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何か月間か日本語学校で日本語を勉強している学生も、学期末などにスピーチをやってもらうと全然話せないということが結構あった。聞いていても何を言ってるのかわからない。半年も日本語を勉強してきて、あの勉強は何だったんだと唖然としてしまったのは、1回や2回ではない。教える側の教師にも責任があると、そこで立ち止まって、深く反省すればいいのだが、日常業務にかまけて、それまでの授業のやり方を変えるところまでは考えが至らなかった。確かに学生全員が話せない、何を言ってるかわからないという訳でもなく、何割とはっきり数字には出せないが、話せない学生はいつも一定数いた。原因は、授業では言葉や文法の学習などインプット中心で、アウトプットが徹底的に少ないからだと思う。『みんなの日本語』に代表される文法積み上げ式の教授法は、理路整然としてよく出来ているが、現実の生活のどの場面でその文法型式を使うのかといった、社会生活との関連という点で弱い。確かに文法積み上げ方式で作られているテキストを使っても、アウトプットを多くするような授業は可能かもしれないが、それには教師個人の高度な技量あるいは日本語教育機関そのもののパラダイムシフトが必要に思える。初級の簡単なあいさつから始まって、自己紹介、買い物などのそれぞれの場面で、フレーズを丸暗記させるような授業を積み上げていくイメージになるのはないかと思う。しかし、それが次の「初級レベルの教室活動の流れ」とどの程度整合性が取れたものにするのか、今後の課題だ。これまでは「導入」から、せいぜい「状況練習」までやって「統合的な練習」は時間がなくて手が回らなかったのが現状だ。
May 21, 2026
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先週、4月30日に第4回認定日本語教育機関の認定結果が文科省から公表された。それによると申請総数100に対して、認定32、取り下げ53、継続審査13、不認定2という結果だった。その認定申請の仕事を、これからやることになった。沢山の学校を傘下に持つ、ある学校法人が日本語学校を来年新規に立ち上げたいので、協力してほしいとのことだった。建物は既に完成していて、昨年も文科省に事前に相談したが、主任教員が見つからなくて取り下げたとのこと。こちらも認定校だった前任校に1年8か月勤めた経験もあり、認定申請の仕事もしてみたいと思っていたので、渡りに船だった。とは言っても、認定率が30%台と低く、ハードルが高い仕事だ。今までは、日本語教育能力検定試験など、個人的な資格を目指すことがほとんどだった。今度はチームで成果を出さなければならない。今回の認定結果を分析しているサイトを見つけた。それによると、文科省から今回の認定校に付された留意事項を「教育課程」「組織体制」「学生支援」「広報・情報公開」の4つに分類していた。自分が担当するのは主にカリキュラム(教育課程)の作成だ。そして、ここが本丸なのだと思う。仮に他の項目で指摘されても、カリキュラムさえしっかりしていれば、よっぽどのことがない限り認定は通るような気がする。「じぇっぽ」の分析を見て思ったことは、もう一つある。今年度2回目の事前相談予約受付は8月上旬、事前相談は8~10月頃とスケジュールが決められているが、事前相談、認定申請は早目に行った方がいいということ。それは、遅く出すと継続審査になってしまうかもしれないからだ。第4回認定審査結果でも継続審査が13件出たが、それは申請総数が100件(前回は74件)となり、文科省の審査の処理が間に合わなかったから、と分析されている。目下の新規校立ち上げの予定は、来年4月に認定をもらい、来年10月に開校というものだ。それが、継続審査になってしまうと、また半年開校が延びるということになる。
May 4, 2026
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ドライバーは、スタンスを広くして腰の回転で飛ばす~コツはつかんだつもりでいたが、やはりフェード系か悪くするとスライスしてしまう。コントロールショットみたいな感じで、飛距離も伸びない。それで、バックスイングからトップにかけて、あまりにも腕を上げすぎていたということに気がついた(下図の右の絵)。左の絵のように腕をあまり上げないで、回しこむようにバックスイングするとストレート、たまにドロー系のボールが打てて、距離も出た。
May 20, 2012
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昨日買った本『ハプスブルク家』(講談社現代新書)、英会話のレッスン前に急いで買ったから、良い本かな、とちょっと心配だったが、でも、今日、いつものように昼食の時間に読んでたら、自分の今の興味・関心にあってるな、と思った。ハプスブルクの名が歴史に刻まれることになったのは、ルードルフ一世が神聖ローマ帝国の国王になってからだ。誰が、ハプスブルク家の者をローマ王またはローマ皇帝にしたのか、ローマ教皇か?そうではない、皇帝選挙で投票する権利を持っていたのは選帝候と称される人で、7人いた。そのうちの3人が聖職者で、4人が世俗の君主だった。聖職者とは、マインツ、ケルン、トリーアの大司教のことで、世俗君主とはボヘミア王、ブランデンブルグ公、ザクセン公、プァルツ宮中伯のことである・・・、このあたりまで読んだ。この次のドイツ旅行で、もしかして、ケルンへも行くかもしれない。まだ、本当にどこへ行くか決めてない、ベルリンの壁のあたりは見てきたい、と思っているが・・・。とにかく、これからドイツに関する本をたくさん読んで、自分の興味のあるところを見つけたい。
July 13, 2005
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