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2023.03.19
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言(前編)

1997年8月9日(陰暦7月7日)九里市水澤洞・中央修練院


  宣布の祈祷

 愛するお父様。
 きょう、一九九七年(陰暦)七月七日七時七分七秒を中心として、三百六十万双家庭祝福を中心としたこの日、「真のご父母様を誇り、愛することは、三百六十万双祝福の完遂」という今年の標語のすべてのことを成就いたしました。

 どれほど苦労され、どれほど恨みの心情を抱いてこられましたでしょうか? ここに立っている真の父母の名を持った子と子供たちが……。つらい歴史の時代のあなたの心情を知らずに指示してきたものを、真の父母をこの地にお送りになって、あなたの心情を吐露することができ、内的事情を教育できるようになりました。

 青少年時代にアダムとエバを失うことによって、家庭が破綻しましたし、神様の血族を受け継ぐべきアダムの血族が、十六歳以後にサタンの体を通してサタンの血族に連結された悲しい歴史を残したことを、私たちは知るものでございます。

 そうして、今まで天使長圏の血統を残し、サタンの血統を残したものを、歴史を立てるために、あなたの天の国の新しい天使長の立場に立っている宗教圏を立てたことを考えますときに、今まで個人救援摂理を標準にしてきたのは、天使長圏の長子を捜すための歴史であることを私たちは知るものでございます。

 旧約時代、新約時代、成約時代を経て、選民圏の上に世界的な救道の中心である再臨時代を迎えさせてくださって、アダムによって誤った青少年の倫理と家庭破綻を、世界的途上で整備すべき、とてつもない時代を迎え得る時をもたせてくださったことに感謝いたします。

 これは、第二次世界大戦後である一九四五年を中心として、連合国を中心として新婦の道理を受け継いだキリスト教が、来られる再臨主の前に新婦の責任を果たせなかったことによって、また再び、エデンで失った家庭的悲しみよりももっと大きな悲しみが始まったことを知るものでございます。

 アダム家庭で失ったものをエバ国家、アベル国家、世界的国家とサタン世界の枢軸国を中心として、心と体が分かれたイエス様の恨みを一体化させるための闘いをして、キリスト教文化圏を中心とした統一世界を備え、世界的摂理途上で勝利の覇権を有し、再臨主を中心とした真の父母の血族をこの地上に着陸させ、万民解放のための祝福の時代を迎え得る世界史的な合同結婚式を迎えていたならば、そのとき、八億近いキリスト教徒を中心として、このことが実践躬行されていたならば、一九五二年まで七年期間にこの地上に地上・天上天国を完結すべきことがあなたの願いであったことを知るものでございます。

 これが、新婦の道理を受け継いだキリスト教文化圏が反対することによって、アダム家庭のゼロの基準において堕落の世界という悲しい環境をサタンの前に譲り渡してあげたことと同様に、世界的勝利の版図として築いたキリスト教が、新婦的エバ国家が責任を果たせないことによって、再び地上に落ちた悲しみを抱くようになられました。さらに、来られる真のお父様は、この地上で独り荒野の道を行かなければならなかった、その悔しく悲しい歴史を考えますときに、その時間というものは、天地の悲痛な歴史的な恨みを残しかねず、そのことによってもたらされた天の悲しみは、世界的な歴史全体を蕩減するための世界家庭理想を中心として、万民解放を一時に成すことができたはずのものを失うことによって、家庭的基準で堕落したアダム家庭も問題にならず、イエス様を中心として勝利の土台の上に家庭を築き、民族糾合を成せなかったことよりも、さらに一層大きかったということを知るものでございます。

 サタンの血族圏を完全に清算し、神様が自由天地で安息なさることのできる安息の家に訪ねていかれたいという、お父様のみ意を知ったものでございます。

 七千年歴史の千年世界を待ち焦がれたお父様、これを連結させるために、キリスト教において安息日を立て、七日基準を中心として安息していた、その基準を引き継ぐためのお父様の苦労の歴史がどれほど大きかったかということを知っております。

 このようなすべてのことを成就できなかったことによって、神様は天の玉座に独りでお座りになって、囹圄(牢獄)の身になられたように、サタン権限の耐えがたい歴史を経てきたことを知っております。

 忘れることのできないお父様の心情を持ちつつ忘れるべき環境的与件、投入できない事情を持ちつつ再創造しなければならないお父様の心情、愛することのできない群れを愛すべき心情を、どこのだれも知り得ないことを、この子は知りましたがゆえに、悲しみを覚悟し、死を覚悟し、四十年の峠を越えるための受難の道を経てまいりました。

 天の心情を慰労することのできる道があるとするなら、いかなる道でも、いかなる死の道でも越えていこうと決意した決心を中心としてやってまいりました。

 お父様、東洋と西洋の文化全体を失い、南北の統一世界を中心として、万国の中心国家であるべき祖国の山河を失い、祝福を成してあなたの一族が、天の一族になるべき血族の子女たちが全部二分されなければならない立場に立ちましたがゆえに、また再び、共産と民主を中心として、二分された闘いを経て、四十年期間という復帰の道を再び歩まざるを得なかったという歴史的な事実を、統一の群れは知っております。

 この四十年期間は、摂理史の四千年に代わる期間であるがゆえに、キリスト教とキリスト教信仰国、あるいは宗教と宗教を中心としたすべての人たちに加えたサタン世界の主権国家の行使は、今日、世界舞台を抱いたあなたのみ旨の前に、反対する全世界が合わさって、来られる真の父母を攻撃した四十年間であり、そのような歴史を迎えるお父様の悲しみをだれも知りませんでした。

 独り、独り、独りでこの道を開拓なさったお父様の指導の前に、個人的なあなたの安息所を準備するための闘い、夫婦的な安息所を準備するための闘い、家庭的な安息所を準備するための闘い、氏族的な安息所を準備するための闘い、国家的であり、世界的であり、天宙的な安息所を準備するための闘いをなし、あなたが自由自在に住まわれることのできる、そのような創造理想的自由環境を開発するための受難の四十年史がもはや皆、峠を越えました。

 そのことによって、きょう、真の父母を中心として天宙安息圏を宣布することのできる驚くべき時間を迎えました。

 二十代、三十代に向かっていた青年時代に願った望みを失った、あなたの息子たるこの文某という人物が、この地上で限りなく悲しい堆肥の山に立って、歩んできた屈辱のすべてのもの悲しい歴史というものは、歴史上のいかなる人間も成し得ない困難に遭遇しながら、天が耐え忍ばれた心情を見詰め、その伝統を受け継ごうといいながら歩んだ歴史であり、そうやって、四十年の峠をすでに越えてまいりました。

 それによって、三百六十万双の家庭を中心として、アダム家庭で失ったものを世界万民を一つの標準的基準で、アダム家庭の代わりに世界圏の一家庭の立場で祝福することによって、万国万民の解放圏を備え、安息の世界に受け継ぎ、地上・天上天国世界に越えていけるようになったことを感謝申し上げます。

 この道を行くためには、長子権を復帰しなければならないし、父母権を復帰しなければならないし、王圏を復帰しなければなりませんが、その限界圏である三百六十万双を越えさせてくださった天のお父様、感謝いたします。

 今は、家庭的長子権がこの地上に存続するようになりましたし、国家的家庭圏がこの地上に存続するようになりましたし、天宙的家庭圏がこの地上に存続することによって、家庭を中心とした王圏時代が私たちを迎え得る時代になったがゆえに、家庭で安息するのであって、神様に侍って安息させてさしあげることのできる解放圏を宣布できるこの日を迎えさせてくださったことを本当に感謝いたします。

 きょう、この日は、あなたの息子たるこの文某の年が七十七歳を迎えたのであり、一九九七年(陰暦)七月七日七時七分七秒を中心として、七数を八回連結させることのできる焦点を合わせて、七、八数を越えて立つことのできる安息年と再出発の数を連結させることのできる時代が来ました。そのために、統一家のすべての群れたちは今、天の権威と天の愛の伝統を受け継いだ家庭を中心として、天に侍り、国家を中心として天を安息させ、世界を中心として天を安息させ、天宙を中心として天を安息させてさしあげることによって、神様と真のご父母様が自由に行動されることのできる安息的基盤が家庭から天宙にまでつながるようになりました。そうして神様と一体を成すことのできる一つの地上天国の王圏と天上天国の王圏が一時に樹立し得る限界線を越える時を迎えさせてくださることによって、このことを成就いたしました。

 このことのために、エバ国家を代身し、代表することのできるお母様がこの地上に来られて、天使長国家アメリカと天使長国家を中心とした国連の舞台を中心として、南北に分かれたものをアメリカを中心として統一的な運勢を備えて韓国に植えるようになりました。そして、解放基準において民族的解放を代表し得る韓国になるべきことを心配してきたあらゆることをあなたが保護してくださって、三次にわたってお母様を中心としてこの地上に送り、み言を伝えることによって、お母様として今回、十六か所における講演を通じて十六数を越え、新しく門を開けて、この地上の高位層の者たちを解放させることのできる祝福を許諾なさることによって今、祝福家庭が神聖であることが挙国的に知られるようになりました。

 そこに南北の女性たちを中心として、世界の南北を代身することのできる女性を代表した大会で歓迎を受けることによって、もはや、きょう、十六数と十八か所における大会を中心として、このような日を宣布するようになりましたし、明日の八月十日を中心としては、この国のあらゆる中枢的な群れ、世界のあらゆる主権と国家を代表することのできる核心たちを中心として、天の勝利圏を宣布できる家庭的王圏時代に入っていくようになります。このような祝福がこの地上に成され、統一教会が家庭祝福において、先頭を走ることのできる祝福圏をお立てになったのも、お父様のご苦労によって成されました。

 韓国に立つ所がなかったものを、お母様とあなたが協力することによって、このような基盤を持つようになったことを、本当に感謝申し上げます。

 このような基盤の上に、きょう、このような真の父母を中心とした「天地父母天宙安息圏宣布」を成すことができるように許諾してくださったことに対しましても、お父様の前に千回、千回、千回、感謝を申し上げます。

 あなたの願いである家庭的王圏時代、国家的王圏時代、世界的王圏時代と天宙的王圏時代の安息の基盤が、この地上に成されることによって、囹圄の身であられる神様を解怨成就してさしあげ、解放的な立場で愛の天宙を抱くことのできる時代を迎えるようになったことを喜ばしくお考えください。

 この息子が来たこの道を涙とともに保護し、助けることのできないお父様の悲しみが、どれほど大きかったかということを知っておりますので、今からあなたの願っておられた全体、全般、全権、全部の権限をもって、万国をあなたが主管なさって、解放天国に進展できるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切に懇切にお願い申し上げます。

 もはや、真のご父母様が行く所には、悲しみの涙を流していたその涙の跡が消える時代になりました。あなたの解放の権限をもって、ご父母様の家庭から万国まで巡行なされるうえで、何の妨げもなく行って帰ってくることのできるご巡行となり、そして、創造理想の特権的な最高の頂上の位置に立たれて、ご自由に愛する子女たちと愛する国と愛する世界と愛する天宙を巡行なさることができるように、真の父母の名とともにそのようなあなたの解放と全幅的な解放を宣布いたしますので、お受けくださいますように懇切にお願い申し上げます。

 そうして、「天地父母天宙安息圏宣布」を成す時間を喜んでお受けください。天からこれを宣布なさって、天上世界と地上世界の統一圏の勝利の旗を高くお揚げください。
 真の父母のみ名によってこの日を宣布申し上げます。アーメン。アーメン。アーメン。

 この後、全体での敬拝、各代表者による敬拝、「家庭盟誓」
 の唱和等が行われ、再び、真のご父母様による祈祷(祝祷)
 が行われました。

  祝祷

 愛するお父様。
 きょう、このような「天地父母天宙安息圏」解放日を、解放の時代を、解放の世界を宣布できる、摂理史のただ一度存在し得るこの日を迎えさせてくださった恩賜を感謝いたします。

 きょうのこの基準を立てるためには、世界的家庭を中心として、サタン世界を凌駕し得る三百六十万双の超国家的祝福の勝利の時を迎えることによって、このような日を設定するようになった恩賜をお父様の前に感謝申し上げ、だれも想像できなかった緊迫した心情の焦燥感を感じた三百六十万双責任完成が、どれほど私たちにとって真摯であったかを知っております。

 どのような力でも解決できないこのことを、天が中心となられて真の父母の体を通して宣言させることによって、短い期間にこのような歴史的な奇跡を創出するようになったという事実を、身をかがめてあなたの前に感謝せざるを得ません。

 神様を中心とした霊界全体が地上に君臨されて、このことを成就させるために、いかなる時代的摂理路程でも決意、団結なさって、地上協助体制を強化するように協助されたことによりまして、私たちに解放の時間を持たせてくださったお父様の前に感謝申し上げ、天上世界のすべての数千万の聖徒、聖賢、賢哲たちの前に感謝申し上げます。そして、キリスト教まで復帰してくるために、天使長圏の血縁的因縁を持っているわが先祖たちが共に協助することによって、アダム圏地上家庭圏理想の解放を成して、世界を越えることのできる、分水嶺を越えることのできる三百六十万双を超えさせてくださった恩賜に感謝いたします。

 今から三千六百万双、三億六千万双をするとき、登った分水嶺から下りていくことのできる時代を迎えて、家庭的な平等時代をこの地上に真の父母の名前とともに宣言できる時代になることによって、アダム家庭において父母自身が自分の直系の子女たちを中心として真の愛を拡大させ、天上・地上天国を迎える時代に差しかかったのでございます。

 このようなことを考えますとき、この地上で生きる人は眠りから覚めることができずに、知ることができませんでしたが、統一家に集結されたあなたの子女たちは、切ない心を抱いて四方を眺めながら、人々が豊かに暮らす時代に迫害を受けながら、孤独な歩みで路地であえいでいた時代を経て、今は都市を超え、国家を超え、世界、国家の首都圏を行き巡ることができ、彼らを集めて、場所を超越して祝福の代を継ぐことのできる解放時代を迎えたということは、神様がこの地上で家庭を出発されて、世界どこでも自由に、エデンの園のアダム家庭の祝福と同じ恵沢を分け与えることのできる時代圏に臨ませてくださったことを、より一層感謝せざるを得ません。

 このすべてのものが協力して、今、三千六百万双、三億六千万双は私たちの決意によって、天の全権、全能の時代、全般、全体の時代が、真の家庭、真の愛を中心として祝福の恩賜圏を家庭を中心として連結いたしましたので、これが核となって動けば動くほど、氷が氷の焦点を中心として結合するように、この世界の家庭は統一の世界へと、一つの家庭連結体として連結されることを考えますとき、自信満々に、今、天の権威をもって押し出すことのできる、特権的な勝利したアダムとエバに代わる家庭となるように許諾してください。

 サタン世界の血縁的痕跡をこの地上で根絶することのできる百八十度の家庭環境全体の堕落した世俗的な家庭を引っ繰り返して余りある、天の出動命令とともに権勢を振るい、実績を天の前に栄光として収穫できるように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

 切ない忠孝の道理の心情を持ちつつ行く歩みには、神様の心情の群れである天上世界にいる霊たちと天使たちが協助することを知っておりますので、強く、雄々しく、この祝福圏を一体化させ、一方通行で、終わりまですべてのものを押し切ることのできる胆力と勇気を下さるように懇切にお願い申し上げます。

 韓民族が誇ることのできる孝女・沈清を知っております。烈女・春香を知っております。忠臣・李舜臣を知っております。歴史上のどこの国にもない、天の伝統を代身することのできる長子権の宗孫(=本家の一番上の孫)たちを中心として、絶対的に侍り奉った歴史的伝統をこの国に残してくださいましたし、女性たちは貞操を重要視することのできる歴史的過程を経て、アジアを超え、世界の一つの標準的殿堂となるべきはずでしたが、それらが四十年期間にすべて崩れてしまいました。

 これを再び立てなければなりません。沈清のような孝子・孝女、春香のような烈女、忠臣の道理を果たした李舜臣のように、一切すべてを私たち統一家の家庭においてその伝統を立てて、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理の標本的な家庭になろうと決意することによって、一族全体をその懐に抱き、天の前に奉献することのできる国家体制、世界体制、地上天国体制、神様解放圏を見詰めながら、涙とともに勝利の実績を奉献することのできる特権的な群れとなるように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

 お父様、韓国の民謡には、 「月よ、月よ、明るい月よ……両親に侍って千年も万年も生きよう」 という両親に侍る伝統がございますし、青い空に帆柱もない船が西の方に行く、この宇宙人工衛星の時代を表象し、万国を代表した真の父母に侍り奉ることのできる伝統を持ったこの国であることを、お父様の前に感謝いたします。

 歌い重ねたすべての童謡と、見て感じた孝行の心情の道理を、私たちの家庭を代表して、天宙世界で活動することができ、活躍することのできる解放的孝子、忠臣、烈女たちとなるよう許諾してくださいまして、真の父母の誇りと真の父母の勝利圏をすべての万国、天上世界にまで伝統を残すことのできる甲斐のある民族性を築いて、万国がその伝統を受け継ぐことをためらわず、躊躇せず、自由に万歳を叫びながら、受け入れることのできる勝利の祖国領土となるように許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。

 その日を願われながら、どれほど待ちわびられたかを知りますがゆえに、このような標準を中心として、残してくださった祝福の責任を、万国どこであっても、一家庭も残さずにすべてまとめて天の血縁圏へと転向させて、あなたに自由に侍ることのできる自由天地に前進、前進、前進することをお祈り申し上げます。
 真の父母のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。アーメン アーメン


  真の父母という思想

 皆さんの顔をちょっと見てみましょう。私から祝福を受けた人たち、手を挙げてみてください。(笑い)全部ですね。下ろしてください。

 祝福というのは何ですか? 祝福を受ければ、どうなりますか? 祝福は本来、父親が子供たちに対して、自分たちが愛の夫婦になったものと、家庭、国家、世界、すべてのものを伝授してあげるものなのです。

 堕落しないアダムとエバの息子・娘となって祝福を受けたということは、神様とアダムとエバが縦的父母、横的父母になって、その父母から天宙のすべての所有権をただそのまま伝授されることであり、その式が結婚式なのです。そのことを知らなければなりません。

 この世の中で考えているように、祝福を受けた家庭が世俗的な観念を持ち、ただそのまま男性と女性が合わさって結婚すると考えてはいけないのです。分かりましたか? 祝福がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。

 真の父母という思想とは、何でしょうか? 神様が創世される以前から、その創造の中心に「真の父母完成」という概念があったというのです。真の父母を成就させるために、天地の万物、植物世界も全部がペアなのです。分子も、主体(陽イオン)と対象(陰イオン)から成っており、植物世界も主体(雄しべ)と対象(雌しべ)から成っているのです。それから、動物世界も雄と雌がいます。人間世界には男と女がいます。このように、全部がペアから成っているのです。それがなぜペアになっているのかというと、真の愛を中心としては、すべてのものが一つにならなければならないのです。

 一つになるには、一人では一つになれません。一つになるためには、水平にならなければなりません。男性と女性が、愛でもって初めて一つになるのです。

 思春期になれば、男性は女性、女性は男性を求めて、水平に連合してくるのです。どこに来るのかというと、ちょうど中央に来るのです。男性が十歩近寄れば、女性も十歩近寄って、ちょうど中央で一つになるのです。その中央が何かというと、神様が降りてこられることのできる、愛の伝統の垂直線に沿って来られるのです。

 ここに来て出会うようになるならば、結婚式をするとき、愛の主人はだれでしょうか? 人間ではありません。神様です。愛の根になる神様が、その結婚の中に臨まれるのです。アダムは性相であり、エバは形状ですが、性相になるアダムに無形の神様が臨在されるのです。無形の神様が形状のエバの中に入っていって、臨在されるのです。ですから、天地が一つになるのです。

 天の父母と地の父母が、愛を中心として一つになります。結婚して初日、男性と女性が合わさるときに、一つになるのです。「合徳」という言葉があるではないですか? 男性と女性が一つの体になる、そこに神様を中心として、内的な性相と形状である神様が、アダムとエバの中に入っていかれて、外的な性相と形状を中心として愛し合うことによって、二つの世界が一つになるのです。

 霊的世界の見えない性相と形状、これがプラスです。見える世界の性相と形状、これがマイナスです。ですから、大きなマイナスと大きなプラスが、初めて一つになるのです。

 これが一つになるのに、どこで一つになるのかというと、額で一つになるのではありません。愛の器官です。それが一つになって、アダムとエバを通して産まれる赤ん坊は、神様の息子であると同時に、真の父母の息子になるのです。

 ですから、私たちも真の父母がふたりのおかたであるということを知らなかったのです。親がふたりであるということを知らなかったのです。堕落して、そのようになったのです。

 堕落しなかったならば、絶対愛である神様の愛を中心として、絶対的であり、永遠であられる愛を中心として、変わらずに唯一的である愛を中心として、アダムとエバが真の愛で一つの体となったので、アダムとエバは不変の愛の主人となり、唯一的愛の主人となり、永遠であられる愛の主人になることによって、この世は地上天国となり、天上天国と永遠に一つになるのです。父母が一つになることによって、子孫万代全部が、一つになった世界に拡大されるのです。

 それゆえに、血統が連結されなくては、父母という言葉を連結することができないというのです。真の父母という、真なる血統が連結された先祖が現れて、その先祖によって連結されたその家系全体が相続を受けることによって、真なる子女の家庭が出てくるのです。

 ですから、真の父母という言葉、真の父母の思想というものは、創世前からあったし、創世前から神様の理想の中で中心モデル、核となっていたというのです。それを中心として創造するうえでは、鉱物世界もペアであり、植物世界もペアであり、動物世界もペアであり、人間世界もペアになり、そして、見えない無形の神様もペアなのです。

 ですから、私たち統一教会には見えない世界、無形実体世界という言葉があるのです。見えない神様自体においても性相と形状を有しておられ、その性相は心のようなものであり、形状は体のようなものですが、神様も独りでは刺激を感じることができません。

 男性も女性も皆、愛を持っています。皆、愛を持っており、生命を持っているのです。女性は女性の生命を持っています。そうでしょう? 女性には女性の血統があります。しかし、女性がいくら多くても、男性が一人もいなければ、いなくなってしまいます。独りで、「ああ、私のあなた」といって、愛を感じることができますか?

 最近の流行歌の歌詞を見れば、全部、「いとしい人 愛する何々よ」と、このようになっていますが、五十億を超える人類の女性の中に、男性が一人もいないとしても、「私のあなた」ということを言えますか? それはばかげたことです。

  相対の必要性

 愛がなければ、目を開けたとしても、この目が何を見るためのものだと言えるでしょうか? 目が必要ありません。においをかぐ鼻も必要ありません。口が必要ありません。神様が独りでつぶやいても面白いですか? 心で考えたりもし、話したりもしますが、それでは面白くありません。

 しかし問題は、相対的な喜びと刺激と衝動を起こし得る風を起こせば、波も高くなり、低い所に移動するのです。それによって、そこに刺激が感じられます。すべてのものがそのようになっているのです。

 そのようなことは、相対を求めていく過程における、刺激的なあらゆる美と喜びを感じるための天地の調和であるのですが、それは、主体の前に対象が存在することによって初めて可能なのです。

 ですから、天地の大主宰であられる神様であったとしても、相対がないのならばどうしようもありません。何によって見ますか? 神様も目があるのでしょうか、ないのでしょうか? 創世前に神様の目があったでしょうか、なかったでしょうか?(「ありました」)。それを見ましたか?(笑い)けれども、「ない」と言う者はどうかしている人です。目があり、耳があり、鼻があり、手があり、五官が皆、あったというのです。

 けれども、いくら天地を創造された偉大な神様であられるとしても、独りで「ははは……」と笑うなら、気のふれた者になるのです。

 先生が相対もいないのに、「ああ、私の愛する人よ。ほほほ……」と言いながら踊ったりすれば、狂人になってしまうのです。神様も同じなのです。分かりましたか? 
 神様には何が必要なのかといえば、神様にも相対が必要なのです。このことを今日の既成教会は知りません。

 既成教会では、「神様は、絶対的な創造主としておられる聖なるおかたであり、人間は卑しいものである」と言っています。そこには、愛の概念と理想の概念がないのです。そうして、世界がどうのこうのと言いながら、大きなことを言うのですが、それらは皆、滅びて消えるのです。

 そのようなことをきれいに皆、知ってこそ、神様の息子・娘になれるのです。神様はすべてをご存じなので、そのような落後した足場で踊りを踊ったり、相手を探したりされないので、通り過ぎていかれるのです。ですから、通り過ぎていかれるものは、いくら騒いでも皆、滅びるのです。キリスト教と世俗的な社会と、異なるものが何かあるでしょうか? そこで真の愛を見いだすことができますか? とんでもないというのです。

 さあ、ですから、神様も独りでいるのが寂しいでしょうか、寂しくないでしょうか? (「寂しいです」)。皆さんのきょうの顔つきを見て、「私が愛することのできる相対がどこにいるか?」と探したことと同様に、「息子をどのように選択するのか」ということが問題なのです。

 今回、私たちの末の二人の息子を約婚させるうえで、数多くの女性がいますが、どのような女性たちを選んで嫁に迎えるかということに、それがのらりくらりとした調子で行ったでしょうか、深刻だったでしょうか?(「深刻でした」)。

 どれくらい深刻だったでしょうか? 自分の家門を尊重視し、統一教会の模範的な家庭を立てなければならない人を探さなければならないので、深刻だというのです。のらりくらりした調子ではできません。

 いくら愛の相対が多くても、愛することができないというのです。自分の相対は二人ですか、一人ですか?(「一人です」)。それをだれが教えてくれましたか? なぜ一人ですか?(「神様がおひとりだから」)。そうです、神様がおひとりだから。

 神様の目は二組ではありません。鼻も二つではありません。五官が何に従うのかというと、愛の方向に従うのです。愛のためなのです。愛のために生まれたので、すべての五官も愛の目的に一致できる方向に集中させなければなりません。五官が五つに分かれてはならないのです。

 思春期になれば、その女性がいくら絶世の美人でも、「ああ、私は男が必要ない」と言いますか?(笑い)どうですか?「私は男が必要だ。ノーメン」と言いますか?(「アーメンです」)。アーメンですか?(「はい」)。ここの人は知っていますね。(笑い)女性という存在は、男性の懐に入って死ななければならず、男性のために生き、男性のために死ななければならないというのが結論になるのです。

 また、男性という存在も、女性の懐に入って生き、女性の懐に入って死に、女性のために生きなければならないのです。

 さあ、神様も相対が必要であるという人、手を挙げてみなさい。神様ではないので、分からないことでしょう。百人に尋ねれば、百人が皆、相対が必要であるという話をするので、神様に「神様 あなたも相対が必要ですか?」と尋ねてみて、「違う」と言われれば、さらに「あなたの子供たち百人に尋ねてみても、全部、『いい』というのに、『お父様』という名称を持っておられながら、なぜ、あなたは『悪い』と言われるのですか?」と尋ねてみるのです。そうすれば、神様も「そうか? 私もそうだ」と、手を上げるというのです。それが理解できますか?(「はい」)。分かりましたか?(「はい」)。(笑い)
 ですから、真の父母という言葉とは、創世前からあったのです。創造するとき、何年かかったと思いますか? 聖書には六日間で創造したとありますが、そのようなお化けのいたずらのようなことはしないのです。法があるのです。

 すべての万物世界には種を植える時、芽が出る時、育つ時、花が咲く時、実を結ぶ時、刈り取る時があるのです。ですから、一筋の流れを経て、本郷に帰るのです。実で始めれば、一時代を経て、帰らなければなりません。帰らなくては実が現れないのです。
 そのように見るとき、真の父母の名がこの宇宙創造世界に初めて現れたのです。(「アーメン」)。

 真の父母のみ名を賛美すべし。アーメン(「アーメン」)。皆、理解しましたか?(拍手)

  家庭救援摂理時代と「神主義」

 私たちの教会は「再臨主教会」ではなく、「真の父母教会」です。イエス教会でもありません。今からは、だれかが詰め寄って、「真の父母教会が何だ?」と言えば、「真の父母であるからには、家庭救援を目標とする教会であるが、あなたたちは個人救援を目標とする天使長の子女である」と言いなさい。天使長の息子・娘の立場は滅びるのです。

 これから、家庭の救援時代に移っていかなければならないのです。世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚することができなかったのです。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないというのです。分かりましたか? 

 イエス様が雲に乗って来て、息子としての務めを果たすことができるでしょうか、できないでしょうか?(「できません」)。イエス様が雲に乗って来られるとでもいうのでしょうか? アダムとエバを地で失ったなら、地で取り戻さなければならないのです。失ったものを取り戻さなければならないのに、雲に乗って来て取り戻すことができるでしょうか? そのような夢や幻のようなものは皆、つぶれていきます。もはや、皆、滅びました 旧教であるとか新教であるとか、皆、滅びました。

 世界のキリスト教の新教と旧教が合わさっても、統一教会の文総裁一人を追い出すことができませんでした。殺そうとありとあらゆることを皆しましたが、全部私に負けました。

 今まで、宗教というものは個人救援摂理をしたのであって、家庭救援の内容がありませんでした。個人救援は天使長圏を意味するのです。天使長には相対理念がなく、所有権がありません。

 それゆえ、今日のこの地上のすべての家庭や制度や国家の所有権は、世界的所有権時代に移行していくのです。国連が決議して、国のお金を思いどおりに決定することができるようになっていくのです。この国とあの国とを合わせようとすれば、合わすことができるようになっていくのです。

 今までサタンは、万国を通して「神様はいる」という立場で侍られていたのですが、神様に根こそぎ自分の足場を奪われそうなので、神様さえも着地できない基盤をつくるために、「神様がいない」という無神論を主張するのです。

 それをだれが取り除くのでしょうか? 真の父母が来て全部、取り除くのです。無神論が何でしょうか? 帝国主義が何でしょうか? 世界主義が何でしょうか? 神様を否定する世界主義はあり得ず、ユートピアもあり得ません。

 ですから、統一教会はそのすべてのものを一掃し、何主義を主張したのでしょうか? マルクス主義を主張したでしょうか、レバレンド・ムーン主義を主張したのでしょうか? レバレンド・ムーン主義ですか、神主義ですか?(「神主義です」)。これが、レバレンド・ムーンが主張したものです。人間を主張する主義は一代で終わるのです。三代も続きません。永遠ではないのです。

 右翼、左翼ではなく、頭翼思想を中心として神主義を主張したのです。それは、レバレンド・ムーンの主張ではありません。分かりましたか?(「はい」)。愛主義もレバレンド・ムーンの主義ではありません。神様の主義であると同時に、神様の愛の主義を頭翼思想というのです。

 「頭翼」といいますが、「頭」は愛を管理するのです。頭が行ったり来たりするのは、お金をもうけようとして行ったり来たりしますか、愛の道を求めて行ったり来たりしますか? どちらですか? 考えてみましたか? お金ではありません。それでは、知識のために行ったり来たりするのではありませんか?

 お金も変わり、知識も変わります。権力のために大統領になろうとする最近のよこしまな者たちは、全部、大統領をやろうといっては、死んでしまいます。その一族が滅びかねない時代に入るのです。神様が許諾されないのです。見なさい。だんだん、そのようになっていくのです。

 真の父母がとどまって暮らす所はどこでしょうか? 真の父母が暮らせる所はどこでしょうか? 宇宙の中心なのです。それは、神様が正座することのできる王圏の王座の場なのです。分かりましたか?

 天上世界の王座の場、地上世界の王座の場、二つの父母の作用を中心として連結させた王座の場なのですが、その王座の場というものは、何で連結させるのかというと、お金ではありません。

 お金が好きな人、手を挙げてみなさい。統一教会の人が手を挙げれば、刃物で手を切ってしまいます。私がお金が好きだったなら、韓国のお金持ちになっていたはずです。知識を好むなら、私が韓国のソウル大学の総長に、まずなっていたことでしょう。違いますか? お金もだれよりたくさんもうけた人であり、お金もたくさん動かせる人であり、この世の偉い人を弟子に立てて、王様であった人にお使いをさせる人なのです。

 そのような基盤を築いた人なのです。ですから、知識を必要とせず、お金を必要とせず、それから権力を必要としない力を持った人なのです。それでは、何の力が必要なのでしょうか?(「愛の力です」)。何の力ですか?(「愛の力」)。どんな愛ですか? ろくでもない愛、ありとあらゆる雑多な愛が多いではないですか? それは神様の愛、真の愛です。分かったという人、両手を挙げてみなさい。

 真の愛とは何でしょうか? 答えてみなさい。(「与えて忘れてしまうものです」)。与えて忘れてしまうものが、どうして真の愛ですか? 与えて忘れてしまえば、相対がいないではないですか。相対がなくて、どうして真の愛が出てきますか? 真の愛とは何かというと、サタン世界の愛を凌駕することのできる愛の力を持たなければなりません。

  失った家庭を国家的基準で復帰

 サタン世界において歴史過程を見れば、旧約時代、新約時代、成約時代へと発展していくのです。ですから、サタン世界の愛が女性と一つになって、第一次アダム、夫を殺してしまいました。そうですか、違いますか?(「そうです」)。

 家庭でアダムを殺してしまったエバの恨み、女性の恨み、お母さんの恨みを解いてあげるために、第二アダムであるイエス様が新郎として来られるのです。イスラエルは、失ってしまった家庭を国家的基準で取り戻すしかないのです。家庭基準で取り戻すことはできません。国家というものは、その中に数多くの家庭が入っているので、家庭基盤の上で数多くの国々を一つにすれば、サタンが勝った環境がなくなるのです。

 ですから、家庭で失ったものを国家で復帰しようとしたのです。国家の王になって、后を迎え、国家の皇族を迎えて、その息子を中心として国家全体の堕落した血族からカイン圏を中心として、一つの基盤のようにするためのみ旨を持ってきたのです。

 イエス様は第二アダムとして、アダムが失敗したものを復帰して、地上天国をつくるための国家的版図を完成させるために、真の父母の名をもって来られたのです。分かりましたか?(「はい」)。

 真の父母になられたのですから、それは家庭的真の父母です。家庭的真の父母になって、子供たちを中心として、子女的真の家庭を連結させていたならば、そこに神様が臨在することのできる家庭になるのです。個人家庭ももちろんですが、国家家庭も臨在できるのです。

 ここで、イエス様が真の父母になることができずに、真の息子・娘を合わせた国家形態を持つことができなかったので、十字架で亡くなられることによって、皆、失ってしまったのです。そうして約束だけ立てたのです。再び来て、成就しようと。雲に乗って来て、小羊の婚宴をしようと言ったのです。小羊の婚宴が何のことか分かりますか? 真の父母の結婚式を予告したのです。

 キリスト教は、このようなことを知らずに、ならず者のようになって、自分の思いどおりになると思っているのです。それは間違ったことなのです。無知な人は僕になるか、滅びるかするのです。

 賢い統一教会は王になるか、主人になれるのです。それはしかたがありません。悲しくても、しかたありません。見ていなさい。キリスト教が、自分たちの家庭たちを文総裁に奪われると思いますか、奪われないと思いますか?(「奪われます」)。

 教会の長老、執事たちが、聖日には教会に行きながら、牧師が見ていない所に行って祝福を受け、後になって大勢の人たちが、「私たちは祝福を受けた。私たちが受けた祝福以上に祝福を受けられる祝福をしてください。牧師様」と言ってきたならば、どうしますか? 逃げますか、逃げませんか? 

 アメリカでは、数千人の牧師たちが祝福を受けると言っているので、今まで反対していた頑固な者たちや、どうだこうだと言いながら反対していた人たち、「文総裁、死ね」と祈祷していた人たちが、目を丸くしているのです。自分の信者たちは全部、統一教会の祝福を受けたのに、自分がそれを見ることができますか? ですから、このようにして、「それでも私たちの神様と文総裁の神様は違う」と言っているのです。

 文総裁の神様は、家庭を復帰するための神様であられるということを知りませんでした。ならず者たちを救って、天国に連れていって、天の国の王になり、天の国の家庭を編成するという、夢のような話はやめなさい。あなたたちがいくらやっても、理論に合わなければ偽物なのです。

 統一教会を信じてよかったですか、信じなかったほうがよかったですか?(「信じてよかったです」)。文先生がひどく悪口を言われたのに、文先生よりも悪口を言われようとしましたか、悪口を言われないようにしようと考えましたか?

 お父さんとお母さんが悪口を言われているのに、子供たちが悪口を言われないようにしようと思えば、それは全部親不孝者であり、浮浪者ですか? 浮浪者なのです。
 真のご父母様の聖なるみ名は、創世以前からあったのです。そして、創造したすべての万物は、真の父母実体圏のために、それらをすべて吸収させ、全体の被造物を犠牲にさせたとしても、真の父母の理想圏を築くためのものが創造物であるというのです。

  神様の涙と恨

 皆さんが、毎日のように万物を殺しているということを知っていますか? それは許されざる泥棒たちです。すべて捕まえて食べています。ナムル(山菜・野菜)が好きでしょう? 野菜のことです。取って食べますか、食べませんか?(「取って食べます」)。野菜を取って食べます。それは、植物を取って食べる泥棒です。その次は動物、昆虫、全部捕まえて食べるでしょう?(「はい」)。ですから、それを泥棒と言いますか、何と言いますか?

 自分のものではないのに、自分のものであるかのように食べようと大騒ぎです。それは神様の物なのでしょうか、自分の物なのでしょうか? 牛まで捕まえて食べて、虎や熊まで皆、捕まえて食べるでしょう? 食べられない物がどこにありますか? 

 特に韓国人は、蛇を冷蔵庫に冷蔵しておいてから、ゆでて食べるという評判です。また、犬まで捕まえて食べるという評判で、食べられない物のない韓国人が一番悪いと言われていましたが、神様がつくられたものを命以上に尊重視してよく食べる人たちであるというのです。健康になることのできるものなら、何でも食べるようになっているというのです。

 神様は、人間に何でも食べることのできる特権を与えられました。それでは、人間にそのような特権があるのならば、人が人を捕まえて食べなければならないということにもなるのでしょうか? しかし、そのような特権は与えられなかったというのです。
 ところが、サタンが入ってきて、人が人を捕らえる悪事をしています。このようなよこしまなものを、すべて整理しなければなりません。そのような話をすれば、きりがありません。

 創世以前から、真の父母という創世の理念を持っていたのですが、創造した世界が生まれてから、どれくらいたったのでしょうか? 聖書歴史は何年ですか? 六千年ですか? ふざけるにも程があります。

 神様がアダムとエバを失ってしまったものを再び創造することもできず、再び復帰することもできなかった神様の悲惨性を、だれも知らないのです。そのような長い歴史を通した、寂しく、悔しいその歴史的事実を知りません。

 サタン世界の個人から冷遇され、家庭に冷遇され、氏族に冷遇され、民族に冷遇され、国家、世界に冷遇されてきながら、しまいには、「神様は死んだ。神様はいない」とまで言ってのける時代を迎えてしまったのです。

 父なる神が、青ざめた顔で暮らしてきたというのに、「神はいない」と言い、「神は死んだ」と言う、それ以上の親不孝者がどこにいますか? そのような冷遇を受けた神様の事情を知る人は、一人もいません。既成教会の牧師も、ローマ教皇もです。

 人間が堕落した以降に、神様が数千万年の間苦労してこられた涙の谷が、どれほど深いでしょうか? 嘆息の恨の塔を積み上げ、世の中のだれも越えてくることのできないほどの恨になっていることを知らなかったのです。そのような深い谷、深い恨の峠をだれが越えるのだろうかというのが問題です。分かりましたか?(「はい」)。

 ですから、神様は恨み嘆かれる立場に立っておられるというのです。そのような嘆かれるその内容を、この地上に残すことのできる一族を探しに出たのであり、一つの民族、一つの国家形態を探してきたのが神様であられたのではなかったのでしょうか?
 そのような立場で、恨の全部を代表することのできる代表的国として立つことのできる国はどのような国でしょうか? イエス様を絶対信奉したイスラエルの国です。その次には韓国です。分かりましたか?(「はい」)。

 「何で韓国が、神様の事情の中で、そのように中心の主流になれる国だと言うのか? 文総裁は正しく理解していない」と言うかもしれませんが、とんでもないことです。私の話を聞いてみなさいというのです。

  偉大な韓民族

 韓民族が、どれほど偉大な民族でしょうか? 世界でいちばん具体的な内容の族譜(家系図)を持っている国なのです。このような国は、韓国しかありません。他の国は、族譜に女性まで名前を挙げましたが、女性はおらず、男性だけを残した族譜は韓国しかありません。女性たちは気分が悪いでしょう?(笑い)女性は気分が悪くならなければなりません。(笑い)

 女性の中で、韓国の女性以上に苦労した女性はほかにはいないというのです。数多く侵略されながら、四方から力づくで、あるいは知略を使ってありとあらゆる者たちが入ってきて蹂躙するのですが、それは食べ物を奪い、女性を奪っていくのです。それから、賢い息子を捕まえていったというのです。

 それは、天の国の代を継がせなくするためなのです。神様が願われるのは、何でしょうか。神様は、賢い息子と賢い女性が必要であり、しっかりとした財産が必要なのです。
 そのような立場で韓国を見れば、韓国は世界のどのような国の家庭にもないものを皆、持っています。
 民謡を見てみても、宇宙的であり、歴史を超える宇宙史的な内容を持っています。

 月よ、月よ、明るい月よ
 李太白が遊んだ月よ
 あそこ、あそこ、あの月の中に
 月桂を打ち込んだので、
 金の斧で切り出して
 玉の斧で刈り取って
 藁葺きの三間の家を建て、
 両親父母に侍って
 千年も万年も生きたいものだ

 この歌が、どれくらいすてきでしょうか?
「両親父母に侍って、千年も万年も生きたいものだ」 と。
 このような夢の中で願った両親を尊重するのですが、このように民謡で称賛する国は、ほかにはありません。分かりましたか?(「はい」)。
 それから何ですか?「青い空、天の川」。

 青い空、天の川
 白い丸木舟には
 桂樹一本
 うさぎ一匹
 帆も揚げずに
 櫓もなく、
 よく進む
 西側の国へと

 これは何を語っていますか? 人工衛星時代が来て、東側から始まって西側の国、すべての宇宙を旅行することを言っているのです。どれほどすてきでしょうか? 人工衛星が現れ、世界を遊覧する時代を予告したのです。分かりましたか?(「はい」)。この歌が好きですか?(「はい」)。

 その次に地において見れば、孝子の中の孝子がいます。それがだれでしょうか? 孝女がだれだと言いますか?(「沈清です」)。沈清。そして夫人の中の代表の夫人がいるというのです。だれだと言いますか?(「春香です」)。春香。その次に忠臣の中の代表の忠臣がいるというのです。(「李舜臣です」)。李舜臣。

 最近、お母様のみ言の中で「孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子になりなさい」という伝統的歴史を編んで、民族の魂と民族の伝統を追慕しようとしていますが、このように、女性たちが貞操を尊重視してきた民族であるということは、歴史上、東洋世界の儒教思想にもそのような思想がありますが、そのようなことが東洋世界の純潔を守ってきた中心国家として尊重されているということを知らなければなりません。分かりましたか?(「はい」)。

 しかし、このような国が糞に群がるはえのようになってしまいました。よこしまな者たちが多いのです。家庭を破綻させて、青少年の淪落は世界を代表するまでになりつつあります。ありとあらゆる悪党の群れがいるのです。ここに、天の実を結ぶためのものを破綻させるために反対的存在が蠢動している、という事実を知らなければなりません。
 私たちの国を誇ることができるのです。
「月よ、月よ、明るい月よ……両親に侍って千年も万年も生きたいものだ」 という、両親に侍ろうという伝統が、この国にはあります。それから、半月のような船がマストもなく、櫓もなく、天下万国を巡回することができるという思想があります。
 家にひとたび入ったあとは、だれよりも父母に親孝行した伝統があるのですが、それは特に女性が親孝行をしました。

 女性である春香がなぜ、烈女だったのでしょうか? 女性が親不孝者であるので、世界的な歴史を蕩減するために、一人の女性が孝子(孝女)の伝統を立てるのですが、ナンバーワンの立場に立てたのは、復帰の天国を成し遂げていくにおいて、蕩減の第一人者にならなければならないからなのです。

 そして、女性たちの中でそのようにできる娘がいたということは、彼女が孝子(孝女)の伝統を立てるみ業をし、貞操を守り、純潔を誇ることのできる娘だったというのです。(「アーメン」)。

 皆、喜んでいるようですね。気分がいいですか、悪いですか?(「気分がいいです」)。気分が良ければ、その良い心に気兼ねする何物もありませんか? 恥ずかしがりながら顔がうつむいてはならないのです。そのような伝統があります。

 春香は、卞地方長官という悪辣な大悪魔の棒を一度で壊してしまいました。純潔を尊重する、そのような春香がいたということを知らなければなりません。それが将来、来られる真の父母に侍る女性たちの伝統を引き継ぐための伝統であったという事実を知らなければなりません。

 柳寛順を知っていますか? 彼女は、十六歳の身の上で体を六つに切断されながら、万歳を叫ぶことをためらわなかったのです。その柳寛順のように、独立記念館に先生の名前が入るのです。

 先生が生まれるためには、条件的に国を求めなければならないというのです。先生が一九二〇年生まれですね。独立運動は一九一九年の三月ですが、その期間に先生が生まれたというのです。

 受難の道を行きながら、一つの貞操と伝統を奪われず、千辛万苦して勝利した標石を残していったので、その期間に先生が胎内に宿って、この地に現れてくるのです。
 それゆえに、先生がその女性の貞操、エバの貞操を代表した柳寛順の伝統思想によって、世界を中心として、愛の主体的思想をもって、天が喜ぶ祝福家庭へと全体の方向を引っ繰り返してしまうことのできる時代圏内に上がってきたというのです。分かりましたか?

  三千六百万双完遂へ

 さて、今年の標語が何ですか?「真の父母を誇り、愛することは、三百六十万双祝福の完遂」です。(「アーメン」)。三百六十万双を完遂しましたか?(「はい」)。完遂したという人は手を挙げてみなさい。まだできなかったという人もいますね。三百六十万双というのは、国際的です。昨日までの統計では、八百八万双を超過したというのです。(拍手)

 それから、世界には国家がたくさんありますが、韓国は祝福家庭百二十万双をどのようにするのかと、最近、私が来て尋ねてみると、郭錠煥と黄善祚が「百二十万双をできなければ死ぬ」と言いました。そしてきょうまでに、百二十万双は満たなかったとしても、百万双さえ超えればいいと言ったのですが、先生の願いどおりに百万双を超え、百五万双を完遂したというのです。気分がいいですか?(「はい」)。

 世界の数多くの国の中で何番目ですか? 二番ですか、一番ですか、ビリですか?(「一番です」)。私は分かりません。聞こえません。(笑い)(「世界の国の中で韓国が一等でした」)。一等だそうです。(歓呼、拍手)

 今から四か月間残っているので、八百万世帯を整えたこの韓国で、一人が、何も言わずに十家庭ずつしなさいというのです、十家庭。三千六百万双のことは考えてはいけないというのです。分かりましたか?(笑い)考えれば罰を受けます。(笑い)三億六千万という数字を考えてはいけないというのです。それはもっと罰を受けます。それを考えてはいけないというのです。

 今、ひたすら考えるべきことは、自分はもはや三百六十万双の中に入ったので、「十家庭だけ祝福すれば天国に入ることができ、皇族になることができる」と思わなければならないのです。そうすれば、三千六百万双は自動的に超えていくようになるのです。
 その次に、第二次的に十家庭ずつしなさい。三千六百万双を達成するためには、三百六十万双の祝福を受けた人たちが十家庭ずつ祝福すればよく、それからさらに、三千六百万双の祝福を受けた人が、それぞれ十家庭だけ祝福すれば完成するのです。あなたたちは休みなさい。(笑い)分かりましたか? 気分がいいですか、悪いですか?(「いいです」)。(拍手)

 そのときには、自分が十人ずつ祝福してあげた人が現れて待っているので、三百六十万双の人たちは休んでも構いません。
 ですから、来る今年の十一月二十九日までに、私たちの群れは三百六十万双ではなく、三千六百万双を問題なく完成します。(「アーメン」)。完成します(「アーメン」)。声がだんだん大きくなっていかなければならないでしょう。なぜ、小さくなりますか? 三千六百万双、完遂する(「アーメン」)。(拍手)

  祝福家庭の世界化

 私がいちばん心配したことは、南北米のことでした。アメリカ大陸には北米と南米があるのですが、北米の米国は新教(プロテスタント)国家です。新教国家はレバレンド・ムーンの背中、後ろについていかなければならないようになっています。米国が生きることができるのは、レバレンド・ムーンの思想を受け入れることだというのです。

 ですから、ブッシュ前大統領を立てて南部バプテスト教会の二十万の牧師たちを抱えたジェリー・ファルウェルという人を立てて、この二人がカインとアベルとして一つになって、「南米を消化しよう」と言いながら、先生の後ろについて、南米を連結させるのに尽力したのです。

 先生が米国で、二十四年間動きながら基盤を築いたのですが、南米では一年半の間に、その基準以上をすべて整えたというのです。
 先生が指導すれば、最高の高位層から下まで浸透できる基盤になっているのです。それで、南北米が連合できる、キリスト教が統一され得る道を築いておいたのです。

 その統一は、何をもって統一するのでしょうか? 拳をもってですか? 違います。教理によってでもありません。教理をもってしては大変なことになります。統一教会には教理がありません。原理があります。分かりましたか?(「はい」)。

 数多くの宗派には教理がありますが、統一教会には「原理」という言葉があります。原理というのは、宗教を信じる人も、宗教を信じない人も、千年前も万年後もこの道を経なければならない、その原則的な道をいうのです。

 ですから、統一教会で今、教えている真理というのは、神様と人間世界の曲折のすべての事情、恨が残ったものを解くことのできる原則的な内容を教えているのです。教理ではありません。教理は、天使長圏復帰解放時代までです。それでは家庭を築くことができないのです。家庭を取り戻すことができません。家庭がないでしょう?

 ですから、今までのすべての人たちは、十人の家族が霊界に入るとすれば、全部が別れてしまいます。相対理想がないからです。天使長の血を受けたからなのです。すべて別れてしまうのです。

 今からは、統一教会の時代がやってきて、家庭が一つになるのです。分かりましたか?(「はい」)。家庭を中心として、全部一つになって霊界に入るようになれば、真の愛を中心として夫が行っていたり、妻が行っていれば、祝福を受けた家庭だといえば、妻や夫を引っ張ってきて、散り散りになった家庭を糾合することのできる理想的基盤になったというのです。そのことを知らないでしょう?

 そのような高貴な内容を知っているので、文総裁はこのことのために先発隊、先覚者の道を中心として開拓してきたという事実を忘れてはならないのです。分かりましたか?(「はい」)。何の名前によってですか? 真の父母の名前によってです。

 神様が創造に着手される前から創造を始められて、数千万年間探し求めようとされたものが何ですか? 真の父母という名前が実体的になる世の中を迎えて、この世の中のすべてを全部切ってしまって、新しく接ぎ木して、真の父母理想の実現の世界化を成すというのです。それが何ですか? 祝福家庭の世界化であるべし。アーメン。(「アーメン」)。

 それが願いなのです。祝福家庭をどのように世界化させるか、です。そして、アダムにおいて十六歳のときに淪落し、偽りの愛によって堕落してアダム家庭を破綻させ、偽りの父母が始まったことを、真の父母が来られて、反対に百八十度違う立場に向きを変えて、真の父母を中心とした神様の血族として、本然の創造理想の完成されたアダム家庭の祝福を受け、神様に侍って生き、神様の血族を残していくようにしなければなりません。

 そして、この世界の万民が天国に入ることのできる道を再び引き継いで、万民がいかなる山奥の片隅にいたとしてもその道に従って、天の国の王宮を探し求めていくことができるようにしなければいけません。その道理を広めるためのものが、文先生が解放後五十二年間、苦労してきた道であったというのです。

 先生が五十二年の間、成したことが何であったのでしょうか? 真の父母の伝統的思想とは、どんなに迫害が多かったとしても、四方八方から引っ張られてきた迫害をすべて制圧してしまうというのです。そうして、もはや高速道路を築いてしまったのです。山道がありません。平面的に全部、高速道路です。高速道路は特別なケースですが、平面的なアスファルトで世界化されて、どこでも安心して祝福を受けられる時代が来たのです。

 今、南米で祝福が行われているのですが、祝福を受ける場所や制限もありません。自分の家でも祝福し、教会に行っても祝福し、市場でも祝福できるのです。
 アダムとエバが、隠れて自分勝手に堕落したではないですか? 堕落するときに、堂々と王宮の座を眺めながら堕落しましたか?

 隠れて愛していた環境から、今からは、あらわにしてしまうのです。「隠れていてはいけない。公に明らかにしなさい」と言って、女性たちがひそひそと話して祝福を受けるようにするのです。

 女性がひそひそと話して堕落させたので、反対にして、「祝福を受ければよいのです。堕落したエバの恨を越えて、復帰された解放の天の眷属になることができるのですから、これこれこのようなことをしましょう」と言ってするのです。五分間話せば、それで充分です。そうすれば、祝福を受けるのです。

 第一アダムが失敗して、第二アダムであるイエス様が来られ、国家的基準で勝利しようとされたのですが、約束だけ守って再臨されて、小羊の婚宴をされるのです。再臨主は、第一次の失敗、第二次の失敗を蕩減復帰する第三次のアダムです。

 キリスト教は、来られる主が第三アダムとして来られるということを知りません。家庭で失ってしまい、国家基準で失ってしまったので、世界版図基準でこのような祝福、統一天下世界を眺めながら行くのが、今日の統一教会の編成内容であるということを知らなければなりません。

 十六か都市において、男性も女性も統一的な教育をしたのです。十六数です。十六数は、サタン完結数です。十八数まで行って、二つの数を復帰して、南側と北側の女性たちを中心として、十八数を中心としてサタン数と天の数として、お母様を中心として勝利の世界的版図である三百六十万家庭を超えることができたので、「そのみ名、聖なるかな。お母様」と言わなければならないのです。一度言ってみてください、その名前を。(「聖なるかな。お母様」)。「聖なるかな。お母様」。本当にそうですか?(「はい」)。

  「天地父母天宙安息圏宣布」の日

 それでは、悔しいことですが、私が持っている福をすべて奪われなければなりませんか? いくら優れた父母でも、責任を果たして、子供たちを皆、結婚させれば、還故郷しなければなりません。天の国を訪ねていかなければならないというのです。

 それゆえに、素晴らしい基盤をきれいに踏み固めたものを千年万年変わらずに、その伝統をそのまま引き継ぐことのできる家庭に、残したものを喜んで伝授してあげて、天の国に行くべし。アーメン。(「アーメン」)。

 天の国に行けば、天の国が空いています。アダム家庭もおらず、歴代のあらゆる先祖たちがいなかったものを、真の父母が、完成した世界的先祖によって再び一代、二代を編成して、空いていた天国をいっぺんにいっぱいにするのです。

 このようにして百八十度引っ繰り返せば、サタンはいなくなり、サタンがいない自由解放天国で、神様が思いどおりに活動されることができるのです。個人から天上世界、天の果てまで行き来することに支障がなくなることのできる解放圏を宣布した日が、きょうの「天地父母天宙安息圏宣布」の日なのです。(拍手)

 今まで、歴史上のすべての時代で、神様が占有しておられた分野は、安息日圏しかなかったということを知らなければなりません。それゆえに、サタンが讒訴すれば、全部がサタンの所有圏下にあるというのです。子供たちも神様のものではなく、万物も神様のものではなく、国も神様のものではありません。神様のものが一つもないのです。

 このことを復帰完成しようとすれば、真の父母が来られなければなりません。そして、神様の血族にならなければなりません。神様の理想的相対として、血族を代身することのできる先祖として現れることのできる人であったアダムとエバが、堕落することによってすべて失ってしまったのです。

 失ってしまったようなのですか、失ってしまったのですか?(「失ってしまいました」)。知らない者たちは、「らしい」と考えるのであって、「失ってしまった」という言葉を言うことはできません。

 さあ、もう私の顔を皆、見たでしょう?(「はい」)。汗を流しながら、一所懸命にみ言を語るのを皆、見たでしょう?(「はい」)。骨が溶け出るような心情の世界が、どのようなものであるかということを察することのできる緒論的、外郭的なものが理解できるはずです。分かりましたか?(「はい」)。
 さあ、「月よ、月よ、明るい月よ」を歌ってみましょう。

 月よ、月よ、明るい月よ
 李太白が遊んだ月よ
 あそこ、あそこ、あの月の中に
 月桂を打ち込んだので、
 金の斧で切り出して
 玉の斧で刈り取って
 藁葺きの三間の家を建て、
 真の父母に侍って
 千年も万年も生きたいものだ
 千年も万年も生きたいものだ
 千年も万年も生きたいものだ………(一緒に歌う)

  八段階の「安息の家」

 ……今から本論を話さなければなりません。

 (板書される)一度、読んでみてください。(「私たちの理想家庭は神様の安息の家」)
 最後の部分だけ読んでみなさい。(「安息の家」)。「安息の家」です。「安息の家」とは、一体どのようなものであるのかということを知らなければなりません。神様が、安息の家を失ってしまわれたのです。ですから、私たち堕落した人類において、私たちの理想家庭というのは、神様の安息の家を取り戻すことなのです。皆さんは、神様の安息の家を提供することができますか?

 第一段階が個人的安息の家。第二段階が夫婦的安息の家。それから、子供たちを一つにして家庭的安息の家。ここに必要なものが氏族なのです。第四段階は氏族安息の家。それから、第五段階は氏族を越えて国家安息の家。第六段階は世界安息の家。第七段階は天宙安息の家。それから、第八段階は神様安息の家です。安息の家が何段階ですか?(「八段階です」)

 これは、氏族的メシヤが成すことができるのです。百六十家庭から百八十五家庭です。この安息の家は、何が中心となって形成されるのでしょうか? 真の父母と真の子女です。家庭を中心として成さなければならないのです。家庭が中心です。家庭を中心として一族にならなければなりません。

 ですから、私たち統一教会の教会員は、家庭を中心とした一族、氏族的メシヤにならなければなりません。家庭的メシヤから氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤとなり、世界的メシヤがだれなのかといえば、王の中の王です。ですから、地上天国が形成されるのです。

 ですから全世界のどこでも、個人から天の国の果てまで、どこでも神様が行かれて安息され、休まれるようになれば、とどまられる所が家庭であるときには、そこに個人と夫婦とその子供たち全体が、神様に侍って喜ぶようになるのです。分かりましたか?「千年も万年も、生きたいものだ」「家がどんなにみすぼらしい藁葺き三間だとしても、千年も万年も、真のご父母様に侍って暮らしたい」。それは、私たち韓民族の童謡の理想とぴったり一致します。

 そうして何をするのでしょうか?「半月」です。半月のように完成しなくてもかまいません。家庭的出発が完成ではありませんが、この世界を半月のような、人工衛星のような船に乗って、マストもなく、櫓もなく、よく進むのです。そうして東側の国から西側の国に行くのです。太陽の光は東から昇って西に差します。

 男性は東側を象徴し、女性は西側を象徴しますが、女性は、太陽の光を受けて男性と同じ、対等な立場の価値を持つべきです。そうして、東西の標準である一致世界が成されるのです。アーメン。(「アーメン」)。どれほどすてきな民族でしょうか? そうでしょう?(「はい」)

  韓民族の特殊性

 『春香伝』の春香は、何と呼ばれていますか?(「烈女です」)。それは貞操のことをいうのです。今日、私たちが宣伝していることは何ですか? 純潔と何ですか?(「絶対「性」です」)。この絶対「性」は、真の愛を中心とするものです。そのことを知らなければなりません。そのことを忘れてしまってはいけません。

 「純潔」と「真の家庭」運動なのですが、それは、真の愛が中心です。真の愛を中心とした純潔、真の家庭なのであって、真の愛がなければ純潔もなく、真の家庭もないのです。分かりましたか? 「真の愛を中心とした純潔と真の家庭」と言えば長くなるので、「純潔」とだけ言っているのです。

 統一教会は、それが真の愛を中心としたものであるということを知っているのです。また、真の愛には貞操がなくては成り立たないのです。春香と李夢竜青年のように、鉄石のような貞操の因縁を尊重視しなければならないのです。それが真の家庭であるというのです。分かりましたか?

 さらに、韓民族の特殊なところが何かと言えば、一家の長子の後孫に対しては、たとえ祖父や叔父がいたとしても、甥に当たる長孫(初孫)の子供に頭を下げることをわきまえているのです。そのようになっていますか、なっていませんか? 

 祭祀の日になれば、その氏族の祖父、叔父がどんなに年を取っていたとしても、祭祀するときに杯をささげ、敬礼するうえにおいても、長孫(初孫)を中心として天に侍ることができるという伝統は驚くべきものです。そのような国は、韓国しかありません。それは正しいですか、正しくないですか?(「正しいです」)。どうしてそのように、天の国の伝統にぴったりと合っているのか分かりません。

 また、韓国語には、男性が女性を誘引して、それを蹂躙するという意味の「取って食べる」という言葉があるでしょう?(「はい」)。例えば、「金氏という、あの怨讐の輩が、朴氏の生娘を取って食べた」と言えば、それは何をしたということですか? 強奪ではありません。偽りの愛を犯したということです。偽りの血で汚され、怨讐と一つになり、許されざる立場になったことを意味し、地獄に行き、生き埋めになってしかるべき者になったということなのです。本当に驚くべきことです。

 韓国人の話す言葉をほかに考えてみてください。韓国人は、よく「ああ、死にそうだ」と言います。「死にそうだ」という言葉を、韓民族ほどたくさん話した民族はいない、ということを知っていますか? 
 「好きで死にそうだ」「ご飯を食べたくて死にそうだ」。
 このように、「死にそうだ」という言葉をつけない人はいません。

 それから、「マリヤ(~ですね、~というわけだ、の意)」と言います。例えば、「クルセ・マリヤ(そうだねえ)」と言います。「マリヤ」とは何ですか? 「イエスの母親になろう、聖母になろう」ということです。そうして、「アイゴ・チュッケッタン・マリヤ(ああ、死にそうだ)」と、そのように言っているのです。

 また、韓国人を見ていると、「アイゴ・キ(気)ガ・マッキョ・チュッケッタ(ああ、〔あまりのことに〕あきれて死にそうだ」と言います。「キ(気)」が何かといえば、神様が宇宙を動かし、天運を動かされる気運のことを指すのです。ですから、「キガ・マッキョ(〔あまりのことに〕あきれる)」とか、「キブニ・ナップダ(気分が悪い)」という言葉は、すべて「キ(気)」が分かれれば気分が悪い、ということです。

 この韓民族は、極端な内容で歌を歌い、その歌の内容に調子を合わせようと努力しているようなものですから、そのためにどれほど死にそうになったことでしょうか? その死にそうになった大将が、ここに立っているレバレンド・ムーンであるということを知っていますか?(「はい」)

 この世の中では、あまりにも忙しいと、「血便が出る」というのですが、その血便をどれくらいしたことでしょうか? けれども、「最後まで耐えて勝つ者が福を受けるべし」なのです。

  家庭の王は女性

 「終わりの日になれば、あなたの家庭の家族が怨讐となる」といわれてきましたが、統一教会は、「世界基督教統一神霊協会」として、キリスト教の末っ子として生まれたにもかかわらず、長男のカトリックと次男のプロテスタントが、この一番末っ子の弟を捕まえて殺そうとしたというのです。

 ところが、そうしているうちに、死んだはずであると思ったのに、レバレンド・ムーンは西洋世界を歩き回って、数年ごとに韓国に帰ってくるときには、天下の王圏を中心として、「えへん これを見なさい」と言うとき、韓国人たちは見物し、西洋人たちは、「ははーっ」と平身低頭するようになるのです。素晴らしいですか、素晴らしくありませんか?(「素晴らしいです」)。(拍手)

 サタン世界で名声をはせる人は、どんなに「来なさい」と言っても来ず、「集まりなさい」と言っても集まらないのです。そのような人は皆、滅びるのです。統一教会の食口は、「じっとしていなさい」と言っても来るので、集まって勝利することでしょう。アーメン。(「アーメン」)。「アーメン」が何かと言えば、「A・Men(エー・メン)」のことです。「ナンバーワンの男」であるというのです。

 皆さんは、「お父様が、お母様を世界で一番愛する姿は見たくない。お父様を見るのも嫌で、聞くのも嫌で、姿さえ見るのが嫌だ」、「お母様のことがあまりに好きで、韓国の伝統的事実を全部取り消すお父様を、私たちは理解できない」と、そう言うのでしょう?(「違います」)

 「女必従夫」(儒教思想で、「妻は必ず、夫に従うべきである」という意味)という言葉がありますが、「夫必従女」です。(笑い)反対になりました。しかし、反対になったとしても、神様が喜ばれるのでかまわないのです。分かりましたか?(「はい」)。サタンが最も嫌い、神様が喜ばれるのならばいいではありませんか? 滅びることがはっきりと分かっていたとしても、反対にして生きることができるならば、それもしなければなりません。

 私たちの理想家庭は、神様の安息所なのです。これは本当に漢字がないと、うまく説明することができません。
 「安息」という字を見てみなさい。本当に面白いです。この「安」の字は安らかの「安」の字ですが、「宀(ウかんむり)」は、家のことを指すのです。その中に女性が座っているのです。家庭を独占した王が女性です。それが「安らか」のことなのです。

 ところが、家の王がだれであるのかといえば、それが女性であったということを知らなかった韓国の民たちは、家庭破綻しかねない動機を造成してしまいました。

 それから、「息」は何かと言えば、「自由な心」と読めます。家庭に入って自由な心で昼寝をしても、夜寝ても、いつ寝たとしても眠ることができるように、侍ってさしあげるべき女王様がいらっしゃる所が安息所なのです。(「アーメン」)。何の話か分かりましたか? 

 男性たちは、「ああ、きょう先生が話したように、家庭の女王として侍ることができるので、自由な心があるので、安息することができたのでよかったです」と、このような解釈をしようとしなければなりません。

 あらゆる言葉を、「安息」という言葉を形容詞として使って結論づけてこそ、万事がオーケーなのです。永遠アーメン、唯一アーメン、絶対アーメン、不変アーメン、立体的アーメン。ナンバーワンの地上天国が展開されるべし。

 それでこそ、永遠不変の理想的な地上天上天国になるのです。そうではないでしょうか? 女王様に侍った立場で、心が自由天地を謳歌することができます。女王の愛を受けて、疲れたこともどんなことも、すべて忘れてしまい、昼寝をするその夫は、幸福の夢の中で天下統一の理念が輝くのです。そのような理念の園で、花のように、灯台のように輝くことのできる女王の姿が現れることでしょう。そのようなとき、お母様は女王として、「アーメン。天下の主人が現れるのである。私の願いが完成した」と言うのです。分かりましたか?

 ですから、家では女性が女王です。それは、赤ちゃんたちを抱えて家庭の万事を支配することにおいて「王の中の王である」、というのです。そうして男性は、世の中に出ていって多事多端なものを処理し、頂上の位置ですべての勝利の覇権者として登場して、天下を眺めて手を挙げれば、天下のすべてのものが「万歳。私たちの王の中の王に、永遠に天の幸福が続くべし。アーメン」と言うのです。そこでは「オーケー。アーメン」と言うのです。

 「オーケー」とは何のことか分かりますか?「オ」という音に、一番似通っているものは何ですか?「オーナー」、「オピニオン」、「オーソリティー」と、すべて良い言葉が入っているのです。それから「ケー」とは何ですか? 「コリア(Korea)」のことです。つまり、「ナンバーワン・コリア」ということです。アーメン。(拍手)

  真の父母を中心とした理想王圏時代

 これは、真の父母の理想安息圏が広がるときに、そのような世界になるべきなのです。考えただけでも良く、夢の中でも良く、働いても良く、汗を流しても良く、トイレに行って用を足すときも良く、そのように、良くないものがあり得ないという立場なので、私は永遠に「アー」と言って口を千年間広げていてもありがたく、「メン」と言いながら食べずに生きるのです。そのように、「アーメン」と言って、永遠に与えて生きようということが「アーメン」ということなのです。

 天国の主人、天国の王になれる人は、どのような人でしょうか? 永遠に与えることができずに泣いて生きる人は、真の王です。学校でも、教えてあげるために泣きながら、教えてあげることができなくて、さらに泣くというのが真の先生なのです。家庭においても、愛を中心として泣いて泣いて、終わることのない愛を与えるために泣く人が、真の親であるというのです。アーメン。ですから、私たちは三大主体思想を誇るべきなのです。アーメン。(「アーメン」)

 三大主体思想とは、何でしたか? 一番目は?(「真の父母」)。二番目は?(「真の先生」)。三番目は?(「真の主人」)。それが三大主体思想です。これは、神様を中心として永遠不変です。

 故・金日成主席の唱えた主体思想は、何を中心としたものですか?(「人間です」)。人間を中心とした主体思想は、何を主張しましたか?(「自主性、創造性、意識性です」)。そうです。自主性、創造性、意識性。それは、人間という、それ自体も否定しています。観念にしかならないのです。しかし、文先生が教える三大主体思想は、永遠不滅です。分かりましたか?(「はい」)

 文先生が主張する主体思想と、金日成主席が主張する主体思想と、どちらに従いますか? 人間を中心とした主体思想は、どんなにうまくいったとしても三代続きません。しかし、統一教会で言うように、神様を中心とした主体思想を語るということは、驚くべきことです。これは、永遠に不滅であるというのです。

 ですから、誇らしく自負心を持って、天下に号令しながら力強くぶつかっていくとき、天下がその声に頭を下げ、それ自体の百倍、千倍に値し得る、統一的な理想世界がつくられるのです。それを成すのが、統一教会の使命です。それは、真のご父母様を中心とした、一つの理想王圏時代です。(「アーメン」)。希望が胸にあふれますか?(「はい」)

 あなたたち一代でできないときは二代で成し、二代でできなければ三代、三代でできなければ七代までに完成しようという決意を誓うことができて初めて、「私たちの理想家庭は神様の安息の家」となるのです。個人的安息所、家庭的安息所、国家的安息所、世界的安息所、地上・天上天国の安息所を築いたので、自由天地です。

 個人が飛んでいったとしても妨害するものがなく、どこか、地の果てに行こうとして疲れたならば、寝たとしても自由天地です。このようにして、行くことのできる最後の目的地は天国である、という天地になるのです。そうして、神様の愛の園で抱かれて、倒れて死んだとしても、その懐に抱かれて死ぬことのできる子女は幸福な息子であり、幸福な娘であるべし。(「アーメン」)

 しかし、文総裁がすることを見れば、三百六十万双の祝福をするというのです。それは正気のさたではないのではないでしょうか? 夜にも狂い、昼日中にも狂い、一年中狂い、終生、そのように生きるのです。天地にそのような人がいないのですが、見込みがないと思っていた三百六十万双が、見込み可能な結果をもたらしたのです。それは、神様の力によって成したのでしょうか、悪魔の力で成したのでしょうか?(「神様の力です」)。それを見たのですか?(「はい」)

 今回、三百六十万双は勝利しましたが、三百六十万双も最後まで越えることができず、滅びるかもしれないのに、三千六百万双が勝利すると、どうして分かりますか? 
 私たちが知っていることは、一は出発数であり、十数は帰一数ということです。ですから、十倍まで可能になれば、詐欺師ではなく、本物の王になることができるというのです。もはや、テストできるみ業が始まったのですが、統一教会が本物か、偽物かというのは、三千六百万双の祝福を完遂すれば、その次からは宿題を出してあげなくても、「三億六千万双は、私たちがしよう」と言うようになっているのです。ですから、一瞬にして三億六千万双の祝福を完了することに問題がありますか、ありませんか?(「ありません」)

 それを成すことのできる希望が、私たちの目前にやってきたというのに、休んだり、食べて寝たり、避暑に行って浮気をするつもりですか? それらのことは、この世の中の人が最も喜ぶものですが、どうするつもりですか? それらのことをすべてけ飛ばして、全力を尽くして走らなければなりません。

 山の尾根のいばらのやぶを走らなければなりません。血だらけになっても走らなければなりません。それから、虎のいる洞穴を走らなければなりません。足が一つ食べられ、骨一本が抜けたとしても、行って頂上を越えるのです。それを越えていって転がって落ちれば、その落ちた山並みで神様に出会って、治療を受けるのです。このような希望的な夢を持っていくのです。分かりましたか? 

  創造の目的

 今から、安息所に行こうというのです。いいですか? 真の愛だけが無事通過できるのです。皆さん、高速道路を走れば、料金所がたくさんあるでしょう? 天国に行くにも料金所があるのですが、真の愛のチケットさえ出せば、無事通過できるのです。さあ、真の愛のチケットが必要ですか? 買うつもりですか、借りるつもりですか? そのままどこかで泥棒をするつもりですか?(「買うつもりです」)。ですから、嫌でも買わなければなりません。

 その価値は、とても貴いものです。サタン世界の個人も売ってしまい、サタン世界の夫婦も否定してしまい、家庭も否定してしまい、国も否定してしまい、世界も否定し、サタンまで否定したとしても買えないというのです。それを買おうとすれば、それを肯定しなければなりません。肯定することのできるその主人とは、だれでしょうか? 神様です。

 神様が、どのようなおかたであられるのかといえば、個人の主人であり、夫婦の主人であり、家庭の主人であり、国の主人であり、世界の主人であり、天宙の主人であり、神様ご自身の主人でもあられるのです。その神様の中心までも占領することのできる愛を中心として、主人の役割をしようというのです。分かりましたか? 相対的基準で、相対を中心として平和世界を成し遂げようというのです。

 既成教会の教理の内容は、「創造主は神聖である」と言い、「人間は卑しい」と言います。それは、よく分からなくて、そのように言っているのです。

 このようなことを、すべて知らなければなりません。神様が創造された一番の目的が何かと言えば、神様も形状が必要であるからです。それが、なぜ必要なのかと言えば、地上の家庭に神様が現れて、その体のある形状で、家庭的父親にならなければならないし、その形状で国の父親にならなければならないし、世界の父親にならなければならないからです。そのようになるためには、形状がなくてはならないのです。

 創造の目的は、神様が体を身に着けることです。無形の神様のままでは、体を身に着けた父親になることができないので、体を持った息子・娘が住む国の主人になるためには、不可避的に体を必要としたので、創造を始められたのです。分かりましたか? 

 その次に、その体がなぜ必要なのかといえば、神様は男性的主体であられるので、女性的対象体が必要なのです。これが上弦で、これが下弦です。これは無形の神様で、有形です。これがどのように一つになるのかということが、問題なのです。

 ですから、男性と女性を中心として、これを全部縦横に連結させて、ここからアダムは東側へと行き、エバは西側へと行くのです。そのようにして、男性は男性として備えることのできるすべての素養を備え、人格を備えて、将来の主人の役割を果たすことのできる資格を備えなければなりません。女性は今後、女性として行くことのできる、母親から家庭の女王になることのできる、内外の形態を備えなければならないのです。

 そのようにして、エデンの園のあらゆる植物界、動物界を見てみると、全部、主体と対象が必要であり、対になっているのです。そして、春になれば子を生み、ちょうちょうとはちが飛ぶのを見るのです。雄、雌が子を生んで愛し合い、パイプを通して血肉を与えるように、十匹でも何匹でも自分の乳を飲ませるのを見ると、それがどれほど愛らしいでしょうか? その乳を飲ませるということは、パイプを通して血肉を奪われるということです。そうされながらも、子供たちを舌でなめてあげるのです。しかし、幼いアダムとエバには、その世界がまだ分からないのです。

 ですから、アダム、エバ、天使長も、そのような光景を見るとき、「私たちもこのように子を生んで、あのように仲むつまじく愛し合うことのできる相対が必要だ」ということを知ったというのです。分かりましたか?(「はい」)

  アダムとエバの堕落

 エデンの園で、アダムとエバが裸になって暮らしたでしょう? 服を作る工場がなかったので、裸でいるしかなかったのです。しかたがありません。

 ところで、アダムは外的な万物の世界の主人になろうとするので、日が昇りさえすれば、「きのうは、夜遅くまでうさぎを追いかけ回して歩き回ったから、そのうさぎは間違いなく、どこかの松の株で眠るだろう。それを探しに行けば、捕まえられるだろう」と思って、朝早くから、そのうさぎを捕まえに探しに行くのです。そうでしょうか、探しに行かないでしょうか? 男性の性格から見て、どうですか?(「探しに行きます」)。それは、探しに行くようになっているのです。

 そうすると、エバはエバの性格で、それを探しに行けと言うでしょうか、探しに行くなと言うでしょうか?(「探しに行くなと言います」)。探しに行くなと言うのです。「お兄さん、行かないで」と言えば、「おい、おまえ、言うことを聞け」「何よ、兄さんこそ」と、このようなことが始まるのではないでしょうか? 

 兄と二人きりで暮らすのに、お兄さんがうさぎを捕まえに、日が昇る前から山の頂上に登っていくとき、エバは気分がいいでしょうか? そのような男性についていくことができないのです。

 そうして、お兄さんと離れるので、「行くなと言っても行くのだなあ。私のお兄さんは、どうしようもない人だ」と言いながら、涙を流したでしょうか、流さなかったでしょうか?(笑い)どうですか、考えてみなさい。涙を流したでしょうか、流さなかったでしょうか?

 女性たち、自分の立場で考えてみなさい。お兄さんと二人きりで暮らすのに、早朝からお兄さんはうさぎを捕まえに行き、妹が泣くのに顧みもしないのです。だからといってアダムも、今の世の中の夫婦のように口づけし、愛してあげてから出掛けることもできないのです。ですから、振り向きざまに、「じっとしていろ」と言い残して行くので、エバは泣くようになっているというのです。

 それでは、帰るときまで泣くでしょうか、出発するときだけ泣くでしょうか? 泣かずに休んだとしても、お兄さんが門を開けて入ってくれば、大きな声を出して再び泣くようになっています。そのような性質を女性たちは持っているでしょう? 

 ですから、エバがそのように一日中泣くので、赤ちゃんの面倒を見る責任を持ったのが天使長であったというのです。アダムとエバをりっぱに育てて、結婚して彼らが天国に入るときに、天国で豊かに暮らせるようにしようとしたのです。アダムとエバの面倒を見ていたのが、僕に当たる天使長であったのですが、アダムとエバが天国に入っていって、その僕を呼んで、「あなたたち、私の家に入ってきて一緒に暮らそう」と言うとき、神様は僕にも相対をつくってあげようとされたというのです。神様が、そのようにつくられたというのです。分かりましたか?

 その時まで待ったならば、天使長も永遠な相対を持って、アダム家庭のように幸せに暮らせたはずなのですが、これが途中で事故に遭って、今日、このような姿とありさまをもたらしてしまったというのです。

 エバが泣くのを見るとき、天使長が、「さあ、泣きなさい。さあ、泣きなさい。帰ってくるときは、どうせもっと泣かなければならないでしょう。どれほど腹立たしいでしょうか?」と言ったでしょうか、どうだったでしょうか? 泣くなと言って、おぶってあげたでしょうか、あげなかったでしょうか?(「おぶってあげました」)

 おぶってあげたのですが、背中におぶってグウグウ寝ますね。どこで寝ますか? ひざに抱いて眠らせなければなりませんか、背中にうつぶせにして眠らせなければなりませんか?(「ひざで眠らせなければなりません」)。ひざに下ろして眠らせなければなりません。

 眠らせるのに、このようにしたり、あのようにしたりすれば骨が折れるので、座らせるようにして眠らせてあげたというのです。最近はいすがあって、休むのにもいいのですが、そのときは、どこかに寄りかかって抱いて眠らせてあげるしかないのです。そのときに、男性の生殖器と女性の生殖器が、近くに接触し得る部分にありますか、ありませんか?(「あります」)。あるので、「これとあれがあれば、赤ちゃんを中心として仲むつまじく楽しい動物の世界の形態が始まるはずだが、それはどうだろうか?」という考えをしただろうというのです。ですから、抱いて眠るのを「ううん」と力を入れれば、事故に遭う(堕落する)というのです。

 そのようになる可能性があると思いますか? 文総裁が「そのような気がする」といってする作り話でしょうか? そのようになる可能性が高いですか?(「そのようになる可能性が高いです」)。そのようになる可能性が高いというのです。それは常識的な結論です。そのときは、堕落する可能性のある行動的環境において自由にふるまっていた、という事実を知らなければなりません。

 そのような法を守ることができずに天使長が行動することによって、エバまで脱線させたのです。守るべき天理を破って誘惑をしたので、エバが生きられる道がなくなりました。そこでエバは、アダムに「堕落した」と言って、「もう一度生かしてほしい」と言ったのです。すると、アダムまでは地獄に送ることはないであろうと思ったのですが、アダムまで引っかかってしまったのです。

 このようにして、偽りの愛をつくったことになったので、神様は見るのも嫌です。鉱物世界に、そのような愛以上の作用はあり得ず、植物世界にも、動物世界にもそのような作用はあり得ません。そのように、天地のいかなる相対理想世界にも存続できる基地がないので、追放するしかない結果になったのです。手をつけられないように、永遠に別れてしまったというのです。

 追い出したでしょう? なぜ、追い出したのか分かりますか? 韓国では、娘が浮気をして子供を生んだりすれば、それを家に置きますか、追い出しますか?(「追い出します」)

 そのようにして、アダムとエバが堕落した後に神様が追い出しましたか、追い出しませんでしたか? 追い出したでしょう? 天地のどこにも、相対理想を中心とした主体・対象圏内における愛の理想を中心として一つになることのできる自由の理想圏内には、このようなものはあり得ません。いかなる存在であっても、歓迎されるものは一つもないので、これを除去せざるを得ないのです。ですから、追い出したのです。

 アダムとエバは、追い出されて子供を生みましたか、追い出される前に、エデンの園で子供を生んでから追い出されましたか?(「追い出されてから子供を生みました」)
 神様も同じです。サタンも同じです。そのことを知らなければなりません。そのような前後、左右のすべてのことをわきまえて、順理(当たり前の道理)をわきまえることのできる天理があるので、復帰摂理が可能であったということを知らなければなりません。

  真の愛と「原理」

 本論に入ります。(笑い)真の愛をどこから失ってしまいましたか? 世界から失ってしまったか、私自身から失ってしまったかというのです。(「私自身からです」)
 私たち統一教会は、理論を内外共に備えており、サタン世界に引っかからない方法を、あまりにもよく知っています。先生も、皆さんに挑んで倒すことはできないので、どうしたらいいのかと、ため息をつくのです。

 先生が一言言えば、食口たちが決定して、答えを通り過ぎて結果まで出してしまうことができます。そうして、「私がこのような立場にいるのに、先生はどうして訪ねてこられるのですか? 私はこのようにしたのですよ?」と言いながら、来る先生を押しのけて、堂々としていることができるのです。そのような論法を発見することのできる技量を教えてあげたので、恐ろしい基盤があると、先生は考えるのです。分かりましたか? 

 先生が間違えば忠告しますか、しませんか? きょう、神様の安息日を宣布しておきながら、洋酒工場、ビール工場にパイプを連結しておいて、二十四時間パイプでお酒を飲みながら、統一教会の教主として、「世界にいるすべての統一教会の指導者は来なさい。お酒のパイプをくわえたまま訓示しよう」と言えば、来ますか、来ませんか?(「行きます」)。そのようなことは、原理にはないのにですか? そのような先生の話を聞いてはならないはずなのに、ですか?(「そのようにされるかたではありませんから」)。そのようなことをするかたではないので、問題なのです。(笑い)

 文先生が死んだならば、世界の財閥、政治家、文学者たちが、たくさん集まってくるはずです。また、ここにいる人は、先生が死んだならば、共同墓地に列を成してついていきますか、ついていきませんか?(「ついていきます」)。あなたたちがついてこなくても、世界の人たちがついてくるようになっているのです。あなたたちが花を持ってこなくても、世界の人たちが花を持って、たとえその墓が、白雪に覆われた北極にあったとしても、訪ねてくるようになっているのです。

 それでは、どのような人の弟子になり、どのような人の家の中で暮らしたいですか? 文総裁の家ですか、それとも韓国の財閥の家に行きますか?(「お父様の家に行きます」)

 韓国のおじいさんたちは、これくらいの長さのキセルでパンパンと打つのです。キセルを平安道の言葉で何と言いましたか?(「コムパンデです」)。灰皿が真鍮でできていて、それをたたけば、町中全体に響くのです。パンとたたけば、「孫たちよ、来なさい」、ということです。それが、合図の信号なのです。

 文総裁が、キセルを持っておじいさんの役目をするのですが、皆さんはお父さんの役目をしますか? 神様が千年万年、悪魔と闘われた真理の杖で、この役目を果たしますか? これを肯定し、是認する限り、そのまま行わなければなりません。そのことが分かりますか、分かりませんか?(「分かります」)

 それが何かと言えば、「原理」です。神様までも、その原理には頭を下げられるのです。世の中の堕落した者たちは、千年万年、頭を下げなければなりません。



 この真理をもって線を引くようになれば、消す者がなく、この真理をもって絵を描けば、消す者がいないというのです。芸術中の芸術であり、美術中の美術のチャンピオンになることのできる、すべての内容を備えているということを知らなければなりません。

 どこでも思いどおりに通じることができるものは、真の愛しかありません。回ることもでき、下りていくこともでき、横的に行くこともでき、どこに行ったとしても歓迎されるのです。

 ですから、神様がなぜ、この地上に安息所を持たれることができないのかといえば、休まれることのできる家がないからなのです。「神様の安息の家」がないのです。分かりましたか? 堕落したので、すべてが分かれてしまいました。心と体が分かれ、夫婦が分かれ、母親と子供が分かれ、氏族が分かれ、国家が分かれ、世界が分かれ、天地が分かれ、神様とサタンが分かれています。これをどのように統一するかということが問題であり、どこから手をつけるのか、ということが問題なのです。

 根本から、初めから、家庭から、私自身から出発するのです。世界平和が成され、アメリカとソ連、民主世界と共産世界が闘っていたものが平和の世界になり、一つになったからといって、皆さんの心と体が統一されると思いますか? 皆さんの夫婦が分かれて争うことが、統一されると思いますか? 分かれた国が統一されると思いますか? それは、たかだか世界舞台における長子圏と次子圏、カイン・アベル圏が一つになっただけです。それは、いかなる統治原理の根とも何の関係もありません。

 ですから、平和統一の基準は、「私」からなのです。エデンの園で私たちの先祖が失敗した、その土台以上に帰らなければならないということを知らなければなりません。それを教えてあげるのが、統一教会の原理なのです。分かりましたか?(「はい」)。ですから、真の愛が必要なのです。​​​​​​

<後編に続く>​



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.03.19 21:47:09
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