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初めてNHK俳句に投稿したらNHKから電話が。 「入選したので4月21日の6時35分からと24日の15時からのテレビのNHK俳句で清瀬市佐藤明宗の名で入選作10句に取り上げられて先生に批評されます。」とのこと。 びっくりすると共にどんな批評されるか楽しみにしてます。当日特選句も決まるので。題は「落花」 俳句の楽しさを教えてくれた辻桃子氏、精鋭ばかりで緊張した能村登四郎氏の沖句会、吟行句会が楽しかった中原道夫氏の銀化句会。3人の師匠に感謝する次第です。
2019/04/14
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学生時代にワンダーフォーゲル部に入って以来、週末の連休は、いつも山にいた。好きな山は、草原の山、見晴らしのすがすがしい山、秋の様相が美しい山。まずは、八ガ岳、初冬の雪景色が美しい。ぬくぬくと炬燵で大晦日を過ごすのが嫌い。良く雪の山にテントを張った。寝袋の 沈みゆく雪の 深さかな水芭蕉の尾瀬より、紅葉の尾瀬、雪の尾瀬が美しい。いったん稜線にでると快適な尾根が続く千丈岳。この天上の散歩道が続く山は何度登っても心地よい。スケッチの風景に事欠かないのが、秋の尾瀬、どこでも絵になった。草原の散策で好きなのが車山、霧ケ峰。パステルで秋の草に埋もれて描いた一枚。山上に不思議な広大な庭園が広がる苗場山。秋の霧の中に現れる草紅葉の湿原は夢見るほど幽遠だった。赤湯に降りるふくべの平も関東で一番好きな紅葉の園。初めて北アルプスに登って、遠くの連山に感動したのが、この花崗岩の岩が山頂に散在するつばくろ岳。槍、穂高が美しく見えるのは、その対岸にある常念岳。つばくろから、大天井、常念の尾根道も大好きである。山の湯や まだ尾根駆ける 夏の雲
2013/08/20
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かねてから日本の最南端の島の風土を訪ねて透明な海で潜ってみたかった石垣島一人旅。そして、たまたま石垣島のとある有名なバーであった海洋生物研究の若者ダイバーのお勧めで西表島の金城旅館へ。そして西表の星砂の浜で1日潜りました。五十匹近い様々な魚に囲まれたけど、怖がらない人なっこい魚ばかり。絵に描いたら、こんな感じでしたが、、我ながら下手。前世で溺死したのか、海の中の光景は小さい頃は何故かお化けより怖かった。けど、魚が近寄って優しく囁いてくれました。怖がらなくっていいよ。って。地球上が核戦争で人類が死滅しても、この魚たちは悠然と泳いでいるでしょう。
2013/08/03
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かねてから日本の最南端の島の風土を訪ねて透明な海で潜ってみたかった。と言うわけで石垣島一人旅。そして、たまたま石垣島のとある有名なバーであった海洋生物研究の若者ダイバー(千回潜ったとか)のお勧めで西表島の金城旅館へ。これは、その金城旅館お勧めのRAY REEFという、夫婦でやっている良心的なサンゴ礁、ウミガメツアーの風景。まっ白いサンゴ礁の無人の島。バラス島の青い海です。 僕は、前世で海でおぼれたのか、海の青青とした深みが怖い。ましては、一人で夜の海などッ恐怖の極み。いかしバーであった海洋生物研究の若者ダイバーは、独りで夜の海に潜るそう。よく、そんな恐ろしい事を!人間には心の感性が並外れた人がいるんだなあ。
2013/08/03
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今年の夏もまもなく過ぎていつしか、夜風に秋の気配。毎年、待ちわびる夏。輝く波濤にきらめく陽光は、いつも、切ない思いを伴っている。かっての誰か知らぬ微笑み。たくさんの思い出の影。そこに流れていた青春の調べ。つかもうとしてもつかめないもの。一人取り残されて、せつなく追い求める「青春の光と影」の残渣水彩画 「八月のスペイン巡礼路」セビッチェと言うマグロのカルパッチィオを食べながら島を一周して麦酒に酔っていた、イースター島の浜辺のレストラン。斜光の浜辺を乙女のシルエットが幻想のように走って消えていった。 汝が影の波濤に消える夏日かな八月の濡れた砂今日の一枚 「小笠原諸島の夏」デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2010/09/22
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長い間、一度、小説を書いてみたいと思っていた。そして井上光晴の「小説入門」を読んだ彼は、全国、数ヶ所に「文学伝習所」なるものを設け小説を指導。さまざまな職業の人々に、たとえば「血」とか「市場」とか言うモチーフで、50枚の小説の書き出しを書けと課題を出し、その作品を討議し添削した。夜は酒場で文学を語りあうと言うユニークなかたちで小説を教えていた。炭鉱の鉱夫などが書いた作品が、とても生々しくどれも素晴らしかった。小説は,深い実体験に裏打ちされることが必要と痛感した。まず、私の脳の中身が小説を書くに値するかを吟味せざるをえない。さて小説の名文として心に残っている文章がふたつある。ひとつは、三浦哲郎が芥川賞をとった「忍ぶ川」の名文。恋人志乃を生まれ故郷の北国へ連れて帰り、家族に紹介したあと、初夜を迎えるときの妖しく美しいたった一行。「志乃は精巧にできた人形で、私は拙い人形使いだった。」どんな長い表現より、この一行の方が、より多くのことを物語っている。最近の若い人も、うまい描写をすると感心したのが石田衣良の「娼年」。この夏、この小説を読みながら竹芝桟橋から南の海へ絵を描きにいった。今回の式根島には、深夜出発して、明け方、島に到着する。出航直後、お台場の夜景が美しかった。さて、川端康成が越後湯沢で書いたと言う名文は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」今回の式根島の旅を、それに習って表現すると「甲板で長い夜をあかすと、そこは南国であった。海の底が深く透明だった。桟橋に船が止まった。」 昼は海辺で「 Mid blue」という若者グループとバーベキューし、夜は、みんなで海辺の広大な露天風呂や花火を楽しんだ。夏の海の楽しい思い出を裸婦で表現すると、こんな絵になった。たくさんの深く碧い入り江があり、透明な碧い海を描いた。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2009/09/07
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先日は、紫陽花をできるだけ忠実に描いてみた。もし、晴れていたら、テニスにでかけるところ、雨だったので、ふたたび紫陽花をじっくり描いた。今回は、少し省略して、さらっと描いてみた。いろんな人に見てもらったら、前回のが好きという人。今回のが、好きと言う人と、さまざま。今回の絵の花瓶は、重みを支えるためにしっかり描いたのですが、花に対して強すぎるとの意見も。さて、みなさんは、どちらの紫陽花が好きですか。 デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてください。
2009/06/26
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紫陽花や 小雨の庭の うすあかり 俊介6月生まれの私は、紫陽花の生まれ変わりむしょうに紫陽花に惹かれる。梅雨入りでテニスができない週末ゆえ、じっくり腰をおちつけて紫陽花に挑戦。まずは省略を加えながらも精密に描いたらどうなるかを試みてみました。変更したのは、右端の紫陽花のかたまり。ピンクだったけど、バランスとまとまりを考えて青にかえました。紫陽花は水彩に適した面白い画題です。翌日は、もう少しさらっと描くことに挑戦。次回、紹介します。デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてください。
2009/06/23
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絵の大きさは不思議で,受ける印象とは無関係なよう。私の好きなニコラドスタールの「オンフルールの空」は、広大無辺な空の広がりを感じさせる半具象の素敵な絵。そうとう大きな絵だろうとずっと思っていたが、たまたま海外で現物に出会ったら、なんと6号位の小さな絵。さて、これは房総千倉のお花畑を描いたはがき絵。はがき大でも、広がりが感じられれば成功なんだけど、小さいからかえってのびのびと心地よく描けた1枚。水彩画 「房総風景」心の眼で見たままに絵を描くと自分がわかる。学んだ構図理論や技巧をつかわず、ただ筆が走るままに描くこと。この絵は、そんな風に描いた絵。心象風景と言ってよいかもしれない。自分に、こんなほんわかした優しい面があることに気づいた絵。今日のもう一枚 「黄昏の春」デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてください。
2009/06/11
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日光霧降高原を歩いた後、初めて東照宮の近くの東大植物園へ。友人が、しばしば訪れる良い所というので、行ってみました。東大植物園のしゃくなげ 園内は、しゃくなげ、つつじ、水芭蕉といろんな花々が、やや広い川べりの敷地に一面に咲いていました。東大植物園すべての植物に名札が付いているので、ゆっくり花の名を楽しんでたどれば1時間はすごせそう。植物園 植物園の対岸には、多数の地蔵尊が並んでいる素敵な古道が。日光の地蔵群 園を出て、遠回りしてつり橋を渡ると地蔵群の古道にたどり着く。いろんな表情の地蔵があって、外人の女性が好みの顔の地蔵を熱心に撮っていました。亡くなったかみさんの故郷・因島の白滝山の山頂の個性豊かな石仏群を思い出しました。日光植物園広い草原の日光霧降高原と花にあふれた東大植物園。もうひとつ、新緑を楽しめるたのは群馬県境の妙義連山。今日の一枚は、下仁田から新緑の妙義山を旅した時の一枚。「春の妙義連山」妙義の春2色調を変えてもう一枚描いてみました。妙義の春s デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてください。
2009/06/09
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1年間、南米で発電所建設に従事したので、しばしたっぷり休養中。長年の夢は、車にミニクックと寝袋と油絵の道具を積んでの日本1周の旅。今回は、北陸、山陰を経て九州までスケッチ旅行しようかと思案中。この絵は、かって長崎のキリシタンの城下町、平戸に旅した時のもの。平戸s長崎と同じく、坂の多い風情のある小さな城下町だった。ここは、その昔、多くの武士たちが、毎日,登城した藩坂。平戸藩坂s最も気に入った場所は、城跡の平戸藩の藩主が茶を楽しんだ茶室。赤い毛氈の椅子に座って、茶菓子を食べたあと、描いた一枚。水彩画 「平戸藩主の茶室」平戸藩主茶室デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてくださいね。
2009/04/23
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9月13日に、ふたたび南米へ出立することになり、その前に、季節の気配のする自然の中ですごしたくなった。何気なく車を走らせてたどり着いた先は、静かなお花畑。題して、「名残りの夏の楽園」谷川岳に近い宝台樹の南斜面にひろがる、やすらぎの森。山麓を切り開いた白樺のキャンプ場。そこに森を切り開いた広大な自然花園があった。夏の激しさを失った晩夏の光は優しく花弁を包みこみ、盛りをすぎた花は、かえって静かな趣きをたたえる。光背と言うように人も花も光を背にすると、いっそう輝きを増す。風が花弁をなでて過ぎると、秋桜は可憐な笑みを浮かべる。「この世で、もっとも素敵な場所はここですよ。」そんな風に誘っているような白樺の木下の椅子。名残りの夏は、そんな風に過ぎていきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山の端に日が沈むまで、そこですごして、その夜は宝川温泉へ。渓流沿いに広大な露天風呂が三つも広がる一軒宿の汪泉閣。深夜、山菜を肴に酔った身体を運んで、再び入ると、湯けむりの向こうに淡い白い人影があった。この夜の顛末を、今昔物語風に述べると・・・「今は昔、武蔵野の方、清瀬なる里に男ありけり。永き旅に出ずる前に心残りなからんと、赤城の峠を越えゆき、水上の奥深き湯の里に遊べり。夜半になり物の音静まれば、渓流の逆巻く音、なほしきりなり。夜更けて丑三つ時の刻なるに、眠れざるままに、酔いのつれづれ、ふたたび、渓流に下りて、湧き出ずる湯船に身を沈めたり。眼つむれば、満ち来るものありて心静かなりしに、ふと、もののけの気配ありて、いざなうものあり。振り返れば、湯けむりの奥に白い人影、近寄れば、白樺かとまごう肌白き女人なりける。おりふし慈しみたる面影に似て、静かなる笑み湛え、水面に揺らぐ裸身、淡き夜の灯に朧なりける。しばし時流れて、男、ふと眼をあければ、はかなき夢や、うたかたもなく消えゆきたり。淡き一条の夢か、うつつなりしか定かならず。今はただ、水音ばかりしきりなりけり。」
2008/09/25
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二百十日の初秋の風が吹くころ風の盆が幕を開ける。毎年9月1日から3 日にかけて行われる、おわら風の盆。その舞台となる越中八尾は珠玉のような美しい町川風吹く丘の上にある。川に沿う馬の背のような細長い町。川風に追われて登れば描きたくなる坂道あまた。 丘の上には、風雅な石畳の通り。奥座敷がのぞく格子戸の家がぎっしり連なる。「打ち水や 格子戸越しに 朝の声」 普段は静かな町だが、「風の盆」で一変、各町が繰り出す流麗な「町流し」が始まる。 春風吹こうが 秋風吹こうが おわらの恋風 身についてならない 見送りましょうか 峠の茶屋まで 人目がなければ あなたのへやまで 唄は小粋な恋の唄、艶のある身振りがそれに符号する。 私が好きなのは、このフレーズ 八尾坂道 わかれて来れば 露か時雨か はらはらと もしや来るかと 窓押しあけて 見れば立山 雪ばかり 昼間の踊りは20歳までの男女と言う厳しい掟がある。笠を脱ぐと幼さな顔の乙女たちだった。 乙女たちが踊り笠で顔を隠すと急に大人びた艶を増す。 踊り笠で顔を隠した姿ゆえに華麗なしぐさがかもし出す不思議な大人の色香。 振り付けは、その昔江戸の名取に頼んだ由緒あるもので、稲を刈ったりほおったりするしぐさとか。 特に「男踊り」「女踊り」の振り付けが素晴らしく、指と腰のしなやかな動きに、うっとりと見とれてしまう。「盆灯に 振りかえり見るや 踊り笠」 昼間の町流しがひととおり終わる頃、八尾の寺町は薄桃色の夕焼けに輝き始める。これから、艶やかな夜の部が始まる。ぼんぼりに灯が点ると、八尾の町は、新しい顔を見せる。夜の闇を背景に、踊りの身振りは、一層美しさを増す。 20歳の乙女がどうして、このような上品な艶やかさを表現できるのか。風の盆の振り付けは、息を飲むほど。ほんとうに美しい。 踊りを支えるのは糸を震わせる胡弓の弦と三味線。胡弓の弾き手は、風の盆の欠かせない存在。粋な男衆の着流しの弾き手が多いが、時には、美しい弾き手が、しずしずと踊りに付き添う。一緒に「町流し」と移動しながら、その小粋な姿を描いた。 もしや来るかと 窓押しあけて 見れば立山 雪ばかり若林流の著名な胡弓奏者、若林美智子さんの「町流し」のあでやかな姿。 もうひとり、八尾では著名な方に出会った。東京芸大教授で、洋画家 絹谷幸二さん。偶然、となりを歩いておられて、TVで見覚えがあっておもわず挨拶、表具屋さんまで案内したら、ビールをごちそうになった。 風の盆の魅力は、音と踊りの絶妙はハーモニー。胡弓や三味線を弾く人、唄う人、踊る人。 移動する3人を一緒に歩きながら描いた一枚。 風の盆が最も美しいのは、深夜1時から3時、町の人々が自分たちの為に踊り始める時。町のあちこちで深夜の「町流し」が始まる。この時は編み笠を外して、誰もが自由に踊り始める。美しい娘ふたりと踊る幸せそうなお母さん。 お母さんと楽しそうに踊っていた娘さん。 深夜の「町流し」は明け方まで続いた。暗い路地から路地へしずしずと踊る姿は幽遠。盆灯に映える夜の踊り姿に息をのむような美しい瞬間があった。 デザイン・アート部門のプログランキングに参加中。このブログが気に入ったらクリックして下さい。
2008/08/23
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高遠の囲炉裏の山荘で、この歌を思い出していた。寂しさに耐えたる人のまたもあれな庵並べん冬の山里 西行伊那人は長野でものんびりした人が多く住みやすいとか。花冷えの囲炉裏を愛でる友のあれな庵ならべん春の山里 俊介翌朝、訪れた駒ヶ根美術館の隣に思いがけず、またまた枝垂れ桜で有名な光前寺があった。そびえたつ巨きな枝垂れ桜の古木があまた。桜に負けじと、艶を競う紅梅。濃い紅色で、けなげに挑戦するも甲斐なし。鐘楼の甍よりも高くそびえる桜の古木には、長い年月が生み出した、野武士のような風格。この巨木の先の青空に咲く、桜の花の小枝は、まるで、頑強で強健な老人の肩に支えられた、かわいい可憐な孫娘のような風情である。桜の情趣は、この無骨な幹と花との対比にもある。いらかの上にそびえる桜の古木の老骨の品格に似た風情もまた良し。高遠のコヒガンサクラの群がる様とやや趣が違って、うす桃色の青空を透かした枝々にすがすがしい風趣あり。駒ヶ根から諏訪へ味気ない高速を走るのが惜しくて、川向こうの、川沿いの伊那谷の細い古道を走った。土手沿いの道は、予測どおり、桜また桜の回廊。そして、圧巻は、このそびえるこぶしの巨木との出会い!青い空を背景に気品あるこぶしの雄姿がすばらしかった。この、すがすがしい、こぶしの木にも出会えたことで、2週間の大和の休暇は満ち足りて終焉しました。クレヨン画 「花野」 at 甲府 桃の里デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2008/05/06
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我が住む里は、かって堀辰雄などが療養した武蔵野のただ中。多摩川へ流れ込む清流、柳瀬川があるゆえか、その名も清瀬市。土手沿いには、桜の回廊が連なり、鷺がときおり飛び立つ。桜に関する俳句を少し探してみたら、女流詩人の桜の句は、どこか妖しさがともなう。愛咬やはるかはるかに桜散る 時実新子猟銃を抱かせてもらう桜の夜 鳥居真理子なんとなく猟銃を抱いた女性も桜に酔って、その夜、妖しく抱かれたような風情あり。俳句界きってのこの美形俳人は視点が多彩。こんな対比のうまい句も、ものにする。豚の子が群がっている桜かなこのふたつは、彼女が角川俳句賞で颯爽と登場した時の秀作。さて今日の即興句 夜桜や般若隠れし幹の影 住まいから5分の禅寺に薄桃色の枝垂れ桜。花見のあとは、禅寺入り口の料亭花月で和風定食。いやあ、久しぶりの本格的和食故に、美味かった!さて、帰国中の桜街道の旅、第二弾。高遠のコヒガンザクラを眺めて、囲炉裏の山荘のご主人との川柳談義のあとは、好きな池田満寿夫の陶器と版画がある伊那の鉄工会社が創った素敵な駒ヶ根高原美術館へ。途中の畑には、思いがけず水仙が咲き乱れていて、粋な休耕田活用の発案者に深く感謝。伊那街道 いずこの野辺にも桜花 古木みごとに惜しげなしパステル画 「春を待つ人」デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してください。
2008/05/04
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4月の久しぶりの日本の休暇は、桜、さくら、サクラ三昧。チリに戻る21日の前日まで、高遠の桜を見に行っていた。今日の日記は、昔の高遠日記を引用して、再編成したもの。遠くから見ると桜の城と言うにふさわしい高遠城址。小高い丘の斜面まで一面に埋め尽くしていた。この高遠城址には、悲しい物語が残っている。ある夜、この武田の最後の砦、高遠城に、一族郎党が集まって、織田軍の侵攻にどう対処するか開戦前夜の決断を迫られていた。和睦を勧めた使者の耳を切って追い返した武田の若い城主の判断はこの城を守っていた全ての人に、いさぎよいと言うのも辛いほどの悲惨な死に方を選ばせてしまった。死を覚悟した武田方の部将は、まず我が子を刺し殺してから殺到する織田軍へ切り込んだ。刃物で切られ槍で突かれて死んでいくというのは、覚悟の上とは言えども、痛く辛く悲惨なことだったろう。しかも男だけではなかった。武将の妻や娘達すらも刀を振るって奮戦したという。中でも、諏訪勝右衛門の妻「はな」は、薙刀をひっさげて織田軍に斬り込み「ここに諏訪勝右衛門女房、刀を抜きて切って廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり」と。後に語り種になるという働きぶりだったと言う。刃物の中に飛び込んでいって痛み死ぬ苦しみのいかばかりか。わが身が、そうなったことを思うだけでも、耐え難い。 仰ぎ見る桜消え行く最期かな 美しい枝垂れ桜がおおう城址の見張りやぐら。 ここにも、織田軍は情け容赦なく進入し襲ってきたろう。その夜は、お誘いをうけたひまじんさろんさんの高遠の山荘に一泊。持参した‘越の寒梅‘が半分、空になるほど、素敵な囲炉裏を囲んで伊那名物の馬刺し、鱒の味噌焼き、山菜をご馳走になった。山荘のあるじは、出版社の社長でかつ川柳界で一目置かれる方で、川柳界の与謝野晶子と言われた時実新子さんも伊那にこられたそう。豊富な経験から、散文家でもあり、伊那の賢人、思索家といった人。囲炉裏談義は、いつしか俳句と川柳の違いは何かということに。川柳といっても、駄洒落ばかりと思っていたのと大違い。季語なしで自由に人生の哀歓や心象を歌う真面目な世界があった。「わが胸で伐採音の絶え間なし」 時実新子17才で顔も知らぬ人へ嫁がされ、川柳で目覚めて自作川柳集「有夫恋」そのままに、恋を成就された方。季語がないゆえに、ひねりをきかさないと駄文になる川柳はそれだけ言葉に鋭さが求められ、厳しさがあると知った。俳句なら 「君と逢わむ 桜散り敷く 夢の中」 俊介川柳なら、 「君と逢う 魑魅魍魎の 夢を追い」 かな 水彩+パステル画 「高遠城址」翌日伊那谷の駒ヶ根の里には、一面に水仙が咲き乱れていた。高遠城址で亡くなった多くの人々のことを考えていた私には、いさぎよく悲しみの中で散った魂が集っているように思えた。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2008/04/27
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長崎はロマンチックな街だけど、私には、つらい思い出がおおい。長崎には、東高と西高と言う進学校があった。ひとりだけ大村を離れて長崎に下宿して通った。帰ったらポツンと灯りがひとつの淋しい下宿生活。高校2年の時、父が事業の心労で40代で他界。母親と子供三人が長崎に残った。米が足りないと妹と芋粥を作った。学校の成績も、30番くらいまで下がった。志望の九大工学部は無理と言われ、経済学部志望のクラスにまわされた。ここまでは、辛い思い出ばかり。はがゆいので理系クラスの参考書を買った。塾に行くお金はない、一人で解いた。そのうちに問題を解くのが楽しくなった。出題した人との知恵比べのようだった。卒業の最終試験で・・・びっくり。一番!憧れの九大工学部を受験。合格。子供三人を苦労して育てた母親が、一番喜んでくれた。うれしかった。ひさしぶりの長崎南山手風景。若いカップルが明治の衣装を借りて記念撮影。1時間500円で園内を散策できる粋なはからい。さわやかな仲良しカップルも。父の仕事がうまくいかずに、いろんな辛い日々に悟ったことがひとつ。悪いことが重なったときには・・・、「最悪の悪い事態を想定して覚悟を決めること。」「これ以上は悪くはならないとこまで、起こる前に覚悟を決める」と、意外と心が楽になるようです。さて、今日の一枚は、水彩画 「南山手から見た稲佐山」ひとりぼっちの高校時代、シュトルムの「みずうみ」やゴールズワージーの「林檎の樹」を読みながら、よく歩き回ったのがこの裏手の「聖母の騎士幼稚園」あたりでした。デザイン・アート部門のプログランキングに参加中。このブログが気に入ったら1日1回、クリックして応援してくださいね。
2007/10/06
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海外の夏の黄昏は時間が長い。スペインでは9時位まで続く。そして、真上から射していた太陽が、傾き始め、ものみなの影が長くなると、なぜか、切ないほど美しく輝き始める。「残光」at ハウステンボス滅びの前の一瞬の命の輝きのよう,水面で残光が踊り始める。悠然と水面で残光を楽しむ貴婦人。今日の絵は、そんな白鳥を描いたもの。パステル画 「白鳥」パステル画 「羽ばたき」デザイン・アート部門のプログランキングに参加中。このブログが気に入ったらクリックしてください。
2007/09/30
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何も産業のない辺鄙な故郷を活性化したい。今は昔、長崎の西彼杵半島に一人の青年がいた。東京の料亭の女将がその熱意にほだされた。料亭を訪れる東京の著名な実業家に熱意を吐露。美しいオランダの森と湖を実物大に復元したい。やがて、その夢は、巨大な構想にふくらんでいった。それが、この「ハウステンボス(森の家)」とか。ここは、環境技術の学会で一度訪れていたが、故郷の中学校の同窓会があるというので、それを兼ねて再訪。海上の長崎空港から快速艇は一路「オランダの森と湖」へ。初秋の海面は、夏を惜しむように輝いていた。船は、帆船が停泊する「オランダの港」へ到着。誘拐されて目隠しされて着いたら、これが日本とは気づかないだろうと思う程。帆船も建物も、現物そっくりを目指したとか。レンガの隙間が数ミリ違う!と難癖つけたオランダ技師の意見で、一式作り変えたほどの精巧な街の復元だった。まがい物のない夢の再現だけに、本当に美しい。まずは、風雅な遊覧船に乗って運河を巡った。水辺の風景は、水上から眺めるとなお美しい。水と建物がおりなす光と影。運河巡りは、夜になると幻想的に変身した。一日、絵を描いたり、木陰で憩ったり。海辺のテラスでの、今日の一枚。ビールに酔いながら、のんびり描いた。このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/09/28
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今回は、いろんな旅先で描いたもの。所沢での美術展に出す予定の絵。自分でも、とても愛着があって、楽しかった四季の旅を思い出す4枚。春巴里にようやく春がきた頃、リュクサンブール公園には、日向ぼっこする人でいっぱい。気持ちよさそうに眠っていたパリジェンヌ。夏30日間、スペイン巡礼路を旅してマドリードに戻った。海外の街には、無目的の広場がある。誰でも自由に憩える空間がある。スペインの夏の夕暮れは長く9時まで明るい。広場に斜光の長い影がさし始める頃、広場でのんびり麦酒に酔っていると、突然、ロミオとジュリエットの寸劇が始まった。終わって帽子に謝礼をもらいにきたジュリエットに1分ほど、じっとしてもらって、すばやく描いた。クレヨン画 「マドリードのジュリエット」秋もうすぐ、霧が峰高原にふたたび秋が来る。広い八島七島湿原の遠くに草原の丘。どこを歩いても心地よい、素敵な空間。描いていると、「秋の匂い」に包まれる。パステル+水彩 「高原の秋」冬白鳥が見たくなって、大晦日から東北を転々として本土の北の果ての終着駅の湖でようやく出会えた。白鳥の姿態はやわらかいパステルが似合う。裸婦よりも楽しく心地良く描いた一枚。パステル画 「もうすぐ春」以上の4枚は、下記の美術展に展示予定です。瀬絵画デッサン会「設立30周年 記念展」2007年10月2日(火)~8日(月)午前10:00~午後6:00(最終日はpm.3:00まで)場所: 所沢ミューズ (西武新宿線航空公園駅東口で降りて緑の公園を歩いていくと10分ほど。)清瀬デッサン会30周年記念展このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/09/18
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朝、目覚めたら無性に思った。「草原へ行きたい。」次の仕事まで間が在るうちにと、すぐに出発。北軽井沢を越えて、まずは浅間高原牧場へ。かって高峰秀子の「カルメン故郷へ帰る」のロケ地だった牧場。遠く浅間の火口から噴煙が、いまだに立ち上っていた。島崎藤村によれば、昔、浅間山が大爆発を起こす数日前より、不穏な兆候を、動物たちは感じ取っていたとか。兎、鹿、猪などの獣がいっせいに山を下っていったそう。 パステル画「浅間山遠望」更に北上,ひなびた露天風呂があるという目的の草原へ。草津温泉の奥の、ここ奥草津休暇村は、かって褐炭鉱の鉱床の谷。足尾銅山のような茶色の不毛の地だった。そこに白樺、楓、桜、数千本を手作りで植栽して、美しい高原に変身させたのは日本鋼管の人々。もう、高原は、どこか、秋の気配。とうもろこしの揃った穂が、午後の光に映えて美しい。黄昏の斜光が、サルビアの花のそばで、踊っている。芳が平を歩いた汗を流すために、夕食前に風呂に入った。野営地の真ん中に、素朴なよしず張りの露天風呂。風呂から上がると、炭火をおこし、子羊の肉を焼いた。広大な野営場の中に、手作りのバンガロー散在する。やがて、日が暮れると、頭上には、銀河系の星雲。流星群が見れると言う頃、長く空を見ていた。数条、ふっと光の尾が走った。星が降る音が聞こえそうな静かな草原の夜ひさしぶりに琥珀色の水割りで熟睡した。このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/08/28
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房総の大好きな名峰は、伊予ガ岳。山頂が、畳二枚ほどの急峻な岩の山。春秋にもう10回近く登ったかな。内房線の岩井駅から、バスで10分、富山登山口の先の平群神社へ。岩峰を囲む里は、かって平群一族の住んだ里。岩の頂きから見下ろす里の風景がまた風情あり。そこから1時間、こんな光の道を登っていく。最後は急な鎖場を過ぎて、この急峻な岩峰へ。房総で最も好きな見晴らしの良い頂。里美八犬伝の里を遠くに、素晴らしい岩の頂です。さて技術関係の仕事で、明日から上海へ。2週間ほど行くことになりました。ネット環境が見つかれば、向こうから上海日記を送ります。みなさんも、お元気で。このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/03/04
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房総半島の突端には、美味しい民宿や由緒ある宿がたくさんあると知って、春の海に陽光が反射する日にスケッチ旅行。題して「房総グルメ紀行」まずは、鳩山首相の広大な別荘跡に立った館山の「松庵」古い由緒ある建物を期待したが、建物はなくなっていた。関東大震災で消失した東京の本宅用に解体移設したもよう。黒松林を吹き抜ける風に枝々がいっせいにざわめき、風の音と松の音が渾然一体となって生まれるのが「松籟」。季節、樹齢によって微妙に違う松籟はまさに千変万化。そんな松籟が楽しめる風情ある別荘跡地でした。その夜は、炭火焼の山海の食材とてんぷら刺身が食べきれないほど、楽しめました。次は、雑誌でも良く紹介されている海の幸豊富な、お花畑千倉の民宿「萬兵衛」金目鯛の刺身と鷹の羽鯛の煮付けが美味しかった。更に伊勢海老、あわび、烏賊、海老の味噌鍋・・・!料理の主は、この話好きのおばあさん。ご主人は、なんと銀座英国屋の仕立師だった。昔、魚がたくさん捕れた頃は、羽振りが良かった漁師さん相手に背広を仕立てて良い商売だったとか。房総めぐりで、皆が立ち寄るのが浅井慎平の「海岸美術館」しかし、僕はがっかり!海岸とは名ばかりの山奥。高い入場料の「美術館?」の割に展示している写真が少ない。展示している写真も、いまいち感心しなかった。写真の対象物は良いが、写真はいいのがない。多分、いずれ自分の「アトリエ」にしたい建物の費用を経費で浮かすための「美術館」ではないのかな。自分の格好良い写真を大地喜和子と向かい合わせたり。言わば、浅井慎平の「ひとりよがり」の美術館。房総めぐりで面白かったのは、南房総の丸山町が、町おこしに本場英国の大工に作らせた、本物そっくりのシェークスピアの生家。「風車とローズマリーの里」の中にある。父親のジョンは商人で裕福な家庭環境であったとか、昔の裕福な英国の生活が垣間見れた。シェークスピアは、18歳で、8歳年上の女性と結婚。すでに長女を身籠っていて、出来ちゃった婚!でもとても幸せな結構だったようで、、これがシェークスピア夫婦の寝台、とても小さい!上半身は立てたまま寝たとか。ほんとかなあ?さて、今日の絵は、房総の港風景。皆さんは、知っていますか?日が傾いて、黄昏まぢかになると、海の面は、不思議な輝きを始める。ほろびの前の束の間の命のように。このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/02/23
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房総半島の突端はかっては未開の地。今の浦安周辺には、広大な湿地帯が立ちふさがり、紀州和歌山から黒潮に乗って上陸した人々が、南より開拓したので下が上総、上が下総。「総」や「房」は、上陸して植えた「麻」から由来。白浜、勝浦の名も、ふるさと紀伊半島の名残り。その上総の外房に「千倉」と言う美しい里あり。2月ともなれば、金魚草、ストック、ひなげしが満開。先週、スケッチに訪れたら、もう春たけなわ。「花摘み」と言う風雅な幟りが、そこここにはためく。訪れた人はみな、花盗人ならぬ花摘み人となって風雅に花畑のそこここを散策している。5、6本で200円から300円。畑の中の好きな色、好きなのを自ら摘むことができる。千葉には横浜のような文化の香りが少ないと言われる。確かに、岡山、松山のような城下町の歴史の風情も、気風にも乏しく文化振興の機運がないと嘆く人もいる。家康が内懐からの謀反を怖れて、地方豪族を左遷し、小さな外様大名ばかり置いたから・・・・・・強大な権力が持つ文化の志向性が生まれなかった。と言うのが私の個人的な推論。文化と言うのは、その町や国が持つ独自性が顕著に発展するための、強い方向付けが必要なよう。それゆえか自然は豊かで、手付かずの風情あり。広い房総には、庶民的な匂いのする、のびのびした、のどかな里が多い。私の大好きなひなげしが千倉にはあまた咲いていた。暖かい日に多様な彩りで可憐に揺れる詩情あふれた姿。コスモスやひなげしのように風に揺れる花が好き。今は昔に作った青春の歌「泣くは誰 けだるき真昼の丘に吹く 風に揺れゐる ひなげしの花」今日の一枚は 水彩画 「千倉風景」お昼には、野島崎灯台を眺めるカフェテラスで、タコのパスタと、オムレツをほうばった。安いのに、意外と料理が美味しかったので、麦酒に酔いながら気持ちよく描けた一枚。房総はもう春ですよ!「野島崎灯台」気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/02/07
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内房総の鋸南町は有名な水仙の産地、江戸時代から栽培されていたそう。 水仙は、1月から2月にかけては花の最盛期。JR保田駅から徒歩で往復4時間くらいの嵯峨山周辺は、一面の水仙の里で、尾根道にもぎっしり。小保田まで、バスで行けば、嵯峨山往復は、2時間の軽いハイキングコース。保田駅発9時18分と12時48分の鋸南町営バスがあるよう。冬日透かしの水仙はとても可憐。 今回の旅は、山のベテラン札幌医大の伊藤教授に誘われて、思いがけず良い旅に出会いました。伊藤教授は、東京ハイキングクラブの重鎮で、年間40回以上、こういう山歩きを企画されている優しい素敵な方です。 ぎっしりと水仙で埋め尽くされた丘。この丘に突然であって、みな、息をのんだ。 暖かい房総の日を浴びて、あぜ道でお弁当。水仙の香に囲まれて、しあわせなひととき。 枯れた穂先の綿帽子も、ふっくらと冬日を満喫。 農家の庭先にはこんなあでやかな黄色の水仙も。 嵯峨山を下ると山里に一軒屋に、おばあさんが一人住まい。庭先には、こんな紅い花が咲いて、すでに春の気配でした。 今日の一枚は、お昼のあぜ道で描いた絵。水彩画 「水仙の里」 プログランキング、クリックしてくださいね。
2007/01/23
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三崎港は、まぐろの基地と魚満載の釣り舟ののどかに波を光らせて、冬日の中を帰り来る。 港埠頭の生鮮市場、真っ赤に美麗な金目鯛、炭火とろとろ、脂とろとろ遠火で焼けば美味かろう。帰りに買わんと楽しみに。 浜辺を歩けば、老婆いて鯵に鰯に秋刀魚にマグロ、天日に干したる焼きいたり。磯の浜風、のどけくて、炭火に焼ける鰯の匂い、おもわず立ち寄り賞味する。 噂の店は、「くろば亭」行列並ぶ、美味の店?特上まぐろの刺身あり。三千七百五十円。一切れあたりいくらかと、計算せずに食べるべし。 城ヶ島なるバス停の土産の店に立ち寄りて、冷酒を頼めば、地の人の、一升瓶をなみなみと、今日は奢りと銭取らず。のどかな港に住む人の優しい情に接したり。地元の人のお勧めの、三崎港の小料理屋、美味なる煮つけ金目鯛、店の屋号は「庄和丸」品良い店に酔いければ、いつしか日暮るる冬の宵。 すだちの香り、磯の香にほろ酔い気分の水割りにしあわせ満ちる旅の空。 心残りは、ただひとつ、磯の潮の香、露天風呂、浜は日暮れて夕まぐれ、麦酒に酔いて立ち寄れば、市場は既に閉まりけり、まぶたに残る金目鯛、次回行く日を待ちわびる!デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2007/01/19
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今回は、城ヶ島突端の岩礁で見つけた風景。雪がすべてを真っ白に装わせるように海辺の逆光は、万物全てを漆黒の美しいシルエットに変身させる。人影のなにげない姿が精巧な彫像のように変身する。魚群がいるのか、海のひとところに群がるウミネコの群れ。たえまなく激しく打ちつける波濤には、いつまで眺めても飽きることの無いひたむきさがある。水彩色鉛筆 「城ヶ島の岩礁」昔、博多を出港した藤原なにがしの船が、漂流して、ここに流れ着いたと言う岩場。よく、ここまで生き延びてたどり着いたもの。風雨に曝されて波濤を見下ろす灯台は、孤高な品格を持っている好きなモチーフ。これは、昔、千葉の犬吠埼を油絵で描いた一枚。下記は、対照的な夏の逗子海岸の喧騒の景。それに比べると冬の城ヶ島は寂しいがどこか爽快ですっきりと輝いています。冬の城ヶ島も行ってみる価値ありました。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2007/01/13
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三浦半島の突端の三崎港は、外洋の高波を城ヶ島に遮られ、台風や風波を避けうる天然の良港。「えの丸や 庄之助丸 春麗ら」美しいヨットや、遠洋マグロ漁船があまた停泊。澄んだ冬の陽が、漁船の光彩を波に映す。柔らかい冬の陽射しを、楽しんでいるのは、人間より、むしろ舟の方のようであった。青い海、白い船の船体、喫水線の鮮やかな赤。港は、画家にとって、色彩豊かなモチーフ。船体が映る、風にゆらぐ波間の影がまた美しい。パステル画 「初春の陽射し」今は昔、絵の仲間との旅が楽しかった頃、何度も港を描きに行った。山陰の舟泊は、倉敷の絵の仲間と、泊りがけで行った。年末の忘年会バス旅行で行くと、はまちが一匹、土産についた。四国の日振り島では、居酒屋で出会った漁師の家に泊めてもらって、秘密の岩場に案内されて、皆で、メバルを100匹近く釣った。鍋が空になると、魚籠からメバルを放り込んで、また煮て食べた。房総の港は、船橋の絵の仲間の家に泊まって描いた。友人の父親が昨夜作った「背黒鰯の一夜干し」を炭で、焼いては食べ、焼いては食べして、一晩、飲み明かした。炭火に乗せると、新鮮な鰯から油がジュージュー滴り、そのあつあつの柔らかい鰯を、そのままほおばった。あんなに、美味しい鰯はそれ以来食べていない。今、気づいたけど、港の絵には、どれにもうまい魚、美味しい酒、にぎやかな団欒といった絵の仲間との楽しい思い出が重なっている。「酒の美味しさは銘柄ではなくて、誰と飲んだかによって決まる。」と言った人がいたけど、ほんとうですね。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2007/01/12
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テニスをしていたら、絵の仲間からメールが入った。「三崎へ、マグロ食べに行こう!」「三崎ってどこ?」 「三浦半島の突端」と言うわけで、連休のぽかぽか天気の日に三浦半島の三崎港から城ヶ島にスケッチ旅行。絵はともかく、美味いものが食べれる!陽光のきらめく三崎港は、初春の息吹がいっぱい。城ヶ島と言えば白秋の名曲「城ヶ島の雨」「雨はふるふる 城ヶ島の磯に利休鼠の 雨がふる雨は真珠か 夜明けの霧かそれともわたしの 忍び泣き舟はゆくゆく 通り矢のはなを濡れて帆上げた ぬしの舟ええ 舟は櫓でやる櫓は唄でやる唄は船頭さんの 心意気雨はふるふる 日はうす曇る舟はゆくゆく 帆がかすむ 」「城ヶ島の岩場」「日本人なら、どこかで耳にしたことがあるであろう名曲。北原白秋が、なぜこの詩を書いたのか? 当時、三浦三崎に住み、城ヶ島を望みながら暮らしていたそう。北原白秋に、作詩を依頼したのは、島村抱月率いる「芸術座」。新劇のみならず、音楽界にも新風を..と「芸術座音楽会」を開き、オリジナルの曲を発表することになったからとか。作曲を担当したのが、当代一流の名テナ-であった梁田貞氏。」歌手吉元恵子さんの「音楽ゆかりの地を行く」より その城ヶ島へ渡るバスを待つ間に一枚。優しく揺籃するような波に憩っていた舟の姿「初春の三崎港」美味しいマグロを食べて、海辺の露天風呂に入り、城ヶ島の絵を4枚描いてきました。4回にわたって、ご報告します。プログランキング、クリックしてくださいね。
2007/01/12
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正月は、かみさんの里、広島の因島に。明日の夜は、息子と落ち合って倉敷へ。民芸風の素敵な居酒屋「新粋」で静かに飲んでいます。大皿に並べられた、瀬戸の海の幸を楽しみに。大晦日には、瀬戸の海を見渡す、小さな神社で、厄年の男女がふるまう美味しい「蕎麦」と竹筒の「新酒」をいただいて年を越すでしょう。みなさん、良いお年をお迎え下さい。「富士の彩雲」
2006/12/28
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天竜川に不思議な淵あり。川を下る舟みな、ここに至れば、今来た方へ別れを惜しむが如く、舟は木の葉のように舞い、舳先は川上の信濃へ向かふと。今は昔、天龍の里に美しい乙女住まいし。思いを誓う人あるも、三河の国に召されて旅立つ。耐え難い別れの悲しみを振り切らんと、互いに交わせし御守袋を、この淵へ投じければ、みるみる水中に渦湧き立ちて、船頭必死に舵取りするも、舟は、まったく先へ進むことかなわず。やむなく、里に戻りし乙女は、やがて愛しき人とめでたく夫婦となりえて、親に孝を尽くしたりと。村人、ひたむきな乙女の愛、天に届きしことを愛でて、この美しき淵を「信濃恋し」と名付く。個展を開いたログハウスは、この「信濃恋し」のすぐそば。(俊介の、坊さんのような本名が、ここでばれてしまいました)丸太を積み重ねた、美しい内装の自然な風合いのログハウス。「房総のお花畑」と「棚田」の油絵2点、「スペイン巡礼路」の水彩画3点、「裸婦デッサン」のパステル画2点、「パリジェンヌ」他世界中の似顔絵数点、それに「秋のブランコ」他のクレヨン画、占めて17点をログハウスいっぱいの壁面に展示しました。来年1月20日まで展示しています。よかったらご覧下さい。飯田線為栗(してぐり)駅で下車して吊橋を渡り、美しい「信濃恋し」の渓流を歩けばログハウスまで10分程です。ハンサムな南信州新聞の記者の方に、取材を受けました。到着したその夜、なんと天龍村の村長さんが見に来られた!早速、似顔絵のモデルになっていただき、謝礼までいただきました。村長になると、選挙にかかったお金をとりもどそうと、公共投資を行う首長がほとんど。それで市町村の借金が増える。「わしは、そう言うことは、やらん」と、信念をもった惚れ惚れする気骨のある方でした。日本を借金王国にした自民党の亡国議員どもと、霞ヶ関の時代遅れの「過去官僚ども」に爪の垢を煎じて飲ませたい!中日新聞にも個展の記事が載って、いろんな方と出会えました。鹿鍋に集い来て似顔絵を描きし天龍村の方々。左から三番目は、天龍村の温泉「お浄めの湯」の支配人。右端の方がログハウスの美味しい料理担当のバードさんの奥方。スペイン巡礼路を歩いたターボさん(左端)も中津川より駆けつけ、バードさんの仲間がたくさんやってこられて絵を片手に記念撮影。これから絵を学びたいからと油絵を持参してこられた方も。これは、その方のお孫さん。不登校などとは無縁の生きる喜びにあふれたお嬢さんでした。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2006/12/26
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天龍村のログハウスで個展をひと月ほど開催しました。昨夜はログハウスの囲炉裏で、鹿肉食べて村人多数と酒盛り。バードさんの仲間や市役所の方が集まって楽しいひとときでした。途中から、スペイン巡礼路を歩いたターボさんも合流。日本の防衛問題で、バードさんと激論を交わし、美味しい飯田の焼酎もあいまって、やや二日酔いです。今日は天龍村の人たちに、似顔絵プレゼントの日。昼には、数家族集まって、ログハウスは満員盛況。バードさんは、料理つくりにてんてこまいでした。家族連れで一家全員描いてと言われたり。持参した色紙に赤ちゃんを描いて!ついでの親も!と。昼飯抜きで、結局、合計22人ほど描きました。みな嬉しそうに気に入ってくれて楽しい2日間でした。昨日は天龍村の村長さんも来て神妙にモデルになりました。描く間のこどもたちとの会話も楽しめました。睫毛の長い可愛い小1の男の子。「お父さん、優しい?」お父さんの顔をうかがいながら「うーん」と首を振る。「好きな女の子いる?」「お母さん!」お父さんは苦笑し、お母さんは満面の笑み。似顔絵のお礼にと甘いゆずのワインづけを一瓶届けて下さる人、林檎や干し柿をもってくれたおばさん。中日新聞に個展の話が載ったり、南信州新聞の取材を受けたり。いい仲間に、いい村人ばかり。段取りしてくれたバードさん他、皆さんありがとう。ほんとうに、素敵な体験でした
2006/12/23
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絵日記の延べ訪問者が10万4千人を越えました。支援くださった方々、ありがとう。掲示した油絵、水彩画も100枚以上になりました。これまで、スペイン、ポルトガル、シルクロードと世界中を旅して描いた似顔絵は、1000人以上。描いた風景画も1000枚以上となりました。水彩画 「スペインの広場」 今回、長野県下伊那郡天龍村の振興のために村のログハウスのギャラリーで個展と絵の好きな方へ絵画指導を行います。きっかけは公共設備の耐震化工事のエキスパートで、防災工事の防守舎(サキモリ舎)の社長でもあるバードさん。 彼が、天龍村村長に見込まれて村に住み着いて天龍村振興の為にボランティアで活動中なのです。天龍村振興ホームページ彼の熱意に惚れて個展と絵画指導を行います。個展の期間は12月21日より来年1月20日まで、一ヶ月間。12月22日午後と、23日は似顔絵プレゼントの日です。来訪された方々に、似顔絵を描いてプレゼントします。また、希望者には「友達の輪が広がる似顔絵の描き方」と「風景画とハガキ絵の描き方」を指導します。海外では、言葉が通じなくとも、似顔絵を描けば上手下手は無関係、必ず心が通じ合います。似顔絵は簡単、ポイントを抑えれば誰でも3分で描けます。鼻と口の描き方は、だいたいいつも同じ描き方。ポイントは、眼と顔の輪郭。これさえ学べば描けます。別に似なくてもいいのです。格好良く描けば誰も喜んでくれます。「格好良く描くには、眼を大きくぱっちり。口元を上にあげて、笑みを浮かべ、瞳を塗りつぶさず、睫毛と目尻を濃く描くと誰もが、美人に生まれ変わります。」期間中に、「天龍村振興はがき絵コンテスト」の応募作品を募集します。 「天龍村振興はがき絵コンテスト」 優秀作品展 2006年1月22日より2月21日まで。応募作品は、村の貴重な財産として、その後も村役場で掲示します。天龍村は、JR飯田駅から南へ1時間、平岡駅で下車。新宿からJR飯田駅まで高速バスで4時間。3,500円で1時間おきに運行。意外と近い!良かったら旅の途中にお立ち寄りください。22日夜に来れる人がいたら、皆で酒盛りしましょう。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。添付は個展出品予定の作品の一部です。クロッキー 「考える人」 クロッキー 「飛翔」 油絵 「春が来た!」水彩画 「スペイン巡礼路」
2006/12/10
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今日は、素晴らしいフランスのミュージカルの紹介。数分後に、このブログでビデオ観賞できます。時は15世紀末、ルイ11世が統治する中世フランスのパリ。ノートルダム寺院にカシモドという鐘撞き男がいた。ひそかに恋する美しいジプシー娘エスメラルダ。彼女を手に入れようとする司祭の弟ジャン。その悪巧みに巻き込まれて鞭打ちの刑にあって苦しむカシモド。ただ一人優しくしてくれたのはエスメラルダであった。しかしエスメラルダは、ジャンの仕組んだ罠で処刑される。命を絶たれたエスメラルダを抱いて嘆き悲しむカシモド…。素晴らしいのは、そんなあらすじのフランス版ミュージカル。舞台はダイナミックに展開。音楽は力強く実に流麗で物悲しい。特に、カシモド役のガロウと、進行役を兼ねたエスメラルダに恋す若者、ブルーノの歌声は惚れ惚れするほど美しい。海外でこのDVDを入手して何十回と聴いた。このビデオが、下記のYou Tubeで無料で聴ける!エスメラルダに恋する3人の朗々と響き渡る詠唱が、この”Belle (美しい人)”。ノートルダムドパリ フランス版このミュージカルは既にロシアでも上演されている。ロシア版のエスメラルダ役の笑顔は、どんな男も虜にするほど妖艶で美しい。ノートルダムドパリ ロシア版このロシア語の発音が美しいので、アゼルにいた時、ロシア語の先生に訳してもらって覚えたほど。イタリア版も既にロングランを続けている。でも、イタリア版のカシモドはやや不気味。やはり男優はフランス版、女優はロシア版が最高。ノートルダムドパリ イタリア版劇団四季が、何故この素晴らしいミュージカルを上演しないのか不思議。この素晴らしいミュージカルを堪能してください。もし気に入ったら、感想を聞かせてください。水彩画 「サクレクール寺院の黄昏」モンマルトルの丘の下のレストランで、山盛りのムール貝を肴にビールを飲みながら描いた一枚です。注)ビデオ画像の右下の四角をクリックすると 画面いっぱいで見れます。 英語でKey Word を入れると、TangoもFadoも Phantom of OperaもEaglesの歌も聴けます。 途中でプツンプツンと切れる場合、そのまま 全部ダウンロードするのを待ってWatch again を押すと、スムーズに再現できます。 このDVD全編を見たい人は、楽天でも販売中。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。 油絵 「巴里の夜」
2006/12/01
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秋になると水が澄んできて紅葉を映す水面は美しい。季語「水の秋」はそんな景を思わせる言葉「水の秋」にちなんで俳句と画像を編集しました。「木の葉落ち 魚影かすかな 水の秋」「丸沼湖畔の秋」「映したる 秋天高し 水の底」「軽井沢にて」熱いはずなのに触ると冷たいのは貴方の心と言ってそうなのは、美しいアポリネールの詩片、「冷たい水の中の小さな太陽」。水溜りを見るといつも思い出す言葉。水溜りに映った日のきらめきは木の間の残照のようにいつも淋しい。「風薫る 風にさびしさあるゆえに 形状記憶の 翳りある午後」「中軽井沢にて」夏の間、遊び疲れてほおっておいた事を秋になると片付けなければならないが、夏の喧騒が去った湖に似て、けだるくどこかおっくうで、ぼんやりする時が多い。「我もまた 棹無き舟か 水の秋」水彩画 「野尻湖」秋雨と言って夏からの変わり目には長い雨が続く。「ベランダに雨滴踊れる水の秋」やがてすっきりと晴れると、はや深い秋の気配。「朝寝して まぶたに優し 秋の水」 「中軽井沢にて」「 情念は 夜更けの沢音秋の川 ひらひら揺れて 汝れは散りゆく」昔、かみさんは息子を連れて剣道の遠征試合。私は残った幼い娘を連れて岡山の酒津公園へ。日向ぼっこしてこの「水の秋」を描いた。描く間、娘はほったらかし。しかしこの娘は「早く帰ろう」とか、ぐずることがなかった。時々、やってきて絵を覗き込んでにこっと笑ってまた、土手の方へ飛んでいって帰ってこなかった。この絵を見るといつも思い出すのは、娘の笑顔と幸せな秋の日の匂い。 油絵 「水の秋」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/21
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蓼科の八子ケ峰に登ったあと、軽井沢に立ち寄って、碓井峠の旧中仙道へ、更に妙義から長瀞、奥秩父へと抜けました。軽井沢バイパスや高速道路は大渋滞なのに、連休と言うのに、裏街道なのでがらがら。紅葉街道はいたるところ、木漏れ日の樹林、軽井沢の別荘地帯は、紅に燃える館あまた。イサム野口の彫刻のあるセゾン美術館も秋の斜光に紅葉が流麗な影を落としていた。軽井沢に立ち寄るもうひとつの大きな理由。それは「つるや」という素敵なスーパーマーケット。牧場や菜園で採れた新鮮な食材が素晴らしい店。長崎の母と妹にたっぷりお土産を送りました。そしてお昼は落ち葉散り敷く蜂蜜屋さんの店に。蜂蜜いっぱいのパフェを食べながら、黄葉が逆光に映える楓の庭を描きました。クレヨン画 「楓散る庭」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してくださいね。
2006/11/12
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このブログの来訪者が述べ10万人を越えました。応援くださった方々に感謝しています。さて、学生時代に山歩きが好きになって、いつの間にか日本百名山を60ほど登っていた。しかし全て登る気にはなれない理由が、いくつか。林野庁に植林された山は蝶も虫もいない。いわば死の山。関東の多くの山の裾野は杉花粉を撒き散らす官製公害の山々。愚かで時代に取り残された今の官僚のことを「過去官僚」と言う。無能を理由に全員解雇して、総入れ替えする時期に来ている。そんな官僚が破壊した暗い樹林は歩いても楽しくない。好きなのは、こんな広い視界が開けた自然のままの山路。11月の連休に、そんな尾根を歩いて描きました。水彩画 「草原の尾根」 山の名は今は内緒。あまり知られていない、いい山です。登り口には光るすすきの原にこんな道標。こんな広々とした草の山腹を登っていく。山路からは、白樺の草原が見える爽快な山。遠くに霞んで見える八が岳の連山。八が岳の裾野はほとんど植林で無残に自然林が破壊されてしまった。伐採しても赤字と分かっても植林に巨額の税金を投入した愚かな官僚は名前を明らかにしてみな絞首刑にと思うほど。しかし、この山だけは、なぜか自然のまま。山頂はこんな広大な心地よい草原にある。暖かい秋の陽を浴びて昼寝するのに絶好の場所。山頂のヒュッテはヒュッテアルビレオ。こんな素敵な山なのに訪れる人が少なくて素泊まりのみの営業とか。山頂の展望。心地よく続く尾根の向こうに霧が峰。あまり知られていない、その山の名は蓼科高原の「八子ケ峰」昭文社の地図「八が岳」に載ってます。ゆっくり楽しみたい人は南白樺湖のバス停から2時間。最短ルートは、尾根までわずか20分。蓼科から白樺湖へ抜ける峠「蓼科登山口」蓼科山とは反対方向に道標あり。さらに快適な尾根を歩けば30分で山頂。6月頃は白樺湖側の草原に真っ赤な蓮華つつじが見事です。晩秋の頃は、すすきと熊笹の爽快な登山道となります。時間があるなら霧が峰まで足を伸ばすこと。素敵な鷲ヶ峰ヒュッテに一泊して霧が峰八島七島湿原散策がお奨めです。鷲ヶ峰ヒュッテの良さは霧が峰紀行に。クレヨン画 「草原の尾根」さて、この絵の中に何人の人が秋の日を楽しんでいるでしょう。ひとりだけ・・何か木陰でしてますよ。全部で・・・・9人です。わかるかな?「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/08
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木曾の山小屋の会のあと、紅葉が素晴らしかったので、ひとり開田高原に民宿を探して残った。期待の夕食は、山女の塩焼きに山菜のてんぷら。新鮮な木曾牛の刺身の生姜醤油が美味かった。翌朝は快晴。ブルーベリーの木が真っ赤に燃え、高い白樺の木々の向こうに御岳がそびえていた。開田高原「木曾馬の里」の牧場は秋たけなわ。広い牧場はそれを囲む樹林のたたずまいが美しい。至るところに紅葉樹林に溶け込んでいく人々。牧場の紅葉が終わると、やがて零下20度の冬。牧場をめぐる風も、冬仕度を始める。「優駿や 晩夏は風の変声期」かって、銀化の句会でこんな句を出したら、「優駿や 晩夏は風の編成期」にしたらと、中原道夫先生にアドバイスされた。なるほど、風の音が変わるより、風を編成の方が、いいなあと納得。さて、この木曾馬は競馬には向かない。が、開拓に活躍した頑強な農耕馬。ゆったりとした姿が美しい。牧場には一本の大木が御岳に向って悠然としていた。生まれ変われるなら来世は、こんな泰然とした大木もいい。でも、どこにでも飛んでゆける風をうらやましく思うかな。 さて牧場から地蔵峠の山路が意外と良かった。まずは峠への道は、落ち葉の絨毯に始まる。光のトンネルをくぐって、すすきの野へ。いずこも多彩な秋の色彩。山路の足元も良く見ると、結構美しい。開田高原は、昭和38年まで国の開拓制度があり、開拓すれば、その人のものになったという。しかし、当初は電気もなく、文字通り掘っ立て小屋で、ー20度の冬に耐えねばならず、相当な苦労があったとか。そんな開拓者の心の支えが、御岳の雄姿だったそう。そんなことを思いながら、牧場の秋に浸って、ここに住むのもいいなあと、少しすまし顔の私です。クレヨン画 「高原の秋」 by 銀座月光荘12色クレヨン「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/06
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かって五月の連休に木曾御岳に登った。王滝から上は真っ白の銀世界。拾ったスキーのストックを頼りに滑りやすい雪の斜面を登っていった。先に登った三人以外誰もいない。山頂に着いたら彼らは遥か彼方の開田高原へ心地よさそうにスキーで滑り下っていった。いつか、同じように滑ってみたいと、長い間、思っていた木曾御岳の開田高原。再び訪れた広大な高原は、今、紅葉の只中だった。あの右肩の広大なゆるやかなスロープ。いつかスキーで滑ってみたいと思った。 秋の陽に輝いていた途中の木曾渓谷。開田高原の手前にある、「三岳」高原は、御岳、乗鞍、駒が岳が見れるから名づけられた。自然林を生かした素晴らしい高原の起伏の中に村が開発した広大な別荘地帯がある。今回泊まった楽天仲間「まっちさん」の山小屋も、紅葉の只中。木漏れ日に輝く黄葉の別荘地を一時間ほど歩きまわった。山荘と落ち葉と紅葉の木々が絶妙な調和。黄昏ともなれば斜光に輝く落ち葉が美しい。遠いと思っていた木曾御岳は意外と近かった。毎日、新宿から高速バスが数便出ていて、片道4時間で着く。往復わずか7,500円。これなら苗場にスキーに行くより安い。この冬は開田高原で滑ってみようと思った。斜光に輝く落ち葉は踏むのをためらうほど美しい。御岳を望む展望台から見ると、ときおり紅葉に囲まれた桃源郷のような一角があった。もし一年中秋だったら、ほんとうに至福の里だろう。水彩画 「紅葉の里」「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/01
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(携帯から日記を寄稿していたので、修正し絵を入れ替えました。)「木曽路は全て山の中にある」藤村の言葉通り木曽福島駅から開田高原への道は山また山の中 そしてその全てがほとんど植林されておらず四方連山みな紅葉と言う見事さでした。広大な開田高原の向こうにそびえる木曽御岳の幅広い美しい稜線。朝の別荘地を散策し、早速水彩画を2枚描きました。帰るのが惜しくて、ひとり開田高原の民宿へ一泊。楽しみの夕食は、木曾牛の刺身、きのこ、山女の塩焼き。すすきの穂が夕闇に消え、静かな里の夜です。サガンの小説の題名になったアポリネールの不思議な言葉「冷たい水の中の小さな太陽」暖かいはずの太陽なのに、小さな水たまりにキラキラ揺れる太陽は、触れようとすると冷たい。人生もどこかそういうところがあるような・・・。しずかな秋の夜に目覚めて、そんな言葉を思い出しています。この美しい不思議な言葉に触発されてかって作った歌。「情念は陽だまりの池に揺れうごく 陽に似て熱くそして冷ややか」明日は木曽馬の里の牧場から地蔵峠へ。木曾開田高原の紅葉を満喫して帰途につきます。水彩画 「木曽御岳遠望」「デザイン・アート部門」クリックして応援くださいね。
2006/10/29
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今朝は5時起床して一路木曽高原へ。甲府から塩尻へ、10時半にはもう木曽福島に着いた。「しなの6号葡萄畑を駆けぬけり」高橋教授の車を待つ間に、駅前の坂など水彩画を二枚、紅葉の尾根よりまばゆい日を受けつつ描きました。「快晴のもみじ山見て木の葉寿司」水彩画 「木曾街道」まっちさんの山小屋は三岳高原、周囲は紅葉のただ中でした。リミンさん、ぜんさん、バードさん、元信大高橋教授と言う、仲のよいカップルに、まっちさん、俊介がけやき温泉に大集合。明日は彩さん、大熊さん、弓蔵さんが合流してバーベキューパーティー。今日は、けやきの湯にゆっくり浸かり紅葉の木曽高原の温泉宿で大宴会となった。話題は民の悩み、怒りなど広範囲。まずは請われて住みついた、バードさんの天竜村振興の熱弁に始まり、高橋教授の林業への熱意。俊介は抗がん剤の恐怖を語った。近藤徹氏の指摘する、効果のない経口抗がん剤の異常な投与。抗がん剤認定に飛び交う億単位の医者への賄賂。医薬品販売のプロパーから得た確かな情報では、認可した役人、教授へ欧米の城で酒池肉林の接待とか。そんな中で華やいだ話はぜんさんの恋物語。偶然出会ったルーマニアの美人体操教師。彼女帰国後も忘れ得ぬ面影、心にぽっかり空いた空洞。月四十万の電話代もものともせず、アタック開始。遂に熱烈なラブコールでしとめた幸せ!今回、その一粒種のEddy君が人気者だった。いろんな話題と美味しい鹿の刺身に、木曽高原の夜は更けていきました。「デザイン・アート部門」クリックして応援くださいね。
2006/10/28
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何気ない風情で、風に揺れ、可憐に咲く花。好きな秋桜を、さまざまな表情で撮ってみました。題して「秋桜幻想交響曲」白いコスモスは清楚可憐な薄紅コスモスと対照的、2ヶ月で咲くと言うせっかちで陽気な「黄花コスモス」咲き方も、あわてているせいか、乱れ咲き。コスモスはメキシコが原産。広大な大陸を、風をともに旅し、海を越えて運ばれてギリシャに渡り、Kosmos(美しい装い)と言う素敵なギリシャ名をもらった。赤い秋桜にはどこか誇らしげな驕慢さが漂う。久米正雄の名作「学生時代」の、「コケットリイな女」を思い出させる。緑、茶、白が「唐三彩」なら、赤、白、黄はさしずめ「コスモス三彩」さだまさし氏の名曲秋桜(コスモス)クリックすると歌が聞こえてきます。「うすべにのコスモスが秋の日の何気ない陽溜だまりに揺れている・・」その秋桜に似合う「何気ない」ファッション。淡い黄花コスモスには黄昏が似合うよう。今回、自分では最も気に入った写真 「黄昏の斜光」以上は、立川の「国営」昭和公園。国営とか恩賜とか名付ける官僚の傲慢さ、風情のある名前を変えて欲しいもの。それに比べて黒姫コスモス園はどこか素直で伸びやかな風情があった。広いコスモス園の中で幸せに浸っていたら、いつしか黒姫山頂のみ暮れ残っていた。秋桜は既に夕闇に消えつつあったので、フラッシュで鮮やかに再登場させた。水彩画 「黒姫コスモス高原」「デザイン・アート部門」気に入ったらクリックしてください。
2006/10/20
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日光戦場ヶ原は今、秋の盛り。光徳牧場のくぬぎの樹林にも木漏れ陽の秋日があふれていた。戦場ヶ原への道を歩きながら思った。「光舞う木道は秋の能舞台」戦場ヶ原の色彩の輝きと、色の多様さは、どんな絵の具もかなわないほど美しい。戦場ヶ原も中禅寺湖も約2万年前に、男体山の大噴火によって生まれた。何回もの噴火により溶岩が積み重なり、その下流側に、華厳の滝が形成された。この滝には3人の数奇な人生が関わっている。その一人が夏目漱石。英国留学後、帝大の英語講師として招かれる。その前任者が小泉八雲だった。この二人の講義は、まったくやり方が違った。漱石の講義になじめず八雲を慕う学生は授業をボイコット。その先鋒だったある学生が漱石に厳しく叱責される。「悠々たるかな天壌、遼遼たるかな古今・・・、万有の真実はただ一言につくす、曰く「不可解」・・。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし・・。」当時19歳の学生だった藤本操は、この「巌頭之感」と言う遺言を残してこの華厳の滝から身を投げて自殺する。解雇された小泉八雲も、失意の上に、翌年、狭心症でこの世を去る。さらに藤本操の「巌頭之感」は、なぜか多くの人の心をとらえ、その後、華厳の瀧から入水する者、4年間で200人に達したと言う。しかし、そんな人の世の出来事と関わりなく、華厳の滝は広大無辺の悠久の時間を流れ続けた。これに似た思いがアポリネールの詩にある。「ミラボー橋」「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ・・・・・・・・・・・・・・疲れたまなざしの無窮の時が流れる 日が去り、月がゆき 過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰って来ないミラボー橋の下をセーヌ河が流れる」水彩画 「華厳の瀧」「デザイン・アート部門」良かったらクリックして応援してください。
2006/10/16
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連休の土曜日の夜7時に磐梯高原に到着。雨の草原にテントを張って、まず高原荘の風呂に入った。草原に戻って、こしひかりがほどよく炊ける頃は雨も小止み。宇都宮で買った名物の餃子を肴にビールをグイ!乾燥塩ワカメを振りかけたご飯も美味しかった!しかし、3隻の舟が東北沖で遭難したその夜、高原の風雨も再び激しくなりテントは揺れに揺れた。ゴアテックスのテントは万全、全く水を通さないが・・・寒かった!翌朝も風が激しい。磐梯山は霧雨の中。しかも裏磐梯、五色沼周辺は全く紅葉の気配がない!急遽、予定変更して晴れている日光戦場ヶ原まで南下。予想は当たって、こんな陽光の中を歩けた!木道の向こうには印度更紗の秋の草原が待っていた。更に小田代湿原への道へと紅葉に染まっっていった。水彩画 「戦場ヶ原の秋」さて、僕の絵を本の挿絵にしていただいたリミンさんの里山暮らし、ときどきスペインブログの絵を紹介していただいているジョゼさんのジョゼの人形の部屋いずれも素敵なブログです。みんなで楽天の輪を広げていきましょう!「デザイン・アート部門」のプログランキング。クリックして応援してくださいね。
2006/10/10
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ようやく武蔵野に太陽が輝いた!早速、リュックに野営道具を入れて出発。目指すは、裏磐梯、五色沼、安達太良山へ。月曜日まで紅葉を描くのでプログを留守にします。さて、これは、秋山が好きな方へのお勧めスポット。東京都の最高峰、雲取山から鷹巣への尾根道。落葉松の黄葉にすすきの穂が逆光に映える美しい山路。白い芒をクレヨンで描いて水彩画で浮き上がらせたもの。水彩クレヨン画 「秋の尾根路」 東京に外国人が100人近く所属するアドベンチャークラブと言うのがあったころ、アウトドア好きの英米の青年たちと登った時の思い出の絵。では、裏磐梯へ向って出発・・・ リュックが画材で重い!「デザイン・アート部門」のプログランキング。クリックして応援してくださいね。
2006/10/07
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八尾の風の盆のあと、黒姫、妙高高原へ。まずは妙高高原の笹ヶ峰牧場で野営した。初秋の高原は夏の喧騒が過ぎて静寂が戻っていた。白樺の林の中にテントは、私のひとつだけ。 豪華な秋の光彩を一人占めして、森の王様になったような気分。夕暮れの草原は静かで、自分のガスバーナーの音が聴こえるだけ。小さな鍋にシャオエッセンのソーセージと豚肉を放り込み、バーベキューがジュージューと焼ける頃、コシヒカリの鍋からも白い湯気が立ってきた。蝶々は黄色い花の蜜をたっぷり吸ってご満悦。私も高原の冷水で冷やした缶ビールを飲んでご満悦。 笹ヶ峰牧場を一周するトレッキングルートは素敵な白樺樹林。白樺の木々は青空を背景にすると一層映えるよう。山を越えた黒姫高原の童話館の奥には、こんな澄んだ池を巡るルートがあった。秋が深まれば、これが紅に染まるだろう。 妙高高原も黒姫高原も画題は無尽蔵。秋には、もっと色彩豊かになるのは確か。紅葉の頃の再訪を楽しみにしています。水彩画「黒姫高原」水彩クレヨン画 「草原の白樺」これは、東京から日帰りで行ける日光戦場ヶ原、広い小田代が原湿原に一本だけ立っている白樺。「草原の貴婦人」と呼ばれています。この絵には、隠し味のような秘密があります。青や緑一色の絵の場合、単調にならぬように反対色のピンクや橙色等をほんの少し加えること。 新たな色の響きあいが生まれるようです。 アート部門のプログランキングに参加中。現在4位。クリックして応援してくださいね。
2006/09/25
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越中八尾の風の盆紀行の最終回。深夜になってようやく、静かな風の盆を迎えた。 風の盆の魅力は、音と踊りの絶妙はハーモニー。胡弓や三味線を弾く人、唄う人、踊る人。 「八尾坂道 わかれて来れば 露か時雨か はらはらと」 移動する3人を一緒に歩きながら描いた一枚。 風の盆が最も美しいのは、深夜1時から3時、町の人々が自分たちの為に踊り始める時。町のあちこちで深夜の町流しが始まる。暗い路地から路地へしずしずと踊る姿は幽遠。この時は編み笠を外して、誰もが自由に踊り始める。美しい娘ふたりと踊る幸せそうなお母さん。 お母さんと楽しそうに踊っていた娘さん。お母さん、もしこのプログを見かけたらご一報を。美しいふたりの娘さんの絵を差し上げますよ。 深夜の「町流し」は明け方まで続いた。盆灯に映える姿は息をのむような瞬間があった。 「もしや来るかと 窓押しあけて 見れば立山 雪ばかり」 下記をクリックすると、胡弓の音色が聴けます。もし聴けなかったら、「八尾町観光協会」で検索ください。嫋嫋とした、むせび泣くような音色が心にしみいります。八尾町観光協会アート部門のプログランキングに参加中。クリックして応援してくださいね。
2006/09/21
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昼間の町流しがひととおり終わる頃、八尾の寺町は薄桃色の夕焼けに輝き始めた。これから、艶やかな夜の部が始まる。ぼんぼりに灯が点ると、八尾の町は、新しい顔を見せる。夜の闇を背景に、踊りの身振りは、一層美しさを増す。 20歳の乙女がどうして、このような上品な艶やかさを表現できるのか。 風の盆の振り付けは、息を飲むほど。ほんとうに美しい。 踊りを支える胡弓の弾き手も、風の盆の欠かせない存在。一緒に「町流し」と移動しながら、その小粋な姿を描いた。 もしや来るかと 窓押しあけて 見れば立山 雪ばかりところで、12日夜のNHKの歌番組を見てびっくり。前回の日記の、八尾で描いた胡弓の弾き手が演奏してた!若林美智子さんという、若林流の著名な胡弓奏者だった。「風の盆恋歌」と言う胡弓のCDを出しておられるそう。再登場の、若林美智子さんの「町流し」のあでやかな姿です。 もうひとり、八尾では著名な方にお会いしました。東京芸大教授で、洋画家 絹谷幸二さん。偶然、となりを歩いておられて、TVで見覚えがあっておもわず挨拶、表具屋さんまで案内したら、ビールをごちそうになり、絵をお見せしたら「デッサンはいいね。」とコメントをいただきました。風の盆の町流しは、明け方、4時まで続きました。 下記をクリックすると、胡弓の音色が聴けます。嫋嫋とした、むせび泣くような音色が心にしみいります。この八尾町観光協会のイベント欄の「おわら風の盆」や「おわら幻想体験」でも、風の盆の美しい情景を堪能できます。八尾町観光協会次回は、夜更けの舞いを、更に紹介します。試みにプログランキングに参加! クリックして応援してくださいね。
2006/09/11
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越中八尾は珠玉のような美しい町川風吹く細長い丘の上にある。川に沿う馬の背のような丘の細長い町。川風に追われて登れば描きたくなる坂道あまた。 丘の上には、風雅な石畳の通り。奥座敷がのぞく格子戸の家がぎっしり連なる。「打ち水や 格子戸越しに 朝の声」 普段は静かな町だが、9月1,2,3日の「風の盆」で一変、各町が繰り出す流麗な「町流し」が始まる。 踊りを支えるのは糸を震わせる胡弓の弦と三味線の音色。粋な男衆の着流しの弾き手が多いが、時には、美しい弾き手が、しずしずと踊りに付き添う。 春風吹こうが 秋風吹こうが おわらの恋風 身についてならない 見送りましょうか 峠の茶屋まで 人目がなければ あなたのへやまで 唄は小粋な恋の唄、艶のある身振りがそれに符号する。 私が好きなのは、このフレーズ 八尾坂道 わかれて来れば 露か時雨か はらはらと もしや来るかと 窓押しあけて 見れば立山 雪ばかり 昼間の踊りは20歳までの男女と言う厳しい掟がある。笠を脱ぐと幼さな顔の乙女たちだった。 乙女たちが踊り笠で顔を隠すと急に大人びた艶を増す。 踊り笠で顔を隠した姿ゆえに華麗なしぐさがかもし出す不思議な大人の色香。 振り付けは、その昔江戸の名取に頼んだ由緒あるもので、稲を刈ったりほおったりするしぐさとか。 特に「男踊り」「女踊り」の振り付けが素晴らしく、指と腰のしなやかな動きに、うっとりと見とれてしまう。「思う人 振りかえり見るや 踊り笠」 次回は、深夜の静かな「町流し」。試みにプログランキングに参加! クリックして応援してくださいね。
2006/09/08
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山小屋は、時には、ふとん2枚に3人!美味しいことは美味しいのですが、心尽くしの「ささやかな」夕食!山小屋泊まりを3泊すると、いつも思うことは・・・美味しい料理を腹いっぱい食べたい!のりの効いた真っ白なシーツの上に大の字になってひとりで寝たい!と言うわけで黒部五郎から新穂高温泉に降りたら一目散で、まずはステーキハウスへ。200gのステーキをほうばり、生ビールをジョッキ二杯! そして、次の目的地、安曇野のペンションへ。 安曇野・・・ いい名前である。風光明媚、北アルプスにも近い!宿に選んだペンションは、穂高駅の近く「ラリーグラス」ペンション ラリーグラス穂高町のわさび農園に近く安曇野の只中。それに、夕食も朝食もとても豪華だった。しかも、オーナー皆、ネパール登山の愛好家で、ここのスタッフの一人は、なんとヒマラヤのランタン.リ(7205m)他、数々の海外の山々に登頂した方でした。壁にかかっていたのが、この写真。その登頂の雰囲気を抜粋して紹介すると・・・。「1987年、ヒマラヤのランタン.リ(7205m)に遠征。4月18日、ファイナルキャンプを出発。登りはじめて、手の指の感覚が無いのに気がつく、行くしかない”と、そのまま山頂を目指す。雪壁からリッジ、そして、幾つかの突起を越え、頂上直下の雪面にでる。薄い空気にあえぎながら、1歩1歩確実に、最後の力をふりしぼる。9時20分、狭い山頂に、ようやくたどり着いた。ものすごい風だ。トランシーバーに入るベースキャンプからの、おめでとう、の声が、風の号音にさえぎられ、消えていく。」美しい垂直の雪の壁をアイゼンで命がけで登った山頂の歓びは桁外れ。想像がつかない。この時、同行したヒマラヤのシェルパ達は、今は、みな命を失っているとのこと。厳しい次元の違う世界と思って眺めていました。さて、翌朝は、安曇野の水彩画スケッチ散策。 安曇野と言っても、駅では5駅以上にまたがり行ってみると、とても広い。「道の駅のお花畑」 良い写生ポイントさがしには、車が必須と思いつつ歩き回りました。 ともあれ、修行僧に似た登山のあとの心地よい休息と美しい風景にふれた満ち足りた一日となりました。 「上手く描けと 向日葵 胸をそらしけり」試みにプログランキングに参加! クリックして応援してくださいね。
2006/08/18
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