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2020.02.07
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​​​​​私の​ 前回記事最後 ​は以下でした。
​ビデオの最後は以下のように、サンクこそが「統一教会の伝統を守っている」と締めくくっていましたが、

ビデオタイトルは 『「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」~「統一原理」から見た…』 ですが、元「光言社」職員さんがみ言葉編纂に携われた書籍群の中の一冊のタイトルです。 ​書籍の序には『「天福函(チョンボッカム)相続の意味」​ と題して文亨進世界会長(当時)のメッセージがあり、サンクメンバー受けを狙ったものでした。「天福函」は、モーセが不信した場合に「契約の箱」のようにそれを信奉する中心人物がそれを継いでいくようなものだという亨進氏の説明で、 「真の父母様は、世界会長である私を真の父母様の代身者、相続者として宣布され」 たというものでした。 ところが、そのサンク(亨進氏)こそがお父様のみ言葉との整合性に欠けると、私からは声を大にして叫んでいました。 サンクからは八大教材の「真の父母様」は何処からも感じることはできませんし、「独生女」「天の父母様」否定もまた教本とは矛盾したものでした。血統が同じであれば「似る」ものですが、「似て非なる」ものにもなり得ません。

とうごま氏の第3弾 「徳野英治会長は金榮輝氏「回答書」を信徒に公開すべきです。連載「中村告発証言の衝撃」3」 は徳野会長まで引っ張り出しては問題を大きくしようとしているようですが、すでに回答は出ています。家庭連合の教理研究院からは「 再臨主は(イエス様)行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス 」がありましたが、み言等の整合性についての回答でした。十字架で行かれたイエス様の肉身を取り戻さなければならない再臨主としての使命があったということです。
「再臨主は行かれたように来られる のが復帰の原則です。あるものを無くしたら、無くしたところに行って取り戻すようになります。故障を起こしたら、その反対の方向で、故障を起こした順序を経てこそ、故障を起こさなかった場に戻るのです。これが因果法則に外れない鉄則ですから、 再臨主も行かれたように来られるということを、知らねばなりません。 失ったとおりに取り戻すようになることを、知らねばなりません」  (マルスム選集5-323)​

問題は、み言の翻訳と編纂に携われた元「光言社」職員さんにありです。
何度も繰り返しますが、元「光言社」職員さんは翻訳者以上でも以下でもありません。韓国語のみ言は多く目にされたかもしれませんが、み言を深く(祈りを持って)研究された方ではありません。ビデオからもお父様のみ言のいくつかを引用していましたが、曲解した悪意あるものであったことの一例も私から紹介していましたし、彼が原理講論記載の「天の父母様」を容認されながらも、何故?  それを否定しているサンク(サタン)に逝かれたことが不思議でなりません。
このことは、皆様におかれましては既にご承知のことと察します。

さて、今回はビデオ視聴直後に、私が真っ先に探した彼のみ言葉引用の中からですが、「お母様無原罪誕生」を立証するようなみ言葉が発見されました。彼がみ言の第一人者であるかのように振る舞われるとすれば、引用文全体の「山」も見ていくべきだったでしょう。



「2014年7月1日(陽暦)の韓鶴子総裁のメッセージ」と真のお父様のみ言との整合性ということで、「 『文鮮明先生み言葉選集』140-149 1986.2.9 」からを引用しては 青字「イエス様の相対となる新婦は、血統転換の過程を経ていません。」 を強調していました。
ところが、これはごく一部の引用であってイエス様当時についてのものでありました。このみ言は、「文鮮明先生御言選集 19860209 - 祝福を受けた者達」というタイトルが付けられていました。そして、彼とは別の個所も引用したのが以下です。
​ 祝福を受けた者達

一九八六年二月九日

 二月六日の早朝、ソウル本部教会・聖日礼拝にて、祝福を受けた者の位置を明示、その責任と使命について、原則的観点を示されました。




その一つが血統転換です。 ​マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させたのです。そうではありませんか。(「はい。」)イエス様は血統を転換した位置に立っていますが、 イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過していなかったのです。 何の話か分かりますか? だから複雑なのです。平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなくてはならないのです。​ それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってから、これを協助せずしてはできないのです。そこに誰が協助するのかというと、マリヤが協助しなくてはならなかったのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなければなりませんでした。万古の伝統として知られることのできるお母さんとならなければならないのに、そのようになれなかったというのです。​


…略…

ザカリヤの家庭とヨセフの家庭

​ マリヤが責任を果たせず、ヨセフが責任を果たせなかったので、ザカリヤの家庭が責任を果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。ヨセフはイエス様をお父さんとして迎え、ザカリヤは洗礼ヨハネをお父さんとして迎えれば良いのであり、 ザカリヤの家庭に生まれた娘をお母さんとして迎えれば良かったのです。 そうしなければならなかったというのです。それができていたなら、イエス様は間違いなく結婚したというのです。二代が協助しなければなりませんでした。この二代がカイン・アベルの関係にありました。この二代が転換しなくては、お母様を迎える道がなかったのです。そうではありませんか。善悪に分かれてしまって、位置が逆になったのですから、これを交替しなければなりません。上に立つべき者が下に立っているからです。善は下に立っていましたが、時が来たので上に行かなくてはならないし、上に立っていた悪は下がって行かなくてはならないのです。​

 この交差点で上下を転換させる歴史的責任がメシヤにあるために、メシヤは上下が交叉する時に来られるのです。それ故に、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が交叉しなくてはならなかったのです。また、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭は、カインとアベルの関係にある親族として、この親族の立場が入れ替わらなくてはならなかったことは言うまでもありません。伝統的イスラエル歴史を見るとき、ザカリヤの家庭が上ですか、ヨセフの家庭が上ですか。ザカリヤは大祭司長ですが、ヨセフは大工であり、平民でした。平民が大祭司長を屈伏させなければならなかったのです。ザカリヤはヨセフの前に屈伏しなければならなかったのです。入れ替わって、祭司長であるザカリヤはイエス様の王宮を祭司長として迎えなければならなかったのです。そうすることのできる自分の甥です。洗礼ヨハネとイエス様はお母さん姉妹から生まれた従兄弟です。

このみ言から、 イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過
するためにはどのようなことが起きなければならないと語られていましたか?

真のお母様の路程からしても、「 平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。 」真のお母様と大母様との関係において、そのように育てられてきたということです。ご聖婚後の7年路程でもそのように侍っていかれた大母様であったという証も耳にするところです。

​「独生女、お母様、億万歳!!」​

ご聖婚60周年記念おめでとうございます!


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.02.07 01:01:51
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