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93 心を尽くして神をたたえ【解説】 冒頭、個人の感謝から始まる詩編103は、その美的表現、豊かな思想から、旧約の「テ・デウム」(⇒「賛美の賛歌」)と呼ばれています。全体は大きく3つの部分に分けられます。第一の部分は1-7節で、ここでは神による赦し、いやしが述べられます。続いて、それを動機として、8-19節では神のいつくしみをたたえ、最後にすべての被造物に神を賛美するように呼びかけます。神がシナイ山でモーセにご自分を顕現されたとき、神ご自身「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」(出エジプト34:6-7)と宣言されたように、恵みといつくしみとは神の属性であり、神との関係が修復されるときは、まず、神のほうから許しを与えてくださるのです。 答唱句は、前半、後半ともに、旋律が主に音階の順次進行によって上行します。「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」が、付点四分音符+十六分音符のリズムで強調されています。さらにこのどちらも、旋律の音が同じばかりでなく、和音も位置が違うものの、どちらも4度の和音で統一されています。「かみをたたえ」は、「かみ」の旋律で、前半の最高音C(ド)が用いられ、祈りが高められ、バスでは「かみをたたえ」が全体での最低音F(ファ)で深められています。また、この部分はソプラノとバスの音の開きも大きくなっています。なお、「たたえ」は、バスでFis(ファ♯)がありますが、ここで、ドッペルドミナント(5度の5度)から、一時的に属調のG-Dur(ト長調)に転調して、ことばを強調しています。後半の「こころにとめよう」は、旋律が全体の最高音D(レ)によって、この思いが高められています。 詩編唱は、最初が、答唱句の最後のC(ド)より3度低いA(ラ)で始まり、階段を一段づつ降りるように、一音一音下降し、答唱句の最初のC(ド)より今度は3度高いE(ミ)で終わっていて、丁度、二小節目と三小節目の境でシンメトリー(対称)となっています。【祈りの注意】 早さの指定は四分音符=69くらいとなっていますが、これは、終止の部分の早さと考えたほうがよいでしょう。ことばと、旋律の上行形から、もう少し早めに歌いだし、「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」に、力点を持ってゆくようにしたいものです。決して、疲れて階段を上がるような歌い方になってはいけません。この答唱句の原点は、イエスも最も重要な掟と述べられた(マタ22:34-40他並行箇所)、申命記6:5「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」によっていることを思い起こしましょう。 「すべての恵み」で、何を思うでしょうか。わたしたちが神からいただいている恵みは はかりしれません。毎日の衣食住、ミサに来れること、友人との語らい、家族団らんなど、さまざまな物事があるでしょう。わたしが、この世の中に生まれてきたことも大きな恵みです。、しかしこの「すべての恵み」を、端的に言い表しているのは、「主の祈り」ではないでしょうか。「主の祈り」のそれぞれの祈願こそ、神が与えてくださる最も崇高で、最も大切な恵みではないかと思います。これらのことを集約した祈りであるこの答唱句を、この呼びかけ、信仰告白にふさわしいことばとして歌いましょう。 二回ある上行形は、やはり、だんだんと cresc. してゆきたいものですが、いつも、述べているように、決して乱暴にならないように。また、音が上がるに従って、広がりをもった声になるようにしてください。一番高い音、「かみをたたえ」、「心にとめよう」は、丁度、棚の上に、背伸びをしながらそっと、音を立てないで瓶を置くような感じで、上の方から声を出すようにします。「かみをたたえ」でバスを歌う方は、全員の祈りが深まるように、是非、深い声で、共同体の祈りを支えてください。 この恵みの頂点は、やはり、パウロが『コリントの信徒への手紙』で述べている、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(1コリント15:3-4)=受難と復活、そして、その前の晩に弟子たちとともに過ごされた、最後の晩さんの記念=ミサであることは言うまでもありません。ミサにおいて、この答唱句を歌うことこそ、この答唱句の本来のあり方なのです。 「すべての恵み」でテノールが、その最高音C(ド)になりますが、これが全体の祈りを高めていますから、それをよく表すようにしてください。 最後の rit. は、最終回の答唱句を除いて、それほど大きくないほうがよいかもしれません。最終回の答唱句は、むしろ、たっぷり rit. すると、この呼びかけに力強さが増すのではないでしょうか。 この日の第一朗読はサウルに追われたダビデが、サウルの陣営に忍び込んだにも関わらず、サウルのいのちを奪うことなく、槍と水差しを持ち帰ったことが読まれます。槍は勇者にとってはいのちと同じくらい大事な武器ですから、それを、眠っている間に取られたということは、まさに、死んでも死に切れない屈辱であったと思います。また、中東では水も貴重で、生命の源ともいえるものですから、水差しを撮られたことも同じことではないでしょうか?ダビデは、サウルのいのちを奪えたにも関わらず、神が油注がれたもののいのちを取ることを良しとしなかったのです。 福音でも、キリストは「あなたがたは、自分の量る秤で量り返される」(ルカ6:38)とおっしゃっています。第一朗読との関係で言えば、ダビデも確かに、自分がバト・シェバとの姦通の罪を犯し、バト・シェバの夫、ウリヤを殺させたにも関わらず、バト・シェバとの最初の子は死んだにも関わらず、自らのいのちが奪われなかったのは、サウルのいのちを助けたことが関係しているのかもしれません。もちろん、このことは、神さましかご存じないことではありますが。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.29
100 しあわせな人(2)【解説】 「幸いだ(アシュレー)、神に従う人」から始まる詩編1は、神に従う人と神に逆らうものを対比しています。一部のギリシャ語の写本や古代語訳の「使徒言行録」の13:33においては、次の(現代の『聖書』の)詩編2が、詩編1となっていることから、5巻からなる詩編集が編纂されたときに、第一巻の冒頭におかれたとも考えられています。よしんば、この詩編が全詩編の中で、新しいものだとしても、この詩編1は全詩編=というよりも、全聖書=を貫く主題を端的に言い表しているものということができます。 答唱句は八分の六拍子で滑らかに歌われます。2小節目は和音が4の和音から、後半、2の7の和音に変わりますが、これによって祈りを次の小節へと続けさせることを意識させています。続く「かみを」では旋律で最高音C(ド)と4の和音を用い、次の「おそれ」ではバスにその最高音H(シ)が使われ、「神をおそれ」では、旋律が6度下降して(それによって母音の重複も防がれています)、前半の主題を強調しています。7小節目後半の3つの八分音符の連続は、最終小節に向かって上行音階進行しており、終止の rit. を効果的に導いています。 この答唱句は、C-dur(ハ長調)の主和音ではなく、5の和音で終わっています。これによって、祈りを詩編唱につなげる役割もありますが、この曲はいわゆる長調ではなく、教会旋法に近い形で書かれていることがわかります。G(ソ)を終止音とする教会旋法は第8旋法ですが、その音階は、D(レ)からd(レ)なので、この曲には該当しません。他にも、36~40「神のいつくしみを」、130~135「主をたたえよう」などがこれにあたります。これらから考えると、この旋法は、教会旋法を基礎に、作曲者が独自の手法とした旋法であり、「高田の教会旋法」と名づけることが出来るでしょう。 詩編唱も、答唱句と同様の和音構成・進行ですが、3小節目だけ、冒頭の和音は答唱句で経過的に使われている2の7の和音となっていて、3小節目の詩編唱を特に意識させるものとしています。【祈りの注意】 答唱句で特に注意したいことは、だらだらと歌わないことです。だらだらと歌うとこの答唱句のことばがまったく生かされなくなってしまいます。そのためにはいくつかの注意があります。八分の六拍子は、八分音符を一拍ではなく、付点四分音符を一拍として数えること。先へ先へと流れるように歌うこと「しあわせなひと」の「わ」をやや早めに歌うこと次の「せなひ」の三つのことばの八分音符で加速をつけるようにすることの三点です。また2については、1・3・5・7各小節の前のアウフタクトのアルシスを十分に生かすことにつながることも忘れてはならないでしょう。このようにすることで、祈りが自然に流れ出てゆき、答唱句のことば「主の道を歩む」「しあわせ」が、豊かに表現できるのです。 前半の終わり「おそれ」では、やや、わからない程度に rit.するとよいかもしれません。答唱句の終わりは、歩みが確固としたものとして、ただし、主の前を静々と歩むように、十分に rit. して、滑らかに終えましょう。 第一朗読の「エレミヤの預言」でも、福音朗読でも、この「神に従う人」と「神に逆らうもの」の対比が一貫した主題となっています。わたしたちの行動は、ついつい、目に見える、他人の目を気にしがちですが、肝心な、神様の目を忘れてしまってはいないでしょうか?人の目を気にして得た、富も名誉も、神さまのもとに変えるときには、すべて、おいてゆかなければなりません。尽きない泉であるキリストから水をいただき、いつも、神さまのために豊かな実を結ぶことができるよう、今日の詩編をこころに刻み付けたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.22
134 主をたたえよう【解説】 今日、歌われる詩編138は、「力を現して敵の怒りを退け」(7節)とあることから、イスラエルと対立する国との争いが背景にあるのかもしれません。この、苦難からの救いに対し、作者は、神殿において、ともに礼拝する人々や神の使い=天使の前で神をたたえます。詩編唱の2節の表現から、詩編作者が、神に救われたことを目の当たりにした諸国の王も、その救いをたたえるように願います。 この「主をたたえよう」はすべての答唱句の中で、最も多くの詩編唱が歌われます。答唱句は、詩編136:1〔131〕から取られています。この詩編は、グレゴリオ聖歌では復活徹夜祭に歌われます。八分の六拍子の答唱句の冒頭は、トランペットの響きで始まります。なお、『典礼聖歌』合本では、最初、テノールとバスは、H(シ)ですが、『混声合唱のための 典礼聖歌』(カワイ出版 2000)では、四声すべてFis(ファ♯)-Dis(レ♯)-Fis(ファ♯)-H(シ)-Dis(レ♯)となっています。この、ユニゾンのほうが、力強い響きに聞こえると思います。 「主をたたえよう」では、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、ことばを延ばす間に、和音も二の和音から四の和音へと移り、さらに「主はいつくしみ」までE(ミ)からDis(レ♯)へと深まります。その後は、旋律も和音も落ち着いており、神のいつくしみの深さと限りないあわれみを穏やかなこころでたたえながら、答唱句は終わります。 詩編唱は、冒頭、最高音のH(シ)から、力強く始まります。主に、詩編唱の1節全体で、一番重要なことばが多い第三小節は、最も低いDis(レ♯)を用いることで、重厚さと、低い音への聴覚の集中を促しています。詩編唱の最後は、主音Fis(ファ♯)で終わり、そのまま、答唱句へとつながります。【祈りの注意】 答唱句の旋律は、主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最低音:Dis(レ♯)⇒主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最高音:H(シ)と動きますから、この旋律の上昇の力強さを、全世界への呼びかけの強さへと結びつけましょう。八分の十二拍子のこの曲は、八分の六拍子の曲と同様に、八分音符ではなく、付点四分音符を一拍として数えましょう。「主をたたえよう」の「た」を、心持早めに歌い、続く八分音符への弾みとすることで、全体のテンポが引き締まります。 「たたえよう」と延ばす間、さらに cresc. を強めることで、呼びかけが、すべての国に広がるでしょう。このとき、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、和音が変わりますから、他の声部はしっかり呼びかけを続け、バスは地球の裏側にまで、この呼びかけを深めるようにしましょう。その後、八分休符がありますが、この休符は、次の「主」のアルシスを生かすためのものですから、きちんと、入れてください。 この、「主」がアルシスで、よく歌われると、このことばがよく生かされるばかりではなく、続く、滑らかな旋律の信仰告白が、ふさわしい表現となります。最後の「深く」の四分音符が、必要以上に延ばされるのをよく耳にしますが、それでは、答唱句の重要な信仰告白のことばが、途中で途切れてしまい、答唱句全体のしまりもなくなります。ここで、やや、 rit. するからかもしれませんが、この rit. は、ことばを生かすためのものですから、「その」に入ったら、すぐにテンポを戻しましょう。あくまでも、「ふかくーその」は、八分音符三拍分の中であることを忘れないようにしてください。 最後は「そのあわれみは」くらいから徐々に rit. して、答唱句を締めくくります。「えいえん」で、八分音符を五拍延ばす間、まず、dim. (だんだん弱く=いわゆるフェイドアウト)しますが、きちんと五拍分延ばしてください。その間、作曲者も書いていますが「神様のことを」、神のいつくしみの深さもあわれみも永遠であることを、こころに刻み付けましょう。最後の「ん」は、「さーぃ」と同じように、「え」の終わりにそっと添えるように歌います。 第一朗読は、有名なイザヤの召命の場面で、福音朗読の弟子たちの召命の予型となっています。詩編唱は、咎を取り去られ、罪を赦され、神に代わって使わされるイザヤの感謝のこころを歌います。これは、キリスト者一人ひとりも同じで、主キリストによって召しだされ、キリストとともに福音を述べ伝えるために遣わされています。この、詩編の祈りによって、わたしたちは、主キリストから呼ばれたことを感謝し、福音を述べ伝える決意を新たにしたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.17
146 父よあなたこそわたしの神【解説】 詩編71は、老人による嘆願の詩編で、大きく三つの部分に分かれます。1-8節:神に忠実だった若い頃の描写9-16節:迫害にあい、敵から「神に見放された」とののしられる現在17-24節:神による救いの確信多くの箇所が、他の詩編(31、22、35など)から借用したり、類似しています。20節以降は「イスラエル」民族を一人の人間にしたてて祈るのもです。 答唱句は、「神よ あなたの顔の光を」や「主はゆたかなあがないに満ち」と同じく、詩編唱と同じように歌われるものです。前半の信仰告白と、後半の信頼を込めた決意が、特に、バスのD(レ)の持続音で力強く表されています。 詩編唱は、最高音のA(ラ)から始まり、前半(1・2小節)、後半(3・4小節)ともに、音階の順次進行で下降しながら歌われ、詩編の内容を、一層深く味わう助けとなっています。 この、答唱句の旋律は、当初『典礼聖歌(分冊第二集)』で、ハバクク3:2を歌詞とした、「みことばを聞いてわたしはおそれ、主のわざを眺めておののいた」で、まだ伴奏がなく旋律だけでした。唱和(唱句)の部分は、父よ あなたこそわたしの神の詩編唱の、1-2小節と同じ音で歌われていました。聖金曜日の旧約聖書朗読後の間唱でしたが、典礼の刷新によって、答唱詩編が変更されたことから、『典礼聖歌』では、旋律を継続して新たな答唱詩編として再生されました。【祈りの注意】 上にも書いたように、答唱句も、詩編唱と同じように、全音符はすべて、八分音符で歌います。途中、字間のあいているのは、楽譜制作上の理由(詩編唱と答唱句の楽譜の長さをあわせるため)によるものですから、そこで、息継ぎをしたり、音をのばしたり、間をおいたりしてはいけません。 ちちよあなたこそわたしのかみー*|わたしのすべてをあなたにー* 上記の、太字のところは、自由リズムのテージス=(1拍目)です(*は八分休符)。 詩編唱の冒頭は、きびきびと歌い始めましょう。信仰告白のことばなので、ていねいに、と思い、だらだら歌うと、ことばが生かされません。 rit. は2小節目にだけありますが、1小節目の最後も、やや rit. するのはもちろんです。1小節目の最後で、やや rit. したあと、2小節目の始めは、テンポを戻(あるいは小戻し)して始めます。そして、2小節目の最後は、さらにていねいに rit. して終わります。『今日の聖歌』でも再三指摘していますが、多くの答唱句は、最終回で、特に、ていねいに rit. するとことばが生かされますが、この 「父よ あなたこそわたしの神」 も例外ではありません。また、全体のテンポもゆっくり目にしましょう。 音の強さは、全体に P ですが、最終回は、PP にすると、緊張感が増してきます。その、緊張感を表すように、「ちちよ」の最初の「ち」は無声音(音符の●のところが×になっているもの)で歌います。二回ある「わたし」の「し」も同様に無声音にしますし、「こそ」「すべて」の子音「S」を強くはっきりと発音するとよいでしょう。 第一朗読の「エレミヤの預言」では、神が預言者としてたてたエレミヤに対する、ユダヤの指導者たちの迫害に、エレミヤが、おののかないようにとの、神の励ましです。詩編も、この励ましに対する、神への信頼を歌います。エレミヤをはじめ、イスラエルの預言者たちは、神のことばを躊躇なく伝えたために、ユダヤの指導者たちから迫害を受けました。このことは、イエスも言っていますが、イエス・キリスト御自身も、神の一人子として、余すところなく、神のことばを伝えたため、最後は、エルサレムで十字架に付けられます。わたしたちも、もしかしたら、『聖書』の預言を耳にしても、それを聞き流していることがあるかもしれません。せめて、ミサの朗読だけでも、しっかりと耳を傾け、こころに刻み付けたいものですし、詩編を朗唱するときにも、しっかりと伝わるような準備=朗唱する詩編のことばを自分の体験としたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『待降節・降誕節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.10
124 主よあなたは永遠のことば【解説】 詩編19は、前半と後半ではその性格が全く異なります。前半は、天空、特に太陽の動きを通して、神の栄光をたたえています(147「天は神の栄光を語り」で歌われる)。それに対して、後半では、教え・さとし(トーラー=律法)を与えてくださった神に栄光を帰しています。この、後半部分は詩編119(125で歌われる)と似ています。そして、最後は、その教えを守ることができるようにとの祈りで結ばれています。 答唱句は、非常に複雑な和音で進んでゆきます。冒頭は、2♭の長音階、B-Dur(変ロ長調)の主和音で始まりますが、これは、最初のアルシスだけです。最後は、バスからC(ド)-G(ソ)-Es(ミ♭)-C(ド)の和音で終わることから、教会旋法の第一旋法に近いと言えるでしょう。前半はバスが音階進行で動き、とりわけ「永遠の」では、バスとアルトで臨時記号が使われた半音階の進行で、こころを「永遠」に向けさせます。後半では、バスが第三小節でG(ソ)、第四小節でC(ド)を持続し、旋律は、最高音のC(ド)となり、この信仰告白の体言止のことばを力強く終わらせます。 詩編唱は、ドミナント(属音)のGを中心にして動きます。 なお、この詩編19を歌う124の場合は、詩編唱の1小節目と3小節目の、最後の四分音符と八分休符(オルガンでは付点四分音符)および小節線を省き、1小節目の全音符から2小節目の全音符、3小節目の全音符から4小節目の全音符へと、それぞれ続けて歌います。1小節目と3小節目にある最後のことばも、すべて、八分音符で歌います。 詩編の1節を例に挙げると、以下のようになります。赤の太字は、音が変わるところです。かみのおしえはかんぜんでたましいをいきかえらせー*| そのさとしはかわらずこころにちえをもたらすー*【祈りの注意】 答唱句のことばは、《ガリラヤの危機》の後のペトロの信仰告白のことば(ヨハネ6:68)です。最初の「主よ」の後の八分休符は、次の「あ」のアルシスを生かすものです。「よ」が惰性で伸びないようにし、オルガンの伴奏が一足早く変わるのを味わえると、「あ」のアルシスがより生きると思います。ペトロの信仰告白のことば「あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます」の次には、「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」とあります。この、答唱句のことばも、ただ単に「ラビの一人として」「ユダヤの賢者として」ということではなく、神の聖者としてあなたこそ永遠のいのちのことばをもっておられる、という意味合いになるのではないでしょか。「あなたは~」のところを、メトロノームで、はかったように歌うと、ことばを棒読みしているように聞こえます。四声の場合は、アルトは特にレガートをこころがけましょう。一連の八分音符を、やや早めの気持ちで歌うと、「あなたこそ」という確信に迫る祈りになるのではないでしょうか。「ことば」の部分、特に、アルトの動きは、最後の rit. を促すものです。オルガン伴奏だけのときも、この音の動きをよく味わい、オルガニストは、祈りを込めて弾きたいものです。この答唱句を歌うとき、ペトロと同じように、キリストに従う決意を新たにしたいものです。 第一朗読では、バビロン捕囚から帰還した民が、エルサレムで律法の朗読を聞いて、うれしさのあまり、涙した様子が朗読されます。朗読箇所の最後のことば、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ8:10)というネヘミヤとエズラの励ましは、わたしたちにとっても全く同じではないでしょうか。残念ながら、わたしたちは、この人々のように、神のことばを聞いて、感涙に浸るかんるい ひた ということがなかなかありません。ともすれば、ミサの聖書朗読も聞き流してしまうことが多いのではないでしょうか。しかし、本来、神のことば=キリストは永遠のいのちのことばです。その意味では、わたしたちには神のことばへの飢え渇きがもっと必要なのかもしれません。今日の詩編のことばを、毎日の教訓、戒めとしてしっかり心に刻み付けておきたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.08
148 遠く地の果てまで【解説】 詩編96は、やはり同じ答唱句で歌われる詩編98、および、次の詩編97とともに、王である神(主)たたえ、イスラエルだけではなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが言われ、《第二イザヤ》とも表現や思想が共通することなど、非常に似た内容となっています。この詩編96は歴代誌上16:23-33に同じ詩が載せられており、「人々が神の箱を運び入れ、ダビデの天幕に安置し」(同16:1)たことと関連づけられています。 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「すべてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。 「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバスも2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されます。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれと同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すくいを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識することにもなっています。 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へとつなぐ役割も持っています。【祈りの注意】 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そのために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、やや早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことばが生きてきます。決して「ものがー」と。歌ってはいけません「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを見た」は解説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるようになっていますから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信を込めたいものです。 詩編唱は、第一朗読で読まれる、エルサレムの再建への賛美とともに、福音朗読で読まれる、イエスが「最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された」(ヨハネ2:11)ことにも深く、結び付けられます。イエスがカナの婚宴で最初に現された栄光は、最終的には、その過越が頂点となります。このイエスの栄光を見たものは「すべての国にその栄光を語り、すべての民に不思議なわざを伝え」(詩編96:3)られずにはいられないはずです。その熱意を持った人々が、イスラエルから見れば地の果てである日本にまで、この栄光を伝えに来てくださったのです。その、熱意をわたしたちも受け継いで行きたいものです。 最後に技術的なことですが、各小節で音が変わるところ、特に1小節目の最後のところでは、間をあけないで滑らかに続けるようにしてください。 《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『待降節・降誕節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.01.03
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