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2019.08.25
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カテゴリ: UCI、サンク
​​まずは、あるブログで

H1は顕進様であり、H2が亨進様と言うのが 世界基準の食口間の呼び名であるわけですので 孝進様も 興進様も ヒョンジンではないため混同しません。

混同を避けるため H1 H2というのが定着したわけですので この部分で 

何も理解できていない方であることが理解できます。

​と書かれていたが、その過去「H1、H2」の表記は三男さんが「長子(後継者)」を強調していたように私は捉えていた。サンクの方々はH4よりもH3の優位性を固持しようとしたものには思われなかったのか?

ここで、私がH3、H4としているのは、実はお母様からである。
「H1,H2って何?」と幹部の方に質問されては「H1は孝進様、H2は興進様だ」とお母様が話されていたことからであった。

また、​

内容がこじつけで理解できない!!!
​  釈迦の妻も 孔子の妻も ソクラテスの妻も イエス様の妻も もともと 1960年に祝福をアボジと受けているとした場合  ​ ​(そういった事実はない)​
 事情により返してもらえば 良いだけの事なんじゃないかと感じる
とくに 清平だけで 霊界を判ったふりをしている方たちは 1995年以降
霊界からは遠のいているように感じる!!!

​姜賢實女史とアウグスティヌス、ほか四大聖人と金日成初めとした悪霊人たちまでが同時に祝福を受けたのは1997年11月の4000万双祝福式での時だった。1997年に真の父母様の名で(米国で)されたことであり、それ以前の「1995年以降霊界から遠のいている」のは清平を批判されているその人本人に他ならない。

ほか私の記事に対しても、原理を捻じ曲げては批判されるご自身の姿がまったく見えていないようだ。
正分合の四位基台の神様の位置に【神様=イエス様(再臨主)】が同居した「正」、「分」は分かれることもなく【二代王?】、「合」が【三代王?】とか。
もう一度原理講義の「初級」からお勉強されることをお勧めしたい。

余談はここまで。
さて、本論。
といっても、22日から中途の下書きで放置していたのを整理したものだ。



コリアンドリーム氏の8/21記事「 誰が摂理の中心なのか? 」、これは誰のみ言か。「アイデンティティ」の言葉が出ていたところを見ると、H3が語ったものだろう。
誰の言葉(出典)かの明記はシッカリとされるべきである。でなければ混乱が広まるばかりだ。
​​ ​​​​ 『原理講論』第一章で明らかにしている創造原理は、一から全存在が創造されたということである。全て存在が二性性相として存在する理由は、神様が神様の形状どおり人間と被造万物を創造したためであることを創造原理を通じて表しているのである。この原理は神様が原因であり人間は結果的存在ということを表している。

この世の中に数多くの父母がいて家庭がある。ところで 私たちはその前に『真』を付けて真の父母、真の家庭と呼ぶ。愛・生命・血統も真の愛・真の生命・真の血統と呼ぶ。 『真の』が付いているものと付いていないものの差は何か。正に起源の差である。真のお父様は次のように語られた。

​​真の起源は神様であり、神様がおられることによって真が成り立つ。真の父母とは単に一人の男性と一人の女性が子供を産むことによってなる父母を言うのではない。真の父母は創造原理に示されている神様の男女に対する理想を根元とし、その実体となった父母を言う。また 真の家庭 は単に父母と子女から構成された家庭を言うのではなく、神様の家庭理想から始まり、それが実体化された家庭を言う。このように真の父母と 真の家庭 は人間自らの意思によって形成されたものではなく、神様の理想と目的によって形成された父母であり家庭である。​​​

愛と生命と血統も同じである。人間は愛も生命も血統も全て自分のものという意識を当たり前に持っている。私が誰かを愛し、私がまた私たちが子供を生む、しかし私の意のままに、私の感情どおりに動くことが愛ではない。神様から始まった相手のための愛、それが真なる愛だ。生命も同じだ。生命は神様の愛から創造され、それゆえ生命の根源も神様だ。血統はどうか。私たちは金氏とか朴氏とか李氏とかの血統が血統として錯覚しているが、神様の愛と生命の結実して現れるものが血統だから、神様が血統の起源である。このように、原因者となった神様の前に人間は結果的存在である。それが人間の ​アイデンティティ​ である。​
……​​
​​

私個人的には当初からこの「アイデンティティ」には違和感を感じていた。
​​ アイデンティティとは、同一性、すなわち「《他ならぬ》それそのものであって他のものではない」という状態や性質のこと、あるいは、そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
心理学や社会学の分野においては、一貫した自己・自我の意識を「自己同一性」(self-identity)あるいは単にアイデンティティと呼ぶ。自己同一性は「自分は何者であるのか」という問いに象徴され、状況や時期などによって変わることのない「自分は自分である」という自己認識として確立される。帰属意識などもアイデンティティの確立に密接に関わる。​
H3のアイデンティティを耳にしたのも2000年を前後しての頃だったと思うが、お父様が神山氏にその頃からH3はお父様から離れていると語られたのも一つには私と同様のことを感じておられたのではなかろうか?

また、ブログ記事「誰が摂理の中心なのか?」(H3の)全体から感じれることは、神様を中心に置きながらも 「私の思いのままにではなく、父のみ旨ままにしてください。という内的姿勢が人間の責任分担の出発点である。」 、とのこと。

こんにちの統一家の分裂、H3や支流人の方々の言動を見たときに果たしてどうなのか?

2008年7月のヘリコプター事故後にH3の(削除された)メッセージ映像最後の字幕から見てもそのようにはなっていなかった。


▲「 三男派、避けて通ることが出来ない道--三男さんの「祝福権」の有無 」から。

ほかにもH3が語っていたものに 「伝統を破れば混乱が生じる」 というのもあった(詳細は​ こちら ​)。

H3に追随される支流人の方々に問うが、H3は 「私の思いのままにではなく、父のみ旨ままにしてください。という内的姿勢が人間の責任分担の出発点」 に適って行動されている方なのか?
そうだ、と言える証拠でもあればどなたかご提示願いたい。

​さらには、上記のお父様のみ言引用文はかなりの部分を切り貼りしては 自分の都合の良いように「改ざん」 したものであったことが判明した。​
読者の方で関心があれば​、どれだけの量が削除されているかを確認されては如何か。八大教材教本・天聖経「真の父母」​から (こちら)。

詳細はこちらでは省くことにするが、「真の」の起源に関してのみ言もまた以下のように記されていた。
​​ ​では、これを一度に蓄積させることができ、このすべてを総合することができる真なる基準は、どこから始まるのか?  これは、ある宗族圏内で成されるのではなく、社会圏内とか、国家圏内で成されるのでもありません。世界圏内でも絶対不可能なものです。 すべての問題の起源が、偽りの父母から始まったために、真なる父母の因縁を中心としてのみ、復帰されうるのです。

真の父母という名詞を中心としてこそ、初めて神様の心情と一致しうるのです。真の父母を中心として、本然の血統が始まり、真の父母を中心として、本然の人格が始まり、真の父母を中心として言語が本来の位置に帰り、真の父母を中心として生活が本然の形態に帰り。真の父母を中心として本然の国家形成が起こり、真の父母を中心として本然の世界が成されるのです。

では、この全体を総集約した核心的な母体が何か? 真の父母です。真の父母ひと方によって、すべてが決定されるのです。それゆえ、その方のすべての思想を自分が全部引き継がなければいけません。その心情、その人格、その生活観、その国家観、その世界観を全部引き継がなくては、中心となる位置に立てないのです。(二八・二四八)

真の父母を抜いては、教育もあってはならず、生活の基盤もあってはなりません。分かりますか? 真の父母と完全に一つにならなければならないのです。

一つになることは、何かというと、「真の父母の生活が私の生活であり、真の父母の理念が私の理念であり、真の父母の仕事が私の仕事であり、真の父母の愛の圏が私の愛の圏である」このようにならなければならないのです。皆さんはそうですか?(四四・一四五) ​​​
また、「真の子女」「真の家庭」に関してもH3の語る内容とは違ったものを発見することも出来た。

​・ 真の父母という言葉は福音中の福音P.142

皆さんがユートピア世界を探そうとするには、どこへいくべきか? 本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がないということを知るべきです。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と真の父母の愛でつないだ基準があることによって、今日霊界と肉界がその愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。これを知るべきです。

皆さんは、原理を習っているでしょう? 神様が本来創られた通り、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするか? それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。分かりますか?(はい)。そのようなときは、自動的に水平的真の愛が現れるのです。

その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその組の中心に現れるのです。分かりますか?(はい)。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。

真の愛が現れれば、すべてが皆自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。分かりますか?

どこから真の愛が出発するか? 真の父母から。これは、福音中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は真の父母が現れなくては、真なる夫と妻が現れないために、真の父母以上良い福音がないというのです。分かりますか? これをはっきりと知るべきなのです。(一三一・一八七)

歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、その結果として見出されたのが、この真なる家庭なのです。

この真なる家庭が見出されることによって、歴史的な悲しみが解怨成就されうるために、歴史的な死の代価が解怨成就されうるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたというのです。従って、この真なる家庭が、この血に顕現したという事実は、我々人類においては、それ以上の喜びがない喜びであり、それ以上の価値がない価値なのです。

そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がなければならないと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。

この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っかかって、うめく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残しうる位置に立っては、真なる家庭の息子娘になりえません。

今日皆さんは、真の父母という言葉を話しており、真という名詞を知っています。この真の父母という言葉は、歴史時代において、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。しかし、今日、我々は呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知るべきです。

真の父母という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、真の父母という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言中の福なるみ言であるということを知るべきです。

真の父母というその名前四文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に入りうる起源が生まれ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母とともに暮らし、真の父母の命令に従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。

自分の人生を皆犠牲にする恨があっても、真の父母の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないということを知るべきです。真の父母の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中において、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士であることを、我々はよく知るべきです。

皆さんが真の父母の心情に代わって、あるいは、国家の民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができる希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、真の父母の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、希望の世界をもう一度審判することができる旗手であることを、皆さんは自覚するべきです。(四三・一四三)​








一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2019.08.25 10:33:27
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