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「赤ショウビンが来てるぞ!」こんな電話をいただいたのが、18日の朝。すぐに行くことができず、1時間ほどした午前8時半。鳴き声が聞こえるという場所に行ってみた。最初にかなり遠くで、らしき声が1回のみ聞こえたが、それ以後聞こえず。往生際悪く行ったり来たりしていたが、ついに聞こえなくて帰った。 21日の夕方からお泊まり会議が「林りん館」で行われたので、翌朝5時頃、再度教えていただいた場所に行ってみた。聞こえる!聞こえる!キョロロロロロロローキョロロロロロロロー特徴のある声が何度も何度も聞こえてくる!やったーぁ!お初だね、赤ショウビンさん!赤ショウビンは隣の隣の戸隠村(現長野市)に棲息していることは結構知られているが、小川村にもいることは実は全く知らなかった。何故知ることができたのか…。会社の受け付けの壁に、「今日の主役」と銘打って、鳥や蝶など、自分の好きな生き物を撮影してちょっとしたコメントをつけて飾っている。1枚につき約1ヶ月張り出し、特に気に入ったものは2ヶ月も3ヶ月も張りっぱなし。アサギマダラ、カワセミ、ダイサギ、コウノトリときて、今はヒメギフチョウ。待ち時間にこれを見たお客さんと会話が盛り上がり、ちょっとばかり親近感を覚えるようになる(多分互いに)。その中で、カワセミに反応してくれたY・Kさんが、赤ショウビンの存在を教えてくれたのである。赤ショウビンもうれしいけど、こんな関係ができるのもうれしい。赤ショウビンの森 posted by (C)takanebiranji赤ショウビンの棲む林。雑木林の奥に杉林があり、そこから鳴き声が聞こえてくる。手前はワラビを育てている草地というか畑。
2013年05月22日
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見えました!ということは、OSの問題でなく、操作上の問題ということに。良かった、また直してみます。
2011年04月07日
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休憩時間ちょっと前、お父が「地震だ」。眠くて困っていた私には、揺れは感じなかった。が……そのうちパソコンのモニターがユッサユッサと大きく揺れ、天井から吊り下がっているコードが揺れる。しかも、長い時間である。地鳴りの音も聞こえ、足元は不安定にゆらりゆらり。お父は慌てて階下に行き、「機械を止めろ」と指示。階下にいた社員たちは、揺れを全く感じていなかった。でも、機械に付いている水平器(?)の水が3~4センチの上下振幅をしているのを見て地震に気づいた。機械を止める前にゆらりは止まったので、止めるまでには至らなかった。でもその後も、頻繁に余震らしき揺れがあった。震度7の時は、この村では震度3。震度としてはそれほどではないのかもしれないけれど、近くに起きた地震と、遠くから伝わる地震の違いのようなものを感じた。遠くから伝わる地震の方が、無気味な揺れ方をする。あわててテレビを付ける。仕事が手に付かなくなる。ここより地盤が堅いから大丈夫だとわかっていても、母に電話。やはり一人暮らしの年長の友人に電話。母は、「一人だと心細いだろうから」という近くにいる叔父の言葉で、叔父宅へ。携帯電話はやはりつながらず、普通電話を使う。緊急時、電話はなるべく控えるという鉄則はわかっていても、私の母への思いはやはり緊急性を持つ。映像で見る津波の凄さ、火災の様子などを見るにつけ、ニュージーランドの地震に思いが走った人は多いだろう。どうか、犠牲が出ませんように。どうか、被害が出ませんように。祈りながら時々覗く画面は、時間が経るにつれて、被害の大きさを伝えている。
2011年03月11日
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「WANTED!」と探し求めていたギンランに5年ぶりに出会えた。ちょっと盛りを過ぎて、初めて出合ったギンランとは雰囲気が違っていたが、合えたことがうれしかった。5年前のブログ私は「ギンラン」。「ちょっと遅いけど、まだ咲いてたぞ」とわざわざ教えてくれたYさんと待ち合わせて、連れて行ってもらった。いつも普通に通っている道端にひっそりと2本、咲いていた。足元に注意しながら側に行き、写真に撮ってその場から離れようとすると、Yさんがスーッと近寄って、私が邪魔だからどけた木の蔓をまたそっと元に戻し、ギンランをその陰にした。その姿に、草木を愛する彼の心根が感じられて、私は自分が恥ずかしかった。こんな私だから、5年間も合えなかったのは当然なのだ。次はもっと心を寄せて、合えるようにしますから。
2010年06月04日
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あと3~4日かかると思っていたアクセス200000に今日か明日中に到達しそうです。でも、これから明日の昼まで不在となります。200000と、199999と、200001を踏んだ方、教えてください。多少なりとも過去にコメントいただいたことのある方です。よろしく。
2010年03月06日
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節分の北信濃の行事食、「とろろ汁」を例年どおり作った。「とろろ汁」の映像あったよなーと、過去のブログを遡る。一人、ニヤニヤしながら読んだ。というのは、ここ数年、立春前に温かくなり、そしてまた寒波襲来というパターが続いてたからだ。また、その天候パターンに沿いつつ、私の気分も家の健康パターンも似たような動きをしていることが、おかしい。世間では「恵方巻き」が売れているらしいが、そんな食べ物を知ったのはここ数年のマスコミ報道による。「売り切れるから予約を」なんて印刷されているチラシを見て、あきれている私。大阪生まれの恵方巻きを食べて、今年の運を少しでも良くしたいという気持ちはわからなくもないが…。わが家はやっぱりとろろ汁。一昨年も書いているけれど、擂(す)り鉢でゴリゴリといも汁を擂るのは、実家では父親の役だった。でも、今の我が家の父親、つまりお父は擂りこぎをうまく使えず、かき混ぜているだけなので、やっぱり私が擂った。擂ることによって、きめこまかく、そして空気が含まれてふわふわになった「とろろ汁」。そのまま飲んでも良し、ご飯にかけても良し、おさしみのぶつ切りにかけて食べてもおいしい。さて、健康パターンの一つ、風邪ひきは、お父の咳きがヤマを越したと思ったら、義母に移ったらしい。その義母は、定期検査にいつも行くC市の某病院へ電話をし処方箋を送ってもらい、またそれをN市の薬局にFAXで送り、風邪薬を速達で送ってもらうのだという。「ねえ、村の診療所へ行って診察して、薬をもらった方がいいんじゃないの」という私に、お父は「寒いところへ出るのが嫌なんだろ」と。寒くなって以来、ほとんど家に籠り、8畳の部屋で、ホットカーペット、石油温風機、電気温風機をフル回転して過ごす義母。88歳だから仕方がないと思う反面、10月頃からうなぎ登りにアップする光熱費を見るにつけ、愚痴の一つも言いたくなるのは、悪嫁のせいなのか…(笑)せいぜい私は、スノーシューだなんだと言いながら外で遊び、寒さや風邪菌への抵抗力をつけておくしかないな…おっと、とんだ立春ブログになってしまった。雪は止み、銀世界の中で、わずかに陽射しがさしてきた。
2010年02月04日
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楽しかった1週間も、今、ブログを書きながらも、現実だったのだろうかと思うようになってしまった。いけない、いけないッ!あれは現実、たっくさん見聞してきた事実をしっかり記憶して、血肉にしなきゃ。若ガラスがいてくれたから、実現できた今回の旅。全ての面でフォローしてくれた。ほんとにありがとう、若ガラス!普通なら、2~3日もいっしょにいれば、けんかの一つや二つはするのに、今回は、多分どちらも苛立った場面はあったろうに、どちらもちゃんと抑えることができた。いつの間にか、世話する方からされる方に回り…今回の旅では、さらにそれがはっきりとわかり…シドニーに着いた日、不安いっぱいのお母は、出迎えゲートに若ガラスの姿を見つけてほんとにホッとし、涙さえ出た。そして1週間を共に過ごし、今後は、大筋では安心して若ガラスの飛翔を黙って見続ければいいんだと自覚した。「お母が、無事税関を通り過ぎたら電話ちょうだい。それまでここにいるから」出国ゲートで振り返るたびに、手を振っていてくれた若ガラスの姿に、またまた涙した。土ぼたるを見にいくときの後姿 私の荷物を持って、ホテルから空港に向かう後姿後姿を見つつ、さわやかで、すてきな青年になってくれたと改めて思う。さあ、お母の最後の子離れは、無事完了。さよなら、シドニー元気でね、若ガラス書きながら、うるうるしてるお母……年をとったということかなあ…
2010年01月19日
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「オーストラリアに行くの巻」はちょっとお休みして…年末年始に実家に行けなかった私は、積もった雪を気にしつつ、連休を待って実家に行きました。思ったより少なく、ちょっと安心しましたが、翌日朝も15センチほど積もり…さて、私の出番とばかり、長靴をはき、ヤッケを着て、片付けをスタート。ところが、雪の下に隠れていた一面の氷に気づかず、いきなり足を取られ、手で防ぐ間もなく、後ろにガシーンッと倒れました。もろに、後頭部がコンクリートに打ち付けられ…しばし、何事がおきたのかと…そろりそろりと両手両足を動かして…動きます、良かったぁ!ゆっくり起き上がって、ふらふらと家の玄関に入り、母を呼び…びっくり仰天した母は、もうやめろやめろと、袖を引張り家の中に引き込みました。私は…頭は痛いけれど、頭蓋骨にヒビなんてことはなさそうだし、頭の中の脳味噌がもしかしたら動いちゃったかなーこのショックで脳味噌が縮小しないかなーなんてことを思い、言われるままに家に入り、背中だけ真っ白になったヤッケを脱ぎ、こたつにもぐりこみました。痛みはあったけど、時間と共に薄れ、昼から、再び雪片付けに挑みました。細心の注意をしながら…ね。1日経った今日、むち打ち症みたいな鈍痛が出ています。でも、パソコンの前にも座れたし、車の運転もできたから、これも日数が経てば治るでしょう、きっと。一番心配なのは、脳味噌の中です。近々、おかしな言動が表われたら、それはこの転倒による脳味噌の揺れのせいです。今冬、友人知人の中で既に複数が屋根から落ちたり、屋根から落ちた雪のブロックにあたって、負傷している人がいます。「年だから気をつけて」と言っていた私も、ああー、やっぱり年でした。
2010年01月11日
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シドニーを起点に、ブルーマウンテンやキャンベラまで足を延ばしたけれど、広い豪州からすれば、ほんのほんの小さなエリア。若ガラスと共に地図を広げながら、「オーストラリアってでっかいなあ」とシドニーのど真ん中でつぶやいた。シドニーは、南緯35度前後、日本の長野も北緯だけどほぼ同じ。光の強さにびっくり。紫外線の強さも超一流。信州の夏だって、あんな陽射しには出会わないような気がする。そのせいかどうかはわからないけれど、オートで撮った小型デジカメデータを帰国後に見てびっくりした。陰影が濃すぎる!逆光気味で顔が真っ黒!(決して逆光ではなかったし、まだ日焼けしていなかった)撮影技術?……かもしれないけど(涙)今回は陽射しの強さを伝える特集です。《オペラハウスの屋根》屋根に張られているのは、スウェーデンから取り寄せの特殊タイルだそうです。この特殊タイルは、微妙に異なる色のものをモザイク状に組み合わせて使用されていて、どんな角度から、どんな光があたっても、シャープに美しい真っ白なオペラハウスとして人々を魅了することができるそうですが、私の見た限りでは、やはり、晴れならば白く輝き、曇天ならくすみがちでした。このタイルの表面には特殊加工が施されており、雨水によって、自動的に表面がクリーニングされるようになっており、汚れもサビもつかないそうです。でも近くで見ると、屋根はともかく、軒下にあたる部分は結構汚れを感じました。日本のように、年末に煤払いなんてしないのかな?飛行機から見たあの手の平に乗るようなかわいいオペラハウスを思い出しました。《オペラハウスとハーバーブリッジ》シドニー湾の対岸、ミセス・マッコリーポイントにて。オーストラリアの初代総督マッコリーの奥様が、イギリスを懐かしがって岬を通るイギリス船を見つめていたという地点の近くです。ハーバーブリッジとオペラハウスがいっしょに見える地点として人気があるそうです。私は若ガラスとの2ショットを撮りたかったので、小さな三脚を持って行きました。三脚をセットして撮っているのが珍しいらしく、周囲から注目を浴びてしまいました。そういえば、三脚を持った人はほとんどおらず、全行程の中でも3~4人しか見ませんでしたね…。《ボンダイビーチ》シドニーの東海岸には有名な4つのビーチがあります。クージー、ブロンテ、タマラ、ボンダイで、これはボンダイビーチ。青というより、紺碧の海でした。外海なので白波も立っており、サーフィンをしている人が大勢。ビーチはオーストラリアの砂岩が砂になったものだそうですが、きめ細かなきれいな砂でした。この砂浜で、日光浴したいとは全然思いませんでした。裸身をさらすオーストラリアの人々に脱帽!《ノースシドニーから》ノースシドニーの街並オペラハウスハーバーブリッジの北端の町で、シドニー湾の対岸。真っ青な海に赤いレンガ……高層ビルがなかったら、沖縄の風景を連想させました。最高に暑かった!朝方は曇りだったので、帽子はいらないかと思ったのが運のつき。昼にはスコールも!でも、この日、ここで初めてアゲハチョウを見ました。うれしかったな(詳細は後日)《St.メアリー大聖堂》豪州におけるローマカトリックの総本山。市街にも市外にも、レンガ造りの古い建物がたくさん残っています。第二次世界大戦でも、空襲を受けなかったおかげでしょう。でも、オーストラリアの建築物はどれも砂岩から造ったレンガを積み重ねただけで、鉄骨などが入っていないため、震度4の地震でほとんどが崩壊すると言われているとのこと。ブルブルッ…最近は入り口の扉が閉まっていることが多く(観光客の締め出しかな)、この日も内部は見られませんでした。《キャンベラ》これは首都キャンベラの人造湖を中心にした風景。右隅に国会議事堂が薄く見えています。シドニーからキャンベラまで約2時間半。直線道路の左右には、だだっ広い丘陵と牛・馬・羊、ユーカリの木々、ぽっかり浮かぶ雲、黄土色の土が続き、そして風力発電の翼がたくさんありました。そうそう、直射日光を防ぐため、馬の背中には毛布がかけられていました。《リスゴーの町》シドニーからキャンベラのほぼ中間にあります。食堂とニットやコットン製品を売っているお店がいっしょになっていて、いいなーと思う白のブラウスがあったけど、止めました(笑)。ここでモーニングティータイムを45分間とりました。キャンベラツアーは、お昼にはランチタイムも40分、午後の休憩も30分とり、とてもゆったりとしたツアーだったような気がします。オーストラリアの会社主催で、HISのような日本会社のツアーと違って、お金が第一目的でないという感じがしましたが…(そんなことはないか・笑)。シドニーに帰ってそれぞれのホテルに客を降ろすときにも、運転手さんが必ず乗降口で待ち、握手をし会話をしてさよならします。難を言えば、私に英語解読力がなかったのが残念なのですが。ちなみに、HISの市内観光ツアーは、最後がおみやげ屋さんで終わり、私たちは自由解散させてもらい、そのお店からは早々に退出しました。《リスゴーの刑務所》リスゴーの町はずれに、女性を収容する刑務所がありました。まるで中世のお城みたい。花もたくさん咲いて。こんなのんびりした町で更正に励むのは素敵かも(?・笑)。はてさて、陽射しの強さを実感していただけたでしょうか。
2010年01月07日
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オーストラリアに行くべく、只今家出発。息子とシドニー空港で会うまでは、初の一人旅。無事につけるかなあ????
2009年12月27日
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明日の鹿島は絶対に初冠雪だ!の予想は大当たり。11日朝6時、ベランダから望む鹿島槍は、ほんのちょっぴり雲間から姿を出していたが、案の定白い。前夜の秋祭りで遅くまで起きていた皆は多分寝坊をするだろうと、急いで飛び出した。途中のアルプス展望台、山腹以上は雲の中。絶景時には三脚の列が並ぶけれど、本日は皆無。大洞高原まで行くと、村内はすっぽり雲海の下。これは私にとって初めての風景。2009年10月11日朝7時 大洞高原から見た村の雲海。こんな風景は私も初めてで、うっとりと眺めた。2009年10月11日朝7時 大洞高原より白馬三山。蓮華岳から唐松岳あたりまでが雲が厚く(裏側に黒部湖があるせいなのだろうか?)、北と南の山々はほぼ見えていた。まだ太陽が登りきらず、畑の半分には光が当たっていないけれど、かなり伸びてきた野沢菜がちょうど境目かな。ちなみに、わが家(標高500メートル程)周辺で作る野沢菜よりも、ここ大洞高原の野沢菜の方が、ぐっとノリがあっておいしい。標高が高い程、また北に行く程、野沢菜はおいしくなる。で、結局、朝は鹿島槍ヶ岳は姿を出さず。それならと、お父と、秋祭りに来ていた母と3人で、アルプス山麓ドライブに出かけた。鹿島槍国際スキー場~小熊山トレッキングコース~白馬コルチナスキー場~白馬村青鬼紅葉は例年より1週間早いと思っていたけれど、ここへ来て足踏みしているのか、やや遅い感じもする。2009年10月11日11時 小熊山トレッキングコースから(ほぼ同じ位置、同じ月日に写した昨年の写真と比べて見てね)2008年10月12日 小熊山トレッキングルートからの鹿島槍ヶ岳朝、ちらりと見えた鹿島槍についていた雪よりも、大分少なくなっています。お日さまに照らされたせいでしょうね。それでも北峰と南峰の間の吊り尾根は真っ白。初冠雪を母といっしょに見られてうれしかったですね。漫画『岳』の中に、こんな言葉がありました。「山で亡くなった人は、山になったのかもしれない」鹿島槍を家族にした母や私が、ことあるたびに「鹿島槍」に思いを馳せるのも納得できます。雲の帯が北から南へと猛スピードで移動していて、なかなか雲の切れ間にならず。「写真撮るなら待つ事が大事」というお父の言葉ではありましたが、あきらめました。z z z z z12日。またまた「明日午前中の方が晴れそうだ」という昨日の予想がぴったりあたり、悔しいから鹿島槍国際スキー場まで再度「鹿島槍参り」に行きました。2009年10月12日 鹿島槍国際スキー場上部さらに雪は溶け…「赤岩尾根」もとい、「東尾根」の淡い紅葉をまとった鹿島槍ヶ岳は、気品を持って聳えていました。
2009年10月13日
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松代大本営地下壕群で4つめの壕が造られるはずだったのが、この弘法山。4つ目の壕には、「三種の神器」を避難させる予定で、「賢所」と呼ばれている。天皇に万が一のことがあっても、これさえあれば、国体は護持できるというわけである。天皇の入る予定だった御座所と伊勢神宮を結んだ直線上にある山。しかも弘法山という有難い名前も付いている。写真の道路が掘り口まで行く取付道路で、崩れているように見える場所あたりから掘ろうとしていた。掘り手は朝鮮人ではなく、「汚れていない日本人」ということで、鉄道学校の学生たち。先日、この賢所の坑口あたりまで行ってみようとしたが、薮・薮・薮で近付けず。崩落している上部を伝わって降りられるかどうかと、探険してみたが、結局これも降りられず。ならば、上に行ってみよう(煙となんとかは…)と、急登をクリアーし、山頂に着いた。(正しく行きは良い良い、帰りはであったが…)山の名の由来となった弘法さんが、小さな社に鎮座しておられた。本当にいらしたんだ、弘法さんは。社は残念ながら、ブロックに変わり、昔の石屋根は側に墜落していた。でも、年に何回か、ここでお祭りをしているような形跡があり、地元の人たちの心を感じた。 ここが、賢所にならなくて良かったね。ここで、本土決戦がなくて良かったね。弘法さんは「おや、珍しい輩が登ってきたぞ」とびっくりしたかもしれないな。イチヤクソウの葉があった。ミスミソウもあるやもしれぬ。小さな山の小さな弘法さん、また来るね。
2009年09月17日
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お盆に畑の草取り大作戦をしたのに、もう草がはびこり…。秋野菜の種を蒔くのには、もっと早く畑の準備をしなければいけないのに、なにやかやと忙しく…姑さんの「もう蒔かないと遅いよ」という苦言はジャーッと聞き流し。今の私には秋野菜より、大事なことがたくさんあるとばかり…。でも、大根くらいは欲しいよねと、お父と2人、6日午前10時半から2時まで草取り。3時から5時半まで、耕耘機(私は使えません)で土を起こし肥料を蒔き終えた。(今度種を蒔けるのは何時だろう…?)畑の雑草ベスト3を挙げよって言われたら、何を思い浮かべますか?スベリヒユ、スギナ…あと一つ…私は「露草」を挙げますね。朝開いて、午後には閉じてしまうたった1日の短命の花。濃いブルーが奥ゆかしさを秘める花。私も結構好きな花なのですが……ところが、ところが……今年の夏は、まともに草取りをしたせいか、露草の生命力は、スベリヒユの比ではないと思い知らされました。生命力の強さというか、「しょうらづよさ」(この村の方言=しつこいくらいに強い)にびっくりしました。土に接した茎の全てから新しい根が生え、そこを拠点にどんどん茎を伸ばす。1本の茎を引張ると、地面からバリバリと(音はしません・笑)芋づる式にはがれます。まあ、スギナのように地下に潜伏しないだけ退治のしようがあるとは言えますが…。白鳥が優雅に水面に浮いていられるのは、水面下で絶え間なく足で水を蹴っているからだという話と同じ類でしょう。今後は、涼しげにブルーの花びらをつけた清楚な露草を見たならば、「あれだけ図太い茎根なのに、それだけ清楚な風を保てるあんたは偉い!」とほめてやることにしましょう。おかげで、右手指は腱鞘炎です。
2009年09月07日
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28日、お父と白馬大雪渓へ。「ザックは一つでいいよ。オレが持つから」自分の荷物を誰かに背負ってもらうという大名登山は嫌いな私。大した荷物はないからとザックをとられる。そんじゃあ、まあ…と、大名になる。背中が軽くて、天使みたいにフワフワと舞い上がりそうな状態で出かけた。天気予報は1日ずれて、「朝夕は雲が多いが、日中は晴れる」が大当たり。猿倉から白馬尻まで写真を撮りながらなのに1時間。もうちょっとかかると思ったのに、これは体調が益々いいせいか。はたまた、天使の背中のおかげか。いや、正解は、一人歩きの時と違って、好きなように歩けなかったせいである。チョウを見ては後を追い、花を見てはシャッターを押す。足元などほとんど見ないで、きょろきょろきょろ…なんてことができないんだなあ、いっしょだと。「ほら、二つの花が同じところから出て咲いてるでしょ。だからニリンソウっていうの。ヒトリシズカっていう花もあるんだよ。ここにはないけどさ」花音痴のお父に、最初に説明してやった言葉をずっと覚えていたのかどうか。雪渓を下るときに、キヌガサソウの群落のそばで、若い女性に聞かれて「ヒトリシズカだと思いますよ。後ろから来るあの人に聞いてみてください」だって。笑っちゃいましたねえ。突然ですが、クイズです。これは何の赤ちゃんでしょう。(ヒント:2008年7月6日「白馬大雪渓にて」に出てきます)さてさて、今回は、花の一番美しい時期に当たったようです。キヌガサソウ、シラネアオイ、ハクサンコザクラ、ニリンソウ、コミヤマカタバミ、サンカヨウ、エンレイソウ、ユキザサ、タケシマラン、ツクバネソウ、コバイケイソウ、オオバタケシマラン、キバナノコマノツメ、モミジカラマツ、ウメハタザオ、コイワカガミ、ハリブキ (あとは図鑑と首っぴき中)初体験の落石ちっちゃい三脚を雪上に立てて、2人で写真を撮ろうと準備をしていたとき。音とも言えない、何と言っていいか…とにかくかなり遠くから音がし始めました。お父「落石だッ! どこからだッ!」向かって左の沢から黒い岩が落ちてきました。大中小5個くらいの集団で。雪渓全体の流れからすれば、ここへ来る手前でカーブするだろうとの予想は外れ。お父「逃げろーッ!!!!」落石の親分は、まっすぐ私達の方に向かってきました。左右のどちらに逃げたらいのか、落石の進路が測れずに、一瞬びびりました。50メートルほど手前で、岩はやっと左にカーブし、右に逃げた私達は完全なる安全圏に。さらに、岩は雪渓上を150メートル程落ちて行き止まりました。後には、30センチほどの溝ができていました。そして、よく見れば、雪渓上には大小、深浅、新旧の溝がたくさんあり、初めてそれが落石による溝だということがわかり、天使の背中がゾクゾクゾク。私達を驚かせた岩とお父。親分の岩は、直径約80センチ。(赤線が落石ルート、×が私達のいた所)雪渓上の落石の音は、岩場を落ちる音とは全く違って響きません。ガスでも出ていれば、どこから落ちてくるのかわからず、またごくごく近くに来るまでわからないということを、身をもって知りました。昨年の岩雪崩れで死者の出た場所も見えました。小雪渓までの左右の沢からは、大小様々な岩や岩雪崩れが出ていました。でも、そんな沢に入っていくグループもいるんですねえ…。今回、お父がいてくれて、心強かったです。でもまあ、一人なら、あそこまで登らないし、雪渓上にあんなに長時間いないだろうけど…。県外からみえたという私達くらいのご夫婦。初めてアイゼンをはくといって、4本爪アイゼンをつけて雪渓を歩いていました。女性の方は、アイゼンをつけていても下りはへっぴり腰でまっすぐ降りられず、ジグザグ歩行をしながら、男性に片手を握っていてもらいました。そういう人を見ると、私の雪渓恐怖症は姿を消してしまいます。楽しく跳ねながら、下ることができました。(笑い、単に傾斜が大したことなかっただけです)
2009年06月29日
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お父と見に行く。楽しみに、心待ちにしていた映画である。うーん、手放しの賛辞は、うーん。お父が盛んに言ったのは、「画面の迫力はすごいけれど、美しくない」全て実際にカメラを回し、吹雪でもそのまま撮影しているのだから、画面が粗い(?)のは仕方がないのじゃないかな。また、上映した劇場が長野市では古い劇場で、スクリーンの隅の方がもしかして汚れていたのかもしれない。でも、紅葉の多分室堂を歩いている2人を、遠くから撮った映像は、確かにあまりきれいでなかった。ストーリーと全く別の、剣岳を紹介している部分(仙人池からのとか、朝焼けのとかは)は、きれいだったから、風景だけを撮ったときと、ストーリー部分を撮ったときとの差が出たのかもしれない。でもね、憧れの雨晴し海岸からの剣岳の映像は、きれいじゃなかったなー。明治時代のあの登山スタイルで、役者さんたちが剣岳に登ったのは、すごいなーと思う。草鞋にちゃちなアイゼンつけて。長次郎谷の雪渓上部を歩く姿を見ていて、滑り落ちないか、バランスを崩して落ちないか、本当にハラハラした。かつて長次郎谷のもう一つ西側の平蔵谷を登ったときも、稜線間近の急傾斜に、私はもう死んだつもりで歩いたものだ。自慢じゃないけど、何を隠そう、私は雪渓恐怖症。滑落停止の姿勢をとっても、止まらず、木ぶつかって止まった。それ以来恐怖症。だから、映画の中で、人夫が雪面を滑り落ちた場面は、「ええー、あれ、ほんとに落ちてるの?遊んでるみたい」と思えてしまった。ザイルが切れて岩場から落ちる所も、あんなふうに落ちて、大した傷にならないのは、奇跡というよりむしろ不思議。雪崩れに埋もれたシーン。雪のブロックは素手で掘れるのだろうか?原作にはなかった、測量隊と小島烏水ら日本山岳会の人達と互いに登頂成功を喜ぶ場面は、頂上に残されていた錫杖の存在で、生死をかけた剣岳登頂を陸軍測量部から全く否定されてしまったその悔しさへの、製作者たちの気持ちの現われだろうなー。正直、私もうれしかったもの。映画はドキュメンタリーでないから、エピソードを附加してもいいのだろう。とは言え、多分に物足りなさや、事実と食い違うところ、そして実際の山とは違う面も多々あったけれど、でも、山を舞台にした映画としては優れているんじゃないだろうか。かく言う私、今度は母といっしょにもう1度見る予定だ。次に見るときは、あら探しはやめよう。剣の山頂からの映像の中で、鹿島槍ヶ岳も何度か出てきたし、後立山の向こうに、戸隠山まで見えたのにはびっくりした。それにしても、中年、熟年が多く、朝一番の上映(といっても午前10時40分から)に、若者はいなかった。実際の山と、これは共通しているねえ(笑)
2009年06月27日
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連日、あちこちから旬の破竹(淡竹ともいう)を頂き、うれしい悲鳴をあげている。冷凍保存、瓶詰め保存もできるけれど、いささか食傷気味となり、ブログの友人も含めて、あの人、この人の顔が浮かぶ。送ってみようか…。でも、あの人はモウソウチクの産地に住んでるし、この人は破竹なんか食べるかなあと思い始めると、腰が引ける。そうだ、明日の会議に煮付けて持っていけば、なんとかはけるだろう。うん、そうしよう。と、アクを抜いてから身欠きニシンといっしょに薄味に煮付けた。さて、今日はその会議。「おいしい、おいしい」と皆さん食べてくださった。「これ、だあいすき。何度も買いに行ったよ」「もうねえ、食べあきて、頂きあきて(くださった方、ごめんなさい)…」「うらやましい。もしまた余分に頂いたら、取りに行くからくださいな」なんて会話が出てきた。わずか20数キロの距離の長野市と小川村でも、品薄とだぶつきが存在している。我が家のままごと農業で、夏大根のおろぬいたものを先日アップしたら、田舎の猫みけさんが「600円で売っている」とコメントをくださった。お金も全国民均等に欲しいけど、野菜くらいは、この品薄とだぶつきを解消できるといいなあ。ネット商売する気はないから、せいぜい、欲しい人と欲しい野菜がわかると、だぶついた時にお分けできますよって宣伝しておきます。ついでに、ぜい肉の欲しい方も喜んでさしあげますから。
2009年06月16日
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19日真夜中からチラチラと降り始めた雪が、今朝起きたらものすごい積雪になっていた。家周辺で30センチくらい。多分、今冬最高の積雪ではないだろうか。我が家の車はこんな具合に雪の中に鎮座し今年2回めか3回めかの除雪車の出動となった。(標高の高い所では、もっと出動しているそうだ)湿った雪で、片付けは大変だが、「あー、これで、土壌の保水も例年なみになったかな」と、ちょっぴり安心した。他所毎ながら、建設会社の冬の収入もこれで少しは上がるだろうし。思えば、まだ2月なのよね。すっかり春モードになっていたけれど、降っても全然おかしくないのよね。飯縄山のスノーシューシーズンも、ちょっぴり延びたしさ。大雪になって、これだけ喜ばれる雪は、そうそうないだろう…(笑)
2009年02月20日
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「日本で最も美しい村」連合から、準会員(サポーター)のバッジと、加盟村(加盟地域)の写真を入れたカレンダーが届いた。私も、今日からサポーターだ。NPO法人「日本で最も美しい村」連合とは私たちは、失ったら二度と取り戻せない、そんな日本の農山村の景観や文化を守る活動をはじめました。「日本で最も美しい村」連合と言います。小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が、自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのをお手伝いします。自然と人間の営みが長い年月をかけてつくりあげた小さな、本当に美しい日本は、いまならまだ各地に残されています。それらを慈しみ、楽しみ、しっかりと未来に残すために。自らの地域を愛する皆さんにご協力いただきながら活動しています。現在の加盟は、18村。私は、連合の存在を、ブログのお仲間のkarlneuillyさんを通して知った。カールさんは、フランス滞在中に、フランスの美しい村を全部訪ねて本にされた方。1000人を切るような小さな村でも、フランスではちゃんと存在していることにびっくりしたし、政府も「合併」なんてことを強要していないことが羨ましかった。その後、あちこちで「日本で最も美しい村」連合は取り上げられ、今年になって、地元紙でも2頁にわたって大きく報道された。この新聞記事で、個人会員も受け付けていることを知り、勉強させてもらうべく加入とあいなった。で、今年は、この村でも連合への加盟を模索することになったと、広報の新年号に書かれてあった。でも、加盟したいからとすんなり入れてもらえるわけではなく、審査があるんです。村の景観や文化、そこに住む人達の意識・意欲を視察して、それで判断されるのだそうです。この村の景観も文化も住民も、大丈夫だと思います。が、が、先日ある人の書いたこんな文章を読んで、悲しくもなり、疑問も湧き…。「小川村から見た北アルプス」とは、所詮借景である。アルプスは我がものではないから、見るだけでは腹は膨れない。村の観光産業としては成り立たない。借景だとしても、村がその風景をどう借りているかを問われることはあっても、だから価値がないとは断じて言えない。腹は膨れなくても、心は膨れる。豊かな生き方ができる。お寺だって「××山○○寺」というし、京都のお寺も借景がなかったら、魅力は半減するのでは?これだけ村の風景に、村の人々の生き方に浸透している北アの峰々は、既に借景とは言えないはず。鹿島槍ヶ岳に依存して生きている私めとしては、悔しかったのである。
2009年02月19日
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世間的には3連休、私は11日の午後から2連休半。11日:秋祭り(お祭り定番のそれなりの御馳走を)12日:昼祭りなれど、紅葉の中へ逃走(赤飯を作ってから、鹿島槍ヶ岳周辺~白馬岳周辺へ)13日:村民ピック(村民運動会を今年から新バージョンに午前中参加、午後は母を送りがてら志賀高原まで)と、フルに動き回った2連休半でした。トップに2枚だけ写真をアップしてあります。あとは、少しずつブログと共に書いていきます。とりあえずの日記でした。
2008年10月14日
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今日はお父が留守です。一泊の研修旅行に参加したのです。前の晩、そして朝、家を出るときに、文句を言ってしまいました。「旅の仕度くらい、ちゃんと自分でしなさいよー」バスを見送りながら反省しました。もっとやさしく出してやれば良かったなあと。でも、そんな気持ちも、旅先からの電話の声を聞いたときには、既に消えていました。ああー、私は悪妻!本人不在のときだけ、お父の幻影に優しくなるのです。
2008年09月05日
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おっ、登りたい!3日、村民登山。今夏、1~2の猛暑になるという予報を聞きながら、村を午前6時に出発。こんな日に登るのは嫌だなー。しかも標高が低いから山頂に立っても涼しくなりそうもないし…もやっているから、展望はいまいちだろう…なんて、山麓待機組の私はぼやきながら、くっついて行った。登山口の塩田平、中禅寺まで行って、独鈷山の一部を見上げた。うーん、いい山じゃないか。登りたいッ! 登れるかもしれないッ!でも、グッとこらえる。magoskyさんの「臆病になれ」の言葉を噛みしめながら。もう一人の待機組の彼女も「わーっ、また絶対来よう!」先発隊が出発して、私はマイクロバスの運転手さんの回送役を終え、予定通り、下から10分の不動滝まで歩くことにした。杉林の渓流に沿った道を歩く。かなりの傾斜だ。派手な花も、スカッとした風景もないけれど、今日の猛暑ではうれしい樹林。10分を歩き、後髪を引かれながら独鈷山前山寺まで車で移動。ここは、予約すれば、くるみおはぎが食べられるのだが、ラッキーなことに予約なしでも食べさせてくださるとのこと。鬼ぐるみと砂糖とおしょうゆでできたたれをつけておはぎを食べる。まろやかですっきりとした甘さでおいしかった。そこで3人+0.5人の待機組は1時間もあれやこれやとおしゃべり。塩田平の景色をお寺の土壁越しに見ながら、至福の時間をもてた。お昼、地元活性化組合女性部が運営する塩田館の皿そばを食べて、満足。わんこそばみたいで味もよく、何よりも地元活性化組合女性部という名称がいいではないか。0.5人が眠くなったので、登山組が下山時に寄るオープンしたばかりの温泉へ行く。ここは、まだ5月オープンのせいか、非常に対応が悪くて、印象も悪かった。でも、お風呂は良かったけどね。30分ほど遅く、しかも、下りの厳しさで参加した子どもたちは皆、シリセードで降りたそうで、下半身真っ黒。みんながお風呂に入るのを見届けて、私は、慰労会の準備をするべく、一足先に村に向かったのでした。おいしいものを食べて、話をいっぱいして、ゆったり優雅な1日も、気力・体力回復にいいね。
2008年08月03日
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長野市で、校正を兼ねて仕事の打ち合わせ。いつもジーンズにTシャツという姿で、会社では仕事をしている。近隣に出るときも、同じスタイル。でも、今日は、一応仕事のみのおつきあいの方々との打ち合わせということで、スーツを引っ張り出した。パンツスーツは最新流行のものではないけれど。バックは書類の入る大きめのもの。ほんとは靴もハイヒールなら、スマートに見えるんだろうけど、ちょっと歩く距離が長いからローヒールの夏のパンプスにした。それでも気分は、キャリアウーマン。打ち合わせ場所に行く間も、ときどきショーウインドウでチラチラと。いいなあ、こういう気分で仕事をするのも!
2008年06月24日
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旧大岡村から見た鹿島槍ヶ岳と五竜岳です。春霞の中の山です。でも、お父は見てすぐに「あっ、合ってない」と切り捨てました(笑)。O村から見る鹿島槍よりずいぶん右に傾いて見えます。さあ、グググーッと近づくと…もう、岩型の「鶴」も「獅子」もかなりはっきり出ています。探して見てくださいな。
2008年03月19日
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啓蟄なのに、今日はまだなーんにも虫たちに会えていないよ。そういえば、今冬は低温注意報なんてのが連続して出され、陽だまりといった感じの日がなく、成虫で越冬するチョウたちにも会わなかったな。元「虫愛ずる姫君」としては、いささか寂しい冬だった。バックの雪が保護色となって識別ができないでいた「白いひよちゃん」が無事で越冬したようです。ぼけたりんごを会社裏の木にさしておいたところ、食べに来てくれました。でも、用心深いこと、この上なしです。音無しの構えでベランダに出ても、頭をあちこちに回して異常を感じるのか、飛び立ってしまいます。ヤマガラ、カワラヒワが来ると、鋭く鳴いて追い払うのに、他のひよどりが来ると、自分で逃げていってしまいます。おいおいおい!りんごの皮には手を触れず、もとい、嘴で触れず、内側の柔らかい所だけ、きれいに突っついて食べました。だめよッ、皮も食べて繊維質を体内に入れなきゃー!苦労した撮影あっ、この写真は全然苦労してません。
2008年03月05日
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血小板64000で先週と同じく50ml。まあまあね。今、私の大根足は、出血大サービス。畑にナスやキュウリを獲りに行ったりすると蚊が服の上から、私の貴重な血を吸いにくる。「おいおい、もっとヘモグロビンの多い血を吸いに行ったらどうなのよ。手近で済ませないでズクを出しなさいっ!」と言うのに。痒さに負けてちょっとでも掻くとその周辺からちょっとした内出血。覚えのないすりきずが紫色になっている。勿論血が止まらないなんてことはないんだけどね。たまにはスカートなんぞを・・と思っても、あまり見栄えは良くない。まっいいか・
2007年08月10日
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血小板63000で、50ml注射。前回、インターフェロンを25mlに減らし、レベトールを一日1錠に減らしたせい。おかげで山にも行けたというわけ。女医さんが知ったら嘆くか怒るか・・。今回は「ちょっとがんばってね」と、50ml注射。あっ、ちょっと辛い一週間になりそうかな・・。今日も医者に行くまでは、息ができないくらい心配した。山に行った/仕事が超忙しかった/商工会女性部の行事があって、体を使い、神経も使った。不安におののいていたけど、数値を聞いた途端、息ができた。「もう少しよ。何とかがんばろうね」と女医さん。はいッ。あと11回。
2007年08月03日
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上中越沖地震で被害を被った方々、お見舞い申し上げます。大変だろうけど、気を強く持ってくださいね。ところで、私のO村では被害があまりなかったようです。実は、地震の起きたとき京都におりました。発生後30分で、まず実家(Y町)の母が電話をくれました。「O村は震度4だよ」震源地を聞いてびっくり。O村よりY町の方が震源地に近いではありませんか!「えー、そっちはどうなのよ」「ちょっと揺れたけど、大丈夫」あとで知ったのだけれど、Y町の周辺市町村では、のきなみ震度5だったのに、なぜかY町は3でした。いつも思うのです。Y町の実家のある場所は、川が氾濫してもその被害は及ばないし、山崩れ・崖崩れがあったとしても被害は及ばない。母を一人暮らしにさせている私としても、もうそれが救いなのです。もう一つは、母の気丈さでしょうね。************ブログの「メール」に地震のお見舞いを送ってくださった方がいらっしゃったようです。「返事がなくて心配したよ」と二重のご心配をおかけしました。もし、そういう方が他にもいらっしゃったら、お返事しなかった理由は下記のようなことなのです。本当に申し訳ありません。実は、以前にもお知らせしたのですが、またまたブログの「メール通信する」が使えなくなっています。新規登録をしようとすると、以下のメッセージが出てきます。申し訳ありません。お客様は Windows Live Hotmail に参加できません。原因として次のことが考えられます。1 お使いのアカウントが関連会社のアカウントであり、Windows Live Hotmail で サポートされていない機能を搭載している2 お住まいの国または地域で Windows Live Hotmail が実施されていない全然意味がわかりませーん(涙)ブログの基本設定で「メール通信」のアドレスを変更すればいいのだろうけど、その基本設定に入ろうとするとネット自体が切れてしまいます。ホットメールが使えないことと、基本設定にアクセスできないのは多分同じ理由?だからいつまで経っても私のバックは冬なのです(涙)掲示板か何かで、メールを送りたい旨を伝えていただければ、個人的なアドレスをブログの「メール」でお知らせします。そうなのです、送られたメールを読むことはできなくても、相手に送ることはできるのです。************京都の五条坂で知った地震。家に帰ってみたテレビの映像を見て、改めて地震の大きさを知りました。おまけに、「奈良で震度3の地震」というテロップに、「おっ、地震は私の動きと完全にずれている」と、にんまりしたものです。
2007年07月17日
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ある村議会(私の村ではありませんから、念のため)のお話です。議員数は6人。議長/副議長/常任委員会(2つ)委員長/議会運営委員会/監査委員。つまり議員全員が役付きなのです。一般議員より役付きの方が当然お給料は高くなります。議員数を減らしたから、結果的にこうなってしまうのもわかりますが、何か割り切れない気持ちも残るのです。これだけ少なければ、直接民主主義でもいいようにも…県や国と違って、専従議員では生きていけない町村議員はほんとに大変。住民との距離が近いから、いろいろ注文は出されるしねえ。強いていえば、とってもやりがいがあるってこと。でも大変だよ。ある村の6議員さん、おきばりやす!(がんばってというと皮肉にもとれるし、おきばりやすっていいねえ)
2007年07月12日
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『だから、僕は学校へ行く!』は、乙武洋匡さんの最近の著書。彼の映像をしばらくぶりに見て、ずいぶんたくましくなったなあと感じる。まだ本を全部は読んでなく、体罰のとらえ方を感心しながら読んでいるところ。義家弘介さんが自民党の全国区で出馬するという。義家さんは長野市出身だ。4年程前に講演を聞いたことがある。ずいぶん高い山や深い谷を越えてきたんだなあと響くものがあったが、それでもすんなり義家さんに「ぞっこん」とは思えなかった。何か違和感があったんだよね。うーん、政治家になるのか…これだっていろんな体験をして、「やはり政界に入らないと変えられない」と思ったのかもしれない。このお二人、どちらがどうという比べ方はできない。それぞれの個性と思いと生きて来た道が違い…だから、あとは私の好き嫌いの問題だね。(私は乙武さんの方が好きなんだけど…)***************身体障害者を特集して取り上げた某紙面がある。事故によって障害者になった人が、その障害を克服してパラリンピックを目指しているという話だ。この人だって、つぶれそうになりながらも現在があり、華やかなスポットを浴びることができる。こういう方をとりあげることにより、同じ境遇の人が奮い立ってくれるとうれしいね。それでも、まだ私は心から喜べない。スポットがあたるような生き方をしていなくても、いや、むしろ逆の人(健常者も障害者も含めて)の方が圧倒的に多い。そういう人をあたたかい光の輪の中に浮かび上がらせることってできないのだろうか…決して華やかなスポットライトでなくて…いやいや、スポットの当らない私の単なるひがみやもしれぬ……
2007年06月27日
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6月14日、また血小板49000也で、注射できず。16日まで待って、60000まで回復したので注射。全くもう。身に覚えがないから困る。さて京都行きはどうなるやら・・・
2007年06月17日
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1時前、テレビ画面に「松岡農相が自殺を図る」のテロップが流れた。刻々と入る情報を仕事をさぼりながら、ネットで見ている。今、「遺書があった」という項目が加わった。国会や委員会で、無表情な顔のまま「法に定められている報告はしている」とのみ答弁していた松岡さん。それをひたすら擁護していた阿倍さん。もちろん、今回の緑なんとかに検察の調査が入ったことが直接の原因かもしれないけれど、阿倍さんの擁護が、彼を追い詰めていった一つの原因にはなっていると思う。死者を鞭打ってはいけないかもしれないけれど、死ぬくらいなら、自分の口から事実を話して欲しかった。日本を愛して、美しい国を作りたかったのなら、闇の部分を残したままで、逝くことは許されなかったと思う。6回当選の松岡さん。1回めはもちろん青雲の志を持って議員になったろう。多分、当時の志はどこかで、少しずつずれていったのかもしれないな。冥福は祈るけれど、死によって全て解決したとは思わないから…。きちんとした解決がなされて、元の「青雲の志」を持って旅立ってほしいです。
2007年05月28日
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と言っても今日の話ではない。草津白根の火口を一周した記憶は確かにあった。なのに、昨年行った時には通行不可で、私の記憶は何かの勘違いかなと・・・。今日東京から従姉妹が来て、志賀高原の話になり、「前に白根に連れて行ってもらったよ。たかねちゃんとtちゃん/私の弟/は火口を一周しに行って、私とおばちゃん/私の母/は下で待ってたの。大人になったら行けるかなあって」・・・ そうか、やっぱり一周してたんだ!しかも弟と一緒だったのか・・思い出がまた一つ。
2007年05月04日
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アルプスばっちり、降りた霜が蒸気になって揺れる頃、注射に向かう。血小板60000で危うくセーフ。中6日で、あの仕事量で立派なものよ。今度は白血球低下につき、風邪にきをつけなさいとのこと。 今日は、連休にひっかかる人が5人集められたみたい。私の前の人は6回めとのこと。体験を話してあげる。私もそういう立場になったんだ。啄木鳥さんやぼういでんさんから教えてもらった事をひきついでー。 感無量。 今日は携帯から。
2007年04月29日
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なんだか知らないけれど、ああでもないこうでもないと、いじくっていたら、なおりました。ブログのメール、使えます。なんでえ??????基本設定以下はまだだめでーす。壁紙、冬模様なんですけどね…笑なんでえ?????
2007年04月14日
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最近、メッセージが使えなくなりました。もし、入れてくださった方がいらっしゃったら、ごめんなさい。ちょっと前までは、ブログ保存のメールから入れたのですが、ここ2週間くらい、そのメールアドレス自体が「ありません」となってしまいます。ブログ管理が新しくなったせいなのか、日記は書けるのですが、基本設定に入ろうとヒットすると、インターネット自体が切れてしまうのです。基本ソフトがマックのせいかなあ…とも思うのですが。問い合わせてみるつもりですが、いつのことになるやら。
2007年04月12日
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朝の鹿島槍ヶ岳がきれいでした。空気が透明になってきています。今日の夕陽もきれいでした。(写真は昨夕) 2006.9.19 2006.9.19意地を張ると、ろくなことがないと思った日でもありました。でも新潟の友達が送ってくれた食用菊に、救われました。これから花びらをゆがきます。********************************昨夜、ある会合がありました。女性は私1人。前回は、お父の「女は懇親会まで出ないぞ」というご意見を信じて会議のみ。でも、それじゃあ人を知るチャンスもないし、お酒は御法度にしても、お料理を食べるチャンスまで逃す手はないと、今回は懇親会まで出席。その折に、「ある女性のご主人」によくよく聞いてみた。「ある女性」とは、私が部長を引き受けるに当たって提示した2条件の一つ、ぜひ副部長になってほしいとお願いした人。ご主人は、断固断ったのだ。本人ではなくご主人が。「なんで反対したんですか」という私の質問に「あれは、役を引き受けたとしたら、自分が潰れてしまう。単純でまっすぐに相手に対してしまうから、摩擦は必ず生じるし、それを総べて自分の中に溜め込むから、無理だよ」「えっ、私だって、胸襟を開いて対峙しようとしてるけど、でもやっぱりどこまで開いていいのか迷いながらやってますよ」「あんたは『心が強い』から、大丈夫だよ。うちんのは『心が弱いから』」「結局、私は『気が強い』ってことですよね」最初は、やさしいだんな様だと思った。いいなあ、うちのお父も少し見習ってほしいとも…でもさ、そういう支えが、彼女をいつまでも『心が弱いから』状態にしてるとも言えるんじゃないかなあ。私の提示した2条件はどちらもだめで…だから、私は断ることができたはずなのに。しかも引き受けてから、肝炎治療が決まった。馬鹿か、目立ちたがりやなのか…いやいや、きっと『心がとっても強い』からなのだろうな(涙)ゆがこっと。
2006年09月20日
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常念岳の一の沢線が、多分、今夕は開通しそうです。車は入れませが。須砂渡線(常念と蝶)はまだしばらく不通だそうです。五竜岳西遠見山直下で滑落死。村民登山は西遠見までは行きません。その手前の大遠見までです。白馬岳大雪渓上部も崩落との情報がありましたが、その後、登山禁止にはなっていないので、大丈夫かな。今日と明日はこちらは雨降り。アルプス方面は雨量が多いようです。30日の日曜日は曇りと晴れマーク。31日からは晴れマークが続きます。 以上、タカネビランジ臨時測候所からの山情報でした。******************これから10回めの注射に出かけます。0.1とか0.2とか、小数点以下ならマイナスということです。マイナス、マイナス、マイナス…さあ、皆さん、いっしょに合唱してくださーい。♪マイナスマイナスマイナスマイナスよ~
2006年07月28日
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88888は自分で踏んでしまいました。88887と88889はオリーブさんです。ということで、自分で踏んだ罪滅ぼしにオリーブさんに切り番プレゼントをさせていただきますね。楽しみにお待ちくださいな。末広がりの自爆…オリーブさんと私にもいいこと、ありそうだなあ。
2006年07月04日
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★中田が現役引退だって。 ブラジル戦で、ピッチに横になったまま、泣いていた中田は、彼のブログで「芝生の感触を楽しみながら、自分がサッカーが真から好きだったってことを、改めて身体全体で味わっていた」旨のことを書いていた。 引退は半年前から「このワールドカップが終わったら」と考えていたそうだ。 中田の涙も、イングランドのベッカムの涙も、きれいだったなあ。★橋本龍太郎さん死去。享年68歳。 政治家って、亡くなるとみんなべた褒めするなーって改めてニュースを見ていて思った。 初当院の際の橋本さんは、初々しく、きれいな人だった。 母親が付き添って当院したという話は笑ってしまうけれど。 小泉さんも彼と争った頃は当然若く… 政界にいる人も、いない人も、若い頃って心身ともに、ぜい肉がついておらず、外見だけならとっても好感が持てる。もちろん、自分もそうなんだけど。 ぜい肉はもしかして必要悪? いやいや、年齢と共にプラスされる何かなのだろう、きっと。 橋本さんのニュースを見ていて、「心のぜい肉」を真剣に考えていた私。★北朝鮮の再会のニュース 「めぐみは自殺。遺骨は本物。自分は拉致でもなく、意志でもなく、南北の対立の中で偶然に起ったこと」 「お母さんのことは、覚えていない」 意志を束縛されて生きるって、辛いだろうな。 本音が出せないって、ある意味、生きるより辛いだろうね。 それでも、人は生きていかないといけないんだ… 日本人の拉致被害者の家族の皆さん、「みんな帰ってくるまで」ね。★明日出す校正をやり終えたのが、0時。 なんで、今週はこんなに忙しいんだろう。 約束の入稿の日には、6割から8割くらいしか入らず、結局、2校が大変になってくる。 忙しいのはありがたいんだけど、中味の豊かさのある忙しさが、いいなあ。 最近は仕事に向かうと頭痛がし、「嫌職病」の気があるのかも…とかなんとか言ってないで、眠ります。おやすみなんしょ。
2006年07月04日
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間もなく88888アクセスを迎えます。末広がりに、良いことがたくさんあるように、プレゼントを用意(まだ決めてないんだけど)!アクセス数が本人以外には見られないのが、ちょっとネックですね。対象は今までと同じで、1度でもコメントを頂いたことのある方です。では、お待ちしてますねー。
2006年06月27日
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C型肝炎訴訟で、大阪地裁は、国と製薬会社の責任を認めて、賠償を命じる判決をくだした。1981年から1988年に出産した際の大量出血に際して、「フィブリノゲン」を投与された女性たちだ。全国に150万人いると推測される感染者にとって、一筋の光が見えた思いがする。ただ、感染ルートを解明するには一体どうしたらいいんだろう。81年から88年なら、私と全く出産年代が重なっている。先日病院で、輸血した血液量を聞かれて答えられず、家に帰ってすぐに母子手帳を見た。もしかして出血や輸血の際の記録に、「止血剤」とか「フィブリノゲン」とかという文字がないかと。あれば、県の補助も打ち切られないし、上記の訴訟のように、国を訴えることもできるのだから。しかし、残念ながら、そういう文字は書かれていなかった。「双手圧迫法」ということばはあったが、これは両手で出血箇所を強く抑え込んで止血を試したということだろう。救急車で行くとき、抑えられた所がものすごーく痛かったもんなあ。カルテは5年間の保存は義務づけられているだけだから、私のはもう残っていないだろう。新鮮血から感染したのか、止血剤を使ったがための感染か…少し前に、その年代に止血剤を使っていた病院の名前が発表されたことがあった。該当者は早く検査をしなさいということで公開されたと記憶する。私はすでに感染していたからそれ以上詳しく知ろうとしなかったのだ。保健所に電話を入れてみようかなあ。
2006年06月21日
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サッカーのドイツワールドカップへ行く23人が発表された。GK以外は全て20代。GKの3人だって土肥の32才が最高だもの。若いよねー、みんな。20代で技術を磨き、周囲との和を学び、世界にはばたくってすごいよ。いろいろ問題はあるけれど、私の好きなアントラーズ勢からも選ばれているし。柳沢のいう「華麗なプレー」だけでなく、くらいついても点をとって、予選リーグを通過してほしいな。
2006年05月15日
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昨日は初七日でした。ちょっと振り返りながら、ぐちぐちぐちのオンパレードです。takanebiranjiがtakaneguchiguchiになっております。本物のtakanebiranjiには申し訳ないな…通夜…通夜のあと、飲み食いは続き23時くらいまで。当然、お手伝いのご近所や近い親戚の女性も帰れません。皆さんが帰ったあと、お斉の席順と席札を、私が作りました。夫もいっしょに。夜中の2時近くまでかかりましたよ。いくら家業が印刷業とはいえ、喪主と喪主の妻が作るなんて、私には信じられない。告別式(お斉 精進落とし 御苦労呼び)菩提寺でにぎやかにやってほしいという義父の願い通りの告別式でした。そのあと、お斉。一昔前はお斉の膳も全て隣近所で作り、それはそれは大変でしたが、最近は農協とか、互助会とかに依頼することが多く、大分楽になりました。お斉のあと、そのままお寺で「御苦労呼び」をすると一旦は決まったのですが、クレームがつき、自宅に場所を替えてやりました。このクレームもおかしなことです。その家の方針に沿って協力してもらうのが一番いいと思うのですが…この「御苦労呼び」というのは、お手伝いしてもらった近所や親戚の人を「ご苦労様」とねぎらうために、家人がお接待します。といっても、親戚やご近所の女性がテーブル上まで全て並べてくれ、後片付けもある程度手伝ってくれます。こんなことしなくても、早く帰って休んでもらった方がいいのになーと、私は思うのだけれどね。そして、これがまた延々と続き最後の人が帰ったのは午前さまですよ。「にぎやかに」と言い残した義父ですが、彼の「にぎやか」ってこういうことではなかったはずです。義父は、お葬式の宴席ではおちょこに3杯飲んだなら、あとは一切飲まなかったそうです。それは自分の子どもが3歳で亡くなったとき、そのお葬式で悲しみに耐えている自分達の周囲で酔っぱらう人達を見て、そう感じたと聞いてます。初七日三七日(当日お手伝いをしていただいたご近所の女性を招き、昼食会)七七日(49日)親戚といっしょに納骨をし、その後、席を設ける新盆初彼岸年の暮れ今年暮れまでの、義父関係の儀式がこれだけあります。初七日は告別式の最後に繰り上げてお経をあげて頂くので、特別なことはしないのですが、葬儀の翌日から式に参列されなかった方が次々と弔問され、結構忙しい。会社の仕事もしないと間に合わないので、昨日から始めています。冠婚葬祭がほんとに大変なこの地区。特にお葬式が大変。三七日なんて全く知らず、最近は49日といっしょにするお宅も増えているそうだし、お茶飲みだけで終わる地区も多いそうですが、なるべく簡略にという私の願いは通じませんでした。で、ここ数日カリカリしております。確かに葬儀場で営むお葬式は、ベルトコンベアーに乗ったようで味気ないかもしれないけれど、長男の嫁にとっては、その方がうれしいですね。でも、こういう丁寧すぎるやり方は、ほんとに徐々に減らして行かないと、この村に来るお嫁さんはいなくなります。癒しの村ってこういう点からもどんどん変えて行ってほしい。私がこの村に嫁いでからずーっと、ずーっと、思っていることは、そのことなんですけど。浄土に到着するという49日の間、家族が疲れ果ててもやらなければいけない法要なんて、私はないと思うのだけれど、長年連れ添った妻としてはそうもいかないのかなあ。私は改めて、「お母のお葬式はしてはいけない」って息子に遺言しようと決心しています。
2006年04月27日
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義父ちゃんの御見舞にきて泊まった義弟夫婦を送り出し、お祭り前の道こせ(地区で行う共同作業?)(実は一昨日けんかをした、どっちがこの作業に出るかで。「じゃあ、来週1週間、ごみ関係全てお父出してよね」で私の勝ち!)から戻って病院に行くお父に義母ちゃんのお弁当を預け、私は久方ぶりに定例見学会に行った。少しは杏の花も見られるかなーと、ちょっと下降気味の気持を引立てたいなんて目論みもあって。杏はいくらか開いていたけれど、さむーい、寒い!そのせいか、開始時刻になってもあんまり参加者は増えず。例年ならば、満開の桜や杏の見学会になるんだけど。それでもガイド6人がそれぞれに案内して合計50人程か。定例見学会ではうまくすると、見学者1人にガイド1人がつくなんてこともあり、結構いいチャンスですよ。私も最初は女子大の同級会だというほぼ同じくらいの女性ばかり6人。電車の時間がないから行って帰って40分でお願いといわれ、忙しい案内になってしまった。そのあと、若者(といっても20代後半か30代)1人を案内。よーく聞いてくれた。かなり知られるようになってきたとはいえ、今日案内した2組はいずれも「こんな壕があるなんて知らなかった」という。帰ったら、周囲の人に教えてあげてくださいねー。「もちろんですよ。また来ます」って、私の名刺をもらってくれた。ガイドみんなが終わって出てくるのを外で待っていたけれど、なんせ寒い。壕の中まで入って「あーっ、冬はやっぱり壕内があったかくていいね」なんて。そのあと、女性陣は地下壕関係の冊子や会報などをおいてもらっているギャラリー兼喫茶「象庵」であったかーいおしるこを頂いて、やっと生きた心地になったのだ。先輩のガイドさん曰く「定例見学会のあとは、なんてったって、自分の気持が充足してるのがわかるのよね」そうなのだ、私も。下手なガイドでもそうなのだ。だから今日も定例見学会に出たのかもしれないもん。*************で、充足した私は、あまり落ち込まずに病院に行き、義父ちゃんの様子を見ることができたのだ。数えた…義父ちゃんの身体には8本の管が入っている。ただし、管を連結することができるので、直接身体に入っているのは4本。そんな義父ちゃんを見るのが辛い。「辛い」と言える私はまだ楽なのかもしれないんだけどさ。病院から山越えして帰ってくる途中、峠から遅い夕焼けの中にアルプスが見えた。蓮華~針ノ木~爺、この右に鹿島、五竜、唐松、白馬三山、小蓮華、白馬乗鞍と続き、遭難が多発している山々だ。さむ~い1日が終わった。桜はほんとに咲くんだろうか…
2006年04月10日
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日本の寿命が世界一を維持したって。男女平均で82歳。女性は86歳、男性は79歳。逆に一番短いのはジンバブエの36歳。アフリカ諸国はいずれも50歳未満。アフリカでは「延命」なんてことないんだろうなあ。乳幼児の死亡率の高さが平均寿命を短くしている理由の一つだという。0歳で死んでしまう赤ちゃん。かたや86歳が平均寿命の日本女性。決して長寿が悪いというわけではないけれど…****************輸血量が増えたという義父ちゃん。これから病院に行きます。
2006年04月07日
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もうじきだね、77777ラッキーナンバーを踏んでくださった方に、プレゼント!何がいいかは思案中。ゲストはだめね。あくまでもお友達。ゲストが踏んだら、自分にプレゼントしちゃうから皆さん、ご協力を!
2006年03月29日
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野鳥大好きさん撮影のキレンジャク私が惚れぬいているレンジャクのうち、これはキレンジャクです。最近、札幌にお住まいの野鳥大好きさんのお宅には、レンジャクが集団で訪問しているそうです。実物を一度も見たことがないのに惚れぬいているのは、一重に野鳥大好きさんに責任あり。上のような写真を見たら、誰でも逢いたいと思いますよね。で、今朝も「レンジャク」の文字が「おすすめ新着」に出ていたので、慌てて訪問し、幸い一番訪問で画像を頂きました。それが、これ。 水鏡(2006.3.28)だそうです。静謐が伝わってきます。レンジャクを忘れ、しばし水鏡の中を覗きました。(実際は、レンジャクッ!とか、カメラッ!とか、かなり喚いてコメントを書きました。すみません)白雪姫のまま母が持っていた鏡のように、自分の中が見えるような気がして…ちょっと怖くなりました。で、普通の鏡で自分の笑顔を見てから、もう一度水鏡を見ました。今度はその表情のままで見ることができました。水面に落ちたものは何だろうなあ。***************************姉歯元建築士の奥さんが自殺したというニュースを知りました。富山県の病院で人工呼吸器を外したというニュースもありました。命を自ら絶つ人延命という名のもとに機器や管をつけられている人延命という名のもとにつけられた器械をはずされた人なんでなのーッ全てに怒りを感じます義父ちゃんの輸血です。
2006年03月28日
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《味噌つくり第1日め》本来ならば、これがトップテーマになるはずだったけど。昨日朝6時、米糀を作るためにお米を13キロ、洗って浸しておきました。今朝またまた6時、浸しておいたお米の水きり。9時から蒸し始め、11時に糀を作る機械にセットし、これで本当なら24時間ひたすら質のいい糀になるのを待つだけなのですが…………………夕方師匠から「大変なことになっているの!」と再三再四、携帯にメッセージが入っていました。ちょうどその時、病院のじじちゃんの所へ行っていて、気づかず。連絡のとれない私を待っていては糀はできないと、師匠はしかたなく、ご主人といっしょに糀機を交換し、臨時作業をしていてくれました。感謝。私が電話に気づいたのは、病院を出て、スポーツ屋さんでスノーシューをお父と品定めをしながら買い求め、レジを出たとき。あわてて家に戻り師匠のところへ行き、味噌工場に行きました。糀機を36度に設定しておいたのに、電気の接触が悪かったようで、温度が上がらなかったのだそうです。で、別の糀機を温めてお米を移動したのだとのこと。本当なら36度まで温度があがっているはずなのに、まだ32度弱。まあ、30度以上あれば、質は多少落ちても、糀はできるだろうと、師匠のご主人も慰めてくれます。明朝、どうか、糀ができていますように。《スノーシュー買ったよ!》いやあ、本来なら、これこそがトップニュースのはずです。病院からスポーツ屋さんに回りました。もうこの時期にスノーシューなんて品切れになっているのではないか。品数も極端に減っているのではないか。ここ数日ネットで調べてそう感じていました。いいなーと思うのはもう「在庫なし」と書いてあります。まあ、でも欲しいと思うときに買っておかないと、いつまでたってもいっしょに歩くことができないじゃないか…。私たちと同じような年輩のご夫婦もスノーシュー売場でああでもない、こうでもないと。2夫婦で店員さんにいろいろ教えてもらいました。別のご夫婦も行き先を決めてから買いにきたわけでなく、私たちと同じで、とりあえず買ってから行き先を決めようということだそうだ。で、結局…買いましたあーうれし~いッ!冬山用ではなく、冬のハイキング用です。小鳥の声を聞いたり、動物の足跡を見たり、冬芽を見たり…まあ、あわよくば、黒沢尾根くらいは…でもね、店員さん、一言言いましたね。「雪崩れが出ていますから、気を付けてくださいね」自分のスノーシューを買ったら、まず鹿島槍ヶ岳の西股出合まで行こう、1人でも。と思っていたけど、「あのルート、結構出そうだから、やめろ」とお父に言われました。雪崩れそうですね、はいッ止めます。近いうちのいつか、東尾根の一の沢の頭まで行くかとお父は言いますが、あのスノーシューでは、一の沢の頭は無理じゃないかなあ。東尾根の一の沢の頭は、2人で登った、まあ思い出の地でもあります。鹿島槍ヶ岳の懐ですから、もうほんとに鹿島槍が生きて鼓動しているように見えるんです。でも、また行きたいね。とりあえず、自分のスノーシューデビューは、やっぱり飯縄山になってしまうのかなあ…まあ、いいわ。でね、例の謝礼…スノーシューにも兼用できそうということで、ゴア・テックスのレインウェア(早い話が、雨合羽)を買いました。今まで使っていた雨具も年数が経っているし、そろそろ欲しいなと思っていたんだけど、高くて手が出なかったのです。色は「ローズピンク」。お父がいつも言うんですよ、山道具を買うときは。「目立つ色がいい!」迷子、遭難なんかのときは、確かに目立つ色がいい。それに、山では結構派手な色もおかしくないんですよね。にこにこしながら、ローズピンクのウェア(多分上衣だけね)を着てスノーシューをしている熟年女性がいたら…それは私です。《お父寝込む》いつお父をスノーシューに引っ張り出そうかなと、味噌糀事件にもかかわらず、頭の中はそのことの占める割合が高い。その気配を察したのか、家に帰った途端、「胃がおかしい」と夕飯も食べずにふとんにもぐり込みました。先日の青ガラスといい、お父の遺伝子には胃の弱さがインプットされているみたい。お父は盛んに「風邪だ」と主張するけれど、その風邪は私に言わせれば「お酒を飲んでうたた寝をしたのが原因」。とはいえ、本格的な風邪になっても困るので、先日の停電で覚えたペットボトルの湯たんぽを入れてあげる。お父が寝込むと、うるさくてね~。あれやって、これやって、あれほしい、これほしい云々。あー、ほら、またお呼びだよーっ。でも、なんてったって、今日のトップ話題はそりゃスノーシューだねー。おおっと、もひとつ大切なことコスタリカオリンピックの入場式。コスタリカ入場。どんな紹介があるかなと興味津々で…「コスタリカです。1949年以来軍隊を捨て、そのお金を教育や自然環境の整備に使っています。なんと国家予算の4分の1が教育費です」いい紹介してくれたなあ、NHKさんは。じゃあ、日本はどんな紹介かな…「日本です。世界が羨み、理想とされる日本国憲法を捨て、アメリカの属国として軍事力強化に努めようとしている国です」なんて言うだろうかと、これも興味津々…で。言う訳はないよね。言わせてはいけないよね。それでもやっぱり本日はスノーシュー、うれしいな
2006年02月11日
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国会の予算委員会か何かで、質問を受けている最中に渡されたメモに見入る小泉さん。質問者の質問ももう耳には入らず、「総理、聞いてください!」という質問者の批判の声。そのメモには「紀子様ご懐妊」と書かれてあったのだそうだ。そんな映像が、昼のニュースで何度となく流された。全く予想されなかった新しい駒が飛び出してきて、皇室典範変更はどのように進んでいくのだろうか…。一つの血筋でつないできた天皇制を…女性天皇はいいが、女系天皇は…日本ておかしな国だよね。つながっているはずのない血を万世一系だのと…そしてやっぱり最後は男尊女卑が出てくる。元来、女性は太陽であった…?昨夜、懐妊のニュースを聞いて、すぐに頭に浮かんできたのは雅子さんのこと。辛いだろうな…大小の違いはあるけれど、同じ長男の嫁(?)としては、雅子さんの立場に全面同情の私。A宮のご学友なる人物が「A宮両殿下は皇室の存続にとても心を砕いていらっしゃる」と発言。まるで、皇室を救うために今回の懐妊に至ったみたいな言い方だった。H宮たちは心を砕いていないとでも?いやいや、これは伝聞だからこれを批判をしてはいけないね。雅子さんに笑顔が戻らなかったなら、もう皇室に嫁ぐ女性はいなくなるだろうな、きっと。もちろん、命が誕生することはこのうえなくすばらしいこと。そのことに私も何の異議もない。命が一つ誕生するという視点からのみ、静かに見守っていこう。今日の日記、一昔前なら「不敬罪」で逮捕かな。
2006年02月08日
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雨が雪に替わって、おもーい雪が降っている。明朝の雪かたづけは一苦労だろうなー。「初心忘るべからず」とは良く言ったものだ。ヒトって、年月を重ねると、なんで初心を忘れてしまうんだろう。ぜい肉のいっぱいついた私だってそう感じるんだから、もっと頭のいいヒトたちは、疑問に思わないのだろうか。個人もそうだし、特に集団となると、ほんとに年月を重ねると迷走を始めるような気がするよ。もうほんとに重いなあ。意味不明の日記を書いて、今夜はオ・ワ・リッ********************あまりにも重くて…えっ、私の体重が?然り…あまりにも内容が空っぽで…えっ、私の頭の中が?然り…肝腎なことを書くのを忘れました。もうすぐアクセス70000です。70000を踏んでくださった方(今までにコメント交換のあった方)には、中味があって楽しいものをお送りします。ほんとは、まだ何にしようか思案中なんだけど。トップにあるような「好きなだけの雪をさしあげます」なんてことはありませんから、ご安心を。ああ、こんなことを書いていたら、何か気持ちが軽くなってきたわ。良かったあ。
2006年02月01日
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