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この日曜日だったかの新聞の朝刊の記事で読んだが・・・、柳沢厚生労働大臣が、27日地元後援会の席上とは云え、「女性は子供を産む機械」とのたまわった。この発言には、正直、ユダヤ人を思うまま処理したナチズムの残党がしゃべった言葉か?とこちらまでゾッとして、一瞬、思考停止する程驚き!嫌な気分がした。人類は蟻やハエ一匹、完全な生命体を機械で創りだした実績もないのに・・神ならぬ身の、官僚出身者とは、どこからそんな尊大な言葉が頭の中で作り出せるのか!!案の定、昨日来より、国会やマスコミで柳沢厚労大臣叩きが始まったが・・・任命者の安部総理が二日も大人しく報告を待って、形だけ叱責し、カバー出来ると思っているのなら、大甘といえ、何故安部総理側より自ら出向くか、呼びつけるか、又は即電話し、叱責しなかったのか!今回の発言は安部政権のいう「美しい国」の言葉の衣の下の、民を見下ろす心根が透けてみえた訳で「綸言汗の如く」、訂正撤回陳謝すればするほど、見苦しく深みに嵌まり、政権の終わりの始まりを告げるほど・・・冷徹非道というべきか、思考回路の貧困というべきか、いずれにしろ、まともな人間の語る言葉ではない。小子化対策にあたって、農林水産省が一括の生殺権利を握り、殺戮を指示できる鶏や牛や豚の管理テクニックと同じ感覚で、厚労省内では、日頃「人間製造機」なみに女性を評価している雰囲気の台詞が、つい、ちらりと頭に浮かび、「語るに落ちて」漏れだし、しゃべったのだろう・・・ 逆に、国民としては「一を聞いて十を知る」例え通り、産めない女性への蔑視も、治療代ばかりかさむ御用済みの老人への冷視も、又当然の様に、政権与党及び官僚組織にとって、国民とは税金収集機械であり、自己に有利な投票マシーンと思っているのまで判る、初めての孫の出産に立ち会った程度で、云うのも何だが・・つくづく、女性とは、・・長いつわりの苦しみに耐え、時間を掛け、生命を慈しみ編み出す存在として、又それからの育児に夜中も三時間おきに授乳しつつ育んでいる我が娘の姿を通して、我が妻、亡き母の来し方を思い、尊敬に値する・・を実感しているだけに・・・ blogランキングへ
January 30, 2007
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美ヶ原には何度か行ったが、やはり家族水入らずで娘の独身最後の旅の思いでにと、白樺湖に旅行した5年前の5月連休の時が一番懐かしい。 途中、駒ヶ根のツツジで満開のPAから木曾駒ヶ岳を見上げて休憩し、 諏訪湖湖畔の諏訪大社春宮を参拝の後、一気に和田峠に登り、 霧が峰のグライダー滑空場へ行き、 まだ肌寒い青空へ舞い上がり、 車山方面から下降してくるのを飽かず眺めた後、 蓼科山の下の白樺湖のホテルへ三泊し 翌日は美ヶ原の霧の中を歩き、 美しの鐘近くの山本小屋湿地に水芭蕉を見つけ、 翌々日は浅間方面に下り、 小諸の懐古園の八重桜を眺め、軽井沢まで足を伸ばしたが・・・その秋に嫁に出した娘が、この度やっと孫を産んで里帰り・・そう、あれから5年にもなるのかと、つい懐かしく思い出した・・・ blogランキングへ
January 28, 2007
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R大の理工学部教授をしている同期の友人から久し振りにグライダー搭乗のお誘いがあった。彼は若い学生時分にグライダー部に所属し、活躍していたので、その関係で、R大の航空部の部長をしている。以前乗せてもらったのは何時の事?とMy pictureでみると、もう3年も前の2004年2月のフォルダーにあった。彼の住む最寄駅の大津で拾ってもらい、木曽川下流にある関西航空学生連盟の滑空場に行き、年1回だけ催される、関係者の搭乗会に参加させてもらう訳で・・(2月頃が一番気流が安定しているそうだ)どちらかといえば女子学生の部員の数が多い合宿所へ果物や御菓子類の差し入れを届けると、部長さんの、一応御学友?と言うわけで、全員最敬礼で受け取ってくれるので悪い気はしない勿論、搭乗に際しては同意書の記入と搭乗費の支払いが必要だが、気象条件が悪ければ、飛ばさないし、構造上もまず墜落は有り得ない。その折の写真で振り返ると、搭乗前に簡単な説明を聞き、 グライダーの前席に乗り込み、シートベルトを締め、風防を下ろし 後部座席のインストラクターの指示通り、自分が握る訳ではないが操縦桿や前の計器の説明を聞いている内に、管制員の指示で約1K先の固定させたトラックに取り付けたウインチが廻りだし、胴体のフックに付けたケーブルを充分に引き絞って 後尾の綱を合図とともに離し、2G程度の圧迫感とともに、加速が付き、学生が前翼が安定するまで併走すると、凧の理屈で長い前翼に風を受け 、あっという間に、凡そ3~400m上空へ・・・ 一番高く揚った処で、ウインチケーブルのフックを外すと、綱は小さな落下傘とともに地上へ戻り、グライダーは、風防の風切り音だけの静かな空間となり、はるか下の木曽川・長良川をながめつつ、 まるで鳶か鷹の気分で周囲を見回すと、曇ってみえないが伊吹山方面を僚機が旋回しつつあり、 気流条件がよければ、5~10分、も飛び続け、名古屋市内も一望できる。(風防の前の青い毛糸状のラインは風にゆれ、正面に風を受けているかどうかをチェックするマーク) 暫く旋回の後、元の木曽川滑空場方面に戻り、 徐々に高度を下げ、 滑空場内をすべるように低空飛行し、 出発地点よりまだ先の草地へ胴体の前輪を挙げ気味に滑らして着地する。 (上の写真のグライダーはまだ滑空しており、着地していない・・丁度H氏提供のブラインドステッカー試供品を貼った教授の車の前を通過するチャンスを狙って撮り、仕事用HPにPR用に貼り付けている写真)風切り音以外の音のしない風防内では、インストラクターとは、普通の声でしゃべりつつ降りてゆくので怖さは全然感じない・・・、遊園地のマシーンの方がよほどスリルがある・・2月中旬に、またその搭乗の機会を もらえそうで 楽しみだ・・・ blogランキングへ
January 27, 2007
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明け方の寝床の中で、隣室の赤ん坊の泣き声を聞くのは、もう何十年ぶり・・、懐かしくて、元気な泣き声にききほれる・・。余り泣き止まないとババが起き出し、つられてジジも様子を見に行くと、新米ママが慣れぬ身のこなしでいっしょうけんめい授乳中。パパは、離れた部屋で聞こえないのか爆睡中、仕事に出るのも早い為・・、それもよしと云う訳で・・上手くくわえると、ほどなく吸い付いて静かになるが、目下三時間おきの授乳で、昼間は欲しがるそぶりに早めに気が付く為、ほとんど寝てばかりだが、夜は新米ママさんも、眠いので、そのタイミングを見逃すからだろう・・見飽きないのは孫の顔、寝ていてもさまざまな表情をする。口を開けたり動かしたり、しかめっつらしたり、にやっとしたり、薄目を開けたり、身震いしたり、いきんだり・・まあ、泣き声で全員呼びつけるのは、赤ちゃんの特権みたいなもの。いずれにしろ、狭い家にて、日当たりの良い居間を当分占領されているため、かろうじてジジの仕事兼パソコン室は確保して、お呼びの都度ふすま越しに覗くか駆け付けるのが日課。もう余り悩まずに、今日あたりが"お七や"なので、新米パパも、可愛い名前を選び出してくれるだろう・・・。 blogランキングへ
January 25, 2007
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湖国に住む同期生より、大津「なぎさ公園」の写真が届いた。「快晴の今朝の天気に誘われて訪れた琵琶湖岸にある「なぎさ公園」では、今12000本の菜の花が満開です。写真は下から、菜の花の黄色の絨毯、土手の枯れ草色、琵琶湖の青い水面、対岸の比良山系の薄黒い背景、冠雪した山頂の白色、そして空のライトブルー、と六層の彩りは絵葉書にでもしたいような魅力ある景色です。琵琶湖に設置された「エリ」もアクセントを添えています。」とあった 彼も昨日1月19日、三人目との事だが我が家と同じく、女の子のお孫さんに恵まれ、「年明け早々、孫に恵まれ、こいつは春から縁起が良いわい!」 とも書いて寄越した。善哉善哉・・H氏も今日は、初めて孫娘を腕に抱かせてもらい、その重さに有頂天。・・・我ながら不思議に、キャリアのなせるわざか、上手に抱っこできたのは、昔取った杵柄で、新米パパママにも要領を教え、素直に感心していたが・・・処で・・更に々々慶ばしい事に、友人の末娘さんが、この4月初め、東京六本木のホテルで結婚式を挙げられるそうで、奥様より、その出席への打診メールを頂き、勿論、万難を排しても出席させて欲しい旨、返事させて頂いた。東京・お台場のホテル日航で、その友人の御長女の結婚式に呼ばれ、祝辞を述べさせてもらったのが3年前、ヴァージンロードで父君に腕を預けた御長女にも、今や1歳9ヶ月のお嬢様もおられるが・・・医師でもあり、我々同期の中心でもあった友人が、若狭の海で不慮の事で亡くなって、はや1年半、その末娘さんの、喜ばしいご結婚式挙行とは・・どんなにか彼も気にかけていた事だろうし・・・又、奥様のお慶びもさぞかし・・・・と思い、・・・・その慶びに相ふさわしい言葉も思い浮かばない程・・・奥様は、長女結婚式の際、お呼びした友人連にも、同様に声をおかけ頂けるそうで、賑々しい結婚式が楽しみになってきた。ヴァージンロードは、友人亡き後、見事医師試験に合格し、目下インターン研修中で少し貫禄もついてきた末娘さんの弟君の腕に添えられて、未来の夫君に引き継がれるのが、一番自然だし、彼もそう思うだろう・・・身辺いよいよ春近く、まずは目出度い、目出度い・・・ blogランキングへ
January 20, 2007
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もしもに備え、翌18日約束の納期分が、一日早く仕上がったのを幸い、その件のみで、17日堺~大阪市内を走り回ったのが大正解で、夕刻自宅に帰り着くと、里帰り中の娘の様子が変・・。取りあえず、夕食を早めに済ませ、病院へ連れて行くと、即入院・・。およそ15時間後と言うことで、義息へも連絡し、落ち着かぬ夜を過ごす。病院へ車を3往復し、その晩は義息に任せ、自宅で遅い晩酌を手酌で済ませた時は、もう日付も変更。翌朝の食事もそこそこに、駆け付けると、分娩室で陣痛の繰り返し中、付き添いは二人しか部屋に入れぬ為、ヨメと3人交代で、娘の背中をさすり、落ち着かせるも・・これが中々大変・・考えてみるに、自分の子の出産の折は、嫁に、「しっかり産むように」と申しつけて義姉にまかせ、出先の仕事先にかかってきた電話で、娘が産まれたのを知った時代とは大違いで、幾星霜後、その娘の背中をさするのに精を出す役を仰せつかるとは・・いよいよ出産となると、結局は義息に任せ、新生児室前で、うろうろと気配待ち。入院後、約20時間の15時過ぎ、2880gにて、無事出産の趣。やっとお許しが出て、初孫とご対面は更に、小一時間後。赤ちゃんは種々検診を嫌がって大声で泣いており、ヤレヤレ・・・大役を果たした娘も満足げで母子ともに元気。助産婦さんの仕事越しに、ケータイからデジカメと、"親ばか"と"ジジ馬鹿"の競争で撮り捲るも、結局後でベストショットを見比べてみると、この日の為にと、年初に手に入れた、HVムービー撮影も義息の独占で、まあ負けるが勝ちの撮影勝負となった次第・・・。 blogランキングへ
January 18, 2007
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あの阪神淡路震災から、もう12年にもなる。本来地震が起きる予想もしていなかった、関西人には例えようも無くショックな出来事だった。寝覚め前の、1月17日午前5時15分、寝床の上の棚からモノが落ちてきて、結構長い時間、布団を頭から被り、揺れの収まるのを待ったものだ。前日スキーから帰ってきた娘が隣室から這ってきて、いっしょに布団にもぐりこみ、よくぞスキー板が北海道からまだ届かずにいたお陰で、何時もなら壁に立てかけていたのに・・・と苦笑いしたもの・・幸いH氏の住む北摂地区は大した被害もなく、てっきり関東からの余震と思い、その後の神戸地区の被害のすさまじさに、腰砕け状態でテレビを見続けた記憶がある・・、 処で、min.10秒前に地震が来るのが判った場合、どんな事が出来るだろう?反ってパニックって何も出来ず、弊害になるだろうか?20秒前に判ればどうだろう?寝ぼけてる夜中は兎も角、少なくとも一番大事な頭部の防御位出来るだろうか?その場の状況にもよるが、各自でいろんなケースを考えておくのも、一種の防災トレーニングにはなると思う。家や建物内にいる場合(平屋・高層ビルの違い・それも0時~24時迄の各時間帯毎の、自分の立ち居振る舞いのポジション別)や外にいる場合(壊れ易い場所・人ごみの中・地下街・etc.)車を運転している場合(低速・高速時・ラッシュ時・高速道路通行時・)又乗り物に乗車している場合(電車・列車乗車時・・・etc.)と、夫々の条件によって、同じmin.10秒~20秒前でも、とっさの対応が違う事となる。最低限、本能的に身構える事ができるメリットはあるだろうし、その例として、一昨年の春、記憶に生々しい、JR西日本の尼崎の電車事故の際、あれだけぺしゃんこになった一号車に乗っていた被害者の中でも、一瞬手摺をしっかり握れた人と、運悪くそうできなかった人の生死を分けた事実を教訓としても、ある程度、身構える一瞬の時間は貴重。 今、気象庁では、全国200箇所の測定箇所から、地震発生直後のP波とS波の伝達スピードの差を、即、画像処理し、地図上にプロットし、直下の地域はやむを得ぬにしろそれぞれの地域に、後 ○秒後にS波(ゆさゆさと揺れる本震)が届くのを伝える技術を練り上げている。その技術そのものは誤報もたまにあるようだが、間違いも含めて、如何に人心を惑わさず伝える方法をどうするか、の実用テストを、全国数箇所(例えば、一般住民地区では、偶々鳥ウイルスで知名度が全国区になっている、宮崎県・清武町等)で実用試験をしているようでその他、主な鉄道交通機関・国・地方公共団体・エネルギー機関・通信情報機関・研究施設とその反応のフィードバックを行ってDATAを集めているようだ。その辺りが収斂されれば報道機関からの速報は勿論、何れ個人個人のGPS付きの携帯電話にでも、警音付きで、「あなたの今いる場所には、何処から何秒後に、どの程度の震度で、伝わってくる」と地図入りで発信してくるサービスも、数年後には期待できるのではなかろうか・・・・その日の近からん事を・・・・参考url: 気象庁 緊急地震速報の試験運用について http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/EEW/kaisetsu/index.html
January 16, 2007
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普通古い年代を推定するのは、年代測定学(年代推定科学)という学問があるそうだ、H氏がせいぜい聞いた事があるのは、建築物に木製が多い日本の場合、例えば、縄文杉クラスの古い切り株の年輪の隙間を計り、各年輪の其の年の気候変動による成長度合いを精査して、基準を作り、同様な成長度合いにより、相似形をその材木の年輪に見つけ、切り倒された年を推測し、その木が建物の柱等に使われた時を推定する方法もあるらしい・・ ↑法隆寺五重塔心柱の一部 ・・京都大学生存圏研究所津田研究所 図版よりそれでも、木の場合、精々数千年しかわからず、もっと古い場合、どうするのか、いつも疑問に思っているのだが・・・詳しくは知らないが、 放射性炭素法測定や、ウラン系列法、フッ素法など,化学成分分析による方法、や古地磁気法などその古さ(何万年~何十万年)によって使い分けているのだろう・・・しかし、±の誤差など±50年から100年もあるらしく、正確には判りずらい話ではある。環境考古学はその年代推定を、遺跡から土をとってきて、土の中に含まれている花粉を顕微鏡で観察したり、安定した湖底から、連続した堆積物を数十mの深さで取り、春から夏にかけてケイソウが繁殖してできた白い縞と、秋から冬にかけて粘土鉱物が堆積してできた黒い縞が一つのセットとして一年とし、それを年縞と呼び、その年縞の中には、花粉、ケイソウ、プランクトン、粘土鉱物、あるいは大型の植物遺体まで含まれるため、気温や水温だけでなく、植生の変化、海面の変動、洪水や地震の回数まで復元できるのだそうだ。 年縞 ↑ この年縞の発見によって、年代の測定の精度が一気に高まり、年縞に含まれている情報を読みとっていけば、太古の時代の環境変化が年度で追って行けることになり、日本の若狭の水月湖で年縞を採取して調査した限りでは、今から1万4800年前に氷河期から大きな気候の変動があり、この時期に急激な温暖化が進んだと考えることができるそうだ。その後500年という花粉、ケイソウ、プランクトンの見つからぬ空白期間があり、この500年の空白とは、急激な気候変化に寒冷動植物が死ぬか枯れてしまい、温暖という変化に植生が追いつかず、結果不毛の地となっていた事まで判るらしい・・NHKラジオを聴いていると、しかも驚くことに、原因は兎も角、温度変化はわずか50年(人間の一世代)の間に、年間平均気温が地球規模で7~10℃も違うらしく、あっというまに、周囲の気候は暖気があふれだした事となり、あちこちで異常気象の元に、大旱魃や大洪水も起き、その内、海面も上がり、今の人間の知恵でも制御不可能な環境変動が起きた可能性があると思える。過去40万年、CO2濃度が300ppmを上回った時期は一度もないのに、今は380ppm。既に80ppmも上回っているのに、気温上昇はたった0.4℃で済んでいる。これが何故なのかわからないうえ、2100年にはCO2濃度が1100ppmになるなんて、一旦バランス限界が越えると一体何が起きるか予想もできない。CO2の増大が気候に影響を与えることは、間違いない。過去の歴史上、気候変動をクリアできた文明はなく、気候変動よりまずは目先の経済成長などと云っているとその傾向は益々増大する。我々人類はその予防及び対策に時間の猶予があるのだろうか?・・・その 辺りもっと調べて見ようと思う・・・ blogランキングへ
January 13, 2007
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ブータンの仏教の普遍性から話は一挙に飛ぶが、ある意味、行った事がないにしろ、一昔も前の日本と較べて、何か懐かしさを覚えたわけだが、・・どうも、それはその景色の相似に大いにあると改めて気付いた。適度な里山風な森と田圃のある風景・・実際にブータンで稲作をしているかどうか迄は調べてないので知らないが、日本でも一昔前までは、否、今の今迄、都会のすぐ近くでも、田圃や里山がある景色は見慣れた景色であったが・・里山にしろ、森にしろ、現実に我が家の目の前にあったものが、宅地開発で無残に無くなってゆくのをここ数ヶ月で実感しているだけに、その喪失間は例えようも無く、空しい思いがする訳で・・・。長年見慣れていた隙間のない緑の壁が一挙になくなるのは、正直正視に堪えなかったが・・土地所有権者の財産売却のまえには、数年にわたる周囲の環境権の保護要求など、反故同然の吹けば跳ぶような話の下にこれも受け入れざるを得なかったのが現実・・おおげさに言えば、人間とは自然の価値や大事さを知らず、順法の名の下に馬鹿な行為をする生物を実感する・・ 嵐の前の森・・木々が恐怖に震えて揺れている様で・・06/11/06 途中、段々と切り倒され・・・ 同じ箇所の景色とはとても思えぬ全伐採後の風景・・06/12/09一月も経ち、ショックも収まると、冬場ゆえに意外に我が家の南面の日当たりが良く、明るくなり、日中ストーブも必要とせず、樹木伐採を前向きに捉えて開放感を感じるように思いなおすことにしてきたが・・・まだ慣れるには時間がかかりそう・・・ところで、夕刻帰宅途中のNHKラジオで、日本での提唱者である国際日本文化研究センター教授安田喜憲氏から環境考古学という、聞きなれない言葉を聞き、話に聞き入っていたら、いつもの自分の駐車場に帰り着いた。降りることも出来ず、そのまま車の中で、終わるまで聞き入ってしまうほど、説得力ある、話だった。一つには、森や緑が急速に無くなりつつある日本、そこには今だ、仏教や八百万に神を認める多神教が残っており、正月には、神社仏閣に初詣に出かける人々がまだ多いが、農耕に頼らず、狩に精出し、森を切り倒して土地を広げてきたヨーロッパ文明には、唯一無二の一神教しかあり得ず、特に砂漠化した中東には絶対神のアラーの教えしか存在しないのはその環境のなせる業だそうだ。それゆえ、環境考古学の研究結果から推測される、それぞれの地域の特殊性と文明、そこに暮らす人々の宗教観にまで立ち入った考察が、面白いし、また検討に値するという話だった。共感点も多いし、まだ理解が足りないので疑問もあるが、良く調べてみようと 思いたった。 blogランキングへ
January 12, 2007
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午後8時からのNHKHV特集で「21世紀仏教への旅」が今日で三夜連続あり、夕食も終わり、カーペットからの暖気とほろ酔いのビールのせいで、番組途中の眠気とともに快く、ソファに楽に凭れかかり、行脚行路者 五木寛之氏の案内で旅する気分で解説をお聞きしながら眺めさせて頂いている・・(二時間番組の内、半分はイビキをかいて寝ていると、カミサンが笑っているが・・。)初日は仏陀が80歳を過ぎてなを、「人生は苦である。それでも、生きる意味がある」と教えを広めつつ、ブッダはいかに老いを受け入れ、病に耐え、死を迎えたのか若き弟子、アーナンダ を伴い、沙羅双樹の下に、往生されるまでのみちゆき のお話を、霧多きインドの村々の風景とともに「大般涅槃経(だいはつ ねはんぎょう)」の経典を手に、インドの大地を旅する五木寛之・・ 二日目は 激しい競争の中での現代韓国の仏教の現状で、人口の四分の一程度が仏教徒だそうだが、数ある経典のうち「存在するものは決して孤立しているのではなく互いにかかわり合い、通じ合い、働きあっている」とする華厳経が、教えの中心をなしているそうだ。ソウル市内の高層ビルの谷間のお寺も、拝金主義を象徴して印象に残ったが、2、3度、ソウルは立ち寄った事があるので、さもありなんと思われる景色だった。後半、全羅南道の山深い、高台にあるお寺の雰囲気や周りの青山連なる景色はすばらしく、日本で言えば、長谷寺から眺めた景色とダブって見えるほど有難く眺めた。三日目の今日は「幸福の王国」とサブタイトルのついた「ブータン国」の仏教遍歴だったが、これはこれは素晴らしい教えの仏教国だった。人口の80%が農業という、日本等の先進国からみれば、所謂発展途上国だが、一体、先進国とは、何を持ってそう云うのかを考えさせられた・・・行きかう人々の目元の穏やかさが特に印象的だし、それも二昔前の田舎の日本を彷彿させる景色の中を行く男性は江戸期に見慣れたドテラ姿に良く似た服装で、、何となく懐かしい。輪廻転生をもって、生きとし生けるもの、すべては、己が過去にて生かされ、また来世に生まれ変わるものと信じ、大切にしているのが、根本思想だそうで、現代日本では、既に殆ど見失ってしまった仏教思想。他人の幸せを喜び、不幸をともに嘆き、我是知足(われ これ たるをしる)の質素な生活に幸せを感じる人々で満ち溢れ、仏門に学ぶ子供の目は澄み渡り、教える教師も穏やかで当然ながら、この国にはいじめや、成金主義は皆無と思える。一体、生半な自我意識をめざめさせ、激しい競争社会にさらされ、弱者切捨てが日常化している日本や韓国等にくらべ、なんという無欲無我な国であろう!・・・ブータンの僧は、自我など無我にくらべると、ほんの下層の境地なのだそうで、年間収入の半分もかけて自宅で行う法要には、何と先祖供養の御印一つなく、(輪廻転生により、亡くなって49日めには、既に、他の生き物や、人、或いは天人に生まれ変わっているので、個人的に供養の必要がないのだそうだ・・・)その代わり、当然生まれ変わったであろう、ありとあらゆる生き物や、全ての人様の幸福を祈願するのが、その法要であるそうで・・・・そこまでの無我な思想は、残念ながら、日本には皆無といえる考え方・・正に、幸福の王国 ブータン・・・極彩色の砂曼荼羅のUP場面で番組は終わったが教えられる事が多い国・・・、翻って物欲 我欲ばかり、はびこる先進国と称する日本に住む我々は、或いは、表向きの見た目に騙され煩悩に迷い、ひょっとして地獄といわれる餓鬼畜生の国に転生しているのでは?? blogランキングへ
January 9, 2007
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元旦の初詣も二社のみで後は寝正月をしていたので、娘夫婦の住むマンションから遠望でき、車で10分もかからない、仁徳陵へ行ってみることにした。近くには中秋の名月の夜、勇壮な布団太鼓の神輿が走り回り、10万人とも言われる見物客で溢れかえる樹齢八百年の大楠木の茂る百舌鳥八幡の境内等もあり、途中参拝も済ませて、 (本来は、娘夫婦宅から、歩くか自転車で、鄙びた町並みを縫って行く方が風情は格段にあると思っていたので延び延びになっていた訳・・)車でJR百舌鳥(もず)駅の踏み切りを渡ると、広い敷地の大仙公園があり、その北面に松林と堀に囲まれた、仁徳天皇陵が鎮座している。 周壕を含めた東西の長さ656m南北の長さ793m、その大きさ故に大仙陵とよばれ、正式には百舌鳥耳原中陵(もずみみはら なかのみささぎ)と呼ばれている。 旅客機で上空を通過する時しか地上からは全景はとても見えないが、それでも、この世界最大の陵墓が、長い歴史の中で、ほぼ完全に守られてきた事に、改めて敬慕の念が湧く佇まい。 偶々、正面の拝所に、数人の男女あり、貢物らしい供え物を、垣根の中に置くべきかどうかで、小声で言い争っている為、暫く、スナップ写真が撮りずらく、時間をずらしても、その場を離れようとしない。止む無く、様子を見聞きしていると、どうも、自分達のご先祖様が仁徳天皇のえにしに繋がるご一族様とかで、歴史に余り凝りだすと、そんな具合の想いに至る人も結構いるものと見える。まあ、平成のお平らな御世故、何を想い、ノタマエドモ、ご自由といえば、それまでだが・・・広い敷地には12程の倍塚が、あちこちにあり、はるか向こうに履仲天皇陵の森影が見え、堺市博物館もあったが、又別の機会にと引き上げるべく、公園内を車迄歩いて戻る道すがら、白い立像が、周囲にも特に何の説明書きもなく佇んでいる。その白い立像を良くみると、右手には鳥が留まり、左手には鹿が寄り添っている。 故事に寄れば、仁徳天皇治世67年の冬10月5日に、河内のこの地に行幸して、自分の陵地を定め、同月18日より工事を始めたその折、鹿が野の中より、走出で、にわかに倒れたので、人々があやしみ、調べてみると、その耳の中から百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中が喰いさかれていたので、ここを百舌鳥耳原と名づけた旨。その日本書紀に基づく立像かと思えば、この御方こそ、仁徳天皇と思われる・・まあ、世界平和と人類皆兄弟!と言いたげな穏やかな表情で、救われる。駐車場には、東京や愛知ナンバーの車が数台は止まっていたが、それにしても、この地は余り大々的に観光地化はしていないのも、不思議といえば不思議・・エジプトのピラミッドなみに、世界から観光客が押し寄せるには、日本の玄関口の関空から距離も近い割に、少々日本政府も地方自治体も、PRが足りないのかも知れない・・等おもいつつ、里帰りのお迎えを待つ娘宅へその日は泊まった。 blogランキングへ
January 7, 2007
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新年早々嫌味な繰言を一席。去年の夏の頃の事だが、堺郊外の娘夫婦の処へ一泊するべく、車で出掛け、いつも泊めるタイムサービスの駐車場へ停めようとしたが、生憎満車のため、已む無く別の、いま少し駅に近い駐車場へ、多少高いのを承知で車を停めた事がある。時間は凡そ午後5時前、その日は”つわり”が小康状態の娘を実家より見送りがてら送り届け、歓談訪問し、翌日10時過ぎに、駅前に出向き、駐車場を出るべく、料金を払おうとしてびっくり!、従来停めていた近場の駐車場は、24時間以内、最大1200円ぽっきりだったので、昨夜停めた駐車場は、大きな文字で、「一日最大料金1600円」とあり、駅に近いので「そんなものか」と思って入れた訳だが、メーターには「3200円」と出ている。きっちり、何かの間違いだと思い、インターフォンで呼び出し、事情を聞くと「日にちを跨ぐと追加料金となります」との事、「そんな事って!」と聞きなおすと「入門看板にそう書いてあります」との答え。 目を凝らせば、成る程、その様に取れる案内文字が「一日最大料金1600円」の五分の一ほどの小さな文字で書いてある。つまり、駐車場の言い草では、その日午前0時過ぎに入門し、当日午後11時59分に出庫する際の駐車代が、最大1600円ポッキリ・・という理屈。そんな稀有な例を大々的に看板に謳うのもどうか??と思うが・・気が付かない入場者の方が「阿呆!」な訳で、渋々支払いはしたが、以降はこの「TIME24」の看板の架かった駐車場には入らぬように心掛けている。警察の駐車違反取り締まりも民間委託となり、厳しくなった折も折、時流に乗り、受けに入って、仮にも、上場までした「TIME24」が、繁華街ならイザ知らず、大阪は堺の片田舎の駅前駐車場で、一種の誇大宣伝をし、それにまんまと引っかかった様で随分腹が立ったものだ。このような誇大宣伝は、一見、名の通った大手と言えど、最近日常茶飯事にテレビ他で宣伝し、例を挙げるに、枚挙に暇がない。その後にも、例の、携帯電話のソフトバンクが、通話料金0円と大きく宣伝して、公取の大目玉を頂戴したのと五十歩百歩。他には保険の宣伝もほぼそれに近い事をテレビで繰り返しCMしている、「50歳から80歳まで、医師の診断なしで入れます」等の謳い文句の保険は、まずインチキに違いない。入れるのは違いないが、一旦緩急時には、保険会社はなにやかやとイチャモンを付けて支払わず、毎月まじめに支払ったユーザーは、丸損になるものと思える、・・保険加入者は大手を振って募集するが、どうせ、「自主申告に偽りやもれがあったので保険金は支払いません」とくるのだろう。そうでなければ、今日明日の瀕死の病人や「和歌山の例の保険金詐欺のおばちゃん」張りの契約者で、あっというまに胴元が破産する理屈・・そうならなくて高いCM料金を支払える訳がない。入るを計り、出るを制する商売ほど儲かるものはない。消費者金融をはじめとして、保険・銀行・証券等、最近およそ金融業界は似たり寄ったり。一昔前の日本の、世界に冠たるプライドある金融実業人はいずこへ行った事やら・・(端的にいえば、最近の同窓会で金融マンに出会っても、一時の様に床柱を背にした御席を開けてお待ち申し上げる仕儀とはならず、到着順に「そこへ直れ」と相成る。第一、金融マンにとって、自分達が元々所属した銀行・証券会社がどこがどこやら、「訳わかめ?」状態で、少々気の毒な気もしないではない・・その点、少々悪口は言われるが、高校の同窓会ほど、アイデンテイティのはっきりした いこごちの良い場所はないので、いそいそと出てくる仕儀となる訳だが・・)詐欺と迄はいわないが、道中も心細い田舎道や街中に夜間明々と、派手なネオンで満艦飾のパチンコ屋も、H氏がみると、あの電気代は誰が払うと思って、客は店に出入りしているのか不思議でならない・・。ディープインパクトが跳ぶとか飛んだとかCMで煽る競馬も、ほどほどに、テレビで眺める程度のほうが、余程健全と思うが、これも、夢を追えない、爺イの嫌味な繰言なので、ご趣味の方々には、まずはならぬ堪忍するが堪忍と思い、ご容赦の程を・・いずれにせよ、か弱き消費者は、懐疑と寛容の精神が必須の平成の今の世の中のようで・・・、「へい!お粗末でした。」 blogランキングへ
January 4, 2007
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あけましておめでとうございます。 どちら様も、本年もよろしくおつきあいの程お願い申し上げます とにあれ、2007年の歳はおだやかな天気とともに明けた。大晦日に、カミさんが、えらく量の多い年越しそばを作るので、さてはと思い覚悟していたが・・(年齢とともに食べ物はほどほどが良くなってきた・・・)案の定、午前0時を待たずに、近くの神社仏閣の初詣に誘い出された。まあ、歩いて行ける訳だし、寒風もそこそこの為、つきあうことにして、空を見上げると、シリウスとオリオン星雲の斜め上に、十三夜の月。先ずは「弁天宗大阪本部」へ出向くと、近くに居ながら信者ではないので初詣ははじめてだったが、大勢の信者で本堂は埋め尽くされている。 お題目は「般若心経」を主に唱えていた。神社ではないので、それも当然かな・・と思いながらお賽銭を上げ、知っている箇所は唱和につきあった。 本堂を下って、かがり火に当たり、テントが用意されているので、お神酒でも、と意地汚く、茶碗を手に取ると、熱い白湯、・・車での参拝車も多いので、それも当然かな・・とも思ったが・・その足で近くの丘の上の小さな村社へ・・階段の昇り口で見知らぬお連れさんから、年賀の挨拶・・、これが集落の村社の良い処で、鈴を鳴らし、柏手を打ち、家内安全祈願の後、待機の神職補佐役より、お神酒に塩とスルメをいただき、ホッと一息。知らぬ同士で挨拶しながら焚き火に当たり、勧められるままに、もう一杯・・酔いのまわらぬ内に引揚げたが・・大勢の人ごみの初詣もよいが、それなりに静かなお参りも新春らしく風情があり、なにより車を動かしたくない無精ものには手頃な行事。朝から100頁の新聞と年賀状に囲まれ、おとそとワインのちゃんぽんで、暖かい日差しにつつまれて寝正月。これからどんな年になるのか?、だれも行った事がないので判らないが、先ずは平穏無事な元旦だけはほぼ間違いなさそう・・・・ blogランキングへ
January 1, 2007
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