型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2019.01.02
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テーマ: パリ時代(31)
カテゴリ: 新しいこと
洗足学園の教員になった時から学校から何度か留学の話がありました。
それは学校の給費で3年間の予定で留学するというものでした。
とても恵まれた話だったのですが、作曲を自分の思いどおりにしていたこと、
また仕事としてとても順調にいっていたことから明快な返事ができていませんでした。

当時の現代音楽の理想形として自らの語法を開拓することを目指すことはできても、
自分の環境から考えて多様式の音楽を作ることは揺るぎないものになっていきました。
ただ、このかたちは現代音楽から外れているとも考えられます。
そこで留学と考えた際に、学べる多様式の作曲家はアルフレード・シュニトケただ一人でした。
しかし、自分の師がフランス系であったことからフランスを外すことは考えられず、
当時ロシアからドイツのハンブルクにいるという話であった、
シュニトケのもとに行けないことはわかっていました。
その意味で留学を躊躇する気持ちはありましたが、
1994年に渡仏することになり武者修業の留学が始まりました。

3月にオーケストラ曲「新多様式空間」が東京文化会館で初演され、
多様式で書いていた「草野心平の詩による3つの最期の歌」(メゾソプラノ版)が、
奏楽堂日本歌曲作曲コンクールの第1回に入選したため、
その本選会があった5月24日まで日本におり26日にフランスに渡りました。
奏楽堂の作曲コンクールは第1回で打楽器を伴奏とした、
もっとも歌曲らしくない自分の曲が約200曲の中から本選に残り、
聴いた人にはじゅうぶんに異端としての印象がついたことと思います。
また1位の方は当時在職中の桐朋学園大学の50代の准教授でした。
そんな鳴り物入りのコンクール後の受賞レセプションでは、
自分の曲がコンクールの発起人の黛敏郎氏、審査委員長の林光氏には好まれておらず、
もう一人の審査員・間宮芳生先生のみが推してくださっていることが感じ取れました。
打楽器パートのある箇所について、新しいか古いかとの意見が審査員の中で分かれ、
かなり緊迫した口論になったことを憶えています。

推測ですが、いろいろな人から跳ねっ返り者と思われていたと感じられながら、
自分としてはどうすることもできぬままフランスに渡りました。
一から新たな作風の作曲家に師事することはどうしても考えられず、
フランスの特定の先生に就くことはしないことを日本の先生とも話していました。
また、フランスの日本人の作曲家に就くことは許されませんでした。
それまでの作品を持って道場破りのようにさまざまな作曲のもとへ1度だけのレッスンに行く、
しかし自分の作風を認めてくれる著名でアカデミックな作曲家はいません。
そんな生活の中、ハンブルクへも何度か行きシュニトケの所在がわかりました。
しかし、彼の病状などから会うことはできませんでした。

では、作曲ではなく和声などのエクリチュールで師事する選択肢もありましたが、
池内友次郎先生のもとではやる和声の課題がなくなっても師事していましたし、
対位法も8声対位法までみっちり行い先生から修了の声をいただきました。
それでこのような勉強がよくできるかと言われるとそれほど自信がありませんが、
池内先生の考えていらっしゃった真理はじゅうぶん習得できたと思いましたので、
フランスでそれ以上やろうとは思えなかったのです。

当時パリのPassyに住んでおり、近くの歩いても行けるRadio Franceの現代音楽祭、
毎年2月に行われるPrésenceには毎年全ての公演を聴きに行きました。
テーマ作曲家が毎年フランス人ではなく、外国からの空気を採り入れた、
とても貴重な経験であったと思います。
95年がリゲティ、96年がカーゲル、97年がグバイドゥーリナでした。
96年にカーゲルのティンパニ協奏曲が演奏され、
協奏曲の最後に唯一使われていなかったティンパニを叩くと、
皮が破けてティンパニ奏者の頭がティンパニの中に入るという演出でした。
カーゲルのトリック性はそれまでも知っていたのでさほど驚きはしませんでした。
音楽の指向性として共感できるのですが、習いたいとは思えませんでした。
グバイドゥーリナは作風をして共感でき自分の考えをわかってもらえたかもしれません。
目の前で話はできましたが、残念だったのは97年3月初めに完全帰国する直前でした。

そのほかにも書きたいことやエピソードは本当にたくさんありますが、
大きな出来事としてパリにいた著名な作曲家、エディソン・デニソフが96年に亡くなりました。
その時に奥様からいただいた手紙がありますので載せます。



1997年1月3日
私の夫エディソン・デニソフが深刻な病気で1996年11月24日に、
亡くなったことをお知らせすることを残念に思います。
あなたの難しい仕事における健闘と成功を祈っています。
エカテリーナ・デニソフ









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最終更新日  2019.01.02 06:09:01
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