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気に入らぬヤカラを死地に追いやる陰欠な、政治手腕で彼の右にでる政治家としては、東条英機首相の手法とそっくりです。
東条首相は、1941年(昭和16年)に第40代内閣総理大臣・兼内務大臣・陸軍大臣・に就任するや、同年12月8日太平洋戦争に踏み切り、それより先の同年1月8日「先陣訓」を自ら作成し、布告した事は余りにも有名で。
「 生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ 」の一節は、当時の太平洋戦争中の兵士や日本臣民の行動を強く支配し、捕虜になる事を拒否しての投降呼びかけ無視で、結果、サイパン島他でのおびただしい住民の集団自決、沖縄戦における住民虐殺や敵軍の捕虜への虐待などを引き起こす原因となったとして悪名が高い。
しかし、 その実、作成し、布告した御本人 が、敗戦後おめおめと生き残り、政府差し回しの気心知れた日本の警察ではなく、米軍MP隊が自宅に逮捕に訪れるや、憤然とピストル自殺を図るも、(狂言自殺とまでは思いたくないが、・・)見事に失敗し、米軍に蘇生手術を受け、戦後、心ある人の失笑を買ったのは有名な話。
(彼の使ったピストルが玩具的な22口径だとか、いや32口径だとかの説や、左利きなのに、右手で引き金を引いたとか、色々いわれているが、それはさておいたとしても、
H氏も以前、グアム島や、韓国旅行時、興味半分でピストルの実弾射撃をしてみた事があるが、慣れぬ腕前では、1M先の的でも、その口径が大きい程反動がきつく、的に当たるものではない。22口径だと、比較的反動が小さく、まぐれで数メートル先の的の真ん中を射抜けるが、余り殺傷力はないそうで・・・、32口径になると、火薬の反動の為、手首がとんでもない位置になった状態で発射されてしまう。・・、要は、皆無ではないにしても、実戦経験の余りない軍人能吏、東条陸軍大将閣下も、H氏程度の腕前だったという事・・)
その東条首相の政治手法で一番嫌われた方法は、逆らおうとする政治家に憲兵を恣意的に使って一種の恐怖政治をおこなったり、政治記者では自分に批判的な記事を書いた毎日新聞の新名丈夫記者が1944年2月23日朝刊に「竹槍では勝てない、飛行機だ」と書いた所、激怒し、37歳という高齢で二等兵召集し、硫黄島へ送ろうとした。
流石に周囲というか、当時でも大正生まれにあたる老兵は1人も召集されてはいないと、海軍側より批判があると、辻褄合わせに、陸軍は、あわてて新名記者の出身地である四国丸亀の大正生まれの兵隊を250人、丸亀連隊に召集し、その後、新名記者こそ、海軍の引きで、三ヶ月で召集解除になったが、可愛そうなのは、辻褄あわせで召集を受けた丸亀地区の老兵250名で、まもなく丸亀連隊が、硫黄島に派遣され、全員戦死されたそうだ・・
まさに刺客を向けると言うより、逆らう者を死地に追いやる手法は、独裁者そのもので、 それこそ、コイズミの尊敬してやまない由縁であろう・・・
コイズミはんが、靖国参拝に拘る理由は、意外と,A級戦犯、東条首相兼陸軍大将の「独善・独裁的手法・・(その実、本人はやむにやまれぬ大和魂と思っている)・・」に対する、尊敬とその遺志を継ごうとする心意気にあるのでは・・と思う今日びの、教科書には書いてない歴史の時間ではありました。
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