわ丸ですが、廊下にまで人がへたり込んでいて、難民船のような状況でした。揺れもかなり酷くて、船酔いの不安も少しばかりありましたが、どうにか持ち堪えられそうです。「佐渡汽船 カーフェリー ときわ丸 船内スナック」にもお邪魔してみました。軽めに呑んで新潟港までパタンと寝てしまうのが得策かという計算もあります。しかし思った以上に味気ないスナックコーナーで鶏ホルモンだったかなあとビール2杯で席を立つことにしました。席を確保できなかった方たちの最後の砦でもあるから長々と独占するわけにはいきませんから。そのまま指定の船室に戻り横になると予定通りガッチリと眠れました。揺れの強い船では船体に身を預けるのが酔わなくて済むことを知りました。
2018/11/26
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両津には最盛期は一体どれほどまでに喫茶店があったのだろうか。「珈琲 花園」、「喫茶 エリーゼ」、「再会 コーヒーハウス」の3軒を報告しましたが、「花園」のオヤジさんによるとすっごい沢山あったというあまり参考にならぬ答えを頂戴し、そのほとんどが店を畳んだと寂しげに仰っていたのが印象的でした。ちなみに事前に調査していただけでも「珊瑚」、「喫茶 カド」、「どん」などがあり、今でもGoogle Mapで存在することになっていたはずです。乗船待ちや嵐によるフェリーの欠航による時間潰し、帰省してくる息子や娘を心待ちにする年老いた親、船着き場の喫茶店にはどうしようもなくベタなドラマが付き従うもののようです。戦後12万人近くいた人口が現在ではその半分近くになってしまったことを考えるとこの喫茶店の減少もさみしい現実と言わざるを得ないのかもしれません。 事前のネット調査では確認の取れなかった「Coffee & Snack けやき」、「COFFEE SNACK マリエール」なども両津の町にはその残滓を留めています。「カフェテラス ロータリー(ROTARY)」は、船着場からすぐ目の前にあります。だから絶好の立地といえるはずなのですが写真でご覧いただく通りの有様なのです。こうした駅前喫茶というのは待ち構える人たちより旅する方が立ち寄る側が育むべきもののはずだと思うのです。だから都会からこの島に訪れる人がここを見て見ぬ振りしてしまっては店をやっていけるはずもない。いつ訪れるか知れぬような現在でもこうして贅沢な環境を留めていてくれる喫茶が有るだけで感動せぬわけにはいかぬだ。なんてことのないオオバコ喫茶、こうした危うい寂しさがこの上なく贅沢に思えることを忘れずにいて欲しいと切に願うのです。 これは翌日にお邪魔したのですが、展開の都合上ここで報告します。「モア」で待機を余儀なくされたのです。船着き場での待機を癒やしてくれる存在としての喫茶店というのはあり得るのだと思う。ぼくもそれなりにガキの頃に各地を転々としたけれど、待つということの孤独、その先には大概の場合、出会いという儀式が待ち構えているのだけれど、待つ者にそんな感情は芽生えぬのだ。待つものは常に不安なのです。それは胸を焦がすような甘美な体験だったのです。このごくありふれた喫茶店で、嵐に揉まれるフェリーで故郷を目指す誰かを待つこの時間、この濃密で切ない感情を否定することなどぼくにはできないのです。この普通の何でもない喫茶でぼくは短くはない時間を過ごすことになりました。いつ新潟港行きのフェリーが出向するからか分からないからです。でも優しいママさんと一緒に待つ大家族の不安と興奮の入り混じるドキドキするひと時は忘れられぬ思い出となりました。
2018/11/25
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昨日書いたように、両津では食事をするにやや困るようです。「蕎麦処 岩蔵」や「キッチン 源八」 は現役という感じもあるけれど、はっきりしたところは分からずじまいでした。まあ、喫茶食を好む方には今のところは選択肢がいくつもあるから支障はないはず。ぼくのように喫茶での食事にあまり魅力を感じぬ向きだとある程度調べておくか、観念して船着き場の店にでも入るのが安全ではなかろうか。ともかくやけに喫茶はあるのに酒場や食事する場所はそう多くないので、そちらを主たる目的に旅する方は、要注意であります。昔来た時にはとんでもなく寂れきっていたと思ったものです。でもその印象はそんなに変わらぬにしてもこと喫茶に視点を向けるともっと熱心に町を散策したに違いありません。でも過去を振り返ったところで取り戻す事などできるはずもないのです。 この旅で同行したのは佐渡を訪れるのが初めての人です。だから両津を後にすると向かうは定番の佐渡金山となるのです。佐渡観光には、レンタカーかカーフェリーで自家用車というのが最も機動性も高く便利なのでしょうが、それが無理な人でも路線バスの乗り放題切符があり、このイベント期間中は特別な便も使えて便利なのですが、なかなかに使いこなしが難しいのです。一日一便の路線などもあって、この切符は1日から3日まであったはずですが、3日でも乗り潰しは困難なのではないだろうか。さて、この切符で金山を目指します。島の中心を東西に結ぶバイパス状の道を延々と走り抜けます。昼食は両津のコンビニ風のお店で買い求めたパンなどを客がほとんど降り立ってからパクつきました。虚しい気もするけれど佐渡を満喫するには何ものかを犠牲にするはやむ無しなのです。さて、足尾銅山もそうですが、ぼくは迷路のような暗い穴ボコに対して強烈な愛着を覚えるようです。考えてみれば小さな頃からお化け屋敷や鍾乳洞が大好きでした。その嗜好は歳を重ねるに連れ強まっているのが我ながら少しばかり気掛かりではあるが、好きなものは好きで致し方ないのです。堪能しました。金山もいいけれど相川拘置所を始め見所は随所にあるのでここで時間を掛けるのが正解かもしれません。 薪能の舞台は相川が最寄りになります。都内ならこう書くと鉄道駅というのが当たり前のようになりますが、残念ながら佐渡には鉄道は通っていません。この相川というのはそういうバス停留所もあるけれど、集落の地名というのが適当かも。疎らではあるけれど商店や飲食店もあり、本当なら夕食を兼ねて相川にある「串焼 金福」に立ち寄るつもりだったのです。ところがまだ開演まで時間があると欲をかいて佐和田に行ってしまったばかりに工夫の余地を残さずに時間切れとなったのでした。舞台のある春日神社に向かう途中にこれまた魅力的な「大衆酒場 なぎさ」もありますが、ここにも立ち寄れず、未練を残しました。 時間を少し戻して相川からはそう遠くない佐和田という町に向かいました。ここには何軒かの飲食店もあり、佐渡では比較的町としての体裁を整えているようですが、人通りもほとんどなく寂しいのは必ずしも悪天候のせいばかりではなさそうです。ここでは洋菓子店と喫茶店、そしてようやく登場の酒場、「焼とり やじま」にお邪魔することにしました。佐渡ではここが唯一立ち寄ることのできた酒場らしい酒場ですから、みっちりねっちりと書き込むべきところですが、如何せん滞在時間が短く店主が寡黙ということもあり、書くべきことは余りなかったりするのです。何にせよバスの出発時刻を気にしながらの呑みというのは、仕方ないとはいえ神経を疲弊させるものです。それに乗ら過ごすと薪能が見れないだけでなく、下手をするとそこから発車予定のライナーバスなる特別運行のバスにも乗車できないのです。タクシーだってほとんど走ってませんしね。さて、いかにも佐渡の港町の家屋という風情の黒くびっしりと板張りされた造りで、ここは当たりではないかという予感は当たりなのでした。店内は思いの外に小奇麗ですが奥に座敷らしき部屋はあるけれど、基本は焼き場を囲むカウンター席なのです。焼き物は美味いし、むしったキャベツに塩とゴマ油というレバ刺風の食べ方も居酒屋では珍しいものでないけれど、日頃になく美味しく感じられたのは佐渡の空気なせいだろうか。同行者もいたくお気に召しておられたようです。先に書いたように主人はしかつめらしい表情を崩さぬけれど、アルバイトらしき若い女の子の無愛想さはそれに輪をかけて徹底していました。これは消して不満を述べるとか揶揄しているんじゃなくて、理屈はないのですがいかにも日本海の島の酒場らしいと感じ入ったのでした。このまま呑み続けたい欲求を引き剥がすのはかなり難儀なことでした。
2018/11/19
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佐渡に古くて良さそうな喫茶店が今でも少なからず現役で営業していることは知らぬではなかったのです。もともとは離島における飲食店について深く好奇心をそそられて居酒屋や喫茶店事情を調べ出したのがきっかけです。そして、結論付けるに至ったのは、仮に離島という言葉の定義を拡大解釈して淡路島や小豆島を加えたとしても、佐渡島のように飲食店が豊富で古くからの店舗が現存する島はないということです。いやまあ、がっちり厳密に調査したわけでもないので、見落としもあるかもしれませんが、ぼくの暇つぶし程度のリサーチにおいてはそう結論付けるしかなかったのです。結論付けたはいいけれど、佐渡は他の離島なんかと比べると随分利便で遠路はるばるという感じは希薄だけれど、それでも船で渡らずとも新潟には魅力的な町がいくつもあるのだから、つい後回しとなってしまうのであります。実は今回の旅ももともとは余所に行くつもりだったのです。それが急遽佐渡に変更したのは、たまたま夏前に再放送していた太田和彦氏の『ふらり旅 いい酒いい肴』で佐渡の旅をやっているのを目にしたからでした。そうなると俄然行動が早い、偶然にもかねてから見たいと思っていた薪能もちょうど公演されるではないか。これは千載一遇のチャンスとこの旅を画策することになったのでした。 佐渡の旅の始まりは両津港が振出しです。佐渡へ渡ろうと考えた人であれば他にも経路があるのを御存じであろうと思いますが、まあ一般的な振出しは両津港と思って間違いありません。フェリー乗り場を出ると表は大変な豪雨で、もともと黒っぽくて霞んだ町並みがさらに黒ずんで、ああ日本海だなあとかつては嫌で嫌で仕方なかった暗さをいつしか愛している自分に気付いて慄然とするのです。前来た時にも眺めに来た北一輝の生家を久しぶりに訪れます。当時はやはりアフィリエイトに張ってある鈴木清順にかぶれていて、その『けんかえれじい』には北一輝が登場するのですね。でも今ではそのお隣の閉業してそう経っていなさそうな昔ながらの食堂の方がずっと気になるのでした。 さて、高速バスで目覚めてから随分と時間が経つけれど、どうもしゃっきりしません。目覚めの一杯が欲しくなる頃です。最初にお邪魔した喫茶店は「珈琲 花園」でした。外観はかなり補修されているらしくさほどそそられませんが、店内はまあなんとも素敵ではないですか。見所の多さではここに勝る喫茶店は、良店の多く残る佐渡でも随一だと思います。店内の造作の素敵さは合羽橋の喫茶店を真似ていると高齢の店主は仰っていて、恐らくは「オンリー」なんじゃないかなあ。食器類は合羽橋で、調度類はどこっておっしゃってたかなあ、わざわざすべてを東京で買い求められたそうです。ちょうど、親類一同がお盆でやってこられていて、店の奥では子供たちがじいじ、じいじと遊んでほしいとせがまれて、いい時に来てくれたと仰っていただきました。帰省という文化は島にこそ相応しい叙情的な光景であります。店内随所に夥しく飾られた福助人形のコレクションは狭い我が家にも飾りたい可愛い表情のものが混じっていていつまでだって眺めていたくなりました。コレクション嫌いで人形にはまるで興味のないぼくをも魅了するとは福助はなかなかすごいキャラクターであります。 雨の止む気配はまったくない中、再び両津の町に飛び出します。昼食を兼ねて軽く一杯というプランも用意していたのですが、生憎なのかこれが両津の現状なのかどこの食事処も開いていませんでした。しかし、喫茶店はまだ何軒か開いていました。永遠にその扉を閉ざした喫茶店も少なからずありますが、それでもこの静かな町でこれだけの喫茶店が昔のスタイルのままに営業を続けられていることに驚異すら感じるのです。「喫茶 エリーゼ」は、そんな両津の寂れた繁華街にひっそりと営業していました。ひっそりとというのは印象だけではなく、実際にシャッターが半開きの常態なのだから、あながち大袈裟な物言いではないはずです。店内はコンパクトにまとまっており、店外と比較すると異世界のようなセピア照明に染め上げられていました。手前は7、8名のグループ用のちょっと広めのスペース、その奥に4人掛けテーブルが2卓あります。カウンター席もわずかながら設けられていますね。おばさまグループたちを目にして少し怯みましたが、上品な方たちばかりで助かりました。ここもまた過不足なくというよりはかなりの程度ノスタルジックな印象ですが、これぞ純喫茶という趣きで感動しました,。 「エリーゼ」の目と鼻の先に「再会 コーヒーハウス」はあります。再会とはまた思わせぶりでちょっとばかり気取ってるなあと思いましたが、入ってビックリ。古めかしい懐かしさとは趣を異にするお屋敷の書斎のような内観でありました。良家の主人がブランデーでも傾けながら横書きの活字を目で追ったり、思索に耽ったりするのが似合いそうな端正なお店でありました。壁面にはズラリと書物が並べられていて、そこに時折、マンガが混じっている辺りがご愛嬌です。さて、ここはデザートも充実しているようなので、その辺のお愉しみの仕方は次なる訪問者にお譲りいたします。 という訳で、どうですかすごいでしょ、今すぐ駆け付けたいと思いませんかと煽ってみたくもなるほどに魅力的ではないですか。佐渡の喫茶はこれだけでは済まされません。まだまだ続きますので乞うご期待を。
2018/11/18
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佐渡ヶ島に旅するのはいつ以来の事だろうか。算盤を弾くまでもなく容易く算出可能でありますが年齢については触れたくないお年頃なので黙っていることにします。しかし、今年で31年目を迎えるというアース・セレブレーションは当時既に行われていたということでしょう。これは、鼓童や元ちとせのライブなどの各種イベントが佐渡を舞台に挙行されるという島の一大イベントということらしい。そして何と今回のぼくの旅のお目当ては、プレイベント「佐渡薪能公演」を鑑賞することです。プログラムは、古典能 「橋弁慶」、狂言 「仏師」、創作ダンス 「THE KUMANO」とのことで、正直、最後のはどうでも良いし、能という芸能にもてんで造詣などありはしないのはこのブログをご覧の方には申し上げるまでもないでしょう。とにかくまあそんな訳で東京から夜行バスで新潟を目指す事にしたのです。 早朝の4時過ぎに新潟駅に到着。今回高速バスを選んだのは、いつものように節約が理由ではないのです。嘘っぽいけど本来は新幹線の利用も念頭にあったのです。しかし、新潟港発のフェリーが6時に出港するらしいのです。その前の便もあるらしいけれどそれはさすがに間に合いません。大体あんまりに早朝に佐渡に渡ったところで身の振りようもないのです。新潟は傘も役立たぬ程の豪雨です。新潟港からは佐渡汽船で佐渡島の両津港を目指す事になりますが、ちゃんと出港してくれるか甚だ心許ないながら、取り敢えず港に向かうことにします。路線バスはまだないので、珍しくもタクシーを利用。それでも新幹線利用を思うと安いもの。あっという間にフェリー乗り場に到着します。 新潟港の万代島ターミナル待合室にある改札口脇に「立喰いコーナー SNACK SHOP しおさい」がありましたので、冷やしいごねりそばを食します。このブログは食レポでもないし書くほどのものでもないかもしれませんが、時系列的にここで記録しておくのが適当なのでまあ読み飛ばしてください。でもいごねりは新潟の特産物なので初っ端からこういうのに出会えるのはちっちゃな話ですが旅情を亢進してくれます。エゴなど海藻を煮凝り風にしたもので、際立った風味がある訳じゃないけれど、地元で食べると何となく嬉しくなります。この待合室の列車や路線バスとも違った期待と不安に満たされたひと時が好きです。 今回の旅は二人旅です。佐渡汽船に4回乗船できる回数券を求めると座席指定が可能となります。これを求めておくと荷物を置いて船内散策も安心なので案外便利に使えました―帰りは相当役立ちましたがそれはまだ先の話―。船内散策の途中に「佐渡汽船 カーフェリー おけさ丸 船内スナック」にて軽食、ってアメリカンドッグですが、それと小さいサイズの生ビールでくつろぎます。くつろぎ切って既に出来上がっている本格呑みのグループもいますが、そんなに呑んで下船後大丈夫なのだろうか。ちなみに佐渡汽船のカーフェリーにはもう一隻、ときわ丸があり、帰りは上手い具合にそちらの指定席が確保できました。このおけさ丸が旧式とするとそちらは現代風のホテルのような内装らしいのです。 売店を眺めていると『月刊にいがた』なるローカル雑誌が新潟 夏 酒場案内という特集をしていたのでつい購入、座席に戻り雑魚寝しながら眺めるうちにうつらうつらしてしまい、気付くと早くも船は停船の準備を始めていました。 そう、いつか言い訳しておこうと思っていたのですが、このブログの隅っこにアフィリエイトというのを始めてみました。ご覧になられた方であれば呆れられた事と思いますが、ここには今、ぼくの好きな映画作家のタイトルがズラリと並んでいて、売れなきゃ意味のないこのアフィリエイトで少しも売れる見込みのないのばかりなのです。それでも中には眺めてくださる方もおられるみたいで、日に一人とか二人がこれを見て、実際にその映画を見るに至ればこのコスい仕掛けを採用した意味があったというものです。大概はネットレンタルなんかで借りれると思うのでご興味お有りの方は是非どうぞ。で、ここに加藤泰というすごい映画監督によるトンデモない『ざ・鬼太鼓座』というドキュメンタリー風の映画があって、この舞台が佐渡なのであります。冒頭の低いキャメラポジションから捉えた佐渡汽船から土産売り場などのあるターミナルに到着するシーンの迫真性は帰宅後改めて見て、大興奮したのでありました。
2018/11/17
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桑名駅から関西本線で永和駅を目指します。喫茶王国の愛知県だからどこに降り立っても喫茶探しに苦労することはないと思ってはいても、やはり地域差はあるんじゃないかと。だから最低限のリサーチは書かせぬ作業なのです。こんな日頃から飲み/呑み歩いて、稚拙とはいえキッチリとブログの更新を欠かさぬと調べものなどしてる間など無いんじゃないかと思われるだろうと考えるのは、自意識過剰かもしれません。でもこんな稚拙な文章だってそれなりには四苦八苦して書いているのでありまして、下調べをする時間を捻出するのはやはりそれなりに工夫を凝らしているわけです。工夫ったって基本的には何かを得るためには何かを犠牲にせざるを得ないという至極当然な結論に行き着くしかないのでありまして、その犠牲にするのが何某かであるかを記すと己が首を締める愚行、蛮行になりかねぬのでここに書くことは控えさせていただきます。だから、このような本旨から逸脱したことばかり書いてるから時間が足りないのであって、とっとと本論に入るべしという意見には与せぬのです。なぜら紙幅を埋めるためにはこうした戯言こそが楽ちんだからでありまして、大体において紙幅とはなんぞやという話にもなりかねぬからこの程度にしておきます。 さて、寂れきった永和駅に降り立ったものの喫茶の気配は微塵も感じられませんし、実際この人通りでは営業が成り立たぬように思えるのです。結論からお話すると「恵」、「ふれんど」は見つからず。「エリーゼ」はちゃんと営業していました。これが下調べの全てであり、そしてそれ以上の収穫はなかったのです。しかし、「エリーゼ」は期待通りにとても素敵な店であったのは幸いでした。いや、実のところは手放しで褒め称えるのは躊躇いがあるのですが、それはここでは述べるのはよしておくことにします。広々と開放的な店内はこれまで親しんできた数々の喫茶の魅力のエッセンスが散りばめられています。そのエッセンスについて言葉を弄することがこうした景色重視の喫茶マニアの腕の見せ所ですが、それを語る言葉が未だに見いだせぬのであります。喫茶を語るに適した言葉があるはずだと信じているけれど、それを見出す努力と愛情、そして才能に徹底して劣る己の不甲斐なさたるや。金と時間を惜しげもなく投入するには、並々ならぬ無償の愛が必要なのは分かっているのです。実際、売文業に身を売って端金のために可能性の目を摘まれた方もぼくは遠目から眺めていました。って、何か気持ちがますます喫茶から遠ざかっているなあ。でももしかすると喫茶とは本来物思いに耽るような場所であるのだろうし、それでいいのだ、ということにしておこう。 永和駅からわずか2駅の春田駅にて下車。一駅ごとに下車して歩いてみたいという欲求もあったのだけれど、時間も足りぬし今後の楽しみに取っておきたい気持ちもあります。そんな猶予は片時も残されておらぬのかもしれぬけれど今はできるかぎりのことをこつこつ続けるしかあるまい。喫茶を初めとした古い店舗の衰退期に生き、そしてその魅力に取り込まれ、それでいいのかという疑念を懐き続けることを余儀なくされたぼくにとって情熱とはフィクションの産物にしか思えぬのです。 駅から結構な距離のある「こいこい」は営業終了していました。ガラス戸越しに店内を覗くとまあ外観ほどのインパクトはありませんが、それでも入ってみたかったなあ。しかし再びここまで足を運ぶような気力がぼくに残されているかは甚だ疑問とするところです。 戻りしなに「まりも」なるファミレス風喫茶がありますが、ここはスルーしました。入ってみなけりゃその真価を問うことなどできないのは分かっているけれど、もっと行ってみたい優先順位の高い店があるのです。 駅から至近の「グッピー」は長崎ちゃんぽん推しの店なので、昼食には少し早かったので見送ることにしました。でも今にしてみると、このお店こそがこの町の最大のヒットだったかもしれぬなあ。しかしまあ、こちらならまたお邪魔する機会があることでしょう。「玖美」の扉を開くと、もう営業終了とのこと。思わず絶句すると、飲み物だけならと入れていただけました。無論それで一向に構わぬのです。ぼくのけして豊かならざる表情は、少なくとも無念さや諦念を表すには適しているらしい。それを敏感にかぎ取ってくれたのは、顔つきはおっかないけれど実はなかなかにユーモラスなご主人でした。店内は落ち着いた内装で可もなく不可もなくでありますが、間もなく店が閉まるというのに多くのお客さんが居座ってしまうのだからよほど居心地が良いのでしょう。ご主人の話によると、このお店はつい最近NHKの取材を受けられたということなので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。愛知県らしい早く店を開けて早仕舞いするスタイルを貫かれているので、お出かけはお早目の時間がお勧めです。昼時はランチ目当てのお客さんも多いので避けた方が無難だとうと思います。
2018/10/14
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さて、喫茶篇は、未だに桑名をほっつき歩いているけれど、さすがに暮れ正月でもない限りは矢鱈な事でもない限りは朝っぱらから呑みに至るということもなく、そういう訳で途中立ち寄った春田駅などの出来事については喫茶篇に譲るとして、名古屋駅まではもうすぐ。そろそろ帰ることを考える時間になりました。とりあえず東海道本線の新快速で豊橋駅に向かいます。そう、豊橋駅周辺には魅力ある大衆食堂がいくらもあるのです。しかし、豊橋での滞在時間は一時間弱と限られている、いや、予定をやり繰りしさえすれば時間の伸長はある程度の融通を効かせられますがここで余り足を止めてしまうと帰りが難儀になることは目に見えています。以前も書きましたが近頃は先へ先へとせっかちになるよりは、休み休みしながらも着実に東京に接近するというのが楽チンだし、何よりいろんな町に再訪できて、少しづつ馴染んでいく感覚が嬉しくて愉しいのです。豊橋にもここ一、二年だけでも何度立ち寄ったことだろう。勝手が分かってくると、滞在時間を短めにしても所要時間をかなり正確にやり繰りすることができます。 駅から5分程度で行けるとなると、すぐに念頭に浮かんだのが「やまに食堂」であります。が、こちらはもう昼の営業が終了となるようです。しかしいかにも古くからやっているというその風情にはものすごく惹かれるけれど、数軒隣のの「平和食堂」にお邪魔することにしました。店名の平和の文字に惹かれたわけでもないのですが、前々から気にはなっていました。時折人名だったり地名でもない、こういう哲学的というか政治的な想像力を喚起する単語を冠するお店があったりする。店名の選択肢の幅広さでいえば酒場らしい酒場、端的には居酒屋などの方が自由度高く好き勝手な店名を持って名乗りを上げることが可能であるはずなのに、そして実際に奇天烈過ぎてどうしても敬遠するを余儀なくされるお店などもあるのですが、シンプルかつ心臓を抉られるような衝撃度の高い店名はむしろ大衆食堂に多いように思うのです。食堂名というのは総称的な、例えば社員食堂や学生食堂といった一般名と固有名であるこの「平和食堂」なんかの構造がほぼ一緒であるからこそ、そこに据えられる単語の扱いは慎重を要するのだと思うのです。さり気なくかつ一定のインパクトを与えるには相当なセンスが要求されるのです。そして、名付けの機会はそうそう多くは与えられぬはずであり、仮に抜群のセンスが店主にあったとしてもそれはそのまま埋もれ去ってしまうのだろうと考えると少し悲しいのです。ともあれ、早速にビールを注文、すると二時には閉店ですがとのお言葉。構うも構わぬもなくもう他所に動く時間はないのです。ビールに口を付けるか付けぬかで、手早く調理された肉の炒めのサービス定食が届きます。このスピード感は見事です。味もいい。自分でも作れそうだけれどやってみるとなかなか出せぬ味なのです。これはどうしたものだろう。そんな客の引いた広くカランと寂しい店内で忙しなくも優雅な昼餉を頂けたのでした。東京はまだ遠いし、実は途中にさらなる大回りをして帰京するつもりなので先を急ぐことにしたのです。
2018/10/08
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桑名では早起きの甲斐あって、それなりの時間を散策に充てることが出来ました。呑みの際には食いの面で頼もしき戦力ともなるS氏でありますが、喫茶巡りにおいては足枷となることも少なくないのです。その事由を書こうと思ったけれど、なかなか難儀だしさほど面白くないから割愛です。とにかくこの朝は別行動とし、一、二軒だけ喫茶店に付き合ってもらう事にしたのでした。ぼくもそうだけれど、彼はそれ以上に前日の長い列車移動の最中に寝落ちしていたのだから、夜は目が冴えてもおかしくないはずなのに、昨夜もまたベッドに横たわるや即眠りに就いたらしい。ぼくも似たようなものです。旅というものは、やたらと寝て食べてを繰り返してばかりで、何とも不経済かつ不健康な振る舞いであることよ。まあ、旅という行動自体がしてもしなくても一向に構わないといった類の性質であるし、世のため人のためにほとんど貢献しないという意味でもこうして人様に己のどうでもいい旅を晒してしまうのは恥ずべきことではないかと時には思ってみたりするのです。しかし習慣というのは一度ストップを掛けると末永くストップ状態が継続してしまうものであり、むしろやめたところで誰にも迷惑を掛けぬような行為を習慣と呼ぶのかもしれません。 さて、桑名で次に訪れたのが「シャトークワナ」であります。ネーミングは安直かつ大胆かつ不遜なところが大いに気に入っての来訪であります。どこかしらボーリング場を思わせる大雑把な建物は、のこぎり状にギザっていてユニークでありますが、概してこうしたオオバコは大味であることが多いものです。と高をくくって店内へ。チェアやテーブル、それに照明は単体として見ると、やや漠然たる大味なシロモノではありますが、それがズラリと数で攻勢をかましてみると不思議と味わい深い眺めとなります。うんうん、これはこれで大変愉快ではないかと大いに満足する次第です。青という色味は喫茶とはあまり相性が良くないと常々感じているところでありますが、オオバコならではの空間の広がりをさらに深めてくれるようで、この色調はこの喫茶空間でしかありえないのだろうなと、あえてこの青という色を選択した審美眼に感服しました。 駅前に戻るとまだ次の列車まで時間があります。なので、前回入りそびれた「パーラー 花」にお邪魔することにしました。これ以上ないってくらいに単調な遊び心の感じられぬ内装でありますが、それでもこれだけ年季を積み重ねると不思議と味わいが生じるものです。というかホンの時間潰し程度の気持ちで入ったにしては案外よろしいのではないかとすら思えてきます。ここは店内が廊下からも表からも見通せてしまうため、つい敬遠しがちですがやはりどんな喫茶でも入ってみないと分からぬものだなあ。入るべきか入らざるべきかの二者択一に迫られることは少なからず遭遇しますが、迷わず突入することを改めて強く心に刻み込むのでした。「うかい」はとっくに閉店したらしく、入口すら塞がれています。仕方ないけど残念だなあ。
2018/10/07
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3時間を超える足止めの後、尾鷲駅を紀勢本線で引き返します。松阪駅にて下車。松坂には縁がないと決めつけていましたが、今回暗くなってからのわずかの時間に過ぎませんが、その限りにおいてもなかなか散策し甲斐のありそうな雰囲気に思えました。しかし駅前はかなり拓けてしまったようで、かつての痕跡をごくわずかに留めるだけのようです。本拠地は駅からはそれなりに歩くことになるらしく、当然ながらそこまでは手が回りませんでした。駅の東側には酒場放浪記で紹介されたホルモン焼のお店がありますが、まずはそこに向かうことにました。ところで、駅の東西の行き来が面倒ったらない。地方の旧国鉄の駅はこうして駅のこちら側とあちら側が分断され、せいぜい跨線橋なり地下道なりで結ばれていることが多く、この好印象の松坂駅周辺でも西側については気分が萎えるような整備された町並みとなっていたのであります。「金城屋」です。この回のテレビ放映を見た記憶がぼんやりとあって、それほど高級であるように思えなかったけれど、とにかく松坂牛を取扱うホルモン焼店であるということがどうにもプレッシャーとなります。ネットで調べると「一升びん」というのが店の面構えも良く、人気も高いようですがそちらは次回改めてお邪魔できればと思っています。そんなに渋るならお金と時間を費やすまでもまいではないかという意見はごもっともであります。番組のおっかけをやるだけの強い意志も欲望も欠如してしまったぼくには、よほどのことがない限りは満足できるとは思えないのです。それでも行ってしまうのは、言葉は悪いですがノルマとか惰性といった熱量の微塵も感じられぬ趣味としては圧倒的に低級な消極的欲求にのみ突き動かされての事なのです。こう書くと番組のことばかりでなく、行ったことのない店のことを悪く言っているようで恐縮ですが、それは違います。番組の店選びの方向性とぼくの趣味が確実にベクトルを異にし始めたことは間違いないのですが、それは制作側にも相応の事情があることは推測できますし、行きもしたことがないお店に勝手な先入観を抱くのはあくまでもぼく個人の問題になります。ぼくは見知らぬ古い酒場を好むと語っておきながら、実は脳裏に思い描くこれぞ酒場という鋳型があって、そこからはみ出ると拒絶反応を示すという、実は許容範囲の極端に狭い頭でっかちで凝り固まった思考の持ち主なのだと思うのです。だから、店の造りがすっかり新しくなっていただけで不満を漏らし、そこに飾られたこれだけは古さをありありと呈している招き猫を見ても想像力で過去の店舗を思い浮かべてみることすらできぬのでありました。ホルモン焼はとてもおいしい。店の方も親切でとても良い方だ。集まる客たちも適当に賑やかで客筋も悪くない。独り客も優しく迎え入れてくれるようだ。言うことがないではないか。だけれど、満たされない気持ちはどうにも抑え難いのであります。これはもうぼく自身の兼ね備えた業のようなものであって、その口をついて吐き出される悪態の数々には何ひとつとして相対的な評価基準など伴ってはおらぬのです。だからこちらを好んで通う方はこれを読むと非常に不快な気分になるに違いないけれど、ぼくの望む酒場の姿はここでは見出すことはできませんでした。 駅の西側には今しがたお邪魔した店と似たような新しいホルモン焼店が点在しました。東側はどうなのか、こちらは面白いことにほとんどホルモン焼のお店は見られませんでした。しばらく駅から離れると老舗の店があるらしいので、まあ実際には町中に焼肉屋やホルモン焼の店があるのが実態なのでしょう。いずれ駅前にはそんなに牛肉の店は見当たらなかったから、松坂の人たちも必ずしも日常的に松阪牛を食べてばかりいるという事ではなく、普段は普通の居酒屋で呑むのだろうなあ。さて、大分開発が進み、場所によっては頓挫しつつも古い呑み屋街も徐々に歯抜けのような状態に追い込まれているようで、しかしそれなりの軒数を固辞するエリアがありました。そこに古風な懐かしい構えの店があったので入ってみることにします。高齢の母娘でやっている「喜久家」です。カウンター席のみのこぢんまりとした酒場でこれがオンボロだとかなり危なげなお店に思えたでしょうが、端正で清潔そうなところに惹かれました。ご母堂は常に店の奥に控えていて料理や勘定を一手に引き受けています。娘さんは―それでもわれわれよりずっと年長―お客さんとの応接を主に担当します。お喋りでありますが、実直な感じで、われわれを風俗目的の客と思ったのか、津に行かれると宜しいわと仕切りとお勧めくださる。クラブとかキャバレーが沢山あって、男性の方は皆さん、津に行かれるのよとなかなか男性に対する偏見が奮っております。白身の魚はなんて言ったかなあ、この界隈ではよく召し上がる出世魚の若い頃をフライにしたものを頂きましたが、これはふんわりして美味しかったなあ。店の雰囲気だとカラオケなしのスナック程度に思っていたから、思わぬ誤算です。お客さんはどなたもサッと呑んで帰っていかれる。若い方が思いがけずに多くて、呑み方もしつこくないのがなかなか皆さん心得ていらっしゃる。若い人はこういう古い酒場で癒やされたいようです。ぼくはそうじゃないはずだけれど、そう周りの人には思われているんだろうなあ。 このまま松阪に宿を取って、もっと松坂の町を堪能したいのですが、喫茶篇で書いたとおり桑名に宿を予約してしまっています。ぐったりと疲労困憊していましたが、なんとか桑名駅まで辿り着くことができました。もう少し呑みたかったので銀座商店街の立ち呑み店「まほろば」に飛び込もうとしたのだけれど、看板に定額2,000円でドリンク2杯と軽食のセットとあり、断念。周辺にもこれといった酒場はないので、大人しくコンビニで酒とあんかけパスタを購入、ホテルに向かったのでした。大人しくこれらをさっと平らげるとバタンキューとベッドに倒れこんだのでした。桑名のお目当てであった「味処 古都」―酒場放浪記放映店―は翌日の喫茶巡りの最中に目撃しましたがまあねえ、感想は控えておくことにします。
2018/10/01
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ここで酒場篇と順序が逆転しますので、前日、尾鷲駅を出てからの事を少し書いておくことにします。紀勢本線の鈍行列車は尾鷲駅を当初の予定より4時間弱遅れて出発、松坂駅に到着したのはもう8時近かったと思います。尾鷲駅舎が凄まじい蒸し暑さであったことも手伝ったのか車内の温度がやけにヒンヤリして感じられます。いや、それどころか凍えそうな寒さなのです。逃げ出すように列車を降りると取るものもとりあえず目指す酒場に駆け付けたのでした。松坂では2軒の酒場に立ち寄りましたが、松坂こそ今回の旅における酒場巡りの中心となるはずであったにも関わらずその半分すら回れぬ始末。いや、これまでのぼくは少なからず欲張り過ぎだったのかもしれない。気になる全ての喫茶や酒場を巡るなど土台不可能であること位のことはとっくの昔に認識しているのだ。ともあれ、松坂には遠からず再訪するだろうという予感があります。こう書くと、実はもう行っちゃったんじゃないのかという誤解を生みそうですが、実際、今回の旅とは全く別のコンセプトの旅をするプランがありますが、それはもう少し先のことになりそうです。そんな訳で松坂駅を後にして桑名駅に向かいます。桑名には数年前に立ち寄っていますが、松坂からはまだかりの距離があります。その分、名古屋からはそう遠くないから初めから宿泊地を松坂にしておく、もしくは決めておかないのが正解だったかもしれぬけれど、それはもはや後の祭りのお話です。疲労と酔いもあって桑名駅に到着したのはもう11時近くになっていました。相変わらず車中は冷房が効きすぎでしたが、車窓からも風景らしい風景も見えず激しい睡魔に身を任せたこともあり、気付くと着いていたという感じです。 桑名の喫茶店の一軒目は駅を背に大きな通りをひたすら進んだ先にある「喫茶 かとれあ」にしました。ひたすらに端正でシンプルなお店で、特筆すべき工夫やそれのもたらす驚きからは程遠い、まさに普通の喫茶店でその店名の普通さとあいまっていました。でもこれけして悪い意味ではなく、まだ睡眠不足で疲弊した脳にはこうした尖っていないお店は脳の調整には適しています。 さらに直進すると今度は「はせ川」というオオバコらしい立派な構えの喫茶店がありました。最初ここを見て、観光地にありがちな実用性を重視した愛想のない詰まんない店であると思い込み、素通りしようと思ったことを告白しておきます。いやあ、ここは入ってみないとそのユニークさは伝わり難そうですねえ。ユニークと書くと日本人の感性では個性的というより剽軽というニュアンスに近い気がしますし、オリジナリティがあるかと言うとそうでもない気がするので早速ではあるが、撤回することにします。ここは様々なテイストの純喫茶的なテイストをこれでもかと無節操に取り入れた良さがあります。写真からは伝わりにくく恐縮ですが、朝昼晩と例えば一日に三回出向いて時間帯に応じた使い方もできるような気がします。しかもぼくの見たのはそのほんの一端のみであり、店も奥に深いみたいだし、さらには2階、いや3階にも客席があるのだろうか。そこはきっとまたさらに多様な意匠が凝らされているものと拝察するのです。こういう何度訪れても飽きさせぬというポリシーに貫かれているように感じられました。また、訪れなければならないだろうなあ。「喫茶 サボテン」はしばらく待ってみたけれど開店する様子はなし。外観のキッチュさは次回報告する喫茶とはまた別種の趣きがあり、斬新でありながら懐かしい風情も留めていて、ここは必ずや次回にリベンジしたいと思います。あと、目星を付けていた「樹氷」は駐車場の看板だけが放置されておりました。店名がすごい好みなので在りし日の姿を思い浮かべるだけで楽しいけれど、やはり実物を見てみたかったなあ。
2018/09/30
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四日市駅から関西本線で亀山駅に向かいます。さらに、多気駅で紀勢本線で乗り継ぎし、尾鷲駅を目指しました。駅前食堂の事はすでに酒場篇の一回目で報告済みですが、実はその前に喫茶店に立ち寄っていたのです。ここを目当てに今回の旅行を敷くんだと言っても過言ではないのです。素晴らしい外観や内装はすでに多くの写真で目にしているので、それを確認するに過ぎないのでありますが、写真と現物は大概において大きく差異が生じるものである事は周知の事実としてあります。だから以前まではネット情報というのが予断をもたらすという意味で弊害になりかねぬと考えていて、それはある程度の説得力を今でも有するとは思うけれど、絶対的に鵜呑みにすることもないことを知っているのです。写真というものは何でもかんでも綺麗に写し取り過ぎるのが難点です。それらからは凡そのコンセプトを汲み取れれば良しとすべきであって、例えばぼくはジャズ喫茶が苦手だからここは避けようとかいう使い方が理に適っていると思うのです。 さて、目当ての「純喫茶 磯」は、上段の考えがまさに正しかった事を物語っていました。とにかくこれまで垂涎の喫茶として指を加えていたまさしく現物を目の当たりにして、やはり遥々と訪れてよかったなあとしみじみ感じ入る事になるのでした。何が素晴らしいって目にも楽しい数知れぬ飾り物がまさに店舗の一部としてしっくりと調和していることです。喫茶店などという酔狂な商売をなさるような方たちであはから、変わった趣味などお持ちの方も少なくないようです。むしろ趣味を継続する方便として喫茶店をやっている方も少なくないように思われます。それの最極北がコレクション置き場としての店舗利用があります。ぼくもこれまでに多くのコレクション置き場でコーヒーを飲んできました。さしずめ「邪宗門」はその典型となるのでしょう。先日も福助コレクターのお店がありましたが、そちらの事は近日に報告します。そちらはとにかく数え切れぬ福助人形が展示され、その顔立ちやファッションを眺めるという王道のコレクター道を直走っていましたが、この尾鷲の名喫茶は海にまつわるものなら何でもかんでも、いや、店に調和するという徹底した審美眼を持って選別された優れて計算された設計がなされているのです。これは本当に驚くべき事なのではないか。というか、コレクターで喫茶店をやるなら何にせよ徹底すべしという事です。半端なコレクション程に興醒めでみっともない物はありませんから。博物館的でありながら博物館を超えた喫茶店がこちらです。 次なる「メモリー」は、先の強烈な印象に比すると圧倒的に普通であります。普通の町の喫茶店です。他の町であれば相応に好意的な発言を語り得るのですが、今はとてもそんな気にはなれぬのです。 港に近い「ロリエ」も、尾鷲以外の町にあったならばとても好ましい印象を与えてくれたはずです。透明な視線を絶やしたくないとは思いつつ、ぼくなどに抗えぬほどの強度を保つ喫茶の後に訪れると印象が希薄になるのはやむなしというものです。これから訪れる方には、尾鷲の喫茶巡りは遠隔から徐々に駅に引き返すという回り方がベターだと思うとお伝えします。 「トリオ」はやっていたものの気乗りがせず、「憩い処 杏」はカラオケの音声が店内からなりひびいています。「喫茶 モロコ」は、店内から照明が灯っているのが見えますが、鉢植えで入口が塞がれています。もう営業はやめられてしまったのでしょうか。「フルーツパーラー 乙女は跡形さえ確認できませんでした。「ハッチ」は外観は良いけれど、店内は平凡だったので通り過ぎてしまいましたが、この後の豪雨でこの町に足止めを食ってしまい、改めて引き返してきましたが時すでに遅し、店は閉まってしまいました。こうなると入っておけばよかったと未練が募ります。
2018/09/23
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四日市から列車を乗り継ぎ、次に向かうは尾鷲でした。尾鷲では、昼食を取ってから数軒の喫茶店を巡って、離脱する予定でありましたが、どういうわけだか、腰を落ち着けながらも落ち着かぬ気分のままで呑むことになってしまったのでした。その詳細は喫茶篇に譲ることにして、初めて訪れる町に期待は高まります。というのも到着した改札を抜ける前にすでにぼく好みの大衆食堂が待ち受けていてくれたからです。 まさに駅前食堂とは、ここ尾鷲の「ことぶき食堂」のようなお店の事を指すのでありましょう。喜び勇んで早速お邪魔することにしたのですが、おやまあ、<a href="http://junkissa.jp/">わき道にそれて純喫茶2</a>のエムケイさんがすでに報告済みだったようです。感想も店内が事務室みたいでちょっと違うかなあという点を含めて、似たようなものなので簡単に記すに留めることにします。店に入る前に店先の黒板に記載のあった鶏唐揚げとチャーハンの盛合せが手頃だったので、これにすることを決めていたのですが、先にいたお隣のオッサンの食べていたそれを見て、独りは野菜炒め程度で十分だと判断しました。こうした時には、無愛想でも食事をシェアできるA氏がいてくれて感謝したくなります。それにしても恐るべきボリュームであります。地元の方たちはこのセットを好んで食べるようですが、食欲が旺盛で羨ましいことです。それにしてもこのお皿、味わいがあっていいなあ。挙動のいくらか不審な店のオヤジさんもユーモアがあって、事務椅子は残念だけれど食の太い方は立ち寄ってみてもいいかも。「来々軒」はお休み。まあお腹いっぱいでもう何も入らないから正解だったと思うことにします。 さて、どういうわけだか駅前通りの「みっちゃん」なる田舎っぽい飾り気のないカフェバー風のお店で呑んでいるのです。それにしてもどうした次第で尾鷲まで来てこのような味気ないお店に来てしまったのか。それはまさに尾鷲に来ているからなのであります。この土地は日本でも有数の降雨量の多い町なのであります。そのタイミングに見事にぶち当たってしまったというわけなのです。しかも列車はいつ発車するか分からぬということで、それで駅の待合室に待機するようアナウンスがあるんですが、駅員はエアコンの効いた快適空間で執務すればいいのに対し、われわれはむっとするような蒸し暑さを耐えねばならぬというのは理屈に合わぬのではないだろうか。そんな苦痛に耐えかねて、やむなくこうしたお店にお邪魔した次第なのです。ママさんは人柄もよかった。日中の喫茶タイムが受け持ち時間、娘さんが夕方からバトンタッチするようです。娘さんはきれいな方らしいので、それが目当てのお客さんも多いかも。もう少し早い時間からやってるお店があればよかったのに。ということで、結果、3時間以上に待たされただろうか、駅とその周辺のお店を行ったり来たりと尾鷲に拘束されての酒場巡りは実はこの先も続くのでありました。
2018/09/17
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別にこの旅がひどい旅だったわけでもないし、振り返ってみても面白いことも色々あったと思う。だけれども、今後も旅をし続けたいという思いを挫かせるような思いをしたことも確かなのであります。といった様な事を書いたらしいが、ハテ?、これはどうした意味なのであろう。己で綴っておきながら無責任な話であるけれど追々その理由も明らかになろうと思うので、頭の片隅に残して書き進めることにしようか。 さて、この夏も細々と旅行して回りはしましたが、諸々の条件に阻まれ遠出らしい遠出もなく、関東甲信越や東海方面を根掘り葉掘りしつつ行き来したのでした。今回はタイトルにあるように三重県を中心に据えた旅です。ご記憶の方もあられるかも知れぬけれど、去年、そして恐らく一昨年も三重県は散策しています。なんて効率の悪い事と仰ることなかれ。これでも時間と金の投資を極力抑えんとする工夫を相当に凝らしているのであります。だからどうしても高速バスの利用が多くなる。池袋サンシャイン発の名古屋南ささしまライブ行きなどは、閑散期であったためか、破格の二千円だったのです。これを利用せぬ手はないのです。早朝、睡眠不足の気怠い全身に鞭打って、JRの名古屋駅に移動します。ここからは例のごとくに青春18きっぷの旅となります。名古屋駅から四日市駅に関西本線で移動します。ここで欲をかかずに最終目的地に直行していれば旅の行程も変わったと今になって思いますが、それは置いておくことにします。 四日市駅にて下車します。時刻表をご覧頂くと一目瞭然なので詳述は控えますが、関西本線と紀勢本線の乗り継ぎの悪いことったら、よく地元の方の不満が出ないものだ。いや、出してはみたけれどその声は案外にか細かったのかもしれません。なぜ、前回訪れた際に見過ごしてしまったのか、恐らくはクタクタになって早くホテルにチェックインして呑みに行きたいという気持ちが勝ったのでしょう。「喫茶 サハリン」は見掛けていましたが、有名店の「喫茶 エリカ」を見逃していたとはいかにも準備不足でありました。しかし、残念なことにまだ営業前だったようです。話によるとファサードのユニークさに店内は大いに劣ると聞き及んでいたしまた来る機会もありそうです。 なのですでに営業を始めている「パーラー イトウ」にお邪魔することにしました。どうしたものか、こちらの喫茶について触れられたネット情報がほとんど流布されておらぬのです。パーラーという古風な響きが個人的には非常に好きなのですが、今でもこの呼称を用いている店舗は大分減ってしまったみたいで、ごく稀に見かけてもそれはぼくの思い浮かべるパーラーではなく80年代のアメリカンテイストに飾られていることが多いようです。しかし、こちらの内装は落ち着いたソファに眩くも心落ち着く照明で満たされていてこの上なく美しく感じられたのです。この旅の最初の喫茶が想定以上に好ましく、旅の前途は洋々なる安直な予感を抱かされたのでした。 駅前というのに寂れた通りを進むと、やけにポッカリと開けた土地に「喫茶 ギターラ」という一軒家の喫茶店がありました。好みのタイプかと言われたらちょっと違うかなあと答えざるを得ないのですが、不思議な色気みたいなものを感じます。日の出を迎えてかなり時間を経過しているにも関わらずの暗い店内に控えめにペンダントランプが灯る空間は喫茶店というよりむしろ70年代のジャズバーとかに近しい印象です。ならば寡黙で冷ややかな視線を浴びせるようなマスターが睨みを利かせているかというとそんなこともなく、至って穏やかなお方でした。そうこうする時間もなく列車の発車が迫っています。1本逃すと次は1時間以上待たなくてはならなかったのではないか。一つの遅れが巨大なドミノ倒しのように連鎖してスケジュールに取り返しのつかぬ遅延を及ぼすからここは急いで腰を上げるべきなのです。 すぐそばの「モナ・ルーム」も営業していましたが、時間切れなのでまたいずれ訪れることにします。
2018/09/16
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大月がすっかり好きになりました。いやまあかねてから何度も来ているし、それなりに歩いているからそうなんじゃないかなとは薄々思っていたけれど、これまでのイキの良い元気いっぱいのぼくであれば、極力遠くの土地で遊びたいと思ったものです。大月程度の場所ならその気になればいつだって来れるじゃないか、なんて考えていました。しかし、今おっさんになって感じるのが、例えば松本で終電ギリギリまで過ごした後に一気果敢に都内まで戻ってこれるかというとそれは遠慮しておきたいなと思うのです。仮に高速バスや万に一つの特急列車で帰京できるのであればそうするだろうけれど、各駅停車でトロトロと都内まで乗り通す根気はもはや残されてなどいないのであります。だったら主要な発着駅などで休みがてらにチンタラと帰ってくるのが身体への負担も軽い気がするし、近くて遠いから行きそびれた町も改めて眺めることができるのは非常に楽しいことを知ったのであります。その近くて遠い町として近頃ハマっているのがずばり、大月ということになります。 富士急行沿線に沿う呑み屋街の路地に「居酒屋 桂川」はありました。この並びには閉業されたらしい「一平食堂」の他、カラオケが漏れ聞こえるのが惜しいおにぎり屋さんなどがあり、その並びの一軒がここです。ちょっと窮屈めな造りのカウンターと案外広々とした小上りがあり、女将さん独りで奮闘されています。多種多様な品書きは山梨というのを忘れさせるように魚貝類も揃っていて、しかもそれが大層美味しかったりするから嬉しい誤算というものであります。カウンター席は常連で埋まっており、しかし変に馴れ合ったりすることもなく適当な距離感を保って、行儀よく呑まれているのが好印象です。女将さんの調理は手早くて、凝った料理はないけれど、どれも―という程いただいていませんが―上等な家庭料理となっていて、あじ刺しなどは魚介料理を売りにする酒場などはやけに分厚い切り身だったりして、一切れ口に入れるともう結構となってしまったりするところを、薄造りにしてあってツルツルと喉を通るのが心地よいのでありました。何より地方の小都市の酒場は値段が高かったりするのがお決まりだったりするものですが、こちらは値段も手頃、いやお安くて近所にあって欲しいと思える良い酒場でありました。 続いては、駅を通り越して東京寄りの呑み屋通りにある「うづき 大月店」にお邪魔することにしました。店に足を踏み入れると他にお客もなく、これは失敗だったかと思わされましたが、われわれが席に着いて一杯始める頃には続々とお客が押し寄せてきて、案外奥に深い客席はあっという間に賑わいに満たされました。もともとは大衆食堂だったのでしょうが、すっかり呑み屋と化しています。女性3名がてんやわんやで調理や配膳等に駆け回っておられるのが、大変そうではありますが眺めていて大変小気味よく愉快なのであります。お三方はきっとご家族なのでしょうね。食堂だけあって、メニューはとても充実していてラーメンなどの食事系から中華まで何でもござれで、迷ってしまうけれど、手羽中を焼いたものやえび団子なんていうありそうでなかなか出会えぬ品を頼みました。手早く届けられたそれは酒のアテにぴったりでついつい酒が進んでしまいます。しかしまあ段々賑わってきたし、子連れ客も来られました。あまり長居して彼らの席を奪っては申し訳ない。このまま呑み続けるのも非常に危険なので、続きはまた今度にして引き上げることにしたのでした。 「かあちゃん」や「いけがわ」などの酒場の他にも「宝来軒」、「正華」、「大芳飯店」、「八仙」なんていう良さそうな中華飯店もあって、これはまた大月に来なくてはなりません。もちろん喫茶店もありますしね。
2018/09/11
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韮崎では、数軒の喫茶に立ち寄ることを予定していたので時間はたっぷりと確保しています。まあ、たっぷりとは書きましたがぼくがスケジュールを立てると、どうやら本来確保すべき滞在時間の半分程度の超過密スケジュールとなってしまうことが明らかになりました。明らかも何もそんなことはこれまで幾度となく経験しているのだからもう少しゆとりを持った予定を立てるべきと思うのだけれど、極力隙間時間を設定しないように厳格過ぎるものとしてしまい、その筋書き通りに行動することに途中で嫌気がさしてしまうということがしばしばあります。また、スケジュールに厳格であろうとする意志を持って出立したにも関わらず、途中で出会いがしらに酒場なり喫茶なりに遭遇してしまうとすぐに目先の欲望に忠実たらんとする出鱈目さもぼくの心性には同居しているのです。誘惑にまんまと引き寄せられて時間切れとなり、みすみす眼前に餌がぶら下がっていても泣く泣くスケジュールの軌道修正を図ろうとするからどうもうまくいかないのです。そんなだから同じ町を間を置かず繰り返し訪れるなんて事にもなるのであります。何度も同じ町を尋ねるのは構わぬけれど、そこが見過ごさざるを得なかったたった一軒にのみ魅力を放つ町であったとすると足が遠のくのも無理からぬことを拝察いただきたいのであります。 ともあれ、韮崎の駅から少し歩いた、店は少ないけれど歓楽街風のうねった込み入った路地の奥に「松葉家」というとんでもなく魅力的なラーメン屋がありました。無論、立ち寄るべきと歩み寄りのですが、無念にも午後2時から午後5時まで中休みとのこと。松本にどこかしら面影の似通ったお店があったのですが、中央本線の沿線沿いににはこうした渋い枯れた中華飯店が少なからず残されています。ここは日を改めてじっくりと堪能することにしましょう。 さて、どうしたものかと駅に引き返していくと、高架の先に暖簾がはためいているのが目に留まりました。近寄ってみると「勢峰食堂」とあります。幸いにも営業中のようです。駅の北側は再開発の波に浚われてすっかり面白味のないショッピングモールの類が立ち並んでいるばかりで散策する気力もないのでちょうど良い塩梅です。店内は、外観以上に懐かしい雰囲気に満たされていました。広い土間にテーブル3卓とゆったりした小上りがあります。殺風景なのが夏場は涼しげに感じられて火照った身体からスッと熱が解き放たれるようです。男女4名の中年グループが早くも顔を真っ赤に染めて呑みかつ大いに語らっております。大いに歓迎すべき状況でありますが、余りにも盛り上がっており気勢を削がれるほどです。餃子と親子丼の頭で呑むことにしました。ご高齢の夫婦が4人組の横暴かつ無茶な注文にてんてこ舞いとなりながらもわれわれの注文の事は忘れず、てきぱきと用意してくれたのは助かりました。それにしても彼らの良く呑むこと、そして良く食らうこと。この時間にこれだけ食べたら夜は何も入らないに違いないという位に、特に餃子を何度か追加で注文していました。確かに小振りで具の詰まった餃子は、見かけは余り良くないけれど確かに病み付きになる味であります。この店がこれ程に酔客が入ることも稀だろうし、これ程に賑わうことも久しくなかったのではないかと末永く営業が続くことを願います。 さて、久し振りに大月に立ち寄ってみることにしましょう。以前は中央本線で旅をすると、諏訪湖を過ぎると家までもうすぐだなあと思ったものですが、じきに甲府に着いてもまだまだかななんて感じるようになり、今では大月まで来ないとひと息吐けなくなってしまいました。旅の仕方も変わったけれど、時間の経過に対する感覚が世知辛くなっているようです。 まずは、「虎の子」にお邪魔しました。駅前の富士急行の沿線に沿って伸びる呑み屋通りにある古びてはいるけれど、まあごく有り触れたお店であります。思っていた以上に狭い店内にはカウンター5席程にテーブルが2卓、窮屈そうに詰め込まれていました。まだお客さんもいなかったので、テーブル席に座らせていただきます。どうやらこちらは焼鳥のお店のようです。適当に何種かを注文するとたっぷりの枝豆が出されました。塩気が強すぎるようにも思われましたが、一日汗をかきまくったので、良い塩分補給になりそうです。品書きを眺める限りではこれといった特徴もないように思われます。まあ適当に呑んだら席を立とうかとS氏に視線を送ると同じような感想を抱いたらしい彼からも同意の相槌が打たれました。しかし、しばらくすると、枯れた店内がパッと華やぐような可憐な女性が顔を覗かせ、お久しぶりです、また後で寄らせてもらいますと言い残して立ち去られたのでした。店主のことを何とも羨ましい限りと思ってしまうのであります。ずっと仏頂面の主人もまんざらではないようで、彼女が立ち去ると束の間ではありますが、ほくそ笑んだように見えました。引き続き妖艶は言い過ぎだけれど、妙齢の女性が立ち寄りまたも予約を入れて立ち去った。この主人は一体何者なのだろう。ぼくらに対しては最後まで不機嫌な表情を切らせなかったのだけれど、われわれに見せぬ一面をお持ちだとでもいうのだろうか。勘定を済ませる際にようやく最低限の言葉を発した主人には一見には見せることのない愛される何かがあるようでした。
2018/09/10
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さて、上諏訪駅での喫茶散策は前回し尽していて、その際の不首尾についてはすでに報告済みでありましたが、それがいかに誤解と偏見に凝り固まっていたかということを反省させられる結果となったのです。「シャルマン」は、酒場篇にて報告した国指定重要文化財の片倉館裏手の正面にあるお店。2階が店舗になっていて、その外観が素敵なのですが、なぜか写真を撮りそびれてしまいました。というかそもそもこの喫茶の事、前回の報告ではすでに閉店しているといったような事を認めてしまったかと記憶するのですが、大間違いでありました。よもやそれを信じてしまわれてしまい、上諏訪に行ったけれど素通りしてしまわれた方がいらっしゃったら大変申し訳ありませんでした。まだ老齢には程遠い女主人の方が溌剌と営業を続けておられました。写真からは見て取れぬけれど、2階からの見晴らしがいいということはありませんが、それでも高い場所に窓があると思うと気持ちまでさわやかになります。馬鹿と煙はの倣いではないですが、現実的にそうではなくても気分がいいものです。なんて地下なら地下で真逆のことをしゃあしゃあと述べてしまいそうではあります。店内も端正で、この上品な環境であればスナック営業をされているかはともかくとして立ち寄りたくもなるかもしれません。 次の「トミー」は、前回訪れた際には閉まっていて、その様子が現役感がいかにも希薄だったため、閉店しているのだろうと書いてしまいましたが、驚いたことに営業していました。またも過ちを犯してしまったのですが、列車の時間まであまり余裕がありませんので、急いで立ち寄ることにしました。こちらは外観から2階に店舗があると思っていて、実際にネット上ではそちらの写真を見ることができます。諏訪周辺では2階に店舗を造るのが流行ったことがあったのかと思いこんでしまいましたが、意に反して1階の喫茶室に通されました。ネットで見る2階の雰囲気よりもぐっとシックで枯れた印象があります。壁紙などは黄ばんだり褪色が目立っていて、店主と二人きりの店内にいると落ち着かぬ気持ちになります。しかしそれは時間の経過とともに薄れて、視界の外にはきっとご高齢の店主が控えているのだろうけれど、そんなことは意識から抜け落ち、ぼんやりとこの古いお店に佇むのがすっかり心地よくなり、危うく列車を乗り過ごしそうになりました。独りならそれも良かったかもしれませんが、同行するS氏は独り町を散策し、今頃は駅で待ち受けていることを思うと、急いで勘定を済まして駆け足で駅に向かうのでした。 続いては長坂駅で下車しました。駅前には早速数軒の喫茶店と改装されたようだけれど、それでも昔からやっているに違いない食堂があります。その先にはほとんどシャッター化した商店街があって、正面の大きなお店は夜になったら照明が灯るのでしょうか。そんな駅を出てすぐの左方向に緩やかな坂道があって、しばらく先に「お食事喫茶 みちくさ」はありました。食事とデカデカと記されているので、飲物だけで大丈夫かなと心配になりますが、店内の様子が紛れもない純喫茶風であったことで、これなら食事なしでも許されるなと安堵します。そんな根拠など何もないけれど、店の雰囲気で注文内容も左右される気がします。でも良くないですか、こちら。純喫茶のエッセンスが過不足なく配置されていて、尖がったところは少しもなくて、若干もうちょっとやらかして欲しいなんて贅沢を言いたくもなりますが、でも実はこの程度に控えめなのが実は良いのですよね。一軒、少し遠いけれど足を延ばしたい大衆食堂があったのですが、つい居心地が良すぎて長居してしまいました。 韮崎駅でも下車しました。駅のホームからは、巨大観音、「アメリカや」―ガラス張りの背の高い建物がそれです―、「居酒屋 小坊主」、「おかめ」が一直線に見渡せ、その絶妙な配置の愉快さについ、シャッターを切ってしまうのでした。ここでも数軒の喫茶店をピックアップしていました。駅の裏手の「ひよこ豆」からはカラオケの音声が響いてきました。「パブ金糸雀」は洋菓子店のようなので店名の如何わしさを見て見ぬふりしてお邪魔してみたら、奥にソファが見えます。どう見てもそこはスナックでそっと後ずさろうとしたら、昼寝でもしていたらしいママさんが眠そうな表情で出迎えてくれました。店内は想像にお任せします。そのすぐそばの路地にも「軽喫 秋月」と扉にありますが、これは「食」と「茶」が剥がれ落ちているだけで、「軽食 喫茶 秋月」が正しいのでしょうね。こちらはどこが入口だったのかすら判然としませんでした。 ということで、この旅の喫茶巡りでは想定していた喫茶にはフラれた一方で、思いがけぬ出会いがしらの喫茶との遭遇もあったりで、意外性に富んでいたので、短いながらも充実した感想を抱かせてくれました。
2018/09/09
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日頃、ちっとも自己主張を述べず、基本的にはこちらの用意した行程表を文句ひとつ言わず―ただし、沈黙により不満を表明しているらしいと察せられることが稀にある―付き合ってくれるS氏でありますが、この日は珍しくも希望を連絡して寄越したのであります。彼の存在はぼくにとって非常に大事な存在なのであります。何が大事かって、特に呑みの際に腹が膨れてもう食べれぬとなった場合でも踏ん張って肴の残りを平らげてくれるところにあります。呑みはまだ物足りずとも食は早々に限界に達することが近頃とみに多くなったから、これは有り難いことなのです。かくいうS氏も往年の食欲旺盛の頃と比べると大分健啖ぶりは影を潜めたように思われるし、特に脂っこいものを片付ける能力の低下が著しいように思うのです。それはともかくとして、S氏は自らの知恵を絞ってプランを立てることにはほとんど貢献はないのだけれど、物覚えの良さはなかなかのもので、以前上諏訪に来た時のことをしっかりと覚えていて、その際、立ち寄りそびれたとある食堂のことも忘れずにいたのでありました。ぼくの目論見では、下諏訪=>上諏訪=>茅野と中央本線を順番に途中下車することを想定していたのです。しかしまあ時刻表を調べてみると下諏訪=(上諏訪)>茅野=>上諏訪としてもさほどロスは生じないことが判明したので、急遽予定を組み替えたのでありました。そのしわ寄せとして茅野では目当ての喫茶店を逃してしまいましたが、多少の時間があったとして首尾よくそこに辿り着けたかどうか今となっては藪の中なのでした。 さて、これから向かおうとしているのは、「片倉館 食堂」であります。国指定重要文化財とのことで、実は、今回来るまで知らなかったのでした。立派な洋館なのは分かっていましたが、果たしてこんなところに庶民的な食堂があったりしていいのだろうかと最初は戸惑いました。迷ってる位なら突入せよと本館に足を踏み入れて靴を脱いでいると、係の人が姿を見せてくれたので、ここに食事ができる施設があると聞いてきたのだがと尋ねると、お隣の別館の受付で食事したい旨を伝えていただければいいということでした。なんと驚くべきことにその別館は千人風呂と称し公衆浴場として開放されているらしいのです。こんな見事な洋風建築でなんて大胆な利用方法だと驚きつつも今度こそは靴を抜いで2階へと見事な階段を上るのでした。この大浴場は未見ではありますが、映画『テルマエ・ロマエ2』にも登場したようです。さて、重厚な造りの戸を開くと、円柱のそびえる広いスペースの半分以上には畳が敷かれ、風呂上がりの老若男女が思い思いのリラックスした姿で食事をしたり、ビールの入ったコップを傾けたり、ごろりと寝そべっている方などもいます。つまりはゴージャスなスーパー銭湯の休憩室なのでありますね。こう書いてしまうと身も蓋もない気もしますが、やはり真正のクラシックな洋館で火気を用いる食堂を運営するというのは、歓迎すべき大盤振る舞いで、国の判断かどうか知らぬけれどこれは快哉を呈して良い事実だと思うのであります。こんな天井の高い空間でラーメン、餃子におやきなんて品を肴にビールを呑めるとは感動なのであります。火災には大いに気を配っていただきたいと思うのであるけれど、こうした建築というのは、もともと鑑賞されるためだけにあるわけじゃなく、実際に使われてナンボのものだと思うからぜひ日本各地に建つ古い家屋などでも実用に供していただくことを切に願うのでありました。今回は時間の都合で浴場には入れなかったけれど、いつか入浴からの飲食へと移行する黄金パターンを実行したいと思うのであります。
2018/09/03
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旅に出る日の朝は決まって早くなってしまいます。若い時分は泊まりがなければ旅ではないと、確たる理由もなく決め付けていましたが、今となってみれば具にも付かぬ思い込みであったらしいのです。らしいと語る時点でこの突然の心変わりめいた発言も甚だ疑わしいと言わざるを得ないのでありますが、ともかく見慣れ切って飽き飽きとした生活圏から一定期間の離脱を図り、家の事が気になる程度の時間を過ごした後に帰宅した時の気持ちなどを慮ったりするようであれば、それはもう旅のクライマックスなのであって、そんな気分に浸るにはまだ夜も明け切らぬ頃に家を出るのが肝要となると思っているのです。この日の朝も3時に起床し、4時半過ぎには自宅を出発、新宿駅からは中央線各駅停車、高尾駅で乗り継いで、9時には下諏訪駅に到着しました。当り前過ぎて左記には書かなかったけれど、一日のスタートを一歩二歩ばかりだけど先んじて切れるのも早朝出立のメリットであります。 旅に出る日の朝は決まって早くなってしまいます。若い時分は泊まりがなければ旅ではないと、確たる理由もなく決め付けていましたが、今となってみれば具にも付かぬ思い込みであったらしいのです。らしいと語る時点でこの突然の心変わりめいた発言も甚だ疑わしいと言わざるを得ないのでありますが、ともかく見慣れ切って飽き飽きとした生活圏から一定期間の離脱を図り、家の事が気になる程度の時間を過ごした後に帰宅した時の気持ちなどを慮ったりするようであれば、それはもう旅のクライマックスなのであって、そんな気分に浸るにはまだ夜も明け切らぬ頃に家を出るのが肝要となると思っているのです。この日の朝も3時に起床し、4時半過ぎには自宅を出発、新宿駅からは中央線各駅停車、高尾駅で乗り継いで、9時には下諏訪駅に到着しました。当り前過ぎて左記には書かなかったけれど、一日のスタートを一歩二歩ばかりだけど先んじて切れるのも早朝出立のメリットであります。 前回、諏訪を訪れてからまだ半年程ではありますし、実のところはその落穂拾いが今回の目的なのであります。一時に目当てを虱潰しするのも必要な場合があるけれど、諏訪位の場所であればその気になればいつだって来れるのであります。落穂拾いといっても今回は先般眺める暇もなかった諏訪湖方面に向かいます。諏訪湖というリゾート観光地に向かっているはずなのに駅の北側より退屈なのはどうした町の成り立ちなのだろうなどと思いつつ歩くうちに無粋なショッピングモールに行き着きました。ここに「Coffee たむたむ」なる喫茶店があるらしいけれど果たしてやっているだろうか。地方の町の喫茶店は決まって開店が遅いようです。観光地だからもしやと期待した下諏訪ですが、諏訪湖に向かう通りを歩くうちにその期待も眉唾に思えてきます。しかし、これまた誤算がありました。しっかり営業を開始されています。看板を見ると夜には「Snack タムタム」となり二毛作を慣行し、下諏訪の住民の娯楽や憩いの場を提供し続けているようです。内装はシックにウッディさを基調としており、単調に過ぎる嫌いはあるけれど、電話ボックスやトイレの案内板などにセンスの良さを感じます。少しもスナックっぽくないですね。また、屋外に向けて視点を移すとその逆光が差し込む眺めは素晴らしく、諏訪湖は見えもしないのにリゾートな気分にも浸れるのでした。 もう一軒立ち寄っておくことにしようと駅の北側に歩いていくと、やがて「喫茶☆スナック 夜」なんてこちらはいかにもスナックよりのお店があって、現役ではなさそうに思われます。その通りをしばらく進むと老舗洋菓子店「フレール洋菓子店」があります。岡本太郎が贔屓にしたお店とどこかで耳に挟みました。気の良い主人が出迎えてくれました。今年は暑いねえ、今朝もこんな朝なのにもう暑くて敵わないよ、お陰で洋菓子は売れ行きがさっぱりでねえ。その癖、戸は開け放たれて空調が効いていないのだから何だか可笑しいですね。店内には少しも秘密めいた様子もなく喫茶コーナーが設けられていて、これだけ見てしまうともう満足した気持ちになって、お土産に焼き菓子等を買い込むことにしたのでした。朝から汗だくになってコーヒーを飲む気分になれませんので。壁には岡本太郎を始め著名人との写真も飾られており、そこには昔の店舗の写真も写り込んでいて、それがとてもキュートなのが印象に残りました。そして何よりもご主人の朗らかさが心を和ませてくれて、またぜひ立ち寄りたいと思うのでした。その時までご健勝ならんことを祈念します。 下諏訪駅から中央本線で茅野駅に引き返しました。上諏訪駅でS氏と合流する予定となったので、時間調整が目的です。「琥珀」が目当てだったのですが、探せど見つからず諦めて駅前のテナントビルの2階にあるファミレス風喫茶店に。帰宅後調べると懸命に探索した「琥珀」ですが、事前の調べとは全く見当違いの場所にあることが判明しました。まあそのお陰で茅野に今でも住んでいる友人の元を昔訪れた記憶が蘇ったりして無駄な寄り道とは思っていません。しかし、この町はすっかり様変わりしてしまったという印象です。さて、「モン蓼科」は、店内が丸見えなのですが、実際に身を置いてみたら良いという場合もあるのでとりあえず立ち寄ってみましたが、外から眺めたまんまの印象でした。なかなかいいのだけれど、どこか素っ気ないんですね。それでも喫茶店好きだった茅野在住の友人―彼の喫茶店好きは古風にも決まった喫茶店に通い詰めるというスタイル―にとっては、貴重な場所かもしれぬといつかの再会の時の土産話に取っておきたいと思います。 再び中央本線の下り列車に乗り込み、上諏訪駅に。改札を出て合流すると、早速駅前の呑み屋街に付き合わせることにします。「スナック & 喫茶 ポケット」(店名にあやかってかカンガルーが描かれていて、これがとても可愛いなあ)、「喫茶 スナック まり」、「レストラン コスタリカ」、看板には「珈琲茶館 琥珀」なんて標記もありますが、いずれも店を畳んで久しいようです。
2018/09/02
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本当はくたびれたので、このまま帰京してしまうつもりだったのだけれど、この時は列車に揺られていることにこそ疲労したのだから、熱海駅を発車したばかりではあるけれど、そういえば真鶴駅には下車したことはあるけれど、呑みのために降りたことはなかったなあと、立ち寄ることにしたのでした。せめて必ずと行っていいほどに乗換えを余儀なくされる小田原駅まで行っておけば随分と後がラクなのですが、思いついた時が降り時です。でもホーム上から駅前を眺めてみても、うーん、呑むとこが果たしてあるのやら。そんなどっぷりと夜も更けた駅前の灯りの方に中年グループがゾロゾロと群がってきました。これはきっと呑み終えた客が店の前に集まりだしたとかろだろうと思われたので、踏ん張って改札を通り抜けると、さらに地下道を抜けてみると、数軒の酒場があったのでした。これはもうどこでもいいから入るしかない。もとより選択肢は少ないし、見るからに好みの店は一軒しかありません。先のおぢさんたちもそこから出てきたようです。 真鶴の数少ないお店、「富士食堂」にお邪魔することにしました。これは思わぬ拾い物かもしれぬと戸を引いてみると、なんともはや多くの客が賑やかにそして実に楽しげに呑んでいたのでした。てっきり、団体が帰ってしまいぼく独りが迷惑がられつつ呑む羽目になることを心構えていたので、安堵と興奮で弱った胃腸にも活力が少し戻ってくるようです。カウンター席の一席に腰を下ろし、さて何にしようか。酒こそすぐに頼んだけれど、肴はどうしようかしら。焼鳥などの定番だけでも相当な品数があるし、古びた食堂らしからぬオリジナルな料理も少なくなくて大いに迷わされる事になる。酒場なんてのは焼鳥、お新香でもあれば事足りると日頃はうそぶいてみせるので、さも迷惑かといえば少しもそんなことはないのであります。むしろ、旅先で独りだとあれこれと悩む時間が案外いい時間潰しというか、愉悦の時間となるのであります。もう大分前のことなので頼んだ品のさべてを覚えてなどいないけれど、ホタルイカのペペロンチーノ風は、物凄い分かり易い料理なのだけれど素材のバランスが良くて大変に酒が進む一品となっておりました。高齢の夫婦でやっていると思っていたこのお店、実は若い夫婦がメインとなってキビキビと少しも手を休めることなく大活躍していて、見ていて気持ちがいいし、カッコもいいのです。若主人の料理研究の熱心さと若女将の溌剌とした応接は、世の多くの酒場の手本となるべきかも知れぬとさえ思うのです。お隣の老人は先代からの常連でほぼ毎夜のように歩いて十分程の道程を通ってこられているそうです。ここで呑んでると飽きることがないよ、酒も肴も何でもあるし、あんたみたいな通りすがりのお客さんと話をしてると毎日が愉快だよ、と全くコチラが羨むような事をシャアシャアと仰るではないか。でも終の酒場をここと決められるというのは本当に幸福なことです。ここなら地上げで追い出される心配もなさそうだし、店の方もまだまだお若い。そんな酒場をぼくも見つけておいた方がいいかもなあなんて、まだ当分先のことを思い描いてみたりするのでした。
2018/08/15
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掛川にはここ数年で2度訪れており、その主たる目的は喫茶巡りということで、そんな中で訪れた「喫茶 アカシア」は評判に違わぬ、というか事前に確認していた写真から思い浮かべていたどんな景色よりも遥かなユニークさで迎え入れてくれ、激しい衝撃を受けたものです。その感動を語ってみせるのは、ぼくなどでは役不足であり、もっと喫茶批評の言葉を自在に操れる喫茶の女神に見込まれた方にお譲りすることにしたいのであります。いきなり喫茶巡りの話を始めてしまうと、喫茶篇は前回で済んだはずなのに今更何事だとお叱りを受けかねぬのですが、そうした理由からそうはならぬのでご安心ください。今回訪れたのは、掛川の古い酒場が酒場放浪記に登場していることを知ったからであります。掛川という町は都内からの旅行者としては、なかなかに取扱いの厄介な場所であり、泊まるには近過ぎるけれど遅くなってしまうとさすがに普通列車で帰京するのはちょっとならず結構ツラいものがある。まあ、この感想については、三島や沼津に時折宿泊しているではないかとか、そもそも新幹線を使えばいいだけではないかというツッコミようはいくらもあるけれど、それにはわさわざ答える事はしないのだ。肝心なのは、であればどうして立ち寄る事にしたのかということであります。それには的確にお答えすることができます。この酒場は旅行者には有り難いことに昼下がりから営業を始めてくれるのです。純粋な酒場がこの時間帯から営業してくれるというのは、地方の小都心としては珍しいのではなかろうか。それが実態に即しているかはともかくとして、これから訪れる酒場はそうなのだからとりあえずはぼくにとって好都合なのは確かなのであります。まあこのお店の開店が早いのは旅行者への配慮などではないのは疑う余地はありません。 しかしそうは言っても触れ込みと実態が違っているなんてことは少なからずあるもので、行ってみたらやってなかったなんて事で文句でもつけようものなら事前に確認せぬのが良くないのだと言い返されるに決まっているし、それはそうだとぼくも思うのであります。しかし、世の中の呑兵衛なんてのは決まって我儘なものなのだから、口には出さずともそんな目に三度も合うと、よほどの執着を呼び起こす位の誘引力のない酒場には見向きもしなくなるはずです。ぼくにも実際そういう酒場が何軒もあるのだ。歩き慣れたという程ではなくとも見覚えのある通りを進み、やはり見覚えのある路地に入ります。路地というのとは違うなあ、ぼくのイメージする路地にはもっと情緒があって、ドラマチックな小路であるのに対して、「酒楽」の小路にはそうして物語など微塵も浮かび上がってこなのであります。店の構えも何とも愛想がないのであります。酒場など元来は酒が呑めさえすれば成り立つものであって、風情がどうのとかいうのは客の店側への過大な要求に過ぎぬのです。しかし、酒呑み以上に我儘なのは旅行者であります。地元ならば雰囲気などというエモーショナルではあるけれど、酔うまでには至らぬものよりは多少殺風景でも実利の伴う方を選択するはずです。旅先だとどうか、普段の行きつけの店と似ていたりしたら傲慢にもつい不満を漏らしてしまうのです。なんて事を思ってみても仕方ない、来た以上は入るべし。そこに待ち受けていたのは民芸調の、しかし少しもわざとらしくない酒場の理想的な空間だったのだからぶったまげるしかないのだ。この外観と内装の落差の激しさは酒場のそれではない。喫茶店にはこの意表をついた差異がたびたび見られるけれど、酒場でそれは極めて稀なことに思えるのです。いや、新潟など海の近い町の酒場には飾り気のない箱をそのまま据えたような酒場が一歩立ち入ってみると思いがけぬ枯れた美しさを見せてくれることがあるようです。ともかく既にして昼の世界から暗い店内のおかげで夜の気分へと移行したぼくは、珍しくも地元の海の幸―特に片口いわしだったかな、が有難かった―をゆるりと摘みつつ、呑むのでありました。知った風に静岡割下さいと頼むと怪訝そうな表情を浮かべる強面の店主も海の町の男という感じで嫌いじゃなかったなあ。今度来たときにはちゃんとお茶割と言って注文します。
2018/08/14
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それなしても豊橋という町にはなんと大衆食堂が数多くあるのだろうか。自明なことなので語らず心に留めおいても良いくらいであるけれどこれが喫茶店であれば、コーヒーなんかの飲料を飲めば済むけれど、さすがに食堂で飲み物だけという訳にはいかぬのであります。大衆食堂も喫茶店も日本人の多くの人が必要としているのは間違いなくて、食堂だけでなく牛丼屋やラーメン店にカレー屋など大衆食堂が一手に引き受けていた食事が細分化されチェーン展開されているし、コーヒーショップもそうであります。なのになぜか人々はどこに行っても代わり映えせぬチェーンを目指すのか。まさにどことも変わらぬという点にこそその答えはありそうであるけれど、そればかりでない気もする。その適当な答えを用意していないからここでは答えは留保させてもらいます。しかし、ぼくもその末席を汚す程度には通っていると思いますが、古くから続く大衆食堂を愛する方が少なからずいるものです。しかし、それは絶対的に少数派に過ぎぬのであるから、細やかだけれどもぼくもそれに微力ながら加担させて頂きたいと思っています。ひとつお断りしておくと、ぼくの食堂巡りを牽引するのは店の構えだったり内装という端的には食事以外の点に向かうという異端的な立場にありますので、大方の人が興味を抱くであろう食レポは立派なものが多くはありませんがネット上にありますので、ぜひそちらを参照してください。 さて、「勢河本店」、「富本食堂」、「良味屋」、「平和食堂」、「やまに食堂」と垂涎のお店が目白押しでありますが、「勢河本店」、「良味屋」以外は閉まっていました。であれば「良味屋」は行くのが結構難儀な場所にあるのだから入っておけば良かったと今さらに後悔に忸怩たる思いを抱くことになるのでした。 でも、というかそれもこれも豊橋電鉄東田本線の東田駅からそばの食堂こそが最大の目当てであったからで、電車を使えば大したことのない距離ですが、自転車で向かうと相当にキツいはずです。少なくともいい齢したおっさんには非常に辛かった。緩いけれど、アップダウンがあるのに加えて、気温も時間が経つごとに上昇するのだから分かっていただきたい。そんな悲願の「音羽屋食堂」にようやくに辿り着いたのですが、無情にも店は閉ざされたまま。もしや閉店されてはいまいな。実物を見ても感動は高まるばかりです。しかしこうした場合のぼくは割り切りが早いのです。未練たらたらと待ってみたところで、営業を始める様子はないのだから、とっとと次の行動に移るのが正解だとなんだかんだと後ろ髪を引かれつつ、たまたま自転車で通りかかった際に見掛けた食堂へ戻ることにしたのでした。 改めて見返してみると「宝来亭」のすばらしさも負けてはいないなあ。もしかすると店内のカラーンとした開放感―いや閉鎖された室内に解放感というのは矛盾があるけれどなんとなく言わんとすることはお分かり頂けると信じたい―と古いけれど清潔を保っている内観の洗練度は先の食堂を凌駕するようのではなかろうかなんて悔し紛れに言ってみたりする。実際、昼のお客が捌けて独りでこの広い空間を独占することの多幸感は何物にも代えがたいのでありました。誤解を覚悟の上で断言しますが、この旅でもっとも幸福なひとときでありました。厨房では高齢のオヤジさんが調理しているのが時折見え隠れしています。その娘さんでしょうか、とてもにこやかで素敵な女性が応対してくださいました。そうそう書き忘れていましたが、基本的にこちらはトンカツが主力のお店で、やはり食べぬわけにはいかぬだろうて。ご飯抜きの単品で頂けるのもぼくにはポイントが高いのであります。ご飯抜きでも値段が変わらぬならセコいぼくは無理してでも食べてしまったことでしょう。トンカツはカラリと挙がっていて、全然脂っこくもなくさっぱり頂くことができました。外観はかなり怪しいですけれど、ここはぼくの経験した食堂でもベスト級のお気に入りとなりました。また、ぜひ来たいけれど、他に誘惑も多いからなあ。ホント、豊橋でのランチタイムは誘惑が多すぎます。
2018/08/13
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これにて、今回の旅の喫茶巡りは完了です。丸二日でこれだけの喫茶店を駆け巡ると、さすがにしばらくは喫茶店は結構という気持ちになります。喫茶店なんてコーヒーなど飲みながらゆっくりと寛ぐ場所でしかないと考えれば―というか、多くの人はそう思っているのだろうな―、飽きるとかウンザリするとかいう対象にはならぬと思うのであります。しかし、喫茶店を審美的な視線で眺めるという悪癖を身に着けてしまった者にとって、都内の下手な喫茶などは幻滅するような場所なのであり、そんな場所にいるのは苦痛とさえ思えるようになるのだから、人を洗脳することなど実のところ容易なことだとすら思えるのであります。それはともかくとして、夏の休暇を有効に活かさんとして躍起になってこのブログを書き留めている内に計算が大いに狂ってしまい、明日以降、3回分の酒場篇をアップすることになってしまったのであります。ぼくの計画性のなさを失笑とともに容赦いただければ幸いなのです。 さて、明日の酒場篇で立ち寄る食堂で体力を回復したぼくは、またも懲りずに豊橋の市街地を駆け巡るのでありますが、今度は駅前の狭いエリアに限定したので、ペダルを踏む脚も軽やかなのであります。しかしいかに元気を取り戻そうと喫茶店はほとんど空いていない。つい、お土産でも買おうと「マッターホーン 本店」に入ってもみるけれど喫茶としてはどうでもなかったのであります。ぼくのどうでもなかったが実際の客の入りとは無関係であることは先に言い訳しておいたけれど、やはり大変な入りであったのであります。 そのそばの「喫茶 フォルム」の存在は確かに認識していて、その余りの洗練された雰囲気に気圧されて、つい入店を躊躇ってしまったのですが、それは当たってもいたし、間違ってもいる。一貫していたのはここに来る客は、独り客ばかりであったということであります。いや、たった三人がそれも入れ代わりで3人だからそう決め付けるのは早計の誹りを免れぬけれど、やはり基本的にレジの前でPCをに見入る店主の孤高の存在感はそれを補完するかのようです。黒を基調にした店内は大人のシックさというよりは、むしろ若気の至りという邪気が放たれているようで、少しばかり青臭くて気恥ずかしさを感じる程です。でもねえ、やるならこれくらいの事はやってもらった方が客としては有難いのであります。不徹底な気取りは醜いだけだけれど、徹底的にやり切っての瑕疵というのは不思議な事に爽やかな気分をもたらしてくれるものです。という意味ではコチラはまだ若干徹底さを欠いている気がしなくもないと思うのです。店主の存在が際立ちすぎることにこそその所以があるのではないか。店主はすぐにでも黒子の装束もしくは忍者のいでたちを取り入れる事が急務ではないか。それかもしくは、存在そのものを店に置かぬかという選択が迫られているのたと思うのです。そうする事で、初めてカップの中のコーヒーは真の黒さを獲得し得るかもしれません。 さて、ついでに入りそびれたもしくはお休みだった喫茶店を備忘の為に留めおきます。実際に振り返って眺めることなど皆無なのですけど。「デュエット」、「ボン」、「カチカチ山」、「キャッツアイ」、「喫茶 彩」、「オカダ」、「ボンボン」、「パーラー アサヒ」、「オーテ」なんかがありました。 さて、次は番外篇。静岡の掛川で駅前の「ポップコーン」にお邪魔しました、常日頃、喫茶店はいくら店内の様子がガラス張りで筒抜けに見えても入ってみないと分からないと申しておりますが、ここに関してはそのギャップは皆無の極めて明朗なお店でありました。
2018/08/12
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さて、この旅もようやく終盤に差し掛かりつつあります。とか気楽を装っているけれど、実のところはこれからが佳境なのであります。というのもGWだというのに既に日差しは初夏を飛び越して真夏のような眩さなのです。この時、この夏は暑くなりそうだなんて呑気に思っていたけれど、これを書いている現在ではそれが少しも嬉しくない予感であった事を思い知らさらているのです。それなのにレンタサイクルなんて借りてしまったのですね。レンタサイクルで豊橋を駆け巡ろうという安直な思い付きに囚われてしまい、やめときゃいいのに実行してしまったのでした。もう若くないのだから余りセコセコと駆けずり回ると身体に響くなんてことは身を持って経験しているだろうに。どうも狡い根性は容易には変えられぬようです。レンタサイクル屋のおぢさんに緩いけれど坂が多いよの言葉にたじろぎますが、臨機応変に対応する能力が欠如しているのだから致し方ないのだ。ここまで書いておいて、ようやく似たような事を前回書いたことに思い至るのです。 駅の南側をひたすら東に向かってペダルを漕ぎ続けます。ここら辺からはほぼ豊橋鉄道渥美線に沿って自転車を走らせたのですが、めざしているのは愛知大学の豊橋キャンパス方面なのです。途中「ハッピー」というちょっと感じのいい喫茶店に出会えたのはこの先の空振りの虚しさを思うと大いに歓迎すべき僥倖なのでした。街道沿いの喫茶店だから過剰な期待は無用でありますが、それでもこちらの構えとか内装とかは町中にあるそれのようにこぢんまりと落ち着いていて、ゆったりとはしているけれど、落ち着けるかというと幾分かの躊躇の後にちょっと違っているなあと答えるであろうファミレス系とは一線を画しています。暇な日曜日の午前をこの店で過ごせたら、休日気分が増幅されるような気がします。いや、実際そう思っているお客さんが多いようで、ひっきりなしにお客が訪れて途切れぬのでした。 愛知大学周辺でも何軒かの喫茶店を目にしましたがいずれもやっていません。この日は土曜日だったからやっていても良さそうなものだけどなあ。そうか、忘れかけていたけれどこの日はGWの序盤だったのでした。名古屋駅が余りにも休みとか暦に無頓着すぎるのだろうなあ。この語豊橋駅方面に引き返しますが、状況に変わりはなし。 でもこの有名店はやっていましたね。ダメ元で一応入ってみたら案外あっさりと通してもらえました。「ホットケーキと珈琲の店 三愛」ですが、それにしても少し外れにあるにも関わらず、驚くばかりの賑わいです。表にはほとんど人通りもないのにね。ホットケーキを頂くべきなのでしょうが、内装を見てしまった―ネットで何度か見ていたけれど、どうもぼく好みではないのでした―以上はもう興味の対象となり得ぬのでした。なんて、いつかホットケーキのユニークさに刮目させられたりしたら、何で食べて置かなかったのかと歯がみすることになるかもしれぬけれど、その時はその時のこと。 ホットケーキでお腹を膨らますのを回避したかったこともあるけれどそれ以上に待たされるのが嫌だというのが真実に近いかもしれません。なので、甘い香りを嗅がされては甘味に気持ちが傾くのも無理からぬことなのです。なので、純粋な喫茶ではないものの類縁関係には該当するであろう甘味処を目指すことにしたのでした。というのは順序を意図的に改ざんしているのであって、本当はさっき通った際に開店準備中であることを確認済みなのでした。豊橋市民御用達の「甘党トキワ」です。さて、どうやら開店したようなのでフラッペでもいただくことにしよう。宇治クリーム氷を奮発しました。なんてアイスクリームが乗って280円とお手頃価格がうれしいなあ。外観の渋可愛さに比すると店内は無愛想な感じもするけれど、これぞ昔の飾り気のない甘味処という感じで、都内でよく見るライトな民芸調のムードとはまた違って、ひなびた観光地のくたびれた食事処のようです。薄暗い店内の涼しさと氷の鮮烈な冷たさで一気に火照った身体がクールダウンできました。 せっかくクールダウンしたところですが、豊橋電鉄東田本線の東田駅まで自転車を走らせるとまたも汗が噴き出してきます。目指したのは今行きたいお店の片手に入る食堂だったのですが、生憎お休みのようです。そちらの写真は酒場篇にて公開予定なので、お楽しみに。なんて有名店だからもったいぶる必要もないのですが。手ぶらで帰るにはここはいかにも遠かった。 なので、目と鼻の先の「マミー」に入ってみることにしました。なんてことのない住宅街型の落ち着いたお店です。よくよく見ると家具の配置なども均整がとれバランスも良い感じで、開放感がありながら適度に客同士の視線が交錯しないよう配置されていて、近所の奥様方が昼下がりの退屈を紛らすのには使い勝手が良いお店と思えました。
2018/08/05
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今回は岡崎における喫茶巡りの失敗について、今後、似たような酔狂を計画の方に向けて書き残しておくことにしたいのであります。岡崎はさすがに喫茶王国、愛知の誇る都市の一つであるだけはあって、酒場の決定的な供給不足に対するようにそこら中にある事がひと回りしてみれば分かるのでありますが、それでも闇雲に歩いただけでは思ったより遭遇率は低いのではないかと思う。まさにその点にこそ今回の岡崎散策の不調の原因が潜んでいたのでありますが、それは後々明らかになることであろう。 などと大家風に偉そうに語り始めましたが、この朝の一軒目には容易に辿り着くことができました。向かったのは「カフェ&ランチ いまじん」で、昨日は昼下がりだというのにすでに店が閉まっていたので、なんとなく出直してみたらやっていたのです。アルミ製なのか何なのか素材はよくわからぬけれど銀光する扉を入り口と思って開けてみたら、何とそこは客席の裏側で開け放つとすぐに凄まじいつんざくような雄叫びがぼくの鼓膜を激しく襲うのであります。まあそれはビックリするよなあ。昔二時のワイドショーだかで、冷蔵庫と台所の壁の隙間から声を掛けられるっていうのがあったけど、似たようなもんだからねえ。済まぬ済まぬと丁重に侘びつつ、正しい入口に向かうと、そりゃそうだよねという入口が待ち構えていたのでした。前の日の記憶がぼくの早計な行動をもたらすに至ったらしいのです。さて、店名は何だか微妙な感じもあるけれど中に入るとおやまあなかなか良いでないか。洗練は少しもされていないけれど、なかなかに個性的な装飾が恥じらうぼくを優しく迎え入れてくれるのでした。昼間に見た店は陽の光などとは無縁に思われましたが、実際には強烈な日差しが差し込む店内は案外に心地良くて、贅沢なモーニングともども好感が持てるのでした。しかし、それも豊橋のモーニング攻勢を浴びてしまっては、感想を異にするのでした。 さて、膨満感で早めに投宿した昨夜のぼくは遅まきながらネットにて情報収集に勤しんだのでした。なんて事はなかったとは言わぬけれどそれなりに再リサーチをしたところ、ぼくがとんでもない過ちをお貸していることに気付かされます。ここでは名を挙げぬけれどその審美眼に一目二目置いている愛知在名のお方のブログを眺めてみると、どうやらぼくは見当違いをしていたようです。いや、見当違いではなく素直にその方の審美願を信じておけばよかったのであります。なので引き続き「フロリダ」に向かったのでありますが、ここはどうやら食事メインのレストランらしいからまだやってなくても仕方がない。前日、随分歩いたけれどここを通らぬのは緩く半袋小路化された川っぺりだったからであります。こうした場所は大体においてぼくの盲点となるのであります。 そして、岡崎の本当に必見のお店はそのお隣にあったのでした。「カフェレストラン 丘」と書くと喫茶マニアであればきっと注目して然るべき店なのです。ぼくもネットで改めて見てみるとこんなデタラメで過激な店に岡崎到着後に何はさておき駆け付けなかったことが悔やまれてならぬのであります。しかし、これもまた喫茶巡りの面白さであると得心させることに腐心することになるのです。お気づきの方もおられると思いますが、前夜の最後に立ち寄った居酒屋で爺さん兄さん、皆が口々に上げたのがこの店です。ある方は純喫茶とはああ言うものだと述べていたがそんな事はなかろう。写真の強烈な印象を記憶していなかったぼくはもしかすると喫茶マニアとしての素養が欠如しているんじゃないか。 傷心を携えて豊橋に移動することにしました。豊橋は青春18きっぷでの辛い旅の最中に立ち寄る定番の休息地になっています。だからあちこち行ってはいるけれどまだまだ奥深いらしいことが判明している。なので今回はレンタサイクルで豊橋を駆け巡ることにします。 最初に向かったのが駅の南口をひたすら南下した「のんのん」というお店でした。すでに疲労は相当溜まっていますが、遠隔に向かえばどうしても戻らざるを得ないという、その最後っ屁のような気力を振り絞ることになります。ようよう辿り着くとそこはいかにもなスナック系喫茶です。外貨屋を眺めれば郊外型の喫茶と見て取れそうですが、周辺がすべてスナックなのだからここだけが例外と見るのは無理がある。そしてやはりというべきかステージまであるカラオケのお店だったのです。いやまあかつて恐らくは純喫茶だった時代の名残はあるけれどそれも希薄です。ご近所のオバサマ達が集うそこはぼくの思い描く喫茶とは少しばかり、いや少なからず異なるのでした。でもそれでもここで気付くべきであったがモーニングの安さとゴージャスさはそういうのが好きな方に堪らないのだろうななどと悠長に思えるのはここまでなのでした。
2018/07/29
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東岡崎では、喫茶運に恵まれなかったようです。それもこれも事前のリサーチが至らなかった事に主たる原因を見いだせるのですが、それは帰ってからようやく知り得るところになったのでした。行っておくべき店は見過ごし、既に店を畳んだ喫茶に執着し、後回しにしても良さそうな店に頓着する余りに肝心な店を取りこぼしてしまったのです。それは実際に少なからずやらかしてしまう失態の典型的な事例であります。もはや当分は訪れる事もなかろうと決めて掛かり、欲をかいてしまうという欲深さと節操のなさでこれまでいかほどに後悔したか、計り知れぬのです。なのにだからといってその性癖は少しも治りはしないのです。ぼくという人間には、ハナから反省を教訓に転嫁するという能力が徹底的に欠如しているようなのです。そもそも少しとして後悔などしておらぬのではないか。人はぼくという人物を冷淡(なのに感傷的!?)と喝破する、皆が皆そうであるとは言わぬけれど少なからずそうした言葉を突き付けられることがある。確かに冷淡とは少し違っているけれど、過ちを犯しても夜が来ればあっさりと忘れたように振る舞うことができるし、悩みで眠れないなんて事もまずないのです。目指すべき酒場なり喫茶が閉店していてもまず心に去来して、感情として発露するのは悲しみより苛立ちなのであります。なんでこんな話になったのだ。話を東岡崎の喫茶巡りに戻します。 気になっていた「珈琲大学 チャーム」はカラオケ営業中。こうした正統派の喫茶すらカラオケで稼がないとならない時代になったとはつくづく物悲しいことです。さこにDAMの看板があるから見て見ぬふりをしてきた元喫茶が一体何百軒あったことでしょう。その中にはきっと少なからず雰囲気のいいお店もあったに違いないと思うと悔しくて仕方がありません。 そのお隣の「珈琲館 ダンケ」にはカラオケの文字は見当たりません。似たタイプのお店が平然と横並びにあるのが喫茶王国の面目躍如というところでしょうか。外観のシックさから過度期待を持ちそうになるけれど、余計な期待など持たぬのが身の為と分かってはいる、いるのだけれど無心にて臨めるほどには人間が枯れていないのであります。だからもうあえて想像を限界まで膨らませる事にしました。膨らませた想像と実体のギャップを楽しむという年齢としては高度な技を駆使するのです。そしてその想像は、期待半ば、想像半ばのどっち付かずの曖昧さとして現前したのでありますね。これが実際最もガッカリするパターンなのだ。一人も客のおらぬ静かな店内で、どうも座りが悪くて程々に席を立つことになるのです。 ここ「珈琲園 亀屋」は、亀甲紋の看板で和風を想像しがちですが、ぼくはオーソドックスな内装をイメージしました。その想像は寸分違わずなどとは言わぬけれど、ほぼギャップのない端正な政党的な喫茶なのでした。これもまた非常に残念なパターンでありますが、こういうのが好きな方なら満足できるのではなかろうか。 正直、「和風喫茶 さぶりな」には、色んな意味で裏切られたのです。和風を冠することにどうした拘りがあったか知らぬけれどこれの何処に和風を見い出せば良いのだろうか。色んなと書いたからにはいくつかの裏切りを述べねばならぬであろうけれど、それは一切合切放棄するのだ。でも和風喫茶を標榜しながら、全体少しも和風らしくないお店って結構あるのですよね。ピンクの安っぽいソファが決まってあるのも案外定番化しているようにも思われ、もしかするとこれを和風と解せぬぼくにこそ問題があるやもしれぬ。そうそう帰ってから知ったけれど、ここのマッチ、凄い可愛いのね。なら面倒がらずに貰っておくのだったなあ。 こらは、何だ!? 「和笑」なんてお店、少しも記憶にないぞ。(と写真を貼りながら思い出した。駅前ビルの2階にあったお店です。以前とは店が変わったようですが、未だに当時の趣きは留めていて、案外悪くなかったなあ)。「かふぇ・あんだんて」はスルー、カフェを名乗るからってその実情がカフェでない場合だってあるのにね。「木馬」にこそ執着したのだけれど、どうもここは閉店して久しいらしかったのです。
2018/07/22
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いつまで続ければゴールに辿り着けるのか、見切り発進で始めた今回のレポートですが、名古屋を出た後に向かった東岡崎のことをこれから書くという段階に至って、俄にゴールが迫っていると感じます。まだまだ先は短くはないけれどようやく愛知県民でもないのに愛知県内の喫茶や酒場のことばかりを書いているのは正直難儀なのであります。喫茶レポートを装った町の情報を並べ立てる事でそれなりの文字数を稼いでみたりという小技とも呼べぬ、むしろ本来の意図を放棄したインチキを弄するのはマナー違反というよりは誠意に欠くと分かってはいるのです。記憶にはもとより自信はないし、仮にあったとしても写真というものの真実の姿とは異なっているに違いないとしても、その現前感というか生々しいリアルのようなものには太刀打ちのしょうもないのであります。名古屋には記憶には薄いけれど住んだかともあるから、それらしいエピソードや地元情報を交えてみてもそんなには罪深くはなかろうけれど、やはりそれは出来ぬと思う程度の嗜みはあるのです。 さあ、いよいよ東岡崎を散策です。名古屋はぼくには巨大すぎる町で、どうも腰が据わらぬのです。中村の辺りはそれでもまだいくらかは田舎じみたところもあるから何とか耐えられるけれど駅に引き返しただけで拒絶反応に見舞われるのであります。逃げるようにして、東岡崎駅を目指したのですが、正直ホッとする一方で余りのギャップの大きさに戸惑わされたのです。大都会から地方の小都市への激変に精神が付いていけていないようです。実際久し振りというのには歳月が経過し過ぎていて適当ではないのですが、ボンヤリと記憶にある東岡崎よりもずっとスッキリと整備されているように思われます。駅前こそ多少はゴチャゴチャしているけれど後は整備された町並みが広がるばかりです。川と城がなければここがどこか他所の土地と言われても信じていたと思います。ともあれ、まだ昼過ぎでしかないのだから時間はたっぷりあります。この夜の宿のチェックインにすら相当の時間があるからとりあえずはホテルを目指すように周回することにしました。 川を渡ると早速「喫茶 ミニ」を始め、ネットなどで見知った喫茶店がありました。そこからしばらく歩くと「喫茶 軽食 コロンボ」もありますが、営業していませんねえ。結局東岡崎では同様の事態が続いてしまうのです。町も人通りは疎らだし、それ以前に商店や飲食店なども現役というオーラが感じられず、その割に不気味さというか場末感といった淫靡な雰囲気も微塵もなく極めてあっけらかんとした、失礼な言い草ですが明るいゴーストタウンのようです。こんな町並みだから町を歩く足取りも自然と重たくなるのです。 それでも事前のリサーチを捨て置く気にもならず惰性のように喫茶の痕跡を辿るのでした。「珈茶屋」は街道喫茶とでも言うべきオオバコのファミレス風喫茶でありました。こういう店は型に嵌めたかの如くの単調さが大型の特徴で見なかった事にしたいところですが、昼寝をするにもまだまたホテルのベッドは用意されていないのです。ところが入ってみると黒を基調にしたシックで見所の少なくない思いの外にユニークなお店でした。事前のメモには全く別の店名が記されていたから内装をそのままに居抜いたか、店名のみを変更したのだと思います。今の時代にこれ程に無駄で愉快な遊びを施す店主や職人はそうはいないと思うのです。思い掛けぬ眼福に勢いをもらったかというとそういう事もなくしばらく寛いだ後に酒場篇で報告済みの2軒を巡ったりして取り敢えずホテルにて一憩を取ったのでした。 夜行バスで早朝に到着してから休む事なく―喫茶店で休んでばかりと言う事なかれ、そんなにゆっくりとは出来ていないのです―動き詰めだったから余りリラックスし過ぎるとそのまま寝落ちしかねません。なので退屈なホテルでそこだけは魅力的な場所であるベッドの誘惑を何とか振り解き、旅装を解く程度でまたも町に飛び出します。 ホテルの近くには「あっぷる」がありました。ここはシックだけれど生真面目すぎて少しばかり物足りない印象をしかぼくにはもたらしませんでした。生硬さは安心と寛ぎを与えてくれはするけれど、旅の最中に立ち寄るには少しばかり刺激がたりないようです。それにしても独りとしてお客さんがいないのはやはりさびしいものだなあ。 「coffee shop 仙」は、先のカウンター喫茶とは異なるタイプでテーブル席がメインのお店ですが、こちらもまた似たような生真面目なお店でいささかに物足りなく感じました。異なるのは先の店と異なり非常に繁盛しているところです。もうほぼ満席の混み具合で、やはり奇を衒ったようなお店は好事家にとっては愛でる対象ともなり得るし、その方が気分も大いに高揚するわけでありますが、この高揚するというのは、そのそも本来的な喫茶店との利用の仕方には相容れぬものなのではないかと思うのです。だからこうした常連となって通うためのお店は、無くなっては非常に困るのであります。しかしそれでもどうしても通りすがりの客でしかないぼくには、物足りないという感想を吐露するしかないのでありました。
2018/07/15
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ふう、さすがに名古屋は恐るべき喫茶王国であります。まさに畳み掛けるように出没する喫茶店を眺めてると、こんな状況だからこそ選り好みすべきなのにその気力も尽き果て惰性のように次から次へと坊主めくりのようにただ闇雲にめくる返すを繰り返すことになるのです。この輪廻の編みに絡め取られたらそこから抜け出すのは容易なことではないのであります。中心のない最奥部という言い方が適当であるかは甚だ疑問ではありますが、とにかくここから逃れ出ない事には、喫茶巡りという既に苦行となりつつある流れを断ち切らないと初日にしてリタイアすることになりかねぬのです。ここが名古屋でありさえしなければ、昼にはまだ間があるけれどそろそろ腹が空いてくる時間帯です。なんたって早朝の5時には行動を開始したのだから、日常の生活では休みの日位しか朝昼をまともに取らぬぼくでも空腹を感じるはずであります。しかし、この日は朝からすでに一体どれだけの喫茶店を巡ってきたのか今改めて数え上げるのも億劫になるのです。そのうち2軒では難を脱したけれど、とにかく続けざまにモーニングサービスを摂取したのだから腹が空かぬのも無理からぬことなのです。しかも旅先での空腹は移動時の交通機関、例えば列車の揺れなんかがもたらすという宮脇俊三の発言にどれほどの信憑を見て取るかというと、科学的には甚だ疑問ではあるけれど、実感としてまさに首肯を余儀なくされるのであります。しかし、この日は朝から自転車を漕ぐだけで、予見可能な揺れは空腹には直結せぬらしいのです。という訳で情けなくもあり、喫茶好きの矜持すら投げやってひたすら名古屋駅に逃れるのでした。 しかし、そう簡単には解放してもらえぬようです。「喫茶 ありんこ」に引き摺り込まれてしまいした。こんな可愛い外観のお店にはイチコロにされ、為すすべもないのです。まあ、ここがごく一般的な喫茶店だったので何故かひと心地付けてしまったのが良くなかった。 その側に「喫茶 桂」を見ると迷う事なく入る事にしてしまったのでした。気を抜くとすぐに次なる罠に絡め取られるのです。しかしここが面白いお店でした。すでに印象的なお店にも何軒かお邪魔していますが、ぼくにはここが最もオリジナリティーを感じて見所も多いと感じられました。ケバケバしさやきらびやかさとは少しばかり違っていて、とにかくありとあらゆる喫茶意匠が店内所狭しと張り巡らされているのが見ものなのです。いやいやそれはちょっと大袈裟に過ぎるなあ。ファンシーなムードとは無縁だし、和風な雰囲気も微塵も感じられぬのだから。しかし、ここには王道のクラシックさもあれば、モダンなクールさもちりばめられており、しかもキッチュなアイデアにもこと欠かぬという贅沢さなのであります。そしてそれが少しの気取りも気構えもなく、ごく自然にごく当たり前のように普段使いの気安さで解放されているのだから、それがもう喫茶王国の面目躍如というものなのだろうか。こんな想定外の出会いがあるからやはり目にしたものは逃がしてはならぬという気にもなるのであります。 勢いづいてさらに「黄金苑」と遭遇、しかしこちらはもうやめてしまったように思われます。次に見掛けた「ミッキー」は10時までの営業とのことで見送らざるを得ません。というか無理にお邪魔していれていただくだけの気力はもう失せてしまい、これをもって名古屋駅を離れる決心がついたのでした。
2018/07/08
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さて、酒場篇が先に行き過ぎているのでここ東岡崎で小休止を入れる事にします。朝からの飲み過ぎが祟り、胃腸の具合は当然の如く芳しく無いのであります。今回は喫茶巡りをメインに据えているので致し方ない事ではありますが、メインコンテンツの酒場巡りが余りに半端だと継続が困難となります。そんな事情もありますので、不本意ではありますが月曜日は次週以降は定常営業になるかと思われますのでご理解下さい。こんな事を書いておきながら心変わりということも十分あり得るわけですが。 さて、前回書いた通り意中の酒場を逃した以上はもうこの先の行動を制限する何物もありません。町を彷徨いここぞという酒場を自由に巡ればいいのです。残念ではあるけれど、早々に束縛から放たれたというかの感覚こそが旅の醍醐味だとも思うのです。その一軒目は呆気なく見出すことが叶ったのでした。 名鉄の線路沿い、駅から至近の場所にあったのが「くしかめ」です。掘っ立て小屋のような簡素な造りのお店で、これを見るとかつてはこうした一杯呑み屋が軒を連ねたのではなかろうか。その予想は若干異なっていた事が後から判明するのですが、ともかくは店に入らなくては事は始まらぬのです。店内は改装されたらしく案外明るくて外観ほどにはうらびれた様子が見られませんが、数名の客たち―うち一名の親父は主人でありました―はこうした酒場に似合いの少しばかりヤクザな面構えであったのです。しかしまあ、概してこの辺りの人達は他人には無関心なようです。特にこちらを振り返るでもなく、悠々と何杯か呑み干すと席を立つのでした。また、戻って来るような事を言い残す客もいます。自分の若かりし頃の写真を背後に飾って己が華やかしき頃を大いにひけらかす女将の口から何やら発せられるがどうも聞き取れず曖昧に返事すると瓶ビールを取り出し、ご馳走さまだってさ。まあたまにはいいけどね。まる一日一人で行動していてほとんど会話らしい会話もなかったからこれもありかな。話によるとここらはかつては屋台がズラリと並びそれらが整理され一部は残りコチラのようなお店でやって来たがそれももうほとんど姿を消してしまい―その一軒が「つか本」だったのだろうか―、ここはその生き残りですっかり寂しくなったものよと先程までの図々しさはどこへやらしんみりとしたムードになるのでした。看板には串揚げとあるものの、看板商品は餃子とのこと。まあごく普通でありましたが、これまた屋台料理らしくて少しは気分を味わえたかもしれません。 「だんらん」は、大正時代に建てられた古い建物でしぶとく営業を続けるお店です。寿司屋から始まり、今の店主で4代目。スナックっぽい雰囲気があるものの、スナックとしての営業はしていなかったようです。ここはたまにこのブログにも登場するT氏が半年前に訪れたばかりのお店で、東岡崎のお寒い酒場事情についてはよくよく聞かされていましたが、もともとが喫茶巡りが主眼であったことと空振りで終わりましたが酒場放浪記で紹介されたお店もあり、果敢にも訪れたことにしたわけですが、確かにお寒い状況であることを身をもって知ることになっていたのでした。4代目はまだ30才になったばかりであり、ぼくのことを年下と思ったのか妙になれなれしい口調でありました。まあ、知人にはこうした話をしてみても少しも信じてもらえぬのであり、自分でもおばちゃまたちの御愛想程度に聞き流していたのですが、年下男性にそう告げられるとまんざらでもない気分です。そんな具合に主人も客たちも極めて気さくで、先に書いた他人への無関心という言葉を撤回しなくてはならない気軽な雰囲気がとても居心地がいいのでした。そして、今晩は××ホテルに泊まるんだね、と的中されるのも、そのホテルに宿泊する客は、他に酒場がないから呑みたくなるとここを訪れることが非常に多いらしい。きっとT氏も同じだったんだろうなあ。満腹であまり食べられなかったけれど、いい加減に見える主人ではあるけれど料理の腕はなかなかのものらしい。きっと東岡崎に宿泊することになる呑兵衛は、きっと最後にはここに辿り着くことになるのではないだろうか。
2018/07/02
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もういい加減に飽きられてしまったかもしれませんが、まだもう少しだけ名古屋駅の太閤口側の中村界隈の喫茶巡りにお付き合い頂きます。いやまあ、実のところは書いてる自分こそが一番飽き飽きしているのです。居酒屋で一杯だけで席を立つのはなかなかに肝を据えて掛かるもので、余程に腹に据えかねぬ出来事でも起こらぬ限りはそうした事はしないのだけれど、喫茶店というのはまあこんなモノかと見切ってしまったときにはグイッとコーヒーの一杯でも胃に注ぎ込めば済んでしまうのだし、相当胃がガボガボと辛いようならケチケチせずに残してしまうという最終手段だってあるのだから、まあ気楽なものであります。と、書くのは簡単だけれども実際にコーヒーを残すなんてことはやりにくいものだし、そんな弱気で杯を重ねていくとソフトドリンクだって相当に胃腸の負担となるのであります。しかも、カフェインの効果もあってかどうかは知らぬけれど、徐々に感情がギラつき尖ってくるのであって、とっとと電車にでも乗ってどこかに移動してしまいたいと思うようにもなるのでした。今が丁度そんな状態です。 だからもう「都志」や「サンモリー」は、惰性で入るには入ったものの何事につけつくづく面倒になってしまうのでありました。だけれども写真を取らなかったのはそうした怠惰が原因ではなく、兎にも角にも近所の老人たちでミチミチの大繁盛に恐れをなして、シャッターを切れなかったからなのです。でもまあそれで良かったのかもしれません。この二軒は、前者はアットホームすぎるし、後者は特段の工夫もなく些かに平板に思えたから、どだい内装のユニークさにのみ特化した偏愛するという狭小な趣向しか持たぬ平凡な喫茶好きでしかないぼくがとやかく言えた義理ではないのであります。 でもこの流れで最後にお邪魔した「喫茶 松屋」は、根本的には前2軒と限りなく近しいタイプのお店ではありましたし、お邪魔した際はやはりほぼ満席で相席させて頂いたのでした。ぼくは居酒屋では比較的軽く語り掛けられるタイプだと思っていて、実際によく店の方や常連とお話しする機会があるけれど、喫茶店ではそのセオリーは全く逆転してしまい、やはりここでも少しばかりの時間は気づまりな思いをしたものです。しかし、しばらくするとモーニングタイムはそろそろしまいなのか一人また一人とご帰還なされ、大分空いた頃には元とはかなり違ってなかなかに味わい深い景色が現前したのです。やはりまあ飾り気はかなり抑え目ではあるけれど、客の入具合で随分と様子が変わるもんだなあ。まあ分かってはいたけれどこれだけ鮮明に印象が変化することも稀です。先のお店も時間を選べば随分と受け止め方が変わったという気もします。 その角を曲がると「高」がありましたが、さすがにうんざりしてスルー。他にも見過ごした喫茶店が何軒もあるからまた来たときにでも立ち寄ることになるのかな。実際、外観を見た限りではここが内装に対する審美的な趣味性は最も高そうな気がしました。
2018/07/01
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さて、岡崎では思ったように喫茶巡りは捗りませんでした。喫茶篇が遅々としたペースなのでこの先、日曜日に喫茶篇、月曜日に酒場篇という通常運用に検討の余地がありますが、ともかく今回は岡崎の夜の一軒目を報告することにします。 岡崎には古くて味のある店がさして多くはなかったけれど「めん処 丸長」、「萬珍軒」といった古い店をこよなく好むぼくのような者の心をくすぐる店舗もあるけれど、いきなりうどんや中華では胃への負担が大き過ぎます。東岡崎駅では岡ビル百貨店をじっくり見てみたいと思っていたので駅に引き返すことにしました。しかし、時すでに遅しで3階に至る階段は封鎖されています。ここには「オーマイキッチン こも(スパゲッチマカロニの店 こも)」なる店があって、ネットでもたびたび目にしており、その様子は必ずしもぼくの好みではないけれど、一度はお邪魔しておきたかったけれど、そんな気のない態度が災いしたのか結局は拝むことすら適わなかったのです。 しかし、同じビルの2階に「味処 長誉」を見つけて、ぼくの好みはむしろこちらと一転して嬉々とした気分になるのだから現金なものです。店内は手狭だけれども相当な風格を漂わせており、通常思い浮かべるような駅ビルの酒場を想像されると余りの風雅な雰囲気に卒倒する程の威力を秘めていました。写真をご覧になってもそれは伝わりにくいとは思うけれど、そこいらの古酒場より余程枯れていて、歳月の重みを身に染みて感じられるはずです。お客さんはちらほらという程度しか入っていませんが、しばらくすると中学校の先生グループがどっと押しかけてきました。彼らのたまり場となっているような。独りで神妙な面持ちで呑んでいる先客はどうやら彼らと顔見知りなようです。すでに退職して久しいようですが、今でもこの雰囲気を求めて独りでもお越しになられるようです。ぼくは背後に手摺のような敷居で空間を仕切る粋な造りのカウンター席に着かせてもらっています。特に店の方と会話を交わすようなこともありませんでしたが、お客さんを含めて一体感があるような暖かな感触があります。そうそう、こちらの味噌カツが立派だったなあ。大きくでジューシーでした。ところで、こちらのお店、一見すると頑固親爺がやっていそうなムードがムンムンですが、実際にはお若い女性2名でやっておられるので、その点では閉店のリスクは希薄ですが、何せこのビルの老朽化が目に見えて深刻なので、もしかするともしかするかもしれぬので、興味のある方はお早めにお出掛けください。 もう一軒、事前調査とは店名を異にしていたけれど、喫茶もあってそちらは内観はネットで見知ったそのものなのでまあこのビルをそれなりには堪能したものと思うことにします。さて、本当は酒場放浪記で放送された「つか本」が目当てだったのですが、何度その場所を歩いてみてもそれらしきお店が見つからぬのです。更地になっている場所があったので、恐らくはそこについ最近まで店舗があったのではなかろうかと思うのです。無念な気持ちで駅前を行き来するうちに気になる一軒に出逢いました。次回はそちらを報告したいと思っています。
2018/06/25
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