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2022.07.23
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てをあらおう
2020.02.11
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これまで今日の日にこんなタイトルでブログ書くことは有り得なかったけれど、何しろ推敲重ねることができるメンタルじゃないものですから。 PC開く→起動に時間かかる、爆音ウザい、爆熱暑い→めんどくさいって思考回路になっているわたしはこれがいまは性に合ってます。 モバイルデバイス環境から更新するのは、一時期旅先からセミリアルタイムで更新するのに利用していましたが、5〜6年前と今では随分と使い勝手がよくなったもので。 それから、エビちゃんスタビライザー、わたしとは相性よくありませんでした。足がムズかったり、1時間以上集中することが拷問みたくなったりで。 人それぞれ、なんですね。
2016.08.15
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かなりの間、ブログは休止に近い状態なのですが、その間にも、お気に入りブログが随分閉鎖していたりします。これも世のうつろひなのかなとか思いながらも、ちょっぴりさみしい気もします。「お前が言うな!」っていわれそうですが
2016.07.22
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久しぶりに追加。エビちゃんことエビリファイアリピプラゾールです。 ドーパミンシステムスタビライザーとかいう機能があるようですが、つまりは、直進の際は全く影響を与えることなく、コーナリング時のロールを抑制するということですかね(多分それとは違う) 気が向いたらべてみよう。相変わらず平日の終わりはクタクタです。おやすみなさい。
2016.07.22
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個人の発言ではなく、一記者の記事ということ。本人にとっては気の利いた皮肉のつもりなのでしょうが。品性の欠片もありません。http://www.dailyjn.com/news/articleView.html?idxno=26478
2015.05.17
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思想や心情を背景としたデモに子供を同行させることに、強い嫌悪感を感じる人達がいます。彼等によれば、分別のつかない子供に自分の思想心情を刷り込むのは、人権侵害にも値する行為だとか。これには、親として子への期待、親なりの理想を子に授けることのどこが悪いと反論もあります。確かに、子に対して親が夢を託すことや、自分の経験から、こうあってほしいという気持ちをもつことは不自然なことではありませんし、子供もそういう親の期待が、励みになって、その理想・夢を叶えようと一層努力し、親越えを、自己を実現して充実した人生を送っている人達は大勢います。また、互いの夢がすれ違い、愛憎入り混じった葛藤を経ても、、やがて互いを理解しあい、より高みを目指す人達もいます。しかし、夢、期待が、健全なものとは遠いところの歪んだものだったとしたら、それはどうでしょうか。期待に応えよう、自分をより高めよう、そう努力してきた源が、浅ましく、穢れたものと知った日が来たとしたら、どうでしょう。わたしの肉親の片方がその類です。振り返ると、このヒトに褒められた記憶はありません。毎日のように叱責され、わたしがいかに人として劣っているのかを責めたれられる毎日でした。ただそんな環境が、「普通」なことなので、わたしはそれ程苦にはしていなかったような気がします。その割に、モノに対しては気前が良く (見た目)わたしが何か課題をクリアすると、必ず「ご褒美」を準備していました。(そのヒトにとっては意識した行動ではなかったようですが、後述しますが結果懐柔策にはまっていたことは後悔しています)そしてわたし以上に、このヒトはもう片方の親を軽蔑し、バカにしていました。そしてそれもまた、わたしは「普通」なことに思っていましたので、あろうことか、そのもう片方の親を一緒になってバカにしていたことがありました。(これまた後述しますが、これは今激しく後悔しています)しかし、外面は違っていました。そのヒト、わたしのことはなにやら外では、わたしの残した「成果」を、そしてもう片方の親のことも、事あるごとに自慢の種にしたいたのです。この事に気がついた時には、一度そのヒトに突っ込んだことがありますが、「身内は常に立てるのが礼節というもの」と説き、不徳にも納得してしまいました。そして、それから月日が経つにつれて、それが詭弁だったことに次第に気づかされていきます。そのヒト、わたしをなじる時は良く知人を引き合いに出して、「誰彼を見習え」とか、今のあらゆる教育では禁じ手とされていたことを使っていました。これは外で自慢話をした時に、話し相手から抱いた劣等感をぶつけてきたのでした。憶測ではありますが、これはそのヒトと親同士知り合いだった友人や知人との会話の話題やタイミングを思い起こすと、ピタリと符合するのでした。そして、物心ついた頃には、そのヒトに染められてバカにしていたもう片方の親とも、サシで話す機会が増えるに従い、実は人間としての器は少なくともそのヒトよりは大きいことや、わたしがホントに思っていることは、こちらのほうにずっと近いということに次第に気がつくようになりました。長い年月を要しましたが、それらがいかに理不尽であったのかということに気づかされるのと反比例して、そのヒトに対する不信、嫌悪感が増して行きました。ある時、そのヒトが身内の事で気を揉んでいて、わたしに考えなしに八つ当たりしてきたのを機に、わたしは、そのヒトの浅はかな虚栄に裏打ちされた信条を押し付けられていた事を蒸し返して罵倒しました。本人にとってはまさに飼い犬に噛まれたような事態だったようで狼狽していたようですが、吐くもの吐ききったら早々に退散しました。程なくして、もう片方の親と、サシで話をしたのですが、わたしの心情には理解を示してくれました。そして本人も、そのヒトの性格や言動には度々辟易しており、わたしやきょうだいが就職、結婚する頃合いに離婚することを真剣に考えていたそうです。しかし、機を逸してしまい、また互いに高齢かつ身体のの衰えを感じてきており、もう今更、と、諦念しているようでした。それ以後、そのヒトからもう片方の親を連れ出したりして出かけたりしながら、他愛のない話をしているうちに、人生観や子供への感情が、いい意味で、そのヒトとは違うことに気付き、尊敬の念を強めると同時に、前述しましたが、そのヒトに吹き込まれてこれまでのもう一人の親に辛辣な言葉をぶつけたことなどに後悔の念を禁じ得ませんでした。そのヒト、先の一件以降のわたしに対しての態度がやや変わりましたが、それはこれまでの仕打ちを悔い改めたというよりも、接し方に戸惑いがあるようにしか見えず、悔悛したとかいう感じは微塵もありません。わたしは、これまでよりも会ったり話したりすることに対しての気の重さが少し軽くなったような気がします。
2015.04.26
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仕事を終え、とっぷりと日が暮れた宵。空を見上げると、冬の星座は西南に傾き、冬に逆戻りした陽気とは裏腹に、空は冬の終わりを告げていました。オリオン座も、和名の鼓星よろしく、四辺の星と腰の三ツ星だけが見えて、それより暗い星はほぼ街の灯りにかき消されていました。光害といってしまえばそれまでなのですが、そんな仙台でも、その鼓の内側も、無数の小さな星に埋め尽くされ、空一面がきらめく星の海になったことがあります。そう、2年前の今日です。地上が、夜空よりも深い漆黒の闇となり、わずか数キロ東は、漆黒の地ではなく、深淵の黒い波に呑み込まれ・・・数多の群星が、ついさっきまでは地上で煌めいていた命にも思えて、満天の星空は美しいとは思えても、奇麗と感じる事が今でもできません。朝、出社前にちょこっと観たテレビ。もう他人事。テレビ的に絵になるものしか映していません。上っ面撫でただけで貴重な教訓を活かせと語る→ふるさとを愛することは愚かですか?しかめっ面で子どもたちを守れ→散々恐怖を煽っておいて、支那の汚い空気を吸わせているのは誰? くだらない低俗番組に電力を浪費しているのは、誰?もちろん糞電波だけないのは承知してます。今HISTORY CHANNELでキズナノキオク観てます。
2013.03.11
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当初は趣味を綴ったブロガーだった方々が、次第にテキストを紡ぐことのスキルを上げていき、さらにはブロネタ探しどころか、取材といってもいい程の域に達してフリーライターとして活躍出来る機会が増えてきた事は、それ自体、情報発信の多様化多極化の側面から大いに素晴らしいことだなと考えています。しかし中には、生業としての比重が増えていくにつれ、徐々にその母体となったブログ等で自由闊達な発言が少なくなっていくことも少なからずあることも、ちょっぴり寂しいような残念なような感じがします。そして、ひいてはそれが取材の足かせになると判断してなのか、それまでのブログを消して、まさになかったことにしてしまう例もときたまあります。別にブログを立てて再開していても、当たり障りのない無難な内容で、全然面白くなくなっていることも。今はツィッターもあるので、そっちで憂さ晴らしできるからいいのでしょうが、そもそもlそれじゃlogじゃないですよね不都合なことをなかったことにするのは、ある程度オトナの事情なので、処世術のひとつとしては、致し方ないものと考えてます。けど、『今思うと恥ずかしくもあり、かっこ悪い。だから以下のことは全て撤回する』とエクスキューズを入れたうえで敢えて記録として残しておくブロガーさんもいますので、それが是か非かは別として、ある種の潔さを感じます。
2013.01.30
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昨日に比べればだいぶ歩き易く、またクルマも運転し易くなってきましたが、それでも朝夕のクルマの流れは滞ってますし、公共交通機関は混雑気味な一日でした。 こちらの冬は今回程ではないにせよ、市街地が時折雪化粧するし、坂道はアイスバーン、海沿いはよく晴れていても郊外は吹雪がデフォなので、クルマはスタッドレス履いていて当たり前な地域ですが、いくら今回みたいなことがあるからといって、普段は年に積雪や路面凍結することがあるかないかという地域でもう1セットタイヤ備えておくというのはちょっと大袈裟かも。 でも探せばあるもので、こんな製品も↓ http://toyotires.jp/catalog/cft.html 基本夏タイヤだけれども、新雪、圧雪、シャーベット状路面のグリップ力もある程度考慮された設計なので、ニワカ雪程度なら何とか対応できちゃう、というもの。ニッチ市場が対象なので、あまりおおっぴらな宣伝はしていませんが、クルマの使用頻度や地域の気候によっては、今までありそうでなかった魅力的なものかもしれません。 もっとも、そのまえにタイヤチェーンを備えておくことや、慎重な運転に徹する事は必須でしょう。 (以下愚痴)Safariだとハイバーリンク使えないのがかったるい。
2013.01.16
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賀詞といっても、三が日はあっというまで明日で終わり。メリクリ&ハピホリとはいかない勤め人ですが、がんばっていきまっしょい。今年の干支って、世間一般あんまり大好きって人はいなさそうですが、わたしにとっては、叡智の象徴、医学のシンボル、神の使者という印象なので、蜘蛛同様、あまり嫌悪感を感じなかったりします。自分との斗いも、長期化し、肉弾戦というよりは精神戦の様相を呈してきました(いや、これは最初からか)が、社会全体が前向きになっているので、その波に乗れるよう、前進あるのみ!
2013.01.02
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今年のお休み、業界によってはお得な暦になっているところもあるようですね。しかもこの一ヶ月はうれしいお仕事の雰囲気なりましたし。わたしもこの年の瀬、何年かつかえていた物が外れて、風穴が開いて、それが形になって現れ続けていることに安堵感と期待感を抱いたまま年を越せそうなことが、良かったことです。もっとも体調は平行線。気持ちの起伏の振れをちいさくすることがだいぶ出来るようになってきましたが、だからといって、気持ちを常に前向きに維持することは、ちょっと難しいです。乗り越えたい山を、駆け上がる力は発揮できるのですが、その一歩を踏み出すのに、もっとモチベーションをあげられるようになりたいのですが。これは来年の課題ですね。
2012.12.29
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この日の日没は、17時20分くらい。その時間近くなると、人も増えてきました。写真はそれなりに、ですが、やはりデジ一で撮れなかったのが悔やまれる美しい風景でした。この日は佐世保くんち開催されていたのですが、それは再訪するときのお楽しみにとっておきます。
2012.11.25
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佐世保を訪れるきっかけが、九十九島が、松島と並び称される絶景ということで、それはこの目で実感しましたが、加えて田中穂積の「美しき天然」がこの風景をモチーフに作られた曲であるということでした。展海峰の展望台には、タクトを振るう像と、曲にまつわるエピソードと唄い出しのスコアここにも記されていますが、この「美しき天然」、タイトルを聞いただけではわからなくても、サーカスやチンドン屋でおなじみ、と聞けばすぐに思い浮かぶかと思います。(とはいっても、アラサー以下になると、その例えすらあまりピンとこないかもしれませんが)チンドン屋やサーカスだと、昭和の香りというか、道化のおどけたイメージを想起させますが、なかなかどうして、みやこうたにも通じる、哀愁を帯びた美しい曲です。(ここで選ばれた「美しき天然」を象徴する絵画の中に、三春の桜があるのが心打たれます)さて田中穂積氏は、元々は岩国の出身で、故郷の岩国市にも、この曲の歌碑が築かれています。佐世保との縁は、写真が夕日でちょっと見づらいのですが、明治32年、佐世保鎮守府に軍学長として赴任し、さらに地元の女学校に音楽を教授したことによります。軍楽隊ということで、軍歌も残していますが、なかでも日清戦争の威海衛の戦いがモチーフの「如何に狂風」という曲があります。軍歌というと、いかにもピョンコ節な、悪く言えばシケた曲調のものという印象がありますが、この曲は、当時としては和の要素の薄いメロディーです。そしてテンポもそれ程早くないのにもかかわらず、スピード感を感じる曲です。威海衛の夜襲は、当日午前中に訪れた海上自衛隊佐世保史料館の中でも史料とスペースを割いて展示してありましたが、火力に勝る清国北洋艦隊に対し、帝国海軍が、水雷艇を主力とした機動力で襲撃、撃破するというもので、当時の艦船運用の新機軸を見せつけた海戦でした。その光景を、ミドルテンポながら、アウフタクトではじまるリズム感と歌詞がスピード感を醸し出しています。
2012.11.18
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一旦佐世保市内に戻り、今回のメインスポットの展海峰へ向かいます。沿岸伝いに、佐世保重工を過ぎると、長い上り坂。米軍施設を左手に観ながら、つづら折りの上り坂を登る登る。(とはいっても車ですが)展海峰展望台の案内出ているので、迷う事無く駐車場へ。着いたのが夕方だったので、かき焼きや、おみやげ店はすでに閉まっていました。車もまばらです。(但しこの日は平日なので、週末はもっと賑わっていそうな感じ)園内は、展望台に上がる手前に、コスモスが一面に植えられているスポットがあります。時期的にはほどんと終了、ではありましが、まだしぶとく咲いているコスモスもあります。でも、数週間前(10月なかばくらいかな?)だったら、一面に咲き乱れるコスモスが圧巻なのは、容易に想像できます。展望台の手前に看板。ここ西海の風景を楽しむことができるスポット、他にもいくつかあります。またフェリーの島巡りや、おそらく風景一望だろうホテル(ここはよく観光案内にも出てますね。わたしは市内のビジホ泊りましたが)と、こんな感じ。写真は楽天写真館で原寸大にすればそれなりに字も読めてます。展望台の丘に上がる途中には、動物ふれあいスポットなる芝生あって、日中は、シカに会えるのでしょう。「落とし物」でわかりました。そして展望台嗚呼、絶景かな。
2012.11.10
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鯛ノ浦を過ぎてからは、202号線に入り、もうちょっと南下します。お土産店が沿線に徐々に目立つようになってきて、西海パールライン針尾インター抜けると、西海橋渡ります。隣には西海パールラインの新西海橋が。景観ポイントですね。橋をわたり終えてすぐ、左手には駐車場があり、周囲は展望公園になっています。(佐世保側にはもっと大きい公園ありますが、後で気づきました)少し丘登ると、新旧両西海橋が見下ろせますが、登った先に何があるのか気になっていて、写真撮っていなかったです。Nikon 1のバッテリー切れも、ちょっとダウナーな気持ちを脳ミソの片隅残していたし。数分位登ると…ちっちゃい子供にはきついかなとか思っていると、てっぺんには展望台があり、のぼってみるとこんな景色が大村湾が一望!ステキ!振り向けば西海…なんだけど、植林でちょっと視界が遮られ360°の圧巻パノラマ!というわけにはいかないのですが、これで十分きた甲斐あったというものです。展望台の周りは芝生の丘。フルに見えると遠く長崎空港も見渡せるようです。そこから階段下って一段低いところも公園なっていて、アスレチック風な展望砦あります。人はまばらだったのですが、ちょっと恥ずかしいので登って遊ぶのはやめときました。せっかくなので、復路は西海パールラインをドライブ。
2012.11.07
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少し遅めのランチの後、時間帯を絞って観に行きたい所があって、それまでの間は特にどこに行くのかも考えていませんでした。ハウステンボスは佐世保から30分もあれば車で着くのですが、時間的に今回はスルー。14~5年くらい前に行ってからしばらくご無沙汰でしたが、当時行くまでの間の風景がとても奇麗だったので、その記憶をなぞるドライブに出かけました。ハウステンボスから、江上浦に沿った道を走ります。アップダウンのある道を下るたびに、出入りの激しい入り江の静かな風景が広がります。以前来た時には、奥の針尾通信所の通信塔が印象に残っていました。その後経年劣化で解体されたとわたしは勝手に思い込んでいただけに、何だか懐かしいような気持ちになりました、この先、ここを軸にするように湾内を上り下り車を走らせて行きます。途中、国道202号線に出て、虚空蔵山の裾野に沿って再び佐世保湾側に出ます。佐世保市街を対岸から見通せます。釣り客がチラホラと、のどかな風景です。愛宕山が目立ちますね。その形から、別名相浦富士とも。時間があれば、浦頭引揚記念平和公園の資料館も見学したかったです。それはまたの機会に。ここからは口木崎に廻らずに、山側に進みます。海に続く坂道、というよりは深い山中と見紛うような細くくねった道が続きます。そして見えてくるのは、みかん!本場ですからね。わたしはこの時期の青みかった皮が薄くぴったりして、青やや酸っぱい初物が大好きです。こちらはもう、いい色になっています。ここで逆光だったので、デジ一出したら、電池切れてました。この後、今回、一番行きたかった所のために持ってきたのに、ただのお荷物になってしまいました。iPhoneで我慢です。鯛ノ浦という入り江と、漁港です。バス停は蛭子谷。どちらも縁起良さげなネーミング。これらの風景に惹かれるのは、地元の牡鹿半島から、志津川、気仙沼といった南三陸リアス式海岸とよく似た光景からかもしれません。入り組んだ入り江と背後にせまる急峻な山並みの合間の小さな漁村、そこを縫うように走る路と、違いは海の色の微妙な色合いくらいです。でも、今同じ所を走っても、痛々しい爪痕しか残っていません。
2012.11.04
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仙台に住んでいて、毎日牛タン食べてるわけではないように、毎日ハンバーガー食べているわけではないでしょうけれども、佐世保きたからには、食べて帰らなきゃ。外側はパンだけに、キャラはやなせ先生によるもの、ということなんでしょう。このお店LOG KITは佐世保駅にあります。昨日は時間帯的には駅から少し離れていたので、市役所というか、その隣り棟の中央保健福祉センター近くのお店、Esu and Keiに行きました。とても雰囲気のいいインテリアです。よく晴れた日、ほんのり外の陽射しが店内の雰囲気を一層柔らかにしていました。セットメニューの充実ぶりがとっても幸せに気分にしてくれます。サラダにシナモン風味のプチケーキ、そしておっきいカップにコーヒーたっぷり。花飾りが添えられているのが、オーナーの気持ちが伝わってくるようです。おっと肝心のバーガーの方ですが、パティにチーズ、ベーコン、佐世保バーガーの基本をしっかり押さえているうえで、ガブリっとあの顎関節全壊、いや全開!とはならないのです。何故? それは、パンがマフィンなので、アゴ外しではなく、フワリ♪なのです。このフワリ感の後にジューシーな味わいが口に広がります。そうか、この手があったか。ごちそうさまでした。
2012.11.02
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佐世保を訪れていて、今日立ち寄りました。旧水交車の建物を模して、佐世保セイルタワーの愛称のある建物です。入場は無料。入ると上から順次下のフロアに下がりながらの順路で観ていくようになっています。撮影は禁止なので、以下テキストでおおまかに紹介。7階ロビーからは佐世保湾が一望できます。(各階にロビーはありますが、当然上階の方が眺望良好)軍港史跡や、武蔵のモックアップがあります、海上自衛隊の活動を紹介した上映設備があり、おおむね1時間おきに上映しています。6階は幕末から、幕府海軍も含めた海軍の歴史を。幕府海軍の内容が比較的濃く、日清戦争時の主要艦船の模型展示があります。5階は帝国海軍初の聯合艦隊模型、日清戦争〜日露戦争の背景の説明。内臣、外客臣、朝貢国、化外からなる中華秩序による宗主権と日本の対立。地方軍が大型艦を率いる北洋艦隊と、汽走艦隊として整備された日本艦隊の対決の説明があります(威海衛の戦い(後に訪れる場所とには、縁もあり、それは後記事ででも))資料は日露戦争時の写真画報、戦史記録、ロシア艦の艦首飾、定遠の点鐘、まだ沈まぬや定遠はの画、杉野はいずこの廣瀬中佐などなど。日英同盟が、情報の観点から日露戦争勝利に多大な貢献をしたこと。4階は、帝国国防方針の制定。列挙と肩を並べると共に、次第に、特に米国が警戒心を強めていくことが背景。次第に米国を仮想敵として方針は策定されるものの、政治、外交、社会、経済の問題は考慮されず、国家戦略とは言い難い内容であることが分かります。その一方で、第一次世界大戦ではドイツ通商破壊作戦から連合各国航路の防護を担い、連合国の信頼を勝ち得ています。ワシントン会議でアメリカは4カ国条約により日英同盟を破棄、初の日本封じ込めにかかる。…そして太平洋戦争への路。冒頭は海軍航空隊の航空機の変遷。東南アジア進出による英蘭との対立、そして米国に追い詰められたあげくの太平洋戦争突入。資料はこの時期になるとかなり充実してきます。軍装から、備品、太陽灯と称する潜水階用の蛍光灯、糧食設備、戦艦金剛の断面図、山本元帥直筆などなど。パネルに戻ると、対戦中、次第に日米の国力、技術が、一部は当初日本が上をいっていたものもあったのが、次第に引き離されて行くことが詳細に記されています。このフロアの最後は、ミッドウェイの戦訓を活かした雲龍の大型模型。すでに積むべき機材も乏しく、就役4カ月で生涯を閉じた悲劇の艦。しかし、この時局が必要とした教育もたらした人的資源、施設、技術は、戦後のハイテクの萌芽と呼べるものも含まれ、復興への地固めとなってゆきます。3階からは海上自衛隊の歴史。機雷掃海に活躍、日本沿岸の安全公開の石杖となり、国際情勢の変化とともに、海上自衛隊へと発展。冷戦期の防衛力整備、冷戦集結により、より国際貢献へ対応…このあたりは、割とあっさりとしてます。東日本大震災への対応は、資料が膨大なので、現在編纂中のよう。資料は佐世保在籍艦艇の紹介、充実しています。2階、1階は、平時の自衛隊の活動や、海上自衛隊の組織等、駐屯地の資料館におおむね順じた内容。加えて佐世保の街の歴史が展示されています。もうちょっとゆっくり観てもよかったかな?と思いつつ、お昼も近くなり、おなかも空いてきましたが、ランチは罰記事で(Twitterでは出しちゃってるけどね)
2012.11.02
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最近はあんまり気が向かないことや、わたしの生活のなかでの感心事の順位が相対的にさがっているので、時事ネタは書いていません。しかし過去ネタ見れば推測できるように、基本的には保守です。現政権はとっとと崩壊してほしいことは勿論、旧与党でも、第三の目ともてはやされている所の中でも、いわゆる配慮が大好きな奴は消えてもらいたいです。なんだかしばらく更新していないので、過去ネタのまとめになってしましましたが、この手の話はこの辺でおしまい。一方では、ガジェ物に関しては保守とは真逆です。ブログの記事は平成18年からですが、その時点でスマホでした(W-ZERO3をスマホというかというと異論もあるでしょうが)LED照明も、震災前の時点で部屋の半分をカバーしていたりしてました。ただその動機はガジェ好きなことと併せて、コストや使い勝手が実用に耐えうるのかということも判断の内に入ります。この辺、ホントの新し物好きからすれば、まさに保守なのかもしれません。先ほど触れたW-ZERO3も、何かするときの手順が複雑だったりで、ある時(平成19年くらいかな)、友達とランチしていたときに、ちょっと調べものと取り出したら、相手のi-modeの方がずっと手数の部分で勝っていて、やっぱこりゃダメだ…と、ガラケーに逆戻りしたこともあります(iPhone3GS出るまで)自然エネルギーも、今の所はケータイの電源までの導入がいいとこです。これも、電気の確保が東日本大震災のとき難儀したのがキッカケですから。そして進歩が逆に、旧いものへの回帰を促したガジェットもあります。先ほどのLED照明、ここ最近はシーリングライトなスタイルが多くなりましたが、黎明期はほとんが変圧整流器いびつな電球型でした。そのなかでわたしが選んだのは、効率が最もよい、あかりを直接照らすスタイル。まさに裸電球に真鍮の傘付きスタイルでした。そして時計。電波時計や、携帯電話、BDレコーダーの時刻補正機能の組み合わせで、秒単位の正確な時刻の把握が容易になりましたが、どの程度正確な時刻を把握する必要があるのかは、もともとシチュエーションによって同じではなかったはずです。そこで、昔のゼンマイ巻き巻き柱時計。1日1〜2分程度は容易にズレるので、これだけだったらお話になりません。しかし、前述のデバイスがあるのなら、ちょくちょく修正できるし、また1日にどのくらいズレるのか把握できるので、それに併せて振り子調整してやれば、もうちょっとズレを詰めることもできます。そして時間の経過を把握かつ実感できること、これもポイントです。部屋に寝転ぶと、裸電球がぶら下がり、ボンボン時計が時を刻み、その下にはBDレコとiPadが無造作に置かれている…不自由を甘受する回帰ではなく、新しいデバイスが、旧いデバイスの実用性を引き出すスタイルも、いいものです。もっとも子供には、そんなことより秒針ないのが見易くていいみたいです。観せたら、「おとけいのきょく」って気に入ったみたいです。
2012.10.28
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理屈ではわかっていても、心で咀嚼できないとわだかまるモヤモヤ、苛立ち。誰もが抱くこの、不快感とまではいかない掻痒感。それは、その逆の立場でも感じることがあります。最初から心で咀嚼どころか、受け入れようとする気の無い者に対する徒労、焦燥、諸々。そうそう、それそれ!という、コラムを見つけました。爪楊枝というか、ピンセットというか、これまで何度となく引っかかったものがスルリと抜けました。(出典がわからなかったので、引用先は後日加筆致します。)(前略)福祉にかかわる者の一人として自戒をこめて書いているのだと大目に見ていただきたい。それは「癒やしたい人の卑しさ」ということである。「卑しさ」とは言い過ぎかもしれない。しかし、語呂が良いから、そうしておこう。人を癒やしたいと考えている人がいる。そういう人すべてではないが、そのなかには人として卑しい心持ちをしている人がいるということだ。そういう人たちは自分では気づいていない。人を救いたい、あるいはすでに救っているという自負があるし、またその姿勢が社会的に評価されているとおもいこんでいるから、余計にその卑しさが目立ってくる。思いつくままに、そういう人の様子を描いてみよう。ある人は誰かを癒やしたいと思っているから、自分よりも弱いと思える人を探している。誰か傷ついている人はいないか、血を流してうずくまっている人はいないかと目を皿のようにして周囲を見回している。そして、そういう人を見つけたら、嬉々として近づく。その前まできたら、心の底からわき上がってくる喜び(人を癒せるという喜び)からくる笑顔を無理にでも消そうとする。この笑顔を消すことは訓練をして学んでいる。結果として、心配そうに眉をひそめた「作り憂い顔」が浮かび上がる。普通の人は「作り笑い」しかできないが、こういう人は「憂い顔」さえ作ることができるのである。そして「泣いている人」がそのまま泣いていてくれたら嬉しいし、まして、自分の腕のなかで大声で泣いてくれた、これに勝るものはない。そのあと「泣くことができてすっきりしました」と言われた、その脳裏にイエスと荒野に捨てられて泣き叫ぶ人と出会う絵が重なり、それこそ天にも昇る気持ちになるだろう。「癒し人」の冥利に尽きるというものである。しかし、その泣いていると思った人が思いがけなく力強い声で答えたなら、「癒やしたい人」は戸惑うだろう。彼は「強い人」よりも「弱い人」を求めている。ときには「弱い人」を求めるあまり、人の弱いところを暴き出し、「ほら、あなたはこういう弱さがある」と指し示す。それで相手が自分を「弱い」と認めたらそれを喜んで慰め、認めなかったら「強がっている」と非難する。彼は癒そうとする相手と自分とは「対等だ」とは口では言うものの、慈父あるいは慈母のように一段上から見ているつもりで、本当のところは自分の優位を信じて疑わない。そして一度でも自分が「癒した」と思う相手が、その後どれほど飛躍しても、あれかつて自分が癒した者だと公言し、その人がいつまでも感謝し、自分の前に頭を垂れることをどこかで期待している。言葉と笑顔だけで癒すのは、もともとは宗教者の仕事であったはずだ。そして宗教者は神仏の道具として人を癒していたのであり、それを自分の力とは思っていなかったと思う。それを自分の知識や技術や才能で癒すことができると思うから人品の卑しさが際立ってしまう。誰かを癒したいと他人の涙を探す人に憤っている人は存外、少なくない。苦悩を自らのものとして受け止めている人は誰かに癒されることを待っているわけではない。その耐える姿に敬意を払うことが、まずは求められるのだろう。(引用おわり)隣県や、最近は南の方で見かけます。
2012.10.10
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(つづく) 気がつけば、本題からかなりかけ離れていました。 そもそも、この記事書き始めたころ、自殺が話題になっていたので、連日当たり前のような繰言がメディアで繰り返されていたのでそれにちょっと違和感あったのでした。 「生きていればきっといいこともあったのに」 「自殺するくらいの勇気があったら、どんなことだって乗り切ることができたのに」 分かったふりして、悟ったようなこというなよ。生き地獄の出口をあんたたちは保証してやれるのかよ。と思った。それは死を思いとどまらせるどころか、生の尊厳に対してもあまりにも無遠慮な言葉だから。 だって 死ぬのってそんなに苦痛ないから。 但し、適切な方法を選んだ場合に限ります。残念ながらそうは思えない手段、結構多いです。 それと、関係の無い第三者巻き込まないこと。実はこれが非常に難しいと思います。 世をはかなんでいるのだから、そんなことどうだっていいじゃない!という人もいるかもしれないけど、それができないようだったら、自殺ではなく自爆テロです。何も巻き添えで命を奪うことだけがテロではありません。何らかの不快感を誰かに与えること、それが人によってはその後の人生に堪え難い狂いを強いてしまうかもしれないでしょう。それ、人を死に追いやってのうのうとしている連中の決まり文句「軽いおふざけのつもりだった。いじめてるなんて感じていなかった」だから自殺なんかじゃない、自爆テロといっしょなんです。こう嘯くひともいるかもしれません。「H2Sみたいに、人にガス吸わせて巻き添えにするのならともかく、部屋でひっそりと逝くならいいじゃない」「どうせ警察が処理するから。風評は管理会社がダミーで人しばらく住ませてから売りに出すから関係ないよ」警察は『本体』は運んで行きますが、『分解生成物』や、液化して染込んだ物質までは運び出す責務はありません。それが隣室まで拡大したら、そこの住人が引っ越してしまったら、連鎖して一棟まるまる無人化したら、そしてそれが賃貸物件だったら、オーナーは莫大な損失被ります。それこそ、とんだと理不尽なとばっちりで自分の後追わせるかもしれません。「もし…なら」を拡大していくとキリがありませんが、人的、金銭的なとばっちり伴わない方法って、ものすごく狭い選択肢なわけです。が、一番最初の記事で触れた、生と死に横たわるハードルって、それほど高くないって思うこと、これをもう一度記してこのネタ締めます。『こんなに敷居が低いんだったら、生もそんなに重く考えることはない。重いと思っていたものが、そうでもないということ、それは目の前の壁であれ、苦しみであれ、思っている程大したものではない。ならば本当にぶっ壊れるような壁に激突するまでとっとこう。それよりお昼、なに食べようかな』ホントに小腹すいてきたおしまい
2012.09.27
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(脱線話から微妙に修正できることを期待しつつ前回から続く) 自覚症状として、短期記憶が途切れたりということもあり、このままでは、わたしというシステムが崩壊するのではないかという危機を抱き、臆することなく病院へGO! このとき相当な自己嫌悪に陥っていた割に、やはりコトに及ぶことはなかったのは、意識していた敷居が低くなり過ぎて、その選択肢すら忘れ去っていたようです。むしろそれまでは、医者にかかることのほうが、よっぽど敷居が高い(つもりでいた)のでした。 以来、今日までパロキセチンがいわばつっかえ棒みたいなって、何とか過ごしてます。意外だったのが、診断はされないということ。ちなみにそのこと訊いたら、病欠しなきゃならないくらい辛くなったらいつでもどうぞ、ということだそう。クスリに関しては、巷で言われている程の副作用もなく、思考、行動は、あまりいい例えが思い浮かばないのですが、柳のようなタフさを得たとでもいいましょうか。壁に頑強に立ち向かうでもなく、受け流すことは流し、やり過ごし、跳ね返すべきもの、真に立ち向かう物は受け止める。仕事も、家庭も、人にも、この姿勢で対処できるようになっています。今のところ。 (タイトルと内容が一致しなくなってきたので、次は戻さないと)
2012.08.28
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(一見いい話で終わりそうになった前回からのつづき) 違うといえば、心の痛覚が鈍くなってしまったこと。一見いいことのようには思えるけど、これって、度を超すと、危険信号であるはずのストレスすら自覚できなくなることもあり、結構怖いんです。 で、それが思わず現実になったのが去年。既に何度か語っていることが契機で、仕事のテンポもリズムも大きく変わり、わたしはそれに前向きに且つ柔軟に対応してきたつもりでした。けど心身が背負ったストレスは甚大だったのに、それが全く自覚できず、「痛覚」が麻痺した心身は、ストレスが生み出す内に抱えた不安すらも無自覚なものにしてしまいました。 その結果、次第にわたしの行動、思考が、無自覚な不安に支配されるようになり、いつしか自ら軋轢を創りだすようになる始末。これじゃ部下をはじめ周囲はたまったもんではないんですが、 (何しろ人の痛みにも鈍感なってましたから) さらに大変だったのが、そんな自分に他からの指摘ではなく、ひょんなことから自分で気がついてしまったこと。何ていうか、重圧に押しつぶされるのではなく、内部から吹っ飛ばされたような、スーパーノヴァ状態。(脱線話はまだつづく)
2012.08.17
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明日の見通しが全く見えない、今日という日を何のために生きているのかわからない、昨日も生き地獄、そして…、なんてコピーを、わたしの昨今のブログと重ねると、我ながら、うわっ、ヤバいよこれ。なんて感触が伝わってくる。けどそのままいっちゃえっ!。 すでに四半世紀をとうに経た人生経験のなか、自殺したい!と思ったこともそれなりにありました。今になって当時を振り返ってみても、多分、あの場面じゃ死んだほうがずっと楽だっただろうと思うこともありました。 人生経験浅い頃は、ホンの些細なことで、絶望して、もうこんなことなら…と思い詰めたりしてたんだけど、その些細なことって、まだまだ世間の狭い立場では、それが大きな絶望感を抱かせるものだったりしたんですよ。 そのくせ心は幼いだけに、生存本能が強かったのか、あるいはドラマなんかで、コトを成すのが「痛そう、苦しそう」な場面が想起されたので、当時はコトには至らなかったんです。(でもそれがイジメとかだったら、当時耐えられたかは昨今報道されている苛烈さがほんとうだったらどうだろ?そのまえに、あれこれ逃げる術考える性格だけどね) そのうちある程度知恵ついて来ると、コトの方法によっては、苦痛ってさほどでもないことを知識として知るようになりました。くわばらくわばら。 けれども、今度は逆説的発想するようになってきて、(何せ根が捻くれ者なんで)生きることの重みと、その彼岸の死への敷居の低さが、わたしの頭の中の天秤にかかったら、『こんなに敷居が低いんだったら、生もそんなに重く考えることはない。重いと思っていたものが、そうでもないということ、それは目の前の壁であれ、苦しみであれ、思っている程大したものではない。ならば本当にぶっ壊れるような壁に激突するまでとっとこう。それよりお昼、なに食べようかな』と、おかしな結論弾き出してしまったのでした。結局なにも変わらず、そう、辛苦もあれば、楽しみもある、それなりな毎日を過ごしていったわけです。(これでめでたしめでたし、ではないので、つづく、但しやや脱線します)
2012.08.14
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時々食べていた男前豆腐。それが未だ悲しみと苦しみに打ち拉がれている被災者の傷に塩を塗り籠む行為に等しい行為だったことに気がつかなかったことが恥ずかしくてならない。福島の皆様方に申し訳ない。鬱になってきた。 今直ぐにでも吐き戻したい(もうとっくに出ちゃったよ!)
2012.08.13
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初対面らしく、微妙な距離感を保ってましたが、この後接近しても、とくに逃げ出すことはありませんでした。この後6ヶ月弱以内に天寿を全うしていれば、苦しまなくて済んでいるところですが、調べる術は、もちろんありません。
2012.08.01
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相変わらずさっぱり更新してません。それでも震災が契機(のひとつ)で折れかかった心も体も、パキ漬けで、いわばつっかえ棒に囲まれたような、艦船なら喫水下でダメコンしまくりの状態ながらも上からのプレッシャーと下からの突き上げに我ながらよく耐えて(汗)過ごしてきました。去年と違って、連休は暦通り過ごせそうなのですが、寝坊してぼーっと過ごしているのが苦手になってしまったので、何かしないと。冬タイヤの交換でもするか。
2012.04.28
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明日のお天気は、お出かけには生憎の模様。でも、だからこそ、大切な人と、どんな形であってもいい、一緒に普段の毎日とかわらない一日を過ごす。そして、あの時が巡って来た時には、それが叶わなかった多くの柱に想いを馳せ、心を出来るだけより添うとともに、ここにいることに感謝する。静かにそうしたいです。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である
2012.03.10
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死後、あ、いや、仕事ぐちゃぐちゃめちゃめちゃで、変な使命感からテンションだけは上がって、あっちで空回り、こっちでフリクション発生、気がつけばパキシルとデパケンを、心のつっかえ棒にして毎日を乗り切っている状態なってました。 心が折れてしまっては、家族養っていけませんからね。そうでなくても、この地にいまなお命を灯していること、それだけで大きな意味があるのだから、それを肝に銘じていかなくてはならないに違いありません。 そんな状態なこともあって、「あの日」から殆どブログの更新もしていなかったのですが、毎年締めくくりには更新していたので、とりあえず。 それから「毒吐き」もないと、ここらしくないので(笑 今感じる「違和感」を。 今年の手前味噌な振り返りを見渡して感じたことは、「あの日」のことが、既に過去の出来事のような扱いになっていること。 3月14日あたりまでは、津波によりおびただしい犠牲者のことが、近代日本最大の災害であることを刻々と刻んでいたマスコミが、それ以降はほぼF-1一色になってしまったこと。 これらは、地元の報道機関はともかく(本当に個々のスタッフの尽力は凄かったと思います)、中央のマスコミにとっては、商品としての事象、記号としか捉えられていないこと、新潟中越地震で指摘されてきたことが全く反省されていないことを自らが被災地の人間のひとりとなってしまったことで如実に実感することができました。 商品、あるいは絶好の機会としか捉えていなかったのは、一部の活動家たちもです。いうまでもありませんが、これは危機管理がまるでなっていない政府やインフラ独占企業にその発端があるのですが、それすら商品として、恐怖と不信で人々を煽り、善意にかまけて優しい顔をしていたと思ったら、その欺瞞に疑問を感じた人には容赦ない罵倒を浴びせる連中です。 その結果、よき隣人だったのに、自主避難した人が情報判断の結果そうしなかった人を無知となじったり、何でも面倒みるからと誘いに乗ったのに、避難して、オルグに乗らなかったらと手のひら返された挙句、慣れない土地でのストレスや経済的事情から再び戻ってきたら、今度はそこで裏切り者呼ばわりされるといった悲劇が起こっています。 絆という言葉も、ずいぶんと安っぽくなってしまいました。今年の漢字に選んだ京都の某寺、お焚き上げ拒んでたりするんだから、どうしようもないです。今でも全国各地で被災地の瓦礫受け入れ拒否の著名活動が活発に展開されています。 これらを含めた震災直後の買い占め等、およそ絆という言葉とは縁遠い行為を個人主義、身勝手と談ずるのは簡単なのですが、個人の判断かというと、前述したように、情報リテラシーを持ち得ないが故、煽られたことによるものであり、個々人はそれを善意だとさえ思っているのですから、これもある意味集団心理によるものといえましょう。 震災後、比較的秩序と治安が保たれたことに多くの国々が驚き、賞賛されましたが、これだって、集団心理がいいほうに働いたことによるものです。 日本で確固たる個を築こうとすることは、社会的にも非常に困難なことです。だからそれを成し遂げた人が大きな功を成すチャンスに恵まれることにもなるわけです。彼らにはぜひ日本を引っ張って行く原動力になってもらいたいし、私も含めた凡人は、せめて群れの論理がいい方向に動くことがひとつでも多くなるような社会になるように、自分の出来る範囲で頑張っていくこと。そうありたいものです。 来年の今頃、少しでもいい年だったと思えるように。
2011.12.31
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以前、どこかの自治体で、書類の記載例がタイトルの如く記述で「ふざけんな」!とか抗議した市民がいたとかニュースになったことがありました。まー、当時はわたし的には、ちょっとブラックなユーモアの範疇だし、目くじらたてる程でもないんじゃないのかいな?という感想でしたが。何しろ放送した番組のキャスターまでが真顔でプンスカしていたのがちょっと滑稽だったので。けど、その番組と同じネットワークの局がこんなの流してましたテロップは、実際の当選者を入れる前の、カラムチェックするために適当にテキスト入れたとのことですが、それが意図せずオンエアされてしまったというのが実情のようです。しかし大場嘉門がグラム単位なら、こっちはメガトン級の悪意に満ちた「悪ふざけ」を通りこしてます。スタッフには潜在的な差別忌避の思考があるということですね。彼らには、この震災も所詮はとーほぐの他人事ということで、以後トンへテレビと呼ばせてもらいます。
2011.08.04
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随分とブログさぼってました。他所ブログだとトップページが広告になっているところですが、ここではお気に入りが沈むだけなのが救い?なのかな?訳はやっぱり「あの日」以降忙しい日々が続いていることもあるけど、怒りも(これが一番日々多い)、悲しみも、ささやかな喜びも、なぁんだか、テキストにする気力が湧かないんですね。その訳ですが、例えば本を読んでいるときに、ストーリーに引き込まれて気持ちが揺れ動くこと。これは悪いことどころか読書の愉しみかもしれませんが、わたしの場合はそれが何かテキスト書いているときにも起きてしまうんです。これじゃマトモな文章になる訳ないです。まぁ、ブログに何らかの義務感や責任感持ってるわけでもないので、じゃあ、別段無理して書くこともないかと。これが仕事していて事務文書や報告書作っているときにもたまに起きるのだから、困ったもんです。とはいえ、過去記事読んだことがある方であれば、今宮城が、東北が、日本が置かれている状況に対して立ち向かうべきなのに無策に等しい体制に、同情するふりして自説の流布のために恐怖と混乱を煽る人たちに、それにまんまとハマって無意識に被災者を傷つけている人たち、それらすべてに憤っていることは容易に想像できるでしょう。
2011.07.03
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「政治的思惑に基づいた支援活動」とトモダチ作戦を皮肉った「琉球新報」「沖縄タイムス」お前ら!被災者と犠牲者に対しての愚弄も甚だしいんじゃないのか。これを書いた記者は、今すぐにでも遺体安置所でアジってみろ!避難所で心細いおもいで憔悴しきっている被災者の元で堂々と主張してみろ!お前らが、人の命の重さは、心ではなくイデオロギーで測っていることがよく分かったふざけるな腐れ外道!
2011.04.09
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もう三月も後半だよっ!ていわれそうですが、これだけはいえる。I'm still standing
2011.03.17
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もう三月も後半だよっ!ていわれそうですが、これだけはいえる。I'm still standing
2011.03.17
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別に手元に5千円札握ってるわけじゃないです。今年は2月以降の更新ペースがめっきり落ちてます。まあ、毎度他愛のない愚痴で書き綴っていて、大して中味のあること書いていないので別段どうということなのですが、その手のことなら、他にもっといい媒体もあるので、こことの使い分けをしていたら、8割5分の愚痴と残りのちょっとくどい駄文に分離されて、1割5分が残ったということでしょう。そうはいっても、今年を振り返ると、色んなことが……あれ、そうでもない。ここ2~3年では比較的落ち着いた年だったような気がします。そのかわり、日々の何気ない機微に目を凝らしたり、ちいさなあゆみに喜びを感じたりと、日々の忙しさは昨年以上なのに、今までなら素通りしていたことに、ふと足をとめることが多かったような気がします。ココも今年同様、来年も遅筆寡筆になりそうですが、御用とお急ぎでなければお付き合いの程を。来年が皆に佳き一年でありますように。
2010.12.30
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子供のときに一度はやってみたことがあると思います。今日は何の日?「う◯この日」わたしの住んでいるあたりでは、やや風が冷たくなる時期ですが、秋空にもと凌ぎやすい陽気に恵まれることの多い日ですから、11月3日は文化の日(普通に口を開けて言う)に相応しい日だと思います。またこの日は、明治大帝の御誕生日の天長節大正に入ってからは明治天皇節、昭和に入ると明治節でした。内憂外患に右往左往する現在の政府の頼りなさと比べてそれとは比較にならないの国難の連続をしぶとく強かに乗り切ったこの時代の人たちは、ヴァルハラで何を思うのか。
2010.11.03
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VNCのテストするのに、ファイヤーウォールを外し、相性悪い無線LANのクライアントソフトの動作チェックをするのに、ANY接続にして暗号化外したのはいいけど、不覚にもそのまま寝落ちして、さらにはそんなことやっていたことも翌朝にはすっかり忘れ数日間放置するという暴挙やらかしちゃいました。(親機の置き場所のせいか、外でも結構電波拾うんだよね。タダ漏れです)PCスキャンしたら、しっかりアヤシイアラート出るし。踏み台されてたらヤダなあ。とりあえず、パスワをことごとく変更しておいた。orz
2010.11.03
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核エネルギーの非軍事、商用利用にも反対している方々は、核融合により発生した電磁波を電気に変換することも同様に核融合由来の熱エネルギーが地球上に発生させた大気中の気体や液体の運動エネルギーを利用することにも反対しなくちゃね。
2010.10.18
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日付変わっているので、昨日のことになりますが、尖閣侵略球団!国民大行動と銘打って、集会ならびにデモが行われました。参加者は主催者発表で約3,000人、警察発表が5,800人と、かなりの人数でした。デモの際は、交通整理や警備を配慮し、複数の悌団に分けての行進となっていました。さすがにこの数で一度に動くとなると大変でしょうから。ひょいっと参加できる所住んでるわけではないので、今日は桜で観ていました。Ustやニコ動もやっていましたが、アクセス過多で入れなかったりしたところもありました。集会やデモといっても、労組が半強制的に動員かけてアジるような中島みゆきの何チャラとかいう唄が似合う様なものでもなく、在日エセ右翼団体みたいに単に自らを貶めるような威圧的な出で立ちでガナリ立てるわけでもなく、例えはあまり良くありませんが、イベント集会みたいな硬軟ほどよく集まったノリのものでした。(西村氏の演説は頼もしく)(小倉さんはカメラのアングルが微妙だったり)それでも主催者側からは、あくまでも主張に徹し、相手を貶めるような行為は慎む(相手のレベルに落とした行動はとらないってことか)などの注意事項もありました。参加者も、確かにオッ◯ンが多かったのですが、いわゆるスレレオタイプの集会やデモよりも幅広い層で集まっていて日章旗を掲げていなければ何のイベントかわからない様子。行進中は不逞の中共主義者の妨害が警察に排除された程度で、すぎやまこういち先生の微妙なBGMによりまったりとしてそれでいて壮観なものでした。中共大使館前では、当然物々しい警備が警察官により敷かれていましたが、それに対し「中共は警備の警察官に感謝して毒抜き餃子振舞え!」と、鼻息の荒い(?)声も飛んでいました。さて、これだけの集会にもかかわらず、夕方実家で某公共放送観たら、完全スルーし、かわりに中共で発生した反日デモをトップで流す体たらく。一時間後の午後7時のニュースもまた然り。(その後民放ではチラホラ放映したようです)やはりNHKは公共放送を語る新華社通信日本支局が相応しい局のようです。こんな局に年間弐万数千円を上納することが、果たして国益に沿った行為と言えるでしょうか。しかし前述したように、今は携帯やスマフォあれば、実況画像をweb上に手軽に公開できます。こんなことしていれば、結局は自らの報道機関としての信用性を落とす、蛸の足食いのような愚かな自殺行為です。しかもあろうことか、この受信料に関しては、ドイツ方式の導入を検討しているそうです。それは、現在は受信設備を備えていると契約する義務が発生すると放送法に定義されていますが、これがなくなり、日本に世帯持っている、それだけで支払い義務が生じるというものですふざけています。されに呆れることが、その導入理由が、公共放送による公共の福祉とかいうもっともらしいお題目すらなく、契約義務の有無を確認するためのコストを削減できることなんだそうで、これではもはや、日本国体解体税としかいいようがありません。バカげています。
2010.10.16
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ひと月ちょっと前は、このまま仙台も熱帯雨林気候のままなんじゃないかと冗談言っていたのですが、ひとたび酷暑な日々が終わると、急激に気温が下がってきてあれよあれよという間に平年並みの秋に急降下してしまいました。ここ数日はちょっと蒸しっとしてますが、人の感覚はいい加減なもので、明け方とかちょっと寒っと感じると、あの暑さが恋しくさえ感じます。秋の日はつるべ落としという言葉がありますが、今年に限ってはこれ、気温の下がり方がまさにぴったりです。本来の意味は、秋は日を追って日没が早くなることを例えているって節もありますが、他には日没から薄明が終わるまでの間が夏に比べ短いので、日が沈むとあっという間に暗くなってしまうことの例えという説です。どっちが正しいのか知りませんが、後者は秋分前後は自転軸と公転軸が垂直になるので、その分自転軸と交わる薄明帯が相対的に短くなるという理にかなってます。冬に午後ナイター券で出かけた時なんかは秋よりも真っ暗なるのが少しおそいかな何て話題になったこともありました。明日は雨の一日なりそう。車の音からして、今も雨っぽいです。
2010.10.14
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正直、どうでもよくなってる大相撲ですが、千秋楽には表彰式があって、内閣総理大臣賞があったの忘れてました。今回は録画してもらって観ておくんだった。詳しくは「そのまんま日記」でどうぞ。こういう、さりげなくオチを入れるのって、結構難しいと思うのでした。
2010.09.26
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平成22年9月24日国辱記念日として
2010.09.24
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今日は朝からまとまった雨が降っています。昨日同様に、(今までよりは)しのぎやすい一日になりそうかと思っていたら、朝の10時くらいには蒸し蒸しとしてきました。雨は降ったままなので、これまでと違った過ごしにくさです。雨がやまないままで、晴れ間もでてきました。台風の目みたいに(もちろん台風ではないですが)ぽっかりと雲に穴があいたような感じです。豊葦原の中つ国の運命の一日だけに、なにか荘厳なものを感じました。
2010.08.15
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毎日のように寝苦しい夜が続いていますが、今朝は珍しく、小雨したたる朝を迎えています。気温も、寝苦しさが幾分和らぐ程度に下がってくれているようです。これでも普段の夏の朝に比べるとまだまだ暑いのですが。ぷりぷりぷる~ん、って感じで、この時期、桃が美味しくなる季節です。先週あたりはちょっとまだ固かったけど、そろそろいい感じになってそう。あ、それからこの写真で初めて気がついたのですが、LED電球でも、蛍光灯下で撮ったみたいにフリッカーが出るものだったんですね。内部で整流しているから出ないものだと勝手に思い込んでました。さて、寝苦しいとどうしても寝ている途中で目がさめてしまい、寝不足がちになりますが、わたしも昼間それ感じてから、この頃は寝るのが早めになってます。おかげで朝5時前くらいに目が覚めるとそのまま起きてしまいます。この時間に起きると、最近は朝の外の雰囲気から、夏の終を感じちゃいます。そう、日の出が遅くなってきているのが実感できる時間帯なんですよね。
2010.08.14
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ちょっと懐かしいけど、よく考えるよこんなの。(食べてるときは見ない方がいいかも)
2010.08.09
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このところ、ボソボソ毒吐き気味になってます。それだったら、ここよりこっちの方がよさげなのでそこでブツブツさせていただきます。七夕今日で終わっちゃうけど、熱中症が心配で行けてません。
2010.08.08
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「板金工」駒場宣武と渡辺幸子。コイツらが集中豪雨に伴う土砂崩れで生き埋めになればぴったりだったのに。
2010.07.24
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イスラム法による代執行希望縛り付けて、一般市民ひとり一回投石。息の根止まるまで続行。もしくは穴の底に縛り付けて石投下して、じわじわと圧死or生き埋め窒息死多数ムチ打ち後放置→腎臓破裂から腎不全→死亡タイムマシンあったら凌遅刑炮烙
2010.07.23
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それは中村幸一という「議長」とかいう肩書きに溺れる腐れ外道。脳が衰退した山田とかいう家畜殺しフェチ野郎から何をあてがってもたっらんだか。中国牛のシモフリか、かわいいクーニャンか。どっちにしろクソするたびに裂肛出血毎回してるようなケツの穴の小さいウジムシヤロウで確定。バラモンの呪いで山田共々地獄に堕ちろ!
2010.07.23
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