一即多、多即一

一即多、多即一

捨てるということ


とらわれがあると、物事を正確に見ていくことができなくなり、無駄なエネルギ
ーの消耗があり、損失が大きいのです。様々な宗教で恋愛について厳しく戒める
ことがあるのも、一つはそこに要因があります。恋は盲目といいますが、これは
一つの真理です。恋愛に陥っている人は、熱病に冒されているようなものです。
恋愛沙汰で正常な判断を失って、大きな失敗をしたり、失恋の痛手でおかしくな
ってしまった例などいろいろとあるでしょう。これもとどのつまり、とらわれや
愛着のもたらした悲劇です。今の日本においては、恋愛について良いことばかり
言われていますが、私は疑問に感じざるを得ません。もてない男のひがみかもし
れませんが、(笑)少々度が過ぎているように思えます。

 仏教では慈・悲・喜・捨の四つの心の働きを四無量心と呼びます。慈は世間一
般で言われる愛ではなく、本当の愛つまり見返りを求めない愛です。愛する対象
がいると、自分を愛してほしいという気持ちがとうぜんあるでしょう。そうでは
なくて相手のことをまず優先させる愛です。そこでは仮に相手に裏切られたとし
ても、憎しみが生じることはありません。

 悲は相手の苦しみや不幸を、自分のことのように悲しむことです。喜は相手の
幸福を自分のことのように喜ぶことです。ここでも自分ではなく、他人のことが
優先されます。

 そして最後に捨がきます。一切のとらわれを捨て去る心です。私たちは無用の
ものをいろいろと背負い込んでいます。物質にしろそうだし、心に置いても様々
な怒りやとらわれに支配されています。それによって苦しみが生じ、輪廻の因と
なると仏教では説きます。そういったものを捨て去ることで、非常に楽になるし
現象もきちんと動くようになります。わたしもいろいろと捨てることでとても楽
になりました。

 私たちはいろいろなものにとらわれすぎてきたようです。そういったものをそ
ろそろ捨て去って、もっと身軽になる時が来ているのではないでしょうか?


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