Un bon souvenir… 良い思い出
今まで生きてきた
私の大切な
小さな「良い思い出」の記憶を
少しずつ紹介します。
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私は関東地方に 15 年住んだので震度 4 位までの地震とは何度か出会ってきた。
神奈川県の湾岸の工場内で働いていた時には、地震慣れしてはいても、石油タンクというのか、大きなタンクが目に映るところにあり、震度が 4 だとそれなりに恐怖であった。
札幌生まれ札幌育ちなので、上京するまでの震度 4 体験というと小学生の頃の十勝沖地震というものだけだった。その時は先生が導いてくれた。幸い私たち子供は秩序を乱すこともなく校庭まで逃げて身の安全を確保することができた。
それだけに 311 の時は、多分札幌市内は震度 3 か 4 だったのだけど、ひどく動揺した。亡父が当時認知症の初期であったこと、老母の足が悪かったこと。私自身も足が弱く、なによりその夜は、とある仕事で外出しなくてはならなかった。その夜のことは今でもはっきりと覚えている。色々と言えない思いがあった。
ひとというのは災害に出会うと、色々と事情ができてしまうらしい。まだまだ被災に苦しんでいるのに「頑張ろう」とか「他の人はもっと辛いから」とかいわれると、私などは途方に暮れてしまう。
昨年 9 月の胆振地震の後では、老母と「逃げられないね」と暗澹たる思いで確認しあった。「自分も他人を助けることをしたこともないので、助けてもらえないのは仕方ない」といういわゆる自己責任論的な考えかたは理屈では分かっても生身の人間を少しも救わない。
せめて口にして「怖かった」といいいいしたいのだが、それも憚られるような狭い私の人生行路である。 SNS 上の「お友だち」に大変に助けていただいた。近隣の人びとにも恵まれていて励まし合うことができた。
ブラックアウトしているときのテレビはこの世にないも同様であった。満天の星こそが自分よりずっと確かな命だと思い知らされた。ネットやリアルの隣人の方と「揺れたね」と言い合えなかったら、被災の傷は今も全く癒えることがなかったであろう。今も「地震酔い」が残るのは老いのためであろうが。
ともあれ隣人に深く感謝☆
パナセァ
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