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魚籃山 常現寺
曹洞宗 貴福山対泉院(新井田) 末寺
開山:円祥山大安寺三世 寺仁州関和尚
中興開山:上田祖堂和尚
中興開基:西有穆山和尚
本尊:魚籃観音
・・・。
常現寺の由来は、寛延元年(1748年)、下北郡大畑村円祥山大安寺三世 寺仁州関和尚が、関根橋村正津川付近に梅翁庵という宿寺を建立したことに始まる。この関根橋村は、寛文年間(1661~1673年)に五戸の逃散農民によって開かれた村で、当時は大変にぎわっていた(『原始設風土年表』)。
ところが、明治に入り、北海道開拓の事業が盛んとなり、信徒が海を渡って移住したため、とうとう4.5軒しか残らず、維持することが困難になってしまった。そこで、 新井田対泉院 の末庵という名目で小中野新地に移し、明治43年(1910年)、対泉院末寺として復興したのである。開基は西有穆山和尚、開山は上田祖堂和尚である(『梅翁庵由来記』)。
従って、佐々木恭岑上人らが巡礼した際には、まだ常現寺と呼ばれていなかった。その後、大正4年(1915年)、庵寺から一ヶ寺に格上げするため、宮城県栗原郡宮野村にあった常現寺を現在地に移し、梅翁庵は岩手県閉伊郡宮古の鍬ヶ崎へ移転させたのである(『小中野風土記』)。従って、常現寺の歴史は比較的新しいことになる。御詠歌の中に「これから小中野とともに共存発展していく寺」としての意気込みが詠まれている。
本堂に入ると、中央須弥壇の最上壇に、2体の観音像に挟まれ、黒い厨子があり、この扉の中に、かたく秘仏として人々の目に触れることのなかった魚籃観音が安置されている。戦後、地元の人々の「ぜひ、ありがたい観音様をじかに拝みたい」という要望が強く、御開帳が許され、毎年11月17日には御年越法要が行われるようになった。従って常現寺と呼ぶよりは、「小中野新地の観音サマ」と言った方が地元漁民の中では一般的に通っている。
この観音像は、西有穆山和尚が静岡県 萬松山 可睡斎に住持していたころ、交趾国(現・北べトナム)から渡来した魚籃観音を本尊として当寺に安置したということである(本堂前の『魚籃観音碑』より)。この本尊は一尺程の木彫立像で、右手に魚籃(魚かご)を持ち、右手は裳をやや持ちあげて、波しぶきがはねるのを防いでいる。巨魚の背に乗った中国系の美人である。衣装も唐朝時代の中国服を身にまとい、中国三十三観音のひとりとして渡来してきたことがうかがえる。やはり、漁業と関係の深い小中野地区には、必要な観音といえよう。
昭和47年4月13日、八戸市文化財に指定されている。
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・・・。その中の手前の自然石には「南無阿弥陀仏」と刻まれた碑が立っている。これは、 来迎寺 十九世燈誉上人が導師となり、明和3年(1766年)5月に湊村念仏講中の人々が建立したものである。
もともとは藩政時代使われた四ッ屋の仕置場(現・小中野小学校)にあったものを、明治初期、現在地に移したのである。この時、仕置場の首切地蔵(延命地蔵)もいっしょに移したが、残念ながら昭和52年、地蔵堂は焼失してしまった。現在、その像は本堂右側の御堂に移安されている。
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