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2017.11.28
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​​以下にコメント欄からの引用

私の立ち位置(持論)は『真の御父母様の後継者(相続者)は、 Y染色体をお持ちで、 純潔で神様を中心とする真の家庭を築かれていらっしゃる方が子々孫々後継者として立つ。その順位は日本の皇室を参考にする』です。神純潔直系派とでも言いましょうか。

真の御父母様の実体は、ご夫婦の精子と卵子が一つとなった血統という形で、子々孫々実体として繋がっていくと考えます。後代に渡って、その直系のご家庭をお支えするのが、私たち祝福家庭とその後代の責務と考えます。

この結論に至った理由は、天聖教(黒)の『宇宙の根本』を30回以上訓読(精読)した結果です。 tomy4509さんブログ掲載の写真に、『宇宙の根本』のみ言が無かったことを非常に残念に思いました。
ここで三男さんが 「Y染色体をお持ちで」 は、FPAの郭炳憲氏が能登教会の教会長時代に礼拝でも語っていたものであった。
三男さんのDNAがそれほどまでに貴重というのであれば「血分け」でもされたらいかがなものか。最近は科学の発達で「体外受精」もある。
ところが、お父様はそのようなことはされてはこなかった。

三男派は 「血統の種」 ということでそのDNAを貴重視しているようだが、聖書に見る「種」はまた別物のようである。以下でも取り上げていたのだが、

古い慣習にばかり囚われていたのがパリサイ人であった。「お母様=独生女」を信じることが出来ない、これが正にそれだ。原理講論にも、その信仰姿勢の戒めが書かれていた。

「わざわいだ、パリサイ人よ」

「お母様=独生女」批判はそのお父様までをも批判(否定)することにつながる。 三男派が「お父様」と呼んでみても、そこにはお父様は居られない。

また、三男さんの血統(種)とかで騒がしい方々もおられるが、聖書に書かれた「種」はパリサイ人らの「教え」を指してのものだった。こんにちの「種」もまた、「原理講論」の教えである。

マタイ福音書16章5節~

​​ 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。
​​

原理講論を捨てたUCIグループ],、「原理講論を捨てたFPA」に何の「真理」があるか。
聖書での「種」はその「教え」を指していた。

現代のパリサイ人とサドカイ人とは?
その「教え」に気を付けようだ。

ほか、聖書には「四つの種の譬え」(マタイ福音書13章)もある。種だけが問題ではない。
石地や道端に種が落ちたとしてもその種は良くは育たない。

種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、
あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

郭炳憲氏も能登教会ではトウモロコシを撒かれていた。どこに撒かれたというのか。
教会裏の「小さな畑」だったでしょ。

史実問題の「まるバツクイズ」、三男さんの「祝福権」。転じては兄・興進様とのアベルカインでの「長子権復帰」の問題でもあった。
「祝福権」もなければ「長子権復帰」されていない三男さんに祝福家庭は血統の「命の綱」を預けることが出来ようか?! 

ここでも、

「Y染色体が貴重」(?) 
詭弁だ!!

そもそもY染色体とは何か、また、X染色体とは?
XY(♂)XX(♀) 性別の違いだけだ。

原理講論からは再臨主は「善の父母」として来られると同時に、サムソンの話から「 原理講論も「女性時代」の到来を予見していた!! 」から、主人としての「女性」(独生女)の登壇も紹介していた。
古い慣習にしがみついた男系血統を強調するあまり、原理講論を捨てざるを得なくなったのがUCIグループ・FPAということになるのか。



​​ 原理講論の主人が「真の父母様」であり、
み言の「主人」、「実体」を掴んでいれば
決して他へ外れることはない。 ​​





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵

すなわち 神様の知恵

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​​



> この結論に至った理由は、天聖教(黒)の『宇宙の根本』を30回以上訓読(精読)した結果です。


上述も笑わせてくれます。
み言の「主人」を見失ったなかで30回読もうが1000回読んだとして「正しいこと、間違っていること」、三男さんを主人として読めば間違った回答しか出てこない。
明らかな認識不足によるもの。

過去記事でもみ言の主人「真の父母様」を指し示していたでしょ。

まして、b408さんは原文・韓国語でも読めるのではないですか?​

『宇宙の根本』>第三章 人間堕落と復帰  からの一部引用(以下)ですが、





この 「血統の同一性が必要」 とはどういうことでしょうか?
根から葉の先端に至るまで一つにつながっているということです。

ところが、2000年に三男さんが語ったという「主人意識」はというと、そうなっていないことをお父様は見抜かれていました。

「主人意識」を別の譬えでしてみましょう。
理想世界は完成された一人の人間のようだとも原理には書かれています。
ところが、三男さんの「主人意識」は正しいように聞こえますが、実際にはその中心となるべき主人がいませんでした。
つまりは、右手が「私が主人だ」といえば、同じく「主人意識」の左手と争うというのです。右足、左足でもそれが起こってきます。これでは「統一」などあり得ません。

三男さんの「主人意識」とはそういうものです。
「四本の矢」でも自己否定もできずに、父母様に「接ぎ木」されずにいます。
真の子女様と言えども私たち祝福家庭とは前後の「兄弟姉妹」、上下の「父子関係」でもなければ左右の「夫婦関係」にもなることは出来ません。

真の父母様ただ一組です。​






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Last updated  2017.11.28 03:35:03
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