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死後、あ、いや、仕事ぐちゃぐちゃめちゃめちゃで、変な使命感からテンションだけは上がって、あっちで空回り、こっちでフリクション発生、気がつけばパキシルとデパケンを、心のつっかえ棒にして毎日を乗り切っている状態なってました。
心が折れてしまっては、家族養っていけませんからね。そうでなくても、この地にいまなお命を灯していること、それだけで大きな意味があるのだから、それを肝に銘じていかなくてはならないに違いありません。
そんな状態なこともあって、「あの日」から殆どブログの更新もしていなかったのですが、毎年締めくくりには更新していたので、とりあえず。
それから「毒吐き」もないと、ここらしくないので(笑 今感じる「違和感」を。
今年の手前味噌な振り返りを見渡して感じたことは、「あの日」のことが、既に過去の出来事のような扱いになっていること。
3月14日あたりまでは、津波によりおびただしい犠牲者のことが、近代日本最大の災害であることを刻々と刻んでいたマスコミが、それ以降はほぼF-1一色になってしまったこと。
これらは、地元の報道機関はともかく(本当に個々のスタッフの尽力は凄かったと思います)、中央のマスコミにとっては、商品としての事象、記号としか捉えられていないこと、新潟中越地震で指摘されてきたことが全く反省されていないことを自らが被災地の人間のひとりとなってしまったことで如実に実感することができました。
商品、あるいは絶好の機会としか捉えていなかったのは、一部の活動家たちもです。いうまでもありませんが、これは危機管理がまるでなっていない政府やインフラ独占企業にその発端があるのですが、それすら商品として、恐怖と不信で人々を煽り、善意にかまけて優しい顔をしていたと思ったら、その欺瞞に疑問を感じた人には容赦ない罵倒を浴びせる連中です。
その結果、よき隣人だったのに、自主避難した人が情報判断の結果そうしなかった人を無知となじったり、何でも面倒みるからと誘いに乗ったのに、避難して、オルグに乗らなかったらと手のひら返された挙句、慣れない土地でのストレスや経済的事情から再び戻ってきたら、今度はそこで裏切り者呼ばわりされるといった悲劇が起こっています。
絆という言葉も、ずいぶんと安っぽくなってしまいました。今年の漢字に選んだ京都の某寺、お焚き上げ拒んでたりするんだから、どうしようもないです。今でも全国各地で被災地の瓦礫受け入れ拒否の著名活動が活発に展開されています。
これらを含めた震災直後の買い占め等、およそ絆という言葉とは縁遠い行為を個人主義、身勝手と談ずるのは簡単なのですが、個人の判断かというと、前述したように、情報リテラシーを持ち得ないが故、煽られたことによるものであり、個々人はそれを善意だとさえ思っているのですから、これもある意味集団心理によるものといえましょう。
震災後、比較的秩序と治安が保たれたことに多くの国々が驚き、賞賛されましたが、これだって、集団心理がいいほうに働いたことによるものです。
日本で確固たる個を築こうとすることは、社会的にも非常に困難なことです。だからそれを成し遂げた人が大きな功を成すチャンスに恵まれることにもなるわけです。彼らにはぜひ日本を引っ張って行く原動力になってもらいたいし、私も含めた凡人は、せめて群れの論理がいい方向に動くことがひとつでも多くなるような社会になるように、自分の出来る範囲で頑張っていくこと。そうありたいものです。
来年の今頃、少しでもいい年だったと思えるように。
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《記載例》氏名:大場嘉門 2011.08.04 コメント(1)