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2010.01.04
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テーマ: 韓国!(17009)
カテゴリ: 韓国

2009/12/28日記 でリトルエンジェルス海外報恩公演を紹介したが、年を明けての01/02、韓国のKBSニュースでもその話題が取り上げられた。 朴晋熙・推進委員長兼韓国文化財団総裁 らのインタビューも含まれる(07:11)。

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動画はイメージ上部の画質選択から。以下はそれのアンカーコメント。

[統一を開く足取り]朝鮮戦争勃発60周年...私たちの課題は?

新年が明けました。
新年を迎えて,我が国は社会,経済,文化的に力強い跳躍を準備しているんですが。
だが今年は私たち皆が新年準備に先立ちもう一度再確認してこそことがあります。
まさに去る1950年ごろ寅年,民族の最大悲劇の朝鮮戦争が勃発したし,今年が60年になる弛緩ですが。
分断の悲劇は続いているが分断の長い時間ぐらいその痛みが私たちの胸の中では少しずつ薄くなっていきつつあります。
また戻った京仁(キョンイン)年,新年を迎えて,朝鮮戦争の意味と参戦有功者らの犠牲に対する有り難みをもう一度再確認してみるのはどうでしょうか?

朝鮮戦争参戦した勇士千名余りが集まりました。
今はしわになった顔,白髪になったが勲章が彫られた母子(帽子)と右側胸の太極旗でふかれてくる気風は相変わらずです。

<インタビュー>パク・ヒモ(朝鮮戦争参戦有功者会会長):"私たちが一生献身して,幸い私のように生存者らは話す必要がなくて今先に家臣戦友らも喜ぶでしょう。 この国がこの程度発展して""私たちを支援するために全世界各国の国連参戦軍(郡)らを慰労するほどの国力が伸張するのです。 これは私たちが献身して戦った結果ではないか考えます。"

‘韓国戦参戦60周年記念事業会'行って,朝鮮戦争参戦した勇士の犠牲と労苦に対する感謝の気持ちを伝えるために席を用意しました。

これを始まりに今年から2年間朝鮮戦争参戦16ヶ国を巡回して戦争60周年の意味を知らせる計画です。

<インタビュー>パク・ポヒ(UN軍韓国戦参戦60周年記念事業会):" 1950年にきて戦ってくれて,私たちが今独立と自由と繁栄を享受しているというそのような監査(感謝)をその国民に伝える目的で,彼らが韓国にきて戦ってくれたのに対して韓国の自由を守ったのに対して彼らがこの上なく大きい自負心を感じることになることです。"

朝鮮戦争は1950年6月25日明け方,北朝鮮共産軍が南北軍事境界線38度線全域にかけて,武力侵攻を敢行したし悲劇は手のほどこしようがなく大きくなって行きました。
戦争は韓半島全体を廃虚で作ったし数百,数十万人が命を失いました。
数万の戦争未亡人と戦争孤児ができたし1千万人を越える人々に離散の痛みを抱かせました。
朝鮮戦争は参戦国勇士らの犠牲も産みました。
大韓民国に戦闘兵力を派兵した国家だけ米国,英国,カナダ,トルコ,タイ,ギリシャ,オーストラリア,フィリピン,オランダ,コロンビア,ニュージーランド,エチオピア,ベルギー,フランス,南アフリカ共和国,ルクセンブルグなど16ヶ国でした。

<インタビュー>イ・ソンミン(国連平和軍声全(前)追慕連合会副会長):"自分がとても少年の時に青少年の時の名前も聞いてみることができなくて東方にあるアジア洲作は国行ってみることもできない国に戦争が起きたがその戦争を起こすこと多少共産主義者などというものを持って自由を守護してためにきた人々ですね。 何も目的なしに自由守護のためにきた人々です。 "

エチオピアとトルコのように私たちに習熟しなかった国でも大韓民国の自由守護のために力を加えました。
エチオピア軍(郡)は江原道(カンウォンド)の最前方地域で生まれて初めて体験してみる寒さと戦って犠牲を拒まなかったです。
参戦16ヶ国の中で敵軍に捕えられた捕虜が一度もないほど勇猛でした。
だがエチオピアで朝鮮戦争参戦者などに対する待遇はそんなに良くないです。

<インタビュー>イ・ソンミン(国連平和軍声全(前)追慕連合会副会長):"社会主義セルラシに皇帝が社会主義革命家らによって,殺害されてその後から始まったこの三十年社会主義国家原形の中で韓国戦に本当にいやしかった参戦勇士らはとても反逆者のようなこのような待遇の中で生きました。"

トルコの場合他の国とは違うように大多数志願兵でした。
平和と人類愛のための気持ちで見慣れない土地を探したトルコ軍(郡)は米国次に多くの死傷者を出しました。
トルコ首都アンカラにはこれらの魂をなだめるための韓国公園が立てられていたりもしますが。
ソウルにアンカラ公園が造成されたことはこれらの犠牲を賛えるためにでした。

<インタビュー>イ・ソンミン(国連平和軍声全(前)追慕連合会副会長):"休戦という意味をだいぶ深刻ながらも残念に見ています。 彼らがもう少しさらに犠牲をしても南北間統一をさせて行かなければならないのにこの統一をさせられなくて休戦をしておいてまだ戦争が滞っている状態だからこれを自分たちが韓国のためにつくすことが出来ない最後の責任だと考えていますね。 "

だがこれらの労苦と犠牲にもまだ我が国は分断の悲劇を抜け出せずにいます。
その上最近では南北関係が凍りついていて残念さを加えるんですが。
皆さんはいかがなのですか?
民族の歴史の中で最も重要だといっても過言ではない朝鮮戦争に対してよく,そして正しく知っていらっしゃいますか?
私たちが漠然と統一を望むことよりは民族の歴史に対して関心を持って正確に知っていることが統一を操り上げるのに大きい力になりそうです。

戦争記念館で学生たちに会ってみました。

<インタビュー>学生たち:"(2010年が朝鮮戦争が勃発してから数年になる年なのかごそんじですか?)五十年代... 六十年代... 五十年なったようです。(朝鮮戦争がなぜ起きたのかアナですか?)他の国のために....(他のどんな国?)日本や中国のような国."

同族間血を流した痛恨の記憶も歳月の中にますます薄くなっていきつつあります。
ある調査によれば中高生10人の中で4人が朝鮮戦争がいつ起きたのかさえも分からなかったし誰が起こしたのかは相当数が最初から分からないと明らかになりました。

<インタビュー>パク・ポヒ総裁 :"6.25以後世代が6.25の意と精神と価値を忘れているということがとても残念です。 こういうどのようにでも国民教育を通じて回復しなければならないと考えます。"

60年前戦争の痛い記憶は単純な領土的統一でない韓民族共同体の実現という側面で私たちに新しい課題らを投げかけています。
過ぎた歳月は漠然とした‘風',希望だけでは民族が一つになれないという事実を悟らせました。 自由と民主主義を守るために犠牲を拒まなかった参戦国兵士たちの精神を再確認するのは私たちが享受している自由と平和を北の同胞らも享受できるようにするために私たちが何を準備しなければならないかを考えるようにする出発点です。






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Last updated  2010.01.04 12:57:24
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