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2015.04.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
思想や心情を背景としたデモに子供を同行させることに、強い嫌悪感を感じる人達がいます。
彼等によれば、分別のつかない子供に自分の思想心情を刷り込むのは、人権侵害にも値する行為だとか。
これには、親として子への期待、親なりの理想を子に授けることのどこが悪いと反論もあります。
確かに、子に対して親が夢を託すことや、自分の経験から、こうあってほしいという気持ちをもつことは不自然なことではありませんし、
子供もそういう親の期待が、励みになって、その理想・夢を叶えようと一層努力し、親越えを、自己を実現して充実した人生を送っている人達は大勢います。
また、互いの夢がすれ違い、愛憎入り混じった葛藤を経ても、、やがて互いを理解しあい、より高みを目指す人達もいます。

しかし、夢、期待が、健全なものとは遠いところの歪んだものだったとしたら、それはどうでしょうか。
期待に応えよう、自分をより高めよう、そう努力してきた源が、浅ましく、穢れたものと知った日が来たとしたら、どうでしょう。

わたしの肉親の片方がその類です。

振り返ると、このヒトに褒められた記憶はありません。
毎日のように叱責され、わたしがいかに人として劣っているのかを責めたれられる毎日でした。
ただそんな環境が、「普通」なことなので、わたしはそれ程苦にはしていなかったような気がします。
その割に、モノに対しては気前が良く (見た目)わたしが何か課題をクリアすると、必ず「ご褒美」を準備していました。
(そのヒトにとっては意識した行動ではなかったようですが、後述しますが結果懐柔策にはまっていたことは後悔しています)
そしてわたし以上に、このヒトはもう片方の親を軽蔑し、バカにしていました。
そしてそれもまた、わたしは「普通」なことに思っていましたので、あろうことか、そのもう片方の親を一緒になってバカにしていたことがありました。
(これまた後述しますが、これは今激しく後悔しています)

しかし、外面は違っていました。
そのヒト、わたしのことはなにやら外では、わたしの残した「成果」を、そしてもう片方の親のことも、事あるごとに自慢の種にしたいたのです。
この事に気がついた時には、一度そのヒトに突っ込んだことがありますが、
「身内は常に立てるのが礼節というもの」
と説き、不徳にも納得してしまいました。

そして、それから月日が経つにつれて、それが詭弁だったことに次第に気づかされていきます。
そのヒト、わたしをなじる時は良く知人を引き合いに出して、「誰彼を見習え」とか、今のあらゆる教育では禁じ手とされていたことを使っていました。
これは外で自慢話をした時に、話し相手から抱いた劣等感をぶつけてきたのでした。
憶測ではありますが、これはそのヒトと親同士知り合いだった友人や知人との会話の話題やタイミングを思い起こすと、ピタリと符合するのでした。
そして、物心ついた頃には、そのヒトに染められてバカにしていたもう片方の親とも、サシで話す機会が増えるに従い、実は人間としての器は少なくともそのヒトよりは大きいことや、わたしがホントに思っていることは、こちらのほうにずっと近いということに次第に気がつくようになりました。

長い年月を要しましたが、それらがいかに理不尽であったのかということに気づかされるのと反比例して、そのヒトに対する不信、嫌悪感が増して行きました。

ある時、そのヒトが身内の事で気を揉んでいて、わたしに考えなしに八つ当たりしてきたのを機に、わたしは、そのヒトの浅はかな虚栄に裏打ちされた信条を押し付けられていた事を蒸し返して罵倒しました。
本人にとってはまさに飼い犬に噛まれたような事態だったようで狼狽していたようですが、吐くもの吐ききったら早々に退散しました。
程なくして、もう片方の親と、サシで話をしたのですが、わたしの心情には理解を示してくれました。そして本人も、そのヒトの性格や言動には度々辟易しており、わたしやきょうだいが就職、結婚する頃合いに離婚することを真剣に考えていたそうです。しかし、機を逸してしまい、また互いに高齢かつ身体のの衰えを感じてきており、もう今更、と、諦念しているようでした。

それ以後、そのヒトからもう片方の親を連れ出したりして出かけたりしながら、他愛のない話をしているうちに、人生観や子供への感情が、いい意味で、そのヒトとは違うことに気付き、尊敬の念を強めると同時に、前述しましたが、そのヒトに吹き込まれてこれまでのもう一人の親に辛辣な言葉をぶつけたことなどに後悔の念を禁じ得ませんでした。

そのヒト、先の一件以降のわたしに対しての態度がやや変わりましたが、それはこれまでの仕打ちを悔い改めたというよりも、接し方に戸惑いがあるようにしか見えず、悔悛したとかいう感じは微塵もありません。わたしは、これまでよりも会ったり話したりすることに対しての気の重さが少し軽くなったような気がします。






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最終更新日  2015.04.28 23:29:39
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