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藤子・F・不二雄ミュージアムが開館10周年を迎えるそうです。と書くこともないので、まだ行ったことのない同ミュージアムについて、コメントでも書くことで茶を濁すことにしようかなんて思っていたのですが、そういえば藤本氏については、このブログとして触れておかねばならぬ大事なことがあったのをすっかり失念しておりました。それは藤本氏と酒との関わりについてです。端的には藤本氏には飲酒習慣がないということであります。藤本氏とは真逆な遊び人気質の安孫子氏が呑むのが大好きなことも二人が袂を分かつ一因となったんじゃないかと思うのです。安孫子氏の『まんが道』から『愛…しりそめし頃に…』に至る著作では、そんな二人を中心とした日々を今にしてみれば淡々と描いているわけですがー若かりし頃のぼくは彼らの一喜一憂を我がことのように受け止めてハラハラドキドキしたものですがー、巻が進み彼らの成長に呼応するように、二人の距離は広がっていくのを感じずにはおられなかったのでした。生活習慣の差異というものは、必ず人と人との距離にも影響するものです。テラさん(いうまでもなく寺田ヒロオ氏)の結婚や別れ、再会など折に触れては藤本氏(マンガでは才野茂)も会合に参加して飲酒もするのでありますが、藤本氏は当たり前のことではあるけれど、酒よりも仲間たちとの交流こそが楽しいのでありまして、もしかすると酒などなくたって一向に構わなかったという気がしてならないのです。テラさんの発明(?)によるチューダーについては、好意的な感想を述べているけれど敬愛する兄貴分への配慮もあるのだと思うのです。ともあれ、飲酒というのが単なる悪癖ではなく生活、さらには人生にとって少なからずの影響を及ぼす以上、呑む安孫子氏と呑まない藤本氏の別離は想像に難くないのです。温厚(そう)な藤本氏だからこそ、親友であるはずの安孫子氏が交友関係を広げることを静観できたんでしょうが、普通の人であれば嫉妬が芽生えたりもしたんじゃないかなあ、そういったことを安孫子氏は想像したことがあるのかなあなんて思ってみたりもするのです。『ドラえもん 第15,17,18,20,23巻』(小学館, 1978,79,80,81,82)『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第一巻』(中央公論社, 1987)「どことなくなんとなく」、「換身」、「メフィスト惨歌」、「分岐点」、「気楽に殺ろうよ」、「ぼくの悪行」、「休日のガンマン」、「劇画・オバQ」『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第三巻』(中央公論社, 1988)「求む!求める人」、「マイ・シェルター」、「タイムカメラ」、「倍速」、「裏町裏通り名画館」、「親子とりかえばや」、「あいつのタイムマシン」、「一千年後の再会」『未来の想い出』(中央公論社)
2021/08/14
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藤子・F・不二雄氏のマンガは幼い頃からの長い付き合いで、無論今でも大好きです。しかしどこがどう大好きなのか語ろうと思ってみたところで、語るべき言葉がちっとも浮かんでこないのです。絵は一見すると簡潔で丁寧で模倣が容易に思えますが実際に試みるとその洗練ぶりはただ事ではなく、一本一本の線の的確さは余人には真似し難い高度な熟練を見せています。物語もまた余計な脱線や装飾は極力排した端正なものとなっており、上質な短編小説を読むような気分に浸らせてくれます。テレビアニメなどでは希薄なギャグの描かれ方も、シニックなセリフが発せられたり、藤本氏のマンガ以外の何ものでもないというユーモラスな表情で描かれたりするのであって、つまりはどこをとっても上級ではあるけれど、ちょっと上品すぎるように思えるのです。品性の高潔さこそが藤子氏の持ち味であると同時にマンガ家としての限界を示しているようにも思えあるのです。今回久し振りに藤本氏のマンガに接してみて、えも言い難い味わいがあることに改めて驚かされます。主に児童向けのギャグの要素をちりばめたストーリーマンガの作家という印象は変わらないもののぶれることのない筆致はやはりすごい才能でありますし、時に意地悪なギャグのキレの良さに笑い声をあげてしまうような場面もあったりするのですが、マンガ界の巨匠だとか神様などと下手に祭り上げられない程度がこの人は似合っているように思うのです。『ウメ星デンカ 第2巻』(小学館, 1977)『エスパー魔美 第3,5,6巻』(小学館, 1996)『オバケのQ太郎 第1,2,4,5,12巻』(小学館)『藤子・F・不二雄大全集 てぶくろてっちゃん 第2巻』(小学館, 2011)『ドラえもん 第24,39巻』(小学館, 1982,89)『パーマン 第1,6巻』(小学館)『バケルくん 第2巻』(小学館, 1978)『みきおとミキオ』(小学館, 1978)『愛蔵版 藤子・F・不二雄SFギャグ モジャ公』(中央公論社, 1989)『新オバケのQ太郎 第2,3巻』(小学館)『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第一巻』(中央公論社, 1987)「どことなくなんとなく」、「換身」、「メフィスト惨歌」、「分岐点」、「気楽に殺ろうよ」、「ぼくの悪行」、「休日のガンマン」、「劇画・オバQ」『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第二巻』(中央公論社, 1987)「世界名作童話 第4話 ヘンゼルとグレーテル」、「街がいた!!」『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第三巻』(中央公論社, 1988)「求む!求める人」、「マイ・シェルター」、「タイムカメラ」、「倍速」、「裏町裏通り名画館」、「親子とりかえばや」、「あいつのタイムマシン」、「一千年後の再会」『大長編ドラえもん 第12巻 のび太と雲の王国』(小学館, 1994)『大長編ドラえもん 第13巻 のび太とブリキの迷宮』(小学館, 1993)『大長編ドラえもん 第17巻 のび太のねじ巻き都市冒険記』(小学館, 1997)『未来の想い出』』(中央公論社)
2021/08/12
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改めて申し上げることでもないのですが、一応は触れておかぬわけにはいかないのでしょう。藤子不二雄氏は、藤本弘と安孫子素雄のコンビによるペンネームです。1951年にコンビを結成し、当初は憧れの手塚治虫にあやかって手塚不二雄、足塚不二雄名義で作品を投稿・発表していました。藤子不二雄名義を用いたのは1954年からのことで、1987年にコンビを解消するまで用いられました。その後はそれぞれ藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐを名乗ります。コンビ解消後の1996年に藤本氏は急逝してしまいますが、安孫子氏が作風を青年誌向けにシフトしたのに対して、藤本氏は大人向けのSF作品も執筆していますが、児童マンガ家を一貫して通し続けたといえるかと思います。『まんが道』を長年に亘って読み通していると、そこに描かれたようなどこか浮世離れしたような綺麗ごとだけでは済まされぬこともあったと推測されますが、コンビ解消時に囁かれた不仲説が恐らくは杞憂であったことも徐々に明らかにされています。藤本氏が亡くなってから早くも4半世紀が過ぎ去ろうとしていますが、若い頃は虚弱だったという安孫子氏は未だに存命で二人のこれまで語られることのなかった事実などが明らかになることも期待されます。ともあれ、36年に亘る友情と葛藤の物語は今でもぼくの憧れる人生そのものであり、その幸運なる人生に嫉妬し続けることになると思うのです。『エスパー魔美 第2,3,5巻』(小学館, 1996)『キテレツ大百科 第1巻』(小学館, 1977)『ドラえもん 第3,14,15,23巻』(小学館, 1974,78,78,82)『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第一巻』(中央公論社, 1987)「どことなくなんとなく」、「換身」、「メフィスト惨歌」、「分岐点」、「気楽に殺ろうよ」、「ぼくの悪行」、「休日のガンマン」、「劇画・オバQ」『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第三巻』(中央公論社, 1988)「求む!求める人」、「マイ・シェルター」、「タイムカメラ」、「倍速」、「裏町裏通り名画館」、「親子とりかえばや」、「あいつのタイムマシン」、「一千年後の再会」『中年スーパーマン 左江内氏』(双葉社, 1979)
2021/08/09
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ぼくが物心ついて以降、最初にハマったマンガ家というと藤子不二雄であることは間違いのないことと思っています。あの分厚い「コロコロコミック」も当然、定期購読していたわけで、特に大長編ドラえもんは数か月に亘って連載されたものを読まずに我慢して、夏休みの終わりまで取りおいて夜更かしして読むのが恒例となっていました。普段のドラえもんの案外えげつない笑いも好きだけれど、やはり長いストーリーマンガがより好みだったと思うのです。それに振り返ってみると繰り返し読み返したのは『モジャ公』や『21エモン』などの長編作品として読める作品が多く、つまりは安孫子素雄氏よりずっと藤本弘氏に肩入れしていたということになります。無論、安孫子氏の作品にも『まんが道』をはじめとした大長編があってこちらも大いに愛読するところでありましたし、ちょっと経路の異なるものとしては日本全国をバイトなどしながら放浪する『フータくん』の自由さにも憧れましたが、より藤本氏の作品に惹かれていました。大人になってからは藤本氏というか2人の藤子氏の作品で読み続けたのは『まんが道』とその後続する作品のみとなりましたが、こうして改めて振り返って読んでみると児童マンガの印象が強い藤本氏の作品がおっさんになった今でも再読に耐えることがわかります。まだまだ紹介したい酒場の絵がありますので、今回は私的な思い出のみとしておきたいと思います。『T・Pぼん 第2巻』(潮出版社, 1979)『T・Pぼん 第4巻』(潮出版社, 1983)『エスパー魔美 第1,3巻』(小学館, 1996)『オバケのQ太郎 第6,10巻』(小学館)『ドラえもん プラス(+) 第2巻』(小学館, 2005)『愛蔵版 藤子・F・不二雄SFギャグ モジャ公』(中央公論社, 1989)『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第一巻』(中央公論社, 1987)「どことなくなんとなく」、「換身」、「メフィスト惨歌」、「分岐点」、「気楽に殺ろうよ」、「ぼくの悪行」、「休日のガンマン」、「劇画・オバQ」『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第三巻』(中央公論社, 1988)「求む!求める人」、「マイ・シェルター」、「タイムカメラ」、「倍速」、「裏町裏通り名画館」、「親子とりかえばや」、「あいつのタイムマシン」、「一千年後の再会」『中年スーパーマン 左江内氏』(双葉社, 1979)『未来の想い出』(中央公論社)
2021/08/05
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ぼくが石井隆氏という人を認知したのは、まず映画監督としてでした。後になってそれ以前にもいくつかの忘れがたい映画で脚本や原作を提供していることを知ることになりますが、いずれにせよマンガ家、いやエロ劇画家として認知したのはその後のことでした。石井氏の映画監督デビューはにっかつロマンポルノで『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)ということになりますが、一般映画として『死んでもいい』(1992)が公開され山根貞男といった映画評論家が高く評価したことでその名を知ることになりました。その評価はいささか贔屓目が過ぎる気もしますが、クエンティーノやソダバーグなど海外の映画監督からも注目を集めているというから一定の評価を受けているものと思われます。自ら立ち上げた映画プロダクションをファムファタル(=運命の女)と名付けたそうですが、氏の描く女たちは運命に翻弄されながらもそれを当然のように受け入れるという救いからは予め無縁の者たちです。多くの作品で女の名は、ナミ(作品によって充てられる感じが異なっていたと思いますが)と名付けられており、いずれも似通った物語が繰り広げられることから、映画のみならず劇画作品などに集中して触れているとナミという女性を巡る不幸の広がりに感化されそうになるのです。石井氏の妻は小学校時代の同級生であるとのことなので、それこそファムファタルたる彼女はナミにどういった影響を及ぼしているのか気になるところです。ちなみにぼくにとっての石井隆のベストの作品は、曾根中生監督『天使のはらわた 赤い教室』(1979)、相米慎二監督『ラブホテル』(1985)であって、石井氏はここでは脚本家として作品に関わっています(田中登監督の『天使のはらわた 名美』(1979)、すずきじゅんいち監督『赤い縄 果てるまで』(1987)もガクンと落ちるけれど忘れがたい映画です)。 さて、最後に氏の劇画作品について、触れておきます。ぼくが読みだした頃にはちょうど映画監督としての頭角を現すじきであったことから過去の単行本はいずれも高値が付けられていて、なかなか手が出せなかったのが実情ですが、それでも知人に借りたりしてそれなりに読むことができました。執拗な描き込みによる細密な描写にシネマスコープのような横長のコマに登場人物のアクションだけが繰り返し描写される映画的な演出が印象に残ります。近藤笑真氏というマンガ家に『あーとかうーしか言えない』という近刊がありますが(これも傑作だと思います)、こちらで描かれるようにエロマンガというジャンルはエロであるとを条件としつつエロでありさえすれば実験的な作風をも受け止める寛容さがあって、だからこそ注意深く見守り続けねばならぬと思いながらなかなか対応しきれないことを不甲斐なく思っています。石井氏がエロ劇画界から撤退して久しいですが、現在の主戦場の映画よりも劇画の新作に触れることを願っているのはぼくだけではないはずです。『愛の行方 石井隆作品集①』(日本文芸社, 1987)「今宵あなたと」、「揺れている」『ラストワルツ 石井隆作品集②』(日本文芸社, 1987)「女高生ナイトティーチャー」、「哀愁デート」
2021/08/01
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林田球ってマンガ家さんのこと、まるで知らなかったので、Wikipediaで調べてみたら、ははあ、この方は女性だったんですねえ。しかも東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業とは、すごい実力者だったんですね。っていかにも権威への弱さとへつらいを表明しているようでとても恥ずかしい。ぼくは『ドロヘドロ』(2000-18)で初めてその存在を知りました。現在は『大ダーク』(2019-)を連載中です。林田氏を知ったのは,マンガ雑誌をたまたま眺めたとかそういったことではなくて、ひと頃、マンガ飯なるものが流行った際に、登場する料理が旨そうなマンガとして、『ドロヘドロ』が挙がっていたからでした。全く聞き覚えのないマンガ家さんだったので、しばらくは放置していたのですが、そのいかがわしいタイトルのマンガを町中華に置いてあったマンガ雑誌『ゲッサン』で目にしてすっかり気に入ってしまったのです。ところで、ここで語りたいのはぼくはその終盤となりクライマックスに向かいつつあるこの作品を見て、すぐさまこのマンガ家は女性であると感じたのでした。実のところ、描かれて世に出たマンガのその作者が男性であろうと女性であろうとそれ以外であろうと一向に構わぬのでありますが、ぼくはそれを見抜くという何の役にも立たない才能を持ち合わせているようなのです。荒々しくも綿密に描き込まれた画風は、グロテスクとユーモアをバランスよく配分した物語など、林田氏の特徴は、そのまま男性マンガ家の得手とするところと思われるのですが、絵柄に惑わされることもなく不思議と女性であることを見抜けたのは、ちょっと自慢したくなるのでした。『ドロヘドロ』(全23巻)(小学館, 2002)『ドロヘドロ 悪魔の経典』『魔剣X ANOTHER』(全3巻)(講談社, 2000)
2021/07/30
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施川ユウキ氏の作品にはデヴューの『がんばれ酢めし疑獄!!』から読んでいて、『サナギさん』など多くの作品に接し続けてきました。でもその飄々とした筆致であるのに、例えば多くのキャラクターの目が"● ●"として表現されながらそこに様々な暗い感情を読み取れることに居心地の悪さを感じていたのです。原作を担当した『ハナコ@ラバトリー』(作画:秋★枝)で、施川氏が持つ物語への指向を感じてはいましたが、それが『オンノジ』で一気に開花したように思うのです。以前は違和感をもって接するしかなかった"● ●"に深い諦念だったり悲しみといった意味を明瞭化することに成功したのは、このマンガ家にとって幸福だったのかそれは今後を見守っていくしかなさそうです。感情などを意味付けするということは、必然的に意味を宙づりにするナンセンスな作風からの乖離に至るしかないはずで、それは施川氏のギャクマンガ家としての足元をゆるがすこととなりかねないんじゃないか。『銀河の死なない子供たちへ』などますますストーリーマンガ家への転向を示しつつあることを思うと、ぼく個人としては歓迎したいのです。施川氏の映画批評に係る『すべての映画は、ながしかく』『DVDが回ったよ!』や小説等の書籍に対する批評でもある『バーナード嬢曰く。』などの個性的なマンガ作品に触れる暇がありませでしたが、ぜひこちらは継続して頂きたいと思います。『バーナード嬢曰く。 第1巻』(一迅社, 2013)『バーナード嬢曰く。 第3巻』(一迅社, 2016)『バーナード嬢曰く。 第4巻』(一迅社, 2018)『がんばれ 酢めし疑獄 !! 第4巻』(秋田書店, 2003)『鬱ごはん 第1巻』(秋田書店, 2013)『鬱ごはん 第2巻』(秋田書店, 2016)
2021/07/23
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さて、それでは湊谷氏のマンガ作品に触れられたのはいつのことだったかというと、1997年にアスペクトから3冊の作品集が刊行されるまで待たねばならなかったのです。ケチなぼくは古書店以外で本を買うことは少なかったのですが、これは発売されてすぐに購入したのです。まあ、古書店落ちを待っていてももともとの発行部数も限定されるだろうから、新刊で手に入れておかないとまたも幻のマンガ家となりかねないし、仮に古書店で発見したところで思いがけぬ高値が付けられている可能性もありますし。長年待望していた氏の作品の感想については、未読の方のことも考えてあえて語らぬこととします。ただ、これを入手して初めて湊谷夢吉氏がガンによって38歳の若さで病没されたことを知ったのでした。まさに夭折といってもおかしくない若さであります。マンガ家のピークというのがいつに当たるかは千差万別、人それぞれであるのは当然ですが、湊谷氏の場合は、執筆を始めた時点ですでに完成されているというか老成したとも思えるような完成度に至っており、すでに亡くなった方の未来を活躍されていた時代も知らずして語ることは憚るべきことなのかもしれませんが、湊谷氏の真の資質は長編作品にこそあったのではないか。既に『マルクウ兵器始末』や『魔都の群盲』だっただろうか、その味わいは存分に味わえるのだけれど、氏の手になる満州国を巡る大長編作品を読みたかったなあ。繊細だけれどシャープな描線で描かれる甘粕正彦、川島芳子、笹川良一、内田吐夢、李香蘭などが如何様な想像を超えた活躍をみせるかを想像するだけで胸が熱く滾るのでした。特に満洲映画協会をどう描いてくれるか、入念なリサーチとそれに基づくマニアックなイマジネーションの奔流を微に入り細を穿ち書き込んでくれたかと思うと歯噛みしたくなる位残念なのです。『虹龍異聞 湊谷夢吉作品集Ⅰ』(アスペクト, 1997)「紅龍異聞」、「蛇神の血脈」、「活動屋番外地」『魔都の群盲 湊谷夢吉作品集Ⅱ』(アスペクト, 1997)「魔都の群盲」、「粗骨の果」、「無用の天地」、「漫我駄」
2021/06/19
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湊谷夢吉について、語れることは余りにも少ないのです。初めて湊谷夢吉を知ったのは、四方田犬彦のマンガ評論によってだっただろうか。実作に先立って評論家ら作品に対峙することになるなんて、どうも正道をもって遭遇したとはとても言えぬわけでありますが、地方都市で悶々とした青春を持て余していたぼくには似合いの出会いだったかもしれません。なかなか実作に触れる機会もなくそのどこかセンチメンタルな名前が印象に残るばかりでその後記憶から薄れていきかけた頃に今度は映画方面からその名を知ることになるのでした。ぴあだったりイメージフォーラムのフィルムフェスティバルなんかで山田勇男なる映画監督の作品を目にした際に湊谷夢吉の名と再会できたのでした。ぼくは山田作品の熱心な観客ではまるっきりなかったけれど、湊谷氏は未だに未知のマンガ家であり続けたから時に共同演出したり、美術やら編集やら音楽なんかでもクレジットされたり、特殊効果とか制作なんかも担当したようだから多彩な才能を兼ね備えた方のようです。ってまあ、山田監督の作品が8ミリやせいぜいが16ミリの作品が主体だから、スタッフが極端に少なく一人がいくつもの役割を受け持ったところでさしたる不思議はないのであります。二人が映画製作など作品の配給のために設立したのが銀河画報社でありまして、そのロマンティックなネーミングには少し気持ちが引き気味になるのです。京都で生を受け、高校卒業後にフォークミュージシャンとして活動を続けながら日本各地を漂泊して過ごし、辿り着いた札幌で、どこかしら似たような資質と才能を持ち合わせる劇団天井桟敷出身の山田勇男と出会えた頃はきっと幸福な出逢いであったと思うのです。しかし、山田氏が今でも旺盛な創作活動を継続し―それが必ずしも幸福であるかどうかは本人にしか分からないけれど―海外でもその作品が高く評価されるに至ったのに対し、湊谷氏はわずか3冊のマンガ作品集を残すことしか叶わなかったことを思うと忸怩たる思いを噛み締めて亡くなったように思えて心が痛みます。などと勝手に氏の気持ちを綴ってみせることこそ個人を冒涜する行為にも思えます。でもこのまだまだその大器振りを発揮しきれなかったマンガ家の大作を読んでみたかったという気持ちは嘘偽りのない気持ちです。『虹龍異聞 湊谷夢吉作品集Ⅰ』(アスペクト, 1997)「紅龍異聞」、「蛇神の血脈」、「活動屋番外地」『魔都の群盲 湊谷夢吉作品集Ⅱ』(アスペクト, 1997)「魔都の群盲」、「粗骨の果」、「無用の天地」、「漫我駄」『ブリキの蚤 湊谷夢吉作品集Ⅲ』(アスペクト, 1997)「惜夏記幕末編 文久二年の爆裂弾」
2021/06/17
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ようやく松本零士氏の一連の投稿も最終回を迎えることができました。ここまで辿り着けたのは偏になどなどと語りたいくらいに長い道のりに思えましたが、終わってみるとまだまだ書きたいことがあることに思い至りました。 例えば常々不思議に思っていたのが、かなりの変わり者であることは疑いのない松本氏が長らく結婚生活を継続できていることです。お相手は、マンガ好きなら名前位は目にしたことがあるであろう牧美也子氏であります。ぼくも『悪女聖書』や『恋人岬』(なんと原作が松本氏とも因縁?ある梶原一騎氏、西河克己監督による映画版は異様なテンションの怪作でした)といったマンガ作品のタイトルは知っているけれど、実際に手に取ったことはないのでした。ネットの情報によると牧氏が年長といわゆる姉さん女房なのが良かったのかもしれませんが、最近の写真でご尊顔を拝見すると、元銀行員でお嬢様だったという片鱗は余り感じられず、むしろしたたかな凄みを感じます。もしかすると家庭内における松本氏は従順な夫を演じているのかなあなんて思わぬでもないのです。 さて、松本氏という人はメディアへの露出も多く、もし当時のマンガ青年たちのようには映画愛に溢れていたとしたらそうした発言も目にしていたはずですが、寡聞にも松本氏が映画について語ったという記憶がなく、それで映画を見ない人という印象を抱いてしまっていました。しかしそれは大いに勘違いで合ったようで、[映画.com ニュース]に<a href="https://eiga.com/news/20150502/12/>「松本零士氏、映画への感謝を語る『生涯の夢を授けてくれた』」</a>なるインタヴュー記事がアップされていました。『若草物語』(1933)、『キングコング』(1933)、『風と共に去りぬ』(1939)、『海賊ブラッド』(1935)『戦艦大和』(1953)、『わが青春のマリアンヌ』(1955)などがお好きとのこと。氏が映画に興味ないんじゃないかという思い込みは間違いで、単にそれ以外の言動が派手過ぎて映画に関する発言などは余り流布しなかっただけのようです。映画チャンネルのムービープラスで「この映画が観たい 松本零士のオールタイム・ベスト」なんて企画もあったようです。 と、ようやくの最終回を迎えられホッとしましたが、そのうちまた語りたい時が訪れそうです。まだ執筆意欲がおありだからもしかするといつか続きを書くことがあるかもしれません。『インセクト』(朝日ソノラマ, 1977)『セクサロイド』(全4巻)(扶桑社, 1996)『闇夜の鴉の物語』(講談社, 2000)
2021/05/04
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ここ何回分かのアイデアは<a href="https://miyearnzzlabo.com/archives/31772">「吉田豪 松本零士の素顔を語る」</a>という記事に負うところ大なのであります。この記事は玉袋筋太郎らとの鼎談となっていますが、吉田氏なる方が関わった『キャラクターランドVol.4』(徳間書店, 2015)というムック本に松本零士氏のスペシャルインタビューの濃い部分が取り上げられて語られています。これを読むだけで松本氏という人がトンデモない人であることは、明らかな訳です。松本氏にちばてつや氏がサルマタケを食べさせられたという件には思わず眉をひそめつつも笑いが止まらなくなったのでした。先般話題に上った吉本浩二氏が『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』で知られざる手塚治虫氏の実像に迫ったあの手法で松本氏を描いてもらいたいものです。特に松本氏は健在でまだまだ元気溌剌なので、ぜひ今のうちに数多あるはずの爆笑と狂気にまみれたエピソードを根掘り葉掘り聞き出せるだけ聞き出しておいて頂きたいと切に待望するのでした。【喫茶店】『ワダチ』(小学館, 1999)『大不倫伝』(奇想天外社, 1976)【映画館】『レコパル・ライブコミック集1 不滅のアレグレット』(小学館, 1979)『元祖大四畳半大物語』(全6巻)(朝日ソノラマ, 1974-77)『聖凡人伝』(全6巻)(小学館, 1996)『大不倫伝』(奇想天外社, 1976)『男おいどん』(全9巻)(講談社, 1972-73)
2021/05/02
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松本氏が影響を受けた本として、しばしば荒木俊馬という方が執筆した『復刻版 大宇宙の旅』(恒星社厚生閣)を挙げておられます。氏が後年読み返してみると、主人公の名字が星野だったと驚かれたということですが、これって本当かなあ。何度もこのタイトルを挙げられるほどに思い入れの強い本であったなら、きっと繰り返しこれを読み返したと思われるから、主人公の名前を覚えていたとしても少しも不思議ではないけれどねえ。ここでポイントになるのが「後年読み返してみる」という箇所でありまして、松本氏という方は相当に執念深いとぼくは思っています。少女漫画家時代にどういう趣向で開かれたかは失念しましたが、少女漫画家仲間が開催した年末パーティーにお声が掛からなかったということをいつまでも根に持ったというのだから、好きなものに対してはより一層の執着を見せると思うのです。古い漫画の収集家としても知られる氏でありますが、基本的にコレクターというのはしつこい性癖を併せ持っているに違いないと思うのですが、いかがでしょうか。その一方で、散逸したマンガ原稿を入手するとそれを執筆したマンガ家に惜しげもなく譲ることも少なくないというから訳が分からないのです。でもそんな掴みどころのなさや豪快さも含まれぼくは氏の魅力だと思っていて、こうしたエピソードを知るとますます好きにならずにはいられないのでした。『1000年女王』(全2巻)(小学館, 1995)『ニーベルングの指輪 第1,3,4巻)』(2002, 新潮社)『銀河鉄道999』(全12巻)(少年画報社, 1994)『超時空戦艦 まほろば 第2巻』(小学館, 1998)『惑星ロボ ダンガードA 第2巻』(秋田書店, 1978)
2021/05/01
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残り4回となり、いよいよ書くことも尽きてきたのですが、松本零士氏を語るに忘れてはならないことがあることを思い出しました。というのは、松本氏は沸点が低い、激しやすい、熱くなりやすい、血の気が多いとどう表現しても構わないと思うのですが、つまりは非常に怒り易く短気であることも良く知られています。で、これは実際に目にしたわけではないのですが、よく激情に駆られて怒鳴ったりもするようで、怒鳴っているだけならまあさしたる実害とはならぬのかもしれぬけれど、手も足も出るというのだから困ったものなのです。こうした性癖が九州男児だからという一言で済ませていいものだろうかという素朴な疑問も湧いてきますが、こと氏が北九州の出身ということを思い出せば納得できてしまいそうでもあるのです。北九州男児といったところでありましょうか。良く知られるところでは、実際にシンガーソングライターの槇原敬之氏や『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー・西崎義展氏とも揉め事を起こしているし、これはどうやら眉唾話らしいけれど、梶原一騎氏ともいざこざがあったと聞かされてもいかにもありそうだと思ってしまうのです。で面白いのが、氏のマンガ作品のキャラクターたちもしょちゅう怒っている、その怒る様がかなり本人そのもののように思えるのです。自身と重ね合わせてキャラクターの激怒を描いていたら、我が身を振り返って、ちょっとは反省しても良さそうなものですが、そうならぬのが松本氏たる由縁なのかなあなんて思うのでした。『1000年女王』(全2巻)(小学館, 1995)『ペットファーザー』(講談社 ,2001)『ミステリー・イヴ』(朝日ソノラマ)『レコパル・ライブコミック集1 不滅のアレグレット』(小学館, 1979)
2021/04/29
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せっかくなので、大泉学園の飲食店にも触れておくことにします。ぼくは大泉学園は、全くの素人で、酒場では「あっけし」、喫茶店では「喫茶 アン」「あなたの街の喫茶店 シュベール 大泉店シュベール 大泉学園店」「ファンシータイム」「ウッディ・グリーン」程度しか訪れておらず、以下は、アド街で紹介されたお店からピックアップした情報になります。《酒場》「BAR レモンハート」(古谷三敏がオーナー、店名と同じマンガ作品あり)「酒場 海賊」(ちばてつや(富士見台在住)が常連)「小料理 くに」(村上もとかが常連、酒場放浪記登場店)「あっけし」(酒場放浪記登場店)「うま味地酒処 力酔」《喫茶店》「画廊喫茶 道化師」(大泉の母こと占い師の木下多恵子先生が経営)「喫茶 アン」(駅前喫茶、マンガ家と編集者が打合せでたびたび利用しているらしい)「CAFE BIOT」(閉店。行きたかったなあ)「Nakataya」(創業約60年、大泉学園駅から徒歩だと37分とYAHOO!地図が申しております)「あなたの街の喫茶店 シュベール 大泉店シュベール 大泉学園店」(昭和42年創業)《そば》「やぶ重」「甚六」(山上たつひこ『JUDOしてっ!』に登場)《うどん》「手打うどん 長谷川」(ビブグルマンの常連)《うなぎ》「ふな与」(閉店。写真を見るとなかなか風情のあるお店です)《ハンバーガー》「ブッチャーズテーブル」(アニメ『4月は君の嘘』に登場したそうな、マンガ版はどうだっけ?) う~ん、知らないお店が多いなあ。「BAR レモンハート」は当然知っていましたが、「酒場 海賊」「うま味地酒処 力酔」は存在すら知りませんでした。知らないお店が多かったけれど、当然ながらぼく自身行きたいと思うお店をリサーチしています。アド街にはまったく触れられなかったけれど、いかにもぼく好みの店もあるようです。ホントは今日、写真をアップするつもりでしたが画像だらけになるので、恒例としております「今すぐ呑みに行きたい酒場」の特別篇として明後日アップしたいと思います。『ザ・コクピット 文庫版 第5巻』(小学館, 1990)『ダイバー0』(朝日ソノラマ)『ニーベルングの指輪 第1,3,4巻)』(2002, 新潮社)『ミステリー・イヴ』(全2巻)(朝日ソノラマ)『レコパル・ライブコミック集1 不滅のアレグレット』(小学館, 1979)『闇夜の鴉の物語』(講談社, 2000)『空間機甲団 文庫版』(奇想天外社, 1978)『魔女天使』(講談社, 1999)
2021/04/18
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大泉学園は、都会の喧騒から一歩奥まって立地(ちなみに東京都練馬区大泉学園町9丁目は、YAHOO!地図で調べると、朝霞駅(東武鉄道)から徒歩36分、大泉学園駅(西武鉄道)から徒歩43分)していることもあり、街路樹などの緑が多く、アド街で放映していたけれど公園も沢山あったりする割に都心、特に出版社への便も良いため、多くのマンガ家が在住していたことは良く知られています。ネット上の情報を頼りに書いているのでその真偽のほどには確証を持てている訳ではないのですが、トキワ荘や大泉サロンの面々のみならず、島田啓三、馬場のぼる、白土三平、あだち充、高橋留美子、弘兼憲史、吾妻ひでお、山上たつひこ、古谷三敏、ちばてつや、ちばあきお、小畑健という日本のマンガを語る上で無視することのできぬ錚々たる大御所が名を連ねているのでした。 先述しましたが、椎名町に手塚治虫とその後進マンガ家たちが部屋を隣にしたトキワ荘は良く知られるところですが、最近になって注目されているのが大泉サロンであります。1970年から竹宮惠子と萩尾望都が練馬区南大泉の借家に同居し、後に「24年組」と呼ばれるようになる少女漫画界を代表することになる女性マンガ家達が集ったのです。お決まりのWikipedia情報によると「山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)、たらさわみち、城章子など」がサロンに集って、マンガ談議に花を咲かせるばかりでなく、アシスタントとして執筆の手助けをしたりすることもあったようです。ここに名前の挙がっていないけれど、両者よりデヴューが先の山岸凉子は、時折訪れていたようですし、45日間に及ぶ欧州旅行にも同行したということです。こうした交流や洋行などの経験が後の彼女たちのマンガ作品に多大なる影響をもたらしたことは想像に難くないところです。今回、大泉学園のことを調べたことで、久し振りに大泉サロンの存在を思い出すことができたのは幸いです。近いうちに彼女たちの証言などをリサーチしてみたいと思うようになりました。大島弓子、木原敏江なんかとの関りは、Wikipediaだけでは読み取れませんでしたしね。『ワダチ』(小学館, 1999)『男おいどん』(全9巻)(講談社, 1972-73)
2021/04/17
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大泉学園は、松本氏が「夢を果たせた場所」と語る程に思い入れの強い土地のようです。近頃、多くの商店街でマンガやアニメーションとコラボして町とコンテンツ双方の活性化を図るマーケティング戦略が普及している、いや普及し過ぎて日本中のあらゆる町がキャラクターたちで埋め尽くされかねない気もしますが、大泉学園と松本零士氏の関係はそれとは異なっているようです。言うまでもないことですが、すでに高い評価とマニア以外からも多くの支持を得ている松本氏が大泉学園という少しばかりローカルな雰囲気を漂わせる町に対してまさに恩返しするというよりは錦を飾るような形で貢献しています。四ツ木と『キャプテン翼』の高橋陽一の関係もそれに近いかしら。錦を飾るという慣用句は故郷に対して用いるべきとすると本来は、久留米に対してということになりそちらでもイベントなど行ったようではありますが、大泉学園よりは小ぢんまりしたものだったようです。ぼくなんかもそうなんですが、生まれ故郷よりも今まさに暮らしている場所の方が思い入れが強くなるようです。まあ、余程故郷に鮮烈な記憶がある方はやはり故郷への憧憬は強いものなのでしょうか。大泉学園には、松本氏がキャラクターを提供した大泉ゆめーてる商店街があったり、999のキャラクターたちのブロンズ像があったり、一面においては、松本氏の町の様相も呈していますが、この町に縁のあるマンガ家は数多くいて、もう少し大泉学園の話を引っ張りたいと思います。『ひるあんどん』(全4巻)(奇想天外社, 1977-78)『聖凡人伝』(全6巻)(小学館, 1996)『大不倫伝』(奇想天外社, 1976)
2021/04/15
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マンガに描かれた酒場、喫茶店などを愛でるという意図で始めた連載風のレポートですが、しばらく間を置いてしまいました。まだ松本零士氏の作品が続いていたのですね。まあ、それだけ松本氏という人が多作でかつ酒場や喫茶店を愛したことの証左のように思えるからそれはそれで嬉しい事なのです。そういえば先日放映されたアド街の大泉学園の回で、元気な姿をお見せになっていました。松本氏がいつ頃から大泉学園で暮らしているのか知りませんが、終の棲家と決めているという話は聞いていました。と書いていて、いつ頃から在住しているか気になったのでちょっと調べてみると、「松本零士、西武鉄道と地元・大泉学園の魅力を大いに語る - 『ねりたんアニメプロジェクト in 大泉』」という記事がありました。この記事が書かれたのが2008年。本文に「松本零士氏は、大泉を地元としてすでに25年」とありますから1983年頃から在住しているようです。そのきっかけとなったのがアド街にも取り上げられた「牧野記念庭園」と「東映アニメーション」の存在だったようです。いかにも合点がいく理由です。それと一日駅長を務めたこともある西武線の便利さにも言及しておられます。トキワ荘の仲間たちやあらゆる出版社が西武線で繋がっていることもあります。と話題が尽き掛けていたけれど、次回は大泉学園についてもう少し呟いてみたいと思います。『ひるあんどん』(全4巻)(奇想天外社, 1977-78)
2021/04/13
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とここまでマンガ表現の自由さを語るつもりが不自由さばかりに頁を埋めてきましたが、例えば映画というものがカメラを向ければ何某かが撮れてしまい、間違ってそれが奇跡的に傑作などと呼ばれることも有り得るのに対して、マンガというものはとにかく強靭な意志と粘り強さをもって作業を重ねない限りはどうあっても作品として結実しないもののようです。いや、この先、デジタル技術の活用によって強靭な意志とか粘り強さなどは不要となるのかもしれないけれど、作品の完成に向けて投じられるべき想像力と労力は他のメディアとか芸術などより多くの犠牲を作家に強いるように思われるのです。マンガ家は基本的に作品世界のすべてを独りで構築しなくてはならないからです。でもだからこそマンガ家は自身の思い描く理想的な作品に迫ることができるのだと思うのです。実際には〆切があったり、画力が追い付かなかったりといった事情はあるのだろうけれど、それでも作品の大部分について制御ができるのはマンガ家の特権だろうと思うのです。これでようやく振り出しに戻ってきました。つまりは、マンガ家というのは、過酷な職業ではあるけれど自身の世界観を(その気になれば)存分に発揮できる幸福な職業でもあるわけで、松本氏というのは自身の思いや憧れを徹底的に表現してきたと思えるのでした。『Queenエメラルダス』(全4巻)(講談社, 1978-79)『宇宙海賊キャプテンハーロック 第5巻』(秋田書店, 2013)
2021/03/21
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お気付きかと思いますが、マンガには、マンガ家と読者との間にその読みを可能とするための約束事があって、それはマンガに描かれる物語を読み易くするための便宜上のお決まりであります。しかし、その不自由さを嫌ったもしくは通常の物語を否定した作風のマンガ家による作品には、こうした決まり事をあえて無視したりギャグなどにおける表現として逆手に取った表現に昇華させるものもあります。例えば、マンガ表現にはスピード線という手法があって、この手法は例えば疾走する人物の背後に幾重にも直線が描写されることになります。この線は現実にはあり得ぬ目には見えぬものであり、非写実的な描写ということになりますが、例えばこの線を他の登場人物が引っ張ることで疾走を止めるといったような表現に繋げた場合、途端にこの描線は写実的な物質と化するということになります。このアイデアも今となっては陳腐化した感がありますが、不自由を単に足枷とだからと観念せず、足掻き抵抗することで仮初ではあるけれど不自由からの解放に向けての足掛かりにせんとするところにマンガ表現の強かさを感じ取るのでした。だからマンガは面白い。『ワダチ』(小学館, 1999)『元祖大四畳半大物語』(全6巻)(朝日ソノラマ, 1974-77)
2021/03/20
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マンガの不自由さは平面性、読みにおける視線の推移制限に限りません。マンガには、マンガ家と読者との間にその読みを可能とするための約束事がまだまだ多くあります。マンガを読むとは両者の共犯関係に基づき成立する行為なのです。なんてちょっとばかり大上段に構えてみせましたが、思い付きで書いているに過ぎないのでさっと読み飛ばしていただければ結構です。さて、マンガ表現の約束事にはどういったものがあるか。まず分かり易いのが吹き出しです。ごくまれにマンガをほとんど読んだことのない方がおられるようなので(酒場レポートに登場するO氏という人がまさにそれでありまして、小学生の頃はマンガに接したこともあるそうですが、それ以後一切読んでいないようなのです)、一応お断わりしておきますが、吹き出しとは登場人物の台詞等が記される描線により枠取られたスペースを意味します。一方で背景に時のままで記された文章は、登場人物の心内発話、モノローグであったり、語り手たるマンガ家による時代背景などの状況説明だったりするわけです。実験的な作風のマンガ家だったり、ギャクマンガなどではこうした約束事を逆手に取ることもけして少なくないけれど、基本的にはこのルールは遵守されることになっています。余談ですが、滝田ゆうの酔歩する下駄などが吹き出し内に描かれる実験は今ではLINEの絵文字などで一般化し、かつてのインパクトは失ってしまったように思います。あらら、またも長くなったのでさらに次回続けたいと思います。『男おいどん』(全9巻)(講談社, 1972-73)
2021/03/18
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マンガというメディアは、良くも悪くも作家に課せられた自由度がとても大きいと思えます。無論、完全なる自由などというのはあり得ないものだし、仮にあり得たとしても作家自身が完全な自由であるためには世界との関わりを絶つとかヒトならざる存在にシフトするしかなさそうです。マンガにおける最大の不自由さは平面―紙やディスプレイなど―に表現することを余儀なくされるところにあるのだと思います。いやいや立体マンガや3Dマンガだってその気になれば実現可能であるとは思いますが、実際には平面を目の錯覚を利用して立体に見せかけているに過ぎないのではないだろか。さらには、動きを持たぬ止まった絵の連続が立体だったとすればそれはとんでもなく見づらいシロモノになるはずです。立体とか3Dというのは、見せかけであったとしても連続する動きのあるメディアに有効―ぼくは必ずしもいいものとは思えぬけれど―な表現方法なのでしょう。また、これは国や地域によって違いはあるけれど、日本のマンガの場合だと右上=>左下に向かって物語が推移するという、これは多分に作家たるマンガ家と読者との了解のもとに描かねばならないということです。これはあくまでも原則に過ぎず例外的な表現もいくらだって見出すことは可能ですが、これは原則があることを前提とした作品全体からすると特例的な場合になされるものであって、基本的には一般的なルールに沿って物語は綴られることになるのです。あらら、落としどころと全く違う方向に話が進んでしまいましたが、もう少し続けてみたくなりましたので、あと少しお付き合いください。『ガン・フロンティア』(全2巻)(秋田書店, 1999)『ハーロック&トチロー 単行本未収録作品集』(秋田書店, 2017)
2021/03/16
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松本零士氏のマンガ作品では、未完であること、そして各作品を縦横に跨ぐ物語の重層性が物語の永遠性に寄与しているのではなかろうかということを前回言葉足らずながら述べてみた訳ですが、実はそれ以上に永遠なる書物なる媒体とは相容れないはずの概念に触れようと試みに思われるのは、パターン化した物語の飽くなき繰り返しにあるのではないでしょうか。特に大四畳半ものと呼ばれたりもする『男おいどん』や『元祖大四畳半大物語』、『ひるあんどん』もその系譜に入れていいのかもしれませんが、これらで描かれるのは主人公たちの怠惰で惨めな日々が繰り返されるばかりなのです。実際には、独りの独身青年の経験としては衝撃的過ぎる出来事も少なくないのですが、そうした出来事のいちいちは彼らにさほどの影響を及ぼしはしないのであります。おでん屋台で痛飲したり、美女の膝に頭を預けて泣きくれさえすれば日常のなんでもない出来事に霧散するのでありまして、そういう意味ではちょっとやそっとのことではへこたれぬという松本氏らしい青年像でしかないのであります。彼らは弱音を簡単に吐くし、酒に溺れて女にすがったりするばかりでなく、そもそも情熱をもって臨むような何事かを抱えているでもないのです。そんな彼らに対し、共感を覚えたりもしますが、彼らはハーロックやトチロー、鉄郎や古代進のように何事かを成し遂げることはあるのだろうか、という問うてみてもそうはならないだろうという答えしか弾き出せぬのでありました。『男おいどん』(全9巻)(講談社, 1972-73)
2021/03/07
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ぼくは、松本零士氏のマンガ作品の最大の特徴は、未完のままとなっているところにあると思うのです。無論、単行本という体裁で出版されるからには、とりあえずの完結が用意されている訳ですが、それはあくまでも暫定的な完結にすぎない場合がほとんどのようです。氏の最大の長編作品であり代表作のひとつと見做しうる『銀河鉄道999』などはその典型で、当初、少年画報社の『週刊少年キング』に連載されましたが、約5年をもって連載を終了しました。氏は,これをもって完結としていましたが、1996年に小学館『ビッグゴールド』で続編の連載が始まったのでした。また、この作品はマンガだけでなくTV及び劇場用アニメーション、他にも数々の媒体で作品化されていて、それぞれに少しづつ異なる細部が描かれていて、パラレルワールドとも言えぬ特異な作品世界を構成しています。劇場用アニメーションも傑作として根強い人気を保っていますが、ぼくにはマンガ版とTVアニメーション版がとても印象に強いのですが、それを語るのは他の機会に譲りたいと思います。とにかく氏の作品は手塚治虫氏とは異なる意味でのスターシステムを採用しており、手塚氏の場合はひげオヤジやロックなどキャラクターの絵柄は一緒であっても作品ごとに全く別個な役柄を充てられることになり、ハリウッドのそれを踏襲したものといえますが、松本氏の場合はハーロックやトチロー、エメラルダスなどがそれぞれほぼ似通った役柄で多くの作品を跨いで登場してくるのであります。子供の頃、例えば多くの人気キャラクターを擁した藤子不二雄氏のキャラクターが競演するのを夢想したものですが、松本氏ではそれが常態化しているのであります。だからなのかもしれません。松本氏のキャラクターが時間や宇宙を永遠に彷徨うのは、氏のマンガ作品という宇宙を縦横に跨ぐことでさらなる深遠へと作品宇宙を拡張しているように思われるのでした。『聖凡人伝』(全6巻)(小学館, 1996)
2021/03/06
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松本氏が久留米出身というネタをもう少し引っ張ります。ご存じの通り出世作となったのは1971年から『週刊少年マガジン』に連載された『男おいどん』です。松本氏が得意とする「四畳半もの」でありまして、この主人公である大山昇太が久留米出身なんですね。短足、ガニマタでやぼったい眼鏡をかけて、インキンタムシ持ち、押入れいっぱいに詰め込まれたパンツにはサルマタケなるキノコが繁殖するなど、自身の体験が反映されています。当然のように喋り言葉は、福岡の方言で、あれば筑後弁とか久留米弁なんでしょうかね,九州に何度か旅行している程度のぼくなんかは、久留米といってもあまりピンと来ないわけでどことなく田舎臭い印象がありましたが、調べてみると福岡市、北九州市に次いで福岡第3の都市であり、博多からも近いこともあり現在ではベットタウン化しているようです。日本各地の地方都市に等しい現象として市街地の衰退が著しいようで、酒場好きにとっては垂涎の酒場も少なくありませんが、うかうかしていると閉業してしまいかねずヤキモキさせられますが、ちょっと思い付いて出向くにはいささか難儀なのが残念です。松本氏のマンガ作品には屋台など酒場が登場する機会も少なくないのですが、ぼくのイメージする久留米らしい酒場が反映されていないように感じられるのは、若くして上京したからなんでしょうか。『ひるあんどん』(全4巻)(奇想天外社, 1977-78)『大不倫伝』(奇想天外社, 1976)
2021/02/28
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松本氏の出身地は、福岡県久留米市だったんですね、すっかり勘違いしていました。勘違いしたのは、訳があります。ぼくと同様に勘違いされた方も少なくないと思うのですが、以前、敦賀の町を歩いた時に、馴染みのある氏のマンガ作品のキャラクターたちの像が駅前商店街に立ち並んでいたのを目にしていたからです。あれを見たら誰だってそう思うんじゃないかなあ。しかしこれが全く勘違いだったわけです。敦賀の観光案内サイト(http://www.turuga.org/places/mcourse_symbol/mcourse_symbol.html)によると,「敦賀は日本海側の交通の要所として『日本でも有数の鉄道と港の町』」だから、『銀河鉄道999』、『宇宙戦艦ヤマト』という日本マンガを代表する鉄道と戦艦マンガの作者である松本氏のキャラクター像の設置を決めたようです。でも前者は確かに日本マンガの鉄道をテーマとした作品の筆頭に挙げられる作品かもしれないけれど、後者には港のイメージはかなり希薄だったはずです。また、後者を氏の代表的な作品とすることには抵抗もあります。水木しげるや藤子不二雄(A)なんかのようにマンガ家の出身地だったり所縁のある土地にモニュメントが設置されるのが一般的なことだと思うと、松本氏と敦賀の関係はちょっと誤解を招きそうです。本来の出身地である久留米では、「松本零士・銀河の世界展 久留米里帰り展」なるイベントが開催されたようではありますが、結びつきが希薄と感じるなどと述べると余計なお世話と言われそうです。『銀河鉄道999』(全12巻)(少年画報社, 1994)
2021/02/27
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松本零士は、石ノ森章太郎と一緒の生年月日なんだそうです。両氏が同時代のマンガ家であり親交のあることは知っていましたが、実際にはそれ以上の関係性があったようです。というのもWikipediaによると「松本は石ノ森のことを『旧友』としている」そうで、数年間の荒俣宏氏との対談でそう語ったということは、石ノ森氏がすでに亡くなっているからそう語ったのか、それとも表沙汰になっていない確執があったのかその辺は推測するしかありませんが、懐かし気に奇跡だったり奇縁を伝える対談の行間―などというものはあり得ないとは分かっているけれど―から察するところでは、単に前者であると思われます。ぼくにとって、日本における本格的な最初のマンガ黄金期は手塚治虫とトキワ荘の面々の活躍した頃なのですが、松本氏や以前取り上げたちばてつや氏、つげ義春氏などはその周縁で見え隠れしながらもその交流関係は一般には余り知られず、できることならその実態を報告するノンフィクションなどあれば嬉しいのですが。まだ存命の方も多いので、どなたか精力的な作家さんはおられないだろうか。いや、むしろ吉本浩二氏が『ブラックジャック創作秘話』でやったような試みを期待したいものです。『元祖大四畳半大物語』(全6巻)(朝日ソノラマ, 1974-77)
2021/02/14
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「時間は夢を裏切らない。/夢も時間を裏切らない。」 松本零士氏のマンガ作品には、こう書くと語弊がありそうですが、上記を始めとした時と場合によっては、非常に辟易とさせられそうな臭いフレーズだったり台詞が少なくありません。ぼくなどは、テレビアニメ版の『銀河鉄道999』がすぐさま想起されるのでありますが、ナレーターの高木均によるエンディングの朗読が子供心にも気取ってるなあなんて思ったものです。でも近頃はこうしたナルシシズムも案外いいもんだなあなんて感じもするのです。それは自身が若い頃にカッコつけたがったのが、一定の年齢の域を超えて気張らなくなってしまったのに対して、老境に入ってなお若者のような心性を持ち合わせる松本氏を心根の部分では眩しく感じているのかもしれません。松本氏は冒頭のフレーズを某有名シンガーに剽窃されたことをえらくお怒りになって、結局双方引くことなく法廷闘争にまで持ち越されたという一件がありましたし、少し古い話では『宇宙戦艦ヤマト』の著作権問題もありました。実際のところはどちらに正義があったのかは当事者ですら知りようがないのかもしれませんが、とにかく己の正義を貫き通すという一点においては、松本氏らしいなと思えます。でもまあ思っている以上に頑固な人のようだからお付き合いするのは並大抵のことではなさそうです。『聖凡人伝』(全6巻)(小学館, 1996)
2021/02/13
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当分、松本零士氏シリーズが続くことになるので、気張らず思い付いたことをのんびりと綴っていくことにします。 松本氏のマンガに登場するキャラクターたちは、強靭な意志や鋼の信念なんていうマッチョなタイプの男たちが活躍する一方で、日がな四畳半に引き籠って青春の陰部を生き延びるといったタイプも並行して描かれて、どうも松本氏にとってはいずれも「男」だったり「若者」だったりと等価な存在であるようなのだ。片や宇宙を駆け巡り、片や四畳半の一室で惰眠を貪るけれど、どちらも夢さえ抱き続けていているならば、人間としての価値に差はないということのようです。そういうところが鼻につくことも少なくはないのですが、それよりも読後感としては、描かれるキャラクターたちの生き様の強烈なまでの孤独感でありまして、彼らの傍らには美女たちが見え隠れするのが常ですが、松本氏の女性キャラクターというのはエロティックな性的対象として描かれることが多くて現在の基準においては性差別的とも捉えられかねぬ危うさを示す一方で、男性たちを庇護するかのような強靭さを併せ持っていたりもするわけですが、ジェンダー的な観点からするといささか古びていると評される可能性も常に孕んでいるように思われます。単純に男は男らしく、女は女らしくといった図式には必ずしも嵌らないかもしれないけれど、善かれ悪しかれ松本氏のマンガはいつの作品を読んでも不変であり続けることに安心と一抹のマンネリを感じるのでした。『銀河鉄道999』(全12巻)(少年画報社, 1994)
2021/02/09
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松本氏のマンガ作品を読むと時折無性に寂しい気分にさせられます。それは永遠というテーマが不可避的にまとわざるを得ないものであるようです。永遠というテーマには宇宙という無限空間だったり不死などの死生観が付き従うわけで、そうしたことに思いを馳せることが深遠だと思えるのは若い頃のことだけで、今ではかつて思い悩んだ自分を顧みて鬱々とした気持ちが湧き立つのでありました。『男おいどん』を始めとした一連の青春譚もボンビーでチョンガーな青春を本来は人生の一瞬であるはずの時期を無限に反復―同作でも多作であっても―することでその暗い青春が永遠に引き延ばされるようで、暗澹たる思いに陥るのでした。巨大な海賊船や戦艦大和が無限の宇宙を駆け巡る一方で都会の片隅の小汚いアパートの四畳半に引き籠ることは、永遠を生きるという意味においては松本氏の思いにあって同義であるのかもしれません。どんなに遠くまで飛び立とうとも変わらず広がる漆黒の空間が繰り返しコマに描かれるのも、絶望的に狭い四畳半や備え付けの押入れが執拗に描写されることも永遠を生きるということでは同じことのようなのです。松本氏において、大事なのはどんなに悲惨な場所であっても不屈の精神さえ持ち続ける若者にとっては、どこだって希望に満たされているということなのでしょうか。ぼくのような折れやすい心では耐えられないだろうなあ。『銀河鉄道999(全12巻)』(少年画報社, 1994)
2021/02/07
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こういう言い方は誤解を招くかもしれないけれど、松本零士というマンガ家はそのマンガ家人生のキャリアのスタートはともかくとして、一貫したマンガばかりを書き続けてきたような気がします。マンガマニアどころか松本零士マニアとまでは達していないぼくが語るのは不遜なのかもしれませんし、そのキャリアの初期には松本氏と同時代にデビューしたマンガ家たちと同じように少女マンガを多く執筆していたらしいことは知らないわけではありません。しかし松本氏がその持ち味を発揮したマンガ作品には幼少期から間断なく接し続けてきました。マンガのみならずアニメーション作品もテレビアニメ、アニメ映画など寸断なく放映・公開されてきたから言い方はともかくとして否も応もなく松本マンガは身近にあり続けたのです。時代につれて見た目こそモダンな風貌に変化していますが、その性格造形は少しもブレることなく一貫しているのです。その頑固なまでの変わらなさは驚嘆すべきことと今では理解しています。松本氏の描くキャラクターのその思想や生き様は、はっきりと偏向したものであり共感と反感をもたらす側面を常に孕んでいます。それでも今なお愛され続けるのはそうした極端さを越えて愛されるべき何某かがあるからなのだろうと思うのです。当分、松本氏のマンガ作品とお付き合いいただくつもりなので、その愛される由縁を探ってみてその片鱗に触れられるといいなあなんて考えています。『元祖大四畳半大物語』(全6巻)(朝日ソノラマ, 1974-77)最後の4枚は「西部長屋人別帖」
2021/02/06
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谷口氏のマンガを読むのはとても刺激的な体験でありますが、ふと我に返ると自分が一体何を読んでいるのか分からなくなる時があります。どうしてかなあとちょっと考えてみたのですが、もしかするとその緻密な描写に理由の一端があるような気がするのです。それはキャラクターと風景や事物などが等しい質感というか筆致で描かれて、吹き出しのないつまりはキャラクターが無言のコマが連続すると人物が背景に埋没してしまい、ドラマ性が消し飛んでしまうように錯覚されるのです。多くのマンガ家はその作品において、多くの場合キャラクターをコマの中で目立つように描写するものであって背景はキャラクターを引き立てるためや物語を効率よく語ることに殉ずるようです。しかし、谷口氏の描くマンガ作品ではどちらも等しく平等な密度で描かれるため、人物は風景の一部となってしまうように感じられるのです。谷口氏は世界にあって人というのは自然などと区別される存在でなどではなく、まるで他者というか宇宙人のような視線で世界を把握しているんじゃないかと思うのです。『猟犬探偵 第1巻』(集英社, 2011)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) さて、話はガラリと変わりますが、谷口氏のどの作品をもって代表作とするかは意見の分かれるところでしょうが、人口に膾炙している作品が『孤独のグルメ』であることを否定する人は少ないはずです。と書き出すといかにも酒場ブログらしく同作について語りだすかというとそんなことはなくて、同作の原作者である久住昌之氏が編集者が作画を熱望する谷口氏と引き合わせたのが国分寺「ほんやら洞」であったというのですね。酒場マニアにも喫茶マニアにも共に良く知られるお店でありますが、つい先日もマンガ家のいしかわじゅんが通い詰めたことを書いたばかりだったので、備忘のために記しておくことにしました。ぼくも何度かお邪魔しましたが、あの独特な緊張感が万年睡眠不足の稼業であるマンガ家さんにとっては睡魔から逃れるのに重宝されるのかなあなんて出鱈目なことを思ったのです。
2021/01/31
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谷口氏のマンガ作品の映像化について、ちょっと調べてみました。と書き出したはいいけれど、ぼくには谷口氏のマンガを敢えて映像化しようとする理由が良く分からないのであります。谷口氏が原作付きのマンガを多く執筆したことは、その業績を辿るまでもなく周知の事実でありますが、その逆、谷口氏の作品を果敢に映像化する映画作家なりの無謀さには、正直呆れる思いもあるのでした。 調べてみるとぼくの大好きな『事件屋稼業』もオリジナルビデオやテレビ用ドラマとして製作されていたのですね。こうして改めて作品リストを眺めてみてもちっとも見ていませんね。(OVA)『事件屋稼業』(1992).監督:福岡芳穂、出演:菅田俊(OVA)『男たちの墓標 事件屋稼業』(2000)、監督:小笠原直樹.出演:古尾谷雅人(TV)『事件屋稼業』(2013/14)、演出:山本剛義/酒井聖博、出演:寺尾聰OVA版は、上段には大杉漣、内藤剛志、下段には鹿沼えり、螢雪次朗、井筒和幸なんかが脇を固めているんですね。上段の監督もそうですが、それにしてもこの面々が揃いも揃ってピンク映画やにっかつロマンポルノに関係する人ばかりですね。まあ、OVAというのがもともと低予算作品であるから驚くようなことでもありませんが。『ありふれた愛に関する調査』(1992)、監督:榎戸耕史、出演:奥田瑛二これも『事件屋稼業』が基となっているんでしょうかねえ。実のところかなり昔に見たっきりでさっぱり覚えておらず悪くはなかった気はするのだけれど、もう一度見る気にはならないかなあ。 他の作品としては映画化されたものには『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016)、監督:平山秀幸、出演:岡田准一があったり、テレビ用作品として、すでにSeason8までが放映されていて特別編も数多くある『孤独のグルメ』を筆頭に、『センセイの鞄』なんかもあります。『猟犬探偵 第2巻』(集英社, 2012)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第4巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) しかしですね,『事件屋稼業』など多くの作品が関川夏央の原作によるものだったり、とにかく谷口氏のマンガは原作付きの場合が多いのだ。きちんとカウントした訳ではないけれど、実感としては半分以上いや2/3近くが原作付きマンガだと思うのです。となると残りの1/3前後の作品は映像化されているのだろうか。 知らなかったのですが、『遙かな町へ』がベルギーで"Quartier Lointain" (2010)として映画化されたそうです。フランスを中心とした欧州での人気の高さは、谷口氏の作品がアート作品として認知されていることの証左となるかもしれません。監督はサム・ガルバルスキという人らしく、ぼくは名前すら聞いたことがありませんけど、『やわらかい手』なる変態っぽい映画を監督するなどそれなりに実績のある方のようです。『歩くひと』もこの春に井浦新主演によりNHKでドラマ化されたみたいですが、ちっとも知らなかったなあ。NHKだからと毛嫌いせずに番組表をチェックするべきかなあ。しかしまあ、氏の映像化作品をざっと眺めてみても原作の存在を脅かすような傑作はまだ生みだされてはいないようです。竹中直人が『孤独のグルメ』の映画化を企画したようですが、企画倒れに終わったそうです。まあ、これもつげ義春原作の『無能の人』同様に原作を忠実になぞるだけに終始しそうな気もします。
2021/01/30
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谷口ジロー氏は、1947年に鳥取県鳥取市で誕生しました。いちいち名を挙げることは避けますが、戦後生まれのマンガ家に北陸を中心とした日本海側で生まれた方が多いように思うのは気のせいでしょうか。寡聞ながら名前のみしか知らぬ動物漫画を得意とした石川球太のアシスタントとして1966年に上京したそうですが、彼ら雪国の出身者が情熱と野心を胸にしまい夜汽車で東京を目指すという情景は、マンガ道に描かれる典型的なイメージとして想起されますが谷口氏もやはり雪の中を夜汽車に揺られて独り上京したんでしょうか。『猟犬探偵 第1巻』(集英社, 2011)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第4巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) 谷口ジロー氏は、2017年に69歳で亡くなりました。偶然でしかありませんが、前回の吾妻ひでお氏も同じ年で亡くなっております。たまたま69歳で亡くなったからといって普遍的なことを語るのはいかにも早計ですがマンガ家の多くが60歳代で亡くなっているように思うのはあながち間違いではなさそうです。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄などがすぐに念頭に浮かぶわけですがそれだけ過酷な稼業ということなのではないでしょうか。そんなことを語り始めた途端に水木しげるは93歳没でありますし、藤子氏の片割れ藤子不二雄Aも健在ですし、お仲間のさいとう・たかを、松本零士、ちばてつやも楳図かずおも生きてるみたいだし、何事につけ一般化するのは無理があります。でもぼくがもっとも好きな上記貼付の続編の構想を関川夏生が語っていると聞くと返す返すも早逝が残念に思えるのです。
2021/01/28
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吾妻氏と深い交流のあったマンガ家にいしかわじゅん―というよりは『漫画の時間』、『漫画ノート』などマンガ評論家としての仕事が知られているのかも―がいます。酒場ブログとしては、国分寺「ほんやら洞」の常連であったことも見逃せませんが、それはともかくとしてとかく喧嘩っ早く激しやすい印象で、その作品もギャグマンガ調に描かれた恋愛譚なんかだったりと、いしかわ氏の性格だったり作家性の有り様がちっとも吾妻氏と重ならなかったりするわけで、かつて大友克洋氏を加えた3人がニューウェーブなどと称されたのが今となっては不可解に思えます。ウィキペディアによればこの2人のファン層は被ることが多いらしくて、それまた不思議な話ですが、まあぼくもご両名のマンガが好きだったりするから案外、ぼくのマンガの受容領域は一般的なのかもしれません。互いに作品内で茶化しあったり、ちっとも覚えていないけれど手塚治虫が「七色いんこ」で二人にキスさせた挙句に結婚までさせてしまったようだから、身近な人たちにとってはちっとも意外な事実ではないようです。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『銀河放浪』(マガジンハウス, 1995)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『失踪日記 第2巻 アル中病棟』(イースト・プレス, 2013)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979) 北澤楽天は日本初の職業マンガ家とも評されておりますが、彼が連載を開始した頃は、ちょうど映画が世界中に拡散された時期と一致します。映画に関わった人々が当時から世界に隔てる障壁は何もないとばかりに国際的な活動を開始したのとは対照的にマンガというメディアが世界に流通し始めたのは遥かに遅れて一世紀を経てからであります。その随分遅れて到来した国際化の先鞭をつけたのが吾妻氏であるかもしれないなどと考えてみたりします。無論、海外で読まれている日本のマンガ作品は数多いようですし、様々な日本のマンガ作品のキャラクターたちが活躍しているけれど、始めて日本のマンガが文化として認知されたのは、実は吾妻氏の『失踪日記』によってだったのかもしれないと思うとやはり彼の死は早過ぎたものと思えてくるのでした。
2021/01/26
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KAWADE夢ムックに『吾妻ひでお〈総特集〉美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』というのがあります。いかにも吾妻氏のマンガ作品を的確に表わしているように思えるし、事実、吾妻氏のマンガでは欠かせぬ要素(失踪を一概に扱うのは無理がありそうですが)でありますし、まあそうだよねえという感想が漏れる程のことでしかありませんが、そんな風に総括してしまっていいのだろうかという疑問も浮かんできます。というのはこの3つの要素というのは不可分とまでは言わぬにしても、かなり親密な関係性が認められるからです。仮に美少女なるフィクショナルな存在を中心テーマに描いたとしたらその作品はどこかしらSFっぽかったりしてくるような気がするし、不条理なギャグもそこではすんなり収まってしまうと思うのです。しかし、だからといって美少女キャラの好きなSFマニアの不条理なギャグを得意とするマンガ家が作品を描けば吾妻氏のマンガになるかというとそういうことはまずありえないのであって、氏の個性はこれらの要素とは違った辺りから放たれているように思えるのです。この3要素は氏の作品の可視的な個所を抽出したに過ぎないのではないか。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『ななこSOS 文庫版 第3巻』(早川書房, 2005)『やけくそ天使 第2巻』(秋田書店, 2000)『やけくそ天使 第3巻』(秋田書店, 2000)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979)『陽射し』(奇想天外社, 1981) と紋切型の評価のされ方に常々疑問を感じていたけれど、氏の作品に惹かれる理由を具体的な理屈で語る術は持ち合わせていないのです。実のところ氏のマンガは幼い頃から接する機会がそれなりにあったけれど、いつも読了すると物足りない気分がしたものです。読んでる最中は大概楽しんでいるとは思うのですが、後から振り返ってみてもそれがどの作品だったかはっきり思い出せなかったり、すでに読んでいたとしても始めてみたいな気がしたり、逆に始めて読むはずがもう読んでいたりと鮮烈な記憶に留まることがないのです。無論、自伝的な後期作品については、そのテーマの強烈さゆえに忘れることはないけれど、それでもノンフィクションに紛れ込んでくるフィクションはかつて読んだなんとかいうマンガと似通って思えるのです。こうした透明性とでも呼べそうな希薄な印象が吾妻氏のマンガの根底にあるように思えるのです。
2021/01/24
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2019年に波乱に満ちた人生を終えた吾妻ひでお氏は、それでも69歳というストレスと無理の多い人生を送ることを余儀なくされるマンガ家としてはしぶとく生き延びましたが、当の本人はそのことをどう思っていたのだろうかと真意をお尋ねしたかった。アルコール依存症をきっかけとした自殺未遂やホームレス生活を含む失踪など人生に喜びよりも苦しみを感じることが多かったのでしょうから、その生涯は生き地獄のように思うことも少なくなかったはずです。お陰でその当時の苦しみを飄々とした筆致で丹念に描き残してもらえたのだから、読者にとってはこんなに有難いことはないのです。苦しみの中からも吾妻氏は自身曰く、ギャクマンガ家として客観的にあらんと振舞ったからこその業績であるのは間違いありません。ぼくのような軟弱な酒呑みでは氏のような冷めた視線を獲得し得なかったはずで、悪夢のような日々を克明かつ時にはユーモラスに描いた後期の作品は生涯を通して繰り返し読み返すことになりそうです。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『ななこSOS 文庫版 第2巻』(早川書房, 2005)『ななこSOS 文庫版 第3巻』(早川書房, 2005)『やけくそ天使 第2巻』(秋田書店, 2000)『やけくそ天使 第3巻』(秋田書店, 2000)『銀河放浪』(マガジンハウス, 1995)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『失踪日記 第2巻 アル中病棟』(イースト・プレス, 2013)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979) 当時の体験を描いた『失踪日記』は、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を初め海外でも高い評価を得たようです。それに続く『逃亡日記』、『失踪日記2 アル中病棟』と巻を追うごとに作品の克明さは増強しますがそこに不思議と悲壮感が溢れ返ることもなく興味深く読了した後にホッとして酒を呑み出してからドクンと鼓動が早まったりしたものです。吾妻氏は晩年は断酒に耐え抜いたということですが、彼のことだから断酒中の自身をも客観的に観察することができたんだろうなと思うのです。
2021/01/21
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2016年に最終話が掲載され全200巻に亘る長期連載を終えた秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でありますが、ぼくはずっと山上たつひこ氏が本作の口火を切って連載を開始した後に秋本治氏がそれを引き継いだものと思い込んでいました。実際、ぼくの周囲の友人たちもそう思い込んでいたようで、もっともらしく語って聞かされたのを真実であると信じ、特に疑うこともせず信じ続けてきたのでした。今、振り返ってみるとどう考えてみてもこの二人の資質は異なっている訳でありまして、訳知り顔で多くの人に吹聴して回ったような気もして赤面の至りなのです。秋本氏が連載当初に「山止たつひこ」を名乗っていたのを誤解したおっちょこちょいな人がいて、それが拡散されたというのが事実のようです。山上氏のマンガを本腰を入れて読みだす前のぼくにとっての山上氏はご本人によるマンガよりこの逸話による知識がより多くを占めていたのでありました。『光る風(上)』(筑摩書房, 1997)『がきデカ 第1巻』(秋田書店, 1995)『がきデカ 第2巻』(秋田書店, 1995)『中春こまわり君 第1巻』(フリースタイル, 2016)『中春こまわり君 第2巻』(フリースタイル, 2016)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第3巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第3巻』(フリースタイル, 2009) ギャグ漫画の王様と呼ばれた『天才バカボン』の赤塚不二夫、赤塚氏と並ぶギャグ漫画界の巨匠と評された『ヤスジのメッタメタガキ道講座』や『アギャキャャーマン』の谷岡ヤスジなど、ギャグマンガでは伝統的なデフォルメされたキャラクターや背景描写によるいかにもなマンガ的表現が定番でした。そこに登場した山上氏のギャグマンガは、劇画のリアルとは異なる繊細で緻密な描線で描いた点が決定的に新しかったと思うのです。また、赤塚氏は出だしは少女マンガなども執筆した模索期があったけれど谷岡氏はけして長くない生涯を一貫してほぼ同じスタイルで執筆活動を全うしたのに対して、山上氏は周期的にスタイルを模索し続けたマンガ家であると思うのです。そうした意味で怪奇マンガの巨匠でありながら『まことちゃん』の楳図かずおと山上氏はどこか共通項がありそうです。ただし、山上氏は各作品からもたらされる印象は明瞭に分かたれているのに対し、楳図氏の作品はギャグであろうとホラーやSFであろうとどこか一貫した冷めた視線があるように思えるのでした。
2021/01/19
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山上たつひこ氏のマンガを受容できるようになったのは、大学生になってからのことでした。当然ながらその存在は幼い時分から知ってはいたし、デビュー後すぐの1970年に発表された初期の代表作と世評の高かった『光る風』は中学生の頃に読んではいたのであります。でも、ギャグマンガに移行してからの山上氏のマンガにはなかなか手が出ませんでした。キャラクターの造形がすこぶる苦手だったのです。今でこそ絵ひとつで苦手意識を感じていては、大変な傑作を見逃しかねぬことは理解したけれど、若い頃はキャラクターひとつで好き嫌いを決めてしまう傾向があったのです。大学生になって初めて、やはり脅迫的なまでの苦手意識を抱いていた少女マンガを浴びるように読むことで、大概の絵とは折り合いが付けられるようになったのです。何事につけ苦手なことを克服するとそれ相応のご褒美が与えられるようです。『がきデカ 第1巻』(秋田書店, 1995)『中春こまわり君 第1巻』(フリースタイル, 2016)『中春こまわり君 第2巻』(フリースタイル, 2016)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第3巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第3巻』(フリースタイル, 2009) 山上氏が1972年から連載を開始した『喜劇新思想大系』は、そんなご褒美ともいえる作品でおおいに楽しませてもらったものです。性とかSEXといったテーマを前面に据えたギャグマンガであったのが画期的であると評価された向きもありますが、パイオニアとしての価値はともかくとして現在読んでもしっかりと笑えるのはすごいことです。過激さという意味では現代のものとは比較するのは困難ですが、マンガにとって過激であることが読みへのバイアスとなることが多いことを思うとエロマンガの洗礼を浴びてから同作に辿り着けたぼくは幸運だったのかもしれません。最大のヒット作である『がきデカ』も愉快ではありましたが、前者と比すると対象読者が年少となるためか、ちょっと物足りなく感じた記憶があります。しかし、若い頃に苦手だった山上氏のキャラクターもそれに慣れてしまいさえすれば愛着も沸くものだし、それ以上に背景などの綿密な描き込みに瞠目させられたのでした。その後、『湯の花親子』などエッセイ系マンガなんかに移行した後、『がきデカ』完結編を発表し、突如小説家に転向してしまったのでした。確かに常にマンガ表現のパイオニアでありたいという矜持をもって作家生活を過ごしてきた方ですから息切れしたといったところでしょうか。しかし、2004年になって『がきデカ』の続編『中春こまわり君』で円熟の域に達したかのような余裕ある作品を発表してくれたのは嬉しい事でした。
2021/01/16
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杉浦茂氏は特異な絵柄と驚愕の物語展開など非常に癖があるけれど引っ掛かりどころも多くて、そのせいもあって多くの読者を獲得するに至ったのだと思います。引っ掛かりの一つとして独特というか疑問符が浮かぶことも少なくないオノマトペ、つまり擬声のユニークさも楽しみどころとなっていました。今回は、現役の意欲的なオノマトペの使い手であるマンガ家にご登場いただくことにしました。つばな氏の作風は、端正で乱れの少ないフラットな描線が持ち味で、今回初めて知って合点したのですがマンガ家の石黒正数氏のアシスタントをしておられたようです。現時点読了している範囲では全てが短編作品で、物語の発想からもその資質は長編よりも短編向きであることは間違いなさそうです。『第七女子会彷徨』(全10巻)(徳間書店, 2009-16) 短編連作集の『第七女子会彷徨』は、全10巻に及ぶ長編連作であり今のところの著者の代表作と見做しうる作品であります。友達選定システムにより友達関係を余儀なくされた金やんと高木さんの近未来の日本における日常を描いたファンタジーやSF的な要素を組み入れたユーモラスなマンガとなっています。先に書いたようにオノオマトペが効果的というか思わず吹き出してしまうものが多くて、蓋が閉まった際に「フタッ」となったり、どんよりやつれた描写では「らむーる」、おなかが空いたら「ぐりぐりぐるるる」と実に豊富な擬声の引き出しをお持ちなのです。これは偏見に寄りかかった誤解かもしれませんが、つばな氏は女性マンガ家=少女マンガ家というイメージを抱かれる方も多いのではないでしょうか。というのは、このマンガは男性も当然にあらゆる性差などを超えた間口の広い作品と思いますので、未読の方はぜひお試しを。ちなみにタイトルは、尾崎翠の『第七官界彷徨』から拝借したのでしょうが、受ける印象はまったく違ってますね。
2021/01/14
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杉浦作品の外連味に魅せられつつもその唐突な大コマ使いや不意のシュールレアリスム絵画やハリウッド女優の引用だったりが描かれたりして、そこに深遠な思想が込められているのだろう、だからこの稀有な才能を持つマンガ家の真意を解読したいとない知恵絞って考えてみたりもしたものです。結局どうにも理解に至らぬままに理解することを放棄したのであります。図らずも自伝中にとても納得できるとはいえぬ答えがありました。【酒場】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「ガンモドキー」『杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの……』(晶文社, 2009)「弾丸トミー」【喫茶店】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「ガンモドキー」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「アップルジャム君」【映画館】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「イエローマン」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「少年児雷也」『杉浦茂マンガ館 第3巻 少年SF・異次元ツアー』(筑摩書房, 1993)「ミスターロボット2」「普通は、構想をまとめた後にネームや下書きなどを経てペン入れに至るが、杉浦は頭の中で、大体の構想をまとめた後、下書きをせずに一発でペンを入れ、執筆途中でも『こちらの方が面白い』と思い至ったら話の筋を曲げるようなことを頻繁に行っていた。弟子の斉藤によれば、杉浦は『ぼくはね、話が前とつながってなくてもいいんだよ』と語っていたという(『杉浦茂:自伝と回想』杉浦茂, 筑摩書房, 2002)。 これじゃいくら考えたって理解できるはずはないですね。映画における清順氏の試みも相当に唐突な印象があるけれどそれは辛うじて説話内部に留まっているように思えるけれど、杉浦氏の場合は説話行為から外れたものとしてのコマをまさに思い付きで描いてしまうというのです。杉浦氏にしてみたら、マンガ評論家なんかが自身を批評する文章を読んでいたとしたら失笑を禁じえなかったかもしれませんが、まあそんなの読むような人ではなかったんでしょうね。
2021/01/12
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大事なのはマンガでもそれ以外でも構わないけれど、とにかく未知の驚きに遭遇した際に対象となる事物なり出来事を視線などの感覚機能が逸らしたり背けたりしないようにしないといけないと常々思っています。驚きこそが大事なのであって、当たり障りのないぼんやりと好ましい感触しかもたらさない事物や出来事などほとんど無意味であって、そんな温い感触に浸り続けるのは日々緩慢な死を体験しているようなものです。などと言ったことを書いてしまったようだけれど、これはいつもの酔っ払い文章でありまして、酔っ払うとやっぱりノープランで書き出すことが多くてその時は良い事を言ってるなあなんて思っているのだろうけれど、字面を眺めただけでも詰まらぬ話にしかならぬように思えるのです。でもここで言いたいのは杉浦茂というマンガ家が綺想の持ち主であるといった他愛のない評価では満たされない程の驚きを表現してきた人であり、その驚きは今に至るまで持続しているし、ますますその狂気の度合いを増しているように思うのです。『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「さるとび天助」、「ガンモドキー」、「日輪丸」、「イエローマン」『杉浦茂のモヒカン族の最後』(晶文社, 1974)「忍術物語」『杉浦茂マンガ大全集 01 ドロンちび丸 第1巻』(クオーレ, 2014)『杉浦茂マンガ館 第1巻 知られざる傑作集』(筑摩書房, 1993)「キリン号のたび」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「アップルジャム君」、ピストルボーイ」、「少年児雷也」『杉浦茂マンガ館 第3巻 少年SF・異次元ツアー』(筑摩書房, 1993)「ミスターロボット1」、「アンパン放射能」、「大あばれゴジラ」、「0人間」、「ミスターロボット2」『杉浦茂マンガ館 第4巻 東洋の奇々怪々』(筑摩書房, 1993)「猿飛佐助」、「少年西遊記」、「聊齋志異」『杉浦茂マンガ館 第5巻 2901年宇宙の旅』(筑摩書房, 1993)「三角星」『杉浦茂ワンダーランド〈別巻〉 杉浦まんが研究 まるごと杉浦茂』(ペップ出版, 1988)「超人猿飛」『杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの……』(晶文社, 2009)「宮本武蔵」、「ミスター・ロボット」 さて、そんな杉浦茂でありますが、ぼくには不幸なことに新作を待望するというリアルタイムでの読書体験がありません。全盛期は1950年代とされているようだから、70代以上の方達でもない限りは杉浦氏の連載を継続して読む僥倖は享受できなかったと考えれば、仕方のない事でしょう。しかも、今だからこそ、こうして主だった作品が復刻され、簡単に楽しめるようになったのだからそれはそれで運の良いことなのかもしれません。とにかくぼくのようなおっさん世代にとっては、杉浦氏のマンガは大人視線で楽しむものであって、これを子供の頃に読んでいたとしたらとんでもない衝撃を受けていたかもしれぬと考えるとやはり残念な気持ちになります。ぼくが初めて杉浦マンガ、その比較的後期の作品を目にした時に感じたのが、どこか鈴木清順のような外連味があるなあということです。清順氏は映画なんてものはサービス精神旺盛なワンショットがあれば他の部分などなくたって構いやしないなんて思い切った発言を残していますが、そんな出鱈目さを杉浦氏にも感じるのでした。
2021/01/10
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マンガ家って子供の頃から、特に『まんが道』の影響をモロに浴びて憧れたものです。しかし、その夢は至極短期的なものでしかなく、やはり同作でプロとして生活を続けることの辛さ苦しさを突き付けられてあっさりとまんが道を断念するのであります。しかしプロになり大賛辞をもらいつつも若くしてまんが道を捨ててしまう方がおられます。マンガというのはマンガ家が描き続けていれば読まれ続けるものだけれど、雑誌連載を止めてしまうと途端に忘れ去られてしまうことが多いものです。赤塚不二夫なんかはあれ程の売れっ子だったのにひと頃ほとんど読めない時代があったように思います。今でこそデジタル化による復刻が普及して往年の有名マンガ家の作品が蘇っているけれど、ローカル的に有名でしかなかったようなマンガ家の作品は未だに古書店で買い求めるしかなさそうです。まあ、それだって今ではネットで幾らでも古書を手に入れられるのだから、ぼくが倉多江美氏を読むために費やした時間とお金は大変なものだったのであります。『静粛に、天才只今勉強中 第1巻』(潮出版社, 1984)『倉多江美作品集1 ジョジョの詩』(小学館, 1991)(「黄楊の木」、「カーキー姫の午後」、「新青春」)『倉多江美作品集2 ぼさつ日記』(小学館, 1991)(「森の小径」) 近頃まったく見掛けないなあと調べてみたら、倉多江美氏は1990年に入った頃には筆を折られていたのですね。1950年の生まれなので、40歳になるとすぐにマンガ家稼業をやめてしまったということになり、余りにも短いキャリアにもったいないなんどうしても思ってしまうけれど、1974年のデビューから14年ばかりをマンガばかり執筆していたら嫌になっても仕方がないのかもしれません。断筆間際には育児マンガを立て続けに発表したから出産を機にキャリアを投げうってしまったのでしょうか。育児マンガ移行前に執筆された『ミトの窓』、『お茶でもいかが』はすでに手元から離れて再読できないけれど、とても可愛らしい愛着の持てる作品でした。世間的には『一万十秒物語』や『静粛に、天才只今勉強中!』が好評らしい―古書店でよく見掛けました―けれど、ぼくはやはり最初期の『ジョジョの詩』、『樹の実草の実』、『ドーバー越えて』などが好きですし、なぜかウィキペディアの作品リストに掲載のない『青春エスプリシリーズ スプリング・ボード』が好みだったりするのでした。
2021/01/09
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大友氏は、先達に対する敬意とともに対抗意識も強い人のようです。氏が宮城県の出身であることを知ったのは、つい最近になってからのことで、併せて同郷・同高校の出身である石ノ森章太郎を強く意識していたことを知ったのはこの一連の文章を書くためにウィキペディアを見て初めて知ったのです(『童夢』の悦子は『さるとびエッちゃん』から名付けたそうです)。 ところで,前回まで簡単に触れてきたように、氏はマンガの話法を一旦解体し、再建築するといった批評的な作業を洗練された絵と単純化された物語で実践してきました。その一方でマンガにおける様々なジャンルを代表するマンガ家たちをパロディとして作品化してきました。心ある模倣こそがパロディの精神だとすれば、大友氏はマンガを本当に愛しているようだし、研究熱心であると思うのだ。氏は、天才型と考えられがちだけれど実は努力型のマンガ家なのかもしれないなどと思いたくなるのです。『AKIRA(アキラ) 第2/4巻』(講談社)『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「暗夜行路」、「短距離走者の連帯」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「CHUCK CHECK CHICKEN」、「トウキョウ チャンポン」、「GOOD WEATHER」、「カツ丼」、「BOOGIE WOOGIE WALTZ」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SOS! 大東京探検隊」)『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「さよならにっぽんV」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「WHISKY-GO-GO」)『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)双葉社, 1982 さて、ぼくは残念なことに未見ですが単行本化されていない『饅頭こわい』というマンガエッセイを執筆しているようです。石ノ森章太郎は当然のこと、横山光輝、水木しげる、楳図かずお、鳥山明、永井豪、諸星大二郎、谷岡ヤスジ、高野文子などなど錚々たる顔ぶれをパロディとして描くのだからさすがであります。個人的には、少女漫画を換骨奪胎した「危ない! 生徒会長」が大好きです。またもウィキペディア情報によると『猫はよく朝方に帰って来る』の私立探偵は青池保子『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐のパロディとのことだし、『AKIRA』の主要人物の名前は『鉄人28号』から取っており、「作品の構造も同作品の一種のパロディ」であるそうです。こう見てくると大友氏という人は単なるマンガ馬鹿のようで一層好きになってしまうのでした。
2021/01/07
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ウィキペディアに「大友のコマ割りなどに大友が敬愛する黒澤明やサム・ペキンパーの影響が強い」とあります。はじめはふうん,なるほどねえと読み飛ばしてしまったのですが,日を追うごとに気になりだしたので少し検証めいたことをしてみたいと思い立ちました。順番はひっくり返りますが、まずはペキンパーの演出から検討してみます。映画批評家の蓮實重彦氏がかつて『ワイルドバンチ』のスローモーションを引き合いに「ペキンパーは無駄な描写を重ねて、だらしなさを繰り返していくことで何かが出てくる人」であり,「描写の経済学というものがもはや機能しないところに立っている」と語ったことがあります。ぼくはこの言葉には大いに賛同しているわけですが、では大友氏のマンガに描写の経済学の機能不全が見られるかというとけしてそんなことはないように思うのです。氏のコマ割りというか連なりには無駄なつまりは経済性を欠いた要素などなさそうに思えます。逆に言えば、一つには映画というものがいざ撮れつもりになれば誰だって撮れてしまうという側面を孕んでいるのに対して、マンガというメディアはたった一つのコマを描くにも相応の労力を要求されるものだし、それが執拗なまでの描き込みを武器とした大友氏であったとすればその労力は甚大なものであるはずですし、そういう意味ではマンガそのものが不経済なメディアと言えるのかもしれません。『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「East of The Sun, West of The Moon」、「聖者が街にやって来る」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「School-boy on goodtime」、「WHISKY-GO-GO」)『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)双葉社, 1982 続いて大友氏への黒澤明の影響をみてみたい。ノエル・バーチは『一番美しく』を例に挙げて黒澤のエンプティー・ショット―人物が不在の風景のみのショット―が、心理主義の面からも説話内部の描写として機能しているといったことを語っています(一方で、小津安二郎のエンプティーショットは説話外の描写となる)。この点では大友氏もまたエンプティ・コマを説話内部に還元できるような用い方をしていると思われます。なるほどねえ。でもむしろ頻繁なパースというかアングルに黒澤作品のイメージが見て取れる気もしてくるのでありまして、『蜘蛛巣城』だったり『野良犬』なんかのショットが確かにコマに反映しているなあなんて思えてきたりするのです。でも蓮實氏の言葉を「黒澤は無駄な描写を重ねる素質はあったのに、だらしなさを嫌悪したことで何かを出し損ねた人」であり,「描写の経済学というものが機能不全となった」と言えるかもしれません。って、ハスミストの方に激しく叱責されそうなので、この文章への批判的なコメントは予め固く辞することにさせていただきます。 ところで氏が麻疹のような一過性のブームとなっていたアメリカンニューシネマの影響下で作品を描き始めたらしいといったことを前回書いた気がしますが、実際執筆されたマンガにはそれらの映画が含んでいた叙情的な演出は気迫であり、実は似て非なるもののようだと思い直したので、最後に補足しておきます。
2021/01/05
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それは、一冊のマンガ批評の記載がきっかけでした。一介のマンガ好きでしかなく十年以上のブランクもあるぼくのような生半可なマンガ好きにとっては、指摘されぬと気付かぬことも多いものです。余談になりますが、ぼくはこれまでいくつかの趣味の泥沼にズブズブに埋もれてきたという過去がありますが、そのいずれもが実作との遭遇というメロドラマチックな出来事とは程遠く、どこもこれもが決定的な読書体験を経由してもたらされたものなのです。マンガに関しては幼児期からの趣味だったこともあり実作がきっかけといえますが、でも十年のブランクの後にマンガ読みに立ち戻ったのはやはり何冊かの映画批評の影響を受けてのことなのでした。これはいかにも恥ずかしいことでありますが、事実を隠すのもみっともないし、大体読書傾向から分かる人には分かってしまうのだから隠しようもないのです。『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「短距離走者の連帯」、「醜悪の軋み」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「トウキョウ チャンポン」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」)『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「聖者が街にやって来る」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「犯す」)映画館『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「チュンバラブギウギチュンバラブギ」)『ハイウェイスター/大友克洋傑作集1』(双葉社, 1979)(「つやのあとさき」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「任侠シネマクラブ」) その執筆者が米澤嘉博だったか四方田犬彦だったか定かではないけれど、大友克洋のマンガでは、スピード線が意図的に排除される場合があるというものでした。スピード線とは例えば疾走するキャラクターの背中から太細幾筋もの直線が伸びる表現で、これによりスピード感を表現するというマンガ読みにとっては、自然な描写として無意識に受容してしまうものです。これには虚を突かれましたが実際に執筆する大友氏はこのスピード線を排した野球漫画を執筆しているのですが、そうして仕上がったマンガは異化効果をもたらしたかといえば必ずしも不自然ではなくすんなりと読めてしまうのでした。主人公などの注意を集めたい人物や物体に映画でいうズームのような感覚をもたらす同様の表現に集中線がありますが、これも特に初期の大友氏ではあまり見掛けないように思うのです。ぼくが前回、コマ中の白抜きのスペースが目立っていると感じたのはこの表現が排されていたからかもしれません。かように実験的で従来のマンガ表現を刷新する、というかマンガ表現の約束事や効果的と考えられてきた手法を立ち止まって実作にて検証するという真に実験的な試みにこそ意味があったのだろうと思うのです。
2021/01/03
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いよいよというべきか、それとも大御所ならまだまだいくらだっているだろうにという意見もありましょうが、いざ久し振りに学生時代に好んで読んだ大友克洋氏の作品を振り返って読み返してみると、当時は驚くばかりに斬新に思えた氏の作品がその影響力もあってか人口に膾炙し、多くの模倣者を生んだこともあってか、今や氏の表現が格別に新しいとは思えなくなっていたのです。誤解をしていただきたくないのは斬新さが失われたからといった、氏の執筆した必ずしも多くはない作品群の価値が失墜したということでは決してないということです。実のところ当時は目先の斬新さばかりに目がいっていたのですが、当時は見過ごしていた細部に面白さを見出せて大いに満足しているのです。そんなことぼくが断らなくたって、例えば代表作のひとつである『AKIRA』が100度目の重版となったニュースを見るだけで明らかです。さて、大友氏をめぐっての話題は尽きぬのでありますが、まずは恒例、大友氏そしてその作品とぼくの関りについてから語り始めたいと思います。『AKIRA(アキラ) 第1/2/4巻』(講談社)『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「目覚めよと叫ぶ声あり」、「心中―'74秋―」、「ROCK」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「愛の街角2丁目3番地」『ハイウェイスター/大友克洋傑作集1』(双葉社, 1979)(「つやのあとさき」、「さよならのおみやげ」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」、「サン・バーグズヒルの想い出」) はじめて手にしたのは、『童夢』だったか、それとも『気分はもう戦争』だったでしょうか。デビューは1971年とのことですから、すでに10年のキャリアを積んでおられたからこそのすごく完成された作品と興奮したのでした。当時はぼんやりとすごい緻密に描き込まれているなあ―一方で、真白なスペースも大胆に配置されているなあ―と驚かされるばかりでしたが、その後の『AKIRA』もそうですが、絵のすごさに比して物語が淡泊だなあという印象を抱きました。その印象は今でも大きな変化はないのですが、物語より絵の方にずっと興味を持っていたぼくは、その後、映画にハマり今ではすっかり興味を失ったアメリカンニューシネマの洗礼を浴びつつ、同時に大友氏の初期作品へと遡及する過程で、その類縁性に気付き嬉々としたものです―当時、旅先の沼津の古書店で『Boogie Woogie Waltz』を入手したものの後日散逸させたのは返す返すも無念―。でもその頃のぼくはまだまだ少しも大友氏のユニークさを分かっていなかったのであります。続きは次回。
2021/01/02
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前回の話とは矛盾しそうですが、マンガを読む際に単行本で読むのと雑誌で読むのとではそれによって受ける印象もそうだけれど、その鑑賞に際しての心構えもまったく違ったものであるはずです。まずは分かり易い差異といえばその紙面のサイズの大小にあります。概して雑誌では雑に見えたような絵がコミックスサイズ、さらには文庫サイズに縮小されればされるほど、丁寧できれいに思えるということです。これは実際には単なるサイズの問題ではなくて、ほとんどの場合、単行本化される際に修正を加えるらしいから実際に改良されているのだろうと思うのです。でもそれよりも雑誌で定期的に読む場合は、その物語があとどの程度続くのか分からないのに対して、単行本化されていればまだ完結していない場合であっても少なくともその巻末は物語が継続することはわかるし、目次で最終話が含まれているか含まれていないかも察しが付けられる。つまりは、作者の意図に基づくものなのか不評のための打ち切りかはともかくとして、物語の結末が予期できるかできぬかの緊張感の有無こそがミソなのだと思うのです。こればかりは映画は持ちえぬ要素であるし、戦略的にうまくやれたとすれば面白いかもなんて思うのですが、とっくに試みられてるんだろうなあ。『天崩れ落つる日』(集英社, 1997)「わたしは快になりたい」、「奇妙なレストラン」、「辛口怪談」、「天崩れ落つる日」、「毒を食らわば」『栞と紙魚子と青い馬』(朝日ソノラマ, 1998)「青い馬」『栞と紙魚子の生首事件』(朝日ソノラマ, 1996)「生首事件」、「ためらい坂」、「殺人者の蔵書印」 諸星氏は、足立区千住の生まれなんだそうです。直接にどこがどうと指摘するだけの準備はありませんが、日本を舞台にした、特に氏が愛着を持って描き継いでいると思われる栞と紙魚子シリーズなんかには、どこかしら地方都市ではありえないけれど、都内であってもあか抜けない感じが足立区っぽいかなあなんて思ったりしていたのでした。マンガ家には自身の生い立ちや生活なんかの影響を引き摺って知らず知らずに作品に反映されるタイプとまったく自身の境遇などとは無縁に自由に想像を広げるタイプがいるみたいで―大雑把な分類だなあ―、諸星氏は後者だろうという印象に反して実は前者ではないかと近頃感じているのでありました。
2020/12/31
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どうしてマンガは面白いのだろう。といったことを当のマンガを読みながら考えることがあります。隙間時間さえあればマンガを読んでるから、やはりぼくはマンガが好きだし、面白いと思っているはずなのであります。だけど、マンガと一括りにかたっているけれど、一コマ/四コマ/短編/長編といった量的な分類でも好みというのは分かれるだろうし、青年/少年/女性/少女/その他などのようにジェンダーとか世代によって分類することも可能で、そこにもギャグ/歴史/バトル/スポ根 etc.といった内容に応じたジャンル設定もあるわけで、それらが一冊の雑誌に混在していたりもしてそれを継続的に読んだりもしているのであります。こんなにも多様に枝分かれするマンガであるから、一人の読者が一冊の雑誌を読み通すのは考えてみれば不思議な行為に思えるのです。それでも多くのマンガ雑誌読者たちは、いくつかは読み飛ばすタイトルがあったとしてもほとんどを読み終えていて、気に入った作品に関しては単行本まで購入してしまうのです。こうした現況を顧みて思いを巡らしてみると、案外多くの日本のマンガ読者は多様性を素知らぬ顔をして享受する才能に恵まれているのではないかと思うのです。あれ、この文章はそんな感想を述べるために書き始めたつもりではなかったのだけどなあ。まあ、いいか。『子供の王国 諸星大二郎珠玉短編集』(集英社, 1984)「子供の王国」『夢みる機械(サンコミックス版)』(朝日ソノラマ)「コッシー譚」、「ぼくの日記帳」『夢みる機械』(集英社, 1993)「地下鉄を降りて」『栞と紙魚子と夜の魚』(朝日ソノラマ, 2001)「古本地獄屋敷」、「本の魚2」『栞と紙魚子の生首事件』(朝日ソノラマ, 1996)「殺人者の蔵書印」 諸星氏は、かのマンガの神様と呼ばれたりもする手塚治虫に「諸星さんの絵だけは描けない」と言われていたようであります。実のところ、手塚氏には真似のできない絵はいくらだって存在しているわけで、例えばと例を挙げだすとキリがないので、いちいち列挙したりはしないけれど、端的にはこの発言は馬鹿正直に受け止めるべきではないのであります。ここで手塚氏の言いたいのはその絵の模倣可能性にはさらさらなくて、諸星氏の見出した絵が他の誰もが表現したことのないオリジナルなものとして存在するということなのではないでしょうか。でも手塚氏の場合はもしかすると多分に本気であるようにも思えるのです。というのが、手塚氏は自身の執筆するマンガに他の売れっ子マンガ家のキャラクターを引用することが少なくないけれど、それがどれもこれもが手塚氏のテイストに翻訳されているからであります。自身もまたオリジナルな絵を描けるマンガ家というのは案外そこらの素人よりも模倣が下手なのかもしれないなあ。
2020/12/29
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以前、マンガ家の資質には、短編向きと長編向きがあるのではないかという仮説以下の思い付きを書いたことがあったけれど、どちらも易々と描き上げてしまう才能が存在します。無論、掲載紙の要請する事情によって紙幅が限定された上で原稿を納めざるを得ないという現実的な事情もあるのだろうけれど、大概の長編マンガが長編としつつも実態としては、短編の寄せ集めのような仕上がりであることはちっとも珍しいことではないと思うのです。つまりは例えば大友克洋のような恵まれた特別なマンガ家を除いては、雑誌連載の各話でそれなりの読了間を読者にもたらすことを余儀なくされるだろうから必然短編の寄せ集めとならざるを得ないのかもしれません。しかし、雑誌販売の形態が冊子からデジタル化へと移行しつつある現在、従来の雑誌という概念の変容を余儀なくされるのではないかと思うのです。例えば、マンガ家は順次書きあがったその場でデータをアップロードしていき、リアルタイムで物語が進行していく。読者は、その展開に意見を述べてマンガ家は即座にアイデアとして組み入れることもできるだろうし、今でもよくあるように1話目は無料でその後は頁単位で課金、マンガ家に収入として振り込まれるなどといったことも容易であろうと思うのです。そうなると長い物語を描きたいと思っているマンガ家も実力がありさえすれば財政状況も安泰となり、短編の積み重ねではない本当の長編が読めそうです。『失楽園』(集英社, 1988)「男たちの風景」『西遊妖猿伝 第3巻』(潮出版社, 1998)『地獄の戦士』(集英社, 1981)「地獄の戦士」、「復讐クラブ」『天崩れ落つる日』(集英社, 1997)「コンプレックス・シティ」『夢の木の下で』(マガジンハウス, 1998)「壁男 PART2」『夢みる機械(サンコミックス版)』(朝日ソノラマ)「ぼくの日記帳」 お馴染みのウィキペディア情報によると諸星氏はやはりマンガ家の星野之宣が常に意識する存在であったようなのです。古代史や民俗学といった題材をマンガの主題とすることの多い両者ではありますが、星野氏が『ヤマトの火』連載開始時の実現した対談で、「本棚に自分が持っている本と同じものが並んでいることに苦笑した」と語ったそうな。そっくりな本棚で空想を巡らせながらも上梓される作品はまったく正対するような印象と内容となるのはまったくもって不思議なことです。
2020/12/22
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マンガなんだから酒場にせよ喫茶店にせよ、もっと大胆で奇想を巡らせた描写が見られるものと期待していましたが、多くのマンガ家たちの描くそうして店舗は、案外現にどこかにありそうなリアルっぽい描写が多くて、マンガでしか表現できそうもないような描写に出逢うことは極めて稀であることが分かってきました。そんなマンガにおける酒場や喫茶店描写において、諸星氏の場合はリアルとワンダーを自在に描き分けていて飽きることがありません。そこにはイマジネーションの特異さと、けして端正というわけでもないにも関わらずつい見入ってしまうその描線なりの個性的な技術が融合しているからなしえるもののようです。いずれかに秀でている者はそれなりに存在するかもしれないけど、両者を兼ね備えたマンガ家は稀有なのかもしれません。『コンプレックス・シティ/諸星大二郎傑作集』(双葉社, 1980)「人をくった物語」、「むかし死んだ男」『瓜子姫の夜・シンデレラの朝 電子書籍版』(朝日新聞出版, 2013)「竹青」『碁娘伝』(潮出版社, 2001)『子供の王国 諸星大二郎珠玉短編集』(集英社, 1984)「子供の王国」、「食事の時間」『西遊妖猿伝 第4巻』(潮出版社, 1998)『西遊妖猿伝 第11巻』(潮出版社, 1999)『西遊妖猿伝 西域篇 第3巻』(講談社, 2011)『地獄の戦士』(集英社, 1981)「復讐クラブ」『天孫降臨』(集英社, 1993)「天孫降臨」『夢みる機械』(集英社, 1993)「地下鉄を降りて」『無面目・太公望伝』(潮出版社, 1989) デビュー時から一貫して、計算されたような狂ったデッサンだったり、不可解な読み取りにくい表情のキャラクターだったり、手書きの綿密に書き込まれた背景だったりが完成されているかに見えて、その実、どこかの時点でさらなる驚くべき変貌を遂げるのではなかろうかという期待を抱かせつつも、その実、少しもぶれないという安心感にも氏が支持される所以があるのではないかと思うのです。氏の作品は思い出したかのように新作が発行されてみたり、過去の作品が復刻されてみたりと必ずしも系統的に読んでこなかった怠慢な読者たるぼくには、デビュー以来変化などという事象とは無縁のままに淡々と執筆活動を継続しているように思われ、そこにこそ驚愕を感じるんのでありました。
2020/12/20
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