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2019.07.30
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カテゴリ: UCI、サンク
​ryuubi氏曰く、私からの 原理講論に記載のない「独生女」のことを聞かれても?  」 の回答になおも不満のようである。

コメント欄から:
キチ殿
はぐらかすのも程がありますよ。
独生女が原理講論に書かれていないから云々と何時問いましたか?
呼称などどうでも良いつ事です。
真のととでも 真の父ちゃんでも原理に反していなければ、何も問題ありません。
チキ殿流なら、全世界漢字で統一して呼称しなければならなくなります。
問うているのは、蕩減原則、復帰原理からして、メシアの相対となられる女性は、原罪が無い女性でも、原則、原理に矛盾しないのですか? この説明を求めているのです。
神様が原罪ある人を導か無い‼️
何をトンチンカンな事を❗️
聖書に
登場する義人聖人には原罪が無かったとでも言いたいのですか!
…新説を発表になるのでしょうか?
ryuubiさんへ

さて、原理講論に書かれているのはどこまでだというのでしょうか?
「メシヤを迎えるための基台」までです。直接には再臨主・第三アダムについても書かれていません。
したがって、原理で解かれているのはそこまでです。

ryuubiさんは、文総裁をどのように思われているかがよく分かりませんが、「独生女」は文総裁が最初に持ち出されました。原理解明も文総裁です。その「独生女」定義も原理と外れてはあり得ません。
私からは、文総裁のみ言から無原罪エバを挙げたものでした。聖書にも「子羊の婚宴」の預言までです。となれば、文総裁のみ言を信じるかどうかしかないのではないですか?
人類未踏の地、暗中模索のなか誰を信じられるかです。
その判断基準は、やはり、そのみ言です。
tomy4509さんへ
キチ殿
はぐらかしにも度が過ぎるのではありませんか?
独生女が原理講論書かれているかどうか問うた事などありません。
貴方の不誠実さには、嫌気が刺します。
いつまでも、そのように原則や原理を言葉じりではぐらかし、家庭連合の擁護者を演じていて下さい。
関わるだけ無駄ですから、これより一切コメントしません。
ryuubiさんへ

私からははぐらかした回答はしていません。あなた自身のお父様が「独生子」であるかどうかの信仰の捉え方の問題です。

創世記ではアダムとエバを創造されましたが、ともに堕落してしまいました。イエス様が生まれるまで4000年、そのイエス様が「独生子」「無原罪」だといえる根拠はどこにありますか?
キリスト教の信仰以外にありません。

もしも、イスラエル民族が当時それを信じていたならばイエス様は十字架に架かることもなく、「準備されていた『独生女』と結婚していたでしょう」はお父様のみ言です。洗礼ヨハネがマラキ書で預言されたエリアであるのイエス様のみ言を信じたならばです。

こんにちの「独生女」も同じことです。

ryuubiさんは「お父様=独生子」を信じられるならば、「お母様=独生女」も信じられるはずです。逆に、「お母様≠独生女」であれば「お父様≠独生子」、お父様も信じておられないという結論です。信仰でもって信じていきますか?
それとも論理的に理解しなければ信じられませんか。そうなると、もはや、信仰ではなくなってしまいます。「絶対信仰・絶対愛・絶対従順」だけが生きる道、とお父様は教えています。


ryuubi氏に質問しますが、

人間始祖アダム・エバは創造されたときに原罪が有ったでしょうか?
ありませんでした。

では、原罪はどこからですか?
堕落によってです。アダム・エバも原罪を持つようになりました。

となれば、堕落した張本人・アダムからその蕩減復帰をされても良かったのではないですか。
ところが、神様はそれをすることが出来ませんでした。何故?
神ともサタンとも相対できる「中間位置」にあるから、ということでした。
アダムがそうであったように、エバもまた同様でした。

従って、人間が神側に向かう(蕩減)条件を立てていくことで復帰摂理をしてこられました。
アベルカインの供え物に始まり、ノアの箱舟、アブラハム・イサク・ヤコブと。また、モーセ路程を経てイエス様の誕生でした。

ryuubi氏、次の質問です。

アブラハムまで2000年、イエス様が来られるまで4000年ですが、どうしてこれほどの期間を要したのでしょうか?
すぐに浮かぶ回答は、「復帰摂理の数理性から」ということですか。

摂理の中心人物が失敗をすれば、次の中心人物をすぐには立てることが出来ないというものでした。
また、その中心人物が失敗をすれば数理的蕩減も加算されてきたりもしたが故でした。

また、聖書、原理講論は男性中心に書かれていますが、4000年もの間、女性陣は指を加えてただ見ていたとでもいいたいのでしょうか?  ryuubi氏、これはどうなんですか?

聖書からは、アベルカインとかで血を流し合ってきた歴史を展開してきたのは男性たちであって、その背後で血統問題について真剣になっていたのは女性たちでした。
原理講論のアブラハム路程を見れば、妻サライが予定された天の血統(中心人物)夫アブラハムを守る為に命がけの信仰を貫いていました。一度ならず二度もです。サライの天への信仰ゆえに、一旦はサタン側に奪われたサライ(エバ)を神側に引っ張ってくることが出来たのではないでしょうか。その基台の上でアブラハムの象徴献祭、イサク献祭が行われました。
また、イサクの妻リベカは誰が選んだでしょうか。サライの母子協助によるものでした。ヤコブ・エサウにおける母リベカの母子協助も私たちはよく知るところです。リベカはまたヤコブの妻を選定するにおいても大きくかかわっていたことは言うまでもありませんでした。講論ではヤコブのハラン苦役21年などと書かれていますが、その間は妻と財物をサタン側から復帰してくる期間でもありました。
このように、アブラハム路程から見たときに血統問題に関しては男性ではなく、まさに、女性が大きく関与していたことになります。完成したエバが「善悪知るの木」として聖書に書かれているように、天の血統問題に関しては女性が中心です。

イエス様の系図にも女性が数人出てくるのにも不思議を感じませんか?
その女性たちは「淫婦」と知られれば石打ちの刑で殺されるような運命を貫いた方達でした。
その一人にタマルがいました。天への絶対信仰の中、双子を生み胎中聖別した女性としてお父様も話されていました。母マリヤもまた、タマルのような絶対信仰で天に従ったが故に無原罪のイエス様を誕生させることが出来たということでした。

このように見たときに、男性のアベルカインで血を流す歴史の背後で神様は絶対信仰の女性を探し求めてきたことが伺い知ることが出来ました。

これら詳細は​「 カテゴリー「独生女考」シリーズ 」で記載済みですので確認してください。

さて、それがこんにちの「独生女」につながっているとは思われませんか。














一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2019.07.30 00:17:15
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