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Sep 5, 2015 記事文末 からは
8月末の訪韓・清平は、真のお父様天宙聖和3周年記念式の参加が主目的であったが、米本ブログの名誉毀損(侮辱罪)を栽判で問うかどうか、霊界との相談もあった。
と記述していた。
その結果については一つのヒント( Sep 23, 2015 記事 )を入れたが、まだそれを明らかにしてはいなかった。
「無償の愛」と「無償の許し」 についてである。
「無償の愛」は天の父母様(神様) からのものであり、父母から子への「見返りを求めない愛」、また、「犠牲の愛」とも表現することもできる。
では、「無償の許し」というものはあるのか
「許し」というからには、当然のことながら何かの「罪」を犯したということだが、無条件にその罪を許せるのか、ということである。
文鮮明総裁は、ウォーターゲート事件で「許せ、愛せ、団結せよ」の声明を新聞の全面広告で掲載した。 Dec 8, 2013
記事下部
にリンクで載せた Book「為に生きる: 文鮮明師講演集」(P.281~291)
を読めば「 大同団結
」や「 小異を捨て大同につく
」という考え方もあるが、Bookからはイエス様が解かれた「許し」について文総裁は語っておられる。
また、韓鶴子総裁もまた、「許し、愛し、一つになろう」といわれている。
これら「許し」とは何ぞや!! というのが訪韓・清平の一つの課題であった。
人間始祖アダム・エバが犯した原罪、天の父母様はそれを「無償の愛」でもって、また、許したかったであろう。ところが、それを許さなかったのがサタン(ルーシェル天使長)であった。
「神様が定められた創造原理、それを曲げられるおつもりか!」と。
結論:「無償の許し」というものはない!
では、イエス様や真の父母様が語っておられる「許し」とは何かである。
ウォーターゲート事件での「許し」とは、 反省している(悔い改めている)ニクソン大統領がそこにあった。「 一度ひざまずいた人を打ったなら
」どうだというのか。その報いが自分に返ってくるというのだ。
真のお母様のいわれる「許し」もまた、無条件のそれとは聞いたことがない。
統一原理を見ても、「蕩減条件」というものがある。お互いが愛せない立場に陥ったとき、それを本来の姿に戻るためには「謝罪」しあうことが大切だ。それには一時的な心情の痛みを覚えることもあるし、時としては肉体的苦痛を伴うこともあり、時としてその程度が異なる。
また、「許し」と似た言葉で「恩讐を愛せ」というものがある。 「恩讐を許す」ということは、「恩讐を可哀そうに思え」ということだ。
2013年7月、「犯罪者呼ばわりだ。名誉毀損だ」といって私宛に送り付けてきた手紙には、家庭連合(旧・統一教会)の ソーシャルメディアの取り組みについての
コピーを同封してきた。米本ブログでも何度かそれを紹介している。「教会員であればこれを厳守しろ」ということだ。ところが、その内容を見れば、教会員ということを除けば一般社会でも通じるものであり、まずは、米本ブログが率先することでそれがより浸透していくと当ブログでも訴えている。
その項目の一つに、
2.2 過失があった場合は責任を持って、速やかに素直に謝りましょう。
間違っていないことに対し、安直に謝罪する事がよいわけではありません。しかし、強情を張っているとさらに炎上する場合があります。何に関して謝るのかを明示した上で謝罪し、謙虚な姿勢を示しましょう。
最近のブログ村では、「神様大好き」さんが誤りを認めて謝罪をされておられた。米本ブログもこれを見習うべきである。
マルコによる福音書/ 09章 41・41節
わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。 また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。
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