奇   知   外   記

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2021.09.15
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 「伝道と世界的使命」

1976年10月5日
ベルベディアにて


 霊的援助を受けるには

 このようにして伝道の班編成を組みましたから、後は、思いの限りを尽して伝道して下さい。それで伝道には何が一番重要かというと、霊的力が問題である。すなわち霊界がいかに協助するか、ということが重要になってきます。それが伝道実績に直接関係するのです。

 では、霊界が援助するような班編成になるにはどうするかというと、一つになる完全に一つになることですね。そして班長がいいという考えよりも、自分がその天の前にいい人になって、班長をも引っぱればよいのです。一つの家庭を考えてみた場合にも、すべての家庭の親がみんな立派なのではありません。

 もし親より子供の方が良い家庭があった場合、その子供を中心として固まって、親を押し上げればよいのです。反対になにか批判を始めたら、その家庭は完全に崩れてしまう。「無能な者に協助するな」とか、そんなこという者自体が一番悪い。そういう者こそサタンの要因です。ぶつぶついう人より以上に、自分ながらの実績をたたせるのが大切なことです。

 もし、班の中にぶつぶつ不平をいう人がいたら、それはサタンの要素だから、これは摂理的な破壊基盤となって、すべてが横倒れ共倒れになってしまう。そのことをしっかり認識したなら、班長と班員が完全に一つになる以外に道はありません。

 研究しあって、調和すること

 それから個人伝道、個人実績を強調するのはもちろんですが、班全体の成績向上を考えなければなりません。自分はいくらよくても、班全体がよくなければ、やはり自分の責任である、という考え方からすれば団体行動をする場合、班全体のことを考えるのは当然であります。

 自分はよくやったとして、自分の班を自分より以上の班につくり上げるにはどうするか、夜になって、みんなできないながらも一生懸命やって帰ってきたら、紙でもって説明したり話し方を説明したり、こうしたから成績がよかった、というようにみんなに教えてやるのです。

 それからみんなをまとめ、指導する班長はその班員の中の優秀な者がいた場合には、その人を一番の自分の相対者として考えるのです。そう思ってその優秀な者を中にして、自分もみんなと一つになって、すべてのことを相談しながら、みんなも早くそれに調和していく。そういう作戦を立てれば、自然的にその班の基準は高まるのです。

 一週間、甲が成績がよかったらそれにみんながまとまる。次の週は乙が優秀だったら、今度は乙を中心にまとまる。こうして六人の班だったら六人全部が勝利したら、六人の方法をみんなが互いに研究して、自分のものにして運動すれば、完全に一つになるのです。こうして結局は、実績をいかにして高めるかということが大切なのです。

 日本人が心を尽くして講義すること

 それから神山君、このメンバーでもってアメリカ人を伝道してくるんだから、アフターケアーするメンバーも必要だよ。アメリカ人を選んでね。伝道班が伝道する。街頭とか訪問とか電話で連絡して教会に連れてくる。その背後の組織を組まなければならない。全体的に循環できるよう、円満に動くように組んでね。

 それから来教者には、早く講義をするように。汗を流しながら、涙ながらに一杯にしながらね。講義するのが一番問題です。西君と沢田君ね。講義をしながら、いかに感動〆起させるか。日本人でありながら、アメリカ人に講義することは、実にいいことです。

 自分は日本人だけど、日本とアメリカとの関係は、今から三十年前は敵国でありましたが、その敵国アメリカの将来がこういうふうに心配ですから、自分なりに英語もできないのに、涙ながらに英語を勉強しました。足りないながらもこういうむつかしい話もできるようになりました。だからどうか、聞いて下さい。そうして情的に係って相手の心情を開くようにして訴えるのです。真実の道を知らなくては、アメリカの将来は行く所がないから、我々はすべてを犠牲にして為しているのです。と訴えるのです。とくに日本人は、小さいからいいのです。小柄ながらも生命をかけ、一生懸命励むのですよ(はい)。

 そうして連れられてきた人々にいかに原理を伝え、食口化していくか。講義する者は責任が重いです。一人を連れてくるのがいかにむつかしいか。その一人のために、何人にも会って、何べんも同じ言葉をポロポロ涙ながらも語り、そしてみじめな思いを経験しながら、やっと一人とめぐり逢えるのです。

 祈りの心情を講義に表わして

 そしてつれてきた以上は、全体の責任を自分の両肩にかからせて、頼むような心情でもって自分に託したのだから、これを完全に消化して、館に入る時より出る時には、伝道した食口たちに喜ばれるような結果を多くしなければなりません。

 だから祈らなければなりません。祈りの中で涙を流して、生命の救いをいかに灯すか、自分の一言で左右を決定する分水嶺に立たされるのであるから真剣に祈らなければなりません。審判でなく救わなければならないのです。心情的なそういう講義をしたら必ず反応します。講義の内容を祈りながら覚え、検討しながら、御恵の中にうたれた心情をもって壇に上るのです。祈った心情圏を再び表わしながら、講義しなければなりません。本当はもっと講義する人がいたらいいのです。

 そして表裏一体、左右前後一体となって動かなければ、いい結果ができません。だからこの期間は、いくら気持ちの悪い癪にさわることがあっても、日本人として争ったりけんかしてはいけません。もう帰ることが決定したのですから、その日まで笑いつつ歩んで下さい。

 日本語で一生(一所)懸命といいますね。一瞬々々に生命をかける、一生懸命といいますね。

 命考えて命をはること、一つの生命を懸命にかかげた命令、一生を捧げてかけた命令、任という意味でしょう。そういう立派な言葉を知っているのだから、それが成し得て外的に一生懸命が通じるようにして下さい。

 内的にでたらめで外的に一生懸命、そういう原理はありません。原因がすばらしくて結果が悪くなる。そうですね。(はい)え、原因が素晴らしいから結果が、(すばらしい)私が間違って話した時は、正しく答えて下さい(笑い)。

 すべては動機が問題です。それがぶつかりあって一つになった場合には、何事も砕けてしまいます。動機がなければ何もできません。私がみ旨を歩むのも、心情的に揺がない原動力を持っているのです。これを果たさなければならない、という精神的強い動機の前には、それに逆らうすべては無関係です。もし関係したら相手が崩れてしまいます。

 いろいろなことを考えてはいけません。日本に帰ったらどうかとか。残る人は、一度日本に帰って、日本という名目をかかげて来たのだから、励まなければなりません。班長と班員が一つになるのです。どのくらい一つになるか。神様とイエス様が一つになる以上になれば、霊界は百パーセント協助します。わかりましたか。わかりましたね。

 もし霊界が協助したら不思議なことが、たくさん起ります。街頭でも何もしなくても、通りがかりの人がみて、パンフレット一枚下さい、こういう現象が起るのです。さあ、霊界が援助するには、どうならなければならないか。神様とイエス様が一つになったように、もう一つになりましたね。班長と班員が一つになれば間違いありません。

 神様とイエス様が一つになったように、私とみんなが一つになったか、班長はそれを反省しながら、与えられた使命を絶対に果たす責任感をもって、一つになること。そういうように内的結合を大切にしましょう。

 笑顔で迎える訓練

 次は最初が重要です。毎日の生活で朝起きる時に、いろんなことがあっても、時計がリンリンと鳴って目をあける時、必ず笑うんですよ。今までそれもしなかったのですか。昨日はいくら気持ちの悪いことがあっても、惨めなことがあっても、次の朝起きる時は、必ず笑いながら起きる。宗教生活には欠かせない行為です。

 それが習慣になれば、実にいい顔立ちになります。しぶい顔が途端に美男子の顔になります。(笑い)鏡をみながら訓練するのです。それから、御飯を食べる時も大切な時です。笑いながら食べる。食事しなかったら笑わなくてもいいですけど、食べるのだったら朝飯食べる時、あーありがたい、と思って笑うのです。

 そうすると神様は喜びの主体だから、そして神様に属する万物と一つになって喜ぶ。そう考えて食べる食事もよく消化しますよ。みなさんは食事は三回しますね。必ず三回しますね。朝と昼と夕と、三回笑って朝起きる時も笑う。環境すべてがそうなります。

 喜ぶ人を神は喜ぶ

 そういう習慣にすれば、その人は顔をみれば自然と深い考え、喜び溢れる印象の人になります。寝る時もそうです。その日にどんなにつらいことがあっても、しかし寝る時は笑いながら、神様いい夢を見せて下さい。望みつつ床につくのです。そしたら必ず見せてくれます。次の日為すべきことを教えてくれるのです。

 そういう喜びの生活をしていけば、神様は喜ぶ人を喜ぶし、万物を喜ぶ人を喜ぶのだから、その人は必ずよい方向に向って行きます。それが原理の観点でしょう。今まであなた方やってきましたか。今からでも始めましょう。

 朝起きて笑う。花が咲き香りを吹きかけるようにしながら。家庭もそうです。そういうお父さん、お母さんだったら、子供たちにとって、教育にとって一番いいことです。仕事で人に会う時でもそうです。いい印象を与えるのです。伝道しているのにしぶい顔をしたらできませんよ。何か内心から素晴しいことが溢るような円満な顔をして、今に希望を持って、未来に希望を持って伝道するのです。

 それはみんな、するのです。三角や四角の人でも、それはそれなりの美があるのですよ。(笑い)。わかりましたね。自分の中に笑いに逆うものがあったら、それはサタンの好む要素だ、サタンの餌よさようなら、そういう生活をしましょう。わかりましたね。

 率直になって学べ

 きょうは頑張ったけど少し様子がおかしかった、基準が下がったとしたら、明日は一歩でも上げる。毎日の生活の中で平均化した自分の心情の安定基準をはっきりさせて、それが少しでも傾いた場合には全体に影響します。しかしその傾いたり下ったりした基準を自分ながら整備し、反省し明日のために祈るようにしてマイナスを迎えるところに発展は続くのです。

 明日はきょうより一つよくなろう。きょうは自分の方法がまずかった、話し方が下手だった身ぶりや表情がまずかった、また原理研究がたりなかった、人生に対する経験や見方が少なかった、相手が好奇心にかられるような魅力的な印象を持たなかったといろいろ自分で批判しながら、毎日を迎えるのです。最初のうちは伝道できなくとも、二日目も伝道できなくても、一週間やればできるのです。一週間できなかったら、もっと自分を批判し、よい人の方法をみながら、情報を聞きながら、三人位聞いて自分ながら固めて、その通りやるのです。だから人に習っていく方法が一番利口な方法です。

 人々に習っていく。私もそうです。原理の奥を探す時、自分で自然界のすべてをつぶさに観察していく。そうすると普遍的な総合的な性質とか法則があるのですね。そうした結果の存在の中に全体的総合性の多いもの、それが宇宙原理に近いのです。根源たる神様の性質に近いといえる。これは理論的なことです。そういうふうにして、環境から情報を集めて、自分の目的に向って消化していくことは、発展の早い道です。

 私は今でもそうです。私自分の主観自信は、誰も否定できないと思っているし、誰も真似のできないことをした、と思っているけど、今でもいいものがあったら、それを習って横取りして自分のものにしよう、と思っております。

 それと同じように多くの人々のいいところを自分に早く引きつけて同化させる主体性を持ったとしたら、そこに多くの人を指導しうる能力が生まれる。それは理論的なことです。だからあなた方は、仕事をするという思いをしてはいけません。勉強する、勉強するのです。社会を研究する、人間を勉強する、経済を研究するのです。それは神様にすべてを捧げる心がなければできないことです。

 勉強する努力するのが嫌いな人は、落第生です。そういう人は、みんなから嫌われるし、みんなから嫌われものを、神様が好むはずはありません。もし女性が素晴しかったら、男はみんな班長もその女性の講義を聞くのです。負けたからといって、ぶつぶつ不平をいう者は、消えなくてはならない。不平をいう資格もありません。

 私は率直な男です。率直に話を聞きます。負けたとしたら、完全に頭を下げて、勝つに必要な準備をするのです。自分が主体的な準備をして勝った以上、それに文句をいう人は、どんどん退いていくのです。主体性もなく勝った時は、次は負けるのです。

 自分なりの主体性を持って、全体を見破る、観察するのです。班長だったら班長なりに、人のいい所をみんな収集して、情報を整理して、それを班全員に教えながら刺激してやる。みんながお互い同士負けないよう方法をとれば、班全体が班長を中心に一致化し、どんどん発展していくのです。わかりましたね。

 美しい動機は美しい結果を

 第一は何か。一つになること、一つになることです。それから、動機をつくること、美しい動機をつくらなくては、美しい結果は生れてきません。そういうふうにして、まあ三週間活動して、三週間以内ですね。十一月八日まで、千八百双が家庭を持って交代するのだから、時間がありません。その期間内に数名を伝道しなければいけないという緊迫した状勢ですから、最後を飾ってほしいと思います。

 あなたがたが天の伝統を立たせてくれたら、「日本人たちは素晴らしい、言葉も通じない体も小さい人数も少ない。しかし誰にも負けない伝統を立てました。」とアメリカの食口たちにいうことができます。そうすれば私の八十一年、八十年代までの計画は成してあまりあるようになるのです。こういう刺激的な伝統基準は、相当大きな影響を生みだすのではないかと思います。

 最近アメリカに来て、アメリカの食口に刺激を与えた。帰る時にもう一歩刺激を与えていく。アメリカに来た動機が素晴らしかった以上は、結果も素晴しく帰っていかなければならないのが、東洋を代表した日本ではないでしょうか。韓国も含めて、統一食口を中心にした東洋を代表してきた以上は、西洋人に何かを確実に投入して、原動力を残していかなければ、これは天にすまない、東洋に希望を持てない、こうなってしまうのです。

 だから私は、本当にあなた方にすまないと思うのですが、今朝早く為さなければならないと強く感じましたので、来てもらったのです。今ここに、アメリカに重大な伝統を残していこう、御名に誓って決意しますか。(します)。ありがとう。では西君と沢田君は、二人一つになって、神山君は毎日指導監督して私に報告して下さい。

 準備されているキリスト教

 さて、ここにいる世界の食口たちも、日本の食口がこうして班編成して、新しい次元の基台に入るんだから、それに相応した活動を各自がしてほしいと思います。そしてこれからもう少し、あなた方に話しをしておきましょう。

 神の摂理から見ると、統一教会は神の摂理の最後の使命を果す立場に置かれています。とするならば、今日キリスト教界が、あらゆる宗教が準備されているにもかかわらず、彼らと決裂しているということは、これは悲惨なものであります。

 その宗教団体が、統一教会と一つになったとしたら、我々はもう伝道しなくともいいのです。しかし現実は一つにならないばかりでなく、反対しているのです。こういう環境を見られる神様の立場を考えたら、神様はいかばかり悲惨なお方であるか、ということを我々は考えなければなりません。

 結局、カイン・アベルの復帰摂理を、歴史において完全に収拾しなければならなかったにもかかわらず、それを果せずして、世の末の最後に来られる御方、結論の基準である御方に対して試練を与える、ということを今まで人々は解らなかったのです。

 神様は今まで、キリスト教とか、あるいは、多くの宗教を信頼しながら摂理を推し進めてきたにもかかわらず、次の段階のメシヤがこられて、その基準を引き継ぐために準備したにもかかわらず、それを知らないで、そういうふうに反対された時の神様は、今までの基台に完全に逆う立場に立つその現象を見る神様は、いかに悲惨であろうか。我々は考えなければなりません。

 蕩減期間内の使命

 神様の方から見た場合、今までキリスト教とか、その教団を中心に世界的基盤の祝福を準備してきました。それがみんな反対するのだから、その祝福はどこへいくか。今の統一教会は、個人的基盤であり、家庭的基盤であります。だから神様が準備した世界的基盤の祝福を授ける所がないのです。もし反対したら、その祝福を他にまわさなければならないのです。

 神の摂理に反対する結果になった中心宗教を崩すにしても、それは原理的期間があるのです。新しい中心に神の摂理を移すにしても、何年間以内にという原理的蕩減期間があるのです。その期間内に移されない場合には、みんな崩れてサタンの方に引っぱられてしまうのです。

 キリスト教の二千年歴史の祝福は、御旨に逆うようになって、プロテスタント運動を中心として、二百年の祝福としてみんなまとめてアメリカを祝福しました。アメリカが祝福された基台のキリスト教会とアメリカ国家という基台が、もし統一教会に反対する立場になった場合、これは二十年以内に収めなければ、みんな流されてしまいます。

 二百年間を二年間には蕩減できないから、二十年以内です。二十年以内に収拾しなければなりません。その期間内に世界的な基準に相応する我々の基盤を、いかに位置づけて、それに崩されないように引き継ぐか、というのが今まで私が苦労した課題です。

 摂理圏に立つ統一教会

 だから新しい摂理圏における統一教会のメンバーが、今考えなければならないのは、誰もがキリスト教界からざん訴さるような者がおっては、絶対にいけません。全体的完全には世界的にならなくとも、条件的にでもいいからもがきつつ、世界的基準を引き継ぐ基盤をつくらなければならないのです。そうしなければ、今までの二千年、二百年の摂理圏をそのまま保つことができないのです。神の祝福は、我々にまわらざるを得ない世界の現状なのです。

 だから今後三年間、いわゆる第三次七年路程の終る時、いろいろな面で国の基準を凌駕して、堂々と立たねば大変なことになります。国家と世界にあるすべての内容を準備して、それを受け継げる体制を整えておかなくては、民主主義圏に与えられた神の摂理は、祝福はすべて流されてしまうのです。

 今日のそういう環境、そういう現状を眺める神は、いかばかり胸がつぶれるような思いを持たれる悲惨な神様の前に、その摂理を背負わなければならない御方と人々のつらい立場を考えて、我々は一つにならなければならない。“私”一人は個人ではないのです。今日までの祝福基盤を受け継ぐ主人にならなければならない一人ひとりであります。

 世界的基盤の造成

 しかしその主人公たるべき者が、まだその基準をなしていないとしたらどうであろうか。世界は完全に滅亡状態です。そうすれば、また神様は悲惨であります。私自体もこれらの内容を果たさなければならない使命の立場にあります。その心はどんなものであろう、考えなければなりません。

 今日の世界状勢をみると、共産主義は南米、ヨーロッパすべてを浸しています。こういう結果をきたらしたのは、誰の責任か。もちろん今日までのキリスト教の責任でありますが、結局この時代の一代において使命を持っておる統一教会の責任だ、ということを心から理解しなければなりません。もう幸いとか苦しいとか弁明の余地は、我々にはないのです。

 そして私たちはどんなに反対されても、その反対するキリスト教界を神に祈らなければならないのです。これは誰が間違っているのではない、こうして攻撃をしても憎らしいからするのではなく、神を愛るからそういう立場に立っているのでから、どうか延長して頂きたい。そう思って神様に祈るのです。怨讐視して一線を画するような思いはいけません。イエス様が十字架につけられた時祈った立場は、こういう内容があるな、と初めて御心情を理解できるのですね。

 そういう原理的期間内にそれを収めなければならない、という使命があるから今まで八十年代八十一年まで、その基準を何とか受け継がなければならないと思いますので、我々の足りない現実の環境であるけれど、死力を尽して押し立てても、そこまで到達するようにしなければならない天的立場を、あなた方は理解してほしいのです。

 キリスト教会としても、言論界としても、学問としても、その他あらゆる事業を社会的、国家的基準をつくらなければならないのです。国家的、世界的な働きのできる人にならなくてはならないのです。この限られた期間内に。そうしなければ世界は滅亡に向うのです。

 行く所のない私たち

 ですから統一教会は、大変な運命にかかっています。神が摂理の前に統一教会を立たせようとするにもかかわらず、統一教会が世界的な基準に立てなかったとするなら、共産主義は、全世界をおびやかしてしまう。そしたら、宗教は阿片といい、神様はいないと訴える共産主義の世界になったら、宗教はいっぺんに滅亡する、統一教会は最初に抹殺されてしまいます。そうなったら、あなた方はどこに行きますか、私はどこに住めますか。今日の情勢から見ると、うなるのが自然的結論となるのが現状であります。

 神がこの世界の主人にならなければなりません。そして神の命を受けて世界を受け継がなければならない私たちが、もし共産主義者によって悲惨な運命をたどるとしたら、神様が実に可哀そうであります。

 それから怨讐の世界になる、神様に反対するサタンが世界を握る。神の摂理から考えた場合、統一教会は最後の宗教です。それが破壊されたとしたら、宗教の世界はどうなるでしょうか。良心家たちはどうなるでしょうか。 だから真剣になって生き残る道を命がけで造らなければならないのが我々の使命であり、命を犠牲にしてもこの基準を残してもらいたいのが、先生とあなた方と統一教会の使命であり、神の願いであります。

 それをこのような少数の人間でアメリカで活動し動かすことは、実に惨めで可哀そうな立場であります。しかしそうだからといって、私たちは後退することはできません。死んでもできないのです。

 神の期待を震える思いで

 私は、いま十字架を背負うてゴルゴダの山上に向うような思いでもって、一人でも行くと決意しています。死んでもやらなければなりません。我々がより団結して、八十一年まで何とかして基盤をつくったら、世界は完全に神の側にまわる。日本の兄弟たち、考えてごらんなさい。八十一年まで数万人を伝道しなければならないとしたら、今年は数人を配置しなければならない。その上、あなた方がすべて日本に帰るとしたら、もっと辛い立場になってしまう。そう考えたら、あなた方の使命と責任がいかに重大であるか、真剣に覚悟しなければなりません。

 もしアメリカが、世界の摂理圏に立たないで、共産主義に奪われたとしたら、三分の二はみんな抹殺されてしまうでしょう。毛沢東は、三十年間に何千万何億の生命を奪っただろうか。歴史的にこういうことを犯してきた共産主義が、アメリカにも行うということは当然のことです。今では北韓には、キリスト教が一人もいません。今でももし見つかったとしたら、即刻銃殺です。

 このことからしても、神が我々に期待する心情は、震えるような思いで眺めているということをいつも考えなければなりません。私自身もそうです。いかにしてこれを引きつけるか、そのこと以外には何も考えられません。

 進む以外に希望はない

 こういう天的心情を理解して、今度地方に帰ったら、あなた方自身も震えるような思いを持って、八十年代までの第三次七年路程の基準をなんとかして築きあげなければ、たとえ完全でなくとも、条件だけでも立たせなければならない統一教会の死んでも果たさなければならない使命であることをはっきり知って戦うことを願います。

 もしある期間内にその基準を果たすことができなかったら、その時になって不平をいっても、恨みごとをいってもどうしようもありません。言う立場も聞く環境ももうないのです。だからそれをさけるためにも、今はそれ以上悲惨な立場であったとしても、感謝しながら進んでいく所に希望があるのです。それ以外には希望がない、ということをはっきりいっておきます。

 こうして一つになっていけば、神様は私たちの生命をかけた誠意を知って摂理することができるのです。辛いとか、無理だとか不平をいう余裕もないのです。私自身もそうです。今朝は三時前から起きて、計画を立てたり、組織したりしてきました。寝る前から頭が痛くても我慢し、いろいろなことを思い思って気を張りつめています。そうかといって、頭の痛いことを誰にも話せないし、そういう素振りもできません。

 使命によって生きている我々

 使命によって生まれ、使命によって生きている以上は、体が痛いとか病気とか間違いとかいうことは、休むための条件にもなりません。

 あなた方にも苦労をせるのは、すまないと思っています。しかし今のすまないことより、その時になってすまない立場になった場合を考えると、それが恐しいのです。

 今回のワシントン大会もそうです。もしこれが失敗したらどうなるだろうか、大きな問題が起きるのです。だから私にはその日のくるのがうれしいのではなくて、非常に恐ろしいことでした。

 ですからあなた方がそういう心情を持って一つになってゆけば、八十一年までは何とかして勝利の基台がつくられるのではないか、やっとできるのではないかと思います。そしてできれば一年でも前に、それを越えるような基準をつくったとするならば、それは世界に偉大な貢献をすることになるのです。その前に何とか犠牲を払っても、いかなる悲惨なことを見ても、それを進めて、そこまで到達させたいのが私の思いですので、あなた方が私の身代りとなって働いてほしいのです。

 摂理上最後の戦い

 その時峠を越えた場合、共産主義はもう下降しています。世界で私たちに反対するものはなくなっています。今の困難なこの世界と時代に、我々の何年間の活動によって新しい方向性と新しい理想圏が生まれる、という偉大な奇跡がいるのです。歴史的緊急事態に歴史的使命感にうたれる著者にならなければなりません。

 今度が最後です。復帰摂理歴史上の宗教活動において、これが最後の戦いで最後の戦いです。今日の世界情勢をみてもそうなっています。今は世界的主人がいません。個人においても自分の主人を失い、家庭にも社会にも主人がいません。いかなる国にも世界にも、主人を見失っているのです。その主人公を我我がとり戻さないかぎり、神の摂理は完成しないのです。

 だから励んでほしい、あとわずかの後に迎えるその日まで、辛くても、辛棒して後退せず歩んで勝利の旗を揚げて神に凱旋歌をあげるのが我々の使命であります。数は少なくとも、しぶいみにくい顔をするのではなくして、喜びと希望でもってこらえながらも、笑顔で勇みつつ、苦しみをし忍んでその目的に前進する姿は、神、天地ともに頼りとする者と思いまして、またそれが、神と歴史と、私とあなた方の願いと思いまして活動して下さいますように。では祈りましょう。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.15 20:27:09
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