全277件 (277件中 1-50件目)
みなさんこんにちは。 クリントの娘です。 いつも父のブログにおつきあいくださいまして有り難うございます。 今日は父の誕生日です。 そして、わたしは父の亡きあと いろいろなものを整理するために福岡に来ています。 父は2月12日になくなりました。 享年72歳。 あと10年は頑張って欲しかったのですが、受け止めるしかありません。 去年の11月に「なにかはっきり原因はわからない」状態で入院しました。 ガンの再発か、肺の病気なのか。 熱も上がったりさがったり食欲もなかったのですが、それでも、いままで病院から早いペ ースで復帰していたので家族は 「今度はいつかえってくっと?」 それくらいの気持ちで送り出していました。 足腰が弱っていた母も、この入院のおかげで?底力を発揮し、毎日病院にバスと徒歩でか ようという快挙を成し遂げました。 年を越して1月。 検査に次ぐ検査にもかかわらず、依然病名はわからず、治療がはじまるも、今度は副作用 でダメージを受け・・。この悪循環で見る間にたいへんな状況に。 感染病棟の為、小学生以下のうちの子供達(孫)は面会が出来ず、いつもメールで 「はやくおじいちゃんに逢いたいです」 と書いていました。 でも、呼吸困難のために酸素の管が付いたり、最期は酸素吸入器ではなせないし、点滴や ら薬やらで身動きがとれない父を子供達に見せるのも辛い状況でした。 ただ、いつまでも意識はしっかり、そして性格も最期の最期まで「おとうさん」でした。 「定期を解約してくれ」 と筆談でして、銀行の確認の電話には先生立ち会いの下酸素マスクをはずして返事をして いたし、制作途中だった書類はなんとか書き上げて、 「そのために、今意識をおとされると困るので、人工呼吸はしないでください。」 というし、特別許可がおりて面会に来た孫達には病床でhugしてあたまをイイコイイコ するし、お見舞いにだれか来ると、どんなに多めの鎮痛剤をうっていても目を開けるので びっくりしました。 ただ・・・呼吸が困難な状態で息がしにくいのは勿論のこと、二酸化炭素が排出しきれず 体が酸性に傾き、いつ機能が停止してもおかしくない状態に成りました。 月曜日に緊急に呼び出されて五日。 毎日お父さんに言葉で伝えておきたいことは伝え、何回もお父さんの生死を分ける判断を せまられ、同時に万が一の時の準備もしつつ、気持ちは今できることを悔いなくやりきる ! お父さんの意識がある時に、わたしは「ごめんねありがとう大好き」が言えたけど、 お母さんと弟は泣いちゃってむりだった。 「おとうさん、今からお母さんが愛の告白をするっていうから、ちゃんと聞いときよ~」 お父さんもお母さんの方を向いて聞こうとしたのに言えない。 弟は、わたしに 「次生まれ変わっても、お父さんの子供でうまれたいんだよね~俺」 っていうくせに、お父さん見たら言えなくて 「いや、もうお父さんもわかっているから大丈夫」 そりゃあ~わかってるかもしれんけど、言葉で言うのと違うやろ~ うちの子達には 「おじいちゃんはこれ以上がんばれないくらい頑張ってるから、頑張ってね、はナシ。学 校の話しとか、おじいちゃんとこれからしたいことの話しとか、おじいちゃんに見て欲し いもののはなしとかするといいよ」 と言って、こどもたちは毎日父に大好きとだきついて、いろんな話しを枕元でしました。 意識がない手をにぎって、おじいちゃんのかわりに自分たちが出来ることは何か一生懸命 話していました。 ・ ・・そして、子供よりお孫ちゃんのほうがパワーがあることを見せつけられました。 撃沈(私&弟) 最期のお別れは わたしたちが席をはずしていたとき。 お父さんのことだから、見られたくなくて、タイミングをはかっていたのかもしれません 。 こういっては何ですが、あまりみんなに迷惑のかからない段取りでことが進んでいくだろ うとは思っていました。 土曜日通夜で日曜葬儀。 そして、なくなったときの手続き全般の書類と問い合わせ先、パソコンには完璧に整理さ れているいろいろなデータ・・・。 お父さん・・・すごいよ。 私も見習ってきちんとしとかないと。 そのようなぐあいで、このクリントのブログからわかるように、きっちりおとうさんは、 きっちり最期も飛び立っていきました。 呑気な娘としては、 「そげんこまかかデーターはよかけん、なんかあそんでぱ~っとしとううちに病はなおる っちゃないと!?」 と言いたいところもいっぱいありましたが、お父さんはお父さんの選んだ生き方があった ので娘の思惑通りには行きませんでした。 からだを脱ぎ捨てた今ごろは、 「ちょっと状況がかわると、こんなに身軽だったんだなあ~」 ということに気が付いて、人生最後に体をつれていけなかったところを自由に行き来して いるかも知れません。 私の所にも来て良いけど、 夜おやつを食べながら漫画をよんでるところなどは覗かないでほしいと思います。 きのうは大地震でまた多くの人が亡くなりました。 突然のことで、他人事ではなく心中察します。 だから父との別れも悲しく寂しいですが、最期にしっかり一緒にいて気持ちを伝える時間 を用意して貰えたことは私たちにとって神様のプレゼントであり、お父さんの不屈の精神 力でなしえたことだったと思います。 さて、きのうは誕生日前夜祭でスキヤキがお供えされました。 今日はどら焼きと苺のケーキがつきますよ! おとうさん、いっぱい食べて今度はうちらを守ってね。
2011.03.12
コメント(10)
「発熱、寝汗、体重減少、かゆみ、疲労などがみられることもあります。ペル‐エブスタイン熱(数日間の高熱と、数日から数週間の平熱または平熱以下の体温を繰り返す異常な体温パターン)がみられる場合もあります」これは「ホジキン病の症状」で検索したら出てきた情報の一つであるが、私がいま見舞われている症状とほとんど同じでなのである。昨年末、舌根部に再発した悪性リンパ腫(ホジキン病)の福大病院の放射線で治療し、昨年末に治療そのものは完了したが、先月末の舌根部の経過観察でのCT検査では顕著な異常は見られなかった。ところが血液検査ではCRP(炎症反応)が定性で基準値は(-)でなければならないところが、(+6)と高値を示し, 定量の基準値が≦0.2でなければならないところ、9.94と高値を示し、ホジキン病の腫瘍マーカー(可溶性インターロイテン)が基準値の上限が496のところなんと倍の1000を超していた。そこで今度の火曜日26日にもう一度血液検査をして、これらの数値に改善が見られなければ,改めてPET検査などでその部位を探索し、その治療方法を考えたいと担当の医師から言われその日を待っている所である。自己診断では、これは風邪の症状であると思い込んで、明日こそはこれらの症状が消滅するに違いないと、期待に胸を膨らませながら翌朝を待ったが、この症状が3週間も経つのに、咳が止まったと思えば再び咳き込み、体温が35度台に下がったかと思えば急に38度近くまで上昇し、バーッと汗が噴き出すと言ったことを一日のうちに数回繰り返すのである。とにかく行ったり来たりで顕著な改善傾向が見られないのである。これはやっぱり今まで経験した普通の風邪とは全然別物のように感じる。火曜日は明後日であるから、今しばらくはこの不安とお付き合いすることになるが、今日が私のブログの週間締め切り日であることをすっかり忘れていた。柄にもなく取り乱しているようだが、もしも緊急入院となった時のことを考慮して、汗をかきかき入院グッツは一応取りそろえた。これが無駄骨で杞憂でしたと、次回みなさまに報告出来ることを期待しながら、今日は筆を置きたい。
2010.10.24
コメント(12)
プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズのファーストステージは17日、甲子園球場で第2戦が行われ、リーグ3位の巨人が7―6で同2位の阪神を逆転で下し、2連勝でファイナルステージに駒を進めた。敗者復活戦がたった2勝で決まるというのは、チームの実力と言うより時の氏神さまのご気分次第で決まってしまうから不合理であるとか、このステージの試合は甲子園球場だけで闘うことは、あまりに不公平であるとか、不満やら不安ばかり口にしていたが、巨人が連勝しファイナルステージ出場が決まった途端、この仕組みはまさに実力通りの結果が出る素晴らしいシステムだと、コロッと言うことが変わってしまい、我ながらその節操の無さに呆れている。ところでそれはそれとして、ファーストステージ第一戦の巨人阪神戦は私の地元ではテレビ放送はされなかった。パシフィックリーグのファイナルステージのソフトバンク対ロッテ戦は2局も放送しているにもかかわらずである。今年はアナログ放送で巨人軍の試合が放送されることは極端に少なかったように思う。終盤戦に入る前に、地デジのテレビに替えたおかげでBSデジタル放送でやっとお目にかかれることにはなったものの、一昔前、日本全国どこにいてもこの世にはプロ球団は巨人軍しか存在しないかのように必ずどこかのチャンネルで実況放送が行われていたことを考えれば、まさに隔世の感がある。ところでプロ野球と言えば九州で生まれ九州で育った私は、元来九州唯一のプロ球団であった西鉄ライオンズの熱狂的なフアンであった。昭和30年代のはじめ進学のため上京したが、昭和33年後楽園球場で巨人対西鉄の日本シリーズの最終戦が行われ、西鉄が優勝を決めたことがある。アルバイトで学費を稼ぐ貧乏学生だった私だが、なんとか工面して後楽園までこの試合の応援に駆けつけた。このシリーズでは最初は巨人が3連勝し、西鉄は絶体絶命の窮地に立たされていた。その後、三原脩監督の「三原マジック」と言われる見事な采配で奇跡の4連勝を果たした。MVPに選ばれた「神様、仏様、稲尾様」の流行語を生んだ稲尾和久投手は7戦中6戦に登板し、なんと後半戦で26イニングを無失点に抑える偉業を成し遂げた。目をつむれば、いまでも一番高倉、二番仰木、三番豊田、四番中西、五番大下たちの勇姿がゾクゾクと身震いする程の感動をともなって浮かび上がってくる。これでなんと西鉄は日本シリーズで3連覇を果たし、九州ここにありとばかりローカル球団の意地を世に示してくれ、在京の九州男児の意気をいやが上にも盛り上げてくれたもであった。そのご大手企業に就職をした私は、全国津々浦々を転勤する定めとなった。転勤は苦ではなかったが、残念なことに転勤先ではまったく放映されない西鉄ライオンズの試合のおかげで西鉄とは段々縁が薄くなっていった。反対に観たくなくても、野球放送といえば読売巨人軍がかかわる試合しか見られない環境に身を置くことになってしまったのである。去る者は日々に疎しではないが、いつの間にか一目逢うことすら叶わなくなった西鉄ライオンズはいつの間にか遠~い存在となってしまった。その上に、やがて球団そのものも消えて無くなってしまい、もはや手許には巨人軍しか残っていなかったのである。だから生粋の巨人フアンというわけにはいかないが、やがて半世紀に及ぶという長い堂々たるファン歴だけは誇れると自負している。ところがリタイヤして九州に住むようになって、またあの悲哀を味わうことになったのである。ここ博多では、ソフトバンクホークスの実況放送が第一で、読売巨人軍の野球放送は二の次に回されるのである。特にアナログ放送で受信していた頃は、このひどい差別に何度涙したことか。BSデジタル放送のおかげで、この差別はだいぶ解消されたと安心していたら、今回のセ・リーグの ファーストステージがどの局からも無視されて、またもやこの差別に怒りがだんだん心頭に発してきていた。そこへたまたま運悪く契約期限が切れる毎日新聞販売店から購読の継続を依頼に来た。「私は読売巨人軍のフアンなんですが、お宅の新聞ではソフトバンクの試合はデカデカと書くくせに、読売巨人軍がべた記事の扱いではあまりにお粗末です。あれ?きのう巨人軍の試合はなかったのかと思ったことが何度もありますよ。毎日新聞を読む人に巨人フアンはいないとでも思っているのですか」と、またまた言わないでもいい嫌味を言ってしまった。実は地元の新聞も読売以外の中央紙の地方版も扱いはほぼ同じであるし、地元のテレビもほぼ同じ扱いである。 まるで巨人は憎まれっ子である。しかし憎まれっ子世にはばかると言うから、今回は存分にその実力を発揮してファイナルステージで中日を破り、その勢いで日本シリーズでも優勝し、この一年間、地元のメディアから受けた差別で、悲嘆にくれた地方の巨人ファンの口惜しい思い払拭してくれて、来年こそは「巨人ならでは夜の明けぬ国」を是非とも再現して貰いたいものである。
2010.10.18
コメント(8)
先月末、ホジキン病の定期検診で舌根部へのCTスキャンをしたが、顕著な異常は発見されなかった。しかし血液検査の結果では腫瘍マーカーの一つである「可溶性インターロイテン」と炎症反応の「CRP」に異常値がみられ、この19日にもう一度血液検査をすることになった。その結果次第ではまた別の検査をすることになるようだが、5年前にお付き合いを始めたDr.ホジキンが発見したこのガンとはなかなか縁が切れないようである。ところで11月号の文藝春秋が発売されたが、。残念ながら今回も2つのパズルとも当選者には該当していなかった。いつもなら真っ先に今月号のパズルに挑戦するのであるが、ある記事の題名が気になってパズルどころではなくなった。その題名は「衝撃レポート CT検査でがんになる」(慶応大学講師の近藤誠氏)とあった。副題に「被ばく線量はX線撮影の二百倍以上。世界の三分の一のCTが装置が日本に集中している」という文言が添えられていて、不安をいっそう煽っていた。この一年ですでに7回もCTスキャンを受け、おまけに昨年の12月には舌根部への放射線治療で多量のX線量を被曝したが、こんなにたくさんの放射線を浴びては体に良い筈がないと日頃思っていただけに、まさにこの題はグサッと胸に突き刺さった。とはいえ、すでにガンを患っている私に、CTスキャンは発ガンの危険性があるなどと云われて、いまさらなにを恐れなぜに慌てふためくのか、この記事を読みながら自分の肝っ玉の小ささにいささか呆れたものである。ところで悪性リンパ腫(ホジキン病)の原因はいまだに特定されていないようである。しかしこの記事を読みながら、かねてから疑っていた通り、このホジキン病の発症の原因は放射線被曝によるのではないかという私の推測を裏付けるものであった。今から11年前の平成11年4月、背中に原因不明の激痛が走りかかりつけの医院に飛び込んだ。腎臓のトラブルと診断した医師は、急遽大学病院の泌尿器科に回した。検査の結果は尿管に巨大な結石が鎮座していることがこの激痛の原因だった。即入院となり破砕手術を受けることになったが、これがそもそもの発端であった。先ず衝撃波による結石破砕術が行われたが、結石は数千発の衝撃波にもびくともせず、結局は性器の先端からカテーテルを挿入して、内視鏡によって巨岩の破砕手術が行われた。問題はそれからである。オシッコが順調に出ていればそれで良いではないかと思ったが、担当医は術後に尿の流れを検査するために、造影剤を使った放射線検査一年以上も繰り返えしたのである。悪いことに、翌年の平成12年8月、前回の破砕手術で痛めた尿管の部位にポリープが出来て、尿や結石の流れを塞ぎ腎臓に炎症が起きるという症状が現れ、またもや入院手術となった。ポリープを切除する必要もあり最初から内視鏡による手術であったが、これまた術後には造影剤をいれた放射線検査をなんと平成16年までの4年間も続けたのである。平成13年7月、同じ結石でも今度は場所を変えて「総胆管結石」を発症した。ボランティア団体での会議中、胃けいれんかと思わせる激痛が走り会議どころではなくなった。たまたま土曜日の午後だったので病院にも行かず帰宅したが、翌日まで激痛は治まらなかった。月曜日の朝一番にかかりつけの内科医院を訪れたら、その場で大学病院の消化器外科の教授に電話をし、直ちに大学病院に回送され即入院となった。総胆管は肝臓からくる胆管と胆嚢からくる胆管が合流して出来た胆汁の流出路を言うが、ここに来た胆汁は十二指腸に流れ込む仕組みになっている。ところがこの総胆管に結石が詰まると胆汁が逆流して肝臓や胆嚢に流れ込み、逆流した胆汁が肝臓や胆嚢を犯して、生死にかかわる重篤な事態を招来しするという恐ろしい症状なのである。この結石を取り除く手術はERCPという手法がとられた。膵管や胆道に造影剤を注入し、内視鏡カテーテルを挿入して胆管や膵管を造影しながら総胆管結石を排石するというまだ当時では珍しい部類のものであった。 ところがこれは一度の手術では終わらなかった。なぜか痛みもないのに、平成14年6月そして平成14年12月と続けざまに2回も手術を受ける羽目になった。まるでこの新しい施療術ERCPの練習台にでもなってしまったかの様であった。その担当医は転勤し、検査回数こそ年に一度に減ったが、いまだに定期的に胆石と総胆管結石の検査を受けているのである。植木等ではないが、まさに「これじゃ体に良い訳ァないよ」である。文春の記事では「放射線を用いる検診には、近づかないのが一番です」と結んでいるが、担当医からCT検査やPET検査を指示されたとき患者は一体どう断れば良いのか、私にはもう必要ないが、いまだにガンに遭遇していない人のために、そのノウハウも是非とも教えてあげて貰いたいものである。
2010.10.12
コメント(8)
どこにだれと一緒に住むか、お金をどう使うか、あるいはどの様な施設で福祉サービスを受けるか、病気になったらどの病院でどんな治療を受けるか。そうした判断が自分ではできない認知症のお年寄りは従来は家族或いは行政が本人に代わって判断しそれなりに「措置」をしてくれていた。ところが2000年に介護保険が発足し、福祉サービスの利用者は自分で事業者と契約をして、自分の判断で介護サービスを受けることが出来るようにはなったものの、契約者として自分が直接当事者にならなければならなくなった。知的障害者も同じで、2003年に支援費制度が施行され、2006年4月1日には法改正により障害者自立支援法が施行され、措置から完全に契約制度に移行したのである。ところがこれで新たな問題が生じた。法律的には契約が成立するためには、当事者として「意思能力や行為能力があること」が不可欠な要件として立ちふさがったのである。認知症患者や知的障害者とはまさにこの「意思能力や行為能力」が欠落している人なのである。従って契約を交わしたところでそれは契約として法的な要件を満たしたことにはならず無効となる可能性が出てきたのである。それではと本人の代わりに家族が契約したとしても、残念ながら家族というだけでは法律的に代理権がある訳ではなく、たとえ身内であっても法律的には効力が生じないのである。たとえ親であっても子供が20歳を過ぎれば、親権である「身上監護権」も「財産管理権」も喪失する訳だから、単に親だから言って子供の代わりに契約は出来ないのである。それなら本人と家族と代理契約を結べば良いかと言えば、本人が「意思能力・行為能力」が欠落している訳だから、この契約も法的には成立しないことになるのである。そこで登場したのが、法的に本人を代理出来る法定成年後見制度であった。成年後見制度を利用する場合、まず本人の配偶者や4親等以内の親族が家庭裁判所に後見開始審判の申し立てをすることから始まる。本人の判断能力の程度によって「後見・保佐・補助」の3類型があり、その決定によって代理すべき行為の範囲も異なるが、まず診断書を添えて申し立てをすると家事審判官は医師に本人の精神状態について鑑定を依頼することになる。医師の鑑定と平行して、家裁の調査官が本人と申立人に面接し、本人の状況や意向を確認をし、調査や審問や鑑定診断書の内容を家事審判員が総合的に判断して、後見開始の可否と成年後見人等を決定することになる。前置きが長くなってしまったが、本題はここからである。私には施設にお世話になっている知的障害者の姉がいるが、母が死亡してからは私が保護者としての役割を担っていた。ところが前述のように支援費制度が施行されてから施設のサービスを受ける為には契約が必要となり、本人を代理する契約者として法的な立場が必要となった。そこで早速家庭裁判所に医師の診断書を添えて「補助」の審判の申し立てをしたのである。ところが驚くべきことに、家裁からは「保証」を飛び越して、いきなり判断能力の欠落の程度が最も高い昔の禁治産に該当する「後見」で審判を開始する旨の回答があったのである。これになぜ驚いたかと言えば、彼女が知的障害者であることを示す自治体が発行する「療育手帳」では障害の程度が軽度であるとして「B1]と認定されており、厚労省が管轄する障害基礎年金の障害等級は「2級16号」でこれは中軽度者に対する支給額になっていたからである。それが法務省の管轄する法定後見人制度では、姉は判断能力がもっとも欠落している重度の「被後見人」と認定されたのである。ところがその後、障害者自立支援法の施行にともない新たに「障害程度区分」が1~6段階に設定され、その区分によってサービス内容や給付額が決定されることになり、またもや姉は認定調査を受けることになった。その認定の結果は中程度の「4」であった。これは入所資格が認められる最低ラインの認定であった。おまけにこれは3年ごとに認定が繰り返されることになる。管轄の省庁で同じ障害者を「軽度」と判断したり、「中度」と認定したり、「重度」と見なしたりこの整合性のなさはいったい何なのであろうか。せっかく多額の鑑定料を支払って審判して認定して貰った「被後見人」であるから、せめてこれに該当する人は、障害基礎年金は「1級」に該当し、障害程度区分は一々認定調査なしで最低でも「4」以上に認定するとでもすれば、随分とスッキリすると思うが、これは所詮叶わぬ戯言であろうか。
2010.10.06
コメント(10)
「クリントの日記」は悪性リンパ腫(ホジキン病)の抗ガン剤治療が終わった2006年9月、予後記録のつもりで始めたものだから、丁度この日記も予後も5年目に入ったことになる。途中、予後3年半を経過した頃、舌根部に悪性リンパ腫が再発し、昨年末に放射線治療を終えたが、あれからすでに10ヶ月を迎えた。いまだ味覚の戻りはまだ完璧ではないし、今回の血液検査では炎症反応(CRP)がやや高目に出たり、舌根部のCTスキャンの結果もまだ聞いていないので、その後の治癒状況は皆目見当もつかないが、読者のみなさんがこの稚拙なブログにお付き合い下さり、そのうえ励ましのお言葉をたくさん頂いたおかげで、なんとか今日まで病にもめげず、治療効果の一里塚である5年生存率にやがて手が届く所まで来たことに心からお礼申し上げたい。このブログも最初の2回は娘が書き込んでくれたものだからマイナス2しなければならないが、なんとこの4年で270篇もの下手な文章を臆面もなくアップしたことになる。熱しやすく冷めやすい性格だし、長年そのように生きて来ただけに、このブログに限って言えば、途中で入院したり手術をしたりでお休みの期間はあったものの、なんとか今日まで曲がりなりにも継続できたのはまさに奇跡に近い出来事だと思っている。これが続いた最大の理由は、先ず第一に継続的にアクセスをして下さったり、コメントでクイックレスポンス(素早い反応)をして下さった方々の存在があったればこそだと考えている。書いたものを他人に読まれることも、何の反響も反応も得られないまま、黙々と個人的な日記を書くのだったのなら、おそらく三日と持たなかったに違いない。続いてもう一つ理由を挙げるとすれば、日記と銘打ちながらおおむね週一回のペースでアップしたことではないかと思っている。とても今の生活では、毎日書くほどの話題になかなか遭遇しないのである。毎日書くとなれば、そのネタ探しに押しつぶされてしまったに違いないが、「書くネタは一週間に一つ見つかればよい」この逼迫感のない良い加減さが丁度性にあったと言える。とは言え少なくとも一週間に一つはネタを挙げなければならないのだから、世の中の動きや人の動きをボンヤリと眺めるのではなくて、これはネタにならないかと、いつも自分に言い聞かせながら物事や事件を観察する習慣がついたのは、急速に衰えてきた物事に対する関心や興味を奮い立たせる起爆剤になったことだけは間違いない。そしてやっと見つけたネタをもとに、貧弱な自分の考えをどんどん膨らませながら文章にしていくのは、なんとも創造的で哲学風な趣で、まるで青春を取り戻したかの様な錯覚と、ひとかどの文筆家にでもなった様な喜びをすら憶えさせてくれたのである。これは老人の意欲を鼓舞した媚薬の一つだったに違いないと思っている。老境入った頃、よく口ずさんだ詩に、サムエル・ウルマンの「青春の詩」(岡田義夫訳)があった。「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。歳を重ねただけで人は老いはしない。理想を失うとき初めて老いる。」そのころは若い人に負けないくらい青春を謳歌するぞと、これを読みながら意気込んだものである。平成十年に中村天風師の愛弟子佐々木将人さんが書いてくれた為書きの色紙がある。それには「樹老花不老 体に老いあれど心に老いなし」と書いてあり、私を大いに慰めてくれたものである。とは言っても、この歳になっていまだに「青春」に憧憬を抱いている訳ではない。どちらかと云えば、やっぱり老人には「枯淡」の方が似合うような気がしている。しかし「枯淡」とは、「人柄・性質などがあっさりしていて、しつこくないこと。世俗的な名利にとらわれないで、さっぱりしていること。また、そのさま」と辞書にはある。とすれば「枯淡」に向かえば向かうほど、ブログとは縁遠くなる可能性がある。さて1年後、私のベクトルは一体どちらに向いて予後6年目を迎えているのであろうか。
2010.09.29
コメント(12)
郵便不正に絡む偽の障害者団体証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長・村木厚子被告の判決が過日大阪地裁であったが、裁判長は、証明書発行が国会議員の口利きによる「議員案件」だったとする検察側の構図を全面的に否定し、「元係長が、村木被告の指示で証明書を作成した事実は認められない」と述べ、無罪を言い渡した。彼女が逮捕されたとき、障害者に対する善意の施策を悪用するなんて絶対に許せないと、まだ刑が確定している訳でもなかったのに彼女の行為を疑ったり憤ったことに、この歳になってもまだ人を見る目がなかったのかと、内心忸怩たる思いをしている。ところで文藝春秋十月号にフランス文学者鹿島茂氏の「超訳ニーチェより面白いつぶやきパスカル」という記事の中に、彼は幼いときから「悪い人は悪い顔を、良い人は良い顔をしている」というのを信念にしているとあった。私は対人関係の多い営業の世界に長いこと身を置いていたし、転勤の数も半端ではなかっただけに、普通の人よりは沢山の悪い人や良い人との出会いや別れを経験したと思っている。それだけに顔を見ただけで、その人の良し悪しの判断力が長けているかも知れない自負していただけに、鹿島氏のこの言葉には共鳴するものがあった。ところが、一方この頃は自分の眼力がまったく当てにならなくなったと気落ちしている。たとえばこの村木厚子さんの場合、彼女が逮捕されたとき間違いなくこの人の顔は「悪い顔」に見たし、晴れて無罪となった今は、この人の顔がとても綺麗な「良い顔」に見えているのである。逮捕されたとき、「この顔は、悪いことなどする顔ではない」と、彼女の無実を見抜けなかったのは、元来私には人を見る眼なんか、これっぽっちも備わっていなかったことを証明してくれたようなものだった。この事件にかかわっていた主任検事に「前代未聞」の不祥事が起きた。日頃、特捜検事のエースとの評判の高かった大阪地検特捜部の主任検事が、証拠隠滅容疑で逮捕されたのである。最高検が自ら容疑者を逮捕するのは異例のことだそうだが、証拠を積み重ね罪を暴くのが検事の仕事なのに、自分の創作した犯罪ストーリーを正当化するために検事自ずからが証拠を作り出すことに精出していたなどとは、検察に対する信頼を根こそぎ奪ってしまったのみならず、検事を正義の味方から悪の権化の象徴としてして貶めてしまったのである。テレビで初めてこの前田恒彦容疑者の顔を見た。村木厚子さんが逮捕されたときと同じ轍を踏んでいるのかも知れないが、もうすでにメディアの報道にタップリ感化されこの人は悪人であると心の中では仕分けが済んでいる上に、検察自らが身内の検事を逮捕するからには、万が一にも良い人であるわけがないという自己判断も加わり、真っ黒なバイアスのかかった私の目には、もうこれは「悪い顔」にしか映らなかった。少し以前までは、メディアの言うことだけを無条件に信じて、ものごとの判断しないようにと、マスコミが悪人と煽った人たちの言い分も聞こうと彼らの著書を読むように努力したものである。従って本棚には元特捜検事の田中森一氏、元代議士の鈴木宗男氏、元外務官僚の佐藤優氏、元ライブドア社長の堀江貴文氏、元経済学者の植草一秀氏、高橋洋一氏等々の書籍が並ぶ。先入観もなく生まれて初めて生で出会った人なら、もしかしたら自分の眼力で見分けが付くかも知れないが、いくら読書で本人の言い分を聞いても、いったんメディアから悪い人と刷り込まれた人のレッテルを剥がすことは至難の業であり、いまだに疑心暗鬼を引きずっている次第である。むかしのテレビ番組で萩本欽一さんの「欽ドン!良い子・悪い子・普通の子」というのがあり、3人のタレントがそれぞれの子を演じたが、それとは別に「良い妻・悪い妻・普通の妻」で、「よし子」「わる子」「ふつ子」の三役を中原理恵さんがドアを出入りするたびに変身し、その役柄を見事に演じわけ、腹の底から笑わせてくれた私のお気に入りの番組があった。自分を省みても、一人の人間が多重な人格を持つことは間違いないと思う。ただ極端に言えば、日頃、善悪のどちらの人格に比重を置いて生きているかによって、その人の日常の顔つきが定まってくるのではないかと考えている。それにしても、いま政財官の要職にある方々の顔つきがあまりに悪すぎる。一度ドアの向こうに消えて、「口先」だけではなくて、是非とも正義と使命感に燃えた「良い顔」に変貌して出直してきたらどんなものだろう。
2010.09.23
コメント(10)
10月号の文藝春秋が発売されたが、8月号の2つのパズルは残念ながらいずれも当選していなかった。もうボツボツ一回ぐらい当選させて貰えないと、回答に取り組む意欲がだんだん萎えて仕舞いそうである。クイズと言えば、一人では絶対にテレビのクイズ番組は見ないが、かみさんが宇治原史規さんのフアンなので、たまに彼が出ているクイズ番組を見ることがある。宇治原史規さんというのは、ロザンという芸人コンビの一人だそうだが、京都大学法学部卒業のイケメンでいかにも清潔感に溢れるかみさんの好みの青年である。残念ながら本職の漫才は一度も見たことも聞いたこともないのだが、クイズ番組を見る限り、その博覧強記振りは群を抜いて、特に漢字の問題には驚異的な能力を発揮している。正解を連発しても驕り昂ぶる風も、いささかのけれんみのない態度は、芸人と云うより学者といった方が似合っている様に見える。彼の博識に張り合うつもりなど毛頭ないが、彼の持つ漢字検定一級の問題はどの程度のものなのか、若干の関心が湧き検索してみた。たまたま、あるブログ(http://blog.goo.ne.jp/aomushi01)に漢字検定一級の例題の紹介があった。そこには「故事成語・諺の書き取り」の欄で次の様な問題が並んでいた。1.痘痕もエクボ。 2.猛火リョウゲンより甚だし。3.飽かぬ君のゴジョウ。4.カショの国に遊ぶ。 5.フンケイの交わり。 6.シンイ去り難し家を守る狗の如し、慈心失い易し彼の野鹿の如し。7.ケにも晴れにも歌一首。 8.盗人に糧をモタラす。9.ベツ人を食わんとして却って人に食わる。 10. ソクインの心は仁の端なり。とあり、解答欄には1(靨、笑窪)・2(燎原)・3(御諚)・4(華胥)・5(刎頸)6(瞋恚、嗔恚)・7(褻)・8(齎)・9(鼈)・10(惻隠)とあったが、私の浅薄な実力では、こんな難しい漢字を書けるわけもなかった。70有余年の人生の中で漢検一級の問題に出るような難しい言葉に出会う機会も僅少だったし、おまけに少々難解な漢字でも読み方さえ知っていれば、ワープロが的確に変換してくれる。おかげで自分では書けない漢字であってもどんどん使えるし、それなりの文章も綴れるので、余計に書き取りの勉強に対してはずぼらになってしまったようである。今さらこんな難しい漢字検定に挑戦しょうなどという大それた気持ちなど起こる訳もない。考えて見れば、もともと言葉とは意思の疎通の手段であり、難しい言葉を使っても相手に通じなければ何の意味もないし、難しい言葉を使うことによってかえって意思の疎通が疎外されたり、相手を卑下しているように映ることだってあり得るから危険だ。菅さんが財務大臣時代に予算委員会で「乗数効果」の意味が分からず、自民党の林議員から追及されたことがある。「財務大臣がそんなことも知らないのか」と言わんばかりの度重なる彼の追及が、驕りに見えてかえって不評を買ってしまったが、相手が理解しない難しい言葉を使うことは、自分に不利に働く危険性だって孕んでいるのだ。日頃、新聞の記事はおおむね7~8割程度は理解出来ると自負していた。ところが一昨日の政府と日銀の円高対策で円売り・ドル買いの為替介入の記事の中で、なんと見たことも聞いたこともない「非不胎化介入」なる言葉が現れた。早速、私の手持ちの何冊かの国語辞典を引いてみた。ところがまず「不胎」なる字句が見当たらない。もしかしたらこの言葉は外来語の当て字ではないかと思いついて検索してみたら、英語のsterilized interventionから来ていることが分かった。sterilizeとは不妊にすると言う意味だから、不胎とは不妊のことだとやっと類推できた。更に調べてみると、売り払った円を市場から回収するのを不胎化介入と言い、売り払った円をそのまま市場に放置するのが非不胎化介入と言うのだそうである。介入の仕組みは分かったが、いまだこの仕組みとこの「不胎」との関連がさっぱり掴めずに、いまだにモヤモヤしている。おかげさまで昨日も円高にぶれなかったのはご同慶の至りだが、それにしても漢字とはまことに難しいものだと改めて恐れ入っている次第である。
2010.09.17
コメント(8)
自動車保険の更新の案内が損害保険会社から送ってきた。さっそく代理店に電話をして更新を依頼した。前回は免許証更新の直前に、速度違反のネズミ取りにやられ、免許証がブルーになり低い割引率の適用を受ける羽目に陥っていた。しかし、この5年間の涙ぐましい努力の結果、なんとか無事故無違反で過ごしやっとゴールド免許を貰え、おかげで今回は大幅に割引が受けられることになった。不幸にもネズミ取りに引っ掛かったのは、博多南駅近くの新幹線操車場前の40k/hに速度制限されている道路であった。この道路は片側は柵のしてある操車場だし、片側は住宅が並んではいるが人の姿は殆ど見ないし、車も頻繁には走っていない所である。そのネズミ取りの現場は時折見かけてはいたが、なぜこんな所に網を張るのかいつも不思議に思っていた。私はどちらかと云えば用心深い方なので、車には探知機を常備している。その日、私の前にも後ろにも車はないし、出かけた帰り道だったし急ぐ必要は全くなかった。おまけに探知機がレーダーの発信を知らせるメロディを奏で始めたので、それを聞きながらアクセルを踏むなどと云う馬鹿げた行為をする訳がなかった。ところが、警官が飛び出してきて私の車に対して停車を指示したのである。「ここは40k/hの速度制限になっています。あなたは18k/hオーバーの58k/hで走行していましたので、速度違反です」と、計器に表示されている数字を示しながら、なんと不運なことよとばかり勝ち誇った様な顔で宣った。「そんな馬鹿なことはあり得ない!」と一言いってみたものの、この数字が証拠と言われれば、私にはもはや反論の余地はなかった。そのために自動車保険の「優良」割引の対象外にされたのはともかくとして、まったく自覚しない速度違反の切符を切られたことの悔しさを5年間も引きずる羽目になった。私の悔しさなどと比較にもならないが、一連の摘発を「国策捜査」と批判し、1,2審判決後も、旺盛な議員活動を続けてきた鈴木宗男衆院議員の実刑が上告棄却で確定し、収監されることになった。彼の著書「反省」や「汚名」などを読み、もしかしたら彼の主張の方が正しいのではないかと思える節もあっただけに、今回の上告棄却の処分に対する彼の悔しい思いは、計り知れない大きなものだったに違いないと同情を禁じ得なかった。8日の記者会見では、「何が公平公正か、何が真実かを死ぬまで発信したい」と強気の姿勢を崩さず、「私は賄賂をいただいたという認識はない」と語り、「密室の取り調べで、検察に作られた調書が真実かどうかを最高裁には明らかにしてほしかった」と改めて検察、裁判所への批判を展開し、「いかなる環境でも検察権力と闘う」と、まだ強気の宗男節を続けたのは、引かれ者の小唄の様に空しく響いたけれど、5年後に改めてゴールド免許を確保して再起を果たして貰いたい。悔しい思いと言えば、明日10日大阪地裁で判決を言い渡される村木厚子さんも同じに違いない。実体のない障害者団体「凜の会」に、郵便料金割引制度の適用を認める偽証明書を作成したとして、厚生労働省元局長の村木厚子被告ら4人が虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた。この偽証明書は悪用され、家電量販会社などのダイレクトメールが大量に格安発送された事件であったが、善意の制度を悪用するなどとは、絶対に許せる行為ではないと怒り心頭に発したものであった。特にこの女性官僚に対しては容疑者と言えども憎悪すら感じたものである。ところが、だんだん真相がおかしくなってきた。村木被告は、厚労省元係長の上村勉被告に偽証明書の作成を指示したとして、大阪地検特捜部に逮捕、起訴されたが、一貫して無実を主張し続けた。おまけに大阪地検特捜部の捜査に村木被告の関与を認めていた関係者らが、公判で次々に証言を覆し、特捜捜査の批判を展開し始めたのである。検察の主張する事件の構図は根底から崩壊して、村木被告に無罪判決が言い渡される公算が大きくなってきたが、もし明日無罪判決を貰ったにしても、一旦付いた疑惑の官僚の汚名は簡単には消えない。晴れてゴールド免許に戻っても、燻った金色にみられる悔しさをしばらくは引きずらなくてはならないことになるに違いないと、これまた同情を禁じ得ない。ところで後5日で、いよいよ民主党の代表が決まる。ところでこの代表選に参加出来るのは、民主党の衆参両議院議員と全国の民主党員とサポーターと聞いていた。ところが民主党員とサポーターが郵送する投票用紙が、関係のない自民党員にも配布されていたと、ある局が報じていた。民主党ではすでに総理大臣選出については、水面下では直接選挙に移行していたのだ。悔しいことに今回は私には投票用紙は届かなかったが、次回はどの党から総理大臣が選出されるにしても、是非とも私にも直接投票の機会を与えて欲しいものである。
2010.09.09
コメント(10)
期限ギリギリまでアナログテレビで我慢するつもりだったが、新年度からエコポイントの対象商品が制限されるという報道に惑わされて、この3月、居間のテレビを地デジ対応のものに買い換えた。ところが、取り付けに来た業者が今のアンテナでは地デジは視聴出来ないと言う。地上デジタル放送を視聴するためにはUHFアンテナが必要だとは知っていたが、アナログ放送を視聴するためにUHFアンテナを使用していれば、地デジ用のテレビに替えたとき、そのアンテナでデジタル放送を視聴することは可能だと理解していたから、まさか我が家のアンテナでは地デジ放送が映らないなどとは夢にも思っていなかった。清水の舞台から飛び降りるつもりで、大枚をはたいて購入したブルーレイ内蔵のテレビなのに受信出来ないなんて、なんとも情けない仕儀であった。騙されたような気分ではあったが、結局は地デジ用のアンテナを新たに設置して貰うことにした。アンテナの取り付けが終わり、いよいよ地デジ放送の受信開始であった。くっきりと美しい画像が映し出された。生まれて初めて白黒のテレビ放送を見たときのあの胸が震えるような感動は湧いてこなかったが、時代の流れに遅れることもなく、少なくとも1台とは云え我が家でテレビが引き続き見られるという責任は果たしたという満足感に浸りながら自分の部屋に戻った。私のパソコンはテレビ内蔵型ではあるが、地デジ対応にはなっていない。それでも来年7月まではアナログ放送が見られると信じていた。部屋に戻りパソコンに電源を入れ、テレビをつけてみた。ところがなんとテレビの映像が出てこないではないか。地デジ用のアンテナに取り替えたせいで、今まで映っていたアナログ放送が受信出来なくなったのだ。急ぎ他の部屋に置いてあるアナログ用のテレビも確認してみたところ、これまた映らない。結局、我が家で見られるテレビは、なんと居間の1台だけになってしまったのである。かくて和室のテレビには地デジ用のチューナーを取り付け、私の書斎兼寝室には新規に地デジ対応テレビとDVDレコーダを購入した。パソコンのテレビにもチューナーを取り付けようとメーカーに問い合わせたら、故障の原因になるからそんなことはしないで、地デジ対応のテレビ内蔵のパソコンに買い換えてくれとのことであった。とてもこの大出費のあと、そんな余裕があるわけがない。お陰で我が家の地デジ化騒動は、私の今までの「ながら族」的生活態度と訣別させ、テレビはテレビ、パソコンはパソコン、読書は読書とメリハリのきいた生活態度に変容させてしまった。まさにアナログからデジタルへ移行してしまったのである。地デジがどんなメカニズムなのか知る由もないし知りたいとも思わないが、デジタルとは辞書では「物質・システムなどの状態を、離散的な数字・文字などの信号によって表現する方式」とあり、アナログとは「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現する方式」とある。私はアナログ的な表示が好きなようである。時計は腕時計も柱時計も置き時計も、デジタル時計は一個もない。先日代車で借りた車のスピードメータがデジタルだったが、針の動かないメーターではスピード感覚がまったく掴めずイライラしたものだった。血圧計も水銀柱が上がったり下がったりするのを使う医師に出会うとそれだけでその先生を信頼してしまうほど嬉しい。今どきデジタルより、アナログが好きなんて言うとアナクロニズム(時代錯誤)と言われかねないけれども、地デジ化騒動のお陰でデジタル的生活を余儀なくされ、アナログ的な生活態度に余計に郷愁を感じ始めている。アナログが好きなんて年寄りの言い草などと言うなかれ、加齢から来る認知症こそ過去と繋がらないもっともデジタル的な出来事と言えるではないか。アナログ的な思考が出来ることは、まだまだ若いということの何よりの証明ではないかとさえ思えてならない。
2010.09.03
コメント(12)
最近、ヒッポーファミリークラブにはまっている娘が、各国から訪れるホームステイを築年不明の古民家に受け入れて、日本でもめったにお目にかかれなくなった古き佳き文化生活を体験して貰っているようである。ついには病膏肓に入ったというか先日この娘が、「hippoのことを韓国語で韓国人に伝える」と題して、あるスピーチ大会に出場した。韓国語の習熟度については、韓国に一人でホームステイに出かけた経験のある小学5年生の孫娘よりレベルは低いらしいが、それでも臆面もなくこんな大会に出るという勇気?は、私ども両親の遺伝子の中には皆目存在しないものであり、突然変異としか考えられない。ところで大会後に孫娘に、「お母さんの出来はどうだったの」と電話できいてみたら、「発音はまあまあだったけど内容は今一つだった」と厳しい評価であった。韓国と云えば、一昔前イ・ヨンエ演じる「チャングムの誓い」という韓国ドラマがあったが、万障を繰り合わせて毎週欠かさずに見たものである。これはドラマを楽しむと言うより、年甲斐もなく彼女の顔をでれ~っと見ながら過ごす時間を密かに楽しんでいたというのが当たっている。その後韓流ドラマとはしばらくご縁がなくなっていたが、最近また三本のテレビドラマにはまっている。先ずはスパイもの「IRISアイリス」、それに歴史ドラマの「朱蒙-チュモン」と「イ・サン」である。これらのドラマに惹かれる共通項は「チャングムの誓い」のときと同じで、どうも主演女優たちの類い希なる美しさによるものの様である。韓国ドラマに全然関心のないかみさんとは一緒に視聴することはないので、鼻の下を思いっきり伸ばしながら逢瀬を楽しんでいるが、それにしても韓国にはどうしてこんなに綺麗な女優たちが綺羅星のように次から次と現れるのか、まさかどこかに密かに美人製造器でも隠しているのではないかと勘ぐりたくなるほど不思議な気がする。ところでこのブログで以前紹介したことがあるが、私の前世をインターネットで無料で検索したら「朝鮮王朝時代の料理人」と出たことがあった。朝鮮の歴史を詳しく学んだ訳ではないので私が居たのがどの時代かはまったく分からないが、朝鮮王朝時代のドラマとなると、なんとなく懐かしさ感じるから、これまた不思議である。「チュモン」と「イ・サン」は王様の物語なので、私と云えどもいつも美人にだけうつつを抜かして見ている訳でなく、たまにはそのリーダーシップのあり方に関心を抱きながら見ることもある。「チュモン」は高句麗初代王とされる朱蒙を主人公として製作された韓国の歴史ファンタジードラマであるが、そこに描かれているリーダーシップはまことに惚れ惚れするような見事なリーダーシップなのである。むかし学んだ古典的リーダーシップ行動論の一つに、ブレイクとムートンが提唱した「マネジリアル・グリッド論」というのがある。これはリーダーシップの行動スタイルを「人への関心」と「業績への関心」という2つの側面から捉えた代表的な行動理論である。1・1型: 業績にも人間にも無関心であり、与えられた業務しか行わない放任型リーダー1・9型: 業績を犠牲にしても人間への関心が高い人情型リーダー9・1型: 人間を犠牲にしても業績最大化への関心が高い権力型リーダー9・9型: 業績にも人間にも最大の関心を示す理想型リーダー5・5型: 業績にも人間にもバランス良く関心を示す妥協型リーダーそしてチュモンは、この中のもっとも理想な9・9型を彷彿とさせるのである。折しも、民主党代表選がすでに菅直人氏と小沢一郎氏との間で始まった。私は政治評論家でも政治学者でもないし、まして政治には門外漢だから政治家を論じるなんてことはとても出来ないけれども、もし政治家の行動スタイルを2つの側面から捉えるとしたらと、素人ながら考えてみた。その結果「政策への関心」と「政局への関心」とに荒っぽく2つに分けてみた。あえて「政策」と「政局」の定義づけはここではしないが、少なくとも「政局」には「選挙・派閥・権力闘争・利権」なども含めていると思っていただきたい。1・1型: 政策にも政局にも無関心であり、ただ多数決のためだけに存在する政治家1・9型: 政策には無関心で政局には異常に関心が高く選挙や権力闘争が生き甲斐の政治家9・1型: 政局には目もくれず、政策の実現に命をかける清廉潔白な憂国の志士型の政治家9・9型: 政策にも政局にも最大の関心を示し、それを実践出来るオールマイティな政治家5・5型: 政策にも政局にも大勢の成り行きで動く附和雷同型政治家さて民主党の次の代表、すなわち総理大臣はいったいどんな型を持った人が選ばれるのだろうか。しかし誰が選ばれたとしても、もはや民主党の挙党態勢の構築などはあり得ず、分裂の危機は避けられそうもない。となれば今後の事態を早期に収束させるためには、今度の総理大臣は1・9型で政局好きの小沢一郎氏がいちばん適任なのかも知れない。しかし私は、チュモンほどの人材でなくても、日本のためにせめて 9・1型の政治家がはやく現れて欲しいものだと熱望している。
2010.08.28
コメント(12)
毎日新聞の三面に火曜日は「火論」、水曜日は「水説」、木曜日は「木語」、金曜日は「金言」と銘打った専門編集委員の各氏が執筆するコラムがある。8月18日の「水説」では潮田道夫さんが「代替医療と民主党」というテーマで「ホメオバシー」と云う難しい言葉を紹介していたが、今日はそれが話題ではない。このコラムの一節に『数年前、水について「ありがとう」などと美しい言葉をかけると美しく結晶し、汚い言葉だと汚い結晶になってしまうという説がはやったことがあった。その証拠と称する写真集も出た。それだけなら「やれやれ」で済むが、道徳教育の教材につかわれ出した。「人間も水でできているから美しい言葉を話すようにしよう」と教えるようだ。こういう授業がダメなのは自明だが「どこが悪いの?」という先生が少なくないそうだからコワイ』との記述があった。ここで言う写真集は江本勝さんの著作「水からの伝言」のことだと思うが、この本は10年ほど前、娘から紹介されて購読しその美しい結晶写真に感動したものである。それからというもの、会合などでは参加者にこの本を積極的に紹介したし、知人にプレゼントしたりしたものである。そして私自身はいまでも、「愛・感謝」と書いたものを飲料用のペットボトルに貼付している。ところが、この毎日新聞のコラムを読むまでまったく知らなかったが、この本に掲載されている結晶写真は科学的ではない、ましてやこれを道徳教育に教材として使用するなどとは言語道断とばかり、各界の有識者から侃々諤々の非難を浴びていたらしい。物理学者の田崎晴明さんも名指しで「水からの伝言を信じないで下さい」と真っ向から、この本の科学性を否定しているようである。私はこの本を科学書とは理解してなかったし、あくまでスピリチュアルな本だと捉えていたので、このコラムに書かれている批判を読んでいて、それほど科学性にムキにならなければならない程のことかと、いささか引っ掛かってしまった。折角美しい言葉を使いましょうという啓蒙の一助と云うか方便というか、そのためにこの写真集を使うことの「どこが悪いの?」と私も言いたくなってしまったのである。一昔前、ある著名な方(記憶では船井幸雄さんだと思っている)の講演会で、ランダムに聴衆の中から選んだ5人を壇上に上がって貰い、その中の1人を4人が人差し指で持ち上げる実験をしたことがある。具体的に言うと、イスに座った1人を4人で囲み、それぞれが両手を合わせて人差し指だけを出し、イスに座ってる人の脇とひざ裏に、その指を差し込んで「せーのっ!」で持ち上げる。ところが持ち上がらない。今度は持ち上げられる人の頭上で「上がる!、上がる!」と言いながら手を交互に重ね、気持ちを合わせた後に、脇・ひざ裏に再びその指を差し込んで、もう一度「せーのっ!」とやる。なんと今度は軽々と持ち上がった。そこで次の実験に移った。講師が両手で大きく○を作ったら「大好き」と心に念じ、×を作ったら「馬鹿野郎」と心に念じる様にと聴衆に呼びかけたのである。壇上にいる5人には、講師が聴衆に対して○を出したか×を出したかは知られない様に5人には前を向かせ、その背後から○×の信号は出された。先ず、講師は○を聴衆に示した。そこで先程の持ち上げる動作の開始を号令した。見事に軽々と持ち上がった。次に講師は×を示し、持ち上げ動作の開始の号令をかけた。ところが今度は急に重たい錘が付いたかのように、持ち上がるどころか微動だにしないのである。聴衆が美しい言葉を心に念じると体が上がり、汚い言葉を心に念じると上がらない。美しい言葉にしろ、汚い言葉にしろ、言葉には力、霊力があることを見事に証明して見せたのである。しかしこれもきっと科学者からは、オカルトか催眠術の一種だとして簡単に葬り去られるに違いないが、サムシンググレイトの存在を信じる私にとっては、まさに言霊の存在を信じさせるに足る十分な実験であった。科学的と言えば、ひところ小学生に対する性教育が熱心に行われたことがあった。なんと、実物大の男女の人形で模擬実演をして見せたり、局部まで微に入り細に穿った図形を用いて教えるというものであった。その結果、わが郷里の県が小学生の妊娠率で全国制覇をしたと、当時PTAの役員をしていた娘から聞いたことがある。「こうのとりが運んでくる」くらいのファンタスティック知識でも十分間に合う年頃の子供達に、これほど科学的?な知識を与えねばならない必然性があるのか、尚かつこういう授業の「どこが悪いの?」かと疑問すら抱かない教師のほうが、私にはもっとコワイ存在に思えてならない。
2010.08.22
コメント(8)
全国で「100歳以上」の高齢者が相次いで所在不明になっている問題で、不明者の数は14日現在、20都道府県(52市区町)で計242人に上っていると読売新聞が報じていた。もし仮に、これが後期高齢者75歳以上の人が調査対象となれば、いったいどの程度の所在不明者が出てくるのであろうか。世界に冠たる長寿国家の栄誉が脆くも崩れ始めている。総務省などによると、自治体による住民の安否確認は「届け出」がもとになっている。従って届出が必要な事態になれば、当然迅速かつ的確に届け出をするだろうという「性善説」に基づいて自治体は戸籍や住民基本台帳を管理し、給付金などの行政サービスを提供している。そのためもし「死亡届」が役所に提出されなければ、戸籍や台帳上では生きていることになり、行政サービスは永遠に提供され続けることになる。 年金等の不正受給の悪意があれば別として、そんなこととはまったく関係なく、身内である血縁者や縁戚者ですら当人の所在や生死が分からないと言う信じられない事態が発生しているようである。これはまさに由々しき一大事と言うべきである。日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民基本台帳カードなど各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関しては、縦割り行政で二重三重に経費がかかっている上に、長生きすると本人が生きているのか死んでいるのか、はたまたどこに住んでいるのかすらも、行政的には把握できない可能性があることを暴露してしまった。現段階では私が私であることは、法的にも身内からもまだその存在は認知されているようであるが、未来永劫に私のアイデンティティが担保される保証などなく、明日は誰からも顧みられない路傍の石になる可能性だってあるかも知れないと、今回の一連の騒動は私に警鐘を打ち鳴らしくれている。これを解決するには、もはや、国民全部一人一人に番号を付与し、個人情報を管理しやすくする制度いわゆる「国民総背番号制度」を本格的に取り入れる以外には方法はないのではないかとだんだん思えてきた。個人情報を固守し自分の存在すら誰にも知られず孤独に死にさらばえるか、生きている限り私の存在を証明する唯一の番号を持ち、人間として私の尊厳を最後まで尊重して貰えるか、いずれかを選択しなければならないとすれば、いまは躊躇なく後者を選びたいと思う。過去にこの制度に対して数多くの是非が問われたが、集約的にいえばこの制度のメリットは「利便性の向上」や「犯罪の抑止」であり、デメリットは「情報漏洩による犯罪発生の危険性」や「管理されることの嫌悪感」等であった。しかしよくよく考えてみると、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民基本台帳のカード番号、銀行のキャッシュカード番号、クレジットカードの番号等々、官公庁そして民間を問わず、すでに私は番号によって管理されていると言っても過言ではない。だだいままで、それぞれが厚生労働省・法務省・財務省・国土交通省、総務省等々で、でんでバラバラに管理され、一元化されていなかっただけなのだ。とすれば、この際一元化を進めて貰った方が、利便性がより促進されたり、経費の節減に直結したり、犯罪が発生しやすい管理体質を除去したり出来るのではないだろうか。ましてやこのたった一つしかない個人番号を通じ、私の属人情報はより広く深く掌握され、色々な事態に、迅速かつ的確に対応されることになる。このメリットは、個人情報の漏洩危険のデメリットより遙かに得るものが大きい様に思えてならない。この制度に猛反対し続けてきた桜井よしこさんからは、死守すべき個人情報が少ない老い先短い愚人の戯言だと言われかねないが、整合性に欠けた複雑怪奇ないまの行政のあり方を、整理整頓し是正する有効にしてかつ唯一の手段ではないだろうかと思えてならない。国民的な検討課題の一つに是非とも挙げて貰いたいものである。
2010.08.16
コメント(12)
暑い毎日である。昨年は7月末に内外痔核の切除手術を受け、8月のお盆過ぎまで入院、暑い盛りに昼夜に亘って冷房完備の快適な環境に浸っていたので、今年の夏は余計に暑苦しさを感じるのかも知れない。原因はいろいろあるようだが、地球全体に異常気象が訪れていることだけは間違いないようである。8日未明には、中国甘粛省の南部のチベット族自治州で突然大規模な土石流が街を襲い、新華社電によると127人が死亡、88人がケガをし、1294人が行方不明になっていると報道されていたが、日本でもいよいよこれから台風の季節に入り、風水害の恐怖に、しばらくはおののかねばならない。折しも、地震保険付きの火災保険に加入している全労済から「自然災害共済に大型タイプができました」と大型タイプへの中途変更を勧める案内が届いた。勧奨チラシには「現在のご契約内容」と「見直し後の契約内容」が印字されていた。火災4,430万→4,430万、風水害2,515万→ 2,515万、地震886万→ 886万と見直し後の保険金はまったく現在と同額であるにもかかわらず、残余期間分の追加掛金として4,430円としてあり、年間にすれば掛金は11,075円のアップとなるように表示されていた。保険金額が同額で掛金だけが上がるのなら「掛金増額のお願い」とすべきであり、なにをもって大型タイプというのか判断に苦しんだ。なんど読み返してみても理解でない。あえて新しいことと言えば、カーポートや車庫等の「附属建物等の特別共済金」が支払い対象になると云うくらいのものであった。これではどうしても納得できない。やむなく通話料無料の0120-にコールした。ところがなんど電話してもお話中で通じない。電話をかける根気をなくした二三日後に「詫び状」が届いた。「見直し後の契約内容の風水害と地震の保障欄に誤りがありました。ご契約者様には多大なご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。今後は、内容を十分に精査し、ご契約者様にご迷惑をおかけすることがないよう、再発防止に努めてまいります」と云う訳である。こんどは、風水害2,515万→ 3,401万、地震886万→1,329万とちゃんと増額した金額が印字してあった。私の読解力や判断力の不足のせいではなかったのである。ヤレヤレである。この謝罪文には「遺憾に思います」という文言が入らず、真摯に謝罪の文言が入っていたのでなぜかホッとしたが、新聞紙上の謝罪文や謝罪会見などで「遺憾」という言葉が出てくるたびに、当事者は本気で謝りたいのか、それともその出来事の感想を述べているのか、その真意が読み取れずイライラしてしまったものである。とくに政財官で不祥事が発覚したとき、「遺憾」という言葉がやたらに出てくるが、特に眉に唾を付けて聴いておかなければ、謝罪か感想かを識別できないまま誤魔化されてしまう。「申し訳ありません。もう二度と致しません」と言えば済むところを、「遺憾」「遺憾」と云う言葉を使うものだから、遺憾というのは「ごめんなさい」を意味する丁寧な表現なのだと、すっかり誤解してしてしまっていたことがある。でもなんとなく違和感があったので、辞書を引いてみたら「遺憾」には謝罪の意味は一切見当たらず、「心残りであること・残念であること・気の毒であること」と云う気持ちを表す言葉とあった。となれば、「遺憾に思う」と 第三者が言うのならいざ知らず、不祥事を起こした本人や当事者が他人事のように「遺憾だ」と発言するのは、まったくお門違いというものだ。本来は 「申し訳ありませんでした」 と言うべきところを「遺憾に思います」と、さも反省しているかのように見せかけ、「自分は悪くない。悪いのはみんなあの人のせいだ」と己を正当化し、暗に責任を他に転嫁するために仕組まれた、これはまことに便利な言葉なのだ。一昔前、評論家の大宅壮一氏が生み出した流行語に「一億総白痴化」という言葉があったが、この頃、自分の言動にまったく責任を取らない人種が増えたような気がしてならない。もしかしたら日本は「一億総遺憾化」あるいは「一億総無責任化」に向かっている突進しているのではないかとすら感じる。これこそ、まことに遺憾の極みの事態と言える。「こんなことではいかんぜよ!」
2010.08.09
コメント(10)
5男5女の兄弟姉妹も、いまや2男5女になってしまったが、大正14年生まれのゴッドシスターもこの夏の終戦記念日に85歳となる。この人はまさに波瀾万丈というか、死線を越える経験をいくつも重ねてきた強者である。戦争末期、神戸薬専(現神戸薬科大学)の学生だったとき、神戸の大空襲に遭遇、命からがら逃げ延びたのが、まず手始めであった。おまけに、この学校の修了が戦争中のことだったので卒業証書の授与は後回しになり、戦後改めて授与されることになり、はるばる上神した。ところが目出度く卒業証書を手にして九州への帰路、搭乗した客船が大阪湾内で浮遊機雷に接触しあえなく沈没してしまった。九州の我が家の隣家に疎開していた双子の同級生2人と、ボディガード役として同行していた男性一人がこの遭難で行方不明となり、姉が一人だけが救助され九州に戻ってきた。次は私が学生時代、夏休みで帰省していた郷里の九州から東京に戻る途中、神戸に途中下車した。たまたま姉はお腹の具合が悪いから診て貰うと言って私を留守番にして病院に出かけた。ところが病院から電話があり、輸卵管が癒着していて腹膜炎を起こしていて、すでに重篤な状態にあり、即手術が必要とのことであった。ご夫君の義兄は海外航海中だったし、やむなく手術の承諾は私がして、その日に手術を受けることになった。お陰で退院するまで神戸に留まることになったが、その間常連のお客もあり薬局を閉めるわけにもいかず、心許ない店番と幼い姪甥2人を餓死させないための賄いと、なんとも心細い日々を過した。しかしこれもまさに間一髪、奇跡的なタイミングであった。そして今度はご存知の阪神淡路大震災の罹災である。神戸市灘区に薬局兼自宅があるが、これが全壊の認定をうける大被害に遭ったにもかかわらず、またもや奇跡的に命は助かった。その後、気丈な彼女は自らが罹災者であるにもかかわらず、薬剤師として地域の被災者に対するボランティア活動を一生懸命に務めた。しかしやはりこの震災は、心身共に余程堪えていたものらしく遂に吐血をし、胃ガンと診断され3分の2を切り取ることになった。しかし予後は快調で、あれからはや15年の年月が経った。さすがに抵抗力が少し弱ったのかヘルペスに罹病したが、お口は依然として衰えはまったく感じさせず、以前よりさらに元気溌剌を保っている。この姉が先般、孫子5人のお供を引き連れて、いや引き連れられてお国入りしてきた。私の家にはまるで犬の散歩みたいに、僅かばかりの匂いだけを残して去ったが、孫にレンタカーを運転させ、自分の生まれ育った場所から始まって、甥姪が幼い頃に大家族の中で暮らした実家の跡地やその周辺の数々の思い出の場所を余すところなく走破し、一泊二日の強行スケジュールをこなして帰神した。その彼女から先日お盆のお供えと一緒に、震災の後に地域の方々への講演会に出席したが、そのときの原稿が出てきたのでと送ってくれた。少し長くなるが、折角なので抜粋して書き残すことにした。「昭和33年神戸に出てきまして、主婦と子育てをしながら薬局を開きましたが思っていたような仕事が出来ませんでした。先ず知らない土地、それも辺鄙な場所、その上知らない人達の中で30歳初めの若い薬剤師、良い条件ではありませんでしたが何とか続けてきました。年月を重ねるうちに家も人も増え、年齢も充分あり余る程になり、子育ても主婦も卒業していました。そして今度の災害で、ボランティア活動をしましたとき、「心のお薬」を少しですけどお渡しできるようになっていることに気がつきました。歳を重ねると云うことは大事なことで良いことです。私は孫に「偉そうに・・・」と言われると、「口惜しかったら同じ歳になってみいー」と威張るのです。別に威張ることことではありませんが、年月が解決することは沢山あります。先日、週刊朝日の編集後記に、編集長さんのお父さんが50歳のときガンと知らされずに入院しましたが、お母さんが泣いてばかりいるものだから、お父さんは自分がガンだと云うことが分かってしまいました。ところがお父さんはガンなんかに負けてたまるかと勝手に退院し、85歳まで元気だったと書いてありました。もう一つ、これはお客さんから聞いたお話なのですが、お友達が胃潰瘍で手術しなければならなくなったそうです。入院したらお酒が飲めなくなるからと、「消毒も兼ねて浴びるほど飲んだる!」と言って、ほんとに浴びるほど飲んで入院したそうです。ところが手術前の検査をしたところ、なんとその時はすでに手術をしなくて良いような状態になっていたんだそうです。この方達は大変強い運と生命力、それに「心の薬」でも強い特効薬を持っていらっしゃったんだと思います。でも私達はそんなに強くありません。しかし「心の常備薬」ぐらいなら持つことが出来ると思います。私の母は、大変良く効く「心の常備薬」を持っていました。85歳になっても九州から神戸まで遊びに来ていましたが、大変なおしゃれで、朝起きますと先ず化粧して、それも時間をかけてゆっくり化粧し髪をきちんと解き、背中は丸くなっていましたが、着物をきて散歩をし、近所の人に「おばあちゃん、綺麗ね」と言われると大変嬉しそうでした。毎晩寝る前、なにかブツブツ言っていますので、「何て言っているの?」と聞きますと、笑いながら「私は18歳で皺などありません。若くて別嬪さんです。背中もまっすぐでぴょんぴょん跳ねることもできますよ!と言って眠るんだよ」と教えてくれました。お昼には腰が痛いとか、足が痛いとか言っていたのが、嘘のようにいい顔して眠っていました。これが母の「心の常備薬」でした。晩年、母は弟の家で暮らしていましたが、それなりの元気さで、少々物忘れはするようになりましたが、88歳まで寝込まずに頑張りました。88歳になった夏の夜、家の月下美人の花が見事に咲くのを珍しげに眺めた次の朝、トイレのあとに「未だ眠たいので寝るよ」と言って横になりました。どうも母の様子がおかしいからと九州から電話連絡がありました。取るものも取りあえず神戸から駆けつけましたが、なんとか間に合うことが出来ました。そして幸いなことに天国に旅立つ瞬間の母を見ることが出来ました。母の顔が刻々と美しくなり、ピンク色に染まり、18歳の乙女のような顔になっていきました。ほんとにびっくりしました。母は父と駆け落ち結婚をしたのですが、なんと10人もの子供に恵まれました。丁度母が60歳のとき、父は先立ってしまいました。私達は母に言ったものです。「お父さんはやさしいから天国でももててるよ。お母さんがあっちに行った時、もしお父さんに彼女がいたらどうする?」すると母は真剣な顔をして、「そーだね。お父さんはようもてたからね」と心配していました。それで思いっきり若造りして父の許に行ったのだと思います。母は「心の常備薬」で精一杯生き、おかげさまで美しく天国へ旅立つたのです。さて私の「心の常備薬」は時々変わりますが、現在は「♪ケセラ セラ。なるようになる♪」であります。 ご静聴、有り難うございました」
2010.08.03
コメント(12)
かみさんが腰痛で漢方的治療を受けている医師から、心臓に問題があるかも知れないのでいちど循環器科で24時間心電図の検査を受けるようにとすすめられていた。紹介状を書いて貰ったわけでもなかったので、インターネットで近隣の循環器科を検索し、午後からある循環器科のクリニックを訪れた。24時間心電図を付けるまでもなく、普通の心電図と胸部X線で狭心症と心臓肥大という診断を受け、それなりの治療を受けることになったが、今日の話題はそれではない。その医院の待合室で出会った老婦人のことである。午後の診療は2時から開始だったが、駐車場も多くないようだったので1時30分には到着して待合室でかみさんと一緒に診療開始を待っていた。それから5分もしないころ、そのご婦人は現れた。「あらまぁ、一番かと思ったらもうおいでていたのね」と残念そうに言いながら私の隣の椅子に座った。「私は妻の付き添いですから、二番目ですよ」と私も笑顔で応じたが、それから彼女の口からは次々と堰を切ったように話題が飛び出した。最初の話題は、このクリニックまでタクシーで来たが、その運転手がよく勉強をしていたと誉めあげた。日本銀行高松支店に女性支店長が初めて誕生したこと、それのみならずJALグループには女性機長が誕生したこと、新幹線の女性運転士はJR東海と西日本には約50人いるが、JR東日本で初の女性新幹線運転士が今月から東北新幹線で単独の乗務を始めたことなどを教えてくれたと言うのである。そして最近の各界での女性の活躍を得々として語り始めたのである。そのあまりの弁舌の爽やかさと凛とした表情に圧倒されながら、恐れながらとお歳をお伺いしてみた。なんと御歳は80歳であった。私も年齢を聞かれたので74歳と答えると「お若いわねぇ」とまるで子供を見るような眼差しを投げかけてくれた。彼女は最後に、女性には愛嬌が必要だが、男性には何が必要だと思うかと聞かれた。しばらく答えが出てこなくて呻吟していたら「清潔感よ」と宣った。もっとも縁遠いものを必要だと言われても、いまさら困るなと思っていたら、慰めのつもりでか「着ているもののことではないわよ」と追い打ちをかけられ、苦笑してしまった。かみさんは初診だったので、さきに問診やレントゲン・心電図の検査に回ったので、結局彼女が一番先に診察室に呼ばれて「あなたの奥様はお静かな方ね」と言いながら消えていった。これだけ滔々と一方的にまくし立てられ、聞き役に回ったのは久しぶりだったが、不思議なことになんとも爽やかな後味が残った。味と言えば、舌根部への悪性リンパ腫の再発で患部に放射線治療をしたが、その副作用で味覚がまだ完全に戻っていない。中国の故事によれば、子供が生まれて母乳を与える前に行う儀式で「五香の儀」と云うのがあったそうである。1最初に酢を舐めさせる。2次に塩。3番目は苦い薬。4番目は棘のある葛。5そして最後に砂糖。この世に生を受けた赤ちゃんに、人生は「酸っぱく・辛く・にがく・痛い」目に遭わなければ「甘い」ものには辿り着けないことを教えるのが趣旨だったそうである。私は、もう充分「甘い」ものに辿り着いてもよい段階に入っていると思うのだが、いまだ辿り着けさせて貰えないところを見れば、もっとこの世で「酸っぱく・辛く・にがく・痛い」目に遭いなさいとでも言いたいのだろうか。それにしても、「清潔感」なんて不相応なものはどうでも良いから、甘い甘い饅頭に一日も早く出会いたいものである。
2010.07.30
コメント(10)
金賢姫さんが日本政府の招聘で20日早朝来日した。今から1週間ほど前、中井拉致問題担当相は会見で「金さんは観光旅行で来るのではない。横田さんご夫妻に面会していただくこと。そして、国民に強い憤りを感じてもらうためだ」と招聘の目的は拉致被害者の情報提供と世論の喚起だと強調していたが、新しい情報はほとんど得られなかった様だ。大韓航空機爆破事件が起こったのは今から23年も昔の1987年だし、その実行犯として捕らえられ、死刑の宣告を受け、恩赦を受けてからも彼女は韓国から一歩も外には出ていない筈だから、拉致被害者の新情報と云っても最近のものが得られる訳もなく、それくらいは政府も最初からとっくに認識した上での招聘だったに違いない。拉致に関する新しい情報や今までの北朝鮮の説明を覆すような情報を望んでいた拉致被害者家族の思いは、結局は満たされなかった。それでも「必ず生きている」と言う彼女の力強い励ましの言葉に、拉致被害者の家族がこの問題の進展に希望をつないだことだけは間違いないと思われる。しかし、今回の招聘がこれほど物議を醸すとは意外であった。まず、自民党の谷垣禎一総裁は会見で「VIP待遇で前首相の別荘に泊めるなど、パフォーマンスとしか言いようがない。国際的にも、日本はテロをどう考えているのか理解を得られないのではないか。極めて疑問が多い」と批判したが、拉致問題を先送りしてきた政権より、例えパフォーマンスであったとしても、その解決に関心が高いことを内外に示すことは賢明な策と思える。たしかに英インディペンデント紙は「ジェット機爆破事件の北朝鮮元工作員が日本で歓迎される」と題し、もっともありえないスパイ物語として報道したが、これによって日本がテロを容認する国だと言っている訳ではないし、谷垣さんはこの発言によって、政治家というより如何にも器の小さな評論家的な人であるかを、かえって露呈してしまったような気がする。またある警察幹部は、偽造旅券使用で偽造公文書行使の疑いがある金元死刑囚に対して、「タラップを降りた途端に逮捕されてもおかしくない人物がVI`P用ゲートから入国する。政治とはいえ納得がいかない」とこぼしたそうである。日韓両国政府の合意のもと、超法規の入国となった重要人物を政治的配慮のもとでVIP扱いすることは国として当然ではないだろうか。それとも彼女を罪人あるいは容疑者として即逮捕することの方が、日韓両国の国益に叶ったとでも言いたいのであろうか。また意外なことに支援団体からも、来日や政府の姿勢に対する批判や疑問の声も挙がったようである。支援団体幹部は「警察の事情聴取や特定失踪者の家族との面会が行われなかった。なんのための訪日か疑問だ」とブログに書き込んだそうである。時間の制約のある中で、なにもかにもを期待することは所詮無理である。限られた時間の中で、当然最優先すべきことが選択された筈である。小泉政権以降、一歩も進展を見せていないこの拉致問題が、少なくとも拉致と認定されている人々の家族が金賢姫さんとの面会を果たせ、生の情報を直接聞く機会を得たことは、この問題が解決に向かって僅かばかりでも動き始めたという感触を、拉致被害者や国民に与えただけでも大きな成果だったと評価すべきではなかろうか。もう一つよく分からなかったのが、マスコミの彼女に対する呼称の問題である。別に統一する必要はないと思うが、NHKは「金賢姫元死刑囚 」と云う呼称で終始したし、新聞各紙はどちらかと云えば「金賢姫元工作員」と云う呼称が多かった様に思う。「元衆議院議員」とか「元会社員」と云うように、もともと職業に付けられるものだと理解していた。だから「元工作員」はともかくとして、「元死刑囚」には違和感があった。おまけにここ数日「元死刑囚」と何度も何度も繰りかえし聞かされると、NHKはこの人の罪を絶対に許さないと云う意思は良く理解できたが、罪人を国賓扱いで招聘した国をも誹謗しているかの様に感じてしまった。確かに 死者115人もの犠牲者を出した大韓航空機爆破事件に対する彼女の罪は重い。仮に死刑が執行されていても、犠牲者の家族の心の痛みは永久に消えることはないに違いない。恩赦になったとは云え、彼女から「元死刑囚」の呼称は未来永劫に外されることはないかもしれない。しかし、数年前、田口さんのご子息に初対面のとき「抱いてもいいですか」と言ってハグした彼女の表情はまるで慈母観音のようであった。彼女の口から「私が生かされているのは、爆破事件や拉致事件の証言をするため」という涙ながらの言葉を聞くにつけ、彼女にこのような犯罪を犯させた冷酷な宿命が哀れでならない。今回の来日には、色々な圧力や誹謗中傷があったに違いないが、それでも敢えて招聘に応じてくれて、この問題を一歩前進させてくれたことに日本国民の一人として心から感謝したい。
2010.07.24
コメント(8)
NHK総合テレビに「こころの遺伝子」と云う番組がある。これは功なり名を遂げた各界の人が、自分を現在の自分に導いてくれた人のことを語るトーク番組だが、先日たまたま楽天イーグル前監督の野村克也氏が出演していた。彼を見るたびに、彼がパリーグの南海で活躍していた頃に「長島茂雄は向日葵の花、どうせ私は日本海に夜咲く月見草」と言った、自虐的な表現を必ず思い出す。しかしその後、長島さんの様にいつもスポットライトを浴びる華やかさこそなかったが、攻守に抜群の技を見せる名捕手に成長し、さらに南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督も歴任し、その才能を大いに発揮し、プレイヤーとしても監督としても日陰の花どころか、月見花を日向の花にして見せたのである。巨人フアンの私には、プレイヤーとして彼の勇姿を見る機会はあまり無かったし、監督になってからも、どうも陰気くさいその雰囲気を敬遠していた節があるしかし長島氏の発言と違って、彼の数々の発言や理論は、その着眼点、方向性、戦略、人の使い方などなどは、ビジネスの世界に身を置いていた私にとっても、共鳴するものが多々あり、もしかしたら野球以外の世界でも充分に通用したのではないだろうかと思わせるものがあったことも確かであった。 一方、長島茂雄氏は野球の世界に於いては、選手時代も監督時代もそして引退をした今も、その存在そのものが不滅の華やかさを示している。「野球とは、人生そのものだ」と言っている訳だから、彼から野球を取ったら彼の人生が消滅してしまうから、とても取ることなんて出来ないが、もし彼を野球を離れた一個の人間として見たら、一体どの様な評価がなされるのであろうか。それにしても、彼の名言と言うか珍言と言うべきか分からないが、とてつもなく面白く楽しいことだけは確かである。中でも私のお気に入りが一つある。その出自を確かめた訳ではないので、これが嘘か真か定かではないが、如何にも長島さんらしい微笑ましいエピソードである。"I live in Tokyo."の過去形はなんでしょう?という問題の答えに、"I live in Edo." と書いたというのである。この天衣無縫な発想力はとても並のものではないと感心させられる。「我が巨人軍は永久に不滅です」(※不滅は永久になくならないと云う意味)「失敗は成功のマザー」「いわゆるひとつの」「サバという漢字はフィシュ偏にブルーと書くのかな?」「今日、初めての還暦を迎えまして・・・」(※二度目の還暦は120歳?) 長島さんの瞬発的な名言・珍言は数え切れないが、野村さんの含蓄のあるどっしりとした発言と較べると軽く感じてしまうが、まさに両者の感性の違いを示していて面白い。重い野村さんの言葉の一つに「人生の最大の敵、それは鈍感である」と云うのがある。 鈍感とは、辞書によれば「感じ方のにぶいこと。気のきかないこと」であるが、少し前に、KY(空気が読めない)という言葉が流行ったことがある。これはまさに鈍感を意味するものだと理解しているが、最近はこれがひどくなってきている様に感じていただけに、人生の最大の敵などと改めて言われると、心中穏やかでない。そこでKY度チェック(心理テスト)をインターネットで試みてみた。結果は【KY度は62%】。もうとっくに空気が読めない人間になっていたのだ。ところが、渡辺淳一氏がその著書『鈍感力』の中で、従来は相手の心を重んじる繊細な心が社会的に要求され、逆に相手の心を考えないで行動するような鈍感な心は社会から排除されると思われていた。しかし小さなことにあくせくしないで、ゆったりと生きている方が集団の中で最後に勝ち残ることが出来ると、「鈍感さ」を推奨してしているのである。渡辺淳一さんは、どうも長島流で行けとでも言っているかのように聞こえる。しかし鈍感とか敏感とかは対人関係の問題で、どんなに気働きをもって人に接しても、私自身が貧困な感性しか持たない魅力のない人間だったら、結局人は離れて行ってしまうに違いない。従ってもっとも肝要なことは、自分がどんな感性を持っているかということだと思っている。そこで、同年配の彼らにあやかって迷言を一つ。「私にとって感性とは、見聞した些細な事柄を、出来る限り膨らませ、あたかも意味のある出来事であるかのように、大げさに表現する能力である」残念ながらこれに到達するには、まだまだ前途はほど遠い感じである。
2010.07.18
コメント(10)
文藝春秋の8月号が発売になった。例によって、まず最初に「考えるパズル」のページを開いた。二つのパズルとも答えは正解だったが、残念ながらpart1(漢字シークワーズ)にもpart2(数独)にも当選者の中に、私の名前は見当たらなかった。しばらくは8月号のパズル解きに集中し、なんとか正解と思える回答に到達したので、やおら巻頭の随筆欄に目を移した。巻頭を飾るのは、ご常連の阿川弘之氏であるが、今回の題は「老残の身」とあった。「凡ゆる事がめんどうくさい。会合に出たくない。人と言葉を交わしたくない。けふは訪客一人も無く電話も一切掛かってこなかったといふ日は、私にとって老年の心暖まる僅かな良き日なのである」云々から始まるこのエッセイの一言一言に、何故か共鳴してしまった。このエッセイの最後は「巻頭の随筆欄なぞ、世間と没交渉な自分の如き老人の、もはや出る幕ではあるまい。一度編集のスタッフたちとよく話し合ってみなくてはならぬ」と結んでいたが、もしかしたら、私自身もとっくに出る幕を無くしているにもかかわらず、恥ずかしげもなく、ブログを通じて老醜を曝しているのではないだろうかとドキッとしてしまった。このエッセイの中に、孫に関する記述があった。三男夫婦が昨年11月に生まれたお孫さんを連れてやって来た時の話しである。「孫の成育ぶりをぢぢばばに見せて、みんなですき焼きの晩飯でも食って行くつもりだろう。拒否する意向は無いけれど、大歓迎というわけでもない。私には、世間一般の祖父が孫に対して示す情合とちがふ冷淡な部分があるらしい」とあった。私はどちらかと言えば、世間一般の祖父と同じ情合の方を持ち合わせていると自覚していた。ところが先週末、当地の工業大学のオープンキャンパスを見学のため今年高校に入学した孫と、7月2日に6歳の誕生日をむかえた孫を連れて娘が里帰りをしてきた。この時とばかり、誕生日のお祝いにとケーキを買い、DVD付きのウルトラマンの雑誌をプレゼントし、パソコンのゲームに本人が飽きた言うまで付き合い、まさに世間一般の祖父愛を、余すところなく彼に注ぎこんだのである。そしていよいよ、サヨナラの時が来た。「おじいちゃんが好きだろ。このままこの家に残ったら?」と未練げに彼に告げた。彼から返ってきた答えは「東京のおじいちゃんが好きだもん」であった。東京のおじいちゃんと張り合うつもりは毛頭ないが、この残酷な言い草はグサッときた。帰る道中の車の中で、娘とお兄ちゃんからこの発言についてとっちめられたのか、翌日「おじちゃん、ごめんなさい」と、べそをかきながら本人から電話があった。ところが、この電話は良くなかった。かえって私の気は滅入ってしまったのである。しかも、その後に阿川氏のこのエッセイを読んだものだから、その老残の思いがストレートに伝わってきて、私も「凡ゆる事がめんどうくさい」と感じるようになり、ブログの原稿どころか、完全に鬱のモードに入ってしまったのである。折しも参議院議員選挙の結果が出た。文藝春秋の巻頭随筆のトリを、いつものように塩野七生氏が務めているが、今回は「民主党の圧勝を望む」と題してその願望を述べておられた。残念ながら民主党惨敗でその願いは叶わなかった。これでまた、しばらくは日本の政治も混迷を極めるに違いないが、それを選択したのは我々国民である。「凡ゆる事がめんどうくさい」などと、落ち込んでばかりもいられないと言う気持ちが、この結果を見て徐々に芽生え始めてきた。幸い、同誌の特別記事の「的中した予言50」のなかに、わがクリント・イーストウッドの言葉を見つけた。「私はペシミズムを信じない。思うようにならないときは、鍛え直して前に進め。降ると思えば、雨は本当に降るものだ」その通りだ。日本も私も悲観論にばかり浸っていないで、この選挙結果こそが楽観論にシフトできる、まさにそのときが来たのだと信じたい。
2010.07.12
コメント(10)
たまたま「戒名は、自分で決める」(島田裕巳著)と云う本を読み、すっかりその気になってしまった私は、まずはお寺さんが正式に付けてくれた身内の戒名を参考にすべく、まず父親の戒名をと思ったら、その戒名の記録が何処にもないのである。いま我が家の仏壇には、正面には「○○家先祖代々之霊位」と印された位牌と、その横にお袋のお位牌が並んでいる。30年を超した個別の位牌はお焚き上げをして貰って、ご先祖様のお位牌にお移り頂くしきたりにしているが、今年40回忌になる父親独自の位牌はすでにお焚き上げを済ませ、お先祖様のお位牌に入って頂いているので、親父の個別の位牌はもはやこの世に存在しないのである。しかし私のことだから、戒名ぐらいは何かに記録しているに違いないと、まずはパソコンを開いてみたが、二度に亘る突然のパソコンのトラブルでこのデータは残っていなかった。それではと、フロッピィかCDにバックアップしているかも知れないと、次々開いてみたが、結局どれにも見当たらず徒労に終わってしまった。それでも諦めきれず、次は古い手帳をめくってみることにした。幸い18年前の1992年(平成4年)以降の手帳が本棚に収めてあったので、それを一つ一つ開らき始めた。結論から言えば戒名のカの字も、どの手帳からも見つからなかった。ところが、その折々に記入したメモが意外と面白く、そのうち親父の戒名探しはどこかにすっ飛んでしまって、記載されたメモを読むことに関心が移ってしまった。ちなみに、1992年の手帳のメモの中からいくつかを抜粋すると"If you don't sell, it's not the product that's wrong , it's you." Estee Lauder(売れないのは商品が間違っているのではなくて、あなたが間違っているのだ。エスティ・ローダ=化粧品会社役員)この時、この言い草は役員の驕りだとでも感じたのか、どうもこの文言が気に入らなかったらしい。今なら○が付くかも知れないが、文の頭に大きく×がしてある。"If Marilyn is in love with my husband, it proves she has good taste, for I'm in love with him too" Simone Signoret (もしマリリンが私の夫と恋に落ちてると言うのなら、それは彼女が良い趣味をもっているということだわ。なぜなら私も彼に恋しているから。シモーヌ・シニョレ:女優、夫=イブ・モンタン)彼女は、イブ・モンタンとマリリン・モンローとの噂で自殺未遂を図るなど、何回か破局の危機はあったようだが、ガンによって息を引取るまで彼とは別れなかったように記憶する。モンタンは「枯れ葉」どころか、本当に男冥利に尽きる奴だったと言える。"A woman who doesn't wear lipstick feels undressed in public. Unless she works on a farm."MAXFACTOR(口紅を付けないと女性は大衆の面前で裸でいるように感じるものである。農場で働いている以外は。マックスファクター)実は、この文言を見たあとも、口紅を付けていない女性を見ても、それが裸同然だなんて連想したこともなかったが、口紅を付けていない女性を見ると、何故か気になって仕方がなかったことだけは確かである。それにしてもUnless she works on a farm. は偏見だと、ひどく腹を立てたみたいで、この部分に赤いアンダーラインが二重に引いてあった。息子に小言を言う材料にとでも思ったのか、「親父の小言」を37項目もメモしてあった。1.朝、機嫌良くしろ2.人には腹を立てるな3.恩は遠くから返せ4.人には馬鹿にされていろ5.年忌法事をしろ 云々。これを読んでいて、息子どころか私自身に対する小言としても、まだまだ充分通用する部分が多かった。いまだに成長していない自分に深く反省させられたものである。さて、本題からすっかり離れてしまったが、戒名の話しに戻したい。郷里のお墓は浄土真宗のお寺にあるが、浄土真宗では戒名とは言わず法名と言い、本来は受戒したあとに、生前に与えられる名前だそうである。おまけにこの宗派では院号は付けないとある。ところが母は「願心院釋尼妙恵」だし、兄も「唯信院釋寂英位」とあり、浄土真宗にもかかわらずちゃんと院号を付けて貰っているのである。そこで、私も遠慮なく院号を付けることにした。かくてこの本の戒名作成チャートに準拠して行き着いた名は、「仁心院釋朗満」。慈しみの心もロマンも感じさせる良い名前だと自画自賛はしているものの、果たしてこの名で閻魔様のお許しが頂けるものだろうか。こればかりは全然自信がない。
2010.07.05
コメント(10)
いよいよ参議院議員選挙が公示され、選挙戦に突入した。早速、知人からある比例代表候補者のポスターの掲示を依頼された。とは言え、この人物と直接の接点も面識があるわけでもなく、どんな経歴の持ち主で、何を政治信条にしているのかなど全然知る由もなく、急ぎリーフレットに目を通してみたが、結局私の意に添う人材かどうかの判断は出来なかった。そこで思い出したのが、毎日ボートマッチ「えらぼーと」(http://mainichi.jp/)である。これは毎日新聞が、全候補者に対してすでに実施したアンケートと同じ質問項目に、私が答えることで、私の考えがどの政党・候補者に近いかを教えてくれると云う優れものなのである。早速インプットしトライしてみた。その結果、このポスターの人物とのマッチ度は約60%であった。主要な項目では概ねマッチしていたし、60%はぎりぎり妥協できる線だったので、取りあえず、このポスターは我が家で一番目立つ門扉に張り出すことにした。先の衆院選挙でもこの「えらぼーと」を活用させて貰ったが、党公認の候補者ならマニュフェストによって拘束されることがあるとは云え、同じ政党でありながら、人によってその政治信条やその考え方が違うことを教えてくれたのは、この「えらぼーと」だった。考えてみれば、政権再編でその個人が他党に移籍することが頻繁にあり得る昨今の情勢を考えると、私の尺度にもっとも近い人物を選んでおいたほうが、選挙用のマニフェストを選択基準にして選んでおくより、まだましだと思われる。自分の考えに一番近い候補者に投票したお陰で、私にとって政治が身近な問題になったし、その政治家への日頃の言動に関心が高まったことことも確かである。みなさんもお遊びのつもりで、是非とも一度これにトライされたら如何かと思う。ちなみに、アンケートの質問事項は下記の様になっている。問1: 憲法9条の改正に賛成ですか、反対ですか。 問2: 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきだと考えますか。 問3: 日本の核武装について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問4: 日米安全保障条約について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問5: 北朝鮮を巡り、拉致問題、ミサイル発射、核実験に加え、韓国海軍の哨戒艦沈没事件が起きています。これまで政府がとってきた対北朝鮮政策について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問6: 鳩山前政権は、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を、同県名護市辺野古付近に移設することを決めました。普天間飛行場の移設先について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問7: 経済・財政運営について、「行政の無駄削減」を前提とした上で、あなたの考えに近い方を選んでください。 問8: 消費税について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問9: 地球温暖化対策として温室効果ガス排出などに課税する「環境税」に賛成ですか、反対ですか。 問10: 基礎年金は現在、国民の支払う保険料を財源にあてる保険料方式がとられていますが、全額を税で賄う方式にすべきだとの意見もあります。あなたはどちらがふさわしいと思いますか。 問11: 現在、月1万3000円の子ども手当を増額することについて、あなたの考えに近いものを一つ選んで下さい。 問12: 高速道路無料化に賛成ですか、反対ですか。 問13: 選択的夫婦別姓に賛成ですか、反対ですか。 問14: 政党への企業・団体献金を全面的に禁止すべきだと思いますか。 問16: 行政の無駄削減に際し、インターネットで公開して民間の「仕分け人」も参加する現在の「事業仕分け」についてどう思いますか。 問17: 参院選の結果次第で連立政権の枠組みが変わる可能性があります。現在、野党の立場を取る政党が、参院選後に民主党と連立を組むことは問題だと思いますか。 問18: 日本の政党政治のあり方について、あなたの考えに近い方を選んでください。 問19: 永住外国人への地方選挙権付与に賛成ですか、反対ですか。 問20: 犯罪の容疑者に対する取り調べの全過程を録音・録画(可視化)することに賛成ですか、反対ですか。 問21: 国から地方自治体に財源・権限を移譲する地方分権について、あなたの考えに近い方を選んでください。 選挙区のほうは、すでにある候補者を政党がらみで決めていた。ところが、意外にもその人とのボートマッチ度は僅か30%台だった。これではこの人に投票するわけにはいかない。そこで「えらぼーと」でマッチ度の高い人を物色し直してみた。その結果、従来の支持政党とは異なることになったが、なんと72%もの高いマッチ度を示す人に巡り会った。今回は思い切ってこの人に鞍替えして投票することにした。この人が当選すれば、また政治とこの人物から目が離せないことになりそうである。
2010.06.29
コメント(10)
息子の仕事の関係で、日頃家族3人で一緒に食事をする機会はほとんど無いが、たまたま先月末、息子が夜外出の予定がなく在宅していたので、かみさんと三人で急遽外食しようと云うことになり、居酒屋「わたみん家」に出かけた。大義名分は、息子の誕生祝いと父の日の前倒しということにしたが、特に酒の肴が美味しいとも感じなかったし、ゆっくり会話を楽しむ雰囲気でもなく、久しぶりの親子水入らずの割にはなんとなく欲求不満が残る酒盛りだった。ところが先日の父の日、たまたま息子の休日と重なった。それではと、正式に誕生祝いと父の日のお祝いのやり直しをしようと云うことになり、行きつけのお寿司屋さんで祝杯をあげることになった。しかも今度は嬉しいことに息子がスポンサーになると言うのである。文句のあろう筈はなかった。まずは敬意を表して、現在の彼の仕事ぶりをじっくりと拝聴しながら、活きの良いお刺身を肴に盃を傾けた。日頃はよく口を挟むかみさんも、このときばかりは静かに彼の話に耳を傾けていた。例えばこんな話しが展開する。「従業員にお客さんの接遇を指導する時、ああしろこうしろではなく、まずはやって見せたことを、なんで私がそんな言動を取ったかを考えさせることにしている。そうしておけば、従業員もいちいち指示待ちをしないで、自分の頭で考え行動が出来るようになる。これをしておかないと、彼らも成長しないし、自分もいつまでもその現場から離れられないことになる」と云う訳である。彼の成長ぶりを、言葉の端々に感じながら、久しぶりに飲む大吟醸の減るピッチはだんだん速くなった。酔いもだいぶ廻ったのか、話しもあっちに飛び、こっちに飛びと、だんだんとりとめもなくなってきた。その話題の中の一つに血液型の話しが出てきた。彼の血液型はO型であるが、彼の部下には不思議とB型が多く、しかも意思の疎通が大変うまく行っていると云うのである。「B型はO型に弱いからね」とB型の私はすかさず言った。甘いというか、弱いというか、これだけは絶対に許さんぞ!と思っていたことも、翌朝、この息子から屈託のない笑顔で「お早う!」と言われると、あの怒りは何処に行ったのかと不思議に思えるくらい消えてなくなるのである。これは、たんなる親馬鹿と云うより、血液型のなせるワザとでも思わなければ、我ながら説明がつかないのである。ところで、むかし読んだ本の中に、血液型のソシオメトリーというのがあった。ソシオメトリーとは心理学用語で、集団内の対人関係における選択・排斥・無関心というような心理的関係や集団構造に関する理論であるが、血液型によるソシオメトリーを記述した本を読んだ記憶がある。(書名著者とも不明)その中にO型→B型(O型はB型に強い)とあった記述だけが頭に残っている。そしてそれを実証するかのように、数多くの上司に仕えた一言居士の私が、なぜかO型の上司には損得抜きで、滅私奉公したし、その上司が何を考え何をしたいかは、常に把握しそれを言われる前に実践したものである。そして「嗚呼、私のような部下が欲しい」と心底思ったものである。ソシオメトリーとは人間関係の力関係であり、相性のことではなかったが、息子が「お父さんとお母さんの血液型の相性はどうなの?」と聞いてきた。「A型のお母さんとB型のお父さんの血液型の相性占いは最悪みたいだよ」と私。「お父さんはお母さんからいつも言いたいように言われているもんね」と息子。そこで私の、とどめの一撃。「宇宙広しと云えども、私はお母さんが言いたいことを言えるたった一人の人だからね」
2010.06.23
コメント(9)
来年は母親の23回忌になるのではないかと、兄から問い合わせがあった。有り難いことに、母の命日は平成元年8月20日だから、回忌の計算は平成の年号と同じなので計算を間違うことはないのだが、法要自体のことをすっかり忘れていた。 ちなみに、去る平成17年に郷里で母親の17回忌の法要を執り行い、翌18年6月には父親の37回忌と兄の17回忌の法要を兼ねて、関東、関西、そして九州在住の身内を再び郷里に集まって貰い法要を営んだのが、私がお世話をした最後であった。そのときの案内状を抜粋すると、「昨年は母の17回忌と弟の1周忌を兼ねて、ささやかに私たち兄弟姉妹とその子達、孫達にお集まり頂き、照蓮寺で回忌法要を執り行いました。その折、折角のご縁なのに、私たちの子供達そてそのお子達が、その顔も名前も知らないままに、私たち兄弟が逝ってしまうのは、大変残念かつ申し訳ないことだと言うことで、兄からのたっての依頼で、今度は全員(兄弟姉妹+甥姪+その家族)にご案内して、私がお世話を申し上げる最後のイベントにすることにいたしました。大義名分は父・兄・弟の回忌法要ですが、本意は昨年配布いたしました家系図を元に、それぞれのお名前とお顔の確認と、今後のお付き合いのきっかけ造りにあります。たくさんんの皆様のご参加を心からお待ち申し上げます」その家系図は両親を初代とする4代に亘るものであるが、そこに記載された人数は、両親=2・私の兄弟姉妹=10・その配偶者=8・姪甥とその配偶者=29・そしてそのお子達=29名で合計すると76名であった。このうち物故者は6名だから、生存総勢は70名という大集団であった。しかし親戚とは言え、関東、関西、九州、沖縄と離れて住んでおり、日ごろの交流はほとんど無く、このままでは次代の人たちは、お互い面識もないままに他人同然になってしまうことが危惧された。その心配を払拭するのが狙いだったが、結局は兄弟姉妹+αしか集められず、その意図は残念ながら報われなかった。しかし子供や孫達が、自分たちの存在の背景を知るきっかけぐらいにはなったと思うし、もしかしたら、この遺伝子に興味を抱く末裔が将来一人ぐらいは出てきて、家系図の作成を継承してくれることにでもなれば、こんな嬉しいことはないと淡い期待を抱いている。実は、この法要を準備していた平成18年の6月に首筋にグリグリする腫れを感じていた。でもこの時はこれが癌の前兆などとは思いもよらなかったので、法要参加者にこんな腫れ物が出来ているのだと実物を触らせながら宣伝したのが、なんと癌予告になってしまった。法要を終え、7月に入りこのグリグリの原因究明に内科、耳鼻咽喉科、口腔外科、外科、そして血液内科と巡り巡って、やっとこれが悪性リンパ腫だということを突き止め、8月から抗ガン剤による治療が始まった。12月まで抗ガン剤を投与し、なんとか寛解状態に持ち込んだが、昨年末に舌根部に腫瘍が再発し、今度は放射線治療のみを施したが、副作用で味覚障害に苛まされながら、いまだに経過観察中と云うわけで、この癌騒動は法要以後ず~っと尾を引いているのである。ところで、このときの法要の案内状に、一体なにを思って「私がお世話を申し上げる最後のイベント」などとと大仰なことを書いたのだろうか。この文言のお陰で、それ以降はまるであの法要が私に企画できる「最後のイベント」だったかのように、次から次へと問題が発生し、これでもかこれでもかと、二度と私が主催するイベントなど企画出来ないように、目白押しで何かが起こったのである。これこそ言葉に宿ると信じられている神秘的な霊力、いわゆる言霊のなせるワザなのであろうか。日頃、「物事は言った通りになる確率が高いから、出来るだけ肯定的な言動を取るように」と人には言っておきながら、これは我ながら本当に迂闊であった。「自分の回りで何かことが起こった時、それはご先祖様が何かのご要望をあなたに知らせているのだ」と、賢人たちからよく聞かされたものである。そう言えば、この半年の間ホジキンが再発したり、副作用で味覚を失ったり、耳ろう孔から黴菌が入り切開手術をしたり、猫に足を噛まれ細菌症になったり、目の毛細血管が破れ出血したり、停車中の愛車が追突され後部が大きく損傷したり、次から次とひっきりなしに何かが起こっている。まさにこれが賢人たちの言うご先祖さまからのお知らせというものかも知れない。今回の電話で兄は母の23回忌の法要を私に企画してくれと言ったわけではないが、この電話はきっと、「来年は、みんなを集めて私の23回忌の法要してね」と、何度知らせても悟らない私にしびれを切らした母が、兄の口を通じて最後の通牒を寄越したのだ。「願心院釋尼妙恵様、間違いなくこのメッセージ受け取りました」
2010.06.18
コメント(14)
先週の土曜日、下の孫二人が空手の試合に出場するため泊まりがけで我が家にやって来た。いつもは箱入り娘のミーコ(猫)は、家全体が自分の縄張りとばかり、我が物顔で悠々自適で過ごしているが、孫達がくると急に遠慮して避難場所を求めて彷徨い始めるのが常で、この日もその所在がときどき不明になっていた。夜、隣の部屋で布団に入った孫達は、寝ころんでテレビを見始めた。これ幸いとばかり、私は自室でパソコンに向かって集中し始めた。ところが孫が隣の部屋から大きな声で「おじいちゃん、テレビの音が出なくなったよ~」と叫ぶ声が聞こえた。孫達が来ている時は、出来るだけミーコの存在が孫達の目に止まるようにと、廊下の照明はつけたままにしているのだが、たまたま小学五年生の姫孫が節約しなければとでも思ったのか、気を利かせて廊下の灯りを消していた。私は急いで自分の部屋から暗闇の廊下に出た。ところが左足をドアから出した途端に「ギャーォ」と言うという悲鳴が上がった。ふだん居るはずもない場所に鎮座しているところを、いきなり踏んづけてしまったのである。思いも掛けない襲撃に驚いた彼女は、相手が私だと確認もせず思いっきり足の甲に噛みついてきた。今度はこちらが悲鳴を上げる番だった。そのあとすぐに、噛み傷を確認。痛みはあったが血が噴き出している様子もなかったので、取りあえずは消毒用エタノールで3カ所に出来た傷口を簡単に消毒しバンドエイドを貼り付け、これで良しと高を括ってその夜は眠りについた。ところが翌日早朝から、ズキンズキンとする痛みで目が覚めた。なんとか笑顔で孫達が試合に出かけるのを見送ったが、だんだん痛みが増してきた。おまけに赤く腫れあがってきた。間違いなく黴菌が回り始めたのだ。熱を測ったら、日ごろは35度台しかない熱が、なんと37.4度まで上がっている。間違いなくこれは細菌感染症の症状だと判断した。しかしながら生憎の日曜日である。まさか猫に噛まれましたと救急医療センターに駆け込むのははばかれたし、とにかく明日まで辛抱して待つことに決めた。ところがなんと洗顔時に鏡を覗いたら、左目が充血して真っ赤になっているではないか。左足に左目、これはもしかしたら重篤な事態が起こっているのではと、だんだん不安が募ってきた。さてどうしたものかと思案に暮れていたら、2月に「耳瘻孔」が感染して化膿した時に貰った抗生剤がまだ残っていたことを思い出した。この症状に効くか効かないかはまったく予測も出来なかったが、少なくとも抗生剤には違いないのだからと、思い切って、朝昼晩と飲んで見ることにした。それでも一晩中腫れや痛みは減らなかったが、熱だけは36度台にまで下がってきた。やっと月曜日の朝が来た。まずイの一番に眼科を訪れた。毛細血管が破れた結果の充血で、悪い病気のせいではないというのが医師の診断だった。それでも2週間ぐらいは充血は取れない可能性があるとのことであった。猫の一件は医師には告げなかったが、噛まれた瞬間にきっと驚愕のあまり一気に血圧が上昇した結果に違いないと自己診断を下した。まずはこれで一件目は落着した。次に整形外科に回った。「猫に噛まれた」旨を受付に告げると、診察の順番を飛ばして、急患扱いで直ちに診察してくれた。診断の結果はまさしく細菌感染症だった。医師は処置をしながら、「もし手当が遅れると軟骨にまで菌が浸透してしまうが、軟骨には血液が回らないので自分の血液による殺菌効果が期待できず細菌が野放図に繁殖し、骨がボロボロの重篤な事態になることが多い」と不安を煽ってくれた。この日は傷の処置と強力な抗生剤を処方してくれたが、なんとかギリギリ間に合った雰囲気ではあった。おかげで今週は、付け替えのために毎日通院する羽目になったが、幸い順調に回復に向かっているようである。この猫踏んじゃった騒動のおかげで、折角の政権騒動の詳細を見損なってしまった。私と違って、菅新総理は小沢と亀井という2匹の「虎の尾」を踏んだようである。さりとて、この2匹の虎はもはや「張り子の虎」の観が否めないので、それ程おそれることもないのかも知れないが、、なんと言っても、したたかで老獪な虎たちである。いつなんどき牙を剥き出しにして噛みついて来るかも知れない。折角出来た菅づくりの屋台骨、噛まれてボロボロにならないように、呉々もご用心、ご用心。
2010.06.12
コメント(10)
以前、「文藝春秋」は定期的に購読していた唯一の月刊誌だった。ご存知のように「文藝春秋」の巻頭には10編程度の随筆が並ぶが、折角買ったものだからと、いつも真面目に最初の1ページから読み始めたものだった。ところが、この巻頭随筆から読み始めることがだんだん苦痛になり、ついに文春アレルギーを起こしてしまったのである。そこに取り上げられているテーマが好みに合わなかったのか、文章が難解だったのか、馴染みの執筆者が居なかったのか、深く考えたこともなかったが、とにかく発売されても巻頭随筆を読むことを想像するだけで、この雑誌の購読意欲がスーッと消えてなくなる様になり、数年間まったく買わなくなっていた。ところが今年に入ってから、また毎月号の購読を始めたのである。たぶん、新聞広告で見た何かの記事のキャッチコビーに惹かされて、衝動的に買ったに違いないが、改めて継続して購読するようになったきっかけは、「漢字シークワーズ(seek words)」と「数独」という二つのクイズに応募し始めたことによるものだと思っている。なにしろ、それぞれの問題に対する回答者数が5,000人前後であるから、正解であるかどおうかはともかくとして、当てにもならないのに今回は間違いなく当選者に入る筈だと、妙な自信を抱いて締め切り前にキッチリと回答を投函しているのである。残念ながら、まだ一度もこれの当選の栄誉には与っていないが、不思議なことが起きてきた。なんとあれほど嫌いだった巻頭随筆を読むことが苦でなくなり、むしろ楽しんでいるのである。その理由は直ぐに分かった。「題」と「執筆者(職業)」と「出だし」を一瞥して、興味を抱かなかったときは、もったいないなどと思わずに、惜しげもなくその記事はパスすることにしているのである。つまり、直感的な好き嫌いで、読む記事を選択し始めたのである。せっかく忙しいのに足を止めて、お金まで払って、目をとめた記事が、「だから何なんだ?」では、これに費やした時間の方が余程もったいないと、遅ればせながらやっと気がついたのである。特に、このごろ読む楽しみの随筆の一つに、作家の塩野七生さんが書く「日本人へ」というシリーズがある。この人の書く随筆は、その切り口の鋭さや、歯に衣着せぬ物言いが、持って回った言い方しかできない私に、どうだとばかりに斬新な爽やかさをもたらしてくれているのである。おかげでこの随筆を纏めた文春新書「日本人へ リーダー篇」を衝動買いし、さらにこの方のエッセイがすっかり気に入ってしまったのである。ところが、ある評論家のブログに「塩野七生というイタリア史が専攻の物書きがいる。ローマ時代の歴史や人物論を中心に多くの書物を刊行している。一部には熱狂的なフアンもいるらしいが僕は嫌いである。だからその著書は二、三の雑文以外はほとんど読んでいない。その大雑把すぎる英雄史観を僕の生理が受け付けないのである。おまけにこの人はテレビに良く出てきて、日本人を見下したような偉そうな語り口で大言壮語する癖がある」などと彼女を忌み嫌って書いていた。人の好みは千差万別、蓼食う虫も好き好きである。だから、私の好みを嫌いという人がいても腹も立たないし、むしろそれの方が自然であると思っている。集団力学的には、シンパは2割、アンチが2割、大勢に左右されるノンポリが6割と言われるが、この割合は経験的にまことに妥当な線だと実感している。ただ、2:6:2の割合は一時的にはシンパがアンチになったり、アンチがシンパになったりと、中身は流動的に1:6:3になったり、3:6:1になったりはするが、時間の経過とともにだんだん元に戻って安定してくる習性をもつようである。少なくとも今日の私は、「文藝春秋」と「塩野七生」と忽然と目の前に現れ民主党の代表戦に敗れた「樽床伸二」のシンパであることだけは間違いないようである。
2010.06.06
コメント(16)
昭和35年4月入社の同期生(42名)で結成した「三五会」50周年記念の会合を5月に熱海でやりたいと云う案内を貰っていたが、悪性リンパ腫の舌根部への再発で放射線治療を終えたばかりだったし、副作用で味覚を失っていて、まだ経過観察中だったので、残念ながら出席できそうもない旨を連絡していた。一昨日、愛称「オトーチャン」こと松浦君から便りが届いた。それには全国から現存メンバー26名中14名が5月20日熱海のホテルに集合し、久しぶりに旧交を温め楽しいひとときを過ごした旨が縷々綴ってあった。いくつか同封してあった資料の中に、大学を卒業したばかりの純真無垢の初々しい顔を並べ、直立不動でチーズの笑顔もない表情で写った記念撮影のコピーが一枚入っていた。ところがなんと、お偉い方々が居並ぶ最前列の椅子席に、「オトーチャン」こと松浦君が堂々と肩を並べて親父然として座っているではないか、50年目にして初めて知った、「オトーチャン」愛称のルーツであった。もう一つ驚いた資料があった。「三五会の50年」と銘打った年譜である。たとえば、こんな記載があった。「S38.6.25. 結婚祝金制度発足 既婚11名」まだ薄給にもかかわらず、入社して3年ですでに11名も結婚していたのである。祝い金がいくらに設定されたか記憶にはないが、その数年後に結婚した私はこの祝い金を受領した記憶がなかった。ところが、この年譜には「S55.11.13.弔意・見舞金制度発足、結婚祝金の不受14名、会費1万円相殺で解決」とあった。となれば私も会費相殺ながら、ちゃんと1万円のお祝いを頂いていたのである。その他、入社以来の「三五会」としての会合の場所と参加人員、退社して住所録から消えて行った人たちのフルネーム、そして同期関係者の冠婚葬祭等を克明に記録してあった。微笑ましいことに、イケメンを誇っていたK君がS48年4月に同期中で一番最後に結婚し年貢を納めたことや、ボツボツ初孫の報せがあちこちから聞かれ始めたS59年4月にS君が同期中で最後の打ち止めの子宝に恵まれたことまでが記載してあった。もう一つ、胸のつかえがおりたことがあった。平成7年6月、ぼつぼつリタイヤの該当者が出始めることになり、現役時代の最後の締めくくりということで、35周年記念の会合が奥湯河原で開催された。当時、この会の在籍者はすでに30名にまで減っていたが、ほぼ全員の29名が全国から参集し、私は福岡から駆けつけた。これを最後として、今生の別れになる人もいるかもしれないという思いもあって、夜を徹してお互いに話し込んだが、料理も酒もどんな温泉だったかも旅館の名前すらも記憶に全然残っていなかった。ただ、この時の会費が当時としては破額の出費だったことだけは記憶にあり、高級旅館に泊まったことだけはかみさんには吹聴していたが、旅館名を憶えていなかったので、その高級さの信憑性を疑われていたのである。この年譜には開催場所は、湯河原の「山翆楼」と記載されていた。早速検索し、かみさんに見せびらかしたのは云うまでもない。ところでこの年譜は、このブログにも何度か登場して貰った「栗ちゃん」こと栗原君が半世紀に亘って書き綴ったものであった。この会の存続が、彼の存在なしには絶対にあり得なかったとは、かねてから充分に理解し感謝していたが、これほど克明にしかも長期に亘っての情報収集と記録を目の当たりにしたときの驚愕は並や大抵ではなかった。そして彼の同期に対する思い入れの深さを改めて知らされたのである。なにしろ同期とは云え、それぞれが全国各地に赴任し、それも数年ごとに転勤を繰り返し、リタイヤ後もそれぞれは全国津々浦々に住まいしており、まだパソコンやインターネットがいまほど普及していない頃からのことだから、情報を集めるのも、それを継続的に残していくのも至難の業だったに違いないのである。それを重い病を苦にもせず、淡々とやってのけてくれていたのである。残念ながら会には参加できなかったが、この年譜は半世紀に亘って私自身がどの様な友情に支えられながら生きてきたかを改めて知らせてくれたし、「お前は決して孤独じゃないぞ!」とばかりに、豊かで幸せな気持ちにさせてくれた有り難いメッセージでもあった。
2010.05.31
コメント(6)
脳梗塞や動脈硬化のせいで、ふらついたり目まいがするおかげで月に一度、定期的に脳神経外科医院に通院しているが、初診が19年6月だから、通い始めてやがて3年になろうとしている。従来は、脳のMRIなどの画像検査や、手のひらを結んで開いてをしてみたり、目を閉じて足踏みをして見たりの身体的検査などが主体だったのが、ここ数ヶ月、医師は突然方針を転換して、認知症のチェックに熱を入れるようになった。とは言え、ほとんどが記憶力のチェックである。例えば先週は、「これから言う言葉を復唱してください。あとでまた聞きますから、よく覚えておいてくださいね。サクラ。ねこ。電車」早速、私は記憶に取りかかる。「桜並木を通っていると、野良猫がのらりくらりと歩いている。そこへチンチン電車が走ってきた」となんとなく物語風に記憶の引き出しに仕舞い、医師の指示を待つ。3題話のおかげで、これについては、いつも順調に答えている。次なる質問は「 知っている野菜の名前を、できるだけ多く言ってください 」ときた。まずは根菜からだ。「大根、ごぼう、サツマイモ、ジャガイモ、蓮根、人参」次は葉野菜に行こう。「白菜、キャベツ、ほうれん草、レタス」次は実の物だ。「トマト、なすび、きゅうり、エンドウ豆、そら豆・・・」淀みなく出てくる野菜の名前に、「よし、快調!」とばかり頬が緩んでくる。次に、医師はやおら小さなバッグを開いた。そこには時計・鍵・鉛筆・硬貨・万年筆などが整然と納められている。「良く憶えておいて下さい。あとで何が入っていたかをお聞きします」と言いながら、パタンとバッグを閉めた。3つぐらいの言葉ならなんとか物語が出来るのだが、5つとなるとそうも行かない。とにかくバックの中身は、日ごろ身につけている物ばかりだから、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてはみたものの、憶え切ったかどうかは全く自信がない。しばらくして答えを求められ、取りあえずは答えを口に出してみたが、医師の表情から見て、私が正解を言ったとは、とても思えなかった。そして最後にいよいよ最大の難問がやって来る。「これから言う数字を逆に言ってください。3-5-2-9」これは毎回違った数字が出されるが、前から順番の数字を覚えるのすら苦労するのに、その逆を思い出せというのは、私にとってはまさに恐怖以外なにものでもない。脳梗塞や動脈硬化の処方薬がなければ、サッサとこの病院ともお別れしたいと思うのだが、背に腹は替えられず、月に一回はこの難問たちとの逢瀬に苦しんでいるのである。「認知症」は狭義には「知能が後天的に低下した状態」の事を指し、医学的には「知能」「記憶」「見当識」の障害や「人格」障害を伴った症候群として定義されているようである。なのに「記憶力」だけに、医師はなぜこれほどこだわるのだろうか。せめて僅かでも、論理的に考える、計画を立てる、問題解決する、抽象的に考える、考えを把握するなどの知的活動を表す「知能」の程度もチェックすべきではないかと思う。でももしこれを言ったら、「あなたのそう云う抵抗的態度は素直ではない。それはすでに人格障害の兆しが現れている何よりの証拠です」と、悪いように診断されてしまう可能性がなきにしも非ずだから、これは面と向かっては絶対に口にださない様にしている。ところで最近は「脳トレ」のつもりではないが、月刊文藝春秋に掲載されている「考えるパズル」2題に毎回挑戦している。パズルのpart 1は「漢字シークワーズ」(seek words) 、part 2は「数独」である。それぞれの問題の正解者10名に1万円の賞金が出ることになっているが、4月号の回答者はpart1で5,640通、part 2で4,302通で、その当選確率はなんと500人に1人という直ぐにでも手の届くような嬉しい率なのである。なのに残念ながらまだ一度も、当選の栄誉を勝ち得たことはない。それでも当選確率の数字の高さに惹かされて、まずは雑誌の記事を読むより、パズルの解答に取り組むことにしている。そして私の解いた答は絶対に間違っているわけがないと自惚れ、今度こそ当選枠に入る筈だと信じて疑わず、早々に解答のハガキを投函するのである。こんなことは過去の私にはあまり見られなかったことである。とすれば、最近とみに昂じているこのような独善的な思いこみは、認知症の始まりを物語っているとでも言うのであろうか。くわばら、くわばら。
2010.05.25
コメント(14)
定期的にリハビリで通っている整形外科病院の待合室で、NHKのテレビ番組「ことばおじさんの気になることば」を、順番待ちのおかげで視聴する機会が多い。たまたま、18日の番組では「おっとりがたなで駆けつける」が話題になっていた。この意味は、武士が危急の場合に刀を脇に差す余裕もなく、手に持ったままの状態で、取るものもとりあえず駆けつける様子を表しているのだと理解していたら、これを「おっとり」という言葉から連想して「ゆっくりと」とか「のんびりした様子で」駆けつける意味だと、インタビューでは答えている人が結構沢山いた。駆けつけるのだから、急いでいると思うのだが、「おっとり」のイメージが優先したらしい。その他に、本来の意味と逆転しているのではないかと思われる言葉がいくつかある。「気の置けない人」あるいは「気が置けない人」は、本来、親しいので気兼ねする事がない人と云う意味から、いつの間にか「油断できない人」のことに変身している。また「流れに掉さす」は、棹を流れに沿って使い、弾みをつけて下流に進むように、傾向に乗って事柄の勢いを増す行為をさすことなのに、いつの間にか、棹をグイッと川底に押っ立てて、まるで錨をおろし船の流れるのを止めているかのように、「時流に逆らう」という意味に流れを変えてしまっている。もっと情けないのは、「情けは人の為ならず」である。 情けを掛けるのは相手や他人のためでなく、回り回って結局は自分のためになると云う意味なのに、「情けは人のためにならない」と折角の人間らしい思い遣りの気持ちを啓蒙しているのに、世論は敢然と「人に情けをかけるな」とこれを否定してしまったのである。ところで最近は漢字の読み書きや言葉遣いに関するクイズ番組が目白押しである。ことのほか、かみさんがこの手のテレビ番組をよく見ている。それはそれで結構なことで文句はないのだが、問題は自分が感じた疑問を自室で独り己の世界に浸っている私にときおり振ってくるのである。先日のこと、ある番組を居間で見ていたかみさんから質問が飛んできた。「とんでもございません」という表現が正しいと思うか、間違いと思うかと言うのである。たいがいの場合、こんな時は「間違い」が正解の確率が高いので、躊躇なくそんな使い方は間違いだと答えた。では、正しい使い方はと質問が追いかけてきた。「とんでもない」は一つの言葉で、これを分けることは出来ず、どうしても「ございません」を使いたいのなら、「とんでもないことでございます」とでも言う以外にはないのではないかと、当てずっぽうに言ってみたら、なんとこれは正解だったのである。日ごろ偉そうに、ブログに文章を書いて、かみさんの前では文筆家?を気取っている私の面目は、少なくとも立った様である。確かに、詳しく調べてみると、「とんでもない」は、「とんでも」+「ない」の2文節ではなく、「あぶない」や「つたない」と同じで、「○○ない」という一つの形容詞だから、「ない」の部分のみを取り出して「ありません」や「ございません」に置き換えると、「あぶありません」とか「あぶございません」と言っているのと同じになり、意味の通じないおかしな表現と云うことになるとのことであった。ところが、この番組では「女性の品格」の著者である昭和女子大学学長の坂東眞理子さんが出演されていて、この「とんでもございません」を正しい表現と回答したらしい。もっとも、むかし宮本百合子さんは『海浜一日』の中で「とんでもございません」と表現し、宮沢賢治さんも『月夜のけだもの』の中で「とんでもありません」と表現した様である。かつまた2007年2月、文部科学省は文化審議会の答申で『敬語の指針』として、「とんでもございません」という用法は「問題がないと考えられる」とお墨付きを与えたらしいから、坂東眞理子さんのこの回答は必ずしも不正解だとは言い切れない訳である。結局これを間違いだとしたのは、彼女をして間違って恥ずかしいと言わしめるための演出だったのだろうか。「人の不幸は蜜の味」と云う箴言があるが、全問正解をしてその博覧強記を見せつけられるより、絶対に間違えるなんてことはないだろうと思われる著名人が不正解をして、それを恥じ入っている様を見せることの方が、どれほど視聴者に優越感を与え、楽しませるかをよく心得て番組を作ったとしか言いようがない。しかしそれにしても、言葉は生き物、日進月歩の魔物である。言葉の使い方で本来正しいとされたものが傍流となり、従来間違いと評価されたものが堂々の市民権を得てしまい、だんだんその正体が朦朧としてくるのは、なんとも寂しい限りである。
2010.05.19
コメント(12)
「質問主意書」と云うものがある。国会の会期中、国会議員は内閣に対し、国政に関する事項について文書の形で質問することができるというものである。その質問書は、その国会議員が所属する議院の議長を通じて内閣に送られ、質問主意書を受け取った内閣は、原則として7日以内に文書で回答しなければならない。委員会における口頭質問の時間は、政党の人数に比例して割り当てられるので、無所属議員や規模の小さな政党が使える時間はわずかに限られてしまう。そこで、有能な議員は質問主意書を使って政府の問題を追及する有効手段として活用する。なにしろ回答は、閣議を経て出されるから、れっきとした政府の公式見解であり、回答する大臣が、そんなことは知らないでは通らないから、追いつめ甲斐のある議論が展開できるのである。まだ民主党が野党の時代、かっての予算委員会での長妻昭氏の勇姿を思い出していただきたい。その迫力に満ちた鋭い舌鋒は、まるで検事が弁明の余地もない証拠を誇示しながら、被告を追いつめる姿を連想させた。その証拠としたものが、質問主意書に対する回答書だったのである。実は、この質問主意書を100%活用し、いまだ断トツの提出数を誇っているのが、衆議院外務委員長となっている鈴木宗男氏である。いまや鈴木氏が質問に立つ場面はなくなったが、彼のかってのやり方は恫喝や威嚇をしているように見えて、長妻氏と較べてなんとなく品位に欠けるものがあった。しかし、「ミスター年金」と呼ばれた長妻氏も、更生労働大臣となってからは慎重な発言が多いため、「ミスター検討中」と揶揄され、質問を受ける回答者の側になったおかげで、その理路整然とした舌鋒の鋭さもすっかり影を潜めてしまったのは何とも寂しい限りである。「立場が人を作る」と云う言葉があるが、長妻氏のこの変身は攻守ところが代わると、こうも変わってしまうという見本みたいなものである。確かに人はTPO(time place occasion)を弁(わきま)えて、その役柄を演じなければならない。ところが立場が代わったのにもかかわらず、昔のままで変身できない人もいる。ばらまきさえすれば国民が喜ぶと思っている脳天気な野党根性の民主党の議員たち。首相の一言の重さを、いまだに野党の代表の発言と同じ重さだと錯覚している鳩山氏。この期に及んでも、ご自分が選挙の顔だと信じて疑ってもいない小沢幹事長。選ばれて議員になったのに、どこにいるのか、その顔も見せない民主党の新人議員たち。野党議員の面構えに、中々ならないむかしの自民党大物議員たち。その人の能力や地位にふさわしいことを云う表現に、「分相応」と云う言葉があるが、政界と財界と官界のいずれも世界でも今ほど「分不相応」な方々が跋扈している時はないのではなかろうか。特に政界では、「分相応」の人を見つけるのは、悲しいかな甚だ難しい。ところで参議院選挙がいよいよ近くなってきた。そしてまた、知名度を狙った候補者あさりがはじまり、谷亮子さんだの中畑清氏だのと、続々と名乗りを挙げている。柔道一筋、野球一筋にその半生を注ぎ込んできた訳だから、その世界ではまさに「分相応な人」には違いないが、彼らに一体どんな国政が期待できるというのであろうか。 柔らちゃんが嫌いなわけでも、絶好調が嫌いなわけでもないが、こんな風に参議院議員候補として、その名前が羅列されると政治とはそんなに軽いものなのかと思ってしまう。併せて、その推薦政党からは、有権者であるあなたの選択能力はこの程度でしょうと、バカにされたような気になってしまい、ついには、「もう参議院なんて、日本には必要ない」と怒り心頭に発してしまうのである。怒りついでにもうひと言。「ご破算で願いましては、7月は衆参同時選挙で行きましよう」
2010.05.13
コメント(8)
「セールスで絶対に断られない方法があります」むかしある講演会で聞いた講師の言である。「それは売り込まないことです。売ろうとするから断られるのであって、売らなければ絶対に断られません。新幹線の車内販売の売り子が断られるのを見たことがありますか。彼女たちは買って下さいなんて言葉は一言も発しません。それでも名物弁当は、瞬く間に売り切れてしまいます。これぞセールスの真髄です」なんだか、まやかしの営業理論みたいではあったが、「売らないから売れる」この禅問答のような話しに、その時はなるほどと感心したものである。「生命保険の外交員を断る最高の方法は、断らないことである」これは吉川英治さんが何かの機会に語った言葉だったように記憶している。むかし 「販売は断られたときから始まる」というE.Gレターマンと云う人の有名な本があったが、これを裏返せば、もし「保険には入りません」と断らなければ、外交員は断りに対処する販売話法が展開できず、セールス活動が始動しないということになる。断りをどのように打破して行くかを、販売話法の原点にしていた外交員にとって、この吉川英治さん言葉はセールスマン泣かせの至言だったに違いない。この伝で行けば「女性に振られない最善の方法は、相手に惚れないことである」あるいは「女性に振られない最善の方法は、惚れたことを相手に告げないことである」なんてことが成り立つかも知れない。などとつまらないことを考えていたら、どうもこれが冗談ではなさそうなのである。NHKのテレビ番組「あさいち」を見ていたら、恋愛中のカップルで女性の方から男性に愛の告白した割合はなんと65%にも上り、男性は女性からの告白をひたすら待ち、単に受け身のオーラを出しているだけのケースが多いと明治大学文学部の諸富祥彦教授は言うのだ。まさか今どきの男性は「失恋回避症候群」にでも陥っているとでも言うのだろうか。【婚活では遅い!授業で結婚力】と銘打って先程の番組では、諸富教授が「心理学概論」の授業で、結婚力を身につけさせるために「婚育」をおこなっている様子が報道されていた。同教授の調査によれば、彼氏・彼女と付き合っている割合は○女子生徒だけの学校出身者の彼氏保有率は4割だったが○男子生徒だけの学校出身者の彼女保有率は僅か1割にすぎなかったという。しかし最近は、男女共学の学校出身者であっても「異性に話しかけられない」「緊張して相手に敬語を使ってしまう」などの悩みを抱える対人関係やコミュニケーションが苦手な男子学生が、相対的に年々増え続けているそうである。これでは将来は結婚力の低下につながりかねないと危機感を抱いた教授は、色々な心理学的ゲームを取り入れながら、コミュニケーション力をつけさせる「婚育」の授業を開始したと云うわけである。私の場合、小学校入学は男女席を同じくせずの戦時中だったので、男子しかいない「男子校」だった。それでも小学生の高学年で終戦を迎え、晴れて男女共学になった。しかしこれは新制中学卒業までのほんの短い期間の経験だった。なにを血迷ったか高校は男子だけの私立高校に進学したため、またもや目の前から一気に女の子が消えた。高校卒業後、東京の私立大学に入ったが、昭和30年代の初め頃の4年制大学には、女性の姿をキャンバス内で見かけることなど殆ど皆無に近かった。もちろんクラスには野郎ばかりで、紅一点すら望むべくもなかった。私は、まさに諸富教授の言う「男子だけしかいなかった学校出身者」の範疇に入る典型的な人間であり、「婚育」の授業を受けねばならない対象者であったことは間違いない。残念ながら、吾が母校では心理学の授業で、親切にも「婚育」など実践してくれた教授はいなかった。仕方なく自力で、いくつもの失恋の試練を重ねた末に、なんとか20歳代の終わりに、やっとかみさんをゲットできたが、これでも晩婚と言われたものである。反対に多感な青春時代を男女共学で過ごし、少なくとも女性とのお付き合いを私よりはるかに巧みにこなす息子が、30歳はとうに過ぎたのに、いまだに独身でいることは一体なにを意味しているのであろうか。2008年の総務省統計局「国勢調査報告」によれば、なんと30歳代の未婚率は30-34歳: 47.4%35-39歳: 31.2%だそうで、なにも息子だけに限った特別なことではなさそうである。しかしもしこのままでは、少子高齢化で日本が衰退してしまう可能性もあるし、同時に吾が家系も途絶えてしまう危険性がある。「婚促」の特効薬でもあれば、密かに息子に一服盛りたいものである。
2010.05.07
コメント(10)
連続テレビ小説の主人公「ゲゲゲの女房」が上京して、いろいろなカルチャーショックを受けているが、私も同じ思いをした中の一つに貸本屋があった。勉学を志し九州から上京したのは昭和30年代の初めの頃のことだったが、私の住む九州の田舎には、まだ貸本屋なるものは存在しなかった。今や世の中からこのような貸本屋は完全に消え去ってしまったが、上京して間もなく2~3日に一度は本を借りに通ったものである。九州弁を丸出しにしても田舎者と小馬鹿にもされず、ホッとするオアシスみたいな所であった。テレビでは松坂慶子さんが店主を演じているが、私の通った店のおばさんはそれ程美人ではなかった。それでも、入り口の引き戸を開けると、名前と顔を覚えてくれていて名指しで「Oさん、いらっしゃい」と声を掛けてくれる初めての東京の人だった。上京して先ずは、兄の部屋に転がり込んだ。兄はすでに建築会社に就職して会社の寮に住んでいた。建築会社の寮なのに、なぜか、窓ガラスはあちこちと破れ、つぎはぎだらけの木造のおんぼろ住宅であった。しかし従業員でもない私がタダで兄と同居することを認めてくれたのは、社長が九州出身で同郷のよしみで太っ腹だったこともあったが、なによりそれまで兄がこの会社であげてきた実績のたまものだったに違いないと思っている。その寮は西武新宿線の新井薬師前駅の直ぐ近くにあった。寮には賄いはついていなかったので、朝晩の食事は自炊であった。日中は、予備校に通う以外には、まだアルバイトもしていなかったので食事の用意はもちろん私の役目だった。と云っても高校生時代から賄い付きの下宿に住んでいたから、自分で料理をしたことも煮炊きを教わったこともなかったので、自炊と云ってもご飯に具沢山のみそ汁がメインで、市場の惣菜屋でコロッケみたいなものを買ってきて添えるぐらいの、まさに一汁一菜の粗末な食卓であった。生活費は、上京してしばらくは仕送りをして貰ったから食費は兄と折半にしていたように思う。それでも兄は建築会社の現場監督をしていたから、時間が不規則で特に帰宅時間などはまるで当てにならなかった。しかしどんなに遅くなって、外食して帰っても、必ず用意してある食事に箸をつけて、美味しいと必ずお世辞を言ってくれたものである。ある時、神戸の知人がここに尋ねてきて、私が用意した料理を肴に酒を酌み交わし、そのあと食事になった。私が甲斐甲斐しく兄貴のご飯を装ったりする様を、田舎の家族に面白可笑しく報告したようでしばらくはこれが話題になっていた。でっかい体といかつい顔に似合わず心根の優しい兄に、私はキッと嬉々としてかしずいていたに違いない。「ゲゲゲの女房」では昔ながらの質屋も出てくる。あのころの私の質草と云えば腕時計ぐらいしかなかったが、数日分の食費分ぐらいは貸して貰えた。いよいよ手許に50円玉一個しかなく、どうするべきか悩んだ末に、これを元手にパチンコに投資し、すってんてんになったことも何度かあった。それでもいよいよ八方ふさがりになった時は、寮の隣にあった専務宅を訪れ、夫人に「二人分の晩ご飯に少し足りないので、ご飯を貸して貰えませんか」と見え透いた言い訳をしながら、丼茶碗を持参して恵んで貰い、それにソースをぶっかけて腹ごしらえをしたものである。金欠病は慢性で、遊ぶ資金などほとんど無かった。それでもときおり兄の帰宅を待たないで、気晴らしに夜遊びに出かけることもあった。そんなときは、兄のおかずだけはグレードをあげて食卓に並べておいた。たとえばコロッケをトンカツなどに格上げするのである。トンカツはお肉屋で豚肉をグラムで買って、その場で揚げて貰うシステムだったが、そんなときは兄だけがトンカツで、私はお詫びの印に、お汁掛けご飯だけで済ませたものである。その夜遊びで兄がいまだに誤解していることがある。私の夜遊びは、たいがいはコメディをみるために新宿のフランス座に観劇に行くぐらいのものであった。新宿末広亭では落語と漫才はあったが、コメディは演目に入っていなかった。そこでコメディが見たければフランス座みたいにコメディとストリップとが交互に演じられているところでなければ見ることができなかった。当時のストリップは、胸を見せて踊るぐらいの上品なものだったが、あくまで私の観劇目的はコメディであり、ストリップはおまけみたいなものだった。しかし兄はそのようには理解していなかったらしく、いまだに私が「ストリップが好きで、よく見に行った」と、ときおり思い出したように口にする。もちろん嫌いだったわけでもないから、それについて言い訳をするつもりもないが、そのころのコメディアンだった石井均さんや、てんぷくトリオの三波信介、戸塚睦夫、伊東四朗さんなどは、熱演しているにもかかわらず、ストリップ見物を主たる目的に来ている人から、「早く引っ込め!」などと罵声を浴びせられていたものである。そんな試練を乗り越えて、これらの苦労人たちはやがて錚々たるコメディアンとして名をなしていったが、いまや伊東四朗さんぐらいしか残っていないのはなんとも寂しいことである。かくて「ゲゲゲの女房」は貧しかったあの時代を、ありがたいことに、楽しかった日々として毎朝、蘇らせてくれているのである。
2010.05.01
コメント(12)
私のパソコンは富士通の製品であるが、メーカーが毎日送ってくれるメルマガの中に「今日の運勢」がある。ちなみに魚座である私の4月25日の運勢は愛情運 ☆☆☆--(平穏)仕事運 ☆☆☆--(平穏)結婚運 ☆☆---(波乱)勉強運 ☆☆☆☆☆(快調)家庭運 ☆----(転換)社交運 ☆☆☆☆-(好調)金 運 ☆☆☆--(平穏)健康運 ☆☆☆--(平穏)とあった。いまさら仕事運や結婚運でもないが、(快調)や(好調)の☆が並んでいるとなんとなく今日は佳い日のようで嬉しい気分になる。反対に☆の少ない(転換)や(波乱)が多い日は、どの項目が凶なのかなどは細かく確認もせず、サッサと削除して忘れてしまうことにしているから、占いがどう出ようと大勢に影響はない。いま私の精神衛生上に、もっとも影響を与えていると思われるのは味覚である。昨年末に、悪性リンパ腫(ホジキン病)が舌根部に再発した。そのため舌根部をピンポイントで放射線治療をしたのだが、その副作用で完全に味覚を失った。味覚のない生活は文字通り味気ないもので、ついに気持ちはすっかり鬱のモードに落ち込んでしまった。放射線科の担当医は2~3ヶ月で味覚は戻ると言っていた。一方ホジキン病の担当医は半年はかかると予測していた。どうもいまの味覚の戻りからみれば後者の予測の方が正解だったようである。仮に味覚を甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5種類とし、5段階評価をするなら、今日現在は次の様な☆が並ぶ。甘味 ☆☆---(なんとなく甘さは感じるものの、あの甘~い感蝕がない)酸味 ☆☆---(酢の物や柑橘類が好きなのに、あまり酸っぱさを感じない)塩味 ☆☆☆--(だんだん塩辛さの濃淡が区別できる様になってきたようである)苦味 ☆☆---(これは苦い!と、かって味わっていた苦さにはまだ出会わない)うま味 ☆----(食欲はでてきたもものの、口福感は少しも感じない)唾液は相変わらず少なくて、口中はいつもカラカラに乾いていて、おしゃべりの途中で舌が回らなくなったり、ものを食べていても水分を途中でさしてやらなければ、オイル切れみたいで口が上下に動かなくなる。人前ではあまり見せられないが、楽に喉が越せる卵掛けご飯、お茶漬け、お汁掛けご飯などばかり食べている。これは食事をたしなむと云うより、単に流し込んでいると云う感じである。それでも最近は嬉しい変化もある。口内炎や喉のびらん症状で、辛味のもの例えばワサビや寿司屋のガリは口の中に入れた途端に、飛び上がるほどピリピリ痛かったが、いつの間にかこの痛みは感じなくなってきたのである。それともう一つ、ビールの喉ごしがスムーズになってきたことである。ところで、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが唱えた欲求5段階説と云うものがある。人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の生理的欲求が満たされると,1段階上の安全欲求を志し、これが満たされるとその1段階上の親和の欲求、そして自我の欲求,自己実現の欲求と段々昇って行くというものである。どうもこの頃の私は、かっての自分とは全然違うように感じていた。なにか精神的に貧しいというか、卑しいというか、ゆとりがないというか、とにかく心療内科の先生にカウンセリングでも受けねばならない様な自己嫌悪感に、四六時中苛まされていたのである。この精神的な貧しさやイライラは一体どこから来たものか。あれこれ思い巡らしていて、やっと思い当たったのが、この欲求5段階説である。欲求の原点である生理的欲求が満たされず、次の高度な欲求に移れず、最低の精神状態から抜け出せないでいたのだ。もし私のブログから誹謗中傷が消え、少しは上品な論調になってきたならば、それは味覚が戻り始めたなによりの証しに違いない。
2010.04.25
コメント(10)
大阪弁を操る強烈なキャラクターであり、ジャズシンガーである綾戸智恵さんが出演した「ザ・スター」というテレビ番組があった。各界の著名人をゲストに迎えてのトークあり、歌ありの楽しい番組であった。7~8年前、NHKの紅白歌合戦で「テネシーワルツ」を聞いたのが、彼女を見た初めだった。それまで慣れ親しんでいたテネシーワルツとは全く違う歌いっぷりに、強烈な印象を受けたことを憶えている。「なみだの操」で有名な宮路オサムさんがゲストの一人だったが、「ジャズを歌う綾戸」ではなく、「綾戸が歌うジャズ」だと言っていた。まさにその通りだと思った。綾戸の歌はジャズのジャンルではないと主張する人もいるようであるが、たしかに正統派のジャズ信奉者には、彼女の歌は異端なものに聞こえるのかも知れない。しかし聴衆との掛け合いあり、共演者とのアドリブあり、関西弁でのトークありと、「なんでもあり」の綾戸智恵のステージを見ていて、心底から楽しんだりパワーをもらったりする人も沢山いるのだから、ジャンルがどうだなんてことにはまったく意味のない事のように思える。この番組の中で初めて耳にした言葉があった。「コールアンドレスポンス(call and response)」である。音楽におけるコールアンドレスポンスとは、複数の演奏者または歌手が前者の呼びかけに後者が応答する形でフレーズを継承し、演奏または歌唱する楽式のことだとウィキペディアにはあった。むかし「あなたと呼べば あなたと答える 山のこだまの 嬉しさよ……」なんて歌があったが、call and responseを直訳すればまさに「呼べば、答える」である。お笑い芸人がこれを「ボケとつっこみ」みたいなものだと言っていたが、それとはちょっとニュアンスが違うように感じた。もしこれに近い日本語といえば、「ツーと言えば、カー」「阿吽の呼吸」「打てば響く」「アドリブ」などが思い浮かんだが、どの言葉も綾戸さんのステージの雰囲気に当てはまった。まさに「コールアンドレスポンス」そのものだった。ところで「呼べど答えず」というか、「打てど響かず」というか、新党の立ち上げがラッシュであるにもかかわらず、その反応の鈍さは一体どうしたことなのだろうか。「たちあがれ日本」に引き続き「日本創新党」が旗揚げし、舛添氏も蠢動しているようであるが、どれをとっても反応が今一つである。与党にも自民党をはじめとする野党にも期待が持てないのと同様に、どんな新党が生まれても所詮期待通りの働きはしてくれないだろうと、世論は諦めの、モードに入ってしまったのだろうか。もしそうなら、これはきっと国民の期待するレスポンスに、政治があまりに鈍感に対応し続けてきたからからに違いない。記憶違いかも知れないが、土光敏男氏が東芝の再建のために社長として送り込まれた時、彼が標榜したのが”Challenge and Quick Response”だったように思う。「挑戦してこい、さすれば我はそれに素早く対応する」とばかり、社長室のドアは開けっ放しにして出入り自由にし、風通しの良い組織風土に変革した。これは東芝が見事再生した一つの要因であったやに聞いている。まさに、どこかの風通しの悪い党の党首や幹事長に聞かせてやりたい話しである。しかし今日本に一番求められているのは、強力なリーダーと云うより、諸問題に的確にレスポンスできる賢い国民の「声」ではないかと思っている。少々暗愚な上司を持っても、部下が優秀であればなんとか組織が維持できるのと同じで、不幸にも少々暗愚な宰相を戴いても、政治も経済も三流と言われようとも、国民が賢ければ日本が破綻するわけがない。賢い国民とは、どの様な事態にでも迅速的確に対応できる見識と行動力を持った人々であり、これは日本が世界に誇れる素晴らしい資産だと信じている。日本再生の呼び声が、政治の世界からではなく、賢い国民の間から湧き起こり、これに呼応する人々が立ち上がり、大きな渦に発展して行く。そんな日が近いような気がしてならない。
2010.04.19
コメント(8)
エコポイント対象商品が4月から変更になるとのことで、とりあえず居間のテレビだけは地デジ対応機種を3月25日に購入した。ブルーレイ内蔵の機種にすることは最初から決めていた。いくつかの電気店や量販店を見て回って、最終的にはシャープ製品に決めた。車の時もそうだが、大きな買い物の値段の最終折衝はかみさんがする。なぜなら私より遙かに折衝技術が上だからである。かみさんと私の根本的な違いは、その態度である。かみさんは値段次第では「買わなくてもよい」と言う表情を固持しながら折衝するのに反し、私はひたすら値段に関係なくそれが「欲しい」という締まりのない顔を前面にさらけ出す。相手は当然、これは与し易い相手と見て値段通りに売ろうとする。ヤマダ電機では、かみさんはまず値札に付いていた値段からいくら値引くのかという質問から始まった。段々煮詰まり、あと5,000円の値引きが叶えば、かみさんはOKを出すところまで来ていた。しかし店員はそれになかなか踏み切らなかった。結局、かみさんもこれ以上の折衝は無理と悟ったようだった。「それじゃ、もう一日考えさせて貰います」と店員さんの名詞を貰って帰宅の途についた。翌日、この値段で買い求める決心をして、ヤマダ電機に向かった。途中、別の買い物があったので、あるディスカウントショップに立ち寄ることにした。ところが電機製品が主体でないこのショップの棚に、奇しくもこれから買いに行こうとしているのと同じ機種のシャープのテレビが陳列してあるではないか。おまけになんと値段が、前日ヤマダ電機で折衝の結果決まった値段よりさらに6,000円も安く付いている。それはまさに、前日かみさんが折衝でやりとりした値段より更に1,000円も安い。違うと云えば、ヤマダ電機は配送料込みであったが、ここは「配送料設置料は別途いただきます」とあったことだ。かみさんは店員さんに担当者から話しを聞きたいと責任者を呼んで貰った。「配送料はいくらなんですか」とかみさん。「4,000円かかります」と担当者。それを負担してもヤマダ電機よりは安いではないかと思ったが、かみさんはまだ微動だにしなかった。その回答がかみさんの気に入らなかったと判断したのか、テレビの担当者は「配送料と設置料は配送業者に直接支払って貰うことになりますが、その分この値段から差し引かせて頂きますが如何でしょうか」と担当者がかみさんの顔をのぞき込んだ。これでヤマダ電機が渋った値引き分は充分獲得できたことになる。かみさんは、やおら「それでは頂きます」と笑顔で返事を返し、見事商談は成立した。私の生家は下駄の卸と小売店を営んでいた。店舗と住まいを兼ねていたので、子供の頃、ときおりお店の手伝いをしなければならなかった。手伝うことは別にイヤなことではなかったが、値引きは厳禁だったので、お客さんから「値段をまけてくれ」と言われると、それを上手に断ることができなくて、逃げ出したい思いをしたものである。親父の商法は、値札に付けている値段を絶対に割り引かない事を原則にしていた。なぜなら、多少の掛け値はあっても、限りなく卸値に近い値段をそのまま小売値に設定し、自分の店の値札は九州一円のどの店にも真似できない「正札」であると云う自負をもって商いをしていたからである。のちに三越の前身である「越後屋」が江戸時代に「現金掛け値なし」の正札販売を始めた元祖であることを知ったが、親父がこの商法に学んで真似たのかどうかは確かめる機会もないままに他界してしまった。しかし値札の裏には、必ずその仕入原価が符丁で記入してあったので、どれくらいの掛け値がついているかということは、私にも理解できた。その符丁は「天地のおんじひにて」と云う言葉を当ててあった。左から123456789である。だから裏に「天ん」と書いてあれば、この商品の仕入れ値は\150だったということになる。欲得ずくではなく「天地の御慈悲にて」商いをさせて頂いていると云う親父の感謝の気持ちを彷彿とさせる符丁であった。私が、かみさんと違って表示されている値札から値段を一円も値切ることができないのは、子供のころに刷り込まれた、値札は冒すことのできない「正札」であるという金科玉条が、いまだに心の片隅で働いているせいなのだろうか。それとも、かみさんほどに値切る勇気がないことを、あれこれご託を並べて言い訳しているにすぎないのだろうか。どちらかと云えばこちらの方が正解なのかも知れない。
2010.04.13
コメント(10)
「新党結成を目指す無所属の平沼赳夫元経済産業相と自民党に離党届を提出した与謝野馨元財務相らは5日夜、都内で会談し、新党を10日に結成し、平沼氏が新党の党首に就任することで合意した」と新聞報道があった。与謝野馨氏は文藝春秋四月号で「新党結成へ腹はくくった」と公言した訳だから、早晩の離党は当然だと思っていた。園田さんや鳩山邦夫さんの名前はこの記述の中では挙がっていたが、その他にこの人の指に一体誰が止まって一緒に自民党を出ていくのか、はたまた他の政党のどなたがこれに加わるのかについては、あまり触れられてはいなかった。与謝野馨さんのことは、自民党総裁選でその候補者としてのご意見を拝聴したくらいで、彼が合従連衡でどんな新党を結成し、どの様な志を掲げ旗揚げしようと、私にとっては興味も関心もないことであった。ところが新党の党首に、平沼赳夫氏を担ぐとなると話しは別であった。平沼赳夫氏はご承知の通り、郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じたお陰で、次の衆議院議員総選挙では岡山3区で自民党公認を得られずに無所属で出馬して当選した。その後、郵政造反組の復党問題では無所属造反議員の中心となり、自民党執行部との交渉役となったが、その復党条件に反発し、ただ一人復党しなかった人物である。今どきこんな気骨のある政治家がいたのかと、そのころから彼の存在が気になるようになっていた。それに加えてある出来事があった。その出来事とは、平成19年障害者自立支援法という法律が施行された時のことである。もともと身体障害者、知的障害者、障害児への福祉サービス制度は、市町村などが障害者への福祉サービスの内容や施設などを決定する「措置制度」があったが、障害者自らが福祉サービスならびに施設や在宅サービスを選んで、施設や在宅サービスを決定する画期的な「支援費制度」に生まれ変わった。ところが想定外のことに、サービス利用者が急増し、たちまち予算の不足が深刻化したのである。そのため、またもや法改正が行われ、利用者の負担増や事業者の負担を増やす「障害者自立支援法」が国会で成立したが、これはまさに朝令暮改の改悪であった。そこで、当時の衆参両議院の700余名の全議員に、この法案の問題点と改善点を列記し、某知的障害者施設の保護者会の名のもとに、この法案に賛成した理由、あるいは反対した理由、ならびにこの法案の改善点に対する取り組みの意志を問う文書を返信用のハガキを同封して郵送した。回答は37通(回答率5%)にすぎなかったが、その中の一つに平沼赳夫氏の回答があったのである。「いろいろご指摘の問題点あると思っていましたが、全体を考えてやむを得ぬと判断しました。いずれも検討の要ありとおもいます」と自筆で回答してあった。しかも現職閣僚ならびに大臣経験者からの回答は彼一人であった。少なくともこのことで、この人の目線は国民を向いている政治家に違いないと、すっかりファンになり、その政治信条や生き方に興味を持ち、だんだんこの人の器に期待が膨らんできた。惜しむらくは、無所属である政治的立場から考えてみれば、彼を宰相に望むなんてことは到底実現の可能性のない話しであった。しかし今回の旗揚げは、改めてその一歩を踏み出したとも言える。彼の著書「七人の政治家の七つの大罪」の中では、小泉純一郎の「郵政民営化」、竹中平蔵の「市場原理主義」、安倍晋三の「お友達内閣」、福田康夫の「無気力」、小沢一郎の「変節」、麻生太郎の「パフォーマンス」、そして平沼赳夫自らの「無力」を日本沈没の元凶として断罪している。そして彼は民主党と自民党の有意の人材を集結させ「救国大連合」を実現したい、そのために平成の坂本龍馬として命がけで働かせて貰うつもりと宣告していた。民主党にも自民党にも憂国の士は必ず存在する筈である。党利党略の柵(しがらみ)から、その真価を発揮できていない人材も必ずいる筈である。こんな人材を燻らせておくことは日本にとって莫大な損失であり、これを放置しておくのはまさに大罪といえる。これらの人材を集結し「救国大連合」を作り、日本国の再建に寄与したいというのであれば、私と同世代であり、坂本龍馬と言うには少し薹が立ちすぎているきらいがある平沼氏ではあるが、彼の「力」に夢を託してみるのも、あながち悪くはないかと思っている。
2010.04.07
コメント(12)
田村君から50周年記念の同期会の案内が届いたのは梅の頃だった。「さて、思い起こせば50年前、安保闘争の不穏な空気が流れる中、意を決して入社した我々でしたが、爾来半世紀を経た今それぞれの立場境遇の違いはあっても将に激動の時代を乗り越えてきととの感を持つのは皆さんも同じかと思います。 なかなか一堂に会し懇談する機会がありません。不幸にしてすでに泉下の人となられた方もおられますが、50年という区切りある時に越し方をを語り合ったり、また亡き友を偲ぶことも意義あるかと思い・・・(後略)」昨日、舌根部に再発したホジキン病の放射線治療の効果をCTでスキャンした結果、ほぼ良好との診断を得たが、九州から会場の熱海までの長旅に耐える自信はなく、折角の機会だったが諦めることにした。入社は昭和35年4月のことであった。すでに泉下の人となったり、途中で退社したりしたりして、今は26名になったが、最初は全国津々浦々から集まった大学新卒の42名が、同期生として初々しい顔を揃えた。確かに世相は騒然としていた。入社してしばらくは、大手町の本社ビルではなく、安保闘争の渦中にあった国会議事堂前のチャペルセンターという建物の中で営業に関する教育や訓練を受けることになった。近くにある日比谷公会堂では立会演説中の日本社会党委員長浅沼稲次郎が右翼少年に暗殺されるという物騒な事件も起きていた。初任給は14,000円だった。大企業と云えども、まだ福利厚生制度が完備していたわけではなく、住まいは自分で調達するのが原則だった。当時、東京24区の中では間借りは一畳千円が平均的な相場だったので、4畳半一間の家賃でも4,500円、これに食費やタバコ代を加えると、懐はいつも寂しく新宿西口の汚い飲屋街でモツの煮込みを肴に焼酎を飲む機会は、アルバイトで稼いでいた学生時代よりもグンと少なくなった。それでもこの年、池田勇人が総理大臣になり所得倍増計画を打ち上げてくれた。それだけで、なんだか懐が豊かになった嬉しい気持ちになったものであるが、お題目だけでは生活費の足しになるものではなく、相変わらずぴいぴいしていた。おまけに夜遅くまで続くご指導のお陰で、それこそ恋をする暇さえなかった。そんなある日、ついに同期連名で「人並みの生活」が出来るようにと、いくつかの要望を列記した嘆願書を提出した。外界での安保反対の全学連や日教組などの過激な動きに較べれば、それはそれは紳士的で穏健な要望書の内容であり、偉い方を前に、この要望書を静かに丁寧に張りのある美しい声で読み上げたのは、今は癌で喉頭を摘出し声が無くなった前田君だったように記憶している。その結果、いくつかの要望は聞き入れられ改善された。その中で特に欣喜雀躍するほど嬉しかったのは、千葉県我孫子にある独身寮へ新年度からの入寮が許されたことだった。二年目から営業教育訓練の場は、池袋研修所と渋谷研修所に分散されることになった。私は渋谷研修所に配属されたが、常磐線我孫子駅6時59分発の煙を吐くSLに飛び乗り、上野で地下鉄に乗り換え、終点の渋谷に着くのは始業の僅か数分前で、片道タップリ2時間を要する立ちづくめの長旅だった。しかし、青春時代のど真ん中にあるとき、同じ仕事で涙し、 同じ釜のめしを喰い、背中を流し合い、酒を飲み語り合い、同じ屋根の下で寝泊まりしたこの期間があったればこそ、全員3年目からは日本全国津々浦々に飛び立ち、離ればなれの半世紀を過ごしたにもかかわらず、同期の絆が朽ちることなく今日まで続いているのだと確信している。しかしこのような同期会の存続には、要の存在が必要条件である。幸せなことに、現役時代には、何度かこのブログにも登場して貰った栗チャンの存在があったし、リタイヤ後には今回の世話役をしてくれている田村君の存在がある。田村君は北海道出身の、どちらかと云えば寡黙ではあるが、有能な実務家であったし、雑学的な私とは違って、例えば歴史に関しては専門家が裸足で逃げ出すほどの勉強家でもあった。生来健康だった彼は、口惜しいことに入社3年目に、何かの手術で輸血によって感染しており、数十年を経てB型肝炎やC型肝炎を発症し、ついには癌に冒され、いまもその再発の恐怖に悩まされ続けている。それでもこうやって幹事を引き受けて、みんなの再会を企画してくれているのである。私は、すでにこの世を去った同期生を含めて、このような友人たちと同期であったことを幸せに思うと同時に心から誇りにしている。そこで感謝の気持ちも込めて、100周年記念の同期会には是非とも幹事役を引き受けさせて貰いたいと思っている。もちろん会場は「極楽浄土」を予定している。
2010.04.01
コメント(6)
ヒッポファミリークラブの国際交流の一環で、今日から小学5年生の姫孫が数日間ホームステイで韓国に出かける。私どもおじいちゃんおばあちゃんの家にも一度も一人で泊めたこともないのに、いきなり外国に一人で行かせるなんて、肝っ玉の小さい私には心配で心配で堪らないが、わが子ながら娘の大胆さにはいつも驚ろかされている。昨年は、英語でも韓国語でも充分な意志の疎通が図れる訳でもないのに、アメリカと韓国からホームステイで、2~3回に亘っていきなり子供達を数人受け入れたのも驚きであった。言葉はともかくとして、娘の家は外国人をホームステイでもてなすのに適した住環境とはとても言い難いのである。何しろ建物の登記簿謄本には築年不明と記載されているほどだし、見た目にも築後100年はゆうに超していると思われる百姓家で、トイレはいまだに昔懐かしい汲み取り式、水は井戸水で、ガスはプロパンである。ましてや、鍵のかかる個室も備え付けのベットもない。この家は、十数年前に脱サラをして新規就農を始めた娘夫婦のために、敷地350坪・建坪65坪の広いだけが取り柄の古い農家を購入したものである。入居時に押し入れの掃除をしていたら、湿気取りのためか、ぼろ隠しのためか、押し入れの壁に新聞紙が貼ってあった。よくよく見たら、なんとその新聞紙は昭和13年(1938年)発行の朝日新聞だった。しかも連載小説として掲載されていたのは、吉川英治の「宮本武蔵」だった。しばらくは掃除の手を休めて、この古新聞を隅から隅までじっくり眺め、私がまだ乳幼児だった時代を懐しみながら、この家のカビくさい匂いに酔いしれたものである。しかしどんなに磨いても、他人様を招待できるような佇まいには程遠いものであった。おまけに、図らずも数年前に笙の演奏で東奔西走している藤井絵理さんが取材・撮影して著した九州十色シリーズの「大分の古民家スタイル」という題の本の巻頭に、写真付きでこの家は紹介された。この古家を恥ずかしげもなく取材に応じた娘も娘だが、それならそれで、せめてもう少し内外を綺麗に整理整頓して被写体になれば良かったものを、なんと家も人間も普段着のままで写真に納まっていたではないか。おかげで大分県下でも有数の古い民家であるということを、広く世に知らしめることになってしまった。いまどき日本でも珍しいこんな古い家に、外国の子供達を大胆にも受け入れたのである。こんな前近代的な設備の所でショートステイを体験した外国の子供達は、いったい日本の文化をどの様に理解して帰っただろうかと、しばらくは落ち着かなかった。ところが娘は、受け入れた子供達はたいそう喜んで帰ったと、この短期滞在のもてなしを高く自己評価をしていたから、まさにアンビリーバブルであった。思い起こせば、丁度いまの姫孫と同じ年頃で、私は終戦を迎えた。その日まで「鬼畜米英」と頭に叩き込まれていただけに、幼心に占領軍がやって来ることは恐怖だった。実際にやって来た米兵たちは、意外にも優しい笑みを含んだ眼差しを投げかけてくれたものだが、とにかく一目散に逃げ出したものである。それから数年後、中学生になって学校で英語を習い始めた。そんなある日、自転車に乗ったアメリカ兵に出会った。生まれて初めて英語で声をかけてみた。"My name is Clint."これは通じたらしかった。彼は自転車の荷台を指さして何事か言った。たぶん”Ride on!”(乗れ)とでも言ったのかも知れない。しかし次の瞬間、私は脱兎の如く逃げ出していた。興味が半分、恐ろしさが半分の初体験であった。私の実家は大きな老舗の下駄屋であった。父親は卸を担当し、母親は小売店を仕切っていたが、小売商品のタグ(値札)には、「三五円」などと値段が漢数字で入れてあった。このお店に外国人の観光客が時折訪れるようになった。そして外人が現れると、学校で英語を勉強しているのだから応対しろと母親から私に伝令が飛んできた。「イヤだ」と頑として拒絶すると、仕方なしに明治生まれの母親は自分で応対し始めた。彼女は筆とメモ用紙を持ち、「これはサンジュウゴエンで~す」と、なんとなく洋風に日本語を発音しながら、メモ用紙に漢数字の「三五円」をアラビヤ数字の[35]と毛筆で書き直して示した。外人さんは大きく頷き、これで商談は見事成立した。以後、高校大学と進学し、リタイヤ後もたっぷり勉強したつもりである。しかしいまだに外人コンプレックスは解消せず、母親ほどの英会話?もおぼつかない。だがこの姫孫だけは、私の母親の遺伝子と娘の遺伝子を併せ持った才能とその強心臓で、きっと本物の多言語スピーカーに育つに違いないと確信している。
2010.03.26
コメント(10)
「今から4つの数字を言いますから、それを覚えておいて、後ろから言って下さい。9786、ではどうぞ」「今度は、野菜の名前を覚えているかぎり言ってみて下さい」ふらつきや目まいで月に一回通院している脳神経外科医が、以前は、目を瞑って足踏みをしたり、数分目を閉じて両手を水平に挙げたまま立っていたり、両手の指を開いて結んでまた開いてとか、どちらかと云えば身体的な検査が主体だったのが、この頃はどうも認知症検査にウエイトを置いてきているようである。野菜の名前の場合は、まず根菜そして葉野菜は春夏秋冬、鍋ものにいれる野菜、サラダに使う野菜と関連づけながら思い出したので相当数挙げることが出来たが、数字はとっさの事でもあり、連想して記憶する術もなく、たった4つの数字を思い出すのに脂汗をかいた。とりあえずは4つの数字は言ってみたものの正解だったかどうかは分からない。もともと数字覚えは苦手なうえに、最近とみに短期記憶力の衰えを感じているだけに、この検査はいささか重荷になってきている。先日「万田久子さん」のコマーシャルを見ながら彼女の名前が思い出せず、なんと思い出すのに2日も要したが、時間をかければなんとか思い出すから、これは加齢による記憶力の低下であって認知症ではないと、己を慰めているところである。ところで数字の記憶と云えば、自分の携帯電話番号も、車のナンバーも、固定電話番号も語呂合わせで覚えることにしている。おかげでこれを一旦数字に戻さなければ他人には何のことか分からないので即答は出来ず、少々時間がかかることになる。たとえば携帯電話には「苦労はゴミ」=9653が入り、車のナンバーには「(もう)いいは苦は」=1098、そして固定電話には「苦は去った」=903などと入っている。この頃は、語呂そのものが何だったか、忘れることも多くなったが、なぜか昔から、私にかかわる番号には不思議と9(苦)が入っていたような気がする。勤務先で40年近く付き合った「職員番号」も、西暦で表示する「生年月日」も、そして携帯電話・固定電話の「番号」にも、歴代の自家用自動車の「登録番号」にも必ず「9」が入っていた。従って語呂合わせには「苦」の文言が入ることになったが、お陰で「9」が縁起が悪い数字などとは思わなくなったし、返って「9」と云う数字が入っているとラッキーとすら感じるようになった。脳神経外科の先生が出す数字はとっさの事なので、、語呂合わせで覚える暇もないし、仮に語呂で覚えても後ろから数字を思い出さなければならない訳だから、これは余計にパニック状態になるに決まっている。そんなわけで、次回もまたきっと記憶の片隅にも残っていない4つの数字を逆から並べるのに難行苦行しているに違いない。記憶にないと云えば、障害者団体向けの割引郵便制度を企業が悪用しDMを送付した事件で、虚偽有印公文書作成罪などに問われた厚生労働省元局長村木厚子被告の第13回公判が17日、大阪地裁であった。同被告の部下だった元室長補佐が証人出廷し、偽の証明書発行への村木被告の関与を認めた捜査段階の供述内容について「記憶にない」と、捜査段階の供述を全面否定し覆した。一方、検察側は供述調書の作文や脅迫など違法な取り調べは「全くなかった」と強調していた。しばしば捜査段階では「殺人」を自白しながら、裁判の段階で「殺していない」と自供を覆すのは、テレビのサスペンスドラマの常套手段のプロット(筋)である。まさかここでもこのプロットを活用して、捜査段階で村木被告の関与があったと証言し、裁判では「記憶にない」と証言を覆す戦術を取ったのであろうか。しかし素人判断ではあるが、この裏には上司を有罪にしないための作為が蠢いているのではないかと、あらぬ疑いを抱いてしまった。これは折角の善意の制度を悪用した許せない事件であった。例え偽物だと云っても、厚労省発行の有印の公文書であることは間違いない事実だから、最終的には決裁印を押した人のなんらかの責任は免れないと予測しているが、こんな事件が起こったことだけでも監督官庁は恥を知れと言いたい。
2010.03.20
コメント(8)
「おじいちゃん、受かったよ!」孫が志望高校の合格発表掲示板に自分の受験番号を見つけて、弾んだ声で電話してきた。この日、3月12日は私の誕生日でもあったので、誕生日のプレゼントにと、いの一番に知らせてきたのだ。側に住んでいないので、学期末に彼の通知票を見る機会もなく、日頃の勉強の出来不出来はまったく分からなかったが、娘の話しから判断すると、どうも学校でのテストの結果はいま一つで、「かつお君」といい勝負のようであった。それでもたまに進学ゼミの模擬テストで、満点に近い高得点を取ったと、嬉しげに電話をしてきていたから、今回の入試についてはそれほど心配はしていなかったが、まずは一件落着で、私の誕生日のお祝いにしてはなによりのプレゼントであった。一方、タイミング良く、衆院文部科学委員会で高校無償化法案が賛成多数で可決した。16日には衆院を通過し、参院に送られる見通しだから、孫はこの法案の恩恵を初めて受けることになりそうである。これは娘にとっては最高のプレゼントであった。ところで義務教育ではない高校の授業料が無償となることは、世界中にも例のないことではないかと思っていたら、なんと1966年(昭和41年)の国連総会で採択された国際人権規約では、中等教育(日本では中学校と高校)について、「無償教育の漸進的な導入」を求められていたようである。ところが、この条文を留保している国が、締約国160ヶ国のうち2ヶ国あって、それがなんとマダガスカルと日本だったとのこと。教育政策について日本が如何に貧弱で後進国だったかを改めて知る機会にもなった。この法案を通じて、もう一つ知ったことがある。朝鮮学校の位置づけである。今回は一応この法案適用の対象外となったが、朝鮮学校の扱いについては文部科学省に第三者による評価組織を設置し、教育内容を精査した上で最終判断をする方針を決めた様である。朝鮮学校の児童生徒は朝鮮籍が46%、韓国籍が53%、そして僅かだが日本国籍に帰化した子供もいる様である。しかし朝鮮学校で学ぶ子供達は、日本国籍は持たなくても日本に生まれ育ち、この国を愛し、日本に永住しようとしている子供達であることは間違いない。「学校」として日本国内に在りながら、なぜ今まで歴代の日本国政府はその存在を明確に認知し、位置づけをしてこなかったのか不思議でならない。まるで「触らぬ神に祟りなし」として、治外法権的な扱いをしてきたのだろうか。日本国にある学校であれば、生徒の国籍如何にかかわらず、きちんと文科省の管轄下にあるのは、至極当然のことと思っていたが、実はそうではなかったのだ。テレビ報道で、朝鮮学校の教室の様子をなんどか見る機会を得た。正面に金日成と金正日の写真が掲げられ、母国語で授業を受け、しかも教科書も文部科学省の検定を受けていない独自のものを使っている様な光景を見て、どうしてここに無償化を適用しなければならないのかという気持ちにならざるを得なかった。閣内にも、北朝鮮の拉致問題がまだ解決していないことから、無償化適用の除外を求める声があり、日本の高校に準じた教育が行われていることを確認できる国同士の正式なルートもない以上、他の学校と同等に扱うことはできないという判断で今回の見送りになったのも、やむを得ないことではあった。 ところで朝日新聞の記事に、「高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外問題で、大阪府の橋下徹知事は12日、同府東大阪市の大阪朝鮮高級学校など朝鮮学校2校を視察し、学校を運営する法人理事長や学校長らと会談した。知事は府独自の補助金を出す条件として、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との関係を絶つことや、北朝鮮の指導者を崇拝するような教育をしないことなどを要望。法人側は対応を検討すると約束した。 橋下知事は、国が朝鮮学校を無償化制度から除外した場合でも、法人側の回答次第では府独自に助成する方針だ」とあった。 これも一つのやり方かもしれないが、借金(国債発行)をしてまで無償化の財源に当てようとしているのに、、朝鮮学校がその運営実態が不透明で、日本国の法のもとに管轄されない治外法権的な存在であるということであれば、これはなかなか納得しにくいと言わざるを得ない。まずは法整備し、朝鮮学校が日本の法律に準拠した日本の高等学校であることを明確にすべきではなかろうか。そうなれば無償化の対象となることになんら異論のあろう筈もない。
2010.03.14
コメント(14)
九州大学病院の新しい病棟が竣工し、受診システムも一新した。特に変わったのが、受診の順番が回ってきた時、名前がコールされなくて、受付番号がコールされ、診察室前の電光板に受付番号が表示されるようになったことだ。これはプライバシーを守るための方策だとは思うが、名前を呼ばれることに慣れていただけに、このコールはまるで私自身が疎外されたように冷たく感じる。ところで週刊誌の鬼と言われた故扇谷正造さんが、「人の名前は土瓶の取っ手の如し」と言っているのを何かの著書で読んだ記憶がある。熱湯の入った土瓶は熱くて持てないが、取っ手さえ持てば簡単に持ち運ぶことが出来る。同様に、何を考えているか分からない他人様を自分の思い通りに動かすことはなかなか難しいが、会話の中にその人の「名前」を出来るだけ入れることによって、頑なに自分の殻に閉じこもっていた人の胸襟を開かせ、こちらにたぐり寄せることが可能だと言うわけである。名前は土瓶の取っ手と同じ働きを持つと言うのだ。いまは卒業式のシーズンだが、卒業記念写真の豆粒のように並んだ顔の中から、一番先に探し求めるのは、ひとの顔よりもやっぱり自分の顔である。利己的と言うのではなくて、人間は誰しも世の中で誰が一番大事かと云えば、やはり自分ではなかろうか。天上天下唯我独尊ではないが、この世で自分ほど偉いものはないと云う自惚れの気持ちを、もしかしたら誰しも心の底に持っているかも知れない。しかしこれは他人からそれを認めて貰えなければ、たんなる自己満足に過ぎない。その大事で可愛い自分を象徴しているのが、他ならぬ自分の名前だと考えている。まさに名前は私自身なのである。代名詞で私のことを呼ばれるより、名前で呼ばれる方が数段嬉しく感じるのは、この所為である。例は悪いが場末の飲み屋でママさんから、この世界の代表的な代名詞である「社長サン」と呼ばれるより、「クリントさん」と呼ばれる方が、どれほど自惚れを満足させられるか言うまでもない。昭和が終わりの頃に、入間カントリーのフロント係をしていた長谷川浩子さんが書いた「顔と名前を覚える法」という本があった。彼女は一度あっただけで、数年ぶりに来場したお客様にも「おはようございます○○様、お久しぶりですね」と挨拶ができる。その数はなんと一万人を越したという。これはその記憶術のノウハウを書いた本であるが、彼女の挨拶を聞いて大抵の人は「覚えていてくれたのか」とたいそう喜び、たちまち彼女のフアンになったようである。とにかく名前を覚えるだけで、人はどれだけ喜び感激するかを、一万件以上の例証をもって示し、名前がその人自身にとって如何に大事なものであるかを教えてくれたのだ。ところが、この何より大事な名前を踏みにじった輩がいた。旧社会保険庁である。年金記録のずさんな管理で、なんと納付者を特定できない国民年金や厚生年金の納付記録が、2006年6月現在、5095万1103件も出てきたのだ。その理由として挙げられたのが、1オンライン化する前の記録ミスがそのままコンピュータに残ったこと。 2氏名、生年月日、性別、住所を軽視していたこと。 3漢字カナ自動変換システムによる記録の誤りがあったこと。 4過去の記録の誤りを減らす取り組みをしなかったこと。 5システムの開発・運用を長期間に渡り特定の業者に依存していたこと。 6不正行為防止のための内部事務管理態勢が不十分であったこと。 などであったが、1~3までの項目を見ると、社会保険庁が如何に人の名前を軽視して来たかを物語っているではないか。同姓同名で同じ誕生日の人が他にいないなんて保証はどこにもないのに、住所と名前と性別と生年月日だけで管理しようということ自体がだいたい無理なのである。おまけに「シロウ」とインプットして変換しても四郎・史朗・士朗・史郎・志郎・司郎等々と並ぶのに、どのシロウか正しのかチェックもしなかった結果、それは別人となって記録され宙に浮いてしまう。婚姻で姓が変わった場合、それが従来の自分と正しく統合されず、旧姓の自分は別人となり、これもまた宙に浮く。勤務先や住所の変更のたびに事務的なミスで、またもや新たな宇宙人を作ってしまう。もう現状のやり方では公的には、私自身を客観的に私であると特定することが出来にくい時代が来ていると言っても過言ではない。ならば公的に私が唯一私本人であることを証明できる方法はないのだろうか?賛否両論があるが、国民統一背番号制というか、国民ID制度みたいなもの以外には方法はないのかも知れないと考えている。とにかく現在バラバラな、税務、社会保障、運転免許証、パスポート取得、教育、選挙などが一つの番号に統合されることの方が、行政のサービスをより的確迅速に享受できるのではないかと思われる。もはや情報漏洩やプライバシーの侵害などを心配するより、例え番号制で管理されようとも、どんな局面でも私が私として間違いなく認知されることの方がず~っと大事に思えてならない。
2010.03.08
コメント(10)
「私は創業家の孫だ。すべてのトヨタの車には私の名前が入っている。私にとっては車が傷つくということは、私自身の体が傷つくことに等しい」と米議会の公聴会で、安全性の問題を自分自身の信条として如何に重視しているかを印象づけた豊田社長の弁であった。米議会の公聴会と云えば、上下両院の各委員会が情報収集のため、閣僚、企業経営者、専門家などを呼んで開催し、証人が意見陳述後、質疑を行うのが一般的である。選挙を控え議員が存在感をアピールする政治ショーの側面もあるので、今回の豊田社長は格好の餌食になった感がなくもない。それにしても四面楚歌のなか、日本を代表する経営者が独りバッシングを受けるのを見るのは、なんともやり切れない思いだった。オリンピック観戦ではないが、豊田社長の答弁に、「頑張れトヨタ!」「頑張れニッポン!」と私同様エールを送りながら視聴していた日本人もかなりいたに違いない。この公聴会で米議会や世界各国のトヨタ追及が峠を越したとは思えないが、遅ればせながら矢面に立ち、深甚の謝罪とそれなりに毅然とした対応で、その矜恃を保ったことは良しとしたい。この公聴会では安全性の問題が最初に追及されたが、もう一つには対応の遅さにも言及された。豊田社長は、「これまでトヨタではリコールを実施するかどうかの判断は、主管部署である品質保証部が、技術問題の有無を確認し、法令に照らし合わせて必要かどうかを根拠に決めておりました。しかしながら、今回の問題を振り返ると、私たちにはお客様の視点で品質問題を考えるという視点が足りなかったと考えます」「意思決定プロセスを次のように改善いたします。リコール実施の可否に経営陣がお客様の安全が最優先との視点から責任ある判断を下すしくみを加える、そのために世界中のお客様の声がタイムリーに経営陣に届く仕組みと、必要に応じて各地域でお客様に近いところで判断ができる仕組みを構築いたします」これは意外であった。当然トヨタは「お客の安全が最優先」と考えて経営していると信じていたら、そうではなかったのだ。真摯に反省したのは評価できるとしても、トヨタ車の安全基準は自社の品質保証部の見解が絶対的なもので、お客様が起こした事故は偶発的な運転者のミスだと判断していたのだ。おまけに、お客様の声がタイムリーに経営陣に届いていなかったこと、しかも決定権は本社に集中していたから、決断が遅くなったことを図らずも告白することになってしまった。図体が大きくなりすぎて総身に知恵が回らなくなったのか、動脈硬化を起こしていたのか、経営陣が裸の王様になってしまっていたのか。責任の所在は曖昧になり,意思の疎通は不足気味,そして意思決定の遅さ,加えて現場軽視,そしてこれらの兆候に対する危機感の欠如、まさにトヨタは大企業病への道をひたすら突き進んでいたのかも知れない。その意味では、今回のリコール問題は、経費的にも販売戦略上からも、大きな痛手には違いないが、本物の世界企業に脱皮するための苦い苦い良薬だったかも知れない。トヨタの再生は「made in Japan」の復権にも直結すると言える。私はトヨタ車のユーザーではないが、「TOYOTA」のブランドは、日本製の品質の優秀さを世界に誇る一つの象徴であると思っていた。従って今回の豊田社長のアメリカ議会の公聴会への招致は、まさに「ニッポン」というブランドが糾弾される場でもあったし、日本の誇りを守るための出陣だとも認識していた。会場でこの問題を追及する急先鋒のダレル・アイサ筆頭理事の嫌らしいまでの厳しい表情と質問の嵐は、日本にいる私にもビンビン響いて来て、胸の痛む思いであった。ところで豊田社長は公聴会を終えた24日夜、ワシントン市内で米国トヨタの販売店や工場従業員と会合をもった。その席で緊張から解放されたためか、彼は「公聴会でも私は一人じゃなかった。あなた方やあなた方の米国中の同僚と一緒だった」と言うと、絶句して涙ぐんだ。この涙は創業以来営々として築き上げてきたトヨタの信用や誇りを、徹底的に傷つけられた悔しさが一気に爆発したものと思われる。しかし彼と一緒だったのは、なにもトヨタ関係者のみではない。「トヨタ」そして「日本」を心から愛する日本国民も固唾を呑んで見守っていたのだ。もう一度言おう「頑張れトヨタ!」「頑張れ日本!」
2010.03.02
コメント(14)
この頃散歩していると、表札に二つの違う姓を連記して表示されているのをよく見かける。たぶん娘さん家族と一緒に暮らしている二世帯住宅だろうとか、離婚して実家に戻った娘さん親子が婚家先の姓のままで親と同居しているのかも知れないなどと、門構えや干し物などを見てあれやこれやと詮索して楽しんでいる。しかし、もし夫婦別姓が法的に認められるとなると、異なる姓が連記してある表札を見かけることが多くなり、プロファイリングを楽しむどころではなくなるかもしれない。冗談はさておいて、この夫婦別姓にはどんなメリットがあるのか良く理解できないが、デメリットの方はすぐに思いつく。例えば、*我が家の墓や位牌は「○○家先祖代々之霊位」となっているが、仮に妻と息子が私と別姓になると、さきざき私の霊は居場所を失い彷徨うことになる可能性がある。仮に、○○家先祖代々之霊位と△△家先祖代々之霊位と連記したお墓や位牌で祀ってくれても、人見知りの私には、なんとも居心地が悪く落ち着かないに違いない。*同姓の親子と異姓の親子では、例え血のつながりあると云っても、子供達が物心が付いた時、姓の違う親の存在を一体どう受け入れるだろうか。両親は本当に愛があって一緒になったのかと不審に思うかも知れないし、もしかしたら自分は連れ子ではないかとひねくれてしまわないだろうか。*同じ屋根の下に住みながら、別姓だと家族としての連帯感がうすれはしないだろうか。同床異夢ではないが、同床異姓では家庭崩壊に繋がりかねない。それでなくても家の中で存在感が薄れている夫は、同姓で連携を強めている母子から家庭内疎外に遭い、心の安らぎどころか居場所すらなくなる可能性がある。*入籍しているか否か他人には簡単に判断できず、本当の夫婦であることや親子であることを、他人が見分けることは非常に難しくなる。おまけに、独身かもしれないと思い込んだ異性からの交際の申し込みが殺到し、ついつい浮気や不倫に走ってしまう事態が起こりかねない。*別れたい人にとってはメリットかも知れないが、離婚しても姓が変わらないとなれば、世間体に気兼ねすることはないし、安易に離婚に走る可能性は極めて高い。これは家族制度そのものの崩壊へ直結しかねない。それでは、夫婦別姓推進派は何を主張しているかと言えば、1.女性の社会進出が進み、職場に於ける女性の地位も向上した。故に婚姻前後で姓を変えることは仕事上に色々な差し支えが出る。※これは職業的には「通称使用」で事足りるではないか。作家も芸能人も本名を使っている方が珍しいのだから、これに倣えばよいではないか。「仕事のことを家庭にまで持ち込まない」と云うのは、かって男達にとっては不文律であった。職業上差し支えがあるから別姓にするというのはまさに公私混同で、仕事を家庭にまで持ち込むのと同じ事ではないだろうか。2.婚姻により姓を変えることは、様々な名義変更や社会的手続きが必要となり、これは一種の人権侵害である。※これらの手続きこそが、法的に配偶者として認められる人権の保護策に他ならないではないか。どんな風に考えればこれが人権侵害になるのであろうか。3.現行法上では離婚したら旧姓に復することになるが、夫婦別姓であれば婚姻時も離婚時も無駄な労力を使う必要は無くなる。※結婚は離婚を前提にしてするものではないはずである。離婚時の利便性を考えて別姓にするなどとは、結婚や家族制度に対する冒涜以外の何ものでもないと思う。福島瑞穂さんや千葉景子さんら社会党系の閣僚が、なぜこれの法制化にこだわるのか、いったい誰のための法改正なのか、なにか裏の意図でもあるのかと勘ぐらざるを得ない。国民新党の亀井静香郵政改革・金融相が19日、選択的夫婦別姓制導入を含む民法改正について「家族の絆が切れ、バラバラになってきているのに、わざわざ家庭内の姓が別になる状況にすることは絶対にやってはいけない。国民新党は絶対に反対する。民主党がどんなに手続きを進めても、そういうのは無駄だ」と反対意見を述べていた。私はこの法案に反対と云うより、この緊急事態のときに、こんな意味のない法改正の審議にのんびりと時間を割かないで欲しいと言いたいのだ。
2010.02.23
コメント(10)
作家の塩野七生さんが文藝春秋の三月号の巻頭随筆に、「仕分けで鍛える説得力」と題する文を掲載している。その中に事業仕分けで見せた各省庁の高官達の説得能力の絶望的なまでの低さに愕然としたとあり、外交問題でも首相や大臣が出てくるまでの事前交渉を担当した高官達の日本語がこの程度では、外国語を使っての表現能力は母国語のそれを絶対に超えることはないのだから、これまでの対外交渉が日本の国益に反する結果で終わっていたのも当然だと述べている。ここでは官僚達の説得能力不足の原因にも言及しているが、ともかくこの事業仕分けの場は彼らにとって説得能力を鍛える絶好の機会になり、もし鍛えられれば日本の国益にも利することになるだろうと、いくつかの興味あるヒントを提供してくれている。そして、事業仕分けを活用して説得力を鍛え上げた官僚は、日本にとっての大きな資源になるだろうとまで言い切り、「初めに言葉ありき」とは最後まで「言葉ありき」なのであると、言語能力の必要性を訴え結んでいる。たまたま昨年の11月28日にクリントの日記でも「頑張れ官僚!」と題したブログをアップした。そこには「世界に誇る頭脳集団、日本の官僚がこのままでいる訳がない。必ずや言語力を磨いてリベンジするに違いない。それは国民にとって政治がより分かりやすくなることであり、結果的には国益に直結する事になることだと信じている。頑張れ官僚!」と、官僚バッシングの嵐の中で小さくなってエールを送ったものだが、塩野さんは誰に遠慮もなく、声高らかに鍛え方までアドバイスしてエールを送っているからさすがである。ところで、私の現役時代の赴任先の一つに四国徳島がある。そのころ、「カミソリ後藤田」の異名をもつ後藤田正晴氏がここを選挙区とする衆議院議員だった。彼はもとは警察庁長官という高級官僚出身だが、内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、副総理、法務大臣などを歴任した切れ者であった。その彼が残した、「後藤田五訓」なるものがある。内閣官房長官の後藤田氏が、部下の室長達に与えた訓辞を内閣安全保障室長だった佐々淳行氏が紹介したものである。一、出身がどの省庁であれ、省益を忘れ、国益を想え 二、悪い本当の事実を報告せよ 三、勇気を以って意見具申せよ 四、自分の仕事でないと言うなかれ 五、決定が下ったら従い、命令は実行せよ この五訓を裏返してみよう。一、自分の出身の省庁こそ命なり。国益はどうでも良いから省益を最優先すべし。二、悪い情報は報告すべからず、良い情報だけを報告すべし。三、自分の意見は言うべからず。まして諫言などもってのほかのことなり。四、それは自分の担当でないと主張し、仕事は出来るだけ他所に転嫁すべし。五、上司の言には面従腹背を旨とすべし。なるほどこうやってみると、官僚の体質が忽然と浮かび上がってくるではないか。残念ながら「後藤田五訓」が世に出てから、やがて30年になるが、この体質が変わった気配はあまり感じられない。鳩山政権は「脱官僚依存」を標榜しているが、これはあくまで本来政治が責任を持って担うべき部分まで官僚に依存してきたことから脱却しようと云うことであり、官僚を排斥しようと云うことではないと理解している。しかし裏五訓のような官僚はもう要らない。行政刷新相も枝野幸男氏に代わり、事業仕分けも単なるイベントではなく、さらに本物の政治軌道に乗せてくるに違いない。まさに塩野七生氏の言う通り、いまこそ官僚が自らを鍛え本物の資源に変身しておかなければ国益はもとより日本再生も期待できない事態に陥ってしまう可能性が大きいのである。その意味で「真の官僚力」がもっともっと発揚されることを心から願っている。
2010.02.17
コメント(14)
私にとって耳障りな言葉の一つに「地デジ」がある。内外痔核の手術を昨年夏にするまでは、まるで私の弱みを囃し立てられているかのようで、この言葉を聞く度にいやな思いをしたものである。幸い手術後はあまり気にならなくなっていた。ところが先週の土曜日、左の耳の当たりが腫れ上がり痛みが増したので、大学病院の耳鼻咽喉科を訪れた。そこでの診断名は「先天性耳瘻孔(じろうこう)の炎症」、またもや懐かしい響きに出会ったが、今度はそれ程耳障りには感じなかった、現金なものである。「先天性耳瘻孔」とは、生まれつき耳介の前方に小さな孔(あな)があり、この小さな孔の下には袋状のものが隠れていて、そこに分泌物がたまり、それが感染の原因となって炎症を起こし、感染すると袋ごと発赤してはれあがり、孔の周囲に痛みを訴え、袋からさらに周囲の皮下組織に炎症が及ぶと発赤とはれが拡大し、膿がたまり激痛になるというものである。この症状は20年ほど前に一度経験した。土曜日の段階では痛みはあったが、それ程の腫れがなかったので、担当医は1週間分の抗生剤を処方して、再来の予約はしてくれなかった。私としてはこれで終わったものと思っていた。ところがその夜から、腫れと痛みが激しくなってきた。終わりどころか始まりだったのだ。火曜日は、大学病院でのホジキン病の経過観察日だったので、まず血液検査を終え、血液内科の担当医の診察を受け、次に予約無しで耳鼻咽喉科に回った。土曜日の初診の時も、予約無しの外来だったので約2時間待たされたが、今回も予約無しの外来なので待つことは覚悟していたが、なんと2時間半も待たさたあげく、結局は切開手術をして膿を出すことになった。局所麻酔の注射も痛かったが、切開して膿を吸引したり押し出したりの痛かったこと痛かったこと、必死で歯を食いしばったのか、口内裂傷があちこちに出来ていた。おまけに悲しい訳でもないのに、歯を食いしばるたび涙がボロボロと流れた。看護婦さんが「痛いですね、痛いですね」と一生懸命に腕をさすってくれたが、そんなもので治まる訳もなかった。やっと終わった。手術の時間は、おそらくは15分か20分ぐらいのものだったかも知れないが、今までのどの手術と較べてみても、これほどの長さと痛さを感じたことはなかった様に思う。手術後におよそ1時間ぐらい抗生剤の点滴を受けてベッドから起きあがると、よほどヨタヨタとして危なげだったのか、看護師さんが「付き添いのご家族の方は?」と聞いてきた。「一人です!」と毅然として答えたものの、大の男が涙を流して痛がっていた様子を傍で見られていただけに、なんとも恥ずかしくて這々の体でその場を逃げ去った。ところで切開手術の前に、舌根部のホジキン腫瘍の放射線治療後の状態を内視鏡で写真に撮られた。耳鼻咽喉科の担当医はbefore とafterの写真を提示して見せてくれた。少なくとも私の目には治療前の腫瘍は完全に消えてなくなっているように見えた。最終判断にはもう少し時間的経過が必要なので、改めて3月末にCTスキャンの結果と付け合わせてみて、放射線治療効果の最終結論を出すことになっているが、私の勝手な予測では、放射線治療は間違いなく効果があったと信じている。それでなくては、いまだに戻らない味覚に堪え忍んでいる甲斐がない。放射線担当医は2~3ヶ月で味覚は戻ると言い、血液内科の担当医は戻るのに半年はかかると言う。どちらが正しいのか今のところ全く予測がつかないが、今日こそは今日こそはと思いながら朝を迎えているが、いまのところ毎朝、その期待は落胆に変わっている。先日、かみさんへの慰安も込めて、遂に封印していた外食に誘った。日頃よく行っていた中華料理店で天津飯、割烹料理屋で昼定食、蕎麦屋でざる蕎麦と天丼、うどん屋でゴボウ天うどん、ラーメン屋で博多ラーメン、それに回転寿司屋で幾皿か、いつも食べていたものを日を変えて食べてみた。しかし残念ながら、結局どれも懐かしい味には出会えなかった。それでもただ一つ嬉しい変化が現れてきた。今までは何を口に入れても同じ味(無味)だったのに、なんとご飯と漬け物の味が違うように感じ始めたのである。まだ単なる濃淡の違いぐらいの感覚に過ぎないが、これは私にとっては大飛躍である。ただ口惜しいことには、口では甘みを全然感じないのに、今回の血液検査ではなんと血糖値が111mg/dlと基準オーバーにでたことである。口をさしおいて、体はすでにきちんと甘みを感じ取っているのだ。許せない!
2010.02.11
コメント(12)
参院の代表質問をテレビ中継で見ていたら、ヤジについて世間から厳しく非難されているにも拘わらず、相変わらす意味不明な騒音を撒き散らしていた。ところで政治家のヤジと云えば、鳩山首相の祖父鳩山一郎氏の盟友で、保守合同(自由民主党結党)の立役者といわれた三木武吉氏は大臣にこそならなかったが、「ヤジ将軍」として名を残した。勿論、直接見聞きしたわけではないから、彼のヤジがどんなものであったかは知る由もないが、次の話しはウイットに富んだやりとりとして、いまだに語り継がれている。選挙の立会演説会において、相手候補から「ある有力候補のごときは、妾を4人も持っている。かかる人物が国政に関係する資格があるか」と批判された。次に演壇に立った三木武吉は「私の前に立った候補者がある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。正確を期さねばならんので、さきの数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごときは、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」宇野宗佑氏が神楽坂の芸妓から告発された事件や、週刊文春にすっぱ抜かれた夜這い不倫疑惑の山崎拓氏のスキャンダルなどと違って、このあっけらかんとした発言は、彼の人物評価に貢献こそすれマイナスには働かなかった様である。ところで渡部昇一氏の著作「日本の歴史」戦後編のなかで、「保守合同から五十年以上経った今、日本は桁違いに経済力がついた。にもかかわらず、政治的には幼稚になってしまった。(中略)若い頃から女性に鍛えられたことのない男性が政治家になっているからではないか」と嘆いている。同氏によれば、昔は日本の男は花柳界で鍛えられたと言う。そういえば確かに花柳界の女性にモテないような男は出世できないとよく聞かされたものである。酸いも甘いも噛み分け、男を見る目が誰よりも確かと云われるこの世界の女性にそっぽを向かれる様な魅力のない男では、政治の世界に限らずあまり見込みはないのかも知れない。モテると云えば、最近「非モテ」というSNS(social networking service)サイトに出会った。異性から好意を寄せられない人々を対象に「非モテが互いに傷を舐めあったり、非モテ男女が出逢ったりするSNS」として開設され、会員は「恋人ができたら即、退会」、「日記は『非モテ』に関する悲惨な話題に限る」といった決まりがある。別のサイトに、「あなたの非モテ度は」と診断してくれコーナーがあったので、質問項目を入力して診断して貰ったら、「非モテの兆候が確実にあらわれています。ぎりぎり一般人のレベルですが年齢と共に非モテレベルは深まっていくでしょう。これ以上踏み込むと非モテ街道まっしぐらです。とりあえず、こんなサイトを見ているヒマがあるなら自分を磨くことをお薦めします」とあった。今後、政治家になるつもりもないので、いまさら女性に鍛えられる必要もないが、老いたりとはいえ、それなりにはモテたいので、お勧め通りせめて知性と教養ぐらいは更に磨きをかけたいと思っている。ところが先日、テレビの番組で「非モテ」に関する驚愕の放送を目にした。従来「非モテ」といえば、恋愛したいのに異性にモテない人のはずだった。それが最近は「自主的にモテたくない人」を指す言葉に変化しているのだという。異性に興味はないが性欲はあり、異性ではない別の何かで興奮するといった人たちだ。彼女、彼氏は趣味の邪魔になるだけであり、「切ない」と云った感覚や「好き」という感情が湧かないというのである。まさに人間に興味を失った人たちである。もしかしたら、アバター(ウェブサービス上に用意された仮想空間で、自分の分身として顔・髪型・服装・装飾品などを自由に選択して作成できるオリジナルキャラクター)が、現実の世界にまで舞い降りてきてしまったのだろうか。人に接することがなくて、彼らは何によって己を鍛えるというのだろうか。はたまた自分を鍛えること、そんなことにすらも関心を抱くことがなくなったのだろうか。むかしむかしあるところに、「女性によって鍛えられた男たち」がありました。そんな時代が懐かしい。
2010.02.05
コメント(12)
「国会崩壊」と題したコラムが1月29日朝刊の読売新聞に掲載されていた。28日に成立した今年度第2次補正予算の審議過程の強烈なヤジ、答弁拒否、指名なしでの閣僚席飛び出し等々は、閣僚や議員にあるまじき行動であり、襟を正せと云うわけである。確かに、この委員会でのヤジがあまりひどくて閣僚の答弁が聞き取れないことが多かった。ましていわんやヤジの内容も、誰が発しているヤジなのかも知る由もなく、だだ五月蝿いだけの委員会であった。テレビ中継を見ているとたくさんの議員が映っていたが、主役は質問者と答弁者のやりとりであり、それ以外の人はただ聞いているだけで、反対意見があってもそれを発する機会が与えられた訳ではない。となれば野次でも飛ばしておかないと、選挙民に対して自分の存在をアピールできないとでも思っての言動だったのであろうか。聞くところによれば、TV中継のない委員会では野次が飛ぶことなどは稀であり、野次どころか欠席する議員も多いと聞く。でもヤジを飛ばすことが、もし自分の存在をアピールするためなら、それは思惑外れと云うものである。少なくとも視聴者である私にはヤジの発声者が誰なのかも、なにを言っているのかも全然分からなかったからである。この読売新聞のコラムは、閣僚側のヤジや言動にも言及して、一例として、亀井金融相は閣僚席から強烈なヤジを飛ばし、自分がヤジられると答弁中でも相手を怒鳴りつけ、「くだらん質問には答えられん」と答弁拒否をしたり、とにかく委員会の議場は与野党議員のヤジで発言者の声さえ聞こえなかったと報じているから、余程ひどい状況だったにちがいない。ところで「ヤジる」は、大辞林によれば「他人の動作や発言などに、からかいや非難の言葉を浴びせる」と大まかに定義しているが、英語ではもっと細かに「ヤジ」を分類している。例えばジーニアス和英辞書で「ヤジ」を検索すると、booing(ブー・観客が発する非難不満の声)jeering(あざけり、ひやかしの言葉)heckling(演説でのヤジ)bird (ブーブーというヤジ、不満の口笛) catcall(劇場などでのネコの鳴き声のヤジ、ひやかし)hoot(ワーワーやじる声、不満・不賛成の叫び声、あざけり)と並んでいる。この中の、heckleとはOXFORD現代英英辞典によれば、、to interrupt a speaker at a public meeting by shouting out questions or rude remarks(公の会合で質問を大声で叫んだり、不作法な言葉で発言者を妨害すること)とあるから、国会での「ヤジ」は本来この範疇に入るかも知れないが、今回の委員会での「ヤジ」合戦は、視聴者無視の、いや国民無視の与野党が競ってのhoot(=to make a loud noise=大きな騒音を出すこと)合戦で、とても「ヤジ」と言えるほど上等な代物ではなかったと言える。これが知性と良識の府と言われる参議院の予算委員会かと目を疑ってしまった。知性と云えば、この委員会で菅直人副総理が自民党の林芳正前経済財政担当相との質疑で答弁に詰まり、審議を中断して官僚の助言を仰ぐ場面があった。菅氏は自民党政権は「1兆円の予算で1兆円の効果しかないやり方をやってきた」と前政権の投資は経済波及効果が低かったと批判した。 すると林氏は「乗数効果のことを言っているのか」と反論し、子ども手当の乗数効果を質したところ、菅氏は子ども手当の支給額のうち消費に回る割合を示す「消費性向」について「おおむね0・7程度と想定している」と答えてしまった。 林氏は「消費性向と乗数効果の違いを説明してほしい」と追及すると、菅氏は答弁に困窮し、審議は4回もストップしてしまった。この場面をテレビでみていて、財務大臣としての菅氏の無知さも情けなかったが、その違いを理解していないことが充分に見て取れたにも拘わらず、4回もその違いを説明せよと攻め立てる林氏のいやらしさにも、だんだん苦々しい思いが募ってきた。途中まで林氏の質疑の内容を聞いていて、自民党にもまだこんな論客もいたのかと、この政党も満更ではないと見直し始めていた矢先だけに、もし林氏が、「よくご理解されていないようですので、その違いをご説明しますと・・・」とサラッと大人(たいじん)の風格で、諭すようにその違いを説明をしたうえで、改めて質問を投げかけるような展開にでもなれば、さすがに良識の府は違うなぁと、その存在感を示すことが出来たものをと残念でならない。いずれにしても、こんな「騒音の府」では、早晩、参院不要論が大きく頭をもたげてくるに違いないと思わせる参院予算委員会であった。
2010.01.30
コメント(14)
民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件に関する報道が、これでもかこれでもかと毎日賑やかなことである。それにしても不思議なことに、まるで見てきたように検察の取り調べの状況や逮捕された秘書や代議士の発言が報道されている。情報源は「関係者によると」と一応断っているが、これがどんな関係のある人かは私には皆目分からないが、もしこれが嘘の情報でなく本当の情報だとすれば、捜査中の事件なのにこれほどあからさまになるのは、誰かが秘守義務を違反し、情報を漏洩しているのではないかと思ってしまう。23日の読売新聞の朝刊には、午後には東京地検特捜部による小沢氏への任意の事情聴取が東京都内で行われる予定だと報道されているが、その記事のなかに「石川容疑者は逮捕前、特捜部に対し、小沢氏から受け取った現金4億円を同会の口座に分散入金し、土地代金に充てたと供述。さらに、逮捕後の調べに、4億円を収支報告書に記載しない方針について、土地購入前の04年10月下旬頃、小沢氏に報告し、了承を得ていたと供述している。特捜部は、小沢氏が石川容疑者らと共謀し、収支報告書に虚偽の記載をした可能性があるとみて、報告書の作成経緯について説明を求める]とあり、これには特捜部が情報源とある。しかし特捜部が小沢氏にどんな事情聴取するかを事前に公表するという行為は、秘守義務に違反していることにはならないのだろうか。いくつかのメルマガやブログには、この騒ぎは検察がわざとメディアに情報をリークして、小沢幹事長の悪のイメージを世間にばらまき、最終的には検察の勝利を勝ち取るための策略だとうがった意見もある。また原口総務相はテレビの報道がその情報源を「関係者によると」などと出自を明確にしないのは不適だと、まるで裏付けのない情報を報道しているかの様に言い、官房長官も国策捜査の可能性もあり得る様なことを匂わせ援護射撃をした。その一方で、当事者の小沢幹事長は法に違反していることは一切ないと断言し、検察と闘う対決姿勢を露わにし、正義は我にありと云う姿勢を貫いている。素人の私はいったい何を信じて良いのかサッパリ分からない。とにかく、「政治とカネ」にまつわる一連の騒ぎで、折角の通常国会で重要な法案を審議しなければならないこの大事な時に、こんなことで時間を浪費されているのはなんとも情けない。それにしても国会で容疑者?に黒白をつけなければ、本来の審議が出来ないというのであれば、いったいだれに法案審議をお願いすれば良いのだろうか。ましてや検察が捜査中の事件なのに、国会も参考人招致や証人喚問などして、事の真相を質そうとするのは、検察の捜査権限に対する侵害にはならないのだろうかと心配になってしまう。ところで、叩けばみな埃が出ると云われる政治家に、本当に清廉潔白な人が存在するのだろうか。もはや政治家に清廉潔白を求めるのは、百年河清を待つのと同じ事なのではないか。もしかしたら、有能な政治家、特に有能な首相や閣僚には、ある程度の狡かしこさや強かさそして老獪さも必要なのかも知れない。なんの瑕疵もない人生を歩んできた人よりも、悪事?を含め色々な経験を積んできた人の方が器量も度胸も備わっていて、外交問題でも国益に叶う外交を堂々と展開してくれるだろうし、国政での難局に直面した場合にも、強いリーダーシップを発揮し、慌てふためかず粛々と事に当ってくれる可能性が高いように思われる。ただ問題は国民感情として、こんなダーティな人を信頼して日本国をお任せできるかどうかである。しかし、もし今私に次の四択の中から一人の政治家を選べと云われたら、いまの日本の置かれた情勢に鑑みて、間違いなく(3)を選ぶと思う。但しこれは小沢氏をイメージしているのではない。小沢氏は政界の黒幕的な実力者には違いないと思っているが、政治家として有能であるとは評価していないので念のため。(1)清廉潔白で有能な政治家(2)清廉潔白だが無能な政治家(3)ダーティだが有能な政治家(4)ダーティで無能な政治家
2010.01.24
コメント(12)
我が家のミーコも今年21歳になった。猫の寿命は10~16年と言われているが、21歳と云えば人間なら100歳ぐらいにはなるらしい。ところで、心臓が1回ドキンと打つ時間を心周期と言うが、人の場合はおよそ1秒に1回、ハツカネズミは1分間に600回から700回も脈打つから1回のドキンに0.1秒しかからない計算になる。ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかると言われる。哺乳類の心臓は、一生の間に概ね15億回は打つということから、それぞれの動物の平均寿命が予測されているが、勿論これだけが寿命を決める絶対の根拠ではない。でないと、象は人間の3倍も長生きすることになり、今の人間の寿命がだいたい80歳だから、象は240年も生きることになってしまう。そんな難しい話しはともかくとして、同じ一生でも動物によっては超スピードの一生があったり、ゆっくりした一生があったりする。また同じ動物でも、100mの短距離走法で走る生き方もあれば、42.195kmのマラソンを走るような生き方もあり、千差万別である。同じ事は社会的な現象にも言えるような気がする。例えば縄文時代は紀元前145世紀から紀元前10世紀ごろまでと言われるが、この縄文時代の一生は約1,350年も続いたことになる。近世、近代、現代のそれぞれの時代の移ろいは縄文時代から較べれば、50m走より速いと言えるのかも知れない。また「歴史は繰りかえす」と云う言葉があるが、これは社会的な現象は周期性を持って回帰するということで、戻ってきた時点は一つの区切りであり、一つの人生が終わり、輪廻転生ではないが次の人生の始まりとも考えられる。この社会的な周期のスピードが、昔と較べて速くなってきて、象の一生みたいな速度から、だんだんネズミの一生の速度に変化してきたと思われる。だから一昔前は「歴史は繰り返す」現象を、生きているうちには見ることができなかったかも知れないが、今は一生のうちに「アレ?これは以前見たことのある現象だ」と何度か体験する可能性が高い。例えば金融問題を見ても、1929年の暗黒の木曜日(ブラックサースディ)、1987年の暗黒の月曜日(ブラックマンディ)、2008年のリーマンショックによる世界金融危機の勃発。なんとこの100年、僅か一世紀の中で3回も大きな金融恐慌を繰り返しているのだ。戦争も第一次世界大戦、そして第二次世界大戦と2度も大きな戦争を繰り返した。「昭和史からの警告」(船井幸雄・副島隆彦著)によれば、今の日本は戦前の昭和初めと実にそっくりだと言い、戦争への道を阻めと「繰り返し」を心配して警告しているのだ。政治の世界も愚かなことの繰り返しに明け暮れている。それにしても「政治と金」の問題は、何故にこうも繰り返しが絶えないのだろうか。自民党時代に小沢氏が師と仰いだ田中角栄元首相はロッキード事件で、金丸信・元副総裁は巨額脱税事件で東京地検特捜部に逮捕起訴された。そして政治資金規正法違反で遂に小沢氏本人にも事が及ぼうとしている。間近で師匠達が検察と闘って破れた姿を見て、カネのかからない政党本位の選挙を目指し衆院小選挙区制の導入や企業献金規制の強化に貢献して来たにもかかわらず、上手の手から水が漏れたのか、師匠達と同じ道を歩むはめに陥りそうな気配である。ところで、昭和の50年代の後半に大前研一さんの翻訳本で「エクセレント・カンパニー」という本があった。その中で著者が超優良企業の共通項を幾つか挙げていたが、その一つに「基軸事業から離れない」と云うのあり、何故かそれだけが頭に残っている。丁度、世の中は多角的経営を指向していた時代だっただけに、現業を捨て時代の変化に対応して多角化して行くのが優良企業だと思っていた。ところが多角化に失敗した企業がその間に本業をないがしろにしたお陰で、戻るべき基軸がなくなり、この世から淘汰された会社が多発した。その会社がもっとも得意とする基軸の事業からの離脱は、事業の失敗ばかりか、会社そのものの存続にも影響することを、見事実証してくれたものである。およそ物事が右肩上がりに直線的に発展することは稀で、螺旋的に昇って行く方が自然である。しかしこれを鳥瞰図的に上から見れば真ん中を軸として回り回りしながら元に戻っている様に見えるに違いない。 ひと回りして中心軸に戻り、その軸から再び次の一回りに出発する。だから、上から見れば単なる繰り返しに見えるかも知れないが、横から見ればそれは一段高い位置の軸に戻り、そこからの再出発ということであり、これは単なる繰り返しということではない。もし軸に戻るたびに、一段と低い位置に戻るとすれば、それはまさに奈落の底に落ちて行くアリ地獄そのものだ。今の政治家は、多かれ少なかれこのアリ地獄の螺旋の渦の中にあるように見える。これでは国も民も衰亡の一途を辿って行かざるを得ない。全ての政治家が、政治家の基軸は利権にありと考えている訳ではないだろうが、真の基軸に目覚め、螺旋的に成長して、一刻も早く国の発展と国民の幸せに貢献して欲しいと熱望している。
2010.01.18
コメント(14)
「百貨店の初売りの福袋が欲しい」年末が近づくとかみさんが必ず口にする。昨年、初売りの福袋を求めて並んいるあの長蛇の列をテレビで見てからというもの、並んでまで買い求める気力も体力も萎えてしまった。かみさんの要望は今年も無視することにしたが、世間では、この福袋販売は不景気にもかかわらず各地とも異常ともいえるほどの人気ぶりだったようである。もともと福袋と言えば、値段以上の商品は入っていることは間違いないが、中に何が入っているかは皆目見当もつかないので、その当たり外れの嬉しさや悔しさ、予想もしない商品をゲットしたときの満足感などを楽しむものだった。ところが最近では中身が宝飾品や電気製品や衣料品の場合、購入前に中身の確認が許されたり、袋の素材が透明で中身が見えたりなどといった方法がとられ、だんだんギャンブル性は失われてきて、ディスカウントセールの一つの方法に変わって来たようである。ディスカウントセールと云えば、家電製品をメインとするジャパネットタカダの販売方法に代表されるパッケージ商法がある。 組み合わされた商品を単純に足し算をすると、これは確かに値段は安い。但しこのパッケージの中には私が必要としないものが含まれていることが多い。例えばノートパソコンにはプリンターがセットになっていたりする。プリンターは既に我が家にはある。一般家庭では一家に1台もあれば充分である。しかし要らないものが含まれているとはいえ、やっぱり安い。なんとも悩ましい話しである。よくよく考えてみたら、これも最近のシースルー(seethrough)の福袋と同じ商法と言える。なんと、ジャパネットタカダでは一年中、中身の見える福袋を売っているのだ。パッケージ商法といえば、総選挙も同じ事だと言える。政党が売り出すパッケージの中にはマニフェストと候補者という商品が詰め込まれている。マニフエストなる商品は開けてみれば偽物かもしれないし、候補者なる商品は顔と履歴ぐらいしか分からない。一票を投じることは、まるで中身の見えない福袋を買うようなものである。案の定、総選挙後まだ5ヶ月しか経っていないのに、すでに偽商品の混入が散見され始めている。おまけに私が投票した新人議員は一体何をしているのかすら分からず、この人を選んで良かったのか悪かったのか、まだ見当もつかない。ところで最近、興味深いものを目にした。ボートマッチ(vote match)というものである。例えば毎日新聞では、総選挙のとき有権者が各政党候補者の考え方を知るためのサービスとして「毎日ボートマッチ」(http://mainichi.jp/select/seiji/eravote/)を提供している。これは立候補者に実施したアンケートと同じ質問に有権者が答え、候補者と有権者の回答がどれだけ近いかを数値で示すというものだ。これをみればこの選挙では何が争点になっているか、またその争点に対して候補者がどう考えているかを知ることができ、候補者選択の判断材料に貢献しようと云うものである。ちなみに先の衆議院議員選挙の時のアンケートの項目は次のようなものであった。問1: 憲法9条の改正に賛成ですか、反対ですか。 問2: 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきだと考えますか。 問3: 日本の核武装について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問4: 国会議員の世襲について、あなたの考えに近い方を選んでください。 問5: 衆院議員の定数削減について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 問6: 政党への企業・団体献金を全面的に禁止すべきだと思いますか。 問7: 衆院選後の政界再編が取りざたされています。当選した議員が所属政党を変えるこ とは問題だと思いますか。 問8: 政治家と官僚の関係について、あなたの考えに近い方を選んでください。 問9: 郵政民営化は成功したと思いますか。 問10: 犯罪の容疑者に対する取り調べの全過程を録音・録画(可視化)することに賛成で すか、反対ですか。 問11: 小泉純一郎元首相が進めた構造改革をどう評価しますか。 問12: 4年間の任期中に消費税の税率引き上げを決めることに賛成ですか、反対ですか。問13: 2020年までの温室効果ガス削減目標を「2005年比15%減」(1990年 比8%減) とする政府の方針について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。問14: 地球温暖化対策として温室効果ガス排出などに課税する環境税について、あなたの 考えに近い方を選んでください。 問15: 基礎年金は現在、国民の支払う保険料を財源にあてる保険料方式がとられています が、全額を税で賄う方式にすべきだとの意見もあります。あなたはどちらがふさわし いと思いますか。 問16: 労働者派遣法について、製造業への派遣を禁止すべきだと考えますか。 問17: 最低賃金を全国平均で時給1000円にすることに賛成ですか、反対ですか。 問18: 日本外交のあり方について、あなたの考えに近い方を選んでください。 問19: アフガニスタン支援のため自衛隊を派遣すべきだと思いますか。 問20: 北朝鮮が再び長距離弾道ミサイルを発射し、核実験を行いました。これまで政府が とってきた対北朝鮮政策について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。 これだと単にマニフエストや候補者の履歴や容貌だけではなく、候補者の考え方もハッキリ分かる。おまけに、なによりの利点は、私自身もここに挙げられた課題に対する考えを纏めるのにも極めて有効だということだ。まさに福袋の中身が何たるかを分かるようにスキャンしてくれて、その中身が私のニーズにどの程度合致するか教えてくれる有り難い代物なのだ。少なくとも「当たらずといえども遠からず」の回答は得られる優れものだと感じている。次の機会には、これを利用して折角の一票を大事に使いたいと考えている。
2010.01.12
コメント(10)
当たるも八卦当たらぬも八卦とはいえ、毎年初めには今年の運勢はどんなものかと気になり、つい占いを検索してしまう。初詣でお神籤を引けばいいようなものであるが、インターネットだと気に入る卦が出るまで探せるし、おまけに無料の占いばかりを亘り歩くから経費もかからない。まずは富岡八幡宮では「本年の一白水星の特徴は、上昇運に乗って喜び事が多くなりますが、多欲に過ぎたり、自分の能力以上のことに手を出したりすると、折角得た信用や信頼を失うおそれがあるので、目標は八分目位とし、十分な余力を持ってこの一年を乗り切って下さい。“余裕”の二文字を身近に備えて忘れずに」とあった。 次に二柱神社では「一白の人は外面が極めて柔順だ。気位が高いが信念の人で自分が正しいと信じたことはあくまでも守って突き進む。元来賢い人物だから欠点も転換、成功の勇者となるであろう。今年もさらなる努力を継続し、余力を蓄え、人の世話役で世の中に奉仕をすべきである」とある。さらに法恩院では「今年の運気は好調。初め労あるも、今までの経験を生かせば利を得られる。見栄えの良さにとらわれず、内容重視で取り組もう。柔軟な姿勢や考えを持つことが開運の鍵。経験があるからと言って自己に固執するのは得策ではない。周囲との協調を図り、意見を取り入れ柔軟に対応すること。気配りや目配りを心掛け、短慮や早とちりに注意しよう。難題にあたれば早めに周囲に協力を仰ぐこと」分相応に出しゃばらなければ、おおむね今年は良好の様である。ビックリしたのが、富岡八幡宮も二柱神社も健康面で筆頭に「口内炎」を挙げていたことである。放射線治療の副作用とはいえ、口内炎の真っ只中にあるので、少なくとも一つは間違いなく当てたことになる。適業では富岡八幡宮では法律関係・哲学者・作家・教師・飲食業・水産業・海運関係を挙げ、 二柱神社では外交官、書画家、漁業、水産業、クリーニング業、酒屋、染物屋を挙げている。ここに挙げられている職業には一つも就いたことはないが、適業に就かなかったから現役時代は苦労したのだと、このお託宣も一応当たりにしておくことにした。しかしだからと云って、自分の過去が不幸だったとはこれっぽっちも思っていない。病気一つしないで無事に定年まで働き通せたし、沢山の知友や知人に恵まれたし、むしろ差し引きすればプラスの方が遙かに大きかったと考えている。ところで職業とは、「生計を維持するために日常している仕事」と辞書にはある。つまりお金を稼がねば職業とは言えない筈である。ところがこの適業の中に「哲学者」というのがある。これも辞書によれば「哲学を専門に研究する人。または哲学的な人」とある。大学教授になったり哲学書を出版したりして収入を得れば別だが、辞書通りの人ではお金は稼げないではないか。だから哲学者というのは、職業じゃなくて存在そのものを言うのではなかろうか。屋台のラーメン屋でも会社員でも哲学を探求していればそれは立派な哲学者だし、年金で生計を立てている私もひごろ哲学的な思索に耽る生活を送っていれば、もしかしたら「哲学者」の称号が許されるかも知れない。「哲学者クリント」。なんとなく偉そうではないか。折角のお託宣である。今年はお金を稼げないこの肩書きに挑戦してみるかなどと考えているが、果たして何日哲学者で居られることか。
2010.01.06
コメント(14)
全277件 (277件中 1-50件目)