全4818件 (4818件中 1-50件目)
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で強く感じたのは、親に力があって子供が生きるための苦労をしていないと、どこか頼りなくなるのかな?ということでした。藤原道長(柄本佑さん)が最高権力者となり、その嫡男として育った藤原頼通(渡邊圭祐さん)は、反・道長派から軽く扱われ嫌がらせをされても対抗する術を知りません。父・道長に相談すると、毅然とするよう、己が汚れ役になってもいとわぬようにと助言を受けます。でも頼通は、優しさ半分、汚れ役ができない甘さ半分のように感じました。思えば道長も、父・藤原道兼は権力を得るために次男の兼家(道長の兄)に常に汚れ役をさせ、道長は失敗した時の復活の駒として守られていました。それでも道長は、兄・道兼の苦しみや悲しみを目の前で見てきて、事を成すために情を捨て、厳しい態度で臨む必要性を肌で感じてきたのでしょう。だから我が嫡男の頼りなさを余計に感じてしまうような。そしてそれはまひろ(吉高由里子さん)の一人娘の藤原賢子(南沙良さん)にも言えると思います。賢子が産まれた頃には亡き(育ての)父・藤原宣孝の援助もあって、家は経済的には困ってませんでした。たしかに母・まひろが生活のこともあって宮仕えをして精神的には寂しい思いをしたけど、空腹に耐える苦労はしていません。だから双寿丸(伊藤健太郎さん)から見たら、気は合うけれど「苦労知らずの頼りないお嬢ちゃん」としか思えなくて、生涯の伴侶にはできなかったと思います。この度の宮仕えにしても、母が実績を残しているというアドバンテージもあるでしょう。もちろん賢子自身の素直さと謙虚さで先輩の女房たちに好印象を持ってもらえたという点もありますが。大河ドラマHP(上記リンク)に、道長の出家に関する興味深いお話が出ています。道長さん、相当あちらこちらで恨まれていたようです。をしへて! 倉本一宏さん ~藤原道長が出家をしたのはなぜ? ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛仁2年(1018)秋、太閤となった藤原道長の三女の威子が皇后となった夜、土御門殿で祝いの宴が催され、その時に道長は歌を詠みたくなり、満月の空を見上げて一首詠みました。ただその歌は道長が自分の輝かしい栄華を詠んでいるかのようで、若い頃から道長とはずっと一緒に歩んできた友人の藤原公任(町田啓太さん)や藤原斉信(金田哲さん)には、なんだか不思議な感じでした。源俊賢(本田大輔さん)は道長の長女の彰子が太皇太后、次女の妍子が皇太后、三女の威子が皇后という栄華を極めた今を謳いあげていると解釈しました。でも公任は「今宵はまことによい夜であるな」ぐらいの軽い気持ちだと解釈し、道長は皆の前で奢った歌を披露する人となりではないと考え、藤原行成(渡辺大知さん)も同じ考えでした。藤原道長(柄本佑さん)は摂政の位を嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)に譲り、自身は若い頼通の相談役になっていました。年が明けた寛仁3年(1019)正月、叙位の儀が行われる日に左大臣の藤原顕光と右大臣の藤原公季が欠席し、頼通は欠席の理由を問う使者を左大臣に送りました。結局これは左・右大臣が頼通には従わないという当てつけで、頼通はこれまでにあった事も含めて父・道長に愚痴混じりに相談していました。道長は頼通を「うろたえるでない!」と一喝、そして二人が来ないなら内大臣の頼通がやればよい、叙位の儀を止めてはならんと指示、嫌がらせなどには屈せぬ姿を見せよと助言しました。「源氏の物語」で光源氏の死後の物語を書き続けていたまひろ(藤式部;吉高由里子さん)でしたが、それもようやく書き終えることにしました。自宅に戻って様々な物思いにふけっていると娘の藤原賢子(南沙良さん)が来て、自分も宮仕えをしたいと申し出ました。賢子は21歳にもなって母を頼りに生きているのは情けないという思いを持ち、女房にしてもらうよう太皇太后の彰子に覚えがめでたい母に頼んでいました。まひろは賢子の宮仕えのことを父・藤原為時(岸谷五朗さん)に報告し、そして自分は大宰府まで旅に出たいと言いました。そんなに遠くまで一人で行くことを案じた為時でしたが、その時きぬ(蔵下穂波さん)が乙丸(矢部太郎さん)をお供に連れていけばいいと言い、為時もそれで安心したのか「好きにせよ」と笑っていました。まひろは賢子の宮仕えの件を彰子に頼み、自分が旅に出ることも含めて改めて彰子に挨拶に行きました。彰子は確かに賢子を預かったと、そしてまひろには必ず生きて帰って土産話を聞かせて欲しいと言い、懸守を持たせてくれました。それからまひろは太閤・道長にと嫡妻・源倫子(彰子の生母;黒木華さん)に挨拶に行き、賢子を紹介して自分の旅のことを伝えました。道長はまひろに大宰府への使いの船があるからそれに乗って行けばいいと言い、まひろの旅立ちを助けてくれていました。まひろと賢子が挨拶を終えて退室すると、廊下で倫子に呼び止められました。倫子はまひろに道長の生涯を光り輝くように物語で書いて欲しいと頼んでいて、そのことに対する返答を求めました。まひろは、自分は心の闇に惹かれる性分なので道長の栄華を輝かしく書く事はできないと丁重に断り、倫子もあきらめました。若い頃からずっと世話になってきた倫子に改めて挨拶をし、まひろはその場を去っていきました。(よく考えたら、まひろ自身が道長の“陰”でした。道長の物語を書いてまさか自分のことをほのめかすわけにもいかないから、もう断るしかないですね。)まひろがずっと書き続けてきた「源氏の物語」を局で賢子に引き継いでいると、道長がやってきました。まひろが賢子を下がらせると、入ってきた道長は御簾を降ろしました。道長は旅立とうとするまひろに行かないで欲しいと言いましたが、まひろは「これ以上、手に入らぬお方(道長)の傍にいる意味はないのでは。自分は十分やってきたし、見返りも十分にもらった。道長様には感謝してもしきれないけど、違う人生も歩んでみたい。」と思いを伝えました。そして賢子は道長の子であると、21年越しに真実を告げました。道長はそのことに一瞬驚いたのですが、それ以上にまひろがいなくなることが辛くて、まひろの手を取りもう会えないのかと問いました。まひろは道長の目を見つめ、会えたとしてもこれで終わりと告げ、道長の手をほどいて御簾を上げて去っていきました。そしてまひろは乙丸を連れて旅に出ました。倫子は道長の物語の件は、幼い頃から自分の教育係で今も傍にいる赤染衛門に頼み、衛門も恐れ多いと言いつつ引き受けてくれました。一方、太皇太后の彰子に仕えることとなった賢子は先輩の女房たちに挨拶に行き、宮の宣旨(小林きな子さん)から「越後弁」という名をもらいました。御所の中を宮の宣旨に案内されている賢子を、「あれがあの時に(石山寺)できた我が娘か」と道長は遠くから眺めていました。急に体調が悪化した道長は、いつまでも頼りない頼通を独り立ちさせるためにも、出家を決意しました。倫子は出家しないで欲しい、疲れたなら自分の傍にいて欲しいと道長に懇願しましたが道長の気持ちは変わりませんでした。道長は妻の倫子と彰子・頼通・教通・妍子(倉沢杏菜さん)威子(佐月絵美さん)ら家族に見守られる中、剃髪して出家しました。(これ、柄本佑さんは本当に自分の髪を剃って坊主にしたらしいですね。)出家した道長に公任たちが会いに来ました。道長は今もこうして目の前にいて話もできるけど、政の場所にはいない道長を思ってか、皆はどこか寂しそうでした。特に若い頃から道長が大好きで道長のために何でもやってきた行成は寂しさもひとしおで涙がこみ上げていました。道長は皆に「頼通はいまだ肝が据わっていない。これからはどうか頼通の力になってやって欲しい。左大臣と右大臣は足を引っ張るだけ。上に立つには皆の力添えがなくてはならぬ。」と改めて頼みました。でもその(偉そうな)言い方はまったく以前のままで、公任は「心は出家していない。頼通の政を後ろから操るためか。」と指摘しました。斉信はそれならそれで自分たちも力が湧くと協力を快諾しました。しかし肝心の頼通は老臣たちの存在意義を理解していないようでした。近頃の頼通の悩みの種は左大臣の顕光のことでした。顕光は歳のせいなのか帝の前で居眠りをしたり訳のわからないことを言ったり、的外れな発言で陣定を長引かせるなど失態が続いていました。頼通は、皆も顕光にうんざりしているしこれでは公卿たちの士気が落ちるから顕光に左大臣を辞めて欲しいと考え、それを父・道長に相談していました。道長は、大臣が辞める時は本人が申し出るか身まかるしかない、そのためにはどうしたらいいかわからないのか、と頼通に問いましたが答えられません。「失態の度に皆の前で左大臣を厳しく難じよ。そのうちいたたまれなくなって辞めるやもしれぬ。」と助言しました。頼通がそんなことはできないとうろたえると「それが政だ!」と言葉を強く返し、そのくらいできねば何もできぬ、肝を据えろと叱りました。さて大宰府までやってきたまひろと乙丸は、京の都とは異なるその賑わいに目を見張っていました。宋人も含めて多くの人が行きかう西の果ての地で、乙丸は越前での日々を思い出し、宋語がわかるまひろは宋の商人たちの言葉を聞いて楽しんでいました。そんな雑踏の中で、まひろは越前にいた時に出会った周明と約20年ぶりの再会を果たしました。(次回は「刀伊の入寇(1019)」をやるのですね。私はこれはナレーションで終わると思っていたので予想が外れて嬉しいです。~~だから主人公を九州まで行かせたのかー)
November 27, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は平安時代に最高の栄耀栄華を誇った藤原道長(柄本佑さん)のあの歌がいよいよ出てくる回でした。つくづく思ったのは、道長は本当に強運だったのだと。三条天皇(木村達成さん)が病になったことで譲位を迫る口実ができ、交換条件で三条院の皇子の敦明親王(阿佐辰美さん)を東宮にしたけど、三条院の崩御によって敦明親王が自ら東宮を辞退し、自分の2人めの孫を東宮にすることができました。自分と嫡妻・倫子の間にできた3人の娘である彰子・妍子・威子をそれぞれ天皇の女御としてから后にし、同時期にそれぞれの位で后となっただけでも稀有な事なのに、その次に続く帝まで確約したのですから。道長は周囲にも恵まれましたね。賢くて分別があるだけでなく実家が後盾になる力があった嫡妻・倫子、道長一人がどんなに出世しても変わらず友として本音を言ってくれた藤原公任と藤原斉信、道長の思いを汲んで実行に移してくれる藤原行成や源俊賢、などなど。もちろん本人が政治的な能力を持ち、また周囲にもこの彼についていきたい・彼を推したいと思わせるなど、トップに立つ資質を持っていたのでしょう。でもそれに加えて、自分が何もしていないのに事が都合よく進められる一大事が起こってしまうのです。歴史に名を残した人は、こういう強運ももっていたのであろうと、ふと思ってしまいました。上記リンクの番組HPに、興味深いお話がありますをしへて! 倉本一宏さん ~この世をば! 一家三后と藤原道長の「望月の歌」 ⇒ ⇒ こちら こちらはRekiShock(レキショック)先生の情報です。道長が望月の歌を詠んだ頃(1018年10月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長和4年(1015)、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の意を受けた藤原公任と源俊賢からも譲位を迫られた帝(三条天皇)は、皇女の禔子内親王を道長の嫡男・藤原頼通(渡邊圭祐さん)の妻にしたいと言い出しました。ただ頼通は今の妻の隆姫女王ととても仲が良く、他の女人は考えてもいないので、父だけでなく母からも説得されても禔子を迎え入れるのを拒みました。帝は病で目が見えなくなってしまったけど絶対に譲位はしたくないので、道長に対し准摂政にするから思うように政をすればよいとまで言いました。帝に内親王は要らないとは言えないので、道長はやむなく頼通に病になって表に出ないよう言い、次男の藤原教通(姫小松柾さん)には兄・頼通が伊周の祟りで重い病になったと内裏中に噂を流すよう命じました。頼通が父のやり方に異を唱えようとしたら道長は珍しく声を荒げて頼通を叱り、隆姫を傷つけぬためだと思って(嘘を)やりぬくよう頼通に言い聞かせました。藤原実資の進言を受けた帝は、自分の皇子の敦明親王を東宮にすることを条件として、ようやく譲位を受け入れました。翌・長和5年(1016)大極殿において後一条天皇(橋本偉成くん)の即位式が執り行われ、母の藤原彰子(見上愛さん)は国母となり、道長は幼い天皇の摂政となって名実ともに国家の頂点に立ちました。道長の嫡妻・源倫子とその母・藤原穆子は、この家から帝が出るなんてまるで夢のようだと幸せをかみしめていました。まひろ(藤式部;吉高由里子さん)の父・藤原為時(岸谷五朗さん)もすっかり歳をとり、母・まひろが宮仕えでいない間は為時に育ててもらった孫の藤原賢子(南沙良さん)は大好きなおじじ様が心配になりました。為時自身も自分の老いをわかっていて、もう娘のまひろも孫の賢子も家人のいと(信川清順さん)も、家の者は皆それぞれにしっかりしているから大丈夫と思い、出家したいと言い出しました。寂しがる賢子に為時の出家は寺に行くわけではないと言い、そして賢子には母のまひろのように宮仕えをしたらどうかと勧めました。食事の後でまひろと二人になった為時は、生真面目過ぎる自分のせいで家族には苦労をかけどおしだったと詫びました。でもまひろは、越前で見た父の誠実な仕事ぶりへの思いを伝え、そして父の方に向き直って、改めてこれまでの働きを労いました。さて、敦成親王は帝(後一条天皇)となりましたが、10歳の帝に政のことがわかるはずもなく、摂政の道長が後ろでささやくことをそのまま伝えていました。公卿たちはこの形式はやむを得ないと思っていますが、帝を通じて反映される道長の政のやり方には異を唱える部分もありました。ただ道長は公卿たちの異論は陣定で聞くことにしていて、摂政になっても陣定に出てくる道長を公卿たちはうとましく思っていました。公卿たちの道長への不満や苛立ちに危機感を感じた藤原公任(町田啓太さん)は、“友”として道長と話をしました。公任は道長の、陣定で皆の意見を聞いて政をしたいという考えに理解を示してはいましたが、それは傍から見れば欲張り過ぎだと意見しました。そして「内裏の平安を思うなら左大臣を辞めろ」と。道長は自分が摂政と左大臣の二つの権限で政を行うのが良いと考えていました。でも公任ははっきりとそれは違うのだと否定し、道長のためを思って言っていると心からの思いを伝え、退室していきました。道長は自分の進退について(娘で皇太后・彰子に付いて自分の邸宅の土御門殿にいる)まひろに話をしに行きました。道長が摂政と左大臣を辞そうと思うと言うとまひろは驚き、それは嫡男の頼通に摂政を譲るということかと確認しました。まひろは最初は、道長の民を思いやる心は頼通に伝わっているのかと心配になりましたが、話をしていくうちに、すぐには頼通に伝わらなくてもいずれ伝わる、次の代またその次の代と時を経れば成せるかもしれないと考えを変えました。まひろに話をして落ち着いたのか、道長はなんとなく納得していました。そこへ道長の嫡妻・源倫子(黒木華さん)が来て、二人で何の話をしているのかと訊ね、道長のその場しのぎの返答だけど倫子は受け入れていました。倫子はまひろに道長の栄華を記した書物を書いて欲しいと頼み、それだけを伝えたら去っていきました。(昔から道長の心の奥にずっといる女人はおそらくまひろだろうと、倫子は気が付いていたでしょうね)翌・寛仁元年(1017)道長の嫡男・頼通が後一条天皇(頼通には甥にあたる)の摂政となり、土御門殿では頼通の弟・藤原教通(姫小松柾さん)たちが兄の摂政就任を祝っていました。頼通が弟妹たちにこれからも力を貸して欲しいと言うと早速、道長の三女・藤原威子(佐月絵美さん)が協力を申し出ました。それを聞いた頼通はならばと、帝(後一条天皇)に入内して欲しいと言いました。でも威子が、自分は帝よりもかなり年上だから嫌だと言うと、下の妹の藤原嬉子(太田結乃さん)が歳が近い自分がと名乗り出ました。嬉子は兄・頼通からまだ出番ではないと言われ、威子は母・倫子からも説得されましたが入内は嫌でたまりませんでした。寛仁2年(1018)春、威子は後一条天皇に入内しました。ところがこの後の6月に病だった先の帝の三条院が崩御しました。道長の摂政就任と引き換えに東宮になった敦明親王でしたが、父・三条院の崩御によって後盾を失い、自ら申し出て東宮の地位を降りました。そして帝の弟(道長の孫)の敦良親王が東宮となりました。また道長の長女・彰子は太皇太后に、次女で三条院の皇后だった藤原妍子(倉沢杏菜さん)皇太后に、三女の威子は皇后となりました。威子は皇后となった夜、土御門殿で祝いの宴が開かれました。三人の娘たちに礼を述べる父・道長に対し、入内して最愛の人(故・一条天皇)にめぐり逢えた彰子はそれなりに落ち着いた返答でしたが、不本意な入内となった妍子と威子はとても祝う気になれないどうでもいいような表情でした。宴では頼通と教通の兄弟で見事な舞を披露し、宴に華を添えていました。祝いの宴に招いた公卿たちが酒に酔って歓談が進んでいる時、道長は藤原実資(秋山竜次さん)に目配せをして呼び寄せました。道長は大きな盃になみなみと酒をつぎ、それを摂政(頼通)に勧めるよう実資に頼み、実資は快諾しました。「太閤様からでございます。」ーー実資は盃を頼通に差し出し、頼通はそれを受け取って父・道長の方を見て軽く一礼し、それから盃を口にしました。頼通の後は弟の教通、そして藤原顕光、義兄の藤原道綱と、公卿たちに順番に盃が回っていき、盃を受け取った皆は道長に一礼して酒を口にしました。盃が一通り回ると道長はおもむろに立ち上がり、庭に面した廊下に出ました。そして夜空を見上げ「歌を詠みたくなった。返歌を」と実資に言いました。実資が皆に「これより太閤様が歌を詠まれます」と声をかけると、皆は食事や歓談を中止し、一斉に道長のほうに向き直りました。雲間が晴れた満月を見て、道長は詠みました。「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」実資はこの歌にとても返歌はできないと思い、唐の詩人であった元稹の菊の歌に白楽天が返せなくて代わりに唱和したことを例にあげ、今宵も皆で唱和しようと公卿たちに呼びかけました。そして道長が詠んだ歌を実資が再び詠み、皆もそれに続いて唱和しました。その夜、土御門殿では一同が唱和する声が幾度も繰り返されて響いていました。
November 20, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では興味深かったことが2つありました。1つ目は、源倫子(黒木華さん)の、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の嫡妻としての在り方です。先週の予告では倫子が道長に恨み節を全開にするのかと思ってしまいましたが、ふたを開けたら違ってました。話し始めは愚痴から入り、道長が内心構えたらその後は道長のおかげでと感謝を伝えました。感情をぶつけてくる妾の明子とはまったく対照的であり、静かに耐えながら長年ずっと自分を支えてくれた倫子に、道長の「この妻には頭が上がらない感」を感じました。(最後に軽く笑ってごまかしながら女心を訴えるのは、道長にとってトドメとなったでしょう。)そして2つ目は藤原隆家(竜星涼さん)の大宰府行きです。これにより双寿丸(伊藤健太郎さん)も主人の平為賢について大宰府に行くことになりました。隆家・大宰府といえば刀伊の入寇(1019)での活躍です。検索したら隆家だけでなく平為賢もこの刀伊の入寇で活躍していたとありました。たぶんドラマでは刀伊の入寇に関してはナレーションで終わってしまうと思いますが、隆家の眼病も史実だったようなので、こうして歴史の舞台にはこの場所に来るべき人々が集められていくのだなと感じました。まあ藤原賢子(南沙良さん)にとっては悲しい失恋となりましたが、これも致し方ないことでしょう。捨て子で身よりがなく、食べて生きることに日々苦労し、家の温かさを知らない双寿丸にとっては、安全な場所でゆっくり美味しい食事ができる、それだけでも幸せなことだとは、姫様育ちの賢子には想像がつかないでしょう。まあ彼も多少は賢子への思いはあっただろうけど、厳しい環境で育ってきた双寿丸は情には流されませんでした。男女の別れは身分には関係ないですね。高貴な姫君は政治の道具として、親の決めた相手と結婚させられることもあるのだし。(ここで相手を好きになればラッキーですが)こちらはRekiShock(レキショック)先生の情報です妍子が姫皇子を出産した頃(1014年7月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長和3年(1014)、三条天皇の中宮・妍子(左大臣・道長の次女)に待望の子が生まれたけど、皇子ではなく内親王(禎子)でした。その後、内裏で二度の火災が起こり天皇と妍子は枇杷殿へ、枇杷殿にいた皇太后の藤原彰子(道長の長女;見上愛さん)は実弟・藤原頼通(渡邊圭祐さん)の屋敷の高倉殿に移りました。久しぶりに会った敦康親王(片岡千之助さん)は祇子女王(稲川美紅さん)を妻に迎え、落ち着いた様子に彰子は安堵しました。祇子は頼通の妻・隆姫女王(田中日奈子さん)の実妹であり、その縁で敦康親王を我が屋敷に迎えたことを頼通は誉れに思っていました。左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は帝(三条天皇)に譲位を進言していました。もちろん帝はそれを受け入れるはずもなく時が過ぎていましたが、道長はある時帝の様子から帝は目が見えなくて耳も聞こえないことに気がつきました。藤原公任(町田啓太さん)ら側近を集めた道長は、このままでは帝としての務めを果たせないから譲位を迫ることを4人に伝えました。藤原行成(渡辺大知さん)は帝を気の毒に思いましたが、公任が「政ができないならば仕方がない。情に流されるな。」と行成を諫めました。源俊賢(本田大輔さん)は、帝の譲位を臨む気分を自分が内裏中に広めると言い、道長もそれを了承して俊賢に頼みました。政権争いのあれこれに心が疲れてしまった行成は、翌日、道長に「内裏での己の役目は終わった。これからは己の財を増やしたい。」と心にもない言葉を並べて太宰府への異動を願い出ました。火事のために頼通の屋敷で再び共に暮らすこととなった彰子と敦康は、昔のように気兼ねなく会って互いに思うことを語り合っていました。幼い時に母の中宮・定子を亡くしてからずっと彰子に育ててもらっていた敦康は、彰子を母とも姉とも慕っていて、彰子が大好きでした。元服して彰子に気軽に会えなくなってから敦康は気持ちが不安定でしたが。妻を迎えて気持ちが楽になったと語りました。彰子は父・道長の力に負けて敦康を東宮にできなかった、守れなかったと詫びたのですが、敦康は自分こそ儚げで弱い彰子を守ろうと思っていたのに、今はもう彰子は皇太后として心がすっかり強くなった、と思いを伝えました。目が見えないのが回復する兆しがない帝(三条天皇;木村達成さん)は道長からはっきりと譲位を迫られたと、藤原実資に相談しました。実資はもし不安なら信頼できる蔵人頭を置けばよいと進言、帝は実資の息子の資平はどうかと言い、実資は嬉しくて思わず顔がほころんでいました。しかしその後で帝は道長から、蔵人頭は亡き伊周(敦康親王の伯父)の嫡男の道雅か亡き関白・道兼(道長の兄)の三男の兼綱がよい、さらに蔵人の経験もない資平は適任ではない、と強く言われました。自分の考えに賛同しない道長に苛立ち帝は退室しようとしましたが、目が見えないために転んでしまいました。道長は心配して帝に駆け寄り、これではもう政務はできない、国家のためにと考えて再度帝に譲位を進言しました。しかし帝は譲位をかたくなに拒み、ならば道長が自分の目と耳になればいいと言って、奥に入っていってしまいました。皇太后の彰子に仕えるまひろ(藤式部;吉高由里子さん)は、他の女房たちと一緒に東宮の敦成親王(石塚錬くん)と偏合わせの遊びをしていました。そこへ道長が来て遊びに混ざりつつ、さりげなく東宮にやがて帝となるためによき博士につくのが良いなどと進言していました。東宮の母である彰子は、藤式部の教育で十分と父・道長に考えを伝えましたが、帝となる教育はまた別だと道長は考えていました。遊びの後で彰子は藤式部と二人になり、帝に譲位を迫る父の話を見聞きして政とはそれほどに酷にならねばできないことなのかと疑問を投げかけました。式部は「人の上に立つ者は限りなく辛く寂しいと思う」と考えを述べました。それでも彰子は、我が子の東宮が帝になれば東宮の祖父である父・道長が帝を思うままにするのか、と不安でした。式部が「左大臣は陣定に出るために関白を辞退してきた。周囲をないがしろにして事を進められない。」と言うと、父・道長を悪く言わない式部に彰子は安心しつつも、式部の道長びいきに少し呆れたようでした。自分に譲位を迫る道長から守って欲しいと帝に懇願された藤原実資(秋山竜次さん)は、人払いをして道長と二人きりで話し合いました。実資は道長に「やり方が強引だ。このまま己を通せば皆の心は離れていく。幼い帝を即位させて自分が思うままに政をしようとしていると皆が思っている。」と歯に衣着せずに言いました。それに対して道長は「左大臣になって20年たつが思うままに政をしたことなどない。」と反論しました。実資が「思うがままの政とは?」と問うので、道長は「民が幸せに暮らせる世をつくることだ。」と答えたのですが、実資はさらに「幸せという曖昧なものを追い求めることが我々の仕事ではない。」と返しました。その後も二人の話し合いはかみ合わないので、実資は「帝の譲位をもう少し待って欲しい」とだけ言って退室していきました。帝から実資と資平の父子を信頼しているからと言われて道長に直談判までした実資でしたが、その帝は第一皇子の敦明親王から、わが友の兼綱を蔵人頭にして欲しいと懇願されて受け入れてしまいました。そのため資平の蔵人頭の話は消えてしまい、実資は激しく憤慨していました。一方、道長の嫡男・頼通は、嫡妻の隆姫との間に一向に子ができないことを父と母・源倫子(黒木華さん)から言われ、気分を害していました。頼通が退室した後で倫子はしみじみと語りました。「私は殿に愛されてはいない。殿の心には他の女人がいる。そう思い苦しい時期もあった。でも今はそれはどうでもいい。自分の孫が東宮になり、帝になるやもしれぬという大きなことを殿がしてくれた。何もかも殿のおかげ。」ーー倫子は道長にそう感謝を伝えつつも「たまには自分の方を見て欲しい。」と女心を伝えて笑っていました。夏になり、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)が越後から3年ぶりに都に戻ってきて、家の皆との再会を喜び合いました。ただ3年前と違うのは、双寿丸(伊藤健太郎さん)がそこにいること。双寿丸は藤原賢子(南沙良さん)と乙丸(矢部太郎さん)の命の恩人で、彼が家に来るようになってから賢子がよく笑うようになったとまひろから聞かされ、さらにはこのまま二人が恋仲になっても構わないようなことを母親のまひろが認めているので、為時は納得したものの不思議な空気を感じていましたさて藤原隆家(竜星涼さん)ですが、昨年からの目の怪我がまだ治らず、陣定にも出てこないので、実資が心配して見舞いにきてくれました。その折に実資は「大宰府に行けば腕のいい薬師がいる。大宰大弐に空きがある。行ってみないか。」と隆家に提案しました。そう聞いた隆家は早速、左大臣・道長に中納言職を返上してもいいので自分を大宰府に行かせて欲しいと懇願、そして道長に仕えて尽くすと誓ったけどそれができなくなったと詫びました。道長は隆家を大宰府に行かせることにし、待っているから目を治してまた都に戻ってくるよう言い、隆家をいたわりました。道長の優しい言葉に隆家は、生涯忘れない!と感激しました。ただこれは同時に、行成の大宰府行きがなくなったことであり、道長は自分の願いは何も聞いてくれないのかと悲しくなりました。隆家の大宰府行きは若者たちの運命をも変えました。双寿丸の主人の平為賢が隆家に従って大宰府に下るので、彼も主についていくことになったのです。双寿丸と離れたくない賢子は自分も連れてって欲しいと訴えますが、彼は女は足手まといだときっぱりと断り(実際、道中も戦場でも姫様育ちの女は邪魔)、さらに賢子には都で良い婿を取れとまで言いました。彼が自分への特別な思いがなかったことは、賢子には悲しい失恋でした。でもせめてものはなむけとして、双寿丸のために宴を開きたいと母のまひろに相談し、まひろもそれを快諾しました。後日、まひろの家では双寿丸を送るための宴が開かれました。家人の皆も一緒に食事と酒を味わい、福丸(勢登健雄さん)が歌って踊れば双寿丸も一緒に踊り、明るい楽しい時間が流れました。「死をも恐れぬ者か」ーー孫の賢子が初めて好きになった男は武人だったかと、為時は物思いにふけっていました。
November 13, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、政治闘争もすごいなと思ったのですが、まひろ(吉高由里子さん)の一人娘の藤原賢子(南沙良さん)の恋愛事情を通して、古今東西問わず「価値感の近い者同士はなんとなく惹かれ合う」のだと感じました。賢子は言葉でこそはっきりと好きとは言わないものの、双寿丸(伊藤健太郎さん)に惹かれているのは傍目にもありありとわかります。でもそれは、母のまひろがかつて今は左大臣の藤原道長(柄本佑さん)に惹かれた時と同じでした。まひろも道長もどちらも、表向きは「身分」に従うけど、心の中では身分というものをどちらも気にしていないというか、わかっちゃいるけど惹かれ合うといった感じでこれまでやってきました。娘の賢子には母の価値観などいちいち説明していないと思うのだけど、幼い頃から左大臣が折につけこの家に関わってくる(という世間一般ではありえない)事で、身分の壁に対する考えが低くなっていたのでしょうか。双寿丸に自然に惹かれ、双寿丸もまた同じように身分を気にしないのか、他所の家に気軽に食事にやってきます。(双寿丸には卑しいという印象はなく、すぐおなかの空く若い男子がちゃっかり食べにくるという感じです。)まひろと道長、賢子と双寿丸。それぞれが「自分はこうである」という芯があり、身分よりも相手を尊重して関わりを持てる者同士だからこそ、成り立つ関係なのかなと思いました。上記の大河ドラマHPに、今回のストーリーに関連して、興味深いお話があったのでご紹介します。をしへて! 倉本一宏さん ~病に倒れた藤原道長と噂の5人 ⇒ ⇒ こちら をしへて! 倉本一宏さん ~辞めるよ! 辞めるよ! 辞めるよ? 平安時代の辞表 ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長和元年(1012)年明け早々、中宮・藤原彰子(見上愛さん)がこれからの自分を支えることを期待した4人の弟の一人で異母弟の顕信が突然、左大臣の父・道長に自分は大切にされていないと悲観して比叡山に出家してしまいました。顕信の母・明子は悲しみのあまり半狂乱になり、彰子をはじめ道長の子供たちの間にも動揺が広がりました。事の詳細を藤原頼通(渡邊圭祐さん)は姉の彰子に報告、彰子は言葉もありませんでしたが、頼通は父(道長)も傷ついていると言葉を添えました。明子は寒い山の上に行った我が子を案じて、暖かい衣を送るよう見舞いに来た兄・源俊賢に頼んでいましたが、道長もまた父として同じように顕信に綿入りの暖かい衣を届けるよう、家人に命じていました。帝(三条天皇)には女御として、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の次女の妍子と帝が長年連れ添っている藤原娍子がいるのですが、帝は道長の長女で中宮の彰子を皇太后とし妍子を中宮とした後、娍子を皇后にすると言いだしました。道長は、娍子は父が大納言なので皇后にはできないと反論しましたが、帝はこれを認めないなら今後は妍子のところには渡らぬと言いました。道長が腹心の側近たちを集めると、源俊賢(本田大輔さん)は娍子が立后する日に妍子の内裏参入をやってはどうかと提案、藤原公任(町田啓太さん)はそれで公卿たちの考えが見えると賛成しました。藤原行成(渡辺大知さん)は、そこまでして皆の心を試さなくてもと考えましたが、道長は俊賢に公卿たちへの根回しを頼みました。道長の計画を知った帝は、妍子の内裏参入は夜だから、ならば藤原娍子(朝倉あきさん)の立后の儀を昼から行えば公卿たちは両方に来られると考えました。しかし多くの公卿たちは道長に遠慮して、娍子の立后の儀には参加しませんでした。右大臣も内大臣も来ないため上卿を務める者がいないと困り果てていたら、大納言・藤原実資(秋山竜次さん)が到着し、帝は実資に立后の儀の上卿を頼みました。儀式の後の宴はさらに寂しいもので、実資と藤原隆家(竜星涼さん)以外の公卿は誰も来ず、娍子はひたすらみじめさと悲しさに耐えていました。一方、道長の次女・妍子のほうには大勢の公卿たちが集まり、宴は盛り上がって笑い声も響いていました。権大納言で中宮大夫の藤原斉信(金田哲さん)は、これからも我々で中宮・妍子を支えて盛り立てていこうと皆に呼びかけ、皆も同意しました。道長と幼い頃からずっと一緒に歩んできて、今では位は違えども友であることには変わりない藤原斉信はさらに「ささ、皆も存分に食べてくれ。」と道長の代弁者のようにでも振る舞いますが、道長もそれを認めていました。帝(三条天皇;木村達成さん)とは、娍子の立后を条件に妍子も寵愛するという話だったのに、帝は一向に妍子を寵愛する様子がないようでした。道長がそのことを訊ねると帝は、(妍子のいる)藤壺に渡ってはいるが妍子はいつ行っても若い男と宴をしている、自分のような年寄りは入りこめないと言いました。道長は娘・妍子への寵愛を帝に願いました。それから帝は話を変えて、道長が比叡山で僧たちから石を投げられたことについて問い、道長は馬を降りなかったからだと説明しました。帝は道長に「祟りがあるかもしれないから払ってもらえ。」と意地悪な言葉を投げかけ、御簾の内ではほくそ笑んでいました。妍子は昼夜を問わず毎日のように宴を開き、他にも無駄遣いがすさまじいため宮中では悪評がたち、それは姉で皇太后の彰子の耳にも入っていました。道長は次女の悪評に心を痛める長女の彰子が気の毒になり、彰子が心を許すまひろ(藤式部;吉高由里子さん)に何か良い方法はないかと相談に来ました。道長はまひろに、帝と妍子の間を取り持つような物語を書いて欲しいと期待したのですが、まひろが自分にはどうすることもできないと断ると静かに退室しました。宮中でのあれこれに疲れたまひろは、実家に宿下がりをしました。家では少し前に娘の藤原賢子(南沙良さん)を助けた恩人の双寿丸(伊藤健太郎さん)が毎日のように食事に来ていて、双寿丸を賢子に近づけたくない家人のいと(信川清順さん)はそのたびに怒っていました。(でも双寿丸に、いとの作る飯が上手いから来てしまうと言われ、思わず内心では喜んでしまって言い返せなくなりました。これは当たり前に食にありつける者にはない、飢えたことがある者の生きる知恵ですね。)まひろは賢子が双寿丸を好きなのだとわかっていて、でも身分云々で反対することなく、二人を遠くから見守っていました。ところが道長が急に重い病で倒れる事態が起こりました。嫡妻の倫子は道長を必死に看病しますが一向に良くならず、道長は帝に辞表を出しますが、帝は慣例に倣い辞表を受け取りませんでした。また彰子は自分と父・道長との対立が父に負担をかけたのかと気に病んでいたので、祖母の穆子はそれは違う、自分の信じた道を行けばよい、父も彰子を誇りに思っていると助言しました。一方、内裏では道長が病で倒れた後に「左大臣の病を喜んでいる者」として数人の名が書かれた怪文書が出回りました。その中には義兄の藤原道綱(上地雄輔さん)の名もあり、自身はたいした出世欲もなく、むしろ弟・道長を可愛く思いその出世を喜んでいる道綱には衝撃の事でした。道綱は急いで道長を見舞って潔白を伝えたかったのですが、嫡妻の倫子に断られたので、仕方なく遠くから「俺だけはお前の味方だ!」と叫んでいました。道長の病は一向に回復の兆しがなく、道長が少年のときから仕えていた従者の百舌彦(本多力さん)は、このまま主がこの世を去ってしまうかもしれないと案じ、独断で急ぎまひろの家に走りました。百舌彦の様子からこれはただ事ではないと察したまひろは、すぐに道長が療養している宇治に駆けつけました。気だるそうで意識も半ばなかった道長でしたが、急に目の前に現れたまひろを見て身体に少し生気がよみがえったようでした。(長年、主・道長とまひろの関係を見てきた百舌彦は、道長の心の奥底に誰がいるのかを理解していたのですね。宇治なら嫡妻の倫子の目も届かないから道長の為に動けたのだと思います。)まひろと少し話をしているうちに道長は体に力が入るようになり、まひろの要望に応じて宇治川の川辺を歩くことにしました。体調の不良に加え長年続く政治闘争に疲れたのか、道長は以前まひろが「早めに終わった方が楽だ。」と言った意味がわかったと言いました。まひろは道長が「力を持ってより良い世をつくる」という自分との約束のために無理をしているならもういいと伝えました。道長がまひろとの約束を忘れたら自分の命は終わると言うと、まひろも「『源氏の物語』も終わったし、皇太后(彰子)も強くなったから自分の役割は終わったからもうこの世にいなくてもいい。」と返しました。まひろにそう言われて道長は少し考え「お前は俺より先に死んではならぬ。」と言い、まひろもまた「ならば道長様も生きてください。」と思いを伝えました。その言葉が胸に響いたのか、道長は顔に生気が宿り涙を流していました。宇治から戻ったまひろは、宇治で道長と過ごした時間で思うところがあったのか、「源氏の物語」の源氏の死後の子や孫の若い世代の物語を書き始めました。道長とまひろは互いの存在が力となり、道長は病が徐々に快方に向かいました。(まひろが「宇治十条」を書き始めたきっかけというストーリーにしたのですね)
November 6, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で全体を通して思ったのは、自分の思い描く世をつくるためにいかにして政治的な力を持つか、あるいは相手にそうさせないためにいかにして周囲を固めるか、ということでした。中宮・藤原彰子(見上愛さん)は父で左大臣の藤原道長(柄本佑さん)に対抗するために、実弟と義弟たちとのつながりをつくりました。でも力争いが強烈なのは、やはり男の世界でした。道長・嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)と、妾の次男の藤原顕信(百瀬朔さん)では扱いが違い、顕信はそれが不満で仕方ありませんでした。実際にどれだけの差になるのか、私にはちょっと実感がわきませんが、こういったことにも育った環境や本人の気質が大きく関係すると思ってます。嫡妻・倫子の嫡男として育った頼通は気持ちにも余裕があるのか、父・道長の言葉を素直に受け止めました。逆に顕信は、母の明子が妾としての劣等感が強い人で、他者から見下されないよう常に高い場所にいることを意識し、それが次男のほうに強く伝わったのでしょう。顕信には「今は我慢」ができませんでした。ここで思い出したのが、玉置玲央さんが演じた道長の実兄の藤原道兼でした。父・藤原兼家(段田安則さん)の愛を求め、家のために最後まで損な役割を引き受けていました。自分が妾腹とかならまだどこかで気持ちに折り合いがついたかもしれませんが、実の兄弟のために汚れ役を引き受けていました。でもやはり、最後は本人の気質でしょうか。道長の義兄の藤原道綱(上地雄輔さん)なら、母親は出世を強く望んでいたけど、道綱自身は「そこそこの地位でいいよ~。」って感じですから。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘8年(1011)、藤原賢子(南沙良さん)が町に行った時に盗人に襲われ危うくなった時に、そこを通りがかった双寿丸が賢子を助けてくれました。賢子は家まで送ってくれた礼にと双寿丸に食事を振る舞い、その時まひろ(藤式部;吉高由里子さん)が宿下がりをして帰ってきました。双寿丸が賢子にいささか失礼な物言いをしても賢子が、怒らないどころか笑っているのを見たまひろは、賢子の中に実の父である左大臣・道長を見ていました。(賢子は道長の気質を受け継いだかもしれないけど、でもこの場合は賢子は双寿丸に対して瞬間的に好意を抱いてしまったから、が大きいでしょうね。)一条天皇が崩御し、即位した三条天皇(帝)は内裏遷御という大事な役目をなぜか藤原公任(町田啓太さん)にふり、公任はもちろん帝の命を受けたのですが後から藤原道長(柄本佑さん)にやっかいだとか愚痴を言っていました。しかし人目がなくなると公任は、帝は自分たち(左大臣・道長と公任ら四納言)の結束を乱そうとしている、と考えを道長に伝えました。そこまでは考えが及んでなかった道長は、態度こそ淡々としていましたが、公任の忠言をしっかりと意識に留めていました。それから帝は自分の側近にと、道長の義兄(藤原道綱)、甥(亡き兄・道隆の子、藤原隆家)、そして道長・次男の藤原教通を選びました。道長・嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)は、なぜ自分ではなく弟がと納得がいかず、父に意見を求めました。道長は頼通に「帝に取り込まれなかったことをむしろ喜べ。お前が先頭に立つのは東宮(頼通の姉・彰子の子)が帝になる時だ。」と言って去っていき、父の言葉に頼通は何かを感じたようでした。一方、道長の妾の源明子(瀧内公美さん)にも2人の男子がいて、その出世が明子は常に気になっていました。道長に忠誠を誓う明子の兄の源俊賢は、道長のためにもなんとか自分が帝の心をつかんでみせると意気込み、道長も俊賢を頼りに思っていました。そして明子の2人の男子の藤原頼宗(上村海成さん)と藤原顕信(百瀬朔さん)が父・道長に挨拶にきました。自分たちも早く公卿の仲間入りをしたくてたまらない弟の顕信は、自分たちと歳がさほど変わらない頼通(道長の嫡妻・源倫子の長男)がすでに正二位の権中納言であることを引き合いにだし、兄と自分の出世を父に訊ねました。道長が「こういうことは帝のお心一つだ。いま少し待て。」と言っても顕信が食い下がるので兄の頼宗がたしなめましたが、顕信は不満そうでした。帝(三条天皇)は亡き一条天皇の四十九日にあたる8月11日に内裏に入り、公卿たちの挨拶を受けた後で道長だけを呼び、自分の関白になるよう求めました。道長には考えるところがあって関白になる話は丁重に断りました。すると帝は、ならば(自分が長年連れ添っていた更衣?の)娍子を女御とすると言い、道長は反対しましたが帝に押しきられてしまいました。いろいろと疲れた道長はふらりとまひろのところにやってきました。まひろはこの機会に、なぜ道理を飛び越えて敦康親王ではなく敦成親王を東宮にしたのか、より強い力を持とうとしたのかを、道長に訊ねました。道長は「お前との約束を果たすためだ。」と静かに言いました。「やり方が強引だったことはわかっている。でも俺は常にお前との約束を胸に生きてきた。そのことはお前にだけは伝わっていると思っておる。」と。そして「中宮(自分の娘・彰子)を支えてやってくれ。」と言って、まひろのところから去っていきました。秋も深まった頃、中宮・彰子のいる藤壺ではごく内輪の者だけが集まり歌の会が開かれていました。その折にききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が敦康親王の使いとして来て、彰子は中に入るのを許しました。しかしききょうは女房たちが喪に服していないのを見て怪訝な顔をし、彰子にはやたら亡き一条帝と定子と敦康のつながりを強調し、彰子が敦康の様子を訪ねると、それを彰子がもう敦康を忘れたことだと解釈しました。彰子が敦康のことで、どんな思いで父・道長に対峙したかを知らないききょうは、最後まで彰子に対してきつい嫌味な口調で物を言いました。言い返すすべを知らない彰子は、ききょうの言葉に黙って耐え、御簾の向こうでただ一人、涙を浮かべていました。(彰子が短気で気性が怖い人だったら、ききょうは後で無礼者として処罰されたのではないでしょうか。)後日、彰子はつばき餅の礼をしたためた文を敦康親王に送り、文にはいつでも藤壺に来てよいとあったので、敦康はすぐ彰子のところに駆けつけました。ただ以前と違って元服した敦康は御簾の内には入れず、それが物足りない敦康は我慢できずに勝手に御簾を上げて彰子の傍に行ってしまいました。彰子だけでなくお付きの者たちは皆、一瞬「源氏の物語」の光る君のことが頭をよぎりましたが、敦康はそのようなことはしないと言って、それからは二人で他愛ない話をして昔のように時を過ごしました。藤原行成(渡辺大知さん)が事の次第を左大臣・道長に報告すると、万一の事を危惧する道長は敦康を二度と内裏に上がれぬようにせよと行成に命じました。ただそのやり方は、行成から見たら敦康があまりにも可哀そうであり、行成はたまらず道長は敦康から多くのことを奪い過ぎだと進言しました。さらに道長の若い頃からずっと傍にいて道長をずっと見てきた行成だからこそ、(今の)道長はおかしいと進言し、行成は退室していきました。ある時、賢子が乙丸を供にして町を歩いていたら武者の集団と出あい、その中に双寿丸(伊藤健太郎さん)もいました。賢子が少しだけ話をしたら、双寿丸は主人・平為賢に従って盗賊を捕まえに行くところで、内心は双寿丸に惹かれる賢子は双寿丸を夕餉に誘いました。仕事が終わったら双寿丸は本当に賢子の家に来て、そうしたらちょうどまひろも宿下がりをして帰ってきたので、母娘と双寿丸で一緒に夕餉をとりました。双寿丸は自分の名前しか書けなくて字も読めないけど、武者であることに誇りを持っていて、仕える主人を慕い尊敬しているようでした。賢子は双寿丸が身振り手振りを交えて話すことを目が輝かせて聞き、いくらでも食事が進む双寿丸のご飯がなくなると自分の分を差し出していました。そして、そんな娘・賢子の様子をまひろは優しく見守っていました。敦康のことで左大臣の父から苦情を受け、この先も父の言いなりにはなりたくないと悲しむ中宮・藤原彰子(見上愛さん)にまひろは、彰子には弟たちがたくさんいるから彼らと連携してはどうか、と進言しました。彰子は早速、実弟の藤原頼通と藤原教通(姫小松柾さん)と父の妾・明子の子の頼宗と顕信を呼びました。彰子は弟たちに、皆が困ったときは自分ができるだけ力になるから、皆も東宮・敦成のために力を貸して欲しいと語りました。そして「我らは父上(道長)の子であるが、父上を諫めることができるのは我らしかいない。父上のより良き政のためにも、皆で手を携えよう。」と呼びかけ、弟たちも快諾しました。その後、彰子は藤壺から枇杷殿に移り、藤壺には三条天皇の女御の妍子(彰子の妹)が入りました。左大臣・道長の次女の藤原妍子(倉沢杏菜さん)は入内したものの、歳の離れた帝(三条天皇)との生活をつまらなく思っていました。そして夫である帝よりも歳が同じ帝の第一皇子の敦明親王(阿佐辰美さん)との時間が楽しくて、時には敦明を挑発してからかって遊んでいました。しかしこの時はさすがにやり過ぎで、その場に現れた敦明の母の藤原娍子(朝倉あきさん)に制止されました。同じ帝の女御という立場であっても、左大臣を父にもつ妍子は後盾の弱い娍子に対して強気でした。娍子は息子の敦明は悪くないとわかっていても妍子に詫びを入れ、この件を帝の耳に入れて大事にせぬよう懇願していました。また妍子も、娍子との力関係を当然のように考え、反省などありませんでした。(帝に煩わしい思いをさせぬよう常に自分が下がる、娍子のこの賢さと謙虚さがあるから、帝はより娍子が愛おしく思えるのでしょうね。)一方、帝は着々と自分の側近を固めていき、蔵人頭としてまだ日が浅い娍子の弟の藤原通任を参議に取り立てました。そして一つ空いた蔵人頭の地位に、道長の妾・明子の次男の顕信を入れると言いましたが、道長はそれを辞退しました。道長は家全体のことを考えての判断だったのですが、早く出世したかった顕信は、父が蔵人頭のことを断ったと知って深く悲しみ、また自分の息子たちを早く出世させたい母親の明子も、道長の判断に強い怒りと不満を抱きました。程なくして比叡山の僧の慶命が火急の用だと道長を訪れました。慶命によると顕信が出家したとのことで、それを聞いた明子は道長が(政治的に)顕信を殺したと激しく怒り、道長につかみかかって抗議していました。
October 30, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。今回私が興味深く見ていた2つの箇所。それは次の東宮を決めるにあたり帝(一条天皇;塩野瑛久さん)を説得する藤原行成(渡辺大知さん)と、この東宮を決める問題で父で左大臣の藤原道長(柄本佑さん)と対峙する中宮・彰子(見上愛さん)でした。行成の説得の仕方は、説得の見本のようなものでした。相手の主張を一旦は認め、素晴らしい、感動した等の賞賛も入れて受け入れる。でもその後で、じわじわと自分の主張をしていきます。その展開も、過去の天皇の例をあげてこういった事もあったと言い、そうなった理由もつける。「これは天の定めであり、人知が及ばない。」とこうなるのは運命だったと、神がかりなものを相手に思いこませ、そして力関係という現実をつきつける。これはもう、理性的だけど病で気が弱っている帝にはこれでいける!と行成が考えたのでしょう。あるいは行成がとにかく必死で思いついた展開なのか。(逆に、元気で感情的にブチ切れる帝だったら行成も違う作戦を考えたかもしれないので)でも根本は、結局は行成はなんだかんだ言っても道長のことが好きで、道長のために働きたい思いがあるから、知恵がめぐりエネルギーが湧いてくるのでしょうね。そして次の東宮の問題で父・道長と対峙した中宮・彰子。入内前は弟の頼通からは「姉上はぼんやり」と言われ、入内してからも自分はどうあるべきかわからず、帝にも全然振り向いてもらえず、いつも伏目がちでした。それが亡き定子が遺した敦康の小さな愛を得て、やっぱり帝の愛を得ようと突然全身でぶつかっていき、敦康の事も含めて帝の信頼と愛を得て、自信が持てて強くなりました。でもやはりと言うか、今回の父との対峙によって、彰子は愛とは違った形で強くなったように思えます。試練は人を強くするのですね。こちらは、RekiShock(レキショック)先生の情報です。一条天皇が亡くなった頃(1011年6月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘8年(1011)中宮・彰子の藤壺に帝(一条天皇)も渡り、まひろ(藤式部;吉高由里子さん)が書く「源氏の物語」を皆で鑑賞していました。それぞれが思うところの感想を述べ合っていると、彰子に育ての親以上の思いを抱く敦康親王(帝の第一皇子;片岡千之助さん)が物語の光る君と自分をまるで重ね合わせるような感想を述べました。それを聞いた左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は、娘でもある中宮と敦康が万一面倒なことになったら困ると危惧し、敦康の気持ちが冷めるような感想を述べるのですが、その時に「不実の罪」という言葉を使いました。道長は実は自分も該当者なのに他人事のように言い、また密かに該当者でもあるまひろは思いがけない発言に戸惑いを隠せませんでした。その場にいる者の何人かは実は身に覚えのあるからなのか、皆が急に神妙になってしまって話が途切れてしまいました。でもその時、あかね(和泉式部;泉里香さん)が笑いながら軽く「罪のない恋などつまらない。」と言い、それを受けて赤染衛門(凰稀かなめさん)も「まことに。」笑って返しました。さらに衛門は「人は道険しき恋にこそ燃える。」と話をつなげ、女房たちも笑い、場の空気が明るく収まりました。(ここでこの発言が出るあかね様、衛門様、さすがです!)帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が藤壺に渡ってきたある夜、中宮・藤原彰子(見上愛さん)はふと気になっていることを訊ねました。帝はなぜ冬の寒い日も、暖かい物を羽織ったり火取りを使ったりしないのかと。すると帝は「苦しい思いをしている民の心に近づくためだ。民の心を鏡とせねば上には立てぬ。」と言い、彰子は帝は太宗皇帝と同じ名君だと返しました。彰子の言葉を聞いた帝は、彰子が新楽府を読んでいることに気がつきました。帝は彰子がどこまでも自分に沿おうとしてくれていることを愛しく思いました。しかしその後で帝の体調が急変し、自分が傍にいながら今まで帝の体調の変化に気がつかなかった事を彰子は悔み、そして帝の事が心配でたまりませんでした。帝の病状は国の政に関わることなので、道長は大江匡衡(谷口賢志さん)を呼び、帝とこの先のことを占わせました。占いを終えた匡衡は言いにくそうに、それでも言葉を選びながら「世が変わる。崩御の卦が出ている。この卦は醍醐天皇と村上天皇の時と同じ。さらに今年は三合(=大凶)の厄年なので帝の病の平癒はならない。」と答えました。このやりとりを帝は物陰から密かに聞いていて、何かを決意したようでした。道長は公卿たちを集め、帝の譲位に備えることを提案しました。道長の話から帝の病状は重いのだと皆は悟りましたが、藤原実資は帝はまだ若い(回復するかもしれない)のに譲位に備えるとは何事か!と憤りました。道長は自分の政権を支えてくれる藤原公任(町田啓太さん)らを呼びました。4人は現・帝の譲位に際し、道長が自分の孫である敦成親王(娘・彰子の子)を次の東宮にしたい事を、暗にわかっていました。藤原行成(渡辺大知さん)は、次の東宮は帝の第一皇子の敦康親王(亡き中宮・定子の子)であるべきと意見しますが、道長を強く支持する源俊賢(妹・明子が道長の妾;本田大輔さん)は敦康の後見の隆家の家の者はかつては罪人と反論、それでも行成はあまり強引なことはしない方がいいと考えます。藤原斉信(金田哲さん)は、この話を聞いた以上は自分は道長の意に沿うと言い、公任は実資と隆家は自分たちが説得すると協力を申し出ました。そして斉信は行成に(考えが違うのに)無理をするな、自分たちに任せておけと言ってあげてました。道長の話から帝が近いうちに譲位し、いよいよ時代が次に動く事を知った4人は、これから自分たちがやるべき役割をそれぞれが意識していました。ただ道長は「易筮では帝が政務に戻ることはないと出た」としか言わないようにしていたのに、公任はつい「崩御」という言葉を出してしまいました。道長が言霊をはばかってそれを言わなかったのにと公任は行成にたしなめられていましたが、俊賢は「崩御なら一気に話は進む。」と決意を新たにしていました。帝は現・東宮の居貞親王に譲位することを決意しました。心安らかに譲位するためにも、あとは次の東宮を決めておくことだけで、帝は自分の第一皇子であり亡き定子が遺した敦康を東宮にするつもりでした。帝は行成を呼んで自分の意向を左大臣・道長に伝えるよう頼み、行成も最初は敦康を慈しむ帝の強い気持ちに感じ入ったと返答しました。しかしそれからは行成は、清和天皇を例にあげ、さらに道長が重臣にして敦成親王の外戚であり、敦成親王が東宮になるしか道はないと強く訴えました。「天の定めは人知の及ばぬもの。」ーーそして敦康が東宮になることは道長が承知しない(敦康は後盾が弱い)と、敦康と敦成のことは天の力と現世での力によるものだと、行成は「何とぞ」と帝を説得しました。敦康が東宮になっても守る力が弱い現実を悟った帝は、一言「わかった。」と力なく行成に返答しました。帝が敦成を東宮にすることを認めたと確信した行成はすぐさま道長のところに行って「敦成様を東宮にと帝が仰せになった。」と報告しました。道長は安堵し、最初は「敦康が東宮」と反対していたのに、結局は帝の説得という一番難しい仕事をしてくれた行成に深く感謝しました。道長は「行成あっての自分だ。」と思いを伝え、このことの報告に娘の彰子のところに行きました。行成もまた精神力を使い果たしたのか、大きく息を吐いて安堵していました。父・道長から次の東宮が敦康ではなく敦成に決まったと報を受けた中宮・彰子はこの大事を自分に一言も相談なくと怒りを露わにしていました。道長が「これは帝が仰せに。」と言っても彰子は信じず、病で弱っている帝を父が追い詰めたのだと見抜いていました。彰子は幼くして母を亡くした敦康を心から可愛がっていて、帝の思いに沿って敦康を東宮にすることに何ら異論はありませんでした。父は自分を軽んじている、今から帝の考えを変えてもらうと言って彰子が帝のところに行こうとするのを、道長は力ずくで止めました。「政を行うはであ私り、中宮ではない。」ーー立場としては左大臣の父よりも中宮である自分のほうが上であるけど、これまで幾度も困難を乗り越えてきた父の政治的な実力に、彰子はまだまだ敵うことができませんでした。居貞親王は帝と対面するために清涼殿を訪れ、そして帝から自分は譲位するから践祚せよと命を受けました。居貞親王は言葉では帝を案じつつも、その表情には嬉しさが隠せませんでした。ただ次の東宮を敦成にすると言われた時は、自分の子の敦明でないことに面白くないのが少し顔に出ていました。そして寛弘8年(1011)7月、居貞親王は即位して三条天皇となり敦成親王が東宮となりました。道長は中宮と敦成がいる藤壺に行って祝辞と東宮・敦成への忠誠を誓いました。その道長の言葉に敦成の母である中宮・彰子は、「左大臣、東宮様を力の限りお支えせよ。」と力強く返しました。政治的な力は今はとうてい父・道長には及ばないけど、彰子の言葉には以前のような自信のない弱々しさはありませんでした。三条天皇が即位してから間もなく、病が重くなるばかりの一条天皇はいよいよあの世に旅立とうとしていました。僧たちの読経が続く中(極楽浄土へ行くことを願って)剃髪して出家した一条天皇の傍らには彰子がつき、そして御簾の外には公卿たちが一条天皇の様子を見守っていました。一条天皇は最後の力を振り絞って彰子のほうを向いて手を取りにいき、彰子にしか聞こえないようなか細い声で辞世の句を詠みました。そして力尽きて永遠の眠りにつき、彰子が泣きながら何度も「お上、お上…。」と名を呼ぶ声に、周囲の公卿たちは一条天皇の崩御を悟りました。*一条天皇の辞世の句について石山寺さんが解説をされています。 ⇒ ⇒ こちら露の身の 草の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる ことをこそ思へさて藤原賢子(まひろの一人娘;南沙良さん)ですが、町に出て市で買い物をした帰りに盗人の集団に襲われましたが、危ういところをたまたま通りがかった双寿丸(伊藤健太郎さん)に助けられました。双寿丸は怪我をして動けない乙丸を背負い、賢子を家まで送ってくれました。家人のいとは身分の低そうな双寿丸を見るなり双寿丸を怪訝そうな目で見ていて、賢子がお礼にと食事をごちそうしていても、食べたら姫様(賢子)のことはもう忘れてくれといった態度でした。でも賢子は今まで自分の周囲にはいなかった感じの双寿丸との会話が、楽しくてしかたがないようでした。そうこうしていると、まひろが御所から宿下がりをして帰ってきて・・・。(この双寿丸は以前、御所に盗賊が入って女官たちが追いはぎに遭ったときに、逃げる一味の中にいた人ですよね。身分が低く、義賊という点でも、直秀と同じような感じがします。)
October 22, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、主人公・まひろ(藤式部;吉高由里子さん)の弟・藤原惟規(高杉真宙さん)が突然いなくなることによって、私の中でも予想外の感情が湧いた回でした。惟規は藤原道長(柄本佑さん)の義兄の藤原道綱と同様、特別に優秀とかではないけど、周囲を調和して敵を作らず、柔軟で明るい性格で全体の癒し系になっていました。出番もそれほど多くなく圧倒的な存在感はなかったけど、もういなくなるのかと思うと寂しさを感じるのです。現代のふだんの生活でも、こういう人、いますよね。そして惟規の死を、血のつながったまひろや為時以上に悲しんだのが、乳母のいと(信川清順さん)でした。たしかいとは、生まれて間もない我が子を亡くした時に惟規の乳母になった、と(いう設定だと)思ったし、主の為時が無職で家人を雇えない、とにかく金がなくて貧乏だとか、為時が越後の国司となり4年間は帰れないとか、この家に紆余曲折いろいろあったけど、一緒に苦労をしてこの家を支え、惟規に仕え続けました。だからこそ惟規には特別な思いがあるでしょう。でも、ふとですが、もし惟規が突然の病になった時に彼が都にいたら、もしかしたら薬師が早く来て助かったのではないかと思いました。父に同行して越後に行ったのが運命の分かれ道だったのかもしれないし、どのみち助からない重病だったのかもしれないし、どうなのでしょうか。さて、この藤原惟規というお方。彼の死後も子孫が脈々と続き、かなりの歴史上の有名人にも関わっていく人たちが出てきます。 ↓ ↓ (音声が出ます。ご注意を)こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘6年(1009)晩秋、中宮・彰子は2人目の皇子を出産、在所の土御門殿では多くの公卿たちが集まり、産養の儀式が行われていました。一方、まひろ(藤式部;吉高由里子さん)の家には彰子の父である左大臣・藤原道長から、正月用の酒と米と菓子の他、まひろの娘の賢子の裳着のために高価な祝いの品が届けられていました。織物のあまりの美しさに目を見張る弟・藤原惟規(高杉真宙さん)の乳母のいと(信川清順さん)ですが、その折に惟規が賢子の実の父が左大臣・道長であると言ってしまいました。(いとが惟規に秘密を漏らしていた)この事を初めて知った父・藤原為時(岸谷五朗さん)は、真実を道長に知らせたほうがいいのではと考えました。でもどうすべきか悩んでいたら賢子が帰ってきたので、話は中断となりました。後日、帝(一条天皇)も臨席する宮中の子の日の宴に、まひろの父・為時も左大臣・藤原道長(柄本佑さん)から呼ばれたのですが、道長が賢子の実の父である事が気になって仕方がない為時は、つい道長のほうを何度も見てしまいました。そして途中から退席したとのことで、まひろは父の無礼を詫びました。道長はもう少しまひろと話がしたかったのですが、まひろは娘の賢子の事をまだ道長には知られたくなかったのか、仕事を理由に退室していきました。ある夜、若い頃から道長と共に過ごしてきて、今では道長の政権を支える公卿の藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)、そして道長の妾・明子の兄である源俊賢(本田大輔さん)が集いました。道長の娘・彰子に皇子が2人できたことで斉信は「道長は盤石だ」と言い、でも公任は順番からすればまだ道長の孫は東宮にはなれないと言いました。でも道長が「自分の目の黒いうちに敦成(上の孫)が帝になる姿が見たい。」とつぶやくと4人は少し考え、まず俊賢が道長に協力を申し出ました。話は変わり、道長と長年対立してきた伊周の病がかなり重いことを公任が言うと、道長はまだそのことを把握してないようでした。道長たちを呪詛したことで内裏から遠ざかっていた藤原伊周(三浦翔平さん)は、それ以降ますます病が重くなり、もう命の灯が消えかかっていました。それでも栄耀栄華を極めることができなかった人生をうわごとでもまだ悔やんでいるそんな兄・伊周に弟の藤原隆家(竜星涼さん)、敦康親王(亡き姉・定子の産んだ皇子)の事は自分に任せて安心して黄泉に旅立つよう言いました。伊周は最後の力を振り絞って嫡男の藤原道雅(福崎那由他さん)を呼び、道長に従わぬよう、そして低い官位なら出家せよと命じ、道雅も了承しました。伊周は亡き父母と妹・定子との輝いていた日々を思い浮かべながら、寛弘7年(1010)小雪の舞う1月末に36年の生涯を閉じました。さて、道長の次女の藤原妍子(倉沢杏菜さん)ですが、間もなく東宮・居貞親王の后になることが決まっているのですが、妍子にとっては気の進まない縁談でした。そこで中宮で姉の藤原彰子(見上愛さん)に、やれ東宮は自分には年寄りだとか、東宮にはすでにこよなく愛する娍子がいるとか、愚痴を言いにやってきました。でも愚痴を姉にたしなめられるだけならまだしも、姉の女房にすぎないまひろが横から説教がましく口をはさむので、妍子は気分を害して退室していきました。(でも、RekiShock(レキショック)先生の情報によれば、妍子の気持ちもわかるなあ。妍子はまだ15歳なのに居貞親王は33歳、姉の夫である一条天皇よりも親王のほうが4歳も年上だからね。伊周が亡くなった頃(1010年1月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ こちら )妍子が后となった居貞親王(木村達成さん)の屋敷では、妍子の希望でほぼ毎日、宴が開かれていて、その報告を義兄の藤原道綱から聞いた道長も、妍子の夫の居貞親王もさほど気にしてませんでした。宴のときに居貞親王の嫡男の敦明親王(阿佐辰美さん)が見事に舞って歌うのを妍子は陰ながら見つめていて、妍子は同い年の敦明が気になるようでした。ただその敦明は藤原顕光(宮川一朗太さん)の娘の藤原延子(山田愛奈さん)に婿として迎えられ、妍子は何か思うところがあるようでした。ところで敦康親王(片岡千之助さん)ですが、父帝の一条天皇の願いもあって、間もなく元服を迎えることになりました。敦康は母・定子を亡くした幼い頃より中宮の彰子に育てられていて、元服して大人の仲間入りをすると大好きな彰子に今までのように会えなくなるのでずっと延期してもらっていたのですが、いよいよそうはいかなくなりました。彰子のところに挨拶に来た敦康は思いが募ってつい彰子の手を強く握り返してしまったのですが、その現場を道長に見られてしまいました。道長は敦康に声をかけて元服の内容を伝え、そして親王家別当の行成には敦康の元服後はすぐに竹三条宮に移すよう強く申し伝えました。後日、まひろの実家に内裏よりの使者があり、惟規が従五位下に任じられました。惟規には思いもよらなかった出世で、彼の目にはうっすらと喜びの涙がにじんでいましたが、このことを誰よりも喜んだの惟規の乳母だったいとでした。いとは五位が着用する赤い束帯をすでに用意してあると言います。「いつかこういう日が来ると思ってひそかに用意していました。幼き日より私がお育て申し上げた若様だから。」ーーいとと惟規は涙ながらに抱擁し合い、喜びを分かち合っていました。そしてさらに春の除目で、父・為時が越後守に任じられました。為時と惟規は親子で左大臣・道長に挨拶に行き、ご恩に報ずることを誓いました。挨拶の後で惟規は道長に、世話になっている姉のまひろも末永くよろしくお願いしますと意味有り気な挨拶をし、道長も軽く返事をしました。道長は二人にこの後まひろがいる中宮の在所に寄っていけと言い、二人は道長の厚意に甘えまひろのところに顔を出しました。まひろは父・為時には、越後は越前よりも冬の寒さが厳しいから気をつけるよう言葉を贈りましたが、従五位下にしてもらったばかりなのに今は京にいたくないから父を越後まで送っていくという弟に少し呆れていました。11歳になったまひろの娘の藤原賢子(南沙良さん)は裳着を迎え、裳の腰結は叔父にあたる惟規が行いました。賢子は祖父の為時に、今まで育ててもらった礼をあらためて言い、惟規から越後には同行しないのかと訊ねられると、いとたちとこの家を守ると言いました。儀式の後、まひろと惟規は久しぶりに姉弟で思うまま語り合っていました。惟規は姉の裳着の時は父との仲が険悪だったけど今は全然違うことをしみじみと感じ、姉・まひろと賢子もいずれ仲直りするだろうと言いました。そして左大臣・道長の姉への思いもやはり変わらないと感じていて、この先は皆きっとうまくいく、そんな気がする、と優しい笑顔で言い切りました。父・為時に同行して越後に向かった惟規でしたが、越後が近づいたあたりで突然、体が不調になって猛烈な苦しみに襲われました。惟規は越後の国府に担ぎ込まれ、為時は薬師の到着をひたすら待っていましたが、惟規はもう力尽きようとしていました。己の最期を悟った惟規は父に筆と紙を頼み、息子が何かを書き残したがっていると察した父は起きようとする息子の体を支えました。そして惟規は力を振り絞り、思いを託した辞世の句を書いたら命が尽きました。為時から知らされた惟規とのあまりにも突然な永遠の別れに、家の者たちは皆深い悲しみに打ちひしがれていました。特に我が子同様に、否、我が子以上に愛を注いで若様・惟規を育ててきたいとの悲しみは比べようもないほど深く、声をあげてただ泣くばかりでした。
October 16, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の現・中宮の藤原彰子(見上愛さん)に対してと、亡き中宮・定子に対しての感情や行動の違いが気になりました。帝は亡き定子に対しては、興味の対象や好みが似ていたこともあってか、あるいは初めての女人だったからか、男として本能的に愛おしく思っていたようでした。一方、現・中宮の彰子には、感性は自分と合うわけではないけど、自分と亡き定子の間の子の敦康親王(渡邉櫂くん)を心から大事にしてくれるし、彰子は一生懸命に自分に合わせてくれるので、妻として理性的に愛おしい存在なのかと感じました。でも定子と彰子のこれまでの人生を考えた時。定子は帝からの愛は十分過ぎるほど受けたけど、幼い頃から父には帝を篭絡せよと言われ、中宮となれば父や兄から「早く皇子を」と何度も言われ、時には声を荒げて怒鳴られることもありました。片や彰子は、中宮となってやはり両親は「早く皇子を」と願っていたけど、二人とも外堀を埋めるがごとく、帝が目を止めるよう彰子の周辺をひたすら整え、娘の彰子に対しても、帝を引き寄せられないことを叱ったり嫌味を言ったりはしませんでした。定子は女人としては幸せだったけど娘としては嫌な思いもしてきて、彰子は優しく寛大な両親で娘としては幸せで、でも女人としては幸せをつかむまでに寂しい思いに耐えた、そんな感じがしました。さて今回は意外なキャラクターが出てきました。宮仕えするまひろ(吉高由里子さん)の上司となる、宮の宣旨の小林きな子さんです。月を見て考えを巡らすまひろに自然に話しかけ、まひろの背景や問題などを、自分の人生経験からなんとなく感じて、嫌味のない包容力で思いをまひろに伝えていました。今回のシーンで、宮の宣旨の上司としての株が爆上げしたように思うのですが、いかがでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘6年(1009)、中宮・彰子の藤壺で「源氏の物語」を書きながら仕えるまひろ(藤式部;吉高由里子さん)の元に、かつては親しく交流したききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が突然訪ねてきました。ききょうはまひろの書いた物語や作者のまひろ自身を賞賛したり皮肉をこめた批評をしたりと言いたい放題で、まひろも対応に苦慮していました。ききょうは今、かつて自分が一途に仕えた中宮・定子の遺児である脩子内親王の教育係をしていて、まひろのところに来たのは中宮の彰子が養育している定子の遺児の敦康親王のことが気になっていたからでした。でもききょうの思惑とは反対に、中宮・藤原彰子(見上愛さん)は敦康親王が幼くして藤壺に来たときから心から可愛がっていて、敦康親王もまた彰子を姉とも母とも慕っていたし、彰子が産んだ敦成親王のことも可愛がっていました。しかし敦康はもう11歳になっていて、親王家別当の藤原行成から敦康の元服についての話が彰子になされました。元服すると大人の男の仲間入りとなり、大好きな彰子のいる藤壺に自由に出入りできなくなるため、敦康は嫌がっていました。でも彰子は、やがて帝となる敦康の元服を見たいと敦康をなだめていました。そんな折に、敦成と彰子と左大臣・道長(彰子の父)を呪詛する騒動が起こり、帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は心を痛めていました。彰子は帝に、自分は敦成の生母だけど次の東宮は敦康と思っている、心は帝と同じであるときっぱりと言い、帝は彰子を愛おしく思うのでした。先日ききょうに言われた様々な事が心に引っかかっていたまひろは、夜空の月を見上げながら、あれこれと考え事をしていました。そこへ藤壺の女房たちを統率する宮の宣旨(小林きな子さん)が来て、まひろに何を思っていたのかと優しく問いました。さらに何のために藤壺にいるのか、物語を書くためなら里でもできるのにここで書くのは生活のためだと思っていた、と考えを伝えました。宮の宣旨の穏やかな問いに、まひろも正直に父も弟も力がない故と言い、さらに宮の宣旨がまひろに子(賢子)とうまくいっていないのかと言った時、まひろはなぜわかるのかと驚きとともに素直に認めました。宮の宣旨は、自分はまひろのような物語は書けないけど、様々な事を見聞きしてそれなりに世のことを学んできたのだとと言いました。今まで気がつかなかったけど、宮の宣旨は周囲の人をよく見て、それなりに理解している人でした。ところで、敦成親王呪詛の騒動が兄・藤原伊周(三浦翔平さん)の周囲の者たちによって引き起こされ、伊周自身は左大臣・道長の恩情で出仕停止でとどまったものの、一体どういうことなのかと気になった藤原隆家(竜星涼さん)は、急ぎ伊周を訪ねました。今は道長を支持する隆家とは反対に、伊周は人生が思い通りにいかないことで今でも道長を強く恨み続け、密かに本当に呪詛を続けていました。隆家が兄を訪ねた時、伊周は呪いに憑りつかれた顔でまさに道長を呪詛している真っ最中で、隆家は慌てて兄をやめさせました。それでも鬼の形相で呪詛をやめない兄を、隆家は絶望的な気持ちで見ていました。一方、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は、娘の彰子が中宮となって皇子を産んだことにより、この先の自分たちはどうあるべきかを言い聞かせるために、嫡男で皇子の叔父でもある藤原頼通(渡邊圭祐さん)を呼びました。道長は頼通に、これから自分たちがなさねばならぬことは何かと問いました。頼通が「朝廷の繁栄と~」とありきたりの事を言うと、道長は「我らがなす事は敦成親王を次の東宮にして、一刻も早く即位させる事」とはっきり言いました。そして「いかなる時も我々を信頼してくれる帝、それは敦成親王だ。我が家の繁栄のためではなく、ゆるぎなき力を持って民のために良き政をすること。その事を胸に刻んで動け。」と頼通に言い聞かせ、頼通も父の命を理解しました。3月4日、臨時の除目が行われ、藤原実資は大納言に、藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)権大納言に、藤原行成(渡辺大知さん)は権中納言となり、これは全て道長の思いを反映した人事でした。そしてすでに権中納言であった源俊賢(本田大輔さん)を加え、一条朝の四納言が揃うことになりました。また頼通もこの時にわずか19歳で権中納言となり、頼通はすぐに大納言の実資に挨拶に行き、諸々の教えを乞いたいと伝えました。そう聞いた実資は喜び、では今から早速仕事を教えると意気込んでいました。でも頼通が「今すぐというのは・・」という態度だったので実資は立腹し、頼通を叱って退席しました。さて道長ですが、嫡男・頼道の婿入り先として具平親王の一の姫の隆姫女王にと話しが出ていて、嫡妻の源倫子(黒木華さん)に相談していました。倫子がまず頼道の気持ちをと言うと、道長は「妻は気持ちで決めるものではない。」ときっぱりと言い、道長が自分に対してもそうだったのかと少しがっかりしました。でも「男の行く末は妻で決まる。自分が今日あるのは倫子のおかげだ。隆姫女王も倫子のような妻であることを祈ろう。」と言うと、倫子は安心して笑いました。そして倫子は、子供たちが巣立った後のこととか、年が明けたら威子の裳着だとか、道長との時の流れを感じながら二人で語りあっていました。道長は臨時の除目の時にまひろの父の為時も左少弁に任じていて、長い間仕事がなかった為時は8年ぶりに宮中での仕事を得たことを喜んでいました。道長がまひろの様子を見に藤壺に来たので、まひろは父の任官の礼を伝えました。その折に道長がまひろに娘(実は道長との間の子)は何歳かと訊ね、まひろが娘・賢子は11歳だと言うと、道長はまもなく裳着だと思いを馳せました。裳着の言葉を聞いたまひろは道長に、左大臣として娘の裳着に何か贈ってもらえないかと要望すると、道長はあっさりと了承してくれました。(道長はまひろの娘が自分の子だと気がついているのかどうか、またわからなくなりました。)道長は賢子が裳着を済ませたら藤壺に呼んで宮仕えをさせたらどうかとまひろに提案したのですが、賢子に実の父の存在を知られるのを恐れたまひろは、とっさにあかね(泉里香さん)はどうかと推薦し、あかねは藤壺に入りました。宮の宣旨から「和泉式部」という名を与えられたあかねは新入りであっても堂々と不満を述べて周囲を驚かせましたが、結局はその名を受け入れました。帝が藤壺にお渡りのある日、女房たちは庭で若い公達の頼通らと貝合わせをして遊んでいて、帝と彰子は楽しそうにそれを眺めていました。かつて二人の親王に愛された和泉式部はふだんの何気ない仕草にも色香を漂わせる恋多き女人で、まだ女人の扱いに慣れてなさそうな頼道の隣に座って、頼道の気を引くような仕草を次々とやっていました。和泉式部のやることに頼通はもちろんドキドキ、そして隣にいた義弟の藤原頼宗(道長の妾・明子の嫡男;上村海成さん)も頼通と式部にドキドキしていました。道長が藤壺を訪れて娘の彰子が産んだ孫の敦成親王をお守りをしていたある日、亡き中宮・定子の遺児で彰子が傍に置いて育ててきた敦康親王(渡邉櫂くん)が彰子に甘えている光景が目に入りました。ただその甘え方がじきに元服を迎える男子にしてはやや異様に感じられ、道長はまひろが書いた「源氏の物語」のそれによく似た部分を読み返していました。万一があってはいけないと感じた道長は早速、藤原行成を呼んで陰陽寮に敦康の元服の日取りを決めさせるように言い、日取りが決まったらすぐに帝に奏上して認可をもらうつもりでいました。しかしまだ元服したくない敦康は父の帝に、彰子の第二子出産が済んで藤壺に戻ってくるまでは待って欲しいと訴えていて、帝もそれを認めていました。藤壺に小火があり敦康親王はとりあえず伊周の屋敷に移っていました。敦康は自分の元服を急がせる道長のことを、自分を邪魔にしていると感じていて、そのことを伊周にもらしました。自分の甥でもある敦康を何が何でも守りたい伊周は、病の身をおして道長を訪ね、敦康を帝から引き離さないよう、次の東宮は敦康だと訴えました。重病の伊周は傍から見ても痛々しいほどでした。しかし伊周の道長への恨みは凄まじいもので、自分がこのように落ちぶれたのは全て道長のせいだと罵り、道長が伊周を憐れんで「下がって養生せよ」と言うと、伊周は道長を睨んで呪詛を始めました。そして懐にあった呪詛の紙を辺りに大量にばらまき笑いながら呪詛を続けるので、道長の従者が力ずくで無理やり伊周を退室させました。(呪詛の件では伊周は関係ないとされていたのに、自ら証拠を残していきました。)
October 9, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、前半の当時の製本作業と、そして宮仕えの仕事が充実して楽しくて仕方がないまひろ(吉高由里子さん)が久しぶりに実家に宿下がりしたものの、そのあまりの浮かれっぷりに父も弟も家人の皆も呆れ、娘の賢子(梨里花さん)は傷ついて怒りが爆発する場面に見入っていました。まひろは賢子のことがふと気になって帰ってきたはずなのに、酒に酔った勢いもあってか、あるいは皆が自分の宮中での土産話を楽しみにしていると思っていたのか、ずーーっと自分のことばかりしゃべり続け、賢子のことを気に掛ける様子はありませんでした。多少興味のある話でも、マシンガントークの人の話を聞き続けるのは疲れると思います。ましてや自分に関心がない母の自慢話を10歳の子が一方的に延々と聞かされても、面白くないですよね。賢子なりに母を理解して、ふだんは質素な暮らしでもそれなりに皆と楽しく暮していたでしょう。なのにまひろの無神経な振る舞いで、賢子は我慢していたことが怒り爆発になりました。これはもう、実家に戻って気が緩み過ぎたまひろの、さらには気を緩められる実家があることへの有難みがわからなかったまひろの落ち度だと思います。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘5年(1008)秋、帝(一条天皇)の子を懐妊して実家の土御門殿に帰っていた中宮・藤原彰子(見上愛さん)は無事に敦成親王を出産し、しばらくしたら内裏に戻ろうかという時期でした。彰子は母の源倫子(黒木華さん)に、帝への土産をここで作っていきたいと提案し、それは藤式部(まひろ)が書いた物語を美しい冊子にしたいというものでした。娘の彰子の提案で左大臣の藤原道長はすぐに動き、最高級の紙を何種類もたくさん用意して彰子に届けました。ただ彰子があまりにも藤式部を頼りきっていて、そのため藤式部は倫子や他の女房たちに時折り不快感を持たれていました。土御門殿で一斉に冊子づくりが始まりました。各巻に合う紙を選んだら清書は藤原行成をはじめとする何人かの能書家に依頼され、それが仕上がって戻ってくると次は藤式部(まひろ;吉高由里子さん)や宮の宣旨(小林きな子さん)他女房たちによって、さらには中宮・彰子も加わって、冊子を紐で綴じたり表紙をつけたりなどの製本作業が進められていきました。そして皆の頑張りで、源氏の物語の見事な冊子が出来上がりました。冊子が完成し、内裏に戻るまではまだ日があったので、まひろは彰子の許しを得て宿下がりをして実家に戻りました。まひろは彰子から土産として高価な酒や菓子や昆布などの他、白米も俵で持たせてもらい、見たこともない数々の高価な品に実家で仕える者たちは、これが中宮様のお側で仕える人の土産かと誰もが目を丸くしていました。父・藤原為時(岸谷五朗さん)はまひろの働きをありがたく思い、まひろは父に娘の賢子(梨里花さん)の養育をまかせっきりにしていることを詫びました。久しぶりに会った娘の賢子はすっかり背丈も伸び、帰宅した母に挨拶もできるほど成長していたのですが、母に対する態度がどこかよそよそしいものでした。また久々に帰った実家は、まひろの目にはどこかみすぼらしく感じられました。その日はまひろが持ってきた高価な食材で早速ごちそうが作られ、まだ日が明るいうちから延々と身内の皆でのささやかな宴が開かれました。まひろは内裏での暮らしや出来事を土産話にあれやこれやと皆に話し、弟の藤原惟規(高杉真宙さん)も時折り相槌を打っていたし、皆も興味深そうに話に耳を傾けていました。しかし酒が入っているせいか、まひろの話は夜になっても延々と止まることなく続き、ところどころで自慢話も入って、聞いている皆もいいかげん疲れてきたし、特に娘の賢子は母の話にうんざりしていているようでした。まひろは父の為時や惟規にたしなめられても意に介さず、一人で愉快そうに話し続けていました。まひろが実家に帰ってきたのも束の間、翌日にはまひろが傍にいないことを不安に思う彰子から早速、土御門殿に戻ってくるよう通達がありました。為時はまひろの立場を理解していましたが、あっという間に戻っていく母に対して賢子の不満と怒りが爆発しました。何しに帰ってきたの?内裏や土御門殿での暮らしを自慢するため?内裏での贅沢をなぜここで嬉しそうに語るの?と。そして賢子はまひろが嫡妻でないから自分たちが苦労をするのだとも。まひろが、自分は宮仕えをしながら高貴な方々とつながりを持って、いずれ賢子の役に立てたいと思っている、と説明しても母は女房としての仕事が楽しくて仕方がないのだと見抜いている賢子には、まひろの言葉は響きませんでした。やがて彰子は敦成親王を連れて内裏に戻り、彰子の戻りを待ちわびていた敦康親王(渡邉櫂くん)はすぐに藤壺に駆け寄ってきました。中宮・彰子を母とも姉とも慕う敦康は弟・敦成を見て、彰子が自分を可愛がってくれるなら自分も敦成を可愛がると宣言し、彰子ももちろん敦康は大事な敦康だと約束し、二人は微笑み合いました。そうしていると帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が藤壺に渡ってきました。彰子は帝への挨拶を済ませた後、実家の土御門殿で皆と作っていた源氏の物語の冊子を帝に献上しました。冊子を手にとった帝はそのあまりの美しさにたいそう感激し、これは彰子が帝のためにしつらえた、彰子が紙を選び製本に彰子も参加したとまひろが説明すると、帝は彰子を愛おしそうに見つめて彰子に喜びを伝えました。*この冊子づくりについての解説が番組の公式HPに出ています。をしへて! 佐多芳彦さん ~彰子が発案! 紫式部も行った『源氏物語』の冊子づくり ⇒ ⇒ こちら まひろが書く源氏の物語をすっかり気に入っている帝は、これを藤壺で読み上げる会を開いてはどうかと提案、後日、藤原公任(町田啓太さん)や藤原斉信(金田哲さん)ら主だった公卿が藤壺に招かれ、会が催されました。物語の中には帝がよく読む『日本紀』も出てきて藤式部(まひろ)はこのような知識もあるのかと斉信や公任は感心し、二人が小声で私語するのを聞いた帝には藤原行成(渡辺大知さん)が当たり障りなく場をつくろっていました。帝は源氏の物語を、女ならではの観点に漢籍の素養も加わりこれまでにない物語であると褒め、このことが人々の評判を呼んで、彰子の藤壺をいっそう華やかなものにしていきました。しかし藤壺の繁栄は、亡き中宮・定子の身内であり、定子が産んだ敦康親王の血縁でもある藤原伊周(三浦翔平さん)らには面白くないことでした。伊周の叔母の高階光子(兵藤公美さん)は、このままでは敦康が左大臣・道長に追いやられてしまうと危惧し、伊周の嫡妻・源幾子(松田るかさん)の兄である源方理(阿部翔平さん)も今の帝は道長に逆らえないと考えていました。幾子は兄に、帝の計らいで伊周の位を戻してもらえた今は騒ぎを起こさぬように言い、伊周も急いては事を仕損じると考えていました。しかし伊周はそう言いつつも、裏では道長への呪詛をひたすら続けていました。ある晩のこと、内裏の藤壺に盗人が押し入り、寝ずの番をしていた女官たちが襲われて衣をはぎ取られるという事件が起こりました。その夜、物語を書いて遅くまで起きていたまひろが女官たちの悲鳴を聞いて駆けつけ、盗人たちは逃げていきました。その報告を聞いた藤原道長(柄本佑さん)はすぐに娘の彰子の元を訪れて安否を確認し、いっそう警護を増やしました。一方、まひろには昨夜のことを訊ね、まひろは彰子が女官たちをいたわって自ら袿を与え、その姿は上に立つ者の威厳と慈悲にあふれていたと道長に伝えました。道長はまひろに、これからも彰子と敦成親王をよろしく頼むと言ったのですが、その折に帝の第一皇子の敦康親王ではなく、彰子が産んだ自分の孫の敦成親王が次の東宮になると、まひろに口を滑らせてしまいました。まひろはもちろん他言しないものの、重大な話を聞くことになりました。年が明けて寛弘6年(1009)1月、帝は伊周に正二位の位を授け、これにより伊周は道長と同じ位で大臣に準ずる地位になりました。伊周は挨拶の中で、自分は帝の第一皇子の敦康親王の(伯父であり)後見であり、道長は第二皇子の後見であることをあらためて強調しました。周囲の公卿たちは、伊周の強気は上に立つ道長のゆとりであろうと評判、一方で道長の政権を支える決意をしている藤原公任は、伊周の弟で今は道長を支持している藤原隆家に、兄の伊周に何か動きがあればすぐに知らせよと命じていました。
October 2, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では、前半が中宮・藤原彰子(見上愛さん)の懐妊によってさまざまな人々の思いが交錯し、後半は彰子の出産に際しての安産祈願のシーンと、その後の行事についてが見どころとなりました。幼い頃から自分を育ててくれた彰子が大好きな敦康親王(渡邉櫂くん)が、出産のために宿下がりをする彰子に、もう今までのように愛情をもらえなくなっても仕方ないと道理をわきまえつつも、寂しさや悲しさを隠せなくて、しょんぼりする場面。でも彰子から、たとえ我が子ができても敦康への思いは変わらないと言ってもらえ、気持ちを抑えつつも安堵と嬉しさがにじみ出てしまう場面。子役が頑張るシーンは、ついホロリと来てしまいます。そして後半の、彰子の出産から五十日の儀までの、平安時代の行事や風習の場面では、当時の人々はこのような考えでこうしたことをやっていたのかと、すごく参考になってTVに釘付けになりました。大河ドラマで毎度思います。大道具でセットを作り、本格的な小道具を揃え、役者の皆さんが衣装を着て動いて当時を再現してくれると、昔古文や歴史で習った内容が本当によくわかります。この点はドラマ制作陣に感謝したいです。「五十日の儀」について、番組のHPで紹介があります。 ↓ ↓ ↓をしへて! 佐多芳彦さん ~子どもの誕生を祝い成長を祈る「五十日の儀」 ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ寛弘5年(1008)、帝(一条天皇)の寵愛を得られるようになって少しずつ女人としての自信を持てるようになってきた中宮の藤原彰子(見上愛さん)は、養育している敦康親王(渡邉櫂くん)と共に、心穏やかな日々を送っていました。この日は親王が漢文の稽古をサボって彰子のところに来ていて、父・帝に叱られるから内緒にと彰子に頼んでいて、彰子も快諾していました。(そういえば帝は母・詮子から厳しく教育されていて、常に詮子の目が光っていたから、この親王は彰子の元でずいぶんノビノビと育っているようです。)そこへ宮の宣旨(小林きな子さん)が香を運んできたのですが、彰子は香りで急に気分が悪くなり、そして懐妊であることがわかりました。報を聞いた父・藤原道長はすぐに嫡妻・倫子に報告、道長と倫子は娘の彰子が帝の寵愛を受けて懐妊に至ったことの喜びをかみしめていました。中宮・彰子が懐妊し、お付きの女房たちは張りきって彰子の世話をしていました。しかし彰子が心を許せるのはまひろ(藤式部;吉高由里子さん)だけで、他の者に聞かれたくない話ができると彰子はまひろを呼んで他の女房たちを下がらせるので、女房たちの中にはまひろを快く思わない者もいました。彰子は、帝の心に少しでも寄り添いたい、前の皇后・定子も漢籍が得意だったので自分も漢籍を習いたいとまひろに言いました。さらに彰子は漢籍を内緒で習って帝を驚かせたいと、帝の気持ちを引き寄せたいという欲も出てくるようになりました。若い公達の頃からの友で、学問も芸事も武芸も互いに切磋琢磨して年齢を重ねてきた藤原道長(柄本佑さん)と藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)。今では道長が左大臣として最高位に就き、他の3人もそれぞれに高位に就いていて、政治的に対立することなく変わらず友のままでした。道長の娘の中宮・彰子が懐妊したことで、皆の関心は彰子の産む子が皇子かどうかということでした。皇子ならめでたいと言う斉信、めでたいけどややこしいことになると考える公任、たとえ皇子でも敦康親王が東宮になることに変わりはないと考える行成、しかし一番身近な問題である当の道長は、次の東宮を考えるのは帝が御位を降りるときのことだからこの話はやめようと言い、話を切り上げました。出産が近づいた彰子はしばらくの間は実家の土御門殿に下がることになり、その前に敦康親王に怠るとこなく学問に励むよう言って聞かせていました。でも親王の気持ちは、彰子にしばらく会えないという寂しさ以上に、彰子が母となれば我が子が愛おしいのは道理だから自分とは距離ができてしまうのだろうと考えていて悲しかったのでした。でも彰子は親王に、親王が幼い頃からここでずっと一緒に生きてきた、長い時間帝が自分に無関心だったけど親王だけは自分の傍にいてくれた、子が産まれても親王を裏切ることは決してない、と思いを伝えました。彰子の愛情をひしひしと感じた親王は言葉はないけど彰子と微笑みあいました。彰子は公卿たちの見送りを受けて実家の土御門殿に移りました。お付きの女房たちも彰子に同行し、まひろは道長の声かけと、嫡妻・倫子の古くからの顔見知りでもあったので、まひろが執筆活動をしやすいように土御門殿の中に特別に局が用意されていました。彰子の体調がいいときはまひろは彰子に漢籍の講義を続けていました。また彰子が妍子ら弟妹から挨拶を受けたときには、まひろのことを自分の大切な指南役であると紹介していました。ただ彰子がまひろを贔屓するのは他の女房たちには面白くないことで、左衛門の内侍(菅野莉央さん)は赤染衛門(凰稀かなめさん)に愚痴をこぼしていました。衛門は愚痴は受け流していましたが、次に左衛門の内侍がまひろと道長の関係を疑う話をしたときは、話を否定しつつも心のどこかで引っかかっていました。彰子の出産の日が近づき、帝の子の出産時には宮廷の官人による漢文の公式記録が作られるのですが、道長はその記録をまひろにも書くよう頼んでいました。そしていよいよ出産の時がきて、周囲はにわかに慌ただしくなりました。多くの公卿や高僧たちが土御門殿に集まり、僧たちはお経を唱えて祈りを捧げ、公卿たちは弓の弦を鳴らして魔除けをし、他の女房や公卿たちも声を枯らして彰子の無事な出産を祈っていました。*このシーンについての解説が番組の公式HPに出ています。中宮・定子との 比較もあり、なかなか興味深いお話です。 ↓ ↓をしへて! 倉本一宏さん ~多くの日記に記された寛弘5年の中宮彰子のお産 ⇒ ⇒ こちら 彰子の出産はそれをめでたいと願う人ばかりではなく、亡き中宮・定子の兄の藤原伊周は屋敷の奥でひたすら彰子を呪詛し続けていました。怨霊が乗り移った何人もの寄坐が暴れまわり、その念の強さに恐れおののく人や悲鳴を上げる女房もいて、邪気払いの米が幾度も撒かれました。(そんな時に彰子の母の倫子は初産で苦しむ娘に寄り添い、奇声をあげて暴れる寄坐を「うるさいこと」で片付けるから、頼もしい存在です。)しかし自分への恨みを強く感じた道長が寄坐に「どうかお鎮まりくださいませ!」と頼んで頭を下げると寄坐は絶叫して気絶し、同時に伊周の呪詛も終わりました。そして部屋には赤子の産声が響き渡り、待望の皇子が誕生しました。出産の祈願に集まっていた僧や公卿たちが去り、彰子の容態も落ち着いて皆も安堵し、心地よい疲れを感じながらまひろは夜空を見上げていました。何気なく「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」と心に浮かんだ句を詠んでいたら道長が来て、歌の心を聞きたいと言いました。巡り続けて千代に栄える中宮と皇子のことだとまひろが答えると、道長はそれを良い歌だと褒め、覚えておこうと言って柱にもたれてくつろいでいました。(ただね、道長は左大臣でこの家の主だからくつろいで好きな恰好でいいけど、まひろが道長と一緒に柱にもたれている姿勢は気の緩み過ぎ。他者からあらぬことを言われても言い訳できないことだと思います。)帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は敦成と名付けられた若宮に会いに土御門殿に行幸し、彰子の産んだ皇子をこの手に抱きました。しかし帝は亡き定子が遺した敦康を思ってか、その表情は喜びにあふれるものではなくどこか憂いのあるもので、道長は帝の態度が気になっていました。ただ彰子は帝の皇子を産んで自分の気持ちを強くもてるようになってきたのか、唐衣の色も自分の好きな青色を選ぶようになっていました。そして敦成の五十日の儀を迎え、土御門殿には大勢の公卿たちが招かれました。敦成の祖父母にあたる道長と倫子が敦成にお餅(の汁)を含ませた後は饗宴となり、道長は公卿たちに無礼講で心ゆくまで楽しんでくれと伝えました。上手いお酒が入ってご機嫌な公卿たちは、藤原顕光が女子を求めて几帳を引き裂いたり、藤原公任が若紫のような若くて美しい姫を探したりと、それぞれがまさに無礼講を楽しんでいました。そして突然まひろが道長に呼ばれ、彰子と倫子の前で歌を詠むように言われたので、まひろは即興で一句詠みました。まひろが詠んだ歌を皆は感心して聞いていたのですが、中にはこれは最初から用意してあったのだと言う意地悪な者もいました。そのすぐ後で道長がまひろの横に座り、道長も続けて即興で一句詠みました。ただ二人の詠んだ歌があまりにも息が合っていて、そのことにあちこちで皆がざわめき、倫子も何かを感じて気分を害して席を立ち、それに気づいた道長もあわてて席を立って倫子を追いかけました。今までまひろの味方をしてくれていた赤染衛門も、これは二人の間には噂通り何かあるのかと感じて厳しい表情になり、まひろが廊下で一人になった時に左大臣(道長)とはどういう仲なのかと尋ねてきました。
September 25, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では主に前半では御嶽詣を舞台にして、後半では中宮・藤原彰子(見上愛さん)が長年抱えていた帝への思いをぶつける場面が見どころだったと思います。わずかな供回りで吉野の金峯山に行く藤原道長(柄本佑さん)を暗殺しようとする藤原伊周(三浦翔平さん)。あわや!というところでどうなるのかと思ったら、伊周の弟で今は道長を支持する藤原隆家(竜星涼さん)が道長の盾になり、上手に嘘をついて兄と道長の双方を守りました。自分が凋落していったのは道長のせいだとしてどこまでも道長を憎んで恨む伊周。兄にはすまない事をしたけど、切り替えてこの先を生きるために道長を選んだ弟の隆家。兄弟二人の会話で伊周の本心が何なのかはよくわからない部分もありましたが、これから出てくるのでしょうか。そして中宮・彰子です。親の命で入内して親の力で中宮になったものの、色香には疎い彰子自身の性格もあって、なかなか帝からは本当の妻として見てもらえませんでした。でも本心では、帝のことが男性として好きでした。そしてやっとの思いで、はっきりした声で、ド直球過ぎる言葉にして伝えられた彰子でした。不器用に、ただただ一生懸命に伝えた彰子の涙に、見ていて思わず泣けてきました。私はもうこの歳ではこういう場面では感動はないものかと思っていたけど、一生懸命な姿ってやっぱ泣けますわ。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘4年(1007)8月、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は娘で中宮の彰子の懐妊祈願のために、嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)と中宮権大夫で妾の明子の兄である源俊賢を伴い、吉野の金峯山に御嶽詣に出ました。険しい山道を進む道中では大雨に降られて難儀もしましたが、宿坊の寺で着替えて(たぶん風呂ももらって)落ち着くこともできました。しかし道長の心身の疲れはなかなかとれず、また俊賢からは妹の明子の子の頼宗を推す話も聞かされ、祈願に集中できない道中でした。(年間降水量の多い紀伊半島で8月だから大雨になる日もあるでしょう。こういう演出は私は好きです。)⇒⇒と、ここまで書いて番組のHPを見たら、このシーンのロケでの、青い衣装や山中の移動時の工夫などについて解説がありました。⇒ ⇒ こちら 人ひとりがようやく通れる細い崖道を抜け、断崖絶壁をよじ登り、険しい山中をひたすら進んだ道長一行は京を発って9日目、金峯山寺の山上本堂に着きました。金峯山寺でさまざまな仏事を催し、最後は山上本堂の蔵王権現の土中に道長自身が書き写した経典を奉納し、無事に祈願を終えることができました。しかしその帰り道、道長を恨んで呪う藤原伊周が道長の命を狙い、配下の平致頼とその一味が刺客として待ち受けていました。伊周らは道長に狙いを定めて林の中に身を潜め、襲撃の後は杣道から逃げる手筈をして待機していました。そしていよいよ道長が近づき致頼らが矢を射ようとした時、出発前に兄・伊周の行動を怪しんで後をつけていた藤原隆家(竜星涼さん)が寸でのところで道長の前に飛び出し、隆家が盾になって道長は事なきを得ました。隆家は「この辺りで落石があるかもしれないから急がれよ!」と兄の襲撃計画のことは伏せ、道長一行を危機から救いました。道長一行が去った後、藤原伊周(三浦翔平さん)と隆家は兄弟で二人きりになり、互いの心の内を語り合いました。「お前はなぜ俺の邪魔ばかりするのだ。」ーー伊周は弟に問いました。伊周にしたら、隆家が花山院の御車にイタズラで矢を射たあの時から人生計画の何もかもが崩れていったという思いがあり、そして今またなのでした。隆家は答えます。「兄上を大切に思うゆえ阻んだ。おとなしく定めを受け入れて穏やかに生きるほうがよい。嫡男の道雅も蔵人になったばかり。花山院の事は昔も今もすまなかったと思っているから、今回のことも阻止した。これが俺にできるあの過ちの詫びだ。」伊周は納得はいかなかったけど自分を思う弟の思いは受け止めました。そして「道長は狙っていない。うつけ者め。」と言い残し、去っていきました。(伊周は、花山院の件では可愛い弟の隆家は恨まなかったけど、その分の怒りを道長に向けていた、ということのようですね。)吉野の御嶽詣から京に戻った道長は娘で中宮の藤原彰子(見上愛さん)のところに金峯山寺の護符をもって帰京の挨拶に行きました。(大切な護符の受け渡しは手が触れぬよう、あのようにするのですね)するとそこに、亡き定子の遺児で彰子が育てている敦康親王(渡邉櫂くん)がやってきて、しばらく不在だった左大臣・道長にどこにいたのかを問いました。道長が、御嶽詣をして我が国の安寧と、帝と中宮と親王の幸せを祈願してきたと言うと、左大臣がいない間は自分が中宮を守っていたと親王は少し自慢げに、そして嬉しそうに話しました。笑顔で見つめ合う彰子と親王の間には確かな絆がありました。帰京した道長は、次は物語を書き続けているまひろ(藤式部;吉高由里子さん)のところに顔を出し、進み具合を問いました。まひろが一つの巻を書き上げたというのでそれを見ると、その内容は自分たちが出会った少年と少女だった頃を題材にしていて、昔を懐かしんでいました。そして物語の内容は藤壺の宮の不義に移り、道長がまひろにどういう心づもりでこれを書いたのかを問うと、我が身に起きたことだとまひろは答えました。まひろが産んだ不義の子ーーしかしまひろの子は賢子一人。局から出ていく時に道長は「もしかして賢子は…」と半ば気が付いたようでした。少し前に姉のまひろに「越えられないものを越える」とか言っていた藤原惟規(高杉真宙さん)は、実は斎院の中将と思い合う仲になっていて、惟規は大胆にも男子が足を踏み入れてはならない斎院の館に塀を越えて忍び込んでしまいました。もちろん惟規はすぐに捕まり、本来なら重い罰を受けます。しかし惟規はその時とっさに歌を詠み、その歌がたまたま選子内親王の心に響いたようで、内親王の命で惟規は釈放されたとのことでした。まひろは弟に、もう危ないことなしないよう、父・為時に心配をかけないよう忠告しますが、惟規はまだ懲りていないようでした。まひろが書く物語は中宮・彰子のいる藤壺で読まれ、女房たちはそれぞれに思うところの感想を述べあっていました。宮の宣旨が来て今日は敦康親王はここに来ないことを彰子に伝え、そして女房たちには仕事を命じたので、皆退室していきました。まひろは彰子が話し相手を求めたのでここに残り、彰子は物語に出てくる紫の君はまるで自分のようだと語りました。彰子が紫の君の行く末を訊ねたので、まひろがどうなって欲しいのかと尋ねたところ、「光る君の妻になってほしい」と彰子は答えました。その言葉に彰子が帝のことを慕っているのを強く感じ、中宮には自分の好きなものも何かにときめく心もふつうにあるし、父・左大臣の苦労もわかっている(言葉や態度に出さない相手の思いも察している)、自分の正直な心の内を帝に伝えてみてはどうか、と進言しました。そんな話をしていたら帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が藤壺に渡って来ました。親王(自分の息子)が来ていないと聞いて帝が帰ろうとすると彰子が呼び止め、突如はっきりした声で帝を見つめながら「お慕いしております!」と言いました。まひろの助言で堰が切れたのか、今までこらえていた思いが涙と共にあふれ出し、止まらない彰子でした。自分への思いをはっきりと告白し、そして泣き崩れそうになっている彰子に帝は思わず戸惑い、また来ると言って去っていきました。やっと思いを伝えられたのに結局は去ってしまった帝の背を見送り、彰子は声を出して泣き崩れてしまいました。そして年の瀬になり、帝は年明けの事について左大臣・道長から報告を聞いていて、その折に夏の御嶽詣の御利益があったのかと訊ねました。道長がまだわからないと答えると帝は「今宵、藤壺に参る。その旨伝えよ。」と。夜の帝のお渡り、それは彰子をいよいよ妻として迎えるということでした。藤壺の女房たちは皆、彰子の身支度と帝を迎える準備に張りきりました。渡り廊下から外を見ると雪が降り積もっていて、帝は空を見上げて心の中で密かに最愛だった中宮・定子に別れを告げました。そして彰子には女人として長い間さみしい思いをさせたことを詫び、ようやく妻として受け入れていくことを決めました。入内してから7年も放っておかれた娘(彰子)がやっと帝のまことの妻になれ、道長はやっと少しだけ安堵できました。その夜は「(彰子のことは)お前だけが頼りだ!」と言っていたまひろと二人で月を眺めていました。でもまひろは、帝の心を掴んだのは彰子自身、これは金峯山のご霊験、と考えていて、道長は何でもいけどとにかくよかったという思いでした。しかしそんな二人の姿を物陰から密かに見ている女房がいました。
September 18, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は全体的に、平安時代にあった僧たちによる強訴とはどのような出来事であり、国風文化の中で貴族たちが行った『上巳の祓』や『御嶽詣』とはどういった行事で、そして『源氏物語』についてのあれやこれやを見た回でした。「強訴」は歴史の教科書で文字だけ追ってもピンとこないけど、役者さんたちが演じてくれるとすごくよくわかります。貴族の屋敷の寝殿造りも、資料集でイラストで見ることはできますが、そこでどんな行事や遊びがあったのかは、映像で人物が動くとやはり理解の度合いが全然違ってきます。そして『源氏物語』について。第二皇子に生まれた光る君が源氏として臣下となった理由が「光る君に好き勝手なことをさせるために」という作者(紫式部)の狙いがあった、という現代のこのドラマの脚本家である大石静氏の解釈が面白いと思いました。物語の作者の意図というものを、私はほとんど考えたことがないのですが、やはり実際に物語を書く人にはいろいろ想像がつくのですね。またこの回では、『源氏物語』の有名な一節の 雀の子を犬君が逃がしつるが出てきました。先週、まひろ(吉高由里子さん)が藤原道長(柄本佑さん)から褒美としてもらった扇子を広げたときに、絵を見て多くの方がすぐに気がついたと思います。でもそれが実際に物語に落とし込まれると、より感動が強くなりますね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘3年(1006)、興福寺別当の定澄が大和の国から武器を持った門徒たちを引き連れて、深夜に左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の屋敷を訪れました。定澄は自分たちの訴えを陣定にかけて欲しい、さもなくば道長の屋敷を焼き払うと脅しましたが、道長は屈せず、もし定澄が僧たちを動かしたら別当の任を解き、興福寺もただでは済まないと忠告しました。翌日、道長はすぐに陣定で興福寺に対する策を諮ったのですが、まだ結果が出る前に定澄は僧や信徒たちを大極殿前の朝堂院に集めさせ、道長を威圧しました。報告を聞いた道長は、大内裏の門を押し通られる前にと、すぐに帝に検非違使を遣わす宣旨を求め、帝もそれを認めました。検非違使によって大極殿前の僧たちは追い払われたのですが、その後も定澄(赤星昇一郎さん)は道長に会いたいと言い、内裏に上げることはできないので後日、土御門殿(道長の屋敷)に来るよう伝えました。弟子の慶理(渡部龍平さん)を連れた定澄は道長に、興福寺と大和守との争いのことを再度調べて欲しい、大和守を解任して欲しいなど4つの要望を書いた申文を道長に差し出しました。しかし道長は大和守に関連する3つの訴えは拒否し、蓮聖のことをだけを申文に書いて提出するよう定澄に言いました。定澄は、一つでも自分たちの望みが通れば上出来と言い去っていきました。興福寺の騒動がひと段落し、道長は娘の中宮・彰子に女房として仕える藤式部(まひろ;吉高由里子さん)の局を訪れました。帝と中宮は物語の話をしたりなど多少は話をするものの、男女としての進展がまだないことをまひろから聞くと、前の中宮・定子が亡くなってもう6年もたつのにと、道長は娘の彰子が不憫に思えました。道長はまひろに(帝と彰子をつなぐのは)お前が頼みだ、頼む、と頭を下げて念を押し、局を出る前にまひろの弟・藤原惟規のことを訊ねていきました。ただ道長のまひろに対する行動はやはり藤壺の女房たちの間で噂になっていて、女房たちは陰口を楽しんでいました。年が明けて寛弘4年(1007)、道長の嫡妻の倫子は四女の嬉子を出産しましたが産後の肥立ちが悪くてしばらく寝込んでいました。そして同日、中納言・藤原斉信(金田哲さん)の屋敷が火事になり、藤原公任(町田啓太さん)や藤原道綱(上地雄輔さん)は斉信を慰め、左大臣の道長は火事見舞いを出していました。一方、道長が帝に蔵人に3名欠員がいることを伝えると、帝は(亡き最愛の中宮・定子の兄の)藤原伊周の嫡男・藤原道雅を、道長はまひろの弟の惟規を推挙し、それぞれに役が決まりました。伊周は帝が我が家を引き立てようとしてくれていると喜んでいましたが、当の道雅はそれほど嬉しくもありませんでした。道雅は父・伊周が幼い頃からやたら自分に厳しく、それが自分を復讐の道具にするためだと感じていて、父に反発していたのでした。道長の推挙で蔵人になれた藤原惟規(高杉真宙さん)は、姉のまひろが勤める藤壺に、父・為時が昔着ていた袍を着て遊びに来ました。まひろは弟に、左大臣・道長の顔を潰さないようにと念を押しますが、惟規はここに来るときに案内をしてくれた女房が気になっていました。姉から彼女が大納言・道綱の娘だと聞いて自分の身分では相手にされないかと少しがっかりしましたが、姉は弟を励まして気の置けない会話をしていました。するとそこに突然、中宮・彰子がわたってきたので惟規は慌てて退散しました。中宮・藤原彰子(見上愛さん)は自分の正直な思いをまひろ以外には聞かれたくなかったので、お付きの左衛門の内侍を下がらせました。彰子は、まひろの書く物語の面白さがわからないと言いますが、男女の機微のことをまだ知らない彰子には無理からぬことでした。まひろは、自分の願いや思いや来し方を膨らませて書いた物語が帝の気持ちに共感したのだろう、と彰子に答えました。彰子にはやっぱり理解できないことでしたが、そんなところに亡き定子の子で彰子が世話をしている敦康親王(渡邉櫂くん)が飛び込んできました。敦康は優しい彰子が大好きで、彰子も敦康には心からの笑顔を向けていました。帝(一条天皇;塩野瑛久さん)はまひろが書いたこの物語を皆にも読ませたいと考え、宮中では写本があちらこちらで読まれるようになりました。清少納言の『枕草子』とは違う、人々の心にそれぞれ身に覚えがあるような、想像の世界のような物語に、多くの人が夢中になりました。そんなある日、帝は突然まひろの局を訪ねてきて人払いをし、なぜこの物語を書こうと思い立ったのかとまひろに訊ねました。まひろは正直に、左大臣の道長から帝に献上する物語を書くよう頼まれたこと、ただ帝の心をうつものが何なのかわからず道長に帝のことをあれこれと訊いたこと、でも書き進めていくうちに帝の悲しみを自分なりに感じるようになったことなどを伝えました。帝は、この物語はまっすぐ自分に語りかけてくると感想を述べ、また来ると言って去っていきました。3月3日『上巳の祓』の日、道長は公卿たちを土御門殿に招き、水辺で邪気を祓う『曲水の宴』を開きました。道長は中宮・彰子の懐妊を切に願い、この宴を催しました。本日のお題「流れに因って酒をうかぶ」が示され、曲がりくねった水辺に座った公卿たちは一斉に和歌や漢詩を考え始めました。*この行事に関することは、NHK『光る君へ』のHPで解説がUPされています。⇒ ⇒ をしへて! 佐多芳彦さん 藤原道長が主宰した「曲水の宴」って何? しかしお題が出された後、急に大雨が降ってきたので、外にいた公卿たちは皆、一旦室内に入りました。道長の周りには若い頃から親しくしている藤原斉信と藤原行成と、そして妾の源明子の兄の源俊賢が集まり、仕事の時とは違う和やかな会話がありました。中宮・彰子は久々に帰ってきた実家で、父・道長が公卿たちとくつろいで談笑しているところを初めて見たようでした。彰子は御簾の内から父たちの様子を眺めていて、そのことに気が付いたまひろは宴が再開されてから彰子にこっそりと、殿御は皆かわいいものだと教えました。彰子が「帝も?」と訊ねたので、まひろは「帝も殿御。父上と談笑していた公卿たちと変わらない。」と答え、彰子はそういうものなのかと思いました。そしてまひろが娘の彰子を導いてくれるのを期待する道長は、彰子とまひろが何かやり取りしているのを、遠くから見守っていました。華やかな宴が終わってしばらくして、今度は藤原道綱(道長の義兄)の屋敷が火事になってしまい、道綱は落胆しながらも何かおかしいと感じていました。またその直後には敦康親王が病に伏せってしまい、彰子がずっと傍にいて敦康を看病し、伯父の藤原伊周(三浦翔平さん)も敦康の見舞いに来ました。しかしここでは誰も伊周のことを悪く言ってないのに、敦康はなぜか伊周を嫌い、見舞いの品も拒否しました。そしてその後で道長が見舞いに来ると、敦康は道長のところに駆け寄り、何かを訴えるかのように道長の顔を見ていました。(子供の本能でしょうか。血がつながっただけの伊周よりも、真に愛情をもって育ててくれた彰子や道長たちに敦康は心を許しているようです。)斉信と道綱の屋敷が火事になり、敦康親王は重い病になってと不吉なことが続き、彰子はいまだ懐妊がないことを憂いた道長は、吉野の金峯山に、おそらく生涯で最初で最後になるであろう御嶽詣を決心しました。道長の嫡男・藤原頼通(渡邊圭祐さん)も父に同行することを申し出ました。道長が頼通に、8月の出立まで100日間にわたる厳しい精進潔斎があるがそれでも良いかと意思を問うと、頼通は少し迷いましたが中宮(自分の姉)の為にもと、改めて同行を願い出ました。道長は頼通の同行を許可し、頼通も道長も父子で互いにどこか嬉しそうでした。8月、道長は頼通と中宮権大夫の源俊賢を伴って京を出立したのですが、伊周の指令を受けた何者かが道長一行の後を密かに追っているようでした。
September 10, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、前半では女房として藤壺に上がったまひろ(吉高由里子さん)の宮仕えの様子と、中宮・藤原彰子(見上愛さん)いう人物を少しずつ表していました。仕事と寝食を共にする集団生活は、その人の性格にもよるだろうけど、慣れるまでは大変でしょうね。まひろも最初はネタ探しになるからと意気揚々と藤壺に入りましたが、すぐに無理だと悟りました。でも彰子と接するたびにまひろは彰子の人柄に気がつき、里帰りして気が済んだ後は、世間の評判が悪い彰子のことが気になるのもあり、今度こそ彰子のそばで仕えて彰子を支えようと決意しました。彰子は闊達で華のある女子ではないけど、弟妹がいる故か幼子の気持ちがわかって、ナイショでそれに沿ってあげる優しいおねえちゃんです。敦康親王と過ごす時間は、実家での日々を懐かしく思い出しているのかもしれませんね。そしてドラマの所々で、藤原道長(柄本佑さん)が政の面で左大臣としてどのような立場があって考えがあるのかが示されていました。興福寺の僧・定澄(赤星昇一郎さん)たちの起こしたあれが、教科書に出てきた「強訴」なのですね。道長が政は武力によらない解決であるべき、と思っていたとしても、時代はどんどん武力を持たなければという方向に変わっていきます。歴史的に、道長の死後に世の中全体がますます乱れていき、中央と地方でそれぞれに武士が台頭してくるのですが、この頃から徐々に動きがあったのですね。女房たちの宮廷生活を垣間見ることができ、また学校の勉強ではなかなか知ることがない当時の世の動きを見ることができて、とても興味深くためになる回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘2年(1005)、中宮・彰子に仕える女房の筆頭・宮の宣旨から藤式部という名をもらったまひろ(吉高由里子さん)の宮仕えが始まりました。まひろの仕事は物語を書くことなので早く続きを書かねばと思って机に向かうのですが、御所の中では女房たちや女童たちが何かとせわしなく動き回っていて気が散るので、まひろは落ち着いて物語を書く気になれませんでした。そこに藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)がまひろの様子を見にやってきて、女房たちのことに助言をくれました。その話の流れでまひろは若い頃に公任から陰で「地味でおつまらぬ女」と言われた事を皮肉を込めて返したのですが、当の本人は気づいていませんでした。(この先まひろが大出世する宮仕えの紹介者である公任に気づかれなくてよかったですね。)女房たちの間では新しく入ったまひろのことが皆の興味の的になっていました。宮仕えの女房といえど、中宮の女房となると誰もが名門貴族の姫君たちでした。だからまひろの父・為時は従五位下なのに、まひろが公任や斉信と臆することなく親しそうに話をしている様子が不思議だったのです。伝え聞いた話で、まひろが公任の妻の学びの会の講師だったことや、赤染衛門から中宮・彰子の母・倫子の若い頃にまひろも参加していたことを聞き、そうだったのかと皆納得していました。しかしここでの生活は、まひろにとって見知らぬ他人との初めての共同生活です。昼間は落ち着かなくて物語が書けずに夜遅くまで書き、ようやく寝ようと思うといろいろな音や気配が気になって全然眠れませんでした。(女房たちの寝所の様子を上から眺めたこのアングル、面白いですね。)まひろは宮仕えが始まって早々の寝坊という失態をしてしまいました。この日は御所では、公卿らが中宮に拝礼してうたげが行われる「中宮大饗」の行事があり、下賜する禄の用意やうたげの準備で女房たちは大忙しです。宮の宣旨(小林きな子さん)の指示の元、まひろも準備に追われていました。夜になり中宮大饗の行事が始まりました。その昔、まひろがまだ倫子の屋敷に出入りがあった頃に一度だけ見た、幼かったあの姫君が女人の最高位の中宮になって今目の前にいるのを、まひろは物陰から感慨深く見てしまいました。(そして宮の宣旨に注意されました。)女房として中宮・藤原彰子(見上愛さん)と近くで接するようになったまひろは、彰子の意外なさまざまな面に気がつくようになりました。彰子は亡き定子の遺児の敦康親王(池田旭陽くん)の養育をしていてこの藤壺に一緒にいるのですが、敦康は彰子が大好きなようでした。ある時は、お手玉遊びで彰子はお手玉をわざと遠くに投げ、女房たちの視線がそれた隙に彰子は敦康に「ないしょ。」とおやつをあげて笑っていました。弟妹がいる彰子だから、幼子の気持ちがわかるのでしょう。彰子の優しさと自分への愛情を、敦康は誰よりも理解していました。まひろは宮仕えの慣れない生活に疲れて、物語を書くのが一向に進まないため、自分を宮仕えに引き入れた道長(左大臣)に、やはり家で書きたいと訴えました。はじめは厳しい口調で許さなかった道長でしたが、だんだんと口調が弱くなって、しまいにはまひろに頭を下げて藤壺で書くよう頼んでいました。(人払いしてあったからいいけど、最高位の左大臣がイチ女房に頭を下げる場面を見られたら大ごとでしょうね。)それでも一旦は里帰りしたいというまひろの思いは強く、道長はそれを認めました。まひろが里帰りの挨拶を彰子にしに行くと、彰子は端近に出ていました。ふだんは周りの女房たちに自分の思いを言うことのない彰子なのに、まひろには「私は冬が好き。空の青が好き。」とポツリと自分の思いを語りました。そんな話をしていたら左衛門の内侍(菅野莉央さん)が来て、寒いから中に入るよう彰子を促し、御簾をおろしてしまいました。女房に世話を焼かれると、彰子は自分の思いが言えなくなってしまうのでした。寛弘3年(1006)の除目の場で、一族の平致頼と幾度も合戦を起こす平維衡を伊勢守に任ずることに左大臣の道長は強く反対しました。維衡のような者を国守とするとやがては他の国守たちも同じように武力でものを言わせるようになり国が乱れる、というのが道長の考えでした。道長は除目の場を閉じてさっさと退席していき、他の公卿たちも退席しだした時、道長の義兄の藤原道綱(上地雄輔さん)は義弟に味方し「道長の考えもわかる」と公任ら道長と親しい公卿たちに訴えました。その時、藤原隆家(竜星涼さん)が、自分はこれからは朝廷も武力が必要になると思うと意見を述べ、その場にいた公卿たちはそれぞれに考えていました。しかし、空欄にしておいたはずの伊勢守の欄に誰かが平維衡の名を書き込みんだため、道長は認めざるを得なくなりました。宿下がりしたまひろは久々に緊張感から解放され、のびのびした気持ちの中でどんどんと物語を書き進めていました。自分が書いた物語を読んで、弟の藤原惟規(高杉真宙さん)と弟の乳母のいと(信川清順さん)に聞いてもらい、感想を訊ねました。惟規はそれを面白いと言い、姉のまひろが大勢の男と睦んだわけでもないのによく想像で書けるねと感心していましたが、いとはそのような下品な話を帝が喜ぶのかと心配そうでした。そして惟規が中宮(彰子)は噂に聞くうつけなのか?と言いだしたので、彰子が敦康親王にこっそりお菓子をあげた様子とか、端近で空を見ていた姿を知ったまひろは、彰子は奥ゆかしいだけだと強く反論しました。里帰りして物語の続きを進めることができたまひろは、それを持って再び藤壺に参内し、彰子に報告しました。すると彰子が、帝がお気に召したその物語を自分も読みたいと言い、今あるのは話の続きなのでまひろはこれまでの内容を手短に話しました。物語の主となる「光る君」と呼ばれる皇子はあまりに美しくて賢くて、話を聞きながら帝のことを思い浮かべる彰子を見ていると、表には出さないだけで彰子は心の内では帝を慕っているのだとまひろは感じていました。そして物語が気になる彰子にまひろは、物語はまだまだ続くことを匂わせました。あれほど藤壺での生活が苦痛だったまひろでしたが、物語を通じて彰子と二人で時を過ごすうちに、彰子のためにここで頑張ろうという気持ちに変わりました。彰子の父でもある左大臣の道長に里帰りのわがままを詫び、まひろは藤壺で再び働くことを決意した、許可して欲しいと道長に伝えました。そして帝(一条天皇;塩野瑛久さん)はまひろに会うために藤壺に来ました。帝は昔まひろが思うままに述べた言葉を覚えていて、さらに物語を読んだ感想として、はじめは自分を難じていると思って腹が立った、だが次第に自分の心にしみいってきてまことに不思議だった、と言いました。さらに自分だけが読むには惜しいから皆に読ませたいと帝が言うので、まひろは是非にと返答しました。そして彰子も物語に興味を持ち、彰子が帝とのつながりを求めているのを感じていたので、彰子にも読んでもらえればこの上なき誉れと帝に伝えました。まひろと対面した帝が上機嫌で、さらに物語の続きを求めた様子を見て、道長はまひろに褒美を贈りました。道長が「これからもよろしく頼む。」と言って退室した後で褒美の箱を開けてみると、中には美しい装飾の特製の扇が入っていました。そしてそこに描かれたものは、幼き日にまひろと道長が初めて出会った川原でのあの日の出来事でした。あの時の少年はいつしか公卿たちの中心となる大人物になっていたけど、道長が約30年前のあの時のことをいつまでも忘れずにいてくれることに、まひろは思わず胸が熱くなりました。平維衡の国守の件を一旦はやむなく認めた藤原道長(柄本佑さん)でしたが、後で改まって帝に進言して、速やかに交代させることにしました。道長は、今は寺や神社でさえ武具を揃えて武力で土地を取り合う世となりつつある、さらに国守が同様のことをするようになるとやがては朝廷をないがしろにする者も出てくることを帝に説き、そうならぬように政をしてほしいと訴えました。しかし世の動きは道長の想像以上に早いものでした。大和の国の興福寺の別当である定澄(赤星昇一郎さん)が武器を持った3000人の僧たちを引き連れて上京し、道長の屋敷に直訴に来ました。定澄は、自分たちの訴えを直ちに陣定にかけて欲しい、それがならぬ時は木幡山(京都の南の伏見)に待機している僧たちがこの屋敷を取り囲んで焼き払う、と道長を脅しました。
September 4, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。いよいよまひろ(吉高由里子さん)が中宮・藤原彰子(見上愛さん)の女房となり、宮仕えが始まったこの回でしたが、個人的にいちばん心に残ったのは、内裏が火事になったときに帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が彰子の手を取って一緒に逃げるシーンでした。彰子は打てば響くような返答をする女子ではなく、それどころか弟の頼通からも、ぼんやりした姉上と言われてしまうような女子です。ただ現代でも、男女問わず、ふだんは近くにいても気にも留めない、むしろ意識的に避けているような存在だけど、非常時にその人の意外な内面を知って急に意識する存在に変わった、ということはままあると思います。火事が起こって誰もが我先にと逃げるなか、帝の子(敦康親王)をまず逃がし、自分の安否が確認できるまで待っていた彰子に、帝は「落ちた」と思います。親(藤原道長;柄本佑さん)が藤壺に帝を呼び込もうとあれこれ画策していたけど、それは必要ありませんでした。彰子自身の力(人柄)で帝を引き寄せ、帝にとって形式的ではなく中宮・彰子は心から大事な人だと思わせた流れが見ていて心に残る回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘2年(1005)、帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は亡き中宮・定子が遺した脩子内親王(井上明香里ちゃん)の裳着が執り行われました。帝はこの儀式にいまだ公卿に復帰していない藤原伊周を脩子の伯父として儀式に参列させ、さらに伊周を大臣の下で大納言の上に座らせるよう命じたので、公卿たちは内心面白くありませんでした。この帝の伊周への待遇は、裳着で腰結をする左大臣・藤原道長(柄本佑さん)を牽制するためのものでした。脩子の裳着から数日後、道長は土御門殿で漢詩の会を催し、その折に定子の兄弟の藤原伊周と藤原隆家も招きました。会が終わった後で藤原斉信(金田哲さん)は伊周の態度をけなげだと評しましたが、藤原公任(町田啓太さん)は、あれは心の内とは裏腹だろうと考えていました。藤原行成(渡辺大知さん)も公任と同じ意見で、ただ帝がひいきする政敵の伊周を受け入れる道長の度量の広さに感心するのは3人とも同じ意見でした。しかし帝が伊周を重用したい気持ちはますます強くなっていき、伊周を陣定に復帰させたいから公卿たちを説き伏せるよう、道兼に強く要求しました。道長が帝にまひろ(吉高由里子さん)が書いた物語の感想を聞いたところ、帝は読むのを忘れていたと言い、道長はそれを気に入らなかったのだととらえました。そのことを伝えるために道長がまひろの家を訪れたところ、まひろは力が及ばなかったことを道長に詫びつつも、全く落胆していませんでした。まひろにとってその物語は帝のために書き始めたものだったけど、今では自分が書きたいと思うことを書き進めることだけが楽しみになっていたからでした。道長はそんなまひろを理解しつつも、楽しそうに一心に筆を進めるまひろを見て、自分が惚れた女はこのような女だったのかと、しみじみと感じました。少し前に藤原公任は辞表を出していて、帝は公任に翻意を促すため従二位に昇進させたのですが、これは藤原実資(秋山竜次さん)の考えた作戦でした。公任が実資に礼を言っていると藤原斉信がそこに来て、これはごね得ではないかと嫌味を言いました。実資は斉信の機嫌は気にせず、公任と二人で「(公任)従二位、(斉信)従二位、(自分は)正二位」と何度も言って、笑い合っていました。道長の娘で中宮の藤原彰子(見上愛さん)は、亡き定子が遺した敦康親王(池田旭陽くん)を自分のもとで養育していました。この日は道長が敦康のご機嫌伺いで遊び道具を持って藤壺を訪れ、敦康も遊びが気に入って楽しもうと思っていたのですが、突然の帝のお渡りがありました。敦康はちょうど書の稽古の時間で退席となり、道長も退席しようとしたところ、帝が道長を呼び止めました。まひろが書いた物語をようやく読んだ帝は、物語を書いた者のことが気になって、道長にその人物のことを訊ねました。道長がまひろのことを説明すると帝もおぼろげながら記憶にあり、物語に感じる書き手の博学ぶりをたいそう評価していました。帝が物語の続きを読みたい、その後で書き手の女に会ってみたいと所望したので、道長はすぐにまひろの家に向かいました。まひろの家に着いた道長はやにわに「中宮の女房にならぬか」とまひろに言いだし、まひろはわけがわかりませんでした。その後で道長は順を追って、帝があの物語に興味を持って続きを読みたいと所望した、帝は博学なまひろ自身にも興味を持っている、なにより(道長の娘)中宮・彰子のために宮仕えをしてほしい、と要望しました。道長はまひろは帝を藤壺に呼ぶためのおとりだと包み隠さずに言い、娘の賢子と離れたくなければ女童として召し抱える、と言い去っていきました。道長は嫡妻の源倫子(黒木華さん)にまひろのことを話し、道長の考えに倫子も賛成し、夫婦で共に「これが最後の賭け」と腹をくくりました。(一時は彰子のことで関係がギクシャクした二人でしたが、今回は彰子のことで考えが一致し、再び協力体制になりました。)道長から言われた宮仕えの件をどうしたらいいか、まひろは父・藤原為時(岸谷五朗さん)に相談しました。まひろの中では、もう自分が藤壺に上がって働くしかないと考えがまとまっていて、そのことに対しては為時はまだまだ自分だって働けると言いました。しかしまひろが帝の覚えがめでたいというのは悪いことではないと言いました。それでもまひろは賢子のことが気がかりでした。娘・まひろの思いを察した為時は、賢子は宮中ではやっていけない、自分といとが面倒をみる、母を誇りに思う娘に育てるから任せておけ、とまひろに助言しました。しかし賢子は母の事情を簡単には納得できませんでした。(子供の直感で、母は仕方なく働くというより、仕事をしたくてたまらないのだと賢子は感じたと思います。)秋になり、道長のもとに陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)が危篤という報が入り、道長は急いで見舞いに駆けつけました。晴明は道長に、ようやく光を手に入れられた、これで中宮も盤石、いずれ道長の家から帝も中宮も関白も出る、父・兼家の願いを成し得る、と言いました。しかし続けて、光が強ければ闇が濃くなるからそれだけは忘れないようにと道長に念を押しました。そして「呪詛も祈祷も人の心のありようだから、陰陽師の自分が何もしなくても人の心は勝手に震える。」と忠言しました。最後に晴明は、何も恐れず思いのままにやればいいと道長に助言、晴明との今生の別れを悟った道長は「長い間、世話になった。」と言葉を送り、去っていきました。その後、晴明は自らの予言どおり、この世での命を終えました。一方、伊周を重用したい帝は伊周を陣定に召し出す宣旨を下し、このことは他の公卿たちの大きな反発を招き、何か不吉なことが起きるのではと皆で噂しました。その夜、皆既月食が起き、人々は闇を恐れて内裏は静まり返りました。そして月食が終わる頃、温明殿と稜綺殿の間から火の手があがり、火は瞬く間に内裏に燃え広がっていきました。誰もが逃げ惑う中、帝は我が子・敦康親王の安否が気がかりで、炎の中を中宮・彰子がいる藤壺に駆けつけました。するとそこには彰子だけが立っていて、敦康はもう逃がした、自分は帝の安否が心配でここで待っていた、と帝に言いました。火の手が回って一刻の猶予もない中、帝は彰子の手を取り、彰子をいたわりつつ炎の内裏から共に逃げていきました。翌朝、火事は鎮火したのですが、災いを恐れる人々は内裏への出仕を嫌がり、帝の傍にいるべき蔵人たちや中宮の傍にいるべき女房たちはいませんでした。東宮の居貞親王は「月食の夜の火事は帝の政に対する天の怒り、天が帝に退位を促している」と捉え、道長は反論しますが居貞親王は自分の考えに間違いないと思い込んでいました。その道長は中宮を救ってくれたことの礼を帝に何度も言うので帝はうるさく思い、また伊周は伊周で自分こそが帝の忠臣であると帝に強く訴え、帝はうるさい臣下たちに疲れてしまいました。そして行成が敦康親王の別当として道長に進言していたとき、藤原隆家(竜星涼さん)が突然やってきて話に割り込み、道長への忠義を熱く語り始めました。行成はそれを隆家が道長を取り込むための方便だろうと言うので隆家は思わずカッとなり、危うく殴り合いになるところでした。道長に下がるよう命じられた行成は、強い腹立ちを隠せませんでした。年が明け、いよいよまひろが宮仕えに出立する日がきました。父・為時は、帝に認められて中宮に仕えるまひろは我が家の誇りであると言い、まひろは賢子のことを父といとに頼みました。「身の丈のありったけを尽くして素晴らしい物語を書き、帝と中宮様のお役に立てるように。お前が・・女子であってよかった。」幼い頃から幾度となく「男子であったら」と父に言われてきたまひろにとって、初めて女子であることを良かったと言ってもらえた瞬間でした。そして内裏に入ったまひろを待っていたのは、いかにも気位が高くて気難しいのがわかる先輩女房たちでした。
August 27, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。今年の新年から『源氏物語』を題材にしてスタートしたこのドラマが、8月の後半でようやく「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ たまひけるなかに」 が出てきました。しかもドラマのラストで、まさに キタ━━d(。>∀
August 21, 2024
先月の末、大阪に住む姪っ子が子供たちを連れてこちらに帰省していました。姪っ子たちは年に2・3回こちらに来るのだけど、互いの都合でなかなか会うことはできませんでした。でも今回はなんとか都合を合わせられたので皆で一緒にどこかへ行こうということに。そこで私が午前中の仕事を終えてから駅で合流し、私の車で移動して県営名古屋空港のところにある あいち航空ミュージアム に行ってきました。合流して、まずは隣接するエアポートウオーク名古屋のフードコートで食事を。食後は建物がつながっている2階からあいち航空ミュージアムに入りました。中にはいるとまず、航空史に名を残した100機の模型が1/25スケールで精密に作られたものが展示されています。こちらはジャンボ機で、ケース外の展示です。これも1/25スケールです。2階から下を見たら、ブルーの色がきれいな大きいヘリコプターがありました。子供たちの父親は警察官なので、先頭の警察マークを見つけてテンション急上昇♪航空機のエンジンその他、各種部品の紹介です。展示されているヘリコプターの各部の名称の説明板もあります。現・三菱重工業株式会社の小牧南工場で開発され、昭和53年に名古屋空港で初飛行したビジネスジェット機のMU-300です。私たちが行ったときは機内を見学できませんでしたが、ステップがあるということは、曜日や時間によっては見学できるのかな?先ほど2階から眺めた、警視庁が使っていた多用途ヘリコプターEH-101です。こちらは随時、機内を見学できるようです。航空自衛隊でアクロバット飛行をする中等練習機T-4。大人から子供まで大人気のブルーインパルスなので、展示されているのを子供たちもすぐに見つけ、顔出しパネルで記念写真を撮りました。この後、子供たちは夏休みの宿題も兼ねて、2階のサイエンスラボでの工作教室に入ったので、私は30分間、館内をゆっくりと見て回りました。こちらは中型輸送機のYSー11で、昭和37年8月から飛行を開始しました。平成18年に退役しましたが、自衛隊では現在も働いています。こちらは零戦の実物大模型です。2013年に公開された映画『永遠の0』の撮影にも使用されたとありました。この後、工作教室が終わった皆と合流し、お土産屋さんで買い物を。それから帰ろうと思ったのですが、子供たちがエアポートウオーク内で見たある場所に「どうしても行きたい!」と。彼らが一番気に入ったのは、結局エアポートウオーク3階にあるウルトラアスレチック(有料)のコーナーでした。今回は時間の都合もあったので、遊んだは30分コースで。もっとアスレチックで遊びたかっただろうけど、それはまた次回のお楽しみということでヨロシク。
August 13, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。今回は全体的に、前回よりも「母」としての在り方や生き方を、登場人物を通して見ていました。中宮であり、帝の子を養育までしているのに、目の前にいても帝の気を引くことができない娘の彰子をなんとかしなければと心を砕くあまり、源倫子(黒木華さん)はやや暴走気味になってしまいました。一方、まひろ(吉高由里子さん)は娘の賢子(福元愛悠ちゃん)の教育や自分が集中したい執筆活動では賢子とうまく波長が合わず、悩みの種になっていました。ただまひろ自身は、幼い頃から母(ちやは)から学問を厳しく言われていたわけではなく、学問好きなまひろは自ら進んで学んでいました。また今行っている執筆活動も、ある部分は生活のためでもあるけど、ほとんどは自分が好きで物語を書いているに過ぎないし、母・ちやはとは突然の別れがくるまでは、母は常に自分の傍にいる存在だったでしょう。だから学問を好まない娘・賢子の気持ちや、母が家にいても傍にいられない賢子の気持ちは、反対の生き方をしてきたまひろにはわからないことだと思います。賢子が起こした火事騒ぎで、まひろは自分の気持ちをどう処理したらいいのか、ずっと考えていたようでした。ただ思ったのですが、賢子が今まで書きためたものを燃やしてしまったが故に、まひろは逆にイチから構想を練り直して新しい物語を書き始め、もしかしたらそれが『源氏物語』になるのではないかと。今までの努力がある事で台無しになった。でもそれ故に、いっそのこと全部やり直すことになり、それが想定外に評判となった。そんな『塞翁が馬』のような展開になるのでは?とこの先を想像しています。RekiShock(レキショック)先生の情報です干ばつが起こった頃(1004年7月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘元年(1004)夏、都は大干ばつに襲われ、大地は干上がって作物は育たず、わずかな水を求めて人々が奪い合いをする有様でした。人々はこのまま日照りが続けば渇き死にをするだろうと覚悟し、僧侶だけでなく民も天に向かって雨乞いをしましたが、雨は一向に降りませんでした。事態の深刻さを憂いた左大臣・藤原道長は陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に、自分の寿命10年分と引き換えに雨乞いの祈祷を頼みました。83歳の晴明にとって命がけとなる祈祷が功を奏したのか、都の空に急に黒雲がわきだして、ようやく大雨が降り始めました。人々は歓喜の声をあげ、桶や甕を手に手に外に出て雨水を集め始めました。雨は渇ききった大地と人々の体にどんどんしみ込んでいきました。*晴明神社さんより資料が出ています1004(寛弘元)年、晴明公は干ばつを回避すべく雨降らしの儀式『五龍祭』を行い、見事大雨を降らせた。晴明公はこの功績で朝廷から従四位下という陰陽師として異例の位を褒美として頂戴した。 ⇒ ⇒ こちら この頃、ききょう(清少納言)が藤原伊周(三浦翔平さん)に託して本となった『枕草子』が宮中で評判となり、貴族たちの間で広まっていきました。ききょうが亡き中宮・定子がいた頃の輝かしい日々をつづったこの本を読むと帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は定子がそこにいるような気持ちになるとたいそう喜び、定子の兄で一族の権勢を取り戻したい伊周は、帝が定子だけを思い続けるように何かとけしかけていました。定子の弟の藤原隆家(竜星涼さん)は兄のやることと帝の様子を見ていましたが、賛同する気にはなれませんでした。一方、まひろ(吉高由里子さん)は、藤原公任の妻・敏子(柳生みゆさん)のいる四条宮で、6日に一度、女房たちに和歌を教えていました。まひろが和歌の心得や意味を説いていると、暑くてたまらないからと薄着をしたあかね(後の和泉式部;泉里香さん)が入ってきました。敏子はあかねの姿をはしたないとたしなめますが、敦道親王と恋仲で思うままに生きるあかねは気にしてませんでした。またあかねは親王からもらったという『枕草子』の写本をまひろに見せ、宮中で評判ではあるけど自分は好きではないと、率直な感想も述べました。すると敏子が続けて、まひろが書く物語のほうが面白いと言ってくれ、その後はあかねも交えて学びの会が続けられました。姉の定子を今でも強く思う帝に取り入って家の再興を図ろうとする兄・伊周とは違って、弟の隆家は左大臣・藤原道長(柄本佑さん)に付くと決めていました。隆家は時折り道長のもとにふらりとやってきて自分の思うところをあれこれと話し、帝に対しても姉との過去よりも未来を見て欲しいと考えていました。隆家に対して多少の警戒心を持つ藤原行成(渡辺大知さん)は道長に、隆家をあまり信じないほうがよいと進言します。でも道長は、疑心暗鬼は人の目を曇らせる、とほとんど気にしてませんでした。(後世の歴史を知っている私たちは、隆家がやがて大活躍をして道長を助ける、とわかっているから落ち着いて視聴できます。でもそうじゃなかったら行成と同じく、隆家に疑いを持ってしまうかもしれませんね。)帝は亡き定子が遺した敦康親王(池田旭陽くん)を養育する中宮・藤原彰子(見上愛さん)のいる藤壺を時折り訪ねてはいましたが、定子のことしか頭にない帝は我が子の敦康と遊んで成長を見守るだけで、現・后である彰子のほうはほとんど見ようとしませんでした。源倫子(黒木華さん)は娘の彰子がいつも寂しそうで不憫でなりませんでした。(でも、幼い頃から母代わりとなって自分を育ててくれた人(彰子)への思いは敦康の中で特別なものになっていると想像します。なので後でこの敦康が彰子のために何かしてくれそうな予感がします。)ある日、まひろが四条宮での勉強会を終えて帰ろうとすると、あかねが半ベソをかきながらフラフラと廊下の向こうから歩いてきて、酒に酔ってもう倒れそうだったので、とりあえず場所を移して座らせました。あかねが親王と喧嘩でもしたのかと思ったら実はそうで、親王が自分の浮気を疑ったとか、あかねの痴話喧嘩の愚痴をまひろは聞いてやっていました。でもあかねの話を聞いていると、思うままに行動して思うままに自分を語れるあかねが、まひろはどこか羨ましくなりました。さて、左大臣・道長の嫡男・藤原頼通(大野遥斗くん)の教育係の仕事を最初は断った藤原為時(岸谷五朗さん)でしたが、後で娘のまひろに叱られ、家人を養っていくためにも有難く引き受けることになりました。頼通は名門の子弟らしい、賢さに加え師の教えに素直に従い真面目に努力する生徒で、為時もその聡明さを絶賛し、道長も上機嫌でした。そんな時、妻の倫子が帝に謁見した際に、どうか彰子のことを帝から気にかけてやって欲しいと直訴してしまいました。予想外の倫子の行動に道長は驚き、後で倫子をたしなめました。でも「ただ待っているよりはいい」というのが倫子の考えで、道長と倫子の間に溝ができてしまいました。(「ただ待つのではなく自分から」ーーこれは倫子が道長と最初に結ばれたときもそうでしたね。)『枕草子』が宮中で話題になっていることもあって帝の気持ちは亡き定子から離れない、娘の中宮・彰子は帝に一向に振り向いてもらえない、妻の倫子とも夫婦仲がおかしくなって、道長はたまらず陰陽師の晴明に相談しました。晴明は、今の道長は確かに闇の中、でも待って闇を乗り越えれば、いずれ必ず煌々と光が道長を照らす、と言いました。そして道長の顔を見て、今心の中に浮かんでいる人に会いに行け、それこそが道長を照らす光になる、と言いました。ある時の宴にて、道長は若い頃から学問や芸事を競い合い、宮中での仕事を共にしてきた藤原公任(町田啓太さん)、藤原斉信(金田哲さん)、藤原行成らと久しぶりに互いに思うことを語り合う場がありました。昔から道長を見ている3人は、道長が公卿の最高位の左大臣となって娘を中宮にした今でも、思いのほか苦労をしていることを察していました。そこで事態をなんとか打破するために、行成が帝が好む書物があればと言うと、道長はそのような書物を書く者がいるのかと。すると公任が、自分の妻・敏子が行う学びの会で面白い物語を書く女がいると言い、それは(実は道長の思い人の)まひろのことでした。物語を書くようになってからというもの、まひろは執筆に集中しているときは娘の賢子(福元愛悠ちゃん)が何か要求してもすぐに応じられず「後でね」と言うことが多くなりました。母との時間が過ごせず面白くない苛立ちが募った賢子はある晩、母が席を外した隙に母が書いている書に火をつけ、火事騒ぎを起こしてしまいました。火をつけるなど人のやることではない!とまひろは賢子を厳しく𠮟りつけました。傍らで(自分を甘やかす)祖父・為時がかばってくれるけど、母の真剣な怒りに賢子は悪い事をしてしまったと悟り、泣きながら謝りました。翌日、まひろは物語を書き直していましたが、昨夜の衝撃があまりにも大きくて執筆に集中できませんでした。そんな時に道長がまひろの家まで自ら足を運んで訪ねてきました。
August 6, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回はサブタイトルは「母として」でありますが、私は子役たちの頑張りに注目していました。道長の嫡妻・源倫子の嫡男の田鶴を演じる三浦綺羅くんと、妾・源明子の嫡男の巌を演じる渡邉斗翔くん二人の童舞の競演は、きらびやかな装束も相まって、それは美しくて見事なものでした。二人ともこのシーンのために、舞の稽古をいっぱい重ねたでしょうね。特に帝や公卿たちを感嘆させる巌の役の渡邉くんは、どれだけ稽古を積んだのかと思ってしまいます。また伊周の嫡男・松を演じる小野桜介くんは、舞は少しだったけど唄も入っていました。3人とも11~12歳の少年たちです。ふだんの生活ではまずすることがないであろう舞をよく頑張ったと思います。ちなみに三浦綺羅くん、どこかで名前を聞いたことがあるなと思ったら、昨年の『どうする家康』で、織田信長の少年時代を演じていました。そして幼児組では、まひろの子・賢子を演じる永井花奈ちゃんと帝の子の敦康親王を演じる髙橋誠くんの、二人ともたぶん意味をわかってやっていないであろう演技に驚きました。花奈ちゃんが、まひろの読む漢詩に興味がなくて動き回ったり、道長の使者の百舌彦が来ているときに大人の間を走り回ったりするのは、「さあ、走っておいで~」とか言われていたのでしょうか。あるいは誠くんが彰子の膝にちょこんと座ったときは、何かの合図で「あのお姉ちゃんのお膝に座っておいで」とか言われていたのでしょうか。この幼子たちにどうやって演技させていたのか、私はドラマの内容よりもそちらが気になっていました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長保3年(1001)正月、天皇に屠蘇などの薬を献じて一年の無病息災を祝う儀式が行われ、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)はその行事において大層名誉な役割を担い、上機嫌で妾のまひろ(吉高由里子さん)のところに帰ってきました。宣孝は帝(一条天皇)の様子など宮中でのことを話してくれるのですが、娘の賢子(永井花奈ちゃん)の実父である左大臣・道長の話題になると、まひろも受け止め方に少し戸惑う部分もありました。そして宮中行事の後、除目の前に各国の国司たちの働きを評定する受領功過定が行われるのですが、まひろの父・藤原為時は越前での働きが足りないと評価され、次の任官はならず再び無職となりました。そんな折に他界した中宮・定子に仕えていたききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が喪に服したままの姿でまひろの家を訪ねてきました。ききょうはあれから定子の遺した2人の内親王を世話しながら、定子がいた頃のキラキラと輝いていた日々が後世に語り継がれるよう、草子を進めていました。まひろはそれを興味深く読んでいましたが、ただその草子の中には定子の影の部分がないことを少し物足りなく思いました。まひろが正直に感想を伝えると、ききょうは定子に影などないときっぱりと言い、影があったとしても書いて残す気はないと強く言いました。さらにききょうは、定子を追いやって命を奪うこととなった左大臣・藤原道長を許さないとまで言い、ききょうのあまりに激しい道長への憎悪に、夫・宣孝を通じて道長から恩恵を受けているまひろは戸惑いを隠せませんでした。そして夜遅くに宣孝が帰宅し、宣孝から父・為時の越前での次の任官がなかったことを聞かされ、まひろも一瞬はこの先どうなるのかと思いました。でも為時と遠い親戚で古くから交流のある宣孝は、為時の次の任官が決まるまで自分がこの家の面倒をみると言ってくれました。まひろが宣孝にしみじみと礼を言うと宣孝は「強気でおれ!」と励ましてくれ、一時は関係のこじれた宣孝でした、今は宣孝の愛情と力を信じることができて、まひろは安心して賢子と日々を過ごせると思っていました。しかし翌朝、宣孝は国司を務める山城国府に出かけたままそれきりまひろの元に戻ることはなく、まひろは後日、宣孝の北の方(嫡妻)の使者を迎えました。使者によると宣孝は4月25日に急病で他界、北の方が弔いの儀の済ませたとのことで、突然のことにまひろはただ茫然とするばかりでした。ただまひろに仕える者たちにとっては、家の主・為時は無官、殿・宣孝は他界でこのままこの家で仕えていてもいいのかという問題であり、賢子の乳母のあさは早々に暇をとって出ていってしまいました。そんな中、まひろの身を案じた道長は従者の百舌彦(本多力さん)をまひろの家に遣わし、父・為時を自分の嫡男・田鶴の漢文の師に迎えると伝えました。左大臣家のお抱えの指南役で好条件、という願ってもない話でした。でも為時はそれを辞退してしまい、自分の信念の為に暮らしを考えない為時に、百舌彦とまひろは半分怒り半分呆れてしまいました。さて道長の長女・藤原彰子(見上愛さん)は帝に入内して中宮となったものの、帝が彰子のところに来ることはほとんどなく、寂しい生活をしていました。彰子を案じる母の源倫子(黒木華さん)は彰子のいる藤壺が華やぐよう道具を選んで毎日運び、彰子の様子を見守っていました。夫・道長から藤壺に通い過ぎではと注意されると、彰子の在所が華やぐように知恵を絞っているのは自分だと倫子は反論、道長もそれを認めて謝りました。(倫子さま、自身も気が強いけど実家も強いから、道長に反論できるのですね)またこの頃、帝の母で女院の藤原詮子は病が重くなり、先の事を考えた詮子は弟の道長に、亡き定子の忘れ形見の敦康親王を中宮・彰子に養育させて人質にするように言い、道長は最初はそれを拒みましたが、姉・詮子の病を押しての考えを受け入れ、帝にそれを認めさせました。間もなく敦康親王は道長の後見を受けて彰子と藤壺で暮らし始めたのですが、彰子と会ったその日から彰子になついて皆も内心は驚いていました。(彰子は引っ込み思案だけど優しい子で、長女だから小さい弟妹たちに慣れているというのもあるでしょうね)家の再興を強く願う藤原伊周(三浦翔平さん)は嫡男の松の舞が思うように上達しないことに苛立ち、松に厳しく当たっていました。(伊周は自分が学問も芸事も武芸もなんでも人並以上にできた人だから、我が子のできが悪いと余計に苛立つでしょうね。)藤原隆家(竜星涼さん)はそんな兄を見て、気持ちはわかるが左大臣の権勢はもはや揺るがない、内裏に官職を得るまではおとなしくしているほうがいいと意見しますが、伊周は自分の考えを変える気はありませんでした。そこに清少納言(ききょう)が、伊周に頼みがあるとやってきました。ききょうは書の束を伊周に差し出し、亡き中宮・定子が輝いていたあの時代のことを書き連ねたこれを宮中に広めて欲しいと願い出ました。ききょうの文才を認める伊周は、自分がなんとかすると約束しました。10月9日、女院・詮子の40歳を祝う四十の賀が左大臣・道長の主催により華やかに行われ、その折に道長の嫡妻・倫子の子の田鶴(三浦綺羅くん)と、妾の源明子の子の巌(渡邉斗翔くん)が童舞を披露することになりました。(二人とも化粧をして衣装を整えると、綺麗になりますね。)先に舞った田鶴は緊張しながらもなんとか無難に演目をこなしました。でも後から待った巌の舞はそれは見事なもので、公卿たちの評判も上々で、母の明子も自信をもって我が子を見守っていました。巌の舞に感銘を受けた帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は藤原顕光を呼びよせて言伝し、顕光の口から巌の舞の師に従五位下を授けると発表がありました。巌の舞の師は思いもよらない帝からの下賜にただただ恐縮していました。ところがその直後、女院・藤原詮子(吉田羊さん)の容態が急変しました。母を案じて介抱しようとする帝を、詮子は苦しみあえぎながら帝が穢れるからと傍に寄せないようにしていました。詮子は病が重くなる一方なのに薬湯を拒否し続け、己の死期が近いことを悟った時に弟の藤原道長(柄本佑さん)に、伊周の位を元に戻すよう頼みました。それは伊周の怨念が我が子の帝と孫の敦康親王に及ばないように、という詮子の願いからでした。ところがその伊周の怨念はすべて道長に向かっていて、この頃の伊周は実は陰で道長を連日のように呪詛し続けていたのでした。詮子の願いで位が戻り、再び帝の御前に出ることができるようになった伊周は早速、ききょうが書き留めたものを製本して帝に差し出しました。亡き最愛の中宮・定子の思い出がつまった草子だと聞いた帝はそれだけで胸がいっぱいになり、草子を愛おしそうに手にとっていました。そしてそれは伊周の狙い通りの展開でした。日々、娘の賢子の成長を見守っているまひろは、賢子は漢文にはほとんど興味を示さないのに、かぐや姫の物語は興味を持って聞いていたことに気が付きました。そこでまひろは、今度は何か物語を書いてみようと思い立ち筆をとりました。この家で長く仕え、まひろを子供のころから見ているいと(信川清順さん)は、まひろを静かに見守っていました。
July 31, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。今回の見どころは何と言っても、蔵人頭の藤原行成(渡辺大知さん)が彰子の立后を決断できない帝に対して、力強く進言した場面でした。ふだんの行成は帝(一条天皇;塩野瑛久さん)にはもちろんのこと、若い頃から共に過ごしてきた藤原道長(柄本佑さん)にも自分の考えをほとんど言うことはなく、帝と道長の間で板挟みになってます。そんな行成が意を決して、道長の意向ではあるけれど自分の考えを帝にはっきりと述べたというのは、言われた帝にはなかなか衝撃的なことだったでしょう。苦渋の中でようやく彰子の立后を決断できました。行成の大きな働きだったと思います。あともう一つ興味深かったのは、入内した道長の長女・藤原彰子(見上愛さん)のところに帝が突然渡ってきたときのやり取りでした。帝なりに彰子と打ち解けようと自分のほうを見てくれと言ったら、返ってきた答えは「笛は聴くもので見るものではない」と。色香も機知も何もない生真面目過ぎる返答でした。そして中宮の件を訊ねられたら、彰子はただ「仰せのままに」と小声で答えるだけでした。でも彰子がありのままの自分を出したことで、逆に帝の関心を引くことになりました。この後、帝の心をとらえて、彰子を愛しく思う何か決定的なことが起こるでしょう。どんな展開になるのか楽しみです。さてこちらは、RekiShock(レキショック)先生の情報です一帝二后が実現した頃(1000年2月頃)登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長保元年(999)11月、藤原道長は娘の彰子を入内させて帝(一条天皇)の女御にしたものの、帝が愛するのは中宮・定子だけであり、また彰子も帝を魅了するような女人ではなかったので、彰子に力を持たせるためにも道長は、彰子を定子と並び立つ中宮にしようと考えました。道長は「一帝二后」を自分の姉であり帝の母である女院・藤原詮子(吉田羊さん)に相談し、詮子にも力添えを頼みました。そして道長の嫡妻・源倫子(黒木華さん)も帝の心をなんとか彰子に向けるために、帝の好みを詮子に訊ねたりしていました。詮子が逆に倫子に、自分の子供たちの好みは知っているのかと訪ねると、詮子は思いつくまま次々と子供たちの好みや得意を答えていきました。その姿を見て詮子は、我が子を立派な帝にするためにとはいえ、自分の考えを押し付けてきたのだと、心に思うところがありました。藤原彰子(見上愛さん)が帝の心をとらえる女人になるために、倫子はかつて自分の教育係だった赤染衛門を彰子の教育係に頼んでいました。ある日、帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が突然、彰子がいる藤壺に渡ってきました。帝は彰子を気遣いいくつか言葉をかけますが、帝の言葉に気の利いた返答ができずに小声で「はい」としか言わない彰子を衛門は心配そうに見ていました。そして帝が笛の音を彰子に聴かせると、彰子はなぜか視線をそらして顔を少し横にして聴き、帝は途中で演奏をやめてそのことを問いました。すると彰子は「笛は聴くもので見るものではない」と。あまりに色香のない返答だけど帝は妙に感心しつつ、同時に彰子に中宮になりたいのかと問いました。でも彰子は「仰せのままに」と答えるだけで、自分の意思がないその姿がかつての自分と重なった帝は、どこか彰子に関心を持つようになりました。左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は娘の彰子を中宮にするために、蔵人頭として帝の傍に仕える藤原行成(渡辺大知さん)にも協力を頼んでいました。道長の期待通りに帝は動かなくて行成は板挟み状態で大変だけど、行成は頑張って両者の間を取り持っていました。そして帝が彰子を中宮にしてもいいと言ったことを道長に伝えると、道長は行成の働きに深く礼を言いました。そして四条宮で共に学んでいた若い頃から自分にさりげなく力を貸してくれていた行成に「今日までの恩を決して忘れぬ。行成の立身出世はもちろん俺が、行成の子らの立身は俺の子らが請け負う。」と約束しました。しかしその直後、道長は体の具合が悪くなり倒れこんでしまいましたが、行成に他言しないように頼みました。年が明けて長保2年(1000)、道長は彰子が中宮に立后するのに良い日取りを陰陽師の安倍晴明に訊ねると、晴明は即座に2月25日と答えました。しかし帝はまだ迷っていて正式な詔を出せないままで、帝は行成を召して彰子の立后のことは他言しないよう、定子が傷つくと思いを伝えました。それを聞いた行成は意を決して帝に進言しました。「帝は一天万乗の君。下々の者と同じ心持ちで妻を思うなどあってはならない。大原野社の祭祀は代々、藤原より出た皇后が神事を務めるん習わし。定子が出家して以降、神事を務める后がいない。なすべき神事がなされぬのは神への非礼。このところの天変地異は神の祟りでは。左大臣・道長もそのことを憂えて姫を奉った。ここは一刻も早く彰子を中宮にして神事を第一にすべき。」行成の心からの進言は帝の心を動かし、彰子の立后を承諾しました。そして前代未聞のこの宣旨を聞いて反発する公卿は一人もいませんでした。さて、昨年末に女児を出産したまひろ(吉高由里子さん)ですが、赤子をあやしながら漢詩を読んで聞かせるなど、まひろらしい母となっていました。夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が宇佐八幡宮の務めから戻ってから子に名前をつけてもらうと決めていて、宣孝は子に「賢子」という名をつけました。他の妻との間には男子ばかり生まれた宣孝にとって、たとえこの赤子の父が道長であったとしても、初めて生まれた女児が可愛くて仕方がないようでした。(名づけを宣孝に任せて宣孝の顔を立てるまひろはナイスな選択だと思います。)この後で宣孝は馬2頭を献上して参内し、道長に帰京の報告と妻・まひろとの間に子ができたことを報告しました。ただ道長はその子が自分の子であることにすぐには気がつかないようでした。いよいよ彰子が立后を迎えるにあたり一旦内裏を退出した翌日、帝は最愛の中宮・藤原定子(高畑充希さん)と皇子たちを内裏に呼び入れ、口さがない女房たちの陰口を受けながら定子は内裏に入りました。その夜、帝は定子に彰子の立后のことを話して詫びましたが、定子は帝に自分こそ詫びなければと、衝動的に出家してしまったあの時のことを語りました。そして定子は自分と彰子は家のために入内した同じ立場であり「人の思いと行いは裏腹。彰子の見えているものだけが全てではない。」と言って、彰子を大事にするよう帝に思いを伝えました。そして長保2年2月25日、内裏では彰子の立后の儀が執り行われ、前例のない一帝二后の世が始まりました。藤原実資が祝詞を読み上げ、公卿たちが居並ぶ中で彰子は中宮になりました。(この時代の宮中の華やかな儀式や衣装が映像で見られるのは、歴史長編ドラマならでは醍醐味ですね。それにしても、男女共これだけ大勢の衣装を揃えて俳優さんたちに着付けしてロケして、すごい時間がかかったでしょうね。)彰子が中宮となったのを見届け、道長は妾の源明子(瀧内公美さん)のところに来ていたのですが、彰子のことが一段落した安堵感とそれまでの疲れがたまっていたからか、道長は明子の屋敷で倒れてしまいました。明子から連絡を受けて嫡妻の倫子は急ぎ道長の元に駆けつけたのですが、道長は意識のない状態でした。倫子も明子も共に道長のことを心から案じているのですが、互いに自分の思いの強さを示して張り合っていました。(ここでもし道長が目をさましたらトンデモナイことになりそうと思えるほど、倫子様と明子様は激しくマウントの火花を散らしていました。でも笑えた。)道長の意識は一向に戻らず、病状は瞬く間に宮内に広まりました。藤原道綱(上地雄輔さん)は道長の腹違いの兄だけど道長の事が心配でしかたがなくて、その不安な思いを、政治的にであっても道長の回復を強く願ってくれる藤原実資(秋山竜次さん)の言葉に同調して気を紛らわせていました。(内裏ではたとえ親子兄弟であっても相手の立場に応じて敬称をつけたり役職で呼ぶのですが、道綱は変わらず「道長」と。道綱は昔から政治は苦手で権力欲のない優しいお兄ちゃんだったから、変わってないところがホッとします。)その頃まひろはふだんと変わらず子育ての日々を送っていたのですが、そんな時に宣孝が血相を変えて家に入ってきて人払いをしました。まひろが何事かと思ったら「言うべきか迷ったが、左大臣(道長)が危篤だ」と知らせてくれました。宣孝は、できることは自分たちにはないがと言って、実の父が危篤となっている赤子とまひろの顔をじっと見つめ、話を終えたらすぐに立ち去っていきました。(宣孝にとってこの子は自分の出世の橋渡しとなってくれる子なので、もし万一道長がこのまま死んでしまったら、ということは一人のときには考えたでしょう。でもまひろの前に来たときは「まひろの想い人が、赤子の父が危ない」という純粋な気持ちだったと思います。)まひろは、今の自分には道長の看病も何もできない、とわかっています。だから道長が黄泉に旅立ってしまわないよう、ただ深く強く祈り続けました。まひろの祈りが届いたのか、道長は死の淵を脱して徐々に回復していきました。ところで中宮・定子ですが、この頃は3人目の子を宿していて食事が喉を通らず体調がすぐれない日々でした。定子を案じたききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)は麦で作った珍しい菓子を定子のために持ってきました。ききょうの心遣いが嬉しかった定子は、菓子の乗った和紙を半分切って、それに感謝の句を書いてききょうに渡しました。定子とききょうは互いにずっと傍にいたいと願い、二人は互いに笑い合いました。定子が心から笑うことができるのはききょうの前だけでした。そしてその年の暮れ、定子は姫皇子を出産すると同時に力尽き、そのまま帰らぬ人となってしまいました。妹の死は全て左大臣・道長のせいだと藤原伊周は荒れ狂い、伊周は道長に復讐してやると誓っていました。そして定子を心から愛した帝は、定子の死をただ悲しむばかりでした。
July 23, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回でなんといっても注目を集めたのは、まひろ(吉高由里子さん)の懐妊がわかった後の夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の言葉でした。あの時の藤原道長(柄本佑さん)の子を身ごもったとわかったまひろは宣孝に離縁を申し出ました。しかし宣孝は「誰の子でもかまわぬ。一緒に育てよう。まひろを失いたくない。」と言い、この言葉にネット民は感動して宣孝大絶賛になっていました。宣孝がまひろに求愛したときに、私はなんとなく、仮にまひろの子の父が道長であったとしてもこういう展開だろうと想像していました。宣孝自身も複数人の妻子がいるから。ただ私は、宣孝が「誰の子であろうと」と言いつつ「この子を大事にすれば自分も左大臣に大事にしてもらえる」という言葉に引っかかっていました。というのも、水害のときにまひろの家に集まった子供たちを汚らわしいと追い払っていたからです。もしこれが芸人だった直秀が生きていて、直秀の子だったら同じことを喜びながら言ったのか、あるいは宋人の周明の子だったら?とはなはだ疑問なのです。とはいえ、まひろも精神的に不安定な時だったから、子の父として後盾になってくれる宣孝の言葉は本当に嬉しかったでしょう。また宣孝の方もまひろだけを求める愛ではないけど、まひろを大事にするという思いは確かだから、まあこれでよかったのですが。感動した皆さま、こんな意見ですみません。私も若い頃ならたぶん感動ウルウルだっただろうけど、人生イロイロあって、つい深読みしてしまいます。さてこちらは、RekiShock(レキショック)先生の情報です彰子が入内した頃(999年11月頃)の登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長保元年(999)2月、石山寺に参拝に来たまひろ(吉高由里子さん)は偶然、かつての思い人で今は左大臣である藤原道長(柄本佑さん)と再会しました。はじめのほうこそぎこちない会話だったけど、だんだん昔のように打ち解けていき、まひろの越前での話や互いに現在を思いやる話など話は尽きませんでした。そして適度に切をつけて別れようとしたけど、互いに思いを止めることができずに、二人は再び求め合いました。ちなみに、この件に関して石山寺さんから苦情がきています(笑)「参籠所で添い寝しないでください」 ⇒ ⇒ こちら さらに追記で「今年の大河の平安貴族は石山寺を何だと・・」 ⇒ ⇒ こちら その頃、内裏では出家した中宮・定子が帝(一条天皇)の子を懐妊し、報を聞いた帝はこの上なく喜び、定子を守り抜くと誓っていました。しかし陰陽師の安倍晴明から中宮が産む子は皇子であると聞いている道長は安穏としていられず、娘の彰子をどのように入内させようか考えていました。一方で道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)は、この秋には入内するというのに女人としての華やかな艶が足りない娘の彰子に悩んでいました。そこで自分の教育係だった赤染衛門(凰稀かなめさん)に彰子が魅力ある女人になるよう教育を頼み、倫子も日々それとなく彰子の女人教育に励んだのですが、なかなか思うようにはうまくいきませんでした。春も過ぎた頃、仲違いをしてからしばらく顔を出さなかったまひろの夫の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が突然やってきました。宣孝はまひろに、この秋の重大なお役目をいただいたと近況報告をし、やっと宣孝が来るようになって安堵したまひろも気持ちよく宣孝に祝意を伝えました。ただその折に「まひろのおかげで(まひろの思い人だった)左大臣に自分も大事にされている」と意味ありげに言うので、まひろは複雑な気分になりました。その夜、宣孝が寝入っているときに眠れなかったまひろは、宣孝の寝ている様子を(医学知識がない故)微笑ましく日記にして書き留めていました。(その頃ネットでは、これは睡眠時無呼吸症候群ではないかと大騒ぎに)後日、気分が悪いといと(信川清順さん)に訴えるまひろの話を聞いて、いとはまひろが懐妊していることに気がつきました。さらに月の障りのない時期から、授かったのは2月で産まれるのは師走頃、そして2月の頃は夫・宣孝がまひろから遠のいていた時期だったので、この子は宣孝の子ではないとわかりました。つまりこの子は皆で2月に石山寺に参拝したときに情を交わした道長の子であるとまひろは気がつきました。いとはまひろに、このことは宣孝には黙っておこう、黙ったまま行けるところまで行って、その先はその時その時考えようとまひろに進言しました。とはいえ体調の状態から懐妊のことを隠しとおせるはずもなく、まひろは宣孝に、実は子ができた、今年の暮れに産まれるだろうと打ち明けました。宣孝は気持ちよく喜んでいましたが、すでの妻子がいる宣孝ならこれは自分の子ではないと気がついているだろう、このまま結婚生活を続けるのは不実であると考えたまひろは、宣孝に離縁を申し出ました。宣孝はまずまひろに夜更けに深刻な話をしないようたしなめ(コレ、夜中は人は精神的に不安定になるので大事です。ここは大人の経験値ですね)、さらに別れ話を続けるまひろに「この子が誰の子であっても自分の子だ。一緒に育てよう。」と優しく言いました。そう、宣孝はやはりまひろの懐妊は道長の子であるとわかっていたのです。「この子はわしに福を呼ぶ子やも」と宣孝はまひろのおなかを愛おしそうになで、「持ちつ持たれつ。お前を失いたくない。別れるなどと二度と申すな。」と言い、思いがけない宣孝の言葉にまひろは心から安堵したのでした。さて道長ですが、彰子の入内にあたりどれも立派な道具をそろえたのですが、あと少し何か物足りなくて考えていました。そして思いついたのが、屏風に公卿たちの歌を貼ったらどうかというものでした。そこで名だたる公卿たちに歌を頼み、それを藤原行成に清書してもらうことにし、藤原斉信や藤原公任らが自信作を持ってきました。中には藤原実資のように固辞した者もいましたが、逆に先帝の花山院から思いもよらず歌が贈られるということもありました。果たしてその屏風は道長の思惑通り、彰子の入内を公卿の多くが支持しているという証となり、道長の政に大きな意味を持つことになりました。11月1日、藤原彰子(見上愛さん)は入内し、その6日後に中宮・定子が帝の皇子を出産しました。定子も皇子も無事で健やかであると報を受けた帝は心から喜んでいました。ただ産まれたのが皇子であったことで、東宮の居貞親王(道長の甥でもある)は正直がっかりしていましたが、娘の彰子が入内した道長は強気でいました。◎こちらは石山寺さんの解説です「当時の高貴な人の出産は」 ⇒ ⇒ こちら その中宮・藤原定子(高畑充希さん)の兄・藤原伊周(三浦翔平さん)は、これで左大臣・道長も自分たちを無下にはできまいと強気になり、皇子が東宮になれば再び自分たちの世になると、華々しい未来を思い描いていました。でも弟の藤原隆家(竜星涼さん)は、この皇子が東宮になるということは帝が退位することであり、そうなると姉上(定子)の力が弱まることだから急がないほうがいいと、兄の意見に反対でした。定子は兄弟の対立を案じ、産後の力のでない声で二人をたしなめていました。定子が皇子を産んだことの祝意を伝えるために、女院・藤原詮子(吉田羊さん)は息子である帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の元に行きました。そして詮子は、いずれ東宮になる皇子だからしっかり育てなければと母として帝に進言したのですが、帝にはそれが重荷となる言葉でした。帝は自分の最愛の定子を幸せにできていないことで自分を責めていて、詮子がそれは定子の身内のせいであると言うと、帝は母にはっきりと反論しました。帝は母・詮子の言うままに進んできたことが内心では何より不満で、そのうえ愛する定子のことを悪く言われたことでついに怒りが爆発しました。「そういう母上から逃れたくて自分は中宮に救いを求めてのめり込んでいった。全ては母上のせいだ。」と声を荒げて母に言い返し、退席していきました。息子からの思いがけない言葉に、詮子は涙が止まりませんでした。(夫と不和でエネルギーを我が子に注いで過干渉になり、さらに自分は絶対に正しいと自負する母親にありがちな展開ですね。子供は我慢を重ねて親に従い、自立したら本当は自分はこうしたかったと爆発するパターンだと思います。)その日の夜、入内から間もない彰子は女御の宣下を受け、居並ぶ公卿たちの前でその披露目が盛大に執り行われました。ただ精神的にもまだ幼く口下手で気の利いた返事もできない彰子なので、帝は楽しく暮らすよう声をかけるだけでした。定子の出産と娘・彰子の女御宣下が同じ日になったことで、道長は自分の運のなさを安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に嘆いていました。でも晴明は、何の障りもないとはっきり言い、さらに彰子を中宮にするように道長に進言、道長はそれはあり得ぬと反論しますが、国家安寧のためにやってしまえばよいと言いきりました。一方まひろはそれからしばらくして姫(道長の子)を無事に出産しました。◎こちらは石山寺さんの解説です「まひろさんの出産では従者たちが・・」 ⇒ ⇒ こちら
July 16, 2024
昨日の日記の続きで、この前の日曜日に愛知県にある陸上自衛隊 春日井駐屯地の記念行事を見学してにきたときの画像です。訓練展示が終わった後は、自衛隊の装備品(車両)の展示で準備があるため、少し時間が空きました。観覧席の長椅子は炎天下にあるので、ここにそのまま座っていたら照り焼きになりそうです。なのでコンビニがある建物のほうに移動しました。建物の中は自衛隊グッズを買い物する人や、コンビニで食べ物を買って休憩する人であふれていました。(外は暑くてかなわないからみんな入ってきたと思う)座る場所が少ないのを見た春日井駐屯地の方が、廊下に椅子をたくさん運んできてくださいました。来場者に配慮してくださり、ありがとうございます。9時半から11時半まで、日よけのない場所にほんの2時間座っていだけで、半そでから先の両腕が真っ赤に日焼けしていました。私は暑さ対策で保冷剤を冷凍して発泡スチロールの箱にいくつか持っていていたので、休憩しながらそれで腕を冷やしていました。しばらく建物内で休憩し、元気が出たところで外に出て装備品の見学に行きました。陸上自衛隊の野外手術システムです。手術車・手術準備車・滅菌補給車で構成されています。コンテナ部に上がる階段は、コンテナの下に収納できるようになっています。またコンテナ部は外して地上に降ろして使うことができます。手術車の内部です。患者を守るために空調も整備されています。戦闘傷者の救命率を上げるために、初期外科手術や応急処置で使用します。野外手術システムの前を、ちょうど担架っが通っていきました。ストレッチャーのように4輪で安定はしていないけど、たぶん野外で使いやすいように作られていると思います。施設科の装備品の一つで、グレーダです。主な用途は整地だけど、ブレードを交換して除雪作業に使うこともあります。このまま公道を走って現場に行くこともあるし(最高速度;43km)、大型のトレーラーに積んで移動することもあるそうです。グレーダの運転席を見学させていただきました。何かのレバーが8本、足元のペダルが4つ、そしてパネルと、手も足も操作する部分が多過ぎて、私にはとても操作できません。陸上自衛隊の重レッカです。動けないトラックを吊り上げて救助します。車体重量は19.15tで、最大吊り上げ能力は10tとなっています。でも担当の自衛官の方に訊いたら、バランスの関係などで実際の吊り上げは3tくらいまでだそうです。帰る前に資料館を見学していきました。戦前の陸軍の資料や、災害派遣で活動する様子や国際貢献での活動の様子が写真などで紹介され、記念に贈呈された盾の展示もありました。今年の正月に起きた能登半島地震でも出動がありました。捜索、道路整備、そして生活支援で野外入浴セットの「尾張の湯」を提供し、「尾張の湯」は今も支援を続けています。被災者の方々から喜びと感謝のメッセージが書かれていました。いつも陰ながら日本と国民を守り、災害時には寄り添って助けてくださる自衛隊の皆さま、本当に感謝です。
July 11, 2024
7月7日の日曜日ですが、愛知県にある陸上自衛隊春日井駐屯地で、創立57周年の記念行事が行われ、一般の見学もできたので、行ってきました。この日は3日前から連日続いた猛暑日(感覚的には体温超え)に加え、頭上からのカンカン照りの太陽が朝から容赦なく照りつけ、屋根のない場所での見学は非常に厳しいものでした。でも自衛隊の駐屯地や基地は、一般人は年に1~2回しか入れない場所だし、なにより隊員の方々は連日の恐ろしい暑さの中で準備を進めてこられたのです。(観覧席の設置だけでも数日かかるのです)なので有難く見学させていただきました。駐屯地には9時頃着きました。荷物チェックを受けて中に入ります。一般の観覧席で場所を確保した後は、日差しがあまりにもキツクて座っていられないので、ちょっとぶらぶらと。こちらのテントでは銃の展示があり、これは12.7mm重機関銃です。脚なしで38.1kg あるので、運ぶときは分解して3人がかりだそうです。他には、84mm無反動砲、5.56mm機関銃などの展示がありました。来賓として参議院議員の佐藤正久氏がまずはじめに挨拶をされました。ご自身もかつては陸上自衛隊の自衛官で、隊員の気持ちがよくわかるので、自衛官の待遇改善などを自分も努力していると力強い挨拶でした。(実際、自衛官の方々は、老朽化した建物で暮らして風呂やトイレも多くが古いままで、エアコンも控えめなどいろいろ我慢をされているのです。)各部隊の観閲が始まり、春日井駐屯地にある車両が次々と入ってきました。観閲官は春日井駐屯地司令(第10後方支援連隊長も兼任)の荒川ゆかり氏(画面の左端で敬礼している方)です。災害派遣の映像でよく見かける土木の大型車両が続々と入ってきます。自然災害で道路がふさがれたときなど、一気に片づけていきます。(牽引してこの長さになって一般道を走って駆けつけるのですね)閲覧行進の間ずっと運動場?の中ほどで、名古屋の守山駐屯地に所属する第10音楽隊が、式典を盛り上げる演奏を続けていました。昨年春の記念行事では大雨で楽器がびしょ濡れになり、今年は真夏の炎天下での演奏で金管楽器とか熱かったのではと想像しています。閲覧行進のラストは、野外手術システムの車両でした。春日井駐屯地は後方支援の部隊で編制されています。(運動場に集合した隊員の方がなんか少ないと思ったら、この春の大編成で豊川駐屯地に移った方もいたとのことでした。)閲覧行進が終わった後、訓練展示に入るのですが、準備の間は第10音楽隊の演奏がありました。その間に何に、使うものなのかダンプカーが丸太を落としていきました。今までの年なら訓練展示で戦闘シーンが見られたのですが、今年は災害派遣での活動の様子を展示していました。大きな爪のついた車両(名前忘れたし検索してもわからず)で先ほどの丸太を向きを揃えて数本つかんでダンプカーの荷台へ。丸太を片付けた後は爪を地面に置いて待機です。地面に寝ている方は要救助者の役で、この後は自衛隊の救急車が入ってきました。車が津波に流されたという想定で、車両をトラックの荷台に乗せています。訓練展示はこれで終わってしまい正直物足りない感じはありましたが、春日井駐屯地からは能登での災害派遣もまだ続いています。隊員の皆さまに必要以上の負担をかけてはいけないし、なによりこの恐ろしい炎天下だから、これでよかったということに。
July 10, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は2つの場面が気になりました。1つは、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の一の姫の彰子(見上愛さん)の入内をめぐって、道長は周囲の人々からさまざまな意見を聞くことになりました。この彰子はいかにも不器用そうなおとなしい姫君で、運命の皮肉というか、その地位に一番ふさわしくないと皆が思ってしまう人がそこに就いてしまう、ということは現代でもあるかと思います。この先、本人に資質がなく崩れていくのか、あるいは予想外に見事な働きをするのか。まあ史実で良い方に展開していくとわかっているので彰子に関しては安心ですが。また道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)は、はじめのほうこそ彰子の入内に大反対をしていたけど、母から意見されて考え、気がつけば倫子の中では彰子は入内することになっていて、そして頼りない娘が帝の后の地位にふさわしくなるよう陰で支える決意をします。大人物(道長)を支える妻(倫子)は、本気になったら揺らがない強さがありますね。2つ目、まひろ(吉高由里子さん)の結婚生活について。藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の強い求愛を受けて結婚して、はじめのうちはうまくいっていたようでした。でも何かの出来事をきっかけに、特に非常事態があると、相手の見方が大きく変わることもあるのですよね。貧しい子供たちを汚らわしいと嫌う姿は、下々にも優しかった道長とは正反対であり、文を平気で他人に見せるなどデリカシーもなければ反省もない。まひろの中で宣孝に対して少しずつ違和感が出てきます。宣孝はまひろに「甘えてこい」と言いますが、そもそもまひろのように貧しい子供たちに施しをしたり、男からの高価なプレゼントに考えをめぐらして単純に喜ばない女は、男が喜ぶ甘え方はできないと思います。(華美に身を飾ることが好きな女は、甘えて宣孝好みの女になっていくと思います。否、あるいは珍しい書物でも手に入れて贈ってたら、まひろは喜んで宣孝に飛びついて甘えてきたかも。)宣孝にとって手に入れた後のまひろは、自分はこういう女を妾にしていると自慢して歩くアクセサリーの一つになった感じですね。そしてまひろは、予期せず石山寺で道長と再会に。次回の展開が楽しみであります。こちらで歴史家の先生がドラマのお役立ち情報出してくださってます。彰子の裳着の儀が行われた頃の登場人物の年齢(満年齢) ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳4年(998)10月、日食と大地震が同日に都を襲い、天災が続きました。帝(一条天皇)は陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)からの「天文密奏」を受け、帝は政を疎かにしている自分のせいなのかと気にかけていました。一方で左大臣の藤原道長(柄本佑さん)は被災した民の対策に追われつつ、大雨がまだ続く空を見てこの先はどうなるのかと憂いていました。そして道長は密かに晴明を訪ね、どうすれば天災が収まるのかを問いました。晴明の出した答えは、天地の気の流れを変える、そのために道長の一の姫・彰子を入内させることと言い、道長はおとなし過ぎる彰子の性格では入内は無理だと反論しましたが晴明は、これは彰子が背負った宿命と力強く言いました。晴明から言われたことに納得がいかない道長は、女院で実姉の藤原詮子(吉田羊さん)に相談しました。すると詮子からは、道長も身を切る覚悟を持つように言われました。詮子から見れば道長は、公卿たちの最高位にいる今の地位は道長自身があくせくと策を弄して手に入れたものでもない、今までがうまくいき過ぎていたと。さらに彰子はまだ子供だけどそれが自分の使命ならばやり抜くだろう、道長は娘を守ることを理由に自分が苦手な宮中の力争いから逃げている、と続けました。頼りにしていた人たちから次々と裏切られながらも宮中で生き抜いてきた詮子からしたら、やっと道長も血を流す時がきたと思えるものでした。そして朝廷の混乱と天変地異が収まるなら彰子を入内させるよう道長に言いました。晴明の予言と詮子の助言で彰子を入内させようと気持ちが固まりつつあった道長でしたが、道長の子供たちが詮子の前に出たとき、はつらつとする嫡男の田鶴に比べて彰子はおとなしく頼りなげで、詮子も同じ思いで彰子を見ていました。彰子の入内を嫡妻の源倫子(黒木華さん)に話した道長でしたが、それは倫子に相談したというより決定事項の伝達で、倫子は激しく怒りました。倫子はその後で母の藤原穆子に愚痴を聞いてもらい、そして穆子は娘の言い分を一通り聞いた後で優しく自分の考えを述べました。「入内したからとて不幸になるとは限らない。中宮がひょっこり亡くなったら?何がどうなるかはやってみないと分からない。帝は今は中宮に首ったけだけどそのうち飽きるかも。(若い彰子が愛しくなるかも)」怒り心頭だった倫子でしたが、母・穆子の助言には納得していました。天変地異が終わるを願って内裏では改元の話が出ていて、また公卿たちの間では定子は陰で「傾国の中宮」と言われ、評判は良くありませんでした。同時に公卿たちは左大臣・道長の姫が入内すればとの期待も上がっていました。そんな頃、道長の嫡男・田鶴(小林篤弘くん)が母・倫子に、姉の彰子のことでふと思ったことを訊ねました。姉のことを「ぼんやり者。琴の覚えも悪くて師匠が怒っている。」と率直過ぎる言い方をする田鶴を倫子はたしなめます。「姉上のことをそのように言ってはいけない。田鶴がこの家と父上の跡を継ぐ大事な嫡男であるように、姉上は帝の后となる尊い姫なのです!」「彰子は帝の后!」ーー倫子はいつの間にか意識が変わっていました。道長は彰子に入内のことについて訊いてみたのですが、彰子は我が身のことであっても何も考えていないのか「仰せのままに」と答えるだけでした。道長はこの姫を入内させてよいものかと再び悩みました。一方、帝は天変地異で民の命が奪われ苦しんでいるのは自分の不徳だと責任を感じていましたが、その気持ちが向かう先は譲位して政から離れ中宮・定子と静かに暮らしたい、というものでした。蔵人頭の藤原行成(渡辺大知さん)は「たとえ譲位しても今のまま中宮を寵愛し続ければ、中宮も脩子の立場も危うくなる。譲位せず政に専念する姿を皆に示して欲しい。さらに帝に皇子がないと父・円融院の血筋が途絶えてしまう。」と進言しました。この進言は道長が行成に頼んだもので、帝の心はまだ寵愛におぼれているけどこれで一歩進んだと、道長はこれからも頼むと行成を励ましていました。年が明け、改元されて長保元年(999)となりました。しかし帝の定子への寵愛は衰えることなく、あろうことか出家した中宮・定子を職御曹司から密かに内裏に呼び寄せていました。そして定子はやがて懐妊、陰陽師の晴明は今年の11月頃に「皇子」が誕生すると予言しました。内親王ではなく皇子が生まれるとなると道長も迷っていられず、かと言って呪詛という汚い手は使いたくないので、彰子の入内を定子の産み月の11月にぶつけると決め、晴明に良い日取りを出すよう命じました。そして11月1日を彰子の入内の日と決め、倫子に伝えました。倫子はならば定子を呪詛して欲しいと言いましたが、道長は「そのような事をしなくても彰子が内裏も帝も清める。」と力強く言いきりました。道長の考えが己の栄華のためではなく内裏と帝のためにあるとわかった倫子は「私も肝を据える。中宮の邪気を払いのけ、内裏に彰子のあでやかな後宮を作るために私も命を懸ける。」と道長に言いきりました。道長は彰子の入内を帝に申し入れ、帝は定子の産み月という時期もあって即答はできませんでしたが、自分のせいで道長に苦労をかけたことやこの先も道長に舅としての力添えを期待して、彰子の入内を許可しました。道長と倫子は大君・藤原彰子(見上愛さん)の裳着の儀を盛大に行い、腰結の役を道長の姉で女院(であり帝の実母)の詮子に頼みました。参列した皆からの祝意を受け、道長は「これも神仏の守護と、皆のおかげだ。」と厚く礼を述べ、道長と倫子は皆に深く頭を下げました。儀式の後で道長を支える公卿たちはそれぞれに思いを述べていました。源俊賢(妹・明子が道長の妾;本田大輔さん)は見事な式であったとただただ感嘆し、若い頃から道長と一緒に御所で働いてきた藤原斉信(金田哲さん)は「一番ボ~ッとしていた道長が左大臣で自分たちはいまだ参議とは。」と少し不満げな感じでした。斉信と同じく若い頃から一緒だった藤原公任(町田啓太さん)は「道長は己のためだけに生きていない。そこが自分たちとは違う。道長にはかなわぬ。」と素直に道長のすごさを褒め、藤原行成も同感でした。ただ定子の兄の伊周は道長の動きを警戒していました。さて、まひろ(吉高由里子さん)ですが藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の求愛を受け入れて結婚し、幸せな生活を送っていました。ただ大水や地震の後で民の暮らしは困窮していて都にはおなかを空かせた子供たちがあふれ、可哀そうに思ったまひろは親のいない子供たちに食べ物を分け与えてやっていました。そこに宣孝が来たのですが宣孝はそんな子供たちを汚らわしいと一蹴、まひろには贅沢をさせてくれるけど、まひろは嬉しい気持ちになりませんでした。さらに宣孝は、まひろが自分にくれた恋文をあちこちで見せていると自慢げに語り、それは自分にとって恥辱であるとまひろは強く抗議しました。しかし宣孝は全く反省がないのでまひろは、今まで送った文を全部自分に返すよう言い、この日は宣孝を追い返しました。後日、まひろの弟の藤原惟規が大学寮から家に戻り、惟規はまひろに、宣孝が新たに若い女を囲ったようだと報告、まひろは文を見せびらかしていることも含めて宣孝に対する怒りがだんだんと大きくなっていきました。そして宣孝との間で「許す・許さない」といった文が何度か続いた後、ある日宣孝は絹の反物を持ってまひろのところにやって来ました。でもその反物にも、また言い争いになったときに謝罪した宣孝の言葉にも心がこもっていないことをまひろはわかっていました。だから宣孝が自分に甘えてこいと言ってもそんな気にもなれず、さらに宣孝が道長とのことに絡めて皮肉を言ったので、まひろの怒りは爆発しました。手元にあった火桶の灰を宣孝の顔にぶつけ、怒りと共に立ち去りました。それ以降、宣孝はまひろのところに来なくなってしまいました。宣孝に対する気持ちの整理がつかないまま日がたち、そんなまひろのを見ていと(弟・惟規の乳母)は、夫婦なら自分が悪くなくても自分から折れて寄り添うことも大切だと言い、宣孝にお詫びの文を書くよう進言しました。ただ宣孝からの返事はまひろが期待したようなものでなかったので、まひろは気分転換も兼ねて、家の皆で石山寺に詣でようと提案しました。(宣孝が来なくなる=経済的に困る、ということもあったと思います)特に越前から乙丸についてきたきぬは石山寺に行けると大喜びで、一家揃って石山詣でに旅立ちました。皆が寝静まった深夜、まひろはお堂で一人静かに御仏に祈っていました。するとお堂の扉が開いて長身の公家が入ってきて、それはなんと道長でした。
July 3, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では、藤原道長(柄本佑さん)が政務を疎かにする帝への、己の進退をかけた進言が見どころで、その内容に見入っていました。しかしインパクトでは、まひろ(吉高由里子さん)に求婚して、まひろをどうしても手に入れたい藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の行動が強烈でした。まひろもなんとなくその気になっていたでしょうが、宣孝の道長への牽制やまひろへの矢継ぎ早のアピールを見ていると、まひろの全てを受け入れると言う割には余裕がないように感じました。直秀と周明は、まひろを本当に思うからこそ、まひろの先々を考えて彼女を解き放ちました。道長は高い地位を得て、まひろに関わることを陰で支え、まひろが願うより良い政のために働いています。そう思うと宣孝は、確かにまひろが好きなのだろうけど、手にいれることに躍起になっているだけに見えます。まひろを妻にしたら、全てを受け入れるなんてはじめに言ってたけどそれとは反対の、まひろの心の中にどんな形であれ道長がいることを許さない人になるのでは、と想像しました。さて追加画像で、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」をご紹介します。 ⇒ ⇒ こちら ドラマの中でも時折りまひろが和歌をつづっていましたね。心が何かに動いた時、絵の好きな人は絵で、言葉の好きな人は言葉でその時の思いを残していくことでしょう。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳3年(997)冬、越前に国司として赴任した藤原為時(岸谷五朗さん)は大掾の大野国勝(徳井優さん)を伴って越前各地の視察に出ていました。(歴史ドラマを通じて日本の伝統産業が紹介されるのがいいですね。)後日、都に税として納められる越前和紙が国府に届いたとき、為時は和紙が300枚余分に届けられていることに気づきました。まひろ(吉高由里子さん)は和紙が余っているのなら自分たちが自由にできると期待しましたが、それは父・為時にたしなめられました。そして為時は寒さの厳しい冬場に冷たい水で作業をする民を哀れに思い、余った紙を民に返そうと思って呼び出しました。しかし民は、自分たちは役人に頼らなければ生活できない、為時は自分たちを守ってくれると言うが4年の任期でまた国司が変わる、余分な紙は役人へのお礼だと言って返却を固辞しました。さて、この頃の藤原道長(柄本佑さん)と嫡妻・源倫子(黒木華さん)の間には、大君・彰子、太郎君・頼道、中の君・妍子、次郎君・教通と子宝に恵まれ、内裏での仕事も家庭も、また妾の明子(別家庭)との間にも男子が3人いて、充実した日々を送っていました。(道長と共に栄華を誇る田鶴(藤原頼通)、一条天皇の中宮となる彰子、三条天皇の中宮となる妍子、次に生まれる威子は後一条天皇の中宮と、すごい一家ですね。)藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の妻になることにまだどこかで迷いを感じながらもまひろは乙丸(矢部太郎さん)と、越前で海女だったきぬ(蔵下穂波さん)と共に都に帰ってきました。弟・藤原惟規(高杉真宙さん)の乳母だったいとには福丸(勢登健雄さん)という“いい人”ができていました。乙丸ときぬ、いとと福丸のやり取りを見ていて、長年世話になってきた乙丸といとには幸せになってもらいたいと、まひろを心から思うのでした。そうこうしていると宣孝が「待ち遠しかった」とまひろをめがけて家に入ってきて、夜は皆で宴をすることになりました。その宣孝は宴の席で歌にこめてまひろに求愛のしぐさをし、惟規は姉と宣孝の間に何があったのかと少々驚いていました。年が明けて長徳4年(998)、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)は内裏で帝(一条天皇)にめでたいことを並べて新年を言祝いでいました。しかし晴明の言葉に疑問を感じた左大臣・道長は、晴明から本音を聞きだしました。晴明はこれからしばらくは凶事が続くと言うので道長が「凶事とは、地震か疫病か、火事か日食か、嵐か大水か。」と問うと、晴明はそれら全てだと答えました。さらに晴明は災いの根本を取り除かねば厄払いしても意味がないと言い、根本とは出家した最愛の中宮・定子を職御曹司に入れて定子と会うようになってから、帝がすっかり政務を怠るようになってしまったことを指していました。晴明は、帝を諫めて国が傾くことを防げるのは道長しかいない、そして道長はよい宝を持っている、と謎めいた言葉を残して去っていきました。季節が移っても帝は定子のところに入りびたりで政務から遠ざかり、道長が鴨川の堤を修繕したくても、帝は急がなくていいと勅命が得られないままでした。大水が出てかれでは遅いという道長の考えを理解している蔵人頭の藤原行成は帝に何度も勅命を願い出ていましたが、定子と過ごす時間しか頭にない帝は政のことは考えたくないようでした。一方、恩赦で都に戻ってきた藤原隆家(竜星涼さん)は飛ばされた出雲の地で政に目覚めたのか、何かと道長に接触して自分を使って欲しいと願い出ていました。(道長の呼び方も、左大臣ではなく「叔父上」とさりげなく親しみを込めてます。この人懐っこさで人心掌握をして、俺、政はイケるわと自信を持ったのかな。)早く帝に鴨川のことを進言して勅命を得なければと藤原行成(渡辺大知さん)は帝の生母である女院の詮子を頼ったのですが、あいにく女院は病に伏していてとても力添えを頼める状態ではありませんでした。帝は政務に出てこない、でも道長から一刻の猶予もないと言われた行成は仕方なく夜分に職御曹司に出向いたのですが、定子のことしか頭にない帝はこんな時分まで自分を追いかけ回すのかととらえ、行成に怒るだけでした。道長は行成の苦労を理解しつつも、行成の働きに頼むしかありませんでした。弟の隆家と共に恩赦で都に戻っていた藤原伊周(三浦翔平さん)は、妹で中宮の藤原定子(高畑充希さん)がいる職御曹司の出入りを許されていました。ききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が定子の心を癒すために書いたつれづれ話を読んだ伊周はたいそう興味深く感じました。そしてこれを書き写して宮中に広めてはどうか、皆の評判になれば職御曹司に面白い女房がいると皆が興味を持って集まるようになる、皆が集まれば中宮のいるこの場所が華やいで隆盛を取り戻せる、と思いつきました。そして伊周は早速書写の手配に移り、少納言には続きを書くよう命じました。帝が政を忘れている一方で都には大雨が続き、道長のもとに恒方(尾倉ケントさん)から、ついに鴨川の堤が大きく崩れたとの報が入りました。そして晴明の予言どおり次々と禍いが都を襲い始め、中宮が職御曹司に入ってから悪いことばかり起こる、これは左大臣・道長が帝にはっきりと進言しないからだ、と公卿たちは陰口を言うようになりました。大雨がようやく上がり、都の人々は後片付けに追われていました。職御曹司では相変わらず世間とはかけ離れた時間が流れ、自分たちのかつての隆盛を取り戻したい伊周は、藤原公任(町田啓太さん)を師としてここで歌の会を開いてはどうかといったことを帝(一条天皇;塩野瑛久さん)に進言し、帝も定子が喜ぶからと快諾していました。そこに道長が急に参上、ここでは政の話はしないと言う帝にかまわず、鴨川の堤が崩れて多くの者が命を落とし家や田畑を失った、と報告しました。道長は、堤の修繕の許可を帝に奏上していたけれど見てももらえず、帝は内裏にはいなくて、やむを得ず許可なきままに修繕にかかったけれど時すでに遅しで、一昨日の雨で大事に至ってしまった。これは早く修繕に取り掛からなかった自分の煮え切らなさゆえに民の命が失われてしまい、その罪は極めて重い。このまま左大臣を続けていられないから辞職する、と道長は帝に訴えました。帝は自分の叔父であり朝廷の重臣である道長が自分を導き支えてくれなければと道長の辞職を許しませんでしたが、道長は「帝の許可なく勝手に政を進めることはできない。その迷いが此度の失態に至った。」と訴えました。帝は政を疎かにし過ぎた自分の非を認め、道長に詫びました。道長はその後3度にわたって辞表を提出し、でも帝は受け取りませんでした。道長が災害の処理で忙しい日々を送っている時に藤原宣孝がやってきて、何事かと思ったら先の除目で山城守を拝命したことの礼を言いに来たのは口実で、実は自分がまひろと結婚することを道長に言うために来たのでした。道長は一瞬少しだけ動揺しましたが平静を取り戻し、宣孝を祝いました。宣孝はその後でまひろのところに行き、まひろを妻とすることを道長に伝えてきたと言い、まひろも一瞬動揺して苛立ち、宣孝を追い返しました。しかし後日、道長の家人の百舌彦(本多力さん)がまひろの家まで結婚祝いの品々を持ってきたのですが、そこで渡された文が道長本人の字ではないことにまひろは気がつきました。まひろの中にあった道長へのかすかな望みが消え去ったと感じたまひろは一転、宣孝の求愛を受け入れることにし、夫婦の契りを交わしました。
June 25, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回ではどうやら、「人は他人のこと(感情や考え、事情など)はわかっているつもりでもまだまだわかっていないし、実は自分の心の中もよくわかっていない」というのが全体に流れていたようでした。周明(松下洸平さん)はまひろ(吉高由里子さん)を篭絡しようとしたけど、まひろの心の中に深く存在する誰かがいることまでわからなくて任務に失敗。そのまひろはというと、長年傍で仕えてくれている乙丸(矢部太郎さん)の思いがずっとわからないままだった。宮中では、藤原道長(柄本佑さん)は幼い頃からの友で今は政治上でつながっている藤原斉信の心の中を見抜けなくて判断を誤り、自分の至らなさを反省。他にも女院・藤原詮子(吉田羊さん)と帝(一条天皇;塩野瑛久さん)との関係など、「相手の心の中がわからなかった」ために起こったことっが随所にありました。でも逆に、相手の心の中を感じたが故に理解を示してくれた大人たちもいました。朱仁聡(浩歌さん)は周明のまひろへの思いを理解して無理強いはしませんでした。そして藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)は、まひろの年齢などの諸事情や心の中を読み、たぶん狙っていたまひろに父・藤原為時が不在というタイミングを逃さず告白して、自分の利点をグイグイ押しまくりました。そして京に戻ったらまた文でプッシュです。これはもう営業職の見本みたいなものでしょうか。そしてまひろのほうも、ちょうど自身のことでいろいろと考えさせられることが続き、でもなんかあれこれ考えるのがもう面倒にもなって、そんな時にふと現れた結婚話に乗っていった、そんな感じでした。私個人としては、乙丸の不器用なまでの一途さと、本当にまひろが好きだからからこそ宋の現実を教えてまひろを切り離した周明に、心を打たれました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳3年(997)、越前に国司として赴任した藤原為時のもとに藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)がこっそり遊びに来ていたのですが、京に帰る際に為時の娘のまひろ(吉高由里子さん)に突然、自分の妻になるよう言いだしました。幼い頃からのなじみの宣孝ではあるけど、親子ほど歳の離れた宣孝にいきなり求婚されてまひろは戸惑います。そして宣孝は、あの宋人(周明)と海を渡ってもまひろの心の中にいる人(道長)は消え去りはしない、まひろの全てを引き受けられる自分と一緒になればまひろも楽になる、まひろが都へ帰ってくるのを待っている、と言って笑って去っていきました。(女の扱いに慣れた年長の男で幼い頃から知っている娘なら、まひろの心は手に取るようにわかるし、宣孝自身はすでに複数人の妻子がいるから「丸ごと引き受ける」と言っても格別に寛大な心の人じゃないと思います。)その頃、京では帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の母の女院・藤原詮子が重い病となり、詮子を自分の屋敷に迎えている藤原道長(詮子の弟;柄本佑さん)は陰陽師を呼んで邪気払いをさせたりしていましたが、一向に良くなりませんでした。そこで帝は女院の病気平癒を願って大赦の詔を出すことにし、特に流罪となっている藤原伊周と藤原隆家の兄弟を都に召喚すべきかどうかを公卿たちに訊ねました。道長が直ちに陣定を開いて論議すると、陣定ではほとんどの公卿が「両人の罪は許すべきだが召喚については勘申させるべき。」と答えました。道長はそのことを帝に伝えましたが、帝の意向で両人を召喚することになりました。帝は伊周と隆家、そして最愛の中宮・定子への罰が厳し過ぎたことを悔やんでいて、そして事件の報告が確かな調べでなかったことに怒っていました。道長は事件を藤原斉信から聞いたままで判断してしまった、斉信にしてやられたと妾の源明子(瀧内公美さん)に愚痴を言っていました。そんな道長を明子は、人を見抜く力をつけて素晴らしいと慰め、そして「人の上に立つ者の周りは敵」と考えを伝えました。それは明子の父で左大臣だった源高明が陰謀によって失脚させられた(安和の変)ことを指していて、今左大臣となっている道長も「(人を見抜いて)誰をも味方にできるような器がなければやっていけない。」と改めて自身を反省しました。(幼い頃から優しくて不都合を他者のせいにしない道長らしい考えですよね。)さて赦免されて京に戻ってきた藤原隆家(竜星涼さん)ですが、あまりにも早く挨拶に参内したので、公卿たちは皆いぶかしがっていました。隆家は出雲の土産の干しシジミを持参して是非賞味して欲しいと道長に差し出し、道長から兄・伊周のことを訊ねられても兄のことは知らない、自分と兄は違うと、そして左大臣・道長の役に立てるのは自分だと明るく自信をもって言いました。また事件についても、矢を射たのは自分、でも思いがけず大事となって驚いたと明るく言い、過去のことは振り返らないと決めたようでした。まひろが左大臣・道長とつながりがあることを知った周明(松下洸平さん)は、この越前で日本と宋が貿易できるようまひろを利用しようとしていました。宋に憧れるまひろに宋語を教えながらまひろとやがて深い仲になって、自分の言うことを何でもきくようにしてと考えていた周明でしたが、まひろは周明に対してまだそこまで強い気持ちは持てませんでした。焦りと怒りでまひろを脅す周明でしたが、まひろは屈しませんでした。まひろには脅しが効かないとわかった周明は結局はまひろを解放するのですが、その前に宋のことを、まひろが思い描くような国ではない、宋は日本を見下している、つまらぬ夢など持つな、と現実を教えていってくれました。(宋でも苦労している周明はまひろを思いとどまらせて、ある意味まひろを守ってくれました。つまり周明はまひろのことが本当に好きだったのですね。)宋に憧れて、なにより周明を信じて宋語を一生懸命に学んでいたまひろでしたが、憧れと信頼が一度に壊れて激しく気落ちし、食事ものどを通らず、宋語を勉強した帳面も燃やしてしまおうとさえしました。まひろの従者の乙丸(矢部太郎さん)が気になって声をかけると、しばらくして部屋から出てきたまひろは乙丸に、なぜ妻を持たないのかと尋ねました。あまりの唐突な問いに乙丸はびっくりしましたが、「妻を持とうにもこの身は一つしか・・。」と自分の正直な思いを述べました。乙丸はかつてまひろの母が殺されたときに自分が何もできなかったことを強く後悔していて、だからせめてまひろは守り抜こうと考えていたのでした。常に自分の傍にいて仕えていてくれた乙丸がそんなことを考えていたとは露ほどにも思っていなかったまひろは、自分という人間は周りの人のことも他のことも、まだ何もわかっていないのだと実感しました。さて京では、床から起き上がれるまで病が回復した女院の藤原詮子(吉田羊さん)は、息子である帝の見舞いを受けていました。中宮・定子との間に姫が生まれた帝は母の前で喜びを隠せず、その幸せそうな笑顔を見た詮子は今まで自分が帝に対して厳し過ぎたことを詫びました。帝は自分も子を持って母の気持ちがわかったから詫びは要らないと言いつつも、出家した定子を内裏に呼び戻すと言い出しました。帝の発言を聞いて控えていた道長は内裏の秩序が乱れることを案じて帝を制しましたが、これは自分の最初で最後のわがままである、もう後悔したくないと言って帝は自分の考えを押し通し、女院の詮子も帝の望みを叶えてあげるよう道長に命じました。愛する定子と姫を傍に置きたいという帝の強い気持ちは理解できるものの、帝の行動を見て皆が平然と帝を批判するようになると政がやりにくくなります。道長は何か妙案はないかと蔵人頭の藤原行成(渡辺大知さん)に相談しました。すると行成は、職御曹司(しきのみぞうし)ではどうかと提案しました。職御曹司は内裏ではないけど帝が会いに行ける場所、他の女御たちの顔も立つ、ということで道長はその案に納得、そして行成に帝を説得するよう頼みました。(難しいことを行成なら頼めてしまう道長、道長の頼みなら結局は引き受けてしまう行成。若い頃からの良き友です。)果たして職御曹司で再会が叶った帝と定子、そして生まれた内親王。ただ帝は喜びのあまりこの日から、政務をなおざりにしてまで定子の元へ通うようになり、御所での評判は良いものではありませんでした。さて越前では、国司となった藤原為時(岸谷五朗さん)が大掾の大野国勝(徳井優さん)を伴っての国内巡視から戻ってきました。ここに来たときは介の源光雅や国勝らとも対立があった為時でしたが、今では互いにすっかりと打ち解け、為時の巡視も良い成果をあげました。しかし戻って早々まひろから、京に戻って宣孝の妻になると聞かされ、驚いた勢いで為時は腰を痛めて動けなくなってしまいました。医師が来るまでの間、為時は自分の不在時に何があったのかをまひろから聞き、宣孝はあの歳で今でも女にマメだからまひろが辛くなるのではと心配しました。しかしまひろは、自分もいい歳だし、相手が好きすぎるとかえって苦しくなる、でも宣孝ならその心配はないし自分も子を産んでみたい、とまで言いました。父娘でそんな話をしていると松原客館から宋の薬師が到着しましたが、そこには周明の姿はありませんでした。長の朱仁聡(浩歌さん)は今日は周明の師が来た、周明は生まれ故郷(対馬)を見たいと言って出ていったと説明し、あの時の周明の思いを自分なりに理解したつもりだったまひろは、どこか寂しさを感じました。(周明と過ごした時間で、いつの間にか簡単な宋語なら通訳なしで会話できるようになりましたからね。)治療して為時がなんとか起き上がれるようになると、朱は再び入宋の交易の話になり、交易ができないなら自分たちは帰らない、帰らなければ次の荷は博多の津に着かない、宋の品は日本に入らない、と強気の交渉に出てきました。朱が松原客館に戻ると、周明は旅に出ていなくてそこにいました。入宋の交易を成立させるために朱は周明にまひろを篭絡するよう命じ、周明もそのつもりでしたが、いつの間にか周明がまひろを本気で好きになっているとわかった朱は周明に、任務が遂行できなかった罰ではなく、周明の心の中からまひろが消え去るといいなと優しい言葉をかけました。一方、京では越前からの報告で宋が強気だと聞いた帝は、交易でうまみが出るなら越前は朝廷の商いの場にすればと考えました。しかし越前は京に近いから万一宋の大軍が越前から押し寄せたらひとたまりもない、交易では宋は日本を属国と扱う、と道長は帝に進言しました。道長の考えを理解した帝はこの件を道長に一任、しかし越前にある唐物の中におしろいと唐扇があれば定子のために差し出させるよう道長に命じました。道長は為時に時をかせぐよう命じ、為時は気が重いままでした。
June 18, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、主人公のまひろ(吉高由里子さん)と宋人の周明(松下洸平さん)がだんだんと強く結びついていくのですが、終盤でまひろの背景を知った周明が宋のために、というか本国より密命を受けている自分たちを守るために、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)とつながるまひろを利用しようとする動きが出てきました。で、この展開に対して下のリンクにもありますが、Xのポストで「国際ロマンス詐欺」という、ピッタリの言葉が出てきました。まあ、なんてセンスのよい言葉を思いつくのでしょう。 ⇒ ⇒ こちら そしてしばらくしたらXのトレンドに国際ロマンス詐欺が出てきて、まさかと思って覗いてみたら、上位はこのドラマの周明さんに関することでした。(いくつかは現代で本当に起きている事件でした)さて、学問に対しては反応がいいまひろだけど、どうやら(特に)男の心の中のことは、自分にも相手に対しても、あまり深く考えない・感じないようです。藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)もまひろに絡んできたし、周明のまひろへの愛情は本当にただの打算で無いのか、来週の展開が楽しみです。さて追加画像で、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」をご紹介します。 ⇒ ⇒ こちら 海も山も近いこの地なら、採れたての海の幸・山の幸を堪能できたでしょうね。京のような華やかさはないけど、落ち着いたいい暮らしだったと思います。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳2年(996)、越前に国司として赴任した藤原為時(岸谷五朗さん)でしたが、就任早々に通事の三国若麻呂が殺害されるという事件が起こり、宋人の長の朱が咎人であるとして連行されました。しかし周明(松下洸平さん)が咎人は朱ではないと証人を連れて為時のもとに来て、その者は介の源光雅(玉置孝匡さん)から脅されて嘘の証言をしたのでした。為時は咎人の早成(金子岳憲さん)を呼んで事の仔細を確認し、そして光雅にはなぜ嘘を言わせたのかを聞きました。光雅は、この1年ずっと宋人たちのやり方を見てきた、宋人は貿易を企んでいる、自分たちは田舎役人と見下され宋人はやりたい放題、この機会に朱の力を奪わねばしたたかな宋に越前だけでなく朝廷まで害を被る、と思いを述べました。釈放された朱は為時に厚く礼を言い、そして自分たちは宋の朝廷から命じられて日本と貿易をする道を開くために越前に来た、この命令が遂行できなければ国には戻れない、なんとかお願いしたい、と本心を語りました。そして光雅なりに国を思う気持ちを理解した為時でしたが、無実の者を咎人にしたことは許されぬ、こちらも筋を通さねば宋人に立ち向かえぬ、と光雅には年内は謹慎するよう処罰を言い渡し、光雅も納得して受け入れました。事件も落着し、まひろ(吉高由里子さん)は周明が和語を話すことやいろいろな事が気になっていたので、周明に訊ねました。すると彼は、自分は対馬の生まれで12歳のときに親に海に捨てられた、宋の船に拾われたけど酷い扱いを受けてそこを逃げた、薬師の家に転がり込んで師に助けてもらい良くしてもらった、と生い立ちを話しました。宋の国に憧れるまひろは周明にもっと宋の話をしてほしいと言い、松原客館にある宋の珍しいものや書物などについて、目を輝かせながら周明に訊ねていました。そんなまひろに周明はどこか寂しげな目をして「俺を信じるな」と呟きつつ、宋の言葉をまひろに教え始め、まひろも夢中になって宋の言葉を学んでいきました。針治療の話から周明がまひろの手を取った時、周明のことを殿方として見ていないつもりのまひろでしたが、思わずどきりとしてしまいました。兄の伊周が起こした事件のせいで最愛の中宮・定子を遠ざけている帝(一条天皇)でしたが、その定子が自分の子を身ごもっていて産み月も近いことを知った帝は内心は定子に会いたくてたまらず、蔵人頭の藤原行成(渡辺大知さん)に定子に会う手立てはないかと、それとなく訊ねていました。その話を聞いた左大臣の藤原道長(柄本佑さん)は行成に、帝の術中にはまらないよう、情に流されないよう注意し、行成も反省しました。ただ帝は藤原義子(藤原公季の娘)や藤原元子(藤原顕光の娘)を新たに女御として迎え入れても、定子への思いが強すぎて義子や元子には一向に近づくことがなく、道長たちもどうしたものかと悩んでいました。今のままでは義子や元子が気の毒だと思った道長の嫡妻・源倫子(黒木華さん)は、帝と女御たちが何か語らう場でもあればと考え、帝の母で女院・詮子もいるこの屋敷でその場を設けようと思いつきました。張りきって準備を始める倫子を道長は頼もしく思っていました。帝から一向に関心を持たれない娘の藤原元子(安田聖愛さん)を案じていた藤原顕光(宮川一朗太さん)は、左大臣の道長に会うと何度も礼を述べました。帝の笛に合わせて琴を奏でる元子を顕光は嬉しそうに見守っていました。しかし、やはり心ここにあらずの帝は途中で演奏をやめてしまい、元子は悲しく、そして他の皆は心配になるばかりでした。我が子ながらあまりにも定子のことしか頭にない帝の気持ちを理解しかねる女院の藤原詮子(吉田羊さん)は、弟の道長に相談しました。幼い頃から道長を見ている詮子なので、まあ道長にはわからないだろうと思っていたのですが、道長からは「2人の妻がいるが心は違う女を求めている。己ではどうすることもできない。」という意外な思いを聞くことになりました。そして身分の低い女から道長が捨てられたと聞くと、今は貴族の中で最高位にあり変わらず優しいこの弟を捨てるなんて!、と詮子は信じられない思いでした。昔から道長にだけは心を許してきた詮子は道長をもっと追求したかったのですが、道長は適当に話を切り上げて去り、姉と弟の時間は終わってしまいました。いよいよ出産間近となった中宮の藤原定子(高畑充希さん)は、父・道隆亡き後に次々と起こった騒動で心が弱りきり死ぬことさえ考えていたときに、美しい文で自分を支え続けてくれたききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)に改めて礼を言いました。そしてききょうを自分の傍に置いてくれた亡き母・貴子を思い、またききょうも登華殿で初めて定子を見たときの感激と定子の両親や兄弟が眩しいほどに輝いていたあの時のことを思い出し、互いに笑いあっていました。翌日、定子は姫皇子を出産し、母子共に健やかでした。定子が姫皇子を産んだと聞き、帝はすぐにでも定子と姫の傍に駆けつけたくなり、行成にその旨を伝えました。しかし行成はそれに返事をすることができず、察した帝は行成に無理を言わずに絹をたくさん贈ってやるよう、せめてもの思いを行成に託しました。一方、帝より4歳年上で東宮の居貞親王(道長の甥でもある;木村達成さん)は、帝の第一子が姫であったことで内心安堵していました。定子には祝いで何か贈るよう叔父の道長に言いましたが、そこには中宮といえど後盾を失った定子をどこか見下すような態度がありました。その居貞親王は実は密かに陰陽師の安倍晴明に定子のことを占わせていて、出家した定子にはもう子はできないだろう、次の東宮は我が子の敦明だと喜んでいて、晴明に確認しました。しかし晴明の答えは「帝には中宮から皇子が生まれる」ということでした。年が明けた長徳3年(997)、まひろは周明から宋語を教えてもらう日々が続いていて、越前での毎日を楽しんでいました。まひろが周明と海岸を散策しながらあれこれ語らっているとき、まひろの口から「あの人」という言葉が出て、それが左大臣・藤原道長を指すことだとわかると(まひろは気がつかないけど)周明は急に神妙な顔になりました。そこに親戚で昔なじみの藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が突然京から越前までやっきたので、周明は宣孝に挨拶だけして去っていきました。父・為時が越前国内を巡察に出ていてしばらくは戻らないので、まひろが宣孝の対応をしました。宣孝はまひろや為時がこの越前でどのような日々を送っているのかをまひろから聞いていましたが、話の内容や話しぶりでまひろがこの地で何かが変わったと痛感し、まひろへの興味関心が尽きないようでした。夜は越前の海で採れたウニで宣孝をもてなし、楽しそうに話して笑うまひろを宣孝は愛おしそうに見つめ、まひろへの恋心をさりげなく伝えていました。(ちょうど為時さんが不在で、宣孝さんにはラッキーだったようですね)そんな頃、宋人たちの間ではいかにして本国の命令である日本との貿易を進めるか、密かに話し合いがなされていました。周明から長の朱仁聡(浩歌さん)に、まひろは左大臣の藤原道長とつながりがある、もしかしたら左大臣の女かもしれないと報告があり、そして周明は朱の力になれるようまひろをうまく取り込んで左大臣に文を書かせると言いました。周明は日本人であることを隠していたから皆の信用がない、うまくやって皆の信用を勝ち取れと朱は言い、事がうまくいったら自分を宰相の侍医に推挙して欲しいと周明は言い、朱はその言い分を認めました。まひろに周明の策略の手が伸びる一方で、越前を出て京に戻る宣孝はまひろに都に戻って自分の妻になるよう求婚をしました。
June 11, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で全体を通して思ったことは、ひと言で言うなら“優しい男たち” です。何か事件が起きて、その決断を下さなければならないときに、岸谷五朗さん演じる藤原為時は1月にドラマが始まったときからそうだったけど、深く深く悩みます。あるいは、やんちゃで誰もが手を焼いた師貞親王(花山天皇)のお守りや病弱な妾を献身的に看病したりなど、どの場面をとってもまず相手を思う優しい男でした。柄本佑さん演じる藤原道長もそう。少年のころから弱いものをかばい、いざとなったら上の者たちにも自分の考えをきっちり言うけど、最初ははっきりと強い口調で言えないし、最高位の左大臣になってもまずは「どうしよう。」と悩みます。妻の倫子や妾の明子にも穏やかで優しい夫です。藤原公任(町田啓太さん)も、独断&事後報告でもいいのに伊周への対応をまずは道長に相談し、伊周に哀れを感じたら結局は、特別に許してしまいます。現代でもそうですが、こういう悩み事の解決は、苦難を乗り越えてきた女たちのほうが決断が早いのでしょうか。あるいはドラマに登場した、道長が権力を握るまでの最高権力者たちに優しさを感じなかったから、今いる若者たちと為時が優しく見えるのでしょうか。そして道長は、後に娘の彰子が入内しても優しい男のままでいられるのか、展開に興味がわいてきます。さて追加画像で、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」をご紹介します。 ⇒ ⇒ こちら 私がここに行ったのは3年前で、このときは『源氏物語』を中心に見学していました。今だったら紫式部のほうに興味をもって見てしまうと思います。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳2年(996)越前の国司となった藤原為時は越前国府に入る前に宋人たちがいる敦賀の松原客館に立ち寄り、商人たちの長の朱仁聡に挨拶を受けました。この宋人たちはどのような者たちなのか為時は探って考えていましたが、やはり為時らしく好意的で同情的な解釈になりました。そして翌朝、父・為時に同行して越前に来ているまひろ(吉高由里子さん)は、従者の乙丸(矢部太郎さん)と共に越前の浜辺に来ていました。今ここには直秀も道長も一緒にいないけど、まひろの目の前には異国につながる海があり、近江の湖とは違う“海”を感じていました。するとそこに宋人の一人の周明(松下洸平さん)が来て、少し話をしたくなったまひろは声をかけ、会話は通じないけど砂浜に文字を書いて対話を試みました。でも周明は商人仲間に呼ばれて、すぐに行ってしまいました。そして夜、明日の出立を前に藤原為時(岸谷五朗さん)は朱仁聡(浩歌さん)から宴の誘いを受けたので出向きました。宋の音楽が奏でられ、朱から為時の前途を言祝ぐと乾杯の言葉をもらい、為時とまひろは宋の国の酒と最高の馳走でもてなしを受けました。宴は通事の三国若麻呂(安井順平さん)を介して双方の会話もはずみ、終盤ではさらに為時が即興で作った漢詩が披露され、互いに気分良く時間を過ごしました。まひろが酔い覚ましに庭に出ると浜辺にいた周明がいて、まひろは羊料理は正直美味しくなかったと本音を言いつつ、宴への礼を伝えました。越前国府に到着した為時は、この地の役人の源光雅(玉置孝匡さん)と大野国勝(徳井優さん)らから挨拶を受けました。(「守・介・掾・目」は役人の位)光雅らは為時に面倒をかけないよう気遣う言葉を並べているけど、その本音は越前でのことで為時に余計な介入をしてほしくないということでした。為時が左大臣・藤原道長から宋人の扱いを任されていると返すと役人たちは皆怪訝な顔をし、とりあえずは為時に従ったけど何か考えているようでした。後ほど光雅が為時のところに来て、目配せをして人払いしました。光雅は袋のものを為時の前に置き、越前のことは我ら越前の者に任せてほしい、国守の為時はただそれを認めてくれたら懐が潤うと言いました。為時が袋の中を改めると中には大量の金が入っていて、生真面目な為時がそれを受け取れるはずもなく、袋を光雅に返して下がらせました。そして翌日、国守の為時のところには越前の民たちが事の大小も公私も関係なく一斉に陳情に訪れ、為時はその対応に疲れ果ててしまいました。これは越前のことは自分たちに任せろと言って賄賂までしたのに台無しにされた光雅たちの嫌がらせでした。翌日、為時のもとに朱仁聡が松原客館から訪ねてきました。朱は朝廷に品物を献上したいから為時に取り次いでほしいと要望しました。でもこれは為時の独断でできることではないので、まずは左大臣に文を書くから待って欲しいと説明しましたが、その直後に為時は不調で倒れてしまいました。朱が薬師を呼ぶと言い、そしてそこに現れたのは周明でした。周明は為時を診察して背中から針を打ち、不思議な治療でしたがおかげで為時は体調が少し回復したので、宋の進んだ医学に感心して礼を言いました。ところが朱は帰り際に為時に貢物の件を念押しし、助けてもらった手前、為時は朱の頼みを断れなくなり、朝廷にその旨を伝えました。果たして朱たちからの献上品が朝廷に贈られ、その一部であるオウムと羊を藤原実資(秋山竜次さん)と藤原公任(町田啓太さん)は興味深げに見ていました。そして宋の商人たちからの要望が特にないようだと聞くと、公任は彼らの思惑がつかめずに考えていました。一方、越前ではいつも朱に同行しているはずの通事の若麻呂がいなくて、朱は貢物が朝廷に届いたことの礼を為時と筆談していました。するとそこに大野国勝が乗り込んできて、若麻呂が殺された、咎人は朱だと言い張り、朱を強引に連行してしまいました。為時がそれは解せぬ、自分が話を聞くと言っても、国勝はそれは国守の仕事ではないと言って、為時を関わらせないようにしました。為時は朱が咎人であるとは信じられないし、もしこれが間違いだったら国の信用に関わる一大事なので、まひろは左大臣・藤原道長(柄本佑さん)に文を書くよう父に提案、しかし為時が心労からまた倒れてしまったので、まひろが代筆をして事の次第を道長に知らせました。早速、陣定が開かれましたが、異国の者をこの国の法で裁けるのか、これを機に宋に追い返すのがいい、為時に任せても裁きができないなど意見が出ました。そして最高位の道長に意見が求められたので、道長は明法博士に調べさせた上で帝に伺い帝の指示を仰ぐと言いました。越前の事件の解決策が見つからないさ中、検非違使別当となった藤原公任から道長に、太宰府に向かっているはずの藤原伊周が都に戻ったらしいと報告が入りました。越前のことだけでも頭が痛いのに伊周のことまで加わり、道長は頭を抱えました。公任は、すぐにでも高階明順の屋敷を改めたかったのですが、まずは道長に報告、そして道長も伊周の件は公任に任せることにしました。(道長と公任、朝廷内での立場の違いはあるけど、二人きりのときは昔からの友として心がつながっているのがいいですね。)ようやくあきらめて太宰府に行く覚悟ができた藤原伊周(三浦翔平さん)でしたが、病が重い母・高階貴子にせめて一目だけでも会いたい、母も自分を呼んでいる、そんな思いから無理やり道を引き返し、京に戻ってきました。フラフラになって京の母の元に戻ってきた伊周でしたが、高階の屋敷には公任が先回りしていて、伊周が母に近寄るのを制しました。しかし土下座をしてまで母に会うことを乞う伊周を不憫に思った公任は、特別に伊周が母と会うことを許しました。ところがそこに中宮・定子(伊周の妹)に仕える清少納言から、母・貴子が息を引き取ったと報せがあり、伊周は頭の中が真っ白になってしまいました。力なく中庭を抜けて母の元へ近寄っていく伊周、いったんは公任に制されたけど役目として伊周を制しにいく検非違使たち。伊周は御簾の内には入れず、庭先に跪いて涙ながらに母を見送りました。伊周の母・貴子は中宮・藤原定子(高畑充希さん)の母であり、道長にとっても義姉なので、道長は定子にお悔やみの言葉を述べました。定子は道長に近くに来るよう言うので清少納言は御簾を上げ、定子が姿を現すと、そこには帝の子を身ごもり産み月も近くなった定子がいました。両親・兄弟・親戚全ての後盾を失った定子は生まれてくる子をどうやって育てていこうか途方に暮れていて、もう道長を頼るしかなかったのです。定子はこの子を守って欲しいと懇願、でも道長は軽はずみなことは言えないので、即答はせずに帝に報告しました。政治的には遠ざけたけど最愛の定子が自分の子を身ごもっていると聞いた帝は、やはり嬉しさを隠せませんでした。定子と我が子の近くにいたいと願う帝を、道長は「朝廷の安定を第一に。」と強く説得しましたが、自身にも何人か子がいる道長には辛い説得でした。越前の事件の裁きを左大臣の道長に頼った為時でしたが、道長からは越前のことは越前で決めよという指示で、どうしたものかと為時はまた困ってしまいました。するとそこに周明が一人の男を連れて為時の元に駆け込んできました。そして周明の口から出たのは漢語ではなく、はっきりした和語。朱は咎人ではない、この男が証人だと周明は言い、宋人で今まで漢語でしか話をしなかった周明が和語を使い、事件のことと相まって、為時とまひろは何がどうなっているのか、ますますわからなくなりました。
June 4, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回でいよいよ『枕草子』がでてきました。古文が苦手な私は、『源氏物語』は大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』を読むまでは、内容はさっぱり理解できませんでした。でも『枕草子』のほうは出だしの文章がシンプルだったので、わかりやすかったゆえか中学・高校時代にかなり後ろのほうまで読んでいた記憶があります。今回つくづく感じたのは、俳優の皆さんは役作りのために、どなたも本当に裏で猛勉強・猛特訓しているのだなと。ききょうを演じるファーストサマーウイカさんは習字を長らく習っていたそうですが、清少納言を演じるために小筆で書く当時のかな文字をたくさん練習したと思うし、まひろを演じる吉高由里子さんは、自身は左利きなのに右手で小筆を持ってを字を書く練習をかなり積んだと想像しています。そして藤原為時を演じる岸谷五朗さん。中国語をかなり勉強されたことでしょうね。セリフにある言葉だけだとしても、その意味や発音など、基礎知識は必要でしょうから。ラストに出てきた宋人役の大勢の俳優さんたち。たぶん日本人であの喧噪の声を中国語で言っていたと思うのですが、なんてセリフを言っていたのでしょうか。さて、藤原為時が京都から越前に下向する際に通ったとされるルートですが、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」で見ることができます。 ⇒ ⇒ こちら ゆかりの地ということで、これだけ資料を整えて出してくれているので、見応えがあって嬉しいです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳2年(996)、太宰府に配流となった藤原伊周は帝の命に従わず、さらに逃亡してしまい行方不明となりました。もし伊周が最後にいるとすれば、妹で中宮・藤原定子(高畑充希さん)が下がっている実家の二条第なので、検非違使別当の藤原実資は右大臣の藤原道長を通じて帝の許しを得て二条北宮に伊周の捜索に入りました。捜索中に伊周は見つかったものの、まだ太宰府行きを拒んで見苦しいまでの抵抗を。そんな兄の姿を見た定子は帝の命に従うよう言いますが、それでも伊周は抵抗するので、見かねた母・高階貴子(板谷由夏さん)は自分も一緒に太宰府に行くからと伊周をなだめて説得しました。藤原伊周(三浦翔平さん)は母・貴子と共に太宰府に向けてようやく出立しましたが、その報告を聞いた帝は伊周の愚か過ぎる振る舞いに強い腹立ちを覚え、直ちに母と引き離すよう藤原実資(秋山竜次さん)に命じました。藤原道長(柄本佑さん)と実資は伊周らの後を追い、途中で追いついて母の同行はならぬと帝の命を伝えました。しかし二人はやはり抵抗、貴子は「娘の定子は出家、次男の隆家は配流﨑の出雲に行き自分には伊周しかいない。」と自分の付き添いを乞いました。とはいえ道長や実資がそれに応じられるはずもなく、伊周は騎馬で下向し、貴子は網代車に乗って京まで戻っていきました。ある晩、定子のいる二条殿が火事になり、屋敷は激しい炎に包まれました。父・道隆の死からわずか1年で栄華を誇った一族は没落し、また心が乱れて分別もなく勝手に出家してしまったことを帝が怒っているので、定子は生きる気力を失い、このまま炎の中で命を終わらせるつもりで一人残っていました。でもそこに定子を心から慕うききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が現れ、おなかの中の子(帝の子)のためにも中宮は生きなければいけないと必死に説得、定子はまずは生きようと思い直して炎の中を脱出していきました。伊周らの騒動がひと段落し、帝は実資を中納言に昇進させて検非違使別当の役は免じ、道長を正二位・左大臣に昇進させました。女院の藤原詮子(吉田羊さん)は兄・道隆一家の没落のことをふと考えていましたが、定子が出家したので息子の帝のために次の后を探すことにしました。血筋も年頃もちょうどよい姫がいることに詮子は乗り気になっていて、道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)はそんな詮子の姿を見て思わず笑ってしまいました。倫子の笑いが気になった詮子が問うと倫子は、呪詛されて枕も上がらなかった詮子があまりにも元気になった、そういえば父君の兼家も仮病が得意だった、もしかしたら詮子は仮病だったのでは?と言って匂わせました。やはり倫子には見抜かれていたとわかった詮子は怒ることもできず、その場を濁して話を終わらせました。さて実家の火事から逃れた中宮・定子でしたが、懐妊のことは帝にも知らせることができなくて、ききょう他ごく一部の者が知るのみでした。ききょうはまひろ(吉高由里子さん)に定子のことを打ち明け、生きる気力を失って日に日に弱っていく定子をなんとか元気づけたいと相談しました。するとまひろは、ききょうが定子から賜った高価な紙があることを思い出し、二人で紙にまつわる話をいろいろとしていくうちにまひろは思いつきました。その紙に何か書いて定子に贈ってはどうか、帝が「史記」ならば中宮は「春夏秋冬の四季」はどうか、とききょうに提案しました。まひろの提案が良いと思ったききょうは早速、四季を題材にして自分の思いを何か書いてみることにして、心静かに筆をとりました。「春はあけぼの やうやうしろくなりゆく山ぎは すこしあかりて・・・」ききょうはまだ寝ている定子の部屋にその紙をそっと置いて去りました。夏の夜は庭に舞う蛍の光をながめながら「夏は夜 月のころはさらなり・・・」と、そして秋になれば「秋は夕暮れ ゆふ日のさして山のはいと近うなりたるに・・・」と詠んで定子の部屋にそっと置いていきました。でも定子は密かに部屋に来ているのはききょうだとわかっていました。秋も深まったある日のこと、定子が縁側に出てききょうが贈った紙を優しい笑みを浮かべて見ていました。定子のために書き始めたききょうの思いを、定子は受け取ってくれたのでした。間もなく越前守として藤原為時(岸谷五朗さん)が出立するにあたり、道長は為時を呼び出しました。道長は「我が国では筑前の博多の津のみで宋との交易を許しているのに、70名もの宋人が若狭に突然きて交易を要求してきた。今はその者らを越前の松原客館に留め置いているが、朝廷は越前に新たな商いの場を作る気はない。商人が大人数で来るのはおかしい、彼らは商人ではなくて官人か戦人かもしれない。」と越前の情勢を為時に伝えました。そして道長は「その者らに交易は博多の津のみと了見させ、穏便に宋に帰すこと。これが越前守の最も大きな仕事と心得よ。」と越前での役割を為時に命じました。為時とまひろがいよいよ越前に出立する日が近づき、為時の家では送別の宴が開かれていましたが、越前行きには為時の想定していなかった重い任務があり、真面目な為時は少々気が重くなっていました。それを見た藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が、土地の者とうまくやれば国司はいい儲けができると言ってみたり、まひろは宋人のよい殿御と出会って宋の国に行ってみたいとか、各々が勝手に話していました。そんなところに為時の嫡男の藤原惟規(高杉真宙さん)が大学寮から急ぎ戻り、文章生になったと父に喜びの報告をしました。めでたい報告で惟規は祝杯を受け、一家は二重の喜びにわきました。そして惟規の乳母だったいと(信川清順さん)は、惟規のために自分は越前に行かないと為時に伝え、為時もいとの気持ちを了承しました。越前に発つ前に、まひろはどうしても道長に会っておきたくて文を出しました。まひろの求めに応じて道長はちゃんと来てくれました。まひろは道長にまず父・為時の昇進のことの礼を言い、そして世間では中宮や伊周のことで道長が悪く言われているので、その真偽が気になって訊ねました。道長はあっさりと噂の事を認めましたが、道長の顔を見てそうではないことがまひろにはすぐわかり、まひろは道長に詫びました。そして二人で昔語りをしながらこれからの自分たちを考え、互いに体を大事にするよう言葉を交わし、かつて愛し合った互いを思いながら別れとなりました。翌朝、父・たと共にまひろは越前に出立しました。琵琶湖を塩津の湊まで舟で北上し、そこからは山道を進んでで越前入りしました。この画像は福井県越前市にある 「紫ゆかりの館」 で展示されている資料です。当時は京都市から越前市まで5日がかりだったのですね。(館内の資料の写真撮影とSNSへのUPは館内の方に許可を頂きました)「紫ゆかりの館」に展示されている、「下向行列の和紙人形」です。ドラマでもあったようにかなり大掛かりな行列が越前和紙で製作されています。ただの荷物持ちだけでなく、弓矢が使える武人や陰陽師もいます。為時は越前国府に入る前に、宋人たちがいる松原客館に立ち寄りました。しかし着いて早々、為時の目に入ったのは宋人たちが何かもめているのか、互いにつかみ合って怒鳴り合う姿でした。為時は宋語で静かにするよう言い、自分が越前の新しい国守であると告げました。すると宋人たちは、今度は一斉に為時のほうを向いて何かを言い立て始め、為時もまひろもただ茫然とするばかりでした。
May 28, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で印象に残った場面が2つありました。1つは、知らずとはいえ花山院に矢を射かけて大事件を起こしてしまった藤原伊周(三浦翔平さん)と藤原隆家(竜星涼さん)兄弟の、2人のその後の態度でした。常に優等生で名門貴族の嫡男というプライドを持っているゆえか、それが保てなくなった伊周はこんなにも精神的にもろくて、感情が不安定になって周囲に当たり散らして、腹もくくれずにうろたえるだけなのかと。そこで思い出したのが、母の高階貴子(板谷由夏さん)は、娘の定子には幼い頃から厳しくて、内裏で生きるために強く生きるように言っていたことでした。でも伊周が一条殿から逃げ帰ってきたときにはただ優しい言葉を並べるだけで叱りもせず、厳しいことは言いません。これはもう幼い頃から伊周を甘やかしてきたのか?と想像するに十分はシーンでした。その点、隆家は次男で気負うものがないゆえか、やらかすことも大胆だけど、とりあえず死なずに済んだとわかれば覚悟を決めて素直に命令に従いました。でも伊周は減刑をありがたく思うどころか、それはそれでまた不満を爆発させて怒り狂っていました。これはやはり、名門の嫡男として両親から大事大事にされ過ぎてきたからでしょうか。そしてもう1つ気になったシーン。女院・藤原詮子(吉田羊さん)が急に具合が酷く悪くなり、その原因が伊周一派に呪詛されていたという展開です。1回目に視聴したときは気がつかなかったのですが、2回目に観たとき、これは詮子のヤラセで呪詛をでっち上げるための行動だったのかと思えてきました。道長との会話で、伊周たちの処分が甘くなりそうなことに詮子は苛立っていたし、源倫子(黒木華さん)が用意した薬湯が飲めないほど体が弱っていたのに、呪詛の札を見たときに驚いて体がスッと動いたし、「許すまじ!」の声もずいぶんと大きな声でした。そして倫子も呪詛の件では詮子の意図をわかって合わせていた、もしくは密かに相談を受けていたと思えました。藤原道長(柄本佑さん)が「あっ!」と言ったときは、亡き父・兼家がやっていたことを思い出し、姉の詮子は兄弟の中で父の政治的センスを一番強く受け継いでいることをふと思い出したのかと感じました。この呪詛の件の真偽は、後にはっきりさせるのでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳2年(996)1月、藤原伊周の思い違いからその弟の藤原隆家は一条殿にいる藤原儼子にお忍びで会いに来ていた花山院(本郷奏多さん)に矢を射かけてしまい、大きな騒動となりました。一条殿の前では院の従者と伊周・隆家の従者との間で乱闘となり、その間に2人は現場から逃亡しましたが、この事件は儼子の兄である藤原斉信(金田哲さん)から右大臣の藤原道長にすぐに報告されました。屋敷に戻った伊周は大変なことになったと激しく取り乱していました。この事件は検非違使別当の藤原実資(秋山竜次さん)から帝(一条天皇;塩野瑛久さん)にすぐに伝えられ、伊周は中宮・藤原定子(高畑充希さん)の兄であり隆家は定子の弟なので自分では取り調べできないと、実資は帝に裁可を仰ぎました。あろうことか院に矢を放ち死者まで出たことへの帝の怒りは凄まじいものでした。しかも事の発端が伊周の女人への思い違いであったことを知り、帝は右大臣・藤原道長(柄本佑さん)に伊周と隆家を謹慎させるよう命じました。そして中宮・定子には「身内の者にはいっさい会うべからず。」と固く命じました。除目が行われ、藤原為時が従五位下に昇進して淡路守(国司)に任官され、為時は娘のまひろや息子の惟規から祝いの言葉を受けていました。前職を追われてから10年、申文を送り続けてようやく得た官職に、為時は神仏の御加護だと感無量でした。一方、女院・藤原詮子(吉田羊さん)の力添えで越前守に就けた源国盛(森田甘路さん)は、たくさんの高価な御礼の品々を持って詮子に挨拶に来ていました。ところが今、越前には交易を望む宋人が大勢来ていて、交渉にも漢文は必須なのにこの国盛は実は漢文が苦手で、しかも本人は事の重大さをわかっていませんでした。詮子は国盛のことで頭を抱えつつ、別件で伊周たちの処分はどうなったのかを弟の道長に訊ねました。伊周たちは大罪にはならないだろう、政敵ではあるけど厳しい処分でなくても別にいいと道長が答えると、詮子は道長の甘さに苛立ったようでした。国司となることが決まった為時の家には親戚の藤原宣孝が来ていて、祝杯をあげたら為時はそれまでの疲れが出たのかその場で横になって寝てしまいました。宣孝は為時の若い頃の話などをして、まひろと宣孝は二人で盛り上がっていました。そしてまひろは宣孝から、越前守は源国盛になった、しかし国盛は若くて頼りないと聞き、高望みではあるけど漢語の得意な父・為時が越前守になったら存分に力を発揮できるのに、と残念に思っていました。すると宣孝が「帝が為時の学識の高さを知れば。あと除目の後に任地が変わる事もある。」と助言してくれました。まひろは父が越前守になれたらと願い、この文が道長の目に留まることを祈って、まひろならではの申文を書いて提出しました。果たしてまひろが書いたその申文は道長の目に留まり、見覚えのある筆跡に道長はもしやと思い、文箱の奥に隠しておいた昔のまひろの文と照合してみました。この申文はまひろ(吉高由里子さん)からだと確信した道長は、越前守に決まった源国盛が漢語が苦手で頼りないこともあり、藤原為時(岸谷五朗さん)を越前守に推挙しようと、申文を帝に見せました。帝は申文の内容に感心し、道長の考えにも納得したので、越前守を国盛から為時に変更しました。大国・越前の国司に任じられたことに為時はたいそう驚き、これは一体どういう事なのかとまひろに問いただしました。為時はこれまでの全てのことは道長が動いてくれたのだと薄々は感じていて、娘のまひろに道長との関係を訊ねました。まひろは父に、道長とは遠い昔に夫婦になろうと語り合った仲だった、でもそれは全て終わったことだと答えました。そして越前は父の力を発揮する最高の国、自分も共をすると父を鼓舞しました。ところで急な病で倒れた女院・詮子はいっこうに具合が良くならず、道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)が勧める薬湯ものどを通らないほどでした。倫子はこれは屋敷内に悪しき気が漂っているせいでは?と思い、女房や家人たちに屋敷内をくまなく調べさせました。するとあちらこちらから呪詛の札が出てきて、これを見た詮子は自分を嫌っている中宮・定子と、道長を恨んでいるその兄の伊周のせいではないかと疑いました。「許すまじ!」と女院は激しく怒り、倫子から報告を聞いた道長は直ちに動こうとしましたが倫子は、屋敷内で起きたことは嫡妻である自分が責めを負うべきこと、自分が収める、と言い倫子はかすかに微笑みました。倫子の表情を見た道長は何かに気が付き、この件は倫子に預けることにしました。ただこの呪詛の件は、道長は自分からは帝に言わなかったものの、いつの間にか検非違使別当の藤原実資に知られることとなり、帝に報告がなされました。これは藤原伊周(三浦翔平さん)が祖父・高階成忠に命じて帝の母である女院と右大臣の道長を呪詛し、さらに法琳寺で大元帥法(怨敵調伏)を行い道長を呪詛した、証言もある、と帝に報告がなされました。女院と道長への呪詛は帝である自分への呪詛と同じだと帝は激しく怒り、身内であっても許されないと、実資に取り調べを命じました。そして帝は中宮・定子には、兄と弟の不祥事により内裏を出て実家の二条北宮に下がることを命じました。ただ伊周は呪詛の件の潔白だけはどうしても道長に訴えたくて、謹慎中の身ではあるけど密かに出てきて、涙ながらに道長に減刑を乞いました。道長は刑を決めるのは帝であることだけは伊周に念を押しました。今の自分の思いをどうしても伝えたいのは定子も同じで、定子は道長の力を借りて夜の内裏に上がって帝と会うことができました。定子は頭を深く下げて、兄・伊周と弟・隆家の減刑を帝に乞いました。愛しい定子の願いであっても帝は立場上それを認めることはできず、言葉を返すことができないままでいたら、定子はあきらめて内裏を去ろうとしました。帝は定子を呼び止め、駆け寄って力強く抱きしめ、何かを決意しました。そして翌朝の公卿会議で藤原行成から「謀反は死罪であるが罪一等を減じて遠流とする。伊周は大宰権帥に、隆家を出雲権守に配流とする。伊周と隆家に代わり、藤原道綱を中納言に、藤原斉信を参議とする。」と帝の意思が示されました。伊周と隆家に対しての帝の裁定が下された後、これでいいのかよくわからない道長は、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に相談しました。伊周と隆家が本当に女院と自分を呪詛したのだろうかと道長が言うと、晴明は「禹歩」の呪法を行いながら、そんなことはどうでもいい、大事なのはいよいよ道長の世になるということだと言いました。そして隆家はいずれ道長の強い力になるが、伊周は道長次第だと答えました。一方、二条北宮では中宮・定子は自分に仕えているききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)に今は里に下がるよう命じていました。そんなところに帝から遠流の裁定を下された伊周が、自分は絶対に太宰府など行かないと怒りを露わにしてやってきて、同じく出雲に流される弟の藤原隆家(竜星涼さん)が兄をなだめていました。その時の有様をききょうはまひろに知らせ、伊周と隆家が処分を受け入れないから検非違使が屋敷の周りを囲んで見張っている、その様子を見に下々の者が集まっていると言い、二人は家人に変装して二条北宮に入り込みました。屋敷の外から検非違使たちが門を突き破る音が響き、出雲に行く覚悟を決めた隆家は、姉の定子と母の高階貴子(板谷由夏さん)に別れを告げて自ら出頭していきました。それでも伊周は帝の命を受け入れられず、一人でどこかに行ってしまいました。やがて門が壊され、検非違使別当・藤原実資(秋山竜次さん)が指揮をする検非違使たちが伊周を捕らえるために屋敷の中に乗り込んできました。すると定子がふらりと御簾の中から出てきて、実資が屋敷内をくまなく捜索するよう配下に命じていると、定子は突然一人の検非違使から刀を奪い取り、刀を振り回して皆を威嚇しました。そして次に刀を自分の方に向け、長い髪を自ら切って落としてしまいました。
May 21, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。藤原道長(柄本佑さん)が公卿たちのトップになり、政は民に少し近づき、帝もはじめこそは母に押されてトップを道長にした感じがあったけど、だんだんと道長に信頼を寄せていっているのがわかります。そして道長が若い頃から仕事も遊びもずっと一緒に時を過ごしてきた公達仲間の藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)が、道長が一人抜きん出ても変わらぬ友情を示しているのにどこかホッとしています。地位に差ができても、どこかよそよそしくなったり、ひがんで辛く当たったりとかはないのがいいです。公任は道長の真の実力を快く認め、かつ人の好い道長に抜けている部分を助言してくれました。斉信なんかは多少は「自分をよろしく」的なところはあっても無理は言わず、行成は道長のためにさりげなく個人“裏”情報の収集など、危ない橋を渡ってくれています。上に立った道長の足を引っ張るのではなく、道長を快く支えて仲間の皆で出世していこうよ考える、変わらぬ友情に温かさと優しさを感じます。そして中宮・定子(高畑充希さん)だけでなく帝(一条天皇;塩野瑛久さん)にも拝謁できて、おまけに自分の思うことを述べるという、予想だにしてなかった展開となった主人公のまひろ(吉高由里子さん)。帝はまひろに好印象を持ったようですが、定子はどこかまひろを警戒する感じがありました。それも女人としてのまひろではなく別の何かで。後の歴史を知っている我々から見たら、まひろは定子のライバル?ともなる彰子の女房となり、つまりは彰子の知恵袋となるわけです。定子がまひろに対して何か嫌な予感がした、というのもありかもしれませんね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳元年(995)、藤原道長(柄本佑さん)は右大臣に任じられ、内大臣の藤原伊周(三浦翔平さん)を超えて公卿の頂点の座に就きました。ただ道長は、陣定で皆の意見を直接聞くことができない関白の座に就くことは固辞し、今までとは違う形で帝(一条天皇)を支えると考えを伝えました。そんな中で道長は早速、租税免除のことで陣定で伊周と対立が起こりました。皆が徐々に退室していくとき伊周は道長に、前の関白の父(道隆)や叔父(道兼)を呪詛していたとか、道長が姉の女院(詮子)に頼んで帝や中宮(伊周の妹・定子)に無理強いをしたとか、伊周の思い込みの言いがかりをあれこれつけてきました。果ては道長につかみかかってきたので道長は伊周をいなし、退室していきました。伊周はその屈辱から、弟の藤原隆家(竜星涼さん)と共に、以降は参内をしなくなり、道長もどうしたものかと思っていました。道長が若い頃から互いに切磋琢磨してきた藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)との仲は、道長が一人出世しても友情は変わらずに続いていました。とはいえ皆それぞれに先のことを考えていて、公任は出世はもう考えないから学問や芸事などを楽しんでいきたい、道長には敵わないから張り合うのはやめたと言います。でも斉信は参議になりたいと道長にそれとなく頼みます。ただこの8月の除目では、道長は源俊賢(道長の妾・明子の兄)の気質を見込んで参議にすると決めている、斉信はこの次に、と斉信に詫びていました。友との語らいの中で道長は公任から、参内する貴族たち各々が抱えている裏事情を知っておいたほうが良い、男たちが閨で女たちに見せる裏の姿の情報を集めるのは行成が適任だと助言し、行成は道長のためにその役割を引き受けました。そして行成は早速情報を仕入れて道長に見せ、道長は行成の仕事ぶりに感心しつつ貴族たちの裏の姿に驚いていました。行成は道長に、その文は読んだらすぐに焼き捨てるよう念を押していました。この秋の除目で源俊賢を参議にした道長は、俊賢に内密の仕事を頼んでいました。それは参内しなくなった伊周と隆家を参内させることで、俊賢はうまく伊周を説き伏せ見事に道長の期待に応える働きをしました。一方、道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)は、左大臣の嫡妻だった母の藤原穆子(石野真子さん)から、大臣の妻としての心得の伝授を受けていました。穆子は、まず倫子自身が丈夫であること、内裏ではささいな事でも重荷になるから殿には子供のことで心配をかけないことを伝えました。そして道長は仕事での苦労を倫子の前では見せない立派な人であると言い、倫子の父・雅信は実は左大臣として気苦労が絶えなかったことを語りました。倫子は道長を思い、穆子は亡き夫・雅信を思い出して、母娘で笑い合っていました。まひろ(吉高由里子さん)の父・為時が職を失って10年がたち、また申文の季節が来たので、為時は今度こそ最後の申文と思い筆を進めていました。ある日、まひろの家に来たききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)は右大臣になった道長の政や先日若狭に来着した宋人70名の道長の対応など、その実行力を皆が感嘆していると、道長の評判を話しました。でもまひろは宋ときいた瞬間に、道長のことよりも書で読んだ宋での政を思い出し、自分が理想とする政についてききょうに熱く語っていました。そしてききょうが中宮のことを熱く語り、まひろが自分も会ってみたいと言うと、ききょうは喜んでまひろが参内する手はずを整え始めました。ききょうの仲立ちでまひろは中宮に会えることになりました。衣装を整えて参内したまひろはいきなり女房たちの意地悪に遭いましたが、それに驚くまひろとは対照的にききょうは意地悪な女房たちを堂々と牽制していました。緊張しながらまひろが中宮・定子(高畑充希さん)に挨拶をしていると、なぜか帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が急に現れ、帝は定子の手を取って二人で塗籠の中に入っていってしまいました。まひろは意味がわかりませんでしたが、ききょうから説明を受け、そういうことかと納得していました。思いがけずに帝にも会うことができたまひろは、帝の言葉に甘えて政について自分の思うところを堂々と述べました。まひろは宋の政の話をしてそれが自分の夢であると言い、さらに 高者 未だ必ずしも賢ならず、下者 未だ必ずしも愚ならずと『新楽府』の中の一節を読みました。帝がそれに応えるとまひろはさらに深い話を続けてしまい、帝はまひろの発言をまんざらでもなさそうに聞いていたのですが、定子がまひろを制しました。帝がまひろの発言を覚えておくと言葉を送ると、ちょうど伊周と隆家が来たのでまひろは帝に挨拶をして下がりました。二人はまひろのことを快く思わず、また伊周は妹の定子だけでなく帝に対しても「早く皇子を」と言うばかりなので、帝もうんざりしていました。まひろは父・為時がまだ申文を出していなかったので、宋の国の言葉が使える父ならば越前守を希望したらどうかと進言しました。ただ為時は位が正六位で越前のような大国では五位が必要、淡路守でも自分には出過ぎた願いになると言い、逆に大胆なまでの申文を書くよう強く主張しだした娘のまひろを不思議がっていました。(まひろは帝に直接、自分の考えを聞いてもらって、無意識に気が大きくなってたのでしょうか)一方、内裏では帝が道長に、身分は低いけれど帝である自分に政のことを述べるまひろという興味深い女がいたと話をしました。まひろの名が出たとき道長の胸は高鳴り、平静を装いつつ、まひろの父・為時が申文を出していたことを思い出して探しました。そして道長は為時に従五位下の位を与えました。10年ぶりに得た大出世の官職、しかもそれが右大臣・道長の推挙であると使者から聞いた藤原為時(岸谷五朗さん)とまひろは、信じられない思いでした。まひろは父の前では言わないけど、力を持った道長が陰ながら自分たちを支えて守ってくれていることに、感謝で胸がいっぱいになりました。宮内に参内した為時は道長に官位を授けてもらったことに厚く礼を述べ、そして道長の看病でまひろが元気になったことの礼も述べ、我が家が向上したのは何もかも右大臣・道長のおかげだと深々と頭を下げました。道長も為時の言葉を満足そうに聞き、退室していきました。さて伊周ですが、お気に入りの女・光子(故・藤原為光の三の君)がいる一条殿に行ってみたところ、見慣れぬ高貴な牛車が門の前で待機していて、光子に新しい男ができたと思い込んだ伊周は激しく落胆して屋敷に戻ってきました。関白になれないと女まで自分を軽んじるのだと、いつも強気の兄が涙を浮かべて話しているのが情けなくなり、弟の隆家はこれから一緒にその屋敷に行って誰が来ているのか確かめて懲らしめてやろうと言い、兄弟で外に出ました。伊周と隆家が一条殿に着くと隆家はなんと矢をつがえだし、門のところに狙いを定めていたので、さすがに伊周は隆家を制しました。しかし門が開いて中からお忍びらしき人物がちょうど出てきたので、隆家はその者に向かって、当てないようにだけど矢を放ってしまいました。自分の目の前を矢が飛んできて、びっくりして腰を抜かしてへたり込むその男は、今は出家している花山院(本郷奏多さん)でした。遠目で誰だかよくわからなかった伊周と隆家でしたが、周囲が「院!」と呼んで駆け寄る姿を見て、とんでもないことをしてしまったと二人は青ざめていました。
May 14, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、エリート街道をばく進してきた挫折知らずの人間が、思い通りにならなくなった時にどうなるのかを、まざまざと見た気がします。藤原伊周(三浦翔平さん)は家柄もよく学問ができて、芸事も武術もなんでもできて、おまけにルックスがいいから女人からは憧れの君。男は自分の将来を考えて伊周とはうまくやっていこうとするから、表面的には人気があるように見えます。でも権力欲にとりつかれ、叔父・道兼の死を陰で笑って喜んでいる一家です。いくら外面がよくても、そういうところがふだんの何気ない言動でにじみ出ているのでしょう。伊周に心から好感を持つ他人はいないようです。本人の努力以上に優遇されてきて、次第にそれがもはや当然ともなってきました。だからちょっとつまずいただけで、ちょっと思い通りにならないだけで、感情をむき出しにして声を荒げて妹の定子に人前でキレまくりです。そして自分は何一つ反省しない。だから定子が悪いのだと、妹に八つ当たりでした。その伊周の真逆をいくのが藤原道長(柄本佑さん)です。真面目で頭が固くて自分が進んで前にでるキャラでない道長は、表立った人気はないように見えます。でも仕事では皆からの信頼があるし、彼の人間としての優しさは、周囲の人も日ごろから感じているでしょう。ただ本人は好んで上に立とうとしないし、後ろ盾の源もその他周囲も彼を無理に上げようとしないだけで。でも結果、公卿たちのトップに立ってしまった道長です。より良い世にするために、このまま優しい男でいられるのか、この先の出来事で彼が変わっていくのか。展開が楽しみです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳元年(995)、筑前守で大宰少弐だった藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が任期を終えて4年ぶりに都に戻ってきて、たくさんの珍しい土産を持って親戚の藤原為時(岸谷五朗さん)の家に遊びに来ていました。為時の娘のまひろ(吉高由里子さん)を幼い頃から見ている宣孝は、まひろの気の利いた返答を気に入り、土産に渡した唐物の紅が似合う大人の色香を感じる女人になったまひろを特別な目で見ていました。まひろは宣孝の宋の国のあり方や学問の話を聞きたくて宣孝にあれやこれやと尋ね、宋の国に興味津々で、それはそれで為時は娘のまひろが心配になりました。関白・藤原道隆の死後10日がたち、帝(一条天皇)が次の関白をまだ決めていないことで、公卿たちの間では陰で憶測や意見が飛び交っていました。公卿たちが陰で語る正直な考えをこっそり聞いていた帝は熟慮の末、今回は関白を右大臣の藤原道兼(道隆の弟)にすると、藤原伊周(三浦翔平さん)に告げました。次の関白は道隆の嫡子で、中宮・藤原定子(高畑充希さん)の兄である自分だと信じていた伊周は、帝の言葉に愕然としました。帝が退室した後で伊周は不満や怒りを妹の定子にぶつけていました。でも定子は兄・伊周が、若い女人からは人気があっても政をする上で肝心な公卿たちからの人望がないことをわかっていました。道隆の死から17日後の4月27日、帝は正二位で右大臣の藤原道兼(玉置玲央さん)を関白とする詔を下しました。道兼は自分が落ちぶれたときに救ってくれた弟の道長に礼を言い、政をする上でこれからも協力して欲しいと頼みました。道長は早速、長兄・道隆が関白のときにやむなく自分の私費でやっていた疫病の救い小屋を公の仕事にして欲しいと次兄の道兼に頼み、道兼も快諾しました。昔の暗い面影はすっかり消えた道兼は政に意欲的で、民の負担を減らすために諸国の租税を減免することなどを考えていました。しかし道兼が清涼殿で帝から政に励むよう言葉をもらって下がろうとした時に、道兼は急に意識を失って倒れこんでしまいました。(倒れるのに顔から落ちていく玉置さんの迫真の演技がスゴイ!)藤原道長(柄本佑さん)は兄・道兼をすぐに自室に運んで薬師を連れてきました。しかし道兼は、自分は疫病だから近寄るな、道長が倒れたらこの家が終わる、と言って御簾の外に出るように命じました。「俺を苦しめるな。」ーー道兼は可愛い弟の道長を守りたかったのでした。道長は一旦は廊下に出たものの、中から道兼が読経する声や自分の人生を嘆いて死後を不安に思っている言葉を聞くと、たまらず道兼に駆け寄っていきました。病で苦しむ兄の体を支え、兄の背中をさすってやり、道長は介抱しました。しかしその後も道兼の病は治ることなく、関白の慶賀奏上から7日後の5月8日、道兼は35歳で世を去っていきました。(この時に道兼が唱えていたのは光明真言だそうです こちら )道兼の死を、甥(道隆の子)の藤原隆家は「七日関白とは情けない。」と陰で嘲笑し、伊周は「よくぞ死んでくれた。自分が関白になればこの家の隆盛は約束されたも同然。」と言って、親戚の死を悼む気持ちはありませんでした。一方まひろの家では、その昔に母・ちやはを道兼に殺されたし、今の道兼が昔のような人柄ではないことを父・為時も知らないけど、道兼を恨む思いは今はもうほとんどなく、まひろと為時は道兼の死を悼んでいました。そして宮中では道兼の死後わずかひと月の間に、道長と伊周を除く大納言以上の公卿が死に絶えていきました。次の関白がどうなるのか、このまま流れ任せてはいけないと思った女院の詮子(帝の生母)は弟の道長とその妻の源倫子を呼び出しました。詮子は道長に関白になる心積もりをしておくように言いますが、肝心の道長にはその気がなく、伊周が関白になったら政が危うくなると考える詮子は覇気のない道長を強く叱りつけました。その伊周は公卿たちを夕餉に招き、自分が関白になれば帝と公卿たちの間を取り持つことができると、自分の側につくようほのめかしていました。伊周の宴の後で藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)は今後のことを考えていました。全体の流れは伊周でも、強い道長びいきの行成は道長が関白だと主張します。ただ公任は、出世欲がない道長は関白になる気があるのか?と案じていました。そんなある日、ききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が中宮からもらった菓子のおすそ分けだと言って、まひろの家を訪ねてきました。内裏では次の関白が伊周か道長か、今はその話題でもちきりでうんざりしているとききょうは言い、そして道長のことを知っているかとまひろに訊ねました。まひろはとっさに道長はよく知らないとごまかし、そして内裏での道長の評判はどうなのか、をききょうに訊いてみました。するとききょうは、自分が仕えている中宮・定子のことで道長はいちいち細かく厳しくうるさいと、とても不満そうに話しました。それがいかにも道長らしいと感じたまひろは思わず笑ってしまいました。ききょうが帰った後、権力欲もなくてお固いから人気がないという道長のことをまひろは一人でしみじみと思い返していました。次の関白は道長であり、伊周が関白になることは何が何でも阻止せねばと考える女院の藤原詮子(吉田羊さん)は宣旨を翌朝に控えた深夜、我が子の一条天皇(帝;塩野瑛久さん)の寝所に押しかけました。詮子は帝に人払いをさせ、次の関白のことを訊くと、やはり伊周だと。詮子は、帝が幼い頃に摂政・関白だった道隆(伊周の父)は己の家のためだけの政を行い公卿たちの信頼を失ったこと、伊周も同様のことをするだろうから帝を支える気はないことなどを訴えました。そして野心がなくて人に優しくて我がない、伊周とは正反対の道長なら、ずっと帝を支えてよい政をするだろう、と帝に訴えました。それでも帝は次の関白は伊周と気持ちを固めているので詮子は、父の円融天皇は己の意をくもうとしない関白の横暴を嘆いていた、帝には関白に操られないよう政をして欲しい、道長が関白ならそれができる、と強く訴えました。母が訪ねてきた昨夜は関白は伊周と考えを変えなかった帝でしたが、翌日になると道長に内覧宣旨を下しました。思いがけない展開に怒りが収まらない伊周は妹の定子のところに行き、帝を意のままにできない定子を声を荒げてなじりました。定子は(道長に)関白ではなく内覧宣旨のみを与えた、帝は心遣いをしてくれていると兄・伊周に説明しますが、内覧がなくなり位も前のままの伊周はそれでは納得せず、鬼のような形相で「早く皇子を産め!」と定子に迫りました。それは亡き父・道隆が死ぬ直前にここに乱入して「皇子を産め!」と迫ってきたあの時と同じで、自分ではどうにもならないことを(権力欲にとりつかれた父と兄に)罵倒され、定子は涙を必死にこらえていました。そしてひと月後、一条天皇は道長を右大臣に任じ、道長は伊周を超えて公卿の中でトップの座に就きました。道長の妻の源倫子(黒木華さん)とその母・藤原穆子(石野真子さん)は、女院とつながりを持っていてよかったと喜び、特に穆子は「関白と左大臣がいなくて内覧と右大臣なら政権の頂と同じ。」とことのほか喜び、道長でなければ嫌だと亡き父に泣いて訴えて結婚した娘の先見の明を褒めていました。ただ倫子は、人の上に立つのが苦手な道長がこれから苦労するだろうと心配しているので、穆子は「父上があの世から守ってくれる」と空を見上げていました。トップの座は自分からは望まなかったけどそこに就くことになった道長は決意も固まり、そんな時にふと、昔まひろと交わした約束を思い出していました。自分が偉くなってより良き政をすることをまひろが望んでいる、自分がこの国を変えていく様をまひろが見ているーーそんな言葉を思い出した道長はどうしてもまひろに会いたくなり、あの空き家に呼び出しました。互いに求め合ったあの時を思い描く道長。しかしまひろの方は、呼び出しに応じて来てみたものの道長の姿を見ても特別な感情がなぜか湧くことはなく、今語る言葉は何もないのだと、道長の横を無言ですり抜けて行ってしまいました。(まひろ、ちょっと待て。何も言うことはないって、せめて夜通しの看病の礼くらいは言ったらどうなのよ。・・・ききょうから道長の話を聞いて一人でもの思いにふけってたし、道長をあえて無視するのはまだ道長に思いがあるのかな。)
May 8, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、関白の藤原道隆(井浦新さん)の病によって引き起こされる事となった密かな後継者問題に、女院の藤原詮子(吉田羊さん)と今上の中宮・藤原定子(高畑充希さん)の双方が、これまた密かに裏工作に動いていた場面が見どころとなりました。詮子と定子は叔母と姪であり、今上の母と中宮。たとえ親戚であっても互いに隙もなく容赦もない戦いがあって、思わず見入ってしまいました。やることにぬかりない詮子は、3人の男兄弟よりも強く父・藤原兼家の血を受け継いだことをうかがわせます。また、いざとなったら大胆な定子は、父・道隆の力で実力以上の位を得ている兄・伊周よりも、祖父・兼家の血を受け継いだのだろうと感じさせます。入内したものの円融天皇に冷遇されて詮子は強くなり、詮子の産んだ今上に入内し詮子に何かとキツく言われて定子は強くなりました。優しいほんわかした温室のような後宮にいれば弱いままだっただろうけど、冷たい厳しい風を受けて、2人とも運命に鍛えられてしまったようです。2人とも特に権力欲があるわけじゃないけど、うかうかしていたら我が身がどうなるかわからない。だから最善と思う手を先に打っておく。どっちもだてに帝に入内したわけじゃない。男兄弟が思わず感心してしまうほど、賢く強く行動力のある女たちの戦いが面白い回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)京の都では疫病が蔓延し、早急になんとかしなければと思った藤原道長(柄本佑さん)は、悲田院はもういっぱいだから別の救済小屋を建ててはと、兄で関白の藤原道隆(井浦新さん)に進言しました。しかし道隆は疫病の対策には関心はなく、それどころか道長ともう一人の弟の道兼が行動を共にしたその理由を疑っていました。道長は「疫病で都の民が死に絶えたらその害は自分たち貴族にも及ぶ」と道隆を説得するのですが、道隆は「掛かりは宮廷の修理に使う。救済小屋を建てたいなら道長の私費でやれ。」と言い、兄との話し合いは徒労に終わりました。帰宅した道長が妻の源倫子(黒木華さん)に救済小屋のことを話すと、倫子は何の迷いもなく自分の財を使えばいいと道長に言ってくれました。自分のことを信じて財も自由にさせてくれる倫子に、道長は素直に頭を下げました。とはいえ倫子には道長を疑うことがただ一つだけあり、それは悲田院に行った日に道長が一晩どこで過ごしてきたのかということでした。まひろ(倫子のかつての話相手で、夫・道長にとってはかつての思い人)の看病のためにまひろの家に居たと正直に言いにくかった道長は、その場では内裏に戻って仕事をしていたと倫子に言いました。倫子は道長の嘘をうすうす感づいていましたが、この時は追及しませんでした。道長の献身的な看病のおかげで疫病から回復したまひろ(吉高由里子さん)は、書を読んだりして静かに時を過ごしていました。ただあの晩のことは父・藤原為時(岸谷五朗さん)にとっても気になることであり、大納言(道長)とはどういう関係なのだと娘のまひろに問いました。まひろは特別な間柄ではないと言うも、父は道長がまひろを抱きかかえて家に入り、そして道長が一人で看病していたその姿に、道長のまひろへの愛を感じていました。為時はこれをご縁にまひろは道長の妾になってはどうかともちかけました。しかしまひろはそれを否定し、父の望み通りにならぬことを父に詫びました。一方、道長もまひろのその後の様子が気になっていたのですが、自分が動くことができないので、従者の百舌彦に命じてまひろの様子を見に行かせていました。道長は急ぎ救済小屋をつくることに奔走していましたが、疫病が蔓延する都には人手が集まらず、思いのほか苦労していました。それでも道長には、まひろの望む世をつくるべく「やらねばならぬ」という思いが心の底にあり、掛かりが増えてもよいと下級役人に急ぐよう命じていました。その頃、関白の道隆は病が進行して日々の疲れもひどくなっていて、家族の前ではみっともない姿を平気で見せるようになっていました。長男・藤原伊周(三浦翔平さん)はそんな父を労わりつつも、やはり目にはしたくない姿なので、気晴らしにお気に入りの光子(先の太政大臣・藤原為光の三女)のところに行こうとしていました。次男・藤原隆家(竜星涼さん)は、あんな父上の姿を見たくないと素直に言葉にし、兄と同じようにどこかへ出かけてしまいました。(何気ないこのシーンですが、後に伊周が起こす事件のことを知る人にとっては、ドラマの展開の期待にざわつくシーンでした。)道隆の病は日に日に悪くなっていき、ついには帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の御前であっても倒れてしまいました。道隆は陰陽師の安倍晴明を呼び、自分の寿命を延ばす祈祷をするよう命じました。しかし間もなく道隆の寿命が来ると感じた晴明は、下級の須麻流に道隆のことを任せ、自分は道隆からもらった病の穢れを払っていました。年が明けた正暦6年(995)、疫病で傾く世の流れを止めるべく、道隆は帝に新しい年号を長徳とする改元をしてはどうかと進言しました。翌月には長徳元年(995)となったものの、関白・道隆が一方的に決めたこれは重臣たちには評判が悪く、藤原実資(秋山竜次さん)は「帝は関白のいうことを何でも聞いてしまう。帝ははなはだ未熟だ。」と不満を漏らしていました。源俊賢(本田大輔さん)は、帝は我々でお支えしようと実資の腹立ちをなだめるけれど、実資は「いくらお支えしても断を下すのは帝だ。」と心配が募っていて、その時のやりとりを実は帝は陰で聞いていたのでした。兄・道隆の病がかなり重いことを人づてに聞いた女院の藤原詮子(帝の生母;吉田羊さん)は弟の道長と次兄の藤原道兼(玉置玲央さん)を呼びました。詮子は、若い頃は優しかった長兄・道隆が権力をもった途端に世のことを思う政をせずに自分たちの栄耀栄華ばかり考えてきたことを批判しました。そして詮子は、順として道兼が次の関白になるべき、出過ぎ者の伊周が道隆の後を継いで関白になるのは嫌だと言い、道兼もまた、父と兄に冷遇されてきたけど妹に助けてもらうとはと、浮き沈みの激しかった運命の不思議を感じつつ、道長にも礼を言っていました。栓子は中宮・定子に夢中の帝(息子)に会うのは嫌だから周囲の公卿たちを取り込んでおく、公卿たちは伊周を嫌っているから自分が一押しすれば上手くいくだろう、と言いました、道長も道兼も、詮子の情報収集力や分析力や行動力に感嘆していました。一方、中宮の藤原定子(高畑充希さん)も父・道隆の容態を案じつつも万一の事態に備えて、兄・伊周を守るために動いていました。内々に先例を調べさせ、父が存命のうちに兄に内覧の許しを帝からもらう、20年ぶりでも何でもやってしまえばいい、とまで言いました。伊周は妹・定子の先を読んで行動する頭の良さや肝の据わった強さに感嘆し、内覧になってしまえば関白になったも同じだから兄妹で共に力を尽くそう、と言う定子の言葉を頼もしく思っていました。“2人の妹”が裏で密かに火花を散らしているそんな頃、病が重くて自分の先はもうないと感じた道隆は弟の道兼を呼び出していました。道隆は道兼に、自分の亡き後は妻と伊周・隆家を支えてやってほしい、酷なことはしないでくれと全力で懇願します。でも兄の公私にわたるこれまでの諸々の事を思うと、道兼は兄にどこか虫の良さを感じて、兄を複雑な思いで見ていました。ある日のこと、先日の石山詣での出来事でずっと音信不通になっていた友人のさわ(野村麻純さん)が、まひろの家にひょっこりとやってきました。まひろは少し戸惑いながらもさわを温かく迎え、さわの近況を訊ねました。さわは疫病で兄弟を亡くしたことで急に人生のはかなさを感じ、またまひろも助かったけど自身も疫病にかかったことを伝えました。するとさわはまひろの手を取って再会を心から喜んで、石山詣での帰りの事と、その後はまひろからの文をいちいち返したことを詫びて許しを乞いました。たださわは、まひろからの文をもらうたびにその文を手本に文字を書き写すという事をしていて、思いがけない行動にまひろは驚きました。さわが帰った後、まひろは文字が持つ不思議な力をどこかで感じていました。自分の寿命がもう近いと感じた道隆は参内して息子の伊周を内大臣にするよう帝に懇願しましたが、先日の実資ら公卿の自分への不満を聞いてしまった帝は、道隆に即答することせず、なおもしつこく食い下がる道隆を下がらせました。帝が期待通りに動かなくて不安になった道隆はよろける体で娘の中宮・定子のところに行ったのですが、道隆のただならぬ様子を見た清少納言(ファーストサマーウイカさん)は直ちに女房たちに御簾を下げさせ中を隠しました。道隆は定子に早く皇子を産めと何かにとりつかれたように連呼し、その様子に定子はどこか悲しみや哀れみを感じていました。そして結局、帝は伊周に関白の病の間だけという条件で内覧を許しました。都に蔓延する疫病はついに公卿たちにも広がりだし、疫病にかかることを恐れて屋敷から出たくないと言う公卿もいました。実資はこの疫病の広がりは全て関白の横暴のせいだ言い、道長は兄・道隆と甥・伊周への批判を複雑な思いで聞いていました。正常な判断もできないようになりよろけながら陣定に出てきた道隆は、伊周を関白にしたい執念で帝の御簾を勝手に上げて中に入り込み、帝に宣旨を迫るという無礼を働いたため、皆に力づくで引きずり出されました。その後、道隆はもう起き上がれなくなって、妻の高階貴子(板谷由夏さん)の看病を受けながら伊周の行く末を案じていました。いよいよ最期の時がきた道隆は、貴子と出会った若かりし頃がふと思い出され、『忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』と貴子に心を決めたときのあの歌を詠み、長徳元年4月10日、藤原道隆は43歳でこの世を去りました。
April 30, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、人はその人の生まれ持った性格や能力に育った環境が加わると、ある価値観を持った人になってしまうのだな、と思って観ていました。栄華を極める中関白家で、身びいきの父・藤原道隆(井浦新さん)が、周囲の気持ちに配慮することなく、まだ若いのに位を強引なまでにグイグイと押し上げてしまった嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)。学問・芸事・武術など何をやらせても人より秀でていて、もちろんこれは本人が幼い頃より勉強や稽古に励んだからなのですが、それでもできてしまう伊周です。加えて見た目も麗しいし、父が高位を授けてくれます。苦労知らずの伊周は、万能感にあふれていますね。これは伊周が育った環境が、父も母・高階貴子(板谷由夏さん)も優秀で、金持ちだから生活のために働くことを考える必要もなく、優秀で自分たちは他者より優位に立つのが当然、という家だからでしょう。伊周が若さの勢いもあるけど万能感に少々生意気さを感じてしまうのは、その前の話で藤原道兼(玉置玲央さん)の人生が描かれたからだと思います。道兼が努力しても報われない人生とか、父の裏切りで一度はどん底に落ちた人生を見せてくれたので、人の心の痛みをまだ知らない、父・道隆からの優遇を当然のように受けて進むだけの伊周が軽く見えるのです。同時に余計な見栄とかを捨てて自分らしく生きるようになった道兼が肩の力が抜けた感じで、「汚れ仕事」と言っても政務者としてだけど下々への思いやりを感じられるようになったのがいいですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)、中宮・藤原定子(高畑充希さん)のいる登華殿は帝(一条天皇;塩野瑛久さん)のお渡りが多く、若い公達たちも集って華やかさを増していました。定子の兄で中関白家の藤原伊周(三浦翔平さん)は、帝との親密さを殊更に周囲に見せつける形となりました。藤原行成(渡辺大知さん)や藤原斉信(金田哲さん)はそれぞれに帝や中宮に気の利いた贈り物を献上し、若い二人は感激して快く受け取っていました。定子は公達たちに、末永く帝の良き友であるようにと言葉をかけました。登華殿に皆が集まったこの日は雪が積もっていて、さて帝と何をして遊ぼうかとなった時、定子は少納言(ききょう;ファーストサマーウイカさん)に「香炉峰の雪はいかがであろうか。」と問いかけました。定子の意図を瞬時に理解したききょうは女房たちに御簾を上げるよう言い、そして帝と定子に廊下まで出てくるように促しました。これの意味がわからない者のために藤原公任(町田啓太さん)が、これは白楽天の詩で『香炉峰の雪は簾をかかげてみる』ということだと解説をし、定子はききょうを「見事であった」とほめました。それから定子は皆に雪遊びをしようと提案し、定子は嬉しそうに裸足で雪が積もる庭に下りていきました。帝や他の者たちも定子に続き、若い皆は無邪気に雪遊びを楽しんでいました。中宮・定子の登華殿に対しては経費のことなどで、定子の叔父ではあるけど中宮大夫の藤原道長(柄本佑さん)には思うところがいろいろありました。道長は定子に進言したかったのですが、登華殿は帝もいていつも賑やかで楽しそうなので、道長も皆の気分を壊すことは言いにくいままでした。ただ帝の母である女院の藤原詮子だけは、時折り登華殿を訪ねては皆に気遣うことなく苦言を呈していました。すると伊周が女院に対し「これが帝が望んでいる新しき後宮の姿」と堂々と意見を述べて女院に理解を求め、伊周の父で関白の藤原道隆は満足そうでした。この時の光景を見ていた藤原道綱(上地雄輔さん)は弟の道長に興奮気味に話し、そのついでに先日の石山寺であった出来事も話しました。まひろのことはもう忘れたつもりだった道長だけど、兄・道綱がまひろに手を出しかけたと知り、道長の心中は穏やかではありませんでした。ところで、この頃は御所内の後涼殿と弘徽殿で火事が相次ぎ、次はどこかと関白・藤原道隆(井浦新さん)の妻の高階貴子(板谷由夏さん)は不安がっていました。さらに貴子は、この家への妬みが帝や中宮(定子は道隆と貴子の子)に向かっているのかと心配になりました。その話を聞いて次男の藤原隆家(竜星涼さん)は、犯人は女院か?と軽口を言い、妬まれて結構と笑っていました。道隆が「女院(道隆の妹)が我が子の帝に危害を加えるとは思えない」と言うと隆家はならば父上を恨む者だと言い、兄の伊周が隆家をたしなめました。でも道隆は「光が強ければ影は濃くなる。恨みの数だけこの家は輝いているのだ。私たちが動揺すれば相手の思う壺。動じないのが肝心だ。」と笑っていました。中関白家は栄華を誇っていたこの時、都では疫病が広がっていて、公卿たちは早く疫病の対策をすべきと関白・道隆に何度も提言していました。しかし道隆はそれを無視し続けていて、陰陽師の安倍晴明は疫神が通る(疫病が蔓延する)と予言し、果たしてその通りになりました。帝も疫病と民のことを案じていましたが、道隆は帝にそのようなことは考えずに国家安寧のために早く皇子を、というばかりでした。そんな中、道隆は伊周を内大臣にし、伊周は叔父の藤原道兼(玉置玲央さん)に挨拶をしていました。道兼は伊周に政務者として疫病のことを問うと伊周は、疫病は貧しい者にうつる病だから自分たちは心配ない、と気にもとめていない様子でした。伊周の姿勢に道兼が苦言を呈すると、道兼の昔を知っている伊周は道兼にそれをにおわせるように反論し、道兼の忠告を聞こうとしませんでした。ある日、まひろ(吉高由里子さん)の家にかつて文字を教えていたたねが突然やってきて、両親が悲田院に行ったきり帰ってこないと窮状を訴えていました。従者の乙丸は悲田院に行くのは危ないとまひろを止めましたが、まひろはたねと一緒に行ってしまいました。悲田院には疫病にかかった者たちが苦しそうにしてそこらじゅうに横たわり、息絶えた者はすぐに運び出さなけれないけない有様でした。たねの両親も息絶え、やがてたねも命を落としました。まひろは見ず知らずだけど病に苦しむ者たちを放ってはおけず、悲田院に泊まりこんで、懸命に病人たちの世話をしていました。疫病の対策を急がねばと考える道長は兄の道隆に相談しましたが、道隆は疫病は自然に収まると言うばかりで、それでも道長は関白の兄から帝に奏上してほしいと訴えましたが、道隆は聞き入れるつもりはありませんでした。それどころか帝と中宮を狙った相次ぐ放火のほうが一大事、道隆は中宮大夫だがどうするつもりだ、役目不行き届きだ、と言って道長を下がらせました。道長は退室した廊下で次兄の道兼と会い、道隆が声をかけると道長は、道隆と話しても無駄なので様子を見に悲田院に行く言うと言いました。すると道兼は「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ。」と言って、すぐに外に出ていってしまいました。「汚れ仕事」という道兼の言葉には昔のような妙な含みはなく、政務者の一人として民のことを考えている姿勢がありました。兄・道兼を追って道長も悲田院に着くと、そこには惨状が広がっていました。庭には多数の死人が横たわり、薬師たちも何人か疫病にかかって倒れ、今動ける者は看病にてんてこ舞いでした。道兼が薬師の派遣を内裏に申し出ようと言うと、これまで何度も自分たちが申し出ていたけど何もしてもらえないと言われ、道兼は言葉を失いました。(昔の道兼なら下の者から「あんた」呼ばわりされたら怒ったと思います。でもどん底に落ちてから無理をせず生きることを知った道兼は、自分のことよりも苦しむ民草のことを考えるようになったと思います。)やがてまひろも疫病になって倒れかけたときに、悲田院に来ていた道長と出会い、意識のないまひろを道長が家まで送ってくれました。まひろの家に着くと道長はまひろを抱きかかえて家に入り、まひろの部屋まで乙丸に案内させました。父・藤原為時(岸谷五朗さん)が慌てて枕元に駆けつけると道長は、自分が看病するからと言って為時といと(信川清順さん)を下がらせました。道長が大納言と知る為時は、どうして道長がまひろのためにここまでと思いつつ、道長の命なのでまひろの看病を道長に任せて下がり、いともまひろが石山詣での土産にくれたお守りに病気の快復を祈っていました。まひろの従者の乙丸(矢部太郎さん)と道長の従者の百舌彦(本多力さん)は久しぶりの再会となったのですが、互いの主人が突然このような状態になってしまったため、二人とも眠れぬ夜を明かしました。(ところで、ここでふと疑問が。石山詣でのときも乙丸は廊下で座って寝ていて、これは旅先や今回のような非常時の警護だから、という理由だったのでしょうか。ふだんの生活でも主人のために座って寝るとなると、かなり体がキツイかと。)病でうなされるまひろを看病しながら道長は、なぜ悲田院にいたとか、あの時に言っていた「生まれてきた意味」を見つけたのかとまひろに語りかけ、そしてまひろに「逝くな、戻ってこい!」と強く呼びかけました。道長の必死の看病の甲斐あって、翌朝まひろの容態は落ち着きました。為時は道長に夜通しの看病の礼を厚く述べ、道長には大納言としての政務があるから帰るよう促しました。まひろのことが気がかりだけど為時のいう事ももっともなので、道長はまひろが気がつかぬまま妻・倫子が待つ屋敷に帰宅しました。明け方に戻ってきた夫・道長の様子で何かおかしいと倫子は感じ、妾の明子でもない女人の存在が道長の心にあると直感しました。
April 23, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は前半は、父に裏切られてからすっかりやさぐれてしまい、自堕落な日々を過ごす藤原道兼(玉置玲央さん)と、傷ついた兄・道兼を気遣いつつ自分なりに受け止めてやる藤原道長(柄本佑さん)のやり取りに心が引かれました。元・上司が突然訪ねてきて家に居座ってしまい、それが振る舞いが立派ならまだ客として迎えてもいいけど、この家に居られると迷惑レベルなみっともない品の無さ。これでは公任さんもたまったものではありません。そんな兄・道兼を、道長は受け止めて優しく諭しました。少年の頃は道兼が機嫌の悪いときは暴力だって振るわれた道長だけど、彼が幼い頃から持っている寛大で柔らかい心で、自暴自棄の泥沼にいる兄を引き上げました。ドラマの中の道兼と同じような経験をしたことがある方は、道兼の思いに共感し、さらには自分のときに道長のような人に出会えて救われた、あるいは道長のような人に出会えたらよかったのに、いや、自分は時間が薬となってじきに立ち直れた、などの思いを持ったのではと想像しました。そして後半は、まひろ(吉高由里子さん)とさわ(野村麻純さん)の石山詣でがあり、これは当時の風習を知るのに興味深いシーンでした。さらにこの石山詣でには、本家の石山寺の方が用語などをいくつかポストしてくれていて、とても参考になりました。石山寺*公式のポスト ⇒ ⇒ こちら 石山寺へのアクセスは「京都から(中略)歩いても4時間半~5時間で来られます」だとか。 ⇒ こちら これなら当時の都の人々が石山寺を詣でてみようか、と考えるのもうなずけますね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)、父・藤原兼家が隠居する間際に藤原家の後継者を兄の道隆にされ、これまで父のためにあらゆることをやってきた藤原道兼(玉置玲央さん)は我慢の限界を超え、さらには妻子も自分の元から去ってしまい、自暴自棄になって荒れた生活を送る道兼は藤原公任の屋敷に転がり込んで居座っていました。困った公任は道兼の弟の藤原道長(柄本佑さん)に相談、道長はすぐに兄・道兼を迎えに公任の屋敷に行きました。他人の家に居座って行儀の悪い振る舞いをする道兼でしたが、亡き父・兼家を思うが故に父にさんざん振り回されてきた兄を理解する道長は、兄を優しく諭しました。それでも長兄・道隆に持っていかれた摂政の地位にこだわり世を恨む道兼を道長は、「兄はもう父の操り人形ではない。己の意思で好きにすればいい。兄にはこの世で幸せになって欲しい。まだこれから。自分が支えるから生まれ変わって生き抜いて欲しい。父はもういない。」と思いのたけを伝えました。父と兄・道隆は自分を冷たく見捨てたけど、この弟だけは自分をわかってくれていたことを知り、道兼はただ泣き崩れていました。正暦4年(993)、摂政・道隆は立ち直った道兼を内大臣に、嫡男の伊周を末弟の道長と並ぶ権代納言に、公任と妾腹の弟・道綱を参議としました。道隆は他にも自分と昵懇の66人の者の位を上げ、あまりに露骨な身びいきに他の公卿たちは口々に不満を言っていました。さて、まひろ(吉高由里子さん)の家では父・藤原為時(岸谷五朗さん)が未だに官職を得られず、苦しい生活が続いていました。そんな中、まひろの弟の藤原惟規(高杉真宙さん)がひょっこりと家に帰ってきて、大学寮での試験で疑文章生の試験に合格したと家族に報告しました。まひろの家では久々の明るい話題に皆の喜びの声があがり、惟規の乳母だったいと(信川清順さん)は、この日のために隠しておいたというとっておきの酒を出して、まひろの従者の乙丸も同席して皆で惟規の合格を祝いました。摂政となった道隆は公卿たちの反発も構わずに娘の藤原定子(高畑充希さん)を一条天皇(帝)の中宮にしましたが、道隆も定子も宮中での評判は良くないもので、道隆の妻の高階貴子(板谷由夏さん)にもその声は聞こえていました。貴子は娘の定子に「中宮の勤め」として帝の皇子を産むことだけでなく、帝だけを大切にしていてはいけない、昼間は後宮の長としてここに集う全ての者の心をひきつけて輝かなければならない、と心得を伝えていました。貴子は定子のために、以前の漢詩の会や和歌の会で見知ったききょう(ファーストサマーウイカさん)を定子の話相手として女房とすることにしました。ききょうはその喜びをまひろにすぐに報告し、まひろも気持ちよくききょうを祝いましたが、一方では先がまだ何も決まらない自分を憂いていました。参内して定子の前に出たききょうは、定子の匂いたつような美しさと品格に言葉を失ってただ見惚れていました。そして定子から「清 少納言」の名を賜り、この上なき誉の喜びと共に定子に一身を賭して仕えることを誓いました。定子のいる登華殿は帝と若い公卿たちが交流する華やかな場となりました。帝が大人になり藤原道隆(井浦新さん)は摂政から関白へと役職が変わったけど、道隆の独裁は相変わらず続いていて、中宮・定子の登華殿には定子の衣装や調度品、さらには付き従う女房の衣装まで公金で莫大な費用を費やしたりしていて、それは弟の道長の目にも余るものでした。黙っていられなくなった道長が道隆に進言すると、道隆は取り合わないどころか、身内なら面倒なことは言わないと思ったから道長を中宮大夫にしたと言いました。そして道隆は嫡男の伊周や若い貴族たちがやっている「弓競べ」の見物に道長を誘い、弓の稽古場に行きました。稽古場では道隆自慢の嫡男の伊周が次々と的の中央を射抜ていき、見物をする姫君たちも思わず歓声をあげていました。父と一緒に来た道長を見た藤原伊周(三浦翔平さん)は道長を弓競べに誘いました。あまり気乗りしない道長でしたが、結局は受けて立つことにしました。とはいえやはり気乗りしないので適当に相手をして道長は帰ろうとしたのですが、伊周がまだ2本矢が残っている、最後のこの2本はそれぞれに願掛けをして射ようと言い、まず伊周が「我が家より帝がでる」と唱えて矢を射りました。するとその矢は的の端に当たり、次に道長が同じことを唱えて射るとその矢は的のほぼ中央に当たりました。伊周は残り1本の矢で「我、関白となる」と唱えて射るとその矢は的を大きく外し、道長が同じことを唱えて射ようとすると、道隆は慌ててそれをやめさせました。道長は道隆にまた改めて話をと言って、稽古場から去っていきました。(参考:願掛けをしてから矢を射るのは「うけい」と言うそうです。 こちら )その夜、道長のもとに舅の源雅信(益岡徹さん)が危篤との報が入り、道長は嫡妻・源倫子(黒木華さん)のいる土御門邸に急ぎました。雅信は絶え絶えの息で、もう自分が道長の後盾になってやれないから道長の出世はこれまでかと語りました。でも妻の藤原穆子(石野真子さん)は、権代納言の婿殿なら素晴らしいことと言い、娘の倫子も道長と一緒になれて幸せだと父に言いました。藤原氏全盛の世に16年の長きにわたって左大臣を務めた源雅信は、愛する家族に見守られながら74年の生涯を閉じました。さて、まひろの方ですがある日さわ(野村麻純さん)が、今の自分は家に居づらい、気晴らしに近江の石山寺に旅に出るからまひろも一緒にどうか、と誘ってきました。行きたいけど旅の掛かりが気になるまひろは父・為時に相談し、父はそのくらいは何とかなろうと快くまひろを旅に送り出してくれました。まひろとさわはそれぞれの従者を連れて出立し、従者たちは自分が仕える姫様が久しぶりに明るい笑顔で楽しんでいるのを微笑ましく見守っていました。さて石山寺で願掛けをしようと張りきっていたさわですが、夜遅くに延々と続く誦経がすぐに飽きてしまい、つい文句を言っていたら近くにいた藤原寧子(財前直見さん)に𠮟られてしまいました。でもその後で寧子は二人をおしゃべりに誘い、寧子が「蜻蛉日記」の作者と知ったまひろは嬉しくて、目を輝かせながら本の感想を寧子に伝えていました。まひろの素直な感想に寧子も「心と体は裏腹」と自分の思いを述べました。そう言われてまひろは道長とのことを思い出してふと切なさがよぎったのですが、「自分は日記を書くことで己の悲しみを救った。兼家との日々を日記に書き記して公にすることで妾の痛みを癒した。」と言う寧子の言葉が心に残りました。さらに寧子は「命を燃やす恋でも妾は辛い。高望みせず嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ。」と若い二人に助言してくれました。(まひろとさわがつけている赤い帯は「掛け帯」だそうです。 こちら )寧子とまひろとさわが話をしていたら藤原道綱(寧子と兼家の間の子;上地雄輔さん)が後からやってきて話に加わりました。「蜻蛉日記」にも登場する道綱と会うことができ、光栄に思ったまひろは嬉しくてたまらない様子で道綱に挨拶をしました。そんなまひろを可愛く思った道綱は、皆が寝静まった夜更けにこっそりとまひろとさわが寝ている部屋に忍び込んできました。まひろは寝つけなくて庭に出て月夜を眺めていたため、部屋にはさわが一人。さわは道綱なら妾になってもいいと思ったのか道綱の誘いに応じるつもりだったのですが、道綱が望んだのはまひろの方で、道綱の下手な言い訳でさわは余計に深く傷ついてしまいました。(ここで現代の石山寺さんからのお叱りポストが。 ⇒ こちら )翌朝の帰り道、昨夜のことがあったさわはずっと落ち込んでいました。まひろが声をかけるとさわは、自分は才気も殿御を引き付ける魅力もなく、家にも居場所がないからもう死んでしまいたい!と叫んで川のほうに走り出しました。まひろと2人の従者がさわを追いかけていくとさわは川原で突然立ち止まりました。4人がそこで見たものは、川の中や川原に累々と横たわる死体で、それはこの頃都の近辺で流行り始めた疫病によるものでした。(当時もしこのように死体が川の中にもあったら、汚染された水が下流にどんどん広がって疫病が蔓延したと思われます。)
April 17, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。1月にドラマがスタートしてから己の野望のために周囲をグイグイと動かして、ついには望むものを手に入れた藤原兼家(段田安則さん)がこの回で退場となりました。特に父・兼家にいいように利用されてきた藤原道兼(玉置玲央さん)が、後継者選びで兄・藤原道隆(井浦新さん)が選ばれて、それだけでも十分ショックなのに、十数年前の失態を盾に父から突き放されたときは、道兼が可哀そうと思った視聴者が多かったのではないでしょうか。ただ見方を変えると、これは兼家の主義というか、後継者を道隆とするからには道兼を追い払っておかなければならない、兄弟で手を取り合ってなんて綺麗ごとは考えない、これは跡を継ぐ道隆の権力を盤石なものにするための、父としての最後の大仕事、のようにも思えました。父の愛が欲しくて、命じられるがまま汚れ役をやってきた、栄誉が欲しくて娘を入内させようと妻子に無理強いをした、そして自分に愛想づかしをして妻子は去り、全てが報われないままに道兼の10年という時間が流れました。ただ自暴自棄になっても、父の悪行をバラして一族全てが滅びることをしなかったのは、まだマシだったでしょうか。現代でも、自分のための努力じゃなく、誰かの愛を求めて、誰かに認めてもらいたくて、誰かを振り向かせたくて、必要以上に頑張ってしまったけど報われなかった人には、道兼の姿が心に刺さったと思います。まあそれでも、いかなる理由であれ、努力して手に入れたものは後で役にたつ、という『塞翁が馬』でもありますが。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)父・藤原為時が無職になって4年、いよいよ生活に困ったまひろ(吉高由里子さん)は以前から交流のあった左大臣家の源倫子にこの家での仕事を紹介してもらえたのですが、ここはかつてまひろが愛した藤原道長が婿となっている家なので、まひろは丁重に断り帰ろうとしました。その時に帰宅した道長と廊下ですれ違うこととなり、まひろはとっさに顔を伏せて礼をとり、道長もそのまま通り過ぎていきました。道長本人がいて、まひろの耳に入る「北の方」や「お父上」の呼称、倫子たち家族の光景は、まひろにはいたたまれないものでした。しかし道長のほうも、思いがけない再会となったまひろに心が揺れ動いていて、妻の倫子や娘の彰子のことにも心ここにあらずでした。ところで病が重く死期を悟った摂政の藤原兼家(段田安則さん)は嫡妻を母にもつ藤原道隆(井浦新さん)と藤原道兼(玉置玲央さん)と藤原道長(柄本佑さん)を呼び、後継者のことや今後のことを伝えました。兼家が絶大な権力を持つために、父・兼家の命のまま兄弟の誰よりも働いたと自負する道兼は自分が必ず父の後継者となると信じていましたが、兼家が指名したのは兄の道隆で、道兼は唖然としました。父はさらに「人殺し(道兼は十数年前にまひろの母を自ら殺害した)に一族の長は務まらん。大それた望みを抱くな。」とまで道兼に言い、下がれと命じました。父のあまりの言葉に我慢ならなくなった道兼は、父こそ権力を持つために先先帝や先帝に対して人に言えないことをやってきたのだと暴露し、「とっとと死ね!」と暴言を吐いて退出していきました。兼家は道隆と道長に「今より父はいない者として生きよ」と命じ、従者に支えられながら力なく歩いて去っていきました。一方、まひろの家では相変わらず困窮が続き、藤原為時(岸谷五朗さん)に仕えるいと(信川清順さん)が思いつめたように為時の前に来て暇願いを言いました。とはいえいとは身寄りもなく、疫病で夫と生まれたばかりの子を亡くした後にこの家に来て、嫡男の惟規の乳母となって惟規を我が子のように慈しんで育ててくれた、為時にとっても大事な存在です。良くも悪くも純粋で優し過ぎて殿としては頼りない為時だけど、「この家はお前の家である。ここにおれ。」ーー為時の優しさにいとはただ泣き崩れていました。さて、兼家には妾の藤原寧子(財前直見さん)と庶子の藤原道綱(上地雄輔さん)が別宅にいるのですが、寧子は病床の兼家の耳元で「道綱」の名を連呼し、後継者の道隆にも道綱をよろしくと、ささやき続けていました。道綱は母を窘めますが、でもそれぐらいしておかないと兼家は道綱のことを忘れてしまうかもと、心配でたまらなかったのでした。すると兼家が目をあけ、寧子を見て微笑みながら絶え絶えの声で『嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る』と、寧子が『蜻蛉日記』に記した和歌を詠んだのでした。「輝かしき日々であった。」ーー兼家は寧子と過ごした時間を懐かしんでいました。しかし兼家を恨む源明子の執念は凄まじく、道長の妾となって道長の子(兼家の孫)を宿す今になっても、兼家を密かに呪詛するのをやめませんでした。その念ゆえか、ある夜中に兼家は何かに導かれるように庭に出て、そのまま絶命してしまいました。父・兼家のことが気にかかって夜明けに庭に出た道長は橋のたもとで父が倒れているのを発見、しかし父はすでに息絶えていました。冷たくなりかけた父の遺骸を道長は愛おしそうに抱き寄せ、涙ながらに「父上」と幾度か呼びましたが、その声は兼家にはもう届かないものでした。兼家の死から3日後、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)がまひろの家に来て兼家の訃報を伝えました。兼家によって職を解かれた為時でしたが兼家に仕えて窮状を救ってもらった時もあり、為時はその死を悼んでいました。また宣孝は、自分が筑前守として国司になり間もなく下向すると伝えました。為時は兼家の死と親しくしている宣孝の下向で一抹の寂しさを感じ、一人静かに涙していました。兼家を呪詛してその願望を成就した源明子(瀧内公美さん)ですが、その無理が祟ったのか道長との子を流産してしまいました。(これは呪詛返しとかじゃなく、単に安静にしていけなきゃいけない時期に夜中に起きて心身に過大なストレスをかけたせいだと思います。)明子を見舞い優しい言葉をかけていたわる道長でしたが、明子のそばにずっといるわけではなく、また参ると言ってすぐに退出していきました。兼家の喪に服して都全体が静まりかえっている中、亡き父・兼家に裏切られて激しく傷つき自暴自棄になっている道兼は、屋敷の中で昼間から酒をあおり遊女まで呼んで一人遊興にふけっていました。そんな夫の姿を見るに堪えなくなった妻の藤原繁子(山田キヌヲさん)は道兼に離縁を申し出て、道兼がいずれ入内させるつもりでいた娘の尊子も連れて繁子は道兼の元を去っていきました。妻子が去った後の道兼の自堕落ぶりはますます酷くなり、また太政大臣だった亡き父・藤原頼忠に言われて道兼の方についていた藤原公任も当てが外れたと、これからは道隆に真剣に取り入らねばと考えを変えました。摂政となった道隆は、まだ17歳の嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)を一足飛びに蔵人頭に任命するなど、他の公卿たちの意向など全く気にせず次々と己が権力をふるっていきました。また道隆は帝(一条天皇、妹の藤原詮子の子;柊木陽太くん)に娘の藤原定子(高畑充希さん)を入内させ、定子も両親の期待通りに帝と仲睦まじくしているので、道隆の権勢はますます揺るぎないものになっていきました。道隆の嫡妻の高階貴子(板谷由夏さん)は、伊周の位が上がったのだからそれにふさわしい姫に婿入りさせたいと考えていました。そこで貴子は姫を見定めるために和歌の会を開くことにし、そのときに5年前の漢詩の会で呼んだまひろとききょうも呼ぶことにしました。和歌の会では、まひろとききょう(ファーストサマーウイカさん)は5年ぶりに再会することとなり、2人は共に会での役割を果たしました。後日ききょうはまひろの家を訪れ、その折に、あの和歌の会はつまらなかった、集った姫たちはより良き婿を取ることしか考えていない、志もなく己を磨かず日々をただ暮らしているだけの自分にとって一番嫌いな人たちだった、などと本音をまひろにぶつけていました。(ただね、志があって意思が強くて難しいことを考える女は扱いにくいから、伊周の妻には和歌の会に集ったような姫たちを望むと思います。)でもききょうは愚痴だけでなく、自分はいずれ宮中に女房として出仕して世の中を広く知りたい、そのためには夫と子供と離れてもいい、己のために生きることが他の人の役に立つような生き方がしたい、と将来の展望を語りました。ききょうに志はあるのかと問われたまひろは、貧しくて文字を知らないが故に不幸になる人を減らしたい、1人でも2人でも、と答えました。自分の志を確認したまひろでしたが、その文字を教えているたねが急に来なくなり、まひろは気になってたねの家を訪ねてみました。するとたねは父に叱られながら農作業をしていて、まひろが声をかけると父のたつじから「文字は要らない。余計なことをするな。」と文句を言われました。一方で道長は、面倒だからと罪人を密かに殺めている検非違使庁を改革しようと、何度も却下されながらも改革案を出していました。道長は身分の低い者にもちゃんとした裁きをと望んでいるのですが、摂政で兄の道隆は、権中納言の道長は下々のことを考えなくてよいと一喝しました。そして帝に入内させた娘の定子を中宮にすると言い、円融院の遵子を皇后にして定子を中宮にすると言いました。道長が前例がないと反論すると「公卿たちを説得せよ。これは命令だ。」と強く言い、多くの公卿が反対しても道隆は帝に「定子を中宮にする」と言わせました。たとえ高い志があっても己に権力がなければ何も成し遂げられないのだと、この時に道長は思い知るのでした。
April 9, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。このドラマは主人公は後に紫式部となる吉高由里子さんですが、吉高さんがまだ「まひろ」のうちは、メインは 藤原兼家(段田安則さん)と3人の息子たちの動きだと思って視聴しています。長男・藤原道隆(井浦新さん)と次男・藤原道兼(玉置玲央さん)の本人同士、そして妻子を含めた家族同士の対比に興味が湧いてきます。内面は冷徹だろうけど人当たりの良い道隆と、実務的な力はあるのに人気のない道兼。与えられた地位と家族の皆がそれぞれに持つ高い能力で、いつも自信にあふれて明るい道隆一家。働きの割には父からの評価が低くて悔しくて、兄より上に立とうと躍起になるものの、元からの卑屈な性格もあって妻子にプレッシャーをかけてしまい、どこか暗くなってしまう道兼一家。でもそんな兄たちをよそに、仕事の面ではブレずに己の考えに忠実であろうとして、会議の場でも上役に臆せず意見が言える藤原道長(柄本佑さん)がいて、この先のことを想像できる面白い設定だなと思っています。(もっとも私的な心の中はブレまくりにようですが)でもドラマの終盤で、老いて呆けたと思った兼家が道長に対して、しっかりした態度で父としての考えを伝えました。道長の甘さを指摘し、この先に道長が守るべきものとその理由をちゃんと説明しました。そしてさらに「その考えを引き継げる者だけがわしの後継だと思え。」ーー兄たちと違い道長は自分が父の後継者になりたいなんて一言も言ってないのだけど、兼家は道長に強くそう言いました。これは晴明から「答えは自分の心の中に既にあり、それが正しい。」と兼家が言われたことの、兼家が心の奥で直感して涙して得たことの答えなのでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)正月、一条天皇は摂政の藤原兼家の加冠により元服し、兼家は政権の頂点に、そして息子たちを瞬く間に昇進させて政権の中枢に置きました。兼家の長男の藤原道隆(井浦新さん)の中関白家には、学問・音楽・武芸など何をやっても他者より秀でた嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)と、優秀な息子が可愛くて仕方がない道隆の妻・高階貴子(板谷由夏さん)、伊周の弟の藤原隆家、そして間もなく一条天皇に入内する娘の藤原定子(高畑充希さん)がいました。明るく聡明な定子は入内した後には、元服したとはいえまだ幼い帝(一条天皇)と打ち解けるよう工夫をこらし、帝の心を掴もうと努力してしました。一方、一条天皇を即位させるために父・兼家の命ずるままに兄弟の中では誰よりも働いたと自負する藤原道兼(玉置玲央さん)でしたが、兄・道隆よりも下にいることが常に不満でした。道兼はその苛立ちを娘の藤原尊子(愛由ちゃん)をいずれ帝に入内させることにかけていて、尊子が定子よりも先に皇子を産めばとまで考えていました。道兼の妻・藤原繁子(山田キヌヲさん)はそんな夫に、自身の栄達も大事だけど尊子の幸せも考えてほしいと訴え、また尊子も父が自分に向ける強すぎる期待に恐れを感じて返事もできませんでした。まひろ(吉高由里子さん)が市場に買い物に出たある日のこと、男の怒号と女が言い争う声が聞こえてきたのでその場に行ってみると、3人の子供が縄で縛られ連れていかれるところでした。人買いの男が示す証文には確かに子供一人を布1反で売ると書いてあり、文字が読めずに人買いの嘘を信じてしまった貧しい女は、3人の我が子を人買いに渡さざるを得なくなりました。「文字が読めたらこんな不幸は起こらない。文字を教えたい。一人でも二人でも。」ーーそう考えたまひろは従者の乙丸(矢部太郎さん)に頼んで、人が大勢集まる場所で文字が読める嬉しさを伝える芝居を始めました。行きかう人のほとんどはまひろと乙丸の芝居を怪訝そうに見ているだけでした。でも、たね(竹澤咲子ちゃん)という少女だけは文字に興味を持ち、嬉しそうにまひろから文字を教わっていました。いつしかたねはまひろの家に来てもっと文字を教わるようになり、喜んで教えるまひろと一生懸命に学ぶたねの姿を、乙丸は温かく見守っていました。ただまひろの父・藤原為時が職を失って4年がたち生活はますます苦しいのに、まひろが一文にもならないことをやって喜んでいるので、為時に仕えるいとは苦々しく思っていました。この頃の朝廷では、尾張国郡司百姓等解文をはじめ地方の人々が国司の横暴を訴える上訴が相次いでいました。左大臣の源雅信(益岡徹さん)は国司たちがこのように勝手に重税を民に課しているのかと気にしていましたが、内大臣の藤原道隆は、これらの訴状をいちいち取り上げていてはきりがない、そこら中の民が都に来て訴えるようになる、全て却下すべきと意見し、他の高官たちも道隆に賛同しました。しかし道隆の弟の藤原道長(柄本佑さん)は、遠方より都まで出てきて上訴する民には切実な思いがある、民なくば我々貴族の暮らしもない、と反論しました。その道長の政への姿勢を藤原実資は感心して見守っていました。雅信は摂政の藤原兼家(段田安則さん)に意見を求めましたが、兼家は議題から離れたおかしなことを言いだして、その場の一同を唖然とさせました。父・兼家の老いと呆けが誰の目にも明らかになってきて、次男の道兼は父に早く自分を後継者にしてもらわなければと焦っていました。長男の道隆も、父はこの夏には世を去るだろう、その時には次は自分が摂政にと読んでいて、妻の高階貴子にも心づもりをしておくように言いました。一方、亡き父・太政大臣の藤原頼忠から、道隆ではなく道兼につくよう言われている藤原公任(町田啓太さん)は、道兼に取り入っていました。道兼は公任に、蔵人頭の立場を利用して父・兼家の様子を逐一自分に知らせるよう命じ、自分が父の後継者になった際には公任の出世を約束しました。さて、思いを寄せる道長を婿に迎えることができた左大臣・雅信の一の姫・源倫子(黒木華さん)は道長との間に一の姫の彰子をもうけていました。御所の勤めから戻った道長が物憂げな顔をしているのでどうしたのかと倫子が尋ねると、道長は父・兼家の様子がおかしいことを話しました。でも倫子は、それは兼家の老いであろう、自分の父・雅信もすっかり老いたがそんな父も愛おしい、ここまで一生懸命に働いてきたのだ、と語りました。そう聞いた道長は、父も長い闘いを生き抜いてきた、(孫の一人の)帝が即位して(もう一人の孫の)定子が入内したから気が抜けたのかも、と考えました。「お優しくしてあげてください。」ーー道長は倫子の言葉を受け入れました。さて、まひろの家には親戚の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が来ていて、この格好で御嶽詣でをしてきたと、土産話で盛り上がっていました。そして宣孝はまひろにまた縁談を持ってきたのですが、まひろは今は結婚など考えていない、収入にはならないけど子供に読み書きを教えていてやりがいを感じて楽しいと答え、宣孝はそんなまひろを興味深く見ていました。一方でまひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)には、摂政・兼家の加減が悪い、兼家が生きているうちは為時は官職を得られないがもしかしたら近いうちに、と情報を提供して宣孝は去っていきました。この頃、道長の妾である源明子(瀧内公美さん)が道長の子を宿していて、でもめでたいことなのに笑顔のない明子を、道長は優しく受け止めていました。その明子が突然、父・兼家の見舞いに行きたいと言い出し、道長は明子を父の元に連れていきました。兼家は明子にとって父・源高明を陰謀で失脚させた(安和の変)仇なのですが、兼家は明子のことも明子の父とのことも全くわからない状態でした。父の復讐を固く誓う明子は兼家の機嫌をとって扇子を手に入れ、扇子を使って兼家の呪詛をはじめました。兄の源俊賢は(兼家の孫を身ごもっている)明子をたしなめましたが、明子は復讐をやり遂げる決意でした。明子の呪詛のせいか兼家は夢でうなされるようになり、時には幻覚も見るようになって自分の先が長くないと感じたのか、陰陽師の安倍晴明を呼び出しました。兼家は自分の寿命があとどれくらいか、自分の後継者は誰なのかと問いました。しかし晴明はどちらもはっきりと答えは言わずに、答えは兼家の心の中に既にありそれが正しいとだけ言い、兼家はなぜか涙しました。父の病状を案じて道長が声をかけた時、兼家は道長に語りました。「民をおもねるようなことだけはするな。お前が守るべきは家の存続だ。人は皆死ねば土に還る。栄光も誉れも死ぬが家は生き続けるのだ。家のために成すことが政だ。その考えを引き継げる者だけがわしの後継だと思え。」老いた父がしっかりとした口調で、全身全霊を注いで自分に伝えたかのような言葉を、道長は深く胸に刻みました。ところでまひろですが、この頃には本当に生活に困っていて、その事を学びの会の時に聞きつけた倫子が自分の家で働かないかとまひろを誘いました。しかし倫子の屋敷は(倫子はまだ知らないけど)まひろがかつて愛した道長が婿として住む家です。まひろは倫子の心遣いを嬉しく思いつつも、倫子の申し出を断りました。ただこの折に倫子が道長の文箱から気になるものを見つけたと言ってまひろに漢詩の文を見せたのですが、それは4年前にまひろが道長に送ったものでした。漢詩は男が使うものだけどこれはどうも女文字、もしかしたら明子女王が?と倫子は考えを巡らせてしまい、さらには4年前に初めて道長と結ばれた折にも自分とは文のやり取りもなかったと、倫子は寂しげでした。しかしまひろにとっても、4年前に別れたあの直後に道長はここに来たことと、道長の子が目の前にいて倫子が道長の話をしたがるのは辛いものでした。まひろが倫子に断って帰ろうとした時、廊下で道長と再会し……。
April 2, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、まひろ(吉高由里子さん)と藤原道長(柄本佑さん)がやっぱり互いに思い合っているし、相手の立場を理解して歩み寄ろうとしているのに、結局は二人が別の方向に行ってしまうことが気になった方が多いと思います。しかし私は、全く別の部分で感動していました。ドラマの冒頭でまひろの父・藤原為時の妾で病人のなつめを演じた藤倉みのりさんと、ドラマの中盤で一の姫の倫子の元に道長が婿入りしようとしていることでオロオロとうろたえまくる左大臣・源雅信を演じる益岡徹さんの、お二人の演技に感動でした。重病人を演じる藤倉みのりさんの、力の入らない体、やつれ具合、咳き込み、荒い息づかいなどは、どう見ても重病人そのものでした。また娘・さわにどうしても会いたいと哀願する表情、願いが叶って心残りはないという表情など、どれも見事だったと思います。そして益岡徹さん。目に入れても痛くないほど可愛い自慢の姫の倫子の縁談では、摂政の藤原兼家には気圧され、倫子からはどうしても道長を婿にしてほしいと懇願され、特に倫子をなだめるシーン(22分10秒から24分30秒)の益岡さんの表情は、困惑や狼狽を表すのにこんなにも種類があるのかと、画面に見入ってしまいました。感動というと、泣けることをさすことが多いと思うのですが、感動の言葉の意味は「美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること」とあるので、私はお二人の演技にスゴイ!と思う感動をしたのです。私は演技に関してはド素人ですが、ここでベテラン役者さんの本領発揮を見たと思っています。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和2年(986)夏、藤原為時(岸谷五朗さん)は病の床に伏す妾のなつめ(藤倉みのりさん)はもう先が長くないと悟り、僧を呼んで得度(出家して僧や尼になること)の儀式を受けさせ、なつめを安心させました。しかしなつめにはもう一つ心残りがあり、離れて暮らす娘のさわ(野村麻純さん)に一目でも会いたいという思いでした。為時は娘のまひろ(吉高由里子さん)に頼んでさわを呼んできてもらい、離別してからずっと会えなかった娘との再会を果たせて、なつめは為時に看取られて穏やかに旅立っていきました。その後、さわは礼を言いにまひろのもとを訪れ、そしてまひろに家での仕事や琵琶の弾き方などを習って、姉妹のように仲良く時を過ごしていました。しかし為時の失職によりまひろの家の暮らしは厳しいものになっていました。それを案じた親戚の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)は、まひろがこの家に力のある婿を迎えることこそが最良と考え、いい人物がいると話をしにやってきました。その相手は正四位下で左中将の藤原実資で先ごろ北の方(嫡妻)が亡くなっていて、知恵者で名高い実資は賢いまひろを気に入るだろう、ということでした。為時も実資の学識と筋の通った人柄を認めていて、自分たちとは身分が違い過ぎると思いつつも、まんざらではないようでした。(まひろはこの時は、自分の気持ちも考えずに勝手に盛り上がる父と宣孝に困っていましたが、後で宣孝に「甘えるな。」と叱られています)さて、藤原道長(柄本佑さん)には妾腹の兄・藤原道綱(上地雄輔さん)がいて、父・藤原兼家の陰謀の折にも一緒に働いてその後に父に官位を上げてもらっているのですが、道綱は宮内での人間関係に疲れているようでした。道綱は道長の住む東三条殿に遊びに来て、酒を酌み交わしながら11歳年下の道長にあれこれ愚痴を言っていました。その折に道綱が女の「妾という立場」のことにふれ、道綱の話から道長はまひろとのやり取りを思い出して一人考えにふけっていました。(そしたら兄から顔をムギューっと。この2人は互いに心を許せるようです。)後日、摂政となった藤原兼家(段田安則さん)は左大臣・源雅信(益岡徹さん)を呼びたて、人払いをして内密の話をしました。その内容は、兼家の息子・道長が雅信の一の姫の倫子に婿入りしたいというもので、兼家にとっては願ってもないことでした。兼家は言葉こそ愚息の願いとか雅信への敬語とかで雅信を立てていますが、口調や態度は話を進めるごとに強くなっていき、是非にでもこの縁談が成立するようにと雅信に圧をかけていました。兼家に気圧された雅信でしたが、兼家とのつながりは慎重にしたいので即答は避け、まずは倫子の気持ちを確かめなければと言ってその場を濁しました。道長を倫子の婿にすると決めた兼家はすぐに道長を左大臣家に送り込み、道長が大臣家の皆の目に留まるようにしました。道長が帰った後、源倫子(黒木華さん)が思いつめたような顔で父・雅信のところに来て、そして父に訴えました。「私は、藤原道長様をお慕いしております。」自慢の姫で可愛くて仕方がない娘から、好いた男がいると言われて激しく衝撃を受ける雅信左大臣さま。さらに倫子からは、夫は道長と決めている、どうか婿に、生涯一度のお願いとまで言われ、雅信はよりによって摂政家の若君をと、どうしたものかと狼狽するしかありませんでした。果て倫子は、道長との結婚が叶わなければ自分は生涯、猫しか愛でないとまで言いだし、なんとか父上の力で道長を婿にともう必死の訴え。そして倫子が道長の目に留まっていたようだと伝えたら、それならば!とさらに力を込めて、そして泣きながら倫子は父に訴えました。涙する倫子を雅信が慰めながらつい「不承知ではない」と言ったら、それを妻の穆子が聞いていて「この話、是非進めていただきましょう」と穆子からも雅信に圧が。摂政・兼家の圧に負け、可愛くて仕方がない娘の涙の懇願に負け、妻からの圧がダメ押しとなり(要するに自分以外はみんな賛成っこと)、左大臣さまは道長を婿として迎えることになりました。道長は姉で一条天皇の生母である藤原詮子から、倫子だけでなくもう一人、醍醐天皇の孫にあたる源明子を妻に迎えよと強く言われていました。さて、倫子との結婚を意識したからか道長はかな文字の稽古に励んでいて、藤原行成(渡辺大知さん)が師となって教えていました。いつもは大した欲もなく日々を過ごしていると思っていた道長がやる気になっていて、藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)は目を見張りました。道長の姿を見て、これは摂政家が宮中を全て意のままにしようとしているのではと感じた公任は父で太政大臣の藤原頼忠に相談しました。すると父・頼忠は、自分は内裏に出仕をするのをやめるから後を頼むと、そして摂政家では藤原道隆ではなく藤原道兼と懇意になるよう、公任に助言しました。さて平安の都では、人々が眠らずに夜を明かす庚申待ちの夜を迎えました。まひろは弟の藤原惟規(高杉真宙さん)と、近頃すっかり親しくなったさわと共に3人であれこれ語り合いながら眠らない夜を過ごしていました。その時、道長の使いで百舌彦がまひろ宛の文を持ってきていたのですが、それを受け取った惟規が勝手に開封してしまい、さわにも読まれてしまいました。でも、いつもの空き家で道長が待っているのでまひろは居ても立っても居られず、惟規とさわを置いてすぐに家を飛び出していきました。まひろは無我夢中で走りながら、妾でもいいから道長の妻でいたい、道長以外の妻にはなれない、と思いを改めていました。しかし道長と再会して道長の口から出た言葉は、左大臣家の倫子に婿入りする、それを自分でまひろに伝えたかった、ということでした。思いがけない展開にまひろは呆然としつつも、なんとか道長を祝福する言葉を送り、道長もまひろが理想とする政を行うために精一杯努めると返しました。まひろは道長なら妾でもいいと思ったけど、才能も人柄も素晴らしくて自分も好感を持つ倫子が嫡妻ではそれはできない/したくないと思い、自分も道長と別れるつもりだったととっさに言葉をつくろい、去っていきました。(息を切らしながら何かを期待した顔で空き家に入ってきたときのまひろのことを思い出せば、今の言葉は本心じゃないと道長もわかると思うのですが。)まひろが去った後、道長はその足で倫子の屋敷を訪れました。(道長なりに、まひろとの決別の思いもあったと想像します。)穆子は倫子に文も寄越さずにいきなり来た道長を呆れつつも、そのまま倫子の部屋の前に通しました。御簾の内を許された道長は倫子の傍に座り、倫子の手を取って徐々にと思っていたら、倫子のほうから道長の胸に飛び込んできました。自分への思いを一心にぶつける倫子に、道長も自然と惹かれていきました。道長に会うために急ぎ走った道を、まひろはトボトボと歩いて帰ってきました。家を出るときは飛び出していった姉が思ったよりも早く、しかもどこか哀しげな顔をして帰ってきたので、惟規とさわはうまくいかなかったのだと察しました。二人は何も言わず、惟規はまひろに酒を勧め、さわは「こらえなくてもいい」とまひろをなぐさめ、まひろは夜空を仰いで酒を一気に飲み干しました。(まひろが道長とのことで傷ついていることを察し、まひろの悲しみに寄り添いただ傍にいてくれる惟規とさわがいてくれてよかったと思いました。)
March 27, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は花山天皇を退位させた寛和の変(986)のその後が描かれ、視聴した後に私は政治的な面よりも藤原兼家(段田安則さん)の父としての息子たちへの扱いが気になりました。いつの世でも、その人の外見や雰囲気や言動で、本人が特に意識していなくてもなんとなく周囲の人が惹かれるいわゆる「人気」のある人がいます。反対に本人の地のままでは特に引き寄せられるものが感じられない人気の無い人もいます。父・兼家は、息子たちの性格を親として直感し、長男・道隆(井浦新さん)と三男・道長(柄本佑さん)には、自然と人の気を集めることを期待したと思います。そして次男の道兼(玉置玲央さん)には、周囲の目がとかいずれとか言って、あの働きの割には自分の扱いが低いと怒る道兼をなだめて説得していました。これはまあ兼家が道兼を利用しているだけ、と思えるのですが、それでも兼家は道兼に「相手の心をつかめ」と大事な助言をしています。つまり兼家は父として道兼の性格ではこれから政治家となるうえで大切な「人気がない」ことを見抜いていて、力を持つためにも周囲を味方にするよう努力し、実力で兄・道隆を抜け、と道兼に言っているようにも思えました。もちろん現代でも、上に立つ人や人気のある人は、元々持っている能力や性格に加えて、見えない場所で本人がすごく努力しているのがほとんどだと思いますが。親の直感は正しいことが多いーー今回はドラマから、ふとそんなことを思ってしまいました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和2年(986)6月、藤原兼家の陰謀で花山天皇は退位させられ、人事が大きく入れ替わったため、まひろ(吉高由里子さん)の父の藤原為時(岸谷五朗さん)は官職を失い、再び無職になってしまいました。為時は昨夜のうちに何があったのかは全くわからず、ただ兼家が新しい帝の摂政として最高権力者になったことと、兼家の元を去った自分は兼家には許してもらえずこの先の除目でも職を得ることはないと深く落胆していました。大学に入ったばかりのまひろの弟・藤原惟規(高杉真宙さん)も父の力添えはもう期待できなくなり、苦手な学問に励んで自力で進むしかありませんでした。帝のあまりにも突然の退位・出家には誰もが驚きを隠せず、藤原公任(町田啓太さん)たちも密かに、誰が何をどうやったのかと憶測し合っていました。父が太政大臣・藤原頼忠である公任は、あの日の明け方に兼家の息子の藤原道長(柄本佑さん)が父の元に帝の譲位を馬で報せにきたことを漏らし、そう聞いた藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)は、これは兼家の一家を挙げた謀り事だと3人は考えました。そこに当の道長が来たので行成はさっと話題を変えましたが、斉信は直に事件のことを道長に問いました。道長は「知らないほうがいい」と流し、そのまま学問の時間に入っていきました。無職となってしまった父に何とかして職をもらうためにも、まひろは左大臣家の一の姫の源倫子を訪ねました。左大臣・源雅信の力で父に職をと期待したまひろでしたが、摂政・兼家の決定を左大臣がくつがえすことはできない、摂政はまひろの身分では直接会える人ではないと、倫子から厳しく言われました。それでも諦めきれないまひろは藤原兼家(段田安則さん)の屋敷に行き、兼家に会えるまでは帰らないと食い下がって、なんとか兼家に会ってもらえました。まひろは兼家に、父は長年精一杯勤めてきた、どうか官職をと懇願しました。しかし兼家は、自ら去っていった為時に情けをかけることはできない、自分が生きている間は為時が官職を得ることはない、と厳しく言い渡しました。まひろが帰宅すると親戚の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が来ていました。まひろが兼家に会ったとこを話すと宣孝は、摂政に会えただけでも途方もない事、摂政に直談判するなんてまひろは肝が据わっている、と感心していました。ただ父の仕事が望めない以上、下女たちは暇をだして自分も働かねばとまひろが言うので、宣孝は「有望な婿を取れ」と助言しました。北の方(正妻)にこだわらなければまひろならいくらでも良い婿が来る、それでこの家も安泰だ、と宣孝は言います。妾は好まぬまひろでしたが、宣孝は誰か探してやると言って帰っていきました。御所では早速、摂政・兼家による臨時の除目が行われ、兼家は(帝の退位の裏で密かに働いた)長男・道隆や次男の道兼を昇進させていました。そして兼家の孫の懐仁親王は新たな帝・一条天皇となり、帝の母で国母となった藤原詮子(吉田羊さん)は、まだ7歳の帝にいろいろと心得を聞かせていました。また次の帝となる東宮には、詮子の亡き姉・超子が産んだ居貞親王(兼家の孫で道長の甥)が立ちました。兼家は妾の藤原寧子(財前直見さん)を訪ねていました。寧子との間の子の藤原道綱(上地雄輔さん)も花山天皇退位の件ではさちゃんと役割を果たしたので、蔵人の官職を与えていました。亡き北の方(時姫)の子たちは兼家の力で十分過ぎる昇進をしているので、寧子は道綱のことが気が気ではなく、何度も兼家に念押しをしていました。(しつこく言わないと兼家が道綱のことを忘れそうで心配なのかも)でも道綱は、高い位についても自信がないと、蔵人で十分満足していました。(素直で明るい道綱を兼家も可愛がっているとは思いますが、逆に道綱も父母の前では明るくふるまうよう努力しているように思えました。)そして幼い一条天皇(高木波瑠くん)が即位式をする朝がきました。即位式のときのみ使われる高御座では着々と儀式の準備が進められていたのですが、道長が外で警護をしているとその高御座のほうから悲鳴が上がり、道長が急ぎ駆けつけてみると、そこにいた者たちは皆腰を抜かして恐怖におびえていました。道長が高御座を覗いてみると、そこにはなんと子供の生首が。道長はそれを布でくるみ捨ててくるよう舎人に命じ、またこのことは一切他言無用、外にもれたら命はないと思えと、そこにいた者たちに厳しく命じました。それから準備を進めるよう命じたものの誰もが穢れを恐れて動けないので、道長はやむなく自分で穢れの始末をし、その後では何事もなかったかのように即位式が執り行われました。その一方で、失意の花山院は播磨国書写山の圓教寺に旅立っていきました。兼家の孫で藤原道隆(井浦新さん)の甥でもある一条天皇の即位は一族にとって大変喜ばしいことで、兼家は道隆やその嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)、いずれ一条天皇に入内させる予定の娘の定子(木村日鞠ちゃん)ら道隆一家と、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)を招いて宴を開いていました。聡明で物おじすることなく晴明に対しても思うままに物を言う伊周と、入内したら皇子を産むよう加護をしてほしいと道隆に頼まれた定子を、晴明は何か考えながら黙って見つめていました。ところがその宴のさなかに、父・兼家のご機嫌伺いに来た次男の藤原道兼(玉置玲央さん)が兄の道隆一家が楽しそうにしているのを見て、帝の退位の件では自分はあれだけ働いたのになぜ呼ばれないのかと、怒りを露わにしました。兼家は道兼をなだめるためにに庭に出て、道兼が身を賭して働いたことを内心は十分に認めていました。しかし公卿たちの目もあるのですぐには高い地位につけられない、いずれ報いる、この宴は定子を入内させるためのものであり、道兼の3歳の娘も同じように帝に入内させたい、孫娘2人の入内を考えられるこの幸せは道兼が切り開いてくれたおかげだと、道兼の将来も考えていると兼家は話しました。さらに道兼が高い地位に就いたときのためにも今から公卿たちの心を掴んでおけ、地固めをしておけば堂々と兄を抜けると助言し、道兼は納得して喜んでいました。まひろの父が職を解かれたことでまひろの生活が苦しくなっていることを道兼は薄々感じていました。一方、源倫子(黒木華さん)もまひろのことを案じていましたが、その話からなぜか倫子の婿取りの話になり、倫子は密かに思う人がいると打ち明けました。倫子が思う相手は道長なのですがそれは伏せ、必ず夫に、この家の婿にするとまひろに決意を伝えました。そんな頃、まひろへの思いをまたどうしても抑えられなくなった道長は家人の乙丸を通じてまひろに会いたいと伝え、同じ思いのまひろもそれに応じて夜に道長が待つ空き家に向かいました。まひろをどうしても自分のものにしたい道長は、まひろに妻になってほしいと思いを伝えましたが、それはあくまで妾としてでした。道長は自分の心の中ではまひろが一番だと言いますが、妾の立場はまひろには絶対に受け入れたくないことで、道長と考えが対立してしまいました。父を摂政にもつ道長にとってまひろを北の方にすることは無理であり、せめて妾であれば自分なりにまひろ一家を守ってやれるという思いもあったでしょうが、それも叶わぬことに激しく失望した道長は怒って一人で帰ってしまいました。(前回は道長が、今回はまひろが感情的に。互いに相手のことを思って冷静に考えられても、自分のことには感情的になってしまうようです。)それから屋敷に戻った道長は父・兼家のところに行き、何かを頼んでいました。
March 19, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は開始早々、藤原兼家(段田安則さん)が一族の存続をかけた陰謀のために、4人の息子たちそれぞれに役割を与えていく場面に、思わず引き込まれました。兼家は父として息子たちの個々の性格や能力をよく見ていて、そこにそれぞれの息子に対する自分の感情を織り交ぜた絶妙な役割分担をさせていたように私は思えました。長男・道隆(井浦新さん)は跡継ぎとして大事であり、また全体をまとめるのが上手で人望があるので、計画が成功した暁には家が安泰する絶対的な地位に。次男・道兼(玉置玲央さん)には目的を達成するための下準備の、陰で動く一番難しい裏方の役割を。庶子の道綱(上地雄輔さん)は明るく素直で可愛いけど、万一の時は汚れ役をやるように命じ、そして末子の道長(柄本佑さん)は息子として可愛いという思いと道長の人望を見込んで比較的ラクな役割を振っていました。さらに兼家はこの陰謀で、上3人の息子は自分と運命を共にする覚悟で、そして万一のことを考えて道長だけは生き延びさせて、家の再興を図るようにしました。先々を考えた時に、表舞台に立つ者(道隆と道長)と裏方に徹する者(道兼と道綱)、成功か否かどうなるか分からない状況で、自分と運命を共にする者(道隆と道兼と道綱)と必ず生かしておく者(道長)。4人の息子をどちら側の置くべきかを、冷徹なまでに判断して役割を振り分けていました。ところで、この「家の存続のために誰かは生き残るようにしていく」という場面に、長年大河ドラマを見ている方は、どこか既視感がある方が多かったと思います。そう、2016年の『真田丸』の、『犬伏』の回です。真田家の3人が豊臣と徳川のどちらにつくかで悩んだ末に、父・昌幸(草刈正雄さん)と弟・信繁(堺雅人さん)は豊臣方に、兄・信之(大泉洋さん)は徳川方につくことにして、勝敗がついた時には互いに命がけで除名嘆願をすると決めた、あの親子の別れの回でした。権力者が大きく入れ替わるかもしれないという時は、どの時代も命を懸けた大きな決断があったのですね。さて、今回のドラマの中で、いったいどれほどの意味があるのかよくわからない「剣璽」について、番組のHPで解説が出ていました。 ⇒ ⇒ 剣璽とは こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和2年(986)6月某日、帝(花山天皇)を退位させようともくろむ藤原兼家(段田安則さん)は、安倍晴明の占いで決行は6月23日が良いと言われ、急ぎ4人の息子たちを集めて計画を練りました。その日の丑の刻から寅の刻のわずかな時間の間に帝を出家させるために、次男の藤原道兼(玉置玲央さん)には、丑の刻までに女装させた帝を内裏から連れ出すように、長男の藤原道隆(井浦新さん)には、朔平門の外に女車の牛車を用意し、丑の刻までに朔平門を出るようにと。その後は内裏の全ての門を閉じ、道兼は帝に同行して元慶寺に行くように、また剣璽を道隆と庶子の藤原道綱(上地雄輔さん)で梅壺に運ぶように、もし誰かにそれを見られたらその者を道綱が後で始末をするように、という父の命でした。(父に呼ばれて喜んで参上したであろう道綱。それがとんでもない陰謀の一端を担うことになり、重責に恐れおののいていました。)兼家は三男で末子の藤原道長(柄本佑さん)には、剣璽が梅壺に運びこまれたら、帝が譲位したと関白・藤原頼忠の屋敷に伝えに走るよう命じました。この陰謀はもし万一失敗したら兼家の一族は滅びるという大きな賭けでした。なので伝令を命じた道長には、万一しくじった時は、道長は父が謀り事をしたと関白に伝えよ、道長自身は何も知らなかった事にして我が身とは関わりない事と言い張れ、そして生き残って家を守れ、と言いました。道長が家を守るのは道隆兄上の役目ではと問うと父は、この謀り事が成功すれば手柄は道隆のもの、道隆はそちら側だと言って父は去っていきました。このところ父・藤原為時(岸谷五朗さん)が高倉の女のところに行ったままずっと家に帰ってこないので、まひろ(吉高由里子さん)はどうにも気になってしまい、様子を見に行ってしまいました。粗末な家に住むその女は病の床にいて、為時に粥を食べさせてもらっていました。まひろがいることに気がついた父は庭に出てきて、事情を説明しました。女は病が重いが他に身よりもなく見捨てられない、間もなく命が尽きるだろうが一人で死なせるのは忍びなく見送ってやりたい、と父は言いました。父を人として立派だと思ったまひろは女の看病の協力を申し出ましたが、為時はまひろの気持ちだけ受け取ってそれは断り、まひろは家に戻りました。(こういう時の従者(乙丸;矢部太郎さん)は、話をしている主人の方を見ないようにして待っているのですね。)まひろが高倉から戻ると、道長の従者の百舌彦が家の前で待っていました。百舌彦は道長からの文をまひろに届けにきていて、まひろは胸が高鳴りました。文には古今和歌集の句が書かれ、それは道長のまひろへの恋心でした。まひろは急いで漢詩で返歌を書いて道長に届け、道長からは恋心を歌う和歌が、まひろからは冷静な漢詩がと、そんなやり取りが3度続きました。このことを道長が藤原行成(渡辺大知さん)に相談すると行成は「和歌は人の心を言葉に表したもの、漢詩は人の志を言葉に表したもの。漢詩を送るという事は、何らかの志を詩に託している。」と助言をくれました。道長とまひろが交わした和歌と漢詩の内容についての解説があります。 ⇒ ⇒ こちら 道長は6月23日に決行される謀り事のために、東宮(懐仁親王)の生母であり、姉の藤原詮子(吉田羊さん)のいる梅壺を訪ねました。この時に道長は梅壺から出ていく女性を見ていて、姉はその人は亡き源高明の一の姫の明子女王だと言いました。詮子は父・兼家が万一失脚しても懐仁親王が困らぬよう、宇多天皇の孫である左大臣・源雅信と醍醐天皇の皇子である源高明の2つの源氏を後盾にしておきたい、だから道長が明子女王と左大臣の一の姫の倫子の両方を妻にもってくれたら言うことない、と嬉しそうに語りました。さて道長が内密の用事でここに来たと察した詮子は人払いをし、道長は詮子に近寄って小声で、23日は内裏から出ないようにという父の伝言を伝えました。道長は詳細は詮子には伏せ、この時に起こることは詮子と東宮にとって悪い話ではないと言い、詮子は父も兄たちも信用できないけど唯一信用できる道長が言うならと、詮子は了承しました。一大事の決行を前に、まひろへの思いをどうにも抑えられなくなった道長は、情熱のままに文をしたためてまひろに送り、道長の思いを受け止めたまひろは逢瀬のために一人夜道を駆けていきました。道長はこのまま二人でどこかに行って一緒に暮らそう、自分は藤原と今持っている全てのものを捨てるとまで言い、まひろに決心を促しました。激情のままこの先の出世も何もかも捨てると言う道長だけど、貧しい暮らしの辛さを、なにより権力がないと直秀のように理不尽な目に遭う事を知っているまひろなので、道長の思いに応えられないと言いました。道長が好きでたまらない、でも二人で都を出ても世の中は変わらない、道長は偉い人になってより良き政をする使命がある、とまひろは伝えました。高貴な家に生まれた道長だからこそできる己の使命を果たして欲しい、直秀もきっとそれを望んでいると、そしてまひろは語気を強めて「一緒に遠くの国には行かない」とはっきりと道長に伝えました。でもこの都で、誰よりも愛おしい道長が政でこの国を変えていく様を片時も目を離さず見つめ続ける、とまひろなりの思いの丈を伝えました。そして夫婦にはなれないけど、愛し合う思いを二人で確かめ合いました。(互いに思い合うからこそ、激情のままに藤原を捨てるという道長と、最後は権力が身を守ることを知っているから貧しい弱い側に道長を来させてはいけないと理性で考えるまひろ、だと思いました。)そしていよいよ兼家の陰謀を決行する日になり、帝(花山天皇;本郷奏多さん)を内裏から外に連れ出す役割の道兼は、急に側近の藤原義懐に相談しようか、とか忯子の文を忘れたとか言いだす帝を説得するのに苦労していました。どうにかして道兼が帝を朔平門で待つ牛車に乗せたら御所の全ての門が閉じられ、道隆と道綱は剣璽を運びに動き出しました。(本妻の兄たちのように出世は望めないけど、重圧もなくノビノビ暮らしているであろう道綱は、生死を懸けた大仕事の一端を担うことになり、あまりの緊張で心も身体も平常ではいられませんでした。)剣璽が懐仁親王(高木波瑠くん)のいる梅壺に運びこまれた後、道長は急ぎ馬で関白の藤原頼忠のもとに走り、ただいま帝が退位して剣璽が梅壺に移り、東宮が践祚したと報告をし、関白にはすぐに内裏に来るように促しました。花山天皇退位の策を考えた安倍晴明は星空を見上げながら事の成り行きをじっと見守っていました。亡き女御の忯子を思うあまり道兼の誘導に乗せられるがまま出家への道を進んだ花山天皇は、元慶寺で剃髪を終えて出家しました。しかし一緒に出家すると約束していた道兼は、自分の番になったら出家はしないと言い、後を御坊に任せてさっさと退室していきました。花山天皇は道兼に裏切られた、騙されたとわかってもすでに後の祭り。屈強な武者たちに道をふさがれ、あきらめるしかありませんでした。花山天皇が退位して出家した報は藤原義懐にももたらされました。そして寅の刻となり、事がうまく終わった兼家は高笑いが止まらず、4人の息子たちは安堵の表情になり、我が子の懐仁親王がこれから新しい帝になる詮子は、父・兼家のやり方やこれからのことに複雑な思いでした。夜が明けて蔵人たちが仕事に就いた時、兼家と道兼が入ってきました。そして兼家は、昨夜にわかに帝が退位して東宮が践祚したこと、まだ幼い新しい帝の摂政は自分が務めること、今ここにいる蔵人は習いにより皆解任となること、新しい蔵人頭は道兼が務めると告げ、退室していきました。その後で道兼が新しい蔵人を発表し、藤原実資は筋が通らぬ、納得がいかないと猛反発しましたが、道兼に逆らう力もなく黙るしかありませんでした。
March 12, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で強烈だったのは、藤原兼家を演じる段田安則さんの、4人の子たちを前にして、政界を生き抜いてトップに立つための術を父として教えておこうとする、迫力の演技でした。そして父・兼家と共にだんだんと、4きょうだいたちの生き方や能力が見えてくるようになりました。藤原道隆(井浦新さん)は第6回の漢詩の会でもあったように、若い者たちををうまくまとめて望ましい方向に皆を率いていく、長男らしい力を感じます。次男の藤原道兼(玉置玲央さん)は親の愛を乞うが故に、父が望むことならなんでもやろうと考え、この策略も父が誰よりも先に自分だけに真実を明かしてくれたのが嬉しくて、そのために己を痛めつけて帝に近づきました。ただそれで得た「成功」の喜びをどこか得意げになって兄と弟に語る姿は、少しもの悲しい部分も感じましたが。三男の藤原道長(柄本佑さん)は、幼い頃から力の弱い者たちをかばってやる優しさがあり、自分とは異なる世界の考えも受け入れる度量があります。でも今はまだ、どの方向に行けばいいのかを模索中で周囲の考えや行動をじっくり見ている感じです。道長の姉の藤原詮子(吉田羊さん)は女子だけど父の気質をいちばん受け継いでいるようです。ただ父ほど人生経験も実力も足りないので、まだまだ未熟で迫力も足りない感じがしますが。そして今回意外だったのが、直秀(毎熊克哉さん)があまりにもあっけなく退場となったことでした。直秀はもっと後半まで登場してまひろの人生に絡んで、たくさんの影響を与える人かなと思っていました。でも直秀を演じた毎熊さん、見事なインパクトを我々視聴者に残していってくれました。もしかしたらNHKに、この先のドラマで毎熊さんが違う役で再登場するよう嘆願書がたくさんきているのでは?と想像してしまうほどに。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和2年(986)藤原道長(柄本佑さん)が住まう東三条殿に盗賊の集団が入り、警護の者たちが捕らえてみたらそれは直秀(毎熊克哉さん)たちの一行でした。道長は直秀に会ったときからどこか親しみを感じ、つい先日は“弟”として打毬の代理も頼んでいましたが、もしかしたらあの時の盗賊ではとうすうす感じていて、この時それがはっきりとしました。道長は警護の者たちに、直秀たちは人を殺めてはいない、手荒なことはするな、検非違使に引き渡せと命じて、奥に入っていきました。左大臣・源雅信の一の姫の源倫子(黒木華さん)のところでは、茅子(渡辺早織さん)としをり(佐々木史帆さん)が右大臣家の東三条殿での盗賊騒ぎの噂をあれこれと話していました。道長が活躍した話になったときには密かに道長を思う倫子はついうっとりとしてしまい、慌ててごまかしたりもしていました。(道長が獅子奮迅の働き?・・というか、この時は家来に指図しただけだと思うのだけど、噂はいつの時代も尾ひれがついて誇張されていくのですね。)左大臣家からの帰り道、まひろ(吉高由里子さん)は直秀たちがいつも稽古をしている場所に立ち寄り、直秀の行方を捜していました。するとその時放免たちが来て、まひろと乙丸(矢部太郎さん)を盗賊の仲間だと決めつけて、縛って獄に連行していきました。ただちょうどその時に道長が直秀たちの様子を見に獄に来ていて、彼らを早めに解き放つよう、手荒なことはしないよう頼んで番人に金を渡していてそこにいたので、まひろと乙丸は道長によってすぐに解放されました。しかしその時、獄の中にいる直秀たちを見てまひろは愕然として立ちすくんでしまい、道長はまひろを連れてすぐにその場を立ち去っていきました。道長はまひろを馬に乗せて、少し離れた空き家に入って話をしました。なぜ直秀たちを見逃してやらなかったのかと問うまひろに道長は、自分の立場上それはできない、自分の今の生活は身内とて信用できない、でもまひろと直秀は信じている、直秀は盗賊であっても敵は貴族と筋が通っている、と説明しました。そして直秀たちの身を案ずるまひろに、検非違使には心づけを渡しておいたからまもなく獄を出て都から遠くに解き放ちとなるだろう、と道長は言いました。その時、乙丸がそろそろ帰宅をと声をかけ、道長は送っていこうと思いました。でも一緒にいるところを左大臣家の誰かに見られたらよくないとまひろは断り、道長に今日の礼を言って帰っていきました。(もしなにか噂になれば権力のある道長はいいけど、力のないまひろの側はそうはいかないですからね。)最愛の女御の忯子を亡くして以来、帝(花山天皇)は何もする気力が起こらず、帝に仕える藤原為時(まひろの父)もただ黙って見守るしかありませんでした。しかし今の帝の次の代も権力を持っていたい側近の藤原義懐は、蔵人頭である藤原実資(秋山竜次さん)に帝の傍に女子を送り込むよう命じました。義懐はさらに、帝の気力が戻らないのは実資の怠慢とまで言い、我慢がならなくなった実資は義懐に反論、義懐は帝に対する愚痴を言いながら去っていきました。帰宅した実資は妻の藤原桐子(中島亜里沙さん)に宮仕えでの不満や愚痴をあれこれとこぼしていました。実資の愚痴があまりにしつこいので、桐子は日記を書くことを勧めました。(ドラマでは実資は「日記など書かん!」と言ってますが、実際には『小右記』という全61巻の日記を残しています。)ところで、病で倒れてずっと眠ったままだった藤原兼家(段田安則さん)は、実は病は陰陽師の安倍晴明と組んだ芝居であり、とうに回復していました。兼家の枕元に長男・藤原道隆(井浦新さん)ら4人の子が集まり、兼家は4人に我が一族の命運に関わる大事な話だから心して聞くよう言いました。兼家の狙いは今の帝をなんとか譲位させて娘の藤原詮子(吉田羊さん)が生んだ懐仁親王を玉座につけることであり、晴明がそのための画策をしていました。そして次男の藤原道兼(玉置玲央さん)には、帝の信頼を得て傍にあがるように命じていて、道兼は己を傷つけ父・兼家に冷遇されていると見せて帝の哀れみを誘い、帝の様子を父に知らせていたのでした。策として晴明は忯子の霊が兼家に憑りついていると噂を流した、しかしこの後、内裏でさらにいろいろなことが起こり(=起こし)、それは兼家が正気に戻ったと同時に忯子の霊が内裏でさまよっているということにして帝に譲位を促すというものだと、兼家は4人に説明しました。そして兼家は力強く「これより力の全てを懸けて、帝を玉座より引き降ろし奉る。皆、心してついてこい。」と言い、父の命を道隆・道兼・道長は承知しました。さらに兼家は、源を味方につけて強気になっている詮子に、いつもの「女御さま」ではなく父として「詮子」と呼び、自分についてこなければ懐仁親王の即位はないと思え!と念を押しました。ところで獄にいる直秀たちですが、捕まってからずっと取り調べもなく、この先自分たちはどうなるのだろうと、不気味さと不安を感じていました。でも盗みはしたけど人殺しはしていないからムチ打ち30くらいかなとか考え、ここを出たら女に会いに行こうとか話をしていたらそのうち冗談も歌も出てきて、皆で歌って笑って獄での時を過ごしていました。一方、直秀たちの今後が気になっていた道長は、直秀たちが流罪となって明日の卯の刻(夜明けの6時頃)に出立するという情報を得ました。そこで従者の百舌彦を通じてまひろに伝え、直秀たちを見送ろうと思いました。しかし道長とまひろが見送りに来たときには、直秀たちはもう出立していました。向かった先が鳥辺野と聞き、そこは屍の捨て場であり、まさかと思いつつ道兼はまひろを馬に乗せて急ぎ鳥辺野に駆けつけました。そして道長が着いたときには時遅しで、直秀たちはすでに放免たちに殺されて息絶えていました。せめて遺骸をカラスや獣たちに荒らされないよう道長とまひろは二人で皆の穴を掘り、直秀には自分の扇子を持たせ、彼らを埋めてやりました。検非違使が最初彼らを拷問にかけるようなことを言っていたから、手荒なことをさせないよう心づけを渡した、でも後で盗人ならせいぜいムチ打ちくらいと聞き、もしかしたら自分のしたことで検非違使が何か思い違いをして直秀たちを殺してしまったのかと、道長は激しく後悔して皆に詫びて泣き崩れました。ところで内裏では、床下から動物の死骸が出てきたり廊下が水で濡れていたり、あるいは弘徽殿に白い影が出ると噂されたりと、気味の悪い現象が相次ぎました。帝(花山天皇;本郷奏多さん)が病に倒れた兼家が死ななかったことを苦々しく思っていたら、事態はもっと深刻で兼家に憑いていた忯子の霊がこの内裏に飛んできている、霊が成仏できずに苦しんでいる、と安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)が帝に進言しました。忯子を哀れに思う帝は霊が成仏するならなんでもする、どうすればと晴明に問い、晴明は言いにくかったけど帝から促され、帝が出家するしかないと答えました。一方、まひろの家では弟の藤原惟規(高杉真宙さん)が大学に入ることになり、父・藤原為時(岸谷五朗さん)は惟規から挨拶を受けていました。 大学寮とは惟規の乳母のいと(信川清順さん)は惟規がこの家から出ていってしまうことが寂しくてしかたなくて、ずっと泣いていました。父は息子に言葉を贈り、そしてまひろほど学問が得意でない惟規のことを案じつつ、惟規を送り出しました。父はまひろが男であったらとまた思い、まひろもまた自分が男だったら勉学に励み内裏に上がって世を正すのにと、どうしようもないことだけど考えていました。
March 6, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。ドラマも8回になり、主人公まひろ(吉高由里子さん)の周りを固める方々の存在がますます面白くなってきました。今回私が興味を持ったのはこの2つです。1つは直秀(毎熊克哉さん)が海の見える土地の話をしたときに、まひろが興味津々だった場面。現代の私たちは小学校から地理を習って、日本の地形が山が海岸線の近くまできている土地がたくさんあることを知っているから、海と山で生活する者がすぐ近くに住むことも納得がいくでしょう。でもこの時代の人で、京都盆地の町から出たことがない人だと、海や山の人々の暮らしなんて全く想像できなくて、ましてやまひろのように好奇心旺盛だと、直秀からもっと話を聞きたくてたまらないだろうなと想像しました。そしてもう1つは、上流貴族の藤原道兼(玉置玲央さん)が藤原為時(岸谷五朗さん)と飲みたいからと酒を持って、わざわざ為時の屋敷まで来た場面です。これはまあおそらく、道兼が父・藤原兼家(段田安則さん)から指令を受けて為時に近づいたのだろう、と考える人が多いと思います。道兼はわざとあざを作り、幼い頃からの自分の不遇を語って為時の憐憫を誘ったと思うですが、それでも本当に兄や弟と比べたら愛されなかっただろうと思います。その道兼が、為時の家では今までのような横柄な態度はなく、「つまらぬ、不愛想、真面目な家」などと言いながらも、嫌な顔はしていなくて、ずっと優しい表情なんですよね。だからこの時の兼家は策略とか抜きに、為時の家では本当に優しい気持ちになった時間だったのかな、とも思いました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和元年(985)公達たちによる打毬の見物に招かれたまひろ(吉高由里子さん)はそのときに公達たちの衝撃的な話を聞いてしまい、逃げるようにその場を立ち去り、そして密かに思う藤原道長のことはもう忘れようと決心しました。後日、左大臣・源雅信の一の姫の源倫子(黒木華さん)のところでの集まりでは、打毬を見物した姫君たちがそれぞれに心惹かれた公達の話をしていました。もちろん道長のことも話題になり、倫子も道長を気にかけていたうようでした。倫子の教育係の赤染衛門(凰稀かなめさん)は道長が連れてきた直秀を気に入り、「人妻でも心の中は己のもの。そういう自在さがあればこそ、人は生き生きと生きられる。」と語り、年頃の姫たちは衛門の考えに胸を躍らせていました。打毬のときに急に出られなくなった藤原行成の代理として藤原道長(柄本佑さん)に“弟” という形で連れてこられた直秀(毎熊克哉さん)は打毬ではなかなかの活躍ぶりで、後日、道長の屋敷に公達たちが集まったときも同席していました。直秀は道長に、このような立派な屋敷は見たことがないから屋敷の中を案内して欲しいと頼み、道長は内心は直秀を盗賊の一味ではと疑っていましたが、屋敷の中を案内していました。道長は直秀の左腕の傷のことにふれましたが直秀はとっさにごまかし、他愛ない話をしながら毬を投げ合って二人で笑っていました。道長のところから戻った直秀はいつもの芸人の姿になって仲間たちと散楽の稽古をしていて、まひろは寄り道して稽古場にお邪魔していました。二人でいろいろ話をする流れで直秀は、自分が間もなく都から去ると言います。(自分たちが盗賊であると道長に感づかれたからでしょう)直秀はこれまでに丹後や播磨や筑紫で暮らしたことがあると言い、都の外の話にまひろが興味深く尋ねると直秀は教えてくれました。海があって晴れた日には彼の国の陸地が見える、海には漁師・山には猟師がいる、彼の国と商いをする者もいる話など、まひろは目を輝かせて聞いていました。直秀はふとまひろに「一緒に行くか?」と言葉を投げかけました。でも「行こうかな。」という言葉とは裏腹に、まひろの心にはまだ道長がいるとわかっているので「行かないよな。」と笑っていました。先の帝から仕えている太政大臣の藤原頼忠と左大臣の源雅信(益岡徹さん)と、右大臣の藤原兼家(道長の父)は、今の帝(花山天皇)に重用されて位を上げていく藤原義懐の存在に危機感を持っていました。そこで3人は自分たちが結束していることが大事だと考え、兼家は息子の道長を雅信の姫の倫子に婿入りさせてほしいと伝えました。屋敷に戻った雅信は妻の藤原穆子(石野真子さん)に婿入りのことを話してはみたものの、正直、道長の官位がまだ低いことに不満だし、右大臣家の者の性格が好きではありませんでした。(先日、女御の詮子に東宮の後見を有無を言わさず承諾させられた)でも穆子は道長ならいい婿になるだろうと考えていて、ちょうどその時に倫子が来たので、倫子に道長のことを訊いてみました。道長を意識して頬を赤らめる倫子、倫子の様子に慌てる父と満足そうな母の姿がそこにありました。(この時の益岡さんと黒木華さんの演技が絶妙です)寛和2年(986)になり、帝の寵臣の藤原義懐(高橋光臣さん)はますます態度が大きくなっていて、帝からのお達しで今後は陣定(合議制)を開かない、帝への意見は書面で、帝にそれを届けるかどうかは自分が決めると言いました。義懐の発言や態度に我慢ならなくなった藤原兼家(段田安則さん)は声を荒げて立ち上がり、陣定は古来よりの習わし、帝の誤りを諫めないのは天の意に背く政となり世が乱れる、義懐が諫めないならこれから自分が諫める、と言って雅信と頼忠に声をかけ、帝のもとに向かおうとしました。しかし義懐が兼家を止めようとしたとき、兼家は急な病で倒れてしまいました。兼家の病は重く、薬師も命が危ないと言い、兼家の子たちは皆集まりました。長男の藤原道隆(井浦新さん)は、父が回復するまでこれより自分が父の代理をすると弟たちに告げ、藤原道兼(玉置玲央さん)も道長も承知しました。円融天皇の女御で東宮・懐仁親王の生母である藤原詮子(吉田羊さん)はそんな兄・道隆に対して「まだ位階が低い今、父上に死なれたら困るのでは」と言い、道隆は詮子に対して「東宮の後盾を失うから詮子も同じだ」と返しました。その時、詮子は「自分と東宮には源の人々がついているから大事はない」と言い、初めて聞く話に道隆と道兼は驚きを隠せませんでした。そして詮子は「左大臣家に道長が婿入りする話も進める」と、さらに兄の道隆と道兼に源と手を組む覚悟を持つよう言って退室していきました。道隆はまずは父・兼家の回復が最優先と考え、安倍晴明を呼びました。兼家の枕元ではたくさんの僧たちが祈祷の真言を唱え、庭先では晴明が祭文を読み上げて、兼家の回復を祈りました。僧たちが読経している時によりましに何かが降りてきて、僧が尋ねるとそれは花山天皇が寵愛した女御の忯子でした。よりましに憑りついた忯子は恨み言を述べながら怪力で大暴れし、止めに入った道長も危ういところでしたが、庭にいる晴明が何か合図をしたらよりましは急に力が抜けて気絶してしまいました。忯子の霊が父に憑りついたことを不思議に思った道長が兄たちに訊ねると、兄は忯子のおなかの子が流れる呪詛をするよう父が晴明に命じたと教えてくれました。最愛の忯子の死は右大臣・兼家のせいだと考えた帝は兼家を激しく恨みました。また兼家が重病で倒れたことに関して、嫡男の藤原惟規(高杉真宙さん)は父・藤原為時(岸谷五朗さん)が兼家から離れておいてよかったと喜んでいました。為時は兼家にはこの家が苦しいときに引き立ててもらった恩もあるし、なにより兼家の政治的手腕を高く評価しているので、単純に喜ぶ息子をたしなめました。かつては父の生き方を非難していたまひろも今では父を理解し、父は政争に巻き込まれるのは嫌で静かに学問を究めて身を立てたいのだと、弟に説明しました。父と姉からたしなめられた惟規は面白くなくて、退室していきました。右大臣家では父・兼家の容態を心配して、4人のきょうだいたちが交代で看病して兼家のそばにいました。ある夜、道兼がそばにいたときに兼家は意識が戻って目を開けました。後日、為時が書庫で整理をしていると道兼が現れて手伝いを申し出ました。為時にはその必要はなかったのですが道兼が進んで手を貸し、そのときに為時は道兼の腕にあざができているのを見てしまいました。為時がその理由を尋ねると道兼は、自分は子供の頃から父に嫌われていた、兄や弟は可愛がってもらえるのに自分は違った、いつも殴られたり蹴られたりした、昨夜も一時正気に戻ったら激しく打擲された、と語りました。さらに道兼は、自分は父だけでなく帝からも右大臣の子だからと嫌われていると悲しみの思いを吐露して去っていきました。道兼の不遇を知って心を痛めた為時が帰宅すると、なんと、道兼が為時と一緒に飲みたいと、酒を持って屋敷に来ていました。やがてまひろも帰宅し、道兼を激しく憎むまひろには会わせないよう為時が配慮しようとする間もなく、まひろは道兼と鉢合わせしてしまいました。激しく動揺するまひろでしたが、道兼にはその理由がわかりませんでした。為時が道兼の接待に苦慮しているとまひろが琵琶を持って現れ、一曲奏でました。その音楽に道兼は素直に感動し、そして琵琶を習った母は病気で亡くなったのかと尋ねると、まひろは「はい」と返事をし、その後すぐに退席しました。道兼のことは許せないけど、自分の思いを全て受け入れてくれた道長がいるから、まひろはそれが心の支えになって己を抑えられるようになりました。ある日、道兼が帝の御前に出たとき、帝は憎い右大臣の子だからと道兼をすぐに追い返しましたが、道兼の不遇を哀れに思う為時が帝に進言しました。道兼に興味を持った帝は道兼を連れてこさせ、両腕に残る道兼のあざを見て帝もまた道兼を哀れに思いました。そしてある夜、右大臣家に盗賊の集団が来て金目のものを奪おうとしました。しかしこの時は盗賊たちは警備の者たちによって全員取り押さえられて、道長の前に引きずり出されました。顔を隠していた覆いを取ったその顔は直秀で、直秀に早く京からどこかに去ってほしかった道長には、一番辛い展開となりました。
February 27, 2024
1週間近く雨かときどき曇りの天気で、昨日やっと晴れたと思ったらまた今日も雨でした。でも現代は精度の高い気象予報があるから、また雨が降るならと昨日のうちに洗濯をしておけたので、実にありがたいものです。そんな雨の日の今日、私の姉が名古屋の天白区にある名古屋市農業センターの「しだれ梅まつり」で出店するというので、ちょっと行ってきました。小雨が降る中、撮っていました。園内は「しだれ梅まつり」と題するだけあって、梅の花が見事に咲いていました。ああ、これが青空だったら、ホントに綺麗な風景になるのにな。雨のせいか人出は少なくて、園内は人がまばらでした。ホント、これ晴れていたら梅がご機嫌に香りを放っているんですよね。残念。傘をさして写真を撮って歩くのも面倒なので、梅は簡単に見て終わったのだけど、ここに入るために駐車料金を1000円払っています。(休日やイベント期間中の料金で入園は無料です)姉に荷物を渡し、30分ほど梅の花見をしてこのまま帰るのももったいないからどうしようか思っていたら、あと20分ほど待てば “猿回し” があるとのこと。せっかくなので、それを見ることにしました。栃木県日光市の「おさるランド(旧;日光猿軍団)」から名古屋に来ているという「りゅうき」さんとお猿の「大河」君です。芸のはじめのほうで、竹馬に乗った後、ゴロンと横になっているところです。大河君が竹馬に乗ってハードルを3つジャンプするところです。カメラのISOをもっと上げればよかった・・。大河君、ハードルを縦に3つ積んでも、ジャンプすることができます。これは離した階段をジャンプで飛び越えて、ジャンプ後は逆立ちで止まり、そのまま逆立ちで階段を下りていくというい技です。大河君、これだけ間隔を離しても「ジャンプ・逆立ち止まり・逆立ち下り」ができるか、というところです。見事に成功しました。この身体能力は、人間にはないでしょうね。今日の芸のフィニッシュです。この後は観客の皆さまに、活動費やゴハン代になる「ご祝儀」のお願いがあり、私もいくばくかお渡ししました。りゅうきさんが帰りに大河君のフルーツを買うと言ってて、私が姉のところに寄ったときに、ちょうど姉の店で買い物をしていました。姉に、後で私が払うから大河君へのフルーツを頼もうと思っていたら、私が言う前に義兄が大河君にフルーツをおまけしていました。義兄さん、ありがとう。
February 25, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。ドラマがだんだんと進むにつれ、脇を固めるメインキャストの方々の動きに目が離せなくなってきました。まず藤原道長(柄本佑さん)の二人の兄の藤原道隆(井浦新さん)と藤原道兼(玉置玲央さん)。第1回の登場のときから、自分が気分を害することがあると立場や力の弱い者に暴力的に当たり散らして、しかもそれを当然と考える嫌な奴だった道兼。でも権力のためなら恐ろしく冷徹になる父・藤原兼家(段田安則さん)に、おそらく幼い頃から兄・弟とは違うぞんざいな扱いをされてきたら、持って生まれた性格以上に心がヒネてしまって、でも父の愛を求めているのだろうと感じました。そして特に目立ってなかったけど前回の漢詩の会からその急に存在感が出てきた嫡男・道隆は、父のやり方を見ていて、弟の性格と心の内を考えて、道兼を一人にしないと約束しました。道兼は自分は父に利用されてもいいと言ったけど(卑屈、あきらめ)やはり兄が自分に優しい言葉をかけてくれるのは嬉しいのです(気分が高揚)。ただ道隆が、弟が感情の起伏が激しいのを計算していて、それを利用して道兼に何か大仕事をさせるような気がするのですが。そしてだんだん注目度が上がってきた直秀(毎熊克哉さん)。今回は打毬のピンチヒッターとして道長が思いついたのですが、その時の言い方が「最近、弟が見つかった」。その言葉に道長も公任も斉信も、誰も驚きません。この時代は、身分の高い男が気まぐれに女の屋敷に出入りして、その後は別れたけど実は子供ができていたとか、正妻の他にも妾に屋敷を与えて通っていたとかは、よくあったことでした。なので、「今まで知らなかったけど、実は他にも自分の兄弟姉妹がいたんだよねー。」ということでしょう。何気ないシーンや言葉の中に、当時の世界感を垣間見ることができて、これも面白いものです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和元(985)、最愛の女御・忯子を失った花山天皇(本郷奏多さん)は訃報を受けて取り乱し、寝所から被り物すらせずに忯子の亡き骸に駆けつけようとしました。しかし当時は死は穢れと考えられていて、天皇や貴族は遺体に近づくことは許されず、気力を失った帝(花山天皇)は離れた場所からただ忯子を思うばかりでした。ただこの裏には右大臣の藤原兼家に命じられた安倍晴明の呪詛があり、晴明はこれで帝は失意のあまり政を投げ出すから兼家にとって好都合と説明していました。さらに晴明は、右大臣家にいくら権力があっても自分の霊力を侮らないよう、自分は政をする人の命運も操るとくぎを刺していました。さて、三男の道長に「人の命を操り奪う者は卑しき者のすること」と言って間接的に晴明を強気で批判していた藤原兼家(段田安則さん)でしたが、やはり晴明の言葉が内心は気になっていたのでしょう。恐ろしい夢を見て夜中に目が覚め、妾の藤原寧子(財前直見さん)を起こし、怯えて甘えていました。そんな兼家を寧子は「大丈夫、大丈夫。」となぐさめ、「大丈夫だから(自分たちの間の子の)道綱をお願いしますよ。道綱、道綱。」と兼家に吹き込んでいました。表では権力で押し通していく兼家だけど、寧子には小心者の一面を見せていました。忯子の亡き後、帝はすっかり政をする気力が失せてしまい、政は左大臣・源雅信(益岡徹さん)以下、重臣たちの話し合いで進められていました。この時の議題は亡き忯子に皇后の位を贈りたいという帝の要望について。帝の側近の藤原義懐(高橋光臣さん)は忯子を皇后にと強く主張しますが、他の者はほぼ、それはあり得ないとか、わからない、難しい、という意見でした。その中で唯一、右大臣の兼家は「先例は見つかればよい」と意見し、はっきりと反対しない兼家のことを藤原実資は陰で怒りながらも理由がわからずにいました。ある夜、兼家の嫡男・藤原道隆(井浦新さん)と次男の藤原道兼(玉置玲央さん)は二人で酒を酌み交わしていました。道兼は帝に気に入られている義懐が兄・道隆をはるかに超える出世をしていることに腹を立てていていましたが、当の道隆は気にしていませんでした。それよりも道隆は、何かと気が回る弟の道兼が父のためにと無理をしてはいないか、父にいいように使われてはいないか、と道兼を案じていることを伝えました。外には出せない自分の思いをわかってくれ、自分を置いてはいかない(兄弟のために泥をかぶっても知らん顔はしない)と言ってくれる兄・道隆の優しさに心を打たれた道兼は、思わず兄の胸で泣き崩れました。投壺(とうこ)をしながら早死にしてしまった妹の忯子のことで悔んで不満を言う藤原斉信(金田哲さん)、そんな斉信に藤原公任(町田啓太さん)は「妹に早めに偉くしてもらっておけば」と言い、公任は言い過ぎを詫びていました。藤原道長(柄本佑さん)は姉の詮子が円融天皇に入内した後の悲しみを見てきているので「入内はけっして女子を幸せにはせぬと信じている。」と考えを言いました。こんな話をしていては妹の忯子は浮かばれぬと斉信は思い、気晴らしに打毬をやろうと言いだし、その準備に取り掛かりました。かつて絵師からは「おかしき者にこそ魂は宿る」と、そして直秀(毎熊克哉さん)からは「下々の世界では、おかしきことこそめでたけれ」と言われていたまひろ(吉高由里子さん)は、笑いを求めて辻に集まる人々が楽しめる物語がないかと、ずっと考えていました。そして考えついた芝居を直秀たちに提案したら受け入れてくれ、辻で直秀たちが演じる散楽を人々は喜んで見物していました。しかしその内容は権力者の藤原一族を中傷する部分もあり、それを知った道長の家の武者たちが怒って辻に駆けつけ、力ずくで散楽をやめさせようとしました。直秀たちは抵抗し、やがて道長も駆けつけて武者たちを止めようとしましたが、今度は検非違使が来て、これに捕まると下々の直秀たちは大変なことになるので、その場から大急ぎで逃げました。検非違使がまひろを捕まえようとしたとき、乙丸(矢部太郎さん)が盾になってまひろを守り、その後は道長がまひろの手を引いて逃げ去りました。二人はとりあえずどこかの空いた屋敷になんとか逃げ込んで落ち着きました。まひろは道長に、あの芝居は自分が考えたと打ち明けたけど、道長はそれに怒ることもなく、あれは権力者の側の自分たちを笑い者にする芝居だけど自分も見たかったと語り、二人は互いに次に何を言ったら言葉もなく見つめ合いました。やがて乙丸がまひろに追いつき、まひろを連れて帰りました。道長は直秀に、家の警護の者たちの乱暴を詫び、直秀から「お前たちの一族は下の下だ。」なんて言われても、それを受け入れていました。一方、まひろの父の藤原為時(岸谷五朗さん)は、帝が自分を師として心を許してくれているのに、その帝の様子を兼家に逐一報告をする、間者としての役割に罪悪感を感じていました。為時はいたたまれず、もうこの役目を辞めたいと兼家に申し出、そして兼家は意外なほどあっさりと認めてくれました。為時は帰宅して、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)にそのことを「良い報せ」として報告し、真っ直ぐに生きたい父にまひろは賛同しました。しかし宣孝は、次の帝は右大臣・兼家の孫、右大臣側についているべきだ、今からすぐに右大臣家に行って前言を撤回してこい、と強く言いました。宣孝は新しい帝になったら為時は今の官職を解かれる(=収入がなくなる)と言い、惟規の乳母のいとも昔のような貧乏暮らしはもう嫌だと強く訴えました。そしてさらにいとは、右大臣家の後ろ盾がなければ若様(惟規)もどうなるかわからないと、泣いて為時に訴えていました。さて、いよいよ打毬の当日となり、皆は支度を整えていたのですが、一緒にやるはずだった藤原行成が急な病で来られなくなりました。そこで道長は直秀を急遽「弟」として代理を頼み、この催しに連れてきました。貴族の遊びの打毬なんてやったことがない直秀ですが、塀の反動を使って馬に横から飛び乗れる直秀です。道長の見込んだとおりなかなかの働きでした。そして道長は競技の最中に、幾度かまひろのほうに視線を送っていました。この催しの見物に招待された左大臣・源雅信の一の姫・源倫子(黒木華さん)をはじめとする名門の姫君たちは、間近で見る若い殿方たちの活躍に心を躍らせ、倫子の教育係の赤染衛門(凰稀かなめさん)でさえ、控えめだけどつい歓声が出てしまうほどでした。先日の漢詩の会でききょう(ファーストサマーウイカさん)のことを意識するようになった斉信は何度もききょうに熱い視線を送り、目が合ったききょうもまんざらでもなさそうでした。競技が終わった頃、急に強い雨が降り始めました。この時に倫子が連れてきていた小麿呂が雷に驚いて逃げてしまい、まひろは雨に濡れながら小麿呂の後を追いました。小麿呂が逃げ込んだ建物は道長たちが支度をしていた場所で、まひろはとっさに物陰に隠れましたが、その時に公達たちの本音を聞いてしまいました。今日あの場にいた姫君たちをあれこれ評し、自分たちの一族の繁栄のために家柄の良い姫君を嫡妻にして女子をもうけて帝に入内させて次につなぐ、あとは好いた女子のところに通えばよい、というものでした。まひろは隠れていたけどその話を聞いていたたまれなくなり、雨の中を飛び出して逃げるように去っていきました。そして着替えをしていた道長は直秀の腕の、盗賊が入ったときにちょうど矢を射た場所に傷があるのを発見しました。ところで、小麿呂を探しにきたまひろはショックであの場を立ち去ってしまったけど、小麿呂はつまりは、探してもらえなかったのですね。(誰か小麿呂を早く保護して)
February 20, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。このドラマ、平安貴族の衣装や生活を知り、高校の古文や漢文の勉強のすごい参考になるわと、この回はつくづく実感しました。内裏や上級貴族に仕える女房たちの衣装は、当然ではあるけど、同じ十二単でも仕える相手によって衣装のランクが全然違っていました。女御に仕える女房たちは、最高に華やかですね。そしてドラマの終盤の漢詩の会。招待された公達たちが披露した漢詩をそれぞれに画面に映してくれていたので、これはもうこの白文を自分で書いて、テレビで読みを聞きながら訓読文にする練習をすれば高校の漢文の勉強になるな、と思いました。そしてこの漢詩の会のやり方がいいですね。今の時代だって、勉強に限らず、スポーツでの試合や何かのコンテストや発表会など、頑張って打ち込んでいるものには、自信ありとか恥ずかしいとかは別として、どこかで自分の力を試す場が欲しいものです。ドラマではあの場にいた人たちは男も女も、より高みを求めて互いに切磋琢磨し合い、相手をねたんだり見下したりすることなく、互いに前に進もうとしています。友人かライバルか微妙だけど、理想的な関係ですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永観2年(984)、長年抱え続けた母の死にまつわる話をやっと、それも当事者の弟である藤原道長に耳を傾けて聞いてもらえたまひろ(吉高由里子さん)は屋敷に戻ったとき、母の死以来ずっと反発していた父・藤原為時(岸谷五朗さん)の胸に飛び込んで、気が済むまで泣いていました。まひろが落ちついたら父・為時は、何があったのかを問うこともなく、左大臣家の集まりにはもう行かなくてもいいと言いました。しかし道長が自分に味方してくれたことでまひろは気が晴れ、これまでの父の苦労も考えることができるようになりました。父の拠り所が右大臣家だけにならぬよう、左大臣家の源とのつながりも持てるよう、覚悟をもって倫子と仲良くなるよう努めるとまひろは父に誓いました。兄・藤原道兼(玉置玲央さん)の所業を知った藤原道長(柄本佑さん)は激怒して兄を殴り倒し、その後で父・兼家と話をしました。しかし父は道長に、道兼の所業はもう忘れよ、そんなことよりこの家のために血筋と富の申し分ない左大臣家の一の姫に婿入りせよと言ってきます。さらに父は、長男・道隆と三男・道長の出世ために泥をかぶる役割が道兼の使命だとまで言い、兄・道兼を道具と思えと言う父の言葉に衝撃を受けていました。父の部屋から退室した道長は廊下で道兼と会い、父の発言を伝えました。しかし道兼は、父のためならいくらでも泥をかぶると平然と言い、そして道長に対し、「自分だけは綺麗なところにいると思っていても足元の影は皆同じ方を向いている。これは一族の闇だ。」と言って、立ち去っていきました。寛和元年(985)、まひろは左大臣家の一の姫・源倫子の集まりの帰りに、時折り通りで芝居をしている直秀(毎熊克哉さん)たちの一座が道端で稽古をしているのを見かけ、彼らのあまりにも軽い身のこなしに感心して直秀に声をかけました。ただ、まひろが何気なく言った言葉は直秀には少しカンに障り、虐げられている者は元より人扱いされていないという現実をまひろに伝えました。その後でまひろは彼らに芝居のネタを提案しましたが、それは面白くないと却下。倫子には『蜻蛉日記』の写本の件でも断られたまひろは、相手が望むものがまだまだわからない少女でした。そのころ花山天皇(帝)の寵愛の深い女御である忯子(井上咲良さん) は病の床に伏せったまま一向に体調が良くならず、兄の藤原斉信(金田哲さん)が忯子の回復を願って見舞いに来ていました。食事ものどを通らぬほど弱っている忯子は懐妊もしていて、じきに実家に宿下がりをするのですが、斉信はその忯子に宿下がりの前に自分を高く評価するよう帝に言って欲しい、忯子だけが一族の頼みだ、と訴えていました。忯子が兄への返答に窮していると帝が忯子の見舞いに来て斉信は下がったのですが、斉信は寵愛する女御の兄であっても帝から顔を覚えてもらってない存在でした。帝の側近である藤原義懐(高橋光臣さん)は、帝と共に新しい政をすることを考え、そのために若い藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信を取り込もうと屋敷に招いて酒宴を開いていました。それは同時に右大臣一派を排除する狙いもあり、右大臣の三男である道長はその宴には招かれていませんでした。道長はそのことを長兄・道隆に報告、道隆も若い者たちの心が帝と義懐一派に傾くのを案じていました。道隆はこのことを父・兼家と次兄・道兼には黙っているよう道長に言いました。その理由は、父なら権力で無理やり抑えこもうとする、そうすると若い者たちの憤まんをあおるだけになる、というのが道隆の考えでした。では有能な若い公達たちをどうやって自分たちのほうに懐柔したらいいのか。藤原道隆(井浦新さん)が悩んでいると妻の高階貴子(板谷由夏さん)が漢詩の会を催してはどうか、漢詩には選んだ者の思いが出る、それに学問に励む若い者たちはその成果を披露する場を求めている、と提案しました。妻の案をなるほどと思った道隆は学者も呼ぼうと言い、相手をその気にさせるであろう兄夫婦の考えを道長は褒め称えていました。ただ漢詩が苦手な道長はその会には出たくないと言い、素直で可愛い弟を二人は笑っていました。東宮(時期天皇)・懐仁親王の生母である藤原詮子(吉田羊さん)は左大臣・源雅信(益岡徹さん)を呼び出していました。詮子は雅信に、詮子の父で右大臣の藤原兼家が先の帝(円融天皇)に毒をもって帝に退位を促したことは知っていたかと問い、雅信は知らないと答えました。詮子は、自分はもう父を信じられないが、自分と東宮の身を守るために表立って父には逆らわない、でも父とは違う力が欲しい、と思いを率直に語りました。それは雅信に自分の味方になるよう要求していて、詮子はこの話を聞いた以上はもう後には引けない、断れば雅信から誘いがあったと(捏造だけど)父に言う、と強気で雅信に返事を迫りました。もう逃げられないと悟った雅信は覚悟を決め、詮子の要求を承諾しました。話がまとまり雅信が退席した後に来た弟・道長に詮子は、左大臣家に婿入りするよう言いました。父と姉、政治的に立場の違う二人から同じことを言われた道長でした。やがて為時の家に道隆からの使者が来て、4月27日に漢詩の会を催す、講師として為時と清原元輔(大森博史さん)を招くとありました。為時はこの機会に勉強させようと嫡男・惟規を連れていこうとしましたが学問が苦手な惟規はこれを拒否、なのでまひろが同席を願い出て父に同行しました。元輔も娘のききょう(ファーストサマーウイカさん)を連れてきていて、物おじしない性格のききょうは若い有能な公達たちに会えるのを楽しみにしていました。藤原道隆が主宰する漢詩の会が始まりました。音楽が奏でられる中、結局出ることになった道長は少し遅れて着席、その場にはまひろもいて、思いがけない再会に二人はどちらも驚いていました。講師の清原元輔から「酒」というお題の提示があり、藤原公任、藤原斉信、藤原成(渡辺大知さん)、藤原道長ら若い公達たちはすぐに紙と筆を手にとって考え、詩の作成にとりかかりました。それぞれに思いがこもった漢詩を為時が順に読み上げていきました。道長の詩は切ない恋心をうたったもので、まひろはその相手が自分であったらと密かに思い、余韻にひたっていました。また才学では当代無双と言われる公任の詩は誰もが感心するものであり、道隆も公任の詩を惜しみなく褒め称えていました。道隆は公任の詩の感想を、同席するまひろとききょうにも求めました。まひろは無難に答え、ききょうは違った意見を言い、ききょうはまひろと討論をしたそうでしたが、父である元輔は娘の出過ぎた言動を制しました。まひろとききょう、どちらの才もなかなかのものだと貴子は微笑んでいました。漢詩の会の〆に道隆が挨拶をし、この国をやがて背負う若者たちの思いを知った道隆は、彼らの思いをかなえるために自分も力を尽くすと言いました。そしてここにいる皆と共に帝を支え、この国をよりよき道に導いていこうと呼びかけ、その言葉は一同の胸を打ちました。退席した公任と斉信は廊下で、この先自分たちがついていくのは義懐ではなく道隆だと、互いに確信していました。父と姉の二人から左大臣家への婿入りを迫られる道長は、まひろへの思いがより深くなっていました。思いをどうしても伝えたくなった道長は文をしたため、急ぎまひろに届けるように従者の百舌彦に頼み、その後で内裏の宿直に向かいました。その夜、内裏に盗賊の集団が入り、宿直をしていた道長は盗賊を追いかけて矢を射ましたが、取り逃がしてしまいました。その夜はさらに花山天皇の寵愛が深い忯子が死を迎えました。そして道長からの文を受け取ったまひろは、互いに思い合えた嬉しさで涙がにじみ、胸がいっぱいになりました。さて、ドラマのラスト道長がまひろに送った和歌 『ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに』この和歌の意味が気になる方が多いのではないでしょうか。こちらでばっちり解説がなされています。 ↓ ↓
February 13, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。このドラマで何度も繰り返されてきた主人公・まひろ(吉高由里子さん)の母・ちやはの死に関する場面。そして母の死の真相を伏せようとする父・藤原為時(岸谷五朗さん)をまひろが受け入れたくなくて、何かとまひろが反抗する場面。当時は今よりも身分による権力の差がはるかに大きい時代だから、ふつうの子供なら、悲しいけど悔しいけどどうしようもない、と理解してあきらめると思います。でもそれをドラマであえてしなかった。それはまひろの一途な思いが藤原道長(柄本佑さん)に結びつき、道長に全てを聞いてもらって、そして泣いて泣いてまひろの気持ちが収まった。気持ちが収まって、ようやく父を許すことができた、という流れにしたかったのかなと感じました。さて、あるときは露骨に、あるときはさりげなく繰り広げられる平安貴族の権力争いは、毎回興味深く見ているのですが、この時代ならではの風俗も面白いですね。今のような科学的な証明ができない時代、人々は何かを信じてすがって生きているから、良い意味での御仏への祈りや悪い意味での呪詛の力を信じているんですよね。それにしてもドラマ冒頭の僧と寄坐(よりまし)。まずはじめにさりげなくその家の個人情報や悩み事を聞き出しているから、あれは霊が下りてきたのではなく、どう見ても似非ですね。それでたんまりと謝礼をもらっていく、いい商売です。バレたら恐ろしいと思うけど。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永観2年(984)、宮中行事で「五節の舞」の舞姫を務めたまひろ(吉高由里子さん)でしたが、その折に密かに思う三郎と母の仇であるミチカネが実は藤原の右大臣家の次男と三男であることを知り、激しい衝撃を受けて倒れてしまいました。水も食事も摂らず起き上がれないまひろを案じた弟の藤原惟規(高杉真宙さん)とその乳母のいと(信川清順さん)は、僧(植本純米さん)と寄坐(傅田うにさん)を呼んで神降ろしをしてもらいました。僧と寄坐が帰った後でまひろは起き上がり、父・為時と改めて話をしました。父は弟・惟規が出世するためには右大臣の力が要る、そのためにも藤原道兼のことはもう胸にしまって生きてほしいと言うけど、まひろは納得がいきませんでしたさて若くして即位した帝(花山天皇)でしたが、周囲が思う以上に政に熱心で、自分の考える政策を次々と打ち出していました。ただその政策の中には実行するのに無理なものもあり、先帝に使えた大臣たちが帝に従わないこともしばしばありました。帝は自分に従わない者には構うなと言って新しい側近の藤原義懐(高橋光臣さん)と藤原惟成(吉田亮さん)に命じていましたが、蔵人頭の藤原実資(秋山竜次さん)は帝の勢いを案じて、義懐と惟成に帝の行き過ぎをいさめるよう言いました。無理な政策は世が混乱する、政策をしくじれば朝廷の権威は地に落ちる、というのが実資の揺るぎない考えでした。一方こちらは、御所勤めをする有力貴族の若い公達たちです。帝の寵愛が深い弘徽殿の女御の兄である藤原斉信(金田哲さん)と、父が太政大臣の藤原公任(町田啓太さん)は、互いに競い合ってけん制し合っているのか、あるいは仲が良い故なのか、政のことなどをどちらも思うまま言い合っています。そんな二人のやりとりを若い藤原行成(渡辺大知さん)は喧嘩にならぬようにとつい余計な気を使ってしまい、父が右大臣の藤原道長(柄本佑さん)はなるようになると自分の出世や地位にはあまり関心がないようでした。道長自身は出世欲はなくても、父で左大臣の藤原兼家はそんなわけにはいかず、道長には「内裏の仕事は騙し合い」とまで言っていました。そして道長が、帝は志が高く若いから在位が長いだろうと皆が言っていると父に話をすると、兼家は道長に自分の考えを問いました。道長が「帝を支える者が誰か、が大事だ」と答えると兼家は喜び、我が藤原一族は帝を支える者たちの筆頭であらねばならぬ、と道長に言い聞かせました。兼家のその言葉は、自分の孫である東宮の懐仁親王が次の帝になることを指し、長男・藤原道隆(井浦新さん)はそのためにも懐仁親王の生母で父・兼家と仲たがいをしている妹の藤原詮子(吉田羊さん)を説得していました。しかし詮子は父のやったことを許すつもりはなく、そして東宮の生母として絶対的な力もあるので、父には屈しないと兄・道隆に伝えました。若い帝が次々と出す政策は、先帝に仕えた大臣たちとの対立を引き起こし、左大臣の源雅信(益岡徹さん)は家に太政大臣の藤原頼忠(橋爪淳さん)と右大臣の藤原兼家(段田安則さん)を招いて思うところを話し合っていました。帝が出す荘園整理令は自分たちの富を封じるためのものだと3人は怒っていて、特に東宮を孫に持つ兼家とちがって先の頼みがない頼忠は気が弱っていました。兼家は「荘園は自分たちの手で守る、若い帝やその側近たちはねじ伏せればよい」と強気で意見し、雅信は自分は権力には固執しないが荘園は守らねばと言い、3人は我らは初めて意見が合った、と笑っていました。そのとき雅信の一の姫・倫子が通りがかり、倫子の入内が気になる兼家はそれとなく尋ね、倫子の入内はないと雅信から聞いて内心は安堵していました。さてこちらは、兼家の妾の一人で藤原寧子(財前直見さん)の屋敷です。兼家と寧子との間に生まれた藤原道綱(上地雄輔さん)は明るい性格でそれは彼の舞にも表れていて、道綱の舞を見ている兼家は愉快そうでした。寧子は兼家に道綱の将来を頼み、兼家も道綱を可愛く思っています。しかしあくまでも政治的な実権を握るのは亡き嫡妻・時姫の子たちである、法外な夢は描かぬように、そのうち良くしてやると、道綱に言い聞かせていました。五節の舞で倒れた舞姫がまひろだと噂で知った道長はまひろのことが気になっていて、次の満月の晩にまひろの屋敷を訪ねると文を書いて下人に持たせました。しかし父・為時がいるところでは道長に会いたくないまひろは、どこか違う場所で会えるよう直秀に頼みたくて、乙丸(矢部太郎さん)に使いを頼みました。夜ままひろの屋敷を密かに訪ねた直秀は、はじめはまひろの頼みを断りました。でも、どうしても道長と話がしたいというまひろの熱意を汲み、六条の空き家に場所を決めて、それを道長にも伝えていました。帝が深く寵愛する弘徽殿の女御が懐妊したという噂を聞きつけた兼家は、その真偽を陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)に訊ねました。晴明が答えられないと返答しますが、もし帝に皇子が生まれたら東宮である自分の孫・懐仁親王の将来にも関わることなので、兼家は晴明に女御の腹の子を呪詛するよう命じました。晴明が、いくら褒美を積まれてもそれはできないと断ると兼家は、この国の未来を担っているのは自分たちだと言い、灯りを消すと御簾の向こうに関白・太政大臣の頼忠たちの姿が浮かび上がりました。兼家はこの命を絶対に成し遂げるよう強く言い渡し、晴明も断れなくなりました。直秀が用意した六条の屋敷で、まひろと道長は再会を果たしました。道長は改めて自分が右大臣の三男・藤原道長だと名乗り、幼い頃から今まで自分のことを明かさなかったことを詫びました。そしてまひろは、舞の後で自分が倒れたのは実は道長の隣にいた道兼を見たからだと言い、6年前に母が道兼に刺殺された話を打ち明けました。母は道兼に刺殺された、しかし我が家は貧しかったあの時に父が右大臣から大事な仕事をもらえた恩がある、父は道兼が犯人だと言えず母の死の真相を隠した、ということをまひろは涙ながらに語りました。道長はまひろに一族の罪を詫びて、まひろに許しを請いました。道長は兄・道兼よりもまひろを信じると言い、まひろは道長は悪くないけど道兼は生涯呪うと言い、道長はその思いを受け止めました。道長は直秀に礼を言い、泣きじゃくるまひろを直秀に託してそこを出ていきました。道長は馬を駆って急ぎ屋敷に戻りました。父・兼家と兄・藤原道兼(玉置玲央さん)が談笑している場に乗り込んで、道兼に6年前の出来事を確認しました。すると道兼は悪びれる様子もなく、それどころか虫けらの一人や二人を殺したとて、という言い方をしたので道長の怒りが爆発しました。道兼の胸倉をつかみ、虫けらはお前だと言って道兼を殴り倒しました。しかしこのとき道兼が事件をもみ消したのは父・兼家であると話し、事件のことは父も知っていたとわかった道長はさらに衝撃を受けました。父は「我が一族の不始末を捨て置くわけにはいかぬ」と何食わぬ顔で言い、さらに動揺する道長を見て「道長にこのように熱き心があったとは。これなら我が一族の行く末は安泰じゃ。」と感心して笑っていました。「今日は良い日じゃ。」と笑う父に道長は言葉を失い、呆然としていました。六条から戻る夜道をまひろは一人で歩いて帰ってきました。(夜盗が横行するこの時代に身分が低くとも姫が一人で歩けるとは思えないので、これは直秀が付かず離れずで、まひろをずっと守っていたでしょう。)夜なのにまだ戻らないまひろを皆が心配して待っていて、まひろが一人で屋敷にふらふらと戻ってきたとき、父・藤原為時(岸谷五朗さん)が思わず声を荒げてどこにいたのかと問いました。しかしいつもと明らかに様子が違う娘は泣きながら父の胸に飛び込んできました。娘・まひろにいったい何があったのかわからぬまま、為時はただ泣く娘の思いを受け止めていました。
February 6, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。今年の大河ドラマを、私は思った以上に毎週楽しく視聴しています。まあ正直なところ、昨年の『どうする家康』に比べて、まだ大きな感動の場面はないです。でも昨年のは、ドラマの背景が戦国でしかも弱小国で、主役の主君と彼をとりまく家臣たちは、毎日が生きるか死ぬかの日々だったから、場面やセリフにもどこかに力強さや勝ち上がっていくワクワク感が入っていたのかもしれませんね。その点、今年の『光る君へ』は、上流貴族の雅な世界の中にも政権争いや駆け引きがある面白さはあるのだけど、セリフでの感動はまだない感じです。しかしこの第4回では、映像での感動がありました。ラストの「五節の舞」は、舞姫たちの装束が美しいのはもちろんのこと、映像の美しさ、舞を撮るアングルなど、舞というものを最高に美しく魅せてくれました。これは歴史の資料集やネットの画像検索では、今一つ伝わらない“美”だと思います。『光る君へ』製作の皆さま、素晴らしいものを見せてくださり、ありがとうございます。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永観1年(984)、父から唯一外出を許されている左大臣家からの帰り道のまひろ(吉高由里子さん)は四条万里小路に立ち寄り、その折にずっと気になっていた三郎(藤原道長のこと;柄本佑さん)と再会しました。互いに心の内を語り合ううちに、まひろは自分が父の官位が六位で何年も官職につけない藤原為時の娘で藤原でもずっと格下だと三郎に打ち明けました。そして三郎が自分のこと(実は右大臣の三男)を打ち明けようとしたとき、そこにまひろの親戚の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が通りがかり声をかけました。宣孝は三郎を、下々の身なりをしているもののどこか育ちが良さそうなものを感じつつ、まひろを連れて帰ることにしました。まひろの家に立ち寄った宣孝は、まひろの帰りが遅くなったのは自分のせいだとまひろをかばい、そしてまひろには今日のことは父・為時には黙っていてやるからもうあの男には近づくなと釘を刺しました。下級でも自分は貴族の娘で、三郎は下々の者と思っているまひろは「身分」があるからだと思い、そのことを宣孝に言いました。宣孝は「身分があるから争いが起こらず世が乱れずにすむ」とまひろに教えました。そして今の帝が退位し、父・為時が学問を教える東宮が次の帝に即位すれば、父もいよいよ官職につけるであろうから、この大事なときに(どうも只者とは思えないあの男と)問題を起こすなと念を押しました。まひろは父の考え方について宣孝に愚痴をこぼしていましたが、宣孝はそれを受け止め、また悩みや愚痴が募ったら自分に吐き出せばよいとまひろをなだめました。安倍晴明による夜を徹して行われた占いで円融天皇の退位と新しい帝の即位の日が、そして次の東宮は詮子(道長の姉)が生んだ懐仁親王に決まりました。御所勤めの女房たちは、詮子の悪口と行事が続いて自分たちが忙しくなることの愚痴をこぼしていました。(この時代は几帳をこのように使って、間仕切りや目隠しをしていたのですね)まもなく次の帝(花山天皇)となる師貞親王(本郷奏多さん)は藤原実資(秋山竜次さん)を呼び、自分の代でも蔵人頭を務めてほしいと頼みました。しかし実資は習わしに反すると固辞、師貞親王は再度頼み込み、次の帝の側近となる親王の叔父の藤原義懐(高橋光臣さん)や乳母子の藤原惟成(吉田亮さん)が説得しても実資は固辞します。業を煮やした師貞親王は癇癪を起こして暴れ、義懐や惟成の被り物を取るという酷い悪戯をして腹の虫を収めていました。左大臣の源雅信は次の東宮が右大臣の孫に決まったことにあせりを感じていました。そこで一の姫の源倫子(黒木華さん)に、次の帝に入内してはどうかと気持ちを確かめていましたが、なにせ女癖は悪いし、もし自分が飽きられたら円融天皇の后の詮子のようなにってしまうからと、倫子は断っていました。さて、まひろが左大臣家に行ったある日のこと、教育係の赤染衛門(凰稀かなめさん)から出たお題は「竹取物語」についてでした。得意顔して自説を述べることに夢中になるまひろでしたが、それはやんごとなき(=身分が高い)方々に暗に皮肉を言っているようなものでした。倫子は以前の「偏つぎ」のときと同様、つい夢中になると周囲の気持ちに配慮することを忘れるまひろを叱り、しかし同席の姫君たちには怒らないよう笑って促し、その場を収めていました。(ちゃんと注意してくれる倫子さま、優しいですね)次の東宮が藤原詮子(吉田羊さん)の生んだ懐仁親王となり、近い将来この家から帝がたつと藤原兼家(段田安則さん)は喜んでいました。そして兼家は同時に、次の帝をどうやって早く退位させるか、知恵を絞るように3人の息子たちに言っていました。長男・藤原道隆(井浦新さん)は、新しい帝は無類の女好きで人の道をわきまえずこのままでは国は滅ぶと噂を流す、その手筈が整っている、と父に伝えました。また次男の藤原道兼(玉置玲央さん)は、帝に取り入り側近となって、何かあればそれとなく退位を促す、と考えを述べました。一方、栓子は円融天皇から、毒を盛ったのはお前だと決めつけられ激しく罵倒され、深く傷ついていました。毒のことは実家の父だと気がついた栓子は父・兼家のもとに乗り込んで真相を追求しましたが、兼家はとぼけて認めません。栓子は父と2人の兄を見限り、懐仁は自分が守る、自分は薬は生涯飲まぬと言って、退室していきました。この年の8月、師貞親王は即位して花山天皇となり、后として藤原斉信の妹の藤原忯子(よしこ)が入内しました。さて、まひろの家では父の藤原為時(岸谷五朗さん)が花山天皇の即位によって12年ぶりに官職を得ることができ、祝の宴でにぎわっていました。為時は宣孝の助言のおかげだと礼を言い、宣孝は推挙してくれた右大臣・兼家に礼を言うよう促していました。美酒に心地よく酔う父を見て、母の死の一件以来ずっと父に反抗していたまひろでしたが、今日だけは父を気持ちよく祝う、明日からはわからないけど、と弟の藤原惟規(高杉真宙さん)に思いを伝えていました。花山天皇は帝となってからは政務にも積極的に取り組んでいましたが、一方的に物事を決めてしまうところがあり、先代から仕える関白や左大臣・右大臣ら重臣たちは困り、陰で不満を漏らしていました。そこに今の帝の側近である義懐が、それは重臣たちの努力が足りないのだと意見を述べ、また帝は本年は凶作なので自らが贅沢を慎み食事も減らして天下に模範を示していると民に伝えるよう述べていました。新参者の義懐の遠慮のない物言いや態度は、兼家にはとても不愉快でした。その御所では藤原公任(町田啓太さん)ら若い公達たちが政務に励んでいました。公任は妹・忯子が入内した藤原斉信(金田哲さん)の出世を予測していました。でも斉信は、もし帝が妹に飽きて他の女に心変わりしたらどうなるかわからない、と慎重な考えです。藤原行成(渡辺大知さん)は忯子が皇子を産めば斉信は安泰と言い、道長も賛同していましたが、そうなると東宮(道長の甥)がどうなるかわからないと公任に言われ、道長も少し考えていました。秋の実りの季節を迎え、宮中では行事で「五節の舞」が行われます。源雅信(益岡徹さん)の左大臣家からも舞姫を出さねばならないのですが倫子は嫌がり、雅信自身も倫子が女好きの帝の目に留まったら一大事と考えています。誰か代わりの姫はいないかと悩んでいたら藤原穆子(石野真子さん)がまひろの存在に気づき、まひろを代理で出すことにしました。まひろも自分なら大丈夫だからと快諾、倫子は「一生恩にきる」とまひろに約束して、舞姫をまひろに頼みました。軽い気持ちで舞姫を引き受けたまひろでしたが、稽古は大変なものでした。そして豊明節会(とよあかりのせちえ)の日を迎え、装束に身を包んだまひろは倫子の屋敷で同席させてもらう肇子(横田美紀さん)や茅子(渡辺早織さん)らと共に、舞の舞台に立ちました。帝と上流貴族たちが居並ぶ中で「五節の舞」が始まりました。(夜の御所に松明の灯りがともり、その中で美しい装束の舞姫たちが音楽と共に舞い、最高に美しいシーンでした。中学や高校で古典や日本史で国風文化を知りたい人は、このシーンは是非見てほしいです。百聞は一見に如かず、です。)しかし舞の最中にまひろは、その貴族たちの中に「三郎」らしき人がいるのを発見、しかも三郎の隣にはあのとき母を殺した「ミチカネ」とよく似た人物が。まひろは気持ちが混乱したままなんとか舞を終えましたが、肇子と茅子の話から三郎とミチカネは右大臣家の道長と道兼で兄弟であるとわかりました。自分が思いを寄せる三郎と、母の仇のミチカネがよりによって兄弟、しかも自分とは身分が天と地ほども違う右大臣家の、と思うとわけがわからなくなりました。
January 30, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。放送が3回目となり、貴族たちの権力争いやそのための動きなど、ドラマ開始前に私がイメージした以上に興味深いネタがいろいろと出てくるこのドラマ。この回は、今はまひろという名だけど後に紫式部となる主人公の吉高由里子さんが、自分も上流貴族の世界に関わることとなって、少しずつ清濁併せ吞んで大人になっていく変化を表す回だったのかなと思いました。私が注目するのは源倫子を演じる黒木華さん。この方は『真田丸』ではあまり印象がなく、『西郷どん』では西郷隆盛の後妻の糸役では好印象を持ちました。そしてこの『光る君へ』での倫子役。この方、平安時代の装束や髪型がすごく似合いますね。そして人物像も、学問ができるのかどうかはわからないけど、利発で明るくて表面にはださない策略もありそうで、この先夫を大出世させる陰の力になりそうな感じがします。それを黒木さんがどう演じるのか、楽しみです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ (永観2年(984)頃)市場で無実の者を助けるために、逆に放免(検非違使庁の下級刑吏)たちに捕まって牢獄に入れられてしまった藤原道長(柄本佑さん)。でも従者の百舌彦が道長の父で右大臣の藤原兼家(段田安則さん)に知らせたので、すぐに釈放されました。兼家は道長に、民の暮らしを知ると思い切った政ができないと叱り、入内した娘の詮子(道長の姉)が帝から遠ざけられている今、身内が厄介事を起こせば藤原一族だけでなく詮子が産んだ懐仁親王にまで傷がつくと、道長を厳しく叱りました。怒って退室していく父・兼家の機嫌を取りなすよう詮子に頼んで自室に戻った道長でしたが、あのとき市場でかばい合ったまひろのことが頭から離れませんでした。それはまひろも同じで道長のことが気になって頭から離れませんでしたが、その夜まひろの家にひそかに現れた見知らぬ男が道長の無事を知らせてくれました。道長が内裏で宿直をしていたある夜、特に異変もなくて退屈で何か面白い話はないかと考えていたら、藤原公任(町田啓太さん)が自分が女房や女官たちからもらってて見ないままためてあった恋文を取り出しました。早速、道長と公任と藤原斉信(金田哲さん)の3人で文の品定めです。文字の美しさやその者の容姿などで好みを言い合い、女子に格別興味のない道長がいつの間にか文をもらっていたり、気になる女子がいるならいっそ訪ねてしまえばよいと公任が助言したり、3人であれこれ語り合っていました。中でも斉信は左大臣・源雅信の娘の倫子に熱心に文を送ったりでご執心でした。このところ帝(円融天皇)の体調がすぐれず、安倍晴明が邪気払いの祈祷をしてもいっこうに効き目はありませんでした。蔵人頭の藤原実資(秋山竜次さん)は、帝のこの病気の様子は何かおかしいと疑い、内侍所で倍膳の女房たちを取り調べると言いだしました。実はこれは藤原道兼(玉置玲央さん)が父・兼家に命じられて、帝が病気になるよう女房に食事に薬を入れさせていたためであり、実資の行動に道兼は肝を冷やしました。道兼はすぐに父・兼家に報告、父は道兼に落ち着くよう言いました。そして兼家は道兼に、帝の信任が厚い実資は味方にしておきたいから心して仕えよと、また協力した女房はちゃんと丸め込んでおくよう命じました。さてこちらは、父・兼家に従って藤原一族の立身出世を狙う長男・藤原道隆(井浦新さん)とその妻の貴子(板谷由夏さん)です。藤原詮子(吉田羊さん)が生んだ懐仁親王(石塚陸翔くん)に娘の定子(木村日鞠ちゃん)をいずれ入内させるために、貴子は定子を厳しく教育していました。一方で兼家に取り込まれた形となった安倍晴明は、帝のために祈祷をしつつ帝には暗に譲位をほのめかす奏上(言う;皇族に対する絶対敬語)していました。兼家は晴明の働きに褒美を取らせました。病で気が弱っている帝は晴明からの奏上でますます気力が落ちていました。そんな帝を蔵人頭の実資は、まだ譲位は早いと励ましていました。その理由の一つに東宮の師貞親王(本郷奏多さん)のことがあり、東宮は幼い頃から教育係の言うことは全く聞かずに自由奔放に育っていて、周囲から見えるその立ち居振る舞いはとても次の天皇にはふさわしくないものでした。帝には自分の唯一の血筋である懐仁親王を早く次の東宮にしておきたい思いはあれど、師貞親王のことは悩みの種でした。しかしその後で見舞いに来た兼家は、懐仁親王(自分の孫)を早く次の東宮に、それが帝やこの国の願いだと、強く奏上していきました。倍膳の女房たちを取り調べたことで、藤原実資は内侍所の女房たちからすっかり嫌われてしまいました。陰口どころか本人に聞こえるように非難ごうごう。帝も回復しつつあり、女房たちの憤りの圧も耐え難いので、実資はこれは自分の思い違いとして、取り調べをやめることにしました。(女房たちが寄り集まって悪口を言うシーン、このドラマの楽しみになりそうです)師貞親王に教育係として仕える藤原為時(岸谷五朗さん)は、雇い主の藤原兼家に、近ごろの東宮は心を入れ替えたように勉学に励んでいる、これは自分の即位が近いと覚悟ができたのでは、と喜んで報告していました。しかしそう聞いて兼家が思ったことは、東宮が即位した後は(ライバルの)左大臣は娘を入内させる気なのか、ということでした。そこで為時は娘のまひろ(吉高由里子さん)を、自分の遠い親戚でもある左大臣家に送り込んで、左大臣家の様子を調べさせようとしました。父から謹慎を命じられて家から出られないけどこの日だけは外出を許すということで、まひろは父の勧めに従うことにしました。左大臣家に上がると、正室の穆子と一の姫の源倫子(黒木華さん)と倫子の教育係の赤染衛門(凰稀かなめさん)、そして倫子の友人でやんごとなき(身分の高い)姫君たちが集まっていました。まひろは穆子から「遠い親戚の娘」と紹介を受けて仲間に入れてもらい、そこで早速「偏つぎ」という遊びが始まりました。姫君たちはみんな漢字が苦手で札がなかなか取れなくて、逆に漢字が得意なまひろは夢中になって次々と札を取っていき、とうとう全部の札を取ってしまいました。1回戦が終わり、友人の姫君たちは1枚の札も取れなくて面白くなさそうでしたが、倫子はまひろの頭の良さを笑って褒めてくれました。師の赤染衛門は、これからは女子でも漢詩が読めて漢文が書けなければいけないと教え、姫君たちもみんな素直に明るく返事をしていました。当時、姫たちは学びの中にはのどかな遊びもありましたが、上級貴族の子息たちは勉学に励み、関白の屋敷では休日であっても学友たちが集まって、やがて国家を率いてゆく者としての研さんを積んでいました。この中には後に書で名をはせる藤原行成(渡辺大知さん)もいました。左大臣家で思いがけずに楽しい時間を過ごして帰宅したまひろでしたが、父は一の姫の倫子のことや姫が婿をとる話はなかったかと聞くばかりでした。まひろは左大臣家を探ってくるよう父が兼家から頼まれたのだと察しました。ただ、ここで以前のまひろなら間者の役目などしたくないと反発するのでしたが、父の立場を悟ったのか、あるいは自分で何かを受け入れたのか。まひろは自分から倫子のお気に入りになれるよう努めると父に言って退室したのですが、自室で一人になったときにひそかに涙しました。そしてまた左大臣家に行く機会があり、まひろは姫君たちの気分を壊さないよう気を付けていましたが、つい知識が出てしまうこともありました。その帰り道、まひろは四条万里小路の辻でやっている散楽が見たくなり、お供の乙丸と一緒に寄り道をしました。その時、散楽見物をする輪の中に別々にいるまひろと道長を見つけた演者の男が二人を引き合わせるかのような動きをし、まひろと道長は互いに気が付きました。互いに歩み寄って近づく二人、そして面がとれた演者の男は、あの市場での騒動のときにまひろとぶつかったあの男でした。
January 24, 2024
1月の後半にしては珍しいくらいぽかぽか陽気となった今日、私が出かけていて不在だった午前中に、愛ニャンのフクちゃんが虹の橋に旅立ちました。フクちゃんは事情があって他の家で飼えなくなったのを我が家に迎えた子でした。特に何か目立ったことをするわけでもないけど存在感があって、フクちゃんがいなくなってしまった今、寂しくてたまらないのを感じています。この寂しさは、そう、昨年の春にフクちゃんが手術をすることになり、たぶん大丈夫だけどこのままダメになるかもとも言われていた、あのときの思いでした。あのときは3日後にちゃんとこの部屋に帰ってきてくれたけど、今度は永遠の別れになってしまいました。我が家で5年と4か月暮らして、16歳で旅立ちました。フクちゃんはちょっと世話がやける面もあったけど、実に我慢強い子でした。康太郎とケンカして目に大けがをしたときも、何も訴えずにじっと耐えていて、私があと少し気が付くのが遅れてたらあわや失明ということもありました。3日前からフクちゃんが急にゴハンを食べなくなりました。たぶん容体が急変したのでしょう。それでもよろける脚でトイレにはちゃんと行ってました。それが昨日の夕方から足腰が立たなくなったので、もう近いとは感じていました。苦しそうだけどどうしようもなくて、そして今日の午前中、虹の橋に旅立っていきました。我が家に来て数日たって落ち着いたころのフクちゃん。とりあえずお気に入りの寝場所を見つけました。冬になると、私の布団の上でよく寝てました。正直、重たかったです。ただこの冬は、フクちゃんはやたら私の布団の中に入ってきたがってたので、たぶんお別れが近いことを悟っていて、甘えていたと思っています。まだ康太郎がいた2018年頃?、フクちゃんはお坊ちゃんなので自分からはケンカはせずに、みんなと一緒にゴハンを食べていました。昔の画像を探していたら、こんなアングルでフクちゃんを撮ったのがありました。小太郎と一緒にお水を飲むフクちゃん。この2匹は別に仲が良いとかではなくて、どちらもがお坊ちゃん育ちでケンカを知らなくて、ただ「同時にのどが渇いた」だけなのです。小太郎とフクちゃん、同時に水を飲むシーンがよくありました。どちらも長くて立派なシッポです。今日の午後、ペット葬儀やさんが来て、フクちゃんを送るとき。フクちゃんが虹の橋で恥ずかしくないよう、新しいひざ掛けで身体を覆って、シクラメンの花をハサミで切ってお棺を飾りました。本当は一人っ子希望だったのに、我が家に来てしまったフクちゃん。本ニャンが幸せだったかどうかはわからないけど、私の心の中にいっぱい種をまいていってくれました。ありがとう、さようなら、フクちゃん。
January 22, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。平安時代でイメージとしてはいちばん国風文化を感じるであろう、藤原道長の時代の今年の大河ドラマ。皇族や貴族といった身分の高い人たちの色とりどりの華やかな衣装や高価な道具類はもちろん見どころですが、庶民の風景も織り交ぜてあるのを興味深く見ています。そして華やかなイメージとは真逆の、権力争いをする貴族たちの裏の顔や駆け引きと、身分が低い者への容赦ない仕打ちなど、当時はこうだったのかと思いながらドラマを見ています。柄本佑さんが演じる藤原道長が気になります。今はまだ身分も低く、穏やかでのんびりした感じですが、この青年がどうやって「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも 無しと思へば」と歌うあの道長になっていくのか。ふだんはTVでもなかなか見ることのない雅な平安貴族の世界を味わいながら、展開を楽しもうと思ってます。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永観2年(984)母を失ってから6年の月日が流れ、まひろ(吉高由里子さん)は裳着の儀式を行い、腰結は父・藤原為時の友人でまひろを幼い頃より知る藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が行いました。母の死に対していまだに父にわだかまりをもち、その相手はどうも父が仕えている右大臣の次男が関係しているのではと疑うまひろは、宣孝にそのことを訪ねました。宣孝はとっさにとぼけて言葉を濁し、さらにそれを知ってまひろはどうするつもりなのかと、逆に問いました。わからないと答えるまひろに宣孝は「わからないなら黙っておれ。」とぴしゃりと言い、そしてこれは宣孝からの心からの忠告だと言って去りました。宣孝は為時の事情や思いを理解し、今為時が仕える東宮が帝になれば運が開けると、為時を励ましていました。そのころ巷では盗賊が跋扈していて、円融天皇(坂東巳之助さん)はどうすべきか公卿たちと対策を考えていました。右大臣の藤原兼家(段田安則さん)は検非違使庁の別当を変え、盗賊を捕らえた者には褒美を出してはどうかと進言、関白の藤原頼忠(橋爪淳さん)はそれに反論をしますが、兼家の勢いに押された天皇は兼家の意見を採用することにしました。右大臣・兼家の子供たちもそれぞれに官職を得て順調に上流貴族への道を進んでいて、三郎は元服して藤原道長(柄本佑さん)となり、宮中での勤めに励んでいました。道長の姉・藤原詮子(吉田羊さん)は6年前に円融天皇に入内し、藤原一族の期待どおりに皇子(懐仁親王;後の一条天皇)を産んでいました。しかし天皇は后の最高位の中宮を藤原遵子とし、さらに兼家が増長することを恐れ、詮子を遠ざけていました。母としては満たされても天皇の寵愛がなくなってしまった詮子は寂しい日々を送り、唯一心を許せる弟の道長を時折り呼び、本音をぶつけて考えたり、あるいは姉弟として他愛ない話をして笑い、気を紛らわせていました。さて、こちらにも仲良しの姉弟がいました。父・為時から家の跡取りとして期待される藤原惟規(高杉真宙さん)は幼い頃から学問の指導を父から受けていましたが、惟規は学問はどうにも苦手でした。反対に姉のまひろは父の授業を少し離れて聞いているだけなのに、学問が得意で書物も好きなので、様々なことをどんどん吸収していきました。父は惟規が間もなく元服であり、その後は出世のために大学に入ってもっと勉強しなければならないので、宿題を与えて外出していきました。父が出かけたら惟規は早速まひろの元に甘えに行き、二人で軽く話を。でもその後で、まひろもまた父には内緒にと惟規に念押しして出かけていきました。(惟規は幼い頃に母を亡くしているから、姉でしっかり者のまひろは惟規にとって甘える相手だし、まひろにとっても惟規は可愛い弟でしょうね。)まひろは市場にある絵師のところで、和歌を代筆する仕事をしていました。その帰り道、お供の百舌彦を連れて市場見物にきていた道長と、6年ぶりに偶然出会いました(当時は三郎)。道長は、あの時まひろをずっと、夜になっても待っていたのになぜ来なかったのかと問いますが、話したがらないまひろの気持ちを受け止めていました。代筆の仕事が楽しいというまひろを見て不思議がる道長。まひろが逆に道長に尋ねると、自分の周りの女子は皆さみしがっている、男は偉くなりたがっていると道長は答えました。話を重ねるにつれ、まひろと道長は互いに「この人はいったい何者なのか」という思いが強くなっていたのだけど、ちょうど百舌彦が道長を呼びに来ました。己の心のままに話す道長にまひろはどこか惹かれつつ、また会った時に話をと約束して道長は去っていきました。道長の姉・詮子は、このまま帝が自分から遠のいてしまうのはあまりにも悲しく、もう一度帝の心を取り戻したいと決心して、帝に文を送っていました。そしてようやく帝が今宵、自分のところに来てくれるとなり、身支度をして待っているのですが、その様子を女房たちは冷やかして笑いものにしていました。(漫画「あさきゆめみし」の中で「口さがない(他人のうわさや批評を無責任・無遠慮にするさま)女房たちがいる宮中にこの姫を入れるのは・・」みたいな部分があったように記憶しています。どこだったかな・・?)しかし何年かぶりに渡ってきた帝は、詮子の期待とは反対に不快感をあらわにして詮子の文を冷たく突き返してきました。帝は詮子の行動を見苦しいと言い、さらに侮蔑の目で詮子を見て「懐仁親王の母なのに汚らわしい。」とまで言いました。詮子が帝にかつての自分への寵愛は偽りだったのかとすがると帝は、親王を成すために務めを果たしたまでで今は愛情はない、と平然と言いました。そして詮子に国母になる心づもりを忘れるな、内裏を去るなら親王は置いていけ、と言って、詮子のもとを去っていきました。(前回私は、帝は真面目で不器用な詮子を気に入ったのかと思っていましたが、政治的な背景だけでなく、どうやら若々しくて色香のある遵子のほうが良かったという感じですね。)さて、6年前から藤原為時(岸谷五朗さん)は、やんちゃ過ぎて誰も教育係をしたがらない師貞親王(本郷奏多さん)に漢学を教え続けていました。しかし師貞親王の奔放ぶりは相変わらずで、真面目に勉学に励む様子は全くなく、男女のことを覚えてからはますます手がつけられなくなっていました。為時は親王の様子を雇い主の藤原兼家に報告するのですが、理解を超える親王の奔放ぶりに兼家は、これは痴れ者のふりをしているだけではなくて本当に痴れ者なのか、とまで思うようになりました。ある日、兼家は次男の藤原道兼(玉置玲央さん)を伴って遠乗りに出かけました。小高い丘の上から京の都を眺めるのが好きだと言う父・兼家と、3兄弟の中では日頃あまり目をかけてもらえない自分が急に父に遠乗りに誘われて、誇らしくて嬉しくてまらない道兼がいました。しかし父が道兼を呼んだのは、御所の女房を使って帝を病にする薬をいれさせるよう命ずるためで、そういうことを成すのが道兼の役目とまで言い切りました。なぜ自分がと尋ねる道兼に兼家は、6年前に道兼がまひろの母を刺殺したことをさし、その後始末のために家の名を汚し、父の手も汚したと言いました。道兼は父の命に従うしかありませんでした。(兼家は長男・道隆のために、何かあれば汚れ役を道兼にさせるつもりでした。親の愛を望む道兼を利用しているのですよね。)道兼が父の命を実行しているのか、帝は政務の間も加減が悪そうでした。一方、相変わらず好き勝手しながら為時の講義の時間を過ごしている懐仁親王ですが、為時に「ないしょだけど」と念押しながら自分が帝になるかもしれないことを話していました。(この親王は痴れ者に見えて、実はしっかりと政治的な情報網を持っているということですね。)懐仁親王は自分が即位したら、為時を式部丞の蔵人にしてやると言います。自分に手を焼いて教育係はみんな去っていったけど、為時だけはずっと傍にいてくれたことを親王は嬉しく思っていたのでした。(為時にしたら、これしか仕事がなくて我慢しながらずっとやっていた面もあると思うのだけど、教育者としては雇い主よりも、一番認められたい人(生徒)に認められた嬉しさはあると思います。)出世の見込みのことを為時が家でそのことを話すと、太郎の乳母のいとから、まひろが市場に出て何か仕事をしているらしいということを聞きました。為時はまひろを叱り断じて許さないと言って、乙丸を見張りをつけました。それでもまひろは隙をついて市場の絵師(三遊亭小遊三さん)のところに行くのですが、父が先回りしてまひろをここに来させないようにしていました。そうとも知らない道長は絵師のもとを訪ねて追い返されるのですが、その帰り道、無実の罪らしき男が検非違使に捕まって乱暴をされていたので、道長は男を助けようと検非違使を挑発して逃げ回りました。それで今度は道長が検非違使に捕まったのだけど、その時まひろが道長を助けるために動きました。
January 17, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。2024年の新しい大河ドラマが始まりました。昨年の戦国時代から今度は600年ほど戻って平安時代へ。学校では、中学で『枕草子』を習いますが、高校の古文で習う『源氏物語』の世界です。私は高校時代、この『源氏物語』は、「いづれの御時にか女御、更衣あまた候ひ給ひける中に・・」みたいなほんの一部は記憶にあるものの、これは何の話なのか物語全体がサッパリわからない世界でした。これをようやく理解できたのは、大和和紀さんの漫画で『あさきゆめみし』を読んでからです。(この漫画に救われた人はたくさんいると思います。書店の参考書コーナーにも置いてあるほどです。わかりやすく描いてくれた大和和紀先生、本当に感謝です。)でも平安時代で1年間、ドラマを見続けることができるのか。そんなことを考えながら見始めた第1回放送。『源氏物語』に出てくるような当時の人々の様々な思いや、政治や恋愛での「駆け引き」が楽しめそうです。何より平安時代独特のメイクでないことに安心しました。この1年は、平安時代の装束をはじめとした国風文化を学びながら、ドラマを楽しんでいこうと思ってます。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 貞元2年(977)年の暮れ、まひろ(後の紫式部;落井実結子ちゃん)の幼少期。父の藤原為時(岸谷五朗さん)は下級貴族で漢学者ながら一家の生活は大変苦しくて日々を食いつないでいくのがやっとでした。昨夜の大雨で雨漏りして濡れた床をふきながら、まひろは父が弟に教える学問を耳で聞いて覚え、暗唱できるほど賢い女の子でした。母のちやはは苦しい生活の中でも悲観的にはならず、年が明ければ夫・為時の官職も決まってなにもかもうまくいくと信じて、家族や家人たちを支えていました。一方、京の都では上級貴族たちの出世争いが熾烈を極めていました。大納言・藤原兼家は来年、娘の詮子(吉田羊さん)を円融天皇(第64代)に入内させることが決まり、兼家と長男・道隆は詮子が入内して第一皇子を産めば一族の繁栄になると期待していました。しかし元服前の三男・三郎(後の藤原道長;木村皐誠くん)はまだ自身や家のことに対して欲がなく、そんな三郎は詮子にとって周りには黙っている自分の本音が言える、唯一の心許せる存在でした。まひろの父・為時は、学はあるけど要領よく立ち回ることができず、官職を5年間得ることができずに家族に苦労をかけていました。(食事の膳の様子、住まいや衣服など、上級貴族と下級貴族の暮らしぶりの違いがドラマの中でさりげなく出てきて、興味深いです。)そんな為時を見て親戚の藤原宣孝は為時に、いずれ権力者となると予感する大納言・藤原兼家の屋敷にすぐに行け、推挙をお願いしてこい、と助言しました。はじめはためらっていた為時ですが、このままではどうにもならないので自分を売りこむ文をしたため、兼家の屋敷に出かけました。兼家の屋敷では一族で正月を祝う宴が開かれていて、為時は会ってもらえません。やむなく平惟仲(佐古井隆之さん)に文を託して戻ることにしました。貞元3年(978)正月、下級貴族たちの運命を左右する除目(天皇、大臣、参議以上の公卿によって行われる人事の会議)が内裏の清涼殿で行われました。これは宮中での仕事を望む者が事前に、希望する官職と自分を売り込む申し文を提出し、公卿の審議を経て天皇が承認すると官職を得られるものです。しかし為時は自分を売り込もうとして円融天皇(坂東巳之助さん)の心象を悪くしてしまい、官職を得られませんでした。失意の為時が史記の「本紀」を手にして考え事をしていると、まひろが父の傍に来て本を読んでほしいとねだりました。学問好きなまひろが男子だったらーー為時はふとそう考えるのでした。春になり、関白・藤原頼忠の娘の遵子が円融天皇に入内、続いて秋のはじめには、大納言・藤原兼家の娘の詮子が入内、兼家はこれを機に右大臣に昇進しました。円融天皇は、生真面目で不器用そうだけどどこか女子として可愛い詮子の気立てを気に入り、詮子を深く寵愛しました。しかし詮子が入内した夜、安倍晴明の館に大きな落雷があって火事になり、晴明はこれを災いが起こる前兆と捉えていました。そして宮中の女官たちも詮子の入内は凶であると口々に噂し、また天皇の詮子への寵愛が過ぎることも批判的にささやいていました。宮中でささやかれる噂を詮子の兄・藤原道隆(井浦新さん)は心配していました。しかし父・兼家はそれに動じることなく「慶事の折の風雨は吉兆。詮子の入内は吉である。」と噂を流すように命じました。「世の流れは己で作るのだ!頭を使え。肝を据えよ。」ーー宮中での評判を恐れる嫡男の道隆を、兼家は𠮟咤激励しました。ある日のこと。まひろは飼っている小鳥の世話をしているときにうっかり逃がしてしまい、まひろは小鳥を追いかけて外に出ていきました。川原まで来たときに身分を隠して散楽を観に来ていた三郎と出会い、優しい三郎は悲しんで泣きそうなまひろを一生懸命に笑わせようとしていました。高級な菓子をくれた三郎をまひろが不思議に思っているとちょうど従者の百舌彦が三郎を呼びに来たので、三郎は次にまた会う約束をして去っていきました。(『源氏物語』にでてくる若紫との出会い「雀の子を犬君が逃がしつる。」の場面。藤原道長は紫式部の憧れの人と聞いたことがありますが、何かの出来事がまひろが紫式部になって書く物語のネタになっているとしたら、これからまひろが経験する出来事が『源氏物語』のあの場面、ということになりそうですね。)大臣らとの政の話が終わった後、天皇はこの日は関白・頼忠の娘の遵子のところに行くと言い、頼忠は右大臣の兼家に遠慮して声を落として返事をしましたが天皇は兼家のことは気に留めていませんでした。その様子を見て女官たちは早速「閨も政の場所」とか、寵愛が過ぎる詮子のことを「宮中では一人勝ちは許されない」と陰でささやいていました。不機嫌になった兼家が屋敷に戻ったとき、まひろの父・為時が兼家に推挙を願って書いた文がふと目に留まりました。兼家は為時を屋敷に呼び出しました。そして為時に、正月の除目では宮中での官職は得られなかったが申し文は上々の作であったと褒め、東宮の師貞親王に漢文の指南をしてはどうかと持ち掛けました。これは正式な官職ではなく兼家が雇う形だけど、やっと仕事がもらえた為時はこの話を喜んで引き受けました。ただこれには一つ兼家から条件があって、東宮はいずれ帝となるから考えや気質を知っておきたい、どのようなことでもつぶさに知らせてほしい、とありました。そして兼家は一方で陰陽師の安倍晴明を呼び出し、娘の詮子より少し先に入内した遵子に子ができぬようにせよと命じ、晴明もそれを引き受けました。東宮に漢学の講義をする日を迎えました。久しぶりに出した直衣はカビだらけでしたが、妻のちやはは一生懸命に手入れして夫の為時を送り出しました。さて、兼家から「一風変わったお人柄」と言われていた東宮の師貞親王(伊藤駿太くん)は、為時の講義中でも真面目に聞く気は全くなし。ウロウロ歩き回り、ふざけて講師の為時を蹴飛ばし、変顔して遊び、講義の途中で勝手に退室していくような皇子でした。為時は兼家の恩義をありがたく思いつつも、兼家が「(東宮の教育係を)誰も引き受けたがらない。為時なら辛抱強く穏やかゆえ適任。」と言っていた意味を、身に染みて理解することになりました。さて兼家の次男の藤原道兼(玉置玲央さん)ですが、日頃から、兄・道隆のように父に尊重してもらえず、母・時姫からは悪気なく兄と比較されて悲しくて、鬱憤がたまったり何か癇に障ると、弟の三郎や家人など傍にいる立場が下の者に暴力的に当たり散らしていました。この日も家人をかばう三郎に腹を立て、怒りの矛先を三郎にむけて乱暴していたら母が通りかかり、道兼を止めました。身分の低い者には何をやってもよいという道兼の考えを時姫は厳しく叱りました。自分の気持ちを母にわかってもらえずむしゃくしゃした道兼は、馬を駆って屋敷の外に出ていきました。道兼が林の中を駆けていると、父・為時のための御礼参りに来ていたまひろが林の中から飛び出してきて、そのため道兼は落馬してしまいました。相手は上級貴族なのでまひろもちやはもすぐに詫びたのですが、従者が言った何気ない一言で怒りが収まらなくなった道兼は、ちやはを刺し殺してしまいました。突然帰らぬ人となって戻ってきたちやは。しかし為時は先日に兼家の館を出るときに、家人を乱暴に扱う道兼をたまたま目にしていて、家人の乙丸やまひろが言う「ミチカネ」という名はあの道兼と直感。「ちやはは急な病で死んだことにする。あの時のことは忘れよ!」ーー為時は母の死に納得がいかないまひろに厳しく言い渡しました。
January 10, 2024
全4818件 (4818件中 1-50件目)