型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2021.02.23
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カテゴリ: 芸術
若い頃は著名な作曲の作品がどのようにできているのか、なぜいいと言われているのか、
そんなことばかりを考えて自分のものとして吸収しようとしていました。
しかし、今考えることは一世を風靡した音楽の背景とその後のこと、
さらには音楽における日本の現状で何ができるのかということに変わりました。

音楽史や作曲家の伝記などいろいろと読んでいましたが、
その多くが他の人の研究や伝えられている話をまとめたものですが、
あくまで他の人とは異なる逸話が切り取られたことで、
音楽に限らず史実を辿れば成功者として描かれ美化されていることが多いと思われます。

音楽において芸術的な発想が明確に意識され始めたのは古典派時代と考えています。
その後、ベートーヴェン時代に確立された調性音楽の手法がどんどん変えられ、
遂に完全な無調音楽である12音技法が世に知れ渡るまでにおよそ100年を要し、
音楽はさらに前衛的で不確定や偶然性、環境音、噪音を交えて今日までまた100年です。

これが美術界を追随して今日までの発展は納得できるものでした。
しかしここ40年くらいは多様化?と言われて混沌としてきています。
歴史を見直し経過を考えるとある行き止まりに到達し何もかもが溢れ出しているのではないか、
さらなる道を開かなければクラシック音楽の歴史は終わるかポップスになるのではないか、
歴史の見られ方と今の世の中を符合させ自己分析の下に分岐点について考えてみました。

ベートーヴェン(1770−1827)までの古典派時代に調性による機能和声が確立され、
著名なところではメンデルスゾーン(1809−47)がロマン派への橋渡し的な位置にあり、
和声の規範が拡張され、旋法や民族性との融合に至る後期ロマン派までが、
クラシック音楽としてもっともよく聴かれている時代様式かと思われます。

さてここから、従来の和声の機能性をなくし、それまでのルールに徹底的に抗ったのが、
ドビュッシー(1862-1918)とラヴェル(1875-1937)を代表する印象主義です。
ドビュッシーの音楽はフレーズの構造や強弱の概念がそれまでとは異なり、
ラヴェルは古典的な音楽を踏襲した新古典主義的な作風の作品が多いです。

当時はロマン派の名だたる作曲家のさまざまな作曲スタイルが知られていたとは思われますが、
ドビュッシーを初めて聴いた聴衆は異文化をとおり越して異星人の音楽に感じたでしょうし、
ラヴェルの音楽は一見古典的な装いをしていたことで、それまでとの違和感がなおさら大きく、
部分的に音が間違っているのではないかとさまざまな反響があったと想像できます。

こののちの音楽は不協和音の扱いにスタイルの特徴を成しさらに無調に近づきます。
ストラヴィンスキー(1882−1971)やバルトーク(1881−1945)は、
特定の調性にない音を共存させたり、シェーンベルク(1874-1951)は、
1オクターヴの12の音に順番をつけそれを繰り返して作曲する12音技法を編み出します。

シェーンベルクはアルバン・ベルク(1885-1935)やウェーベルン(1883-1945)と共に、
新ウイーン楽派として最初期の12音技法の使い手として知られますが、
ウェーベルンがより構造的な12音技法を操り現代音楽への影響をもっとも残しましたが、
ベルクは12音を調性的に聴こえる配列にしたりすることによって叙情性を醸しました。

理論上で完全な無調音楽を目指し、その後の前衛に引き継がれた12音技法ですが、
ベルクは独特な世界観を持つ晩年の傑作ヴァイオリン協奏曲(1935)を始め、
無調を進める身辺とは逆行したことから独自のスタイルを獲得したと言えます。
しかし、考え方から言えばベルクが完全な無調を推奨しなかったとも言えます。

ちょうど100年前に事実上の現代音楽の始まりとなった12音技法による無調に対して、
調性的な手法をとったフランス6人組や新古典主義、ジャズ的な要素など反対勢力もいて、
今の世の中の多様性よりももっと熾烈な活動であったと思われます。
斯くしてこの時も多様な音楽が林立していたと考えられます。

ジョリヴェ(1905-74)やメシアン(1908-92)は無調とはまた別のモードを用いた、
独特の世界観を追求した作曲家で混迷した1930年以降の重要な作曲家だと思います。
この二人は近い関係でありながら作曲家としてのタイプがまったく異なり、
メシアンは少なからずジョリヴェの影響を受けたと考えられ興味深いものがあります。

論理的で後進に対して大きな影響を残したメシアンは音楽史上重要な位置にありますが、
ジョリヴェの音楽は異国趣味を土俗的、本能的に表すことによって演奏される機会が多く、
嘗ては少なかった日本の音大学生レパートリーとしてよく知られた存在になりました。
とは言え、ジョリヴェに関する文献は少なく理論的な意味があまり知られていません。

その後1960年頃から前衛音楽と言われる分野が発達しましたが、
ジョン・ケージ(1912-92)を見ても作品を演奏したり鑑賞することよりも、
何をした人か、どんな考えを持っているかが重要な観点になりました。
同時に調性的な部分を残す近代音楽や、無調や前衛とは無縁の作品も作られていましたが、
少なくとも日本では海外のそのような音楽はあまり取りざたされていませんでした。

1980年代は盛んに海外の新しい音楽が紹介され続け現代音楽を特集する企画がありました。
それは今でもかたちを変え続いていますが、少しずつ縮小されてきてもいるとも思えます。
今日では1960年以降の作品が演奏家自らの意志で演奏されることがかなり少なく、
自治体や企業が主催する企画や作曲主催によるコンサートで演奏されることが殆どです。

その現代音楽シーンを20-30代当初は欠かさず聴きに行っていましたが、
まずは自分の周りの演奏家の現代音楽に対する見方、海外と日本との温度差など、
新しく紹介されている海外の音楽がさほど歓迎されているわけでもなくなり、
さほど好きになれない海外の音楽をあてどもなく追うことに飽きてしまいました。

日本人は自分の職として他者との立場を守るためや周りとの協調を重んじるあまり、
自ら判断せず海外の事象や肩書きを重んじ、話題になった日本人を良しとすることが多く、
内容について検証したり嗜好が入らないために、周りには説得力が欠けているのです。
音楽を含めて日本人が好む日本のものを海外に発信することは限られていると言えます。

アニメなど一部の文化は日本から海外に発信しているわけですが、
クラシック音楽や現代音楽は海外での実績を基に日本での評価がなされています。
しかし、それが日本人の嗜好する音楽ではないということがこの30年に思うことです。
現代音楽として演奏される曲は武満徹のようなひと昔前のもので今のものではありません。

YouTubeに音楽動画を誰もがアップできる時代において、
音楽のアカデミズムや正当性、優れた音楽を世界の最先端として紹介されても、
YouTubeの再生回数が世界レヴェルで多くなければ信用されないのではないでしょうか。
知的好奇心や知り合いでコンサートに行く人がいても愛聴する人は少ないことを表しています。

この要因は作曲者側に海外で認められるためのプライドが音楽に出てしまうためで、
現代音楽としてのジャンルを外れても愛されるポストモダンを目指すことが必要です。
それは無調を貫くか調性音楽を書くか混ぜるかというようなことよりもより決断を強いられ、
それでも今までを捨てる勢いでポストモダンを目指すことであると考えています。





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最終更新日  2021.02.23 21:00:19
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