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忘却とは 忘れ去ることなり
忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ
君の名は……と たずねし人あり
その人の 名も知らず
今日砂山に ただひとり来て
浜昼顔に きいてみる
菊田一夫作詞・小関裕而作曲
この年代を過ごした人なら、このナレーションとハモンドオルガン伴奏の「 君の名は
」のメロディを知らない人は先ずいない・・・・
1952(昭和28)年 4月から2年間放送された連続ラジオドラマ 「 君の名は
」程 人気沸騰した番組は戦前の「 愛染かつら
」以来で、空前絶後の人気を博した。
正直、その頃 小4のH氏など、いくらおませだったにしろ、話の経緯が判る歳でもないが、 一種の社会現象
で母や姉等、周りの大人たちの入れ込みようも尋常ではなく
嫌でも、耳に入る、メロディと共に、記憶に刷りこまれていった。

・・・・・・・・
1945(昭和20)年5月24日空襲の夜、助け合った 氏家真知子
と 後宮春樹
。心を通わせたふたりは半年後に東京・ 数寄屋橋
で再会を約束する。
別れ際、
「君、肝心なことを。・・・君の名は何て?」 「わたくし……」
その時、再び空襲警報が鳴り、ふたりは名前を告げず、あわただしく別れていく。
東京・ 数寄屋橋
、新潟・ 佐渡
、長崎・ 雲仙
、北海道・ 美幌峠
、などを舞台に、ふたりは、何度もすれ違い、じりじりするような恋に身を焦がしていく。
・・・・・・・・
「 番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える
」と言われるほどの人気となった。・・これは松竹映画が創った 宣伝用のフレーズと思うが
当時、H氏の家から、ほぼ等距離に二軒の風呂屋さんがあったが、・・・そこまでの記憶はない。
真知子役が岸恵子
、 春樹役が佐田啓二
の映画版は、53年から54年にかけて3部に分けて公開され、大ヒットした。映画の中で岸恵子がショールを頭に巻いた「 真知子巻き
」が流行した。

中三の頃、修学旅行で行った、雲仙で、勝則と離婚を決意した真知子の就職先とされた雲仙観光ホテル近くに、当時はペンキのみで「 真知子岩
」と書かれた岩があり、友人数人と、面白半分でその岩の上にしゃがんで写った写真が手元に残っている。

大学進学で上京時、既に、 数寄屋橋
は高速道路下で、姿はなかったが、叔父さんの経営する店が高速道路アーケード内にあり、覚えやすかった。
後年、或る意味こんなすれ違いの筋立ては 、「君の名は」以降の脚本の禁じ手
と云われたが、ご存知韓流ドラマ 「 冬のソナタ
」でも使われ、 幾年月と年代を重ねた筈?
のウチの実姉も懲りずにハマッテしまって、初期からのビデオを山済みし、関連グッズを買い込み、CDや楽譜を送ってきて、ピアノを練習しろ!といってきかない。
まぁ、姉さん孝行で、やってはみたが、余り気乗りしない・・?その為か、スラリと弾くには程遠い仕上がり・・
カミサンは隠れファンで、余りH氏の前では、韓流の話はしない・・が、しかしH氏がPCにしがみ付いている間中、韓流モノのテレビにしがみつき、家庭内にて上手く棲み分けている・・