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酒場っていうのは地域性や季節感といった差異を商売に結び付けることが比較的容易な業態であると思うのですが、そうした中にあってバーというのはそうした差異を感じさせないもののように思えます。無論、地元で作られた酒を贔屓にして提供していたり、カクテルに季節や地域に則した果物を使ってみせたりと様々な演出を披露してくれたりもするけれど、基本的にはいついかなる時もどの町にあってもほぼ似通っているのがバーという業態だと思うのです。いついかなる時と書いたけれど、ほぼ年中無休で営業している店舗もあったりするからいつでもどこでもそこにあるというのがバーの最大の美徳だと思うのです。 と前置きはその程度にして16時過ぎには、「バルマン(Barman)」に到着しました。木製の大きな引き戸というスタイリッシュな外観です。ということは内装はスタイリッシュな雰囲気なんだろうな。そろそろと引き戸を開くとそこは前室になっていてその奥に客席があるようです。こういう寒さが厳しい土地柄ではこうした構えの酒場を時折目にするなあなんて思い至るのです。こうした店舗の造り自体が地域性・季節感そのものですね。と関心していられない事態が生じました。なんとこの時間なのにすでに客席は埋まってしまっています。確かに狭いお店ではありますが、この時間で満席とは……。しかし幸いにも夫婦連れが勘定を済ませるようです。良かったあ。しかし彼らはいつから呑んでいたんだろう。他の客も新幹線待ちかと思いきやさにあらず皆さん地元の方で演奏会なりのイベント後に連れ立って呑みに来たようです。てっきり観光客相手の店と思い込んでいたので、地元の方たちに浸透しているのが嬉しくなります。が、まあ軽井沢の住民は都内と行き来する方も少なくないからこうしたバーも通い慣れているのです。落ち着いた後にバーテンダーさんから聞いた話ではの銀座のお店から移ってこられたとのことで、その当時からの常連さんが付いてきたのかもしれません。後で頂いた名刺からネットで検索してみたら銀座の名店「テンダー」で働いておられたようです。バーテンダーさんは実に語りの達者な方で、特に軽井沢のオフシーズンの様子を聞かせていただいて、誰も客の来ない店内で一人グラスを磨いていたという話は鮮明に脳裏に思い描くことができたのです。ジントニック、ギムレット、マティーニ、いずれも実に美味しい。いやはやこのバーのことを思い返すとすぐにでも軽井沢行きの高速バスに乗り込みたい気分になってきます。ここはいずれまた軽井沢を訪れた際には旅の締めくくりに必ず立ち寄るべきお店となりました。
2023/01/16
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2日目は一日のんびりと軽井沢散策と喫茶店巡りをしました。初日と異なり終日に亘ってしとしとと雨が強弱を繰り返しているのが残念でしたが、それでも時間は瞬く間に過ぎ去りました。独りなら朝酒ってのもあり得ますが、今回は同伴者がいるので昼酒すら見送らざるを得なかったのです。といかにも無念って感じですが、実際には下手に呑まないで正解でした。ぼくの旅は大概の場合、移動につぐ移動って感じで列車にせよ高速バスにせよ車中がちょうどいい朝寝、昼寝の機会となるのですが、今回は軽井沢駅前からの高速バスの最終便までゆっくり寝ている場所もありません。その高速バスの発車時刻は18時ちょうどと絶妙に中途半端な時間です。せめて19時発であればどこかの酒場で一杯引っ掛けてほろ酔い気分でバスに乗り込んで寝て帰ればいいのだけどなあ。18時じゃあまでやってる呑み屋もあまり期待できないしねえ。と諦め気味にネットを調べてみるとあな嬉しや。15時から営業している酒場があるでないの。しかもバスの乗車場からも至近でありますね。ならば発車時間ギリギリまでそこで時間を潰すことにしてとりあえずは空腹を満たすことにしたのです。朝食は「フランスベーカリー」でパンを食べているし、昼前に「万平ホテル」のティーラウンジでフレンチトーストも食べたけれど、こういうのってすぐに腹が減るんですよね。旅先でってのもあります。というのは旅の途上にあってはどうしたものかいつだって空腹なんですよね。 ということで昔訪れたことのある、駅前の「手打そば 本陣」にお邪魔しました。普通なら中休みの時間帯なんでしょうが、さすがに駅の真ん前ということか通しで営業してくれていて助かりますね。そんな時間帯だというのに案外お客さんが入っていますねえ。大学生らしきグループは物静かにそばを手繰っています。普段はしゃぎまくる若者を見慣れているだけにこれだけ大人しいと逆に物足りなく思えます。もうひとつのグループはご想像通りオヤジの集団です。例外なく顔を真っ赤にしています。そういや昔ぼくがここに来たのも同じ目的だったなあ。会話を盗み聞かなくても新幹線待ちの一団だと知れるのは、オヤジたちが大声ではしゃいでいたからです。呆れたもんだと嘆かわしさを感じつつも、ぼくが初めてこの蕎麦屋に来たのも同じ理由からであることを思い出すのでした。ぼくは大人しく焼酎の蕎麦湯割りをもらいます。そうしょっちゅう呑みたいって訳じゃないですが、蕎麦湯割りって独特の旨さがありますね。これこそお新香を肴にしていつまででも呑めちゃいます。が、ここではお腹を膨れさせるのが目的なので、天ぷら蕎麦を食べることにしました。ぼくは普段はあまり揚げ物は食べないのですが、それだけ空腹だったということなのです。蕎麦湯割りと蕎麦を食べ終える頃には身体も芯から暖まって軽く汗ばむ位になっていました。こういう居酒屋使いのできる通し営業の駅前飲食店がもう少し充実したら楽しいのになあ。
2023/01/13
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「万平ホテル」を出るとここに来るまでは舞う程度だった降雪が闇夜を白く染める程の振りに変化していました。ぼくはこれはこれで情緒があるから歩くのも悪くないと思ったのですが、同伴者がそこそこ酔っていて眠いと訴えるので贅沢してタクシーに乗車しました。歩くと遠く思えましたがタクシーに乗ると宿までは束の間でした。結構呑んでるはずなのに不思議と酔いの回りが感じられなかったのです。さて、どうしたものか。もう少し吞み足したいところなので,同伴者を宿に送るとその足でコンビニでも探そうと駅方面に向かって歩き出します。さすがに駅まで行ったらコンビニの一軒もあるだろうと高を括っていたのですが、結局ホントに駅近くまで歩く羽目になりました。ここまで歩いのだからせっかくなのでちょっと酒場でも探して軽めに引っ掛けて行こうと人通りの途絶えた夜道をうろつくのですが、営業しているのはわずかばかりのスナック程度です。しかしこの辺りに古びた酒場があるはずです。まだ入ったことはないけれどかつて見掛けたことがあります。それにしても夜の軽井沢が寂しいってのは知っていたけれど、記憶していた以上です。そのくせ街灯は充実していてちっとも暗くないところがむしろうら寂しさを増しているようです。まあ別荘族の多くは車で移動するのだろうから駅前というのがさほどの意味合いを持っていないのかもしれないですね。 お邪魔したのは「貴華」です。軽井沢では数少ない古びた居酒屋のようです。まあ、軽井沢という土地では珍重されるのかもしれませんが、都内とかにあったとしたら素通りしてしまいかねないって程度の古び方ではあります。何にせよほとんどやってる店もない状況にあってこの酒場の存在はぼくだけでなく多くの地元の方にとって安らぎを感じさせてくれる存在なのではないでしょうか。さて、店内に入ります。外観のぶっきらぼうな感じと違って店内は広くてゆったりした造りになっていました。一般的な居酒屋とはどこか違うかなあと感じたですが、その理由はじきに判明するのです。お客さんの入りは、まあ混んではいないけれど、それなりに卓は埋まっています。席が埋まっていると書かぬのはグループ客よりも一人客が主流だったからです。さて、どうしようか。と品書きを眺めてみると、なるほどねえ。こちらは居酒屋よりも中華寄りの定食屋に寄っているお店のようですね。分かってみると赤いデコラの卓も中華料理店のそれに見えてきます。畳張りのスツールは居酒屋のもののように感じられはしますけど。さて、食事系の充実に比すると酒の肴はごく限られています。さほど食べたいわけではなかったけれど焼鳥を頼むことにします。そういやこちらのお店、全般に強気な価格なのは観光地価格というよりは地方都市の居酒屋にありがちな価格設定に準じているということのようです。ウーロンハイはいいお値段でありますが、とんでもなく濃いかもって思ったりもしたけれど、それはそうでもなくてむしろジョッキのデカさで金額との釣り合いを取っているという気がしました。焼鳥が出るまで随分待たされてしまいました。他のお客さんたちも注文の品が届くのを焦れるでもなくのんびりと待っています。この界隈の人たちは余りあくせくしたりしないのかしら。焼鳥は串打ちから注文のたびに行っているのでしょうか、仕上がりはどことなく自分ちで焼いた焼鳥のような素朴な味わいでまあこういう普通さも案外悪くはありません。といったところで、若いグループが入ってきたので席を立って宿路を急いだのでした。
2023/01/11
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避暑地っていうのは、基本的には俗世間の喧騒から離れることで静寂さを求めるというのが真っ当なあり方だと思ってはいますが、だからといって別荘なりペンションなどの宿泊施設に閉じこもりっぱなしって訳にいかぬ人が多いのが実情でありましょう。事実、別荘に一定期間滞在するってことになると本宅での生活ぶりをある程度までスライドしたものとなるのであろうから、例えば食料の調達も定期的に必要となるはずです。そうなるとぼくにはあえて別荘を持つことに意味を見出せなくなるのです。例えば武田百合子氏の『富士日記』なんかを読んでいても百合子氏は本宅以上に忙し気に舵をこなし、たまに映画を見に行ったりしています(例えばばかりになるのは、別荘住まいをしたことがないから)軽井沢の場合であれば避暑地という位だから本宅のある例えば東京都内の酷暑を避けるという意味合いがあったはずなのです。しかし昔ならともかく温暖化に歯止めの掛からぬ現代にあっては高所にある軽井沢ですら夏場の日中はかなりの高温になるのだろうからせいぜいが避酷暑地といった意義しか持ちえぬと思うのです。冬場なんかだとスキーなどのレジャーを楽しみたいとかの積極的な理由がない限りは寒く足元も不便なばかりであるし、光熱費も高額になることが見込まれます。とまあぼく自身は別荘を所有することには何ら関心もないのですが、金持ちには金持ちなりの理由があるのだと思います。自身の成功の証にするとか所属する社交界における身分証明のためとかまあ金持ちには金持ちの諸事情もあるんじゃないでしょうかね。まあ、じっとしていられなく性分のぼくは別荘よりは面倒事も少ないといった消極的な理由に加えて憧れの建築に泊まれるといった積極的な愉しみも併せ持つ何らかの魅力あるホテルに泊まることを選択するだろうなあ。 とまあそう思わせてくれるであろうホテルの一軒に「万平ホテル」があります。すでに書いた通り同ホテルには今回結局泊まり損ねたのですが、先般書いたようにティーラウンジでゆったりと高揚を眺めて過ごすこともできてそこそこ堪能したのですが、実のその前夜には「万平ホテル バー」を訪れていたのです。ビストロを出るとしんしんと冷え込んで雪も舞う暗い夜道を同ホテルまで歩きます。かなりの寒さで思った以上に遠いと思った道中でしたが翌日歩いてみると思った以上に呆気なく歩けてしまいました。人の脳が感知する距離感なんてものは体感だったり心理的な要因で容易に変化を被るもののようです。ホテルの意匠の素敵さについてはあえてここでは語るまい。1階のエントランスホールを抜けてロビーの先にはレストランがあるのですが、その隅から伸びる客室に続く廊下のすぐのところにバーの扉はあります。その慎ましい造りがなんともクラシカルです。席の有無を尋ねると少々お待ちくださいとのことですが、なんのなんの展示室を眺めたりレストランのメニューを眺めたり、ロビーのあちこちの椅子に腰かけたりして待つのが少しも苦になりません。やがて声が掛かって通されたのは奥の広いソファー席でした。でもやっぱり特等席はカウンターなんでしょうね。麗しき美女3名が静かにカクテルを召し上がっておりました。皆お一人様のようです。ぼくなどがそこにいても絵にならないから彼女たちがそこにいるのが正解なのでしょう。こういう美しいバーというのは何よりも見た目が大事ですから。こちらでは、オリジナルのカクテルを中心にいただきました。霧の軽井沢、軽井沢の夕焼け,プリムローズ。〆にはベタですがマティーニを。ここのお酒はいやしくがっついて呑むのはよくないですね。じっくりと時間を掛けてこの場の雰囲気に浸りきるべきです。だとするとやはりベッドまですぐのここに泊まるべきなのでしょうね。
2023/01/09
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若い頃は、軽井沢に対してどうも好ましくない印象を抱いていました。というのが、別荘地のはずなのにチャラチャラしているという印象がこの土地にはあると刷り込まれていたからです。テレビなどで照会される軽井沢は、気取った身なりのスカした人々が旧軽(地名をこうして略するのをぼくは本当は非常に嫌っています。新宿をジュクって言ったり、池袋をブクロって呼んだり、東京人ぶりたい田舎者は門前仲町をモンナカと呼ばずにナカチョウなんて言ってみせたりと端的にウザイのであります)をそぞろ歩きする様子が映し出されていたりするのを苦々しい思いで眺めていたものです。いやいや別に軽井沢も何もかもがチャラいと言っているわけではないのだ。別荘に滞在していても人は食べねば生きていけぬから食料品店があってもいいと思う。別荘持ちは基本的に金持ちが多いはずだから高級なブーランジェリーやパティスリー、レストランなどの飲食店かがあってもいいと思う。美味しいものを食べたら美味しい酒も呑みたくなるだろうから居酒屋やバーがあってもいい。買い物の後なんかに休憩で喫茶店に立ち寄りたいというのもよく分かる。ぼくが気に食わないのは、ガキ向けの店のことなのだ。親に連れられてくるような年代の子供はまあ目をつぶるとしても、勉強もせずに遊んでばかりいる(遊ぶ程度の小金を持っている)ようなおバカサークルのような若者グループ向けの店はぜひとも軽井沢から淘汰されることを切に願うのだ。まあ、いつの時代であってもその世代のガキというのは世間から疎まれるものであるし、彼らもそのようにあえて振舞うものでもあるのだからこの発信力の極端に弱いブログでいくら語ろうと何ら世間に影響を及ぼすことはないのだろうなあ(と言いつつも「この冗長で興味のない映画感想文が検索に」引っ掛かって迷惑をかける程度の影響はあるようです)。 さて、初日(1泊2日で初日ってのも違う気がするけれど)の夜は宿(万平ホテルを諦めた以上は安価な宿に泊まることになんら支障はないのであって、しかも場所は旧軽井沢の入口という利便性。ピリ辛ニララーメンで知られる町中華風のお店の側)からも数分の距離と至極便利な「ブラッスリー シュエット(Chouette)」にお邪魔することにしました。ここに決めた理由はいくつかあるのですが、最も切実だったのが、勢い余って購入しすぎてしまった長野県版Go To Eatキャンペーン『信州プレミアム食事券』を消化することが第一義だったからです。どこかしこでも使えるって訳じゃないからディナー時に利用するのがもっとも効率が良かったのです。こちらはブラッスリーを銘打っているけれど、ブラッスリーよりは格上、レストランよりは下回るちょうどビストロらしいお店でありました。内装はやや雑駁とした印象ですが、そこがビストロらしいとも感じられます。先客は若いカップルのみ。黙々とほとんど会話もなく召し上がっておられる。ワインを呑んでいないようだけど近頃酒など必要ない若い人が増えているようですね。ぼくの知人にぼくなど足を踏み入れることを憚られてしまうような高級フレンチに定期的に訪れているのがいるのですが、聞くとランチ利用がメインでしかも彼は酒を呑まぬからなあ。恐らくぼくがディナーに要する費用の1/3~1/4程度で済ませることができそうであります。それなら酒抜きのランチに行けばいいじゃないかって考え方もあるのだろうけれど、ぼくにはそうするつもりなど微塵もないのだ。酒なしというなら敢えて高級フレンチになど行きはせぬのだ。ということでプレフィックスのメニューからサンマのスモーク、魚介のスープ、鴨のコンフィ、デザート、エスプレッソをセレクト。お手頃価格なお店だけあって高級フレンチとまではいかぬのでしょうが、ぼくにはこれで大いに満足のいくところであります。自宅ではここまでは丁寧に調理できぬと納得できる料理であれば外食するだけの価値があるというものです。サービスでメインの一品を少量ご馳走にもなってしまい大変気分よく過ごさせていただきました。店を出る頃には地元のファミリーとお達者クラブメンバーが集っていて、店内は一挙に賑やかになったのでした。ちなみにご老体方の食べっぷりをしばし眺めたのですが、彼らの健啖にはやはりいつものように驚かされるものがありました。
2023/01/06
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という訳で軽井沢にやって来ました。今回は諸事情により一人旅とはできなかったので自由度がかなり低いのはやむを得ないところです。いい年をして団体行動が苦手ってのも大人げないとは思いますが、どうもぼくには協調性に欠けるところがあります。それは子供の頃の修学旅行の苦い思い出が発端となっている気がします(こうした苦い思い出といった程度の記憶を近頃「トラウマ」という用語で語ったり綴ったりする用例が見受けられますが、ぼくには実際に「トラウマ」により心的外傷を発症する人のことを思うとこれは受け入れがたい事であります)。ともあれ、ぼくは修学旅行を目前として親の転勤に付き合わされ、親しい友人たちと旅することができなかったばかりではなく、ほとんどコミュニケーションを取ったことのない他人と寝食をともにしなくてはならない苦痛に当時は親を恨んだりもしたものでした。それもまあ今となっては悪い面ばかりではなかったと思えるようになりましたが、確かにそれで団体行動が苦手なだけじゃなく嫌いになったように思えるのです。といった文章を続けるとまた「冗長」であると非難の言葉を浴びせられもするだろうからこれ位にしエ、まずはバスに揺られて腹も減ったので、何かを胃に収めたいところです。好都合にも同伴者はハルニレテラスを眺めるというので、一人食事をしに目当てのお店に向かうのでした。 やって来たのは、「しらいと」です。軽井沢で駅から徒歩圏内で立ち寄るべきと以前から目を付けていたお店になります。目を付けた店というのがそもそもの話、両手に足らぬ程度しかないから、ここがやってないとなるとひどく残念なことになるのですが、その杞憂もなんのその平常操業されていました。なんとかリゾートの俗物極まりない施設は大いに客を集めていたのにこちらはお客は入っていません。それでもどういう訳か店の女将さんは、ちょこまかと何やら忙しそうに動き回っています。カツみそラーメンと日本酒をお願いしました。非常に直接的なネーミングの料理で、出てくる料理も全く想像力を働かせることなく想起できてしまうのでした。分かりやすさの割には世間でそうは出逢わないというのも不思議なことではありますが、パン粉の衣がラーメンスープに浸かってベッショりとなるのを好まぬ人も少なくないのだろうなと想像しましたがどうなんでしょうねえ。唐揚げに近いパーコー麺なんかが一般に普及しているようですが、ぼくはどちらも好きだし、あまり食べる機会のない者の方が楽しいですしね。他にも食べたい品はありましたが迷うことなく即決しました。コップ酒を呑んでいると女将さんが召し上がりますかとお浸し風の小鉢を差し出してくれました。ちょっと見慣れぬルックスのそれはピーマンの葉っぱの煮付けだそうです。これが癖がほとんどなくて柔らかいのにグズグズに溶けたりもせずに実に美味しいのですね。どうして世の中であまり食べられていないのか不可解なほどです。一方、カツみそラーメンはというと完全に想像の範囲内に収まるもので極めて普通に美味しく頂きました。こちらの女将さん、最初は少し人見知りっぽい印象でしたが実際にはよくおしゃべりになる方でとても楽しいひと時になりました。 そばには「楚ば処 ながめ」があってこちらも目を付けていた通りちょっと良さそうですし、駅近くの「丸屋食堂」はお休みなのは知っていたのですが、実物を見るとやはり入りたかった(昔、S氏にここの存在を教えて彼はしっかり堪能していてそれがまた悔しい)。S氏は「丸屋食堂」を訪れた夜に再び中軽井沢駅に引き返してきて「大衆酒場 あすなろ」に立ち寄ったけれど、その際には一見客はお断りしていると丁重に断られたとのことだったけれど、ぼくは同伴者もあり、みすみす見送らざるを得なかったのですが、果たして入れてもらうことはできたのでしょうか。
2023/01/04
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実はもう随分時間が経ってしまったのでお蔵入りにするつもりでいたのですが、いざ[Delete]キーを押す段になって、それもちょっと惜しいかなと貧乏根性が首をもたげたのです。というかそもそもがこのささやかな旅を企画したのもそんな貧乏根性が発端となっていました。というのはgo to トラベルやらいう事業に便乗して憧れのクラシックホテルの一軒、万平ホテルに安価で泊れそうだということで慌てて予約したのはいいものの緊急事態がどうのってなことでお流れになってしまったのです。その際にせっかくだから贅沢しようと知人を頼って長野県のgo to eat(に準ずる)の食事券を大量に買い求めてしまっていたからさあ大変。うかうかしているうちにその食事券の使用期限も迫ってきたものだからもう万平ホテルに拘っている場合ではないと慌てて宿を確保し、池袋発の高速バスに飛び乗ったのでした。そんなドタバタとした出発だったけれど、さすがに日本有数の避暑地であります。多少事前準備がおろそかであってもしっかりと1泊2日を充実して過ごすことができました。 今回唯一の工夫は、西武高速バス千曲線で軽井沢駅前はスルーして星野温泉トンボの湯という停留所で下車した位でしょうか(昔の計画では町役場病院前で下車する予定でありました)。ご存じ星野リゾートの施設が集中するエリアになります。ハルニレテラスなる施設で早速土産物など物色したかというとそんなことはなかったのですが、それはまず置いておきます。今回はあくまでちょっとした観光とパン屋巡り、そして久々の喫茶巡りについて記録に留めることにします。 軽井沢高原教会、石の教会・内村鑑三記念堂は結婚式で使用中とのことで見学できずガッカリしつつも定評のある「haluta bageri」、「レイヨンヴェール」に立ち寄ることができました。この2軒で大量にパンを買ってしまったので、翌日の「フランスベ-カリー」では控えめに朝食代わりに食べるに留めました。いずれも個性があってとても良かったのですが、その感想をいちいち連ねるとキリがないので割愛です。 ひとしきり歩いてちょっとくたびれたので、「珈琲専門店 茶房 マリヤ」に寄ることにしました。こちらは喫茶趣味を抱く以前から何度かお邪魔していたのですが、改めてお邪魔してみるといいもんですねえ。軽井沢とは思えぬ閑静なエリアにあってその周辺の雰囲気と実に調和した素敵な喫茶店です。 「マリヤ」から中軽井沢駅まではすぐです。駅に着くと列車の待ち時間が結構あるみたいです。でも駅舎には図書館が併設されているのでゆったりと時間を調整することができてとても重宝です。駅と図書館をハイブリッドさせるのは実にいい取り組みに思えます。そのうちに軽井沢駅行きの路線バスがやって来たのでそれに飛び乗りました。この夜の宿が旧軽井沢近くなのでむしろ好都合です。この日のうちに軽井沢駅周辺まで散策してしまうと翌日の時間潰しが大変になります。 明くる日はあいにくの悪天候で突如猛烈な風雨が吹き荒れたりするので、ちょくちょく喫茶休憩を交えました。端正な構えの「茜屋珈琲店 旧道店」で葡萄ジュースを優雅にすすってみたり、イメージしていたよりずっと豪奢で味わい深い「珈琲 歌劇(カフェ・オペラ)」でつい寛ぎ過ぎてしまったりと久々にのんびりと喫茶時間を満喫したのでした。 その後、軽井沢聖パウロカトリック教会や軽井沢ショー記念礼拝堂などを眺めつつ、「万平ホテル カフェテラス」に出向きました。全般に閑散としていた軽井沢にあってここだけは大いに賑わっていました。名物のフレンチトーストを頂いてみたり、やはり名物のアップルパイを土産に買い求めたりと贅沢な時間を過ごせましたがまあちょっと騒がしかったかな。 といった次第で何だかんだと駆け足気味ではありましたが、やはり軽井沢は侮れぬなあと感じ入った2日間でした。ってまあ好きなだけ万平ホテルに泊まらせてやるぞと言われても、ぼくの場合は1週間もいるときっと退屈してしまうんだろうなあ。
2023/01/02
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犬山の夜をビストロで過ごして結構満足したのですが、食い気はともかく呑み気はまだまだ満たされていません。なので、もう少し呑みたいと思うのですが、ぼく好みの渋い酒場はこの犬山ではほとんど見掛けぬのです。でもですね、ホテルに向かう際に駅東口からすぐのところに駅前の飲み屋街の残滓のような横丁を見つけていたのですね。そこの一軒にお邪魔することにいたしましょう。 そんなせいぜい五軒ばかりの呑み屋が軒を連ねる長屋で、一番居酒屋らしさを漂わせているのが「大衆割烹 せと路」でした。瀬戸というと小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」なんかで知られる瀬戸内海の島々やその沿岸を有する中国・四国地方辺りのことを意味するのが一般的な気もするけれど、愛知県には瀬戸市があるし、この屋号における瀬戸路が果たしてどこを意味するものかは最後まで明かされる事はなかったのでした。無口そうな女将さんが独りでやっておられる店で、大皿には種々の肴が盛られているけれどさすがに食指が動くことはないのであります。他には客もおらぬし、表の目抜き通りなどにも人の歩く姿はほとんど見られぬのに、果たしてこれだけの料理が捌き切れるのか。そんな杞憂はあっさりと覆され、一人の常連が顔を覗かすと矢継ぎ早に次々と客が集まりだすのでした。彼らは皆さん、ここを拠点にしての顔見知りらしく、声高に語られる話題は甲子園やプロ野球、近所の知人たちの事ばかりでなきに賑やかしいのです。やがて一人や女性がこちらにも話題を投げ掛けてくれて、しばし歓談に加えてくれるところ、案外開放的な雰囲気なのは居心地が良いのです。ならばそれをキッカケに店名の事を尋ねれば良さそうなものなのだけれど、実はこの時、店名を失念して伺う以前の状況に陥っていたのでした。とにかくここは犬山の良心のようなお店で、寡黙な女将さんが実はシャイな方であるのも分かり、好もしく感じたのです。 翌日の事は喫茶篇で少し触れたけれど犬山城わ見物後は犬山の町を散策したのです。で、腹も減ったので、それでは犬山名物と「松野屋」を訪れたのです。寂れた繁華街とも呼べぬ程度の中心地を逸れてしばらく行ったところにお店がありました。外観はどうということもないけれど、店内に入ると老舗らしい風格というよりは風情のある造りです。入ってすぐは三和土の卓席が整然と配置されているけれど、奥には座敷席が用意されているみたいです。奥の間は見ることが叶わなかったけれど、これまでの経験からその様子はありありと脳裏に浮かべることができそうです。さて、こちらの名物は豆腐の田楽です。品書きを眺めても豆腐やいも、豚肉など両手に余る程度の種類があるのともう一つの名物である菜っ葉めしがある程度です。それと最低限のドリンクだけか。でもまあ老舗ってのはそれでいい、いやそれが良いのですね。なんて鬱陶しい言い方をしてしまったが、香ばしい香りと期待以上でもそれ以下でもない甘辛い味噌の風味は時折食べるには良いものです。いや、現地の方は毎日でも食べたいのかもしれません。ぼくらなどびっくりするほどの量を当然のような顔をして注文していました。 そうそう犬山には「開進亭」という味わい深い洋食店もありましたね。他にもマークしておいたお好み焼き店などもあったのですが、とても食べられそうにはありません。まあここにも改めて訪れることになるでしょうし、その時まで壮健であられんことを祈願します。 その後、名鉄特急で名古屋駅に移動、当初はもう少し遊ぶつもりでしたが体力切れで結局は、太閤通口ビックカメラ前から王子駅行きの高速バスを駅地下の「コメダ珈琲」で休憩して過ごしたのでした。
2019/09/23
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ご無沙汰ぶりに訪れた犬山城には、とても感銘を受けました。かつての訪れた際にはかったるく感じたものですが、この年になるときっとかつても視界では捉えていたけれど認知されていなかった様々な事象が物件がとても興味深いものとして受け止められたのです。ということで、新たな発見の多かった犬山城の見学についてもいろいろ語りたいところでありますが、ここは旅ブログではないからさっさと下城し、犬山の町に飛び出すことにするのです。 城下町散策をしつつ、喫茶店を物色します。カフェっぽいお店が目立ちます。危うく町並みの素敵な景観を失いそうなところを辛うじて延命したという発展途上の再開発散策路となっていますが、その町並みを外れたところに「サンライズ」がありました。いやはや外観は少しも艶っぽさのない実用一辺倒に見えます。実際、店内も多少は目を楽しませる装飾もあるのだけれど、大型ショッピングモールの片隅のイートインコーナーを経年劣化させて、さらに窮屈にしたような印象であるのです。でもこういうのに忘れ掛けていた幼い頃の記憶を揺るがされるのがおっさんたる所以なのです。当然のことに黙っててもモーニングがついてくるのがさすが。トイレも機会があればお試しを。水銃によるシャワー式の水洗であります。といっても何のことがわからんかな。冷やかしだけではきっとお店に迷惑なので、ちゃんと用を足してからお試しください。 ここは目と鼻の先の犬山名物を食べに寄った際に見掛けて思わず立ち寄ったのでした。店の名は、「喫茶 ローレル」。でも入ってすぐに出てしまったので、店内写真はなし。どうしてすぐに店を出ることになったかは、この外観写真をじっくりご覧いただければお察しいただけるかと。いい意味で家庭的なお店でした。 たまたま目にした犬山の銘菓「もちたけ 本店」に立ち寄りました。ここの菓子は、さすが和菓子大国たる愛知県と納得させるに十分なすごいハイレベルな品ばかりだったのです。驚愕すること請け合いですので、機会があればお勧めです。名古屋市内には数多の和菓子店がありますが―その何軒課は閉店してしまいましたが―、どこも上生菓子であるため土産向きではありませんが、ここのは大概の商品がある程度の日持ちがするので手土産にもお勧めです。名鉄名古屋駅にも出店しているようです。と、それはともかく思いがけぬ収穫で興奮してしまったので、それを鎮めようとすぐそばの「カフェレスト のがみ」に立ち寄りました。白と黄緑で大雑把に満たされた店内は、どういうわけか託児所とか幼稚園の屋内を思わせます。ところで、地元の方には知られたことのようですが、ここはとにかくサービスがすさまじいのです。まるでコース料理のように次から次へと皿の減り具合を店の方が眺めつつ運んできてくれるのです。その内容については、自身でご確認ください。まあ、サーバで出されるドリンク以外は、そんなに大量ではないのでご安心を。
2019/09/22
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犬山の事は、事前にそれなりにしっかりと呑み屋探しをしておきました。というのも過去に訪れた朧気な記憶だと夜遊びするには不向きな店という印象が強かったからです。実際にリサーチしても雰囲気の良さそうな店は案外少なくて、たまに古い店があっても日中だけの営業ととても残念な事になっているのです。ならばもう無駄な足掻きはやめて食べたい物を食べることにしよう。犬山の名物は豆腐の田楽とかまあ正直余り食手の動く物じゃないから、いっそのことビストロとかフレンチにしちゃおうと思い立ったわけであります。でも予約は敢えてしませんでした。まあ、何とかなるだろうと高を括ったという事もあるけれど、旅の最中だと突然に食欲不振に見舞われるなんてことが往々にしてあるものです。その日宿泊する事にしていたホテルの近くに国だか県だか市指定の文化財とかいう奥村邸というのがあって、そこに「フレンチ 奥村邸」とそのままの店名のやや格式の高いお店があったのだけれど、そこはマナー教室なんかもやっていて、ドレスコードにも喧しそうだからよす事にしました。翌朝犬山城見物のために歩いてみたらホントにホテルとは目と鼻の先の位置にありました。立派な建物ではあるけれど、周辺がゴミゴミとした場末めいたムードだからちょっと違和感がありました。 結局、駅の反対側―これが無残な程に再開発され歴史ある町としての体裁を一切留めてはいないのです―のショッピングモールを目指したのでした。記憶が曖昧ですがここももうじき閉まるというようなことが記されていたように思うから駅前の空洞化は犬山でも変わらぬようです。さて、こんなショッピングモールの隅っこに40種類のワインとオーガニックフレンチを標榜するビストロ「Sou-Sou」はありました。地方都市の事をバカにするつもりは毛頭ありませんが、こうしたカジュアルな雰囲気の料理屋というのは和食は別かもしれませんが、フレンチに限らず諸外国の料理屋は東京、大阪、名古屋、京都といった大都市圏のものが上質だという印象があります。高級店は、地方都市でもハイレベルな店があったりするようですが、カジュアルな店は家庭料理に毛の生えた程度ということが少なくないように思われるのです。ならば定評のあるお店に行くのが正解という事になるはずですが、そうはできなかった理由は先に述べたとおりです。高級店でもドレスコードのない気軽な店もあるようですが、それはそれで店の雰囲気とはそぐわぬ気もします。そんなこんなと言い訳してますが、単にケチだというのも隠しても隠せぬ答えなのです。さて、こちらのお店、地元の奥さま達で結構な賑わいを呈しています。駅もすぐ間近なのに人通りの少ない駅前通りとは隔世の感があります。コースは選択肢がない―いや、あったかもしれませんが選択肢は極めて少なかったかも―のが少し残念ですが、選ぶ余地があってもにたようなものを選んだからまあ支障はありません。それよりもオードブルが盛合せというのが気掛かりです。往々にして盛合せというのは、楽しげではあるけれど実食すると各々の料理は手抜き感が強かったりする事も多いのです。でもここのは全般にちゃんとしていて楽しめました。スープも付いていました。夏らしくヴィシソワーズでこれがさっぱりしてとても美味しい。メインもいいし、デザートのクリームブリュレも実にちゃんとしているのです。食レポとして、何も語っていないみたいなものですが、結論としてはとても美味しくて満足度の高いコースでした。地方都市にだって美味い料理を出す店もあると思い知らされることになりました。カウンター席には立派なフランス料理本も並べられていて、それらを眺めながらゆっくり食事とお酒を楽しんでみたいなあ。でも今後ショッピングモールがどうなるかで店のあり方も変わってしまいそうで心配です。犬山の町にいながら都内での普段の夜のような気分になりました。
2019/09/16
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郡上八幡からは念願の長良川鉄道に乗車することにしていました。念願ではあったけれど、当初の旅行計画では、乗り潰しすることを念頭に据えていただのでありますから、中途半端な悲願成就ということは認めざるを得ません。まあ、乗り潰しという行動というか目的には今のぼくは何ら価値を見出していないから必ずしも終点まで行って折り返さねばならぬというような気概はそもそもないのであります。だからいいかといえばそんなことはなくて、長良川鉄道の沿線には郡上八幡以外にも気になる駅が数駅あるのでした。あるからにはそれらの駅で下車し損なったことに対しては忸怩たるものがあるのです。しかし、物は考えようであります。世界中を隈なく経巡ることなど到底無理であることは、とっくに分かっているのだから、なんでもかんでも行きたがってみても仕方がありませんが、だけど、行きたいスポットがたくさんストックされている状態というのは、慌ただしい生活を送っている中で突然、旅する機会が巡ってきた場合には非常に重宝するものです。どこに行きたいかから検討を始めている時間など多くの場合なかったりするのだ。だからどこに行きたいかから予算や時間を秤に掛けて現実的に実行可能なプランを捻出するといういう作業に一足飛びで取り掛かれれば随分と充実した旅の予定が構築できると思うのであります。話がどんどん脱線していますが、ともかくとして今度もしまた長良川鉄道に乗車するチャンスが巡ってきた場合は、郡上八幡の滞在時間を減らして他のエリアに照準を当てるだけの余裕が生まれると考えれば、都合がいいのではなかろうかと思うのです。なんてこうしたウダウダ愚痴っていること自体、未練の露呈に相違ないのでありました。 さて、無駄話はこれ位にして、郡上八幡駅は想定外の賑わいで、それはぼくがそうであった以上にいい加減に長良川鉄道をつまみ食いせんとする都内からの観光客が押し寄せていたからなのでした。彼らの行程をたまたま耳にしたのだけれど、早朝に東京から新幹線に乗車してこれははっきりと聞けなかったけれど名古屋辺りで観光バスに乗車、郡上八幡をわずかの間だけ散策した後に郡上八幡駅で列車を待ち受けていたようであります。人のことをとやかく言えぬけれど、なんとまあせっかちな旅だこと。彼らが一斉に湯の洞温泉口駅で下車するとようやく列車は閑静さを取り戻し、一路、美濃太田駅に向かうのでした。美濃太田駅で高山本線に乗り換えることになるのですが、せっかくだから駅前を散策してみることにしました。 ところがここが余り面白い町ではなかったのです。それは駅のホーム上から眺めただけでも見て取れたわけですし、すでにかなり歩いてへばり気味でもあったから、そうそう降りる機会もないので頑張って歩いてみることにしました。しかしまあ駅からはある程度の商店が立ち並んでいるように見えたのだけれど、実際に歩いてみるとほとんどが営業をやめてしまっているかに思えるのばかりだし、やってるとしても少しも興味をそそられぬのだから参ってしまう。喫茶も少しも出現しないから困ったものです。ここで長居をしても時間がもったいないと駅に引き返そうとしたらまあ至って普通っぽい「POMELO(ポメロ)」があったので、せっかくだからお邪魔することにしました。上品な雰囲気のきれいなお店で、コーヒーよりも紅茶を飲ませるお店のように思えました。それでもコーヒーを頼んでみると一緒にフルーツポンチが添えられていました。素敵なサービスだなあ。さすがに岐阜の喫茶だと感心します。店を出る際にお隣をみてみたら、喫茶と繋がっていてそこは果物屋さんなのでした。ティールームというよりもフルーツパーラーだったのね。 高山本線に乗るとあっという間に鵜沼駅に到着、駅舎でつながっている名鉄犬山線の新鵜沼駅から犬山駅まではすぐの距離です。当初、最終日の過ごし方を迷っていたのですが、地図を眺めてみたら犬山がとんでもなく近いのでこの予定を立てたのでした。明治村にも行きたいところですが、今回の旅では未練ばかりを述べているけれど、実際に今回辿ったルートは魅力だらけなのだからそうなるのは織り込み済です。 さて、翌朝犬山城とその城下を眺めに向かいます。古い町並みを乱すかのような古ぼけた建物があって、犬山市福祉会館とのこと。ぼくの好みの物件なので、覗いてみたら「こうらく」なる喫茶兼食堂があります。しかも早くも営業を始めているようです。う~ん、朝からツイてるなあといそいそと入り、モーニングセットをいただきました。やはり食堂色の強い内観は一気に時代が50年近く逆行したようで軽い眩暈を覚えました。まあなんてことはないけれど、朝から寄り道するには格好のお店なので、お出かけの際はぜひにとお勧めしてさっさと筆を置くのでした。
2019/09/15
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高山ではもう一軒呑みに立ち寄りました。先述したように高山の夜は思っていたよりもずっと早く暮れてしまうようです。多くの外国人観光客たちが所在なさそうにふらりふらりと暗い夜道を集団で徘徊しているのは、ちょっと怖い感じもします。ぼくも彼らから見れば、夜道を暗い顔をしてぶらぶらしているからずいぶんと不審な人物に映ったものと想像されます。とまあ実際に呑んでるよりも歩いている時間の方が長かったのではないかと思うほどに歩く羽目になったのは、高山という町の夜の早さが原因であるとは本当ならば言えないのでした。高山も大きな町だから屋台村のでこなる横丁を中心に呑み屋街も広がってはいますが、ここぞという決め手になるような酒場には遭遇せず、行ったり来たりと優柔不断を旅先でも貫いたのがよくなかったのであります。旅先で路頭に迷ったら多少の好みの優劣などは抜きにして手早く意思決定をするのが効率的であることが多いことはわかっているのです。ホテルが駅の向こう側にあるのでしぶしぶと駅方面に引き返すことにしたのですが、ふと思いついて路地裏に入ってみるとちょっと良さそうな渋いお店があるからたまには優柔不断が功を奏することもあるようです。 店の名は、「当り矢」でホルモン焼店のようです。ホルモン焼きはちょっと高山っぽくないかななんてことを思いもしたし、それより何より胃腸への負担も馬鹿にならぬから、旅先で食することには畢竟慎重にならざるを得ません。外観よりはのっぺりと面白みにやや欠ける店内をざっと眺めるとすぐさまメニューを開きます。おや、牛や豚に混じって鶏肉もあるようです。ホントかどうかは分らぬけれど、鶏だとヘルシーっぽいし胃腸への負荷も軽いんじゃないかという気がするのであります。そんなこともあり、鶏肉を注文し酒は焼酎を頼みました。ほどなくして届いた鉄鍋には鶏肉を覆い隠さんばかりのキャベツやら玉ねぎが被せられています。ふうん、変わった流儀だねえなんて思いつつしばらく箸で鍋を弄びそろそろいいかなと小皿にとって口に放り込んでみるとにんにく味噌風味の醤油ダレが絡んでシンプルながらなかなか旨いのでした。とこの文章を書き始めて気付いたのですが、これって所謂ところの鶏ちゃんそのものじゃないか。翌日訪れる予定の郡上八幡の名物料理ですね。現場で食べた際にはそんなことすっかり念頭になく、たぶんメニューにも鶏ちゃんという風には記載されていなかったように思うのです。だからといってこんな有名名物料理にも気付けぬとはいかにも情けのないことです。先日、ケンミンショーで簡単野菜料理といった企画で総集編で見た時にも思い出さなかったし、それを見て、自宅で再現もして食してさえいたのにも関わらず高山のこの店の料理とは結び付かなかったのはいかにも愚かしいことです。ともかくこのブログを書くことをきっかけに思い出せたのだからよしとしておこう。ちなみにぼくの後にやってきた一人客もそれを知らずか、牛肉を数種オーダーしていたのでした。 ちなみに「串焼き 島田」というのを夕暮れ時に見掛けていて、本当はこちらに立ち寄ろうと思っていたのだけれど、真っ暗になった後にはどうにも見つからなかったのは、とっぷりと夜闇に包まれたこの町では店の明かりがないと見つけようがなかったのかもしれません。だとするとこちらはすでに店を畳んでいたということなのでしょうか。
2019/09/09
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高山での喫茶巡りは不完全燃焼に終わることになりましたが、それでも充分に印象深い喫茶に立ち寄れたからしっかりと満足を持って町を出発できました。当初の想定では高山本線で下呂駅を目指すつもりでした。下呂にある「スナック&喫茶 のばら」などを巡るという野心があったからですが、冷静にスケジュールを眺めてみるととてもではないけれどのんびりと下呂の町を散策する余裕はなさそうです。ならば高山の喫茶で少しでも過ごせた方が良かろうと予定を変更したのでした。その考えは前日の白川郷からの路線バスの到着したバスターミナルで思い付きました。そんな事は実際に高山に来る前に調べが付いていても少しもおかしくなかったのですが、予定の変更に次ぐ変更によりすっかり調べるのが面倒に思えたのです。下呂駅に向かう濃飛バスの乗客はわれわれ以外にはほとんどなく、途中の集落から乗っては降りで結局終点まで乗り通したのは我々だけという有様です。まあ、列車が運行されているのにわざわざ路線バスを使うのは普通なら酔狂に過ぎぬけれど、この場合は列車のダイヤの谷間の時間帯だったからまずは賢明な選択肢だったと思うのです。そして実際、その路線バスからの景観は列車から眺めるよりずっと変化に富んでおり、加えて、岐阜が裏の喫茶王国である事を証明するに足るものなのでした。途中、何度バスが無情に素敵な喫茶を通過するのを歯がみして見送ることになったことか。でもどうして下呂の散策を投げ売ってまで先を急ぐのか。 実は今思い出したのですか、今回の旅を当初決めたのは長良川鉄道に乗るという目的があったからなのでした。つまりは長良川鉄道に乗車する事を最大かつ唯一のミッションとしていたはずが、スケジュールをこね繰り返した結果、本来の目的を見失ったということです。旅の計画というのは余りに熟成に時間を掛けるのは得策ではないようです。とかいいながら、喫茶と酒場の影が薄いこの旅で得たものは消して少なくなかっという程度に自負はあります。特に下呂と郡上八幡を思いっ切りショートカットして移動する手段を見付けられたのは、これから似たような行程で旅の予定を立てている方には参考となるかもしません。というのが白鳥交通の郡上八幡行無料連絡バスなる観光振興のためのバスが運行されている事を知ったのであります。かつてはいわゆる酷道をウネウネといつ果てるともない悪路を行かねばならなかったのが、今では山を串刺しにする長延なトンネルを抜ければ1時間20分程度で送り届けてくれるのです。これは実に素敵なサービスで途中、小さいながらも道の駅にまで立ち寄ってくれると致せり尽くせりなのです。ただし出発は10:00発の1便のみで、予約も必要なのでその点は留意が必要です。親切で鶏ちゃん押しの運転手のお兄さんと楽しくお喋りするうちに早くも郡上八幡に到着です。 さて、郡上八幡に到着し、すぐに「門」にて休憩。郡上八幡の中心部は駅から離れているのですが、先のバスはその中心となるバスセンターで降車させてくれるので、その点でもとても至便なのです。本来であれば駅から歩くなりしてのんびりと確信に迫るという過程も良いものですが、この暑さではなるべく楽をしたいところです。こちらの喫茶店はごく平凡な小奇麗なお店です。もう少し何か語るべきところですが、とても普通で語るべき言葉が浮かんできません。 町並みを散策しているとこの先の予定など投げやってひたすら路地に迷い込みたい誘惑にくださいしています次の「珈琲館 チロル」は、全くのノーマークのお店でしたが、とても良かったのです。狭い軒先を通り抜けると思いがけずも立体的で複雑な内装で訪れる度に視線に変化をもたらしてくれそうなのがとても愉快なのです。クラシックでありながら、芸術的な意匠が随所に散りばめられていて、全体としての統一感とかを確認するだけの暇はありませんでしたが、むしろ全てを見届けてしまうのは無粋な振舞いなのではないかと感じました。何度も繰り返し訪れてみて、自分にとっての居場所を見出す楽しみがここにはありそうです。この町で暮らしていたなら、目的や誰と一緒だったかもしくは一人であるとかを状況に応じて使い分けられるようになりたいと思わせてくれるのでした。 郡上八幡でも取り分け古い町並みを今に留める何やら気の利かぬ通りの名を付けられた通りを歩くと「美濃」というこの地方の伝統建築群にすんなり収まった喫茶がありました。こうしたリノベーションされたらしき喫茶というのは外観頼みでがっかりさせられることが少なくありません。少なくないというのは控え目な書き方で実際にはほとんどがそうなんだろうと思うのです。また、和風建築には和のテイストをという期待に応えるためか、外国人観光客や思い描くようなベタなものになりがちなようです。しかし、こちらはそんな憶測を心地良く裏切ってくれます。リノベーションの薄っぺらさは積み重ねた歳月が覆い隠してしまっているし、和のテイストは凛とした女性店主のキッチュさ寸前の趣味性でとてもユニークなものが散りばめられていて、想像を凌駕するのです。選り好みする傲慢さを窘められた気分です。さて、コチラには隠し玉のお楽しみがありまして、それは手洗いに関することなので詳細は省きますが、機会があれば拝借してみてはいかがでしょう。 駅まではタウンバスを利用しました。車窓からはこの町で一番気になっていて当然立ち寄ってみようと思っていた「喫茶 吉野屋」が、中休みを終えたのか先程は消えていた照明が灯っていて、また来るようにとのお告げのようにも思えたのでした。
2019/09/08
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白川郷からは、直接に高山に向かう路線バスが運行されていてとても楽チンであります。最初に書きましたが、今回は本当ならば高山と郡上八幡を満喫する旅とするはずでした。しかし、同行者の要望もあり、五箇山と白川郷を追加したために高山をじっくりと散策する機会は次に譲った方が良さそうです。なんて、理由を観光のせいにしてしまいましたが、実は都内からの高速バスの運賃が高山行きが富山へのそれの倍額以上という極めて切実かつみみっちい理由もあったのです。高山行きの運賃が高いとは思ったけれど、まさかここまでの開きがあるとはこんな事がなければ知らずに済ませてしまったかも知れぬ。それはともかくとして、ぼくも思いがけず世界遺産となって以来、初めて合掌造りの景色を眺められたのは収穫でした。もう見そびれてしまったという後悔をしなくて済むのですから。というわけで高山に到着し、宿で荷を解きいくつかのヤボ用を終えてついでに喫茶のチェックと立寄りを済ませた頃には日もどっぷりと暮れてしまいました。 高山ではずっと行ってみたいと思っていたお店があります。居酒屋好きであれば容易に想像できるであろう「樽平」です。太田和彦氏の著作や番組でも何度も取り上げておられるので、ぼくなどがあえて饒舌にならずともこの酒場の粋は記録され語り尽くされていることでしょう。詳細はそちらをご覧いただければよろしいかと、と述べると話は簡単なのでありますが、さすがにこんな投げやりなブログではまずかろう。すぐそこと書かれた引き込み看板に促され、店の前に歩みを進めると端正な文字で店名が記された看板があります。分かる人には分かるでしょうが、その生硬さがどこか大映の映画監督、増村保造のタイトル画面のように思えるのでした。通りのそのまた路地からさらに奥まってたたずむ店舗にすぐさま好感を持ちます。内装もそうそうと口に出しそうな位に典型的なものであり、歴史を滲ませながらも少しも劣化した感じはせずとてもとても大事に店を守ってきたのだろうなというのが見て取れるのでした。店は母娘お二人でやっておられたけれどかつてはご主人もおられたのではないか。そんな映像が記憶の隅に残っています。さて、日本酒の呑み比べセットなどを頼むのはいかにも素人臭いがまあ素人だからよかろう。肴は時価といかにも不安であるけれど、ここは鮎の塩焼きは頼まぬわけにはいかぬと思うのだ。そして、そんな鮎はとんでもなく旨いのだ。かつてどれ程の鮎体験をしたかと問われると非常に心許ないのであるけれど、それでもここの鮎の旨さはしみじみ感じられるのです。明日の郡上八幡はそれこそ鮎の名産地であるから、期待は大いに増すのでありました。まあ、結局のことろこの旅で鮎を食するのはこれが最後となったのですけどね。 さてさすがに一軒で済ますのは詰まらぬからとこの後、散々町を彷徨って少なからずの酒場を通り過ぎたのだけれど、これといって心惹かれる酒場が見当たらなかったのです。歩き疲れて途中、もう面倒だから高山ラーメンでも食べてホテルに戻るかと思い直してみたのだけれど、今度はそれすら行き当らぬのだから今回は一軒目が良かった分、割の悪いことだなあと感じたりもしたのでした。駅前に戻ってきて「八角亭」を見掛けた時にはもう物色する気迫すらなくなっていて、もうここでいいやと投げやりに飛び込むことになるのでした。しかしここには非常に憤慨させられたのです。何に憤慨させられたかは詳述せぬけれど、とにかくぼくはもう行くつもりはない。けれど、結構な賑わいだから気に入って通われる常連も少なくないようです。炉端焼きのお店のようだけれど、それらしいところは希薄で、ならばとさっきも頂いた奴をもらうことにします。この辺の地域の奴にはどうも真ん中に練り辛子が仕込まれているようで、それほどピリッと辛いわけではないけれど、それでも風味が良くてちょっと気に入ったのでした。帰京したら真似してやろうと思うのでしたが、実際やったかというと未だに試していないのでした。買ってきた奴サイズの豆腐に辛子のチューブとぶっ刺してニュルっとすればまあそれらしいものになるはずで、非常に手軽な肴だから近いうちにぜひ試してみることにしよう。ということで、いやな思いをしたのだけれど、実は今では何にそれほど腹を立てたのか判然とせぬ―両隣の客に対して苛立ったことは覚えているけれど―けれど、まあちょっとしたアイデア料理を覚えることができたから良しとするのであります。
2019/09/02
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高山には、数多くの喫茶店があることは調べができていたのです。高山を最後に訪れたのは随分以前のことで、当時は喫茶店巡りなどという贅沢な趣味は持ち合わせていなかったため、喫茶などは見掛けたに違いないけれど少しも記憶には刷り込まれなかったようです。まあ、当人の好むと好まざるとに関わらず脳にはありとあらゆる知覚情報は蓄積されていて、だけれどそれを引き出すための栞が挟まれていないだけということのようなのですね。既知無、いわゆるデジャヴというのは出会い頭に遭遇した何某かが感覚受容器で知覚された際の情報が脳を駆け巡った際に蓄積された既知の情報と無意識のうちに突合されたことにより発現するというらしいのだ。らしい程度の認識をもっともらしく語ってみせるのもなかなか厚顔無恥なことであるけれど、まあ小馬鹿にされたり、嘲笑されるのには不感症となっているから構いはしまい。こんな話はどうだっていいのだ、時間がないからとっとと本題に入ることにします。 夜になったし、大雨でもあったので躍起になっての喫茶巡りはやめておくことにしました。せっかくの高山なのに夜から行動開始で翌朝も早くから移動しなくてはならないから、高山観光はまたにしてのんびりと過ごすのも悪くなかろう。でも「喫茶 ドン」ってのが遅くまで営業しているようだからちょっと行くだけ行ってみるかなと、あまり期待せずに歩いていたら「バグパイプ」というのがとってもいいじゃないですか。でも時はすでに遅し。まあそれこそまた来ればいいことです。で駅方面に引き返しつつ酒場巡りをしようかなと思っていたところに、ちょうどよく「喫茶 ドン」が登場。これを見たら入らざるを得ないだろう。気分はすっかり酒場モードであったけれど、どこか古風なバーのようなムードを放っていてかっこいいじゃないの。これはみすみす見過ごすわけにはいかぬのだ。といそいそ店内に入るといやはや外観以上に素晴らしいではないですか。素晴らしい、といってもぼく好みのという留保は付けるのがよろしかろうけれど、とにかく痺れるばかりにカッコいい。椅子カバーというと長岡の「COFFEE HOME シャルラン(CHARLIN)」、長野の「純喫茶 りんどう」、御殿場の「ベル」などがすぐに脳裏に浮かぶけれど、こちらも同じように忘れがたい喫茶店となりそうです。内装の素晴らしさは文章にするのが煩雑で、苦労してみてもその労が報われることは少ないからあえて放棄することにします。だから文章が上達しないけれどこの際そんなことはお構いなしです。そして特筆すべきは、こちらの女性陣の暖かな応接であります。お三方が入れ代わり立ち代わりで応対してくださってそれがとても可愛らしいし、和やかな気持ちにさせてくれるのです。ギスギスした気持ちになった時には直ちにここに来るのが正解。 翌朝、何とかかんとか時間をやり繰りして―そのやり繰りとは何ぞやということは次回触れることになりそうです、この自信のなさは単なる忘れっぽさを胡麻化すため―「コーヒー 4の65」にお邪魔しました。店名はご想像のとおり。古びた味わいのあるお店です。向かいには清水ミチコの実家とどこかで耳にした「if珈琲店」があるけれど、個人的には早朝から営業しているこの投げやりな店名のお店を強く擁護したいところです。時間がなかったので短い滞在時間となりましたが、ここ高山ではいい喫茶に巡り合えたと、これはまたもや出向くこと必至です。 ちなみに遅くなったのは、駅の反対側をずっと行ったところにある有名ブーランジェリー、「トラン・ブルー(TRAIN BLEU)」に寄りたいという同行者の要望に応えてのことであります。気取ってブーランジェリーと書いたけれど、パン屋と呼ぶにはあまりにもハイレベルな商品ばかりで、喫茶好きと公言することが、語るに落ちたと非難されようが遠回りして立ち寄って大正解の絶品ばかりでありました。
2019/09/01
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白川郷では、土砂降りに見舞われることになり思ったような段取りで行動できず、もたもたするうちに予定していたバスに乗り遅れてしまいました。今まさに脚光を浴びている旬の観光地での食事となると無駄に高いばかりで少しも旨くなかったりして、少しも乗り気にならぬのでありますが、ひどい雨なのに気温だけは夏の暑さを反映しているから、もう蒸し暑くて堪らんのでした。蒸し暑さの深いから逃れるためにも観光地メシを受け入れざるをえなかったのでした。 そこで、バス乗り場から近い「いろり」で昼食を摂ることにしました。合掌造りの趣のある店舗ですが、外観のみ風情があっても店内は観光地風のしかし真新しく味のない食堂だろうという程度に期待せずに暖簾をくぐったのですが、これがなかなかに店内も風情があるのでした。店名にもなっている囲炉裏もあったりして悪くないんじゃないかい。当然ながらせっかくなのでお酒でも頂くことにしたのでありますが、どぶろくセット650円なるものがあって、これがどぶろく一合と石割豆腐、そして小鉢はなんだったっけなあ、なかなかに気の利いたセットじゃないか。これだけというわけにもいかぬから焼とうふ定食1,296円を頼むことにしたのでした。「とうふは白川郷独特の『硬いおとうふ』を使用してい」るということで、これが確かに歯応えのあるがっしりとした食感で素朴ながらもなかなかに美味なのでありました。朴葉みそや若鳥けいちゃんなどの定食も魅力的ですが、いずれもこの夜、宿泊する高山や翌日行く予定の郡上八幡の名物だからあえてこちらで頂かずとも良いのであります。いかにも和の雰囲気の店内は外国人観光客で繁盛していて、この雰囲気に外国人ばかりというのも違和感がありはしないかと思わぬでもないのですが、皆さん、案外慣れた様子で馬鹿みたいにはしゃいだりせず落ち着いて過ごすことができたのはラッキーでした。
2019/08/26
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すっかり定番となったバスタ新宿から高速バスで向かったのは、富山駅でした。運賃は3,000円と手頃なのが嬉しいけれど、やはり上手く寝付くことができず、到着した時にはもう旅の終わりのようにぐったりしていました。数年前に福井から東京に向かう夜行バスに乗った時には金沢、富山を経由しているので今回以上に辛かった事を思えば、随分と楽なはずだけれど過去の苦労はやはり過去のものでしかないから、余り比較の対象とはならぬのでした。今回は当初、高山と郡上八幡をゆっくりと巡るはずだったのでありますが、同行者が折角だから白川郷に行きたいとか、帰りに犬山に寄ると効率が良いと提案したりして、物凄く盛り沢山な旅となってしまいました。貧乏性は却って旅を薄っぺらなものにするというのは分かっちゃいるけれど、まあ気に入ればまた訪れれば良いだけのこと。って再訪する機会などそうそう無いのは知っています。ともかく、早朝に富山に到着。目ボケ眼をスッキリさせようと朝のスタートがのんびりな富山の町では、例外的に早い時間から営業を開始している一軒の古い喫茶店にお邪魔することにしました。「メルカード 富山駅前店」なのですが、この富山駅前店のことはとりあえずは置いておくとして、もともとは「UCCカフェ メルカード」の系列店であったと思うのです。思うのでありますが、念のためとネットで調べてみたところ、これがよく分からないのです。分からないというのは、この公式ページに店舗一覧があるのですが、富山駅前店はそこにリストアップされていないのです。ちなみに強い印象を留めているという点では彦根店が脳裏に去来するわけでありますが、ここも一覧には見当たらぬのです。まあ、「ルノワール」もそうでしたが、より結び付きの強いフランチャイズ店と比較的自由度の高い独立店があるようなものだと思えばまあそう間違いはないのではないかと思うのです。UCCもメインの宣伝喫茶を「上島珈琲店」にシフトしつつあるようなので、どこか古臭さを感じさせる「UCCカフェ メルカード」は徐々に数を減らし、「上島珈琲店」などに移行することになるのではないかと思うのです。チェーン系列の喫茶でも個性を活かすなら肩入れしたくなりますが、「上島珈琲店」など画一化の方向に突き進むようであれば、残念に思われるのです。さて、こちらは初老のご夫婦らしきお二人で静かに営業されていて、特別見どころがあるというわけじゃないけれど、画一化とは無縁な経年劣化によるうらがれたもの悲しさが心地よく感じられ、滞在時間のほんのわずかな富山の朝を有意義に過ごすことができました。 さて、あいの風とやま鉄道金沢行で富山駅から高岡駅に向かいます。高岡駅前では加越能バスのバスセンターにて世界遺産バスの高岡⇒五箇山・白川郷片道フリーきっぷを購入。昔、やはり五箇山と白川郷に行った際には大変な苦労をして赴いたと思うのだけれど、世界遺産登録となり随分と利便性は増したようです。旅は楽になったけれど、苦心惨憺として行った時の方が今の記憶が鮮明なのは訪れた季節だけが理由ではなさそうです。一時間ちょっとの乗車時間で五箇山に到着しました。久し振りの五箇山は地元の方の頑張りで牧歌的な景観を保持していて、その努力には敬服いたすところですが、想定していたほどの感慨が湧かなかったのはちょっと残念でした。 白川郷も感想は似たようなものでした。違いがあるとすれば、合掌造りの民家が民家に留まらず飲食店などの各種店舗としても活用されていること。これがいいのか悪いのかは意見が分かれるところですが、ぼくは単なる民家よりも店舗の方が好みです。きっと、店舗として用いる物件よりも民家として使われる物件の方がより過去の集落としての原風景を留めているのだと思われますが、あくまでも好みを優先することにします。「落人」、「狩人」、「コーヒー屋 鄙」など、喫茶店としても用いられていましたが、お休みだったり、混雑していたため入り損ねてしまいました。 昼食の後に「喫茶 さとう」でしばしの時間調整。少しの飾り気もなく実用一辺倒、という程ではないけれど、白川郷という土地のイメージを全くと言っていいほどに感じさせぬのはちょっとばかり残念ではなかろうか。景観を壊さなければ良いという程度にしか思えぬのですが、実際に雪深いこの町で暮らしながら店を続けるにはこうした合理性も認めないわけにはいかぬのだろうと思うのです。まあ、こんな山間部の奥深い集落にこうして時間を潰す場所があるだけでもありがたいと考えるべきだと思うのです。思うのだけれど、もう少しでいいから喫茶店らしい雰囲気を整えて貰えると観光客の皆さんも喜ばれるはずだと申し上げときます。ってお前が期待しているんじゃないかってツッコミがありそうですが、当分、合掌造りを見るのは遠慮したくなる位に堪能しました。
2019/08/25
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暑くて歩き回る気力もないけれど、少し位は観光もしておきたいところ。子供の頃は親に連れられ北海道、沖縄を除く全ての都府県を観光して巡ったものです。その反動もあってか、大人になった頃には一般的な観光に全く興味を失ってしまっておりますが、ご存じのように近頃になって、観光への意欲が再燃してきたのでした。甲府の観光といえば定番があって、そちらは何度か行っているからハタと困るのであります。甲府から都内へ戻る途中でどこかに立ち寄ってもいいけれど、これといって気になる町もないとボヤいていたところ、職場の同僚から甲斐善光寺などどうだいと教えられたのでした。へえ、善光寺といえば長野市と思い込んでいたけれど、甲府にもあるのだね。しかも駅名にもなっていたとは余りにも無知であるし、余りにもみっともないからここには書かずに済ますのが得策とも思ったけれど、つい勢いで書いてしまったので、消すのも面倒だから素直に告白することにします。で、昼頃に甲府駅から身延線の列車に乗車し、向かったのはそのものズバリの善光寺駅だったのでした。下車する者もない無人駅を出てみても人っ子一人歩いていやしない。善光寺通りというこれまた寂しい通りを歩きながら、果たして観光に足るような寺社なのか不安になってくるのです。しかし山門前に立っておくの寺社を眺めてみるとこれは枯れていていい雰囲気ではないですか。絢爛たる伽藍を眺めるのも悪くないけれど、ぼくとしてはこういった少し劣化も味となるような物件のほうがよほど好みなのであります。 満足しつつ向かったのは、「手打うどん とだ」でありました。ここは参拝後に立ち寄ろうと事前に目をつけておいたお店でありますが、営業時間も短くてスケジュールも緩い今回の旅で立ち寄れるか甚だ不安であったのですが、幸いにもまだ営業しており、それどころか店はかなりの客で賑わっていて、われわれが帰る際にも途切れることなくお客さんがやって来るのでした。さあ、あとは列車に揺られて帰るだけとまずは大ジョッキになみなみ注がれたキンキンに冷えたレモンサワーを頂きます。これにはなんという嬉しいサービスであろう豚バラ肉を甘辛煮が添えられているのでした。しかし、この時は気付いていたけれど気付かぬフリをして気丈に振舞ったけれど、しばらくして届けられたうどん丼にはその数倍にもなる肉がゆでキャベツとともに乗せられていたのでした。武蔵野うどんに負けず劣らずのすさまじいコシが癖になりそうです。武蔵野うどんほどには粉っぽくないのも好みです。そこに手作りの南蛮をドサドサと投入してやるともういつまででも食べていたい気分ですが、終盤にはもう満腹でうっかりとお替りしてしまった残ったサワーを呑み干すのが難儀なほどでした。この肉うどんが470円でいただけるのだから本当に驚きであります。地元の方は休みの日の楽しみにここに食事に来られているに違いなく本当にうらやましい。 といったわけで、都内に入ったらどこから旨いものでも食って帰宅しようと想定していましたが、空腹が訪れることもなく、大人しく帰路に就いたのでした。ちなみに都心方面にお帰りになられる場合は、中央本線の酒折駅の利用が便利です。
2019/08/20
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甲府の町については、気になるところがあるのです。地元の方が生活を送り仕事に就かれている方もおられるから、門外漢のぼくがあれこれと難癖をつけるのは傲慢と偏見の誹りを免れぬところであるのかもしれません。それでもあえて言わせていただきたいのだ。それは甲府の役所街の裏手にある繁華街、というか歓楽街のことであります。どこにどう一言述べたいのかについては、あれこれ書きたいと思っていたけれど、今しがた仔細については語らぬことにしました。というかこれだけ書けば、甲府の町を訪れた方であれば凡その推測はつくものと思っています。町というのが多様な人々が跋扈して聖俗入り混じってくるのはどうにもならないことではあるけれど、甲府に好意を抱く者としてはもう少し何とかならないものかと思うのです。役所の裏手にあるのに政治家や役人たちがそれを放置して良しとしているのは、彼らこそがそこの常連であるのではないかと邪推してしまうのです。まあ、ぼく自身が好んで出入りするような酒場であってもそれを嫌悪する人々にとっては、団栗の背比べにすぎにかもしれぬけれど、ぼくには甲府の呑み屋街はとても魅力的に思えるのです。 風俗店が立ち並び呼び込みの男たちの群れをかき分けて行くと、細い小路が何筋か覗き込みつつ歩いていくと「居酒屋 えいじ」の看板を見つけました。路地の奥までにも多くの小さな酒場が連なっていますが、以前探索した時のような活況はなく、どうも活気に欠ける感じがありました。単に暑さのせいで人々が町に繰り出さぬだけということであればいいのだけれど、どうもそれは楽観的に過ぎる見方のように思われます。さて、いつでも同じ感想になりますが、こうしたマーケット風の呑み屋街というのは素通りして眺めるほどには実際にそこに身を置いていると面白くはないもののようです。でもまあ酒場放浪記で放映されたらしいけれど、すっかりメモし損ねていてこれまで立ち寄ることすら思いつかなかった一軒のお店です。こちらの主人はかなりの曲者のようで、曲者と書くと悪いイメージが付きまとうけれど、この方は人柄がよいのは間違いなくて、青唐辛子や小梅の調理について丁寧に教えてくれるのは参考になりました。ただ根っからの遊び人のようです。遊び人というのはどこまでも凝り性であることと同義であり、その対象が女性であったり、着物であったり、料理であったりと様々ですが、いずれも私的な拘りで武装されていて、他人の意見など頑として受け付けぬ意思を感じさせるのでした。さて、そんな拘りにはジビエに対しても当然あって、その処理方法なども事細かに語っていただきましたが、確かにここでいただいた各種ジビエはいずれも全く臭みがなくて、むしろ物足りぬほどなのです。ジビエに嫌悪を感じる方にはぜひとも召し上がっていただきたいと思うのです。個人的に大いに参考になったのはそば粉のお好み焼きみたいな品で、これはそば粉に卵と水を加えたものにとろけるチーズを加えて、フライパンで焼いただけのシンプルな品だったのですが、これがなかなかおいしいのです。自宅でも真似してみようと思いつつそのままになっていましたが、今、書いていて思い出したので、今晩にでも試してみることにしたいと思います。 さて、もう一軒。「大衆割烹 友四郎」にお邪魔しました。地方の町にしっくりと馴染んだごくごく普通の大衆居酒屋であります。まだ深夜というには早いのにもうすぐ閉店の時間を迎えるとのことでありましたが、幸いにも中に通してもらえました。甲府らしい肴などほとんどんないけれど、座敷の多いオオバコだけれどせせこましいところがいかにも甲府の酒場らしくて、案外居心地よく酔うことができました。
2019/08/19
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恒例としている日曜日の喫茶巡り報告ですが、甲府ではそれもなかなか困難です。というのは、甲府にはまだ未訪の喫茶も少なくないし、中には気になっているお店もあるにはあるのだけれど、思うようには回れていないのが現状です。その理由として考えられるのは、まず土日祝日に営業しないお店が多い事を挙げておいても嘘ではないだろうと思うのです。ここで言うお店というのは、喫茶店に留まらず、ありとあらゆる店が閉まっているのです。これはもしかすると勘違いかもしれないけれど、ぼくが一旅行者として町を歩き回って受けたリアルな印象です。もしかすると平日に甲府を歩いていたならばまた異なる印象が得られたかもしれぬけれど、しがないサラリーマンに平日の旅は、夢でしかない。もしかすると営業開始の時間が遅いのだろうか。だとすればこの町の喫茶は随分と営業時間が短いようです。平日の夕暮れ時に訪れてももう閉店しているという事がしばしばあるからです。しかし、これはまあ地方都市では当たり前の事のようだから不満を述べても仕方のない事です。だったら折角なので喫茶や酒場ばかりに拘ることはない。実際に地方都市を巡る際にはそれだけを目当てにしていると手痛い仕打ちを受ける事もしばしばであります。そんな時にはよくパン屋さんに立ち寄ります。実のところこれまで巡ってきた喫茶店には及ばぬにしても、かなりのパン屋に立ち寄り興に乗って多くのパンを買い求めてきたものです。根が横着なものだからその全てを記録に留めていたりはしないけれど、時には印象的なパン屋とも巡り合う事があるので報告すべき喫茶店が少ない時には気が向いたら記録しておく事にしたいと思います。 ここ「ずんちゃんパン店」は、甲府に来るたびに立ち寄りたいと思っていたお店です。駅前の螺旋式エスカレーターもそうだけど、行きたいと思っても時間の制約があるからなかなか思ったように熟しきれないのです。でもまあ未練を残すくらいの方が繰り返し同じ町を訪れる理由付けができていいのかもしれません。ただし、訪問するタイミングは過たないのがいいけれど、それも運頼りに任せるしかないからこれからも何度となく歓喜と後悔とを繰り返すのだろうなあ。さて、こちらのパン屋さんはユーモラスな店名でその字面を見ただけでも笑顔が浮かんでしまうのを抑えきれぬのですが、値段と味もとっても愛嬌があります。コッペパンサンド系が充実しておりどれもボリュームたっぷりでしかも単品ではなく卵とフィッシュフライなどのように2種の組合せになっているのがとても楽しいのです。ピーナッツコッペなんかのオーソドックスな商品もとても満足度が高くて、コンビニなんかでパンを買うのがアホらしく思えるのでした。 さて、駅前の目抜き通りにある「自家焙煎珈琲 徽典館 丸の内店」が営業を開始したようです。シックでモダンな店内はいささか平板でありますが、汗だくになり熱の籠った身体を休めることができるのだから何の不満がありましょうか。夏場にはボロなお店は敬遠したくなると書くと、己の衰えを晒すようで気が引けますが、こうした清潔感のあるお店に安堵することを正直に告白しておくことにします。 甲府城の見張り小屋のような立地にある「木花」は、思いがけず味のあるお店でした。特別な意匠が凝らされているとかそういうことはないのだけれど、なんだかとても居心地が良いのですね。観光地のそばにあるとは思えぬような静けさに立ち上がるのが億劫に思えるほどです。マスターがたっぷりと淹れてくださったコーヒーのさらにお代わりをサービスしてくれます。たまたま店が空いていたから気を遣ってくださったのだろうか。それともこれは皆さんに変わりないサービスであったらそれはそれで凄いことです。甲府に来たらここで一息吐くのは悪くないなあと瞬く間に終わった甲府の旅を切り上げることにしたのです。
2019/08/18
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さて、甲府の酒場巡りレポートをスタートしようと思うのですが、近年は夏場の酷暑に打ち負かされっ放しで、旅に出るまでは呑もうという強い意欲に必用以上に調べ込んでしまったりするのですが、結局は無駄になる事が多いのです。だからいつもここだけは行きたいという酒場は多少の効率の悪さがあろうとなるべく一軒目にするようにしています。でもまあ、大月で一杯位は呑んでおいてもさして支障はなかろうし、何より腹が減ったから昼飯ついでに一杯やるのは構わぬだろう。 ということで、今ひとつ物足りなかった喫茶巡りを終え、次の甲府行きの列車の時刻を調べるとちょうど良い程度の時間があります。真っ昼間だからそんなに営業しているお店もないことだし、ならば駅からもそう遠くない「大芳飯店」にお邪魔することにしました。と書くといやいや来ているかに思われるかもしれぬけれど、消してそんなことはないのです。むしろここ何度か大月に来た際に見掛けた店では最も気になっていた店だから―その所以は店舗写真を見ていただくと一目瞭然かと―、なんとも都合がいい。昼も大分過ぎていたけれど、やっててくれて嬉しいななんてウキウキ入ってみると店内はかなりの熱気で、これは冬場に来ておくべきだったかと思うのですが、もう引き返せぬ。夏場の冷房の効かぬ店というのは、ぼくのような酒場を好んで巡っていると少なからず遭遇するものです。この小さな旅を決行した時期はここ何年かは経験しない程に過ごしやすかったから大人しく我慢することにします。暗いカウンター席の奥では、店主と顔馴染みの勤め人が方言混じりに町中で見たら喧嘩しているとしか思えぬ様な激しく残酷な位の毒の浴びせ合いが聞かれて、しかもこの後も頻繁に経験するとになるのだけれど、とんでもない声のボリュームなのですね。日本人がさる隣国の人々の声の大きさを非難するのが恥ずかしく思える程のけたたましさであります。この方が恐らくは食事も取らずに一杯どころか恐らくは三杯はコップ酒を干しています。ならばとぼくもサービスのお新香を肴にコップ酒をちびりちびりと空けた頃に、注文した麻婆麺が到着します。新潟でご当地麺として売り出しているけれど、案外そこら中で見受けますね。カレーラーメンもしかりです。辛めがいいかいとの問いかけについウッカリとそうしてもらったけれど、口に含んだ時点ではさほどの辛味はなかったけれど、身体の方はしっかりカプサイシン効果を放って、店を出る頃には汗だくになるのでした。 さて、ここからは甲府の夜の部です。南口側の目抜き通りの裏手、裏手どころか相当外れ―とはいえさほど大きな町でもないので、歩けば十分も掛からぬだろうけど―に「やきとり 千成」はありました。初めて甲府に来たのはもう思い出せぬ位に昔の事ですが、十年程前に喫茶巡りで訪れた際に初めて本腰を入れて町歩きしたときに見かけて以来の念願だったのです。なのにこれまで何故に来なかったのか。答えは簡単で、記憶に店構えのみしか残っておらず、それがどこの町で見かけたものだか恥ずかしながらすっかりと失念していたのでした。しかしまあ幸いなことに今回、南口側の下調べの最中に偶然にも再会が叶ったのだから良しとしよう。そしてこうして嬉々として書いていることからもそこがかつてのように現役でいてくれたのだから嬉しいではないか。店の前に立つと店内から明かりは漏れているがまだ開店前らしいので、近所をぐるりして戻ってくる頃には営業を始めていて、すでに訳ありそうな男女カップルがおられるのでした。店内はカウンター席に小上がりに2卓の思ったより狭いお店でした。厨房が広く割かれていて、もしかするとテイクアウトが売り上げの大部分を占めるのかもしれません。実際、しばらくして車で数組が買い求めに来たから、現地で呑むことあできるけれど、むしろ焼き上がりまで軽く呑んで待つという使い方が正しいのかもしれません。焼鳥もあるけれどせっかくだからもも焼きを注文。しばらくして登場したそれはもう見事なまでに真っ黒で、焼きのミスかと思ったけれど、次に焼き上がった商品を見るとこれが正解らしいと意を決してガブリと頬張るのでした。思ったよりは焦げ目の苦みもなくおいしくいただけますが、これは焦げを忌避する方にとってはとても受け付けられぬだろうからお気を付けいただきたい。ぼくは焦げにはそれほど神経質なほうではないけれど、それでもビビる程だったので神経質な方にはお勧めできません。また、店の女のコが眼光鋭く性格キツメなのでその点もお含みください。それでもという方であればどっぷりと渋い酒場の風情に浸れると思うので奮ってお出掛けください。
2019/08/12
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突如として旅に出たくなる事があるものです。ぼくの知人にも不意に思い付いて京都なんかに一泊、いや人によっては日帰りで出掛けるのもいたりして、そうした人の足は基本的には新幹線という事になります。その知人というの職場も同じで、そこての地位や家庭環境も似たりよったりだったりするのに、何故か彼らは新幹線を日常的に利用しているのです。ぼくが今でも仮に京都に行くとすれば、高速バスもしくは18きっぷが基本であるのとは偉い違いであります。なので、京都位の距離を移動する場合は時期と予算を綿密に計算する事になります。そうしないと単に往復だけで予算と日程を超過してしまうからです。そういう意味で都内を起点にして、ぼくと似たような境遇にあるとしたら突如思い立って旅に出ようとする時、その候補として甲府を思い浮かべるといえば、案外共感を得やすいと思うのです。そうなんですね、甲府なら運賃も18きっぷの一日分とそう変わらないし、安いホテルもあるから、それこそ単なる通常の週末の朝に目覚めてから、さて暇だしちょっとした旅行気分を味わいたいなあと思えば行けてしまうのが甲府を旅するメリットです。下手に観光資源に溢れていないのも良い。観光地巡りであくせくするのは真っ平なのであります。 さて、当初はかねてから行きたかったとある都内の施設に立ち寄ってから甲府に向かうつもりでしたが、愚図愚図するうちにいい時間になってしまいました。そこは今回は止めにしてとっとと甲府に辿り着いてゆったりと過ごすことにしました。でもまあ列車に揺られっぱなしではくたびれるから、大月駅で途中下車することにしました。甲府までの道中にもう少し立ち寄りたくなる町があれば有り難いのだけれど、なかなかこれといった町もないのが惜しまれます。でもちょうどいいや、大月には以前から気になっていた喫茶店があるので、そこに少し立ち寄って一憩を取ることにします。 その後は、途中寄り道もせずに甲府に直行しました。甲府駅に来るといつも方向感覚が狂わされます。果たして自分が向かっているのは、東西南北のどちら方面なのだろうか。盆地という地形もそれに関係していると思うのですが、地図を眺める限りはそう複雑な町並みというわけじゃないのに不思議だなあ。で、今地図を眺めたから分かるのだけれど、駅の北側を散策することにします。 ぼくは余程に気持ちに余裕がなければ、好んで初対面の方とお喋りに耽ったりしない質です。喫茶店という施設は、基本的にはそうしたコミュニケーションを拒否するように出来ていると思うのです。それはカウンター席の有無ともおおいに関わりがあると思うのですが、酒場ではすんなりと腰を下ろせるのに喫茶店だと少しばかりの躊躇が生じるのです。でも「喫茶 みな瀬」のように否応もなくカウンター席がメインの店となれば良いも悪いも選択の余地がそもそも想定されてはいないのです。喫茶店をやってる方なんていうのはそもそもとんでもない偏屈者かそれとは正反対に極端に社交的なのであって―すっごい偏見!―、しかもカウンター主体の店にするなんてこれは後者に決まっていると店の戸を開けて店内を見渡した瞬間に思ったものです。しかし、こちらのママはちょうど良い距離感と柔軟な対話力で楽しいひと時を過ごさせてくれます。その会話の中で、ママがこの後に久々に訪れようとしている甲府が誇る喫茶で長年お勤めになっていたという話がありました。その長くお勤めになった喫茶をこよなく愛していながら、まったくスタイルの異なるお店にしたのは、そうしたことだろうか。 ということで、「六曜館」にやって来ました。やはりここはいいですねえ。ちょっと窮屈なのが残念な気もしますが、これだけの濃密な空間を構築するにはこの程度の広さが限界なのかもしれません。というか骨董品屋と旅館を兼ねていることを思えばそう無理はできないでしょうね。しかし夜はお酒を呑ませるのは良しとしても、餃子はどんなもんだろうねえ。コーヒーを飲んでる分にはさほど支障はなかったけれど、別の席のカップルは甘味を召し上がっていたから少し気になったかもしれないですねえ、などと毒づいて見せるのが良くない癖ですね。 さて、「六曜館」を訪ねる前に「山交百貨店」に立ち寄りました。なんとこちらの百貨店、この9月30日をもって営業終了となるのですね。危うくこちらの螺旋式エスカレーターに乗り損ねるところでした。近頃、地方の町の百貨店が次々と姿を消し寂しい限りですが、もう一軒、「岡島百貨店」は健在だったので何とか頑張っていただきたいものです。
2019/08/11
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喫茶篇はいかにも締まりのない締め括りとなってしまいましたが、酒場篇は最低限の収穫は得られたので良しとします。がっかり続きの喫茶巡りの合間に立ち寄った赤城で昼食を兼ねての軽い昼酒を呑みました。 赤城駅からすぐの「八百半飯店」に立ち寄ることにしました。ピンクの壁が目立ちはするけれど、味の方が心配になるというアンビバレントな効果をもたらすのです。でもまあ近場にこれといったお店もないから入ってしまうんですけどね。店内は至って平凡でまあ次の列車を待つ時間調整にはとても使い勝手が良いのです。遅めの食事を取りに来た工事関係者たちにはご苦労なことだけれど、こちらはビールなんぞを頂いたりする。ごく普通の麻婆豆腐に平凡な味付けの焼そば、なんという贅沢であろう。豆腐はちょっとばかり塩味が効きすぎているがこれが一日動き回って披露した身体に染みわたるようで、この後の三日月村散策のエネルギー源補給としてはバッチリであります。栄養も体に行き渡るけれど、ビールもスポンジのように体内に吸収されるようで、凶暴な位の眠気に襲われるのでありますが、これこそが昼酒の愉しみなのです。無理して車窓の景色を眺めるよりも睡魔に下手に抗ったりせずに、身を任せるのも旅の快楽なのです。 さて、羽生で目指した酒場は、「新井屋」であります。随分前の酒場放浪記で放映されていますが、果たしてやっているのかが不安です。先般、立ち寄ろうとして久喜から電話して確認をした際には、普段の休店日ではなかったにも関わらず休業だったから、すこしばかり不安があります。道路に面して引き込み看板が設置されていますが、照明を灯すにはまだ陽が高いのでしょう、遠目にはやってるかどうかの見分けは付きません。看板の下に来ると民家の裏口に入るような細いアプローチを進むことになり、これは若干の緊張を伴ってしかるべきはずの状況なのに、少しも躊躇しなくなったことが少し寂しく感じられるのです。さて、店内はといえば無茶苦茶混雑してるじゃないか。一席のみが空いてるだけなので、急いで店の方に申告します。かなりへろへろになっている客もいるから随分と早い時間から営業しているのだろうなあ。さて、とりあえずは席も確保したからととりあえず酒を注文して、他の人たちの注文状況に探りを入れると、常連らしきオヤジ、オババたちはホルモン焼は頼まずに一品料理を頼んでキープした一升瓶を傾けているようです。家族連れなどいかにもな一見客はホルモン焼が主体であります。迷ったけれど、独り焼肉は嫌いでも苦手でもないからせっかくだから肉で呑むことにしました。味の良し悪しは良く分からぬけれど、間違いのない旨さであります。見掛けは少ない感じですが、焼いて食ってを繰り返してもなかなか減らない気がしました。しばらくして数組の一見客が去ると今度は焼肉系ブロガーらしき2人組が姿を見せます。此奴らが焼肉屋慣れしているという風にでかい態度で現れて、でかい声を上げ、写真を遠慮なく取りしているのを眺め取ったオヤジが一言ズバリと喝を入れていました。その後は二人組も大人しくはなりましたが、オヤジはなんて言ったんだっけなあ。あんな迫力を見に付けたいものです。しかし焼肉でもホルモン焼でもいいが、こうした店ではひたすら焼いて、食って、呑んでを繰り返すばかりで、そう時間も経たぬのにすぐ腹が溜まってしまうのです。なので、もう少し呑みたいと思いつつも席を立たなくてはならぬのが残念なのですが、せっかちな位が実はカッコいいんあじゃないかと思うのです。
2019/08/05
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新前橋駅からは、上毛電気鉄道で西桐生駅に向かいます。ほぼJRの両毛線と並行して走るこの路線に乗車するのは初めてです。何度もチャンスはあったのだけれど、大概の場合、18きっぷを持っていたからそれを有効利用したくなるのはまあ至って当然だし、運賃はむしろJRが安いのであります。また、時間的な制約に阻まれる事もあります。先般は群馬県内の鉄道路線を乗り放題の世界遺産きっぷを用いたけれど、乗り継ぎの都合なんかで諦めるを余儀なくされたのです。なので悲願叶っての乗車という事になりますが、出発駅の新前橋駅がすっかりと綺麗に様変わりしているので、その興奮も随分と損なわれます。昔の駅舎は何回か眺めていますが、やはりその改札を通ってみたかったのです。まあ、到着の西桐生駅が少し趣を異にするけれど、端正で惚れ惚れするような構えだったので良しとします。また、到着して知ったのですが、上毛電鉄利用客はレンタサイクルを無料で借りることができるのですね。ただほど安いものはないから当然、レンタルすることにします。思わぬ形で機動力の向上を図れたので、早速に町に繰り出すことにします。 数年前に桐生の町を訪れた際に立ち寄った「モリムラ珈琲店」は、この界隈では早い時間から営業する一軒のようです。なので、久しぶりにお邪魔してみることにしました。まあオーソドックスな正統な構えで悪くないのだけれど、まあ特段変わってはいないので、2回目だとあまり刺激がないかも。モーニングを求めて数組のお客さんが入ってきます。皆さん、雑誌を何冊も借受けて熱心に頁を繰っています。店主もなぜかコップを置いたりの動作がちょっと乱暴なようで、様々な生活音がかぶさって、会話はなくとmおにどく賑やかだったのです。 目星を付けておいたお店や偶然見かけた喫茶も少なくなかったのですが、そのほとんどが閉業喫茶、残りの一部はGWはきっちり休業のお店ばかり。とてもたくさん目にしたのでいちいち書き留めるのは面倒なので止しておくことにしますが、特に残念だったのは「亜露麻館」に入れなかったことです。現役らしき喫茶でここだけは未練を残してしまいましたが、再び桐生を訪れることがあるかは極めて可能性の低いことに思えます。 さて、これから向かおうとしているのは、東武鉄道桐生線の藪塚駅です。コミュニティーバスを始め色々な経路が考えられますが、どうしたものか上毛鉄道で赤城駅に引き返すことは念頭に浮かばなかったのです。しかし桐生の喫茶巡りが不調に終わったことからこの沿線でもう少し遊びたいなあと考えて路線図を眺めると、そうだ赤城がありましたね。赤城駅で下車したことがないから塩梅がいいと向かうことにしました。途中、富士山下駅の車窓から「ていしゃば」を認めましたが、立ち寄るまでの気力がわいてはきませんでした。さて、赤城駅で下車するとここでも無料のレンタサイクルがありました。わたらせ渓谷鉄道の大間々駅まで行ってみましたが、ここから歩く手もありましたね。本町通りを歩いていると、「いりえ」なる喫茶店がありますがここもお休みです。がっかりなんですけど「長寿軒本店」なる和菓子屋さんに立ち寄ったところ、ここのロールケーキが大層旨そうなのです。まだ先があるけれど土産に買って帰ったところ、これがスポンジもねっとりとしていて上出来なのでありました。正解です。 東武線にて藪塚駅にやって来ました。目当ては、喫茶店でも酒場でもなく三日月村なのです。群馬県では知られた観光スポットでありますが、非常に中途半端な所謂B級スポットなのです。ネット上ではいくらでも情報が流布されているのでそれらに付け加えることはありませんが、宿場などの風情はそれなりに再現されていて悪くないけれど、いかにも貧弱で物足りぬのであります。せめてもう10軒程度は宿場が軒を連ねていてもらいたい。併設のびっくり系アトラクションは、これまた子供だましだけれどまあそれなりには楽しめました。ジャパンスネークセンターは、その食堂が気になったけれど、結構疲労が溜まっていたので、スルーしました。 東武線の線路を渡った先に「あしび」があるようです。ここまで来ると喫茶巡りはもうどうだって良くなっているのですが、多少の回り道で立ち寄れるので、一応回り込むことにしました。意外にも営業しているようです。ならば立ち寄らぬ理由はないということで店内に入るのですが.写真を見ていただければそれですべて伝わってしまうようなどうという面白味のないお店でした。でも駅そばにこうした店が残っているだけで感謝せねばならぬのでしょう。「喫茶 雅」というお店もあるようですが、こちらは体力切れでパス。時間までゆっくりと冷たいものをいただき、最後の町に向かうことに。 東武線にて藪塚駅にやって来ました。目当ては、喫茶店でも酒場でもなく三日月村なのです。群馬県では知られた観光スポットでありますが、非常に中途半端な所謂B級スポットなのです。ネット上ではいくらでも情報が流布されているのでそれらに付け加えることはありませんが、宿場などの風情はそれなりに再現されていて悪くないけれど、いかにも貧弱で物足りぬのであります。せめてもう10軒程度は宿場が軒を連ねていてもらいたい。併設のびっくり系アトラクションは、これまた子供だましだけれどまあそれなりには楽しめました。ジャパンスネークセンターは、その食堂が気になったけれど、結構疲労が溜まっていたので、スルーしました。 今回の最後の町は、羽生駅です。この町の酒場に来たいとずっと思っていたのですが、調べてみると喫茶店も何軒かはあるようです。ってそれを知ったのは随分以前のことですが、この機会を逃すわけにはいかぬと勇んで町を歩いてみるけれど、想像以上の寂れ振りに威勢も一気に吹き飛んでしまいます。「喫茶 こまつ」、「タイム」、「松屋牛乳」はお休み。「ピノキオ」、「喫茶 百合」は閉業したのだろうか。そんなとこだとは思っていたけれど、締め括りがこれなので一気に疲労があふれ出し、久喜駅ではへたり込むようにして「珈琲屋 OB 久喜店」に立ち寄ったけれど、まあこの系列店ではいかにも退屈なお店だったのでした。 おや、赤城土産の生ロールケーキの写真があるけど、これじゃ何がなんだかさっぱり分からんですね。まあ、切った写真があったところで、柔らかすぎて見た目が悪くなるから状況は余り変わらないかもしれません。
2019/08/04
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前橋ではこれまでも何度か呑んでいて、いつも感じるのがガラガラだろうが逆に混雑していようが、言いようのない虚しさというか孤独感に苛まれるという事です。その孤独さは何によってもたらされるのか。どうもその孤独感の発生源が捕まえきれていません。一つの仮説として時折考えるのが旅の締め括りに、時間を埋めるようにして立ち寄った町での記憶はいつだって悲しみの色に彩られて思い出されるような気がします。ってまあこれは稚拙極まりない文学っぽくて品性下劣な言い方ではありますが、ともかく少なくともそれを想起することで陽気な気分になるということはあり得ぬといった程度に受け止めていただきたいのです。だから今回は、最低限、夜汽車に揺られて帰京するという重苦しい経験は伴わずに過ごせるから、これまでとの差異を確認する良い機会となるはずです。 日頃、JRというか青春18きっぷを主なる移動手段というか移動チケットとして利用しているから旅の締め括りには、出来る限りJR駅の付近で時間を遣り過ごしたいと考える習性があります。今夜はJR駅からも翌朝乗車する予定の上毛電気鉄道の上毛線の始発駅である中央前橋駅からも遠くはないけれど近くもないホテルに投宿することになっています。なので、ここはやはり中央前橋駅の付近にて呑むのが正解と判断したのです。「やきとり さくま」はその存在はかつてから知ってはいたのですが、先述の弱気心が首をもたげてなかなか訪れるまでには至らなかったのであります。というか、以前ここを眺めた時にもその姿に興奮したはずなのですが、その興奮も記憶の減衰とともに劣化していたのでした。改めてその外観を眺めるとなんとも素晴らしいではないですか。どうしてここを素通りできていたのか、そのことを悔やむよりも不可解でならぬのです。ともかく入店。とても混み合っていて、最初焼台で奮闘中の主人は思案していましたが、結局通していただけました。客を値踏みするのかと一瞬不快な気分になりましたが、どうやら厨房の奥の座敷を開放するかどうかの分岐点であったようです。戸の開け放たれたカウンター席も実に開放的で気持ちいいのだけれど、奥の座敷もある程度見通せて楽しいのです。さて、こちらの素敵さは雰囲気ばかりではありません。もつ焼もかなり旨いのです。湯豆腐なんてシンプルな品もなかなか良いのだから不思議だなあ。ちょっと惜しいと思うのはお値段が少々お高めな点でありますが、まあその程度は旅先では気にしないのであります。少しも前橋、つまりはご当地らしさはありませんし、いかにも酒場らしい酒場でもあるのだけれど、他とはまったく違っている。大概の名酒場っていうのはそんなものかもしれないです。 前橋に来ているのにどうして「土佐」を訪れる気になどなったのか。寂れてはいるけれどアーケード街の真っただ中にあるからここは一等地であるに違いないのです。だけれども他にめぼしい酒場が見当たらぬからここを選んだのですが、それにしたってもうちょい歩けば前橋から遥か遠い土地である土佐をそのまま店名にした酒場には行かなかったかもしれない。この旅はスケジュールがそうであることも影響してだろうか、ほとんど気張らずに気の向くままに行動しています。それが功を奏したようです。店内の枯れ切った佇まいはまさにぼく好みのものであるし、相当なご高齢の女将さんが不自由そうな身体を駆使して〆によそってくださった山菜などの豊富な味噌汁は見掛けに寄らずとんでもなく美味しく、いささか呑み過ぎた清酒に草臥れた胃腸を癒してくれるのです。そのうちに顔馴染みの方たちがぽつりぽつりと姿を見せ始めます。もう10時に近いというのにこんな時間から始める方たちもいるのだなあ、などと感心することができるのも近場で宿泊したことの恩恵かと思うと、こうした旅のスタイルにハマってしまいそうです。 さて、もう1、2軒寄りたいところですが、ホテルまでの道中にこれといった酒場がなかったので、大人しく引き上げます。ホテルの冷蔵庫には「上州御用 鳥めし本舗 登利平」の鳥めし松弁当820円也が冷やしてあるから、これで軽くやってゆっくり休むことにしようかな。
2019/07/29
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たかだか前橋なんていう都内からもそう遠くない町に宿泊することにしました。ケチ臭いぼくとしては日帰りできるような町に敢えて宿泊しようなんて普通は思わないはずだったのだけれど、いつの間にかこういうのもちょっと良いかなと思ったりするのは、必ずしも年を食って日和ったからというだけが理由ではないのです。前橋には数年前、ちょっと無理のあるスケジュールで旅したことがあって、その駅までの帰路に何軒かの優良オンボロ物件を目撃していたのだけれど、スケジュールが足枷になってしまいみすみす素通りするを余儀なくされたのです。あの時、急遽帰宅の予定を拭い去っておきさえすれば、前橋に対する好意は飛躍的に増していたはずだと思うと自らの計画志向が恨めしく感じられるのです。スケジュールというのは、行動力の源泉となりえるけれど、一方でその度が過ぎると自らを縛る手綱とも成り果てるようです。そんな分かり切った事をクドクドと述べてみても実りなどなさそうですが、都内から近郊の町を敢えて宿泊しながら旅する事には相応の楽しみもあるようです。一つには、最低限の緩い行程さえ設定しておけば多少の時刻の変更や天候による列車の遅延などの事態にも慌てふためく必要がないこと。途中気になる物件に遭遇しても臨機応変に対応できるのも大きなメリットです。逆に近場だから狙いが外れてもそう大きく落胆せずに済むのもいいです。何より、時間の制約から比較的自由でいられるから、忙しない行動から幾らかは解放されるような気持ちのゆとりが生まれるのが大きいのだろうと思うのです。 その反面でまた来ればいいという心の緩みが生じがちなのはデメリットともなり得ます。普段ならまずは何度となく寄り損ねている「アオキ」に回るのでしょうが、雨が降り出したから手近で済ませてしまい、その後に訪れた時には既に遅し、またも空振りしてしまったのです。暗い店の奥では女主人が店内を覗うようにするぼくを見返していたのです。 時間潰しに寄ったのが、古いホテルの経営するらしい「喫茶 こまち」です。人気のない前橋の市街地にはもう慣れっこになってしまいました。暗い階段を登った2階にあるその店の中はガラス張りで見通せますが、一人の客もおらず間もなく閉めてしまわれそうに思えましたが、すんなりと通してもらえました。窓外に町並みの見える広いガラス窓に面した席からはやはり人通りは眺められません。装飾性の希薄な店内は淡白といえばその通りなのですが、それでもどうしてだかかつて来た事のあるような感慨を与えてくれるのです。その感慨の事を懐かしさと語るのは何故か抵抗があるのですが、きっとこの先まだ少なからずの喫茶店を訪ねる程度の時間は残されているのだろうと思うけれど、そこで懐かしいという気分に囚われるのはきっとこういう何の衒いもないのっぺらぼうのようなお店なのだろうと思うのです。 それに引き換えて「パーラーレストラン モモヤ」は、例えお客さんが皆無でも感慨とは縁遠い賑わいの余韻を留めています。内装やインテリアにはリニューアルの痕跡を認める事ができるのだけれど、店の雰囲気というかその放つ空気感というのが、先の店の忘れられた何処か諦念のような切ない感情のようなものとは隔絶しているのは、必ずしも路面に接した構えだという事だけが理由とは思えぬのです。やがて地元の若いカップルと中年夫婦が姿を見せます。カップルはじっくりと品書きを吟味してからオムライスなどを注文します。旦那さんはポテトフライにビール、奥さんはプリンアラモードだったか甘味を頼んでいます。ぼくも珍しくコーヒーの掛かったソフトクリームなど頂いてしまいました。そう、こちらのお店は世界とか未来というと大袈裟だけれど開かれているように感じられるのです。先の店はきっとその逆でそのどちらが正解だとか決められやしないけれど、今のぼくには先の店の方がしっくりとするのです。
2019/07/28
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さて、高崎でもランチ時の過ごし方には、悩まされました。ここ数年に関しては毎年のように高崎には来ているはずだからとっくに足を運んでいても良さそうなものですが、「自家焙煎珈琲 いし田」のそばに甲乙つけがたい魅力ある食事処が2軒あるのです。一軒はあからさまに外観が渋いのに加えて、内装はシャボン玉ランプの下がるモダンでありながらも懐かしさも含んだ雰囲気重視のとんかつ店であります。大正8年創業という地元では有名らしいとんかつの「栄寿亭」がそれであります。店内のモダンさをガラス越しに伺ってしまうと、簡素で余計な装飾を排した外観にも開店時としてはとんでもなくモダンだったのではないかと思えてきて、ますます入りたくなるのであります。しかし、あえてここは次回送りとすることにしました。その理由はと言えば、まあ結構混雑していたからで、この状況でゆっくりとビールをいただくなんてことはちょっとやり辛いなあなんて弱気心を抱いてしまったからでした。 ならばどうしたかと言えば、「松島軒」に行ったと申し上げるとすぐに首肯していただく方も少なくなかろうかと思うのは、こちらもやはり良く知られたお店だったからであります。こちらが何故に有名となったのかは、画面直上にアップロードされた写真を見て一目瞭然でありましょう。実はこのブログを始めた当初から気付いてはいたのです。文章の後に写真を持ってくるのが正解であることにはすぐに分かったのです。写真を見ちゃえばこうして苦心惨憺と文章を書いてきたのが水泡と帰するなんてことも弁えてはいるのだ。けれど、習慣的にそうしてきたものを変更するのはどうも気が引けてしまいそのままとなっているだけなのです。といった私的な言い訳は置いておくとして、見てのとおり実にカラフルなお皿を見たいがためにあっさりとして何の変哲もない内装などどこ吹く風とやって来たのでありました。本来ならこのカラフルな一杯を徹底して堪能すべきなのかもしれませんが、さすがにここまでの色合いを出そうとするといささかのっぺりとした風味となることは否めません。でも全く尖がったところのないかと言ってマイルドな訳でもない独特の味わいはわざわざ食べにくるに値するものと言って良かろうとぼくの鈍感舌は反応しているのでした。
2019/07/22
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小諸の町には喫茶店よりも酒場の方が似合っています。他にも見掛けた喫茶店はとことなく呑み屋のようなムードを放っていたし、実際に当初は喫茶店だったのがそれだけじゃやっていけなくなって、呑み屋へと舵を切ったといったところなのだと思われます。そんな推測などさほと意味はなくて、さっさと「味の横綱」のような老舗酒場で事情を伺えばいいのです。ぼくの印象では、小諸駅前には幾らでも老舗酒場があるものだと思い込んでいたのです。しかし、実際に現在の駅前に立つと、そしてしばらく散策してみるのだけれどこれという酒場がないのが現状なのです。無論、いつものように町歩きの巧者を振る舞ってはみたのですが、捏造された記憶に鮮明な愉快な路地はあれど。やはりこれという酒場がないのが現実なのです。ぼくなどより嗅覚に優れた人であればもしかするととんでもない酒場に遭遇し得るのかも知れぬけれど、そうウロウロしているだけの暇は残されていません。帰りの高速バスまでは二時間を切っています。 案外、この狭い町では視線を上下に向けるのが正解ではないかと気付くのに時間を要しました。記憶の中の小諸は空を封じる程だったから、すぐにでも気付くべきだったのです。こちらはビルの二階に店舗があるらしく細く長い階段は、賑々しくて怪し気なところはありません。普段なら物足りぬと思うところですが、どこか油断ならぬ気配を振り撒くところがこの町の持ち味です。だから明朗安心なこういう店は歓迎です。店内もいいねえ、これが最上かどうかはしれぬけれど、旅先で出逢う酒場ましてはこれ以上望むところなどありません。たらの芽の天ぷらやバクダンなどどれも普通の居酒屋料理に過ぎぬけれど、これ以上は不要です。旅の締め括りとしては、最上の居酒屋に遭遇できた幸運を噛み締めるのでした。そうこうするうちにお客さんも大分増えてきたから、欲を出してもう一軒お邪魔することにします。 ここ「お食事 花むら」に来たのはまたも既知夢のもたらすものかどうかは、判然とせぬけれど、S氏も同じような感想を述べていたから確かにここに来ているかどうかはともかくとしても、とにかく小諸という町の持つ空気感とこのお店が通じる所があるから、いかにも自然にこの店の存在を受け入れてしまったのでしょう。S氏と相談して、やりここに入ってみることになりました。ところがここでは、トンデモない恐怖に晒されることになるのです。というのが、凄い客がいたのでありますが、これはまあ詳細を書くのは控えることにしますが、他人に直接的な被害を及ぼすわけでもないのだけれど、とにかくトンデモなくキツい負のオーラを放っていたのであります。それはともかくとして、こちらは地元の名物とかこの店の名物を主張する品があれこれあって一応試してみたけれどあまり感心できぬのでした。鯉コクは旨かったけどね。他にお客さんも少ないし、店を遊び場にする小さいお子さんもいる事だしもう少し店の事を見直してもいいかと思うけれど、この今のお店の雰囲気こそが小諸らしいとすればそれはいらぬお節介に過ぎぬでしょう。それと書き残しておきたいのは、たまたま『燃える秋』の話題で語っていたら視線の上の方に武満徹の色紙を見つけた偶然にはちょっと驚いたなあ。 お隣に素敵なルックスの「中国飯店 夜来香」があったのだけれど、こちらは時間切れで次回送りになりました。この後、大変な渋滞でやっとこ練馬駅まで到達。なんとか最寄駅まで辿り着けたのでした。
2019/07/15
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さて、今回の小さい旅もここ小諸で締め括りです。わざわざ断るまでもなく、近頃は小さな旅ばかりしているのですが、今のぼくにはこの程度、分かりやすく具体的に言うと1泊2日程度の旅が気楽で良いのです。しかしまあ、東京を起点に据えている以上、1泊2日で行ける場所は限定されざるを得ないのです。だからどうしても喫茶巡りないしは酒場巡りにのみかまけるような旅のプランは立て難くなるので、このブログで定番化している定期的な喫茶と旅の記録も先細りが予想されますが、その点はご容赦頂きたいのです。さて、それはともかくとして、小諸であります。青春18きっぷとの親和性を著しく削がれてしまったこの土地を訪れるのは、もう何年振りになるか、ハッキリとした記憶はありません。しかし、どうしたものか、この町の記憶は案外鮮明で、駅前に広がることを予め封じられたような窮屈な町並みとゴチャゴチャと込み入った路地が時に鮮明に脳裏に浮かび上がるのです。これが懐かしいという情感なのかもしれません。ぼくは時々、感傷的な性格だと言われてきました。それがぼくにはとても嫌な評価に思われました。だから、今ではおめおめと感傷を喚起するような何事かに遭遇しても冷めた視線と感想を述べる事で己をクールに見せかけようと努めるようになったのです。このブログはそのガス抜きのための場でもあるのです。なんて、これは今しがた取ってつけたように理屈付けただけの事なのですけどね。とにかく小諸に対しては指折り程度しか訪れていないはずなのに郷愁すら感じるのだから、必然的に気持ちは高揚と同時に感傷へと向かうのでした。 ところが、ぼくの記憶にある小諸駅前の眺めとはどこか違っているようなのです。いや、その窮屈な感じや古臭い店舗の立ち並ぶ様子は変わっていないのだけれど、随分と歯抜けになってしまっているように感じられ、以前のぎっりととみ詰まり良くて、空が見えない位にびっしりと建物に空間が閉ざされたような印象とは少しも似通ってはいないのでした。それが無論感傷的なる精神が育んだ幻想のようなものであるとは分かっているけれど、それでもその妄想を信じたくもなるような怪しい雰囲気がかつては確かに存在したと思うのです。「純喫茶 マモー」と聞いてでっかい脳味噌を連想する人ならこの店名を見て、思わずほくそ笑むと同時にこの町に案外お似合いであるなあなんて思われるかもしれません。その如何わしい店名にも関わらず上品なマダムで独りでやっているオーソドックスなお店でありました。かなりの経年劣化が店のあちこちを侵食しつつありこの先はそう長くなかろうなという感慨は同時に町そのものの未来をも暗示するように思えました。 すぐそばの「ケーキ&コーヒー 花川堂」などはさらなる出鱈目なムードに満たされていて、人によってはこの混沌たる様がむしろ居心地良く思えたりするのではないでしょうか。ぼくには散らかり過ぎていて、どうも窮屈に思えて早々に席を立ち、残りわずかな時間を酒場に充てることとしたのでした。
2019/07/14
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喫茶篇の昨日分にて書いたように、岩村田にやっとこ辿り着いた時には余りの空腹に立っているのもやっとというコンディションに追い込まれていたのでした。この町では何軒かの食事処に目を付けていましたが、手近で済ませてもやむなしと外観はさほどそそるところのないお店に立ち寄ることにしたのでした。そのお店は割烹食堂という余り他に見たことのない飲食業態を標榜していますが、こんなのはさほどアテにならぬからもう深く考えずに飛び込むことにしたのでした。そして、想像を遥かに上回る感動を与えてもらうことになるのです。「割烹食堂 双葉」は、外観の凡庸さに比して内観のユニークさが良いのですね。和洋の入り混じったどっち付かずの曖昧さが愉しくて、陶然とさせられるのです。昼食時をとうに過ぎたこの時間帯にいたのは年老いた母とその息子さんでした。彼らの濃密な関係性は言葉を一切交わすことがなくともしっかりと感知できるのはどうしてなのだろう。それを培ってきた永遠とも思われる歳月の重みがぼくをも絡め取り、店外の時間の速度とは別個の時間軸に絡め取られそうな気持ちになるのです。さて、ゲソ揚げなどの酒の肴を注文し、後から軽く食事系を注文しようという方針がなんとはなしに決まりました。方針も決まったから安心して焼酎でも貰うことにしようか、いくつかの選択肢の中にはいいちこの20度もしくは25度という選択肢もあり、やけに懇切丁寧で嬉しいのだけれど、無論度数の高いのを貰うことにするのです。するとこちらはグラスに並々の量り売りスタイルなのですね。水と氷はサービスなのが実に素晴らしい。やはりサービスの冷奴の小鉢も何気に嬉しいものです。そこらの酒場にも是非とも採用を検討してもらいたい。また、こちらのお店、値段の付け方にちょっと癖があってそれは現地にてご確認頂ければよろしいかと思うのですが、ご飯物が全般にお高めなのですが、なぜだかアジフライ定食は650円と手頃なのです。そしてこのフライにはタルタルが添えてあってこれと絡めて食べるともう何枚でもいきたくなるような旨さなのです。これまで食べてきた少なくないアジフライでも図抜けて旨いのです。だとすると、他のもう少しお高めのメニューをいっていたら卒倒すること疑いなしとまで断言したくなるのです。店の入口付近には大量の一升瓶がキープされていて、もしぼくが近隣の住民もしくは勤め人なら間違いなくぼくの名のプレートの下がった瓶も並ぶことだろうにと口惜しい思いがするのです。 さて、店を後にして喫茶店で休息、駅に向かって歩いていくと「お食事 王将」、「焼鳥 春さん」、「福助食堂」などなど素敵な物件が目白押しではないですか。この時点で再訪を決意するになんの障害も無いのでした。 オマケになりますが、乙女駅にて下車しました。駅名に惹かれたのではなくて、気になる酒場が2軒あったからです。さすがに営業開始には早いと思いつつも年の為に「やきとり 正ちゃん」に行ってみますが、やはりまだ営業前、もう一軒の「あいちゃん」は道を間違ってタイムアップ。かの2軒も今後の宿題となりました。
2019/07/08
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中込駅から北中込駅までは、小海線を利用。たった一駅なので、歩いても良かったのですが、中込駅が思っていたよりずっと大きな駅だったので、駅間が結構な距離があると推測したのです。その推測が正しかったかどうかは確認していないので分からないけれど、到着した北中込駅は小さな無人駅でしたがそこから見える風景は余り田舎びてはいなかったのでした。長野県を縦横に走る列車の沿線風景というのはのどかな田園風景というのが案外少ないように思われ、民家が連なっていたかと思うと、突如として町が現れというのの繰り返しに感じられます。これは誤解に過ぎぬかもしれませんが、まあ感じ方は人それぞれというから勘違いならご勘弁を。 そんな余り味気のない駅前からすぐに「画廊喫茶 ルオー」がありましたが、こちらはお休みでした。見た目はどうってこともないけれど、案外辺りだったりするような予感もあるので、覚えておくことにします。しばらく線路に沿って退屈な道を歩くことになります。しばらく行ってから左に折れると今度は、「喫茶&スナック ルピナス」というちょっと立派な一軒家の喫茶がありますが、やはりこちらもお休みのようです。その向かいに「珈琲 木馬」の看板がありました。でもその未舗装の敷地の奥にそれらしき物件は見えません。というかまず目に飛び込んでくるのは、焼肉屋さんです。これもなんかちょっと良さそうですが、そこまで敷地内に足を踏み入れるとその先に秘密めかしたちょっと怪しい喫茶店があります。ちょっと躊躇いつつも店内に入ると、案外素っ気ない印象のお店ですが、地下や中2階など高低差のある造りとなっていてどことなく大人の秘密基地みたいなのです。店の主人がご自身の趣味に殉ずるようにして精魂込めて作り上げた感じがあってとても好もしいと同時に羨ましくもあるのでした。帰り際に無口な主人に素敵なお店ですねと褒めて見せると、実に嬉しそうな表情を浮かべられたのでした。 地図アプリを見た限りでは、さらに一駅先の岩村田駅まではさほどの距離はなさそうです。しかも事前のリサーチによると岩村田で目指すべきお店は駅からは結構離れているので、わざわざ駅を往復するのも面倒です。ところが、歩いてみるとこれがそれなりにキツイ上り坂が続いて、しかも車道すれすれを歩かざるを得なかったりして、思いがけず草臥れてしまったのでした。草臥れたのもそうだけれど、それ以上に激しい位の空腹に見舞われて、もはや吐き気すら感じる程なのでした。だから岩村田に着くとすぐに向かったのは食事処なのでした。そこが第一印象はどうということもなかったのですが、入ってみたらなんともすばらしかったのです。それはまた明日の報告に譲ります。 お腹もいっぱいになったし、食事処そばの「コーヒーショップ 花星」にお邪魔することにしました。岩村田では他にも寄りたい喫茶が何軒かあるのですが、近場だったので立ち寄ることにしたのです。と書くともともとはさほど気乗りしていないかのようですが、実はそうだったのです。外観からは平凡に思えたのです。空腹から満腹に移行していなかったらここはスルーしてしまっていたかもしれません。と考えるとこちらとの出会いは偶然と幸運がもたらしたものであり実にツイていると思うのです。店内も平凡であります。しかし、この平凡というのは、少しもこちらのお店の素晴らしさを損なうことはないはずです。どこをどう切りとってみてもどこもかしこもオーソドックスな内装なのです。どこにも尖がったところはないし、遊び心すらまったく存在しないかのような律義さに、これはぼくの求めるような風景ではないはずだけれど、どうにもあらがいようがなく心地良いことに心底惚れ惚れとしてしまったのでした。「喫茶 ノンノ」、「喫茶 ピアノ」は閉業しているようでうs。「喫茶スナック 茶王」は迷った挙句にスルー、次回の愉しみに取っておこうと思ったけれど、後日こちらを訪れた方から絶賛の声を聞かされ深く後悔したのです。「tealounge Pietoro(ピエトロ)」も寄っておけばよかったかなあ。
2019/07/07
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実のところ、夜の駒ヶ根には相当な期待を抱いていたのです。ストリートビューで軽めの散策をしてみただけですら今すぐにでも出向きたいと思わせるような光景が点在しており、こんな町こそストリートビューに被写体として相応しいのではないかと思わせるのでありました。どうもこの媒体は路地裏的な場所については、映像をコマ送りで見るような欠落感が拭えません。まあ、それも仕方ないと思えぬほどに分別がないわけじゃありませんが、矢鱈と店内に引きずり込まれるような仕掛けがある位なら、場末っぽさの漂う近い将来消滅すると思しき町こそ記録として留めて欲しいと願うのはぼくだけではないはずです。膨大な映像の集積を老後になって振り返り彷徨うことで心の慰めとする人は少なくなかろうと思うのです。そんな町だから当然、映像で魅惑的に見えた店舗の少なからずが閉業に追いやられるどころか、跡形もないなんて事態も予期はしていたし、GWという時期でもあるから無為に町を彷徨うなんてことも想定していたのです。想定しているからといっても現実に現場に立ってみて、放心せざるを得ぬとは思えぬ程度の楽観を持ち合わせておりますので、その無残に閉ざされた店の扉を憂鬱に眺め歩くしかないのでした。 それでも諦めるにはまだ早すぎる。というわけでやってたらどこだって構わぬというと失礼でありますが、「お食事処 やまだ」にまずはお邪魔することにしたのでした。観光地の食事処といった風情の町場の大衆食堂とは少し趣を異にしたお店でありましたが、お客さんはめっきり地元の方たちばかりのようです。雰囲気はまあ悪くない、あえて悪かったとすればぼくの体調が絶不調であったということにしておくべきかもしれません。カウンター席では一つ飛ばしで顔見知り達が適当な距離感をもって呑んでいます。見ていると特に随分長居しているらしいのに肴は一皿程度です。これはもしかするとと思って、無難なししゃもと季節ものの山菜、コシアブラの天ぷらを頼んだのですが、これがまあ残念な品なのだ。ししゃもは口に入れるのも躊躇われるように消し炭と化していたし、天ぷらは山菜の香りも消し飛ぶほどに揚がり過ぎていて、香りはともかく脂臭くて敵わぬのです。もうそれなりに食べているから肴は何だっていいのだけれど、それでも頼んだものは極力残したくないのです。でも二人で押し付け合いつつ何とか咀嚼したものの体調はぐっと悪化したのでした。でもここは長年の営業活動が評価されているのか、われわれが帰る頃にはGW中というのにご苦労様なことですが、勤め帰りの方たちが10名ほどで来店していました。ここでは実は頼むべき肴が別にあったのではないかと思うのです。 調子は良くないけれど、せめてあと一軒は行っておきたいと彷徨った挙句に立ち寄ったのは、「居酒屋 串わ次郎長」です。まあ、感じは悪くないけれどオーソドックスな居酒屋という印象です。店内に入ると、ふうんカウンター席がメインなんですね。ご主人が警戒心の強そうな視線でこちらを見るのですぐに嫌になってしまったけれど、相棒の女のコは非常に感じが良くてちょっと嬉しくなり、注文がセコいと見るとまた冷ややかな応対になってこちらもムカッとしてみたりとなかなか忙しいのです。でも出されたお通しが立派な刺し盛なので、最終的にはニコニコと気分良くなったのでした。癖のあるところもあるけれど、それは古い酒場なら当たり前のことと思ってみればまあ悪くはありません。遅くまでやっていてこの界隈では使い勝手が良さそうです。でもわれわれは翌朝5時過ぎの列車に乗車しなくてはならぬから日を跨がぬうちに引き上げることにしました。
2019/07/01
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小海線の下り列車の終着駅は小諸駅でありますが、小諸に至るその途中駅にこれほどに栄えた町があるとは迂闊にも知りませんでした。実のところ、中込駅で下車するまでここが佐久市ということすら知らなかったのだから無知であることこの上なしなのです。大体において佐久市という地名も精々が佐久長聖高校―漢字はこれで合っているのだろうか―だったかなあ、そんな学校が野球で甲子園かサッカーで国立競技場の出場校の常連だったような朧気な記憶がある程度で、長野県のこんな場所にあるなんてちっとも知らなかったし、そもそも興味すら抱いていなかったのです。旅好きを日頃自称しているけれど好きであるための最低限の教養すら持ち合わせておらぬことを残念に思うのです。そして、今ではそれはそれで良かったと開き直ってもいるのです。だって佐久市にある中込駅のことをしっかり事前に調べていたら、こんなに興奮することもなかっただろうと思うと自分の無知さが愛おしく思えたりもするのです。 そして、中込では今回お邪魔できたお店では最も印象深く心に刻まれたうちの一軒である「コーヒー 三棟」に出会えたのは幸運でした。千曲川と旧市街地中心部と思われる商店街を繋ぐ野沢橋の袂にあるので、中込の観光の中心であるぴんころ地蔵界隈を散策しようとすれば必ず通過することになると思うのですが、そもそも観光というには少なからずの物足りなさがあるので、もしかするとわざわざ足を運ぼうという方は少ないのかもしれません。しかも見た目がレンガ風の壁材でぶっきら棒に覆われた愛嬌のない建物のしかもあえて人目を避けるような外観だから視界に止まらぬ、もしくは見ても見ぬふりをしてしまいそうです。だけれども諸事情により多少の時間調整が必要なので、思い切ってお邪魔することにしたのです。内観は清楚で控えめな印象でありますが、どうもそわそわとしてしまうような空気の希薄さを感じるのでした。世界のありとあらゆる色彩が褪色していくようなもしくは物語の半ばで不躾にフェードアウトしていくような人生の黄昏とか彼岸の場所といった曰く言い難い悲しさのような気配を感じとらずにはおられぬのです。だからといってそれが消して不快なわけじゃなく、むしろ心地よく感じるのは、ぼく自身にもこうした空間を嗜好するような心性が芽生えたということでしょうか。 北中込駅に移動します。駅からしばらく歩いて「COFFEE 軽食 喫茶 雀荘 シャドー」を目指します。地図上では遠く思えますが歩いてみるとそうでもないですね。近頃は歩くのがじわじわと苦になりつつあるので近いのはありがたい。遠目にも目立つ奇抜な建物は実に魅力的だけれど、雀荘とあるのはちょっとばかりいただけないなあ、なんてことを思いつつ近寄ることにするのです。そんな懸念もどこへやら、この喫茶店でこの旅一番の思い出に残る経験ができたのであります。シャボン玉照明がセンスより吊り下げられた魅惑的な内装も素晴らしいけれど、ここでは明るくお喋り好きなママさんとチワワちゃんにすっかり気持ちが奪われてしまったのでした。その幸福な気分は写真を見ていただければ語らずともきっと伝わるだろうと思うので、詳らかにはしません。ぼくがそうであったようにきっとこれから訪れようという皆さんもきっとその多くの方が後ろ髪を引かれつつも幸福な気分で店を後に出来ると思うのです。ぼくはここに来て、再び佐久を訪れることを決めたのですが、ここから歩いて岩村田に向かい再び訪れるのはもちろんのこと、近い、本当に近い将来に来ることを決心したのでした。
2019/06/30
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小町屋駅については、語るべきことはほとんどありません。無人駅ホームに降り立っても激烈な田舎という程の寂寥感があるわけでもなし、逆に高く視界をさえぎるような建物もないからぐるりとその場で回ってみると大凡の町の印象がつかめてしまいそれを裏切ることもないのです。まあ1日の乗降客数が700名程度の町というのはこんなものなのかもしれません。調べてみると「プランタン」のある通りは市場大通りという立派な通りの名があるようですが、通りの端まで辿ってみても市場らしきものは見当たりません。面白味もなく住宅が広がるばかりの土地ですが、何軒か気になるお店がかろうじてあります。「みはる食堂」にしても良かったのですが、見た目のインパクトからちょっと歩いたところにある中華飯店に立ち寄ってみることにしました。そしてそれは多分正解だったと思うのです。「中華料理 龍王」は、本来であれば簡易建築材と見做されがちな―ホントに?!―トタン張りの外観で、それが実にカッコよいのです。このカッコよささえ確認できたら店に入らずとも構わぬではないかという考え方もあるのでしょうが、少しは鑑賞料を支払うのが大人の振る舞いとして正解である気がします。なんて質面倒くさい事は述べずとも当然に入ることにする。ぼくは建物の外観は大好きだけれどそれにも増して内観を重視する者であります。店内は、うんいいねえ。この何処がいいか説明するのはなかなかに厄介なのでいつもこの良さの詳述は控えてしまうのだけれど、やはり今回もそうするしかないのです。しかし、ひとつ言えるのが、この日のお客さんは夫婦連れと中年女性独りであったのですが、まずは女性客が優位な店は間違いがないようです。われわれのようなオッサン2名が小上りに、夫婦が広い卓席に独りでも隅のテーブル席でと状況や用途に応じて自在に利用できる店というのは便利なだけではなくて店内の風景も多彩な表情を見せてくれるもののようです。だから同行する人には悪いけれど、ぼくはいつも店の全景を見渡せる席を好んで選ぶのです。その分という事でもないけれど、大体において初めての店の扉を開くという重責はぼくが担うのだからそこは勘弁してもらうこととします。さて、後はもうお隣の駅のホテルに投宿するだけなので、気持ちは大いに緩んでくるのです。という事で海無し県で魚介に対する執着が生半可でないと聞く長野らしくマグロの刺身があるから頼んでみるのです。これが赤身の切身がとても一人では持て余すくらいに盛り付けられていて、噂が事実であることを確信するのですが、これがビックリするくらいに旨いのです。流通が良くなったとはいえここは中華飯店ですよ、それがこんなに良い食材が入手できるとは驚きです。定番の餃子などより余程美味いと言っては語弊があるかもしれません。じきに挙動にややというかかなり不審のある客が来て、この人には店の方も手を焼いているようで、露骨に迷惑そうな表情を浮かべていましたが、その彼のまったく素知らぬ振りで堂々と振る舞う姿に感心しつつも、酒以外の注文もせずひたすら呑んでいるのを見ると、じきにそのお鉢が回って来そうな予感がしたので、席を立つことにしたのでした。
2019/06/24
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小海線にある中込駅には、今回初めて下車することができました。正確を期するとすれば小海線には何度か乗車しているけれど、いつも乗り過ごして途中下車するのは初めての事なのでした。だって列車待ちするにしても本数がけして多くないから下車するのには少なからずの躊躇が生じるからでした。それに車窓から眺める限りにおいては、途中駅で立ち寄りたくなるような駅もそうはなさそうに思えたからです。しかし今回の旅でそれが大いなる過ちであったことを知るのです。というか旅の前の事前調査の段階で、どうしてこれまで来ずに済ませられていたのか不思議に思える程なのでした。昔は喫茶巡りや酒場巡りといった一流の趣味も持たず、せいぜい鉄道の乗り潰し度に精を出していたからそれも仕方のないことだったかもしれません。また、かつては今のようにGoogle MAPで沿線の商店や飲食店の分布を事前に確認は、かなりの困難を伴ったということを思えばやむを得ないことだったのかもしれません, でもそれにしたって、まさか「喫茶 明正堂(COFFEE HOUSE MEISYODO)」のような貴族の邸宅のような喫茶があるなどとは夢にも思わぬではないか。駅前には長屋ビルとでも呼ぶべき低層雑居ビルがまっすぐと伸びていて、ズラリと商店や飲食店が入っています。この流れだけでも数軒の喫茶店があるから立派なものです。駅前という立地が繁華の象徴であった時代が終焉を迎えようとしている現代にとっては、こうした集合商店ビルという生き残り戦略は案外有効なのかもしれぬと思ってみたりもします。ともあれその長屋の先に立派な洋館風の建物があってそこが目指す喫茶です。店内もかなり本格的な力こぶを思わせる気合の入った造りです。ここまで来るともはや純喫茶の粋を脱していて、純喫茶という施設が元来内包するなんちゃって感が希薄で、それが物足りないというと高望みも過ぎるということになるでしょうか。店の奥には純白のグランドピアノも鎮座しており、正装しなくていいのという不安にも駆られそうになります。2階を拝見するには至らなかったのですが、きっと1階以上に瀟洒な内装で楽しませてくれることでしょう。営業時間も9時から10時までと長く土日も営業しているのは、大変に重宝なのです。 一方、長屋ビルの2階にある「coffee & PIZZA ぽえむ」は、正統派喫茶の典型といった構えです。駅前喫茶としてこれ以上はない王道の喫茶店として非常に貴重かつ重宝します。窓からは駅の全景が眺められ、時間調整にもとても便利な存在です。列車の待合せというのを苦痛と感じるようになったのはいつからだろう。こうして窓から駅を眺めやり列車の到着をのんびりと構えて待つという贅沢を存分に味わうことができ、昔の時間を気にせず自由気ままに旅した時代を思い出して少しだけ懐かしい気分に浸れました。「COFFEE SALOON BONY」は閉業、「こまくさ」、「Pocket」はお休み。千曲川に寄り添うように歓楽街が伸びていて、少なからずの呑み屋が軒を連ねていてそのほとんどはスナックとかもっとピンク系のお店で、ぼくの射程範囲を逸脱しているけれど、それでも少なからず魅力的なお店が散見されました。さらに歩いて、川の向こう岸に行けば、ここがかつての本当の中心地であったのだろうか、古びた商店街があって、スナック化した「スナック&喫茶 バンビ」やキュートな外観の「食堂 こまどり」、そのお隣は閉業喫茶であろうか「喫茶 カド」があったり、さらには「花柳食堂」や「芳蘭」なんて渋いお店もあります。せっかくなので「元祖 たいやき 新海」でたいやきと動物やき、それとドーナツをお土産に購入。いずれもけして綺麗とは言えぬ出来栄えでありますが、見た目はともかく素朴でしみじみと美味しくていいお土産でした。あと「おきな堂」という何でもない普通の和洋菓子屋さんであれこれお菓子を買ってみましたがどれも標準以上によくできていてとても感心しました。それもそのはず、その真偽は問わぬけれど帰宅後に見た信州佐久旅の観光ガイドというサイトに「佐久市は、神戸、自由が丘と並び、「日本三大ケーキのまち」と呼ばれます。」と記載されていました。駅前には「清水屋旅館」という素泊まり3,800円の宿があるので、いずれそこに泊まってゆっくりと策の町を散策したいと思うのです。近くにある「頓珍館」は開店前から行列していましたが、いずれ並ばずにのんびり立ち寄れたらいいなあと思うのでした。
2019/06/23
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飯田には、安否不明ながらもたとえ閉業していようともその物件を眺めるだけで惚れ惚れしてしまうような、魅惑物件に事欠きません。しかし、今回は中華飯店にて思わぬ長逗留を余儀なくされたので、魅惑物件たる古酒場ウォッチングは、断念せざるを得ませんでしたが、駅前通りを歩くだけでも激しくぼくの気持ちを揺さぶってくるような酒場と巡り合うことができるので、そちらを散策するだけでもそれなりに堪能することが可能なのでした。駅前通りから逸れる路地に「憩の我が家 小舟」があったことは前回把握していたので、当然到着後すぐに通り抜けてみました。その際には、硬く戸を閉ざしていたのに、次の列車まで1時間というところでまたも通り過ぎると、おやおや今度は暖簾が下がっているじゃあないですか。これはもしや早くも営業を開始しているのかと、ガラリと遠慮なく戸を開けたところ女将さんがギクリとした表情でこちらを見遣りました。その瞬間店内を見渡したのですが、存外平凡で小体な駅前酒場風のお店でありました。悪くないけれど、特別感は余りありません。こういう店って案外値も張ったりするんだよなと思いつつ、もうやってますかと問い掛けると、まだ開店前なのよと仰るではないか。実はここに来る前にも何軒かの酒場で同じようなことがありました。暖簾を掛けるという行為は開店の符牒であるというぼくの認識は少なくともここ飯田では通用しそうにないようです。「〆清」は、今でこそ建て替えられてしまい外観からはかつての面影を脳裏に浮かべることは困難ですが、一歩店内に足を踏み入れるやその数多の客たちがその痕跡を染み入らせてきたコの字カウンターなどに目を奪われると同時に一挙に駅前酒場としての確固たる存在感と実力を意識せざるを得ないのでありました。夕暮れ前の午後三時の営業開始にだけ惹かれて訪れたぼくなどは思いがけぬ眼福に有頂天となるのですが、この酒場らしい酒場のもたらす幸福はこれに留まらぬのです。それを語る前にこの営業時間について少し語っておきたいのです。と言ってもそれ程大層な事を語ろうとする意図などは毛頭ないのでそんな戯言に付き合えぬ方は読み飛ばして頂いて一向に構わぬのです。世間では昼呑みとかいって雑誌などで特集記事が掲載される事もあるようですが、そうして紹介されるのは専らに都心とかの大都市のオフィス街界隈がほとんどであります。時折、地方都市の角打ちや夜勤労働者の多かった赤羽などの独自の呑み屋街が成り立つ土壌というか基盤のあった町などでも普通に昼呑みが出来たりして、それが観光化されたりもしています。ところがこの飯田はそんな日頃身近に接しながらも、違和感というか若干の嫌悪すら感じたりもする東京の昼呑み酒場とは少しも似てはいないように感じられるのです。いや、それは言い過ぎかもしれず、それどころか、無理にこの酒場の意義を見出そうと事実を捻じ曲げようとしている気もします。われわれがこの日の一番乗りで開店後のしばしの間は客などおらずともただ開けているだけといった状況だったのでしょう。でも、客がいようがいまいがやっているというその安心感は酒呑みには大いなるギフトなのです。でもここの楽しさはそればかりじゃありません。信州の味覚である馬の腸の煮込みであるおたぐりは当然のことに、馬肉ソーセージまであるんだからぜひとも食べずにはおられるまい。おたぐりの独特の臭気はかなり曲者だけれど臭いものにはチャレンジ精神が刺激されるばかりでなく、すぐさま酒を含みたくなるのです。誤解を招くかもしれぬが、何もこれはおたぐりが臭いから酒で流してしまうということを意味しておらず、臭いから酒が進むということなのであります。そうするうちにわれわれ同様の東京からの観光のお客さんが来られると、続けざまに地元の方も続々と訪れていつしかほぼ満席の盛況ぶり。やはり長く続く店にはそれ相当の魅力があるということです。
2019/06/17
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陽も長くなったGWの夕暮れ時に小町屋駅に到着しました。前回、うつらうつらとしつつもこれからお邪魔しようとしている一軒の喫茶店を目撃していなかったら今回の旅のプランを立てることもなかったはずです。この喫茶店もそうだけれど車窓からひと時のぞめた駒ヶ根の町の光景が視界に焼き付いてなかなか消え去ってくれなかったのです。前回は駅に列車が滑り込んだ時に下車するだけの準備も気力もなかったけれど、今回はお隣りの駒ヶ根駅のそばに宿をとっています。他に降車する人のない小野町駅を下車するとすぐそばに目指す喫茶店がありました。「Coffee プランタン」というなかなかにモダンな店名を持つ駅前喫茶は、しっかりと営業中です。前回はお盆の季節だっただろうか、その際も多くの店が閉まっていたのにここは営業しているのが見て取れたので、喫茶好きに幾分敷居の低めの入店可能性の高いお店だと思われます。しかし、それでもなおこの無人駅に下車してまで喫茶を訪れるのは、相応の覚悟を要求されるのです。写真で見ると白いソファが鮮明な印象でとても良い雰囲気に思えるかもしれませんが、実際に見ると案外淡白な感じがあります。というのが、自分が着いた席がコテージとかに置かれるようにちょいと味気のないシロモノだったからです。でもそれでもここには、厄介な駅で下車してまあ良かったなあと思える程度の魅力があったことは否定しません。というか、これまで飯田線を乗り継いで旅した喫茶マニアもいるはずだけれど、どうしてこれまでここを無視し続けられたか疑問でならぬのです。と、こんな高邁な書き方をするといくらでもアラをつかれそうだからよすことにしましょう。ともかく少しばかり都内からは便が悪いといっても、それでも都内の普通の喫茶より余程に志の高いお店に出会えて満足なのでした。 さて、欲張りなぼくは小野町駅のそばの駒別な店で一杯やることになるのですが、それは酒場篇にて報告したい。夜道を少し不安になりつつ歩いていると廃れかけの呑み屋街が見えてきます。そろそろ駒ヶ根駅も近いのではなかろうか。やはりそれは間違いではありませんでした。でもその道中が余りにも想定よりも寂れていたので投宿後の予定が不安になります。駒ヶ根では事前調査の喫茶は投げ売って、とにかく酒場巡りに集中するつもりだったのです。 しかし、予約したホテルで一段落すると、もうとにかく気になった店ならどこででも立ち寄ろうという気になるのだら愚かしいものです。翌朝は5時過ぎには駒ヶ根駅にて列車を待ち合わせねばならぬのに、気になるとこならどこにでも行ってやろうと開き直るのだから質が悪い。しかし、それを幸と捉える程には落ちぶれてもおらぬから、辿り着いた駅前の商店街の衰退振りにはある程度の覚悟はしていたけれど、それに輪をかけて長い休日という事も影響してかやっている店がかなり少ないのです。そんな中にありながら、「Tea Lounge ムーミンPaPa」という気怠くなりそうなお店は飄然と営業していたのです。普通なら見向きもしないタイプのお店ですが、そのとにかくいつだってやっているという安定感に敬意を表するためにまずはここに立ち寄ってから、呑みに向かう事にしたのです。2階に上がる階段を登りながらきっとここはスナック寄りのお店なんだろうななんて事を確信を持って臨んだのですが、入ってみるとオーソドックスながらキチンとした店である事を確認し嬉しくなるのです。余計な飾りもなくスッキリとしていて、店名のもたらす印象からは程遠いくらいでやや物足りないくらいです。実際にそうだとしたら、無論これほどの好意は抱けなかったはずなのは分かっているけれど、見てみたかつた気もするのは望みすぎでしょうか。明るい日差しの差し込む時間にこの窓辺から通りを往来する人々を眺めるのはきっと気持ちいいだろうなあなどと思うのです。さて、この後、二軒の酒場に立ち寄ってからホテルに戻った時にもここはまだ営業していたのです。
2019/06/16
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飯田には、枯れたムードのお店が少なくないけれど、とりわけその古びたところと生命感の希薄さで強い印象を受けたお店があります。一方で、こちらもかなりのボロさではあるけれど、ひっきりなしにお客が入っていきそのただ事ではない繁盛振りを見て、これは行かずには済まされぬだろうと思ったお店があります。個人的な好みでいえば前者に圧倒的に惹かれるのでありますが、とある理由から後者も行っておかねばなるまいと胆に銘じたのであります。だから一軒目で食べ過ぎ呑み過ぎは厳禁なのです。 役所の側の商店街、先般お邪魔した「通りゃんせ」でその生存確認はできていたので、遠目にはいかにも営業していないように見えようが「中華そば 酔仙閣」はきっと営業しているものと信じて店の前に立ちます。しかし、一見したところは少しもやってる風はなくて、唯一、営業中のささやかな札が下げられているのが戸を開け放つ気合に繋がるのでした。店に入ると、意外なことに5つの卓席はわれわれが入るとすべて埋まって、相席すればもう少し人も入れそうだけれど、とにかく非常に賑わっているのです。その後も一組が去るとまた次の客と途切れることがないのがうまくできています。次があるので、控えめに中華そばを注文。瓶ビールをもらってのんびり待つことにします。店内は赤紅色の中華飯店の定番カラーで彩られ、擦りガラス戸越しに表を眺めると得も言われぬ情緒で気持ちが大いに満たされるのでした。随分待たされた出てきた瓶ビールをちびりちびりと呑み始めます。それにしても主人は登場したけれど料理はちっとも運ばれてくる気配がないのであります。他の客は当たり前のように平然と待ち続けているけれど、10分経ってもまだ一組目にすら料理が運ばれてきません。20分経った頃にわれわれの前に来ていたらしい若い2人組は我慢の限界へと達しようとしているのがありありと感じ取れます。どうも観察していると各卓ごとに2~4食分をまとめて調理しているのだけれど、その調理時間に各20分程度を要するようです。われわれの下に中華そばが届くのはちょうど1時間も経った頃でありました。これは慌ただしかった前回だとしたらとても待ちきれなかっただろうなあ。もし訪れようという方がおられたら1時間半程度の余裕をもって行っていただきたい。さて、待ちに待ったそれは薄味の柔らか麺で際立った個性はないけれど、ぼくはとてもおいしく頂けました。これは好みがはっきりと分かれるに違いない。柔らか麺と書いたけれど、人によっては伸びきっていると感じられるかもしれません。だけれど、これだけ待たせるのだからきっとあえて柔らかめに作っているのに違いないのであります。ここのオヤジさんにはこの丁寧な調理が基本なのだからいくら待たされても怒ったりしてはならぬのであります。最後にここのルールを書いておきます。食事を終えたらカウンターまで食器を戻してください。特に決まり事として掲示されてはいませんが、どうやらそうするのがマナーらしいので素直に倣うのが正解だと思います。 飯田市は、焼肉日本一の街、つまりは 人口1万人当たりの焼肉店の店舗数が日本一ということを御存じでしょうか。飯田に来たからには、焼肉を食わぬのが正しい振る舞いですし、この町の老舗焼肉店「やきにく 徳山」に訪れるがよかろう。というのは建前でありまして、大体がこの事実知ったのは、高速バスの車窓から見えたとあるお店ののぼりによってなのであります。へえ、そうなのかあと思って、駅前の坂道を下っていたら渋いお店があり、多くのお客さんが吸い込まれていくのですが、そこは焼肉屋でそれなら後で胃腸にゆとりと時間があれば来ることにしようと思ったのでした。そしてここが昭和20年代の創業であることを知ったのは、帰宅後の調査による情報なのです。というわけで、先の中華飯店で思いの外に時間を取られたので、昼食時間を外してしまっていてやっているか不安でしたが、何のことはない元気に営業中でありました。店内はお客さんも大分減っており、いいタイミングだったかもしれません。ビールを頼み、適当に肉を数種類注文しました。ジンギスカンも名物のようです。焼き台に大胆に肉を並べてガツガツと食します。野菜盛りがデフォルトで添えられているのも嬉しいです。名店との呼び声も高いらしいのですが、ぼくには普通に美味しいお店のように思えました。まあ、焼肉なんていうものは普通に美味しければそれでいいのだ。しかもこんな渋い店で昼日中からいただけるのだから有り難いことです。まだまだ移動せねばならぬのにすっかりいい気分になってしまいました。
2019/06/10
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今回の旅を立案したのは、昨年のいつだったかに飯田線をしばらくぶりに乗りつぶして帰宅してすぐのことだから、もう随分と日が経っています。旅というものの妙味の一部であり、かなり大きな割合を占めてもいるものだからその鮮度を失するのはプランそのものの放棄に繋がりかねぬから、なるべく早く実行するに限るのであります。それでもこの時期まで引っ張ってしまったのには、一つは今回の旅のキモでもあるのですが、青春18きっぷなしでも実行できるということも理由のひとつであります。単なるサラリーマンに過ぎぬ身では、旅費に費やせる予算など限られてしまうのです。なので、18きっぷのある時は極力利用したいと考えるのは貧乏性ゆえ仕方のないことです。そうなると必然的に高速バスの利用が念頭に浮かぶのでありますが、GWのような繁忙期には一般に乗車料金も跳ね上がるのが通例となっています。その点、京王バスはシーズンによる価格の変動がさほど大きくなくて、今年のような超大型連休でもお手頃だったのは幸いでした。観光地としてはかなり地味目な土地でありますので、それも幸いしたものと思われます。しかし、宿泊地の確保にはそれなりにてこずって、旅の予定が決まっていたので、3月下旬には予約を取り始めましたが一部屋はなんとか確保できたもののもう一部屋はすれすれになってからキャンセル待ちでようやく決めることができたのでした。 といった訳で当日は、早朝にS氏とバスタ新宿にて合流。京王バスの伊那飯田線に乗車します。増便もあるかと予想していましたが、案外空席も目立ちます。顔触れを眺める限りは観光目的の方は少数で、ほとんどが駒ヶ根方面が地元の方のように見受けられました。その予想は当たっていたようで、事故渋滞により1時間程度の遅れで飯田駅前に到着した際に残った客はわれわれともう一人だけだったのでした。 駅前のなだらかな坂を歩き出しますが、先般感じた興奮が相当に減じられているのは記憶に濃密だっからかどうかは定かではありません。腹も減っているけれど、それ以上にコーヒーを飲みたいと思い、とりあえずは前回「珈琲館 蘭峰屋(らんぷや)」に立ち寄りました。老朽化の目立つ雑居ビルの2階にあるお店で前回もやってはいましたが、どうも気乗りせずに通り過ぎてしまいました。お向かいに、とてもいい雰囲気のお店があって、そこに満足していたことも影響したかもしれません。今回のように一服したいという気分が高まっていなければ、今回も素通りしてしまっていたかもしれません。暗い階段を上る最中には、これはおしゃれとは無縁のタイプのカフェかと尻込みしたくなる気分が抜けませんでしたが、思い切って戸を開くとなんだなんだウッディな内装のシックな佇まいではないか。派手さはないけれど、店主の内装に費やした情熱を感じ取れる立派なお店だったのです。これだから先入観というのはアテにならぬのだよなあ。客席は極力客同士の視線が交錯しないように、これもまた手作り風の木製パーテーションで区切られていて、いつまでだって居座っていたくなるムードでした。空腹感さえかんじなかったなら長々と滞在することになったかもしれません。コーヒーに定評があるようで昼食を終えたらしい勤め人の方たちがぽつぽつ入ってこられます。人通りのない目抜き通りの、さらにうらびれた雑居ビルの2階に、よもやこれ程に人気の絶えないお店があったとは驚きでした。 さて、長い長い昼食を終えた後に「珈琲店 SNACK LARNA(ラーナ)」にお邪魔しました。市役所の近くの駅前通りよりさらに人通りのないアーケードのある商店街にあります。店内は写真でご覧いただいた通りの至って質素なもので、正直少し寒々しい気分になります。店の奥では常連らが麻雀をしているようで、雀荘と喫茶店を兼ねたお店というのは珍しくもありませんが、そちらが賑やかなこともあって喫茶側の静けさが倍増するようです。お手頃な食事メニューも豊富なので、平日であれば役所の方たちで案外賑わうのかもしれず、つくづく旅先の喫茶店というのは裏の姿のみ旅人には晒しているのだなあと思わされるのです。 さて、「喫茶&スナック サイクル」、「Cafeterasse BELL(ベル)」は、廃業なさっているのだろうなあ。前回空振りした「Coffee & Restaurant 道草」には、またも嫌われました。というかここも役所の側にあるお店なので平日に訪れるしか入る機会を得る手段はなさそうです。昭和23年操業という「紅谷洋菓子店」は、営業していましたがさっと眺めてみても生菓子が主体で、焼き菓子等のお土産にできそうな商品は見当たらなかったので何も買い求めずにそっと店を辞したのでした。
2019/06/09
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さて、連日の早起きに疲弊した同伴者はお土産選びに避難して、解放されたぼくは早速呑み屋を物色するのでした。前回来た際に狙いの酒場の目星は付けているから、優先順位に従って記憶を頼りに歩き回れば良いのです。と簡単に書いたけれど、何処もやっていないのであります。やってないといくらぼくが勢い込んで記憶を振り絞ってみても如何様にもし難いのです。いや、時間さえしっかり確保できたなら入っておきたかったお店もあるのだけれど駅から少しばかり遠いので、より優先順位の高い方に向かってしまったのでした。方針や原理原則が必要な場合もあるけれど、旅の場合には目先の欲求に従う事も時には大事らしい。 でも、幸いにも前回気になったけれど見過ごしてしまった「お食事処 やきとり 踊子」は、営業しておりました。今しも店を開けたばかりのようだったのでもう少し早くここを通り過ぎていたら、入りそびれるところでした。ぼくの思い描くところの正統派の居酒屋を体現したような佇まいに惚れ惚れします。居酒屋というのはかくあって欲しいという典型のようなお店で、正統派である事のメリットでもデメリットにもなりうる単調さがこの夜は心地良く感じられます。しみじみと心落ち着けて店内を見渡すとその内装に施された丁寧に設計、制作された多様な細部が建築には徹底的にシロウトのぼくにも見えてくるようです。酒の力もそこには幾らか作用しているように思えるのですが、頭の片隅にはチラチラとこれからまた鈍行列車に揺られて帰京せねばならぬなあという思いが過り、そのかったるさに予定を変えて伊東に一泊したくもなるのです。お通しの揚げ出し豆腐、銀杏にイカゲソ、何れも少しも特別でない凡庸の極みのような肴でありますが、これがまた堪らなく旨いのは雰囲気のせいだけではなさそうです。職人肌のオーラを身にまとった店主がしっかりと丁寧に仕事されていると見た。まあこれも贔屓目に過ぎぬかも知らぬけれど、GWも休みなく営業するその心意気や素晴らしいと称賛するに憚らぬのでした。 待合せまでもう少し時間がありそうです。あと少しどこかに立ち寄ることにします。と意気込んでみたはいいけれど、まあやってる店が少ないこと。少ないからか、数少ない営業しているお店はどこも一杯で何軒かに断られた末に、諦めモードで駅方面に向かっていくと「小料理 一葉」という何の変哲もない居酒屋がありました。普段なら見向きもしないと書くと言い過ぎですが、まあ好んで入ることはなさそうなお店です。中途半端に時間があるけれど選択の余地もなくうかうかしていられぬこともあり、切羽詰まって店に飛び込んでしまいました。今思うと無理して立ち寄ることもなかったと思うのですが、人は時には冷静でいられず勢いで行動することもあるものです。ということで勢い込んで転がり込んだはいいけれど、中にはどんよりしたムードが漂っていて、他店の活気を浴びまくっていたぼくには新鮮かつちょっと怪しげに思えてこれはこれでいいなあなんて呑気に思ったのでした。しばらくすると奥さんらしき方も下りてこられて喋りかけてこられたのですが、人柄は良さそうですがどこかしら暗さを伴っていたのでした。暗いムードは好きなので歓迎すべきですが、焼き上がったばかりの豚バラ串焼きを頬張ろうとしたところに同伴者からの連絡が飛び込んできて、すぐに来るように言われたからさあ大変。静かなところに独りバタバタと騒がしく店をお暇したのでした。 前回見て一目惚れした「もつ焼 ひさご」は、改めて見てみるとまあそれなりの雰囲気だったなあ。むしろスルーしてしまった「源来軒」が余程魅力的に思えます。次回はこの2軒をマストで訪れたいと思います。
2019/06/03
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数か月前に伊東を訪れたことをご記憶の方もおられるかもしれませんが、久しぶりに立ち寄った伊藤の印象は非常に良かったのです。前回も昼下がりに立ち寄ったから、喫茶巡りからの酒場巡りへの移行というお決まりのコースを辿っても少しも問題なかったはずなのに、どうした理由からかそうはしなかったのです。伊東という町もまた熱海同様に喫茶店の多い温泉街だなあというのが印象としてあります。温泉街といっても大概が鄙びてしまい、喫茶店どころか居酒屋すらないところも多いのと比べるとずっと気分が高揚します。夜遊びできない町などぼくにとっては少しも魅力が感じられません。多くの温泉のある宿泊施設では、館内だけで満足できるよう様々な施設が予め用意されているためか、食事を終えて、何度目かの入浴を終えて町に繰り出して遊ぶような人も少なくなったみたいです。温泉旅館の施設内に新橋の駅前ビルのような地下が広がっていたならぼくでもまあ満足できたのでしょうが、そんな施設はそうはないはずです。横須賀のホテルの地下がそういう造りで楽しめたことが記憶にある程度です。 さて、前回はなぜか時間が押していて素通りせざるをえなかった「喫茶&食事 コロンビア」に入ってみることにしました。それなりに古いお店のようなのに白い外観はきれいな状態を維持しています。店内はどうなっているのか気になるところですが、やはりというべきか、卓席メインのスナック風でありました。別にそれが悪いとかいうようなつもりは毛頭ないけれど、どうしてもちょっぴり物足りないと言わざるを得ません。カラオケセットも置かれているから夜にはスナックとしての営業になるのかもしれません。店のご夫婦は丁寧にドリンクを用意してくれて誠実さを感じられるのですが、もう少し内装に拘りを持っていただけるともっと良くなると思うのだけどなあ。 向かい合わせで「ヤマモトコーヒー 一番館」と「ヤマモトコーヒー 二番館」があります。後者は中休みなのでしょうか、扉は開け放たれていますが、店内の照明は消されています。まあ、似たり寄ったりだろうとお向かいの「一番館」にお邪魔することにしました。店内に入って久々に呆然となりました。いやまあ、時折あるにはあるけれど、クラシカルな正統派の空間に美術館並みの存在感をもって彫像の数々が飾られて、いや展示されているのです。芸術には造詣の薄いぼくでも見たことのあるようなそれを眺めながら珈琲をいただくというのも贅沢なものだなあとすっかり楽しい気分に浸れるのでした。店の手前はカウンター席や二人掛けの席となっていて、こちらには夕暮れを前に仕事を終えた常連たちがポツリポツリと来店されています。奥は広めのラウンジ風の空間になっていて、これまた豪奢な雰囲気を放っていてその立派なことに感心仕切りとなります。メニューを見ると前回慌ただしく立ち寄った「カフェ・グレコ」も同じ系列店だったのですね。あちらも上流階級気分を味わえる良いお店でしたが、ぼくは圧倒的にこちらを支持します。店を出ると「二番館」も営業を始めていますが、もう表の空は少しばかり暗み始めていて、気分はあっさりと呑みへと移行したのでした。
2019/06/02
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さて、喫茶篇は先行していますが酒場巡りは、焼津が振り出しです。焼津では以前も呑み歩いているし、というか散々彷徨った挙げ句にこれといった店の無さそうなのも大体認識しています。実は焼津にはいつでも未練が付き纏っていて、それはどうしても行きたいと思っている酒場が3軒あるのです。いやそのうち一軒は行こう行こうと思う内に店を締めてしまったから、現存するのは、2軒ということになります。一軒は酒場放浪記で紹介されたお店で、基本的には宿屋とセットになった食事処で、食事のみでも構わないらしいけれど予算とメニューを見ると食事のみで6,000円のコースからと決まっているらしいのです。これはもうダメだ、とても食えぬと断念せざるを得ないのです。これでやっていけるのだから、不満を述べても仕方ないけれど何とかハーフコースを用意していただけぬものか。そしてもう一軒は港の近くにあるという狭小な構えの「あん梅」というお店。ネットにも余り情報がありませんが、かき集めた情報によるとこちらもアラカルトでオーダーという一般的な酒場のスタイルと違って、客は黙って席に着いて店主のペースで肴を振る舞うといったお店のようなのです。これは自ら確認した訳ではないから違っていたら誠にすまぬことでありますが、事の真偽はともかくとしてそういうものと思い込んでいるぼくには非常に敷居が高いのです。ストリートビューなどで片鱗のみ窺い知れる店の佇まいはとんでもなく魅力的なので非常に悔しく残念に思われるのです。 なので、駅前の枯れた雰囲気のお店ではある「居酒屋 日の出」に妥協という訳ではないけれどお邪魔することにしたのでした。駅前酒場というものには憧憬にも似た感情を持ち合わせており、こちらは駅前ではあるけれど、ロータリーの向こう側というのが風情を削いでいる気がします。駅前酒場というのは、ぼくのイメージにおいては改札を抜けてすぐにあったりとか、線路沿いの路地に軒を連ねていたりとかいった人々が慌ただしく往来するような雑然とした景色として想起されます。ぼくの記憶では昔の新潟駅前の呑み屋街なんかがそれに近いかもしれません。この焼津の酒場も路地に面して建っておりそれは悪くない風情ですが、いかんせん周囲に酒場が少なすぎるのです。例えば三島駅前の呑み屋街もロータリーの先にあるわけですが、営業しているかおらぬのか判然とせぬ酒場も多いけれど、その迷宮めいた路地の雰囲気が哀愁を伴い情感を揺るがすのでした。さて、まあ少しばかり惜しい環境ではあるけれど、このお店単体としてみればなかなかいいムードなのですが、店内は至って穏当な普通の構えでありました。特別な肴があるわけでもないけれど、その調理は丁寧で特に大ブリの椎茸を焼いたものは旨かったし、酒も無難に揃っており、値段もお手頃。ながらみなど近頃では都内でもたまに見られるけれど、やはり地のものといった感じでその味わいもひとしおで、とにかく普通にいやちょっといい感じのお店でありました。 さて、何軒かの酒場に混んでいたり閉まっていたりでフラれた後に人通りも少ない暗い夜道を彷徨っていると「よねいち」というこれまたちょっといい感じのお店がありました。先の店とは違って、周辺には酒場らしき店もなく、その孤立無援な様が感動的な気すらするのです。港町っていうのは呑み屋街が付き物という印象がありますが、ここ焼津は知らないだけかもしれないけれど、群れを成すように出来上がった呑み屋街と呼べるようなエリアは見られずそれは少し物足りないけれど、こちらのように諦めかけた時に救いの手を差し伸べてくれるような酒場が点在するというのも楽しいものです。さて、こういう哀愁漂う路地裏酒場ながら店内に入ると至って明朗な元気のいいお店でありました。こちらも至って普通の居酒屋メニューが並び、これじゃ都内の居酒屋で呑んでいるのとそう変わらぬではないかという意見もあるかと思うけれど、それでいいんだと思うのです。地産地消とか地方に行ったら地のもの地の酒を呑むべしという意見もあるし、ぼくにだってその土地の変わった食材や酒に接したいという気持ちはあります。でも、基本的にはマグロにしたって土地の野菜にしたって、同じ日本なのだからそうは違わないものです。それでも確かに地元で取れたらしいどこでだってあるような当たり前の野菜や魚介なんかが美味しいと思えたらそれでいいという気もします。といったわけで、地方の町の小体な普通の酒場できっちりと良い気分に浸れたのです。
2019/05/27
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さて、早くも旅は二日目に突入です。二日目ということはこの夜には、帰京しなくてはならぬのですが、宿泊した焼津からまた浜松方面に下る事になるのです。というか昨日乗車した大井川鐵道にまたも乗車して、今度は千頭駅で路線バスに乗り換えて寸又峡温泉に向かうのでした。参考までにその行程を記しておくことにします。 焼津駅から東海道本線5:41発に乗車、6:00に金谷駅着。大井川鐡道本線に乗り継ぎ6:14初の列車で千頭駅に7:27到着。千頭駅前バス停から寸又峡線バスに乗車8:00発でほぼ時刻表通りの8:40に寸又峡温泉に到着しました。 さて、目当ては夢の吊橋という気取ったネーミングの吊橋を渡ることにあるのですが、ぼくには美しい風景―ここだと山間の大井川の清流を俯瞰から眺めるということになろうか―には、幾らか不感症なところはある一方で、高所に対しては確実に恐怖を感じることができるので無論、強く望んで訪れた訳ではないのであります。それでもいざ来てみると存外に楽しめたとだけ書き留めておきましょう。年取ると多分、渡るのも難儀になるだろうし、渡り終わってからの急峻な階段を上るのも厳しいだろうから、今のうちに来ておいて良かったなあ。 見るというより経験すべき事を終えてしまうと後はもう自由気ままに行動したのだろうなとなるかと言うとそうもいかぬのでありました。早い時間にやって来たのが功を奏し、酷い時には一時間以上の待ち時間となる事もあるという夢の吊橋を待ち時間ほとんどなしで渡れた事がむしろ慌しい旅程を迫られたのです。というのは、急いで温泉入口のバス停に辿り着ければ千頭駅行きのバスを拾えるはずだし、大井川鐵道の金谷駅行きに時間のロスなく接続もできるようなのです。寸又峡温泉には、「山の茶屋」、「寸又苑」という喫茶店らしきものを見掛けましたが、幸か不幸か営業はしていませんでした。なので未練を引き摺らずに素通りしてバスを待つ列に並ぶ事ができました。彼らは前夜は寸又峡温泉に宿泊した方たちのようで狭い車内は満席となりました。奥に席を取るしかなかった我々は電車の乗り継ぎに一抹の不安を感じつつもバスは定刻より1分程遅れて発車しました。高所恐怖のぼくにはこのバスからの眺めこそがおっかなかったのです。対向車とのすれ違いも困難な山道をグイグイと走らす運転手の技はまさに職人のものです。それにしても他の乗客たちは少しも不安を感じないかのように表の景色を眺めていられるのがぼくには不思議でならなかったのです。そんな恐れおののくぼくのことなどお構いなしにバスはスピードを落とすこともなくひた走ります。乗り継ぎを想定して対向車の交通規制もされているのですね。万が一、バスが遅延しても多少なら乗り継ぎ列車も待ち受けているのかもしれません。しかし幸いにも時刻表通り列車の発車5分前には到着したのでした。 という訳で、後は帰京すれば良いという気軽な身になり、さて、とうしたものかと思ったのだけれどすぐに思い付くのが伊東のこと、先般立ち寄った際に一目惚れしたもつ焼き屋にお邪魔せずにはおられぬのです。だけれどもまだ時間は呑みには早いから喫茶に立ち寄ることにしたのです。でまあ、ありきたりで済まぬけれど、立ち寄ったのは熱海駅の目の前の「レストラン COFFEE フルヤ」だったのです。今更、ぼくのようなものが語らずとも済む定番のレストランですが、余りにも駅から至近に過ぎるので、立ち寄るというチャンスを逸してしまったのです。そして、散々ネットに流出した写真なんかでは受け止められないだけの感動を享受できたのです。ぼくなんかのような発見に至上の歓びを見出すタイプの方も少なからずおられると思うけれど、先人の切り開いてきた足跡を律儀に歩むのもやはりわるくないものです。 さて、伊東に到着しました。ここでも先人の歩みを工夫もなく辿ることになります。「軽食・喫茶 エリーゼ」は、かつての純喫茶の面影を濃密に留めながらも―特に近な伸びる階段に―、やはりお手頃にリサイクル品でリニューアルするという悪手で、好ましいはずの美徳を食い潰しているようなのです。リニューアルでもリノベーションでもまあどちらでも構わぬけれど。その手さばき加減ひとつで、その店舗の美徳を留めるか失するかを決定付けるのです。当たり前の事だし、実際問題として予算の多寡やら将来展望などを加味しておかねばならぬだろうから、一概に否定的な言説は避けなければならないのですが、でもやはり少しばかり残念な事であることは否めません。地下へと下る階段を眺めているとその暗闇の先を覗き込みたい誘惑に掻き立てられるのですが、やはりそこは見ない方が良いのだろうと思うのです。
2019/05/26
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SL待ちの千頭駅では、しばしのインターバルがあります。アプトラインは終着の井川駅まで行けなかったのにはほんの少しの未練を残してしまいましたが、これで井川駅まで行っていたらSLに乗れぬどころか、金谷駅に戻ると6時近くなり、それだけの時間を費やす気にはなれませんでした。廃線後を辿る趣味も今のところはないので、閑蔵駅から路線バスで折り返すのはなかなかファインプレーだと自負したのですが、今考えるとこのバスとの絶妙な接続はぼくと同様のプランを辿る者のために配慮されているのかもしれないです。列車も好きだけれど、バスも劣らず好きなのでこれがぼくにはベストと思うことにします。さて千頭の駅前散策もすぐにひと巡りを終えてしまったので、昼食がてらに駅前の食堂を物色します。 非常に限定された選択肢の中から「手打そば 丹味」に決めました。どこも古びた風情を求めるというにはいかにも観光チックな装いの食堂でここぞと決めるに足るだけのポイントがなく、それなら蕎麦屋が一番安定していると判断したのでした。店内は至って端正な構えでまあ面白味はないけれど、座敷は手足を伸ばせて気持ちがいいのです。寿司や料理という記載もあるけれど、メニューを見る限りはそばかうどんかに絞られるようです。天ぷらを揚げる香ばしい香りにも惹かれますが、ここは潔くもりにしておきます。質素な方が蕎麦の風味を存分に楽しめるのであると己に言い聞かせる。けれど、後はSLに乗るだけという安心感とちょっとした昂揚感でビールだけは頂くことにします。揚げ蕎麦を肴に含んだビールの旨いこと。この1杯のためにビールという酒は残しておきたいと心の底から思うのです。さて、蕎麦はというと、これが抜群に香り高い蕎麦で驚かされると同時に少し感動するほどでした。この美味しさなら他の料理もきっとレベルが高いのだろうなあ。夜の営業はどうなっているのだろうか。なんてことを思ったりもしたけれどさすがに千頭の町で一夜を過ごすのも冴えない気がするというと失礼でしょうか。 話は編集の都合上、一気に翌日の最後の居酒屋報告へと飛ばすことにします。というのもあえて書くほどのお店ではないけれど、でも日記的な意味合いがあるこのブログの性質上、記録しておくのが正道だろうと思ったまでです。翌日の最後に立ち寄ったのが、熱海でした。しばらく熱海を散策して呑めるお店を求めたのですが、早々と店を閉じてしまっていたり、だからだろうかとんでもなく混雑していたりでなかなか店が決まらぬのでした。なので、駅ビルのラスカ熱海の飲食店街に立ち寄る羽目になるのです。「伊豆太郎 ラスカ熱海店」にお邪魔しました。お向かいの店も人気店で待たされるようですが、こちらも待ちのお客さんが数名列をなしています。ならばどうしてこちらを選んだのか。順番が早い方を選んだかというとさにあらず、店の方の親切な方を選んだのです。親切というかこちらの対応は極めて普通ですが、お向かいの応対が酷過ぎるというのが正確です。さて、駅ビルの飲食店街のお店らしく面白味は少しもありません。しかし、寿司を初めとした食事はなかなか美味しいし、利便性も抜群だから旅の最後に休息を兼ねて立ち寄るにはとても良いと思います。昔の熱海の駅前は夜になるとどこもかしこもシャッターを下ろしていたことを思うと、随分便利になったなあと熱海の回復ぶりにはぼくも素直に嬉しくなるのです。
2019/05/20
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つい先だってのGWも過ぎ去ってみれば、誠に呆気のないもので既にして記憶の奥深くに埋没してしまいそうです。長期の休みを活かすべく、遠隔地へと足を伸ばしたいという衝動をぐっと飲み込んで、一泊二日の小さな旅を三度というプランをもって臨むことにしたのです。予算の都合が欲望を圧倒したという事です。でも普段なら日帰りにせざるを得ないところを一泊する事で随分行動範囲を広げられるから、きっとそれなりに充実した旅となると期待する間もなくGWに突入したのです。ところで、この三度の旅では喫茶や酒場巡りは極力控え目にして、観光の要素を散りばめました。無論多くの未知なる喫茶や酒場を見てみたいという欲望はまだそんなに衰えてはおらぬけれど、ここのところ、飲み過ぎ、呑み過ぎで旅の道程に差し障りが生じる事もしばしあったので、無理のない程度に愉しむ事をモットーにしたいのです。特に三度の旅を満喫するためにもいきなり飛ばすのは危険です。ともあれ、旅の記録かつ参考になればととりあえずプランを残しますが、極力手短にします。なんと言ってもこのブログは、酒場とたまに喫茶を愉しんだ記録のためにあるのだから。 GW初日の土曜日、品川駅5:10発の東海道本線に乗車し、金谷駅に8:38着。既に疲労を感じますが、危惧していた列車の混雑はほとんどなく、むしろ座り疲れしたくらいに順調でありました。ここで大井川鐡道本線9:01発に乗り継ぎました。この大井川鐡道に乗ることこそが今回の旅の目玉企画なのであります。というかこの列車の乗車時間や待ち時間がこの旅の大部分を占めるのであります。なので、欲張りなぼくはなかなか旅の予定を決定しかねていたのですが、たまたまテレビで大井川鐡道を特集しているのを見ていると、こういう旅もたまにはいいんじゃないかと思うに至ったのです。しかもふるさと納税の返礼品で大井川鐡道のフリー切符を入手していたから早めに使わないといけないという現実的な理由もありました。 10:14に千頭駅到着。ここでお目当ての大井川鐡道南アルプスあぷとラインにさらに乗り継ぎます。終点の井川駅まで乗車したいところですが、見所はもう通り過ぎたと自らに言い聞かせ、閑蔵駅にて下車。路線バスの閑蔵線12:20発にて千頭駅前まで引き返します。14:10の本線上り列車がSLでそれを予約してあったからです。 まだ投宿するには早い時間だったので、東海道本線にて藤枝駅に移動、下車してみることにします。藤枝駅ではこれまで下車した覚えがありません。適当に駅を出るとロータリーを見渡すだけでも3軒の喫茶店があるから嬉しいではないですか。近頃チェーン系コーヒーショップではないお店がこれ程揃っているのは珍しいことではないか。取り急ぎ「喫茶 サモワール」に入ってみることにします。駅に隣接したビルの2階に繋がる階段には、飾り棚が置かれ中には古時計が詰まっています。同じロータリーに「タイム」という喫茶店もありますが、むしろそちらにこそ相応しい飾りではないか。対抗意識からこうしたのかなあ。などと思いながら店内に入ってみると、パーラー風のカジュアルな雰囲気。まあ無難と言えば無難だけれど、それでも一日歩いてこれが初の喫茶ということになればちゃんと熱いコーヒーが飲めるというだけでも有り難いのです。窓からの見晴らしも良くて、GWだというのに人通りの疎らではありますが、これから旅立とうとする人を家族の方が送り届けるという光景なども見られて楽しいものです。駅前はやっぱりこういう窓の大きな喫茶があるのがいいですね。この日は余り時間がなかったけれど、列車待ちの時間潰しにはもってこいです。ああ、そういう意味では駅前どころか近くにほとんど商店もない金谷駅にこういうのがあると再硬なのにねえ。 続いては、「Cafe de MOCHA(モカ)」にお邪魔しました。オーソドックスな構えの品の良いお店です。内装も外観を少しも裏切らぬ正統的な端正なお店でとにかく安心してくつろぐことができます。近所の住民は買い物のついでや夜の食事だか呑みの前のひと時を過ごしておいでのようですし、店のママさん風の方たちも何名かいらっしゃいました。こちらでは卓席よりもカウンター席を好むお客さんが多いようで、卓席に着いたものの空いたとなるとすぐさまに移動なさっているご夫婦もいらっしゃいました。それはきっとこちらの優しそうなママとのお喋りが嬉しくて仕方ないからのようです。 駅前の「COFFEE TIME(タイム)」は次回のお愉しみにとっておくことにしました。一方で、駅から5分ほどの場所にある「珈路」はすっきりした外観がたまらなく魅力的で店内には明かりが付いていて、営業を終えたところか、もしくは始めるところなのか。後ろ髪を引かれますがこちらも次回の機会に譲ることにします。 さて、今夜はホテルを予約している焼津に早めに移動してゆっくりと呑みに行くことにしよう。
2019/05/19
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さて、最後のお楽しみはやはり静岡呑みです。町の規模ではもしかすると浜松が勝っているのかもしれないけれど、ぼくは静岡の呑み屋の方がどうやら好みのようです。こんな感想はいずれ浜松でとんでもなく素晴らしい風情の酒場と遭遇することで消し飛んでしまいかねぬのでありますが、とりあえずは今のところはそうなのであります。その静岡酒場の根本にあるのが静岡おでんであるというと、何を下らぬ意見を曰わっておるのだと言われても仕方がないくらいに退屈な言い分なのでありますが、戦後の頃であろうか、駅前にズラリと軒を連ねた屋台がやがてGHQだか政府だかどちらでも構わぬけれど乱暴な手続きで町の隅に追いやられながらも逞しく命脈を保ち今の2つのおでん街として現役に営業している、そこにドラマを見出してしまうのはそう感傷的な想像ではないと思うのです。 最初のお邪魔したのは、そのおでん横丁のひとつ、青葉横丁にある「いすゝ゛」でありました。これはもうなんというのか他にはない独特のムードをもった呑み屋横丁ですね。ケバケバしくてキッチュなところは愉快な反面、明朗快活なところがちょっとばかり物足りなさを感じさせなくもない、でも他に余り見ない個性の際立ったこの2本の通りはまだ行ったことのない方には是非とも立ち寄っていただきたいのです。なんて静岡ガイドのような振る舞いをするのは厚かましいにも程があり、どこも似たようなものだから気が向いた店に入ればよろしいなどと語るのは片腹痛いと思われても仕方のないことなのだ。でもこの日は日曜日だからやってる店に入るしかないということで、お邪魔したのがここだったわけです。他のお客さんも観光の方で、店の方はそれがどうも嫌で嫌でたまらないらしいのであります。が嫌ではあるけれど、それで店がやっていけているという思いもあるらしく、不機嫌そうながらも丁寧に受け答えしています。ぼくは馴染みぶるのも逆に観光客らしく振る舞うのもどうも性に合わぬのでニュートラルなたまにおでん横丁を訪れる客を演じるのでした。さすがに昨夜の浜松のおでんとはひと味もふた味も違っています。出汁粉をバンバン振るのを若い女将が横目でちらりと見遣って、地元の人は出汁粉はほとんど使わないんですよねとチクリと耳が痛いことを仰るのです。静岡割も知ったかぶりっぽいけどあえてその呼び名で注文したらこちらはすんなりと受け入れられます。なかなかにツンデレのようです。連れもなんだかんだ楽しんでいるようで結構なことです。 一転して格式高い雰囲気の「味の店 乃だや」にお邪魔することにします。おでん屋というよりは、割烹風の構えであります。それに引け目を感じることのないのは旅で気が大きくなっているからか。混雑していることを予測していたので実際に行ってみると案外閑散としていて拍子抜けです。ここのおでんは静岡風といえども味噌が掛かっていて、一般にイメージする静岡おでんとは違っていますが、これがなかなか旨いのであります。というかここの肴はどれもとてもちゃんとしていて良いのであります。雰囲気はちょっと和風モダンという感じで好みとは違っているけれど、静岡らしい肴を美味しく頂けるという意味では、また静岡に来た際には立ち寄りたいかも、と思えるようなお店でした。
2019/05/13
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浜松で過ごした翌朝は、早朝に静岡駅に向かうことにしたのでした。伊勢神宮、豊川稲荷に続いて久能山東照宮に行こうというのだからどうかしています。いやどうかしているというと誤解を招くかもしれぬので、ここは穏当に節操なしと自らを貶めるのが適当です。静岡駅からの路線バスはちんたらとした走りで日本平に向かいます。想像していた以上に山深い奥地へと進むので、一度は歩いて向かう方法を検討しなくて良かったと感じたものです。風光明媚な眺めを堪能できる日本平ロープウェイに揺られ、到着するとすぐそばに久能山東照宮がありました。日光とは比較にもならぬこぢんまりとした規模ですが、細部にまで意匠の凝らされた社殿などの造作は見ていて実に楽しい。連れとはこの朝、いざこざがあったのですが、帰りのロープ‐ウェイに運ばれる頃にはすっかり晴れやかな気持ちになったものでした。 さて、振出しの静岡駅に戻ってきました。この夜は帰京するだけなので時間はたっぷりあります。伊東方面に行くなどの展開も幾通りか考えられましたが、ちょっと疲れていたし、それに前夜肩透かしされた静岡おでんをリベンジするのもいいかと思い、夕方まで市街地をぶらつくことにしました。これまで静岡でいざ喫茶巡りをしようとすると空振りばかりでどうもこの土地の喫茶店とは相性が良くないと思い込んでいました。でも、そんな欲望を封印した途端に入れる店が多いというのは不思議なものですね。今回はえり好みせずにブラブラしたのが功を奏したのかすいすいと喫茶巡りが叶ったのでした。 静岡の中心街の裏通りにひっそりとお忍び風でもなくあっけらかんと営業している「珈琲 ソワレ」は、いかにもどんな町にでも必ずありそうなごく平凡な構えをしています。内装だってそう、少しの衒いもなくハナっから内装の充実でお客さんに楽しんでもらおうとは思ってもいないようです。でも近隣の勤め人にとって、日常使いをする人にとってはこれで何の過不足もないのだろうなあ。喫茶店に萌えと言われるような何かしらのトキメキを感じたい者には何と質実一辺倒なのだろうと思われる内観が、日常ではむしろ過ごし良いのかもしれない。そんな普段使いの喜びにようやく至りつつあるようです。 実は一番気になっていた「TEA ROOM パンドラ」、「喫茶 礼門(レモン)」には今回もまた見放されたようですが、単に巡り合わせが悪かったと思えるだけの余裕が珍しくあったのも少しだけ己の成長を認める事ができるのです。 町外れにはかなり敷居の高い、というのもボロなのは一向に気にならぬけれどどことなくスナック風の雰囲気がムンムンと匂い立っていたからです。のような喫茶に入るのはいつもなら相当な煩悶に立ち止まらされる事になるのだけれど、この日はアッサリと扉を開いてしまいました。「ニューサマンサ」、その奥には薄暗い中にズラリとスツールの並ぶカウンター席があるのですが、やはりこれは明らかにスナックなのでしょう。それを知っても怯まなくなったのだから、ぼくの喫茶趣味はこれから先、一体どこに向かうのだろうかといくらかの不安を感じなくもないのです。奥はラウンジ風の団体席になっていて、そこに腰を下ろします。コーヒーを頼んでも特に変な顔はされないから、喫茶とスナックを二毛作ではなく同時進行させているようです。やがてカウンター席にいた爺さんがカラオケを始めてしまいます。普段ならげんなりして席を立つところですが旅の終わりも迫っているという少しだけ感傷的な気分だったせいか聞き覚えのないさして上手くない歌声に聞き入り、モニターに流れる映像の思いがけぬ演出力の高さに見入るのでした。 静岡の喫茶の締めくくりは。「喫茶 リッチ」と「珈琲館 シーズン」という隣り合ったビルのそれぞれの2階にある喫茶店は、一方はカジュアル、もう一方はカウンター席のみの本格派とテイストは違えど、どちらも買い物途中、もしくはわれわれと同様に夕食や呑みの前の空き時間をゆったりと過ごすにとても適った良いお店でありました。静岡の人と一般化する程には静岡の人の事や静岡喫茶を知っている訳じゃないけれど、どうもあまり過激になり過ぎぬよう落ち着いた空間を好むようです。
2019/05/12
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豊川で泊まることも考えましたが止しておいてまずは正解だったようです。やってる店が少ないので夜を持て余すかもしれません。次に思い至るのは豊橋ですが先般宿泊した際に酒場巡りにとても難儀して、夜の豊橋を散々っぱら彷徨った虚しさは記憶に鮮明です。と前日と同じような事を書きましたが、結局浜松を宿泊先に決めました。静岡駅の近辺にはここ数年でも何度か泊まっているけれど、浜松は長距離列車に揺られるのにウンザリしてフラリと立ち寄ることはあっても宿泊するには及ばないと判断したようです。浜松は駅前は無機質な巨大ビルが立ち並び散策するには気分を無理矢理に引き上げておく必要があります。取り敢えず余り歩いた事もない駅の南側のホテルを目指したのですが、途中、突如巨大クレーンに切り出されて移設されたように孤立したアーケード付きの商店街があって、これを見て今晩は駅南で呑もうなんて思ってしまったのです。 駅から5分程のホテルを出たのは良いけれど、これが虚しい事に彷徨えどどんどんと酒場過疎地帯に踏み込んでいるように感じられ、急速に疲労が身体を覆うのです。見ると「居酒屋 55ラーメン」という何でもないお店では、静岡の人気グルメの大定番である静岡おでんと浜松餃子が同時に頂けるようなのであります。酒呑みに肴は不要説を日頃提唱するぼくとしては、余り食い物につられて酒場を選んだとなるとそれはそれで極まりが悪いのでありますが、でもまあ連れもあることだし、我を通すばかりでは円満な関係を維持できぬことも知らぬ齢ではないのであります。まずは静岡おでんでありますが、これは残念ながら静岡おでんとは名ばかりのどちらかというとかなり普通の関東風でありました。まあ普通に美味しいのですけどね。餃子も悪くはないけれどやはり円盤状に並んでおらずもやしもないというのはどうも浜松風というイメージとは縁遠く思えるのです。そしてこちらのお勧めという麻婆豆腐でありますが、こちらはちっともいただけぬのです。量もちょっぴりだし、味わいも自慢にするのはどうかと思えるものだったのです。旨いものを期待して店に入っただけに少しくがっかりとしたのが本音であります。 ということで、駅南は諦めて賑わいのある北に移動しようと歩いていると「のみ処 あづまや」という古びた酒場がありました。無論、躊躇いなく入ることにします。こちらのおでんはしっかりと関東風を謳った真っ当なおでんであります。店内の造作もまさに酒場のど真ん中をいくものでありました。肝心の写真が見当たらぬけれど、リンゴ入りのポテサラなんかもなんだかじんわりと美味しいなあ。肴との相性については異論もあろうことと思うけれど、やはり暖かめの燗酒をつい所望してしまうのであります。店頭にはオヤジさんが独りで立っているけれど、2階には奥さんだか娘さんだかがおられるらしく料理はそちらから運ばれてくるスタイルであります。手が空いた時のオヤジさんは実に気さくで、店の歴史や町の変遷などとても饒舌に語ってくれるので、ここで呑む時にはしっかり時間に余裕をもってお出掛けになることをお勧めします。
2019/05/06
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桑名を発つと一気に豊川まで向かいます。豊川もつい先頃立ち寄っていますが、この旅ではとうしたものか神社仏閣を巡る事に楽しみを見出だせました。日本の建築物を眺めるのは言うまでもなく楽しいのですが、どちらかと言えば明治期以降の和洋の折衷した平たくいえば出鱈目でいいとこ取りなものの方に惹かれていました。でもこれを年のせいにはしたくはないのですが、近頃は伝統的な神社仏閣なんかにも心惹かれる瞬間が少なくないのです。でも詳しいことはウィキペディアでもご覧いただきたいのですが、豊川稲荷って結構変わった来歴をもって建立されているようなのですね。伊勢神宮にしても純粋に建築としての興味は持てぬものの、出典たる神話に則していると考えると別な感慨も湧こうというものです。というような事を語るといかにも無理をしているようでありますが、まあ以前よりはこうしたメジャーな建物にも多少なりと興味を抱けるようになったということです。そんなこんなで、豊川稲荷を参拝―と記すのが適当なのか悩ましいところではありますが―し、先般行きそびれた豊川の喫茶店を2軒程ハシゴすることにしたのでした。 長々書くほどの情報があるわけでもなし、さっさと話を進めます。実は豊川稲荷より先に「珈琲 パピ」に立ち寄ったのは、単に本当に休息したかったからなのであります。さすがにこの間来たばかりだから迷わず到着。どことなくノスタルジーを喚起する、だけれども無理するにはどうかなと思う程度の微妙な外観のお店に寄ることにしたのです。中に入ってもその印象は変わることもなく、まあ普通の喫茶店だなあという感想を漏らすしかない、そんなお店でした。でも喫茶マニアの方向性とはどんどんズレて、泉麻人の普通の喫茶店趣味に陥りそうな自分を自覚せざるを得ないのだけれど、こういう普通の店って良いんですよね。外観は期待感を抱かされるし、店名にも喫茶好きの感性を揺さぶるような想像力を掻き立てる所があると思うのです。しかし、こちらは入ってみると非常にノーマルでかたてのぼくなら肩透かしされたと落胆を隠しもしなかったかもしれません。無論、予想を遥かに凌駕するトンデモ空間が待ち受けていたとしたらそれは言うまでもなく喝采を上げたに違いないけれど、それが普通だったからといちいち落胆する事はなくなりました。いかにも無理している感じが滲み出ているという気配を読み取る方もおられるだろうし、それも100%違っているかと追求されるとそうかもしれぬかもと思わぬでもないけれど、でもやっぱりここでの時間は悪くなかったと断言します。 さて、豊川稲荷を堪能した後、甘酒でも飲もうかと立ち寄っのたのが「純喫茶 富士」でした。大観光地の目の前にある土産物屋の片手間でやってるお店と見立ててしまい前回もスルーしましたが、今回は甘酒を飲むという明瞭な目的があるので悩みなどないのです。細長い淡白な雰囲気のお店で開店以来きっと度々の改修を重ねてきたのでありましょうか、当初の面影はほぼ感受できぬのですが、この頃それは逆に店主の店への愛情と解釈もし得ると思うようにしています。より快適に気分良く休息を取って貰いたいという心意気、お喋りで社交的な高齢の女性店主からは確かにその意志が感じ取れました。束の間の滞在でじっくりというまではお喋りできなかったけれど、その思い出だけは今でも記憶に鮮明です―ってわざとらしいか―。
2019/05/05
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さて、伊勢駅からはJRで桑名駅を目指します。正確にはJRだけではないのですが、その辺は鉄道マニアの方であれば説明するに及ばないのでここでは割愛させてもらいます。多少の贅沢をしたと書けばマニアでなくともすぐにお分かりになると思います。本当は途中、津や松坂にも寄りたいなんててプランもあったのですが、無理せぬ程度に日和ってしまいました。桑名にはつい先達手にも訪れたばかりではありますが、気になる喫茶もあるし、ちょっとした休憩のつもりで立ち寄ったのでした。 休息の目的を果たすためなのに余り駅から離れてはなるまいと駅から5分程の「喫茶 えのもと」にまずはお邪魔することにしたのでした。立派な民家のような余り喫茶らしからぬ平凡さが逆に見ように気持ちをそそるのですが、実際にお邪魔してみるとやはりいかにも平板な内装なのでちょいと虚しさも感じるけれど、こういうのが嫌いな人なら行かねばいいだけで、好きなら通えばいいだけという当たり前の結論に至るのです。今のぼくにはこれは物足りなく思えるけれど、将来に向かってそうとは言えぬのかもしれません。これから先の喫茶砂漠を想像するとこうした民家系喫茶を否定するのは己の首を絞めることになりかねぬ気もするのです。 でも「喫茶 サボテン」は、今現在のぼくの欲するところの喫茶イメージを体現していてくれました。けして派手派手しい訳ではないけれどしみじみと懐かしさの染み入る体裁は保っています。喫茶店経営に対して思いを至らす事もなくはないのだけれど、初期投資にそれなりの予算を費やしさえすれば、案外この規模の喫茶は細々ではあるのだろうけれど経営的には維持できる最適なサイズなのかもしれません。前回お見掛けしたように記憶するのだけれどもお店の方が二階を歩いていたのを目にした気がするから住宅を兼ねてもいるようです。愛知や大阪なんかの喫茶店の店主さんたちはあくせくと働く人生に早々に見切りを付けてこうしたのんびりとした商売に移行したのではないだろうか。店で一番に長い時間を過ごされる店主自身が居心地の良い空間を追求したのだから、客にとっても心地良くても何の不思議もなかろうと思うのです。 さて、駅前ビルの「ドムドム」にお邪魔しました。昭和も昔の事になりつつありますが、ぼくもまたそういう時代に生を授かったから「ドムドム」にはそれなりの思い入れがあります。世には全店制覇を目論む豪の者がいるらしいけれど、さすがにそこまでの思い入れはないけれど、多少の時間さえあれば立ち寄るに些かの躊躇もないのです。ぼくにとって、そして多くの同世代の人もそうかも知れぬけれど、生まれて初めてハンバーガーなるシロモノを口にしたのは「ドムドム」なのです。初めて入った店舗はとある駅そばの路面店であったのですが、こちらの店舗は駅前ビルのテナントながらその控え目なポップさ加減が似通って思えます。味は、うんやはり昔のまんまです。自販機バーガーにも共通のどこか冷凍庫臭を匂わすその味がほとんど変わらず洗練とは無縁なのが妙に嬉しいのです。帰宅後、「ドムドム」の現状を確認してみました。関西、東海エリアに多く残存していると思っていたのですが、なんと関東圏に多く残っているのですね。チャンスがあれば今のうちに一軒でも多く立ち寄っておきたいと思います。
2019/04/28
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