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6月7日 於 長野市アクアウィング今年で3回目の参加。「参加することに意義があり」の仲間です。ホームグランドの村のプールでは、ここ数回、21秒台がコンスタントに出ていて、最終練習では20秒台が出たので、もしかしたら、県大会でも21秒台が出るといいなと、密かに期していたのですが・・・。そんなに甘くないっ!3回で一番悪い22秒83でした(涙)。それでもJ4クラスでは3位。毎年3位です(またまた涙)。マスターズでは、年齢が5歳ずつに区切られています。Jは65〜69歳。J4の4は、長野県マスターズフェスティバル参加5回以下。えっ? 何の種目の何メートルかって?25m自由形。20代の速い人なら、50mを泳ぐタイムですよ、これ。毎年年齢を加えるから、タイムも右肩下がりでいいのかも・・・今日はもう一つ4×25mフリーにも出て、朝7時から夕方4時までの日程を終えました。そして帰途、あくまでも「参加することに意義があり」がモットーの仲間と祝杯をあげました。あー、疲れた!マスターズ posted by (C)takanebiranji
2015年06月09日
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6日、長野市のもんぜんぷら座入口前の歩道で、自転車と衝突した。5日から開いている「平和祈念展」のポスターが入口の柱に張られているというので、私はその写真を撮っていたのだ。その時、昭和通り交差点の歩道の信号が青になったらしい。が、縦位置で撮ったり、「もんぜんぷら座」の文字を入れようとしたり…一生懸命だった。右後ろ横から急に衝撃が加わり、何だかわからないけれど、左前にとばされた。何とか倒れないで我慢できるかなと思ったけれど、支え切れずに両足膝を激しくコンクリートにぶつけてから、左側に崩れ落ちた。その時は、右手のカメラが心配で、お父の顔が浮かび…運悪くお尻のついたあたりに水たまりがあって、お尻と左足はその中に。立ち上がろうとしたけれど、身体が動かない。何があったのかよくわからず、おたおたしている私に、「大丈夫ですか」と声をかけた人がいた。何度も声がけされて、彼の顔と、道端に置いてある組立式の赤い自転車が見えた。まあ、それからはちゃんと立ち、カメラの無事を確かめ、身体も大したことがないと、思った。でも、両膝と左肘・左手首が痛み、濡れたお尻・左足が冷たい。「ほんとに、大丈夫ですか」「大丈夫です」と応えながら、相手の名前を聞いておくべきかなと思った。若い彼は、知ってか知らずか自分からは名乗らず、私も、大したことないからまあいいか…。祈念展会場にもどり、そっと膝を見てみると、わわわーっ。深くはないけれど、擦り傷は直径8センチちかくあり、ズキズキ、ヒリヒリする。肘と手首もやっぱりすり傷と打ち身。意気消沈して早めに帰った。2日目に傷口をタオルで巻いてお風呂に入り、4日目あたりにかさぶたができ始め、5日目は水泳を休み、6日目の今日は動かすとかさぶたが引きつるせいか、結構痛い。医者には行かなかったからいいようなものの、自転車事故は怖い。不意を突かれるから意外にもろく、あれで頭を打ったりすれば、大事に至る。先輩の方もそれで命を落としていらっしゃるし…。山中でない場所で、写真を撮るときは、私も十分周囲に注意を払わなければいけないなと、再認識した事故でした。
2014年12月11日
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久しぶりに書き込みをしようとしたら、写真アップができなくなっています。楽天写真館にアップは二回ほどしているので、操作上の問題ではないと思うのですが・・・可愛い孫の写真や信州の風物の写真をアップできないのであれば、私らしさの一つの柱を失うことになり・・・書き始めてからもう10年です。少し前から楽天ブログに意欲が減少しつつあり、この際長期休みをしみようかと考えています。別の方法でアップできるようになったら、または書きたくてたまらなくなったら再開します。しばらくさようならです。ありがとうございました。
2012年04月07日
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書く事、たくさんあれど、書く気になれず…といったところです。年賀状も山を越し、新年向けの仕事の入稿を来週に控えて、ちょっとだら~り気分なのですが。(時間があるなら、片づけ、掃除でも…これも思うだけ…)(心身共に、たるんでおりまする)今夜はたった3つの忘年会のうちの2つ目。では、楽しんできまあす。
2010年12月17日
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外は強風で、肥料袋が舞い、トタン板が音を立てて走り回っている。そんな嵐の日に休憩を終える。さむいッ、とにかく寒くて、背中にはホッカイロ。気持ちが滅入っていて、なんとか変わりたいと休んではみたものの、20日間やそこらで人は変わるわけもなく…結局、皆さんとまたああでもない、こうでもないと会話したくて元と全く変わらない自分で戻ってきました。(苦笑)湯川秀樹さんのことば「1日生きることは 1歩進むことでありたい」後退する日、進めない日もあっていいだろうなと思いながら、でも素敵な言葉を知ったから…京都・糺の森をよく散歩されていたという湯川さんの姿を思いながら、2月、私も同じ道を歩いた。生誕100年…湯川さんの思いとは逆に、核兵器は減っていないけど、「人類と核兵器は共存できない」という彼の言葉に深くうなずいて…
2007年03月13日
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私の村では、今年からこの検診が始まった。希望者の個人負担は2500円。財団法人長野県健康づくり事業団のマンモグラフィ検診車が、女性スタッフ2人を乗せて保健センターにやってきた。マンモグラフィ…一体なんのこっちゃって思うが、日本語にすると「乳房のX線撮影」のこと。カタカナにすると、ものすごい最新機器ができたのかと思ったけど、日本語で聞くと、「ふーん」くらいにしか思わない。いや、乳房に応用するようになったのは、比較的新しいのかもしれないな。みんなが初めてなので、X線撮影といっても、いったいどんなふうにやるのかやっぱり不安。済んだ人が待っている人に早速情報を伝えにくる。それによると「板みたいのにはさんで圧迫するので結構痛いよ」…ん、圧迫?それよりはさめるだろうか…?(笑)「4回撮るよ」4回? 横になったり逆さになったりするんだろうか?「そんなに時間はかからない。せいぜい5~6分かな」…良かった!女性スタッフが丁寧に手取り足取り、もとい、手取り乳房取りして左右を正面と側面から合計4回撮影した。乳房は柔らかい組織だが均一の厚みではないので、撮影台に乗せて圧迫板でぎゅーっと圧迫し、均一にして撮影する。情報どおり、結構痛い。顔をしかめて我慢、我慢。撮影終了ー!若い女性は乳腺が多いため、このマンモグラフィーは不適でエコーの方が良く、40代以上は脂肪が多くなるのでこのマンモグラフィーの方がいいのだそうだ。乳がんは40代からぐんぐん増えるという。私も不確かな自己触診はたまにしているが、年に1回はマンモグラフィーをした方がいいそうだ。2500円で乳房の健康が証明されれば、それに越した安心はないもんね。
2005年05月11日
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最後に担任したクラスのKに会いに行ったのは、先日の日曜日、6日のこと。爺様の訪問介護をしてくれる看護婦さんお二人から、彼の様子を聞いていた。初めて知ったのは冬の始まり頃、「雪が溶けたら、会いに行きます」ずっと、そう思い、そう話していた。Kの病(病名は忘れた)は、身体が徐々に動かなくなって、近い将来呼吸もできなくなるだろうとのこと。今はベッドに寝たきりで、ご両親が介護をされている。あの頃、まだ保育園児だった弟さんと、嫁がれた2人のお姉さんの力を借りながら、「オレたちが元気なうちは、Kの面倒はオレたちがみる」と言われて。「K君はね、病気にめげないで、ほんとに明るいんですよ」と看護婦さんは話してくれたけど、私は、彼に会って何と言おう、どんなふうに接すればいいのか…、ずっと迷っていた。気持ちが固まらないうちに雪が溶けてしまった…。Tさんの青春足跡探しにおつきあいしたその後、電話をしてからK君のお宅を訪ねた。「20年前と同じでいいんだ。あの頃のK君とおっかなーいN先生で出会えばいいんだ」Kは、茶の間の横の部屋でマラソンのテレビを見ながら横たわっていた。口にガーゼをくわえて、メガネをかけて、坊主頭で…一瞬「口に震えがきて、舌を噛むようになったのだろか」と思ったが、よだれとタンが流れ落ちるのを防いでいると言われて、ホッとした。「おー、K! わかるかぁ、先生だぞ。太ったからわからないかなあ。ほんとに久しぶりだなあ」教え子の前では、私もすんなりと先生に戻れる……K君は満面に笑みをたたえて「わ・か・る・さー」と絞り出すような声を出した。聞き取れる、ちゃんと聞き取れるぞー。それから、ずっと、震えの出ているK君の右手を握りながら、話をした。「せ・ん・せ・い・の・て・あ・っ・た・か・い」「お・れ・の・て・と・あ・し・つ・め・た・い・っ・て・み・ん・な・い・う」「先生ももう●才だよ。あの頃みたいに、水内の坂、マラソンなんかできないなあ(毎日毎日、学校周辺に設置されたマラソンコースを走ったものだ)」「お・れ・だ・っ・て・も・う・さ・ん・じ・ゅ・う・よ・ん・だ」「34才にもなるんかあ。先生が年とるのも当り前だわなー」「こ・こ・に・き・て・も・う・よ・ね・ん・た・つ」このベッドの上に4年か…「この前ねえ、Aの結婚式で、SHやSAと会ったよ」「○・○・き・ら・い、□・□・す・き」これは意外な反応だった。学校時代に何かあったのだろうか…「△・△・い・ち・ば・ん・す・き」「そうなんだ…。△△には会わないけど、その兄ちゃんには、時々会うぞ」握りしめていたKの手に温かみが出てきた。色の白い、指のすらっと長い、きれいな手をしている。坊主頭の中央には、切開手術の痕跡が残っていた。「お父さんとお母さんがお茶の用意をしてくれたから、ちょっと行って飲んでくるね」「う・ん・の・ん・で・こ・い・や」ご両親に、発病からの様子を伺う。8年程前、歩けなくなったのが最初だという。その後、原因がわからないままに、良い医師がいると聞けば、それこそ日本中を回ったそうだ。医師だけでなく、神がかりの治療にも。御両親は70才代と60才代。あの頃も屈託のない楽しい方たちだった。だから、Kという病人を抱えていても、悲愴感が感じられない。もちろん一家をあげて介護しているんだから、大変だろう。表面に出ないだけのことかもしれない。お父さんは退職され、お母さんも定職は持っていない。金銭的には厳しいかもしれないが、でも、明るいのだ。月に1回、稲荷山の養護施設に行き、月2~3回、訪問介護を受けている。「お茶いただいてきたよ。K君さあ、学校出てからどうしていたの?」「さ・い・きょ・う・こ・う・こ・う。 そ・く・りょ・う・や・っ・た」「へえ、測量っておもしろい?」「め・ん・ど・う・だ・っ・た」長居してはいけないと思いつつ、会話が楽しい。笑顔が絶えないのだ。「疲れない?」疲れてなんかいないと、首を大きく左右に振る。「また、来てもいい?」今度は、首を縦に激しく振る。「わかった。じゃあ、今度は桜の花の咲いた頃に、来るよ」部屋の入口で、両手を大きく振って、「またねー、K」ご両親が丹精込めて作られたキウィと干柿のお土産を頂いて。あんなに元気だったKが寝たきりという事実は、ものすごく重かったけど、涙は出なかった。介護の1つのパターンを教えてもらい、病に負けないあの笑顔と強さを、逆に私がもらい…Kよー、生きようなあ。
2005年03月08日
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喉がむずむずして、声が嗄れたのが火曜日頃。昨夜は鼻水とくしゃみが加わって、さらに頭痛。こりゃあ、鬼の撹乱で風邪をひいたかな。お風呂も止める。関節も痛くて、すわっ発熱!体温計で計ってみようとしたら、すべて電池切れ。爺様のを借りるのもいやだから、計らないでふとんの中へ。で、土曜日だけど、今日は勤務日。私はどうしても外せない会合兼仕事(と、社長には言って出て来た)とで、朝から長野市へ。ずいぶん迷ったんだけど、外に出た方が気分的に風邪を追い払えるかも…勝手な理屈をつけて出た。マスクをかけて、やや顔色悪し、何といってもすごい声で、みなさん同情してくれる。もしかして、細菌をばらまいてきた?ということで、今日はお休みしまーす。「美しき日々」はどうしようかなあ。
2005年02月26日
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昨日の何かの番組で、布施明さんがおもしろい話をしていた。最近の日本の若い歌い手の声は、全体にトーンが高い。フィーバーしている韓国の俳優さんの声は、日本の歌い手に比べて低く、聞いていてとても気持ちよく響いてくる。という内容のもの。もっとも布施さん自身の声についても「ぼくのは高くて薄っぺらな声」と評価しているから、若い歌い手云々というのも、かなり厳しい評価ではあると思う。でも、今フィーバーしている韓国の俳優さんの声については、全く同感だったので、なにかうれしくなってしまった。ぺ・ヨンジュンさんもチェ・ジウさんの声も、今吹き替えをしている日本の俳優さんほど高くない。もっとずっと低く、アルトとバスくらいの感じなのだ。以前にも書いたけど、田中美里さんが悪いというわけではないのだが、チェ・ジウさんの演ずる役そのものの印象を変えてしまうように、私には思われる。チェ・ジウさんが流す涙に、あのソプラノの田中さんの声が重なると、全くのメロドラマ的に感じてしまうのだ。チェ・ジウさんの声はもっと力強く、リズミカルで、日本的に耐えるだけの女性ではない。と書きながらも、『冬ソナ』に続いて『美しき日々』にどっぷりと浸かっている私めではあります。*************一昨日見たジョウビタキも、以前山林で見たビンズイも、あんなに小さな体から、あんなに透き通って遠くまで聞こえる声を出している。発声の仕方がうまいんだろうなあ。嘴を大きく開いて、体全体から声を出していた。いったい、どこでボイストレーニングをしているの?私の声は、本来ならばメゾソプラノ。でも、全然声が出ないから、いつの間にかアルトに回るようになっている。いや、アルトは低いということではなく、伸びのある深く響く声でなければいけないのだけれど(私の好きな渡辺真知子さんや高橋真里子さんのように)。私がアルトを歌うのは、単に高音が出ないから。そして、今歌うことも減り(車の中や山の中で歌っているだけ)ますます声は出なくなっている(だろう)。それどころか、普段話す声も口の中だけの声となり、しばしば相手に「えっ」と聞き返されることがある。小鳥たちのように、誰かボイストレーニングをしてくれないかなあ。
2005年02月20日
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《春の足音》朝、5センチくらいのベトベト雪を片づけた。珍しく土曜休日だったので、従業員はいないから、私1人で。お父は寝坊、プン。最も起きていたにしても、今日のような雪だと「こんなの片づけなくてもそのうち溶ける」と言うだけだろう。プンプン。確かに昼前から雨降りになったので、雪は溶けたが、それまでにどのくらい家の壁やサッシに泥がはねたか知ってるの?プンプンプン。その後、ずっと雨で、春は近いぞって感じ。天気予報では「低気圧のあとに寒波がやってきています」とか言っているけれど、寒波っていったってマイナス6度じゃ、かわいい寒波ってもんじゃない!昨日18日は二十四節季の一つ「雨水」。この日あたりから、雪が雨に変わるという一つの目安。うーん、やっぱり春だ、もうすぐ。《雪庇が落ちた》ところで、18日午後、雪雲に覆われていた鹿島槍が突然見えた。カメラではぼやけしまっていてここに載せられないけれど、双眼鏡で見ると、2箇所雪庇が落ちていた。1箇所では、雪崩れの跡も望め、山も春山に移行しつつある。このあと雪型が現われるまで、積雪と雪崩れを繰り返していくのだろう。《村出身者の講演会》川端幹雄さんという村出身の教育者。73才。公立高校教師の試験は全て落ちやむなく私立高校教員に。39才で校長にさせられた淑徳与野高校を再建。仏教高校だったため、自ら僧侶の資格をとるために仏教を学び資格を取る。その後は私立教育の隆盛に力を注ぎ続ける。現、日本私立中学高等学校連合会副会長。『配給型学校教育の終焉』『祈りと願いの私学教育』☆今あちこちで起きている事件から学校教育を考えるとき、家庭や学校も問題はあるが、一番悪いのは文部科学省と言い切った。なかなか痛快。☆教育してもらう学校=配給型学校ではなく、子どもや親が「このように教育してほしいからこの学校を選ぶ」という仕組に変えなければ。アメリカで主流になってきているチャータースクールにする必要がある。☆子どもがどう生きたいかをとことん話し合い、それでも一致しなかったならば、子どもの好きなようにさせなさい。子どもの将来の方がずっと長いのだから。☆「死ぬ」ということをどう考えるか。人の一生はオギャーと生まれたときから死ぬときまでではない。生まれる前、母胎で過す10月10日(とつきとおか)間の変化は、生まれてから死ぬまでの変化よりずっと大きい。さらにその前、卵子と精子になる前は細胞として存在し、DNAを受け継いできている。この受け継ぎは連綿として続いている。つまり「非連続の連続」、個体としては非連続でも上記のように考えると連続している。「死ぬ」ということは、この「非連続の連続」の中の一つの形に過ぎない。手元にメモがないので、頭に浮かんだことはこのくらい。結構おもしろい講演だった。相変わらず、若い層が少なく、私なんかは最も若い部類だったろう、きっと。講師と同年代の男性が多かった。この講演会は、議会と商工会が主催したもの。おもしろい取り合わせだけれど。議会は、今の議員になってから、いろんな面で動きのある議会となっている。それがいいか悪いかは別として。でも、今日みたいな企画はいいよねえ。《お父の職場で邪魔をする》今、仕事の関係でお父は、会社とは別のところで仕事をしている。今日も、午後からそこへ。講演会のあと、講演の話を伝えようと、その別職場を訪ねる(お父は、講師とは以前に仕事を通して結構親しくなっているのだそうだ)。行ってみると、お父だけでなく、ライターのKさんもおり、私のあとからは、スタッフの1人Sさんも「講演聞いてきたよ」と現われた。すぐに退散しようと思ったのに、お父が「まあ、お母、お茶飲んでけや。コーヒーもあるぞ」と、珍しくコーヒーカップに日本茶を入れてくれた。Kさんも「ココアもあるぞ」と。で、講演の話、合併の話、行政と村民の話、学校の話。パソコンの画面を睨みつつ、時々間の手を入れるお父は別にして、あと3人で好きなことを言い合う。Kさんは村外の人だし、Sさんは行政マン。これが結構楽しかった。Kさんは仕事に乗れずにいたのか、「昨日から調子が悪くて」といいながら、すっかり仕事の手を止めてしまった。あとで、家に帰ってからお父は「今日は、すっかりKさんの仕事の邪魔をしてくれたなあ」と、何故か笑顔で言った。そして「たまには、差し入れに来いや」とこれまた笑顔で言った。邪魔して悪かったのか、邪魔して良かったのか……お父と私は、家以外の所にいた方が、仲がいいのかしらん。まあ、それなりに楽しい1日ではあった。二ヤリッ
2005年02月19日
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隣町のS病院から我が家の爺様の訪問看護にきてくださる看護婦さんは3人。3人3様なれど、みなさん誠意を込めてやってくださっていることに感謝。おかげで、爺様が病院にいる時には、握りこぶしが入ってしまうくらいの床擦れができていたのに、今ではうまくすれば塞がるかというところまできている。もちろん、病気そのものは同じ状態なんだけれど。退院前に病院の医師、看護婦長、ケースワーカー、村の保健婦、ヘルパー、家族、そして訪問看護婦さんたちで話し合いを開くにあたって、病人の状態を見てもらった。そのときに訪問看護婦さんたちは「あの床擦れだけでもなおしてあげよう」と誓ったそうだ。床擦れの手当ては、病院と訪問看護婦さんとのやり方は雲泥の差。1年と半年たって、その効果が出てきたと言える。それと同時に、栄養が体外に出てしまわずに、ちゃんと血肉になっているのだろう。お腹もいくらかぷっくりと膨れてきて、先日は医師から1日のカロリーを少し減らすために、流動食の量を減らす旨の指示があったそうだ。薄めるための水の量を増やすので、量的には変わらないが。で、全体としては自宅介護はうまく回転しているのだが、悪嫁の私だけは、その回転リズムにどうしても乗れないでいる。今日の看護婦さんは、Kさん。すっごくいい笑顔を持っている方。かつての私の教え子が難病にかかり、その訪問看護に行っていることが最近わかって、爺様以外の話もするようになった。うまく回転リズムに乗れないでいる私の心を見抜いてか(いや、そんなことは口では言わないから、表情でわかるのだろうか)、看護婦さんのお手伝いをするときにも「そんなにあわてなくてもいいですよ」とか「ここはこうしましょうか」と具体的な指示をしてくれる。で、私は彼女の手伝いをする時が、一番心が平常心でいられるのだ。平日は親戚が婆様とついているから、看護婦さんが来ても私は会社にいる。で、今日は平日だったのだが、用事があって彼女とちょっと言葉を交わし、その後農協へ用事に行ったら、ちょうど帰り際の彼女も農協に寄ったらしく、私とすれ違いで車が出ていった。そのときにね、私に気づいた看護婦さんは、いつものあの笑顔を見せてくれた。そればかりか、手を振ってくれたんだよね、私に。「バイバイ」って感じに。無条件にうれしかった。何だかわからないけど、うれしくて、にこにこ笑いながら帰ってきたよ。
2005年02月17日
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年令が上がるとよく躓くようになると言われる。俗に「畳のヘリにも躓く」。そこまでは行かないけれど、私も以前ほど足があがらなくなってきたような…!?トレーニングを兼ねて、会社の外階段(12段くらいしかない)をポンポンポーンと駆け上がるけれど、なんか無理な抵抗をしているようにも感じてしまう。躓くこと以外に、今日、はたと感じたのが「手に切り傷をつける」ことが、最近とみに多くなったこと。今も左手の親指と人指し指の間に一枚キズバンが貼られているし、さっきお茶の時間に、プラスチックケースからお菓子を出そうとして右手の人指し指に傷を作ってしまった。そんな中でも、紙で手を切ることが一番多い。仕事柄、紙を揃えたり折ったり。また新聞に入ってきた広告を束ねるときなんかにも、サッと切ってしまう。紙で切ると、大した傷ではないんだけれど、結構痛いんだよね。以前はこんなに傷を作った覚えがないのに、ここ1年程は数え切れない。これも年令のせいで、注意力が散漫になったり、手指の動きが鈍くなってきたのかなあと、ちょっと寂しい限りなのだ。(きゃっ、そう言えば、入力の際のキーボードタッチもスピードが落ちてきたような…外注せずに、自分で入力しないといけないかあ)だから、そんな自分に見栄をはって、明日もまたポンポンポーン を実行しよう。(涙)*********************おまけの会話昨日HPに載せた鹿島槍ヶ岳の写真、私は「貴婦人」とか言って喜んでいるけれど、夫に見せた(HPは内緒だから、写真だけを見せた)。そしたら何と言ったと思う?「平面的だ。間が抜けている」「技術的じゃなくて、この風景はきれいでしょう?間が抜けているっていったって、この雲を入れたかったんだもん」「やっぱり間が抜けてるよ」ムムッ、悔しいけど、確かに私はいいなと思った風景を、ただ撮っているだけなんだよな。こきおろされた時だけ、マニュアルを開いて学ぼうと思うんだけど…なかなかね…
2005年02月10日
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※最後にちょっと貴婦人みたいな鹿島槍があるからねー。北朝鮮VS日本勝ったあ、良かったあ前半が終ったところで1対0。喜んで若ガラスに電話すると、「これから、オレもサッカーしに行くところ」という返事。社会人のフットサルチームに所属して、東山グラウンドで夜9時から練習するんだって。北朝鮮との試合を見るよりは、自分でやっていた方が楽しいんだって…さ。若いなあ。後半戦、追い着かれてからは、なぜか夫とこたつにしがみついて、応援した。ロスタイム1分のところで、大黒選手が決めた。さすが!夫と2人で、こぶしを突き上げて雄叫びをあげた。ばんざーい!若ガラスが子ガラスの頃、サッカーにのめりこんでくれたから、今こうして2人ともサッカーを楽しめる。オフサイドってなんのことだか、全くわからなかったのに、今では「ああだ、こうだ」とうんちくを並べながら…それにしても、今回はメンバーの交代が、両チーム共に明らかな変化をもたらした。北朝鮮はパス回しが格段に早くなった。日本はリズミカルになった。そして、質の高い試合になった。メンバー替えかぁ…私たち夫婦もメンバー替えなど考えてみようかぁ…恐くなってきたよ昨夜の会議で、楽天HPで、傍若無人に「平和」とか「憲法9条」とか「強制連行」とかのブログやサイトを荒し回っているグループのことが、話題になった。私が所属しているのは松代大本営の保存をすすめる会。松代にある大本営の地下壕群を保存・公開し、さらに平和資料館を建設していこうという活動をしている市民団体である。この会のHPには直接アクセスはしていないが、上記のグループが別のサイトで、朝鮮人の証言をねつ造だとし、すすめる会への批判をしているという。個人のHPだから何を書こうとも自由かもしれないが、その彼らの荒し回っているサイトへの書き込みを読むと、揚げ足とりだったり、おちゃらかしだったり。勉強しているなと思う人も中にはいるけれど、相手の意見は全く受け入れず批判のみ。単独でなくグループで行動しているらしいことは書き込みでわかる。そして、その人たちの行動が、昨今頭をもくもくともたげてきている「自虐史観」とか9条の廃棄とか軍国化に向かわせる煽動行為なのではないかという疑問。ネット上で荒らし回るだけでなく、どうやら実行動をも起こしているのではないかと思わせる口ぶり。かつて私も2~3度、彼らのご訪問を受けたことがある。ほとほと困った。それ以後、かなり用心はしているのだけれど…大きな組織の末端なのであれば、相当恐い。理論も中途半端の受け売り多し、弁論全く不得意の私め、ちょっと用心しようと思う。さあ、お口なおし、お待ちかね(えっ?待ってないって?)今日の鹿島槍は貴婦人みたいに感じませんか。でも稜線はやっぱり雪煙が高く上がり、雪庇の重みを感ずるほどの大きさになり…
2005年02月09日
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1月31日、今日の日記を書き終えると、今月は毎日日記を書いたことになる。31回だ。今月に限っていえば、記入率100パーセントのパーフェクト。今まで平均して80パーセントそこそこの記入率だったので、新年早々決心したのだ。1か月間は、どんな内容でも、どんなに短くてもいいから、とにかく書いてみようって。意地っ張りの私だから、なんとか1か月続いた。結構大変だった。来月からは、また「今日は疲れたから止めよッ」という日が出てくるだろう。その前ぶれではないけれど、「明朝は、早く起きて雪かきをするから、早く寝なくッちゃ。 だから、今日はこれでおしまい」全国のみなさーん、雪はどんな状況ですかぁ。こちら、午前中から細かい雪が降り出して、現在20センチを越えたくらいでしょうか。降りの割には、積もっていないような気が…
2005年01月31日
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午前中、急いで眼科に行ってきました。頭痛もするし、ほほの辺まで腫れてきて、ちょっと心配になったからです。診断は「眼瞼炎」だそうです。「えっ、ものもらいとは違うんですか」「ものもらいは、1点にできるでしょ。眼瞼炎は瞼の裏全面に炎症が出るんですよ」でも、原因は似たようなもの。「肝炎で服用中なら、飲み薬は使わず目薬と軟膏で治しましょう」とのこと。先日、女医さんにもらった目薬も使用して、「気長にきちんと治しましょう」この眼瞼炎、結構くせになるらしい。きちんとなおそッと。眼科からものすごい目をしたまま、コルセットを買いにいく。いろいろあってまよったけど、そんなに強くなく、でも予防にもなりそうなのを買ってきた。雪おろしの際に助っ人隊に教えてもらった「スポーツ・デポ」というでっかーいスポーツ専門店。知らなかった、こんなのあるの。結構安いんだ。でも、スノーシューはなかったなあ。余計なことを考えずに、しばらくは「多発性病気」をちゃんとなおそう。それにしても、今年は病気の当たり年かなあ。(目を休ませるため、今日の日記は短かめです)
2005年01月22日
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ああ、また雪が降ってきた。今夜からの雪に、またまた大雪注意報が出た。ぎっくり腰、鼻血に続いて、今度はあご下に「グリグリ」と、右目に「ものもらい」が出来た。スワッ、「グリグリ」=「リンパ腫」と、あわててお医者へ飛んで行った。女医さん、にっこり曰く「この辺に出るのは、心配ないものなの。かぜっぽくない?」背中に回って、首筋をあちこち抑えて「ほら、ここにだって柔らかいけどあるでしょう」えっえっ、「グリグリ」が2つもあったなんてー。「そう言えば、鼻血が何度か出ました」「きっと、風邪の初期症状だったのよ。どうする?風邪薬飲む?」「いいえ、いりません」先月の血液検査の結果と、ペグインターフェロンのお話を聞きながら、迷った。どうしようかな、「ものもらい」のこと。ここ、眼科じゃないしなあ。迷っていると、女医さんが見つけてくれた。「右目、赤いけど、どうしたの?」「ものもらいができたんです。ちょっと痛むんですけど…」「じゃあ、軟膏か目薬出しましょうか」「ええ、お願いします」良かった、これで、「グリグリ」も「ものもらい」も解決だ。今どきめずらしいよね、「ものもらい」ができるなんて。よっぽど不衛生にしているみたいに思われる。そんなこと決してないんですよ。きっと風邪と使い過ぎのせいだということにしておきましょう。ところで、「ものもらい」って書いて、不思議な言葉だなあと思い、ヤフーで検索。やっぱり同じように思う人がいて、詳しい全国調査が乗っていた。目薬メーカーのロート製薬の調査。ものもらいマップ東日本は「ものもらい」が多い。長野県には「めっこじき」なんてのも。「めばちこ」?聞いたこともないねえ。正式名は「麦粒腫」か「霰粒腫」***************おおーッ記念すべき500回!
2005年01月20日
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朝の打ち合わせだけを済ませた私は、またベッドにもぐり込む。枕元に本を積み重ねて。以前から"積ん読"になっていた本たちなどなど。『幕末新選組』『落日燃ゆ』『ダ・ヴィンチコード』、週刊文春、文藝春秋…『幕末新選組』(池波正太郎)は最後だけ読み残してあったもの。テレビの近藤勇とはずいぶんとらえ方が違うなあと思いつつ。もっともこの小説は「永倉新八」を主人公にしていて、テレビの華々しい若手が演じた役柄ではなく…。どちらが本当の新選組なのかはわからないけど、おもしろかった。『落日燃ゆ』(城山三郎) A級戦犯で絞首刑となった唯一の文官・広田弘毅の物語りという腰巻き文と、東京裁判をこの人はどう見ているのかなと、ずっと前に買った本なのに、全く開いていなかった。今回も20頁程読み進んだけど…。あー、まだまだかかりそうだなあ(つまり、読み出すと眠くなり…)。『ダ・ヴィンチコード』(ダン・ブラウン)キリスト教をいくらかかじっていないと、わからない部分が多い。例えば、シオン修道会とかオプス・デイとかテンプル騎士団とか…。それでも、お話はおもしろい。本や映像にすぐ左右される私なんかは、本当に「最後の晩餐」や「岩窟の聖母」の絵の中に謎が描かれていると信じてしまうし、魔女狩りや十字軍はイエスと結婚した女性やその娘に教会を牛耳られないように、血を絶とうとした手段だった、なんていうのも「へえー」と妙に納得してしまう。「2」の4分の1くらいをまだ読み残しているので、早くぜーんぶ読み終えたいよ。週刊文春は、友人が教えてくれた「松代大本営」が触りに出てくる浅見光彦シリーズ(内田康夫)の1つ『●●島』。内田さん、確かに松代大本営を訪れているらしいけど、資料がちょっと古いなとか、モデルになっている峰岡さんて誰だろうなとか。続きが読みたくて、毎週買ってしまいそうだな。週刊誌なんて、美容院へ行った時に女性週刊誌を読むくらいだったけど、スマトラ地震の津波被害者の写真とかリアルなものがあって、結構目を皿にして見た。文藝春秋、「1945年特集」に惹かれて購入。この活字のサイズでこの厚さで、情報がびっしり詰まり過ぎていて、全部は多分読まないだろうという予感。特集には今だ入れず、皇太子や弟宮のこととか、香田さんのこととかを読んだだけ。あと2~3日、寝てないと読めないよ。でも、活字漬けの1日、ぎっくり腰様様でした。
2005年01月12日
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やっちゃいました、昨日朝。雪かたづけをしている最中、隣家の屋根から落ちた雪が氷になっていて、それをツルハシを振り上げて割ろうとした瞬間、「んんんんッ」強烈な違和感。とたんに「腰くだけ」の状態に。力が入らず、痛みも。「うわーっ、またやっちゃったー」パソコンなら座っているだけだからと、午前中、がんばってみましたが、昼から寝てました。夕飯、お鍋にしようと買っておいた、牡蠣や蟹やタラなどと、うどん、野菜を、まるでちゃんこ鍋のようにして、お父が作ってくれました。ごった煮でしたが、あったかーくて、おいしかったです。12日の朝、書いてますが、みんなが雪かき終えたらコーヒーでも出そうともそもそやってます。仕事の段取りをしたら、またベッドにもぐりこみます。あーあー、年かなあ。
2005年01月11日
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友人のSさんが、電話の中で、笑いころげた。何がそんなにおかしいのかって…?2日の日記、私の今年の目標「恋をする」がおかしいんだそうだ。「だって、このまま枯れていくの、嫌じゃんかァ」ケラケラケラ「相手は人間とは限らないんだよォー」ケラケラケラケラ「若い頃はさあ、春が近づいて、期待で胸がワクワクしたじゃない。そういうのが、ここ数年ないもんねー」ケラッケラッケラッケラッ「この前、西股出合まで行ったときにさ、ロマンスグレーの男性とすれ違ったの。それだけの出会いにも胸がときめくとかさあ」ケラケラケラケラケラケラッケラッあと、何を言ったかは定かではないが、何を言っても笑うんだモン。挙げ句の果てに「イヤリングするのはいいけどさあ~」「恋の相手はだんなにしといたら~」そして、ケラケラケラケラケラケラケラケラケラ全く笑いカワセミでもあるまいに…箸が転んでもおかしいのは10代だぞー。それなのに、こんなに笑うなんてさー。だったら、老いらくの恋があってもいいじゃんかー。極め付き「Mさん(ご主人)も背中で笑ってるよーッ」ゲラゲラゲラもう、全く、もうッ。でも、めげないモンねー!
2005年01月07日
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若ガラス、帰京。居るとうるさいし、結構頭に来ることも多いけど、いなくなると、ホントッ寂しいなあ。昨夜、パソコンに向かい背中を向けたままで、若ガラスが突然言った。「おらたち、10年後に、企業起こすんだ」「えっ、なに?」「10年後に、企業起こすの!」「この間、話してきたの?」「うん」「誰と?」「YとTと俺」「へえ、何やるの?」「まだ、わからん」「村に帰ってきてやるの?」「うん」帰ってきたその夜に開いた同級生たちとの集まりで、そんなことが話されたらしい。合併問題、人口減少などが、彼らの間でも話題になったのだろう。4月からY君が勤めているM社も、会社更生法を出しているし。夏になると集まってはキャンプを楽しんでいた、いたずらっ子の彼らも、もう今年は24才。大人になったなあと思う。頼もしいではありませんか。どんな企業が起こせるか、私も夢も膨らませることにしましょう。彼らのアイディアに期待して、彼らにつなぐまで、ロートルもがんばろっと…
2005年01月05日
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屋根の雪おろし、やらねば、屋内の障子や襖が開きません 1年の計は、元旦にあり今年は何を目標にしようか…そう言えば、ここ3年ほど、目標なんて考えたことがなかったなあ。つらつら考えたそれなりに真剣に考えた結果恋をしよう!!!!!うん、うん、これがいい。自分を生き生きさせるためにも。ただし、相手は男性とは限らない(お父に見つかるとまずいから)と言い訳は書いておこう。よーし、恋をするぞー。
2005年01月02日
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朝、くもり。午前10時頃より降り出す。外気温-2度。きんぴらごぼうを刻み、煮物用の大根も切り、昆布を結ぶ。母を迎えに長野へ。降りが激しくなって、道路も真白。長野市へ近づくにつれ、ますます降りが激しくなり、ワイパーだけでは視界不良。外気温-3度。道路の白線が全く見えないので、停止線もわからず、恐い。時速40キロ厳守で、そろりそろり。迷って新品にしたスタッドレスは、多分効き目はいいのだろうが、恐い。普段は、自他共に認めるスピード狂の私ではあるが、雪道になると、後ろに車の列ができてしまう。いいの、いいの、気にしないで、ゆっくり行こう。長野市内は渋滞、そこに輪をかけて「500万人トーチラン」をやっている。湿った雪の中で、みんな寒そう。電車も遅れ、母とやっと合流でき、スーパーに寄って帰る。ああ、今夜からまた冬型。明日の積雪が思いやられる。明日は昼から実家へ。あっちの雪を思うだけで、こわーい。夕飯前にパソコンに駆け寄りました。1年お世話になりました。つきなみですが、来年もよろしくおつきあいください。
2004年12月31日
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朝4時頃から、除雪車が動きだし、県道沿いにある我が家ではうるさくて目がさめた。窓から外をのぞいて「おっ、積もってる!」でも、まだ起きない。6時、ご近所さんが雪かたづけをしている音が伝わってくる。でも、まだ起きない。じっと我慢の子の私。7時、雪かたづけの音があっちからもこっちからも。いくら会社休みでも、そろそろ起きて雪かたづけしなきゃいけないなー。もそもそ…もそっえーっ、お父さん、どうしたの?パッと起きて、パッと帽子なぞを被り、軍手をはめて、階段をトントントンえーっ、えっー私もあせって支度してドンドン、ドン「どうしたの? お父さん!」と聞きたいのをぐっとこらえて雪かたづけ。ご近所ではラストから2番めだが、夫婦2人でやると、まあまあ気持が楽。せっせっせっせっあーっ、やっぱり、あんまり喜びすぎてもいけないなあまだ道路は9割がた、駐車場にいたっては全然なのにお父さんは早々と片づけを始めた。「駐車場、どうするの?」「解ける、溶ける」いっつもこうなんさ。おまけに自分の使ったスコップだけかたづけて、あとは出しっぱなし。嫌味ったらしく、「朝飯、用意しといてよ!」などと言って、さらに20分。汗だらけでお勝手に行ってみると、朝飯のおかず用意してありました。なんと、長ネギをみじん切りしてその上にさばの水煮缶をあけてありました。私、ネコじゃないのー。さすがに手が出なかったよー。でも、雪かたづけ初日、彼がいつも起きるより早く起きて、先に外に出てくれたことを、喜ばなければいけないな。おとーさん、ありがとねー。またお願い!《若ガラス、所持金なしで途中下車》夜行で帰ってくるはずだった若ガラスから、電話が来た。「お金なくてさ、カードで買おうと思ったら、車内でも、精算口でもカードじゃだめって言われたから、いったん京都で降りて、明日帰るよ」大阪の教授宅へ卒論を指導してもらうため行き、その足で帰ろうとしていたのだそうだ。あったり前だろ。車内でどうやってカード支払いする気でいたんだろう。京都を過ぎてから、カードが使えないということを知ったら、いったいどうする気でいたんだろう。京都に着く前に車掌に聞いたから助かったようなものの。ほんとに、アホというか、先の見通しができないというか。そんなアホガラスが、午後3時に長野に帰ってきた。そんなアホガラスでも、馬鹿なお母はいそいそとお迎えに行ったのだ。彼が本屋にいる間、私はICI石井へ、スノーシューと、ウェアを見に行った。欲しいなあ、自分のスノーシュー。こんなお父と、こんなお母と、あんな若ガラスと、やっぱり親子。どっかアホなんだもん。
2004年12月30日
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19号線の地滑り現場が、明日から通れますよー。良かったー。上越新幹線も明日から開通でしょ。足並み揃えて帰省ラッシュに対応するのかな。********************今日の夕飯は生協で購入した冷凍カキでカキフライ。粒が大きく、身が引き締まっていて、冷凍ではあったけど、おいしいフライになった。「みず菜」もフライにして添える。これが意外といけますよ。お店に出ているみず菜は細く、生でサラダにして食べてもいいが、このへんで採れる頂きものは結構育っていて、生でバリバリと食べるにはちょっと固い。で、先日たまたま余ったとき卵やパン粉を無駄にしないよう、みず菜をかき揚げ風に揚げてみた。固い茎もトローリと口の中で溶ける感じで風味は変わらず、おいしかった。それ以後、彩りもいいので、揚げ物の時には必ず作っている。今日の主賓である「カキフライ」……大学3年の冬休みだったかな。諏訪市にいた同期のSさんのお宅に別の友人と1晩泊まりで遊びに行った。その時に夕飯に彼女が作ってくれたのが、カキフライ。何を隠そう、実はそのとき、私はまだカキフライを自分で作ったことがなかった(言い訳がましく言うと、あのカキの風体から食わず嫌いでもあった)。彼女は手際良くカキフライを作り、食わず嫌いの私でも、揚げ立てのカキフライはおいしく、女の子3人での楽しい夕食ではあった。でもその時、私は内心、カルチャーショックを受けていた。彼女には当時既に恋人がいて…、だから、こんなお料理もさっさと作れるようになっているんだ。それに比べて、私はカキフライを作れない。もしかしたら、私が失恋したのは、カキフライが作れないということに代表される、家庭的なものに欠けている?……なぁんてね。まあ、そこまでは深刻にならなかったけど、でも「自分はカキフライを作れない」ということが、ずーっと澱のように残っていた。それ以後、決してむずかしくはないカキフライを、私も普通に作れるようになった。お父もカキフライは大好きで、レモン汁をたくさんかけて、今日は辛子までつけて食べていた。カキフライを作るたびに、自信喪失したあの若き日の自分の姿を思い出しては、懐かしがっている。
2004年12月27日
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クリスマスイブですが、甘いケーキの後には、野沢菜漬けなんぞいかがでしょうか。手前のは、長谷村の吉田さんに教えていただい「大根のからし漬け」です。フラッシュをたいたら大根が白くなりすぎ、フラッシュを控えたら、野沢菜のつやつやした緑がとびました。もっとも、野沢菜は一番上のものなので、やっぱり色合いはいまいちかもしれません。でも、味はどちらもおいしーいですよ。さて、今日は4ヶ月ぶりに肝臓の定期検査に行った。仕事もちょっと空きになったし、年内に1度診てもらいたくて。普段は2ヶ月ごとなのだが、間に卵巣嚢種の手術が入り、そこで血液検査していたから肝臓独自としてはちょっと間があいた。次回だろうと思っていたエコーで「大丈夫ですよ。変わりありません」という先生の言葉を聞いて、ホッとするやら自信を持つやら。だって、私の肝臓くんはウィルスをもらってから23年になるけど、幸い慢性肝炎で止まっていてくれる。GOTやGPT(今ではASTとかALTとか言うの?)もたまに急上昇するけど、ほぼボーダーラインを行ったり来たり。だからさ、「定期的に検査受けてれば大丈夫ですよね」と、もう安心しっきて言ったものだ。そしたらね、なんと「あなたのはCの1bで、ウィルスがあんまり多くないのね。日本人には一番多い型。時々ぐっと上がるのが気になるの。上がるのが少し続いたら、その時の方がインターフェロンも良く効くから、やってみるのも一方法ですよ」(言葉使いでわかるでしょ。女医さんなんです。私の嚢種もこの先生が見つけてくださった。もう全面的に信頼してます)インターフェロンの新しいタイプや、補助剤の開発で、Cの1bにもわりと良く効く方法が開発されてきている。いくら症状が軽くても、完治するならば、治療はした方がいいに決まっている。私の家系は「がん家系」のようなので、一つでも心配の種は断ち切っておくにこしたことはない。副作用も恐いけど~。まあ、すぐにではないから…様子見だから…おいおい、私の肝臓くん、ほめているんだから、大人しくしていろよー。ああ、今日の診療費+薬代=10020円すごい出費だ。こんなの初めてだよ。何か値上がりしたっけ?長野県が出してくれている補助費も今年9月から削減されてるんだからさ。痛いよね。ますます、私の肝臓くん、ほんとにほんとに大人しくしててよー。
2004年12月24日
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O町のSさんの写真集の仕事を、今受けている。素人ながら獅子頭を作り、昨年からは能面を作っている方。夫はもう何度も行き、帰ってくるたびに「お母(若ガラスだけでなく夫もこう呼びます)、今度いっしょにいくか」と誘ってくれていたが、チャンスがなく、やっと昨日行けた。知り合いの山の先輩・Yさんの所に桐の木がたくさんあり、またSさんは彫り続けたくても桐材がないという需要と供給の糸を、夫が結んであげたのだ。私はYさんの軽トラに乗り、夫は途中で別用事を足すため独りで乗用車。その軽トラの中での話。「この頃、ギスギスしちゃって」「誰があ~?」「私が…。家にいると…」…Yさんが言った。「遠くにいる者が何をしても、そんなに気にならねえだろ。例えばさ、小泉がよほどの事したって頭には来るけど、それをずーっと根に持つってことはねえだろ」「そんなことないよ、根に持つよ」とちゃち入れする私。「近くにいるから気になるんさ。近いほど気になるんさ。みんな、そんなもんだよ」妙に頭にしっかりインプットされた「今日の一言」でした。
2004年12月23日
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「冬のソナタ」ノーカット版がまた始まっている。今回は吹き替えなしなので、取りあえず見てみるかのつもりで見始めた。もう1回見ているので、そんなにはまらないだろうと思っていたのだが、これがどうして、またまたはまってしまった。「えー、こんな人が」と思う人まではまっている。もっともその人はハングル勉強中なので、そちらの興味もかなりなものなのだが、でも「『はまる』ってこういうことだったんだね」とか言って、はまっている。彼女の声、日本語では田中美里さんがやっていたけれど、彼女の声とは違うよね。印象もまるっきり違う。チェ ジウさんの方がアルトだし、結構ドスのきいている声。田中さんがやると結構メロドラマらしい声や雰囲気になるんだけど、チェさんのは違う。それに吹き替えなしの方が、ことばの雰囲気がわかるし、したがってドラマ全体のふんいきも変わる。おーっと、ごたくを並べていないで、TVの前に行かなきゃー。もう始まってるよー。
2004年12月22日
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※お父=おとう=若ガラスの父親=私の夫18日夜、若ガラスからメールが送られてきた。「今話終わったよ。今日のお父はなかなかすごかったよ」18日、若ガラスの卒論担当の教授から本の印刷依頼があり、その話をしに、夫は京都に行ったのだ。その結果が、上記のメール。「何がすごかったの?」という私の質問に「英語研究者の教授の前で、PDFとは何の略語なのかを英語で説明した」のだそうだ。また、PDFを使っての印刷のノウハウも、滔々と説明し、そこに居合わせた人を圧倒したらしい。今まで、パソコンや印刷機を操作するお父の姿は見ていただろうが、直接顧客と話をする場にはもちろん立ち会ったことのない若ガラス。私が言うのも何だけど、場によっては押しが効いて、それなりの貫禄を見せるお父なのである。今回はそういう場だったのだろう。印刷関係者がいれば、当然の知識と思われたかもしれないが、往々にしてある年配の研究者の専門以外の狭さからすれば、きっと今どきの印刷業界は驚き桃の木で受取られるだろう。帰ってきてから、若ガラスの報告をお父に伝えると、かなりかなりうれしそうだった。お酒を飲んではお父に絡まれていた若ガラスが、お父の実力の一端(?)を知ることができたのは、良かったと思う。だからといって、飲み過ぎや、日常生活で「自分のことは自分でする」が全くできない面まで認めてほしくはないんだけどね。居酒屋での夫や若ガラスの何とも言えない笑顔が携帯で送られてきて…仕事成立の祝宴に出られなくていささか拗ね気味の私。でも、18日の最後に来たメールには、またまた苦笑してしまった。「お父が悪酔いしてきた」せめてこの日は、お父はすごい面だけ見せていれば良かったものを…。
2004年12月20日
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空は真っ暗。なにやら雨らしきものも、顔にあたります。双子座流星群、見えないよー***********9日に厚生省が「血液製剤フィブリノゲン」を使用した病院名の公表をして、肝炎検査を受けるよう呼びかけた。まず年代が、1980年以降1994年以前使用された5つのケースのうち ○妊娠中または出産時に大量出血した人決定的なのは、長野県内で使用した病院一覧の中にあった、F産婦人科医院と長野赤十字病院の2つ。私のC型肝炎も、この条件にぴったりこんと当てはまっている。1994年以前は、止血剤としてこのフィブリノゲンが広く使用されていたのだから、使ったこと自体を責めることはできないのだろう、きっと。私はずっと「大量出血した際に緊急献血していただいた友人・知人、そのまた友人・知人の新鮮血の中にC型肝炎ウィルスが含まれていた」と思ってきた。当時はA型とB型だけはチェックできるけれど、まだC型肝炎ウィルスを検査で割り出すことはできなかった。C型という名前すらなくて、非A非B型肝炎という名前の時代だった。「何かウィルスはいるらしいけれど、緊急時の新鮮血では割りだせない。命が助かっただけありがたいと思わなければ」そういう説明も、その時かずっと後になってかは覚えていないけれど、あったような気がする。だから、素直に「きっと献血してくれた人も自分の血の中にウィルスがいるなんて知らないでやってくれたんだ」と、感謝こそすれ恨むなんてことはなかった。ずーっとずーっとそう思ってきた。でも、今回の公表結果を見て、果たして新鮮血からウィルスをもらったのか、フィブリノゲンから感染したのか、五分五分ではないかと思う。私の場合は、保存血10本、新鮮血6本(1本=200cc)の大量輸血だった。転院先の長野赤十字病院の医師が肝臓障害を心配して、輸血後の血液検査を丁寧に続けてくれたおかげで、退院1週間後に肝機能数値異常がわかって、再入院。同時に肝炎感染もわかり、早めの治療が始まって、慢性肝炎にはなったけど、比較的軽くて現在に至っている。だから、今回の厚生省の公表にも動揺はしていないけど、感染原因が今まで知らされてきたのとは、もしかしたら全く違っている可能性もあることに、ちょっとびっくりしてしまった。薬害エイズ患者は、C型肝炎ウィルスにも感染している率が高いと、いつかニュースで言っていた。この「血液製剤フィブリノゲン」は、逆にエイズ感染の危険性は全くないのだろうか。ひさびさに自分の命をつないでくれた「輸血」のことを、真剣に考えてしまった。
2004年12月13日
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