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祝福家庭が知るべき真理は何か。原理と神様の摂理である。原理と神様の摂理の核心は次の四つの根本質問の中にある。と。
1)誰が摂理の中心か:
2)メシアは如何はるお方であり、彼の使命は何か:
3)真の父母様と真の家庭の顕現の持つ意義は何か:
4)祝福家庭の責任は何か。
人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙に関する根本問題を解決するために苦悶してきた。けれども、今日に至るまで、この問題に対して納得のいく解答を我々に与えてくれた人はまだ一人もいない。それは本来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。 創造原理はこのような根本的な問題を、広範囲にわたって扱っている。
「人生と宇宙に関する根本問題を解決するために」
は 「人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。」
、と。
このように神様を知り、その神様がいかなるお方かを知ることで様々な問題が解決されていくということだ。「原理と神様の摂理」ではない。
こんにちの統一家における分裂問題も、その神様に対する無知から来ていることは言うまでもない。
コリアンドリーム氏(支流人の方々)、総序がそのように叫んではいなかったか!!
これまでのキリスト教がそうであったように、同じ聖書の解釈によって数百の宗派に分かれてきた。
「歴史は繰り返す」というが、同じ過ちを統一家も繰り返してよいものか。
「世界平和」、「統一」は名ばかりのものにしていないだろうか。
食口の皆さんの「良心」はどうなのか。
良心は我知らずに「真理」を求め、また、「神様」を求めるようになっている。
であれば、最終的に行き着くところは同じ「ハナニム」となるはずだが。
「天の父母様」呼称について
私がこれまで検証してきたことで「 真のお父様が16歳以降に会われた「天の父母様」?!
」からだが、 TWJ 2011年天暦1月号
からの引用。
16歳のときにイエス様に会われてその使命を継承されたときのことを語られていた。
そのときも信仰生活をしてはいましたが、祈祷するときに私が神様に対して「天のお父様」と呼ぶのが父親だとすると、母のいない父がありうるのか? イエスは男で、……花嫁もいて家庭もなければならないのに、家庭もなくて妻もいません。との疑問を持たれたと。
このことと「 原理原本 →(原理解説)→ 原理講論 → 原理本体論 」につなげて、さらには「 天地人真の父母 定着実体み言宣布天宙大会」まで行けば、真の父母様の「天の父母様」呼称は誰も否定することは出来ない。
「ワンファミリー・アンダーゴッド」とは何か?
アダム・エバが堕落しないで祝福結婚を受ければ天の父母様を中心としての四位基台、「アダム家庭」、「アダム世界」―「ワンファミリー・アンダーゴッド」になっていたはずだ。アダム・エバが「独生子・独生女」となっていた。
ところが、堕落ゆえにそうはならなかったということだ(堕落論)。神様は全知全能であられるから、直ぐにでもアダム・エバを捨てて別のアダム・エバを創造されることも可能だったはずだ。その一方で、神様は原理原則の神様であられるので、御自身がいったん決められた「創造原理」を変えることは出来ないし、何よりも「愛の神様」としておられるためには「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」で創造された彼らを見捨てることが出来なかった。よって、エデンの園から追い出されながらもその人類救済のために「独生子・独生女」を送ろうとされた復帰摂理、再創造摂理を継続してこられた。
このように、この地上で「独生子・独生女」から出発するのが「ワンファミリー・アンダーゴッド」である。
このように、
祝福家庭が知るべきことは「原理」以上に「神様を知ること」であり、また、「神様の摂理」の前にもっと大切なことを教えてはいなかっただろうか?
総序から:
その新しい真理は、いかなる使命を果たさなければならないのであろうか。この真理はまず、既に論じたように、宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、統一された一つの課題として解決し、それによってすべての人々が、内外両面の無知を完全に克服し、内外両面の知に至ることができるようなものでなければならない。また、堕落人間をして、邪心が指向する悪への道を遮り、本心の追求する善の目的を成就せしめることによって、善悪両面への指向性をもっている人間の矛盾性と、前述のような、宗教人たちが当面している修道の生活の矛盾性とを、克服できるようなものでなければならない。 堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない。人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。ましてや神の心情についてはなおさらである。それゆえ、 この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。
すなわち、 「神様の心情」
についてである。
「分裂」「葛藤」は神様が嫌われるものである。
誰がそのようにしむけているのか?
歪曲? デマ? 偽装? 虚偽? 改ざん?
「独生子・独生女」については、お父様の元祖「独生女論」からも検証してきた。
「天の父母様」呼称についても然りだ。
支流人の方々、目を覚まされヨ!!
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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