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夕陽を浴びるタロー~虹の橋より (タローちゃん、今も変わらず大好きだよ~。)





May 1, 2026
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カテゴリ: 気になるTV番組
2026年NHK大河ドラマ
『豊臣兄弟!』 のあらすじ及び感想日記です。

今回は織田信長(小栗旬さん)による比叡山の焼き討ちを背景
にした展開でした。
信長の命に背いて女・子供に情けをかけた兄・秀吉(後の豊臣
秀吉;池松壮亮さん)。
弟・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は兄から宮部継潤
(ドンペイさん)の調略を任され、理屈では動かない姉のとも
(宮澤エマさん)の説得に苦労しました。

それでもともの夫・弥助(上川周作さん)が「侍になったから
には」と考えることができる人だったのが助けになりました。
後半で小一郎がともに「百姓だった昔とは違い、わしらは民を
守る側になった。」と侍という地位の現実を諭し、夫の弥助も
「わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。」と、自分たちは
織田家の重臣の身内なのだと妻を諭して、ともがようやく受け
入れた部分には静かな感動がありました。

調略成功の結果、信長から切腹を言い渡された兄を助けました。
そしてラストで、万丸(小時田咲空くん)を迎えた宮部から、
万丸が母・ともからの言いつけを守って宮部家で頑張っている
と聞かされたときは、感動が大きかったですね。
父母のもとにいるときは甘えて弱虫だったけど、環境が変わり
自分の立場を幼いなりに理解したとき、急にしっかり者になる。
現代でも子供が幼稚園・小学校・中学校と上がっていく段階で
よくあることかなと思いつつ、ラストで泣かせてくれたな~、
いい話を聞いたなと思いました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

元亀元年(1570)6月28日、近江で織田・徳川の連合軍と
朝倉・浅井の連合軍が激突した姉川の戦いは織田・徳川の勝利
となり、小谷城に戻った浅井長政(中島歩さん)は多くの家臣
たちを失ったことを悲しみ悔やんでいました。
妻の市(織田信長の妹;宮﨑あおいさん)は気落ちする長政に、
いつまでも悔やんでいてはその者たちが浮かばれない、その者
たちの死を無駄にしてはいけない、と言葉をかけました。
市の言葉を聞いた長政は、信長がなぜこれほど強くなったのか
今わかった、市がそばで信長を支えていたのだと理解しました。

一方、織田信長(小栗旬さん)は落城した横山城に入って一息
ついていました。
すると重臣たちが城の蔵にあった酒や肴をみつけて持ち寄り、
木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下
小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は信長に楽しんで
もらおうと猿踊りをし、慰労の宴会を皆で楽しんでいました。
信長は傷心ではないかと案じた秀吉は厠に立つ信長を追いかけ
ましたが、信長はその心遣いは受け取りました。
そして信長は秀吉に、自分は明日、岐阜に戻るが戦支度が整い
次第またすぐに浅井を攻める、それまでこの横山城を死守せよ、
そして(小谷城より約4.5km南にある)宮部城の城主・宮部
継潤(ドンペイさん)を調略するよう命じました。

義に厚い宮部には駆け引きは通用しないだろうと考えた秀吉と
小一郎は、村人に変装して継潤のいる寺を訪れました。
戦場で見覚えがあった二人の変装を見破った継潤は人払いをし、
命がけでここに来たことに免じて話を聞くことにしました。
秀吉と小一郎は挨拶の後、信長がまたすぐに浅井を攻めに来る、
そうなれば浅井に勝ち目はないから織田に味方するようにと、
継潤に話をしました。

継潤は、信長は好かぬが、自ら出陣はせずに一乗谷でふんぞり
返るだけ朝倉義景はもっと好かぬ、実は迷っていると二人に
本音を語りました。
そして寝返りの条件として秀吉の子を自分に差し出すよう要求
しましたが、秀吉に子がいないと聞くと「近しい身内の子」で
構わぬと言いました。

まだ子がない秀吉と小一郎にとっていちばん近しい身内の子と
いえば、姉のとも(宮澤エマさん)の長男の万丸(小時田咲空
くん)しかいませんでした。
しかし形式上は継潤の養子でも事実上の人質です。
そんなのはともが許すはずもなく、ともの夫の弥助(上川周作
さん)にも頼めそうにないことで、二人は頭を抱えました。


そのころ越前の朝倉義景(鶴見辰吾さん)と近江の浅井長政は
比叡山延暦寺の天台座主・覚恕(黒田大輔さん)のもとを訪れ、
自分たちに味方するよう頼んでいました。
信長を嫌う覚恕は快諾し、手始めに織田方の宇佐山城(滋賀県
大津市、延暦寺より南に約4.2km)を討つことにしました。
元亀元年(1570年)9月、宇佐山城を守っていた森可成(水橋
研二さん)は朝倉の急襲を受けて討ち死にし、その報を聞いた
信長は激しく怒り、直ちに出陣するよう命じました。

織田軍は比叡山を取り囲んだものの、比叡山に立て籠った朝倉・
浅井軍とは膠着状態になり、山で暮らしていた女・子共たちは
庇護を求めて寺に逃げ込み、そのまま2か月がたちました。
長政は女・子供だけでも逃がしてやりたかったのですが義景は
それを許しませんでした。

さて岐阜の木下家では、小一郎はから万丸の件を聞いたともが
怒り狂って暴れ、手が付けられませんでした。
小一郎はともに、この調略がうまくいけば浅井との戦を終わら
せ多くの者が助かる、宮部は万丸を大事にしてくれる、と説得
しましたがともは市と浅井長政のことを例え、先のことはどう
なるかわからない、絶対に嫌だと怒って立ち去りました。
万丸の父である弥助も本当は万丸を手放したくありません。
でも弥助は、侍ならば我が子を人質に出すことも従わなければ
ならない、それが嫌なら百姓に戻るしかないと考えていました。

そんなところに兄・秀吉が戦場から戻ってきました。
秀吉は小一郎と弥助に、将軍・足利義昭の働きかけにより戦は
和睦になった、もう宮部の調略もしなくてよい、万丸の人質は
無しになった、と皆で喜び合っていました。


しかし岐阜城に上がると、和睦を望んでいない信長は秀吉に
激しく怒りました。
柴田勝家(山口馬木也さん)が進み出て、このところ諸国での
一揆が激しくてあのまま比叡山に釘付けになっていたら我らも
危なかった、と秀吉をかばいました。
それでも信長は、まもなく雪が降れば朝倉・浅井も領地に帰る
ことはできなかった、どうやら将軍・義昭が陰で朝倉・浅井を
助けているようだ、と疑って明智光秀(要 潤さん)の前にきて
光秀に返答を求めました。
信長に気圧されながら光秀が義昭への疑いを否定すると信長は、
これで気の煩いもなく比叡山の俗物どもを一掃できると言い、
この先我らに従うかどうか、従わなければ女・子供も皆殺しと
なる旨の書状を延暦寺に送りつけるよう命じました。
その従わなかった場合の皆殺しは織田に刃向かうとこうなると
いう見せしめであり、それを光秀に命じました。
信長の苛烈な命令に思わず息を吞む重臣一同。
しかしそのとき秀吉が自分もその命令を受けると進み出たので、
信長は光秀と秀吉の二人に命じましたが、ただし、しくじれば
自分たちの命もないと心得よ、と念押ししました。

軍議の後で秀吉と二人きりになったとき小一郎は、なぜあんな
命令を自ら引き受けたのかと兄に詰め寄りました。
秀吉は、延暦寺には逃げ込んだだけの者がたくさんいる、せめて
その者たちだけでも逃がしたい、と言いました。
小一郎が、軍目付が目を光らせている中でどうやって殿・信長に
ばれずに逃がすのか!?と問うても秀吉は答えられません。
秀吉は、ただ一つだけ、自分が侍になったのは無情に人を殺める
ためじゃない、とはいえ殿に逆らうことはできん、と言いました。

秀吉は、此度は自分に何かあっても助けんでいい、その代わりに
宮部継潤を必ず調略するよう頼みました。
殿は浅井討伐をあきらめてはいない、万丸を預けて宮部を調略
できなければこの先また戦で無駄な血を流すことになる、ともを
説得できるのは小一郎だけだ、頼むぞ!と伝えました。

夜になり、小一郎は義兄・弥助と二人きりになり、万丸の件を
頼もうとしたら、弥助は昼間の話を聞いていたとのことでした。
弥助はいたって冷静でした。
そして小一郎のほうを向き、思いを伝えました。
「わしは侍になってよかったと思っている。このような暮らしが
できるのも秀吉はと小一郎のおかげだ。感謝している。
侍ならば子を手放さねばならぬのも覚悟の上だ。万丸には立派な
侍になってもらいたい。
だがお腹を痛めて産んだともの気持ちはわしら男には計り知る
ことはできぬ。どれほどの悲しみか。
でも最後にはきっとわかってくれるはずだ。お前の姉様は肝の
据わった女子だから。わしはそこに惚れたんだ。」
そう言って弥助は少し微笑んで涙をこらえていました。

元亀2年(1571年)になり、ついに比叡山の総攻撃の日がきて、
秀吉と光秀は出陣しました。
織田軍と僧兵たちとの激しい攻防が続きます。
お堂に隠れていた女・子供たちは攻め寄せる織田軍にただ怯え
悲鳴をあげるだけでした。
秀吉にはやはりこの者らを斬ることはできず、信長の命に背く
ことになるけど、逃がしてしまいました。

そのころ小一郎と弥助は、ともとの話し合いを重ねていました。
小一郎は姉のともに、子のいない自分にはいくら考えても姉様の
つらい気持ちはわからぬと詫び、それでも説得を続けました。
「わしらはもう百姓ではない。侍なんだ。わしら家族は守られる
側ではなく、守る側になったのだ。
一人でも多くの者が助かる道を選ばなければならない。
人質などなくとも皆が笑って生きられる世をいつか作ってみせる。
わしらはそういう侍にならねばならぬ。」
母のなか(坂井真紀さん)と妹のあさひ(倉沢杏菜さん)も同席
する中で小一郎は、昔とは違うということを切々と訴えました。

納得なんかできないけど、ともの頬を涙が伝っていました。
夫の弥助も涙を流しながら思いを語りました。
「わしは侍になってこれまで何をしたということがない。でも
そんなわしらの子が多くの者の命を救えるのかもしれん。
わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。
誰にでもできることではない。その姿を見守ろうではないか。」

小一郎は「万丸のことはずっと見守り続ける。どうかわかって
くだされ。」と言い、弥助は二人で土下座をしました。
弟だけでなく夫にも説得され、そして母・なかが「万丸もまた
いつか一緒に暮らせる(意訳)」と言い、ともはもうこの件を
受け入れるしかないのだと悟りました。


比叡山では建物に火が放たれ、命を奪ってしまった無抵抗の者
たちの亡骸を前にして、光秀は呆然と立ちすくんでいました。
比叡山でのことを光秀が京の二条御所にいる将軍・足利義昭
(尾上右近さん)に報告すると義昭は、人の所業とは思えぬと
言って光秀を外道呼ばわりしました。
光秀が詫びながら、信長は我らを疑っている、信長の目は欺け
ない、義昭との約束を果たすためにしたことだと訴えました。
自分のためにそのようなことをさせてしまったたのかと思った
義昭は、光秀に自分のもとに戻ってこいと命じて去りました。

後日、岐阜城では信長が光秀の働きを褒め、近江国志賀郡の
領地を与え、城持ち大名としました。
そして命令違反をした秀吉に切腹を申し付けたとき、小一郎が
しかさず「お待ちください!」と進み出ました。
小一郎が「お連れいたせ!」と言うと宮部継潤が現れ、信長の
前に進み出てました。
小一郎が「元・浅井家臣」の宮部継潤と紹介し、宮部が信長に
挨拶をしました。
宮部は、小一郎の情理を尽くした話に心を動かされて織田の
配下になろうと決めた、木下家が身内の子を自分に預けてでも
という覚悟を見せてくれたからには自分も約束を守らねばなら
ない、と信長に考えを述べました。

小一郎は信長に、兄は見事に殿の期待に応えた、どうかこれを
以って比叡山でのことはお許しください!と訴えました。
信長は、それとこれとは別と言ったのですが、かつて比叡山の
僧だった宮部が秀吉をかばう発言をすると、信長もようやく
秀吉を許す気になり、秀吉をじろりと見て「此度だけだ」と
切腹の命令を撤回しました。
小一郎だけでなく光秀の目にも安堵の涙が浮かんでいました。


万丸が宮部のもとに行って3か月がたったある雪の日。
木下家に宮部が来ていて、小一郎は万丸の父と母である弥助と
ともを紹介しました。
ともは宮部の前に進み出て、万丸に渡してほしいと綿入りの
腹巻を差し出しました。
宮部が快く受け取るとともは、それから万丸が眠れないときは、
それから・・と思いつくまま伝えようとしました。
他家に行った弱虫の我が子がただ心配でならない母の姿でした。
宮部は優しく受け止め、万丸が養子に来てからの三月、ただの
一度も泣いていない、時折り寂しそうな顔は見せるけど懸命に
耐えている、と様子を伝えました。
「一人でも泣かぬ。強くならねばとおっか様からそう教わった
のだと、万丸はあなた様の教えをちゃ~んと守っている。」と
ともに伝えました。
万丸は自分の教えを守っている、宮部家で本当に大事にされて
いるのがわかったともは宮部に「よろしくお頼み申します。」
と心から頭を下げました。

そんなころ京の二条御所では将軍・義昭が三淵藤英(味方良介
さん)から、光秀が近江の坂本に城を築き始めたとの報告を
受けていました。
光秀には自分のもとに戻るように命じたのに、光秀は信長の
意向に従い城持ち大名になろうとしている。
義昭は庭に降りて刀を抜き、信長がもつ力への腹立たしさと
悔しさで、藤戸石を思いっきり刀で斬りつけていました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





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Last updated  May 1, 2026 05:10:10 PM


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