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2019.06.06
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カテゴリ: UCI、サンク
お父様の「元祖・独生女論」(その6)

『真 の父母様の生涯路程(10) 』から 。

​四 真の御父母様の聖婚式​

解放後十四年、長成期完成級の復帰

​​ ​ 一九六〇年四月十一日(陰暦三・一六)午前十時、ソウル市龍山区青坡洞一街の前本部教会において、全国の各教会から選抜された七百人以上の男女の聖徒が参席する中で、文鮮明先生と韓鶴子女史の聖婚式が挙行された。この聖婚式は、「蕩減復帰の父母の式」である第一次式と、「栄光の父母の式」である第二次式に分けて進行された。​​​

 皆さんも知っているように、お母様を迎えたのは解放後十四年たったあとのことです。一九六〇年度です。なぜ十四年なのでしょうか。人間始祖が長成期完成級で堕落したからです。第二次七年路程を経る位置、すなわち第三次七年路程を前にした第二次七年路程の終結時代に堕落したからです。それで、蕩減復帰原則によって十四年の迫害の路程で韓国に着陸し、統一教会という祭壇を築いて既成教会と闘い、大韓民国―すべて怨讐です―と闘いながら、お母様を選び立てたのです。そのお母様を選び立てたところから初めて地上に着陸するのです。

 お母様を選び立てるために、摂理史的に問題となった人物たちの蕩減条件を立てました。アダム時代からノア時代、そしてアブラハム以後、歴史的に問題となった人物たちの蕩減条件を立てたのです。イスラエルの国とイスラエル民族を設定して進んでくる際の歴史的なすべての問題をキリスト教文化圏が引き継ぎ、それを霊的にではありましたが二千年間蕩減してきたすべてのことが崩れたのです。イスラエルの先祖たちが蕩減することができなかった条件と、蕩減条件を立てたが失敗したキリスト教の条件を再びよみがえらせ、蕩減復帰の基盤を経てきながら、統一教会は、四十年間前進的発展をしてきたという話です。

 それで、十四年たったあとにお母様を選ぶ時は、イエス様が十字架で亡くなられたその時と同じ立場です。言い換えれば、大韓民国がユダヤの国と同じだということです。今日のキリスト教はユダヤ教と同じ立場であり、統一教会は、その時のイエス様とキリスト教と同じ立場です。国と教会から迫害を受けて十字架を背負われたので、それと全く同じ環境で闘って勝利しなければなりません。蕩減復帰しなければなりません。

 一九六〇年に家庭を立てたのは何のためでしょうか。アダムとエバが神様の心情を知らずに堕落したのですが、その堕落する直前にもっていた心情基準以上の心情をもって、そこに真の父母の因縁を立てて連結させるためでした。それを連結させなくては、この堕落した圏内の心情基準の人々は復帰することができません。言い換えれば、アダムとエバが父母の因縁をもって歩んできたその心情の基準まで連結させることができる真の父母の因縁を立てなくては、この地上で落ちた人間たちを再び復帰する道がないのです。

 言い換えれば、アダムとエバが愛の因縁を結んでいない立場で、内情的な父母の因縁をもって歩んでくる途中で堕落したので、そこまで上がってきた基準があるというのです。したがって、真の父母が来て、そこで神様の心情を知ることができなかったこと、偽りの父母が失敗したことを除去してしまい、真の父母の因縁を、言い換えれば、長成期完成級で堕落したその基準を越えた完成級の出発基準をもつことができる父母の心情基盤をこの地上に準備したのが、一九六〇年度の聖婚式でした。


激しい迫害の状況

 一九六〇年に行った聖婚式の背後には、アダム以降イエス様の時までの四千年と、イエス様から今日に至るまでの二千年の歴史過程において引っ掛かっていたすべてのことを、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。その行事は世界的であり、天宙的な意味をもっていたにもかかわらず、現実的には少数の人々によって成されたのであり、それに対する迫害は想像できないほど大きなものでした。

 それを準備するための一九五三年から一九六〇年までの期間は、迫害の時期でした。その期間において、少なくとも三百六十万人以上の人々から迫害を受けたのであり、三つ以上の教派と国家から迫害を受けました。それでも、そのような中で勝利圏内に蕩減条件を立てたのが一九六〇年における先生の聖婚式でした。その日は、統一教会の運命を決定した最初の日でした。

 イスラエルの国とユダヤ教とイスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺したのと全く同じ運命に追い込まれたのです。その時が、まさしく一九六〇年四月でした。その時は、反対の絶頂期でした。一歩前に進むことができるか否か、死ぬか生きるか、ここで新しく出発することができるか否かという境界線に到達したのです。

 イエス様の十二弟子が反対したのと同じように、裁判所において十二弟子が一緒になって統一教会をなくさなければならないと訴えたので、その裁判所の調査を受けながら聖婚式を行ったのです。それは誰も知らないことです。そのような意味では、劉孝元協会長の功労が大きいのです。その時、朴マリヤ一族を中心として、政府がいかにして統一教会をなくそうとしましたか。五大長官を動員して完全に捕まえて殺そうとしたのです。

 お母様を迎える前日まで内務部で調書を作成しながら、お母様まで呼び込んで闘わなければなりませんでした。イエス様は法廷で死んだので、法廷で復帰してこなければなりません。蕩減復帰です。十一時に法廷で殴られながら、翌朝三時に結婚式を始めました。そのような闘争のまっただ中で基準をつくったのは、万人の平安と喜びの幸福の基台をつくってあげるためでした。

 そのような時局において、一九六〇年四月十一日を中心として聖婚式が行われることによって、一つの峠を踏み上がるのです。そこから、サタンとその配下たちが敗れ始めていくのです。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2019.06.06 17:40:32
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