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2015.12.09
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 『 [コラム] 『人間 文鮮明総裁』 を考える(No.2) -- パク・ポヒ会長「人間文鮮明先生」の証言 』からの続きです。

個人的時間の制約上、以後google翻訳そのままの掲載となります。見苦しいところはご容赦ください。

訪問ありがとうございます

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以下は毎日宗教新聞に上がった投稿からだ。
本文の文総裁聖和の日付を見ると今年の3周年記念式典の日付を挙げており、食口ではないようだ。

特に文総裁聖和後、混迷する家庭連合を気遣って投稿されたものと思われる。パク・ポヒ総裁の自叙伝の引用を挙げながら「人間 文鮮明総裁」を考える提案をされておられる。

毎日宗教新聞|2015/12/04[18:21]

パク・ポヒの本 文鮮明総裁

……

나는 자랑스러운 한국인      나는 자랑스러운 한국인
▲「私は誇らしい韓国人」(全3巻 パク・ポヒ著:弘益出版社 2000.12.01)


 2.神の愛に狂った方

「神のために徹底的に及ぼす立場」といえば表現が点ジャンチなかったことだが、いくら考えてみても、これ以上、より正確な言葉で表現するの長さがないので、私はあえてこの言葉を使う。聖書に見れば、イエス・キリストの一番大きな戒めの中「あなたがたは主の神を愛せよ」という命令がある。意味と性格と心を尽くすという言葉を英語にするとAll your mind、ali your heart、all your soul」、つまり、「心と心情と魂を尽くして、あなたがたの神、主を愛しなさい」である。

これにより、この言葉を、男女が愛し合うために適用してみよう。ある男性が女性を御心と心と性格を尽くして愛している場合、また、英語での表現のように心と心情と魂をこめ愛した場合、彼はそのほかに、他の仕事をすることができる余力があったのだろうか?また、最近よくした女性が一人の男性をそう愛した場合よく、私たちができる表現は、その女性は、その男性のためにクレイジーだ言う。そういう意味で、私は文鮮明先生は神を本当に知っている神の心情を痛感感じておられる方なので歴史にその誰も従うことができないレベルで「神のためにの狂気の方である」と表現したいものである。その方は神と共に働いて、血の汗を流しながら、神と共にきた生涯を生きて来られた方である。彼は神を心から知ってみると、その父なる神が悲しみの父よ、痛みの奴隷になった神であることを知ったわけで、その神の悲しみを歴史に代わり泣いてくれる人になった。

 しかし、彼は神の財源という言葉を好んで用いられる。おそらく史上、誰もその神のために文鮮明先生以上涙を流した人がいないだろう。私たちは、多くの逸話を聞く。統一教会創始期における私たちの先生は、その多くの時間を祈りから始めて、祈りで終わる祈りの生活に一日を送られた。一度膝を壊し座りば10時間も、14時間も、時には17時間も本当に神の代わりに自己されて、神の鳴き声を泣いて与える方がまたあるか? 彼はあまりにもひれ伏して祈りの故に膝とひじにたこがつけられた。祈りが開始されると、一日も良く、二日もよい。飲食(食飮)を忘れ、眠っているのも忘れておられる。これは文鮮明先生を近く祀る人々に見せてくれた先生の生活の原則である。最近の米国で通訳により説教されたにもかかわらず、朝6時に説教が始まったが、午後5時に終わったので長々11時間の間説教されたものである。

 ところが、説教を終えてから「今、お昼ごろか」とおっしゃっられた。この大人は、人々にどこでも、神のために与えて生きて行くようになっているので、お金、異性、名誉、学問より神のために夢中になってみろ言われる。また、2年前にこの大人は、1年の間標語を「神の仕事をするために狂気者」と宣言された。

 神のために与えるそれらの人生は神聖な人生であり、やりがいのある人生である。そのように注いだ血と汗の価値は永遠に消すことがないのである。それは誰よりも実践し、それを誰よりも先に実行される方が先生であられる。

 かつてアメリカのいくつかの高位政治家が先生の言葉を聞きました。もちろん準備なし会話から始まったこの場で感動したが、米国の政治家は、最後の結論とする言葉が「レバレンド・ムーンは、神様に狂った方です。どこを刺しても、神の言葉だけ出てきます。」と評した。その言葉は、本当に楽しいことだ。先生の体は、神の言葉でいっぱいであると見るべきだろう。歴史的に、神のために徹頭徹尾狂った方を私は見た。

3.神にかわり使者の方

世界のすべての事の責任を一切負おうとする方とすることができる。文鮮明先生は徹頭徹尾、その生活が神に代わって生きる責任にあふれている。神は無形であられる。その無形の神にタイプの体を提供したと考えておられる。そのため、先生の目と耳と口は神の目と耳と口の代わりにしたであろう、先生の体は、神の体の代わりにと考えている。

 文鮮明先生は宗教指導者として唯一の宗教のみに関心がある方ではない。洗面化粧台に関心を注いでおられる。そのことが経済のことでも政治のことでも産業のことでも文化のことでもかかわらない。先生は完全に自然人であられる。

 先生は、すべてのことに興味を持っておられる。どこか地震が起きたらそれを心配して夜を過ごした。どこ飢饉がある場合、それを心配して夜を立てた。どこ飢饉があるとそれを心配して祈りをされる。世界で起こるすべての状況を神がどのように考えるかという神の観点から見通しご覧になろうとする。それとともに、私たちに教える神は、私たちの父である。父であるため、子の万事に興味を持つ方であられる。

父母が家の中のすべてのことを従事できる通り、世界のすべてのことを関与される神であられる。それに応じその神が真に私たちの父よ。その神の息子や娘役をしようとするなら、その神のように、私たちも、世界のすべてのことに興味をおくし、世界のすべてのことについて責任を負わなければならないと教えられた。先生は徹頭徹尾、この世界は私以外は救うことができないという信念でお持ちです。そのため、寝ても覚めても世界のされることに苦痛を感じるだけでなく、責任と痛みを感じられた。米国に行っては、米国の責任を負おうとされる。これは、世界のどの国にも同様である。

 ……

 <No.4 に続く> 






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Last updated  2015.12.10 01:23:44
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