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2019.08.12
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​​これまでの支流人のお母様「独生女」批判は、お父様が最初に語られていた「独生女」み言を隠蔽してのそれであったが、郭錠煥氏の著書『事必帰正』(​ こちら ​)からはお父様のみ言からも「独生女」があったことを裏付けるものとして大きな発展を見せている。以下を見ても6個の「独生女」を引用文で引き出してきた。



この引用文を前後した文章からもその「独生女」を発見することが出来た。

さて、お父様が最初に語り始められた独生女のみ言は1959年10月にさかのぼる。
今回の検証(​ こちら ​)からもお分かりのように、お父様の元祖「独生女論」から言えることは真のお母様だけを指してのそれではなかったということに帰結する。
つまりは、
​お父様が語られている「独生子・独生女」とは、堕落していない時のアダム・エバであり、2000年前のイエス様、そして、彼が十字架に架からなければ「子羊の婚宴」をすべきであった相対者。こんにちにあっては、第三アダムとその相対者が「独生子・独生女」である、ということだ。つまりは、(人間的考えからではなく)神様から見て原罪のない最初の息子・娘を意味していた。​
ということ​であった。

「独生女理論」や「独生女論」などは実存しない机上の空論であり、実のところはそのお父様の「独生女」み言を隠蔽してはお母様を貶めるため、批判のための批判をする通俗用語(俗語)であったことが判明した。

自称ルポライタイーtomy4509自身、2年間にわたりH3へ行かれた元牧会者の「独生女批判」の説教を聞いてきた一人である。その批判の結論は何であるかは理論理屈ではなく、「信じられない」を連発していたに過ぎず、どこかの教授の論文とかを信じられないと語っていたものだ。

彼の最後の説教は「原理講論は正しい(信じられる)」、「お父様も正しい(信じられる)」、ところが、「お母様・独生女は間違っている(信じられない)」というものだった。

「正しいこと、間違っていること」ということだが、原理講論を信じるとするならば、
​​​​我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。 ​原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。​ 彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。
……
ところで、 ​​父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。​​
このように、 聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。
​​​
これらも受け入れることが出来るであろう。
それのみならず、成約時代は雌牛の時代(女性の時代)だという預言まで講論には書かれており、
お父様自身のみ言からは「原理講論の主人は真のお母様」とまで語っておられた。み言『「原理本体論」について』(ファミリー2009.1月号、P.44~)に書かれていたものであるが、






原理講論は故・劉孝元教会長が執筆されたものであるが、その相対者の史吉子女史に対して「かかしのようなことをしている」言われながらも、 その実体(本体)の真のお母様、原理講論の「主人」が来れば、行き来する鳥も逃げていかなければならない、 と。

このお父様のみ言も信じるとすれば、お母様「独生女」も信じることが出来るであろう。
マタイによる福音書/ 10章 40~42節
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
現在、支流人の方々はお母様「独生女」を信じられないとするのは、誰の言葉を信じてのものか?
そこにはお父様がおられるかどうか、考えて見られよ!!

洗礼ヨハネが再臨エリヤであったと、イエス様は言われたが洗礼ヨハネはじめとしてイスラエル選民はそれを信じることが出来なかった。

こんにち、お父様は堕落していないアダム・エバは「独生子・独生女」であり、第二アダムとしてのイエス様が「独生子」と語られたのも十字架で亡くなるためではなく、「独生女」を探して結婚するためであったし、再臨の約束をされたのもまだ果たされていない「子羊の婚宴」を成すためであったと明言しての、1960年4月の「聖婚式」がされた。
「独生子」×「独生女」=「真の父母様」 、この時点から36家庭に始まる祝福結婚式をされていかれた。

誰の言葉を信じるのか?
2000年前の教訓ほかも原理講論に多く記されている。

支流人の方々は、冷静になってもう一度考えて見られよ。
お父様のみ言か?
H3か?
それとも、H4?

天の御旨を推し進めるものとなるか、あるいは、それを妨害するものとなるか。

お父様聖和7周年を目前に控えながら……







一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2019.08.12 02:33:05
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