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原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。 彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。このように、 「善の父母は、天から降臨されなければならない。」「堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。」 ハッキリ明記されていた。原理講論は教義書と信じられるならば、「お母様は天から」ということも容易なことだ。
……
ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。
地上で自分の使命を完成できずに去った霊人たちは、各々自分たちが地上で受けもったのと同じ使命をもった同型の地上人に再臨して、そのみ旨が成就するように協助するのである。このときに、その協助を受ける地上人は、自分自身の使命を果たすと同時に、自分を協助する霊人の使命までも代理に成し遂げるのである。ゆえに、 この使命を中心として見れば、その地上人の肉身は、彼を協助する霊人の肉身ともなるのである。このようになれば、その地上人は彼を協助している霊人の再臨者となるので、その地上人はしばしば彼を協助する霊人の名前で呼ばれるのである。 このようなわけで、地上人はしばしば、霊人が輪廻転生した実体のように現れるようになるのである。聖書でこれに関する例を挙げてみれば、洗礼ヨハネはエリヤの協助を受けて、彼の目的を立てていったので、彼はエリヤが地上にいるとき完成できなかった使命まで、みな完遂してやらなければならなかった。したがって、洗礼ヨハネの肉身は、エリヤの肉身の代理でもあったので、イエスは、洗礼ヨハネをエリヤであると言われた。以下に書き替えて読むことも出来る。
ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒たちに屈伏する理由はさらにないのである。それゆえに、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、 ヤコブを立てることによって、彼を通して、サタンを屈伏させる象徴路程を、表示路程として見せてくださった のである。また、ここでモーセ路程の「第三次民族的カナン復帰路程」ではモーセからヨシュアに摂理の中心のバトンが引き継がれたように、イエス路程の「第三次世界的カナン復帰路程」、特には、「(2)再臨主を中心とする実体的カナン復帰」(P.426~)をみても摂理的同時性からヨシュアと再臨主を重ねて考えることができる。
神は、このように、ヤコブを立てられ、サタンを屈伏させる表示路程を見せてくださったので、 モーセはこの路程を見本として、その形象路程 を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのである。そしてまた、 イエスは、ヤコブ路程を歩いたモーセ路程を見本として、その実体路程 を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのであり、 今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。
神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるかということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、 神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。
それでは、このように、 召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。
真なる信仰が成立するときには、真なる愛がついてきます。真の愛が植えられて芽を出すようになれば、これを育てなければなりません。大きくするためには、絶対的に投入しなければなりません。それは、自分の意識までも忘れて投入しなければなりません。そこで、「絶対服従」という言葉が必要になってくるのです。……上下関係、左右関係、前後関係において、そのような内容があるということを皆さんは知らなければなりません。愛を中心として上には信仰、下には服従。愛を中心として右側が「絶対信仰」であるならば、左側は「絶対服従」であり、前を信仰というならば、後ろは服従です。一つの体(たい)を成しています。「絶対愛」を中心として「絶対信仰」も「絶対服従」も一つの体、切り離して考えることが出来ないということを語っておられた。しかしながら、H3支流人らが嫌うものが「絶対服従」である。
結論的な話は、 「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。 そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか?(拍手)
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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