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June 30, 2006
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カテゴリ: 少年老い易く

歳も生まれもバレバレになるが、終戦の折は小倉で生まれ、H氏は3歳になるかならぬか・・・
幼児の記憶が残る限界だが、それでも南小倉駅前に防空避難広場を作る為か、密集家屋を大人達が集団で綱をかけ、倒したりしている現場近くで、眺めていた記憶もあり、もう一つは、その場所も、見た現場もはっきり思い出すが・・。

小倉十二師団や小倉陸軍造兵廠の近くに、その日豊本線・南小倉駅があり、そこから更に、陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所へ向けて田圃の間を南へ大きくカーブしつつ、引込み線が引かれていた。

幼児の事とて、だれかの背中に負ぶさって見たのだろうが、その田圃に、特別大きなすり鉢状の穴があいており、怖いもの見たさの大勢の見物人が不安そうに、「不発弾でよかった」と線路上から眺めていたのを思い出す。
記憶はその程度・・・それがなんであったのか、この歳になって最近やっと判りかけてきた。

うちの親父は身体検査で丙種とやらで、戦地行きは免れていたが、その分、在郷軍人会や隣組で焦土の中をあちこち走り回されて、疲れ果てたのか戦後1年目で亡くなったが・・
いまでも家に残っているのかどうか、実家に戻った折、確認したいが、小倉砂津港近くで撃墜されたB29のジュラルミンの端材に、日付けや場所等書いた部材があったのを思い出す。

米軍は、サイパン陥落後、日に日に、日本本土をB29で絨毯爆撃し、小倉の隣街、八幡や門司は焦土と化していたが不思議に、軍都小倉には大した被害も受けぬままであった。

それには、或る理由があり、米軍は原子爆弾投下の候補地としては、まだ空襲を受けていなくて、原爆投下の効果の判定しやすい都市の中から広島、小倉、京都、新潟が候補に挙げられていたが、このうち京都・新潟は除外され、代わりに長崎が選定され、結局広島・小倉・長崎が最終目標となっていた訳だ・・。

昭和20年7月20日以降より、模擬爆弾(パンプキン)により、目標各地で周到に、投下練習が行われた。(通常の焼夷爆弾をばら撒くのとは訳が違う程重いため投下方法が水平ままでは、投下したB29迄、衝撃波に飲み込れ墜落する。)そこで高度9000m辺りより、目視で急降下しつつ投下し、直後に155度の急降下旋回で離脱する訓練。

155degree.gif

http://home.att.net/~sallyann4/odd-turn.html   より

パンプキン爆弾は内容物によって2種類が存在し、1つはTNT火薬を主成分とした高性能爆薬を充填したタイプ、もう1つはセメントや石膏を用いたコンクリート混合物が充填されたタイプであった。パンプキンの総重量は約4,800kg、内部の爆薬またはコンクリートが約2,900kg、爆弾外殻(鋼鉄製)等その他構造物が残りの重量を占める。

Fat_man.jpg

                    長崎に投下された原子爆弾  (ファットマン)

H氏の自宅近くに落とされた、パンプキン爆弾の特大のすり鉢状の穴は、規模の割りに、それほど被害もなかった為、おそらく、セメントや石膏を用いたコンクリート混合物が充填されたタイプだったと思われる。

そして運命の8月6日、西太平洋テニアン島の基地を午前1時45分に発進した長距離爆撃機B29(「エノラゲイ」と呼ばれた。)は、 第1目標は広島、第2目標は小倉、第3目標は長崎であった。周辺には厚い雲の壁があったが、先行した気象観測機の報告通り、広島の上空は雲ひとつない良い天気であった為。高度9600mから爆弾を投下し訓練通り離脱、50秒後に高さ570mで爆発した・・・・詳細はH氏の筆力ではとても表現できない程の悲惨な現実が発生した・・・。

さらに3日後の8月9日、B29(このB29は「ボックス・カー」と呼ばれた。)は、午前二時五十六分(現地時間)、十三名の乗員を乗せテニアン島A滑走路を離陸した。七時四十五分、屋久島上空九千メートルで随伴機一機と会合し、先発した気象観測機から第一目標の 北九州・小倉は快晴が期待できるとの報告を得て、予定通り小倉に原爆を投下することとした。ところが爆撃行程に入って、小倉上空には前夜の八幡攻撃で発生した大量の煙が流れ込んで目標を視認できなかった。ボックスカーは 爆撃行程を三回繰り返したが目視攻撃ができず、その上、高射砲や戦闘機の迎撃が激しくなったので、あきらめて第二目標の長崎に向かった。

長崎には高度九千メートルで北西方向から進入したが、千八百~二千五百メートルの間が八十から九十パーセント積雲に覆われていた。一旦はレーダー爆撃を決心したが、投下寸前に雲の隙間から地上が現れたので、十一時一分これに照準を合わせて原爆を投下した。予定照準点から三キロ北の地点であった。投下後、直ちに急降下しつつ左へ急旋回し、北東へ向け全力で離脱して爆発の衝撃波を避けた後、旋回しつつ観測を続け、沖縄に向け南下して行った。(黙祷・・・当時の長崎市民に合掌・・・。)

知らぬが仏とは云え、3歳のH氏が住んでいた小倉は、都合三度も、特にその三度目は一時間近くも真上で原爆投下の目標にされながら、寸前で助かってきた訳で・・・
そのどれか一つでも、段取りが異なっていたら・・・、仇や疎かに生をむさぼる訳にはいかないと想いつつ・・今日まで馬齢を重ねてきているのだが・・・

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Last updated  July 1, 2006 01:03:20 AM
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