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私は専門的に神学を勉強したわけでもなく、また、統一原理を詳細に学んだわけでもないサンデー信者である。したがって、「独生女」考といっても私個人の私見からであることを承知してくださるようお願いする。
前回記事は以下。
「独生女」考(1)--クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史
また、その中で紹介していた 『「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」の講演文 2012.9.17 』 は、「TODAY'S WORLD JAPAN」天暦9月号に整理されて掲載されているので、こちらを参照していただけたらと思う。
さて、「独生女」の特別講座映像からは「聖書」も「原理講論」も男性中心に書かれたものであったという。聖書を見ても女性の名前はあまり出てこない。
人類始祖アダム・エバから聖書では男性を中心とした家系が記されており、エバの後に出てきた最初の女性の名前が2000年後のアブラムの妻「 サライ
」と、また、アブラハムの兄弟ナホルの妻「 ミルカ
」であったと思う(創世記11章29節)。
聖書を読み返してみると、アブラハム・イサク・ヤコブまでの3代の家系を見ても面白い発見があった。アブラムとその妻サライ、そして、甥のロト(ハランの息子)らはカナンの地を目指して旅を続けた。その間の「三種の献祭」等は省く。
妻サライには子はなく、はしためハガルをアブラハムに与える。ハガルはその地を去ろうとしたがこれを留めさせ、イシマエルが生まれた。
創世記17章では、アブラム99歳のとき、アブラムに神が現れて「アブラム → アブラハム」と呼ぶようにと言われた。また、神はアブラハムと契約してそのしるしに 「男子はみな割礼を受けなければならない」
として、神の選民としての約束をされた。イシマエルは13歳で割礼を受けた。
改名は何かの変化を示すものであり、アブラハムだけでなく妻「サライ」も「 サラ
」とするように神は命じられた。アブラハムは「信仰の祖」といわれているが、実は、妻サラの故ではなかったと推測することもできる。聖書には書かれていないサラとハガルとの間に何かの摂理があったのでは……
そして、神は90歳になるサラの懐胎を告げた。イサクが生まれた。
アブラハムは神が命じられたように八日目にその子イサクに割礼を施した。 (創世記21章4節)
「イサク献祭」は省略。
創世記24章は、 アブラハムがどのようにこだわりをもってイサクの花嫁選びをしたかが 書かれていた。
イサクの妻は、原理講論にも書かれている兄弟エサウとヤコブを生んだ「リベカ」だ。リベカは、先に出てきたアブラハムの兄弟ナホルの妻「ミルカ」の子ベトエルの娘であった。
イサクもまた、エサウとヤコブの花嫁選びには慎重であったことが聖書に書かれていた。
エサウは四十歳の時、ヘテびとペエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスパテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって心の痛みとなった。
(創世記26章34・35節)さてエサウは、イサクがヤコブを祝福して、バダンアラムにつかわし、そこから妻をめとらせようとしたこと、彼を祝福し、命じて「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない」と言ったこと、そしてヤコブが父母の言葉に従って、パタンアラムへ行ったことを知ったとき、彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバテヨの妹マハラテを妻にめとった。 (創世記28章6~9節)
29章は、ヤコブと将来の妻ラケルとの劇的な出会いの場があった。
このように、男性の「割礼」(血統)はもちろんのことだが、新婦選びにも相当のこだわりがあったようだ。その後、双子を生んだ「タマル」、イエス様を生んだ「マリア」も同様であったとみることができる。
神様は、そのひとり子イエス様を地上に送られることは言うまでもないことだが、新婦探しにも余念がなかった。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち 神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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