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短い旅だったが、中々の勉強家のガイドのお陰で、台湾の歴史や台湾人の人種構成や問題点がおぼろげに理解出来たのは、一つの成果だった。
前回 台湾訪問したのが、古い話で、確か、田中総理が、中国訪問を果たし、日中国交が成立した間際で、或る意味日本は台湾政府を裏切ろうとしていたタイミングの悪い時期だったので、出かける際もそれは意識して注意し、訪問したと記憶しているが、勿論、台湾人及び政府は、「政経分離」を謳い、一般観光客だった我々には何らも心配もなく、台北・台中を観光して廻った訳で・・・、
その頃は円の値打ちも高く、相場も現在の1NT弗=4円弱だったかどうか迄は覚えていないが、随分値打ちもあった。
台中・日月譚に向かう途中のバナナ畑やサトウキビ畑で現地の金だが、日本円で50円位の積もりで金を払い、観光停車中のバスで食べていると、現地人の日傘を頭に乗せたおばさんが激しく窓ガラスを叩く・・何事、と降りて行くと、お釣りとして45円分返してくれた。・・5円で良いのに50円払ったので、返そうとして窓を叩いていた訳で・・今や懐かしい思い出だが・・お陰で随分台湾に好印象を持ったものだ・・。
今でも概ね日本人には好意的で、前回の訪問時にも「日本人は台湾人を置いて逃げて損したね!」という台詞をバスガイドが何気なく云っていたが・・・その意味が今回少し判った気がする・・
戦前50年間の日本統治下、決して台湾人全てに親切ではなかった筈なのに、何故懐かしがって、まるで美化しているのか?今から思えば、当時、蒋介石亡き後も国民政府は四十年に渡り、戒厳令を敷き、そう云えば、主な交差点には兵隊が立ち、本省人である台湾一般民衆を、押さえつけていた。交通事故で死人が出ようが、知らぬ顔で、ずっと民衆を睨んでいた訳で・・
終戦後、日本から解放され、本来自由になるはずの本省人は中国本土から共産政権に負けて逃げて来た筈の、外省人に、なまじ「日本語で皇国教育を受けて真正な中国人ではない民族」として、こっぴどく迫害を受け、「228事件」等で数万人が殺され、その後も40年間の戒厳令が敷かれていた訳で、勿論そんな事情は当時一言もしゃべる訳にもいかなかったのだろう・・・
「まだ日本統治下の頃の方がよかった」という感情が、逆に「親日」となって、今だに続いているのだろうか・・・
それから数十年の今回は、例えばちょっと高級な普アール痩健美茶や"からすみ"等買うと、財布から、万札が消えて行くのが早い・・著名会社の初任給が高い人で5万円というから、日本の半分弱程度の物価だろうがもっと高く感じた・・
台湾総督府から世界一高い101階建てのビルのある新都心に向かう広い道路は全部東向きの一方通行で、6車線?中1車線のバス路線のみ西向きに走り、変な道!?と思っていると、案の定次の交差点で事故が発生していた。
雨中のバスから撮ったので、写りは悪いが、推定では、北から南へ向かうベンツが一車線のみ西に向かうバスをやり過ごして交差点に入った処、今度はその影から東に向かう車と出会い頭事故となった模様・・分はベンツのほうが悪そうだが、流石に車は全然痛まず、相手の車の頭部が凹み、後部座席から降りた外省人とおぼしき老人が猛烈に抗議中!
若いIT寵児風?の運転手は金持ち喧嘩せずと逆らわず、保険会社とでも電話中・・と見たが・・ この交差点にはもう戒厳令下の兵隊もおらず、日常茶飯事と見えて、見物人もいなかった・・・
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