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昨夜、帰宅後すぐに履歴書と職務経歴書の作成に取り掛かった。フロッピーディスクに職務経歴書が保存してあったので、修正を加えて印刷。粘りに粘っていたプリンタの黒インクがとうとう空になったので、カートリッジを交換して、キレイに再印刷。履歴書は、手書きで書いた。失敗3枚・・・誤字、脱字を繰り返し、やっとこさ出来上がった。過去に使用した履歴書の控(コピーを残していた)を見ながら書いたので、学歴とか職歴とか資格とか、見たまま書けばいいのに、間違い続けてしまったので、ゲンナリしてた。なんとか用意が出来た。時間はam4:00、支度をせねば~。シャワーを浴びて、2Fのウォークインクローゼット(←と言うと、なんかかっこいい)へ。スーツと、着替えの普段着を用意。am5:00を回ったので、彼を起こすと、様子がおかしい。「動けない~、喉が痛い~」と彼。昨日、滅多にのらない電車に乗った時に隣にマスクのおじさんがいたのと、私のきょうだいがダウンしててやっと回復したところだったので、ウィルスは蔓延してた。忙しいスケジュールで疲れた身体の彼に、風邪菌は容赦なかった・・・かわいそう昨日同様、am6:00出発の予定を変更。彼には即効、常備の総合感冒薬とイオン飲料を飲ませた。少しして、彼は眠ってしまった。私の予定は、13:30~なので、まだ時間に余裕はあった。「寒い、寒い」とうわごとのように言っていたので、毛布でグルグルにしてあげて、その横でうたた寝した。am8:30に起き出し、出かける支度を済ませた。彼が心配だったけど、もうしてあげられることもないので、手の届くところに好きなものと飲み物、お昼の分のクスリを用意して出かけた。実家に置いていた間に、藤の花吹雪で私の車がすごいことになってたので、行きつけのスタンドで洗車と給油をして、出発。途中、コンビニでお茶とおにぎりをゲット。目的地の東京港区方面へ、いざ!計画はうまく運び、懸念した渋滞もクリア、予定より早く東京に到着。証明写真を探し、撮影。時間があったのでコーヒーショップで、『アイスのカラメルラテ』を注文。車に戻って、一息。約束の時間10分前に、訪問。定刻に担当者の方とお会いできた。面接なのに、とても楽しい時間を過ごせた。気付けば、3時間くらいしゃべっていた・・・。私が問い合わせた仕事とは別に、もっと条件のいい仕事の話を私の『笑顔』を気に入ってくださり、「是非紹介させて欲しい」と言って下さいました。私は、身体的な事情もあるので、自信がないと、はっきり伝えました。給与面も含め、かなりいい条件でした。まだ、面接のアポを取る段階なので、不採用(どころか、面接もしてもらえない可能性も大いにあります)の可能性もあるので、担当してくださった方が「私に任せてもらえないか?」と言って下さったので、そのまま身を委ねることにした。とにかく、この方、中年(やや初老)の男性なんだけど、静かな風貌の影からものすごいエネルギーをポンプのように吸い上げて、放出して、また吸い上げて~なんて感じで、影響にバリバリ受けました。私も、自然と元気が沸いてくる感じでした。全くの予想外の状況に、戸惑いもありましたが、これって風向きが変わったってことだよな~って妙に、落ち着いてる自分がいたのが面白かった。ご縁があるといいですね。車を走らせ、御茶ノ水のDaryaShopへ。体調の悪いダーリンのために、ヒヤールシュールの瓶詰、ツナ缶、ドゥーグ、アダスを買った。今回も、あごひげのリッチな店員さんがおやつをくれました。ピスタチオの入ったヌガークッキーのようなもの(名前何って言うのかしら?)、を一つもらった、おいしかった。そして、上野へ。ひっさしぶりに、立ち喰い寿司の『魚河岸日本一』で、遅~いランチ(満足!)。アトレを軽く見て周り、フランスパンだけ買って、マルイへ。無印良品とGAP、靴屋さんを見て、手に取ったけど、結局何も買わなかった。アメ横へ移動。OSドラッグで、彼のために風邪薬と栄養剤、私と妹用にイブプロフェン製剤の錠剤を購入。安いな~。駐車場に戻り、上野を出た。千葉方面へ車を飛ばした。混雑具合は、まあまあ。京葉道路に乗り、かっ飛ばした。花輪インターで下車し、国道357号線方面へ行き、幕張方面へ。自信が無かったのだけど、ノーミスでCOSTCOへ。時間は19時ジャスト。間に合った~。クーポンの商品のリサーチと、ダーリンにチーズピザを食べさせてあげたくて、お立ち寄り。クーポン券を使って、特大サイズのリステリンのクールミントと、おやつたち(全てビッグバッグ※サイズの参考にと500mlペットを置いたけど臨場感なし・・・)ちなみに、我が家は二人暮し。しかも本日、1名は病人。1/3でギブアップ、私は1ピースでリタイア。持って帰る間に冷めてしまったけど、おいしいです。熱々のうちに食べさせてあげたかったな~。全部大きいです。コストコの雰囲気とはちと違う、ものすご~く純国産な雰囲気の買い物写真です。やっぱ、ポテトチップスはカルビーでしょ?寝不足気味で出かけた帰りなので、帰り道では、睡魔の誘惑に何度となくオチかけました。なんとか、帰宅できたけど、危険だ~。眠いし、疲れたけど、物凄く体の内側が燃えてる感じ。エネ満タンです!!!
2006.05.09
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あなたにとっての心からの謝罪がこれですか?◆◆◆このようなやり方しか出来ない貴方を含むお友達集団に、辟易しております。『お前こそ、麻薬の後遺症で、子供にハンディキャップが出たんじゃないの?』確かに、耳を塞ぎたくなる様な、目を覆いたくなるような発言だと思います。言い過ぎたと思います。お子様に対する真意ではないことはご承知だとは思いますが、あらためて謝罪します。失礼が過ぎたこと申し訳ありません。けれど、私への謝罪もお願いします。私は、貴方に「薬の飲みすぎであたまおかしくなったんじゃないの」と言われました。その言葉への、簡単に言えば「売り言葉に買い言葉」です。私への暴言が許されて、貴方への私の失言だけが非難を浴びるというのは、フェアじゃないですよね。私は、あなたのブログへ邪魔をしにきたわけではありません。あなたを大事に思う存在を含め、誤解は解いておきたいだけです。それ以外、係わり合いはもうもつこともないでしょう。あなたへの謝罪は、心からしていると言うこと伝わるといいです。◆◆◆本当に悪い事をしたと思うなら素直に謝れないのでしょうか?いつも一言多い。それから、私の副業のHPにも足を運んで頂いているようで、ご苦労様です。リンク元はミクシーとオークションですか。当事者の方はあなたに情報提供だけはしっかりとするんですね。今回の事とは無関係なのに。(2006.05.07 14:04:25) ●●●●さんと言う方の、今日の日記です。いつもこちらに足を運んでくださる方や、お友達の中には、別の場所ですでにご覧になった方もいるかもしれません。時間はおよそ、一ヶ月ほど前に遡ります。私の管理画面のアクセス記録にイランに関係のある方と思しきHNの足跡がありました。ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、『●●●●』という名前はイラン(もしくはムスリム)の名前です。私も、パートナーがイラン人ですから、直ぐにその足跡に反応しました。これでまたコミュニケーションの輪が広がるかもしれない・・・とほのかな期待もありました。ですが、その期待は一瞬で消え去りました。『常識人 集合ッ』としたタイトルで、その日記には私の友人のこと語っているのだと想像に難くない内容が綴られていました。仮に、その内容が厳しいものだとしても、事実だったら、「ブログで書くことではないよ」というコメントは残したと思いますが、それで終わりにしたと思います。私が、何度も読み返した、その日記には事実に反する内容が、書き連ねられていたのです。私は、お友達や、長らくお読みくださっている方ならお解かりになりますよう、『黙っていることができない性格』ですから、当然、その事実と異なる内容に、抗議の態度を示しました。そこには、●●●●さんを擁護する存在が次々に現れました。●●●●さん、●●●●さん、●●●●さん、●●●●さん・・・彼女達は、はじめはただの第三者だったはずが、少しのやりとりで双方の関係者であることを明かしていきました。楽天広場ブログは、ソーシャルネットワークサービスではないし、パスワードを要するクローズドスペースでもありませんので、知人、第三者のコメント、意見は当然だと思います。私が、納得いかないのは共通の過去を持つものが、皆で事実の歪曲に加担していると言うこと。私は、直接お会いしたことはありませんが、別の某イランコミュニティサイトでやり取りし、その際にも、色々言われた経緯があります。知らない、憶えてないと言われてますが、これまでの流れの中でそれも嘘だということはばれてしまっています。それも、構わないんですよ。記憶に無かっただけかもしれません。皆さん、お子さんを持つ主婦の方で、中にはお仕事も持っておられる方もいますから、一日中PCにへばりついて、アクセス解析だ、更新がどうの、どこのサイトではこうだったなどと、追い掛け回すことは大変なことだと思います。記憶の混同もあるかもしれませんし。私も、こんな性格ですし、ネットは肉声ではなく、『文字』のコミュニケーションでもあるので、時には言葉は悪いかもしれませんが『言葉遊び』的なレスをつけることもあります。けれど、いい加減な情報を基に荒らそうとしたり、嘘を平気で書き連ねることはしません。しまいには私宛の日記が書かれる始末。どんなに、近しい存在や、目上の方(イラン関係の大先輩)などに「無視しろ、見るな」と言われても、そこはお子ちゃまの私、せっせとご丁寧にレスしてました。ある時、●●●●さんブログのBBSで、今まで登場した方々とはキャラの違う、威勢のいい方が、私について書き込みをされました。それは、人を小馬鹿にしたような書き方で、はっきり言って気持ちのいいものではありませんでした。それでも、パーソナリティチェックとしてブログをさらっと覗かせて貰うと、捨てハンではなく、キチンと運営されてる方のようだったので、不必要に攻撃的な態度はしないつもりで、本心から親しみを込めたコメントをしました。けれど、それは失敗でした。私は、恋人、家族にも言われるのだけど、馬鹿が付くほどのお人よしだそうで、私は理解し合えるというささやかな期待を持ってしまったのでした。結果として、●●●●さんの情報をほとんど持っていなかった私は、●●●●さんのレスに対して、純粋に再レスしただけだったのに、彼女の怒涛の連続コメ、言葉遣いの汚いコメのシャワーを浴びることになったのでした。完全なる誤解が発端となり、彼女とは、上記に貼り付けた内容のやり取りをしてしまいました。はっきり言います。太字の『』の中の、辛辣な言葉は私が言いました。逃げも隠れもしません。先天性の病気やハンディキャップをお持ちの親御さんに総スカン喰らっても仕方ないと思います。言い訳すれば、その後の太字の「」内の言葉に対する、売り言葉に買い言葉の最悪な例だと思います。私は、それについてだけは謝罪しました。言い過ぎだったと、もうすでに言ってしまったことですから、戻しようがありませんが、謝罪はしておくべきだと思い、すぐにしました。けれど、その後も色んな尾ひれは付いて行くものでした。私は『クスリの常用者』とまで言われました。私の治療歴を知っている方は、それが違うと言うことは明白だと思います。私は人様にお薬を説明し販売する仕事をしていましたので、苦し紛れの乱用すらしないのです。だから、そう言われたから、あんなことを言い返していいということではないことは承知しています。ですので、この件に関し、どうしても黙っていられないと言う方、恐縮ですが私の私書箱メール宛にお言葉を寄せてくださって構いません。もちろんどこかに公開することは致しませんので、厳しいご意見でももちろん結構です。●●●●さんのブログに呼ばれる様に訪れると、私宛の日記が書かれていました。それは、私への書き込み拒否を解除し、私への謝罪を促すものでした。私は、上記貼り付け分内に貼り付けられてる文章を残しました。●●●●さんはそれに対し、ご不満は残っていたようですが、謝罪を受け止めてくれました。私への謝罪は頂けておりませんが。あまり期待していません。そして、問題のこの薄いグレーの貼り付け分は、●●●●さんが一応ケリが付いたところに、更に蒸し返してるのです。●●●●さんの実生活での行動パターンに反映されてるような気がします。イランという国のパートナーを持っている(いた)というだけの繋がりで、オンナが群れる。コミュニティという名の大奥では、一般常識では理解できない、陰湿で辛辣なやりとりがなされてきました。それは、中東エリアの人間との国際結婚という日本ではマイノリティかつ、ネガティブなイメージを背負い生きていく、妻達、彼女達のもがきでもあると思います。そんな中でも、実際のところ活き活きと公私共にご活躍なさっているイラン人配偶者の妻、イラン人と愛を育んでいる方が大多数であることは、言うまでもありません。子のあるなし、生活水準の高さ、信仰に対する意識、あらゆるボーダーを取り去って、その上で構築的な生き方ができるか、パートナーと支えあっていけるかということが大事なんだってこと、そして、それはとっても簡単な事だってこと、もっと理解していきたい。人間臭い国、イラン。人間同士の係わり合いを、『妬み』、『僻み』、あらゆる『競争』でしか学んでこられなかった、バブル世代の日本人の弱さを垣間見た気がします。私の愛すべきブログでこの件を書くのは抵抗があまりにありました。けれど、そ知らぬ顔でこちらではニコニコ、あちらでは・・・と言うような器用な真似が出来ないアホなハイパーのんちゃんです。私だけが正しくて、私だけが正義で、私は被害者だ・・・なんてことは一切申しておりません。お叱りを受けるべき発言も多々あるかとは思います。最後に、私の友人に関する事実は、前出のブログには一つも存在しないことを強く訴えたいと思います。明日からは、初夏の息吹に心あらたに、満身創痍で励みたいと思います。
2006.05.07
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昨日は、仕事で午後から彼が出かけてしまった。午前中から、先日買ってくれたキューブのメンテナンスをせっせと済ませてくれていた。洗車に行こうと誘われていたのに、面倒臭くてグズグズしていた。洗濯物を干したり、最低限の家事をして、あとはボケ~ッとPCに向かっていた。夕方、YUKIさんがメールをくれて、やり取りしてて、直接話したかったので、お電話した。YUKIさんとは、おとといも話していたんだけど、私の急用が発生して途中でお電話を切ってしまったので、その続きもあってお時間を頂戴した。話の内容は、愚痴とか誰かの悪口ではなく、なんかやけに清清しくなる内容で、ヘドロに片足埋まってた私はそれがばかばかしくなって、心が晴れやかになった。またこんど逢おうね~とバイバイした。お忙しい中、ありがとうね~。そして、☆☆coco☆☆ちゃんからメールで連絡をもらい、お電話で話した。ブログで出会い、随分前から知っているようだったけど、直接お話しするのは初めてだった。他愛ない話から、最近の出来事、お互いの共通の趣味とか、ダーリンの話とか、すっかり長話してしまった(ごめんね~)。☆☆coco☆☆ちゃんは、デビちゃん、ティナちゃんがもう寝ちゃったから大丈夫だよ~なんて、私のオシャベリに付き合ってくれた。しばらくして、マイダーリンが帰宅した(スカイラインのターボの爆音でわかる)ので、そろそろ・・・とバイバイした。お互いに、そのあとブログを覗いたりしてたのが面白かった。なんだか、とっても素敵な時間を過ごせた。私の毎日の習慣となった、彼への報告タイム。疲れた彼は相当ウザかったと思う(笑)けど、いいことと、嫌なことの全てを報告した。悪いことについては、目を丸くしてたりもしたけど、私が彼に話すことで心身のバランスをとっていることを彼はよ~~~~く理解してくれてるので、じっくり聞いてくれた。世の中には、理解不能な生き物もいると、多くを語らず抱きしめてくれた。ラブラブなまま寝た。今日は、昨日に増してまったりと過ごしてた。彼も、ほとんど動かず、リビングで2人して眠っているような、スカパーをダラダラ観ているような、な~んにもしない時間を過ごした。夕食は、彼にはチキンナゲットとトマト、メニセーズのミニフランスパン、私は冷やしうどん(ツナ、納豆、青ネギ、天かす)と冷蔵庫のストック整理をした。明日は少し動かないとナ~。そういえば、連休前に派遣会社より仕事の紹介があった。毎日、メール宛には来ているんだけど、電話が来た。悪くはない条件なんだけど、時給が低めなのが不満点。この案件、いわゆる孫請けの仕事で、間に派遣会社が2つ入ってる。だから、時給が低いのだ。裏事情もわかる私は、やすやすと仕事は請けない。ごねると、時給がアップすることもあるから。安い給料で働くのなんてごめんだもん。自分を安売りはしないのだ~。
2006.05.04
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私の恋人は、モスクワ生まれのロシア人の母とテヘラン生まれのイラン人の父を持つ、イラン国籍の男性です。彼は、ムスリムです。典型的なイラン人らしく、外側よりも心に神様の存在を強く持っています。豚肉(エキス、ハム・ソーセージ含)、イカ、タコ、うなぎ、貝類は食べません。その姿勢を私もサポートしています。彼は、かなり流暢な日本語を話します。アメリカ人にも見間違いられる外見とは裏腹に英語は話せません。彼は、12人きょうだいの9番目です。ちなみにそのきょうだいは全て同じ両親から生まれました。※イランはイスラム国家ですので一夫多妻制度は認めていますが、基本的には(特に首都圏は)一夫一婦の家庭がほとんどです。彼は、裕福な家に生まれました。事業を成功させたお父様の遺志を健在のお母様とお長兄様が引き継いでいます。ファミリー皆がビジネスを成功させています。きょうだい全員が高等教育、留学をさせてもらっており、大家族でも窮屈な思いはしていないそうです。なので、お金に卑しくも汚くもありません。恥ずかしいことかもしれませんが、今まで一度も仕送りしたことがありません。イランに住む家族の方が、リッチだから(笑)。彼は、犯罪行為には一度も手を染めたことはありません。仕送りの為にと、偽造ナントカや、麻薬の売買に加担したことはありません。国で待つ貧しい家族の過剰な要求に応えるため、欲に目がくらんで、誘惑に負けることはないんです。彼は、家族を大事にします。それは、婚約者である私の家族も同じです。けれど、自分の家族の為に妻を犠牲にするようなことはしません。あくまでも、最優先は妻になる私であると言ってくれています。彼は、過去にイランで大きな事故に遭ったことがあります。そのため、体中に傷があります。仕事中に傷めた腰のため、数年前にも都立病院に入院したことがあり、腰痛は持病です。私は、日本人の父と母の間に生まれた、日本国籍を持つ女性です。敬虔ではありませんが、私は仏教徒です。毎日ではありませんが、実家では仏壇に毎朝手をあわせてから出かけたものでした。正式にはムスリムではありませんが、彼のスタイルになるべく添えるよう、我が家の冷蔵庫にはチキンとビーフしかありません。けれど、偏った思想に左右されたくないので、私は私の意志でハラムには向き合っています。私は仕事柄、キレイな日本語を学びました。なので母国語を大事にしています。私は一般的な日本人よりはかなりハッキリものを言う方だと思います。その他の言語は英語は好きでほんの少しだけ、ペルシア語はひよっこだけど勉強中。英語より簡単かもしれないですよ。私はさほど裕福な家庭ではありませんが(まあ真ん中くらいですね)、堅実な父のもと、大事に育てられました。何不自由なく育ててもらいました。きょうだい皆高等教育(って言葉も古いけど)を受けさせてもらっているし、お稽古事も好きにさせてもらいました。きょうだいが(日本では)多い方なので、それを理由に制限されることはありませんでした。感謝ですね。私は、5人きょうだいの長女です。下には妹、妹、弟、弟がいます。本当は、私の1歳上に男の子がいました。けれど、心臓疾患が理由で妊娠9ヶ月過ぎに死産でした。羊水過多で激痛に苦しんだ母、当時の医療は妊婦に冷たかった。母の命をとるか、胎児をとるか、それとも母子ともにダメか・・・当時の父の苦しみは計り知れないです。その後生まれた私です。甘やかされて育ってます。長女と言えど、全然しっかりしてない勝手なねえちゃんです。私も犯罪行為には手を染めたことはありません。けれど、彼と出会う前に出会ったイラン人が犯罪者でした。麻薬の売人でした。それがわかったので別れました。今の彼とそのファミリーの存在がイランという国をキライになるのを止めてくれたんですね、イラン人基本的にはいい人です。私も家族は大事で、何よりも最優先で来ました。そこも、日本人っぽくないと言われる所以かもしれません。典型的な核家族で、両親とも本家のある県から離れて生活してきたので、余計に家族の絆を大事にしていました。離れて暮らす祖父母への想いも強いと思います。同居してるいとこにやきもち焼いたものでした。なので、家族を大事にしてくれる彼との出会いは必然だと思いました。イランという国と日本という国は元々は良く似ているんです。下町人情とかまさにそうだよな~って思います。けれど、私も私の両親同様、夫になる彼を最優先します。彼を侵害する存在はたとえそれがファミリーであっても、守ります。血よりも濃い絆を彼とは創っていきたいと思います。私は、あまりからだが丈夫な方ではありません。第一子を死産の末生まれた私が「生きている」ことだけでありがたかったと言われました。おかげさまで、大きな先天的なハンディキャップはなかったものの、呼吸器系が弱い為、扁桃腺炎は年中、3歳の時腎臓疾患で生死をさまよいました。10歳で再度腎臓疾患にかかりましたが、幸い慢性化しませんでした。心臓にも少し先天性の欠陥があることがわかりました。10代で十二指腸潰瘍になり、20代前半までは胃薬が定番の生活でした。腰椎椎間板ヘルニアもあり、「痛み」との闘いばっかり(笑)。そして、このブログ立ち上げのきっかけの婦人科疾患。自覚症状は実は17歳の頃から。当時、今のようにネット環境もなく、医学的情報は皆無。生理について話すなんてタブーなんて風潮、鎮痛剤は悪、痛みは我慢しろ!の時代。たった10年前頃の話です。かれこれ、もう15年くらい苦しんできたんですね~。なので、完全なる『健康体』にあこがれる毎日です。私は、自分の意見はハッキリと伝えたい性格です。物事の白と黒に融通が利かないほどハッキリさせたい性格です。私の恐いものは「嘘」です。嘘は、嘘を突き通すために、更に嘘の上塗りをします。嘘は人を傷つけるだけで、何も生まれません。『嘘も方便』と言う言葉がありますが、これは嘘をついてもいいということではありません。人を傷つけない為に、自身が犠牲となって嘘をつくこと、それは時には正しい道に向かうという教えであって、「たまに嘘つくくらいは許される」のではないのです。嘘を1個突き通すために失うものの大きさはどれくらいでしょうか?私は保身のために自身の意見を飲み込んで言わずにいる・・・と言うことはしない主義です。一般的な日本人のなかではマイノリティケースかもしれません。けれど、人を平気で傷つけることを、平気で言えるということではありません。どんなに仲の良い友達だとしても、おかしいことがあればハッキリ伝えます。間違いであれば、間違ってると伝えます。私は「好き・嫌い」でものの判断はしません。意外かと思われるかもしれませんが、「このみじゃないから」と受け入れないと言うようなもったいないことはしないんです。知らないのに嫌いかどうかわからないでしょ?なるべくなら味見もするし、首も突っ込みます。だから、落とし穴には引っかかりやすい方かもしれません。「あいつは気に食わないから、あいつの意見は聞かない」という姿勢は私にとってはアンチスタンダードなんです。なので、「大好きなあの人のいうことだから、なんでもOK」でもないということです。アイシテル存在であればあるほど、不正や悪態なら許さないし、疑問は解決したい。だから、私に意見をくれる存在にはもちろん耳を傾ける。その意見が、明らかに間違っていれば、反論はするけどね。彼は、そんな私の性格をよく解っている。普通の女性と同じに扱ったら、ダメだって(笑)。でも、腹の中に汚いものを溜め込んだり、見えるところだけ取り繕ってきれいにみせたり、私利私欲のために、おべっかを使うことも無いこともわかっているから、深く信頼してくれてる。昔、こんなことがあった。ある授業で、先生が問題定義した。クラスの半数くらいの積極的には発言しないおとなしい子は、順番にさされてもうつむくだけ。順番が回ってきた、優等生の一人がある答えを発言した。そして、次々とそれに賛同する答えが続いた。クラスの全員が同じ回答にYESと応えた、私以外。そして、その問題の正解は・・・私の答えだった。私は、正しいと思ったら「右へならえ」で、本質を見失うようなことはしない。もしかしたら、正解を解っていたけど、自信が無かった気の弱い子、おとなしい子もいたかもしれない。けれど、勇気を持って正解の意思表示をできなかったことは、不正解と同じだ。大勢の回答がそうだから、それが正しいと言うことではないという信念が私にはある。多くの声を反映させていく・・・という物事の運び方もある、それは私も賛成だ。だから、何人ものひとから、おなじような誹謗中傷を浴びようとも、陰口をささやかれようとも、噂話を流されようとも、真実は一つ。私は、そういったあらゆるネガティブなものに屈することはないのだ。私を理解してくれる人は確実に存在するから。悪意と嫉妬と僻みにまみれた、ヘドロのような存在は、「哀れ」とおもうだけなのだ。
2006.05.03
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ある出来事がきっかけで、色々と考えています。国際結婚ってなんだろう、なんか特別なのかな?だって、例えばスイスとフランス人が結婚したら、山を挟んで隣同士の国、沢山いると思う。大陸にある国の人は地続きの国がほとんどだから、国際結婚なんて普通で、同国人同士の結婚と同じくらい%発生してるって思う。私の両親は偶然、同県人の出身だけど市が違う。そうすると、もう全然生活は違ってくる。東京の人と大阪の人が結婚するのなんて、イランとトルコの人が結婚するより大きな違いがありそう。だから、過剰反応することじゃないよな~って思う。国際結婚とか国際恋愛してると、それだけで、自分が『国際人』になったような錯覚に陥りがちだけど、自分のルーツをしっかり語ることも出来ない日本人、多いと思うので、学習しなくてはいけないことって多いよな~って思う。各国の出身者が集まって自分のお国自慢(プロフィールって言うのかな)をする時に、否定的なこと、悪いところ、キライなところをまず挙げるのは日本人。愛国心が薄いのも日本人。だけど、本当はそんなことないのにね。オリンピックで日の丸が掲揚されれば深夜でも早朝でもTVにかじりついて涙する。少なくないよね~。そういう人は豊かな目が国内に向いているのかもしれないけど。私は結婚についてはイラン人の彼としか考えたことがないから、他国の方の事情はわからないけど、在日イラン人との結婚に多い、「焦って結婚」「とりあえず結婚」という道を歩んでいない分、いろんなことを学び、考えるチャンスを得ている。イランはイスラム国家であるから、『ハイ結婚しました、ハンコをポン!・・・はい終わり』ってわけにはいかない。信仰は個人の自由と日本では保障されているけど、イスラム国家イランに嫁ぐ場合は、ムスリムであることが必要になってくる。某大型サイト掲示板などでもこの件は熱く語られ、興味本位の人に荒らされたりしちゃうんだけど、そこも考えたいところ。だって、信仰の自由は日本の憲法であり、日本以外の国で結婚する場合、その国の法律が優先されるのは当然。それが、自由侵害とか、奴隷とか、女性蔑視とか・・・って言うのは、間違っていると思う。たとえ好きあって結婚したいと思っても、納得できない折り合いの付かないことが発生した場合は、それも「ご縁がなかったこと」の理由になるんじゃないかな?結婚を承諾したってことはそういう大きなバックボーンも受け入れることになる。それができなければ、『結婚しない自由』は保障されているのだもの。私はよく、既婚者がおそらく夫には聞こえない場所で、聞くに堪えない夫の、夫の家族の、夫の国の、夫の信仰の愚痴をぶちまけているのを目の当たりにする。ある程度はいたしかたないだろう、私達は聖人君子ではなく、一人間だから。けれど、おそらく感情のままに吐露した言葉にのり、大げさに言えば世界中に垂れ流しになっていること、イランという日本には悪いイメージが定着してしまった国の、それがさもスタンダードかのように表現されることが、それがイラン、それがイラン人ととられることが私にとっては我慢ならない。いつも思う。相手がイラン人だから上手く行かないのではなくて、ダメになる人は誰と結婚してもダメになると思う。離婚、再婚を否定はしない。むしろ新しい人生で幸せに対してもっと欲深くなっているほうが精神衛生上いいと思う。一生夫の愚痴を言い続けたい妻や、妻の悪態をつまみに酒を飲みたい夫は別だけど。けれど、離婚の内情として、初婚の離婚より、離婚経験者の離婚の方が確実に多いと言うこと。つまり、離婚に至りやすいタチの人は、いるっていうこと。それが人間の価値を決めるものではないけど、神様が人間を男女にわけてお造りになった理由をもっと認識できれば、夫婦関係を円滑に運ぶことは案外簡単だって思う。独身の私が言うのもなんだけど。私は、このブログを見てくださっている方はご承知のように、しょっちゅうぶっ倒れる。健康で、はつらつと日々を過ごされてる方をなんともうらやましく思い、自分をそれだけで欠陥人間だな~と鬱々とした気分になることは、大人になってからではなく、3,4歳の子供の頃から持っていた。みんなが当たり前に出来ることができなくて、欠格者の烙印を押されたこともあった。体調が悪いと言うだけで、怠けていると思われたこともあった。築いてきた、積み上げてきたものを、不健康であるがゆえに、足元から崩されたこともあった。婦人科疾患については、敵は女性だった。それでも、近しい存在や知識人が私をいつも支えてくれた。知らないことは恐ろしいことで、無意識であっても相手を傷つけてしまう。難病と呼ばれる病気の患者さんのご苦労を思うと、私なんて全然甘っちょろいんだけど、それでも病気の差はあれど、同じ病に伏した者として言えば、過剰な優しさは負担だし、かといって理解してる気になって間違った知識から誤解してる人も困る。「病は気から」の認識を間違っていて、精神力が弱いから病気になると説教垂れる人もウザイ。辛くて倒れそうな時、大丈夫ですかと騒ぐくらいなら、黙って席を譲ってくれる人のほうが数倍親切だと思う。みんな、治りたいし、楽になりたい。痛いのが好きな人も、患っていたい人もいない。そして、患者は医師とダイレクトに関われるけど、患者の家族の負担と言うものは実は患者の精神的苦痛のそれ以上かもしれない。痛いのも苦しいのも自分ではない。けれど、個人の生活を蝕まれたり、気を遣ったり、心配したり、ぶつける先のない思いがあふれ出してしまうだろう。心のケアは、患者だけではなく、患者の家族にこそ必要だって思う。まして、その患者が成人ではなく、幼い子供ならなおさら。全ての判断に本人以上の意思が反映され、責任がかかってくるのだから、ケアされるべき保護者というのは、実際のところ、表面的に明らかにされてる数よりはるかに多いと思う。私も、両親を随分心配掛けてきたので、それは痛いほどわかる。母が、強くならざるを得なかったことも。父が、一つのことに硬くこだわることをやめたことも。子供の存在について、私と彼はもちろん今も欲しいと思っている。気持ちは変わらないし、いつも願っている。それでも、おそらく私の身体的事情が一番の原因であるであろうということを彼は深く解っているから、何も言わない。2人きりの人生もいいじゃないかと言ってくれている。もし、この先子供を授からなかったら養子も考えようかなって思ってる。彼が望めば・・・の話だけど。育児について、私は子供こそまだ持っていないけど、きょうだい下三人の世話を一通りしてきたので、経験がある。無いのは出産と授乳だけ。さすがにお乳は出ません。私の父は仕事人間で、帰宅も遅かったので最近の若いパパさんたちと比べると育児に積極的に参加してはいない方だと思う。それでも、母というよりは妻として母を大事にしていたので私達子供は父の存在を尊敬している。父はまじめだ。脳内出血で倒れた後も、人知れずリハビリに専念し、担当した医師さえも信じられないほどの脅威の回復で倒れてから3ヶ月で会社に復帰したのだ。なので、たまりにたまった有給休暇でたしかまかなえてしまったような話を聞いた。お風呂から、当時、幼稚園児だった上の弟と一緒にあいうえおを何回も言っているのが聞こえた時、中学生だった私はこっそりと泣いた。リハビリ用にと、とても重いスプーンで食事していたのも憶えてる。物腰ソフトで誰にでも優しいけど、人一倍プライドの高い父。みっともない姿を見せたくなかったのか、厳しいリハビリを自ら課し、復帰の日と決めた日までに後遺症が見られる部分を全てなくした。あの頃の父の姿は、私には辛すぎた。だから、あまり記憶にない。それから随分経ったある日、定年後の暮らしの夢を楽しそうに話してくれたのも憶えてる。パパはママとオープンカーで全国周遊の旅をしたいんだ。そんなママLOVEのパパの娘です、彼の存在は当然なのだ。私は彼に何もかも話す。一日にあったことの全て。いえないことがあるとする、それは私にとって物凄いストレスとなり、確実に体調を崩す。彼は、私の性格をよく理解している。私が、物凄い頑固なのも、裏表がないことも、だからこそ敵も多いことも。その代わり、20年以上にもなる付き合いの友人も多いことも。彼は、私に嘘を付いたことがある。その頃の私はメチャメチャになった。私は自分が嘘をつかない分、嘘をつかれることが、何よりキライだ。うそつきは、その嘘をつくために嘘の上塗りをしないとならない。嘘は雪達磨式に膨れ上がるのだ。だから、私は彼に伝えてある。死ぬまで持っていける嘘だけはついていい、騙し続ける自信があるなら浮気もどうぞ・・・と。彼は言う、自分にとって私という存在を超える女性はいないと。他の女じゃもう、満足できないと思う。真剣勝負だもん、いい加減な気持ちの人は私とは付き合えないって思うよって言ってある。その代わり、私は全身全霊で貴方を愛し、幸せにする自信もあるけどってネ。私達は私達の計画にのっとって、幸せな結婚へと進んでいる。私にとって、国際結婚は普通のことだと言っても、書類の手続き上は、やはり違う。日本人同士の紙切れ一枚で済まない、紙切れ数十枚なのだ・・・笑。そこだけとっても、簡単に離婚するのはもったいないって思う(笑)。不思議なことに、サイト検索をかけても、既存のイラン関連サイトをみても、結婚の手続きの時点で妊娠してたり、お子さんがいる場合ってのが多くて、「出来ちゃった結婚」じゃないケースの手続き方法ってどこで調べられるのかな~と苦笑い。だって、かの在日本イラン大使館の婚姻手続きの案内も「お子さんがいる場合」って当然のように書いてあるんだもん・・・。ちょっと偏見すぎやしませんかね~。ヴィザのために、いそいで孕ませて、結婚の既成事実を作りたい輩もいるだろうけど、表向きは普通のスタイルで案内してくれよ~って思う。・・・とここまで打った所で、彼にお前は何時間何をカタカタ打っているのだと難しい顔をされたので、今日はここまで。
2006.05.02
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早いな~今年ももう5月か~。今日は東京は27度の真夏日を観測したそう。千葉も日差しが強く、暑かった~。早速、先日買ってきた半そでのポロシャツに袖を通した。このポロシャツ、色々工夫されててかわいいの。今日は、腰痛が悪化した彼が予定変更で家にいたので、午前中はのんびりし、11時頃に始動。近くのカーディラーで自賠責保険25ヶ月分を支払った。そして、市役所で仮ナンバーを申請。警察署に行き、車庫証明の用紙を受け取った。近くのファミレスでランチ。そして、下の妹を送りに東京へ。運転はダーリンがしてくれた。私は、妹とともに、ウトウトしてた。途中、SAでトイレ休憩して、ソフトクリームを買って食べながら出発。首都高は少し混んでた。でも、ゴールデンウィーク中日にしては平日だからか異常な渋滞ではなかったから助かった。夕方、まだ明るいうちに妹の家に着いた。夜、お友達と会う予定があると言ってたので、余裕を持って帰宅できてよかったね~と思った。笑顔で妹と別れた。そして、本日の本命の用事をするために埼玉へ。のんは、道中眠くてぐっすり寝てしまった(ダーリンごめんよ~)。先日、車を買ったのでそれを取りに来たのだ。私がホワイトデーに買ってもらった車を弟に譲って、私は別の車に乗ることになったのだ。私の新たなパートナーは、日産キューブちゃん色は大好きな青。中古だけど、彼が厳選して探し出したとっても程度のいいもの。ダーリンありがとう~。連休明けにも車検を取る。明日は、掃除とメンテナンス。以前、キューブが新発売になった時、マーチに乗っていたのを買い換えて、気に入って乗っていたんだけど、弟に貸したら事故を起こして廃車・・・。そんないきさつがあったので、またキューブに乗れると思うとちょっとうれしい。そういえば、ダーリンとであった頃にちょうどキューブに乗ってたんだよな~。運命のキューブ・・・になるかしら?
2006.05.01
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今日は、先月亡くなった祖母の四十九日法要でした。仕事のあるダーリンを除く、マイファミリー全員で車2台で群馬県まで行きました。ゴールデンウィーク初日(だよね?)ということで、早朝5:00出発でした。運転は、マイカー出動の私と、上の妹Mちゃん。運転できる人員が、父と上の弟もいるので、少し安心している。寝起きの悪かった妹Mちゃんが、母と小競り合いを起こし、イライラしながら運転していた。国道16号線に乗るために、京葉道路をぶっとばし(妹を置いていく私)、私の案内で千葉北で降りた。妹の車はなかなか追いつかず、待ってみたけど、16号線は早朝でもダンプとか大型車が沢山走っているので、停車していられなかった。途中のコンビニで、待機。すると、Mちゃんと喧嘩して車を降りた母が歩いてきた!仕方ないので、母を乗せ出動。国道4号線とクロスしてる手前のマックで朝ごはん。ここで、喪服に着替えた。ここで、ドライバーチェンジ。完全にキレた妹を引き取り、下の妹Cちゃんと上の弟Hくんと4人で私の車。もう1台で、父が運転、母を引き取り、下の弟は後部座席で居眠り。ここからは父の先導。母の生まれた街は今時期、観光シーズンで渋滞が予想されるため、それを避けてのルートで走行。おかげさまで、予定より早く到着。本家は親戚の車でごった返してたので、近所のコンビニへ。しばらくそこで待ってて、時間になったのでお寺へ。予定より少し早く、祖母の四十九日法要は始まった。お焼香をし、お経を読んでもらい、最後にお坊さんのお話。七日区切りで、例えば21日目だと「三つ七日」とか言うらしく(私は不勉強でよくは知りませんでした)、それぞれの時期に意味があると教えてもらいました。メモが出来なかったので忘れちゃった!!無事に納骨を済ませ、お線香をあげ、お団子をもらった。両親はおじ、おばらと食事会(精進おとしっていうのかな?)にでかけた。私たち5人きょうだいは、車で出かけた。お寺から、少し行ったところにあるレストランで少し遅いランチをした。以前何度か来たことのある洋食レストラン、弟たちはお初だったので、素敵な雰囲気のレストランにドキドキしていた。それぞれ、すきなものをオーダーし、シェアしたりしてワイワイ楽しく食べた。ドリンクはドリンクバーになっているので、食後のデザートとお茶で一息つき、店を出た。その後、イオンに行った。そこは、総合ショッピングモールになっていて、ものすごく大きかった。私は初めてだった。少しして、両親が合流。いくつかのお店をのぞいて、妹と色違いのかわいいデザインのポロシャツを買ってしまった!その後、きょうだいでクレープやさんへ。のんはキャラメルバナナカスタードクレープ、バニラアイストッピングをセレクト。美味しかった~。そろそろ出ようと、車に戻る。すると、父が車の置き場を忘れてしまい、みなで捜索。私は車を徐行させて捜索。とにかく広~~~~いパーキング、とりたてて特徴のないシルバーの日産サニー。1時間くらい探してたかも。そして、母の「Bのバナナ」という記憶に、探していた場所と建物を挟んだ反対側にもパーキングがあることを発見。この建物はぐる~っとパーキングに囲まれてるつくりだったのだ。気付いたら発見は早かった(笑)。やっとこ全員が車に乗り込み、店を出た。帰り道、母が寄りたいと言っていた場所があり、そこに向かう。遅くなってしまったけど、相手のかたは待っていてくれた。1時間くらい、話をして別れた。すっかり予定より遅くなってしまい、母方の祖父母の所には寄らなかった。帰りは父の後を私が追う形で、国道354号線~4号線~16号線と進んだ。途中、トイレに行きたくて、道の駅に寄った。キレイで便利だった。遅かったので、お店はもう閉まってたけど。今日一日の疲れか、腰と言うか骨盤が痛くて、歩くのも辛い感じだった。運転中は気がまぎれるけど、さすがに疲れた。オープンしたてのセブンイレブンでおやつを買った。父は睡魔に襲われたらしく、弟が運転を代わった。途中のラーメン屋さんで遅い夕食をとった。もうヘトヘトだったけど、運転を代われる上の妹が具合が悪くなってしまって、ぐったりしてたのでのんはノーチェンジで頑張った。はっきり言って、半分居眠り運転だった。やっとの思いで、実家へ。荷物と、上の妹を降ろし、下の妹とダーリンの待つ我が家へ。は~着いた~。喉がカラカラして咳がでる、腰は激痛。寝不足で肌はカサカサ・・・体中の水分が不足してるのかな~?緑茶ばっかり飲んだ今日、カフェインの取りすぎか、疲れて眠いのに神経はとがってしまった。ダーリンが心配そうにしてたけど、おみやげのセブンイレブンのざるそばをめずらしくぺろりと食べた。次の法要にはまた一緒に出席するつもり。やっぱりいつも一緒がいいよね。
2006.04.29
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本日、コストコ幕張倉庫店にて3回目のお買い物。予定では一人で行くはずだったんだけど、ダーリンがなぜか家にいた(さぼりらしい)ので、一緒に出かけた。今日はあいにくの雨、2人して腰痛に苦しめられながらも、午後に出発。いつも通る道が渋滞してたので、別のルートで出かけた。ダーリンの提案だったんだけど、ビンゴ!信号以外止まることなくたどり着いた。地元には支店がない都市銀(それが私と彼のメインバンク・・・)で、入出金を済ませ、いざコストコへ。平日は渋滞することもなく、入店ができる。まだ、恐くて土日は行ってない(18時までだし)。既存の会員さんにはクーポンブックが郵送で届いているみたいなんだけど、私は最近入会したので、間に合わないと言われてたので、今日、カウンターで受け取った。どうも、明日から使えるらしい(笑)。念のため確認したけど、今日買うつもりだったものは対象じゃなかったので、ホッとした。本日のお目当ては、パン類。入会時にもらったクーポンを利用。ディナーロール、ベーグル(6個×2)、鶏むね肉2kgはクーポンで更にお値引き。夢にまで出てきた、マフィンは彼と検討の結果、オールチョコチップにした。そして、私の強い希望で、スニッカーズMiniの大袋と、ドリトスの8袋入り。これはハッキリ言って、私専用。そして、メカニックツールセット。これは、彼が前回来た時に目をつけていて、会社にあるもっといいやつ(義兄購入)もあるんだけど、携帯用として車に積んでおきたいらしく、今回ゲット。彼は、これを買うために、出不精なのに一緒に来たのだ。一通り、買い物を済ませ、タイヤセンターを偵察し(笑)、フードコートへ。私は、気になっていたホットドック(フリードリンク付き)をゲット。ピクルス、オニオン、ケチャップ、マスタードはかけ放題。たっぷりいきました。ドリンクは、ダイエットコークをチョイス。彼には、チーズピザを1ピース。これがまたでかい!!トッピングのあるものもあるんだけど、ノンポーク派の彼にはチーズオンリーがGOOD!味もすごくおいしかった。クラフトタイプが好きな私でも美味しいと思った。また来た時にはホールで買って帰るかも(フードコートで家族で食べてる方も結構いるよ)。帰る前に、カップになみなみコークを補充し(笑)、車へ。レシートチェックも彼は気にならなくなったみたい。帰り道は彼の運転でお願いした。ふと、気になった、カルフールに、久しぶりに寄ってもらった。「う~ん」、私的にはもう用はないな~。前に一度来て、つまらないね~と言ってたんだけど、何か期待して行ったけどイオン津田沼店の方が数段いいと思う。(ごめんね、カルフールさん)安かったニラ(¥68)とおむすび山(梅かつお)、さきいか(←食べたかった)を買って、店を出た。駐車場の料金が、前より安くなったんじゃないかなって思った。¥0だった。彼と、のんびり家に向かった。眠くなってしまったけど、ArashのCDでペルシャ語講座しながら帰ったので、楽しかった。帰宅後早速、撮影会。「オレのは撮るな!」と撮影拒否されたけど、無視して掲載。そして、沢山買ってきたパン、マフィン、ベーグルをジップロックに小分けして詰めていく。冷凍庫がパンパンになってしまった。ベーグル好きの妹が帰省するので、別けてあげよう。お味の感想は、また後日。
2006.04.27
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随分、痛みは楽になったけど、依然フラフラしててちょっと外に出るのも億劫。そこへ、母から電話があり、どうしてもと言われ車を出した。部屋着にスプリングコートを羽織って、ノーメイク、髪も梳かしてないまま出かけました。母は、父が定年までは専業主婦でしたが、現役高校生もいる我が家の家計の足しにと、去年あたりからパートに出てます。今行っているパート先へは電車で30分くらいのところなので、家族の誰かしらが都合が合えば、送っていったりもしている。用足しがしたかった為、はじめは途中の駅までなら・・・という約束で待ち合わせて、乗せていったのだけど、運転していて、色々と話をしていたら具合も落ち着いていたので、母の勤務先まで送っていくことにした。途中、私が通っていた高校の最寄り駅前にあるたこ焼きやさんに寄って、たこ焼きを買ってもらった。もしかしたら卒業以来食べてなかったかも?懐かしかった~。途中のコンビニでお茶を買い、駐車場で食べた。私の体調をいたく心配して、あの健康食品がいいだの、あの健康法がいいだのと盛り上がり、手術から1年経ったんだね~とか感慨にふけったり、オシャベリな遺伝子を受け継いだこの五月蝿い(笑)親子はいつまでもしゃべっていた。婦人科系が弱いのも遺伝なのだ・・・。でも、我が母は、第一子こそ、心臓疾患で死産したけど、私を筆頭に5人を産みあげた。父が母を深く愛していることもそうだけど、そんな子供好きの夫(父)の心に添う人生を歩んだ母もたいしたもんだと思う。だからこそ、母は「子供を産んだら丈夫になれるから!」と虚弱なうえ、(私の身体的理由からの)不妊状態の改善を強く望んでくれてる。母は勉強家で、4年生大学も卒業しているけど、決して天才肌ではなく、不器用な努力家。「知りたがり」の探究心と、馬鹿がつくまじめな性格なのだ。あれがいいと聴けば、どこまでも走っていって勉強する人。それはいまだに変わらないな。だけど、フィーリングの人で、感が強いから、人の念を物凄く受けてしまう人。そこは私も良く似ている(努力家じゃないんだけど、私は)。だから、相手の心が透けて見える分、ガラスのような心の人なんだよな。裏表がない分、母とは似すぎていて良く衝突する。どちらかと言えば、父のほうが天才肌で、でもやあっぱり努力の人だな~って思う。父とダーリンが似ているってところもおもしろい。母と大爆笑した。なんで、広い世界で、わざわざパパと似た人見つけてしまうのよ~って。そりゃ、あんたの遺伝子のせいでしょ~って言っておいた。そうそう、4/22の『良い夫婦の日』は両親の結婚記念日でした。35回目かしら?そして、私達きょうだいはお花を用意しました。ここ最近は、ネットオーダーが多いのだけど、近くのホームセンターの花屋さんでお願いしました。4/20の午後に予約し、4/21夕方に受け取り、隠し持って行き、当日朝、妹のMちゃんが渡してくれました。Mちゃんが代表して、きょうだい全員からのメッセージを添えてくれました。
2006.04.25
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散々遊んでたくせに、過去トップ3にあがるほどキツイピリオドに、すっかりまいってしまった私。鎮痛剤とガスストーブと毛布が友達。仕事から帰った彼に食事のしたくもしてあげられず・・・。それでもお腹は減るもの。お友達の日記で見たアダス(レンズ豆)のスープ、『アダシ(シはCの発音ね)』が食べたくなってしまった。ダーリンにお願いしたら、珍しくせっせとキッチンに立ってくれた。スィーブザミニの皮を剥き、水にさらす。アダスを洗い、これまた水にさらす。少ししたら、鍋で煮込む。※細かいレシピは、他のイラジャポカップルの奥様にお任せします。先日、イオン津田沼で見つけたSALE品のホーローの片手鍋が活躍。ストックのアダスが少ししかなかったので、スープも少な目の2人分でした。アダスが少なかったので、スープが澄んでいますが、いつもはもっと黒くなります(灰汁をわざととらないので)。仕上がりにあわせて、私はコストコで買ってきたメニセーズのミニパンをトースターで焼きました。焼きたてパンとアダスィのディナー、ダーリンの愛情がたっぷりでした。
2006.04.24
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日付が変わった頃、宴は続いていた。4/23が誕生日のAくんにハッピバースディトゥーユー♪の合唱。しばらくまったりしたり、はしゃいだりにぎやかだった。そして、お開きとなり、3次会へ。そこで、Uくん、Mくんが離脱。同じ小学校で、1,2年当時のクラスメイトがマスターのおしゃれなBARへ。K先生、Hくん、Aくん、Kちゃん、Hちゃん、少し遅れてWちゃん、Dくん、のんがお店へ。のんは、3度目(かな?)のご訪問。すてきなお店です。横須賀に来た際には・・・見つけてください。名前は・・・マスターに確認してないので秘密にしておきます。のんは、オレンジベースのノンアルコールカクテル、そしてイチゴを飾った炭酸入りの甘いカクテルの2つを頂いた。どちらもかわいくて、おいしかった。BARのカウンターにずらっとならんだ仲間たち。WちゃんとDくんと3にんで、子供の話になり、のんは思わず泣いてしまった。2児の父であるDくんの懐の大きさと、どんなに辛いことがあっても人前ではいつも笑顔の太陽のようなWちゃんのひたむきさに、のんはいかに自分が幼稚で、自分本位なんだろうって思い知った。そして、そんな私にでも幼馴染はいつでもやさしい笑顔で抱きしめてくれる。うれしかった。その瞬間の気持ちだけでも、今回来てよかったと満足だった。K先生とHちゃんが一足早く帰った。後を追うように、Aくん、Dくん、Wちゃんとのんも店を出た。名残惜しいけど、と少し歩いてはおしゃべりをして、おちゃらけて、ふざけあった。随分と冷え込んだ夜で、肌寒かった。でも、懐かしい笑顔にわかれるのが辛かった。Wちゃんは一緒にホテルに来て、休んでいってもらった。シャワーを浴び、着替えて、朝食までのひととき寝た。チェックアウトぎりぎりの時間までゆっくり過ごし、ホテルを後にした。横須賀中央から少し離れた浦賀方面の家までWちゃんを送っていった。車で走る町並みが懐かしかった。初めて訪れるWちゃんち(彼女はお姑さんと2世帯同居)で、お茶した。話はいつになっても尽きず、気付けば15時。ダーリンの、ものすごく低い声の「どこにいる?早く帰ってきなさい」の電話で、バイバイとなった。汐入のダイエー近辺は若干渋滞していたけど、帰りは国道16号線を走った。土地勘がある場所なので、迷うこともなく横浜まで来た。京急富岡近くで渋滞してたので途中のローソンでトイレを借りて、暖かいお茶とカフェオレを買った。渋滞は局所的なもので、その後もスムーズだった。杉田から(だったと思う)首都高速に乗った。ETCって便利よね~しかも日曜日は2割引(ラッキー)。大黒ふ頭をぶっとばし、ベイブリッジを渡り、東京方面へひたすらとばした。生理痛との闘いが辛くて、なんとかたどり着いた湾岸幕張PAでトイレ休憩。アセトアミノフェンよ、効いてくれ!!千葉県内は時間帯もあってか、少し混んでたけど、目をつぶってても走れるくらい慣れた道なのでスイスイ走った。途中、気晴らしにダイソーに寄った。お腹の痛みが強くなってきたのでもう1回薬を飲み睡魔に襲われたので、家から20分くらいのところにあるローソンの駐車場(そこは大型車OKの大きな駐車スペースがある)で車を止め仮眠を取った。ふっと気がつけば、30分くらいかな眠っていた。お陰で随分と楽になったので、残りの道を頑張って運転して帰った。家のカーポートに車を入れていると、庭に面した和室の窓からダーリンが見ていた。荷物を降ろし、無事に帰宅。1日ぶりの彼との再会。昨日~今日の出来事の報告と、留守中に届いた荷物をあけたりせわしなく動いていた。離れていた時間を埋めるために沢山のKISS。彼と出会うまでの記憶の共有者達とのひとときを、これから先ずっと記憶を共有する彼にリンクさせる。私の見た、聴いた、感じた全てを彼にも伝えたい。消化するのは彼の自由だけど、ライフパートナーのダーリンにだけはそうしたいって思う。ダーリン、あなたの大事なのんちゃんにはすばらしい友達がたくさんいるんだよ。「知ってる」・・・それは彼の口癖。
2006.04.23
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楽しみにしていたミニミニクラス会の当日がやって来た。私が幼稚園~小学校卒業までを過ごした横須賀。支度を全然していなくて、昨夜は夜更かししてしまい、明け方少し寝て起きた。オークションに行くために、5時起きして6時には出かけてしまった彼をよそに、ダラダラしていて一向に支度が整わなかった。あまりに浮かれてしまい、着ていくものに迷いに迷い・・・の割りに選んだ服はなんてことない普段着だった。最初の予定ではお昼過ぎには横須賀に着いていたいな~とか思ってたのに、出発が13時になってしまった・・・。残りのご飯でおにぎりを握り、HOT用の空いたペットボトルに緑茶を注ぎ、荷物を積み込み出発。幸い、高速の入り口までの道の混み具合は許容範囲内だった。それでも、ホテルのチェックインの時間に間に合わない可能性が大きいので、あらかじめホテルに電話を入れておいた。京葉道路に乗り、愛車をぶっ飛ばす。千葉北で、東関東自動車道への分岐に入るのをうっかりいつもの習慣でそのまま京葉道路を突っ走ってしまった。仕方ないので、そのまま首都高へ。箱崎ICで銀座・羽田方面へ進む。大抵渋滞している箇所がスムーズだった。土日の都内は空いてて助かった。川崎~横浜~とグングン進み、懸念された渋滞スポットは全てクリア。横浜横須賀道路へ入り、以前住んでいた金沢区あたりで、旧友HくんからTEL。仕事が終わらないと泣きが入り、遅れてもいいよと伝えた。そのTELを切ったら、中学の同級生のSくんからTEL。仕事の紹介の話を持って来てくれた。彼はとても行動力があり、世話焼きなので、その心遣いに頭が下がった。私の携帯の調子が依然悪いため、よく会話が出来ず、また連絡すると切った。ちなみに、高速を運転中なので、全てハンズフリーのマシンで会話しました。もう少し聞こえがよかったらいいのだけど・・・。横須賀ICで本町山中道路とかいう道に入った。ホテルのMAPにもそこの出口から3分とあった。今まで何度も来た所なんだけど、この出口を利用したのは(たぶん)初めて。無事にホテルの前に着き、時計を見たら15:10・・・ミラクル。私はいったい時速何キロで走ってきたのだろうか・・・。ホテル併設の市営駐車場に愛車を泊め、チェックイン。私の部屋は914号室でした。部屋に到着。シングルルームで、広くはないけどキレイないい部屋だった。ベッドもセミダブル(かな?)で広かった。新品のフラットTVをつけた。(これ、寝室用にもらって帰りたいな・・・オイオイ)早速、のんの旅の恒例の『荷物出し』をはじめた。予定より早く着いてくれたので時間に余裕がある。のんは、どこかに泊まりに行くと、荷物を全部出すクセがある。ホテルの部屋のクローゼットやチェストをフルに使うのだ。コートをハンガーに掛け、持ってきた部屋着と、明日の着替えをたたみ直し、クローゼットへ。化粧道具、洗面道具などを洗面所に並べた。いい加減な準備のため、要らないものもそのまま持ってきてしまった普段使いのバッグのグチャグチャになった中身を一旦全部出し、入れなおした。そして、これから出かけるときに持っていく小振りのバッグに荷物を入れる。乾燥でシワっぽくなった顔の肌をスプレーの保湿化粧水で整肌。・・・嫌な予感がしていた。昨日あたりから、体中の浮腫みが強くなり、下腹部に攣れる痛みがあった。高まっていく心とは裏腹に、このタイミングでピリオドが来てしまった。でも、まだ初日だからなんとかなるかな?前回、ホルモン剤投与で止まってしまったのを呼び起こして、その時は近年稀に見る痛みが少なかった。かなり楽だった。今回も大丈夫かな?しかし、割れるように頭が痛い。でも、これは寝不足と運転の疲れ(サングラスの下の両目が日差しと疲れで真っ赤に充血してた)からだろうな~と思っていた。お腹の痛みが、徐々に強くなってきた。いつも必ず携帯しているイブプロフェン製剤の鎮痛薬が、切れていた。1回分くらい持ってるだろうとポーチをひっくり返したけどなかった。仕方ないので、支度を済ませ、部屋を整え、出発した。お向かいのダイエーに寄り、薬屋さんを探した。薬売り場で『タイレノール』を発見。アセトアミノフェン製剤のタイレノール、日本処方のは初めてだったけど、空腹時にも飲めるので買ってみた。お水代わりにドリンク剤を買って、その場で飲んだ。ダイエーを出て、ドブ板通りを抜け、さいか屋へ。親友のWちゃんからTEL。仕事を終えて、今自宅を出るとのこと。集合時間までまだ随分時間があったので、時間つぶしにGAPを覗いた。特に何を買うわけでもなく、グルグル見て周り、店を出た。横須賀中央駅方面へドンドン歩いた。無事にWちゃんと合流。約2年ぶりの再会。タイムラグを忘れさせてくれる、二人のどつき漫才ばりのトーク。顔を合わせて早々にも話が弾んだ。1次会の会場であるお店まで歩いた。集合時間10分前だけど、誰もいない。一度、お店に行き開始時間をずらせるか相談。快諾してくれ、再度待ち合わせ場所へ。5分前に、見覚えのある顔。久しぶりの再会になる、今回一番逢うのが楽しみだったDくんだった。面影がたっぷり残る、ベイビーフェイスの彼はすぐわかった(笑)。家族サービスを終えてきた彼は、腹ペコで早く始めようよ~と何度も言ってた。誰も来なかったりして・・・と言ってたら、UくんとAくんが到着。お店に行き、結局、当初の予約どおりの19時からスタートにしてもらった。遅れると連絡をくれてたKちゃん、Hちゃん、Mくん、そして担任のK先生も心配してたらちょうど現れた(笑)。飲み放題なので、ビールだ、サワーだ、ソフトドリンクだ(Hちゃんとのん)と銘々のグラスを用意し、「乾杯~~い!!」初めて幹事役をかってでて、わけもわからない状態のまま、宴はとりあえず始まった。席の形の関係で2つのグループに分かれてしまって、やっぱり良く考えればよかったと後悔した。今回集まったメンバーの多くが、気を遣う子が多くて、『一人遠方からやって来ているビギナー幹事』に気を遣ってくれてた。きっと、不満は山ほどあったと思う・・・。それでも、のんとWちゃんが顔を合わせれば、ずっと笑ってるみたいにおしゃべりしてるから楽しかった。離れた席にかけてた子たちとは全然会話がなかったけど、2次会に期待した。そんな最中にも、生理痛は増すばかりで、タンポンとナプキンにばかり神経が行ってしまってた。タイレノールは私には弱いのか、あまり時間を開けずに2回目を飲んだ。なので、元々アルコールは弱いけど、ひかえるようにした。店を出て、全員で2次会に。MくんとAくんがお店を決めてくれた。最初からそこにすればよかったと思うくらい、いいお店だった。1次会と隣が一緒にならないようにシャッフルして座席が決められてた(トイレに寄ったので、のんは最後に席に着いた)ので、さっき顔を合せただけだったHくんAくんK先生とおしゃべりができた。みんな、少し酔いもあって、はしゃいだり、熱弁振るったり、ひたすら笑ったり。気がつけば、時計は0時を過ぎていた。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。明日へつづく
2006.04.22
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今朝は、母の友人であるYさんから9:30に電話をもらい、起こされました(笑)。Yさんちのおじいちゃま(お義父さん)の軽トラがエンジンがかからなくなってしまったと、お困りのよう。自宅から近く、先日も別の車のメンテナンスなどを母を介して請け負った大事な『お客様』なので、彼を起こして急いで出かけた。小雨が降りしきる中、路肩に止められた軽トラをチェック。バッテリーのトラブルと言うことで、充電するためにコードを取りに戻る。工具とコードを持って、バッテリーを私の車とつなぐ。通常、ただバッテリーがあがってしまっただけなら一発でエンジンがかかるのが、かかりが悪い。彼の診断結果は「バッテリーの寿命」ということで、交換。軽トラ用のバッテリーを手配し、脱着。10分足らずの作業だけど、千葉はこの時期田植えの時期に入るので、この日曜日は農機が農道をダッダッダッダッと走っている。それができなくて、おじいちゃんもイライラしただろうから、朝一で作業が済んでよかった。キチンと、技術料を含んだ料金を頂いた。そして、おじいちゃんが作ったおコメとシイタケも頂いた。「まいどあり~」家に戻り、私は請求明細書を早速作成。代金は領収済みなので、領収書と言う形で作成。そして彼は、昨晩から計画していた「ETC車載機の取り付け」に取り掛かった。彼はETC車載機の取付は経験がなく、できないと渋っていたのだけど、私のごり押しでトライしてもらった。結局、最後の詰めでわからなくて、カーショップに行ってつけてきた。そして、覚えてきた。カーオーディオなど経験のあるものは難なく装着できるのだけど、未経験なことは『日本語のマニュアル』が読めない彼にとっては、できる人の技を見て盗むしかないのだ。作業ピットにお邪魔して、しっかり覚えてきたそう。それでも、ETC本体を格安でゲットしているので、まだお徳。持ち込みの作業だったので、取り付け工賃は¥6300だった。講習料金を払ったと思えば安いくらいかも。ちなみに、今私が覚えたいのは車検の書類の記入。ユーザ車検でも面倒くさく、ミスするとやり直しになってしまう車検の書類は『代書屋さん』にオーダーする。大きなカーショップなんかだと、まとめて処理してると思うんだけど、ラインプリンタとか買っても、個人でやってるわたしたちなんかは採算をとるまで随分かかってしまう。はっきり言いたい。全部、ネットエントリーにしてくれたら、私はちょちょいと作成する自信がある。陸運局さん、システムの開発お願いします。無事にETCが着き、電源も入り、彼の車で聞きなれたアナウンスも流れ(笑)、出かける予定があったので、支度をした。午後になってしまい、お昼も食べずに出発。途中のセブンイレブンで、サンドウィッチとゆで卵とおにぎりを買って食べた。今日の千葉はものすごく道が混んでいた。埼玉県のK市で知人と待ち合わせていた。国道16号線~京葉道路~環状7号線~一般道と経由して目的地へ。知人の所有する車を見せてもらいに行った。ちょうど、欲しい車種だったのだけど、見せてもらったらOUTだった。うちの彼のほうが、エンジニアとして技術が上なので、見せてくれた知人もごまかすことも出来ないし、かといって無碍にも出来ないので、検討すると言ってわかれた。収穫ナシだったので、のんはすっかり寄り道したいモードだったんだけど、彼が嫌だと言うので、色んなおしゃべりをしながら帰った。イラン人ミュージシャンのCDを聴きながら、即席ペルシア語講座で、「今のはなんて意味?」と私が次々尋ねる。それを彼が説明する。歌詞を和訳するのって難しいらしい。翻訳の仕事を専門としている人とは違い、実生活で日本語を覚えた彼は、詩的な表現を日本語に当てはめるのは至難の業になってしまう。そういう意味では、(私の身近で言えばYUKIさんとかのように)、日本人でペルシア語堪能な方のほうが上手に訳せると思う。だから、この即席ペルシア語講座、よく揉める(笑)。彼も、日本語が100%というわけではないので、変な風に説明して私が逆に突っ込むということもある。(生意気な生徒だ!)今日も『セダーコン』で揉めた。解決したからよかったけど。帰宅し、腹ペコだったのでお菓子をサクサクとつまんだ。しばらくして、幼馴染からメールが来たり、その後電話で話したりと時間が経過。夕食の支度が遅くなってしまった。ご飯は、今日頂いたおコメを帰宅して直ぐに炊いたので、準備OK。おかずは、コストコで買った鶏ささみをから揚げした。彼が大好きで、すぐできるものってことで、頻出の唐揚げちゃんが夕食のメインディッシュとなった。(本日は写真なし)そして、最近また小さなブームが来てる「ひき割り納豆」を彼から離れて食べた。一日、車のことでバタバタしてしまった(仕事だけど)。忙しいようで、やっぱり私は仕事が好きだ。あ~早くいい車が見つかるといいな~。
2006.04.16
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今朝は6:00前に起きて、出かける支度をした。上の妹Mちゃんが、親知らずを抜く手術を受けるために稲毛海岸にある東京歯科大に行くので、送迎係として出動。予約は11:00からで、10:30までに来て下さいと言われていたそうで、通勤ラッシュのピークを少し過ぎた8:00に家を出て、実家に妹を迎えに行った。あることがきっかけで母と物凄い口論となった。物凄く腹が立ち、運転しながら何度も止まって、母に食ってかかろうかと思うくらいだった。なんとも危険なドライバーだった。10:00には着きたいと言っていた妹の言うとおり、10:00前には到着。朝の通勤ラッシュのピークも予想通り、落ち着いてきたところだったので、計画通りだった。イライラしながらも、生え方が悪く「親知らずの抜歯」にしてはちょっと大掛かりな手術になる妹の気を紛らわせるよう、妹には優しく話しかけた。母は、私に目も合わせなかった。最近、ちょっと気をもむ存在が私の生活のある部分にあったのだけど、そいつと同じようなことを言ってたので、ぶっ殺してやろうかと思った。(←なんて、汚い言葉)マシンガンのように声を荒らげて怒ってたので、彼に2人になった時叱られるかなと思ったら、彼が精根尽き果てた感じになってた。妹を見送って、私はダーリンと2人で時間潰しに出かけた。幕張に着いたときにエンプティランプが点いてしまったので、まずは給油をした。今乗ってる車は国産セダンの1800ccなんだけど、かなり燃費がいい。節約できて助かる。ちなみに、この車は今年のホワイトデーのプレゼントでした。その後、車で10分弱の距離にあるコストコ幕張倉庫店に行った。これで2回目。本日の買い物↑と↓の写真中のファンタオレンジ(500ml)は大きさの比較に置いてみました。予定より沢山買い物してしまった・・・。お財布はすっからか~ん。12:30頃、会計も済ませた妹から連絡が入り、病院前まで迎えに行った。思ったより元気そうで、安心した。麻酔がまだ切れてないのと、ボルタレンを服んだとのことで、痛みは落ち着いているらしいけど、私の経験上、これからがちょっとしんどいのを教えておいた。ダーリンが仕事で義兄の所に泊まりに行くので、都内まで送っていった。本当に、彼を降ろして千葉にUターン。途中、夢庵で、遅いランチを食べた。暖かいものや血行を良くしてしまう物はまだNGらしく、冷たいうどんとかだったらと、帰り道にあったので寄った。のんはやや寝不足気味だったので、ランチの天丼と小せいろうどんのセットが苦しくなってしまった。しかも眠くなって、めまいがしてる。運転は私と、妹しか出来ないので、しかたなく運転して家路を急いだ。どうしても眠くて、京葉道路の幕張パーキングで休憩を取った。痛みが出だした妹は、眠ってしまった。あれだけ喧嘩してた母とはなんとなく、いろんな話題でもりあがり、一応停戦となった。私は子供(2,3歳頃)の頃から、どこへ行くのも、何をするのも『一人』がよくて、誰かにふいについて来られるのが物凄く嫌いだった。今もそれは変わらない。だから、学生時代トイレも一人で行く。ごはんも一人で食べられる。ファミレスでもどこでも一人で平気。そんな性格だから、予定に無い人が急に一緒に出かけるとかいうのは物凄くストレスになってしまう。それがきっかけだった。揚句、母は考え方がねちっこいというか1つのことをなにもかもにくっつけて話をする。特に悪いことがあると、なんでも話をかき混ぜる。くっつける。一つ一つ論理的に考えたいタチの私とは合わないのだ。それでも、実家に無事に戻った時、大事な用事をすっかり忘れてて、青ざめた母に手を貸した。必要あっての行動なら構わないのだ。自宅への帰り途中にあるベイシアにより、食品を買い物し、帰宅。荷物を降ろし、買い物リストの写真を撮った。今日は、ダーリンがいない。一人行動が好きだと言えど、ダーリンの存在は別。たった一日離れてても、寂しい。仕事だし、直ぐ帰って来るけど、いないことが不自然な形になってしまったから、やっぱり一緒がいい。一人なので、ワンプレートディナーで済ませた。 水沢風うどんをゆで、冷やす。めんつゆをかけ、天かす、長ネギ、きゅうり、ツナ缶、引き割り納豆をトッピングしてできあがり。一人っきりだからできるメニュー(笑)。
2006.04.14
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一日雨降りで、春を通り越して梅雨が来てしまったのかしら?と思ったほど。雨降りの日は頭痛に悩まされるのんですが、静かに一日が過ぎました。彼のお客さんの請求明細書を作成し、印鑑を押印。新しくした会社名の角印を押すと、なんか気が引き締まる。些細なことだけど、子供の頃妹や友達と会社ごっことか散々やってあこがれた書類や印鑑と言う存在が、自宅にあるというのはワクワクと同時に、張り合いが出る・・・気がする。「法人成り」出来たら、もっといい素材のを買おうと思う。夕方、仕事を終えた弟から電話が来た。「仕事の書類作成でパソコンを使いたいから行ってもいいか?」と言われた。実家のNECのパソコンは、少し前に壊れ、修理見積もりで5万円と言われたのでそのままにし、私のWindows Meの古~いPCもいまだISDNのままの実家ではスローモーションのような動きになってしまうので、とうとう先月解約してしまった。実家も経済的に余裕があるわけでもないので、PCの新しいのを買うまで我慢となってた。件の弟、先日の事故でまだマイカーが無く(手配中)、朝は父が送って行って、帰りは電車らしい。電話も職場を出たところだったので、駅まで迎えに行った。弟は教職なので、PCはどうしても必要。ノートタイプをもう直ぐ買う予定。それまでは不便だけど、家に来てくれれば自由に使えるから「いつでもおいで」と言ってある。偉そうに、エクセルの手ほどきなんぞしてしまった、私(笑)。私も成長したな~。私は、過去の業務上PCはデータ入力がメインで、とにかく正確性とスピードが勝負だったので、エクセルとかパワーポイントとかワードもあんまり必要が無かった。なので、入力のスピードはそこそこあるけど、何が自分に身についているのかわからなかった。用語がわからなかったので、エクセル、ワードは割りと出来たことが後からわかった。アクセスとかノーツとかもデータエントリーのみで新規作成とかはわからなかった。先日まで勤務した会社と、以前スーパーバイザーとして派遣された化粧品会社で社員さんがたまたま色々詳しくて、親切に教えてくれてよくわかるようになった。ラッキーだよね。(お金払って学んでいる人だって沢山いるのにね)ご飯を食べさせてあげようと、ご飯を炊き、餃子(牛100%ミンチ)を用意した。芽が出てきてしまったジャガイモの消費にレンジでボイルして、オリーブオイルでカリッと焼き、バジルと塩コショウで味付け。餃子は60個(皮2袋)を包み、ホットプレートで焼いた。仕上げにゴマ油をたらして風味を上げた。うちのビーフ(しかも赤身)餃子だと、豚ミンチのようなジューシーさが足りないので、工夫してみた。大成功。トマトときゅうりを切って、豆腐とネギとわかめの味噌汁を作った。ダーリンと弟と三人の食卓。食べっぷりのいい弟を真ん中にいつもより少しだけにぎやかな食卓にのんは大満足だった。ダーリンも私のきょうだいを大事にしてくれるので、一緒にご飯を食べられると、嬉しそうにしてくれる。外食がキライなので、家での食事だから尚更。仕事後、同僚と食事してきた妹がうちに寄って弟を連れて帰ってくれた。下の弟はタイミング悪く、一人ぼっちで、しかも誘ったんだけどカップラーメンを食べたから・・・と言われてしまった。なので、餃子とジャガイモの残りを持っていってもらった。平日だと、なかなか家族が揃えない。そういう時の橋渡し役が、長女の私の役目だと思っている。一人遠くに暮らす(と言っても西東京だけど)妹にも、また近いうち逢いに行ってあげたい。ファミリーの繋がりを最優先にする家庭に育った私が、イラン人のパートナーと家庭を持とうとしていることは、自然なことなのかもしれないな。
2006.04.12
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今日が、今の職場の最後の日でした。先週末付けの退職です。今日は、社長へのあいさつと片付けに来ました。 先日、上司から「社長よりこの事業を撤退するという話をされた」と聞かされた。私は、顧客管理等の業務をしていたのと、最近営業活動をして一つ契約を取るところだった。それもあって、上司が「先方様にお断りしてもらいたいこともあって、オフレコだけど」と早く教えてくれた。私個人のことに限定されないので、詳しくはかけないけど、本当に残念だ。店長代理とかスーパーバイザーとか管理業務を経験し、厳しい判断をしなくてはいけない社長の胸のうちも及ばずながらも理解できたので、仕方ないかな?と思った。退院後、思うように就職先、派遣先をみつけられず、落ち込んで、ネガティブ湖におぼれそうになった時にご縁があった会社。テレマとか、業務内容に不安はなかったけど、イマイチPCのスキルに自信がなかったのを、時間に余裕があったときなど、親切に手ほどきしてくれた会社の皆さん。命にかかわるものではないけど、日々苦痛との闘いの持病を打ち明け、それによって全面的に理解してくれ、本当に本当に私の自由にさせてくれた会社。予定外に早く決まってしまった転居の時も、いろいろ考慮してくれた上司。私は本当に同僚に恵まれ、社長のMさん、上司のFさん、Eさん、Sさん、そして短い間だったけど、着任早々から私を全面サポートしてくれたコリアンビューティのPちゃん。みなさん本当にありがとうございます私が一人退社するのであれば、また近いうちに遊びに・・・なんて思えるのだけど、会社の事業が撤退し、残務整理を担当する総務経理のSさん以外は、みなさん近日中にバラバラになってしまうようで、寂しいです。どんなかたちでも、また再会できる機会があるのならみなさんの笑顔をまた見たい。暑い時期、毎日のように食べた(ご馳走して頂いた)アイスクリームや、順番に買ってきたおやつ(通称、しおっけ、あまっけ)や、私だけが爆笑のオヤジギャグ、ラジオのトークに耳を傾けみんなで笑った日々。どんなに大変な時も、忙しいときも、笑顔はいつも忘れなかった。何より大切なことを教えてもらったと思います。 さあ、明日から職探しだ。泣いてなんかいられない・・・な
2006.04.10
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今朝は、ダーリンと2人して寝坊してしまった。予定より遅れて、6:40頃家を出発。渋滞必至の国道16号線なので、不安でいっぱいだったけど、神様は味方してくれた。予定時間の15分前には到着できた。よかった~。やっとやっと、1日がかりの用事をこなした。16:30に予定を全て終え、家路へ。ダーリンに前々から行きたかった、コストコ・ホールセール幕張店に行きたいとお願いした。幕張メッセから程近い、そこへはほぼ毎日近くを通過するばかりで、入店はまだだった。彼の付き添いでここ2日ばかり頑張ったので、念願かなって、初ご来店。会員ではないので、入り口のカウンターで(ちょっと冷たい印象の)女性店員に引き止められ、私はダーリンの目を見ないで(ここ大事)、会員の手続きをしてもらった。会費のことなど、彼にOKをもらえてなかった。でも、どうしても入りたいのと、調べたいこととかあったので、入会した。顔写真をその場で撮られたことが、予定外だった。連続でハードスケジュールだったので、抜け殻みたいな顔(←どんなだ!)してたので、せめてもとスマイルで写ってみた。ダーリンは、頑なに拒否したので、後日手続きをする(多分無理・・・)予定。カルフールは行ったことあったのだけど、ダーリンと2人の感想は「あんまり・・・」だったので、過度な期待はしないで行ったのだけど、はじめあまりにガランとした感じだったので、「ここもかよ・・・」と思ったら、歩き進むにつれ楽しかった。だって、知ってるものがみんな大きいし、アメリカ雑貨とか六本木時代を思い出させてくれて、懐かしくてうれしかった。私が、声に出していちいち「おおきい」とか「わあ」とか感想を述べてたら、ダーリンが「なんかはずかしいよ、田舎人みたいで」と・・・確かに。私は以前、ハワイに行った時、海のきれいさのほかに楽しかったのはKマートに行った時だった(笑)。その時、「何もハワイに来てまで買わなくても・・・」というようなもの(紙軸の綿棒超お徳用500P入り、当時日本未発売だったアロエエキス入りのジョンソンベビーローション徳用等等)を買い込んだのだけど、その時の綿棒が更に3パック(1750Pだったかな?)で売ってた時には、「あ~来て良かった」と大満足した。長年愛用してきたリーガルパッドの徳用とかあって、胸は高鳴った。最初は、今日はウィンドウショッピングで・・・なんて思ってたので、手ぶらで見て回ってた。ダウニーの徳用ボトルを手にし、カー用品などの売り場で、彼が意欲的になった時「カート持って来れば(=ショッピング解禁)」となったのだ。しかし、ここコストコは「仕入れ」のお店を名目としているので、客も学ばなくてはならない。カートを取りに行こうとしたら、近くにあったので、一応サービスカウンターを越えるので女性定員に一声かけたら「今回はお貸しします。」と叱られた。彼がいたらどうなっただろう・・・。内心、ムッとしながらも、大人も2人くらいのれそうな巨大カートを押して、荷物と待たせてる彼のところへ滑り込んだ。2階から1階へと移動し、食品売り場へ。牛ひき肉が安かった。100g当たり72円ちょっと。フランスパンのパック(8本入り)、カルビーポテトチップス超ビッグバッグ、桜卵20個入り、Kiri(クリームチーズ)20P入り、ダウニー(4.05L)、車載携帯電話用ハンズフリーキット、ジュニアリーガルパッド24入り。合計、¥7,000ちょっと。帰り、男性店員が、カートの中の会計済み商品とレシートをチェックする。ダーリンは「泥棒扱いだ!」と静かに怒りをしんとうさせてた。私は、以前の販売職で商品の直接買い付けをしていたので、中卸しのお店なんかだと、そんなの当たり前だったので、違和感がなかったのだけど、買い物の基本が、人間同士の信頼で構成されている人間臭い、暖かい国イランの血が騒いだのか、ダーリンは「2度と来たくない」とこぼしてた。仕方ないので、「じゃあ、次は一人で仕入れに来ます」と言っておいた。早速、夕食にフランスパンを焼いた。よく読まないで買ってしまったのだけど、200℃のオーブンで7~10分焼いてくださいって書いてあった。うちは、以前私のオーブンレンジを実家にあげてしまったので、今はトースターレンジしかない。賭けで、オーブントースターで焼いてみたら、成功。けっこうおいしかった。これはリピート決定。帰り道に通った、幕張のベイタウンのマンションがとってもステキだった。今住んでいる所は、外房で九十九里に程近い街なのだけど、いかんせん東京から遠い。幕張エリアなら、東京と実家の中間点になるし、大好きな海があるから住みたいな~って思ってしまった。以前、1年ほど津田沼に住んでいたのでその頃より更に便利になったこのエリア、彼にここに住みたいとお願いした。早速物件の相場を調べようと思う。引越しはまだまだ先だけど、夢は具体的に描くほど叶うというから、ビジョンとして描いてみよう。あ~楽しみが増えた。
2006.04.07
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時計の日付が変わった頃、45日ぶりにピリオドが来た。月曜日にホルモンの注射を打ってもらい、主治医曰く「これで、身体が生理を思い出してくれれば5~7日後に来るはず。10日以上経っても来なかったらまた来てください。」だった。彼女は、魔法使いなんだろうか・・・。あんだけ辛いのにほとんど狂わない私の生理周期が、こんなにも狂ったのは初めてだった。寝不足による過労が考えられるけど、無排卵になってたら・・・と思うと不安。びっくりなのが、いつもならもう転げまわるほどの痛みに苦しめられる1,2日目なのに、めまいこそ起きてはいるけど、痛みがほとんど無い。鎮痛剤飲んでない。ホルモン剤の効果かな、やっぱり。定期健診で、ホルモンの数値なんかも診てもらってて、主治医から指摘されたことはないんだけど、例えばイソフラボンとか意識的に摂った方がいい状況なのかも?眠気とだるさめまいこそあるけど、絞られる、金属でえぐられる、切り裂かれるような痛みが無いだけ天国。そういえば、ネットでオススメされてた婦人体温計を楽天で注文。届くのが楽しみ。母と妹と3人で、用足しも兼ねて、津田沼まで行った。私は、口座にお金を入れておかなかった為引き落としが出来なかったマルイのカードの支払に行った。GAPで妹と、少しお買い物。全部セール品だったけど、黒の春物ジャケットと以前別の色を買ってすごく気に入ってるキャミ(タンクトップって言うのかな?)の黒、白いカットソー、レモンイエローの襟付きカットソーの以上4点。妹が、今日マルイのカードをエポスカードに切り替える手続きもしたので、今月10%OFFになるらしく、一緒に買ってもらった。セールな上、更に割引なんてラッキー。その後、食品類を買って、帰宅。・・・ある事件が勃発していた。上の弟が交通事故に遭ったのだ。幸い、車同士の衝突で、双方に怪我はなかったようだ。だけど、相手の前方不注意と速度超過による、側面追突。弟の車は、見るも無残な姿になってしまった。衝突されたのが左側だったおかげで、無傷だったものの、衝突した方の車は軽だったので横転したそう。弟の車は廃車。明日から通勤に使う車がなくなってしまった。母は、いろいろと言っていたが、きょうだいの間では、弟のまたしても強運ぶりに怪我もなく、相手も怪我もなかったことに感謝したらいいじゃないかという話になった。これから、保険やさんとの手続きが始まる。
2006.04.02
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今日で、手術から丸1年を迎える事が出来ました。同じ悩みを持つ人の、ささやかながらも力になれれば・・・との思いも込めて始めたこのブログ。ここまで来れたのも、沢山の友達のおかげ。体調については、摘出した病巣と癒着をはがした後は経過も良く、初めから痛みは残ると告知されていたので、現状は想定範囲内ではあるけど、なんとか過ごしてます。無理はしないという姿勢を貫いてることで、多方面にはご迷惑をかけてるけど、甘えながら社会人の端くれとしてもなんとか。彼との関係も、少しずつ進展しています。何もかもがお蔭様。でも、幸せに甘んじることなく、貪欲に更なる躍進を心に決めているのです。ベイビについても、もうそこまで来ていると信じて、まずは自分を愛すること、自分の身体を心を解放することから学んでいこうと思います。沢山の友達の、家族の、恋人の愛情に包まれて、新生ハイパーのんちゃんは更にハイパーに元気でいきたいと思います。
2006.03.29
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今朝は、激しい頭痛とめまいで起き上がれなかった。それでも、主治医に相談したくて、お昼少し前に出かけた。ガソリンを入れようと、いつものセルフSSに寄ると、彼がタイヤを見た。左リアタイヤに釘が・・・。私は、悪質ないたずらかといきり立ったけど、彼は「これは違うだろう」と冷静だった(笑)。セルフのスタンドだけど、オイル交換とかメンテナンスをしている店で、良心的な価格設定でタイヤのパンク修理も対応してたので、その場で頼んだ。体調はあまり良くなく、彼に細かいことと支払を頼み、私は近くのコンビニでランチを買ってきた。3月末だと、日中もバイパスは混んでる。道路工事をしてて、車線規制がされてるICの側道は大渋滞。もう、前の車に吸い込まれそうな気分だった。それでも、かなりワイルドなドライビングの私は、スイスイすり抜け走行した。運転しながら、食べ物を少しつまんだら、気分も少しよくなった。彼も、お客さんを待たせているので、首都高も使って都内へ。彼と別れて、銀行に寄って用を済ませ、病院へ。受付時間ギリギリになってしまった。待ち時間に関しては覚悟してたので、待っている間、買ったお弁当を食べ、郵便局に行き、コンビニでお茶を買い、待合ロビーへ。長椅子はいっぱいだった。空いたところに腰かけ、スケジュール帳にメモしたり、時間を潰した。受付番号からいくと、ラスト3人の一人だった。順番が回って来た時は、18時だった。先生、看護師さんお疲れ様です・・・と言った気分だった。主治医に、生理が遅れているとまで話したら、確実にぱーっと笑顔になった。でも、話には続きがあったので、先生も「あら・・・」といった顔になった。でも、その瞬間の顔が本当に自然に出た笑顔だったので、担当患者のことを本当に親身に思ってくださってるんだなと、嬉しかった。先生も、一握の可能性を期待してくださったのだけど、今回はどうもだめだった方向で話は進んだ。『基礎体温』をさぼっていたことを叱られた。内診を受け、生理が直ぐにも来る可能性が薄いみたいで、今回ホルモン投与を受けることにした。注射か、ピルか。一発やってくれと、注射にした。看護師さんに、おしりに筋肉注射をブスリとされた。予告どおり、痛かった。しかも、後からも注射跡がイタイのだ・・・すっかり遅くなってしまった。病院にいた私は携帯をOFFにしてたので、彼と母がやり取りしてたみたいで、母は病院にかかってる私に、一瞬期待したそうだ。私によこしたメールの文末に「がっかり」と書いてきたので、「わたしが一番ショックだよ」と返信しておいた。身内というのは時として、一番の敵となる。デリカシーとかが、欠けるんだよね。まあ、母親としては本人も懐妊だったらどんなに嬉しかったかと思えばの言葉だろうからしかたないのだけど。注射の副作用だろうか?フラフラになってしまった。車の助手席で、身体を支えているのが精一杯だった。それでも、1時間半ほどの帰り道、徐々に回復し、用があったので実家により、妹のMちゃんと3人で焼肉やさんに行った。わたしが食べたかったんだけど、名目は『Mちゃんの大学卒業祝い』だった。だけど多分、彼は「のんを励ますために」だったと思う。妹も、残念だったねと言ってくれたけど、「わ~赤ちゃんできたらどうしよ~ワクワクするね~」と無邪気に楽しみにしてくれた。彼女の天真爛漫さは時として、私の心を癒してくれる。彼女も子宮内膜症で苦しみ、投薬治療を経験しているのと、私の手術前後に立ち会ってくれたので、全てを知ってる。よき理解者。ガツガツ食べて(笑)、オシャベリして、楽しい時間を持ててうれしかった。数千円のお食事だけど、彼女が喜んでくれた以上に、私が救われた。少しずつ、心のほつれを繋いで行こうと思う。心配してくれた友達みんな、ありがとう。
2006.03.27
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昨日の一件の後、彼が私をずっと心配しているのが、数メートル離れてても感じるほどだった。ご飯も作らず寝てた。気が向いて、ストックのパンをトーストし、彼にはトマト入り卵焼き、私はナチュラルヨーグルトに蜂蜜で食べた。彼は、私がニコニコしていると、ホッとしてくれる。私は体調に直ぐ出るということを、熟知してるので、彼は無理をさせない。甘やかしてくれてるのだ。昨夜は、スカパーの映画を観て、そのまま寝てしまった。一昨日の夜、高ぶって眠れなかった私を彼もまたほとんど眠れず気付いていたそうだ。彼は、戦争経験者なので、ちょっとした物音にも目が覚める。そう、身体が覚えてしまっているようだ。だから、今日は彼も昼寝してた。私がお昼頃まで寝てたので、彼は途中コンビニにでかけてたみたいだけど、あとはわからない・・・。楽天ブックスで買った、NANA15巻が届いた。それをリビングで寝転がりながら読んでいた。そばにピッタリくっついて彼がTVを観ていた。私の精神状態が不安定な時は、彼は私にピッタリくっついていることが多い。私がフラフラどこかへ行ってしまわないよう、くっついているのだろう。彼の安らかなオーラが私に注ぎ込まれる感じで、少し充電できた。楽しみにしてたNANAも気を紛らわしてくれた。夕方、ラーメンをゆでた。彼には鶏肉入り醤油ラーメン、私はもやしのごま油炒めのせ味噌ラーメン。沢山買ってあったオレンジも食べた。しばらくして、冷凍してたパリジャンとイギリスパンをトーストしてナチュラルヨーグルトと蜂蜜で食べた。美味しいと感じるから、大丈夫。心にぽっかり穴が開いている様な喪失感はまだあるけど、失望もしてない。ただ、生理が未だ持ってこないのは不安なので、明日は主治医の所に泣きつこうと思う。私は、彼には生理のことも細かく教えている。女性の身体のことについての知識は一般の日本人男性並みかそれ以下だったので、私はしっかり覚えてもらおうと、教えた。そうすることで、私を理解してもらいたかったから。だから彼は、私の治療~入院~手術~経過観察・・・といった道のりを一緒に歩いて来てくれたと思ってる。彼は、わがままだし、家のことなんて言ってもやらないけど、深い優しさがある。「男は女を守る」としっかり教えられてきた彼だから、私の精神的な弱さも含めて守ることは当然だと思っているようだ。私は、気も強ければ、我も強いので、並みの優しい男じゃ足りないと思う。彼は辛抱強い・・・笑。よ~く似てる人がいた。私の父だ。
2006.03.26
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私が、このブログを立ち上げた一番のきっかけはご承知の通り、「持病の治療の記録」だった。情報が増えたのはここ数年のはなし。婦人科で苦しんでても、同じ女性が敵になることは多く、認知度も理解度もはっきり言ってまだ低い。我慢してる人も多ければ、理解のない女性が多いのも事実。生理痛に鎮痛薬をつかうことを「悪」という、1次元昔の情報を信じてる人も残念ながら多いのだ。婦人科疾患というのは、一部を除き命に係わらないくせに、ものすごい苦痛を強いられる。個人差も大きく、例えばポリープや筋腫がお腹を圧迫するほど大きく育ってても痛みを全く感じない人もいる。卵巣嚢胞も、破裂するまで気付かない人もいる。私の場合、フリーページにも残しているように、病巣の大きさから言ったら、ひよっこみたいなもんで、もっともっと大変な状況の方は五万といる。それでも、痛みの出方や感じ方というのは病巣のサイズとは無関係で、私の場合は『複数の子宮筋腫と両側卵巣チョコレート嚢胞、癒着を伴う子宮内膜症、子宮腺筋症』と、フルコースだった。おかげで、皮肉にも周期ピッタリやってくる生理に、術後の今も毎月苦しめられる。ほぼ毎月寝込む。PMSに始まり、お腹を大きなスプーンでえぐり取られるような痛み、ヘルニアのような腰痛。腰かけていても、横になってても止まないめまい。「つわり」だったらどんなに嬉しいかと思うような吐き気。幸いにも、「痛み」に関しては、ありふれた鎮痛薬を乱用しなくても効く。過去の業務経験から薬の知識があるので、乱用してもしなくても効果が変わらないことを知ってるので、無理はしない。量を増やさないと効かないしつこい痛みと闘ってる人もいるから、それはそれで胸が痛む。子宮内膜症と子宮腺筋症のため、子宮全摘出か、閉経まで痛みとは共存になる覚悟なんだけど、主治医も言うように、子宮の中が手術と同様に一度きれいにクリアされる「妊娠・出産」も言い方は変だけど効果的な治療の手段でもある。私は、妊娠を望んでいるのを告知してるので、主治医もあえて言葉を選ばずに「妊娠すれば、確実に良くなるから」とストレートに励ましてくれる。決してセクハラとか心無い発言なわけではないのだ。だから、前回検診を受けた時も、「あまりに辛かったら、6ヶ月投薬治療をしてみますか?」とも言われた。私は焦っていた。もし、私が25歳前・・・もしくは30歳前だったら、それも考えたかもしれない。けれども、今32歳。一日も早く妊娠したいのだ。医学が進歩した昨今、40歳位の初産でも大丈夫とは言え、リスクがあることは確実だし、子供が20歳の時、自分が60歳・・・と人生設計を考えた時、やっぱり結婚も、出産も適齢期ってある程度はあるよな~って思うからだ。経済的なものも確保しておかないと、高齢出産は自分の子供への負担も増えかねないからな・・・って考えてる。とは言いつつも、40歳で授かっても、私はきっと天国に昇るような気分になれると思うけど。なんで、こんなことを改めて書いているかというと、コレだけの持病をかかえつつも、私は生理が不順になったことがなかった。治療で止めた時以外は、ほぼ予定通りに生理が来ている。3~5日のズレは起きることはあっても、大幅な変動は無く来た。それが、今日で最終月経開始から38日になる。普通に考えたら、「妊娠かも?」と思う。私も類に漏れず、ドキドキした。けれど、直感と言うのか、ベイビからのテレパシーというのか、私自身、「懐妊の予感」がしていなかった。可能性に期待して、がっかりするのが嫌だから、無意識にセーブしてたのかもしれない。それでも、妊娠検査薬を買って、調べた。私は生理が28日周期(25~30周期)なので、30日をカウントした時点でもう、そわそわした。結果は「陰性」。もしかしたら、早すぎてホルモンが少ないのかもしれない・・・一握の可能性を信じ、激しい頭痛が起きても、薬を控えてた。2回用を買ったので、数日後再トライ。結果は「陰性」。それでも、諦め切れなかった。(自分にしては)軽い生理痛のような腹痛とだるさ、眠気もあったので「妊娠初期」の兆候かなと期待が高まった。そして、昨日、クリアブルーでチェックした。クリアブルーは医者が使うのと同じ試薬らしい。本当に極々わずかだけど、薄っすらとラインらしきものが出た。彼にも見てもらった。ネットでも色々情報を探してみた。日数的に間違ってない時期に検査しても陰性の場合、何らかの異常がある場合があるので、早めに受診を・・・と書いてあった。地元でわりと評判のいい産婦人科に行ってみた。全ての私の情報を伝えた。超音波で見たら・・・お腹の中には何も見えなかった。尿検査したら・・・やはり陰性だった。「まだ、筋腫の手術したばかりでしょ?焦ること無いよ」「今はわからない時期だから、あと2週間したらまた来て」支払を済ませ、帰りの車で涙が溢れて仕方なかった。カルテのない医者に見てもらったこと事態、ミスだと後悔した。排卵の時期も聞けばよかった。あと2週間、もしその間生理が来なかったら?私は2ヶ月も無月経状態ということになるけど、それって大丈夫なの?¥6000も取られて、切ない思いになるだけだった。「妊娠してないよ」その言葉は、私には「妊娠できない」と聞こえてしまった。運転しながら、自宅までの10分ほどの間、大粒の涙は止まらなかった。女の直感って当たるもので、そうだろうなと覚悟はしてたけど、通常こんなに生理が来なかったことは無いので、セーブしていたと言っても、隠し切れない期待があったのだとわかった。彼の顔は見たくなかった。なんとなく、疲れてしまった。彼がいるから彼の子を欲しいと思うのだから、一人になれば、そんな思いに苦しめられることも無い・・・彼と別れたいとも思った。2階の寝室に帰宅して直行した私に、おかしいと直ぐにわかった彼が来た。悲しくて、泣いた。別れたいと言っても、子供なんか欲しくないと言っても、彼は「僕は別れたくない。のんちゃんの子供が欲しい」と言う。昨日、あまり眠れなかった。「少し寝なさい」と言われ、一人ベッドで眠った。おばあちゃんの魂が、ベイビとバトンタッチして来てくれたかもという期待と願いは、叶わなかった。彼は、あと少しだから、もう少し頑張ろうと彼なりの精一杯の言葉で励ましてくれた。不妊治療で何年も頑張ってる人にしたら、こんなことの繰り返しだと、弱い私は笑われてしまうかもしれない。疲れた心は、どこに持って行けばいいのだろう。
2006.03.25
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今日はイランの元旦。日本に長い彼は、特にハフトスィーンのお支度もせず、普通の休日となりました。結婚したら、ママンにならって、7個のSのものをセンス良く飾りたいと思います。来年が楽しみです(鬼が笑う?)。引越ししてきて、2ヶ月が過ぎたというのに、2階の部屋は荷物がまだ片付いてない(お恥ずかしい)。生活で頻繁に使うものはリビングに持ってきてしまっていて、長いこと狭いマンションでの生活に慣れてしまった彼などは、部屋ごとに別ける習慣がなくて、脱いだものも平気でリビングにポロリ。大きな子供がいるみたいで、手がかかるけど、キッチンも何もかも私の好きなようにさせてもらってるのでいいかな~。無印良品のパイン材の棚の小さい方はキッチンで使ってるんだけど、大きい方は組み立ててもいなかった(パーツがばらばらになったまま)。私の個室(私の物置き場)は、引越しで運び込んだまま・・・。今日、やっと重過ぎる腰を上げて、棚を組み立てた。彼のことも言えないよね。天気がよかったので、お布団を干した。バルコニースペースがあるのも嬉しいね。つい毎日のクセで、洗濯物は部屋干ししてしまったけど、外に干せばよかった・・・。仕事を終えた妹のMちゃんがうちに寄って、お茶飲んで、おやつ食べて、おしゃべりして行ってくれた。先日の母とのやり取りを心配して彼を交えて話した。母への気持ちはあまり変わらないが、妹と楽しく話が出来てうれしかった。Mちゃんが仕事と両立させながら在籍していたT大学(東大ではない)の通信過程を今年、卒業となった。大変な中、頑張りぬいた。そして、晴れて23日に卒業式を迎える。通学過程と合同の卒業式が日本武道館で行われるらしい。その時、着物と袴で出席するため、着付けをしてもらうために着物の小物類を借りにも来たのだ。私も多少着付けはできるけど、袴はやったことないのと、人に着せてあげられるほどの腕はないので、今回は妹の職場で仲良くしてもらっている方にお願いしたそうだ。私は、身体的理由から大学を中退したので、妹の卒業が自分のことのようにうれしい。何か、お祝いをしてあげたいな。物も、いいんだけど、一緒に旅行にでも行きたいな。しっかり稼がないとナ~。
2006.03.21
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昨日の疲れで起き上がれなかった。ふらふらって言葉が大げさじゃなかった。お天気のせいもあるのか、体調はどん底に落ちていく過程といったところだった。出勤するつもりだったんだけど、無理だった。リビングでもずっと横になってた。母からの電話とメールでことは始まった。彼について、色んなことを言われた。話の本髄は別だったのに、母の悪い癖で、なんでもくっつけて話をするので、それはあらゆるシーンでトラブルの引き金となり、私たち娘は何度となくそれで衝突した。年齢とともに、私たち娘サイドは荒れることもなくなるのと反比例して母は加齢とともにわからずやになって、話の混濁が多くなった。私にとって、許せないキーワードというのがいくつかあって、今回それを踏みにじられた。頭にきて、泣き叫んで電話を切って、それっきり電話にも出なかった。メールに書き連ねられた言葉にも返信しなかった。私は彼とも別れると言い、全てから自分を遮断したくなった。彼は話の一部に自分も我慢できない言葉があり、彼も明日出て行くと静かに言った。しばらくして、私の心の氷を彼が解かしてくれた。彼が世界中の人を敵に回しても、のんは味方でいると約束したことを守り通せそうだ。塞ぎこんでいた私の話を彼に聞いてもらい、彼はどの言葉にストレスを感じたかを聞いた。「ママは、なんで俺をファミリーに紹介したくないの?」やっぱり・・・。彼には言葉の通りにしか伝わっていない。会話した中でなら理解できる日本語も、他人がどういう心境か図りきれない状況で発した言葉は外国人の彼には時として、そのままの形でしか理解できない。ことの真髄を説明した。もし、母が面白くなかったとしても、私は生きてる人たちは眼中になく、祖母に逢いに行ったのだ。それに、父も彼の弔問を快諾してくれた。彼は私の婚約者だから、彼が望んでくれたから、祖母の葬儀に参列して欲しかった。私の意地でもあった。誰にも邪魔されたくない、仏様が私の味方になってくれる・・・そんな気がしたから。お通夜の席の彼は立派だった。日本の佛式の葬儀参列は初めてではないけど、日本人でさえしきたりとか慣れないことなのに、私の「もし嫌じゃなかったら、ご焼香してあげて」との言葉に、最初親族として一緒にしてもらおうかと思ったけど、結局、参列者の一番ラストに見よう見まねで焼香をしてくれた。キチンと喪服(黒いスーツ)姿でネクタイもきっちり締め、挨拶もきちんとし、父の面子を保ってくれた。情と義理に深い国の人だから、まだ入籍もしてないけど5年も連れ添ってる私の祖母の葬儀に当然のように参列してくれた。そんな優しい彼にわかりもしないことをグダグダ言った母には幻滅した。実際は、彼に何か問題があるわけではない。それなのに・・・。もう少しの辛抱なんだよ。もう、明るい未来はそこにあるじゃない。母の一挙手一投足にまどわされてはいけない。私たちは祖母への孝行のためにも幸せになる義務がある。雨は、恵みの元。曇りは・・・心を休める時。嵐は、全てを洗い流してくれる。明日はきっと快晴。大自然に感謝して、ネガティブな思いは洗い流してしまおう。
2006.03.16
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昨夜というか、AM1:30頃帰宅し、祭壇と遺影をデジカメで撮ったものをLサイズのフォト用紙にプリントアウトした。一応、父のきょうだい9人分×3枚。こんなのいらないって言われてもいいけど、きっと年配の人たちは喜んでくれるかなって、用意した。リビングの長座布団とベッドから持ってきた毛布をかけて寝た。彼も隣で寝てしまった。仕事で待ち合わせているため、5時起き。ほんの数時間の睡眠になってしまった。起こされても、ふらふらだった。目を覚ますため、シャワーを浴びて、支度をした。喪服に着替え、予定を少し遅れて6時30分頃出発。運転は彼に任せた。のんは、爆睡だった。ダーリンごめんね。彼の義兄の会社の前で彼とはバイバイ。眠くて、運転できるか不安だったけど、10:30迄に親族は集合と昨日言ってたので、間に合わせようと頑張ってみた。首都高から東北自動車道へ。ナイショだけど、初めて160km/時出した・・・。館林ICで降りてからの渋滞には参った。バイパスを辛抱して目的地まで頑張った。予定時間を少しオーバーして到着。妹2人と母は先に着いていた。告別式には間に合った。昨日は間違えてお客さんの席に座っていたのだけど、今日は間違わずに親族席にかけた。告別式も滞りなく進んだ。祖母の遺言状と言うのか、「おわかれの手紙」が進行役の方によって読まれた。生前、母からの手紙の返信で何度か祖母の手紙は読んだことあるけど、それを思い出させる手紙、そして、生前多趣味だった祖母の特技の一つに歌があったのだけど、その代表作も何作か読まれた。寂しい夜を歌った歌では、皆が涙した。祖母は、9人もの子供を生んだけれども、根っからのお嬢様で、純粋で勤勉で、いい意味で生活臭さのない女性だった。沢山の子供にかこまれながらも、それぞれに乳母がいたような環境だったから、今で言うマダムだったのかもしれない。それでも、家計の足しにとずっと仕事もしてたみたい。以前、遊びに行ったとき「お腹すいただろう?ラーメンの出前とってあげるから食べなさい」と広い家を走って出前の手配をしてくれたことがあった。父と私と妹だったかな?3人前頼んでくれたのを憶えてる。私が中学生の頃だと思うから、もう祖母は80歳近い歳だったのだと、振り返って思ったけど、本当にエネルギッシュでパワフルな人だった。年寄り臭さや貧乏臭さがなく、キレイ好きで、97歳の夏にあった時も、美容クリームをつけてた。恋もしてた。決して多いとは言えない祖母とのやり取りも、思い返せば尽きなくて、涙は溢れた。最後のお別れとなり、棺にお花を納めた。肌が本当にきれいで、お花がよく似合った。娘達(叔母・伯母)がしきりに祖母に語りかけてた。いよいよ棺にふたをするとなると、皆の涙は一層溢れ、悲しみの瞬間だった。98歳の大往生だから、明るく見送ってあげようという思いはあっても、やはり98年分の祖母とのそれぞれの思い出があるのだから、別れは寂しいもの。私よりももっとふれあいが多かったいとこのM君なんかはすごく泣いていた。私は群馬県には住んだことがないので、必然的に近くに住む孫たちより疎遠になってしまう。しかも、母方の祖父母との交流の方がどうしても多くなってしまってたので数回に1度の割合で祖母に逢いに行ってた。もっともっと逢いに行ってたらよかったって、思った。でも、晩年私も大人になって、仕事人間だった父も定年を迎え、離れて暮らす祖母との距離がグッと近くなった気がした。そういうものなのかもしれない。孝行はし足りないものなのかもしれない。出棺となり、火葬場へ移動。いよいよお別れとなる。私は、火葬場は初めてじゃないけど、華やかに飾られる葬儀場と比べ、火葬場は寂しげで、好きじゃない。でも、もしかしたら肉体を離れ、いよいよ天国に向かう瞬間と考えたら、ものすごく神聖な場所とも思える。祖母の棺が荼毘にふされる。お別れの瞬間。お水を絶やさないようにと、順番にコップのお水替えを皆でする。そして、待つ間、食事が振舞われた。供養のために、楽しく食事をする。昨日は緊張する彼と弟と一緒だったので(私はたらふく食べたけど)味気ない感じだったけど、今日は妹達と一緒だったので美味しくいただいた。折り詰め弁当は味も美味しく、食べることに糸目をつけない我が一族のポリシーを感じた。叔父が隣に座り、私と同い年のいとこのS君が正面にかけた。彼とは同い年だったこともあり、群馬に帰省するたびに幼い頃はよく一緒に遊んでもらった。男の子だけど、やさしくていい子だった。面影があって、変わってないな~と思った。少し太ったけど、それも貫禄。まあ、私は誰からも「のんちゃんは本当に変わってないね~」と言われる(今回も言われた)。たまには「きれいになったね」とか言ってくれよ。昔からかわいかったと言うことで、自己完結。祖母がお骨となって帰ってきた。お骨を納めるセレモニーが行われた。妹と骨を拾った。祖母は、ほぼ老衰で、癌などの重病を長く患っていたわけではなかったので、お骨が真っ白できれいに沢山残っていた。骨太なおっかさんだったんだな~ってお骨からも感じられた。9人きょうだいの6番目だけど次男なので、遺骨を運ぶ大役を父は仰せつかった。長年、「ヨソモノ状態」で次男なのに肩身が狭かったと拗ねてた母が心底喜んでいた。母は長女なのにお嫁に出たので、次男(しかも6番目)の嫁の立場というのは窮屈だったのかもしれない。ちなみに、私も5人きょうだいの長女なので、窮屈なのは苦手。そこがアメリカの伯母さんとの大いなる共通点。遺骨を運ぶ父がなんか嬉しそうで、アメリカの伯母同様離れて暮らしていた(マザコンの)父が最期の最期に一番近くで母親を抱くことが出来たような気がして、父の心に副えた気がした。葬儀場に戻り、お開きとなった。本家に戻り、お線香を上げる。祭壇のお花は花束にして持たせてくれた。私は沢山貰ってきた。葬儀場から本家に行く途中、妹達の車が迷うというアクシデントがあったんだけど、無事に到着し、お線香をあげ、帰路に。母が喪服を着替えるために、母の祖父母、叔母家族の家へ。今日もパジちゃんが元気に迎えてくれた。夕食をご馳走になって、彼が仕事が終わったと電話をよこしたので、のんと武蔵境に帰る妹のCちゃんは一足先に出発した。ガソリンがカラカラになってしまったので、館林IC近くで給油し、IC入り口近くで一般道で千葉へ帰る妹の車と遭遇。笑顔でバイバイし、のんは東北自動車道をぶっ飛ばした。彼のいるところ付近の両国で降りようと思ったら、その名前の出口がなくて、過ぎてしまった。焦って、宝町で降りた。やっとの思いで、彼と合流。そして、その足で武蔵境に。妹を送り届け、いざ千葉へ。睡魔に襲われ、やばかった。京葉道路の鬼高Pでドライバー交代。ダーリンの運転で帰宅。もう、くたくたでへとへとだった。無事に葬儀に参列できたことにホッとした。PMSの影響か、ものすごく神経とがっていたんだけど、祖母のおかげか穏やかに過ごせた。おばあちゃん、天国でもおばあちゃんらしく元気におじいちゃんと仲良くしてくださいね。
2006.03.15
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祖母の訃報を受け、父が一足先に群馬へ帰省。母と妹2人は抜けられない先約の用を済ませ、期末試験中の下の弟と合流予定。私は、ダーリンと私用の車を受け取る予定を変更せず、車検を取るために、カーディラーで自賠責保険25か月分を支払い、仮ナンバーを市役所に取りに行った。学校勤務の上の弟が半休を取って、私たちと合流して出発。喪服姿の私と彼、そして弟。私の運転で、東京経由でまず車を受け取りに越谷へ。弟の車だったボコボコのブルーバードが今日で車検切れのため、このタイミングで車を新しくしたのだけど、偶然おばあちゃんのお通夜になってしまった。でもよかった、駆けつける手段が無くなってしまってたら・・・そう考えると、いくら彼が仕事で車を売っているとは言えオーナーになる私が金欠で、悩んでいたところ、ラッキーな話が次々とやってきてくれた。仮ナンバーだけど、おばあちゃんの葬儀に恥ずかしくない素敵な車で行くことが出来た。3月の決算期、首都圏の道はどこも渋滞。国道122号線から東北自動車道を経て、群馬県O市へ。もう、慣れに慣れた道なので、無事に到着。喪服姿の父がいた。伯父と伯母、叔父、叔母が皆揃ってた。祭壇の祖母の遺影を見ても、なぜかTVドラマのワンシーンのような気がした。祖母の生家も、嫁ぎ先である家も地元では割と大きい家なので、98歳の祖母の通夜に多くの弔問客が訪れた。おそらくは、祖母の子供達(おじ・おば)の関係者だと思うけど。明らかに『ガイジン』の彼を連れた私に好奇の目はこんな時にも注がれる。私はそういうのが平気だった。父方の家系は割りと顔立ちが濃いので純粋な日本人っぽくはないから(笑)、私にしたら「大した違いはないよ」って。通夜はあっという間に終わってしまった。運転用の色付き眼鏡しかうっかり持ってこなかったので、「サングラスのガイジン連れたねえちゃん」になってしまった。それでも、祭壇の祖母の顔を見たくて、眼鏡をかけ、見つめた。への字の口元は祖母譲りなのかな・・・。普段はスマイルで口角が上がってる(意識してます)けど、泣いたり怒ったりすると途端にへの字の口になるのんちゃん。小さな頃から変わりません・・・。ダーリンも写真の祖母を見つめ、「いいところに行ったんだから、大丈夫だよ」と涙を流す私を励ましてくれました。天国からなら、各地にいる子、孫にかんたんに逢いにいけるよね。略式初七日も済ませ、精進落としっていうのかな?通夜振舞の食事を皆で頂いた。待ってましたと、まずアメリカから来ている伯母が私に話しかけてきた。実は、前回私がまだお嫁に行ってないと両親と話していたことを気にかけて縁談を持って来てくれていたらしい。私はその話を聞いていたので、覚悟はしていた。でも、そのお相手のアメリカ人が割と収入もよくて安定した将来を期待できるとしても、神様が私にご縁を下さったのはダーリンなので、お断りするつもりだった。もったいなかったかもしれないけど。私は、彼が私の父と同様、伯母が日本人男性からは期待できなかった「レディファーストの精神」を持った男だから、伯母と同じく外国の男性に目が行ったのだよねと笑った。伯母が娘の頃より、日本人の男も随分ジェントルマンになったと思うよ。少なくとも、私の父と弟たち、そして私の幼馴染の男の子達はみな、女性をたてて、優しくて強くていい男だもの。だから、祖母に一目逢ってもらいたかった。貴方の息子によく似た、遠い国で生まれた彼と出会いました。私を父と同じかそれ以上に大事にしてくれます。おばあちゃんになんの孝行も出来てないけど、幸せになるから、心配しないで・・・・そう伝えたかった。宴席もお開きになり、遠方から来ている父と、同じく千葉県U市から来ている伯母と群馬県の他市から来ている伯母の3人は、祖母のご遺体と添い寝して、お線香の火を守るため、葬儀場の宿泊施設に泊まる事になった。そこで、おばあちゃんのお顔を見させてもらった。死に化粧をきれいに施してもらい、生前もきれいにしていた祖母の肌は、シミのほとんどない、そっと触れたら目を覚ましてくれそうなきれいな、本当にきれいなお顔だった。98歳とは言われないとわからないくらい、若いその顔に大往生でも、名残惜しいと思わせる存在感。人の一生は亡くなった時に決まるとも言うけど、祖母の存在の大きさを改めて実感した。明日、卒業式(教え子の)の弟と、どうしても抜けられない仕事の彼のため、のんは一度帰る。隣のO町に母の祖父母と叔母家族が住んでいる。一休みも兼ねて、彼と祖父母の対面の機会をもらった。祖父は風邪でダウンしていたけど、起きて来てくれた。ナースのイトコのMちゃんが偶然帰省してた。彼女とも、久しぶりで会えて嬉しかった。半年くらい前から、ペットセラピー効果も兼ねた、新しい家族が増えていた。ポメラニアンのパジちゃん。彼女は9ヶ月。色んなトラブルを彼女が救ってくれたようで、まさに天使だった。美人で、家族の寵愛を一手に引き受けてる彼女はなんとも愛嬌のある、かわいい存在だった。通夜の疲れと緊張で、出されたコーヒーもなかなか手をつけず、大好きなはずのイチゴも手を出せなかった。隣でパクパク食べてたのんは後でみんなに悪魔と言われていた。ある事情で、私は祖父母にも叔母家族にも遭いづらい気持ちがあった。だけれども、パジちゃんの存在がそれを紛らわせてくれた。祖父母も、日本語が堪能な彼に安心して、何度か話しかけてくれた。彼とのいきさつや近況は手紙で知らせてたので、後は顔を見るだけってところだったから、想像してた姿とのギャップがどうだったのかな?って思った。でも、生活範囲が一番狭い祖母が、抵抗なくにこやかに過ごしてくれたのでうれしかった。千葉の家にどうしても帰らなくてはならないので、名残惜しいけど、お別れした。そして、国道122号線~16号線を経由して、千葉へ。帰りもずっと私の運転。慣れた道だからよかったけど、かなり眠くなってしまい、居眠り運転一歩手前だった。振り返って、父方の祖母には間に合わなかったけど、母方の祖父母にも、こんな形だけど、父方の親戚ファミリー皆にも彼を紹介できた。おばあちゃんの粋な計らいに思えてならない。おばあちゃん、ありがとう。また明日逢いに行くね。
2006.03.14
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愛するおばあちゃんが、本日22時に永眠しました。夏に逢った時はあんなに元気で、私を沢山励ましてくれた自慢のおばあちゃん。先日、肺に水が溜まってしまい、危篤状態だった。意識が回復し、しばらく小康状態だった。98歳のお誕生日を3/8に迎えたばかり。アメリカからお見舞いで来日してた長女である伯母のアメリカ帰国が15日の予定だった。再び訪れるにはお金がかかるからと、思ったのだろうか?口下手で、出不精な息子(私の父)が一人で逢いに行ったことでホッとしたのかな?ホワイトディに20年も先に天国に行ったおじいちゃんが迎えに来てくれたのかな?お嬢様育ちで向学心を失わず、働き者で明るいおばあちゃん。おしゃれで、年寄り染みたことは嫌いなハイカラなおばあちゃん。私に、結婚して旦那さんに大事にしてもらうのが一番の幸せだよ、と明るく諭してくれた。20人もいる孫達をおばあちゃんはきっとしっかり覚えてる。そんな人だ。ダーリンを連れて、おばあちゃんに逢いに行くと約束してたのに、逢いにいけなかった。悔やんでも悔やみきれない・・・。本当は、行くはずだった。彼が風邪気味だったのと、いきなり行ったら他の人もびっくりするかもしれないと、時期をずらそうと決めたのだった。天国からは群馬の病院よりよく私たちを見られるね。きっと、見ていてくれる。いままでよりずっと、もっと。孫として、なにもババ孝行できなかったことを許してください。安らかに眠ってください。おばあちゃん、いままでありがとうございました。
2006.03.13
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予定を2時間ほどオーバーしてのスタート。彼の仕事に同行。仕事と言っても、今日はほぼプライベート。お客様のところに挨拶に行き、その足で私の車を買うために、知人のところへ。今日は、私が一日ドライバー。長時間の運転には慣れてるし、好きだけど、最近は助手席でスヤスヤ(乗り物酔いする私は自分の運転以外は短時間でも眠る習慣がある)ってことが多かったので、疲れた。200キロのドライビングだった。御茶ノ水駅で、妹と合流し、実家へ。ブックオフで、NANAのコミックを買った。これだけ流行ってるのに、読んだ事がなかった。好きなミュージシャンも絶賛してた。実は、作者の「矢沢あい」さんのことはかなり昔から好きで、いつかは読もうかな~と思ってて今になった。1、2、7.8、9、10巻とお店にあった全てを買ったんだけど、虫食い状態。だけど、1巻を読み始めてすぐ、はまった。社会現象になるだけのことはあるな~って思った。私はパンクは聴かないけど、ファッションとしては好きだったし、10代は恋に生きてきたし、さすがにミュージシャンとの恋愛はないけど、はまりにはまったよ。抜けてるところも早く読みたくて・・・眠れない。私は読書虫で、2歳で字が読めるようになってすぐから絵本ではない本を読んでいた。(本当に)速読法は知らないけど、読むのは早いほうだと思う。自室に篭って、コミック、週刊誌、百科事典、図鑑、広辞苑、文庫本、ハードカバーなんでも読んだ。なんでもって言うと語弊があるかも。少女小説とかいわゆる同人誌みたいな世界が嫌いで、○バルトとかは手をつけてないんだよね。大学時代は、学校とバイトの合間のちょっとの通学・通勤時間を使って、毎日文庫本を1冊買って読んでた。ちょっとエッチな内容のものもアリだった。表紙の色がきれいなの(パステル調のとか)を表紙買いして読んでたこともあった。そのころの虫が疼き出したのかもね。私は、自分の鼓動以外物音が全くしないような時間が、定期的に必要で、だから時々はこんなにも愛してるダーリンの存在が疎ましく思うこともある。それは、ダーリンにはなんの責任も非もない、私の持病のようなもの。読書はそれを可能にしてくれる。楽しい漫画でもOKなのだ。だけど、NANAって泣けちゃってさ、のめり込むね~。私は流行に触手するタイミングの速さにこだわりはないので、今の自分に旬な物がベストなのだ。嫌いなはずはないもの・・・なので、いつかは訪れる瞬間だったのかもしれないけど、期待を裏切らないでくれたNANAの魅力に、大満足。ベストセラーはそれなりに裏打ちされる実力があるってものなのだね。続きが楽しみだな。悲しい思い出なんだけど、それだけを楽しみに20歳過ぎても別マを購読してた・・・『いたずらなKISS』というアニメにもなった漫画があったんだけど(知ってる人は多いと思う)、作者の「多田かおる」さんの急逝で、作品が途中で終わってしまった。残念に思っているファンは少なくないと思うけど、今まで触発され影響を受けたアーティスト(画家、音楽家、役者、漫画家、作家などなど)が、志半ばで旅立ってしまうということは、できればこの先もなるべくあってほしくない。自分が、旅立ちを許される年齢になった頃、肉体が淘汰される頃まで、贅沢の限りを尽くしたい。あらゆるジャンルでいい作品が生まれ続けてくれることを楽しみにしてる。NANAの世界に浸り、そんなことを感じたのでした。
2006.03.11
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疲れ果てて、朝が遅かった。それでも、午前中に出発。今日は少し寒い。彼とちょっとしたことで言い合いになる。経済的なこともあるんだけど、色々お互いが頑張っても報われないことでストレスに押しつぶされそうになってる。今が辛抱の時。超えられない苦難はないと、どんな時も一緒にいる。私の職場には迷惑をかけてしまってる。社会人として失格なのはわかってる。勤務先の業績が足踏み状態なため、私の仕事は今までのキャリア、スキルから行くと持て余して必至。私は時給契約なので、出勤しなければ苦しいのは私。会社側も、体調のことを本当~に大きな懐で受け入れてくれ、わがままを聞いてくれてる。そして、私のパートナーが外国人であるが故、普通の日本人成人なら一人で済ませられる事務手続きなどに同行し、そのために仕事を休むこともある。生意気ながら、一応は勤務先の自分の仕事は頭に入ってるのでスケジュールを考えつつ、体調を見ながら動かせてもらってる。それでも、まかせっきりにしてくれてる他の社員さんからしたら、どうなってるか心配だろう。手の届くところに全てのファイルを置き、他の方が探さなくてもいいようにはしている。でも、日本で働く以上、たとえ仕事がなくて座ってるだけだとしても出勤しなくてはならないのが常識。私は、そう考えると常識のない社会不適応者って言うのかな、反省せざるを得ない。人様に雇われてる以上、出勤するのは当然であり、何かのクリエーターなら納品をもって報酬を得られるけど、そういう立場でもない。実の振り先を考えなくては・・・。4月・・・春をめどに考えている。彼がイランに帰るとき、私も一度行くつもり。したい仕事の基盤つくりもあるので、ゴロゴロ寝てばかりもいられない。だけど、絶対に無理はしない。数年前に決めたことだから。それで、非難されたり、解雇されても受け入れなくてはいけない。とりあえずは、与えられた機会を精一杯がんばる。今の会社の社長には心から感謝してる。もう少しの間、お世話にならせてください。
2006.03.07
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午前中、確定申告をした。自宅でオンライン手続きをしたのに、うまくいかず、プリントアウトもできなかった。だけど、医療控除は各ページ印刷し、計算も済ませておいた。今年は仕事も1箇所だけだったので、1枚の源泉徴収票だけだから楽。少し並んでたけど、PCが空いたのですぐにとりかかり、必要事項を入力し、印刷し、印鑑を押し、提出。賞味15分。沢山の熟年申告者をごぼう抜き(笑)して、車に戻った。最寄の警察署に運転免許の住所変更をしに行ったんだけど、写真が必要(県外からの転入の場合は必要)で、しかもそこにはスピード写真のマシンもなく、頭に来たので書類だけ貰って帰った。そして、都内に某所用のため彼と2人出かけた。運転は、私。平日昼間の道路は結構渋滞していて、時間がかかった。到着してからもいろいろ待たされたり、時間がかかった。精神的に疲れてしまった。遅い昼食をガストで取った。彼もストレスでピリピリしてたので、カプチーノがドリンクバーにあった時は助かった~と思った。コーヒーが切れると、ダメな彼。お腹も満たされ、少しイライラが引いた。それでも、全てが終了しないまま一日が過ぎた。帰り、津田沼のイオンで買いもの。階段の踊り場のはめごろしのガラス窓につけるブラインドを買った。洋服やさんで、春物のカットソーを3枚買った。(彼に色を選んでもらった)食料品を買い、無性に食べたくなったアイスクレープをサーティーワンで買った。バナナカスタードチョコチップ(だったと思う)。注文してから焼いて作ってくれるので、サクサクでアイスも美味しくて大満足だった。帰り道は彼に運転してもらって、のんはクレープにパクついてた。明日も忙しい予定。あ~、仕事で忙しいならありがたいんだけど、1円にもならない。私のお仕事もお休み貰って動いてるから、マイナスだよ~。早くスッキリしたい。
2006.03.06
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HAPPYBIRTHDAYMySweetHeart愛する彼の誕生日。一緒に迎えるのは5回目。これからもずっと一緒に祝えるよう、お互い健やかで穏やかでありたい。そして、彼を産んでくれたママンに「ありがとう」。
2006.03.05
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長女の私には、名前入りのお雛様がある。実家のクローゼットに収納されているんだけど、今年も出してない。段飾りなので、どうしても億劫になってしまう。片付けるのが遅れると、婚期も遅れると言うが、出さないと更に悪影響が・・・なんて気がする(笑)。そういうことでなくても、お人形さんたちを出してあげないのは本当にかわいそうだね。来年はしっかり飾ろうと思います。あと家は、旧暦に飾ったりします。4月頃なので、本当にいい陽気でかえって楽しかった記憶があります。およそ30年前の、のんと『希雛』。お飾りを取って、いたずらしてます。このあと、叱られました。
2006.03.03
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彼がずっと風邪気味で、のんも怪しげだったのと、寝不足で17時まで寝続けてしまった・・・。多分、前日のあの眠気・・・血圧がまた異常に低かったのかも(測定不能経験者)←言い訳。彼に、起こされた。死んだと思ったみたい。彼も、仕事に行かなかったみたい。起きても、ガウンをはおってボーっとしてた。腹ペコのダーリンにご飯作れと言われ、迷った揚句、アダスポロウを私が逆にリクエスト。作り方は、いたって簡単なんだけど、前に一人で作ってみたら、すごいことになってしまってショックだったので、彼に一緒に作ってもらった。イラン米だったので、きれいに出来た。私のために、塩と油は普通のより少なめだと思う。ダリヤショップで買ったツナ缶をおかずにディナー。2合炊いたご飯は、3杯おかわりしたダーリンのおかげで、なくなってしまった。よかった。そういえば、ポイントをキャッシュバックしてくれるサイトからまた入金があって、イーバンクの口座残高が¥5000を超えた。うれしいね~。
2006.03.02
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2/28の夕食。アメ横で3柵で¥1,000でゲットしたトロ。のんはお刺身で、手巻き寿司~。彼には鶏を焼きました。 一日中眠くて、仕事もさしてやることもなかった。天気も悪いから、余計ぼんやりしてしまった。友達のコリアンビューティが、無事にVIZAの更新を済ませたとの知らせを聞き、嬉しかった。ダーリンの国は・・・手続きが早く済むといいんだけど。早くパスポート届いてくれ~。最近、会社に来るヤクルトおばさん(おねえさん)から、週に3回ジョアとヤクルトを買っている。不妊についてのサイトで、乳酸菌もいいと書いてあったから余計意識してる。もちろん、味も好きだけど。昔、母がパートでヤクルトおばさんをやったけど、ハードな割りにお金がそうでもなかったことと、待ってる私たちがどんどん飲んじゃうから(笑)・・・とすぐに辞めてしまった。もう、25年くらい前の話になるんだな~。帰りの車中でもいつの間にか熟睡してしまった。夕食は、私の希望でサイゼリヤに行ってもらった。彼は、恒例の「若鶏のディアボラ風」とフォッカチオ3枚。のんは「イタリアンハンバーグ」とライス。2人でシェア用に、ぺペロンチーノ(私が食べたかった)と小エビのカクテルサラダをオーダー。ドリンクバーも楽しんだ。満腹になって、帰宅。夜型人間ののんは、『確定申告』がまだ済んでいないので、オンラインで申告書を作成した。去年は収入が少なかった・・・。そして、手術などもあったので医療控除の資料も作成した。一回、全部入力し終わって、フォーマットの選択ミスに気がついて、やり直し。久しぶりにデータエントリーをした気分だった。すっかり遅くなってしまった。早く、税務署に行かなくては。今年は還付金が受け取れるな・・・。これからは、沢山税金払えるようにならないとな~。頑張ろうぜ、ダーリン。
2006.03.01
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アメリカに住む伯母(父の長姉)が来日した。15時の飛行機で到着とのこと。千葉に住むのんの両親がこの度、成田空港へ迎えに行くことに。実は、このお迎えに至るまでにもトラブルが・・・。無口で通っている父が、加齢とともに頑固(←これは元からみたいだけど)で、愚痴っぽくなった。定年後の再就職で勤務してる配送会社での職場環境の影響だと母は言うが、私は単なる『老化から来るもの』だと思う。父は9人きょうだいで、男は3人(父は次男)。残りの6人は女(当たり前だけど)で、父は兄と弟、4人の姉、2人の妹がいる。きょうだいの真ん中で、それぞれに乳母がいたようなボンボン育ちの父。気は優しいが無口で、20歳そこそこで生まれた土地を出てしまって40年以上、シャイな性格もあって親戚付き合いがことのほか苦手なのだ。今回の伯母の来日には訳がある。先日も少し書いたけど、97歳の祖母が倒れた。心臓に水が溜まってしまったそうだ。歳が歳だから、いつ最期になるかわからない・・・。カンの強い母は、虫が知らせたのか父がダメだと言ったにもかかわらず、祖母(姑)に会いに先日単身出かけた。(父は仕事だったので行かなかった。)その時見た姿があまりに弱っていて、行ってよかった、と言いつつもいつもシャキッとしてた祖母なので、その姿に母もショックだったよう。危篤の知らせで、おそらく伯母は急遽来日を決めたのだと思う。アメリカ人の夫と2人来日することに。そして、いつも不義理の限りを尽くしてきた父にお迎えの任命をした伯父となにやら父が電話で大喧嘩したらしい。「お前はいつも何もしていない」と叱られたことに、キレた父。おばあちゃんも死ぬに死ねないよ、そんなんじゃ・・・。結局、周囲の助言と諸事情から父がおとなしく伯母のお迎え係りを務めた。実は父は長女である伯母をとても尊敬してて大好きなのだ。だから、私が伯母によく面立ちが似てることはうれしいみたい。飛行機の時間を忘れて、夕方母の携帯を鳴らした。ちょうど、成田から父の本家のある群馬県O市にもうすぐ着くというところだった。車中では伯母と母が楽しく(こんな時になんだけど)オシャベリに興じたそうだ。長旅の疲れもあるだろうに、伯母は社交的な人なのできっと、着くなりすねてる弟達(伯父と父ね)を諭し、祖母を明るく見舞うんじゃないかな?前に来日した時(立て続けに3つお葬式が出た、すべてきょうだいの連れ合い・・・義理の伯母、伯父達が亡くなったのだ)もそうだった。夜、母から電話があった。向こうを出たところだそうだ。母に言われてしまった。「Bちゃん(のんのダーリンね)、遅かったね。」見舞った祖母はもう余命いくばくもない弱りきった姿だったそうだ。今日明日が峠・・・までは行かないかもしれないけど、逢いに行っても顔がわからないだろうって。少し前から、「のんのパパの方のおばあちゃんは97歳だから、結婚してもしなくてもいいから、のんが今付き合ってる人ですって挨拶して、安心させてあげなさい。」って言われてた。彼が避けてるわけでも、嫌がってるわけでもなく、単純にスケジュールの問題で行きそびれてるだけだった。母方の祖父母からも「逢いに来なさい」って言われてる。いい歳した娘を放ったらかしにしてるのは親の責任と、祖父母に母も叱られてる。私たち2人の勝手で結婚のタイミングを計ってるだけなのだけど、とっくに適齢期を迎えてる孫娘の晴れ姿が待ち遠しくてたまらないのだ。ジジババ不孝だよね。97歳の祖母には私たちきょうだい5人の他に沢山の孫、ひ孫がいるけど、おばあちゃんは私をちゃんとわかってるし、お嫁に行きなさいってこの前逢いに行ったとき言ってもらった。おばあちゃんの心に添える孫娘になりたい・・・。彼に話した。今週末にも彼と一緒に祖母の所に逢いに行こうと思う。それまで待ってて。次ぎあうときがお葬式なんて寂しいから。顔なんてわかんなくってもいいから、待ってて。大好きなおばあちゃん。
2006.02.28
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横浜で中学時代のクラス会があった。クラス会と言っても、クラスの一部の仲良し仲間を中心としたメンバーで、あとは連絡のついたクラスメイトもOKだったら来てもらって・・・と言った感じ。私を含め6人だった。私の親友のMちゃんは明日2/26がバースディなので、多分ダーリンと過ごすために、今回は欠席だった。彼女、7月に最愛のダーリンとの結婚が決まったそうで、是非今の心境など会って話したかったんだけど、それはまた今度デートしてもらうことにした。仲良しグループのうち、去年離婚してしまった子が二人。少し、いきさつなんかも聞いた。それぞれシングルライフをしっかり前に進んでいるようでよかった。只今、奥様がご懐妊のプレパパさん。そして、結婚3年目で待望の妊娠がわかったAちゃん(只今2ヶ月目)。とってもうれしかった。そして、私は久しぶりの再会になったS君、株式会社の代表取締役で頑張ってる。彼は5人のパパさんなんだって。すごいな~って感動。私の体のことや、手術のことはそれを知ってるK君が、気を遣ってくれてたんだけど、私から「もう大丈夫」と報告した。横浜駅の東口にあるお店で会食。オシャベリは尽きず、2時間はあっという間。時間が来てしまったので、近くのカフェに移動。2人の男子も甘党なので、みんなでケーキとドリンクをオーダー。そこでも、いろんな話で盛り上がった。中学生当時の恋の話でも大いに盛り上がった。閉店時間までねばって(笑)、23時をまわったのでお開き。京急で帰る組、JR組、マイカー組、とそれぞれに別れた。また会いたいね。のんは、彼が会社の元同僚と飲み会があって、上野で飲んでると言うことなので、車を置いてある両国に向かった。品川に着いたとき、電話したら彼もバイバイしてきたとのことだった。秋葉原で一緒になるかな~?と探したけど、結構な人でわからなかった。(千葉行きの最終とかだったのかな?)両国で降りたら、彼がいた。急いで追いかけた。同じ電車に乗ってた、ちょっとうれしかった。いろんなことをしゃべりながら車に向かった。弟の車を預り、昼間彼がメンテナンスをした。お酒を飲んでる彼の代わりに、のんが運転して帰った。土曜の深夜の道は空いていて、スイスイ帰れた。楽しい時間はなんであっという間なんだろうね。
2006.02.26
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先日、ホームセンターで心臓のあたりをギューっと急激な痛みに襲われた。私は、中学生の頃から何度か心臓の問題点を指摘されたことがあった。去年の手術の術前検査でもひっかかった。少し前にひどいむくみに見舞われて、内科を受信した時も、不整脈を指摘されて、もしかしたら心臓のポンプの機能が悪くて、むくみに影響してるのかもしれないと言われた。あくまで、「かもしれない」だけど。一刻を争う状況ではないから、精密検査などは受けていないけど、心臓の4つに分かれた部屋(左右の心房、心室)の1つに負荷がかかってるのはわかっている。狭心症?って思うほど、胸が締め付けられる痛みに襲われることは過去にも何度かあった。それが、今回・・・父方の97歳になる祖母が、心臓に水が溜まり入院したと聞いたのだ。高齢のため、安易に手術をしてもかえって弱ってしまうとのことで、お水を抜く処置だけをしたらしい。小康状態ではあるらしいが、昏睡状態になったりもしたらしい。叔母が慌てて祖母を起こしたら、居眠りしてた・・・と言ってたみたいだけど、気付かずにいたら、祖母はそのまま深い眠りについてしまったかもしれなかったそうだ。私が心臓の痛かった頃とどうも重なったようで、虫が知らせたのか、意識がシンクロしてしまったのか?97歳なら、明日亡くなっても大往生かもしれないけど、私の花嫁写真も、ひ孫の姿も観てもらいたい。まだまだ生きていて欲しい。名家のお嬢様で、(生存する)9にんの子供達を育てながらもおしゃれで、明るくて、働き者。耳こそ遠くなったけど、去年会いに行った時、元気だった。アメリカ在住の伯母(長女)に一番顔が似てると、私は会いに行くとかわいがられた。ハイカラなおばあちゃん、ものすごく勉強家で今でも絵を描いたり、歌を歌ったり、句を読んだり。伯母に続き異国の連れ合いを合わせるためにも、彼を近いうちに連れて挨拶に行かなければ。月末にはアメリカから伯母が来日する。おばあちゃん、みんなが集まったらそのエネルギーで100歳までは絶対元気でいてね。痛みは私が代わるから。
2006.02.22
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今日は、テヘラン@イランに住む、ダーリンの最愛のママの誕生日だそうだ!私は、家族の誕生日などは全部記憶するタイプなので、当然のように付き合いだしてすぐから何度も聞いていた。「忘れた」・・・私の常識からはありえない話で、男泣きするほど愛してるママの誕生日なのに、なぜ?と教えてもらえないことに憤慨してたのでした。それが、たまたま彼の実妹が話題に出したことで、今日がママの誕生日だと判ったらしい。それを報告してくれたのだ。のんは8/21なので、ピッタリ半年違いのママになんかこじ付けだけど嬉しかった。別の日だっていいんだけどね。未来の姑の誕生日を知ることが出来たんだもん。遠くから、お祝いの気持ちを送ることができるから。イランに電話をするんだよ・・・と話していたんだけど、仕事で忙しく暇がなかったらしい。かわいそうなダーリン。直接会って、ハグしたいだろうな。
2006.02.21
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月曜日の午後が担当の先生の外来診察の日なので、会社のスケジュールを確認し、中抜けさせてもらうことにした。朝、会社から自転車でJ病院まで行き、受付を済ませた。「001」番!「お、いいね~」急いで仕事に戻る。そして、12時に食事とともに病院に出た。雨が降っていたので、さすがに自転車は諦め、秋葉原の駅まで歩き、『てんや』で上天丼(¥580)を食べ、タクシーで病院に行った。午後は13時から診察が始まるんだけど、12:58に着いた。おトイレと歯磨きをしに、トイレに行った。再診の間に初診が入ってくるので、少し待たされた。けど、いつもを思えば、外待合ロビーのソファーが満席なのに、30分ほどで呼ばれた。問診表の記入と、先生の問診。そして、内診、エコー撮影。相変わらずの、子宮内膜症、腺筋症の状態。癒着をはがしても、すぐ再発すると言われた。排卵のなごりか、卵巣が少し腫れていると言われた。全て『想定範囲内』のことらしいので、『あってもおかしくないこと』と言われた・・・トホホ。妊娠を希望しているので、痛みとは闘うしかない。極度の貧血でもない限り、ホルモン治療を先生が強制はできない(方針)。6ヶ月生理を止めて、炎症を抑えるか、一日も早い妊娠に向け、基礎体温などしっかりつけて頑張るか。鎮痛剤が効いてるなら、飲んでていいと言われた。私のケースは仕方ないのだ。いかに、痛みを避けて生活していけるかが課題。先生も強い口調で「妊娠したら良くなるんですよ」と言った(2回も)。先生も、面倒を見てる患者の一人でも望むなら赤ちゃんを抱かせてあげたい、痛みから解放させてあげたいと思ってらっしゃるんだろうな~って思った。買ってる薬で効くならと処方箋もなし。効きが悪くなったら相談してください、漢方もあるから。と言ってくれた。腫瘍マーカーとホルモンのチェックのために採血をして、今日は終わり。時計を見ると、まだ14時過ぎだった。早く終わってよかった~。エントランスのスタバでホットキャラメルマキアート(トールサイズ)を買って、タクシーで会社に戻った。帰りのタクシーのじじい・・・なんか感じ悪くてムカッときた。戻ると仕事が一つあったので、片付けた。さほど忙しくなかったのと、昨日彼の仕事の書類作成で睡眠不足になり、コクリコクリと何度もお舟を漕いでしまった・・・あはは。今日の東京は昼から雨ザーザーになってしまった。仕事で海外に行く義兄を送りに成田に行き、そのあとオフィスで仕事をしてた彼と私の会社の前で待ち合わせ。定時で終了。帰りは、彼も眠くて、しかも大渋滞。マニュアル車なので、運転を替わってあげられない・・・。しかも、私も眠い。錦糸町のLIVINにあるサブウェイでケイジャンチキンサンドを買って帰った。結局、睡魔に勝てず、のんは寝てしまった。雨の中、彼は車をぶっ飛ばし、早く着いた(と言っても20時頃だけど)。そういえば、彼がパスポートの更新を申請したんだけど、まだ出来上がって来ない。イラン大使館の担当の人に電話しても、「まだ」と言われたらしい。予定の1ヶ月半を過ぎた。しつこくて、待てない性格ののんは、彼に毎日聞いている(やな女)。時間がかかるのはわかってるけど、早く届かないかな~。ノールーズ前に行かせてあげたい。私も行く予定だけど。
2006.02.20
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福島県警富岡署は18日、同県大熊町、県立大野病院の産婦人科医師加藤克彦容疑者(38)(大熊町下野上)を業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕した。医師が届け出義務違反で逮捕されるのは異例。 調べによると、加藤容疑者は2004年12月17日、同県内の女性(当時29歳)の帝王切開手術を執刀した際、大量出血のある恐れを認識しながら十分な検査などをせず、胎盤を子宮からはがして大量出血で死亡させた疑い。また、医師法で定められた24時間以内の所轄警察署への届け出をしなかった疑い。胎児は無事だった。 医療ミスは、05年になって発覚。専門医らが調査した結果、県と病院側はミスを認めて遺族に謝罪。加藤容疑者は減給1か月の処分となった。読売新聞の記事。許せない・・・私にはいとこにナースがいるし、自身の虚弱体質で病院には幼い頃からお世話になっているので、医療の現場がいかに多忙で過酷かは知っている方だと思う。だけど、医師という職業はある意味教師同様『聖職者』的な立場だって思う。そうであって欲しい。精一杯やって、力及ばずということはあるだろう。現代の最新医学の全てを尽くしても解明できない難病もたくさんあると思う。だけど、この事件は違う。ハイリスク出産に対しての大いなる怠慢。希望と不安で迎えたであろう出産を、最悪の事態で終わらせたその医師が許せない。不幸中の幸いで胎児は無事だったとあるが、本当は母親だって助かる命だったかもしれない。残された人間のやるせない思いを考えると、胸が痛い。なぜ、こんなにも時間が経って発覚するのだろうか?医療ミスっていつもそうだ。医療訴訟ってなかなか勝てないとも聞く。処分が減給1ヶ月って、甘すぎやしないか?『殺意を持った殺人』ではないけど、私は専門知識のある者が、そのリスクを承知で措置を怠るって、極論かもしれないけど『殺意のある殺人』と変わらない気がする。ニュースを観てすぐに、怒りと悲しみがこみ上げてしまった。私は、子宮にメスを入れているので、手術を受けた主治医のいる病院以外ではほぼ100%帝王切開になる。理由はそれだけではないけど、信頼している医師のいるJ病院での出産を希望している。容疑者となったその医師にはしっかり罪を償ってもらいたい。
2006.02.18
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『イーバンク銀行』の口座開設手続きが終わった。数年前から某Yオークションで出品、落札を楽しんでるので、あれば便利だって思ってたんだけど、よくわからなかった。ネットバンキングって口座維持手数料とかあるでしょ?とにかく、低金利時代、1円でも出金されるものは嫌で、去年自宅のPCを買い換えた時から検討してた。先日、申し込んでやっと手続き完了。あっという間だった。それに伴って、MoneyLookという機能も使うことにした。これってすごい便利。いろんなメルマガなどで案内されてた「ポイントをキャッシュバックしてくれるサイト」なんかを暇つぶしに覗いて、いくつかトライしてみたら早速キャッシュバックがあった。¥260ささやかだけど、うれしかった。あと、某サイトでアンケートに答えて謝礼に12月にも振り込まれてた。あまり使わない口座で、ネットで残高照会したら増えてて、あれ?と思い、通帳記帳したら謝礼だった。¥2400別のサイトからは抽選で当たったらしく、¥500分の商品券を送ってくれた。ジェフグルメカードを選んで、早速この前ガストで使った(笑)。アフィリエイターではないのでこれらで食べていくわけじゃないけど、なんとなくうれしくてチョコチョコやってみてる。何かしらリスクはあるとは思うんだけど、良識の範囲内で楽しもうと思ってる。
2006.02.17
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午前中、PMSのせいか吐き気とめまいで動けなかった。彼は今日も4時起きで、5時に出て行った。私は、ギブアップ。ベッドの中でも目が回ってる感じで、ぼわ~んとしてた。会社に行こうとお昼に家を出た。セルフGSで、洗車と給油をし出発。コンビニでサンドイッチと肉まんを買った。レモンティと一緒に運転しながら食べた。頭も痛い。葛根湯を飲んだ。でも、電車で移動するより自分で運転してても車で行く方が楽。都内に入ったんだけど、吐き気は治まらず、仕事する気になれず、会社は諦めた。会社に電話し、また車で帰ることにした。前に住んでいたマンションに郵便物がまぎれてないか立ち寄った。ポストにDMっぽいものが溢れてたので、躊躇せず開けたら、もう新しい住人がいたみたいで、中国人の方らしき宛名の郵便物が沢山入ってた。しまった~と開けてから思った(ごめんなさい)。けれど、案の定私宛の誤配があった(転送届け出したのに・・・)。親友からの『寒中見舞い』もあったので、来てよかったって思った。DHCのオリーブクラブ(会報誌)は開けられて、私の宛名の紙だけが残されてた。新住人らしき人の郵便物、宛名に見覚えがあって、もしかしたら済んでない中国人かもしれない。ちゃんと住んでるかもしれないけど、そんな感じのなぞの郵便物が散乱することがあたまにある建物だったので疑わしい。依然、体調は思わしくなかったので、足早に千葉へ向かった。いつもは国道14号線か、京葉道路を利用するんだけど、なんとなく湾岸道路が気になって違うルートで帰ることにした。失敗した・・・すごい混んでた。途中、トイレに行きたくなって、市川(辺り)の『ニトリ』を発見して立ち寄った。そこはソファなどの家具類が充実してて、すごく座り心地のいいソファに遭遇。彼に相談しよう。手動のフードカッターを見つけた。¥599だったのと、色が黄色(卵色)だったので即決。車に戻り、ゆっくり帰路に。途中、ららぽーとに寄りたくなりパーキングに入れて、お店に入ったら『本日は専門店街は休館日です』の張り紙。確かに、静か過ぎた。平日とは言え、全てのパーキングが『空』マークだったのも珍しかった。でも、案内がなさすぎで、不親切だって思った(怒)。とっとと出てきた。津田沼のイオンに寄り、彼のためのチョコをはじめ食料を買った。お気に入りの洋服屋さんもちょこっと覗いた。バレンタインチョコは毎年、色んな工夫をするんだけど、今年は質より量(質もいいけど)の作戦。アーモンドチョコのお徳用パック3P分。(大きさの比較に1.5リットルのPETボトルを並べてみました)軽くラッピングして(と言っても入れ替えただけ)ドーンとテーブルに。コンビニで買ったものも一緒に。イオンを後にして、いざ自宅へ。途中、幕張のドンキホーテにも寄った。生活雑貨が安くて助かった(とくに生理用品)。こんなものも買ってしまった。毎日、1杯以上コーヒーを飲む彼にと思い、ゲット。このグリーンの缶って昔からあるよな~と思いつつ、ドンキの価格表に書かれてたコメントと値段に吊られて買ってしまった。具合悪いな~と思いながら、色んなところに寄り道してて、ただのサボリだな~って自己反省。帰り道、工事渋滞にも引っかかって予定を大幅にオーバーしてゴール。彼も仕事で忙しく、私が自分で車運転してるので迎えの心配もなかったので、帰宅が遅かった。しかも、昼食がかなり遅かったらしく、夕食の催促もなかった。自分はマグロのぶつ切りをスライスして、酢飯と海苔で鉄火手巻き寿司した。うたた寝してた彼が起き出して、「自分だけずるい」と言ったので、寿司NGの彼には、卵&トマトとフランスパンを用意。もくもくと食べて寝てしまった。でも、眠くていつもの1/5くらいの細さになってた目でチョコの大袋を発見し、抱きかかえて寝ようとしたので、嬉しかったけど、「朝になったら溶けて一つのおおきなチョコになっちゃうよ」と言ったら、テーブルに戻してた。オリンピック出場選手の特集みたいなのがTVでやってたので観た。感涙。
2006.02.15
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彼とのバレンタイン、今年で5回目???実は・・・彼には何も用意してなかった。忘れたのではなく、暇がなかった。イメージしてるものはあって、それを買いにいけなくて。他の方からもらったものでも、チョコ好きな彼ポリポリ食べてくれた。まあいいや。
2006.02.14
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会社宛にゆうパックで申し込んでいた『モロゾフ』のチョコが今日届いた。繁忙期ということで、2/14の当日指定が出来ないものだったので、仕方ない。会社の男性人は早速開けて食べてくれた。我が社の男性人、何か差し入れしたり、おやつ別けたりすると、「うまい!」と元気良く言ってくれるので、あげ甲斐もあるし、うれしい。今回も、「うまっ」と言ってくれた。もうそれだけでOKでしょ。
2006.02.13
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お休みなのをいいことに、いつまでも寝てた。風邪気味なのと、多分そろそろピリオドが来るため、体がいつでも眠たがってる。それでも、出かけると彼が言ってたのでいい加減起きた(昼頃)。彼は、妹達から届いたバレンタインチョコを一人でポリポリ食べていた。コーヒーも自分で入れたみたい。類に漏れず甘党のイラン人(笑)。彼はチャイではなく、コーヒー党。チャイは目上の人から出された時くらいしか飲まないんじゃないかな?すぐ下の在日の実妹もコーヒー党。以前、一緒に仕事した時、こっそりスタバに寄ったりしたな~。忙しかった日、ご褒美に義兄が「スタバ行っていいよ」って許してくれたな~。ゆっくりお風呂に入って、着替えて、出かけた。今日は、私の車で出かけた、運転は彼だけど。腹ペコののんは、めずらしく途中のマックによって欲しいと頼んだ。¥100のマックチキンとハンバーガー、フィレオフィッシュ、ポテト、ナゲット、コーラを二人で分けた。自宅の近隣の市にあるという、お客さんの家を探しに出かけたんだけど、住所を聞いて地図で検索して行ったのに、見当たらず、ものすごい探した。随分かかって見つかったけど、目的は果たせなかった。すっかり暗くなってしまい、スーパーに寄って買い物をして帰宅。なんだか、へんなドライブになってしまった。夕食は、前出の彼の実妹さんが作ったゴルメサブズィを食べた。スーパーとコンビニを数件はしごしたけどフランスパンが売り切れで、日本米を炊いた。私たち好みの少し固めの炊き上がりで、相性ピッタリだった。彼は、ナチュラルヨーグルトとともに山盛り食べた。のんは、イランのアブリムーをかけて食べた。すごく美味しかった。ママの味にほぼ忠実らしい。イランに行っても食べられるものがとりあえずは2,3種類あるから大丈夫。まあ、のんの場合、ラバーシュとヨーグルトと蜂蜜だけでもOKだけど、えへへ。冬季オリンピックが始まっている。日本のメダル候補と言われる選手が、不振な結果になっている。実力は十分ある選手で、世界選手権などで勝利してても、オリンピックというのは魔物が棲んでるらしく、一筋縄ではいかないようだ。冬季オリンピックって、命にかかわる危険な競技がたくさんあって、だけどなんとなく地味で、もっと選手にいろいろと(特に金銭面)サポートしてあげたらいいのにな~って思う。近年はアマ選手でもスポンサーがついてたり(それはプロになるのかな?)、報奨金があったりするみたいだけど、あまり人気のない競技なんかだと大変なんじゃないかな~って思う。あの、華やかなフィギアスケートもかなり自己負担があるって聞くし。メダルを獲得してくれたら、それはとってもうれしいけど、振るわなくても、日本の代表として戦って来てくれたんだもの、元気に帰ってきて欲しい。開会式も、イタリアらしいステキな演出だった。無事に、平和に、閉会式を迎えられることを祈ってる。
2006.02.12
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風邪をぶり返し、咳と鼻水、頭痛とだるさに悩まされ、膀胱炎におびえながら過ごしていたここ数日。ライブの記憶も、遠いものになりつつあり(もう次に行きたくてそうなってる。次は秋の予定)、すっかりしぼんでしまったのん。昨晩は、ぼーっとし続け、あり合わせのキムチうどん鍋で夕飯を済ませ、その後もぼんやりしてた。そんな状態だったから、彼に促されるまま23時過ぎにはベッドに入ってしまった。夜更かし王ののんにしたら異例中の異例。しかも、すぐに眠ってしまった。今朝は、8時頃ガタガタと起きる彼をよそにまだ寝てた。彼が車で出発(仕事)するのを2階の寝室からそっと(笑)見送った。9時頃、両親から電話があり借りていた脚立を使うので返して欲しいと言われ、取りに来た。車の音がしたので、窓から見下ろすと母が庭の垣根を大きく超えてた薔薇のつる(っていうのかな?)を切ってくれてた。そして、急いでサンルーム側の窓の鍵を開けに降りた。父が取りに来て、渡した。ちょうど宅急便が届いて、何かな~?と思ったら、こっちに引っ越してきて新たに契約したミネラルウォーターサーバーの会社から、景品が届いた。あ~そういえば新規契約者には特典として・・・とか書いてあったな~。引越しにあたり、いままでずっと愛用してたアクアクララが配達エリア外ということで、交渉したけど受け入れてくれず解約したので、配達エリアでよさそうな会社を探しまくってた。暮れは引越しの最中、それも気がかりだった。検索して出てきた『富士の湧水』というおいしそうなお水を見つけ、ちょうどキャンペーンだったので1日検討して、彼に聞いて、決めた。バナジウムが多く入ってると言うこのお水、おいしい。変えてよかったかも。パジャマにガウンのままだと、ダラダラ一日が過ぎてしまうから、お風呂を沸かした。お昼に両親と回転寿司に行く約束をし、支度をした。お風呂で体をほぐし、髪を洗った。バスローブを着たところで、玄関のノックの音に気付いた。「郵便で~す」と女性の声だったので、ガウンをバスローブの上から羽織って出た。妹2人名義でダーリン宛の少し早いバレンタインチョコが届いた。13時に地元の『かっぱ寿司』でランチ。サッカーが観たい父は食べてすぐに帰ってしまった。母が銀行と郵便局に行きたいというので、連れて行き、その後ダイソーに寄った。ほしいものがあったので今日の計画通りダイソーに。鍋つかみが欲しかったんだけど、あのミトン型って鍋が主流の日本では実用的じゃないんだよね。あれは、オーブン料理が多い西洋のもの。最近よくみかける、鍋敷きに手を入れられるような四角いの(もしくは丸いの)がいいな~と思ってて、かわいい柄のものが安く買えないか待ってたのだ。今日は品揃えが豊富で、お目当ての鍋敷きもかわいいドット柄をGET!水周りには黄色という風水の鉄則を何気に意識してます。同じ布地のランチョンマットもあるんだよね~。テーブルセンターに使ってる。ピンクのドット柄のランチョンマットは前に同じ柄を2枚買っていて、棚のカバーとして使いたかったので同じ柄を買い足せてよかった。あと、コースターでかわいいものを見つけ、衝動買いしたんだけど、今回同じもの(グリーンだけ)を見つけたので予備に買った。おしゃれで、きっとヨウモノ雑貨屋さんで買ったら同じようなので500円はするよな~なんて思って大満足で千葉のうちに来てからこのコースター達は大活躍なのでした。実家から妹が先にうちに着いていて、鍵がないとブーたれて電話をよこした。ちょうど帰るところだったので、急いで帰宅。お茶会を開きつつ、まったりと過ごした。母は着くなり、うたた寝してしまった。妹とは何気ない話題で盛り上がったり、TVを観ながらお茶とおやつをつまんだ。妹がシャトレーゼでアイスを沢山買って来てくれたみたいで、冷凍庫がアイスだらけになってた(笑)。我が家の妹、弟達4人は皆アイスが大好き。お姉ちゃんの私だけあんまり食べないのだ。最近、練乳が好きで練乳が入ったイチゴアイスを見つけてこっそり食べてるけど。彼は仕事で遅くなると電話で話したので、結局21時頃までのんびり過ごしてた。いい天気だったから、お布団を干したかったけど、それだけ出来ず。洗濯物は干せた。2階は4部屋あるんだけど、東の部屋が寝室で、大きなクローゼットに私のコート類がびっしりかかり、ダブルベッドがドーンとある。ニトリで先日買った1段扉つきボックスをベッドサイドチェストっぽくして置いた。北の部屋は、ロフトがあるので天井が高いから最初ベッドをその部屋に置いたんだけど、狭いのと、窓が多すぎるので寒くて彼からクレームが出て、しかも風水的にもどうかとなり、東の部屋に移動したのだ。その部屋はウォークインクローゼット状態にした。タンスなどを全部そこに収めた。南の部屋は私のプライベートルームにしたんだけど、引っ越して荷物を運んで・・・そのままになってる。こっちに引っ越した時、買ったパイン材のカップボードの中だけは完璧にディスプレイ&収納してあるんだけど、そのほかは荷物が(何気にバランスよく)床に積まれているまんま。こういう休日にやればいいのに、やる気になれず、手をつけてない。広いのをいいことに、荷物がいたるところに引越しのままになっているのだ。早く手をつけないとナ・・・。
2006.02.11
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本日は、遅いスタートになってしまった。二人して寝坊したのだ、えへへ。お昼近くに支度して、出発。彼は、カーオークションで義兄と待ち合わせのため途中から私が車を預って出かけることになった。高速と国道16号線を乗り継いで、柏市へ。行きは彼が運転で、私がナビ。16号線は、慣れてる道で彼よりよ~く知ってるので、ガイドした。柏駅で彼を降ろし、私は単身東京へ。16号線から6号線へ。毎度のことながら、渋滞&狭い道幅にイライラ。しかも、今日は国産高級車のセルシオを運転。でかいからビビる。だけど、4000ccっていいね~。滑らかに加速してくれるから、運転が楽。プライベートではコンパクトカー(マーチ、キューブを愛用)専門なのと、貧弱なテクニックなのでちょっとドキドキ。目的地には予定より早く着いてくれたし、パーキングも空いてたので良かった。仕事を終えて、隅田川近くで彼と合流。銀行に行きそびれて、引き落とし口座が残高不足だったので、セゾンカードの支払をしに錦糸町リビンに寄った。夕食は二人の好物、SUBWAYのケイジャンチキン。彼はLサイズ(ピーマン抜き、トマト増量)、のんはMサイズ(オリーブ抜き、トマト増量)。いつもは、彼にはさらにピクルス増量、のんはピーマン増量にするんだけど、言い忘れた。そして、ダイエットペプシMサイズ。のんは、ロッテリアでフライドポテト(コンソメ味をカスタマイズ)をプラス。ちなみに、錦糸町の楽天地のところのロッテリアはセゾンカードを提示すると10%OFFになるので、お立ち寄りの際は特典を活用してくださいませ。腹ペコだんご虫と毛虫(だれのことかわかる?)は、車に戻るとかぶりついた。食べ終えてから、家路についた。今日は帰り道が空いてたので、早く帰ってこれた。ラッキー。乗り心地は爽快なんだけど、維持費が大変なのが高級車の痛いところ。これはマイカーではなく、商品だから今だけだけど。マイカーはハイブリッドカーを買ってもらいたい。そういえば、第二子が誕生した、わが友の名は・・・楽天のブログではamikoちゃんの名前で以前ブログを開設してた彼女なのでした。無事に退院して、ベイビの写真を送ってくれました。かわいい名前がつきました。その名のとおり、かわいらしい、(今のところ)パパのDNAが強く出ているようで、イランエキスの濃い顔をした美人さんでした。ティナちゃんも、みーちゃんも、みんなみんな美人さんで、私の愛するダーリンの国のDNAと日本のDNAは相性がいいのかな~ってうれしくなりました。新たにこの世に生をうけた命。沢山の夢と希望と愛情を抱いて育っていってください。わが国のロイヤルファミリーにも今秋には新たな命が誕生するとのこと。喜ばしいNEWSに、これは本腰入れて私も目指せ妊プウだな~って思ったのでした。さあ!ダーリン頑張るぞ(笑)。
2006.02.07
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今朝も4時に起きて、5時に出発した。運転は彼で、のんは助手席だけど、居眠りは一応NGなのだ。彼の体力が心配・・・。彼の仕事の時間に合わせて出るので、こんな早朝出発になってしまうんだけど、電車通勤よりのんにとっては全然楽。自分の仕事の時間まで、ファミレスでモーニング&ドリンクバーで時間を潰した。午後は雪が降るという予報の今日の東京は寒い・・・。冷え症ののんは足先が温まらない。寒くて仕方がない。お茶菓子ばっかり食べてた。午後は、スカイプというものを初めていじって遊んだ(少しだけ)。のんはやることがあったので、遊びも早々に切り上げて仕事をしていた。彼のお迎えで一緒に帰宅。もう、眠くて眠くて、途中ウトウトしたけど、彼も眠いって言ってたので必死でこらえた。GSで給油して、マイホームへ。とりあえず、ご飯を炊いた。何をする気にもなれず、ウトウトとリビングでゴロリ。そこら辺に散らかってる(笑)お菓子を取り出して食べた。ご飯が炊けるまで・・・とうたた寝。少しして、それじゃイカンとキッチンへ。玉葱とつなぎの卵だけのビーフハンバーグ、カットトマト、1kgいりの徳用もやし(実家の母と半分こした)をフル活用で、もやしと青ネギの味噌汁、シイタケともやしのごま油炒め、ジャガイモ焼き。そして、彼が食べたいと出してきたナチュラルヨーグルト。とりあえず、今夜の夕食はなんとかなった。連日お疲れの彼に、合格点をもらえるよう、のんも頑張らねば。そして、お友達とのコミュニティの場で、うれしい報告があった。大切な友達の一人が1/31に無事に第二子を出産しました。念願のお姫様。私流に言えば、ダイヤモンド。cocoちゃんの時もうれしかったけど、今回もうれしかった。彼女、妊娠中コンディションが悪くなって緊急入院したりもあった。だけど、おかげ様で彼女の精進とみんなの願いが一つになり、『母子ともに健康』であったそう。心からオメデトウと言いたい。次は絶対、私だぞ~~。
2006.02.06
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行って来ました~。仕事を1時間早く切り上げ、お台場に向かいました。新橋からゆりかもめに乗り、『青海駅』へ。ゆりかもめで合い席になった方と会場前まで一緒に歩き、会場すぐのところで、友達と遭遇。時間は開場の18:00を回り、整理番号順の入場が始まったようだった。急いで、自分の番号の列を探した。ZEPP TOKYOの入り口付近は、入場の列と待ってる人でごった返してた。200番単位で立て看板をもった係員が立ち、そこに合流した。10番単位(「200~210の番号をお持ちの方~」などと呼ばれる)で点呼され、入場する。開場外と比べると、会場内ロビー(って言うのかな)はスムーズな感じで混み合ってなかった。ロッカーに荷物を預け、ヒップバッグとタオル、エビアンのミニボトルを持って場内へ。一番前のブロック(フロアの場所場所に柵のようなものがある)の上手側(かみてがわ)から入った。ステージ目の前の超近距離だった。ギュウギュウになるのが嫌で、始めから後ろのほうに陣取る人もいる。のんは、ギュウギュウになりたかった(近くで見たかった)ので、そのつもりでスタンバイ。30分押しの19:30過ぎに、開演。なかなか始まらなくて、少し苛立ってた。でも、場内が暗転して開始の知らせがあると、そんなのは吹っ飛んで、場内を黄色い歓声(←表現古い?)が耳をつんざく。まあ、のんも叫んでるけど、「キャー」は言わない(言えない)。ステージ上手(かみて)よりメンバーが順に出てくる。場内は、一層ヒートアップ!GLAY自身も、久しぶりのワンマンステージ。去年のちょうど今頃はWHITE ROAD TOURで、3月末で終了して以来、彼らは少し長いオフと制作活動に入っていたから。ソロのお仕事(ラジオ関連)とホワイトバンドフェスの出演はあったものの、ファンもツアーを待ち望んでいた。久しぶりのライブなのだ。メンバー各々の衣装も素敵だった。一発目は新曲だった。そして、体にしっかりと染み込んでる旧譜が続く。あまり過去のライブでもやらない曲をやってくれたり、久しぶりの曲もあった。新曲は後半にもあった。ちょっと懐かしい感じのメロディだった。久々のライブだからか、新曲のレコーディングで頭の中いっぱいいっぱいなのか、TERUが歌詞を飛ばした・・・。一回くらいはご愛嬌だけど、ちょっと多かったかな~?しかも『つづれ織り』で1番(Aメロって言うのかしら)が全くだめだった。2番の歌詞を歌いだしてしまって真っ白になったみたい。すかさず、ファンがいっせいに合唱しだした。もちろん私も。GLAYの曲は9割がた歌詞は頭に入ってるから、そんなハプニングはファンにとってはなんてことないのだ(笑)。そんなこともライブならではのことなので、楽しんだ。ライブの途中、何人も倒れて運び出される子がいたけど、今回はまあまあだったんじゃないかな?だけど、自分の視界を確保するべく変な風に押してくる子(大人も)は多くて、そういうのは全部押し返しておいた。だって、そのまま押されてたら将棋倒しになっちゃうよ。背の低い子や、体力のなさそうな子(私が言うのも変だけど)、いかにもライブハウス初心者も前列にたくさんいたから。逆に、あんまりわかってない子が、必死で前列に詰めて来てるんだろうね。ある程度ライブハウス経験者で、覚悟の上で突っ込んで行ってるのんのような子も沢山いたけどさ。目の前のグループのうちの一人に、明らかにもうダメなのに、外に出るのを拒んでた子がいて、危なっかしくて嫌だった。外に出たって聞こえるし、低酸素状態が続いたら、命にかかわるんだから、GLAYが大好きなのはわかるし、良席を死守したい気持ちもわかるけど、事故が起きたら困るから、無理はして欲しくない。結局、ライブ後半その子は担ぎ出されてたけど、本当はそれはマナー違反だって憶えて欲しいな。ステージのメンバーの目が曇ってるの、気づいてね。のんはメンバーと同年代だから、30代にもなって子供を持つ歳になると、余計に無茶する姿(しかも仮にも大事な存在=ファン)を目の当たりにするのは、心苦しいことだもの。その気持ちがよくわかる。ライブハウスで男ナイトをやる意味の真意を理解しないと、GLAYファンは成長できないな~。そして、今日はHISASHIくんのバースディ。アンコール~♪は今日はハッピーバースディ~HISASHI♪だった。単身、再登場したHISASHIくんは、MCで『幼馴染の○○くん(実名を言ってました)に中学の頃、「トノ(彼の苗字由来の実生活でのニックネーム)お前は30歳で死ぬ」と断言されたけど、もう4年生きてます。しかも去年より強くなってます。(続く)』と話してくれました(笑)。偶然にも、人に言われたんじゃないけど、のんも30歳で死ぬって思ってたんだ。なんか、年老いていくことがわからなかったの。「死にたい」ではないんだ、「30歳くらいで死んじゃうんじゃないかな~」って思ったの。死ぬほどではないけど大病をしつつも、のんも超過2年半です(笑)。だから、彼のMCのときすごく笑った。COOLなイメージのHISASHIだけど、私は昔から彼が一番人間味を感じるんだよね、大好き。ライブのラストは『I'm in Love』だった。そして、歌い進むと思いきや・・・楽しいHISASHIくん誕生日イベントがあった。気のせいかな?JIROくん一瞬「ウルッ」って来てたと思うんだよね。あと、ローディの人も。私もジーンと来てた。恋人とはもちろんだけど、大事な存在の誕生日を毎年祝えるってうれしいことだよ。家族とか、親友とか、大好きなアーティストも、すぐそばで祝えなくても、誕生日を迎えられた時間を共有できるって生きていてこそ・・・だものね。車で彼が迎えに来てくれてて、一緒に帰った。寝不足だったのと、ライブの酸欠と腹ペコで睡魔に襲われてたんだけど、彼の「寝るな!」の一言に眠れなかった。ゴール(自宅)直前に寝ちゃったけど。しかも、お客さんから預かったセルシオで助手席のヘッドレストがなくて、首が痛かった。意識が朦朧としてたら、彼がチーズのせトーストを焼いてくれた、ありがとう。
2006.02.02
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もう今年も1ヶ月が過ぎたんだね~。早いな~。去年の今頃はインフルエンザで死に掛けてたな~。山梨、山口、群馬、北海道・・・行きまくったな~ライブも。最近、日記の更新がルーズなので、画像があったので貼ってみました。スーパーで買ってきた鶏ムネ肉を山盛りから揚げにしました。鶏ムネ肉は¥48/100gとお安いけど、のんは皮と脂身をゴッソリ剥ぎ取るので、ちょっと損してるかも。実家にいた時は、皮をカリッと焼いてあげると母などが食べたけど、今はどうだろう・・・彼は鶏ナンコツは好きだけど、皮は食べるのかな?文明堂の三笠山の皮だけ。本当に、美味。届いて、ずっとテーブルにオンしてる。
2006.02.01
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