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ヤマモモの私のいる雑木林は一応山林と言うわけで、農地解放には関係なく、元のままでした。
持ち主さんのお医者さんは、年に一度か二度お見かけした事はありますが、明治生まれの方ですし、一応地方の名士でもあり、頑固そうにはみえて、医者一筋の一徹な方でした。
戦後も10年ほどたった、昭和30年ごろには、世の中もすっかり落ち着き、特需景気で復興した大阪近辺には、どんどん人口も増え、ここらにも、大分家がふえてきました。
その頃ここより、少し奥まった丘の田畑が大規模に宅地開発され出し、私の傍にも、慌てて、工事用の道が造られ、泥道の為、私ら林の木々もホコリまみれになりました。
そんな噂は尾ひれ羽ひれがあっという間に広がり、近在のにわか地主も欲と道ずれで、我もわれもと、真面目に田仕事するよりは、頻繁に出入りする土地業者とつるんで、遊びまわるのに忙しくなりました。
頑固に田仕事に精出すオヤジやおババを尻目に、遊びほうける息子をいまいましく云う爺さんばあさんも勿論多く居ましたが・・
道沿い側のちょっとした田の1畝を宅地に変え、借家にした家賃収入のほうが、遥かに田仕事より収入が多いのは実感しておりましたので、「うちの息子どもは、田仕事嫌がって、土地売ろう思うて、ワシらの死ぬのを待ってますんや、・・」と、その実息子には面と向かってよういわず、店子の家賃取りに出かけてはこぼしたりしておりました。
しかし、その折、畑でできた葱を持参して、集金に来て、「これ」と差し出すので、うっかりくれたと思った店子の奥さんが、つい手に取り「ま~ありがとう」と返事すると「いや、これ、○○円ですねん、代金頂戴か!」というほど、いじましい、がめついばあさんになっておりましたげな・・
私のいる雑木林の前の工事用泥道でさえも、僅かな使用料の入る工事期間が過ぎた後、奥に出来た宅地の住人が近道に使いだした為か、ここから、ここまでは、ワシの土地やさかい、通行料払えたら、下水の土管通すのは月々なんぼたら言うて、小銭稼ぎを覚え、その又土地を、賭け事でヤクザヤさんに取り上げられ、輪を掛けて土地業者や、市役所に掛け合うので、皆往生する始末でした。
人間楽に金になる道覚えたら、ここまで卑しく変わるものでしょうかね~。元々皆が使っていた里道を車が通れるよう僅かに広げた際、その畦が少しかかっただけやと、昔を知っている私等は記憶してますが・・・
なかには、大きく発展する駅前広場の辺りで、「市の発展の為には駐車場の空き地がいるじゃろう」と遺言で土地を寄付した奇特な地主もいたようで、世の中人それぞれですわな~
それでも、ここら辺りには立派な住宅や大小のマンションも増え、見かけ上は、立派な住宅街になってきました。
私のいる雑木林は幸い、普通の宅地には不向きな斜面でしたので、昔ほど沢山な仲間の木々こそ枯れたり、通行に邪魔になって切られて大分みすぼらしくはなりましたが、持ち主の医者の爺さんは良く出来た人で、昔のことを良く知っており、たまに林の下枝を伐採に立会いに来た折にも、
「このヤマモモは下枝も含めて絶対切ってはいかん!」といってくれ、昔のこの里山の入会地の賑わいを周りの集にも、懐かしく話してくれました・・・ ほんまに昔の事をお知りの方も大分少なくなってきました・・・
続きはいずれ又近い内にお話しましょう・・