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2022.11.21
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「私の責任」

1995年8月28日
真の父母様、世界文化体育大典、勝利祝賀集会
中央修練所


三十六万双国際合同祝福結婚式三日後の八月二十八日、幹部と食口たちに韓国語で語られた御言を翻訳し整理したもの。


  愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮から天国が出発

 生命の根本である愛が、どこから始まったかといえば、男性と女性が出会う時に始まるのではありません。結婚することによって始まるのです。

 結婚が何かといえば、男性の秘密、女性の秘密、陰がないものなのです。すべての暗い谷まで、愛でいっぱいにする立場が結婚です。ですから、結婚した夫婦は秘密があってはならないのです。今日、相当に秘密が多いでしょう。ぼろのふろしきを後ろに縫いつけておきながら、そばでは義人のふりをする者が多いというのです。そのようなものは通じません。

 男性と女性が一つとなるその場が、愛が初めて出発する王宮です。その国の民が出発できる起源と土台をつくったのが、王宮です。アダムとエバの家庭が、本宮なのです。
 愛することにより、凹凸を合わせることによって、愛の本宮が始まり、そこから男性の生命と女性の生命が合わさるのです。そのような愛の波の中の中央に、生命の種が植えられるのです。それが、子女だというのです。それゆえ、父母の愛に同参した者が、息子・娘なのです。何の話か分かりますか。(「はい。」)

 父母の愛に同参した者が、息子・娘だというのです。では、同参したその息子・娘とは何でしょうか。お母さんとお父さん二人の生命の、すべてのものを合わせて、種になるのですから、価値から見れば、お母さんの実であり、お父さんの実なのです。

 それゆえ、父母は、子供のために、未来の世界、より高く大きな世界を望みながら生きるのです。アダム家庭から、氏族、民族、国家、世界に発展する、大きな世界に発展できる出発地は、お母さんとお父さんではないというのです。

 歴史時代において、家庭を越えて、氏族、民族、国家、世界、天国まで連結するためには、アダムとエバではできません。アダムとエバの息子・娘から始まるのです。ですから、その息子・娘は、アダムとエバ二人を合わせた以上の立場にいる、未来の出発基盤になるのです。

 それゆえ、父母は子供のために生命を捧げなければならない、という論理が始まるのです。ですから、すべての父母がそうなのです。堕落した父母も、自分の子供のために生命を捧げるのです。息子・娘が死地に臨んだとすれば、そのお母さんとお父さんは、死の道を選びながら、息子・娘を生かそうとする立場に立つのが、本然の父母の道理なのです。

 今日、堕落した世の中では、その反対の現象をいくらでも見ることができるのです。アメリカのような所で見れば、自分が生んだ息子・娘を全部埋めて逃げ回るような、ありとあらゆることが起こっています。それは、悪魔の行いであり、神様の天地の大道を破壊させる行動です。

 ですから、息子を崇拝しなければなりません。息子・娘を殴ることはできないというのです。お母さんが息子に手出ししたなら、お父さんの体を犯すことになります。さらには、愛の起源である、神様を犯すことになるのです。それゆえ、どれほど厳粛な家庭であり、起源的な家庭かということを、皆さんは知らなければなりません。

 愛の本宮と、生命の本宮と、血統の本宮が一つとなり、息子・娘が生まれることによって、天国が出発するのです。地上天国出発と天上天国出発が、ここから始まるのです。これが壊れれば、すべてのものが壊れます。

 愛の王宮が破壊されたので、愛がどこにおいても生じることができず、生命の王宮が破壊されたので、生命がどこにおいても生じることができなかったのです。それゆえ、死亡世界に住んでいるのです。さらに、血統が壊れたのです。

 歴史が壊れたので、混乱が生じて、家庭自体が定着できる所がないというのです。男性・女性、息子・娘が定着できなかったのに、どうして家庭が定着しますか。今日の世の中は、起源的なこの基準が乱れて出発したので、すべては混乱世界として今まで来て、世界的な大混乱の環境の渦中に今、入っているというのです。

​  言語統一は宿命的課題​

 これを救うために、先生がブレーキをかけるのです。ブレーキ装置は、先生がもっているのであって、他の人はもつことはできません。ある国の大統領や、ある国の力をもってもできません。それはサタン圏です。長成期完成級の基準です。分かりましたか。(「はい。」)

 ですから、皆さんが、その愛の原則的基準に至っていれば、神様がアダム・エバのように教えてくれるのです。堕落しなかったなら、霊肉ですべて通じ、神様が現れて、お母さんのように、お父さんのように、対することができたのです。そして、神様が教育したその言葉が、アダム・エバの言葉となり、その言葉は人類の言語の出発となり、起源となったのです。

 その言葉が伝授されなかったのは、堕落のゆえです。本然の真の父母が来れば、これを代身して蕩減復帰して、伝授しなければならないのです。堕落した世界なので、救われるすべての人は、その立場に立たなければなりません。そうでなければ、今後、入籍をしたとしても、行くべき道に行くことができないのです。

 このような時代が来るので、リトルエンジェルス学校(仙和芸術中高等学校)をつくって、二世だけは、外国人でも母国語を学べる道を開くようにしたのです。すでに十余年前から、ヨーロッパのすべての子女たちを連れてきて、教育させているのです。

 真の愛、真の生命、真の血統をもった子女が生まれれば、その時は、言葉が二つではありません。堕落することによって、言葉の種類が生じ、破壊的な言葉となりました。神様が一つの理想的国家形態を、言語と文化を通してなそうとするのを全部破綻させるために、さまざまな言葉に分けたのです。さまざまな言葉に分けたので、さまざまな国が生じました。

 それゆえ、言語を統一しなければなりません。これは、いずれ誰かがしなければなりません。これは他の人にはできません。真の父母の名をもち、原理的な内容があるのでできるのです。真の父母になるというのは、これは蕩減的課題なのです。運命的課題ではありません。運命はこうしてもいいし、ああしてもいいのですが、これは宿命的課題なのです。

 宿命的課題というのは何でしょうか。お母さん、お父さん、その国の王権は宿命的です。それは、誰かが選挙でもって選択できるのではありません。それは絶対的です。誰も取り替えることはできません。お母さん、お父さんを取り替えられますか。取り替えることはできません。

 それと同様に、自分の新郎を取り替えることはできません。自分の息子・娘を取り替えることはできません。お母さん、お父さんを取り替えることができないので、そこで生まれた息子・娘を取り替えることはできません。ですから、その息子・娘が育った夫婦も、取り替えることができないというのは理論的なことなのです。

 それゆえ、今後、韓国語が分からなければ、この地を全世界が仰ぎ見ることのできるようになったとしても、この地に上陸できないのです。いくら祝福を受けた人だとしてもだめです。

 私が国際会議に行けば、真の父母の名をもちながらも、私が英語を話します。しかし、本来は、そうすることができないという事実を、皆さんは知らなければなりません。日本人も、私が日本語を話すからいいと言いますが、それは恥ずかしいことです。一方通行で行かなければならない、ということを知らなければなりません。(日本語と英語)

  「私たちの責任」ではなく「私の責任」

 さあ、私が一つ聞きますが、責任において、私たちの責任が貴いですか、私の責任が貴いですか。(「私の責任が貴いです。」)(「私たちの責任が貴いです。」)それを決定しなければなりません。

 責任といえば、私の責任もあり、私たちの責任もあり、私たちの国の責任もあります。私の責任時代が来て、私たちの責任時代が来るならば、私の責任を感じる人が、三分の一はいなくなります。半分以上いなくなります。私たちの責任という話をしてはいけません。

 統一教会の合同結婚式、私の合同結婚式、私の家の合同結婚式、どれがより実感がわきますか。はっきりと言いなさい。今まで、のらりくらりとやってきたので、時を送り、流れてきましたが、今からはだめです。

 私の責任が必要ですか、私たちの責任が必要ですか。(「私の責任です。」)「私たちの責任が必要だ」という者たち、手を挙げてみなさい。では、「私の責任が必要だ」という人、手を挙げてみなさい。

 今まで三十六万双結婚式は、統一教会の責任としてやってきたし、世界の統一教会の責任としてやってきたのです。それを「自分の責任だ」と思う人がいましたか。いましたか、いませんでしたか。(「いませんでした。」)そのような人は失敗者になりました。しかし、宣教師たちは、「自分の責任だ」と思ったので、このことが可能だったのです。

 宣教師という人、その国の代表たる人が、「私の責任だ」と考えたのです。「私たちの責任だ」とは考えませんでした。アフリカのある国の責任者は、国全体を代表した私なので、「私の責任だ」と考えたのです。「私たちの責任だ」と考えた人は、全部失敗しました。

 これが今度、飛躍的な行動開始において、超越的な使命完遂を前におき、前進する群れとなった証となる内容なのです。それが、一番重要な証の内容であることを知らなければなりません。このようにすれば失敗するのであり、このようにすれば成功するのだという、二つのうち一つを、はっきり分かりましたか。(「分かりました。」)

 遠い所に、勝利する基盤があるのではありません。問題は自分なのです。自分にあります。国家の失敗も問いただしてみれば、自分が誤ったからです。この私を拡大すれば、家庭の個人、国家の個人と、個人が、みな入っています。七千万韓国民族が、みな引っかかっていくのです。

 さあ、では、「私たちの責任」ということを中心とした題目で、話してあげればいいでしょうか、「私の責任」ということを中心とした題目で、話してあげればいいでしょうか。(「私の責任です。」)

 その責任を完成する秘訣は何でしょうか。簡単です。私の生命を懸けるのです。きれいに懸けるのです。父母が反対しようと、誰が反対しようと、全体が反対しようと私と関係なく、一方通行で出発と共に、終わりまで走るのです。その一言で、すべてがオーケーです。私はそのように思って生きてきました。誰に責任をもてとは言わず、誰が誤ったとは話をしません。

 きょう皆さんに話せば、悔い改めなければならないのです。それを転嫁したくありません。悔い改めることより、任せられた責任を私の責任として消化し、悔い改め以上の立場に立つことが、何かといえば、私の生命を差し出し、直行できる私の責任で決意したと言えることです。

 ですから、寝るのも、その責任完遂のために寝るのです。寝ないのもその責任のために、ご飯を食べるのもその責任のために、息をするのもその責任のために、その責任のために暮らすのです。人には、食べ、寝て、起き、行き、来て、良い、悪いの七種類があります。そのすべてを、この責任ゆえにしようと言わなければなりません。

 行くこと、来ること、良いこと、悪いことも、その責任のために私が一日を過ごせば、一日をよいこととして収めてくださるのです。一年を過ごしても、一年をよいこととして、私は勝利したというのです。天は知っています。神様は、うそなのか、どうなのか知っています。私がどれくらい幅を広げようとし、どれくらい高めようとするのか知っているのです。

 一番貴いものは何でしょうか。生命です。生命を懸け、責任を果たそうという時は、サタンが逃げていきます。エデンの園のアダム・エバは、生命を懸けることができませんでした。神様の御言に絶対服従、絶対従順し、絶対に愛すべき天命、天の戒律に、生命を懸けて従わなければならないのに、適当にしたのです。

 さあ、この時間に、皆さんが発見すべき重要な一つの表題は何かといえば、私の責任のために私の仕事をして、立派に死ぬ。だめなときは、生命を捧げてでも、行くことのできる橋となり、足場となる。私を踏みつけ越えていけ、というのです。息子がいるなら、息子に遺言をそのようにし、自分の兄弟がいるなら、兄弟に「私がこの御旨を果たせなかったので、兄さん、姉さん、お母さん、お父さん、このようにしてください」と、遺言を残しながら死ぬ人は、すべてのことで勝利することでしょう。

 そのような決意に満ちた、新しい私の責任を前提として、決意する皆さん自身となって、確信して、出で立つようになる時は、天下が移行するのです。そのような時が来ました。皆さんがそのような立場で、霊界を動員できる時代が来たというのです。

 先生も同じです。私が、天地が関係している根を引き寄せれば、すべて引っ張られてくるようになります。それを解き放てば、自分の位置に行って、押せば押すほど、それが死ぬのではなく、新芽として、どんどん伸びていくというのです。

 生きている存在は前進するのです。停止はあり得ません。停止は死亡と通じ、地獄と通じます。発展するところは、繁栄と天国に通じるのです。統一教会において停止は、私の怨讐です。

 エデンにおいて、アダム・エバが堕落するようになったのは、思考において停止してしまったからです。神様を中心として発展的に考えずに、停止する立場で、後ろを見たために堕落したというのです。停止は何と通じますか。(「死亡です。」)その次は? 地獄。

 今日、日、月、星を見ても、一年に一日も休みません。休みますか、動きますか。新しい日のために、前進するのです。したがって、それと一緒に同じ歩調を合わせる人は、発展するのであり、それと反対に歩調を合わせれば滅びるのです。

 そのようにして動くのは、何のためでしょうか。明日の希望のために、明日の理想的愛の世界のために、平和の世界のために、幸福な世界のためなのです。愛を除外した平和はなく、愛を除外した幸福はない、ということを知らなければなりません。

  宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ

 天国に入ろうとすれば、理想的家庭を回復しなければなりません。アダムの体と心が分かれ、エバの体と心が分かれ、この二人の夫婦は怨讐になり、その息子・娘には殺戮戦が起こりました。家庭で逆さまに打ち込んだので、今日、家庭で逆さまに打ち込まなくては、帰る道がありません。平和の基地がどこかといえば、国ではないのです。国をもって評するなというのです。

 「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」。これが先生の標語です。問題は自分にあるということをみな回避して、他の所にあるといえば、すべてのものは滅びていくのです。平和の基準は私からです。私の責任です。国の責任ではありません。

 前進的自我を発見して、前進的主体性を中心として、平和の基準は私から、幸福の基準は私から、真なる愛は私から、真なる祖国回復は私から、責任を完遂して死のう、と言わなければなりません。

 どこに行って死にますか。部屋の中では死ぬなという話です。木のてっぺんに登って、落ちて腹が裂け、お母さんとお父さんが探しにきて、(あまりにも悲惨で)泣くこともできないように死のうと、そのようでなければなりません。そうでなければ、はげたかの餌になって死ぬか、南の方に行って、ワニの餌になって死ぬか、そうしなければなりません。責任も果たせずに生きていれば、地がつばを吐きます。

 どうですか。気分が良いですか、悪いですか。今、まさに結婚した結婚式の次の日に、先生がこのように話すのを見ると、尋常ではありませんね。夢がみなどこかに消えましたね。夢が消えてもいいのです。夢が消えていけば、現実がよみがえるというのです。

 夢を忘れてしまいながらも、人間の力を尽くせば、事実の舞台が展開されるということを知らなければなりません。大韓民国の学生たちは、夢ももてずにいます。夢もないので、実際もそうなります。文先生以上に、夢を見た人はいません。違いますか。
 「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」。夢なら、すてきな夢でしょう。そのようなことを発見したので、今日、このようなことができるのです。

 それは私の責任です。生命を越えてでも実践しなければならないという話です。神様が妨げても、押しのけて進もうという話です。悪魔を足で蹴って、塀の向こう側に追い出して行こうという話です。お母さんとお父さんがおらず、国の王がいません。世の中で、自分の責任のために一番狂った王が、真の父母という人です。

 サタンの根が、何千万年前に打ち込まれたのに、それを抜いて清算しようというのですから、狂うにも、ほどがあるのではないでしょうか。狂人の王です。その狂人の王に、ついて行こうとするのですから、悪口をたくさん言われた統一教会の者たちなのです。

 さあ、皆さん、今まで統一教会をよく信じてきたと思いますか、信じてこれなかったと思いますか。(「よく信じてきたと思います。」)では、先生より以上に、信じてきたと思いますか、先生より信じてこれなかったと思いますか。(「信じてこれませんでした。」)

 先生自身も、よく信じてきたとは思いません。皆さんが言う、よく信じてきたという話は、正しいですか、間違いですか。先生も御旨の中を歩んできながら、足らなかったと思っているのに、よくやったと思うのだから、やあ! 神様よりも勝っていますね。違いますか。そのような歴史を知らなければなりません。

 「よくやった」という話を口でする日には、ストップするのです。地獄と敗者の道、滅亡の道が訪れるということを知らなければなりません。やっておいても、恥ずかしさを感じる者には、明日が訪れるのです。

 統一教会の人々は、みな偽物です。自分が本物だと思う人、手を挙げてみなさい。本物がいるなら、神様がどれほど喜ぶでしょうか。

 部落ごとに、自分が偽物だという人は一人もいません。南米に行ってもそうだし、どこかに行って誰かに会って、「偽物だ! と言えば、「あなたは何だ?」と言いながら、けんかをしようとします。そうかといって、本物かといえば、そうでもありません。目を見てもそうだし、手を見てもそうだし、みんな垢がべっとりとついていました。私の目で見るとそうです。このように、二階の目で見れば、それが見えます。ですから、先生は恐ろしい人なのです。

 祝福の相手を決定する時、数多くの人を、どのようにして選びますか。二階の目で見るのです。そうすると、路地裏に何があるのか、みな分かります。私は、そういうことを知っているとは話しません。

 そのような何かがあるので、滅びる世の中で、文先生は滅びずに生き残りました。それを認めなければならないでしょう。みな失敗する世の中で、失敗せずに成功してきたのです。このように行っても、足が行くのです。この世の人々は、わき道を行くと言いますが、そのように行くのが正しい道を行くことなのです。

 そのような何かがあるので、世界的な指導者になり、四十年の迫害の中で、カイン的世界の反対、家庭的世界の反対、氏族、民族、国家、世界全体が反対しましたが、そこで倒れることなく、生き残り、世界に対して反対に打ち込みました。今や、世界版図を造成していく中心的な存在が文総裁であり、真のお父様だというのです。

 自分の責任のために生きるのであって、人の責任のために生きない、という人は、主体性を備えた人です。その人は、間違いなく主体になるのです。必ず、この地上で生きる中で、残っていくでしょう。

 文総裁は、「神様も、私のために生きろ」と言うのです。そのような失礼で、無礼な言葉がどこにありますか。「天地を創造したあなたも、私のために生きなければなりません。あなたの愛の理想は、私の手を経なくてはできません」と言う時、神様が笑うでしょうか、深刻でしょうか。「こいつ、なぜだ?」と言う時、説明をしなければならないのです。説明をして、「そうですか、そうでないですか」と言う時、神様は威信があるので、目を閉じて答えるのです。そのような道を開拓した文総裁です。

 みんな、御旨の前でプラス的なことをしたと思いますか、マイナス的なことをしたと思いますか。個人的に成功したとしても、家庭的に失敗すれば、個人が成功したものも、すべてなくなるのです。家庭的に成功したとしても、氏族基準で失敗すれば、すべてなくなるのです。

 「氏族的メシヤの使命を果たせ」と言ったのに、果たしましたか、果たせませんでしたか。(「果たせませんでした。」)果たせなかったなら、私を見て答えればいいのに、なぜあっちを見ながら答えますか。そのようにして、許されると思いますか。先生をまっすぐに見て、そうならば許しを受けますが、後頭部にサタンを置いて、恥ずかしがりながら答えるのですか。人は率直でなければなりません。率直は、正義に通ずるのです。

​ 私の責任のために生きる​

 さあ、結論をすべて出しました。他のどんな言葉も必要ありません。
 私の責任のために私が生まれ、私の責任を果たすために統一教会に入り、私の責任を果たして統一教会を誇るために、私は私の仕事を誇っていくのだ。そのためには、生命を懸けていく。私の前に立つ者はいない。その人を乗り越えれば、私はまた乗り越えるだろう。幾峠でも乗り越え、最高の記録を残す一番の王子になろう。(「アーメン! )そのような時は、「はい! と言わなければなりません。(「はい! )このように幼子になってこそ、天国に行くと言いました。

 どうやっても、私の責任のために生きよう、その決心以上にやりなさい。「三百六十万双を私がやる」と言わなければなりません。先生は、そのように考えるのです。皆さんを信じません。皆さんが失敗しても、私が失敗しない道を、私がみな準備しておきました。皆さんを成功させるために、その準備しておいたものを、使わないようにしようと思います。すべて、つくっておきました。

 今、先生が何をしているか、世の中は知りません。悪口を言われ、滅びる文先生だと思っているのであって、このようになるとは思っていたでしょうか。もし、三百六十万双の結婚式を一年もたたずにやったならば、世界がどうなると思いますか。

 私自身で、すべてのことを解決しよう、という主体性をもち、投入して忘れ、投入して忘れ、努力して忘れるのです。「ああ、私がこのように努力したので、これで私が天国に行ける」と、考えるなというのです。

 文総裁は、自分の仕事だと考えました。自分の仕事として考えたので、主人は誰ですか。人の仕事をすれば、絶対に主人になれません。歴史を創造する、個人の主人、家庭の主人、氏族の主人、民族の主人、国家の主人、天地の主人。神様でさえもそれができないために、私に従ってくるので、私を主人にして神様も解放し得る仕事があるということは、理論的な結論にならざるを得ないということを知らなければなりません。

 さあ、このようなことを知るようになる時、私の仕事としてやりますか、あなたの仕事としてやりますか。(「私の仕事としてやります。」)問題はここにあるのです。文先生が今まで滅びなかったのは、そこにあるのです。誰より誠心誠意を尽くし、掘っても深く掘り、広さも広くし、高くはしごをかけて、すべて自分の仕事として考えたのです。

 「私でなければだめだ」という考えをもち、神様のように投入し、忘れるのです。結果は、十年、二十年後であっても、来るようになっています。

 早く結果を望む人、早い結実を望むならば、植えた根が浅いのです。大きな木にはなれません。神様が数千万年忍耐しながら、その根を打ち込み、数千万年かけて植えた根は、数千万年以上たっても抜くことができないというのです。

 では、成功を早くするのがいいですか、ゆっくりとするのがいいですか。早くすれば、自分の目の前の平面しか分かりません。ゆっくりしたとしても、早く結果を願う、何十倍以上を投入しながらやる人は、絶対滅びる道理がないのです。

 私の責任を果たすために生まれましたか、人の責任のために生まれましたか。(「私の責任です。」)そうです。学校に行くのも、私の責任です。ご飯を食べるのも、私の責任です。大きくなるのも、私の責任です。私の責任でないものは、一つもありません。話すのも、私の責任を完成するためです。努力も、私の責任のためにするのです。それを否定できません。

 その中で一番貴く、一番価値あるものが何でしょうか。私の仕事ではありません。公的な仕事の中で中心となる、神様の仕事です。その神様の仕事は、私よりもっと大きなものが中心となるのです。私より家庭が中心であり、家庭より民族が中心であり、民族より国家、国家より世界、世界より天宙、天宙の上に神様がおられるのです。いっそう大きなもののために、それを私の仕事として働く人は、いっそう大きな世界を相続する、第二の主人となるのです。

 神様は、人間世界の復帰路程には投入できません。ああ! 私はそれを知って、どれほど気分がいいか分かりません。神様は投入できません。アダムが分からずに堕落したので、アダムはいくらでも投入することのできる資格があるのです。今日、文総裁の名のもと、世界的版図をもち、世界が両手を挙げて、叫ぶ万歳の声が、泰山を越え、海を渡って、太陽の光を覆うことのできる日が、遠くない将来に来るだろうと思います。

 このような日が目前に来たということを知る時、私の責任というものを強要する先生の話を聞き、一度走ってみますか。走るのは、目標に向かって走るのです。目標を中心としていう時に、走るといいます。よく走る人になりますか、よく飛ぶ人になりますか。(「飛ぶ人です。」)

​  愛が所有権を決定する​

 今日、家庭で見る時、サタンが神様に「神様、あなたは宇宙の創造主であるにもかかわらず、全知全能であられるお方が、失敗者になりませんでしたか?」と尋ねるのです。そうすると、神様が何と言うでしょうか。「いや、私は成功者である」と言うでしょうか。「おまえの話は正しい」と考えるでしょうか、「おまえの話は違う」と考えるでしょうか。間違いなく、「おまえの話は正しい」と考えるのです。

 それは、どういうことでしょうか。ご自身が愛する息子・娘、未来の自分の妻となり、自分の夫となりうる体、自分の体としてつくったものを失ったのに、その失ったものをそのままほっておくことはできません。失ったのは事実です。では、負けた者は、勝者の前にひざまずき、降伏をしなければなりませんか、しなくてもよいですか。しなければならないのです。

 悪魔は、何と言うかといえば、「あなたが先に愛さなければならないのに、私が先に愛したので、男性という体と女性という体は、私の体であり、私のものである。それが事実か、違うか」と尋ねる時、「事実だ」と答えるのです。

 ある町で、いくら美人であり、いくら立派な博士だといい、世の中の名門職の立て札をみなもっていたとしても、その女性が、あるならず者に愛の体を許した時には、誰のものになりますか。ならず者の体になりますか、王子の体になりますか。ならず者の体になるというのです。

 愛は所有権を決定するのです。それゆえ、「私が所有を決定したこの権限は、偽りの種をまいたとしても、人類が終わる日まで、これは私の版図であるので、私の実が世界版図に公開化される時までいかなければならない」というのです。

 そのエデンの園の不倫なる愛が何かといえば、フリーセックスです。自分勝手にするのです。そこには規定もなく、主人もいません。そのようにまいたので、終わりの日には、そのような世界になるのです。ですから、「女性という体、男性という体が、神様の前に帰ることができるものが一人もないようにする特権が、私にあるのを知っていますか?」と、神様の前に忠告するのです。ですから、神様が「違う」と言えますか。

 聖書でもそうでしょう。田に稲を植えるのに、毒麦を植えました。主人が、まきもしなかったのに出てきたので、その僕たちが来て、「毒麦を抜きましょうか」と言うと、「いいえ、収穫してふいごに投げる時までほっておけ」と言うのです。ですから、まいたとおりに種がおしまいまでいって収穫できる、その版図になっているので、終わりの日には、全世界に青少年混乱時代が来るのです。青少年、中年、青年、全部が堕落してしまいました。ここ韓国も、みなそうでしょう。妻を信じることができません。

 離婚を、なぜこのように許すのかというのです。そうしなくては、帰る道がないというのです。そのようなことを、全部知らなければなりません。

 そして、フリーセックスがまん延し、終わりになってみると、アメリカの女性、日本の女性、十余か国の女性たちが、そうしてみると、それ以上はないのです。何の面白さがありますか。それはやっても、良心がだんだん麻痺するので面白くないのです。それより、半分酔った幻想世界の愛に一度つかってみたいと、麻薬を吸い、その世界に入って、酔って暮らすのです。ですから、半分狂人になって暮らすのです。

 人には情欲というものがあって、男性も女性も情欲を満たそうとするのです。それを水平にしなければなりません。それを満たすことのできる道がないので、ホモが現れ、レズビアンが現れるのです。女性と女性で結婚するという話です。女性と女性が結婚すれば、何をもって慰労してあげますか。男性同士で、慰労になりますか。どんどん方向だけそれていくのです。なぜ笑いますか。笑わずに反省をしなさい。このように露骨に話すのは、露骨な問題を露骨に話さなければ正すことができないので、露骨に話すのです。

 そこは何でしょうか。本来、愛の王宮です。王が生まれる場です。アダムは誰かといえば、家主です。家主であると同時に、家庭の王です。主人と王の立場に立っているのです。これが大きくなれば、アダム・エバはたった二人ですが、アダム・エバの息子・娘は十二人の息子、三十人の息子でも生むことができるので、横的に十二の方向をみな備えることができるのです。孫まで見ることができるのです。神様は一人をつくりましたが、アダムは、十二人をつくることができるというのです。神様より偉大な、平面的な神様になるというのです。
 それゆえ、神様の失敗は何でしょうか。孫を見られなかったことです。神様が一代、アダムは二代、孫は三代ですが、その三代を見ることができませんでした。孫は、多いのがいいですか、少ないのがいいですか。アダムは自分の息子・娘を、何十名も創造できるので、神様よりも偉大なのです。それで、息子・娘が多いほうがいいですか、少ないほうがいいですか。(「多いほうがいいです。」)

 見てみなさい。ヤコブの息子・娘が何人ですか。十二人です。十二子女がいいですか、三子女がいいですか。(「十二子女です。」)なぜ、十二子女がいいですか。(「多いからです。」)多ければ、なぜいいかというのです。

 十二人の息子がいてこそ、一人の息子から零点として、十二方向を回ってくることができるのです。正月の月から、十二月まで行って、再び正月の月が現れることができるのです。これが狂ったら、ここから反対に行くようになれば、正すことができるのです。それが、神様の救援摂理の骨子になっています。

 これが一つのモデルになっているので、ヤコブは十二人の息子、モーセは十二支派がいました。十二の息子を中心として、支派も十二支派に合わせなければなりません。イエス様は十二弟子、百二十門徒。こうでなければなりません。家庭的十二数、民族的十二数、国家的十二数を一致させてこそ、蘇生、長成圏を越えていくのです。そのような数の代表が、十二数です。その数を中心として、世界民族を全部収拾するのです。

 ですから、皆さんも、十二人の心を一致させることのできない人は天国に行けません! イエス様が十二弟子を一つにしようとして失敗しませんでしたか。正月から十二月まで回らなければなりません。誤って回ろうとすれば、第二回は大きくなっていくのです。一点を通じて回れば、どんどん大きくなるのです。その出発点が家庭なのです。

  四大心情圏の伝統的な基準

 家庭には、子女がいて、兄弟がいて、父母がいて、おじいさんがいます。これを拡大させた世界には、息子・娘がいて、世界兄弟がいて、世界夫婦がいて、世界父母がいて、世界祖父母がいます。この特殊なモデルが家庭なので、家庭において真なる息子・娘は、真なる世界の息子・娘と兄弟をもつことができるというのです。堕落しなかったなら、そのようになるのです。みな訓練になっています。

 真なる息子・娘となり、真なる兄弟になり、真なる夫婦になり、真なる父母になったので、これを拡大した世界版図のどこの国でも、この四種類になっているのです。
 それゆえ、私は何を必要とするのでしょうか。父母、妻子、兄弟、子女です。みなそうでしょう。これが、四大心情圏のモデルの伝統的な基準です。

 これをこのまま拡大するのに、方向がみな合わなければなりません。十二数が食い違えば、だめなのです。蘇生、長成、完成で、国家基準まで越えなければならないのです。

 統一教会の私たちのお母様は、十三人を二十年の間に生まなければ、お母様の責任を果たせないのです。お母様、来ていますか。拍手を一度してあげなさい。(拍手)

 誰でも、あなたの願いは何かといえば、父母をもつことであり、妻をもつことであり、兄弟をもつことであり、息子・娘をもつことなのです。これが永遠に、永遠に、それでもいいという人、手を挙げてみなさい。本当にそうですか。それなら、統一教会を信じる必要がありません。そのように暮らせばいいのです。

 それを知らずに暮らすので、地獄に行き、悪いほうへ進むのです。このように絶対的に暮らす人は、霊界に、お母さんとお父さんが共に行くのであり、夫婦が共に行くのであり、兄弟が共に行くのであり、子女が共に行くのです。分かれられません。分かれるようにしたなら、神様は破壊的なお方になります。完成と理想国家、理想天国を形成できないというのです。理論的に、これを否定できないということを知らなければなりません。

 統一教会では、夫婦喧嘩をしろといってもできません。私も若いお母様を迎えて、いい日ばかりではありません。だからといって、そうできません。誤れば、根本がすべて乱れます。お母様がいなくなれば、相対がいなくなります。お母様は一人しかいないのであって、二人ではないのです。

 その お母さん というのは、夫婦となった後になるものです。その夫婦は、兄弟を通してなるのです。その兄弟は、子女を通してなるのです。一つも取り除くことができません。無視すれば、分かれることになり、破壊させなければならないのです。一つの定着できる中心的軸が生じません。いいかげんに扱えないのです。

 お母さんは完成した子女の実体です。私の実体です。兄弟の実体です。相対の実体であり、お母さんの実体です。未来のお母さんとして、今現在より何十倍も立派なお母さんをつくるためには、為に生き、また為に生き、また為に生きて投入し、忘れるようにしなければならないというのです。堕落した世界に残された各自の責任分担が、そのようにもつれたということを知らなければなりません。

 ですから、出発をうまくしなければなりませんか、下手にしなければなりませんか。(「うまくしなければなりません。」)偽りの父母から出発して、このありさまになったので、真の父母が教えてあげるのは、他のことではありません。

 真なる父母はこのようなものであり、真なる夫婦はこのようなものであり、真なる兄弟はこのようなものであり、真なる子女はこのようなものだということをはっきり知り、その公式のとおりにすれば、すべてのことがオーケーとなり、私が主体なら、相対は永遠に私と共にいるようになるというのです。

 このような夫婦になれば、これは縦的、横的基地に神様が降りてきて、神様が核になるのです。ですから、二重になります。皆さんの心が全部、このようになっています。二重になっています。すべての細胞から全部、二重になっているのです。

  怨讐の子供を自分の息子のように愛する

 男性は生殖器を千年万年、守る主人にならなければならず、女性はその生殖器を千年万年、よく守る女性になれ、と教えるのが文総裁です。これを間違いなく守るようにし、そうする責任を負わせた人が、真の父母の名をもった父母であるというのです。

 真の父母とは簡単です。浮気者の女性と男性を連れてきて、浮気をしない、絶対的に貞操のある男性と女性をつくることのできる力をもった人が、真の父母なのです。

 この男性は、酒を飲んで浮気をする見込みが多いですね。目が半分、力がありません。このような男性は半分寝ています。そのようなことを私はすべて知っているので、相対を結んであげることができるのです。そのような人には、目をしっかり開いて、夜寝ずに見守ろうとする人を結んであげてこそ、バランスが合うのです。

 それゆえ、三年だけ一緒に暮らしてみなさいというのです。東西南北、私を中心として三数になりさえすれば、私に返ってくるので、その時になって、「あの女性は、私に絶対必要だ。あの男性は、私に絶対必要だ」ということが分かるようになるので、そうなれば、一緒に住むなといっても、一緒に住みたくなるのです。

 こうして、根を張り、巣をつくって子供を生めば、堕落しない息子・娘が生まれると思います。夢と理想的な内容を中心とした解説を、文先生がしてあげるのです。これは解説ではなく、事実を話しているということを知らなければなりません。(アーメン! )

 私の妻をつくるのです。私たちの妻をつくりますか。今日、フリーセックスの世界で、私の妻がいますか。私の息子・娘がいますか。愛を中心とした、私の息子・娘がいません。私の父母がいません。全部サタンによって崩れたものを、私の手で清算するのです。伝統とすべての歴史を引っ繰り返して、百八十度回すのです。百八十度回らなければならないのです。

 アダム家庭から闘いで分立された歴史なのです。体と心が闘うことによって、このような二重に対峙する人類の歴史が分かれてきたのです。闘いによって、人類歴史が編まれてきたのです。体と心が闘い、アダム・エバが闘い、息子・娘の殺戮戦が始まった起源が、家庭なのです。

 そこで出発した世界が、闘いのない世界になれないというのは、理論的なことです。この根を抜いてしまわなければなりません。これを抜くためには、真の父母が現れなければなりません。真の父母がこれを抜いて、全部燃やさなければならないのです。

 これを助けてあげようと、接ぎ木するのです。接ぎ木するには、野生のオリーブの木に、真のオリーブの木の芽を接ぎ木するのですが、真のオリーブの木がありません。世の中には、真のオリーブの木が一つもないのです。

 それゆえ、真のオリーブの木として来られるのが、メシヤなのです。そのメシヤは一人です。ここから芽接ぎをもっていって接ぐのです。何千年の木を切り、無視し、完全否定し、実を幹を切り、燃やしてしまい、肥料にしてまいてしまうのです。そうしてこそ、堕落はしましたが、本然的な真のオリーブの木の実に従って、天の国の倉庫に入れるのです。

 天の国には、真のオリーブの木の実が入るようになっているのであって、野生のオリーブの木が入るようにはなっていません。ですから、堕落したこの世の中に、メシヤが来なければならないというのです。救世主が来なければなりません。それで、大きな宗教は、みな再臨思想があるのです。

 真の父母が現れたので、統一宗教が現れるのです。統一教会です。体と心を統一し、夫婦を統一し、子女を統一し、氏族を統一し、そのような種をまいて、数多くの氏族が生じるのです。十二の氏族を合わせれば、民族になるのです。十二の民族を合わせば、国家になるのです。十二の国家を合わせば、世界になるのです。

 真の父母がいなければ、真のオリーブの木が現れません。真のオリーブの木が現れて接ぎ木をして、同じ実を倉庫に入れることができるのです。神様が、真のオリーブの木として収めたものと同じものを、倉庫に入れることができるのです。そこが天国なのです。天国というのは、神様の血族となり、神様の息子・娘の内容を備えずには入れないのです。堕落した後孫は、悪魔の後孫なのです。

 なぜ、神様が復帰摂理において、このように長い歴史を経たのでしょうか。このように尋ねるとき、答えることが難しいのです。なぜでしょうか。

 愛の怨讐が悪魔です。姦夫です。姦夫の種が打ち込まれました。これを、自分の息子・娘のように愛せというのです。自分の息子・娘のように愛さなくては、復帰路程が始まりません。堕落した人間にもできないのに、本然の本心をもった神様が、そうする道理がありません。創造主である神様が、想像もしなかったことをせずには、戻すことができないのです。

 では、どうしなければならないでしょうか。自分の側にいる人の血を流させ、神様は数千万回、痛哭して、痛哭の痛みが傷となって、本然の悪魔の怨讐の血族だ、ということを忘れるようになったというのです。「あの子供は、怨讐の息子ではなく、私の息子だ」、これが神様の心情なのです。

 死ぬようになれば、その息子をつかんで、実際の自分の息子以上に、痛哭し得る心の姿勢を見いださずしては、この地上に救援摂理の天国を取り戻すことはできないというのです。九八パーセントまで行っても堕落したエバ、誤った悪魔の愛を通して奪われた息子・娘、愛の怨讐の子供を、神様は自分の息子のようにすることにおいて、九八パーセントまで行くのです。何千万回するのです。

 今から四千年前に、全知全能の神様の救援摂理が着地をしたのかと、神学者たちに尋ねてみろというのです。知らないのです。

 怨讐の息子、愛の怨讐の血を受けた子供たちを、自分の息子・娘以上に愛することのできる、その本然の基準とならなければならないのです。天国は、自分の息子・娘が入るのです。天国は、自分のすべての愛で愛した人が、入るようになっているのです。そのように愛することのできる因縁を見いだすことができなければ、天国に入り得る人を見いだせないので、この過程を追求するために、数千万年かかったというのです。

 人類歴史は、数百万年でなく、数千万年です。創世以後、数千万年、人間の救援摂理をした神様に、「なぜ、四千年前に地上に着地して、選民を立てたのですか」と言えば、答える道がないのです。

 本然的息子・娘の血肉を通して生んだ子供のように愛することができるように、何千万回、上がり下がりするというのです。

  怨讐を愛する道

 自分の責任に帰りましょう。堕落させたのも私です。女性はエバの代身です。私を見いだせなければ復帰ができません。堕落時にアダムが誤りました。私です。それを知らなければなりません。堕落は、私たち二人の夫婦が誤ってなされたのです。祝福を受けてからは、私たちの家庭に、サタンは寄りつくこともできません。

 みな知っているので、口を開けられません。一気に蹴ってしまうのです。答えられなければ退かなければなりません。

 私についてくる、ありとあらゆる女性がいました。それで、鍵を二つかけて寝ました。私が悪い人なら、世界で一番悪い人になるはずですが、悪い人ではありません。落ちぶれていく女性たちを助けてあげようと、そのような難しい道を築いてきたのです。お母様を通して女性解放を宣言したのが、私です。

 サタンが、偽りで家庭を出発をしたこと、すべて滅ぼしたものを、真のご父母様が現れて、再び神様の名で、反対する場において結婚を百八十度回るようにしました。それによって地獄と天国が分かれるのです。天国とは、家庭で入るということを知らなければなりません。

 エバは三人の夫を殺しました。アダムを殺し、イエス様を殺し、再臨主を殺しました。ですから、罪が多いのです。これを一つにしなければなりません。

 先生のお母さんは、統一教会のあらゆる父母や信者以上に先生を愛しました。そのような父母を後にし、一言も原理の御言を語りませんでした。神様がサタン世界を救援し、新しく完成した世界の内容を教えてあげる前には、神様は自分の息子・娘を愛することができないのです。これは結果主管圏です。結果主管圏には、神様が降りてくることができません。

 アダムに降りてくることができたならば、神様がアダム・エバを堕落させはしませんでした。結果主管圏内で、父母を愛し、それを重要に思い、一番にすれば、原理結果主管圏を無視してしまうことになるのです。そうなれば、直接主管圏の位置がずれていくのです。そうなれば、未来に、天国建設という理念があり得ません。

 一番愛する人を一番端に置き、彼らを全部愛し、彼らのすべてが、そのお母さんの一族を望みながら、自分が救われることより、先にすることのできる心情運動が、地上で生じることによって、自然屈伏できる立場で、長子権が復帰されるのです。

 ですから、神様は、一番近い側にいる人たちを、個人的に犠牲にさせ、氏族、民族、国家、世界的に犠牲にさせてきた、ということを知らなければなりません。

 自分の父母より、兄さんより、怨讐の子供たちをより愛さなければならないという、この道理の道を行くので、あぜんとするのです。

 夜を明かしながら、この偽りの者たちに、ありとあらゆる話をするのです。日ごとに私に似ろといって、この舌が八十歳になるまで、一日も休んだことがありません。怨讐の国、日本の女性まで十七万八千名を連れてきて、教育しました。

 霊界の秘密を、全部教えてあげなければなりません。このようなことを教えてあげるので、反対したとしても押していくことができるのです。サタン世界の女性たちをお母様よりも愛した、という条件を立てたので、お母様を初めて立てることができるのです。

 それで、お母様が勝利したので、三次のアダムの相対は、一次のアダム完成を指向して、三代が完成するようになったので、イエス相対復帰、アダム相対復帰基準に立てて、歴史は分かれましたが、今になって全部連結させるのです。絶対服従しなければなりません。

 心情的な立場で、自動的に順応できる論理的、理論的体制の上で、サタンの前に解明し、神様の前に解明して、神様も公認し、サタンも公認した勝利的覇権基盤を、理論的に築かなくてはならず、実体的に成就させなければ行くことができないのです。これが復帰の道です。適当にはできません。一寸ずれてもいけません。水すら漏れても、ばらばらになっていくのです。

 終わりの日に、これを残してあげるためには、淡水が流れるサタン世界の水のような所に、朝潮の水が入ってくるのです。蘇生、長成の国家まで埋めましたが、世界まで埋めることのできる、朝潮の水が入ってくるのです。朝潮の水が入ってきて、地獄の裂け目がある所を、訪ねていくようにするのです。これが、今度の祝福なのです。

 そのような意味で、統一教会はサタン世界を消化できますが、今までの既成の宗教は、統一教会を消化できません。門さえ開けば、海の水に浸るのです。聞きさえすれば、溶けていきます。賢い人は、誰の話を聞きますか。お母さんとお父さんの話は聞きません。先生の話を聞くのはなぜですか。アメリカのような所では、文総裁のようなアメリカの指導者が必要なので、文総裁の写真を持って歩く若い青年男女たちが、たくさん生じているのを知っています。

  よい後孫を残すために

 コディアックに行けば、サーモンが五千マイルを彷徨して、時になれば、いつ約束をしたのか、オスがまず来て、二週間待ちます。卵を産む期間が二週間です。オスは、卵を産むために来るメスを迎え、保護するのです。海では、模様がメスもオスも同じですが、メスを抱くようになれば、ライオンのようになるのです。口がこのようになり、背中がラクダのようになって、見ただけで身の毛がよだつようになって、誰かが来れば、生命を懸けて攻撃するのです。そのような夫が必要でしょう。

 それを見る時、五千マイルを、海で自由に行動していたのが、どうして、その二週間に合わせて来るのかというのです。そしてまた、なぜ自分の父母が産んでくれた場所に来て、子供を産むのかというのです。

 アラスカは寒いのです。夏に行っても水温が低いので、落ちれば死にます。血が固まって死ぬのです。ですから、そこにどんなエビがいますか。食べるものがないので、仕方なく自分が死んで、自分の体を子供に食べさせ、冬を越え、数か月過ごさせ、海に行かせるのです。愛を求めて、五千マイルを還故郷するというのです。

 堕落した人間が、それを知らないということを考える時、レバレンド・ムーンがそれを考える時、これは統一教会の文教主より立派な動物だと思うのです。魚の中で、そのような魚がいます。

 また、そのような鶴がいます。また、雁は後孫のために、いい子供を産むために、渡り鳥になって飛んでくるのです。ツバメもそうではないですか。南方はいつも夏なので、そこに行けば、どこに何があるということを、みな知っているにもかかわらず、春の季節の寒い時に来て、餌も探さないと食べられない環境を、なぜ訪ねてくるのかというのです。

 ですから、子供のために大陸を渡り、大洋を渡るのを見る時、私たちが真なる愛の相対を得て、後代万民の前に誇りうる血族を残すために、南極、北極を入れ替えて、そのすべての気候に打ち勝つことのできる、相対的関係を中心として、その血が勝って余り得る子供を生めば、寒い地方にも行って暮らすことができ、暑い地方に行っても暮らすことができるというのです。

 先生もそのような面で、北極に行っても生き残り、南方の暑い所に行ってもよく耐えるのです。刑務所生活をしながら、すべて準備したのです。

 息子・娘、よい後孫を残しておきたいですか、悪い後孫を残しておきたいですか。そうするためには、よいことだけを願わず、監獄に入って、拷問に遭って血を吐き、泣いたりわめいたりしなさい。血肉と骨にまで及ぶのです。そうなれば、そのような血統をもった、息子・娘を生むことができるのです。

 先生はそのような気がします。私たちの息子・娘を見ると、全員が私よりも背が高いのです。息子は、全員、私よりもこれくらい大きいのです。お母様は、胸くらいにしかなりません。息子を見ると、がけの下から白頭山を見るように見えるのです。それを見ながら、お母様はニコッと笑うのです。おや、本当に笑っています。(笑いと拍手)

 ですから、統一教会は、南方でも酷暑の地に行っても倒れません。北極の氷河でも倒れません。熱帯地方でも倒れないのです。そうなり得る男性と女性を残してこそ、世界のどこに行っても、体力的にも、精神的にも、主人になり得る資格があると見るので、統一教会の人々は、北極にいる人と熱帯地方にいる人を、反対の世界に往来させながら働かせるのです。

 今度、二世を祝福する時、私は驚きました。そのお母さん、お父さんより劣っていますか、優れていますか。(「優れています。」)本当ですか。話は聞いたでしょう。(「はい。」)

 本当に優れているのです。私は気分がよかったのです。私は悪口をたくさん言われながら、結んできましたが、その子供たちがいいので、統一教会の未来には、希望が芽生え、絶望は消え去るというのです。アーメン! (「アーメン! )

  深刻であった三十六万双の祝福

 三十六万双の祝福のために、血と汗を流し、八月二十五日が来るのが、どれほど恐ろしかったか知れません。私がワシントン(大会)に対した、それ以上の心情でした。天の前に宣言した威信と体面が、ここで壊れていくか、跳躍するかという話です。深刻でした。

 あなたたちは眠り、ありとあらゆるふるまいをしましたが、先生は眠ることができませんでした。神様が保護してくださり、先生を愛してくださったので、なされたのです。寂しく悲惨に生きた、文なにがしに同情する神様がいるので、超過達成をしたのです。

 三万双から三十六万双は、十二倍の数です。今、三十六万双から三百六十万双の十倍は、みなできるのです。鐘が鳴る音が、地の果てまで聞こえます。

 この世は今、エイズやフリーセックスによって、毒蛇の口に手を入れるような、危険な時代です。美男子を求める女性は、すべてエイズにかかり、美女を求める男性も、すべてかかるようになっているのです。これは、生きて地獄に直行するのです。これを防御する道はありません。純潔を守らなければならないのです。これを理論的には考えるのですが、実際にそれを成就しようということは夢にも考えません。

 永遠なる世界、永遠なる天国があることを知り、その天国が本郷の地であり、それが主体であり、私が対象者の立場にいるということをはっきり知り、この対象的価値の実体として完成するのです。そうする時、永遠の神様と天国が、私のものになるというのです。

 これは私の仕事なのです。私の責任を果たすのです。神様の仕事ではありません。神様も、文総裁も、全部あなたたちが自分の責任を果たせるように、協助をするのです。自分の責任のために苦労した、ということを知るのです。

 そのご父母様の前に、神様の前に、千年万年、事情を抱き、耐えに耐えて解放の一日を待ちこがれた、そのことが成就された旗を掲げて進む群れを、神様が妨げる道理はありません。「前進! 前進! という所は、万事を保護してくださるのです。(拍手)

 ですから、祝福を受けた人は、氏族的メシヤとして、父母の名で派遣するのです。イエスは氏族的メシヤではありません。国家的メシヤの称号をもち、宿命的な父母の責任を果たせなかったのです。父母の責任を果たせなければ、死んででもなさなければなりません。死んだイエスは天国に行くことができませんでした。楽園に行って待ったのです。

 天国は、相対理想である家庭を率いて行かなければならないのです。それが本然的な創造理想です。家庭を失ったでしょう。これを理論的に否定できません。それで、すべての宗教の指導者たちが、文総裁の御言の前では、みな決意を表すのです。

 さあ、皆さん、各自決意をしなさい。数千万年の神様の恨み、真の父母の恨みを解くために、血肉をえぐった怨讐をおいて、復讐しようと、祈祷した人がどれほど多いでしょうか。私は、復讐に対する祈祷をすることはできません。救ってあげなければならないというのです。

 私が真の父母になろうといって、このようなことをしたのではありません。全部、皆さんが、霊界から「真の父母だ」と教えられて、「真の父母だ」と言うのではないですか。私が教えてあげましたか、霊界から教えられましたか。(「霊界から教えられました。」)それは間違いないのです。

 霊界から「統一教会を利用しろ」と教えられましたか、「死ぬほど忠誠を尽くせ」と教えられましたか。(「死ぬほど忠誠を尽くせと言います。」)生き残ったことが怨讐です。死ぬほど忠誠を尽くそうと、決心した人たちなので、死ぬふりだけでもできるように、私が追い立てなければなりません。それが、正常な教主としてなすべき義務なのです。異議がありますか、ありませんか。(「ありません。」)

  愛、生命、血統、良心は結婚によって連結される

 私は今とても忙しいのです。あさっては米国へ入り、五日からニューヨークなど十六州の講演ツアーが始まります。お母様は日本へ行き、私は米国へ行き、先生の息子・娘たちは、昔韓国でやったように、お母様、お父様の代わりに、米国の各州へ行って活動します。こうすることで、家庭的運動として展開させていきます。お父様の御旨を子供たちが助けて、国を生かす運動をするというのです。この統一教会の伝統は、ほめられなければなりません。

 すでに、南米は終わり、今度の米国が終わると、次はアジアです。アジアでも、十六か国の講演ツアーを計画しています。

 これは、韓国の宣教師たちが全部配置されていて、百六十国家を中心として先生の代わりに、先生の御言の内容を放送などを通して、すべて伝えてあげなければなりません。このようにして、真の父母は、特定の国の父母ではなく、すべての国の父母にならなければいけないので、その国に足を踏み入れ、最後の御言を通告してあげなければならないのです。

 今度の講演の内容は、人間の根本問題についてです。これまで現れた聖賢たちは、外的なことを治める方法は教えましたが、自分自身を治める方法は知りませんでした。

 心と体が一つになるべきであるという内容は、真の父母しか言えません。真の愛を中心として、すべてを解明してから言う内容なので、これを聞いた人たちは、みんな深刻になり、開いた口がふさがりません。これを全世界に発表しなければならないのです。

 ですから、私が行く前に、このことを世界の百六十国家に、先生の声、主体の声を相対的基準にして連結します。そして、地上と天上世界にハイウェイをつくれば、すべてが通じるのです。

 次回、三百六十万双以上の祝福が行われれば、統一教会で結婚式をする必要がなくなります。宗教がなくなるのです。私の今の説教は、堕落によって宗教が生まれたので、その宗教がなくなるという内容です。宗教がなくなったら、何をすればいいのでしょうか。創造理想である、神と共に生きることのできる国をつくればいいのです。堕落によって宗教が出現しました。真の父母が来て、宗教の願いをすべて成就してあげなければならないのです。



 フリーセックス反対、ホモ反対、レズビアン反対、退廃思想反対、麻薬反対、酒・たばこ反対、このようにしてすべて百八十度反対に行けば、サタンの地獄への方向が、天国への方向に変わるのです。

 このように、方向を完全に世界的に変える役割は統一教会にありますが、何を通してかというと、その内容が祝福なのです。祝福によって全世界が絡み
 百八十度変わるということは、完成級を中心として見るとき、蘇生、長成、完成を中心にして原理結果主管圏内、直接主管圏内になりますが、これが一つになることです。サタンは原理主管圏内で、長成級国家基準の世界化権をもっているのです。

 世界は支配できません。ゆえに、神様は一つの国家を中心として、全世界のサタン国家を吸収することが分かっていたので、宗教圏を中心として、その国を立てようとしたのです。それが選民圏のユダヤ教なのです。それで、イエス様が来て、国家基準のサタン圏のローマ国に勝ち、万民の王の位置から、いよいよ世界舞台へ出ようとした時、十字架で亡くなったというのです。だから、再び来るのです。

 再び来るのは、新婦を探すためです。新婦に会うための歴史ですが、エデンの園でアダム家庭において、完成した夫になるべきアダムを追い出して、天使長の体を受け入れて、アダムはサタンの体になってしまったので、天国には男の体がなくなったのです。これを神様が再び準備されて、この地上に送ったのがメシヤです。救世主です。

 ですから、すべての宗教思想には再臨思想があるのです。キリスト教ではイエスの再臨を、仏教では弥勒、儒教は新孔子、回教は新マホメットが来るといいます。

 すべて再臨思想がありますが、これは、それぞれの宗教の父が来る、ということを意味しているのです。宗教の息子の中から父が出現するのですが、その父は人類の最初の父なのです。

 真の父母は一人です。二人ではありません。ゆえに、真の父母は、個人にも、家庭にも、国にも、世界にも、天宙にも、神様にも、絶対的に必要なのです。真の父母の目的が成就されることによって、真の父母の愛の基台が地上で成就されることによって、天上世界の神様の天国基準に相対できる地上天国がつくられ、初めて愛を中心として、神様とアダム・エバが一つになるのです。それで、天国と地上が統一されるのです。天国はこの地上の心で、地上の体はアダムの体のようになります。皆さんの心と体が一つになるのと同じです。

 創造主は、心的な天国を代表した王で、アダム・エバは長子です。アダム・エバは、地上の王になり、天上の王と地上の王が、縦的に一つになります。それで、神様が良心の基準に立ち、私たちは体のような立場から、心身統一が愛によって行われるのです。ゆえに、神様はアダムの父であると同時に、人類の父なのです。

 では、アダム・エバの結婚式は、どういう結婚式ですか。愛の主人も神様であり、愛の根も神様であり、生命の根も神様であり、血統の根も神様であり、良心の根も神様なのです。

 では、このような愛、生命、血統、良心が何によって伝授されるかといえば、夫婦となることによって伝授されるのです。

 結婚によって連結されるので、アダム・エバを中心として見るとき、アダムが成熟すると、神様の二性性相の霊的な面での性相は、アダムの心に入り、形状はエバの心に入るのです。正分合なのです。正から分かれ始めたのが何ですか。神様の創造の動機は、愛のためなのです。ゆえに、神様による創造物は、いかなるものでも相対的二性を持っているのです。

 鉱物世界も、電気ならばプラス・マイナスなど、それなりの愛を中心として、永遠に軸を中心として回っています。すべての元素は必ず、相手を中心として動くようになっているのです。

 では、アダムの場合は誰でしょうか。実体の神様です。ゆえに、アダムには分からないことがないので、聖書にもアダムが名付けるとおりになされると記されています。すなわち、神様はすべてをご存じだというのです。

 堕落せずに、神様の絶対的な愛を中心として一つになったならば、愛の種が実ったことでしょう。成熟して自然に実を結び、黄金色になって実が落ちると、主人はこれを収めて倉庫に入れるのですが、アダムはそのような主人の立場の神様になれませんでした。未成熟の立場で、堕落したのです。

 堕落する時に、サタンと愛の関係を結んだ力、それが問題なのです。なぜ、人間の体と心が二つに分かれ、今まで歴史を通して戦ってきているのに、神様は干渉できなかったのでしょうか。血統が違うからです。天使長の血統に、神様の血統はつなげられません。切って根本的に解決しなければなりませんが、偽りの父母が出たので、神様も自由にできません。真の父母が現れる前は、根本的な解決がないのです。

 この地上には偽りのオリーブの木だけで、真のオリーブの木は一つもありません。人間世界が偽りの愛によって堕落し、人類先祖が偽りのオリーブの木になってしまい、真のオリーブの木の種は、この地上にまいたこともありません。それで、この偽りのオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木にするためには、接ぎ木する真のオリーブの木が必要なので、神様はメシヤを送ったのです。このために旧約時代は、祭物を中心とした犠牲の時代だったのです。

 神様に最も近いものが、逆に落ちました。一番下に落ちたものの次が息子で、万物は一番上です。この万物を犠牲にして、間違った血を蕩減しなければなりません。人類の先祖、主体になる者が血を汚したので、相手になる万物は血を流さないと、神様の前へ帰ることができません。ユダヤ教で、男性の性器の一部を切る割礼を八日目に行うのも、このためです。性器からサタンの血を引き入れたので、これを切って蕩減しなければなりません。また、ユダヤ人は、腰の骨を間違えて使ったといい、手を腰の骨に当てて誓いをするのです。

 堕落した悪魔とは何でしょうか。淫乱の神です。このようにまいたので、このまかれた種が、終末に実として現れました。これが青少年の淪落問題であり、家庭破綻です。
 このような宗教の観念的理論が、現実社会に、あらゆる問題として現れています。ですから、これは観念ではありません。事実なのです。

  氏族的メシヤの使命

 今日、統一教会の三十六万双の結婚が、観念ですか、事実ですか。(「事実です。」)宗教理論が全部正しいので、学者などみんなが先生について来るのです。共産主義は七十三年を越えられないということも、五十年前から話してきました。この文総裁の言うとおりになります。

 個人を、家庭を、子女を指導し、三代を指導することができる能力をもたなければなりません。この基準から免れることのできる人間はいません。これは公式です。この公式に乗らなければ、天国へ帰る正道はありません。理論的に歯が立ちません。

 堕落とは何ですか。三代をなせなかったことです。正から分かれて、合になれませんでした。神様も正分合、アダム・エバも大きくなって会うわけですが、どこで会いますか。中央で会うのです。神様も降りて来て、息子・娘を引き上げて連結させます。実体的、霊的父母が一つになり入るのです。

 ですから、二重の父母の血と肉を相続し生まれなければならない人間であるがゆえに、人間の良心は神様のために縦的な高い理想を求め、体は横的な世界を制覇しようとするのです。

 アダムは横的世界を管理します。縦横の九十度を中心として、同じ長さの円形を描かなければなりません。それで、月も星も丸く、細胞も丸く、女性の顔も丸い方が美人です。顔は美人でも平たい皿美人が多いですが、顔と後頭部の丸い方が美人です。

 先生がマッチングをする時は、皿美人とカボチャのような丸い醜男と結びます。美人が、醜男を自分以上に愛したら、本当に素晴らしい子供が生まれます。

 このような子供が生まれるだろうと思い、マッチングをしてあげて、後で呼んでみると、思ったとおりです。ですから、先生を通した男性と女性が一つになって、種を残すべきですか、自分勝手に種を残すべきですか。(「お父様を通してです。」)今はこれが伝統になっているので、先生がマッチングしてあげると、無条件に喜ぶようになります。

 先生は一代で、地上統一をしました。米国のような国が四十年間反対する中で、地獄から出発して、すべて乗り越えてきたので、今は南米へ行くと、大統領と長官たちが訪ねて来ます。

 十六日間巡回しながら、八か国の大統領に会いました。そうしたら「またいらしてください。文先生に会えなかったのが間違いでした」と言っていました。約束もしないで行って、先生が組んだスケジュールに合わせるのです。このようなことを、韓国の大統領ができますか。文総裁は、国も何もありません。体だけが行って、そんなことをやりました。

 祝福を受けた女性の中で、三十代は来るように命令したら来ますか、来ませんか。自分の行く道を知らないまま、飛行機に乗るのではありません。私たちは船に乗って、汽車に乗って、南方であれ、どこであれ行って、恨の道を蕩減し、天国を建設して、恨の道を越えて、恨の道を連結することができる橋をつくらなければなりません。

 そうしないと、神様の恨を解く道がありません。このような訓練を女性たちにさせています。この女性たちは、これからある国の大統領夫人になるでしょう。

 先生が何をやっているかは、米国CIAも知りません。非常に複雑です。五十年間準備して世界に広げておいたものを、今一つにして、間違いない結論を出そうとしているので、みんな口を開けて驚いているのです。

 神様はメシヤ一人を送るために、創世以降から今まで、ご苦労されてきましたが、先生がこの地上に来て、国家的メシヤ権を、サタン数を奪い返したので、氏族的、家庭的メシヤを自由自在に編成でき、反対のない歓迎する環境から、百六十家庭が寄り集まる時になったというのです。

 統一教会は、三代の男性を祭物にするということを知らなければなりません。自分の夫と長男と二男です。犠牲にする祭物を守ることができなければ、女性は恨みを晴らすことができません。これを先生が解いてあげなければなりません。

 旧約時代は、祭物の血を流すことによって、息子が父の前へ帰る、万物祭物時代なのです。万物を犠牲にしたのは、息子の道を開いてあげるためです。新約時代は息子を犠牲にして、この息子の行く道を開くのです。再臨主は父母として来ますが、その父母である私が犠牲になるのは、神様を地上に迎えるためです。地上で神様を追放したので、地上で神様に侍るようにするのです。

 先生が祈ると、どんなことでも行うことができます。真の父母の責任は、病人を治すことではありません。神様の御言をもって、復活能力で人間を再創造することです。

 家庭破綻の魁首だと、うわさされても仕方ありません。本然の理想的な夫が、創世以降に初めて女性の前に現れたので、女性たちは先生が恋しくて眠れません。

 眠れず、門を開けておいて、十二時から四時までの通行禁止が終わるまで、座って待っているのです。愛の相対圏に夢中になれば、すべてが見えます。先生の行動を全部見ているのです。それをどのように否定しますか。

 自分の夫の帰宅時間や、夫が浮気をするということまで先生から聞いて、夫に非難を浴びせたりしました。それで、家庭問題が起こり、二十年間聖別したのです。殴られたり、いろんな惨めなことをされながら貞操を守ったのですが、祝福を受けずに、霊界へ行った統一教会の信者もいます。

 フリーセックスのアメリカ人も、七年間同じベッドで寝ながらも、関係をしないで越えなければなりません。

 妹のように、兄のように、姉のように愛さないと、理想的夫婦にはなれないのです。先生が教えてあげたすべてが、うそではなく、本当のこととして現れるのに、神様がいないと言えますか。統一教会の人たちは、みんなこのような経験をしているのです。
 今回、日本の女性たちを見たら、百パーセント霊的な指導を受けています。韓国は六十パーセントしか受けていません。信仰では日本に負けています。

 生きた宗教は、体験した者が現実の全条件を凌駕できる実践基盤をもつ人にならない限り、天国へ一人で入ることはできません。このような峠を越えた人たちが祝福を受けるので、祝福してほっておいても、イガ栗の例えのように、完全に実った栗は、何年先の春に植えても、必ず芽が出て、栗の木になるのと同じことです。ですから、統一教会人は、みんなどこへ行っても、統一教会の代わりの教会をつくることができなければならないというのです。

 このような使命を中心として、氏族的メシヤの責任を与えました。今から五十年前に英・米・仏が先生を受け入れていたら、全世界の八億くらいの人が、すべて氏族的メシヤになったのです。こうなれば、サタンは一歩も侵入できません。サタンは、長成期完成級なのです。再臨主が来て、完成期完成級で結婚したので、直接主管圏で結婚したので、サタン世界は足を入れられません。譲って、だんだんと立ち去るようになるのです。そのようにできるはずのキリスト教が反対したので、すべてが崩れてしまいました。

  死んでも私の責任、生きても私の責任

 きょうの御言のように、すべてはほかならぬ、「私の責任」なのです。神様と真の父母が苦労するのは、私を解放させるためなのです。アダムとエバ、男性と女性を解放し、家庭を解放するためです。他人の家庭ではありません。きょう、先生が強調したのは、「私の責任」についてです。

 世の中の複雑な問題は、すべてが、男性と女性、この二人の問題です。家庭の中の二人の問題が、社会問題、国家問題、世界問題へと広がるのです。家庭さえ万全にしておけば、すべての問題は終わります。間違いない男性と間違いない女性、先生がいうところの天理法度に公認される男性と女性、そのような家庭になれば、世の中すべてが変わっていくのです。統一教会は、エイズとは関係ありません。一夫一妻の絶対主義です。

 男性も女性も浮気したい人は、手を挙げて見なさい。いませんか。(笑い)浮気したらエイズにかかります。必ずかかります。神様がそうさせます。統一教会の信者でありながら浮気したら、エイズにかかるということです。

 見てみなさい。統一教会ではお互いに戦っていた人たちが、姻戚になっています。一つになりなさいということです。不思議な神様です。神様は、急速な処理方法を取ります。それで、あっと言う間に、怨讐を友人にさせます。息子・娘が結婚したのに、怨讐のままでいられますか。息子・娘が結婚して一つになったのを祝ってあげて、親たちも一つにならざるを得ないのです。

 指示事項は三ページもありますが、それは話さずに、これだけは強調します。私の責任だということです。分かりましたか。(「はい。」)死んでも私の責任、生きても私の責任です。食事の時も、寝る時も、歩く時も、私の責任だということを忘れてはいけません。

 神様の恨を私が責任をもって、自分の国の風土では完全に解消すると言わなければなりません。それで、夜も昼も物議を醸さなければなりません。相対を失った雁は悲しく鳴きます。動物でも、愛する相対を失うと鳴くのですから、神様においては、どれほど悲しまれたかということを考えなければなりません。

 先生が子供の時は、山越えの川がある所は、全部行ってみました。そこに貯水池があると、そこにいる魚も全部釣ってみました。鳥も虫も捕まえて、ザリガニはもちろん、何がどこにいるか、全部知っていました。全部調べたので、魚釣りは、どこへ行けばよく釣れるか知っていました。今、南米でも、そのような調査をしています。先生が行く所で、底が見えないものがありません。

  人間の特権は愛の特権

 これからは結婚していない人を伝道しなさい。
 私が次回に祝福してあげるのは、純粋な未婚の男女です。親が酒を飲んで浮気した人は、だめです。選んで祝福してあげます。これが、先生がしなければならないことです。誰でも、結婚させる時代は終わりました。世界時代へと入るので、純潔を守ってきた男女でなければなりません。そして、二十四歳以上はだめです。十七歳から七年です。二十四歳までです。それは女性として、花が咲く時代です。二十四歳になると、咲いた花がしぼみ始めます。二十四歳を越えた人は先生は知りません。

 そして、純潔な人が祝福されるので、農村の息子・娘でなければなりません。今は、みんな農村を離れました。これから、農村へ帰って行く時が来ます。農村へ帰って純潔を守り、各家の代表的女性として結婚する時が来るのです。エデンの園で、アダムが子女を生んだら、アダムは田舎で結婚させたでしょうか、都市で結婚させたでしょうか。(「田舎です。」)牧場です。

 学者たちが、人間の欲望どおり、すべてがなされたらどうなるかを研究した結論があります。それは、科学化された文化発展の世界でもなく、高層ビルが並んだニューヨークのような都市でもありません。みんな、にぎやかで所要性の多い、公害が発生する都市は嫌がります。

 みんな、原始人に戻っていくべきだというのです。つまり、神様からつくられたままの、純潔な子女の位置へ戻っていくのです。分かりましたか。草木や魚、昆虫、動物までが、汚れていないものだけが育ちます。雑物ではありません。だから、人類の希望どおりになされたら、みんなが原始時代に戻って、裸で暮らさなければならないのです。

 私たちも、裸で暮らしたらどうですか。恥ずかしいですか。これから破壊されたオゾン層が、だんだん広がると、みんな裸で生きなければなりません。皆さんの裸も、先生の裸も、比べてみるとたいして変わりません。恥ずかしいことはありません。恥ずかしいと思うのは、堕落した子孫だからです。

 これからは、三代が一つの部屋で愛する時代、三代が一つの部屋で花が咲く時代が来るのです。先生の言うことが分かりますか。三代の夫婦が、一つの部屋で愛しながら、おじいさんとお父さんの愛し方を、自分の息子・娘に教えてあげる時が来るのです。そうなれば、その家は一つになるでしょうか、ならないでしょうか。(「一つになります。」)私はこのように考えているのです。どうして恥ずかしいですか。

 夫婦が愛する時は、声が出るのを防ごうと苦労しますが、これは違います。爆発的な声を出していいのです。何が恥ずかしいですか。世の中では、ハトもポッポッポ、猫もニャアニャア、天井のネズミもチューチューといいます。それは愛を喜ぶ音です。

 愛が悪いと言う人は、手を挙げてみなさい。万物の霊長である人間の特権は何ですか。愛の特権です。動物は一年に一回、繁殖のために愛しますが、人間は季節を超越しています。これが特権です。これに命を懸けて、これに専門的な理想を描いて、花を咲かせるべき場が家庭なのです。

 ですから、おじいさんは、自分の孫の妻の布団を敷いてあげながら喜んでこそ、本当のおじいさんになります。(笑い、拍手)そうしながら、昔、自分が愛していた時代を思い出すのです。そうすると、夢におばあさんが出てきてくれて、会うことができます。そのような時代が来ます。

 統一教会の人は、霊界へ行った夫と生きている人がたくさんいます。変わった所です。夫と離れては生きられません。それで、霊界から来て一緒に住むのです。

 アフリカで殉教した人がいて、先生が表彰してあげましたが、表彰の前は訪ねて来なかったのが、表彰されたその夜から訪ねてきて、一緒に愛し合ったというのです。ですから、安慰祝福は必要ありません。だから、統一教会が良い所ですか、悪い所ですか。(「良い所です。」)

 夫の髪を切ってあげる妻、口ひげや爪を切ってあげる妻、そして、膝で昼寝ができる妻が烈女なのです。夫の膝で昼寝をする時、その夫が自分の爪を切ってくれます。これは蕩減復帰です。髪も洗ってあげなければなりません。先生は習ってないのでできませんが、今習おうとしています。

 これが、どんなに素晴らしいですか。先生は、すべてお母様がやってくれます。こうするのが、三十年近くなりました。(拍手)どうしてかというと、先生は有名なので、一番怖い所が床屋なのです。共産党が世界中どこにでもいるので、命を守るためには不可避的なことなのです。

 それで、「あなたはこうしなければいけません」と言い、専門的に研究しました。どうですか。切り方は上手ですね。(「はい。」)(拍手)統一教会は、お母様のようにしなさいと言うことです。

 嫁がそうすると、おじいさん、おばあさん、舅、姑も切るようになり、三代をしてあげるようになれば、その家庭は嫁のことを喜びますか、喜びませんか。(「喜びます。」)みんな仲良くなります。

 今回、祝福を受けた人は、手を挙げてみなさい。みんな、その町の名門家庭の息子・娘よりも、尊敬される夫婦になりますように。アーメン7

  家庭を本格的に再検討する時代

 きょう話したように、すべてが自分の責任です。それ以上言うことがありません。
 自分のために世界がこうなったので、これを自分が責任をとって、自分の町と自分の国を、ここに協助させることが自分の行く道です。こうしないと、国、都市、町を連れて行くことができないのです。これが天理原則です。ですから、決意をして、自分の責任完遂を天の前に誓って、前進しようというのです。

 霊界は、直観的に要求するすべてが、可能な世界なのです。自分が愛する人のために、このようなことをしようと思えば、それができる世界なのです。自分が手を振ったら、彼らが現れます。一千万人の晩餐会ができる場所が、すぐにつくられる世界です。
 神様が、そのような世界をつくっておいて、私たちを連れて行こうとするのですが、どんな世界へ行って住むのですか。狭い所へ行って住みますか、解放圏で住みますか。解放圏で住むためには、愛する基台をたくさんもたなければなりません。愛する家庭をたくさん連れて入るのは、善なる先祖です。

 今、天国には先祖がいません。全部空いています。真の愛を中心として一体になった夫婦が入っていないからです。イエスも結婚ができなかったので、楽園にいます。本当かどうか、行ってみなさい。

 家庭に問題がある人たちは全員、南米に行かなければなりません。息子・娘が祝福を受けられず、横道に行かせた人たちは、この地では住めません。南米へ行ってこなければなりません。これが神様の御旨です。再整備の時代が来ました。三次までです。三次は保留です。三次は、決定的な選択が必要です。だから、絶対的な節操を中心としなければなりません。

 問題があって引っかかった人たちは、みんな南米へ行ってこなければなりません。国に引っかかったので、世界で勝利の釘を打ち込まないと、帰って来る道がありません。それで、今回、四大陸を中心として配置した人たちは、その家庭から解放できるように、息子・娘のことは、先生がすべて解決してあげました。代表です。

 それはどういうことかといえば、天国へ入ることのできる基本的家庭型をつくり、それを見本として、その伝統に合う人は、還故郷する時が来るというのです。ここで還故郷できる内容を備えず引っかかる人は保留です。家庭的カイン時代から免れないと、天国へ入れません。いくら祝福を受けても、天国へ入れません。絶対に堕落してはいけません。

 先生が整地作業をしています。先生がそのように命令しました。そして、賢くて精誠のある人は、国境を越えて世界へと広げます。何の意味か分かりますか。

 霊界と直結されて、プラス・マイナスが水平になる基盤の上に立たなければなりません。霊界を無視してはいけません。これは原則なので、いくら偉い人でも、この原則に合わせて地上の生活をし、一体理想の均衡を取って回るのですが、九十度を中心として引っかからないで水平に回るのです。その次は、三百六十度を回るのですが、ここでも引っかかってはいけません。回るのですが、回らないように見える歴史を送った人たちが入るのです。

 家庭を本格的に再検討する時代が来ます。今や教会がなくなります。神様と共に生きることのできる本然の時代です。

  絶対信仰、絶対愛、絶対服従

 アダム・エバは何を失いましたか。絶対信仰と、絶対愛と、絶対服従を失いました。神様が創造される時は、絶対信仰のために創造されたのです。

 今回、サンパウロ宣言や新しい希望農場で、先生が宣布したのは、絶対的信仰をアダム家庭で失ってしまったので、その農場からアダム村という理想をもちなさい、ということでした。

 絶対愛です。神様から創造されたものは、絶対愛を中心として一つになるようにできています。このような決意の上で、すべて、愛の相対をつくったのです。そして、絶対服従しなければなりません。言い争いをしてはだめです。真の愛の道理を守ろうとするならば、妻と夫はお互いの正しい話に、絶対服従しなければなりません。

 愛は一体理想をもつようになれば、善し悪しの概念がありません。一つの概念に収拾されなければなりません。ですから、それをご存じの神様も、相対的理想のアダム・エバの家庭を中心として、絶対服従する基台の上で、家庭を創造したのです。

 ゆえに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤の上で、愛を中心として連なっている動物世界であり、植物世界なのです。すべてがこのようになっているので、男性も女性も絶対別れられません。動物世界も愛した後には、命を捨てることがあっても、お互いを守ります。雀も巣をつくり始めると絶対的です。その巣に蛇が入ってこようとすれば、互いに殺そうと攻撃します。

 これはなぜかというと、神様がつくる時は、絶対的信仰の上でつくったというのです。絶対的信仰でつくったので、どこへいっても不信がありません。神様の絶対愛の圏内にいる存在物は、世界中どこへ行っても、遮る存在がいません。自由です。毒蛇だとしても、遮ってはいけません。自分の愛の相対を探しに行く時は、道を開けてあげなければなりません。むやみに殺してはいけません。

 だから、天国へ入るためには、家庭的基準において、絶対信仰の上に立った家庭、絶対愛の上に立った家庭、正しい話には絶対服従できる夫婦圏がなされなければなりません。

 それで、失ってしまった神様の願いの基準と、絶対信仰の上に立てるアダム・エバ、絶対愛の上に立てるアダム・エバ、絶対服従で一つになれる、愛の基盤の上に立てる、アダム家庭を取り戻さなければならないのです。神様の御旨の前に、絶対服従しなければなりません。

 先生がサンパウロ宣言で言った、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を先生の言葉だと思ったら、大きな誤解です。このことに、天国へ入れるか、入れないかという問題がかかっているのです。このとおりにした人は、天国へ入り、できなかった人は、天国の門前で待つことになります。その分水嶺を越えることのできる、関門になっているというのです。いいかげんにすると、みんな引っかかります。祝福を受けたとしても、引っかかるのです。

 子女が讒訴します。アダム・エバが堕落した後、その子孫が讒訴したように、家庭理想を完成した祝福だとしても、親が先生の御言を実践しなかったことを、子供が非難するのです。問題になります。だから、他人の親になるのも、夫になるのも、妻になるのも、子女になるのも、兄弟になるのも大変なのです。完成する前は他人なのです。

 それで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤の上に立った、兄弟の友愛、家庭的友愛を備えることのできる家庭を願ったので、戒めを与えたのです。絶対的愛の関係を結びなさいということです。皆さんも同じです。アダム家庭が失ったものを満たさなければなりません。そうしてこそ越えられるのです。行ってみなさい。先生が話した、アダム家庭に神様が戒めとしてくださった、絶対愛を中心として、このような三大原則に一致しなければなりません。これが規範になっているので、この規範に合格できなければ天国へ入ることはできません。

 そのような家庭の伝統を立てるための訓練をしなければなりません。外へ出て自分の夫を批判したら、夫婦になれません。それは、自分の体を相対的に崩してしまうことです。神様が創造した環境は、必ず主体と対象になっています。必ず雄と雌があります。これは進化論より上に立ちます。神様は進化論を中心としたのではありません。雄・雌の概念で、愛を中心としてつくったので、これは絶対的な概念なのです。これを否定するということは、存在の世界で自分のすべてを否定することなので、立つ場がないのです。

 祝福家庭が、アダムに天が要求した基準を、現世界で越えられてこそ、絶対信仰できる国、絶対愛のできる国、絶対服従できる国になるのです。こうして神様の前に行くのです。自分の意思はありません。

  美しい家庭を築き、芸術的な夫婦になる

 絶対的な夫婦の理想を描き、芸術的な夫婦を地上でなし、地上にない愛のパノラマを描いて、天上世界、永遠な世界へと旅に出るのが、霊界に行くということです。霊界は、無限な世界を旅することです。

 霊界では、お金も、ご飯も、服も必要ありません。愛する対象に与えたければ、特権的に、すべて与えるようになっています。愛する気持ちが強くて、与えたくなると、対象が現れます。愛の心を中心とすると、最高の速度で訪ねて行けます。何億万里も、瞬く間に行けるのです。このような愛を中心とすると、何でも可能な世界なのです。
 その世界に合うようになるためには、皆さんが善いことも悪いことも消化して、円満に丸くなって、無限世界へ旅するのに、相反することがないよう一つにならなければなりません。

 先生が今まで、お母様と何回、喧嘩したと思いますか。(「一回もありません。」)喧嘩することがあってもしません。喧嘩になることがないはずがありません。しかし、原理原則を中心とする先生の姿勢は崩れません。このようにして先生は越えるのです。

 愛の世界を、どうやって深く開拓するのかということです。統一教会は、愛の理想世界という大海を開拓しなければなりません。先生の話は、夜を明かして聞いても面白いのです。面白い夫、面白くない夫、どちらがいいですか。先生は無限に自由を与えます。

 皆さん、夫の前で、妻が裸になるのが恥ずかしいですか、恥ずかしくないですか。答えてみなさい。ご飯を食べる途中でも裸になって、夫におんぶしてもらえる余裕のある女性にならなければなりません。(笑い)どうして笑いますか。体面というのは、サタン世界から受け継いだものです。愛の世界には体面がありません。愛されたいのは、唇と目を見れば分かります。その信号に気がつくべきです。

 家庭を芸術化しなければなりません。面白い夫、芸術的な夫になって、よい雑誌でもあったら、格好いい声で読んであげるのです。感動する妻の姿を夢に見るのです。それが再現されます。霊界と連結されるのです。

 素晴らしく生きるためには、素晴らしくなることのできる、姿勢と方向を取らなければなりません。これが第一の条件です。よい夫婦になりなさい、ということです。美しい家庭、芸術的な夫婦になることを祈ります。アーメン7(「アーメン! )(拍手)

  交差結婚をとおし一つの国に

 先生はあさって、米国へ行き、やることが多いのです。十六州を中心として巡回して、先生の家庭が、五十都市に分かれて活動します。これが終わると、アジアから十六か国を選びます。選ばれた国は恵みです。

 今回、巡回しながら少なくとも、一つの国家で三分の二が祝福を受けると決意する所は、先生が、十六か国巡回に加担させようと思います。今回の大会には、このような意義があります。米国の十六都市が終わると、アジアの十六か国を訪問します。

 皆さんが間違えば、先生の子女が引っかかります。カイン・アベルが一つになれなくて、イエス様が亡くなったのと同じく、家庭的カイン・アベルが一つにならないと、先生の家庭に問題が生じるのです。興進が霊界に行ったのもそのためです。

 サタンがすべて問題なのです。長成期完成級の家庭的一体圏を、世界的、平面的につくっておくことによって、先生と完成的家庭基盤を中心として一つになれば、長成圏家庭基準のサタンは、そこに侵入できないのです。世界的に、お母さん・お父さんを中心として連結して、これに線を引いておきます。今から国家的基準を中心として、地上天国の開門が始まるのです。家庭を中心としてです。

 南米は希望です。北米は、米国を中心としたヨーロッパがアベルです。今の南米は、清教徒たちに国を許したのと同じように、主人がいません。

 この狭い土地で、住む必要はありません。これから、世界が一つになります。国境がなくなります。大国を中心として、南北米を中心として、これは必然的なことです。ブラジルとアルゼンチンの二か国で南米の三分の二になります。このような大平原地帯が、主人を待っています。

 模範的理想をもって、見本になれる人は、みんな連れていって、移植するつもりです。決定的です。未開発地を開墾するのに関心がありますか。スペイン語と英語を勉強しなさい。米国とスペイン圏を結んでおきました。彼らの言葉は、三分の二は似ています。だから、六か月でマスターできます。

 それで、米国人は南米に行って訓練して、南米の人は米国へ行って活動すれば、言葉は覚えられます。こうして、交差結婚すると一つの国になります。ここはキリスト教文化圏だから、兄弟と同じです。日本と韓国は、怨讐の国でも交差結婚しているのですから、天主教と新教は問題ありません。交差結婚したら、一つの国になります。

 三百六十万双を結婚させたら、大変な人数になります。全部、交差結婚させたら、完全に一つになります。世界が一つになります。神様の家庭的戦略として、蕩減復帰解怨成就、世界的版図を願うのが、神様の御旨なのですが、これは結婚という方法しかないので、先生は悪口を言われながらも、ここまで引っ張って来たのです。

 先生が、どれだけたくさんの悪口を言われたり、叩かれたか知っていますか。御旨がなければ、このようなことはしません。神様の願いどおりにやってきたら、世の中は先生をさまざまな方法で滅ぼそうとしましたが、今や世の中は全部なくなり、先生だけが残ったのです。これを、自分だけが残ったと、エリヤのように嘆くのではありません。勝利の将軍になって、万国に向かって命令しています。

 このような、驚くべき時代が来たので、皆さんもこの時代に合う夫婦になり、先進的な立場に立って、旗手の役目を果たしてくれることを先生は願っています。そのように生きてみますか。(「はい! ) 自分勝手に生きますか、御旨どおりに生きますか。(「御旨どおりに生きます! )

 ただ祝福を受けると喜んでいた、初めて来た人たちも、御旨というものが分かりましたか。パラグアイで六組を結婚させたのですが、彼らの目が変わりました。「おー、こんなに凄いことなのか! と。通りがかりの酒場で目が合って、愛するものとは違います。永遠不変な歴史の宣言をして出会うのが祝福であることを知り、考えが変わり、顔も姿勢までも変わりました。皆さんも顔が変わりましたか。

  家庭全体が神様の理想を中心としていく

 愛のゆえに、妻から、絶対服従したという認定を受けなければなりません。妻が要求することは、全部やってあげなさい。分かりましたか。(「はい。」)夫婦は、目で愛し、口で愛し、耳で愛し、肩で愛してみなさい。神様は、夫婦が何をしても、ただ見物人になって「あー、あんなによいのか! と関心をもちます。

 女性たちは、そのようにしなさいというのです。「きょうは、愛の巣でどのような愛の歴史が行われるか……」と考えなさい。すべてが歴史です。自分の一生で、これから残される天上世界へ行って暮らすための準備の基盤なのです。

 霊界へ行ったら、男性と女性は一つです。アダム・エバが堕落しなかったならば、神様の中にいたものが実体として出てきて、また帰り、神様に似るようになり、神様と友達になるのです。お父さん・お母さんも老いたら友達になりますね。親が百歳になって、息子・娘が八十歳になると、友達になります。神様へと帰っていくのです。

 霊界へ行ったら、どのくらい愛したか、すべて分かるのです。ちらっと見ただけで、自分より愛した基準が高いかどうかが分かります。自分のほうが高いと、相手が挨拶をします。だから、高い位置で歓迎されるためには、多くの人たちのために涙を流し、為に生きた人でなければなりません。自分のために生きた人は、必ず地獄に行きます。

 天のために百折不屈の心情で、千年万年絶対服従した人は、必ず天国皇族圏に入ります。このような人は、皇族圏に編成してあげなければなりません。

 これが主体になっているので、明誓文の五番の、真の愛を中心として、主体的天上世界と対象的地上世界の統一のために前進的発展をしなければなりません。絶対的に止めないで、いつも発展しなければなりません。東西南北へと発展しなければなりません。このような道を、先生と約束したとおりに行って、一つになるのです。

 誓いの文が、ただあるのではありません。体と心が一つにならなければなりません。夫婦喧嘩をしたら、盟誓文を唱えられません。子女と一つになれなくても、唱えることができません。家庭盟誓文をもつと、天上世界へ行った、歴史始まって以来の全霊人が注視するのです。「あのようにできる、地上の人たちがうらやましい」と思うのです。

 先生が複雑なことは解決したので、今は高速道路を走る時代に入りました。ゆえに、皆さんには車が必要で、運転が必要です。この車と運転が、家庭なのです。家庭を連れて運転して、高速道路を走って、天国へ行くのです。一人では行けません。お互いが責任をもって、家庭全体の命を守りながら運転して行かなければなりません。分かっていますね。その車と運転は、自分たちがつくり習うのです。家庭です。この家庭全体が、神様の理想を中心として行かなければなりません。

  理想的な夫婦になることを目指して

 縦的な父子関係、横的な東西関係は夫婦、前後関係は兄弟です。兄弟の始まりは子女です。この球形をなすためには、上下、左右、前後が一つにならなければなりません。これが球形になります。こうして七数です。神様は完成数の、ここに定着されます。

 ボールでいうと一番真ん中、何もない真ん中です。ボールの東西四方の相対的力を支持するのは、一点を通してです。これは絶対的な所です。誰でも占領するのではありません。神様だけが占領します。一点しかありません。これを通して相手が押してくれると、その表面が完全に水平になります。したがって、ボールはいつも、九十度で立ちます。どこからでも、九十度で立ちます。どこでも、九十度で立つので平等なのです。絶対的な平等です。

 皆さんもそうすべきです。皆さんも、息子を立たせても九十度、妻を立たせても九十度になる家庭をつくらなければなりません。

 ですから、兄弟が争ってはいけません。世の中では、親がお金を残すと争います。未来の父母の直系子孫たちが見習うことができ、永遠に伝統として残すことのできる兄弟の義をもって守らなければなりません。それで、父母、夫婦、子女なのです。

 ですから、人間の願いは、父母をもち、妻子をもつことです。子女時代は、兄弟と同じようなものです。子女は五歳前に母に抱かれて、言葉を習ったりします。そのような時です。兄弟になると分かれます。女性と男性の行く道は違います。女性は母に、男性は父になるのです。このようにして育っていくのです。

 そして、どこで出会うのでしょうか。結婚して、再び出会わなければならないのです。正分合です。神様も創造で分かれましたが、これを相対にして正分合になります。神様も霊的に、霊界の上弦と下弦が一つになり、直線を中心として、良心型と肉体型に分かれました。

 これが一つになるので、良心の命令を、体が受けなければならないのです。今は、そのようになっていないでしょう。堕落したので、体が良心を引っ張り回しているのです。ですから、真の愛でなければ、良心と心が一つになることができません。

 サタン世界の愛の程度は、七十パーセントしかありません。これ以上になるには、サタン世界の忠臣、烈女よりも勝らなければなりません。共産党より国を愛するためには、彼ら以上のことを、私たちがしなければならないのです。それが、天国に行ける基準であることを知らなければなりません。

 北韓は金日成を中心として、だまされながらも絶対信仰をもって死のうとしているのに、統一教会人は、そのようにできませんでした。

 ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければなりません。こうしてこそ、歴史始まって以来、人間が及ばなかった堕落圏を越えて、神様の愛と接触できる道が開かれるのです。この道が連結されれば、稲光がし、雷が落ちるように立体的に広がるのです。そのような経験が必要です。自分一人で生きることを考えてはいけません。

 宇宙と共に生きる愛の圏内に入り、瞬間でもこのようなことを感じて出てくれば、すべてが解放されるのです。無限なるエネルギーの起源に連結されるのです。先生が今も、十二時間、十四時間、立っていても大丈夫なのは、疲れたらそのような世界に入り、トイレに入って十分だけいれば、疲れから解放されるのです。

 先生の前に、祝福家庭が引っかかると、無惨な死に方をします。気をしっかりもち、正しい道を行かなければなりません。忠告をよく聞いて、先生の下から天国まで直行したいのならば、先生の言うとおりにすることを再度、決意して、理想的な夫婦を成就するために励むことを祈ります。アーメン。(「アーメン。」)(拍手)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.11.21 23:07:44
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