Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2013/07/11
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 ハリー・クラドック(Harry Craddock 1875~1963)= 写真左下 (C) northcountrypublicradio.org =と言えば、あの「サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)」を著した偉大なバーテンダーです。サヴォイ・ホテルやドーチェスター・ホテルなどロンドンの名だたる一流ホテルのBarで長くチーフ・バーテンダーをつとめ、多くの後進を育てました。しかし、クラドックの伝記はこれまで書かれたことがなく、私生活についての情報(資料)もほとんど伝わっていなかったために、その素顔は謎に包まれたままでした。

 私は先般、この日記上で、クラドックの生涯について、当時集められる限りの資料やデータを元に簡単な伝記を紹介しました。その際、自信を持って書ききれず、ずっと心残りに思っていたことがいくつかありました。s-Craddock2.jpg
 バー業界では、世界的な知名度と輝かしい業績を持つクラドックですが、基本的なデータで不明な点が多かったのです。

 まず、彼は「米国生まれ、禁酒法で米国に見切りをつけ英国へ渡った」と言われてきたのですが、米国のどこで生まれたのかのはっきりとした情報がないこと。

 そして、英国での最晩年の動静。具体的には、ドーチェスター・ホテルを1947年、72歳で退職したあと、亡くなるまでの間どう過ごしたのか、いつどこで亡くなり、どこに埋葬されたのか。こうした基本的情報(データ)が、英国内ですらよく分かっていなかったことです。

 僕は「研究者の誰かが、彼の生涯を徹底的に調べて伝記を書いてくれないかなぁ」とずっと願い続けてきました。すると、今年に入って思わぬニュースと出合ったのです。アニスタティア・ミラー(Anistatia Miller)、ジャレッド・ブラウン(Jared Brown)という2人の研究者が2013年1月、クラドックともう1人、ハリー・ジョンソンという19世紀後半のバーテンダーについて、約7年の歳月をかけて調べ、書き上げた伝記「The Deans Of Drink」を出版したのです。

 原書であるので、うらんかんろはまだ読んでいませんが、そのエッセンスを紹介した海外のブログはいくつか拝見しました。そして、なによりも嬉しかったのは、この2人の努力によって、謎だった部分の多くが判明したことです。

 第一の謎であった「生誕地」については、驚きの事実がわかりました。クラドックは米国人ではなく、英国人だったのです。彼は1875年8月、イングランド西部、コッツウォルズ地方のバーレイ(Burleigh)という町で、仕立屋と織物職人の両親の間に生まれたのでした。実は、欧米でもこれまで、クラドックを「米国生まれのバーテンダーだが、禁酒法施行を機にニューヨークを離れて英国に渡り、サヴォイ・ホテルで有名になった人」と信じ込んでいた人が多かったそうです。

 しかし、事実はまったく違いました。クラドックは成人するまでは英国で過ごし、22歳の時、新大陸アメリカへの移民ブームに乗って、初めて米国へ渡るのです。クリーブランド、シカゴでウェイター、バーテンダーとして働いた後、より大きな活躍の場を求めて、ニューヨークへ向います。そして、マンハッタンの有名なホテルや社交クラブのBarでバーテンダーとして働き始めます。再び英国へ戻ったのは、前述したように米国に禁酒法が施行された1920年です。Grave Of Harry Craddock.jpg

 今回、もう一つの謎だった埋葬地や墓碑も、著者たちの努力で確認されました。クラドックはロンドン郊外西方のガナーズベリー(Gunnersbury)という町の共同墓地に眠っていました。

 しかし、確認された墓碑(墓石)= 写真右 (C)Savoystomp com=を見て、僕は唖然としました。まったく無関係と思われる他人2人との共同の墓碑だったのです。あの偉大なバーテンダーの墓碑としては、あまりにも寂しい最期の現実に言葉もありません。

 最晩年のクラドックは、ドーチェスター・ホテルを退職した4年後、76歳にしてブラウンズ・ホテルというところから請われて、新たなBarの開業を手伝います。このホテルに何年勤めたのかは不明ですが、最終的には87歳で亡くなります。命日は1963年1月23日です。

 最晩年、クラドックがあまり脚光を浴びず、その動静があまり伝えられずなかった理由はよくわかりません。あれほどバー業界に貢献し、不朽のカクテルブックを著した偉大なバーテンダーであるのに、「英国内のバー業界はなんて冷たいのか。なぜ偉大な先人にもっと敬意を払わないのか」と僕もずっと不満に思ってきました。

 ところが奇しくも没後50年にあたる今年、さらに素晴らしいニュースが飛び込んできました。3月15日、クラドックが愛したプリマス・ジン(Plymouth Gin)社がスポンサーとなり、彼の埋葬された墓前で、没後50年の記念の集いが開かれたというのです。→  英国でのWEB報道(A) 英国でのWEB報道(B)

 サヴォイ・ホテル、ドーチェスター・ホテル等のBarの関係者をはじめ、「The Deans Of Drink」の著者ももちろん参加しました。そして、墓碑にカクテルを捧げ、偉大な先人バーテンダーを偲び、たたえました。没後50年にして、英国のバー業界がようやく、「カクテルの帝王」クラドックを再認識し、再び敬意を払う気持ちになってくれたことは喜ばしい限りです。

 「先人の積み重ねがあって、今がある」とは、どの業界にも共通する真理です。世界中のバー業界が、ハリー・クラドックの偉大な功績を、名著「サヴォイ・カクテルブック」とともに、末永く語り継いでいってくれることを心から願わずにはいられません。

※過去の連載については、近日中に全面改訂版をリリースする予定です。何卒よろしくお願いいたします。

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kopn0822 @ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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