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2023.02.12
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第14回「愛勝日」の御言
1997年1月2日、ブラシル・サンパウロ


  復帰摂理の公式

 祝福は血統を転換しなければなりません。では、この血統転換をだれがするのかといえば、真の父母様から成さなければならないのです。

 堕落することによって、堕落したエバとエバの息子がいます。カイン世界の父母と息子はいますが、アベル世界には父母と息子がいません。

 これをどのように転換させるかが問題です。アベルが立つためには、母親がいなければなりません。母親がいるためには、父親がいなければなりません。ですから、再臨が必要なのです。

 なぜ、この地上に再臨が必要かといえば、母親を立てて、アベルの子供を束ねて、カインの子供を救いカイン世界から切ってしまわなければならないからです。カイン的世界は、アベル的世界とは異なる世界ですが、切って地獄に送ることはできません。反対に従っていかなければならないのです。

 アベルの父母を中心として一つになったアベルの前には、カインの父母が従わなければなりません。カインの子供が従い、サタンが一番後ろに立たなければなりません。天国に入っていくのは、一つの血統を通して、一列で入っていかなければなりません。

 ところが、堕落した以後は、一列で入っていくことのできる道がありません。これを連結させるための出発がアベルでした。アベルはカインを屈伏させなければならないのですが、それは強制ではありません。

 アベルはカインのために犠牲になり、カインを自然屈伏させなければならないのです。自然屈伏させて、カインとアベルが一つになったその土台の上で、カイン世界の母親を転換しなければなりません。強制ではなくて転換するというのが復帰摂理の公式です。

 ところで、イエス様が何をしなければならないかといえば、血統転換です。これが復帰世界のすべての結論です。メシヤが来て、統一された世界の上にイエス様が新婦を選んで、カイン アベルの勝利の覇権の立場に立たなければならないのです。ユダヤ教とイスラエル民族が、アベルとカインです。

 ここで母親を中心として一つになれば、その基準は、血統的な因縁で母親と子女が個人的に勝利した立場に立つのです。王が先に愛さなければなりません。愛の出発は王から始まります。王とアダムを代身してメシヤがその仕事を成就して、イスラエル民族とユダヤ教が侍る王宮を設定して、イエス様は結婚式さえすればそれで終わりです。イエス様は何をするのかといえば、血統転換です。

 イエス様を中心として家庭王国を迎え、家庭が成立したならば、イエス様が祝福をしてあげるのです。祝福の内容が何かといえば、旧約時代に祭物をささげた条件、その次に、新約時代に息子のための条件、母親のための条件、父親のための条件、家庭のための条件、国のための条件を立てて越えていくのです。

 それゆえ、このようなすべてのものを失い犠牲にしたので、その内容を全部、復活させる基盤がなければなりません。ところが、イエス様がメシヤとして来られて失敗したので、イエス様が血を流しました。そのような血を流した歴史を通して、祭物の旧約時代は過ぎ去り、新約の祭物時代に移っていくのです。

 それゆえ、キリスト教自体が、行く所ごとに血を流すのです。血を流す目的は何かというと、今後、来られる父母の道を準備するためです。万物を犠牲にしたのは、息子たちが行くべき道を準備するのと同様に、息子がこの地に来たなら、息子は父母が来る道を準備しなければならないのです。キリスト教はみ旨を成せなかったので、父母の立場を成せなかったので、父母が来ることのできる祭物の過程を経ていきます。

 キリスト教が祭物の過程を経て血を流すのは、来られるご父母様のためです。再臨の目的のためにこのようになるのです。そうなれば、ご父母様が来て血を流してはならないのです。また、ご父母様はどこに来られるかといえば、完成期ではありません。

 アダムは長成期完成級で堕落しました。長成期完成級は国家基準です。それゆえ、イエス様が国家基準を通して来られたのです。しかし、国家的メシヤになれませんでした。ですから、世界舞台の問題を連結させ、世界的メシヤ時代を全部、未完成で残しておいたのです。

 では、再臨主がこの地に来られて、世界的舞台で全部祝福をするといっても、すべてのものがひっくり返されるのではありません。長成期完成級で堕落したので、そこから七年路程があります。

​  この七年路程が何かというと、一九四五年から一九五二年までの七年路程です。 この峠を越えなければなりません。ですから、長成期完成級を越え、世界基準を越えるにおいて、祝福の基盤を築かなければならないのが原理観です。​

 キリスト教が先生を迎えたとしても、完成の立場ではありません。長成、完成の立場としてのイエス様が失敗したのを担って、そこから、世界的祝福圏内に展開していくのです。それが七年以内に皆、終わるのです。

    蕩減復帰の原則

 祝福は血統転換です。なぜ、血統転換をしなければならないかといえば、二つに分かれたからです。堕落した母親と息子がおり、復帰される母親と息子がいます。

 では、血統転換が何かというと、アベル的母親とその息子に接ぎ木する役事です。血統転換は、自分たちの努力ではできません。先生がそのことを、サタン世界で実践 勝利してきたので、その伝統に従って血統転換の礼式が生まれるのです。そうでなくては、神様の血族である祝福の場に入ってこれないのです。そうなれば、二人の母親の愛の門を通じなければならないという論理が出てきます。

 横的に見れば、ヤコブ家庭においてレアとラケルが争いました。ラケルが本来は本妻です。ヤコブから見るなら、レアの妹のラケルのために七年間苦労しました。本妻にはだれがならなければならないでしょうか? ラケルがならなければなりません。ところが、実際に結婚した人はだれでしょうか? レアです。

 ヤコブに対して、神様はどのようにレアを受け入れさせたのでしょうか? それは不可避的なことです。二人の母親の関係が、この局面で覆されなければなりません。そうするためには、家庭的基準を立てなければならないのです。ヤコブを中心として、選民イスラエルが選民圏を結成できる、そのような勝利者になるためには、血統を転換させなければならないのです。

 リベカは何をしたかといえば、自分の長男をだまし、父親をだましました。エデンにおいてエバの堕落が何かというと、アダムをだまし、神様をだましたことでした。これを蕩減復帰しなければならないのです。蕩減復帰の原則は、不可避的なものです。このようにして、引っ繰り返さなければなりません。

 タマルも同じです。タマルはリベカの孫の嫁として、祖母がすることを全部よく見て、多くの世話をした女性です。それゆえ、内的な面でそのような事情を知っていたので、何か困難があっても、「天の啓示がこうなので、このことを断行しなければならない」という内的な何かを感じたと見なければならないのです。

 またリベカも、長子と父親をだますことを通して神様のみ旨が成されるということは知りません。リベカは何も知りませんが、そのような命令に従って順応したのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従したのです。自分の一族、祖父母を愛し、全イスラエル選民とアブラハム、イサクの神を愛したのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従するところには自分という意識がありません。弁明がありません。

 タマル自身は、リベカの影響を伝統的に受け継いだのです。タマルの最初の夫が死に、次男である夫も死んだので、一二男との結婚をユダは許しませんでした。ですから、血統を継ぐ道は自分の舅しかいないので、しかたなくユタを誘い込んだのです。

 では、エバはどのような立場にあったのかといえば、神様の娘であると同時に妻です。この二つを知らなければなりません。娘であると同時に妻の関係にあるので、娘の相対し得る息子の立場がだめなときには、父親を中心としても帰らなければなりません。復帰の道ですから、息子を底辺として、父親を踏み越えていかなければならないのです。

 タマルには、そのとき夫がいませんが、どのようにしたかといえば、娼婦の姿をして舅をだまし、道ばたで舅を誘い込み、双子の赤ん坊を身ごもったのです。それが、イスラエルの一代祖になったのです。これによって血統が転換されたのです。

 ここからイスラエル選民圏が生まれました。血統が変わったのです。しかし、ここで家庭的基盤を中心とした勝利的版図を備え、イスラエルの国に小メシヤが来たとしても、対等な兄弟の国家基準に至っていないので、イスラエルが国家基準に上がるまで受難の道を行くのです。

 このような受難の道を経て、二〇〇〇年を過ごしながら、環境的に汚されたその血統を再び清算しなければなりません。ですから、イエス時代のマリヤも同じです。

    ザカリヤ家庭の秘密

 エバがアダムをだまし、神様をだましたのと同様に、エバの立場にあるマリヤもヨセフをだまし、その父親をだましたのです。父親はヨセフが婚約したので、結婚して幸福な家庭を築いてくれるという父親の理想を、マリヤは完全に奪ってしまったのです。

 それゆえ、復帰の道は“蕩減”という決裁を除くことができません。今日、統一教会員たちは蕩減という言葉は知っていますが、蕩減の路程は行きませんでした。蕩減の道は先生が行ったので、皆さんもご父母様と絶対的に一つになることによって、越えていくことができるのです。

 蕩減というものを知らずに、今まで来たのです。ヤコブ家庭でも、レアとラケルが引っ繰り返りました。全部、長子権の母親の立場であるべきラケルが、レアに奪われました。本妻にラケルがなるべきなのに、レアがなったのです。

 ですから、ヤコブ家庭において二人の母親の血統を受け継いでいくようになります。サタン世界をそのままにしてはいけません。一人の母親の子女を中心として、そこにレアとレアの息子十人が、ラケルの二人の息子、ヨセフとベニヤミンの後ろについていくようになります。それは、ヨセフとリベカの責任です。

 また、レアの母親がヤコブの母親と一つにならなければなりません。二人の母親が一つになり、どこに行かなければならないのかといえば、自分の家族を連れて、ヤコブの所に来て、本妻が妾の立場に立たなければなりません。

 これが天命であり、私たちが必ず行くべき運命の道です。ラケルを本妻の立場に立て、その息子であるヨセフはアベル型の兄であり、ベニヤミンは弟です。しかし、十人の兄たちは母親をはじめとして、ヨセフと一つにならなければならないのです。

 そうして、ヤコブ家庭で収拾できなかったものを、マリヤの時代に家庭的基準に立って、氏族が出発することのできる家庭的基準で、母親と子供たちを収拾すべき責任がヤコブにあったのです。

 これを国家的時代に来たので、イエス様が生まれるときに、マリヤを中心として再蕩減するのです。レアとラケルを代身して収拾するのです。それがザカリヤ家庭です。

 ザカリヤは、ヤコブの延長、国家的すべての血統を転換させることのできる国の先祖として登場するのです。エリサベツは、本妻です。そこにまた、だれが入らなければならないかというと、マリヤが入らなければなりません。

 世の中で見れば、奇怪なことです。だれの妾かといえば、自分にとっては、姉の立場にあたる人の夫の妾なのです。ザカリヤがだれかといえば、いとこの夫です。お姉さん格のいとこの夫を奪うという、そのような女性がまったくどこにいるでしょうか?

 そのとき、ザカリヤもそれをすべて理解し、エリサベツも理解していたことを知らなければなりません。ですから、エリサベツは、マリヤを許したのです。レアがラケルをだまして、すべてを奪っていったその反対の出来事が行われたのです。マリヤは自分の行くべき道を知ると、メシヤを身ごもらなければならないということが分かったのでした。

 エリサベツもそのことを知り、マリヤに同情して、そのことに協助してあげるために、自分の夫の部屋にマリヤを案内してあげたのです。夫を譲ってあげるのです。

 それで、三か月間何をしたのかといえば、一緒に暮らしたのです。そうでなければ、一日、二日会って、子供を身ごもることができますか? 家に帰ってきたのは、妊娠して帰ってきたのです。

 エリサベツは、妹の立場のマリヤを愛して、自分の夫をあげたのです。女性として、どれほど苦しいことでしょうか? それを克服し、神様のみ旨のために 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 することのできるエリサベツがいたということを知らなければなりません。

 またマリヤにとっても、世の中の常識で考えるとき、それはあり得ないことでした。けれども、すべて天の指示があり、それにより、そのことを 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 でなしたのです。

 アダム家庭で神様が啓示したのが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。ですからこの伝統を立てなければ、神様のみ旨が立つ場がないということを知らなければなりません。

 そうなれば、マリヤも絶対信仰、絶対愛で姉を愛するのです。また、姉を愛するように、姉の息子も愛するのです。また、姉が愛する夫も愛さなければなりません。そこに絶対信仰を持ち、姉の夫、姉、息子を愛したのです。

 姉の夫の愛を受けるに値し、エリサベツの愛を受けるに値し、洗礼ヨハネの愛を受けるに値するのに、洗礼ヨハネが責任を果たせませんでした。

 そうして、ヤコブ家庭で二つの血統が延長してきたのが、ここで一つにならなければなりません。一つになった土台の上に、これが成り立たなければなりませんが、そのためには、家庭を持たなければなりません。

 イエス様がみ旨を成すためには、新しい血統、国家的王圏の中心となり得る血統として、イスラエル民族を選民に立てて、選民を中心とした国家的王の基準を結実できる土台を備えるのが、ザカリヤ家庭であり、エリサベツとマリヤ、洗礼ヨハネとイエス様でした。

 これを愛を中心として見るときは、すべてが怨讐です。愛するザカリヤに対しては、そうでないかもしれませんが、エリサベツの前にいるマリヤも怨讐であり、マリヤの息子も怨讐です。またマリヤにおいても、夫の愛を中心としてはザカリヤも怨讐です。洗礼ヨハネも怨讐です。怨讐の感情を持てば、復帰の道は永遠に不可能です。怨讐の概念を持てば、統一圏がなくなるという伝統を知らなければなりません。

 怨讐のザカリヤ家庭において、エリサベツはマリヤが自分の夫を奪い、愛を奪った怨讐ですから、どれほど悩んだでしょうか? そしてやはり、後にはうまく越えられませんでした。最後まで愛することができなかったのです。

 しかし、マリヤは易しいのです。姉から引き継ぎ、姉の立場と自分の息子の立場を伝授されたので、それほど難しくはありません。一番難しいのが本妻の立場です。本妻のエリサベツと洗礼ヨハネとザカリヤを中心として、二つの血統が一つにならなければなりません。

 一つになって、どのようにならなければならないかというと、弟(妹)が兄(姉)さんにならなければなりません。カイン・アベルを復帰しなければならないのです。長子権復帰です。兄の立場に弟がならなければならないし、弟の立場に兄がならなければなりません。母親の立場も同じです。

 伯母(エリサベツ)の立場が妹(マリヤ)になり、妹(マリヤ)の立場が伯母(エリサベツ)の立場になり、ザカリヤは昔、サタン的な立場の血統を残したその血統を否定し、イエス側の傍系的な系列の主人として行かなければなりません。これが、どれほど大変でしょうか? 皆さんは、原理を知っていますが、彼らは何も知らないのです。ですから、どれほど犠牲になったかを知らなければなりません。

    キリスト教は主を迎える新婦国家

 ヤコブの家庭で、二人の母親の血族を中心とした十支派と二支派の北朝イスラエルと南朝ユダが、世界版図の闘争の歴史を展開したのです。アダム家庭でカイン・アベルが分かれ、ヤコブ家庭で家庭を編成しますが、二つの血族が生まれたのです。

 アダム家庭は、サタンの血族です。選民が生まれるのに、二つの血族であったため、どれほど大変だったでしょうか? 血統復帰をするために二千年間役事をして、洗礼ヨハネとイエス様の時代まで来たのです。

 何千年前になされた歴史の事実を、現世において蕩減しなくては天の国に帰る道がないので、そのような悲壮な闘いをしたのです。このようなことを知っている人はいないのです。

 神様も知っていますが、発表することができず、サタンも知っていますが、だれかに教えてあげることはできません。神様が干渉して、教えてあげる内容ではありません。

 アダムとエバが皆知ってから、アダムの家庭、アダムの一族たちが皆知るべき問題です。そのようなI族たちがいません。ですから、サタンも教えてあげることができないのです。

 サタンも反対しますが、サタン自身も、教えようとしても教えてあげられないことです。完全に塞がれたのです。これは、だれがしなければならないのでしょうか? 蕩減復帰路程において、メシヤが来て干渉しなければならないのです。

 旧約時代は祭物時代、新約時代は息子祭物時代です。キリスト教は霊的基準だけを残したので、体が打たれるため、キリスト教は血を流さなければならないのです。サタンが食いついてぶらさがるのです。

 サタンは、「イエス様の体は自分のものなので、これを取り戻すためには、キリスト教自体が血を流して、歴史過程の勝利の覇権を持たなければ立つ場がないのではないか」と言うのです。それを再総清算する戦争が、第二次世界大戦です。

 キリスト教は霊的救いです。霊的なもので、実体的な関係を結ぶことはできません。それゆえ、 ​聖霊は母なる神としてやって来るのです。​ 天と地のこの中間にはサタンの権勢があるので、宗教を信じる人たちはこれを突破して上がっていかなければなりません。

 それゆえ、聖霊とイエス様が恋愛する心情以上の心情を持たなければ、メシヤと出会う道がないのです。だからといって、世の中のサタン世界が精誠をささげることのできる自由環境にはなれませんでした。

 精誠をささげて祈祷するときは、通じることができますが、その環境を去れば離れるのです。このことを千回、万回しながら、霊界が近づいてくるのです。一番最初には、一点がら始まって、どんどん広がって平準化時代が来るのです。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦は外的な戦いでしたが、第三次世界大戦は思想戦を中心として、蕩減してくるのです。第二次世界大戦を中心として見ると、日本は雑教国家です。英国は唯一神を信ずる国家です。また、アメリカは英国が産んだ息子です。アングロサクソンの直系です。息子が母親を主管します。それが、英、米、仏を中心として勝利した統一連合国を中心として見るときに、だれが中心なのかといえば、アメリカが中心です。フランスでもなく、英国でもありません。

 なぜ、そうでなければならないのかといえば、メシヤを迎えることのできる立場だからです。メシヤ国家をつなぎ合わせるためです。メシヤは二番目として来られるのです。二番目に立った息子が、母親とサタン側を化身して初めて、第二次世界大戦でキリスト教が勝利圏を立てることによって、その福を受けたのはどこの国かといえばアメリカです。アメリカは何かといえば、世界統一の天の側の長子権を復帰した息子です。

 アメリカ、ドイツ、フランス、英国もそうです。中心は一つしかありません。母親になることはできません。エデンの園に母親がいましたか? 天使長は、どうしてイエス様の上に立つことができますか? 絶対服従しなければなりません。

 それゆえ、息子を中心として世界版図の立場に立ったのがアメリカです。第二次世界大戦以後に築かれた統一文化圏世界に、王子の立場に立ったのがアメリカです。このアメリカは、何をしなければならないのでしょうか?

 長子の立場で、世界国家を弟妹国家として収拾しなければならないのです。弟妹には命令できます。母親にまでも命令できる最高の立場に立つのです。けれども、この者たちの前に何をしなければならないのかといえば、来られる主を迎えなければなりません。

 なぜ、主を迎えなければならないのでしょうか? キリスト教は新婦国家です。主が来られるのを待ちます。カトリックも主が中心であり、新教も主が中心であって、マリヤが中心ではありません。また、イエス様を中心として見れば、イエス様が中心ですが、来られる再臨主が中心です。その再臨主がだれかといえば、息子の立場ではなく、父母として来られることを、キリスト教徒は知らずにいます。

    エデンの園での神様の戒め

 ご父母様を立てて、祝福して血統転換することにより、一つの道へと行くことのできる血族をつくらなければならないのが、統一家においての合同結婚式です。

 これはすべてのものを克服するのです。超民族的、超国家的、超人種的であり、超宗教的、超文化的、超伝統であり、サタン世界にあったすべてを越えて立った立場で祝福するので、サタンが讒訴できる何の条件も認めない場であるということを知らなければなりません。

 祝福したという立場は、自分の国を忘れてしまわなければなりません。今日、統一教会員は、約婚してからは、「高校しか出ていない!」と言って、つばを吐きました。それ自体が矛盾です。

 今まで皆さんは、どのように暮らしましたか? 今まで自分がどこかの大学を出て、何かをしたにせよ、迫害される統一家に誇るべきものは一つもありません。エデンの園で祝福を受けたならば、迫害があるでしょうか? 統一教会の看板も、私は願いませんでした。

 統一教会で職責のある先輩であるとか言っても、その先輩は迫害される場で祝福を受けたのであって、歓迎されて祝福を受けたのでしょうか?

 そのような意味で、すべてのものが引っかかっているのです。ただ、目的が何かと言えば、来られるご父母様が願いです。キリスト教は知りませんでした。イエス様だけが来られると思ったのであり、父母として登場するとは思ってもみませんでした。

 統一家の人々は、キリスト教を信仰する以上に、ご父母様と一つにならなければならないのです。そのことを、はっきりと知らなければなりません。

 国家メシヤとして行くとき、だれだれはどこの国家メシヤとして行き、自分はなぜ、あのような国のメシヤとして行かなければならないのか、と不平を言う人がいます。アダム・エバは砂漠にいれば、砂漠で生きなければならず、山奥にいれば、山奥で生きなければなりません。そこに不平はあり得ないのです。

絶対信仰 です。どこまでも、 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 です。 絶対愛 がなければ、 絶対愛 を中心とした血統転換が不可能です。その 絶対愛 の因縁というものは、神様ご自身が血統を立てるためには、 絶対服従 という立場において、神様の血統を捜してきたのです。

 エデンの園の戒めは何でしょうか?  絶対信仰、絶対愛、絶対服従 です。それが何かといえば、「善悪を知る木の果を取って食べるな」というものです。 善悪を知る木の果が何ですか? 女性の生殖器です。

 なぜ、そうなのかと言えば、そのとき女性は一人であり、天使長は三人で、神様を含めれば四人の男性がいます。ですから、神様が警告するのが何でしょうか? エバに対して注意するのです。「貞操を守れ」と言うのです。それゆえ、 神様を絶対信仰すれば、天使長をなぜ信じますか?なぜ、関係を結びますか? 神様ご自身は、どれほど深刻な立場で、戒めをくださったでしょうか?

 「取って食べるな」というのです。韓国語では、「性関係を持つな」という意味で「取って食べるな」と言うのです。女性たちが男性を誘い込んで、関係を結んだのを「取って食べた」と言いますか? 男性が女性を誘い込んで強制して関係を結んだことを「取って食べた」と言います。

 韓国語は啓示的です。そのような言葉も、そのようにきっちり合わなければならないのです。そうしてこそ、解放が可能なのです。

 では、祝福という場に再臨主が来て何をするかと言えば、旧約時代の祭物権、新約時代の息子の祭物権、これが皆失敗したので、父母時代の祭物権として父母が祭物になるのです。父母が千万回犠牲になったとしても、神様を地上にお迎えしなければならないのが父母の責任です。

 神様と一体的理想を成せなかったので、千万回死んだとしても、神様がこの地に臨めば、死んだとしても神様によって、復活することのできる道があるのです。その精神で行くというのです。死ぬ道を覚悟して行くのです。皆さんはどうでしたか? 自分勝手に、復帰の道をどのように行くのでしょうか?

 今まで、「一線を越えなければいい」と、だれが教えましたか? すべて明らかにしなければなりません。国家が成立すれば、その時になって霊界から打たれてしまいます。天使が来て整理するのです。

 三百六十万双結婚をする前にすべて明らかにしなければなりません。「一線を越えなければよい」という話がどこにあるでしょうか? エデンの園で一線を越えず、対することのできる女性がいたでしょうか? 男性がいたでしょうか?

 先生の最も大きな悩みは、事の処理をどうするかということです。この地で別の血族をつくったものをどのようにすべきかというのです。砂漠地帯に隔離して、自動的に消耗する道を取らなければなりません。そうすれば、彼らが霊界に行って残ればどうするかというのです。最も頭が痛いことです。その一族をすべて滅亡させて、処理するといっても処理できないのです。そのような面から見るとき、神様は愛です。

    祭物の歴史

 英、米、仏が一つになって、ご父母様に侍ることができませんでした。父母を荒野に追い出しました。人類歴史は、六千年ではありません。数千万年過ぎてきながら捜してきたのが、この道です。

 その一時、連合国を中心としてメシヤを迎えて、平等的な家庭理想の世界版図を神様が築いて、一つの血族をつくるためのみ旨でしたが、先生を追い出したので、どのようにして血統復帰するのでしょうか?

 これが祭物です。これをどのように克服するかというのです。皆さんがこれを越えるためには、先生のために生きた祭物にならなければなりません。祝福を受けた家庭は分けることはできません。分けてはなりません。男性、女性として生きた祭物としてささげなければなりません。

 そうでなければ、祭物は裂かなければなりません。ですから、統一教会の先生は、今まで重要な時には妻と息子を分けました。妻と夫を分けました。

 息子・娘を皆打ってしまいました。息子はサタン側の死地に出すのです。出すときには、分かれた皆さんが一つになって生きた祭物になってこそ、神様が一致した祭物として受け、皆さんの息子・娘たちも生き返るのです。これが祭物の歴史です。

 このような観点から見るとき、統一教会のすべてのものが失敗です。歴史的な新婦圏を代表したキリスト教が失敗したのです。失敗したので、先生は、英、米、仏を捨てたのです。

 日、独、伊は、サタンの絶対所有的立場に立っており、天の国として立った英、米、仏を破壊させるために、サタンが最も愛し、サタンが国を中心として立てた代表的なものです。英、米、仏をサタンが捕らえたので、サタンが二つとももらうことはできません。祭物を二つとも持つことはできません。

 サタンが右側を持てば、左側を神様が取らなければならないのです。ですから、神様がしかたなく英、米、仏をサタンに譲り、神様は、日、独、伊を取るしかないのです。

 唯一神を中心として、歴史上で血を流してきた母の国を捨て、雑神に仕える日本の国を母の国として立てずしては、再臨主が地上に定着する条件がありません。 すべて奪われて、荒野に追い出されました。英、米、仏の行く道を反対する側が生まれたのです。ですから、教派分裂が生じるのです。

 正統を誇る輩たちのまえに、怨讐視される異端の輩が現れるのです。さまざまな異端の輩が現れることによって、異端の中でそこに残ることのできる一つの正統の道を探していくのです。

 先生は、解放時代が来たといって、万歳を叫んでみたことはありません。行くべき道を知っています。皆さんも、はっきり知らなければなりません。それは、「愛勝日」まで行く道です。

 ところが皆さんは、家庭的祭物の道を嫌がりました。息子と一つになって四位基台の祭物にならなければ、結果主管圏を越えることができません。直接的な主管圏に入るためには、息子・娘を祭物としてささげ、勝利した覇権の立場を持たずしては、直接主管圏に入れないのが公式です。

    統一式と「愛勝日」

 興進が昇華しました。興進が昏睡状態にいるとき、そのマスクだけはずしてしまえば死ぬのです。すべての面で希望がない立場まで行くのです。

 こうして見ると、一人の興進を中心として、サタンはあちら側におり、こちら側にはお母様、お父様、神様がいます。息がとまる前には、まだ天の側にいます。死ぬ前にすべて処理しなければならないのです。その酸素マスクを自分の手ではずさなければなりません。お母様もそれを見なければなりません。

 そこに、少しも悲しい涙を流してはならないのです。祭物に対する未練を持ってはなりません。寸分でも心情的な悲しみがあり、涙が先立ってはいけないのです。人間的な情緒が先立ってはなりません。天情が先立たなければならないのです。

 神様が涙を流すとき、神様を慰めるために、「神様! そうしないでください!」と言いながら、涙を流せば許されます。自分が涙を流しては、祭物になりません。その立場に立つのです。これは話だけではなく事実です。数日を前にして、その準備をするのです。これが統一式です。

  「あなたはお父様と一つになった。心情的に生涯一つになってきた。そのような条件を残すことができ、あなたはまたサタン側でもこの家庭で二番目である。私たちの歴史時代から、サタンの攻撃の第一の標準になっている。私がそれを知っている」という、このすべての条件を越えて、お父様が責任を持って勝利の覇権を樹立しなければ、天下が崩れます。

 どれほど深刻か考えてみてください。息子が死ぬのが問題ではありません。それを念頭に置くことができません。天地が感動するのです。

 そこにどうして自分の子供だと考え、涙が先立っていくのかというのです。そのような立場に至らなければならないのです。私だけがそうではいけません。神様も私についてこなければならず、お母様も私についてこなければなりません。

 ですから、死の淵に至らなければなりません。死を見ても、振り返って神様を慰労しなければなりません。お母様がそうでなければなりません。振り返って「お父様! 悲しがってはなりません」と、勧告しなければならないのです。また、お父様は「神様! 悲しがってはなりません」と言わなければなりません。その統一された立場が統一式です。

 興進自体がそのような立場にいて、統一的な立場に生きた祭物として立て、お母様も一つの心、お父様も一つの心、神様も一つの心になっても愛の土台がありません。その淵で、痛哭することのできる立場に立って、堕落しなかったエバに祝福される愛の版図をつくっておかなければなりません。

 息子を愛する代わりに愛し、神様を愛する代わりに一体を成さなければならず、お父様、お母様が一体を成さなければならないのです。死んだ息子を中心として死亡圏を越えて、堕落を知らないアダム・エバの初夜の愛の道を植えておかなければならないという、とてつもない立場です。

 それはあり得ることでしょうか? お母様がお父様の前で、涙を流してはなりません。どれくらい大変なことでしょうか? この立場を越えなければなりません。そうでなければ、統一式がすべて壊れていってしまいます。その愛の兆場がその上に立つので、サタンはここに侵犯できません。これが復活圏です。

 ですから、“死”に勝ったという事実的な内容が提起されたので、「愛勝日」という言葉が現れたということを分かったことと思います。

 皆さんの家庭は、それ以上の愛を家庭にもって生きなければならないと、毎日のように修練過程を経て、その伝統をそのどん底から立てることのできる立場を探さずしては、この宇宙に愛の理想を通して、自由遍歴することのできる幸福の道、希望の道がないということを知らなければなりません。

 お母様とお父様と興進と神様が全部一つになって、創造理想の覇権が提示されました。神様から、お父様、お母様、興進まで、このようにして行く場合には、イエス様を指導することができ、霊界を指導することができる生きた祭物となるのです。

 すべて死んだ祭物として行きました。死んだ祭物が、霊界を完全に主管することができるので、イエス様のお兄さんの立場に立つのです。このようになったので、霊界と肉界が結婚することのできる勝利の版図を築いてくるのです。

 皆さんの三大先祖、三大子女の死体を中心として、そのどん底に入っていって、本然の愛の心を中心として、家庭的愛の理念の土台を築くための努力をしなければならないのが、祝福を受けた家庭が行かなければならない道です。先生が立てた伝統の道を、踏んで行かなければならないという事実を知らなければなりません。

 「愛勝日」について分かりましたか? (はい)。深刻なのです。ですから、涙を流してはいけません。祭物です。アブラハムがイサクを祭物にするとき、涙を流したでしょうか? 自分の息子を考えるのですが、天の解放のために祭祀を行わなければならないのです。

 愛の祭司長、家庭の伝統的父母の祭司長の立場に立たなければなりません。そのことを取り除く者がいません。神様も真のご父母様も取り除けず、サタンも取り除けません。ですから、「愛勝日」です。愛だけが勝利するのです。

 皆さん、今まで暮らしてきた家庭を中心として、あるべき立場まで、どれくらい距離があるか考えてみなければなりません。教えてあげなくても、自他共によく分かるはずです。

    解放時代を願う先祖

 三百六十万双の祝福を完遂すれば、統一天下になります。統一天下は、何を中心として回っていかなければならないのでしょうか? それは錨です。地上世界の悪魔の主管は、伝統的に習慣化されて染まって汚れているものを清算することのできる錨です。綱でつないで皆さんを押し出すのに、錨綱が引き抜かれたり、切れてはならないのです。

 それが皆さんの家庭にならなければならないし、皆さんの一族にならなければなりません。切れるかと思って、一族を束ねて国家的な祝福家庭、メシヤを皆束ねてあげるのです。

 国家的メシヤの立場は、サタンが相対できません。結果主管圏を持ちます。長成期完成級まではサタンが主管する圏内ですが、祝福を受けて息子・娘を持ち、先生が認定するのです。血統転換して自分の圏内にいる絶対的な存在を認定するのです。

 そうでなければ血代転換がありますが、血代転換ができないのです。それで、お母様の責任です。数多くの女性たちが、先生を中心として怨讐です。旧約時代の新婦もおり、新約時代の新婦もおり、成約時代の新婦もいます。それが宗教で言えば、四大宗教が残っています。キリスト教で教えるものは、仏教で、儒教で、皆教えてくれるのです。

 こうして二つの主流が現れ、お母様を中心として一つになって、帰っていかなければなりません。理論的にそうです。二つの世界が長子権、父母権、王圏が一つになって、天地の大道で堕落しない完成基準の絶対愛を中心として、絶対愛の伝統がすべて打ち込まれ、天の果てまで軸になって、これを中心として世界が帰っていかなければならないのです。そのある焦点を合わせておかなければなりません。

​  神様が縦的な父母 であり、アダムが横的な父母だという理論は、一体理想です。一体理想がなく、愛の喜びを共に感じることのできない立場では、統一されたとは言うことができません。​

 それを教えてくれるのが、今回、お父様とお母様が語られた内容です。「救援摂理史の原理観」は何でしょうか?先祖と神様との関係、イスラエル民族との関係、終わりの日の再臨主を中心とした世界との関係、父母と関係できる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の関係を明らかに教えてあげた内容です。

 これはすべての統一教会の食口たちが、千回、万回読んで暗記して、目を開けても、夢の中でも唱えることができるようにしなければなりません。

 神様が、このみ旨のためにどれほど、千万回、億万回を考えながらも涙をたくさん流された道であるかを知らなければなりません。これが九六年を中心として回っていく年です。この年にアダム家庭からイエス様までのすべての失敗、この地上に恨みの残った先祖まで皆、清算しなければなりません。

 霊界に行ったすべての先祖たちや自分の後孫たちは、世界的な神様の祝福を受けることのできる解放時代を願っているのです。どこのだれもがそれを願っているのです。優れていようと劣っていようと、それを願っているのです。

 天を掃除し、地を清算すべき真のご父母様は、どのように清算すべきかに心を痛め、気をもむだけではいけません。それを収拾しなければなりません。橋を架けなければなりません。

 橋が断たれれば、石橋を架けたりしなければならないし、それがだめなら、木の橋であれ、皮の橋であれ架けて、渡っていかなければなりません。渡っていけば、その橋は必要がありません。また、説明をすることができません。相対に説明をすれば、行くべき道が塞がります。

 父母様だけが、神様とサタンの前で独自的に解決しなければなりません。議論することができません。議論することができれば、復帰歴史は問題がありません。母親の怨讐があり、母親の息子の怨讐がいます。母親としてすべきことは、これを愛さなければなりません。

 このように見れば、私たちの家庭で聖進の母親と聖進がちょうど引っかかるようになったのです。どのような困難があったとしても、離婚した後、聖進の母親をお母様は知ることもできません。結婚して七年に満たないで離婚したので、知ることも見ることもできませんでした。けれども、お母様は聖進の母親のために投入したのです。

 では、お母様に対して、今まで私が教育したのが何かと言えば、離婚した聖進の母親のすべての便宜を図ってあげることです。本当にお母様は素晴らしいのです。私は本当に尊敬します。

 蕩減復帰は、ただで越えていくことができません。死んでいきながら、自分がお母様に対して福を願って、自分の福をすべて譲ってもいいというのです。

    世界的な解放祝福時代

 自分はこのように行きますが、世の中で自分が夢見た以上にお父様に侍り、息子 娘を自分の息子・娘の名で受けた願いの代わりに祝福をしてあげ、行くことのできるお母様にならなければならない責任が、お母様の使命であることを知らなければなりません。それが易しいことでしょうか、難しいことでしょうか?

 また、聖進の母親の代わりの存在を立てなければなりません。崔元福先生は、崔氏の一族です。崔先生は、夫と子供から離れて、反対されるところから従ってきたのです。そうしながら、お母様の行く道の切り盛りをすべてしなければなりません。

 そうしながら、お母様に自分の母親のように侍らなければなりません。娘のように侍らなければならないのです。嫁のように侍らなければならず、母親、祖母のように侍らなければ復帰はできません。だれかがそのようなことをしてあげなければなりません。

 ですから、お母様を選べば、すべての面を中心として、お母様の代身の役事を、皆切り盛りしてあげなければなりません。築いてあげて、後でお母様に相続してあげなければなりません。

 ですから、お母様の仕事がどれほど大変でしょうか?どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。

 また、お母様の母親、大母様がプログラムを霊界から教えてあげます。“これこれこのようなことがあれば、このように行かなければならない”と、そのように苦労されました。再び霊肉を中心として、お母様を災難の中から解放され、よくなるようにすることのできるみ業をしたのが大母様です。

 そのようなことは、すべて統一教会のだれも知りません。劉協会長も知りません。それは私が皆、お母様を迎えて聖婚式が終わった後には、大母様に対して「この洪氏のおばあさん、今から教会の正門を出入りできません。裏門を出入りしなさい」。と言いました。

 その狼のようなおばあさん、おじいさん、自分の孫娘・嫁を中心として、真のお母様に結ぶために準備した団体と、準備した人が珍しくないのです。十二派以上になるのです。競争するのです。その戦場を全部訪ねていくのが先生の責任です。皆さんは、そのような内容は知りません。今日、お母様一人を立てるのがどれほど大変だったかしれません。

 お母様は、ただ現れたのではありません。涙ぐみながら従わなければなりません。さあ、このようにして一九九二年まで先生の後についてくるのです。お母様を前に立たせてはならないのです。女性を前に立てれば、必ず皆、先走りしやすいのです。天機を失いやすいのです。

 すべて先生に従って、先生が皆築いておいて、すべての蕩減圏を中心として、女性解放とともに女性解放の土台の上で、お母様を先生の横に対等な立場に立てるのです。

 そのときから先生が権限を高めてあげたのです。三年、四年以内に譲ってあげるのです。その道を行っているのです。今年までです。今年まで、全部清算しなければなりません。ですから、急ぐのです。残しては、問題が生まれるのです。

 こうして、「世界平和家庭連合」が定着することのできる基盤を築き、このようにして蕩減解消宣布式まで行かなければなりません。そうせずしては、全世界三百六十万双を越えて、民族とすべてのものを越えて、同一な立場で祝福をしてあげることができないということを知らなければなりません。

 皆さんがこの道に出るためには、二人の母親の血統を引っ繰り返す過程を経たので、そのことを相続するのが血統転換式です。真の父の名によってするのです。それは、お母様も分かりません。

 赤ん坊の種は、父親によるのであって母親ではありません。しかし、父母の基準を連結させようとすれば、皆、赤ん坊が定着することのできる相対理想がないので、父母の名をもって血統転換式をしているということを知らなければなりません。その式も復帰式です。

 天使長、お母様、お父様、アダムを通して、杯を女性の上に置いてあげるのは、愛と同じです。アダムとエバの失ってしまった初愛で結ばれるその式です。条件的な式です。聖酒には、そのような条件物が入っているということを知らなければなりません。

 そうして、先生が今まで、三家庭、三十六家庭、七十二家庭、それから、百二十四家庭、四百三十家庭、七七七家庭、それから一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、それから三百六十万家庭の祝福という過程は、世界的な解放祝福式の時であるというのです。公式的です。

 愛を除いて血統転換はできません。終わりの日に神様がそうでなければならず、来られる主がその過程を経なければ、越え立つ道がないということを知らなければなりません。二人の母親の愛の因縁を引き継いで、二人の息子を統一して、前後を分けることのできる伝統的血統を連結させる条件物が聖酒です。

 皆さんの家庭に二人の母親がいるとすれば、二番目の母親が主流になることを知らなければなりません。おじいさんが孫になり、息子がお父さんになり、お母さんが娘になり、それから、妻が主体になるのです。反対になるのです。夫が夫ではありません。妻の立場、僕の立場に至らなければなりません。

 そうなれば、三代を祭物としていっぺんに生きた祭物をささげることのできる心を持たずしては、帰ることができません。おじいさん、父親、自分のお兄さんです。おばあさん、母親、お姉さんは、譲ってあげなければならないのです。地上で戦争をするときに、敵国が滅びるようになれば、女性たちは皆捕らえられていくのです。女性たちを解放してあけるのです。

 皆さん、そのような決意をすることのできる立場にならなければなりません。おじいさんと父親とお兄さんを祭物としてささげることのできる人にならなければ、乗り越えることができません。

     「神の日」が設定された背景

 旧約時代、新約時代、成約時代です。それゆえ、統}教会の今後において、自分の父親がどうだといって還暦を祝いながら、うちの何々家の一族がどうだこうだ、と言ってはだめです。氏族的メシヤ(宣布)という話が出る前には、それをやっては引っかかるのです。

 還暦を祝うようになっていますか? 誕生日は祝えません。私は三年間、誕生日を祝いませんでした。誕生日にも、ご飯一つに三つのおかずを越えませんでした。喪服を来て、三年の喪に服さなければなりません。それが愛を抜いてしまってはならないことを知らなければなりません。

 また、「神の日」を策定するとき、どうして「神の日」を一九六八年一月一日に宣布したのでしょうか? お母様があらゆる女性たちを一つにして、真の父母を愛し、神様を愛したという式を過ごす前には不可能なのです。

 女性の中ですべての愛を中心として、王宮では、王妃は王女たちを愛せよと言いましたか、嫉妬しろと言いましたか? 愛したならば、王が行くことのできる手引きをして、すべて譲ってあげなければならないのが王妃の行くべき道であるということと同じです。

 そのように、お母様としてすることのできることをすべて成さなければなりません。世の中のすべての女性たちを皆、ご父母様だけが愛され、神様だけが愛することのできる道を紹介するのに、一番の代表になったという条件を備えなければなりません。

 どのような女性であれ、妹のように愛し、その者を生かすためには、自分が神様の代わりにメシヤの十字架を負っていくのです。“十字架の道を行こうでという心情を持ちながら、東西南北、心に引っかかるものがあってはなりません。

 そのようなものがパスされる立場が設定されることによって、「神の日」が設定されたということをはっきりと知らなければなりません。

 それゆえ復帰の道は、六千年、何千万年ではありません。先生でなければ、何億万年、すべて地獄になるのです。先生は時になれば、あらかじめ分かります。自分の行くべき道が分かります。教えてくれる前に分かります。間違って選択すれば、いつの間にか葛藤が起こります。分かるようになっています。

 それが天の福であり、私たち民族の福です。その福のある先生に反対する韓国を見なさい。先生の時代においての二十四年間に復興したすべてのものが、八〇年代を越えて、十二年間に全部、敗亡していっているのです。先生の話を聞かないので、全部倒れつつあるのです。

 さあ、結論は簡単です。ただそのまま成されるものはありません。蕩減条件を立てずしては越えていくことができないということを知らなければなりません。神様が現れるのに、どれほど悲運の歴史を見たかというのです。先生が昼夜、どれほど息が詰まったかしれません。五感がすべて麻痺し、息詰まる過程をすべて、僕の僕の道を経てきたのです。僕の僕の道を経なくては、その道を開拓できません。

 「父母の日」もそうです。「父母の日」、「子女の日」、すべて条件を立てるのです。それゆえ、皆さんは知りませんが、このような転換点では必ずすべて、律義な統一教会の教会員たちが全部祭物になっていくのです。

 統一教会に祭物となる人がいなければ、世界の他のすべての宗教、キリスト教であるとか、そのような所のすべての人々が、先生のプログラムに合わせるために多くの人が犠牲になっていっているということを知らなければなりません。

 皆さんがこの場にまで出てくるためには、その背後に数多くの人を祭物として犠牲にしてきたのです。そればかりでなく、その花として花を咲かせなければならず、香りを放ち、天の天使と天に侍ってさしあげることのできる実を持たなければならないということを知らなければなりません。

 皆さんの目で、先生を見ることのできる資格がある人は一人もいません。正面で見ることができ、正面で「お父様、ご父母様」と、あいさつできる者は一人もいません。私はそのような立場で神様に侍りません。絶対、不変、唯一、永遠性をもって侍ります。

 きょうを期して、今からは、再び皆さんに語る時がないので、すべて任せるつもりです。公式席上に立って、「こうしなさい、ああしなさい」と、皆教えてあげました。

 もはや、「神の日」が先生を代身して皆さんの日となり、「父母の日」が皆さんの日となり、「愛勝日」が皆さんの「愛勝日」にならなければなりません。

 後孫のために伝統を正しく立てて、悔い改め、相対的立場に立って、それを中央につないで三六〇度、氏族と自分の一族を通じた民族の前に、連結させるべき責任があるということは、復帰摂理路程で不可避な結論です。お父様の代身者にならなければならないのです。

    純潔を愛する

 イエス様の生涯は悲惨です。父親がいませんでした。母親はいましたが、母親の愛に対してイエス様は相対することができません。兄はいましたが、相対することができません。

 毎日、生活する主体を中心として、天道の道理を立てていかなければならないのに、その主体がなすべき目的が何かと言えば、家庭を築くことです。祝福世界を築かなければならないのに、そのような話し合う相手が一人もいなかったという話です。

 堕落は十六歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、十七歳で結婚についてマリヤに話したのです。

 十七歳のときに結婚で行くべき道を説明し、十年後の二十七歳で説明したのです。また、三年後に三回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのです。

 だれがイエス様の相対にならなければならないのでしょうか? それが洗礼ヨハネの妹です。サタンが汚した血統は完全に切ってしまうのです。完全になくなるのです。

 サタンは家庭破綻と青少年破綻をもたらしました。アダム家庭でなされた世界家庭の破綻を、世界版図で成したのです。それがサタンが行き着く終着点です。

 家庭で天下を収拾しなければならない道を整備するのが、国際合同結婚式であることを知るべきです。(アーメン)。責任を果たさなければなりませんか、果たさないでいいでしょうか? (果たさなければなりません)。

 三代を祭物にする悲惨な立場を越えて立つためには、これをしなければなりません。これができない皆さんは、私とは関係がありません。私は私なりに行くのです。

 そのような意味で国家的祝福が成就されたときは、今まで反対された迫害の中で、許しを受けることのできる道がそのときにあるかもしれません。それから世界的舞台を、三段階の道を越えなければなりません。特赦される時代は今からです。

 一線を越えなければいいと思って勝手に行動する人は、全部、再び聖酒式をしなければなりません。純潔な血統をもって、越えていくようになっているのです。

 今後、手をつけることのできる相対はいないのです。分かりましたか? (はい)。はっきり分かったという人、手を挙げてみなさい。皆、そのように教えてあげなさい。いつもこの女性たちが問題です。この女性たち!

 さあ、ですから、先生の一生がどれほど悲惨だったでしょうか? 純潔を愛する先生です。

     「愛勝日」の意味

 このように、真の愛という道理を中心として、“ああ!『神の日』がこのようなものだった”ということを知らなければならないのです。お母様として、ご父母様として息が詰まる立場を三六〇度回ることができるのですが、無難に通過しなければなりません。

 そうしてこそ、神様がこの女性世界の版図、男性世界の版図を自由自在に往来できる価値を持つので、神様の解放という条件を立てて、「神の日」を創建したのです。「父母の日」も同じです。お母様がそのような道を経なければならないのです。

 「愛勝日」は、“死”以下の立場に降りていって、本然の愛を神様とともに植えておかなくては、その息子・娘が皆、解放の天国を越えていくことのできる道を築くことができないのです。ですから、「愛勝日」を宣布することによって、昇華式が可能であるというのです。地で祝福してあげてから行くのです。

 今からは、「真のご父母様への誇りと愛は、三百六十万双祝福の完遂」です。皆さん全部、誇ることもできなかったし、愛することもできませんでした。この峠を越えなければなりません。

 皆さんの解放もなし、皆さんを全部祝福してあげ、宴を催すことのできる一日が始まるのです。その日を越えたとすれば、三千六百万双は一年以内に可能です。言論機関を通してできるのです。

 地の果てまで、私たちの喚声が響き渡らなければなりません。知らせてあげなければなりません。知らせてあげなければ、皆さんが引っかかります。ご父母様の責任を果たせないのです。

 神様が待ち望んだ、その復帰の路程の前に、父母たちが責任を果たせなかったすべての怨讐のその血族の群衆を、解放させるためのみ業が真の父母の歴史です。

 きれいに清算しなければなりません。アダム家庭からイエスまで、全部清算しなければなりません。その上に三百六十万双をすることによって、アダム家庭の氏族、民族、国家、世界が一時に結ばれるのです。祝福によってそのようになるのです。

 祝福は真のご父母様に侍り、神様に侍り、祝福を受けた人が天国に入っていくものです。後のアダムのように、自分の後孫に従って祝福を共に受け、入っていくことのできる天地に解放圏が生まれるのです。

 愛する相対がいれば、地獄に行ったとしても、地獄の門から復帰してくることができるのです。真の愛が問題です。ために生きた人のその妻が地獄に行ったとしても、全部復帰してくることができるのです。サタンは権限がありません。そうなれば、世の中の天地がすべてきれいになります。

 すべての民族は天の国の民として、皆さんの後孫たちが生まれる解放の息子・娘を持ってこそ、天国に直行する息子・娘を産むことができるのです。アーメン。(「アーメン」)。これが堕落しない先祖、アダム・エバの完成の立場です。

 先生の話をどこのだれも理論的に「間違っている」と言うことができないのです。考えてみなさい。この膨大な内容は、どのようにこの体制をつくってみても、このようにまで数理的な現実世界の版図に合わせてなすことはできません。それをこれまで越えてきたという事実は、千年万年の讃揚の条件をかけようとしても探し出すことのできない喜びの立場なのですが、皆さんはそれを自分勝手に対してきたというのです。

 その罪は、一対一の蕩減法では許すことのできないものですが、先生のために生きるという標準の下で許すのです。そうでなければ、私が霊界に行っても、再び祝福家庭のために生きることになるので、私が十字架を負ってでも祝福家庭の過ちを責任をもって許してあげようとしているということを知らなければなりません。先生の世界がどれほど深刻でじょうか?

 皆さん、「骨が泣き、骨髄が泣く」という言葉は、世の中にはないでしょう。「骨身にこたえる」という言葉はありますが、骨髄が泣き、骨が泣き、肉が泣き、このすべての感覚が泣く立場を経ずしては、堕落のきずあとを消すことはできないという事実を知らなければならないのです。

 きょう、「愛勝日」を迎えました。興進を生きた祭物として送ったのです。それは、愛を中心として家庭的背景を中心とした天上世界への橋なので、イエス様も興進様に従っていかなければならないのです。

 家庭の橋を経なければならないのです。この地上で、初めて真の父母の子供として真の父母の愛を受け、天上世界に祭物の勝利者として行ったおかたが興進ただI人なので、天上で全権をもって統治することができるのです。

 ですから、霊界に行ってみると、自分の存在が何でもなく、客死の体になるはずなのに、生命を断つ前に全部条件を立てたので、死んだ後にもサタンか干渉できないのです。ですから、昇華式です。

 統一教会を信じた人たちは、真に三代が一つになって昇華式をするときには、罪人までも許される道があるのです。「愛勝日」の意味が分かりましたか? (はい)。お母様はその場で悲しんではならないのです。

 それと同様に、悲惨な私の祈祷を、今回、北韓に行って父母の墓前でしました。姉と妹が痛哭するのです。「母親が恋しがっていた息子の何某が帰ってきた」と痛哭していますが、そこにおいて息子の立場で、兄弟の立場で涙を流していいでしょうか? はらわたがよじれなければなりません。しかし、涙を流してはならないのです。

 私が果たすべき責任があり、その責任を果たすために来たのです。その使命を完遂する前には、涙をこの地に流してはならないのです。

 「そうしなければ、異国の地で死んで哀魂を残したすべての霊たちの解放ができません。私が解放され、ここに来て宴を開くとき、その哀魂たちまでも解放しようと思うので、母親として私のことを不孝だと思わずに、勝利の日を待っていてください」と言ったのです。

 ですから、解放を急いでいるのです。そうするためには、南北解放が不可避です。南北米の統一を中心として、世界的囲いを中心として行かなければ、南北の統一は不可能です。

 日本に関しては、各国に母親の責任を果たせるように、囲いをしておくのです。そのようになれば、日本は亡びません。

 さあ、目の前に明日の希望たる統一の世界、地上天国を見詰めながら、このように「愛勝日」を守るきょうという日が、どれほど貴重でしょうか?

 皆さんが、その根になる力がどのように連結されているのかを考え、昇華式をいいかげんにせずに、この根に接して、そこに相対的因縁を結んでいかなくては、天の国に行くべき道が塞がってしまうということをよく知らなければなりません。これが結論です。きょうの日を忘れずに、この話をしっかり記憶してください。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.02.12 20:01:33
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