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しれっと先祖返りを始めたのは、
各々がようやく存続の危機を感じ始めたからです。
一方で、頑なに大先生からの教えを、
ひたすら踏襲し敷衍して理論を主張する、
昔ながらの西欧の伝導者として、
日本でのポジションを保つ作曲家がいます。
作曲家は本来個人主義的である筈が、
実は柵やバイアスを気にすることが多いです。
個人では発信力が弱いために群れをなし、
聴かれる機会を増やすことを望んでいます。
しかし、こどもや若者の考えが尊重され、
恵まれた環境を持つ僅かの逸材が、
個人的に突出した発信力を持ち始めました。
発信力が高い=秀逸と見るバイアスは、
今始まったことではありませんが、
フォーカスのされ方が変わってしまいました。
「ジョン・ケージ 作曲家の告白」は、
2019年に発刊されました。
1948年の講演と亡くなる3年前の、
1989年に書かれた「自叙伝」と称された、
2つの講演の訳をおこした文章からなります。
前半の「作曲家の告白」という、
思わせぶりなタイトルを見て期待しましたが、
「告白」というほどの文脈は感じませんでした。
最初から恵まれた音楽環境にあったわけではなく、
才気に恵まれていたわけでもないケージは、
偏向的な嗜好から伝統的なものを好まず、
特に和声を好まないために打楽器に傾倒しました。
言われてみればケージのピアノ曲は、
あえて和声的になることを避けているため、
旋法的な聴きやすさはあるものの、
和声的な分析ができなかったことがありました。
伝統を踏襲・敷衍した作風では新しさが伝わらず、
壊していくことこそが新しいとされるようになり、
12音技法にも影響を受けたケージは、
システムとしての新しさを追求しました。
ただ表現は演奏者や他者に委ねてしまいました。
”まだ聴いたことのない音楽を好み、
自分が作曲する音楽を聴いているのではない”
この本の帯にシンボリックに書いてあります。
そのシンプルな楽譜は短時間で作ることができ、
技術的にも高くないのは確かです。
高ければもっと演奏され聴かれていた筈です。
このシステムを生み出す作曲法は、
ミニマル音楽にも共通しています。
適当に並べたようなチープな音の欠片でも、
システムに当て嵌めればミニマル音楽になり、
誰もがミニマリストになることができます。
西欧の緻密な労作とは真逆です。
作曲家の領域としてケージやミニマリストを、
嘗ての日本の作曲家の多くや評論家は、
”作曲者不在”と嫌っていたのも確かです。
しかし、今は誰でも作曲できるシステムとして、
音感教育や経験のない人に拡散されています。
ただ、ケージの音楽もミニマル音楽も、
音楽表現の大部分は演奏者に委ねられていて、
その演奏の成果は演奏者に向けられるべきところ、
作曲者の音楽の崇高さとして捉えられてきました。
当初は作曲行為そのものがリスペクトされ、
偉大な作曲家ともなれば崇拝されていましたが、
今や苦労して楽譜を読んで意を汲むくらいなら、
自分が作曲してやりたいようにやればいいと、
殆どの演奏家が考えるようになってきました。
ジョン・ケージを歴史的な偉大な作曲家として、
彼の嗜好はわかっても素晴らしさは何か?
「4分33秒」が大成功と記してあるが、
その音楽がどのように広まったのか?
などこの本で核心的な真意は分かりませんでした。
既存の遥かに優秀な作品がなぜ埋もれていくのか?
仮に当時西欧や日本ででケージと同じことをしても、
まったく相手にされなかった筈です。
ケージの行ったプロモーションが明かされてこそ、
初めてケージの作品を理解できると思います。

どんなに発信力のある人でも、
それまでの伝統を打ち破るのは諸刃の剣です。
比較として適切かどうかわかりませんが、
都知事選で人気を得た石丸伸二氏、
ポスター掲示板をジャックしたN国党は、
賛否が分かれる部分が目につきますが、
いずれもこれまでの慣習に一石を投じました。
ただ、注目されたとしても、
政治家としての資質や実力は全く別物です。
物議を醸すことが発信力を高めたとしても、
質を保証するものではまったくありません。
ケージの偉業は”壊したことが肯定された”
その事象こそが嘗て類を見ないほど突出し、
その功績が歴史に刻まれたのだと思います。
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