奇   知   外   記

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2018.01.03
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「ほふられた子羊」さんのブログ記事から:

まさか、再臨主が・・・《 ⑪-2 》「つるぎ」・・・まさか、再臨主が比喩と象徴で御言葉を語られていたって、信じられますか??
https://yohane-no-mokusiroku.muragon.com/entry/252.html
 紹介する目的は、この「刀」の言葉を「御言葉」或いは「原理」という言葉に入れ替えて読んでほしいことにある。そして、入れ替えることによって、御言葉の意味合い、お父様の心情などに大きな変化が生まれることを読み取ってほしいと思っている。

 もちろん、「刀」の言葉をそのまま読んだ方が良い御言葉もある。その様な御言葉は、刀を「御言葉、或いは、原理」と置き換えると文脈がおかしくなってしまうから、すぐに分かる。

​ 恐らくは、これまで誰もその様な読み方をした人はいなかったのではないかと思う。少なくとも?私の周辺にはその様な人はいないし、聞いたこともない。​

「ほふられた子羊」さんがご自分のことを書かれているように、そのような考えは ​「あなただけ」​ だ。
ブログ村のカテ「サンクチュアリ」にも籍を置いているが、七男さんもそのようなことを言われたのか?
七男さんの場合は、み言よりも銃剣を優先されているようにも見受けられるが。

「ほふられた子羊」さんが言わずとも、『原理講論』(P.151)には 「天と地を火をもって審判される」(ペテロⅢ・) の「火」は「み言の審判」と書かれている。ほか、「火」にはそのような意味合いのものを多く散見することができる。

その一方、「つるぎ」については自叙伝(P.276)で『銃剣を収めて真の愛で』と、お父様のお考えはハッキリとしていた。

ほふられた子羊さんのこじつけによって、「つるぎ」を「み言」や「原理」に置き換えたところで出された引用集がどうだというのか。
逆には、ほかの「み言」や「原理」を「つるぎ」に置き換えることもできると暗示したものである。
むしろ、その「み言」によって人を裁くことを懸念されたイエス様であり、お父様であられた。

言葉一つを捉まえては象徴や比喩だ、また、どこかでは「暗号だ」といってはその真意を捻じ曲げてはいないか。
ほふられた子羊さんもまた、象徴や比喩と言いながらも七男派ではなく、その「暗号」扱いの部類に属されているようだ(参照:「 「ほふられた子羊」さんへ -- 七男派の方? 」)。
HN「ほふられた子羊さん」がいうところの黙示録「ほふられた子羊=再臨主」ほかもまた、聖書の「暗号解読」ゲームでもされているかのごとくだ。だからといって、それが正しい、などという確証はどこにもない。一つに通じても、残りの九にも通じなければ……



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2018.01.03 01:23:55
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