妻の子育ては怒涛だ。
妻の子育てに綺麗ごとはない。
悪いことをしたら、とことん叱る。
次女などはちょいちょい泣かされている。
もちろん、泣いたところで許しはしない。
口の達者な長女が口答えすると、妻は全力で長女が意気消沈して言い返せなくなるまで反論をする。
良い叱り方悪い叱り方などという小賢しい配慮はない。
たまたま倫理的に落ち着いて話せる気分の時はそうするし、
たまたま自分の機嫌が悪い時は野獣のように怒鳴りり散らかしている。
そんなものは、その時の妻の機嫌次第だ。
子供のテストの点数が悪い時も、悪いものは悪いのだから、容赦なく注意する。
かつての自分の学力などは、清々しいほどの棚に上げっぷりだ。
小難しい話、込み入った話、子供がどうしても言うことを聞かない時に限り、
「ちょ、あんた、出番」
とか言って、妻は僕にバトンタッチしてくる。
「あたし、疲れた。子供なんて産むんじゃなかった」
あいあーい! パパにお任せあれー! なんつって、僕が子供の相手をする。
「長女も年頃だし、ぼちぼち反抗期とか始まるから、親として慎重に対応しなきゃね」
先日も二人きりの食卓で何気に僕がそんなことを言ったら、
「反抗期? 上等だ! 反抗してみやがれ! とことん勝負してやる!」
などと息巻く始末。
お腹を痛めて産んだ我が子に、「勝負」とか言い出す始末。
妻の子育ては、目線が子供と同じだ。
妻は、教育書を読んだりインフルエンサーの子育て論に耳を傾けたりなど、一切しない。
テレビで「褒めて伸ばす子育て」的な教育論を専門家が述べているのを見ると、鼻で笑っている。
もう少し斜に構えて、大人の余裕を見せて、理詰めで諭せんかねえ。
僕的には、常々そう思っているのだが、
一方で、これはこれで、模範的な子育てのスタイルではなかろうか? と密かに感心している。
妻はいつも全力だ。
子育ても、家事も、どだい手を抜くという術を知らない。
子供を下に見ていない。
子供だからといって、人としてなめていない。
一人の人間として認め、ひとつ屋根の下、命がけで共存している。
てか、これはきっと僕の妻だけの話じゃない。
子育ての渦中にいる者は、本当はみんな知ってんだけどね。
どっかの誰かの、キラキラしたもっともらしい教育論の無意味さを。
子育てに正解なんて無いってことを。
我が子を、統計や、平均値や、政策や、研究結果で語られてたまるかってことを。
子育ては、怒って、泣いて、引っ搔き回して、反省して、開き直って、改善して、
子供と血眼になって取っ組み合いをしていたら、気が付くと何故か親子でゲラゲラ笑っていた。
ってな感じで、一緒に成長するものだ。
つっても、まあ、ここだけの話、
正直、僕が妻だったら、母としてもう少し違ったモーションで子供に接するかもしれない。
でも、我が家のマザーは、妻だし。
愛する妻のやることなのだから、これはこれでいいのだ。
と思って黙って静観している今日この頃。
「また赤ちゃん抱きたいな、もう一人産もうかな」
とか突然呟く妻の横で、全力で気配を消している今日この頃。
そう、妻の子育ては怒涛だ。
長女も、次女も、
そして何故か夫の僕もひとまとめにされて、
今日も荒れ狂う妻の大波に呑まれ、
ぐわんぐわん揺れている。
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