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2016.10.15
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カテゴリ: ブログ村

「いつも私のとなりに」さんのブログ記事「 今、韓国のマスコミが熱い! 「私は神の独り娘、真の母です!」  お母様の根拠は?! 」(以下に引用)の補足をしたい。

……

そして、いざインタビューが始まりました。
(「文総裁が亡くなられた今、
どのように家庭連合を存続していかれますか?」
というマスコミからの質問があったといいます。)

お母様の最初の一言が何だと思いますか?
「私は独り娘です」
「真の母です」
堂々とハッキリと伝えられました。

さらには、
「真の父母の価値を知るためには、
あなたたちは原理の勉強をしないといけない」
「キリスト教は責任を果たしていない。
だから世界がこのようになっているのです」
そのように話されたんです。

そこには、韓国では有数のマスコミ関係者が多くいました。
ある有名な雑誌の記者が担当者に確認してきました。

「韓総裁から、このようなことを聞きましたが、
これは雑誌の記事に載せてもいいのでしょうか
大変なことになるかと思うのですが」
担当者は、「お任せします」
ということで、そのまま記事に載せたのです!

「独り娘」「真の父母」
お母様のみ言を本当にそのまま載せました。

そうしたら、その出版社に
抗議の電話がたくさん来たそうです。
「なんでこんな記事を載せるんだ!」
おそらく、キリスト教会からでしょう。。。。

それで、その記者はどんな風に答えたかと思いますか?
見たごとくの事実を伝えました。

「文鮮明総裁もそうでしたが、韓鶴子総裁は世界中を回られて、
ありとあらゆる集会をして、多くのVIPと会われています。
そこで、統一教会(家庭連合)に行ってみたら、
そこにはメシヤがおられたんです。

ところで、あなたの教会にはメシヤがいないではないですか。
牧師とか長老はいるけれど、メシヤはいません。
もしメシヤが来たなら、教えてください。
そうしたら、その人の記事を書きましょう」

-----(引用終わり)



csw1-1.jpg


以下にその記事の後半部分を再照明し、紹介する。

……

韓総裁はインタビューで「私は難しい言葉はしないようとしたが...」と言いながらも記者団に家庭連合の教義を説明しようと努力した。それと共に家庭連合を異端視してきたキリスト教の批判を加えることもした。」既成のキリスト教が間違っていた。(文総裁が)ために生きる真の愛を告げてこられたので(キリスト教と)戦わなかったんです。理論的に会話をすることになると既成教会員と話すと何を得た。 (私たちに)走ります。だから、自分たちが怖くて何度も(私たちを)悪い側に言うんです。」
韓総裁は、「クリスチャンはどんな信仰を持って何をを待つかどうか分からない」と指摘した。「イエスは、二次アダムに来られた方です。ところが、相対を成し遂げていない。家庭を成せなかったと言っている。だからもう一度来ると言った。その時言われたことが私が来て子羊の宴をするしました。ヨハネの黙示録に出てきます。これが何ですか。結婚するというのです。(イエス以降)、キリスト教2000年の歴史は、独生女ベースを拭いて出てきたんです。クリスチャンがこれを知らない。」

韓総裁は文総裁と自分を「真の父母」で、自らを「独生女」と呼ばれた。 イエスが果たせなかった家庭を文総裁と、自分が成し遂げたという意味だった。韓総裁は「家庭完成が重要なのだ。初めに、神が家庭を持つとしたが、真の家庭を忘れてしまった」とし「復帰摂理は家庭という理想の完成である。そのモデルが真の父母」と述べた。

平安南道アンジュで生まれ、1960年に17歳で23歳年上の文鮮明総裁と結婚して7男7女を置いた韓鶴子総裁は、自分が文総裁に会ったこと自体が摂理と主張した。「日本圧制下にあるとき叔父が日本早稲田大学で薬学を勉強しました。彼が卒業して故郷に戻ってきてする韓国に行って軍隊に入った。だから祖母と母、私は母方のおじを会いに降り来て38度線が起きたんです。(6・25戦争勃発)そう天は私を導いて(北朝鮮から)取り出してきました。」

韓総裁は「文総裁も(共産治下の)以北に行けと啓示を受けて北側に行き興南監獄に閉じ込められた」とし、6・25勃発以来、「ソ連が(国連安保理で)離席中、国連派兵が決定されて、最終的に国連軍によって文総裁が刑務所から出てくるようになったが、それもすべて天の摂理」と主張した。平安北道定住で生まれた文鮮明総裁は1948年2月から1950年10月までに興南監獄に収監されているが、死刑執行日の前日、国連軍によって解放されたことが統一教会側の説明である。統一教会創立以来、あらゆる機会に夫と同行したという韓総裁は「私たちは目的が同じだった」という話もした。「最終的なお越しのメシア夫婦が蕩減(蕩減・困難を改善していく意味)復帰摂理の歴史を完成なければならない。(結婚するとき)幼い年齢だったが、私は選択受けたので、私は担当になると決心したんです。だから夫婦喧嘩する日が何かあったと思う?」

韓総裁は教主であった文鮮明総裁が去った後も家庭連合が継続成長を続けなければという点を今回のヨーロッパのイベント期間中、強調する姿だった。韓総裁は、オーストリアで行われたヨーロッパ宣教50周年行事でイスラエルという不毛な土地でオリーブの木(オリーブ)が根付くには15年かかりますが、2000年以上の生存という点を前置きしながら、「ヨーロッパのミッションが50年に渡って根を下しただけ、神の復帰摂理歴史を早める世界の中心大陸として使命を果たしてくれること」を要請した



世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2016.10.16 19:26:34
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