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2011.07.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は家族を猪苗代町に避難させました。その理由は福島市の放射線量(特に住んでいる渡利の放射線量)が高いということ、線量が高いということはそれだけ放射性物質による汚染が深刻であると考えたためです。何を持って危険、何を持って安全という尺度は、私は専門家ではありませんから、多種多様な情報から自己判断する基準を自己責任で求めるしかありません。 原発で事故処理に当たる方々については、年間100ミリSvという基準が、今回の事故によって250ミリSvというものに上方修正されました。すでにこの基準を超えるという作業員も出てきているそうです。被ばく線量を厳密に管理する放射線業務従事者にこの基準が適正なのか?という疑問もでて来ています。厚生労働省は年間5ミリ以下となることが望ましいという、原発での作業従事者の厳格な被曝量管理を東電に対して是正するよう求めました。

一方、一般的な人の放射線量は、自然界から受ける2.4ミリSvや医療行為の放射線を除いて、年間1ミリSvというのが本来の基準です。自然界から受けるもの以外ということは原発など人工的に放射線を発する放射性物質で、本来意図して受ける放射線以外のものを指しているかと思います。それだけ原発については厳格な管理をしなければならないということの裏返しだと思います。

しかし事故は起きてしまった。緊急時の被曝限度量は20から100ミリSv以内と定めることを国際的な基準では要求しています。政府はこの基準の20ミリSvの基準を元に避難区域や計画的避難準備区域を設定したものと思われます。緊急時における安全の尺度として設定した数値です。 緊急時とは何を指すのか? 放出された放射性物質から恒常的に身を守ることが難しい場合、放射性物質の拡散が予測できない場合、それらの被害が広域的に発生し、調査が十分にできていない場合など、一時的な状態をいうのだと思います。

緊急事態にはどう対応すればいいのか? 原発事故直後に「屋内退避区域」というものを設定したように、「できるだけ放射性物質による放射線の影響を受けないように身を守る」ことが第一の方法だと思います。屋内退避では危険と判断された地域については、「避難区域」「警戒区域」として強制的に避難させられたように、避難という方法、遠くへ逃げるということが危機回避として十分に考えられます。

しかし、事故から1週間経っても、10日経っても状況は良くなる気配が無い。緊急時が続くことで「屋内退避区域」を指示された南相馬市のようなところは、兵糧攻めのごとく身動きが取れない状況に陥りました。また、汚染状況も徐々に明らかとなり、同心円状に設定した避難区域や警戒区域を越えるエリアでも危険な場所があることが分かってきました。 分かってきた(実は事故直後から分かっていた人達がいた)けれど、住民がパニックにならないよう、日本国中がパニックにならないよう(本来目的は医療従事者がパニックで逃げ出すことを防ぐのが目的だったようです)、チェルノブイリ事故後の調査をした専門家が、検出されている放射線量程度であれば、問題ありません、心配ありませんと県内を広く広報して歩いた。地元マスコミもまたこの専門家の情報を流し続け、市町村も同調していった。

心配ないという言葉は、いつの間にか「緊急時」であることを忘れさせて、あたかも通常時のような感覚にまでしてしまいました。確かに見た目は普通と変わらない。ライフラインの復旧にあわせて、福島県内の地震や津波による被害が少ない地域では子供たちの学校が再開されました。 そこに文部科学省が年間20ミリSv以下は屋外活動も制限しないという暫定基準を設定します。大人だけではなく、子供も乳幼児も一律同じ基準・・・(後日、この基準設定については十分な議論も無く、原子力安全委員会の助言らしい助言も無く、文部科学省が独断的に決めたという事実が明らかになりました) 一般的な医薬品だって、副作用を防ぐために乳幼児には服用させないとか、年齢によって服用量が変わるというのに、全く同一基準という考え方に多くの親が疑問を持ちました。 (これは科学的根拠ではなく、政治的判断でしかないだろう。命を確率論で判断されてはかなわない)

基準以下であれば心配ないという話と、基準以下だから何もしないというのは全く別の話だと思うのですが、国(文部科学省)は、基準を超えた場合、1時間以内という活動制限をかけるだけしか対応を示していないのです。 この基準を県の教育委員会も市の教育委員会も鵜呑みにした回答を、心配が増している親に対して行いました。 本来あるべきではないもの(放射性物質)が学校に、公園に、道路に、庭に、ありとあらゆる場所にばら撒かれているのに、それを引き取らせることもさせようとしていないのです。 汚した犯人も明らかなのに、汚されているのも事実なのに、国が定めた暫定基準以下ならただちに問題ないという一言で片付けられようとしていたのです。

汚されて、汚れを引き取らせることもしない政府と地方自治体には不安と不満と不信で一杯になりました。 そこで不安のまま住み続けるのか?それとも不安が少ない場所へ移動(避難)するのか? 
国が避難を指示した地域の人達は県内へ、県外へと避難をしました。本来原発事故がなければ避難する必要など無かった人が、避難することによって生命の危険を背負ったり、放射能という自分たちにはイワレノナイ理由でいじめに遭ったり、という「避難するリスク」というものが存在することもわかりました。

それらを判断して、私は福島市から近くて福島県内でも比較的放射線量が低い猪苗代町を避難先として選び、自主避難という形で子供たちを避難させました。学校の問題もあったので、住民票を移動して転校させました。 当然生活費やアパート代など経済的な負担が増えることも覚悟の上で、(これらのかかる経費は東電に請求するつもりです) 未知なる不安を少しでも解消できればという思いで避難させました。

放射性物質による被害(被曝)リスクからの回避と同時に、「生まれ育った地で一生を送るとは限らない」ということを経験させたかったのも、今回の避難理由の一つです。残念ながら高校を卒業して就職、進学のどちらを考えても、地元という選択以外も視野に入れなければなりません。18歳まで福島で過ごし、上京して一人暮らしをした私が、あの上京から1週間は見るもの全てが未知のもの、話をしたくても言葉が出ない(やっぱり訛りが)部屋に戻って思い浮かべるのは田舎の変わらない風景・・・


「この程度の放射線なら何の心配もいらなかった」と笑って話せる日が来ることを願ってやみません。子供たちにとっても、私にとっても「変わらない田舎の風景」が残っていてくれることを祈ります。 同じように、浪江町や飯舘村から避難を余儀なくされた方々の古里の風景も変わっていないことを祈ります。

福島に住み続けるということは、本来意識しなくとも済んだことを、原発事故という人災によって街を追われたという思いと対をなしている、「本来のあるべき姿」だと思います。 放射線の影響を心配しながら覚悟を必要とするものでもなく、汚されたまま我慢していくものでもありません。 それを踏みにじった人達を許すことはできません。このままで許されるものではありません。 危険であろうと無かろうと、許されざる事実を放置したまま4ヶ月が過ぎています。





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Last updated  2011.07.18 13:52:54
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