真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2015年04月15日
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さて次に向かったのは、竹田市街地から南に10数km、日本百名山「祖母山(標高1,756m)」の北麓は神原地区に鎮座する「健男霜凝日子神社」の中宮(通称 穴森神社・御祭神 嫗嶽大明神)であった。

当社は往古には「池の明神」、「窟大明神」と唱えられ、平家物語「緒環(おだまき)の章」にも登場する由緒ある社殿と洞窟で、嫗嶽(祖母山)大明神(うばたけだいみょうじん)の化身である大蛇が棲んでいたと伝えられる岩窟を神社の御神体としている。

そこで上の画像は、その御神体として祀られた磐座を、さらに大きく穿たれた近くの洞穴方面から映したものである。

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そして、その古くは池だったとされる岩窟から上がって、拝殿の裏手から御神体の磐座方面を撮影したものが上の画像だ。

この穴森神社の御祭神「嫗嶽大明神」とは、前回の日記で紹介したサイト『ウガヤフキアエズ王朝実在論』の著者によると、「記・紀」ではウガヤフキアエズ命の母とされる「豊玉姫(龍宮の乙姫)」と推考されていたが、私も自身の直観を含めてその説に同感である。

※紹介サイト『ウガヤフキアエズ王朝実在論』の関連記事⇒ リンク

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この画像は、穴森神社の裏手にある御神体の岩窟を祀る立派な拝殿を映したものである。

おそらくこの岩窟は、太古より祖母山の母胎(子宮)と見立てられてきたのであり、自然の造形に対する古代人の崇敬の念を垣間見た思いがした。


以上のことを含めて、日本の歴史における「ウガヤフキアエズ王朝」とは、古史古伝の「ウエツフミ」等を参考にすると、紀元前1000年頃から紀元後300年頃までの約1300年もの期間の、縄文時代の晩期から弥生時代までを結ぶ端境期の王朝にして、「祖母山」を中心とする九州中部地域に栄えた王朝と認識することができそうだ。

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最終更新日  2015年04月15日 11時09分43秒


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