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日本語の『原理講論』には「聖霊」という言葉が47ヵ所に記述されています。
韓国語の『原理講論』で同じ箇所を見てみると、 「성령」(ソンニョン:聖霊)と「성신」(ソンシン:聖神)の二つの言葉で表記 されています。
今回は、この「聖霊」と「聖神」の意味の違いや、なぜ韓国語の『原理講論』ではそれらが区別して使われているのかを洞察してみたいと思います。
(以下省略)
(마 12:28) 그러나 내가 하나님의 성령 을 힘입어 귀신을 쫓아내는 것이면 하나님의 나라가 이미 너희에게 임하였느니라
(마 12:29) 사람이 먼저 강한 자를 결박하지 않고서야 어떻게 그 강한 자의 집에 들어가 그 세간을 강탈하겠느냐 결박한 후에야 그 집을 강탈하리라
(마 12:30) 나와 함께 아니하는 자는 나를 반대하는 자요 나와 함께 모으지 아니하는 자는 헤치는 자니라
(마 12:31) 그러므로 내가 너희에게 이르노니 사람에 대한 모든 죄와 모독은 사하심을 얻되 성령 을 모독하는 것은 사하심을 얻지 못하겠고
(마 12:32) 또 누구든지 말로 인자를 거역하면 사하심을 얻되 누구든지 말로 성령 을 거역하면 이 세상과 오는 세상에서도 사하심을 얻지 못하리라
28 しかし、わたしが 神の霊 によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
29 まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。
30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、 聖霊 を汚す言葉は、ゆるされることはない。
32 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、 聖霊 に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。
(롬 8:26) ○이와 같이 성령 도 우리의 연약함을 도우시나니 우리는 마땅히 기도할 바를 알지 못하나 오직 성령 이 말할 수 없는 탄식으로 우리를 위하여 친히 간구하시느니라
(롬 8:27) 마음을 살피시는 이가 성령 의 생각을 아시나니 이는 성령 이 하나님의 뜻대로 성도를 위하여 간구하심이니라
御霊 もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、 御霊 みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、 御霊 の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、 御霊 は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
ほか、【「성신」(ソンシン:聖神)の例文】
죄악의 자녀들을 다시 낳아 주시기 위하여 그 참 어머니로 오신 분이 바로 성신 이시다.그러기에 예수님은 니고데모에게 성신 으로 거듭나지 아니하면 하나님 나라에 들어갈 수 없다고(요한복음 3장 5절) 말씀하셨던 것이다.
이와 같이 성신 은 참 어머니로서, 후해와로 오신 분이시기 때문에, 그를 여 성신 으로 계시 받은 사람이 많다.그리고 성신 이 여성신이시기 때문에 성신 을 받지 않고서는 예수님 앞에 신부로 설 수 없는 것이다.이와 같이 성신 은 여 성신 이시기 때문에 위로와 감동의 역사를 하시는 것이며(고린도전서 12장 3절), 또 해와가 지은 죄를 탕감복귀하시기 위하여 죄를 씻는 역사를 하시지 않으면 아니되는 것이다.그리고 예수님은 남성이시므로 하늘(양)에서, 성신 은 여성이시므로 땅(음)에서 역사하시는 것이다.
罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく 聖霊 である。ゆえに、イエスはニコデモに、 聖霊 によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。 このように、 聖霊 は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、 聖霊 を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち 聖霊 は女性神であられるので、 聖霊 を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、 聖霊 は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントI一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、 聖霊 は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。 (『原理講論』p264~5)
を読み返して見た時、お父様は「原理講論の主人はお母様」だと語られていたことを再確認するものとなった。2.韓国語『原理講論』の「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)の違い
「성령」(聖霊)14ヵ所と「성신」(聖神)63ヵ所をすべてチェックしてみた結果として言えることは、神の御霊を意味する場合は「성령」(聖霊)、イエス様の相対としての霊的真の母を意味する場合は「성신」(聖神)と表記されているようです。
上記の例文がその典型的な文章ですが、「성신」(聖神)の場合は、第七章キリスト論の重生論で多く使われ、そのほとんどがイエス様と対になって出てきます。
また、『原理講論』後編のモーセ路程でも、次のような表現があります。
■ 後のエバの神性である 聖霊 (『原理講論』p363)
⇒ 후해와의 신성이신 성신
■ 人類の母性の神であられる 聖霊 (『原理講論』p363)
⇒ 인류의 모성신되신 성신
■ 夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである 聖霊 を象徴 (『原理講論』p369)
⇒ 밤(음)의 불기둥은 여성신으로서 그들을 인도할 성신 을 상징
このように、韓国語の『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)を明確に区別して使い分けているのですが、残念ながら日本語の『原理講論』ではすべて「聖霊」と表記されています。
3.キリスト教の聖霊とは?
聖書を見ると、「聖霊」という言葉が出てくるのは新約聖書からで、旧約聖書では「神の霊」や「主の霊」という言葉が使われています。
そして、その意味は、すべて神の御霊を意味していて、「統一原理」の重生論のような女性格の神という意味はありません。
聖書における「聖霊」とは、広義の意味では、人類の救済と重生のために個人と歴史に働く神様のあらゆる霊的活動を意味しているのです。
ただ、「聖霊」を女性格の神と見る観点が全くなかったわけではなく、初期のクリスチャンたちが聖霊を女性的存在と見ていた証拠はいくつか残っています。
そもそも、ヘブライ語で霊を意味する「ルーアッハー(ruach)」という言葉は女性名詞です。
また、使徒時代以後にユダヤ人のクリスチャンたちが用いていた『ヘブル人福音書』(Gospel of the Hebrews) には、イエス様が「我が母、聖霊よ」と述べている言葉が引用されています。
そして、『トマス行伝』(The Acts of Thomas)には、聖霊に対して「慈悲深い母、隠された神秘を現す女性、至高なる方の愛する方よ……」と呼びかける讃美歌や礼拝の祈祷文があります。
4.韓国語の『原理講論』が聖霊と聖神を区別している理由
それでは、どうして韓国語の『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)を区別して表記しているのでしょうか?おそらく、もともと『原理講論』はキリスト教伝道を目的として書かれたものだったので、聖書の意味する「聖霊」と「統一原理」の意味する「聖霊」を混同させないためだったのではないでしょうか。
そのため、キリスト教の解釈にはない女性格の神を意味する場合は、「성신」(聖神)と表記したのだと考えられます。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
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